2012年1月2期戦国時代21: 【戦国最強】越後軍団【なぜこれほど強い】 (51)
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【戦国最強】越後軍団【なぜこれほど強い】
- 1 :10/09/24 〜 最終レス :12/01/22
- 四方敵だらけの中、実働五千〜八千の寡兵で
各地を転戦し領土を拡大。
関東出兵では北条を小田原城に追いつめる。
越後軍団に正面から挑む者無し。
敵はその鋭鋒を避け、空き巣狙いが関の山。
唯一、策を労して立ちはだかった武田信玄は
八千を擁し、満を持して八幡原で待ちかまえるも
越後勢七千に多数の将を討ち取られるという
壊滅的打撃を与えられ、
武田の北上作戦を事実上頓挫させられている。
そして武田を軽く踏み潰した強大な織田軍が
いよいよ七尾救援のために主力軍団を北上させる。
電光石火に七尾を陥れた越後勢は迎え撃つべく南下を開始。
その報を受けた織田勢は即時撤退。
手取川の真偽はいざ知らず
主力を動員して一戦にも及ばず撤退とは・・・
強大な信長さえも戦いを避ける越後軍団。
強すぎる秘密は何なのか?
- 2 :
- ∧ ∧
( ´・ω・) >>1 大儀であった!好きな美姫を取るがよい
( ∪ ∪ ただし、自己責任じゃ!当方何があっても与り知らんぞ!
と__)__)
/ ̄ ̄ヽ ∞/⌒⌒丶∞ / ヾ丶 / ̄ ̄ヽ ∞/⌒⌒丶∞
| ノノ)ノ))) <_Li(("))_> |ノ从从| ( ノノ( ノ))) ( *((")) _)
/ │^ヮ゚ノ| |│‘ヮ゚ノ| ││゚σ゚ノ| 丿|│゚ヮ゚ノ| 丿|| ‘ヮ゚ノ|
おね 茶々 五徳 まつ お市
/⌒⌒丶 / ̄ ̄ヽ /⌒⌒丶, / ヾ丶 /⌒⌒丶
|ノノ †)ノ)| |ノ从从 | | イ从|从) |ノ从从| ヽ从 从 _ノ
丿ノ‘ヮ゚ノ(, || ´ω`ノ|. 丿!#゚Д゚ノ| ││;-;ノ| ( ゚ヮ゚ )アーッ
ガラシャ 新庄局 小松 亀寿 蘭丸
/⌒⌒丶 ∞/⌒⌒丶∞ / ヾ丶 / ヾ丶オ / ̄ ̄ヽ
( ノノ(-)))) <_Liミν ) |ノ从从| ( ノノ)ノ)))タ <_Li(("))_>
ノ│゚Д゚ノ( 丿|│‘ヮ゚ノ| ││ - ノ| 丿│^ヮ゚ノ|ベ 丿|│゚ヮ゚ノ|
巨迹縺@ 江与 瀬名 義姫 帰蝶
- 3 :
- この前コンビニで立ち読みした本には謙信教の宗教武力と化しているから強いとかあったな
まあ関ヶ原会津軍のことだけど
- 4 :
- 確かに一向宗徒のように死に恐れが無いのは強いかも?
独立性の高い越後国人衆をまとめあげるほどの謙信のカリスマ性は
近いものがあったかもしれないな。
- 5 :
- 明日新潟県人会だね。歴代の県人会のメンツを見ると物凄い偉大な人達ばかりだね。
新潟の人は偉人が多い。
- 6 :
- 場数の差でしょう。
- 7 :
- 戦った相手が雑魚ばかりな件
- 8 :
- >>7
誰なら強いんだ?
- 9 :
- 信玄とか蛆安
ボコボコにしたやつと逃げ籠るやつだし
こいつらも雑魚だったな。
あ、信長の事か
でもこいつも逃げてったんだっけ。
結局は一向宗徒じゃないですか。
- 10 :
- 一向宗は最強だろ
- 11 :
- 一向衆はゴキブリ並み
- 12 :
- 強かった割に十数回に渡る遠征が全て失敗に終わってるという謎( ^ω^)
- 13 :
- 戦闘能力と統治能力は、違うから。
- 14 :
- この国の争乱ぶりは城数の異常な多さが示すとおり。
まさに強さこそ全て。
- 15 :
- 思うんだが、謙信の軍団って、まじしない集団だったのでは、
なかろうか?異常な強さもそこから来ているとか。
- 16 :
- そもそも民衆に貞操観念があるかどうか疑わしいし
越後国内で相手を見つけてやればいいじゃん。
平均寿命短いし妻帯年齢も今より低いだろ。
- 17 :
- 要は腕っ節は強いけど頭は弱かったという事かお( ^ω^)…ブッ
まあ、いくらゴリラに腕力があっても人間と戦争しても勝てないものね( ^ω^)
- 18 :
- 同じ戦闘狂の政宗と違ってまともに戦ったら勝てない奴だから余計タチが悪いわな
統治しないで荒らしに来ただけなら来るなと
- 19 :
- >>2
江戸時代には山内上杉&越後長尾すら意識から消えてる
- 20 :
- >>18
謙信の戦は常に筋目に従って戦いをしてたから強いんだよな。
- 21 :
- 言い方悪いが謙信の自己正義信仰も凄いからな。
狂信者として近い細川政元は
- 22 :
- 野戦指揮官が大国戦略家を凌駕してきた
極めて珍しいケース
- 23 :
- 正義を振りかざしていた割には誰にも信用されなくなって孤立していったわけだけど( ^ω^)
- 24 :
- 世間には、悪人が多いからね。
- 25 :
- >>23
正義とはなんぞや?
- 26 :
- しかし、いつ頃から越後勢は強いと評判になったのだろう。
- 27 :
- 為景からだろ
で、謙信が越後を統一して一層強くなったと
- 28 :
- 宇佐美や柿崎も元々敵だからな。
- 29 :
- 山内上杉の危機に能景が相模まで遠征して
早雲が後援していた扇谷上杉を降伏に追い込んだり
為景が山内上杉当主を討ち死にさせたからだろ
- 30 :
- 新田のころから越軍最強だよ
- 31 :
- 気運というか環境だな。
- 32 :
- 実際、強い!って言われるほどの大勝はないよなぁ。
誰か宣伝に長けた人がいたのだろうか。
- 33 :
- だって越後を遠く離れ利根川を渡河しての危険地帯での手堅い用兵が要求されるし
謙信は野戦決戦を望んで各地で放火して北条の顔を潰して挑発してんのに
北条は謙信には絶対勝てねー怖ぇーって鉄砲たくさん持ち込んで堀を深くして塀を高くし籠城を決め込むからな。
- 34 :
- 戦国最強とかいわれる武田も川中島では信玄は逃げまわって
漸く第4次で腹据えて、策練って、倍以上の兵力で決戦して
同数の戦いでは圧倒され、倍以上になってはじめて攻勢に出られるほどの
力の差があったからな。
- 35 :
- んー、それって片方が戦わないって言う戦術をとっただけで、必ずしも強い!
っていう証明にはならんでしょ。
それで大勝したのなら別だけど。
- 36 :
- 第四次も実は戦うつもりがなく
霧の中を行軍中に突然、接触したまま
大規模決戦に事態が拡大したらしいよ。
そんであまりの越軍の強さに後悔するハメになったらしい。
- 37 :
- 実は第4はただの小競り合いで、最大の合戦は第2って話もある
謙信が野心的だったら、かなりの大勢力になっただろうね
それだけの力が越後にはありますからな
- 38 :
- 第4は軍記でのお話って言う解釈もあるしね。
わずか数ヵ月後に上野で両勢力が対峙しているようだし、案外小競り合いだったのかも。
謙信は、野心家じゃなかったから強かったと言う事も言えるかと。
何となく、神秘的なところもがあるよね。
- 39 :
- 第4次は謙信が満を持して最大動員をかけて
何が何でも信玄と決戦に臨み、敢えて死地に布陣。
しかし、いつものように対峙が続き、補給路も遮断されている上に
小規模の山に8000人もが長期間陣取ったため、
全山臭が満ちあふれ、兵は寒さに震え、士気も著しく低下していった。
いよいよ限界とみて、全軍に霧に紛れ攻撃ではなく撤退令が発せられた。
霧の中の行軍に加え、いつ敵に遭遇するか解らないため、
謙信を中心に部隊を車輪のように回転させながら進み
どの位置で接触しても直ぐに戦闘に移れるような偵察捕捉を兼ねた陣形で
後付で世に言う車懸かりとも呼ばれた。
信玄が退路に待ち構えていることを読んでいた謙信は撤退に際し、
敵を切り破らなければ帰国は叶わない、挟み撃ちに合って全滅する
と含んでいたため全軍決死であったという。
モチベーションが全然違ったのね。
- 40 :
- いや、それって軍記のまんまのような・・・。
あんな小山に8000人って言うのが本当だったら、奇抜というより、兵法を
しらないとしか言いようがないんじゃないか?
謙信がそんな事をするかな?
しかもその軍記物書いた人、実際に現地にも行ってないみたいよ。
- 41 :
- 三池と平山と高橋の川中島本くらい読んでおけ
- 42 :
- それ何の軍記 ?
- 43 :
- >>41
ひとりくらいは読んだ事あるかもしれないけど、川中島合戦にはそれほど興味
ある訳でもないし、誰が書いたかはどーでもいいので著者の名前はおぼえてな
いや。
ところで、その本はいつ出たものなの?
歴史って動いてるから、あまり古い物なら参考にならんかも。
>>42
軍記物ってのは、別に軍記に書かれているものではなく、江戸時代に流行った
歴史ドラマみたいなものの事を言うんだよ。
普通に考えて、あんなドラマ仕立ての経緯があると思う?
いくらなんでも両陣営とも規格外すぎるし、それが出来るくらいなら、信長く
らいの事が出来たんじゃないかと思うが、どうか。
今、引っ越し後で本がまだ整理できていないので、作者はわからないけども、
確か甲陽軍艦か引用した100年後くらいの江戸時代の物語作者だったよ。
長々と書いといてなんだが、スレ違いだね。
- 44 :
- 川中島に言及するなら41の三冊は必読だな。
平山優の川中島合戦は関東をかたるうえでも欠かせない。
- 45 :
- 俺も川中島第4次はお互い不意の遭遇戦だと思う。
軍記物だと武田軍が茶臼山から海津城に入ったことになっているが、すでに不審しい。
真実は某歴史家の指摘どおり不意の遭遇戦が自然。
@上杉軍が先に川中島に到着して越後への退き口に荷駄隊(後備えの役目も)を残し、川に沿って茶臼山に本陣を構える。
A武田軍は甲斐から茶臼山方面へ進まず、海津城方面へ出てくる。
B上杉軍は先陣(小軍)を妻女山へ進め武田軍に備える。
C武田軍は持久戦に持ち込み妻女山の上杉軍(小軍)の退却を待ち、ひそかに2ヶ所(茶臼山への戻り道と中側)で待ち伏せする。
D上杉軍は決戦にならないため退却を考えて本軍(大軍)を中側へ進出させ武田軍に備え、妻女山の先陣(小軍)を合流させようとする。
E霧のなか武田軍は軍馬の音を聞き、妻女山の上杉軍(小軍)の撤退と思い鶴翼に開き追撃にそなえる。
F霧が晴れ上杉軍の本軍が鶴翼に延びた武田軍に突っ込んで大乱戦。
G妻女山の上杉軍は小軍のため中側へ向かって手探り的な進軍で川を渡る。
H武田軍のもう1方の軍(妻女山から茶臼山への追撃部隊)は妻女山の上杉軍が中側へ向かったのを知り、中側へ急ぐ。
I上杉軍が優勢ながら武田軍の挟撃が始まり北へ退却、武田追撃。
J上杉軍は北上し川を渡り荷駄隊に合流し武田軍に備える、武田軍は川の手前で追撃を中止。
こんな感じかと(ほぼ、そのまんまでスンマセン)。
- 46 :
- 上杉がゲシュタポ崩壊した
- 47 :
- 謙信公が訓練したため。
- 48 :
- 新潟県民は満月を見ると大猿に変身して戦闘力が10倍になるから
- 49 :
- すくなくとも、永禄4年の9月9日と10日は満月ではないw
- 50 :
- エリート戦闘民族である新潟県民は
人口満月を作ってはじけてまざる事が出来る
- 51 :12/01/22
- つうか妻女山は実は別の山って話だぞ。
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24: 【内助の功】 山内一豊 【功名が辻】 (245)
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