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2012年1月2期鉄道懐かし57: 房総を駆け抜けた183系 (413) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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58: オマエラが見てきたカオスな列車編成 (511)
59: 【製造両数】151系車両 3号車【151両】 (561)
60: かつて『新しい時代の到来』を感じた鉄道車両 (187)
61: (( ;°Д°))鉄道の幽霊話(( ;°Д°)) (517)

房総を駆け抜けた183系


1 :08/09/06 〜 最終レス :12/01/21
当たり前のように毎日房総を走っていた183系を懐かしもう

2 :
久里浜からフェリーに乗ってマザー牧場wに行く途中、
浜金谷で待ってたら、ピカピカの「それ」がやってきた。
貫通型の電車特急を初めて見て感動した。
俺たちはそれは見送り、茶色い食パン電車に乗って佐貫町へ向かった。

3 :
幕張の183って
ホームライナーでしか乗らなかった
すまん

4 :
遜色特急のルーツなんていわれるが
「あやめ」でさえ東京〜鹿島神宮110〜120キロくらいだろ。
停車駅も錦糸町千葉成田佐原潮来のみ
今からすると「堂々とした」特急だな。
まあ当時はまだ「急行」があったからってのもあるけどな。

5 :
わずかな間かもしれないが国鉄末期?のいっとき、
クハが中間にはさまった編成が走ってた。
しかもホロはちゃんとつないでいた。
中を通り抜けてみたかった〜
(房総半島では特急乗せてくれなかった)。

6 :
東京駅でチキン弁当を買って、乗るのが房総特急のマナー。

7 :
>>5
あったね。懐かしいね。
6連に前3連つけてモノクラスで9連で走ってたよね。

8 :
>>5
あれと急行型車両の中間車+先頭車は衝撃を受けたなあ。
受け入れるのにだいぶ時間がかかった。

9 :
183系のデザインは当時は斬新に見えました。
S57−11改正で仲間に加わった183−1000番台もまた衝撃を受けました。
それに比べると257系登場は格好悪くてがっかりしました。

10 :
確かに。あずさやかいじにE257系0番台が登場して、カッコ悪いなぁと思っていて房総にはこんなの入れないでほしいなと思ってたら
500番台は更にカッコ悪くてガッカリしました。おまけに基本が5両と短く…

11 :
9月いっぱい新宿わかしおが代走だけど、やはり183系はカッコいい。
大窓や189系が混じっていたりシンボルマークもないけど
9連の姿とヘッドマークで感動した。
あとはシンボルマークがあれば顔が引き締まる。

12 :
わりと末期の思い出…クハの1500代のATC装置のスペース、
それから洗面所をカーテンで仕切って車販準備室がわりにしてたこと。

13 :
なんの変哲もない国鉄時代の車両って
不思議と飽きないデザインだったよね。
当時としては欧州の特急デザインからみると
なんて個性のないものばっかりだと思っていたけどね。

14 :
すいごうってあったよね。あの中途半端な存在が良かった

15 :
>>14
あやめも懐かしいなw

16 :
むかしは、鹿島線内各駅停車ではなかったよね。

17 :
高校生の頃、佐原駅発1620のすいごうに乗って毎日帰宅してた。
末端区間普通列車というのが始まったばかりの頃。
客は高校生ばかりという列車だった。

18 :
>>8
どういう事?急行が走っていた時代知らなくて・・・

19 :
C1編成が長野ヘ廃回されたらしい。
ソースは、路車板の183スレ。

20 :
>>17
佐原地区の高校生が羨ましいと思いながら、佐倉辺りで眺めてたわ。

21 :
微妙にスレチ気味だが、昔はあずさも末端区間は快速だったから
長野地区の高校生も運がいいよな

22 :
すいごうはグリーン車を連結するつもりで新潟からサロ183−1000が2両幕張区に留置されてました。
でもグリーン車を組み込んだ4M3Tだと東京地下トンネルで車両故障時にユニットカットした場合2M5T
だと坂を登れない為しばらく連結を見合わせていたそうです。
一度サロ付きすいごう見たかったな。つか、すいごうは最初は両国始発だったから問題なくね。

23 :
千マリ183系で思い出すのは、57-11直前に末期「とき」に入ってたこと。
事前情報など持ってなかったので、「とき」に乗ろうとホームでまっていて、貫通型がきたときは唖然とした。
微妙にスレチすまん

24 :
183系の初期案では急行型のような貫通タイプだったらしいね。
ナハネフ23や近鉄18200系に似た、左右に愛称板を別けたデザインだった。

25 :
それが現在のE257−500番台の登場になるわけだな。
でも583系タイプの高運転台になってよかったよ。
設計者は大英断だったね。

26 :
おはようライナーで通勤可能な就職先を選びましたw

27 :
ホームライナー津田沼の初日に、東京地下駅にライナー券を
記念に買いに行ったよ。乗らないと買えないと思ったがウェルカムだった。
ホームライナーは上野発のほうが先に始まってたけどね。

28 :
晩年のクハ183貫通形って、側面窓周りの赤帯が、大窓車に合わせた為か、幅広くなってたね…

29 :
でも国鉄色に戻してくれたことに関しては快哉を叫びたい。
今残ってる波動用のヤツもいつか引退する時がくる。
まさかJNRマーク再現まではやらないだろな…

30 :
183系に限った話ではないけど、直流特急車って運転台屋根上にライトがないのが
間が抜けた感じになるんだよな。でもこれが直流特急車の証だったり?
(151系〜181系山陽タイプや485系の直流化車は屋根上ライトがあるけど)
でも381系までも設置しなかった理由はなんだろ?

31 :
>>30
中央線のトンネルのせいだろ

32 :
今の房総特急はなんかやる気がないというか・・・
成田エキスプレス以外はバスで十分と判断したのだろうか?
新車も183系に比べても格落ちする。

33 :
チタの-1000にも字幕で「さざなみ」「わかしお」などの列車種別幕あったよ

34 :
>>31
181〜189系は分かるけど、381系は中央東線には入ることはなかっただろうに。

35 :
房総特急を一手に引き受けていた京葉観光車内販売。
見るからに千葉のヤンキー上がりといった感じの
無愛想を通り越して横柄ともいえるオバちゃんが多かったが
今となってはそれも懐かしい思い出。

36 :
夏になるとわかしおに乗って守谷海岸に行きました

37 :
わかしおに乗って行川アイランドでフラミンゴショー
鴨川シーワールドでシャチのショー
何度行ったことやら。

38 :
>>35
今は車内販売はどこで担当しているんですか?
それとも車販自体やめちゃったとか?

39 :
>>38
NRE

40 :
>>39
ありがd

41 :
>34

西線もトンネルが厳しいんじゃないか?

42 :
>>30みたいな、基本的な質問がでてくると国鉄や昭和も遠くにな
りにけりって感じだな。

43 :
他スレで「横軽って何ですか?」という書き込みを見たときは釣りかと思った。

44 :
うすいなあ

45 :
そのうち「運転士が持ち歩いてる木の棒は何ですかね?」とか訊くのも出てくる。

46 :
千マリの車両は消毒液臭かった。
元車販乗務員より

47 :
車内の消毒票に「ミケゾール」ってよく書いてあったけどその臭いかな?

48 :
2004年10月改正までの2年間、千葉発0時8分発最終電車は183系だった。仕事帰りに
よく利用した。金曜日の夜は通路も満杯で乗降に苦労した。

49 :
やはりグレードアップ車が転入した2004年頃から3,4年間が一番房総特急が輝いてた。
183,9系の履歴を見ても千葉生え抜きの他に上越、信越、中央、田町出身車がいておもしろかった。
できればクハ183−100,150番台やモハ189−500番台も応援に来てほしかったな。

50 :
2004年は勤務地が新宿でして、中央ライナーにはよく乗った。立川迄。
マリの183は、消毒液の香り…いやこれはお便所の匂いだろ。同じ消毒液でも阪急電車のあの匂いとは何で違うんだろう…とは考えもせずビールのロング缶をかっくらってたな。

51 :
>>48
千葉駅はよく利用するのに、初めて知った・・・
どこ行きだったの?やっぱり各停扱い?

52 :
>>49違う意味で輝いてたのはまだ東京駅総武線ホームからグリーン車付き9両編成で海水浴シーズンには自由席は通路まで客があふれ混雑緩和の為地下ホームの階の一つ上の階で各列車ごとに自由席客は行列を作り駅員に誘導され乗車してた頃だと。

53 :
つづき、この頃の房総特急で鉄好きになりました。デカ目クーラー無しの113を駅で追い越す姿、市川で快速を抜き去る姿など。茂原駅はまだ地上駅で側線に貨車がたくさん留置してあり硬券の特急券を買って乗った記憶があります。

54 :
>>46あの匂いがまた更に子供心にそそられて何か特別な物に乗った気分で。親に快速はやだー特急に乗りたい〜ってだだをこねた記憶。初めて電車の写真を撮ったのもわかしお。今では大船東京間は極力踊り子に乗るワガママに育ちました。

55 :
あの匂いって快速113系も同じだったよ。

56 :
小学4年の時の同級生F*Y子ちゃん。聡明で勉強もよく出来、性格も
しっかりして外見も人並み以上で整った顔をした子だった。
確か昭和54年夏休み、東京駅総武線地下ホームは海水浴客で大混雑。
俺とオヤジは岩井海岸に行くため、青い海だったか白い砂だったか
房総直通海水浴臨時快速を並んで待っていた。当時夏休みには一日
何本も出てたんだよね。
向こう側にはわかしおだかさざなみだかクリームに朱色の格好いい
183系の特急に並んで待つ人人人のかたまり。オヤジにねえあの特急
乗りたいと言ってもダメだの一言。羨ましく見てると人ごみの中に
ふとF*Y子ちゃんの面影を見たような気がした。
まあその日は普通に日帰りで海水浴して来たのだが、後日学校がはじまると
F*Y子ちゃんが「ねえこの前東京駅で海水浴の電車待ってなかった?」
って聞かれた。やっぱりあの時の面影はF*Y子ちゃんだったのだ。向こうも
気がついていたのだ。しかし何日もある夏休みで、臨時も含め何本も列車があり
しかもあの人ごみの中でたまたま見つけるとは不思議なものだと思った。
…実はこの海水浴の時の偶然だけではなく、F*Y子ちゃんとはいろいろな
場面をともにした。放課後図書館に行くため自転車漕いでいたところ、
向こうの方にK*N子ちゃんの姿が見え、向こうも気が付いて「Kくーん」
とこちらに手を振る。嬉しくなった俺は思わずN子ちゃんの方に向けて
自転車を全力で漕いで交差点に突っ込む。するとそこで写真屋のライトバンが
来た!危ないと思ったが後の祭り俺は跳ねられて水平に5回転くらいした。
自転車と車に挟まれた俺の右足は酷い打撲を負ったが骨は大丈夫だった。
そこであわてて駆け寄って来た中にF*Y子ちゃんがいた。この事故は自分の
不注意で置き、100パーセント自分が悪かったと判断した俺は写真屋のオヤジ
に謝った。慌てふためいた写真屋のオヤジはとにかく病院へ行こうと思ったが、
そんな大事にしたくないと思った俺はいえ自分が悪いのですからと固辞して、
あと皆の目線に晒されてるのが恥ずかしいのでそそくさと痛い足で少しフレームの
ゆがんだ自転車を漕いでその場を去った。その様子を見ていたF*Y子ちゃんがお母さん
に話したところ、お母さんもK君は責任感があって偉いと感心したらしい。
そしてその話を作文の時間にクラスに提出したようだ。彼女の書いた作文だからしっかり
したものであったせいもあるだろうが先生はとても感心して、俺としては珍しくクラスで
誉め称えられた。ただ責任の所在にかかわらずこういう時は無理せずに病院に行くべきでは
あったという、もっともなコメント付きではあったが。
(続く)

57 :
珍しく誉められたというのは、普段の俺は馬鹿正直で思ったことをずばずば
いうのでそのような言動や行いでとかくクラス会の議題で問題提議され
吊るし上げをくらい非難されて自己批判させられていたのだ。
ただ細かいことは忘れたが、何か、基本的には非難されてもしょうがないが、
俺の言うことにも一理ある、というような問題だったと思う。クラスのほとんど
が俺を非難した時にF*Y子ちゃんだけが、俺の考えに同意してくれた。
「私は何があってもK君の味方だから・・・」とまで言ってくれた。
さてそんなこんなで何とも毛沢東主義うずまくクラスが息苦しくて堪らなかった
俺は、ついに家出を考えた。家出の構想を唯一信頼出来るF*Y子ちゃんに話したところ、
「私もK君についていく。高田馬場にあるおばさん家に一緒に行こう。」

58 :
まあ今風に言えば「脱北」の企てになるのだろうがwともかく決行日は
やってきた。約束の時間、約束の場所、たしか雨だったと思う。
約束の時間をだいぶ過ぎてからF*Y子ちゃんが傘をさしてやって来た。
俺が話そうとするとちょっと思い詰めた顔で「お母さんに本の買い物
頼まれた、ごめん、やっぱりいけない。」がーん、と思ったが、
無理もないと思った俺は「いいよ、いいよ」と引き取った。
俺はその前に何回か自転車置き場の裏などで彼女の太ももを
触ったり、おまたをさわろうとしたりなど「不純」なことを
していたので、それが彼女の本能部分に訴えるところがあって、
決行中止の判断につながったのだろう、彼女の好意を不純な
形で帰した報いだとおぼろげながら解釈した。
さて一人での計画の練り直しと思った俺はその日はそのまま家に帰った。
誰にも知られてないと思ったこの脱北計画は彼女がお母さんに相談して
それがさらに担任の耳に入ったらしく、あっけなく発覚した。
それが俺の親の耳にも入って親は子供が女の子と駆け落ちしようとした
ことも加わってショックだったらしい。
担任もそれ以来考えを改めたところがあるらしく、クラス会での吊るし上げ
はずいぶん緩和されたように思う。

59 :
さてF*Y子ちゃんだが、その後しばらくしてお父さんが無くなった。
無くなった理由は知らされなかったが、後で耳に挟んだところに
よると自かもしれないらしい。お父さんの死後、F*Y子ちゃん同様
立派なお母さんは彼女の年の離れた弟も含めて女手一つで立派に
育てあげた。F*Y子ちゃんも優秀な短期大学に進んだらしい。
俺としては、なんとなくF*Y子ちゃんは運命的に将来ずっとより
沿って行くというなんとなくの直感があった。実際何かの機会が
あればその直感は現実のものになったのだろうが、他のいくつかの
ことと同様その可能性の種は芽を出すことなく終わった。
聞くところによれば彼女はある一流の会社の人と結婚したらしい。
思えば国鉄標準色のあの暖かいクリームと朱色はF*Y子ちゃんの両親が
共に揃っていた彼女の幸せな家庭を包み込む象徴のように思える。
F*Y子ちゃんはその後の立派なお母さんの元で境遇に屈することなく
成長し、今はまた時代は変わり特急の色も変わったが、彼女のことだから、
幸せな家庭を築いているものと確信している。
おわり

60 :
まー
2ちゃんで誤字脱字をとやかくいいたくないが
人が「亡くなった」くらい正しく書こうよ。
だから彼女と一生縁がないのだよ。

61 :
>>56>>60
誰も読まない長文レスご苦労。

62 :
6連の東京方クハ、トイレを改造して車販準備室になってたっけ。
9連はサロに元々有ったけどモノクラス化して8連になった時はどうしていたのだろう?

63 :
183系は東京地下駅の改良工事が終わる昭和49年頃から東京ー千葉間を内房、外房線特急が
併結する計画があったみたいだがその場合は7両固定編成になってたのかな?
東京  Tc+Ts+M+M’+M+M’+M+M’+Tc  鴨川、館山

64 :
>>45
「そういう質問をする奴を殴り倒すために持っているんだ」と答えとこ。

65 :
>>56
多分、一生切なさを抱いたまま独身だろうなぁ、君は。

66 :
>>65 恐れ入ります。長文スマソ

67 :
国鉄時代に千葉以遠の区間限定で特定特急料金800円の時代が長かった。
今はもっと安い料金区分もあるが、当時は思い切った料金設定に感じたなぁ。
(あくまでも「当時は」ね。)

68 :
>>56
俺にも似たような経験がある。
で、40代の俺から、人生の先輩(たぶん)としての忠告なんだが、
同窓会は行かない方がいい。
なぜ、女は(ry

69 :
183系0番台は昭和48年度のブルーリボン賞を取ったのだなぜかパットせん!

70 :
房総一周号はやっぱり183か189あたり?

71 :
パンフではあずさ色

72 :
>>69
48年には対象車種がそれだけだったから?

73 :
該当車両無しの年もけっこうあったよね>BL賞。
関係ないけど東急8000は当時画期的だったと思うんだが
運わるく名鉄モ600(それなりにユニーク)になんとか賞を掠われた。
東急はのちに、その時代となっては特徴に乏しい8500で復権を果たした。
どういうマジックが発動されたのかは俺にはむずくてわからないが。

74 :
183系BL賞受賞の年はローレル賞には是非113−1000’番台に取ってほしかった。
あの年はBL賞とは逆にローレル賞は対象が多かったからな。
そういえばこの昭和48年製の183系だけなぜか車内の化粧板が従来のクリーム9号ではなく
165系や485系初期車と同じベージュ色だった。クハ183−21,22がそうだった。

75 :
昔は浜金谷駅の重要性が高く、殆どのさざなみは停車していた。
かつては木更津〜舘山の停車駅が浜金谷だけの列車も有ったなぁ。

76 :
183系の登場時は583系の顔と181系の側面を合体させた感じでカッコ良かった。ただ2扉というのが安っぽく思えた。ロック無しの簡易リクライニングシート、あれはガターンガターンとうるさく良くなかった。

77 :
確か北総電化用の昭和50年製とクハ183−1501から1506までの車両はロックが効いた。
それ意外は新潟からの転属組も含めてロックしなかった。

78 :
そうそう、たまにロックできる奴があったんだよ。
どういう基準でできる奴とできない奴の差があったのか、分からんかったけど。

79 :
普通車初のリクライニングシートという触れ込みで採用したが、グリーン車との差別化の為ロック無しになったのではないでしょうか?でもあれなら後に関西に転属したサロ113に乗った方がはるかにマシでしたね。

80 :
>>77-78
つ 製造年次
新製時からロック機構が付いたのはモハ182・183-1039〜とクハ183-1025〜
(189系はモハ188・189-31〜とクハ189-12〜、512〜)
なので1500代クハは全車ロックが利いたはず。
また新ニイから来た1000代モハは初期車ばかりなので千マリへ来た当初はロックなし。
0代は新製時からロック機構の付いていた奴はいないが、8・9連組は後年のアコモ改造で付けている。
前述の1000代モハもこの時に付けてる筈。

81 :
鉄道ジャーナルの昭和50年6月号の「北総の新しい特急ヂュエット<あやめ><しおさい>」
という乗車ルポで「このクハ183−33号車には新型のシートが装備されて・・・」と書いて
ある文面があるので実際に0番台の後期型はロックが効いていたと思われる。

82 :
どの編成に組み込まれていたか不明だが座席下部のヒーターキセがステンレスになっている物は14系客車からの転用と思われる。
0番台は簡易リクライニングだけだったと思うが。
尤も後期型車は9連時代も滅多に【あやめ】では当たらなかった。

83 :
25年ほど前の小学生時代海へ行くのにわかしおで安房小湊たまに
さざなみで館山と183を利用していた。0番台なつかしいな。
当時地元は485系だらけだったけど塗装が同じだから割と好きだったな。
今でも183系を見ると1000番台だが懐かしく感じる。

84 :
生まれて初めて乗った特急が、183系のわかしおで大原〜蘇我間で乗ったなぁ。
乗車前に、やたら緊張して特急券を買う時に券売機のボタンを、押す手が震えた厨一の秋の話。

85 :
大原ー蘇我って、そんなに距離無いよね?
せいぜい30分くらい?

86 :
あぁ流石に30分じゃ行かないか、
茂原よりもかなり南なんだね、スマソorz

87 :
蘇我に特急が停車するのは後になってからではなかったかな。

88 :
蘇我に特急が停まる様になったのは京葉線経由になったから
千葉へ行くために乗り換えが必要だからね
しかし、この乗り換えが必要になったお陰で当時も千葉に用事のある方々には
滅茶苦茶不評で、今や県南から千葉へはバスにコテンパンにされてる有り様…
今でも総武快速経由ならもうちょっとだけはマシだったカモと思ったり

89 :
房総特急が千葉を通らないなんて、
なんてアホなことをやらかすんだって思ったなぁ。
わざわざアホなことやって、>>88みたいなことになってんだから、
世話無いわって思ったよ。

90 :
平日なんか館山を朝に出るさざなみは、それまでは千葉までゆっくり着席だったのが
いきなり、蘇我で降りてラッシュの電車に乗り換えて下さい、だもの
自分の祖父(もう10年以上前に死んだ)も、晩年は乗り換えが辛かったみたいで
運転手雇って、車で行く事が多かったみたい
まだ道路もイマイチ(≒バスもまだ無い)の時代だから、電車の方が遥かに
速くて快適だったハズなんだけどね

91 :
NEXにダイヤよ譲ったから京葉線経由になったのは仕方ないが総武線経由も残すべきだった。
今の新宿さざなみ、わかしおが大盛況なのは総武線経由だからだろう。平日も走らせられないものかね?
朝のあやめ号二本を佐原で併結して一本にして空いたダイヤにさざなみ、わかしおを千葉で併結させて
一本にして総武線経由にすればよかね?それか朝の上りは幕張入庫を兼ねて思い切って千葉止まりの
さざなみ、わかしおも設定してもよかね?

92 :
>>91
九州弁のごたると思うたですばいw 内容には同意。
東京トンネル品川延長時にすぐに乗りに行った(113の話だけど)が
編成まで気がまわらなかった。後年調べたらG車抜きの13連だったとか。
スレチ御免。

93 :
>>92
113系の13両編成は8M5Tで加速が良かった。と記憶している。
スレち失礼。

94 :
県庁所在地の駅を通らないのはやはり痛いね。
まさか今さらNEXを我孫子廻りにも出来んしなぁ。

95 :
NEXを上野発にしたら意味無いからなw
京成があるし。

96 :
房総特急がデビューして程無い頃(消防の頃)、東京地下駅へ降りていって
使われていないホーム(確か4番線だったか?)が有ったのを覚えている。
あれは総武&横須賀スルーの時から使われるようになったん甲斐?

97 :
当初の計画では2面3線で東京地下駅は計画されていたわけだが、総武線側からの旅客の
流入が多かった為急遽4番線を増設したわけ。4番線を使用されたのはS48年頃か?
それとも北総特急開業のS50.3.10からな?

98 :
>>85
84で亀だけど調べてみたら蘇我から大原まで、53.4キロだったよ。
因みに、この時何故か特急券を50キロまでしか買って無くて後日調べたら100キロまでの特急券が必要だった事がわかった。
しかし当時は、検札でもトラブル事無く蘇我まで行けてしまったのを覚えてる。
あの時の車掌さんごめんなさい。(´・ω・`)

99 :
>>98
ギリギリだと特例扱い有る可能性有るけどどうだろ?
昔、千倉→千葉は100kmちょっと超えだったけど、確か特急料金は100kmと同じ金額で乗れた
ただ、乗車券はきっちりだたから千倉→千葉は西船橋まで行ける切符になって
非常に割高だった記憶が有る

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59: 【製造両数】151系車両 3号車【151両】 (561)
60: かつて『新しい時代の到来』を感じた鉄道車両 (187)
61: (( ;°Д°))鉄道の幽霊話(( ;°Д°)) (517)