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2012年1月2期世界史26: 身障者・狂人・その他特殊な病気の患者の社会史 (124)
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27: 航海術・造船技術の発展とか、航海法の歴史 (110)
28: 狩猟・漁業の歴史・社会史・文化史 (149)
30: 日本はこの先生きのこることができるか (651)
31: 世界の現王室・旧王室の人々40 (215)
身障者・狂人・その他特殊な病気の患者の社会史
- 1 :11/11/20 〜 最終レス :12/01/18
- 身体障害者、心身障害者や、統合失調症患者、ハンセン氏病患者に対する差別、隔離政策、保護、福祉などについて語るスレです。
※かなり微妙な話題なテーマですので、節度を持った発言をお願いします。
- 2 :
- 史上もっとも有名な身体障害者はティムールでOK?
それとも、このスレでは先天的なものに限定するのかな。
- 3 :
- 文明の発展が障害者を創る、という説がある
識字率の増加がディスレクシア(読字障害)を創り、
産業革命が起こり、工場での規則正しい労働に適応できなかった人々が
知的障害者とみなされ、
IT革命でサービス業に適応できなかった人々が発達障害者とカテゴライズ
されるようになった
- 4 :
- フランクリン・ルーズベルト:ポリオの後遺症で下半身まひになり、車椅子を使用していた
ヨーゼフ・ゲッベルス:小児まひにより右足が短くなり、歩くときはひきずっていた
- 5 :
- クラウディウス帝
- 6 :
- ・ルートヴィヒ2世(バイエルン国王)
国政放置で森の奥にたてたメルヘンちっくなお城で白鳥ごっこ。
統合失調症と重度ヒキコモリ?
ガチホモが精神疾患か否かは現代でも微妙ラインか
・エリーザベト妃(オーストリア皇后)
王室が嫌になって放浪者になってしまった系
なんか雅子さまやダイアナ妃と同じタイプの病気ぽい
普通のお嬢様が格式ある王族に嫁ぐとこうなっちゃうものなのね
- 7 :
- シャルル6世(フランス王)
恐らく母方の祖父からの遺伝。孫のイングランド王ヘンリ6世にも遺伝
親政を始めてしばらくして、突如キレて武器を振り回し側近を惨
その後は時々正気に返ることもあるが、叔父・従弟と弟がしゃしゃり出て国内は大混乱
ちなみに当の本人は天寿をまっとうしたw
- 8 :
- 冷泉帝
- 9 :
- 同性愛を精神疾患だなんて、馬鹿も休み休み言え。
- 10 :
- >>6
エリザベートは宮廷にいたときは、郷ひろみ級のトレーニングオタクだったしな。
- 11 :
- 五台山は文殊菩薩の霊地。
文殊は老人・女・子供・病人が主な救済対象であったため、食事や蒸し風呂
の施与を積極的に行うべき対象とされていました。
この信仰、日本にも影響を与えています。
光明皇后が風呂で綺麗にしたのは阿閦如来であったと言いますが、聖徳太子
が衣を施した道端の老人や、行基は文殊の化身とされていました。
己が弱者の姿で現れるから、敬って救えとは文殊について説かれた経典の弁。
ただ、病人と囚人を兼行で助けた僧侶の例が見られるのは、病人も囚人と同
様に、「悪行」の報いを受けた存在と見做されたためですね。
ハンセン氏病などの「業病」は己の行いの結果と見做されたので。
ただ、これは当時の人間の世界観から「病原」を追求した結果で、知識の積
み重ねられた現代から批判するのは、妥当ではないでしょう。
>>6
そもそも、その二人は親類ですね。
浅野長矩の母方の叔父も刃傷沙汰を起こしていたという話を思い出します。
>>8
突然火鉢の上に乗るわ、マラの絵を描くわ、火事の後に突然歌い出すわ。
三種の神器の内、剣を開封しようとなさったともいう。
更に息子の花山院は、狂ってもいないのに火事見舞いに訪れた先で父親が歌
い出すと、これに唱和していた変人。
- 12 :
- >>2
>このスレでは先天的なものに限定するのかな。
もちろん、後天的なものも対象としています。
- 13 :
- 日本のハンセン氏病患者って、多くは乞食をやらざるをえなかったんだよね?
他の職業にも就けなくて。
- 14 :
- >三種の神器の内、剣を開封
失礼、剣ではなく、璽(印とも考えられたが、実際は勾玉)でした。
剣を抜こうともされたそうですが。
普段は大人しいものの、足が傷つくのを構わず一日中屋内で蹴鞠を続けられ、
梁の上に鞠を乗せようとなさったとか、逸話が多い方です。
>これに唱和
記憶があったのですが、今調べたらこちらは確認出来ませんでした。
ただ、素でおかしなことをなさるので「冷泉院の狂いよりも、花山院の狂い
の方が手の施しようがない」と言った公卿もいたというのは事実。
火鉢の上にというのは、「炬火屋」の上に昇られたという話であったやも。
摂政であった藤原実頼いわく、「往代聞武猛暴悪之主、未聞狂乱之君」。
>>13
寺社の門前に小屋をかけ、寺院と俗人の援助を求めていたようですね。
奇形の人間(片輪)も、同様にしていた様です。
彼らが乗る車を曳いてあげると、功徳になると言われていました。
身体が不自由になっていた主人公が車で湯治場まで曳かれる『小栗判官』は
その一例。
近代の方言でも使われた「かたゐ」は、片輪、ハンセン氏病患者、乞食を指
す言葉であり、罵倒語でもありました。
乞食はほいととも言いましたが、こちらは語義がよく分かりません。
- 15 :
- >>13
日本はというより西洋でもハンセン病の患者は町はずれなどに隔離されていた描写をみる。
日本ではイタコは視覚障害の女性がなっていたとか。
- 16 :
- >寺社の門前に小屋をかけ、寺院と俗人の援助を求めていたようですね。
中世、近世通して、こういう慣行が行われていたのでしょうか?
- 17 :
- >>15
街から離れた場所に隔離されるのと、乞食をやるのとでは真逆じゃない?
- 18 :
- >>16
中世には明らかに見られたもので、『一遍聖絵』にその光景が描かれています。
彼らが小屋架けをしていた大きな寺社(四天王寺など)が救済対象としていた
ということですが、時宗の史料であり、上の『小栗判官』でも時宗の上人が援
助しているという様に、時宗が特に熱心であった様です。
願阿弥による、貧民救済も有名。
「罪の報いを受けている者」への救済という点をあげつらう人もいますが、これ
は後出しジャンケンでしょう。当時の価値観です。
近世はよく分かりませんが、少なくともハンセン氏病で乞食は普通にいました。
宗教的な見方には、変化が出ていたと思いますが。
大きな祭りの時に乞食が数十人門前に連なるという光景は、戦前まではまだ見
られる光景でしたし、片輪や病者もその中にいたでしょう。
前近代に不治の病をかかえていると、まともな職に就ける可能性が低い。
江戸時代に金玉が広がっている乞食を治そうとオランダ人の医師が申し出たと
ころ、これが施しを生むので、お心遣いは有難いが遠慮すると言われたという
逸話があります。
地鎮盲僧も含めた琵琶法師(最初から盲目だったかは不明)、ごぜ、イタコが
盲目であったのも、他に就く職業がなかったというのが大きいでしょう。
とどのつまり、音曲か宗教ということになる。
- 19 :
- >>2
隻眼を身障者に含めるなら、ハンニバルがおりました。こちらが史上もっとも有名ですね。
英雄系は、やっぱり戦争中の身障が主たるものになりそうです。
- 20 :
- >>18
>盲目であったのも、他に就く職業がなかったというのが大きいでしょう。
>とどのつまり、音曲か宗教ということになる。
盲目の場合、あんまもありますね。
- 21 :
- >>2
彼と対戦したバヤジットも隻眼ないしは眇であったと言います。
眇と言えば、平清盛の父である忠盛が有名。
公の場で公家たちから「伊勢のヘイシはスガメなり」とはやされたものの、
見返して逆に賞賛されたという逸話があります。
(平氏と瓶子、眇と酢瓶をかけてある)
しかし、今の大河ドラマというか、現代の風潮では出すのは無理でしょうね。
この時代は、高身長でひょろりとしていたり、色が黒かったり青白かったり
すると、公家でも囃されました。
それを歌や当意即妙の返事、行動で見返すのが、甲斐性とされたものです。
ただ差別だと押さえ込むより、こういう身体的特徴を認めた上で価値を誇示
して見返すという方が、私は好きですね。現代にやれとは申しませんが。
- 22 :
- >>21
>この時代は、高身長でひょろりとしていたり、
ちょっと違うかもしれませんが、2mオーバーのピョートル大帝は巨人症のようですね。
年少の頃は、あるいは宮廷で囃されたりすることもあったかもしれませんが、
開けっぴろげな性格と溢れる知的好奇心で、良い意味で史上の「巨人」となりました。
- 23 :
- >>9
うっかり同性愛と性同一性障害がごっちゃになってました
スルーしてくださいな
- 24 :
- >>19
ネルソン提督やダヤン将軍も忘れちゃイヤン
- 25 :
- 戦傷での隻眼ならフィリッポス2世にアンティゴノス1世、夏侯惇、クトゥーゾフ、ネルソン(のち右腕も失う)
生来の眇なら元祖独眼竜の李克用やバイバルス
ハンニバルのは行軍中に結膜炎に罹ったせいらしい
- 26 :
- >>20
おおせの通り。
>>22
文字通りですね。
ヤン・ジシュカ→軍人。片目から全盲へ。
アゲラシオス2世→スパルタ王。片足が不自由。
汪士慎→文人。書画を能くしたが、晩年に失明。しかし大字狂草を書いて賞賛され、
金農をして「盲其目、不盲其心」と言わしめた。
吉嗣拝山→南画家。関東大震災で右腕を失い、後に左手で描いた。
青木木米→陶工で南画家。窯に耳を押し付けて音を聞いていたため、晩年に聴覚を
失う。なお、この時代の文化人の倣いとして、拝山同様己が障害者であ
ることを自虐的に号に用いている。
田中訥言→土佐派の絵師。晩年に失明し、自した。晩年の号である晦存・求明は
生涯を示すともいう。
飯塚竹斎→南画家。晩年は歩行不可能となっていた。
三世沢村田之助→歌舞伎役者。左手の小指以外の手足をほぼ失いながらも出演。
どもり、重瞳、指が六本という人も割といますが、不自由までは行きませんね。
- 27 :
- ttp://www.systemicsarchive.com/ja/b/discipline.html
中世初期から多くの癩施療院が、ヨーロッパ中に、例えばパリ郊外(中心に対する周縁)に造られた。
重要な点は、この施療院なるものは、医学的治療のためではなく、道徳的排除のために設けられたと
いうことであり、中世末期に癩病が廃れると、性病患者が、しかしその後すぐに狂人が
「後継者」として施療院に閉じ込められる。この封じ込めは、狂気を理性から排除し・
隠蔽することによって、かえって理性に狂気の存在をあらわにする。理性の存立=権力秩序にとって、
狂気なるスケープゴートはむしろ必要なのである。
- 28 :
- >>26
>指が六本という人も割といますが
秀吉の指も、6本だったって説がありますね。
- 29 :
- >>28
フロイスと利家の証言にあるそうですが、どちらも未確認なので敢えて避けました。
主観的な証言があまり信用出来ないフロイスの『日本史』は面白いですが、自分の
根が仏教徒なものですから、読んでいて読みづらいですね。
- 30 :
- フロイスってやっぱりあんまり信用しない方がいいんですかねぇ。
『ヨーロッパ文化と日本文化』なんて、あちこちで引用されてるけど、本当かよ?って言いたくなる記述がたくさんあるし。
- 31 :
- あれは嘘というか、かなり極端な例を挙げていますね。
注釈の方も、辻褄を合わせるのに苦労している。
近代の比較文化論でも、よく見られる光景ですが。同種扱いするにせよ、反対とするにせよ。
フロイスは、上司から「発言が大袈裟」と評価されていました。
信長の人格(宗教観)についての評価から言えば、禅宗の信仰を取り違えたものと思います。
>>27
「狂人」の扱いというのも、難しかったでしょうね。
京都の大雲寺(光源氏がマラリアの療養に訪れた寺のモデルともいう)は、近代の治療が
入るまで、その手の患者の療養施設として有名でしたが。
基本は大雲寺や上賀茂社の霊水を飲ませて座敷牢。
フアナは火の気を与えられなかったそうですが、実際火事を起こしかけた話もあります。
照明と暖房が火しかない時代、つらかったですね。
- 32 :
- >実際火事を起こしかけた話もあります。
日本で座敷牢に閉じ込められていた狂人が、ですね。失敬。
取り上げるしかないが、そうなると寒いし暗い。
- 33 :
- >>31
>かなり極端な例を挙げていますね。
なんか、地球の反対側に、ヨーロッパとはなんでも真逆のやり方の風習を持つ民族がいる!
って言いたいのが見え見えですよね。
なんでもかんでも対比的に図式化して書きすぎというか。
- 34 :
- >>33
仰せの通り。翻訳された文章が、現代日本人に理解しやすいという点もあっ
て受け入れられやすい人ですが、同時代の日本の史料との突合が必要です。
ただ、それでも幅広く日本の文化について記録してくれた功績は大ですが。
何より、こうした極端という陥穽には、現代人も陥りがちですから。
秀吉が六本指という話、仄聞の結果ですが、『看羊録』にもありました。
- 35 :
- 【調査】 成人の2%が「ADHD」、特に20代に多い…「男性」「未婚」「無職」「世帯収入が200万円以下」と答えた人に多く★
チェックリスト 25項目以上で ADHD。
1.旅行の前の荷作りが苦手だ。
2.子どもの頃から感受性が強く、感覚が鋭敏だった。
3.子どもの頃からカバンや机の中がゴチャゴチャだった。
4.マイペースだとよく言われる。
5.子どもの頃からよくぶつかったり転んだりした。
6.気の合う一対一の関係はいいが、大人数での世間話や集団行動は苦手だ。
7.雑音や電話などで気が散ると、目の前の作業に集中できなくなることが多い。
8.新しく物を買っても、あまり説明書は読まない。
9.ちょっとした物でも、簡単に捨てることができない。
10.何を取りに来たのか、何を言おうとしたのかなどをよく忘れる。
11.約束の時間に遅れがちだ。
12.興味のない科目では、授業中に空想したり落書きしたりしていた。
13.試験はいつも一夜漬けだった。
14.仕事や作業をしている途中で、ボーッとしてしまうことがある。
15.私の頭の中のアイデアを実行できたら、相当すごいはず。
16.学校や職場で、いじめにあったことがある。
17.一日が終わると、ぐったり疲れていることが多い。
18.頭の中に霧がかかったような感じがすることが多い。
19.探し物が多かったり、振り込みなどの期日に遅れやすい。
20.物事の優先順位をつけるのが得意ではない。
(^_^;)イヤハヤ たまには息抜きしなきゃ
- 36 :
- カイロで生活していると、身体障害者の方が働いているのを非常によく見かけます。
まず、身障者の絶対数自体が、日本よりかなり多いと思います。
理由は色々あるでしょうが、とりあえず、カイロの交通事情をご存知の方なら、一度も交通事故に遭わずに
成人するのも大変、というのはすぐわかるでしょう。
危険な仕事に従事している人も多いので、仕事中の事故、ということもあるはずです。
また、最近まで何度も戦争していたので、元軍人の方もいらっしゃるでしょう。
次に、怪我をしても十分な医療が受けられない、という可能性があります。
日本なら障害を残さずに治療できたものが、適切な医療が欠けた結果、
障害として残ってしまっているケースがかなりあるように思います。
「医療の欠如」というのは、医者が全然いないとか医療レベルが低いと
いうことではなく、単に医者が高いのでそう簡単にかかれない、ということです。
エジプトのお医者さんは、料金先払いしないと診察もしてくれませんし、信じられないくらい高いです。
加えて、障害を負っているからといって、部屋に閉じこもっていては生きていけない、という現実もあるでしょう。
こうした人たちに対する行政的・システム的援助は、日本でもまったく
不十分なくらいですから、エジプトではまずアテにできないはずです。
ただ、これについてはプラスの側面もあって、みんな障害者が働いて
いる姿に慣れきっていますし、普通の人が率先して手助けしています。
このエジプト人の「老人と障害者を労わる」姿勢には、素晴らしいものがあります。
交通事情や医療制度など、改善の必要な点は山ほどありますが、障害者が普通に
働ける、働いている姿を誰も奇異に思わず、必要な時には誰もが率先して助ける、
という市民の精神には、本当に頭が下がります。
それに、エジプトの障害者の方は、下手な健常者より運動神経が良いです。
元々彼らの身体能力は、全般に非常に高いと思うのですが、片脚のない人が道路を走り回りながら
車両誘導の仕事をしていたりして、こんなことを言って良いのか迷うのですが、すごくカッコイイです。
- 37 :
- ブログからの無断転載はどうかと……。
- 38 :
- 狂人といえばイヴァン雷帝だなあ。
虐を命じた直後に泣きながら罪を悔いて神さまに懺悔して
そしてまた虐その他の暴虐→悔い改めの繰り返し。
糖尿病で血糖値が上がっていて精神の混濁を招いたという説もあるらしいけど。
- 39 :
- 俺が読んだのでとりわけ痛ましいのが北斉の廃帝殷。
父の文宣帝は周知の通り完全な人狂だったが
その父から囚人を斬れと命じられた天性温和な少年皇太子・殷。
彼は処刑を泣いて拒んだ。父は激怒。皇太子は「精神昏擾」して
以後言語障害になってる。
- 40 :
- 人狂で有名なのが「大西皇帝」こと張献忠。
「今夜は誰もすべき奴はおらんのか」と酩酊して喚きちらし
自分の妻子を惨。翌朝我に返って
「なんで俺を止めなかった!」と近臣を惨。
『叛旗・小説李自成』でこやつを英雄視して
虐された明の忠臣を矮小化していたのは実に見苦しかった。
案の定、文革で毛沢東と江青に媚びるための小説だった。
- 41 :
- 優れた記憶力(所有している戦象の名前を全て覚えていた)をもちながら
文盲と記録されているアクバル大帝も特殊な能力が発現する
タイプの障害者だった可能性はあるんでしょうか?
- 42 :
- 近代以前なら為政者でも文盲は珍しくなく、文書が必要なら秘書が口述筆記する
文字を用いるとむしろ思考力や記憶力が鈍くなるとソクラテスも言っている
- 43 :
- なんか1の意図とは違って、障害があった歴史上の有名人を挙げていくスレになってしまってるな。
- 44 :
- 古事記に出てくる伊邪那岐と伊邪那美 の国生み神話で
最初に生まれた子が先天的に骨格を持たない子(水蛭子)だったので
葦舟に乗せて海に流したという。
この神話が物語ることとして
古代の人は生まれた子が障害児だと海や川に流して捨てていたのだろうか?
- 45 :
- どうも、不具の子だと川に流す、山の木の上や岩の下に置くなどの捨て子習
俗があったのではないか、という説もあります。
子が産まれて来る前の世界に帰すという意味合いがあったのかもしれません。
当時の葬法を連想させるやり方ですが、誕生と死亡は、文化的には表裏一体。
ただ、記録された例は説話での特殊なものですし、捨てた後で様子を見ると
状態が変わっていたので拾って帰ったという話があることからすると、捨て
た子を拾いなおすという、近世にもあった習俗であったのかもしれません。
- 46 :
- ただ、野獣に食われる可能性もあったでしょうね。
平安中期ないしは後期の京都での例ですが、屋外(羅城門の下)に捨て子が
いたのを朝方見かけた男が、夕方になってもまだ犬に食われずにいるのを見
て、不思議がったという説話があります。
野外とはいえ、犬でもなければ狼その他がいたでしょうし。
一種の神判に委ねたものかもしれません。
なお、門というのは一種の公共というか「誰のものでもない空間」扱いされた
もので、死体や捨て子、悪疫に感染した身寄りの無い病人などは、ここに放
置されました。
神や鬼や狐が住むとされたのも、人の住む空間ではなかったからでしょう。
人がいない、都市の中の空白だからこそ、人以外が住みつける。
そして、常人の世界から除外された人も行き着く。
乞食(生きている病人・不具も含む)というのも、門の下によくいた様です。
- 47 :
- 42 名前:世界@名無史さん 投稿日:2011/09/24(土) 22:09:55.65 0
西洋中世では、障害者は乞食となり、ちゃんと自治組合(ギルドみたいなもの)
を作って、権利を主張し保護していたらしい。
乞食も無芸では食い扶持が得られないので、芸を磨き、
その芸が組合外に洩れないよう、ちゃんと組合が管理していたとか。
案外、健常者以外の人々の生存権が確保されていた面もあったようだ。
徳川時代の検校のように優遇された例はあまりないらしいが。
- 48 :
- 日本では、障害者同士の集まりとか、組織とか、横のネットワークみたいなものってあったんだろうか?
- 49 :
- >>46
そういや大学の般教の日本史の教授が、四天王寺の門前の話してたわ。
石鳥居のあたりに被差別な人たちが集まってたんだっけ?
- 50 :
- 37 名前:世界@名無史さん 投稿日:2011/09/24(土) 21:22:07.50 0
日本の戦国時代って、生存競争厳しそうだけど、障害者って生き延びることできたんだろうか?
38 名前:世界@名無史さん 投稿日:2011/09/24(土) 21:29:11.53 0
山本勘助とか大谷吉継とか障害者だろ
39 名前:世界@名無史さん 投稿日:2011/09/24(土) 21:35:34.31 0
障害の種類とか、身分によりけりなのかな。
果たして、若年の農民でろくに自分で歩けないやつを、養ってくれる仕組みがあったかどうか。
40 名前:世界@名無史さん 投稿日:2011/09/24(土) 21:49:29.87 0
視覚障害その他の身体障害、知的障害等々を負った人を
養う仕組みは普通にあったんじゃない?
そもそも戦国時代ということと生存競争が厳しい云々という
ことが直接関係するとは思えないけど。
41 名前:世界@名無史さん 投稿日:2011/09/24(土) 21:51:35.10 0
江戸なら乞食の描写で障害者が多くみられるけどな
- 51 :
- 44 名前:世界@名無史さん 投稿日:2011/09/24(土) 22:38:54.88 0
戦争が多い時代は、当然、後天的な障害者は多かったわけで、
救済策もある程度は講じられたんじゃないかな。
戦争のために障害を負った人間が「はい、それまでよ」で
切り捨てられたのでは、本人も家族も我慢ならなかっただろう。
現代の福祉政策のようなものではなかっただろうけど。
中央集権ではなかったので地域差は大きかっただろうけど。
45 名前:世界@名無史さん 投稿日:2011/09/24(土) 22:49:26.83 0
冬ともなれば北西の季節風が砂埃を巻き上げる江戸。
ましてや栄養や衛生の状態も悪い。
盲人はそれほど珍しくなかったということだ。
盲人の仕事といえば、按摩に音楽、鍼医者、そして金貸し。
落語に盲人をからかった話が多いのは、金貸し=盲人に対するやっかみも手伝ってのことだとか。
しかし音楽や按摩の才能がない盲人は悲惨だな。
盲目の国学者・塙保己一は楽器も弾けず按摩もできなかったので、
学問で身を立てることになって大成した。
点字もない時代の学問修行は大変だったろう。
- 52 :
- >>49
>>18でも申し上げた様に、そうです。
>戦国時代の障害者
以下、文献がどこかへ行ってしまったので記憶によるものですが。
「乞食」をやしなっておき、村同士で諍いが生じた際、贖いとして死罪にす
るという慣習があった筈です。
『金枝篇』で言うところの王しや持衰の様に、罪をあがなわせてすこと
で解消する、という発想があったともいう。
『信長公記』には、先祖が常盤御前をして以来、代々乞食をやっている男
が田舎にいたという話があります。
この場合、信長が特別に養わせていますが、その前でも生きていけたらしい。
中世に、身体的な影響を与える病などが原因で不具になり、養ってくれる身
内や僧がいなかった場合、乞食となり、京都なら非人頭の配下となりました。
11世紀以降、病人などに由来する「乞食」が「非人」と呼ばれ、清水坂一帯
に集住し、組織化されています。
現在の今熊野の辺りが、かつての葬送地である鳥辺野(後にやや北へ移動)。
六波羅の由来は六波羅蜜寺で、髑髏原とする説はあまり信用出来ませんが、
そう言われたのも無理はない、「死」と縁のある一帯でした。
元々、鴨川より東は京都ではない。
祇園というのは八坂社(祇園社)に由来する地名ですが、祇園は元々疫病を
司る神ですからね。街中にいられては困る存在です。
この手の存在の祭りは、郊外(都市との境界)で行われましたし。
>冬ともなれば北西の季節風が砂埃を巻き上げる江戸。
「風が吹けば桶屋が儲かる」という奴ですね。
- 53 :
- 勉強になるスレだなぁ
- 54 :
- 過去スレ
【聾】障害者なのに英雄【盲】
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/whis/1084277678/l50
- 55 :
- 落ちてしまってるスレのリンク張っても。。
それに過去スレじゃなくて、関連スレだよね?
趣旨がかなり違う
- 56 :
- ちょっと頭が足りない人に対する社会の受け止め方って、ほんの30、40年ぐらい前と比べても
全然違ってしまったね。
以前は、なんとなく近所の子供の人気者だったりしてそういう人たちにもなんとなく居場所とか
存在価値があったけど、今は社会が高度になりすぎたて、生活の面倒を見るのも、存在意義を
探すことに対しても、きっちり管理してやってあげているって感じ。
- 57 :
- 昔は仙台四郎の様な人が自分の町にもいて、皆が世話していたが、彼がいなくな
って町からゆとりの様な空気が消えたとは、水木しげる先生の弁。
貧乏でも知的障害でも、きっちり管理される様になりましたね。
板の上で孤独に死ぬことがなくなった代わりに、管つきで病院で死ぬのが当世風。
障害というので、亥の子(東国の方々にはお分かりにならないでしょうが)を思い
出しました。
今でもよくやっていますが、掛け声は
「亥の子亥の子亥の子餅ついて繁盛せえ繁盛せえ」という無難なもののみ。
「亥の子亥の子亥の子餅ついて祝わん奴は鬼産め蛇産め角生えた子産め」
の方は、完全に廃れましたね。
仮にどこかで復活したら、己と関係のないことでも口を出したがる正義漢が
止めに入り、止めさせて満足気な顔をすることでしょう。
悪漢は影に入ろうとするが、正義漢は表に出ようとする分、まだ性質が悪い。
やらない家があまりよく見られない風潮自体は田舎では健在で、東京から越
して来た家が断ったが「嫌な感じがした」と新聞に投稿していました。
(もっとも、これはこれで十数年前の話です)
とはいえ、出が田舎の私としては、地場には従えという気も致します。
- 58 :
- 仙台四郎って知らんからぐぐったら、諸星大二郎の「六福神」の福助の元ネタか。
実在したんだアレ。
- 59 :
- そもそも、福助人形の福助自体、今から200年ほど前に実在した人物です。
身体障害者が見世物に出されていたのが評判を呼び、引き取った旗本の屋敷に
吉事が続いたことから、本人も厚遇されたという話。
そういえば、どこの国でも小人は見世物にされていましたが、我が国でも鎌倉
時代の『病草紙』に、小人の芸が出て来ます。
他にも畸形の例が紹介されているのですが、見ている方が笑っている一方で、
見られている方も笑っているのが、印象的ですね。
海外で有名なのは、エレファントマンか。
他に近代では、ヘレン・ケラーと大石順教が感動的。
ヘレンも知っていた塙保己一、サリバン先生も偉大な人物でした。
- 60 :
- >>56
山下清とか
今の世の中じゃ、あんなのはもう無いよなぁ
- 61 :
- 35 名前:世界@名無史さん 投稿日:2011/09/24(土) 21:04:38.12 0
北朝鮮にはひとりも障害者がいないそうで。
現代のスパルタかよ(苦笑)
- 62 :
- その代わりというか。訳の分からない神経症がふえた。
新型鬱とか
- 63 :
- 123 名前:世界@名無史さん 投稿日:2011/09/25(日) 22:45:18.66 0
大谷吉継
豊臣秀吉の腹心の一人であり、後の敦賀城城主でもあります。
彼はハンセン病を煩い、顔を白い頭巾で隠して戦った戦国武将としても有名です。
豊臣秀吉に「大谷紀之介(吉継)に100万の軍勢を与えて、自由に軍配を指揮させてみたい」と言わしめた名将です。
ところで、大谷吉継と石田三成との間には、深い友情が存在したとされています。
固い友情が結ばれた背景には、以下のような出来事があったようです。
天正15年(1587)大坂城で開かれた茶会において、招かれた豊臣諸将は
茶碗に入った茶を1口ずつ飲んで次の者へ回していきました。
この時、ハンセン病(当時の不治の病)であった吉継が口をつけた茶碗は
誰もが嫌い、後の者達は病気の感染を恐れて飲むふりをするだけでしたが、
石田三成だけ普段と変わりなくその茶を飲み気軽に話しかけてきた。
(一説には吉継が飲む際に顔から膿が茶碗に落ち、周りの者達はさらにその茶を
飲むのをためらったが、三成はその膿ごと茶を飲み干し、おいしいので全部飲んで
しまったからもう一杯茶を注いでほしいと気を利かせたとされる)
その事に感激した吉継は、石田三成に対して大きな恩義を感じたとのことです。
そして、天下分け目の関が原の戦い。
徳川家康とも近しい関係にあった大谷吉継ですが、彼は、西軍として徳川家康率いる東軍と対峙することになります。
彼自身は、西軍に勝ち目なしと予測していましたが、石田三成と共に戦う道を選んだのです。
彼は、東軍に寝返った小早川秀秋に対して、かねてより小早川隊に備えていた直属の兵600で
迎撃、兵力で圧倒する小早川隊を一時は500メートル押し戻し2、3回と繰り返し山へ追い返したといいます。
しかし、他の寝返った武将の攻勢も受け、彼の隊は壊滅。
大谷吉継は戦場にて自害し、享年42歳にて亡くなったそうです。
- 64 :
- 鍬を振るうような畑仕事なら軽い知的障害者でもできるが、
これだけ社会が高度化すれば、できる仕事も限られるからな。
畑仕事するにしても、トラクターを運転できなくてはならない。
知的障害があれば…
結局、「割り箸の袋詰め」「刺し身の上にタンポポ」みたいな作業しかできない。
- 65 :
- 時計という「機械」を使って生活するようになった時点で、人間は「サイボーグ化」
しているのだとか
さらに現代ではほとんどの人がPCを使うようになった
- 66 :
- まさに「細胞愚」ですなぁ。
- 67 :
- >>66
うまいね、君。
- 68 :
- ここまで鉄腕ゲッツ無し。
- 69 :
- http://www.charlesvanleeuwen.nl/images/jacques-callot-petites-miseres.jpg
傷病兵の運命(ジャック・カロの銅版画)
背景に描かれているのは、おそらく都市の施療院
- 70 :
- 帝政期ドイツにおいて一般兵役義務に立脚した軍隊は、男子が一人前の
国民に成長するための「国民教育学校」であったが、それはとりもなおさず
軍隊が一人前の男になる場、すなわち「男らしさの学校」であることをも意味していた
だが、男らしい兵士の理想像と現実の兵士はしばしば齟齬をきたした
軍事教練での過度の要求、上官からの圧迫、仲間同士の虐待に耐えかね、
脱走のような軍紀逸脱行為や異常行動に走る兵士も少なくなかった
これが兵士の理想像に反するものであることはいうまでもない
そこで軍部はこうした兵士に対し、1890年前後から台頭しつつあった
精神医学の助けを借りて、ヒステリーやノイローゼといった精神疾患の
レッテルを貼ることにより、彼らを軍隊から排除しようとした
- 71 :
- 20世紀に入ると世界情勢は緊迫の度を高めた。
とくに日露戦争から西欧諸国は、近代戦には厳しい条件に耐え得る肉体的にも
精神的にも頑健な兵士が必要なことを学びとった
こうしたなかで精神医学は、一般兵役制の国民統合的・教育的理想に対する批判と、
精鋭選抜による軍隊編成推進に大いに貢献するとともに、弱体者を軍隊から
合法的に排除することで、「男らしさの世界」のつじつま合わせにも寄与したのである
- 72 :
- 恥を知る人なら出典も記さず丸々コピペなんて恥知らずな行為はやめて
- 73 :
- いわゆる、おし の人たちに対する扱いって、昔はどうだったんでしょうか?
そういう子供が生まれると、不吉に見られていたみたいですけど。
- 74 :
- 映画でやっっている山本五十六も日露戦争の戦傷で左手の人差し指と中指を欠損していた。
で、後年、背広姿でタクシーに乗ったときは精算のときに左手を見せて
「運ちゃん、俺はこっちのスジのもんだから、わかるな?」
と言って震え上がらせてタクシー代を踏み倒していたそうな
- 75 :
- スレタイ見てもらえば分かると思うんだが、障害を持っていた偉人の話はどうでもいいんだが・・・
- 76 :
- フーコーみたいに、昔の基地外は・・・みたいな話をすればいいの?
- 77 :
- まあ、ちゃんと意訳して話せれば
- 78 :
- >>76
>>71みたいなことをしなければ大丈夫
- 79 :
- 欧米文学等では、少し頭が足りない純真な人は、天使が人間としてこの世に生まれた姿、
という了解事項みたいなものがある。
なんで、映画でそういう人が出てくると、暖かくみんなで見守ることになる。
そして天使なんで、何か人間に出来ない特殊な能力を持ってたりする。
グリーンマイルに出てくる巨大な黒人とか、フォレスト・ガンプとか。
- 80 :
- 日本の仙台なんちゃらっていう池沼のオジサンもそっち系?
- 81 :
- 無関係
- 82 :
- フーコーは福祉国家というものを、「公衆衛生によって管理・統制」するものとして
抵抗するよう呼びかけたんだよな。
理念的にはなんとなく共感するんだけど、現実社会のあり方を考えるとき、本当に賛成していいのか悩む。
- 83 :
- >>57
仙台四郎って、結構、関東まで進出してきているね。
茨城の中華料理屋や、古河のソバ屋でも、複製写真が飾ってあった。
どの範囲まで広がっているのだろう。
他にも、仙台四郎的な人は居るのかな?
精神薄弱者を福の神と崇める風習は、全国的というか、世界的にも見られる現象なの?
- 84 :
- 日本は蛭子からもう障碍者だからなー
- 85 :
- >>74
提督がそんなに金無かったら、負けるわな
- 86 :
- 天使って頭がたりないのか
- 87 :
- 頭が足りないのは>>86
- 88 :
- >>80結構そういう扱いだよね。神として祭られたりしている。寺の一部にも祭られていたり。
- 89 :
- 19世紀までは知的障害者・精神薄弱者で誕生前後に間引かれなかった人は社会全体で育てないとまずかったからだろう。
宗教的にも何ら犯罪的なことをしているわけではないからね。
- 90 :
- 下がりすぎ挙げ
- 91 :
- 昔は生産力に余力が無いから、徒食者を生かしておく余裕はあまり無かったろうね。
今の開発途上国の障害者とかはどんな扱いなんだろう。
- 92 :
- 欧州のどこの国の偉い人かなどは全く忘れちゃったけど
小人を雇ってた例もあったんでしょう?
なぐさみというか道化扱いだと思うけど
- 93 :
- >>91
>昔は生産力に余力が無いから、徒食者を生かしておく余裕はあまり無かったろうね。
そういうのって現代の発想だと思うけど。
戦乱、飢饉などの非常事態の時は別として、平時には社会的救済制度がなんらかの形で
世界各国であったんじゃないの?
一般人の場合は喜捨とか、領主によるものとか。
- 94 :
- >>91
世界史で日本の話しをするのも何だけど、先日日本地図をなんとなくみていたら、
長野だか、東北だかで姥捨といういかにも意味ありげな地名があったのだが、
つまりそういうことだろうな。
- 95 :
- >>84
その次に生まれた子も淡島で、「よくない子」だったようだね。
- 96 :
- >>92
知的障害者や身体障害者を道化として、王が身近に置くことはむしろ当たり前だった時代もありました。
近代に入っても、見世物小屋で見世物として生きていました。
エレファントマンなどがそうです。
むしろ、近代以降のほうが治療という名目で社会から隔離されてしまった感が強いです。
- 97 :
- 共産圏では障害者はどういう扱いだったの?
- 98 :
- 働かざる者食うべからずww
- 99 :
- ってのは、不労所得を否定する言葉
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