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2012年1月2期日本近代史57: 三島由紀夫事件について語り合おう (106)
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三島由紀夫事件について語り合おう
- 1 :11/12/05 〜 最終レス :12/01/15
- どうぞ
- 2 :
- 「そのために 我々の総監を傷つけたのは どういうわけだ・・・」 「抵抗したからだ」 「抵抗とは何だ・・・」
- 3 :
- 三島先生と森田必勝先生の 遺志を継いで、 一刻も早く 憲法改正を 実現させましょう。
- 4 :
- 「男一匹が 命を懸けて 諸君に訴えてるんだぞ・・・・」
- 5 :
- 「まさか、死ぬとは! すごいショックだ。
自分もずっと演説を聞いていたが、若い隊員の野次でほとんど聞き取れなかった。――死を賭けた言葉なら
静かに聞いてやればよかった。」
陸上幕僚T三佐
三島自決直後の談話
「三島の自決を知ったあとの隊員たちの反応はガラリと変った。
だれもが、ことばを濁し、複雑な表情でおし黙ったまま、放心したようであった。
まさか自決するとは思っていなかったのだろう。その衝撃は、大きいようだ。」
自衛隊の最高幹部
三島自決の日の談話
福島鑄郎「資料・三島由紀夫」より
- 6 :
- バルコニーで絶叫する三島由紀夫の訴えをちゃんと聞いてやりたい気がした。
ところどころ、話が野次のため聴取できない個所があるが、三島のいうことも一理あるのではないかと心情的に
理解した。野次がだんだん増して行った。舌打ちをして振り返った。
…やるせなかった。無性にせつなくなってきた。
現憲法下に異邦人として国民から長い間白眼視されてきた我々自衛隊員は祖国防衛の任に当たる自衛隊の
存在について、大なり小なり、隊員同士で不満はもっているはずなのに――。
…部隊別に整列させ、三島の話を聞かせるべきで、たとえ、暴徒によるものであっても、いったん命令で集合を
かけた以上正規の手順をふむべきだ。
こんなありさまの自衛隊が、日本を守る軍隊であるとはおこがましいと思った。
三島がんばれ!…心の中でそう叫んだ。
K陸曹
三島演説を振り返って
福島鑄郎「資料・三島由紀夫」より
- 7 :
- 被告たちに憎いという気持ちは当時からなかった。
(中略)
国を思い、自衛隊を思い、あれほどのことをやった純粋な国を思う心は、個人としては買ってあげたい。
憎いという気持ちがないのは、純粋な気持ちを持っておられたからと思う。
自衛隊市ヶ谷駐屯地、益田総監
三島での証言より
- 8 :
- 「諸君らの中に 一人でも俺と一緒に立つ奴は いないのか?」・・・・「バカヤロー、てめえ、それでも男か」 「そんなもんいるもんか」 「降りてこいよ」 「英雄気取りになるんじゃねえぞ」 「ひきずり降ろせ」
- 9 :
- 「おまえら、聞けい」 「聞けい」 「静かにせい」 「静かにせい」 「話を聞け」 「静聴せい」 「男一匹が 命を懸けて 諸君に訴えてるんだぞ」 「いいか・・・いいか・・・」
- 10 :
- ハンドマイクくらい持参すべきだろう条項(´・ω・`)
- 11 :
- 三島由紀夫・森田必勝・古賀浩靖・小川正洋・小賀正義
- 12 :
- >>10
敢えてやってんでしょ
- 13 :
- 敢えてやってんのか。甘ったれのお坊ちゃんだな。
たまたま文学の天才だから評価されてるだけじゃん。
- 14 :
- 「最初はご自宅に伺ったんです。『論争ジャーナル』発刊の主旨、論調は当時反主流でした。先生(三島由紀夫)は、
その当時から一つの輝く北斗の星でしたよ。思想的な評論など出していましたからね。例えば、『対話・日本人論』とか、
思想的な評論関係の著作を出していましたから。文学者としてではなく、思想家として見ていましたよ。
小説家三島由紀夫と我々は見てなかったですよ。おそらく誰も。
(中略)
あの頃は、慶応で最初の学園紛争がありまして、それから早稲田、日大、明治、東大ってどんどん広がって
いったわけです。当時の思想風景というのは、左翼でなければ人にあらずという……。想像できないでしょうが、
そうだったんです。で、やっぱり、そのうちとんでもないことが起きる、と。今見れば漫画みたいになっちゃう
かもしれないけど、革命というのを、我々は真剣に危機的に感じていました。そういう時代風潮を押さえて見ないと、
あの頃の行動というのはわからないんですよ。今の、この社会状況から見てたんじゃ」
持丸博(元楯の会初代学生長)
鈴木亜繪美「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より
- 15 :
- 「あの頃は、全共闘全盛の時代だった。俺は九州生まれで、全共闘の考え方に馴染めなかった。ああ、俺の考えは
世の中に合わないのかな、と思ったよ。
(中略)
学校へ行ってもどうも自分と考えてることが違うなという連中が、我が物顔で歩いている。肉体的には負けないけど、
論争して負けたくないから理論武装したいと思った。
先生の人柄とかに興味津々だったから、たぶん、先生が辟易するくらい質問したよ。根ほり葉ほり訊いたね。
先生は、目が非常に純粋で、僕らのようなひよっこにも丁寧な言葉を使ったし、時間を守る、威張らないし、
そういうことからも魅力を感じた。文豪なんていうそぶりは全然見せなかった。礼儀正しさとか非常に親切心が
あるとか、何回かのお付き合いの中で敬意を持つようになった」
仲山徳隆(元楯の会会員)
鈴木亜繪美「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より
- 16 :
- 「当時、新左翼の運動が広まっていて危機感があった。(中略)
三島先生は、『君が田村君か、さあ座りなさい』とおっしゃり、これが最初の言葉だった。じっと見られた大きな目が
キラキラ輝いていて、印象に強く残った。実にあっけない最初だった。
(中略)
体験入隊終了直前、緊張の連続と疲労の極みで胃液を吐きダウンしてしまった。薬を飲まされ、隊舎のベッドで
横になっていると、三島先生がいらしたんです。ベッド脇に座られて『大丈夫か』と声を掛けてくださった。
『幾つになった』と訊かれ、『十八です』と答えると、『そうか、俺は君の親の世代なんだなあ。無理するなよ、
行けるか?』と。先生のあの声は忘れられないですよ」
田村司(元楯の会会員)
鈴木亜繪美「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より
- 17 :
- 「とにかく入学した前後って、大学紛争が一番大変だった時、最初に入試を受けた時はバリケードがあって
機動隊が出てましたよ。早稲田の文学部は革マル派の本拠地だった。圧倒的に、革命論争だとか新左翼系の話が
主流でした。でも、いわゆる左翼系の議論には違和感があった。どうもちょっとおかしいと。それでいろんなものを
読んでる中で、一番明解に論を展開していたのが三島先生だった。そういう意味じゃ、『論争ジャーナル』に
出て来て論陣を張ったというのは画期的だった。
自衛隊に行こうと思ったのは、当時はマイナーな存在で、どちらかというとマイナスの評価だった。それと規律で
全部縛られている所では自分がないと言われていましたから、本当に徹底してがんじがらめの規制の中で人間が
どうであるか、自由でありうるか、それを一回やってみたいと思ったんです」
佐原文東(元楯の会会員)
鈴木亜繪美「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より
- 18 :
- 「三島先生の『楯の会』は、思想的に自由な所だったというのが大きかったと思います。思想的束縛がありません
でした。会自体すごく幅広い人が入って来ていました。僕なんか、従来型の右翼系の人とは随分違ったと思います。
僕は、三島先生といろいろ話していて、今まで会ってきた人の中であれ程頭のいい人はいなかったですね。
非常に明晰で、クリア。透明なんですよ、透明。なんていうかクリスタルガラスのような、水晶のような、
そんな印象でした。
森田さんは、ともかく明るい人でした。話していて非常に気分のいい人。裏表がない人。そういう意味で
翳のない人だよね。生き方にも翳がないし」
佐原文東(元楯の会会員)
鈴木亜繪美「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より
- 19 :
- 「三島先生は先駆的な考えをお持ちで、当時、『論争ジャーナル』という雑誌で民兵構想というのを出されて
いました。こういうのは、これから面白いなと思った。つまり自衛隊だけではなくて、民間人が防衛組織の一翼を
担うという構想を出されていた。アメリカでもヨーロッパでもそういう民兵というのはあるわけで、日本だけが
そのような民兵組織がなかった。自衛隊自体が、むしろほとんど否定されていたような世の中だったから、
ああいう考え方は非常に新鮮でした。
今でもよく覚えているのは、訓練の時に小銃を持って走るわけですよ。あの時、三島先生は『銃の重さを知ることが
非常に大切なことなんだよ』と語っておられた。よく記憶しています。国を守るということは、銃の重さを身体で
感じることなんだと、理屈ではないんだと。全くその通りだなと思いました。ほとんどの話は忘れてしまったけれど、
これはよく記憶していますね、銃の重さのことは」
イニシャルO、元京都大学生(元楯の会会員)
鈴木亜繪美「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より
- 20 :
- 「高校一年の時に、文化大革命が起きて、新聞は『文化大革命』礼賛一色ですよ。『毛沢東万歳!』ってすごかった。
ものすごい理想国家のように持ち上げていた。ところが、新聞にちっちゃく記事があって、大陸から香港に逃げて
フカに食われて死んじゃう人が何百人もいるのを目撃したって。そんな素晴らしい国ならなんで亡命して逃げて
来るんだ。変じゃないかって、子供心に思っていたわけです。
(中略)
右でも左でもなかった。ところが、昭和四十五年一月頃、早大キャンパスに確か『三島由紀夫と自衛隊に
体験入隊しよう』というタテ看板を見て、俺が求めていたものはこれだと、決心。楯の会という意識はなかった。
自衛隊に行くことが主で入会はついでだった。」
村田春樹(元楯の会会員)
鈴木亜繪美「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より
- 21 :
- 「そのあと、サロン・ド・クレールで三島先生に会いました。非常にさっぱりした感じだった。どんな本を
読んでいるかと訊かれて、大江健三郎と。その時、先生は大江健三郎の絶版になった本の話をしたんだよ。
『政治少年死す』ていうやつを。読んでないから答えられなかったんだよね。
先生は、なんでこんなヤツが来たんだみたいな顔して、森田さんの方を見た。森田さんは『いやいや、なかなか
元気がいいですから』と言ってくれました。森田さんの一言で、私は救われたようなもんです。そうでなければ、
こんな軟弱な学生が入れるわけないじゃないですか。森田さんて人は、知れば知る程素晴らしい人でしたね。
快活という言葉、一言。」
村田春樹(元楯の会会員)
鈴木亜繪美「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より
- 22 :
- >>10
翻訳家の徳岡孝夫が三島との交友を回想した「五衰の人」によると、
徳岡は三島よりの知らせで「決起」に立ち会うことになったのだが、「野次や罵倒で
かき消された」と伝えられることになる演説は、注意すれば普通に聞こえていたと
書いている。
そうマスコミが伝える事になった理由を徳岡は推測していたが失念した。
マスコミの都合の理由だったかと記憶する。
自分は、徳岡証言は正しいように思う。記録映像で見る限り三島の声を拾ってるしね。
- 23 :
- テレビ局のヘリコプターまで来て、聞き取るのは絶望的だったんじゃなかったっけ?
- 24 :
- >>23
野次に答えたり、お互いやり取りしている部分もあるので近い場所の人達には聞こえていたと思います。
- 25 :
- 「三島由紀夫先生と楯の会のことは、田舎にいる時は全然知らなかった。興味もなかったし。父親が靖国会を
やっていて、その関係で森田必勝さんに会ったんです。
確か、森田さんが橘孝三郎(祖父)のことを知って、靖国会の事務所を訪ねて来たんです。その後、私も
紹介されました。親父は森田さんのことをこう言ってました。
『森田必勝という、なかなかいい男が俺を訪ねて来たぞ。凄く気骨のある人間だ。凄くいい青年だぞ』って。
くりくりっとした坊主頭の人で、本当にね、少年みたいにね、本当に裏のない人でした。森田さんは兄と同じ
二十年生まれ、ずっと兄のように思っていました。
(中略)
西新宿のルノアールで、三島先生にお会いしました。ほとんど何も言えなかったけどね。『橘先生、お元気ですか?』と、
祖父の橘孝三郎のことを訊かれたことを覚えています」
塙徹二(元楯の会会員)
鈴木亜繪美「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より
- 26 :
- 「森田とは同じ年だった。ある時、先生が俺をからかって、『森田には命預けますっていう学生がいっぱい
いるんだよ』と言ったんだ。そうしたら、森田は顔を真っ赤にして、『いやあ、僕の命は先生に』って言った。
僕は自分の日記に書いても先生に直接そんなふうに言ったことないよ。
(中略)
自分ではちゃんとしていたつもりだったけど、先生に怒られたことがある。『お前ら女みたいだな。ころころ
変わって』って。
俺たち、時間前から行ってバリバリやる気でいるかと思ったら、だらだら遅刻したり、自分では変わってないつもりが、
変わっていたんだ」
川戸志津夫(元楯の会会員)
鈴木亜繪美「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より
- 27 :
- 「私は、正式な会員じゃないんです。もともと大学が早稲田だったから、楯の会のことはよく知っていたんですよ。
でも、その当時は入ろうという意識はなかったですね。(中略)
国学院の友人に、三島先生に心酔しているものがいて、仲間と一緒に先生に会いに行くことになったんです。
それにも、たまたま行かなかった。友人は、念願の先生にお会いして、頭の中が真っ白になって『先生は、
いつ死ぬんですか?』と訊いたそうですよ。
先生は、『わっはっはっ』と大笑いされて、『まあ、お茶でも飲め』と、紅茶をご馳走になった。何も聞け
なかったけど、気さくな人だったと。夏の暑い日だった。社交辞令だろうけど、募集してるから、また来い、
ともおっしゃってくれたそうです」
須賀清(元楯の会幻の六期生)
鈴木亜繪美「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より
- 28 :
- 「森田必勝とは同じ二十五歳だった。当時、森田たち十二社のメンバーはすぐにテロだとか言っていた。
できるわけねえじゃないかこいつら、と思っていた。でも、事件が終わってから、森田の見方が変わった。
あの男に対する見方は変わったよ。先生に対しては変わらない。もともと凄いなと思っていたからね。
(中略)
何かの折に触れ思い出すと、『あいつは凄かったな』と思う。要するに、腹を切る切らないの前に、あの状況に
立てるかどうか考えた。それから介錯して、短刀を取って……。あの状況に立った古賀、小賀、小川、森田は
凄いと思う。
三期で一緒だった牧野隆彦が、先生が亡くなった四十五歳を越えた時、『先生に、すまない』と言った。そして、
翌年四十六歳、くも膜下出血で死んでしまった。その時は、ショックだったね」
川戸志津夫(元楯の会会員)
鈴木亜繪美「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より
- 29 :
- 「たぶん、先生は最初一人で死ぬつもりだった。森田さんも死ぬ覚悟を決めていたんですよ。『森田の精神を
恢弘せよ』とは、その森田さんの純粋な行為、行動、信条を後の人に伝えろというのがあるのだと思います」
佐原文東(元楯の会会員)
「三島先生という存在自体は亡くなられても、文学者としての三島由紀夫、社会的な立場にある人としての
三島由紀夫は残ると思います。しかし、森田についてはおそらく何も残らない。森田について言いたいことは
政治的な森田。日本には『自決』という政治的表現があるんです。諭したい相手がダメだと思ったら、自らの命を
捧げて訴えるという政治的な表現法です。行動主義の森田だったから、西洋的にしゃべり尽して相手に伝える事を
せず、『自決』という行動で、『日本の真の姿を見よ』と訴えたかったんだろうと思います」
伊藤好雄(元楯の会会員)
鈴木亜繪美「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より
- 30 :
- 「先生はもうそれなりに著名で確立されている方です。でも、森田さんは無名でした。三島先生は、ものすごく
森田さんの身の上を案じ、今後、森田さんの精神がそのまま埋もれてしまうことに対して危機感があったんだと
思います。(中略)
僕の進んできた道を――商社に入ってずっと普通に生活してきたことを、申し訳ないという気持ちがあります。(中略)
僕は、大学で中国語を学び、中国という共産主義の国が隣にあって、日本がどう思われているのか、最近の反日の
運動を見るにつけ、その前から中国はずっと日本に対して辛く当たっていることを経験してきました。みなさんは
日本の中で日本を見てきたと思うけれど、僕は中国というフィルターを通して日本を見てきたんです。
預言者としての三島由紀夫というのは、ものすごく的確だと思います。今の日本の政治はぶれている。外交上、
中国にしてやられています。そういういたたまれない状況にあるだけに、非常に的確に予言していたな、と思います。
それだけに、三島先生や森田さんのやった行動が余計光ってくると思います。一条の光というか、僕は、やがて
もっともっと輝いてくると思います」
古屋明(元楯の会会員)
鈴木亜繪美「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より
- 31 :
- 「フルコガ君(古賀浩靖)とは事件後、品川だったか、電車の中で偶然会ったことがあります。その時、彼は
『すみませんでした』と言ったので、僕は『そんなことないよ。君がそんなことを思うことはサラサラないね』と
答えた記憶があります。(中略)
先生は、残すべき人間は残したんだと思いますよ。おそらく。だから、残った人間は、重い荷物を背負って
いるんですよ。
私以外に、楯の会の会員で二人、自衛隊で定年を迎えた人がいます。彼らと違うのは、私は事件が起きる前に
自衛隊に入隊していたことです。二人は事件が起きたあとに入ったから。まあ、どちらが大変という比較は
難しいですが、それぞれ大変だったと思いますね。ずっとマークもされてましたから。多分、三人とも定年まで
マークされていたと思います。(中略)
事件当日に市ヶ谷で斬られた人と会ったこともあります。腕を斬られて、背中を何針か縫った人を知っています。
でも、三島先生のことを悪く言う人はいません。先生の心情はわかるということを、随分言われました」
イニシャルK、元明治大学生(元楯の会会員)
鈴木亜繪美「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より
- 32 :
- 「僕が、どうしてしゃべる気になったかというと、結局、あの事件は、『三島由紀夫』だけが前面に出ているから。
だから、世間の評価というのは、いわゆる作家が起こした結末だというのがほとんどでしょ。もし、三島先生一人
だけだったら、僕はそれは認めるわ。だけど、森田さんが一緒だった。まるで森田さんなんて、さしみの
ツマみたいなもんや。だから、僕はそれが我慢できへんかった。ずっと、今でも、そう思う。
三島先生は、もの凄い追い詰められたと思うの、森田さんに。本当に。もし森田さんがいなかったら、三島先生、
絶対せえへんよ。ああいうことは。思い切れなかったと思う。違った形でしたかもしれへんけど。自分で腹切って
死ぬことはあったかわからへんけどね。ああいうことはしなかったと思う。うん、すべて森田さんの影響よ、あれは。
森田さんの言動でもわかっていたし」
野田隆史(元楯の会会員)
鈴木亜繪美「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より
- 33 :
- 「(中略)森田さんは『自分でテロするなら、必ず自分の命を絶たなきゃいけない。生き残ったらいけないんだぞ。
そんなヤツいるか? 今の日本で、自分の命を賭けてもいい奴がいるか?』そう言った。森田さんは、その時、
もう覚悟できてたし、三島先生について行ったらいいと、自分の命を捨てる覚悟だったんやろうね。
三島先生は、すべて規定済みやった。たぶん野次で、自分の声がかき消されるのもわかってた。それを上回るような
マイク使ったら、値打ちもない。演説と違うんだから。やっぱし、最後は肉声よ。
明治維新から百年たって、高杉晋作や坂本竜馬がどうだったか、今では我々もわかる。五十年、百年たって、
わかる人がわかればいいのよ。
当時、二十歳前後だった我々は、他のみんながこれからどうして生きようという学生時代に、どうして死のうか
考えてた。それだけの覚悟をしてしまった。それは、森田さんも、我々も一緒だった」
野田隆史(元楯の会会員)
鈴木亜繪美「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より
- 34 :
- 「森田さんは、非常に純粋な方でした。だから、すべてを賭けておられたんでしょう。それは、言葉の片言隻句に
森田さんの純粋な気持を私なりに感じました。楯の会に対して、大切にしようという思いをつくづく感じました。
森田さんは、三島先生だけを行かすわけにはいかない、という学生長としての立場もあって、十分考えられたんじゃ
ないですかね。
すべてを森田さんが引き受けてしまったのだという思いはずっとしています。非常に、それは、辛い……。
若い、純粋な人が……。(中略)
今の日本には、遺憾極まりない気持です。靖国神社にしても、日中問題にしても、全部本質的なことを飛ばして、
表面的なことだけでやり過ごしている。そういうことを、森田さんは我慢ならなかったんだと思います。私は
今でもそうだから、二十代の純粋な考え方だったら、本当に我慢できなかったと思いますよ。
私は、今、学生にも言うんです。『こんないい加減な世の中に対して、君たちはなぜ憤りを持たないのか?』と。
イニシャルO、元京都大学生(元楯の会会員)
鈴木亜繪美「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より
- 35 :
- 楯の会にいたことを、特に学生には言っていません。三島由紀夫の本を読んだ学生はあまりいません。読めない
でしょう。あらゆる面で学力低下がひどいから、日本語がどんどんおかしくなっています。
僕らは、あの当時、それなりに自分の国のあり方を真剣に考えていました。右であろうが左であろうが。やっぱり
もっと国に対して真剣だった。今は、みんな本当にそういうものがまったく感じられない。(中略)
平和というのは、戦わないこと。今の日本では、それが平和だと言われています。不戦の誓いだとか。
本当にそうなのかなと思います。むしろ逆ですよ。平和というのは、自国の防衛をきちっとやって相手から
侮られないというのが平和であって、戦わないというのが平和ではないんです。それは奴隷の平和です。攻めて
くればやるぞ、という覚悟があって初めて平和というものは維持されるわけですから。
森田さんの志を恢弘せよというのは、やっぱりそれぞれ自分たちの現在の場所においてその当時の気持を実現せよ、
という意味で私は理解しています」
イニシャルO、元京都大学生(元楯の会会員)
鈴木亜繪美「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より
- 36 :
- 「三島先生と一緒に行動を起こし、残った三人のうちの二人古賀浩靖と小賀正義は、自分が楯の会に誘ったんです。
警察に留置されている二人のことをずっと考えました。(中略)
フルコガ(古賀)とチビコガ(小賀)が出てくるまでは、東京にいるのが義務だと思いました。
彼らが出てきたので、その年の秋、秋田に帰ることになりました。お金がなかったので、トラックをレンタルして、
運転手を古賀と友人が手伝ってくれました。一日かかって秋田に着き、夜に三人で酒を飲みました。その時、
古賀に訊いたんです。
『古賀(ヒロヤン)、ひとつだけ訊きたいことがある、いいか?』
『何だ?』
『十一月二十五日、あすこの現場を出る時、投降して捕まって出る時、どういう気持だったんだ?』
今考えると、バカな質問をしてしまった。自分でさえ頭がまっ白になったのに、彼らがその時のことを言葉に
表現できるはずかない……。気付かなかった」
伊藤邦典(元楯の会会員)
鈴木亜繪美「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より
- 37 :
- 「なかなか答えてくれないから、『あの事件は、何があなたに残ったんだ?』と訊いた。
すると、古賀は、カウンターの上で、ゆっくり右の手のひらをただ上に向け、何かを持つようにした。古賀は
その手をじっと見つめたまま、一言もなかった……。
それが何を意味しているのか理解したのは、一ヶ月か二ヶ月たってからだった。もう声も出なかった。それは、
三島先生と森田さんの、首の重さ……。それを知った時、ふーっと血の気の引くような衝撃に襲われた。あの人が
首を落とし、安置した。古賀だけが首の重さを知っている……。
彼らに事件のことを訊いたのはそれだけ。あとはもう訊けない。今でも時々会うが、一切そういう話はしない。
失礼に当たると思っています。(中略)
あの行動を凌駕する言葉とか文章、表現はない。それを残された会員みんな、漠然と確実に持ってしまっているんです」
伊藤邦典(元楯の会会員)
鈴木亜繪美「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より
- 38 :
- 「拘置所にいる時、記録として残しておこうと思った。日記のような形にしようと思って、それを看守に言ったら、
あかんと言われた。ノートは手に入ったので、洗面所にあった釘で書いた。結局、検閲で見つかって没収されて
しまった。(中略)
三島先生は、日本は文化概念として天皇陛下がいらっしゃると言われてきた。『我々の一番の根幹は、天皇を
守るか守らないか。これから稲を植えて収穫するのは、天皇家しかやらないんじゃないか、そういう未来が来るよ、
工業化のあげくに……』先生はずっとそう言っていた。
森田さんに対して……忸怩たるものがある……何もできていない……。しかし、僕をはじめ、みんなも表に
出なくていいと思う。本来埋もれていくべきだと思う」
小賀正義、三島由紀夫と共に決起(元楯の会会員)
鈴木亜繪美「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より
- 39 :
- 「森田さんのことを語り合うのは価値があるが、自分たちのことを話すのは間違っていると思う。先生は
偉大な人だから、それは置いて、我々は埋もれていげばいい。埋もれなければならない。活動したことは
価値あることで、先生が『楯の会』という、今までにない団体で行動したのは、時代に夢があったからだと思う。
今後とも出て来ないだろうし、価値があった。でも、我々が、楯の会の会員だったということを口にするのは、
違うと思う。
森田さん自身、そんなに言ってほしくないと思っているのではないか……。僕は黙って死んで行く……という人だから。
(中略)
『森田の精神を後世に恢弘せよ』とは、三島先生と森田さんの、感性を持てということだと思う。先生があそこまで
できたのだから、僕もできるだろうと。それがずっとある……。自分はそれだけのことをやっている自信はある」
小賀正義、三島由紀夫と共に決起(元楯の会会員)
鈴木亜繪美「火群のゆくえ 元楯の会会員たちの心の軌跡」より
- 40 :
- ,
- 41 :
- この機会を逃すと永遠に埋もれてしまうので、三島由紀夫という人間の誠実さについて述べておきたいと思います。
三島さんは、自刃のちょうど一ヶ月前の昭和45年(1970)10月25日に、『東文彦作品集』の序文を
書いています。この東文彦氏は学習院時代に親しくしていた文芸部の先輩で、同人誌『赤絵』はこの東氏の
父君である季彦氏の援助で創刊しています。三島由紀夫は、事件の数ヶ月前に講談社の野間社長に自分が序文を
書くので、東氏の作品集をぜひ出版してくれと頼み、承諾を取ったわけです。このことは、自刃するにあたり、
世話になった方への恩返しをし、後顧の憂いなく事を起こすという事だったのではないかと思われます。
三島由紀夫と東文彦氏は学習院時代手紙を数多くやりとりしていました。お互いに信頼しあった文学上の先輩・
後輩関係だったのですが、東氏は昭和18年に23歳で亡くなり、三島由紀夫は告別式で弔辞を読んだそうです。
そこには堀辰雄も列席していたといわれています。
佐藤松男
持丸博・佐藤松男「三島由紀夫・福田恆存 たった一度の対決」より
- 42 :
- (中略)
じつは、この東文彦氏の父君の東季彦という方は学長職も歴任していた私の大学時代の恩師なのです。(中略)
その東先生から伺ったことですが、三島さんは息子の命日には今も家にお参りに来てくれると言っていました。
(中略)世界的作家になったあとも、命日にはみえていたということです。凄いのはそれにもましてそのことを
三島はだれにも語っていなかったということです。
これは三島由紀夫の年譜などを見ても、そのことについては書かれていません。あれほど自己顕示欲の強かった
三島由紀夫が、お参りに行ったというのを誰にも語らなかったのですね。普通の人だったら、俺は昔世話に
なった人のことはいつまでも忘れない、だから俺はいまもってお参りに行っているんだとすぐ言いそうなものですが、
それをひと言も言わなかった。(中略)ここに私は三島由紀夫の律義さと誠実さを見るのです。この律義さと
誠実さが結局はあの事件の要因の一つになったのかとも考えてしまいます。
佐藤松男
持丸博・佐藤松男「三島由紀夫・福田恆存 たった一度の対決」より
- 43 :
- (中略)
日本の安全保障について、疑問点を二つほど提起しておきたいと思います。第一の疑問点は、安保条約第五条の
共同防衛条項です。(中略)第五条に共同防衛として日本国の施政下にある領域において、いずれか一方に対する
武力攻撃があった場合に、共通の危険に対処することが明記されています。が、問題なのは、その中に「自国の
憲法の規定及び手続に従って行動する」と謳われているところです。それは、福田先生がフジテレビの番組
「世相を斬る」海外版で、エドワード・ケネディ上院議員と対談した際に台湾を守る米華条約は「台湾に危機が
迫つたとき、アメリカはそれを助けるかどうか、議会で審議する義務があるといふ程度のものだ」とケネディ議員が
明言していたからです。米華相互防衛条約(1979年失効)を調べてみると安保条約のこの条文とほとんど同じ文言に
なっています。ということは日本も台湾と同様の扱いを受けることになるのは間違いないでしょう。
佐藤松男
持丸博・佐藤松男「三島由紀夫・福田恆存 たった一度の対決」より
- 44 :
- (中略)台湾は「タダ乗り」の日本と違って、アメリカの要求に対してお釣りが来るほど防衛努力を行っていた
国ですが、その台湾に対して、ケネディ上院議員のこの発言です。(中略)このケネディ発言を通してアメリカの
相互防衛条約に対する本音が垣間見えてくるようです。
二つ目の疑問点は、アメリカの「核の傘」の信憑性です。このことについては、キッシンジャーの『核兵器と
外交政策』(1957)を取り上げ考えていくべきかと思います。(中略)キッシンジャーはその中で注目すぺきことを
述べています。(中略)そのキッシンジャーが全面戦争に際し、西ヨーロッパを守るにあたって、合衆国の
大都市を犠牲にすることを躊躇しており、西半球以外のあらゆる地域、当然日本もそれに含まれていますが、
それに対しては、守る価値がないように見えるであろう、と書いているのです。この発言は「核の傘」を考えるに
あたって、見逃すことのできない重要な意味を含んでいると思われます。
佐藤松男
持丸博・佐藤松男「三島由紀夫・福田恆存 たった一度の対決」より
- 45 :
- 要するにアメリカは、ロシアや中国を相手に最終的にはアメリカ本土を犠牲にしてまで、同盟国を守れないと
いう事であり、このことは、茶化すようですが、「己のごとく汝の隣人を愛せ」というクリスト教の愛の思想は
イエスとその弟子たちのみが実践できたに過ぎないので、格別驚くことではないのかもしれません。が、保守派の
知識人で安全保障問題に口出しする人達は、これらの問題について、きちんと論じるべきだと思います。また、
ここ三十年位完全に精彩を欠いている左翼知識人ももう一度勉強し直して、我々国民の「知る権利」に是非応じて
もらいたいものです。要はアメリカが助けに来てくれる保証などどこにもないということを肝に銘じ、同盟を
結びつつも対米依存から抜け出し、自国の防衛はできるだけ自国で当たるという「人類普遍の原理」に一日も早く
立ち還るべきものと思います。
佐藤松男
持丸博・佐藤松男「三島由紀夫・福田恆存 たった一度の対決」より
- 46 :
- それから、小泉、安倍政権下の改憲論では、憲法第二十条の信教の自由について、全く触れられていません。しかし、
三島由紀夫も晩年主張していたように、占領軍は、自分達が唯一神のクリスト教徒ですから、宗教というのは
排他的な非寛容的なものだという先入観で被占領国の習俗的なものまで宗教として裁いて、神社はだめだとやった
訳です。ですから改憲する場合には必ず第九条だけでなく、天皇条項、第二十条の信教の自由も全部セットで、
行うべきで、一部分だけの改正というのは、本質が解っていないという事と、なにかアメリカとの関係からとしか
思えない。戦後レジームからの脱却だとか言っていたけれども、結局はアメリカからの要請による憲法改正なの
でしょう。だからけっこう罪は重い。一見、戦後体制を脱却するような標語を掲げながら、実際にはアメリカに
一方的にますます組み込まれていくような内容での改正でしかないのですから。
佐藤松男
持丸博・佐藤松男「三島由紀夫・福田恆存 たった一度の対決」より
- 47 :
- (中略)
もし三島由紀夫がいま生きているとしたら核武装についてどう考えるかというと、これは条件次第だと私は思います。
先ほどの憲法問題ともリンクすることですが、憲法の改正あるいは憲法を廃止するにしても、いまの憲法に対する
明確な基準ができること。これが一つ。もう一つは日米安保条約に対する明確な双務性を盛り込むこと。この二つの
条件がクリアできれば、核武装については少なくともいつでも核を持ちうるように技術開発は進めるべきである、
おそらくそう考えるだろうと思いますね。
いまの北朝鮮の問題を見てもわかる通り、あんな小さな国がアメリカあるいは五ヶ国を相手に五分の外交的
駆け引きをしているのですから、やはり核は外交上のそれなりの力になっていると思います。ですから三島先生が
いま生きていれば、おそらく核武装に対するアプローチをかなり積極的にしていただろう。ただし、そのためには
憲法と安保条約に対する条件を検討した上でのことですけれどもね。
持丸博
持丸博・佐藤松男「三島由紀夫・福田恆存 たった一度の対決」より
- 48 :
- 「先生は自分が弱かったから、強いものに憧れて、強い人間になりたいということで、鍛え上げたんでしょう」
のちに下士官から将校に昇進するための幹部候補生試験に合格して久留米の幹候生学校で教育を受けているとき、
山内は毎日の授業や実習をおさらいするつもりで、講義の要点をまとめ、その日一日を振り返った反省点などを、
日記を綴るようにノートに書きためていた。
…表紙がすっかり黄ばんだノートの冒頭には、自衛隊の将校になるにあたっての決意がしたためられている。
誰に見せるわけでもなく、自らに言い聞かせるただそれだけのために書いた一文の中で、山内は、三島から
「山内さんはこのような人に見える」と言われて、色紙に『純忠』という言葉を授かったことをしるし、
さらにこうつづけていた。
〈いまも私の宝として、好漢森田必勝君とともに終生先生との思い出を忘れない。忘れることができないであろう。
そして、純忠の言葉通り私も生きたいものだ。〉
杉山隆男「兵士になれなかった三島由紀夫」より
- 49 :
- (中略)山内は、あの日、市ヶ谷のバルコニーで「諸君は武士だろう!」と絶叫の響きをにじませながら
訴える三島の声をかき消すように、嘲笑や罵声を浴びせた隊員たちにむしろ「腹が立ち」、「平岡先生を
悪者にしてはいけないということしか頭に浮かばなかった」という。三島への尊敬の念が強まることはあれ
薄まることはなかったのである。
そんな山内も、終生先生との思い出を忘れない、と書きとめたノートのなかで、〈私は先生に会う以前、
三島由紀夫とはつまらぬ小説家であろうと思っていた〉と明かしている。(中略)
それが「尊敬」へと180度変わったのは、生身の三島に触れて、たとえ弱さがあっても、そんな自分から
決して逃げることはせず、むしろ真正面から立ち向かって、より強くなろうとする三島の真摯な姿を間近で
みつめてからだった。
杉山隆男「兵士になれなかった三島由紀夫」より
- 50 :
- ひたむきな三島に心動かされたのは山内ひとりではなかった。体験入隊してきた三島を、時には「平岡ッ」と
本名で呼び捨てにしながら、手加減せず厳しく指導してきた教官や助教も、あるいはともに汗を流し、
隣り合わせのベッドで眠った訓練仲間の学生も、少なくとも私が話を聞いたすべての元兵士たちが口を揃えて、
鍛え上げられた上半身に比べて足腰の弱さが際立つ、三島の中のアンバランスを指摘しながら同時に、三島の
愚直なまでの一途さにすがすがしいものを覚えていた。
要するに彼ら全員が、兵士になろうとして、世界のミシマとは別人のように弱さも含めてすべてをさらけ出した
人間三島に惚れこんだのである。
杉山隆男「兵士になれなかった三島由紀夫」より
- 51 :
- 学生を引き連れた滝ヶ原での最初の体験入隊で、山内や河面と同じく、助教をつとめた江河弘喜は、三島の
人となりについてこう語っている。
「紳士でした。まじめでした。もう真面目そのものでした」
…そして三島の真面目さは、律義と呼びかえてもよいものであることを、江河は自らの体験で知っている。
というより、三島の律義さを、江河は片時も忘れ得ぬしるしとして受け取っているのである。
体験入隊に臨んでいた三島に、江河は或る「お願い」をしていた。近々産まれてくる自分のはじめての子供に
名前をつけてもらえないかと頼んだのである。三島は二つ返事で快く引き受けてくれた。
(中略)いまも江河が大切に保存している三島からの手紙の日付は土曜日の二十五日になっているから、女児誕生の
報せを受けてすぐに筆をとったことになる。
杉山隆男「兵士になれなかった三島由紀夫」より
- 52 :
- まあ、檄文で軍縮条約の5・5・3を不公平とか言ってる時点で、軍事、政治の判断力や認識力に大いに疑問符が付く人物な訳だが。
思い込みと情緒で突っ走った、戦前の青年将校と同レベル。
- 53 :
- 不公平なのは事実。
事実を事実として明言できない人間の方が情緒的と言える。
- 54 :
- >>52
戦艦の5・5・3はほぼ現状維持。
日本の既製の弩級艦以上の艦は全部維持できている。(弩級艦以前の艦は戦力にならない)
アメリカもほぼ現状維持だし、イギリスは既に自分の都合で大削減している。
日本の枠を広げると言う事は、日本のみに軍拡を認めるか、英米に一方的な軍縮を求める事になり、それこそ不公平。
各国が妥結可能な基準として、現状で凍結以上に説得力のある基準は無かった。
これを不公平とするのは、単純に数字だけ見た短絡思考。
- 55 :
- 日本が核武装禁止されているのを不公平と思わない馬鹿が必死ですね。
- 56 :
- >>54
苦しい詭弁ご苦労様。
日本の比率だけ低い設定を定められる時点で明らかな不平等でしょう。
国際条約の公正さは、比率数字が基準になるべきです。それがアメリカがいうところの公正、自由なんでしょ?
TPPでもそうやろうとしてるでしょ、現状維持じゃなくて。
都合のいいときだけ現状維持が公正じゃ辻褄合わないよ。
あなたのいう現状維持とは単にアメリカが日本を押さえ、アメリカより低い軍事力にするための方便の代弁でしょう。
全く説得力のない答弁でした。
- 57 :
- >>51続き
〈どうしても可愛がりすぎてしまふ第一子は、女のお児さんがよろしく〉と、やはり第一子に女の子を授かった
自身の経験を引きながら、三島は手紙の中で、〈人生最初に得る我児は、何ものにも代へがたく、一挙手一投足が
驚きでありよろこびであり、……天の啓示の如きものを感じますね〉とその感動を素直に綴っていた。
候補としてあげた三通りの名前については、それぞれについて、(中略)〈一長一短〉があることを断った上で、
三つの中から〈御自由に〉選ぶように書き添え、さらに別便でいかにも愛らしい淡いピンクと水色の産着を
一着ずつ届けて寄越す、こまやかな心の砕きようであった。
杉山隆男「兵士になれなかった三島由紀夫」より
- 58 :
- >>56
>アメリカが日本を押さえ、アメリカより低い軍事力にするための方便
そうしたいなら、アメリカは軍縮条約なんか結ばずに、そのまま建艦競争を続ければ良かった。
日本が八八艦隊中6隻しか起工できていないのに、アメリカは3年計画艦隊16隻を起工済み。
ほっときゃ差は開く一方。加えて日本は財政破綻して戦うことなく滅ぼせる。
日本は未完成艦2隻で、アメリカの未完成艦11隻を潰したんだ。
この視点では数字の上でアメリカに不公平になっている。
>日本の比率だけ低い設定を定められる時点で明らかな不平等でしょう
フランスやイタリアはさらに日本の半分程度だが、不平等だなどと言ってないが。
それに聞くが、もし将来的に中華民国やソ連が軍縮条約に参加した場合、日本と同等の保有量を両国に認めなきゃならないのか? 両国が日本と同等まで建艦し「軍拡」していくのを黙って見ていろと言うのか?
日本がそれを受け入れると思うのか?
>国際条約の公正さは、比率数字が基準になるべきです。
短絡的。
数字における公正さはどこに基準を置くかによる。
集団において報酬を分配する時、単純に人数割りにするのが公正か、それとも働きに応じて分配するのが公正かは、ケース・バイ・ケース。
>TPPでもそうやろうとしてるでしょ、現状維持じゃなくて。
軍縮の戦力保有比を同じにしろと言う主張は、TPPにおいて各国の競争力(戦力)を同等になるようにしろと言うようなもので、お話にならない。
規制撤廃協定のTPPと、規制協定の軍縮では、性質が全く違うので比較にならない。
>都合のいいときだけ現状維持が公正じゃ辻褄合わないよ。
ケース・バイ・ケースとして、軍縮条約において、現状維持は公正だった。
それ以上に現実的で公平な提案があるなら、具体的に言ってもらおう。
日本にとっても、軍縮条約は必要だった。建艦競争を続けても差が開く一方だし、財政が持たない。
数字的にも新規軍拡分ゼロ、既製艦廃棄も実質ほぼゼロと言う点で、日米は公平だった。
むしろ廃棄に関しては、米は最初期の弩級艦を廃棄し、英にいたっては自己都合だが一方的に軍縮し金剛級より新しい艦まで廃棄している一方、日本の弩級艦、超弩級艦で廃棄された既製艦は無く、日本有利とさえ言える。
5・5・5こそ、日本のみにとって都合の良い比率であり、公正さに欠けるんだよ。
- 59 :
- >>58
別にそんなことアメリカにとって不公平でもなんでもないし。
それまで持ちすぎていただけの話だから。
あんたのアメリカ寄りの言い訳は詭弁にすぎないわ。
とにかく真に平等ならば同じ比率じゃなけりゃどう考えてもおかしい。
中国やロシアがどうのこうのに至っては、この話(ワシントン条約の日本とアメリカ間の比率)とは
全く関係ない論点ずらしでした。ご苦労様。
- 60 :
- アメリカによる不平等条約の歴史
http://homepage3.nifty.com/yoshihito/fubyoudou.htm
- 61 :
- ワシントン体制
http://www7b.biglobe.ne.jp/~senden97/washinton1.html
- 62 :
- ・国際協調外交の美名のもと、その実態は日本の封じ込め政策、孤立化にあったことを認識しない者である。
その最大の条約が日英同盟の解消と四カ国条約の強要にあった。
田久保忠衛 杏林大学客員教授 諸君6月号 平成17年度
1922年にワシントン会議が開かれます。ここで日英同盟が廃棄されて、中国の主権・独立の尊重、領土保全、
門戸開放の原則を約した九カ国条約に切り替わってしまった。そこで中国は、イギリスというしっかりした後ろ盾をなくした日本をなめて、
軍事力を増強し、日貨排斥運動などを起こさせる。
一方、ワシントン会議に参加していないソ連が、中国共産党にどんどん援助を行なって、抗日運動、侮日運動が
激化してくる。錦州爆撃の背景には、この抗日運動という名の「テロ活動」をおさえておかなければ
大変なことになるという認識があったことは事実だと思います。単純な侵略ではないのです。(諸君8月号、平成17年度)
- 63 :
- >>59
俺は>>58ではないけどね。
ホント>>58の文をよく読んで理解しなよ。
まだ若過ぎるからかも知れんが、自分から学ぼうとしなけりゃ何時まで経っても同じことだぜ。
- 64 :
- 何を言っても、中国大陸での日本封じ込めのためのアメリカによる政策だったのは自明だから、
不平等条約には変わりないし。
なんだかんだと、日本にとっても有利ですよ、という目眩ましの裏に隠された先の戦略がわからない知識人ぶった
阿呆の結んだ条約のために結果的には苦労させられるということがよくわかるわ。
- 65 :
- >>59
>別にそんなことアメリカにとって不公平でもなんでもないし。
はあ? 数字が違えば不公平だって言ってるのは君だろう?
>とにかく真に平等ならば同じ比率じゃなけりゃどう考えてもおかしい。
おかしくないよ。
平等性ってのは同じ数字になるとは限らない。
国連の分担金はその国の経済力に応じているが、君の理屈ではそれは不平等だと言うんだね。
アメリカが大喜びだ。
単純に同比率でなければ平等といえないなんて事は言い切れないことは、例を挙げて説明したのだが。
スルーして根拠の無い決め付けをされてもお話にならないのだが。
>中国やロシアがどうのこうのに至っては、この話(ワシントン条約の日本とアメリカ間の比率)とは
>全く関係ない論点ずらしでした
関係あるよ。同じ比率じゃないと平等じゃないと言うのが普遍的な基準だと言うなら。
そして普遍性の検証は、他に当てはめるとどうなるか見てみるのが、当たり前の検証方法。
論点ずらしでもなんでもない。
まさか、日米間だけは同じ比率でならなければならないが、仏伊中ソなど他の国とでは日本の比率が勝っていても不公平ではないとでも言いたいのかな?
>>62
>イギリスというしっかりした後ろ盾をなくした日本をなめて、軍事力を増強し、日貨排斥運動などを起こさせる。
中国は、そのイギリス相手に抗英運動やって、漢口租界を撤廃に追い込んだりしてるんだが・・・
それと、植民地独立、主権回復運動は世の流れ。日本もビルマやインドネシアではそれを名分にしていたわけだが。
>>64
あそこで軍縮条約結ばなければ、日本はもっと不利な戦力比に落ちいり、財政も破綻していたよ。
先が読めない暴論は君の方。
- 66 :
- >>65
比率の数字が違えば不公平だよ。
国連の分担金と、この戦艦の比率は全く別の話。毎度毎度、論点ずらし詭弁ご苦労様。
戦艦が少しくらい減ったって、もう当時のアメリカにはたいして痛くもないわけ。
戦艦が大切な日本と事情が違うでしょう。あんたが言う平等を考慮するなら、そういう背景も考慮すべきでしょう。
四方八方海に囲まれ、対ロシア対中国に向き合ってる日本にとってはワシントン条約は
アジア的に見れば不利だったわけよ。
ロシアがどうのこうの言うなら、この条約のときにロシアも加わらなければ、
日本にとって不利だったのは自明のことでしょう。バカじゃないのあんたは。
その後の歴史の流れを見れば、ワシントン条約が結果的に日本にとって災いだったのがわかるわ。
- 67 :
- >>65
それから植民地独立、主権回復が流れだったなら、なんでいまだに北方領土をロシアが奪ったままなんだよ?
国連やアメリカはそこには何も法律発動しないのは何故?
ロシアとアメリカとで取引があったのは自明のこと。
あんたがいうきれいごとの標榜なんかは全部、大国の詭弁ですから。
- 68 :
- ID:27t14t1S0 はサイバー反日活動工作員ですよ
- 69 :
- >>66
>比率の数字が違えば不公平だよ。
だから、削減比率だと、米英の方が多くなると言ってるのだが。
公平不公平は色々な基準を照らし合わせて総合的に判断すべき事。
自分に都合の良い一点だけ取り出して決め付けるのは間違っている。
>戦艦が少しくらい減ったって、もう当時のアメリカにはたいして痛くもないわけ。
馬鹿な事を勝手に決め付けるな。戦艦が大切なのはアメリカも同じ。
でなきゃ、3年計画艦隊を造ったりはしないよ。
>四方八方海に囲まれ
アメリカだって東西を太平洋と大西洋に挟まれている。
日本が守らねばならんのは西太平洋だけだが、アメリカは東太平洋と西太平洋を守らねばならんのだ。
しかも南北アメリカ大陸で分断されており、戦力の移動、融通、再配置が困難な状況にある。
パナマ運河に何かあればほぼ不可能になる。
イギリスの守備範囲も西大西洋、地中海、インド洋〜オーストラリアと広大で、こちらもスエズ運河に何かあれば分断される。
日本が一番守備範囲が狭く、分断の心配が少なく、戦力を有効に活用できるんだよ。
>対ロシア対中国に向き合ってる
ロシアも中国もろくな艦隊を持ってないが。日清、日露で日本に壊滅させられて以来、完全に日本に水をあけられ、脅威でもなんでもなくなっている。
軍縮条約に呼ばれなかったのはそれが理由だが。
だから、日本海軍の主要仮想敵は日露戦争以降はアメリカだった。
>この条約のときにロシアも加わらなければ、日本にとって不利だった
ロシア(ソ連)なんか問題にならんよ。
また、条約外の国の海軍が増強され脅威になったら、保有量は見直される事になっていた。
つまり、ロシアや中国に対する優勢を確保し続ける事は認められていたんだよ。
君の理屈では、これはロシアや中国に不公平な条約と言う事になるが。
>その後の歴史の流れを見れば、ワシントン条約が結果的に日本にとって災いだったのがわかるわ。
逆だ。軍縮条約があったからあそこまで持った。
ワシントン条約が無ければ日本は建艦の財政負担で滅んでいたし、対米10割の艦隊の維持費だけでも負担は大きかったろうな。石油もその分消費するし。
軍縮空けのダッシュ的建艦と真珠湾攻撃の成功で、日米の戦力比は相当埋められた。
しかし、アメリカは圧倒的な生産力でたちまちのうちに盛り返してしまった。
隔月刊で正規空母、季刊で戦艦を建造就役できる相手に、一時的に保有比1:1にしたところで全く無意味。
>>67
>なんでいまだに北方領土をロシアが奪ったままなんだよ?
何ごとにも多少の例外はあるさ。
しかし、一次大戦で東欧諸国が独立を果たし、二次大戦後にはアジアアフリカ諸国の独立が相次いだように、
植民地独立、主権回復が流れだったのは、明らかな事実だが。
>大国の詭弁ですから。
現に、独立主権回復が相次いでいるじゃないか。
僅かな例外を持ち出して全てそうであるかのように語るのは、それこそ詭弁だが。
東南アジアでは米英蘭への武力反抗を後押ししながら、中国へは日本に対する反抗は許さんとするのも、大国大日本帝国の詭弁だったが。
- 70 :
- 訂正
× アメリカは東太平洋と西太平洋を守らねばならんのだ。
○ アメリカは東太平洋と西大西洋を守らねばならんのだ。
- 71 :
- >>69
あんたなんでそんなに反日なの?日本人じゃないね、あんた。
日本が守らなければならないのは太平洋だけってことないでしょう。日本海もあるし、
オホーツクだの東シナ海だのたくさんあるでしょう。
だいたい本当の日本人なら太平洋に「西」とか付けないし。日本にとって西は日本海だからね。
西太平洋なんて日本語にないから。
なんだかんだとごちゃごちゃとあんたは全てアメリカ視点の反日思考なのがありありと判るわ。
減らす比率なんて全く関係ないでしょう。条約は条約後の保有比率の問題なんだから。
都合のいいこと取り上げて不公平とか言ってるのはあんたの方。
アメリカ御用達の反日スパイがお疲れさまでした。
- 72 :
- >>69
それから、日本のような小さな国で隣国と接近している国の海の防衛の重大さは、
アメリカのような周りに接近国のない国と違って緊迫しているでしょう。
そういうことを一切考慮していないで、単に日本は少なくていいとかおかしいでしょう。
別にアメリカが日本の国内的な経済事情を慮って提案した条約でもないのに、
なんでそんなにありがたがるのか意味不明。現に結果的に不公平だったから通用しなくなったわけだしね。
- 73 :
- >>69
それから、北方領土に関しては例外とか、本当にあんたは都合がいいね。まるでアメリカそのものだわ。
日米安保があるんだから、北方領土も竹島も国連にそって解放しなきゃおかしいでしょう、あんたの理屈なら。
日露戦争でロシアの驚異がなくなったなんて嘘も都合のいい詭弁だね。その後の歴史を見てないバカが呆れるわ。
そうやって、あんたみたいなアホ思考が日本を押さえつけたせいで、結果的に中国共産党ができちゃたわけ。
バカ丸出しだね。
- 74 :
- >>69
主権回復、植民地独立の流れと言いながら、なぜハワイなどはアメリカのままなんだよ?
おかしいでしょう、明らかに。
- 75 :
- >>71
>日本海もあるし、オホーツクだの東シナ海だのたくさんあるでしょう。
それらは太平洋の付属海。
>西太平洋なんて日本語にないから。
西太平洋は一般的な地理用語だが。
言い切る前にググるくらいしたらどうだ。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B
>>72
>日本のような小さな国で隣国と接近している国の海の防衛の重大さは、
ではイギリスはどうなる。
本国周辺には、ソ連中国にはるかに優る海軍を持つフランスやイタリアがいる。
それに加えて多くの海外領土があるわけだが。
また、アメリカにしても、2大海軍国の日英に挟まれている形であり、十分に緊迫感はある。
>そういうことを一切考慮していないで
そう言う事を考慮しないで、保有比は同等でなければと決め付けていたのが君だが。
そう言うことも考慮して、現状維持以上に説得力のある基準は無かったと言ってるのだが。
>>73 >>74
だから、例外はあっても、現に、独立主権回復が相次いでいる流れはあるでしょ。
完全なものじゃないから流れと表現されているわけだし。
- 76 :
- >>75
> ではイギリスはどうなる。
↑だからイギリスと同じ比率じゃなければおかしいって言ってんでしょう?あんたバカじゃないの?
流れ流れと言いながら、アメリカの都合の悪いところはさっぱり独立しないでしょう。
いったい満州時代から何年たったらアメリカの植民地ハワイ、グアムは独立するわけ?
あんたがいくら言い訳しても何の説得力ありません。
バカな詭弁ご苦労様でした。
- 77 :
- >>76
>イギリスと同じ比率じゃなければおかしい
国防上の必要を言うなら、日本よりイギリスがの方が大変だから、同等以上じゃないとおかしいだろ。
国として、同比でなければ不公平→ソ中、仏伊に対する日本の優位の確立を正当化できなくなる。
国防上の必要性は考慮されるべき→米英ともそれなりの理由は存在する。
一方的な艦艇廃棄は日米とも納得できない。(英は自己都合で一方的に大量廃棄を決めていたが)
日本だけが一方的に新規建造して軍拡するのも米英としては容認できない。
となると、現状維持以上に、公平な妥結案はないんだよ。
なにより、1921年当時、このまま建艦競争を続けてもアメリカとの差は開く一方と予想され、財政破綻も目に見えており、日本は軍縮条約を必要としていた。
そんな中、既製艦を廃棄することなく、未完成艦2隻とアメリカの未完成艦11隻を相する結果を得られたのは大成功と言って良い。
それを表面上の5:3を持って国辱だの何だのアジるのは、何もわかっていない証拠。
三島は所詮は感情過多なアジテーターに過ぎなかった。
- 78 :
- >>77
だからそれは妥協なんでしょう。あんた自身「妥協」と言ったように、国内事情がたまたまそうだっただけのことで、
条約自体は公正でもなんでもないアメリカの政策の一環です。アメリカはアメリカの利得のため動いてただけで、
日本はその範囲内で妥協できるとこで妥協しただけの話です。
実際日本は、条約外のロシアの中華支援によって不利な立場に追い込まれたのは歴史的事実ですから。
あんたこそ、公正だの平等だのと、ありもしない国際平等を感情的に支持して日本社会に押し付けているだけでしょう。
あんたみたいな根なし草の歴史認識の結果、日本は弱体化しアメリカのアジア戦略によってただのアジアの
仲介屋に成り下がり、朝鮮中国にタカられるだけの国になりつつあるのは自明でしょう。
三島が予言した未来が今現実になりつつあることが、三島の正しさを裏書きしているのは事実ですから。
- 79 :
- >>78
>アメリカはアメリカの利得のため動いてただけで、
>日本はその範囲内で妥協できるとこで妥協した
それで締結されてるんだから、公正な条約でしょ。
三国干渉や21ヶ条のように軍事恫喝を受けたわけでもなければ、
開国の時の様に、圧倒的な戦力差による圧力を受けたわけでもない。
これを国辱とか言い出したら、公正な条約など存在しない。
>条約外のロシアの中華支援
ええと、それが「海軍」軍縮条約に何の関係が?
無関係だから「条約外」だし、条約で縛られて無い事柄なんだから、いくらでも対処できるはずなんだが。
>不利な立場に追い込まれたのは歴史的事実ですから
そんな「歴史的事実」はないよ。
ロシアが支援していたのは中国共産党であって、共産党が戦っていたのは国民党。
日本が満州事変から主に戦っていたのも国民党。
敵の敵は味方で大いに助かったと、中国共産党から礼を言われてるほどなのだが。
共産党と日本が本格的にぶつかるのは、日本が軍縮条約から脱退してからだし、
ぶつかると言っても、国民党とほどでもなかった。
いわゆる共産匪賊に損害は受けてはいないとは言わんが、その程度で、
不利な立場になど追い込まれていない。大日本帝国はそれほど弱小ではない。
- 80 :
- >>79
アメリカが提案した範囲内で妥協しただけの話で、不平等には変わりないわけ。
ロシアが軍縮の条約外ということは大いに関係あるでしょう。あなたはバカですか?
ロシア中国に対処するにも日本はワシントン条約によって縛られているでしょう。
だから結果的に条約破棄しなきゃならなかったわけでしょうが。
共産党と日本が手を組んでいたかのようなあんたのご都合主義の詭弁に至っては呆れるわ。バカ丸出しでした。
ハワイについても例外扱いで、アメリカの植民地には黙認の論理矛盾してるし、そんなあんたに国際平等だの
公正だのと論じる資格さえないよ。
もうあんたみたいなアメリカのスパイとは噛み合わないから来ないで下さい。
- 81 :
- >>80
>アメリカが提案した範囲内で妥協しただけの話で、不平等には変わりないわけ。
アメリカも日本の提案を受け入れ妥協しているのだが。
建艦競争続けてれば差が開く一方だろうってのに、現状維持で押し止めた成果のどこが、不平等で不公正で国辱ものだと言うんだろう。
>ロシアが軍縮の条約外ということは大いに関係あるでしょう。あなたはバカですか?
関係ないよ。ソ連の相手は陸軍で、陸軍は「海軍」軍縮条約と無関係。
また、海軍がソ中海軍を全く脅威と考えてなかった事は、第二次ロンドン海軍軍縮会議の予備交渉で、
戦艦半減〜全廃を提案していた事からも明らか。
>ロシア中国に対処するにも日本はワシントン条約によって縛られているでしょう。
縛りようがないでしょ。大陸内部には艦隊は介入できないし、関係するかもしれない海軍の陸戦隊や陸上航空部隊は軍縮条約の対象外なんだし。
ソ中海軍を全く問題とされてないし。
>だから結果的に条約破棄しなきゃならなかったわけでしょうが。
これもソ中に対処するためではない。
満州事変で米英と敵対する可能性が増した事と、軍縮で予算やポストが制限されてきた事への海軍艦隊派の不満が押さえられなくなったから。
>共産党と日本が手を組んでいたかのような
結果的に共産党に利する事をやっていたのは事実。現実に、共産党に礼を言われてるのがその証拠。
>ハワイについても例外扱いで、アメリカの植民地には黙認の論理矛盾してるし、
民族自立や主権回復が世の流れと言っても、宗主国は植民地などを全て独立させねばならないなんて意味じゃないぞ。
被征服地、植民地側の民族自立や主権回復の主張が大義名分として機能し、宗主国側も無視できないものになったという事。
現実に、独立運動も起きていない(あるいは極小規模)の所は独立のしようが無い。
日本だって、そのような土地である琉球や蝦夷地などは独立させていない。
また、1920年代も現代も、米英がそれを問題視した事は無い。
核拡散防止条約を5・5・3同様の不平等だ国辱だ自衛隊よ立ち上がれとアジる三島を肯定しておいて、
軍事恫喝で飲まされた21ヶ条を国辱とし、租借地を取り戻そうと画策した中華民国の行動や、
それを支援する米英を否定するって、それこそ論理矛盾なんだが。
君の主張は、正確な知識を欠いた、思い込みレベルでしかない。
- 82 :
- >>81
ワシントン条約は戦艦の条約だけじゃないでしょう。都合の悪いことはごまかし詭弁ご苦労様でした。
しまいにはハワイやグアムと、日本の領土を同列にする詭弁に至っては苦しまぎれの泥棒の言い訳ですね。
ハワイの人達がアメリカの侵略に抵抗して日本に助けを求めていたことは無視とは、とんだ国際平等だこと。
アメリカスパイ乙です。
あなたの論理でいくと、米軍は沖縄から出ていかなければおかしいですよ。沖縄の地元の人達の民意は米軍反対だから。
- 83 :
- >>81
北方領土と竹島も、そこの地元民はされて逃げてきた日本人の民意は無視ですか?国際平等とやらは?
ずいぶんといい加減なこと。
アメリカにとってあんまり関係ないところや、裏で承認したところはスルーなんですね。
なにが公正平等だ。全部、米主導のための世界法なだけでしょ。
- 84 :
- >>57続き
あの日、一九七〇年十一月二十五日、私は十八歳になった。高校三年生である。(中略)
その日の昼下がりも、窓いっぱいにさしこんでくる柔らかな陽の光につつまれて、私はついついまどろみそうに
なりながら、午後の授業の開始を告げるチャイムが鳴ったのも気づかないほどだった。ほどなくして古文を
受け持っていた教師が教室に入ってきた。微かに東北訛りの残る、穏やかな語り口で、ふだんは授業以外の
余計なことはめったに口にしない人なのだが、この日に限って、教科書をひらく前にこう切り出したのである。
「つい先ほどのことですが、三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊に乱入して割腹自を遂げたそうです」
思いもよらないニュースを先生の口から知らされたとたん、教科書やノートをひらきかけていた生徒の動きが
一瞬止まり、次いで教室にどよめきが走った。(中略)
しばらくは教室のあちこちでざわめきが尾を曳いていたが、それも教師が古(いにしえ)びとの歌を朗々と
詠じはじめるうちにしだいに静まっていった。しかし、私はひとり胸の動悸を収めることができずにいた。
杉山隆男「兵士になれなかった三島由紀夫」より
- 85 :
- こんなところで平安貴族が詠んだ歌について悠長に解釈をあれこれ考えている場合ではないだろう。ともかく
市ヶ谷に行かなければ……。と言って、駈けつけても、何をしようなどという考えがもとよりあったわけではない。
ただ、じっと教室の椅子に座って、授業を受けていることが、いまこの瞬間の過ごし方としてはひどく間が抜けて
いるように思えてならなかった。居ても立ってもいられなかったのである。私は鞄に教科書など一式をしまいこむと、
腰を屈めたままの姿勢で席を離れ、教師が黒板に向かっている隙に教壇の横をすり抜けて出口に向かった。
(中略)私が通っていた都立日比谷高校から市ヶ谷は距離にして二キロ弱、(略)市ヶ谷の駅へと通じる下り坂を
下りるにつれて、上空を旋回するヘリの爆音が二重三重に輪をかけて大きくなっていく。外濠にかかる橋を渡り、
駐屯地の前に出ると、正面ゲートだけでなく、ヤジ馬が鈴なりになった周囲の歩道にも制服警官や機動隊員が
多数配置され、あたり一帯は異様な空気につつまれていた。
杉山隆男「兵士になれなかった三島由紀夫」より
- 86 :
- 私はただその場から立ち去りがたいという思いに引きずられて小一時間ほど佇んでいたが、やがて、あの門の向こうで
三島が自決したんだと自らに言い聞かせるようにいま一度眼を見ひらき、駐屯地の奥を見据えて、脳裏にその情景を
しっかりと刻みこんでから、相変わらず上空をヘリが舞い、(略)騒然とした雰囲気の中、歩いて市ヶ谷から
九段の坂を通り、神保町の自宅に帰った。(中略)
自宅の神棚には、鯛のお頭付きと三越の包装紙につつまれたケーキの箱が供えられていた。家族の誕生日の、
それが我が家の習わしであった。私は、その夜のささやかな祝宴の主賓であったにもかかわらず、鯛にもケーキにも
手をつける気には到底なれなかった。
その日からずっと、私の中で、「三島由紀夫」は生きつづけているような気がする。いまになって思えば、
自衛隊に兵士たちを訪ねて歩く取材をはじめたのも、三島由紀夫抜きには考えられないのだった。
杉山隆男「兵士になれなかった三島由紀夫」より
- 87 :
- 私は生涯にただ一度きり、生身の三島を間近にしている。
…私が三島を眼にしたのは、他でもない自衛隊の観閲式においてであった。学校新聞の取材と称して式典への参加を
願い出た高校一年生、十五歳だった私に、防衛庁は各国の駐在式官が陣取った来賓席を用意してくれていた。
肩から金モールを下げ、礼装の軍服に身をつつんだ式官や華やいだ装いの夫人たちに囲まれて席についていると、
式官の一団が突然、「起立!」と号令をかけられたみたいに夫人ともどもいっせいに立ち上がった。私も、
傍らに座る、観閲式に無理矢理つきあわせた級友のTと一緒に思わず立ち上がっていた。式官たちは全員二時の
方向を向いて、手を制帽の眼庇にかざし挙手の礼をとっている。(中略)彼らが敬礼を送っている相手は最初は
見えなかったが、相手の動きとともに、敬礼する式官たちの体の向きも変わってゆき、やがて彼らがほぼ真横を
向いたところで、ならび立つ軍服の間から三島が姿をあらわしたのである。
杉山隆男「兵士になれなかった三島由紀夫」より
- 88 :
- 細身のスーツを着こなした三島は自らも右手をかざして式官たちの敬礼に応えながら、瑤子夫人を伴って、
私とTが立っている席のすぐ前の席に腰を下ろした。
私の視線は、傍らの駐在式官から挨拶を受け、にこやかに何ごとか語らっている三島に釘付けになっていた。
間近も間近、手を伸ばせば触れるようなすぐそこに、三島由紀夫がいることに私は興奮して、級友のTの肘を
つつきながら、「ミシマだよ、ミシマがいるよ」と熱に浮かされたようにうわごとめいたつぶやきを繰り返していた。
音楽隊が奏でる勇壮なマーチに乗って、陸海空各部隊が一糸乱れず分列行進をしたり、(中略)迫力あるシーンは
どれもはじめてじかに眼にするものばかりだったはずなのに、どういうわけか、記憶に灼きついているのは
三島の姿だけなのである。
たった一度だけ三島を眼にした場が自衛隊の式典であり、それから二年あまりのうちに、自分の十八回目の誕生日に
三島が自衛隊で自決を遂げたことは、私の中で不思議な暗号として捉えられた。
杉山隆男「兵士になれなかった三島由紀夫」より
- 89 :
- >>82
>ワシントン条約は戦艦の条約だけじゃないでしょう。
檄文読んでないの? 三島が問題にしたのは軍縮条約だけだから。
何か変だと思ったら、ワシントン会議の条約全部に勝手に論点を広げていたのか。
しかし、九カ国条約まで日本にとっての不平等条約扱いとは・・・
>ハワイやグアムと、日本の領土を同列にする詭弁
同じだよ。琉球も蝦夷地も日本が軍事的に制圧して、併合したんだから。
>ハワイの人達がアメリカの侵略に抵抗して日本に助けを求めていたことは無視
日本は応じなかったけどね。
しかし、琉球もアイヌも軍事的抵抗した事も知らんのかね。
>あなたの論理でいくと、米軍は沖縄から出ていかなければおかしいですよ。
おかしくないよ。
宗主国は植民地などを全て独立させねばならないなんて義務を負ってるわけじゃないから。
>沖縄の地元の人達の民意は米軍反対だから。
日本政府が受け入れているのだが。
それに沖縄住民も、対米不買運動とか、対米レジスタンスとかやってるわけではないし。
>>81
>地元民
竹島は無人島だが。
>国際平等とやらは?
いや、平等だからこそ、日本は主権を主張しうるわけで。
>アメリカにとってあんまり関係ないところや、裏で承認したところはスルーなんですね。
論点に無関係だから。
>なにが公正平等だ。全部、米主導のための世界法なだけでしょ。
米は米で、日本は日本で自国に有利なように、対等な立場で交渉と駆け引きと妥協の結果だよ。
一方的な措置を特定の国にのみ押し付けたような条約ではない。
そう言うのを公正平等と言うのだが。
君の理屈だと、軍艦のみならず、領土や資源、資産まで各国が同比率になるようにしなければ不平等と言う事になる。
これを世界共産主義革命と言うんだが。
- 90 :
- >>89
アメリカがハワイに侵略したときハワイが日本に助けを求めていたということは、
ハワイ住民の抵抗があったれっきとした証拠でしょう。
植民地解放の流れに国際社会がなっていたというあんたの理屈ならば、アメリカは
返還しなくてはいけなかったわけ。
竹島もそこに住んでいた人がされ追い出された略奪だったのに、今日本人の住民が
いないからというあんたの理屈はおかしいでしょう。竹島の不法占拠を認めるあんたなんかに
もう世界の公正だの平等だの語る資格はないわ。
多少はまともな人だと思って議論を続けていたけれど、あんたが単なる反日外国人だと
判明しました。
- 91 :
- >>90
>アメリカがハワイに侵略したときハワイが日本に助けを求めていたということは、
>ハワイ住民の抵抗があったれっきとした証拠でしょう。
併合時に抵抗したと言うなら、琉球もアイヌも抵抗してる。
しかし、その後分離独立運動は無いか極めて低調なので、日本領のままなわけ。
ハワイもそれと同じ。
>竹島もそこに住んでいた人がされ追い出された略奪だったのに
いや、竹島はもともとが無人島だが?
一体どこでそんな話を聞き込んできたのやら。
>竹島の不法占拠を認めるあんた
認めてないよ。単に君の間違いを指摘しただけで、竹島の領有権の問題とは無関係。
竹島と言う少数例で、一次大戦後から、国際的な植民地解放、主権回復が大義名分として機能しており、
宗主国に対する武力闘争などを、不法行為として片付けられなくなってきていた事実を否定する事は
出来ない。例外をもって全てを否定する詭弁でしかない。
私が、植民地解放、主権回復を持ち出したのは、中国の「反日行為」がそれに基づくもので、
軍縮条約や九カ国条約とは無関係だから。
その論旨以前の段階で、事実を事実として認めようとしてないから、延々と説明し続ける羽目になってしまったわけだ。
- 92 :
- >>91
日本が琉球を実質支配したのは1600年代だし、もっと古い時代から琉球は日本と交流していた地域だから
近代(明治)になってアメリカに侵略されたハワイとは次元が違う話。
ハワイは近代国家として機能していた国家で日本人が移民もいた近代国家だったわけ。
古くからほとんど日本と同化していた日本の近郊地域の琉球の関係と、距離が遠くかけ離れたアメリカと
ハワイの位置関係、地域関係の疎遠さとは全然違いますから。
竹島も日本人がちゃんと住んでいた地域です。あんたは日本人じゃないからよく知らないようだけど
鰹節を作っていた日本人がいました。
いくら本ばっかで浅知恵つけても、日本に住んでないから細かな日本の地域の歴史には無知なようだね。
無人島だなどと嘘ついてまでの反日ぶりには呆れるわ。人がされてますから。
あとは毎度の悪文で、日本語になってない単なるバカ丸出しの売国詭弁のオンパレードでした。
せいぜいアメリカやイスラエルのための世界征服に向けての国際条約推進にがんばってくださいな。
- 93 :
- >>91
訂正します。住民がいたのは尖閣諸島でした。
でも竹島について、地域の漁民がされたのは事実ですから。
- 94 :
- >>92
>次元が違う話。
変わらんよ。
琉球は明に朝貢もしていた完全な独立国。
独立国を征服し領土化した事に変わりは無い。
>古くからほとんど日本と同化していた
薩摩の琉球征服以前にそんな事実は無い。
>日本の近郊地域の琉球の関係と、距離が遠くかけ離れたアメリカと
>ハワイの位置関係、地域関係の疎遠さとは全然違いますから。
鹿児島市役所〜那覇市役所の直線距離が662km
カルフォルニア〜ハワイが約3990km
距離はおよそ6倍。しかし、艦船の性能はその300年間で6倍どころではない。
1600年ごろの日本最大級の船は1500石積みで排水量にすればおよそ300トン。帆は順風の時のみに使用し、漕走を主とした。つまりは人力。
1900年ごろの米軍艦は1万トンに達している。動力も 内燃機関だ。
この差を考えれば、1600年ごろの琉球と、1900年ごろのハワイでは、琉球の方が相対的に遠い。
現実に、日本と琉球は特に貿易をしていたわけでもなく、日本人が在住していたわけでもなく、
隣国としての挨拶程度の付き合いしかなかった。
ハワイはアメリカと貿易し、アメリカ人が移住し、キリスト教文化も根付いていた。
疎遠なのはむしろ琉球の方だ。
>>93
>地域の漁民がされたのは事実ですから。
それは、韓国が李承晩ラインを定めた後、それを越えた漁船に対して実力行使した結果。
住民を追い出したのとは別の話。
- 95 :
- >>93
ついでに、尖閣諸島も住民が追い出されたわけではないよ。
元々は無人島で、日本が1895年に領有した後、入植者が入った。
しかし、1940年に鰹節製造を営んでいた入植者が経営不振で引き揚げ、再び無人島化している。
- 96 :
- >>94
いや、薩摩が統治するもっと以前から琉球と近郊日本地域は行き来していますから。これは事実です。
ハワイとアメリカの関係よりも、ずっと古くから密接しています。
キリスト教がどうとかそんな宗教が入ることなんか関係ないでしょう。政教分離なんだから。
日本だって仏教信仰を取り入れたからといっても中国になったわけじゃないしね。
くだらない詭弁ご苦労様でした。交通の詭弁に至ってはキチガイおたくの言い訳レベルでした。
竹島についても、やけに韓国の国際違反を正当化しているのも変ですね。
いつもはいわゆる国際法をかざしているくせにね。いつ国際的に韓国の犯罪が正当化されたわけですか?
都合のいいようにあなたがいかに反日に偏向しているか判明しました。
- 97 :
- >>94
それにそんなラインは日本もアメリカ政府も認めていないし、竹島がサンフランシスコ条約で
韓国のものになったというんですか?
ラインだってもう今は廃止されてるでしょう。
アメリカでさえ現在竹島は日本のものとしているのに、あんたの反日ぶりは異常だよ。
- 98 :
- >>96
行き来までは否定していない。
否定しているのは「古くからほとんど日本と同化していた」と言うところ。
どうも君は論点をころころずらすから議論にならない。
そもそも文化的に類似していようが、距離が近かろうと遠かろうと、
政治的に独立している他国を征服し領土化する事に変わりは無い。
琉球征服は良くて、ハワイ併合は不可なんてのはダブスタでしかない。
>ハワイとアメリカの関係よりも、ずっと古くから密接しています。
日本−琉球 ハワイ−アメリカ
行き来 有り 有り
移民 無し 有り
貿易 少 大
他の貿易相手 中国 特に無し
さらに関係の密接さなら日本とより中国との方が上。
定期的に朝貢していたんだから。
>>97
まただ。言ってもいない事をでっち上げないでくれ。
李承晩ラインが正当だなんて誰も言ってない。
竹島が韓国領だとも。
竹島占領時に住民を追い出すかすかしたか、と言う論点に対し、
ライン越えの漁民を捕縛害したと言う別の話を持ち出してきたから、
それを指摘しただけ。それを正当だなどとも言ってない。
敵か味方かの二元的なものの見方しか出来ないから、
自分の意見に反対されると、「反日」と決め付けて、
こちらが主張もしていない事を主張しているに違いないと思い込むんだよ。
基礎レベルの知識にしても、願望が入り込んでるから、都合の良い間違いを信じ込むんだ。
- 99 :
- >>98
同じならハワイも征服でしょ。そっちだけ併合なんて言い方している時点であんたは中立じゃないわ。
韓国が決めたラインも国際的に決められたラインでもなんでもありません。
現在はそんなもの何の効力もないし廃止されてます。あんたこそよく調べなさい。
反日スパイご苦労様。
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