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2012年1月2期土木・建築36: 詩的な建築家教えてください (133)
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詩的な建築家教えてください
- 1 :11/11/22 〜 最終レス :12/01/13
- 詩的で物語のような建築をつくる人を教えてください。
イメージとしては世の中に対して悲観的でありながらも、
美しいものであって欲しいと願っているような、
儚げで暖かい建築を作る人をお願いします。
分けわからんかもしれんけど、適当に解釈してください。
私は学生ですが、衝撃を受けるほど好きになれる建築家がいないのです。
空想ばかりしとります。
- 2 :
- 1ですが、
その建築の特徴や独自の分析をそえてくれるとあり難いです。
- 3 :
- 古舘真
MITで技術を極める一方
作家としても大活躍。
技術と感性を両立してこそ詩的建築家とよべる。
- 4 :
- 1です
ありがとうございます。
少し調べましたが、社会にたいして真摯に向き合っている方のようですね、
またちゃんと調べてみます。
もっと教えて下さい、
有名、無名関わらず。
どんな建築家でもいろんな解釈で、
様々な側面があるでしょうから。
絵画でいうと、シュールレアリスム的というか、
空気のざらつきまで建築空間として取り入れてる人を特に
- 5 :
- 藤森氏の作品群は君にぴったりだよ
海外ならコルビジェのロンシャンの教会とか。
あとミースの作品も君に合うと思うよ
- 6 :
- 瀧口修造とバシュラールの本でも枕に、シンナーでもいっぱい吸い込むと
何見ても詩的になるよ。日本じゃ建築家って職業ないから、敢えて言うなら ドクターコパ?
以下のような建築家は一杯知っているヨ。
私的な建築家・・・ウヨウヨ テめーのことだけ
誌的な建築家・・・雑誌に載るだけ ただの箱
指摘な建築家・・・評論家と組んでアーダコーダ 中身空っぽ
視的な建築家・・・ファサードのみ 裏に回ると雨漏りの後
痔的な建築家・・・いつも座てっこと多いから。
こんなんでいかがでしょうか?
- 7 :
- テスト
- 8 :
- 井上直久さんのイバラードとかですか。
現在自分は現場管理をしており、どっぷりと建築にはまっていますが、かつて見た彼の作品程想像力をかき立たせる建築に未だ出会ったことはありません。
- 9 :
- 1氏はきっと建築の本質には程遠い人間なんだと思います。
その今の気持ちを忘れずに、どうか本質を伴った美しい建築を造り上げて下さい。
to foolish!
- 10 :
- 1です
5さん 藤森さんの建築はすてきですね。絵本みたいです。
ミースやコルビジェはきっとものすごいんでしょうね、多分目の前にしないとわからないのだろうな。
写真でしか見たことないのでぜひ見に行こうと思います。
- 11 :
- 6さん
確かに僕の目が建築をそう見れたら問題ないですね。
その作家はぜひチェックしようとおもいます。
全部興味ありますが
特に私的な建築家について聞きたいです。
私的じゃないというのはとてもむずかしそうです。
- 12 :
- 8さん
ウェブ見てきました
こういうの大好きです。
建築でこういうものを想起させるにはどうしたらいいのですかね
- 13 :
- 9さん
建築の本質っていうのは、ディテールや構造などことですかね?
確かに実務をあまり知らないので遠いですね。。。
きっといろんな障害があるのでしょうね。人だったりものだったり規則なんかの
『愚かであれ!』ってことでいいですかね。
まさに愚かかもしれないですが、障害をも組み込んだ建築ができるといいですね。。
- 14 :
- 8さん
イバラードをもう少し色味抑えめにして、背後に冷たさが潜んでる風だとドンピシャです。
全く話が別ですが漫画家だと石黒正数は好きですね、
日常のいろんなことをとらえているけどよい部分が際立っていてすきです。
小説は三国亜紀のとなり町戦争好きです
淡々としてるのにすごく情景が浮かんだ物語でした。
映画あまり見ないのでそれもおすすめあれば。
- 15 :
- 失礼しました 三崎亜記でした
- 16 :
- 学生を装った人間によりこの板は、大学院のゼミ的になりつつあり、興味深い。
たぶんこのまま行くと話としては、詩的というキイワードから「建築の社会性」
「建築は誰のものか?」という話の流れになっていくのか・・・
- 17 :
- 16さん
もちろんそういう話も聞きたいです。話広がりますかね?
多くの人が利用するなら設計に何かしらの道具(方法や理論)を使うべきだとは思います。
個人住宅であれば、単純ですがその人のために精一杯努力することが大事なのではないかな?と思います。
もし建築家が家を設計するならどうしても作家性は消えないので。
がんばって要望を汲み取って形にするのが大事じゃないかなと。
「建築は誰のものか」というと、見た人のものであるのでしょう、
ゼミで似た様な話はありました。
まぎれもなく学生ですが、
純粋にこのまま建築学ぶ上で目標となる人がいるといいなぁと思ったんです。
私の性質的にものすごく好きな作品に出会うとその分野自体への興味がものすごく高まるので。
建築家の紹介、引き続きおねがいします。
- 18 :
- まず詩的とは何か?定義してほしい。
次に、詩的な建築作品は存在しても、詩的な建築家は存在しない。
人間は詩的で曖昧な存在としては、生きていくことは不可能であろう。
すばらしいと思える作品を輩出する建築家が、必ずしもすばらしい人間と
言うわけではない。君の回りの先生も、人間としていかがなものかという
人がたくさんいるはずである。
君の言う詩的な人間をさがすのであれば、建築家以外の人間を探すほうが
早いと思われる。多くの建築家はエゴイストであり、又エゴイストでなければ
建築家として成功する事は難しいのではないだろうか。
- 19 :
- 1級管理技士スレに、自分は詩人だと自称している瀬古という香具師がいる
東北の津波対応型の家ということで、すっとん狂な構想を立ててたけど、構造屋や建築士を
巻きこんでいたよ。最初は馬鹿にしてたけど、つい巻き込まれた(笑)
詩的=芸術的という意味なら成立するし、既成の概念に囚われないということだろう
- 20 :
- たぶん(詩学)トポスという概念だと思う。
- 21 :
- 1です
18さん
詩的というのは、皆さんの解釈にまかせたいのですが。
僕の中ではそのものでいろんなものを思い起こさせることのできるものですかね。
その空間で記憶から風景を引きずりだすようなものでしょうか、
たしかに詩的な人というのはよくわからないので、詩的な建築をつくるひとという認識でお願いします。
エゴイストじゃないと難しいのですか・・・
「エゴイスト」というのは、「自分のやることが他者のためになると信じてるひと」というのも含まれますか?
。
- 22 :
- 昨日のは、toではなくstayでした。
stay hungry stay foolish
ハングリーであれ。18のように分別臭くなるな。
というジョブズ氏の言葉です。
身近で自分が実際に目の当たりにした建築の中で1氏に是非とも識ってもらいたいのは、平等院鳳凰堂及び同敷地内のミュージアムです。
池などと相まった景観や、その建物にまつわる歴史によってかなり評価は上げられているとは思いますが、極楽浄土をイメージしたその様は、塗装がはげ落ちた現在の姿でも十分にその存在感を受け止める事ができます。
言葉にとらわれず、これからも好きな思いをこの落書き便所にぶちまけて下さい。
- 23 :
- 19さん
見つけました。
自称している通り詩人なのでしょう
現実性が希薄ですが、あの様な議論も有意義だと思います。
いつか役立つかもしれないですし。
ただ詩人を探している訳ではないですね。
しかし「一回荷物を置く」に食いついてるところには吹きました。
芸術的ですか。よくわからないですが、
でもレイヤーをいくつもかさねた重層的な提案をする人もいいですね。
- 24 :
- 20さん
すいません、知らなかったので調べました、
ぼくの書きたかったこととほとんどあっているとおもいます。
- 25 :
- 女の唾液飲みたい
- 26 :
- 22さん
そうでしたか、ジョブズは偉大ですね。ものすごいと思います。
建築的思考を持っている経営者だったと勝手におもっています。
平等院鳳凰堂。それはいかなくてはいけませんね・・・
2ch初めて書き込みとスレ立てですが、
アホなこと書いても誰か反応くれるのがすごいです、よいものです。
- 27 :
- HIPGNOSIS (Storm Thorgerson Aubery Powell)
少し古いが、彼らはイギリスで爆発的に人気あった。空間を感じるヨ
- 28 :
- 芸術的なものがレイヤーを重ねたもの みたいな話は
前にニコニコ生放送で村上隆が現代アートはハイコンテクストだといっていたので。
話にちょっと飛躍があったので、付け足します。
芸術がどういうものなのかはわかりませんが、
芸術作品をみて何か感じることはあります。
それでいいかなと思っています。
- 29 :
- 芸術的なものがレイヤーを重ねたもの みたいな話は
前にニコニコ生放送で村上隆が現代アートはハイコンテクストだといっていたので。
話にちょっと飛躍があったので、付け足します。
芸術がどういうものなのかはわかりませんが、
芸術作品をみて何か感じることはあります。
それでいいかなと思っています。
- 30 :
- 27さん
まとめてあるの見てきました、カッコいいですね、
今でも古さを感じないです、
体調が良くないときにみる夢の世界のようです。
そういう意味では空間を感じます。
この頃の洋楽を聴いていないですが
法被を着たレッドツェッペリン
と謳ったらしいナンバーガールは好きです。
- 31 :
- サンティアゴ・カラトラヴァ
- 32 :
- ロレッタ・ルックス
- 33 :
- トーマス・デマンド
- 34 :
- 23さん、19です
思うに「詩的」あるいは芸術的と呼びうるものは、およそ人の創造物であるものには
すべてに宿りうるものではないでしょうか
寺社にせよ、その園庭にせよ、あるいは園庭の一角に設けられた草花の一輪一輪にも
作者の意図や気配が漂っているものは、詩的であると言ってもいいでしょうね
そしておそらく「詩的である」の中に確実に内在しているのは、他者への想い、他者への強い共感力です
我々が人間の創造物を目の当たりにして心を打たれる、というのはその創造物が「他者に見られる」ことを
前提にして創られているからです
そうした作者の狡智すらも直感できる建築家になりたいものですね
このスレを立てた1.の人にも、施工管理スレの「詩人」にもその隠された
知的な戦略性を感じ取っています
- 35 :
- 31 こういうのいいですね,こういうイメージです。スペインの建築家ですかスイスにも作品多いんですね
- 36 :
- 31〜33さん
たくさんあげてくれてありがとうございます、チェックします、またおねがいします
- 37 :
- 19である34さん
23は1でもあります。
なるほどその通りだと思いました。
思いやりのこころですかね。
もしくは
不特定多数の他者を自分に憑依させるようなかんじですかね。
この1にそんなものを感じることができるとは思いませんでしたが
知的戦略性を感じることができるのは、少なからず共通意識を持つからでしょうか。
- 38 :
- 19でもある34です
23さんは1.さんでもありましたか(笑)
面倒ですからお互いにハンドルを付けませんか?
スレのテーマを立てた段階で、すでに戦略性はあるのです
建築物は物的なものであり、その即物性ゆえに一見、詩からは最も遠いところにあると見なされがちです
利益や採算が更に建築を遠い所に持って行ってしまします。
詩は言語による抽象的な営為なのに比べ、建築は質量を伴って行う現代資本主義の営為でもあります
だけどそこに「詩や芸術」は無いのか、といえば間違いなく幾つかのものにはあると考えて良さそうです
そこには作者と受け手の「見る、見られる」の関係性において成り立っており、見る者に、あるいは
これを使い利用する者に様々な恩恵をもたらすからです。簡単に言えば人々の役に立っている。
おっしゃる通り、「不特定多数の他者を自分に憑依させる」と同時に「己を不特定多数の他者に憑依させる」
ことでもあります
つまり自分勝手には成り立たない
作者が今の世に受け入れられず、一見孤高のように見えても彼は過去の人や未来の多くの人を目の前にして
制作していると思うのです。
役に立つという意味は、悲しみでも喜びでも癒しでもいい
笑いでも救いでもいいのです
- 39 :
- まだハンドルのない19である34さん、
では1はシンプルに1にします。(確かにややこしいですね笑)
戦略性が何を指していたのかわかりました、
うまくいったのかわかりませんが相手してくれる人がいるので成功でしょうね
うーんなるほど、建築が即物的ですか、
確かに資本主義的な採算性や利益が関わるとそうなりますね。
でも僕はそれほど現実に物体として捉えていないんです
僕が建築の本質からほど遠いと書かれていたのはそこなんでしょうね
まちがいなく建築物は物体なんですが、
時間の蓄積と人の記憶があるので
やっぱり連続するある程度やわらかいものであるイメージです。
これはどんなつまらない建築もそうあって欲しいという願いというか妄想もあります。
「詩」というのはその字の集まりが一つの情景をつくる単語のようで、
自分で意味をもたせた言葉をつくることのように考えています。
「詩」や「単語」という『記号』
「その風景」や「意味」の『記号の中身』
残念ながらその『記号の中身』が複数の人間で
100パーセントの精度で共有されることはないでしょうが
建築も言語と似ていて、「建築物」と『その中身』あるのだと思います。
誰かが作った建築を見て、何かしら考えたいとは思いますね。
逆にそう思われる様な建築を考えられたらいいですね。
そのために行き着いたイメージが詩だったのです。
- 40 :
- 1では認識されないの?
これでいけたらこれが1です
- 41 :
- >>6
これテンプレなw
- 42 :
- そうなんですか?
きっかけになるなら
テンプレでも、なんでもかまわないです。
- 43 :
- 自分が思う建築の本質っていうのは、1の言う通り構造やディテールです。
コストに見合う構造の耐用年数と、その建物の中で生活していく人々にとっての利便性や機能性をもったディテール。
本質の的を得ている事と、詩的である事を兼ね備えた建築物はあるかと問われたなら、かつて在った祖母の家と自分は答えたいです。
そこは昭和時代までの一般的な農家の家なんですが、茅葺き屋根、軒の出、床に水勾配のついた広縁、薄暗いけど涼しい和室、踏み固められた玄関土間、囲炉裏のある主屋、室内での焚火によって黒く燻された大きな柱や梁。
そこに住んでいた人々にとっては当たり前の環境だったんだろうけどそこで生活出来なかった自分、とか、にとってはかなりポエティックな空間に感じられると思います。
よくまとまっていませんが、建築とか家ってそういう事なんじゃないかと思っています。
- 44 :
- 19でもあり、34でもあるという流れから、1934「詩」としました
1934年に何があったか調べますと、満州事変、そして函館大火が出てきました
函館大火は1934年3月21日。2万数千戸の消失、2000名余の焼死者です
これについて寺田寅彦が書いていたのをネットで拾い、読みました
77年後に日本を襲った大自然災害に何らかの周期性を見出そうとする人もいます
>>43 さんの文を興味深く読みました。
建築物はRCであっても100年、せいぜい200年の寿命です
では不朽の美や詩はどこにあるのかと問うならば、それは設計者の意匠と構造の
両つながらを体現した設計図書のなかにあると言わざるをえない。
これはラインと数値がおびただしく並ぶ抽象世界です。数学と物理学の世界といっても
過言ではないでしょう
例えれば楽譜が残れば1000年後も再現できる交響曲、あるいは文字記号で残れば、
千数百年を経ても人口に膾炙される、いにしえの和歌や短歌
いずれも故人となってはいるが、作り手の気配はあたかも不滅のように匂い立ってくる
- 45 :
- 日本建築史、西洋建築史があるのになんで韓国建築史を学ばせない!
- 46 :
- 一方、設計図書らしきものがない場合の建築は、一体どのように再現性を獲得
できるのか? (>>45 さんの古代朝鮮建築同様)和建築に目を転じると
木造の和建築は国宝級でもリニューアルしつつ何百年でも存在し続けている
つい最近、NHKの「美の壺」で見ましたが、鎌倉の建長寺の屋根の四隅の撥ね
上がり、それを支える放射状の根太等の、工業製品とは違った、1つ1つが個性を
主張する美に触れました
これは職人の技術の伝承というものに、大いに依拠している世界です
現物を眼の前にして解析され、小修繕を積み重ねて先代の技術が伝承される
そして建て直しの機に一気に進化した技術をも投入しつつも、その反動たる形式美の
伝統を守る、という知略が連綿と継承されている
- 47 :
- 43さん
何となく情景が浮かびます
日本建築の美しさは、技術や形式に美が組み込まれているため感じるのですかね。
尺貫法だったり、大工の技術だったり。
伝統とは物語であり、詩的なのかもしれないです。
- 48 :
-
われわれがこれらの建築物に接すると、圧倒的な存在感を以て、遠い過去の人々の意識の
ありようや生活へと、あたかも己のDNAに眠る記憶をたどるかのように導いてくれる
kzさんのおっしゃるように、詩にせよ、建築物にせよ、それらの表象=記号(あるいは意味)が
大多数の人間に、100%の精度で共有されることはないでしょう。
詩が成立するには、あるいはそこに芸術性が成立するには、作者と読者の間に
想像力相互の侵犯関係が成り立たなければならない
もっというならば、作り手以上のものを受け手の感受性が捉えることだって
あるのです
また、建築物が「詩」たりえるのは、それが時代のあらゆるものを容れる「器」
だからです。中身は空洞の伽藍でいい。置かれている彫像や天井壁画、ステンド
グラスや柱の彫刻に至るまで、そこには過剰ともいえる「記憶や意味」の集積所です
- 49 :
- 1934「詩」さん
そうですね、図面というのは他者同士が共通のものをつくりあげるための言語の役割を持つと思います。
その言葉からそれぞれのアタマの中にさまざまな建築物が浮かびますね。
僕の書き込みですが、
皆さんの書き込みを書き換えて繰り返してるだけに見えるでしょうが、
僕が自身のアタマを整理するためにやっているのでゆるしてください。
少し、詩的の概念範囲が広くなってしまいましたが。
これは、と思う建築家について語っていただけるとありがたいです。
詩的という言葉についてももっと掘り下げて頂きたいです。
- 50 :
- 「詩」をもっと掘り下げるならば、実際にはポエムなどのような語感に宿る、フワフワ
したものではないでしょうね。
「詩」が作家の、ギリギリの切羽つまった命の引き換えに、やっとこ産声の上げるのと
同じく、「詩的な建築」が具現するならば、命のやり取りにも等しい(己か他者かとの)
激しい闘争は覚悟しなければならないだろうと予感します
多元的な「意味」を喚起できる、集積所としての、しかし伽藍としての空虚な「器」
建築と詩という脈絡で語るならば、それは現在という「時間」と己の「生」を、
過去から、そして未来から逆照射している、恐るべき番人のように見えて
私はその前に、ただただ立ちすくみ畏怖するばかりなのです
- 51 :
- 1934「詩」
49は44に対してのレスです
これは48に対して、
確かに作品ある表象から思わぬ評価がつくことはよくありますね。
それで制作者に、内容を聞くとあまり深く考えていなかったりとか。
でもそれは考えていないじゃなく、
言語になる前のメタレベルからそのまま物にしてるんだと
いい風に解釈することにしています。
あと後半の
建築は「器」という部分。
これは僕が建築に対して限界を感じた部分です。
残念なことに僕は別の立ち位置では建築は器にすぎないと思っています。
それでも建築に夢を見たいので別の立ち位置をもうけようと思いました。
「器にすぎない」と思うのは、
建築自体はいろんな問題を別に解決してくれないからです。(住む機能は満たしますが)
社会的な建築を作ったと誰かが言っても、社会を解決するのは人の動きですから。
結果的にその建築がいろんな問題を解決したようにみえても、
人の巡りと時の巡りがよかったようにしか見えないんです。
でも1934「詩」さんの解釈は少しその悲観的な考えを
プラス方向に考えるきっかけになった気がします。
- 52 :
- 1934「詩」さん
50に対して
「詩」と「器」の両立、
それは究極の形のように見えます。
ぼくにはとても想像できません。
どちらか取捨選択になるのではないですか?
このスレの中のだけの話でしょうが
その二つは相反する物でしょう、前を見ながら後ろを見るのは難しいです。
- 53 :
- ということを言ってるのですかね・・・
- 54 :
- どーでもええが
レスアンカーくらい覚えろ
- 55 :
- >>=アンカー?
>>1
あなたの求めていた詩的なるもの、メタファーのないあなたの表現により
次第にとうざかり 消えてゆく。
自分の認識の網目で、全てをすくえると思っている所に、あなたの私的なるもの
が存在しているのかもしれませんなー。
- 56 :
- >>54
すいませんでした。これでいけてますかね?
>>55
上手にメタファーを使って話をするのは、とてもわかりやすいです。
曖昧な物が伝わりますし。
でもメタファーでの表現から具体的な表現に還らないと、
やっぱり誤解してしまいます・・・。
僕の読み取る力が至っていないんでしょうが、
理解できない表現は届いてないものと同じになってしまうきがします。
なので概念がわからなくて問い返すときは説明して頂けるとありがたいです。
おそらく意味は形を変えてしまうでしょうし、詩を自ら説明するのは興ざめでしょうけど。
読み返して>>52が>>50の意味を取り違え、
流れをぶった切っていることには気づきました。すいませんでした
- 57 :
- >>50
をまた整理するために解釈します
おそらく過去から建築を考えたときと未来から建築を考えたときの
思考が衝突した部分にそれはあるもので、
それを具体化したものが詩的な建築なんだろう。
でも建築は連続してそこに在るが故に、実現するためには
どの時間から見ても(もしくは時間の概念のないところから眺めても
)
そうである必要があるので、それは恐ろしい存在にすらみえるということでしょうか。
それであってるのならそうであると僕も思います。
- 58 :
- 時間を超越した物を作るのはどうも難しいきがします。
それなら、時間概念の放棄したものを考えるほうがいいでしょうか?
どうおもいます?
ちなみに建築は>>51での器にすぎない(1934『詩』が言ってる器とは別です)
と感じてる部分も批判あるとうれしいです。
- 59 :
- 久しぶりにレスみたら、これは新興宗教の 新しい勧誘か?
はたまたマインドコントロールか?
- 60 :
- KZさん。お互いに、
>「詩にせよ、建築物にせよ、それらの表象=記号が
> 大多数の人間に100%の精度で共有されることはない」
ということを認識している以上、ましてやスレでの誤解や誤読は付きものだという
認識も、また同時に前提されているはずです
また、誤読のほうが、はるかに高い理解をしている場合も多々ありますので
あまり気にせず、好きなように自分で解釈すればいいのです
あんな時間に書いた本人だって、朝になって読むと「何だ、コレ?」というのは
多いんですからね
自分なりの思索を続けられることです。その全部をこんな所で言う必要はない
どっちみち2chです
縁無き衆生もチラホラ立ち現われてるでしょう 貴方の進むべき道の邪魔をして
茶々入れ始めるバカも出没します
軽く流して1か月くらいほったらかして、他の人の投稿をニヤニヤしながら
眺めるだけの余裕があっていいと思います
この業界、こんなレベルなのか?とガッカリするやら、学生の方がまだ志が高いんだな、
って安心するやらのスレだと分かりますよ
そんな軽い位置づけをなさったら? スレ立て人はスレのホストになって方向を導いたり
する必要は無い。誰にでも応答しなくちゃいけない義務もない代わりに、好きに出て、
興味・関心に合致する、ピンと来る投稿だけ週1くらいでに反応すればいいんです。
そうでないと、こんな息の長い、答えといって有りそうで見つからない、そんな壮大な
お題のスレを掲げたんですから、あなたに短期間に擦り減ってもらっては困るのです
雑音に惑わされず、ゆっくりとお進みください
それでは
- 61 :
- ありがとうございます
でもそれほどすり減ってはいないですよ。
2chの場所性もある程度理解しているつもりです。
あと僕自身の中にも、こういった概念めいた話をの必要性すら疑う自分がいます、
必要のない人には必要のない話でもあるのでしょう。
同じ学校の建築学生ですらほとんど、こういう話は好みませんから。
こういった論理も説得力をもたせる道具にすぎないのですし。
腕っ節と勢いですべて解決するひともいます、
自分の感性を信じて疑わないのはあるいみ才能だとも感じるので
そういう人をむしろうらやましく思うくらいです。
むしろその方が効率はいいきもします。
確かにちょっとレスを返すのに熱中してしまった部分もありますね。
でも、いい薬になりましたしアタマが結構整理されました。
どんなレスにもきっかけがあると思って食いついてしまいますが。
徐々にペースはわかってくると思います。
- 62 :
- アルヴァロ シザ
カチッとしていて、それでいて柔らか
- 63 :
- 青臭いガキがやっと退場してくれたようだ。
- 64 :
- 1ですが
引き続きオヌヌメな建築家おねがいします。
映画や音楽や舞台やその他メディアなどでも、、
お願いします。
- 65 :
- メディアとは何か? 映画や音楽や、いわゆる旧放送の概念で「メディア」なるものの
意図付けをしている人は多い。
今夜はまた深いぃ〜いテーマを承ったので、芸術的な視点から、ひと言
述べたい。メディアとは文字通り「媒体」。
・・・すなわち「人」と同義語なのである。
前振りはその位にして、少しおしゃべりをする。メディアのご本尊たる私が
語るのである。しばらく黙って聞け。
・・・「オヌヌメ」は「オススメ」だと直ちにこの隠語を理解した。
これから述べたいのは、「ス」と「ヌ」と「マ」のカタカナの表記上の違い、から
生まれる誤解と、それから派生する「大きな事件」の勃発に関する次の話である。
聴きたい人はいるか?
もし、会場が無反応なら、私は寂しく去って、これ以上書くことは無いだろう。
だが、もし「是非、聞きたい。何かしらんが、やっちくれ!」とかの反応があれば
続けるのだが。。。
- 66 :
- おながいします
- 67 :
- ありがとう。お、おながいされたからには続けるぞ。
その事件は、1980年代の後半に勃発した。覚えている人は少ないだろう。
「大衆食堂」というものは、今でもあるのだろうか?
私は、田舎から上京して1年目。渋谷区代田に住んでいた。・・・
夕食は普段その食堂でとる。ふだんは知ってるメニューしか頼まないんだが、
その日は知らない名前の料理に、ふと関心が向いたのである。壁に手書きで張り
付けられた、さまざまな知らない、田舎では食べたことのないメニュー。
タテ書きで、それは、
- 68 :
- 壁に、墨の筆で勢いよく、
ヌ
|
ボ
|
豆
腐
とあった。「マ」が墨の筆で書いてあったので、勢い余って「ヌ」になったんだとオモ。
・・・それと私はそれまで「マーボー豆腐」なるものの存在を知らなかった。
田舎の家庭料理ではついぞ聞いたことも無い、食べたことも無いものだっんだ。
今では全国フツーの食べ物だが、当時は私の食域が狭く、ホントに知らなかったんだ。
- 69 :
- 私は若く好奇心旺盛だったから、食堂のばあちゃんに、大きな声で「ソレ」を発注しました。
大きな、会場の隅々まで響き渡るトーンの声で、
「すんまっしぇんばってんが、「ヌーボー豆腐!」ちゅうのを、もらえまっしぇん
でしょうか!」
・・・ばあちゃんは「こめかみ」に絆創膏を貼っていて、耳が遠いようでした。
食堂全体が静まり返った中、間の悪いことに、ばあちゃんは、「は?」と聞き返し
たんです。
- 70 :
- 聞き返されたら私も男です。負けじと大声で答えます。
「 ヌーボー豆腐! ヌーボー豆腐ちゅうのを、もらえまっしぇんでしょうか!?」
ばあちゃんは、耳が遠いのか、何度も「は?」を繰り返します。
その都度ごとに私は、
「ヌーボー! ヌーボー豆腐!! と会場いっぱいに連呼しました。
・・・もし今なら、銀座なんかの高級レストランだと「ボジョレヌーボー」だと
誤解してくれたかも知れんかったのです。だけど、そこは労働者の多い大衆食堂です。
周りからクスクスと、押しした笑い声が広がっていったように記憶します。
・・・ばあちゃんは、やっと気付いてくれて、
「あんちゃん。そりゃマーボー豆腐だよなぁw ちょっと待っといてね」って。
ばあちゃん、気付くの圧倒的に遅すぎです。orz
- 71 :
-
問題の「ヌーボー豆腐」が私の前に運ばれてきた時には、耳たぶが真っ赤でした。
味も何も分かりませんでしたし、逃げるように食堂を後にした私は、その後1か月は
その店には足を向けられませんでした。
1か月たって、ほとぼりが収まった頃、またぞろ私の好奇心はカマ首をもたげて
きたのです。
・・・続いて勃発した事件は、前回を上回る衝撃を伴ったものでした。。。
その続きを聴きたい人はいますか?
居ても居なくても、その内、語ることになると思います。
その事件は、
「けんちん汁」」事件! なのですが、後日にします。
・・こんな恥ずかしい私でも「建築における「詩」」を語ってもよろしいのでしょうか?
それではお休みなさい。
- 72 :
- 是非、聞きたい。何かしらんが、やっちくれ!
- 73 :
- バカっ話を是非聴きたいという奇特な人も世の中にはいるのか!?
ならば続けるとする。
メディアとは何か? それは繰り返しになるが、究極「人」なのである。
ある一人の人間の背後には、膨大な質量の物語が積層をなして織り重なっている。
これは生後1週間の赤ん坊も同じ。地球誕生以来の莫大な生命史を体現してるんだ。
出会う人は、例え眼がうつろな酔っ払いでも、ホームレスの人でも、あだやおろそかな
対応は許されない。おそるべきは人間なんだ。
その人間たちが交差する「交差点」。それが、こういったスレでもある。
- 74 :
- だから、私のような、どっか狂人ぽいアホウが、夜中に何事かブツブツつぶやいて
いても、諸氏は、
「・・・ああー、世の中広いなぁ、こんな人も居たんだなぁ。。。
出会えて嬉しいなぁ、ありがたいなぁ。神さまありがとう。
・・・なんまんだぶ、なんまんだぶぅ〜〜」と唱えるくらいの余裕を持たなくちゃ
いけない。前フリはそのくらいで、つづける。
- 75 :
- ★ けんちん汁事件の真相 ★
1か月たって、ほとぼりが冷めたた頃、またぞろ私の好奇心はカマ首をもたげて
きたのです。
・・・続いて勃発した事件は、前回を上回る衝撃を伴ったものでした。
その事件については報道されなかったので覚えている人は少ないでしょう。
前回、大衆食堂のメニューが手書きの「墨」で書かれ、それが壁に貼られて
いたのは先に述べた通りです。
今回も同様に「けんちん汁」も墨の筆でタテ書きで貼られていました。
「けんちん」の由来は鎌倉の「建長寺」の「建長」の中国読みから来ています。
そこの渡来僧も含めた僧たちの食事が元になって主に関東以北に広がった
料理です。
ところで皆さん。墨汁の草書体で書かれた「汁」は、どう見えますか?
- 76 :
-
完璧に「サンズイ」はつながっちゃってます。
「汁」は勝手に、私に断りも無く「け」に変化していました。
私は若かったし、モノを知らなかった。タテ書きでどう見てもそれは、
け
ん
ち
ん
け
としか読めない。この前の失敗もありますから何度も確かめました。
この前のようなマが突き抜けて「ヌ」とかにはなってない。
突き抜けや、撥ね出しによる読み違いはない! みんな平仮名だから問題はない!
・・・私は自信をもって、くだんのばあちゃんに発注しました。
- 77 :
-
私は無限の権力を備えた王のように、おごそかに
「けんちんけ をおながいしまつ」
- 78 :
-
例の「こめかみ」に絆創膏を貼っている、少し耳が遠いばあちゃんが、また、
「は?」と聞き返しました。・・・嫌な予感がしました。
私はまた壁のメニューを見て確かめました。・・・間違いありません。
大声で再び発注しました。
・・・以下、前回と同じ流れです。
少し卑猥な語感のある、この料理の名を私は、
けんちんけ! けんちんけ!! と何回、連呼したことでしょう。
問題の「けんちん汁」が私の前に運ばれてきた時には、顔はゆでダコ状態でした。
頭の中はめまぐるしく、次は頭を坊主にしてサングラスをかけ、変装をして
こなくちゃな、とかバカなことを考えていたように思います。
- 79 :
-
そして当時を振り返り、今でもバカなことを考えるクセはそんなに変わらないな、と
思うのです。人間、短い人生でそれほど進化を遂げられるものではない。
私の精神年齢は9歳くらいの時とあまり変わってはおりません。そんな私でも「詩」とか
建築とかを語って良いものでしょうか?
今宵はこれにて失礼します。
- 80 :
- おやすみなさい
- 81 :
- おもしろおかしく語ってくれていますが
言葉の持つ偉大さとか恐ろしさも同時に感じますね。
一文字違うだけ、見た目はほとんど一緒なのに、
意味が違う、もしくは意味が消える
建築もそうですよね。
少し使う材料の取り扱いが違うとか。
建具の位置がちがうとかディテールが違うとかですべてが変わる
そう考えてはいてもどうやったらどうかわるのか、
具体的なことはなにもわからないです、とても難しい問題ですよね。
- 82 :
- なんかこういう場所(2ch)はアニメ「妄想代理人」の少年バットのような存在を感じる。
なにものかわからない、
いいものとわるいものがあるけど、ここはいいものがいると思う。
美しいものが好きな人にはちょっとキッチュな例えかもしれんけど
- 83 :
- >>1934「詩」かもさん あなたは最高に面白い いいネ 楽しませてもらいました。
ところで、メディアご本尊のあなたに少しお聞きしたい。メディアについては様々な
専門家がいろいろな事を、述べている。受け手や送り手の関係、空間的メディア論
デノテーション コノテーション云々・・・
頭のあまり宜しくない私にはvンカンプン・・・ので、疑問点を単純に言うとこうだ。
われわれは、雑誌やインターネットで見た建築を、単に詩的だとかステキだとか思って
いるだけで、実際に行って その建築を見るとガッカリというもなが多い気がする。
つまり人間は、メディアの幻想の中で、詩を語り、建築を夢見る存在なのか・・・
うまく表現できないが、その程度のものかーと感じるのだが どうだろうか?
- 84 :
- 建築の詩人と言われたカルロ・スカルパは?
- 85 :
- >>84
カルロ・スカルパについては詳しくないのですが、私がすぐに連想するのは、
フランク・ロイド・ライトの落水荘です。
http://www.fallingwater.org/
>>83
意図して書いたわけではありませんが、こうしたバカっ話でも深読みして
くださる奇特な人も居るのですねw
・・やはり最終的には「記号論」の世界に足を踏み入れることになりますか。
雑誌やテレビ、ネットをメディアと限定的に捉えるのも結構ですが、「メディア」を
人と人との想像力あるいはコミュニケーションを喚起、形成する「媒体」だと定義すると、
もっと広い対象物がメディアと成りえます。
私が思うに「建築物」そのものがメディアです。
そして、その建築物を扱う雑誌やテレビ、写真、映像は二次的メディアです。
- 86 :
- ついでに言えば、対象物(建築物)を捉え、感じ、その情報を発信する「あなた」
も根源的な、初源の「メディア」に他なりません。
建築物とあなた(双方とも媒体です)の間に想像力の交流が何ら発生しない場合も
ありますし、稀に相互に強烈に侵犯し合う場合もあるでしょう。
正確に言うと媒体論と、言語・表象・記号論は、少々捉えるアングルもアプローチ法も
違うのですがここではザックリと総体的に述べてみたいと思います。
私は旧い世代の人間なので、記号論としては昔、ヴィトゲンシュタインを少し
かじった程度の知識しかありません。
ですので、少々乱暴ですが、勝手に記号論における、「デノテーション」をヴィトゲン
シュタインにおける「シニフィエ」と読み替えています。これは簡単に言えば、言葉の定義、
すなわち言葉が指し示すもの=概念または本質です。
- 87 :
- 一方、「コノテーション」はその言葉から想起される、自由な、個々別の勝手な
イマジネーションの広がりを許す、あるイメージとでも例えられましょうか。
これを私は旧来語のシニフィアンと勝手に読み替えています。暗喩や寓喩、ほのめかし
、隠語としての意味など、ある程度、受け手の自由な解釈が許されるものと言ったら
よいでしょうか。
例えば、「ヌーボー豆腐」なる存在は、辞書には無い。だから現実の世界にも存在しない
のですが、話の流れの中で、それはコノテーションとしては成立する。
・・・人々は勝手に、「マーボー豆腐の隠語」だろうとか、「新種の、今年採れたての
大豆から作った豆腐に違いない」とかの幻想を持つ。
それはどんなに素晴らしい、おいしいものなんだろうか?
つまり、ある意味、誤解するのです。
このように、定義として「意味するもの」と、人々によって多様に「意味されるもの」は、
必ずしも一致しない。それどころか往々にして分裂すらし始めます。
- 88 :
- あなたがたにとって、「マーボー豆腐」は衝撃でも何でもない。
ところが、当時の私にとっての「ヌーボー豆腐」は、衝撃です。まだ見ぬ、定義も実体も
無いものです。言葉だけが、ポン! とあるだけです。
それは一体全体、どんなものだろうか?
・・ああ、早く見たい、食べたい、触りたい、しゃぶり尽くしたい。
それは例えてみれば、性に目覚めた少年にとっての女体のように、電撃的に憧れて
やまない、幻の美しい存在だったのです。
- 89 :
-
それがどうでしょう!? 現実に運ばれてきたソレは、こめかみ絆創膏の、「は?」の
ばあちゃんによって泥だらけに汚され、私は羞恥のドン底に突き落とされたのです。
「汚れちまった悲しみに 今日も小雪の降りかかる」です。
この時間、私はあまりに形而上学的な思考は長続きしません。
なのでここからは少しくだけた話し方になります。
皆さん。よく世間で「一度ドン底に落ちた人間は強い。それ以上は落ちないんだから
あとは上る一方だ、頑張れ!」なんて言い方がされますよね。
・・・あれは思うに嘘です。
- 90 :
-
「ヌーボー豆腐事件」のあと、ドン底に落ちた私は、さらに「けんちんけ事件」に
よって、上るどころかもっと深く沈んでいきました・・・
風雪の歳月を経て、今、私なりの格言に辿り着きました。それは、
「ドン底に落ちたからといって、そこで安心するな。
もっと深い所が、そこから始まる。
さらに深く掘れ!」
です。今宵はこの格言を以てビシッと締め、おいとま致します。
おやすみなさい。
- 91 :
- カルロスカルパ、本で建築写真見ました、
ブリオン家墓地とか良かった、
どうも宗教ぽかったり瞑想の空間みたいなのは、惹かれますね。
なんでかな、
記号論、あんまわからんので勉強しよう
- 92 :
- >>1934「詩」かも殿
メディアとは文字通り「媒体」。 ・・・すなわち「人」と同義語なのである
と言った意味がよく理解できました。感謝であります。
ただ最後の「もっと深い所が、そこから始まる。」が不気味に微笑み、睡眠を
妨げる。何を掘るのか?
dig a asshole?
dig away?
dig into artworks? 解らない。暇があったら教えてクラサイ。
- 93 :
- え?
- 94 :
- はー?
- 95 :
- 立原道造
- 96 :
- あの人の名前わすれた
ネズミちゅー
- 97 :
- >>96
分かります、分かります。あの人ですよね。私も喉のココまで出かかってるのですが、
誰でしたっけ。・・えっとぅ、・・・とにかくあの人ですよね。
・・・分かります。うん、うん。(^^
>>92
>ただ最後の「もっと深い所が、そこから始まる。」が不気味に微笑み、睡眠を
>妨げる。何を掘るのか?
筋のいい質問だが、まだまだ浅い。浅すぎです。
問題は、「何を掘るのか?」ではないのです。
テーマは、「一体、どこまで深いのか?」・・・でなければならない。
よろしいですか? 続けますよ。
- 98 :
- ★「どん底」とは、どのくらいの深さなのか?
★「どん底」より更に深い所とは、どんな所なのか?
★ この不景気や株価の下落は、一体どこで「底を打つ」のか?
詩や美、哲学を扱うこういった高尚なスレでは、上のような形而上学的な設問で
なければなりません。
この地上において、物理的に深い地点といったところで、海ならせいぜい海溝の深さ
でしょうし、地面を掘って掘って堀り進んだところで、地球の中心までの距離に
すぎません。
あなたが、もし深淵を目指して、地面を掘り進んだとします。いいですか?
どんどん掘って、やがて地球の中心の最深部まで到達して、
「やった――! ここがいっちゃん深いトコだー! でもホントかなぁ?
うおおっしゃ、もっと深く、もういっちょ掘ったるからなーー!」
と、更に掘り進んだところで、後はだんだん浅くなるばかりなのです。
・・・そう、地上に出ちゃうのです。
- 99 :
-
この点、最北点を目指して旅する人に似ています。
北へ北へと目指して進んでる人も、歩を止めないで進み続けるならば、ある地点から
先は、自分が南に向かって進んでいることに気付くでしょう。
ではここで、「最果ての地点」というのを想定してみましょう。
どうですか? それはどこですか? ・・・考えてみてください。
・・・もう賢明な諸氏は理解しているでしょう。
そう。自分から最も遠い場所は「自己そのもの」だということを。
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