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2012年1月2期歴史ゲーム57: 【信長】PKに入れてもらえなかった武将スレ【天道】 (371) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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【信長】PKに入れてもらえなかった武将スレ【天道】


1 :10/12/16 〜 最終レス :12/01/23
PKに入れてもらえなかった武将について語りましょう

2 :
足利義維、足利義栄、足利高基、足利義明
不憫よのう

3 :
陶 興房(すえ おきふさ)
1475年〜1539年
大内家臣。周防守護代。
大内義興の時代から大内氏に仕え、
各地を転戦しており、尼子氏との戦いでも大きな軍功を挙げた。

4 :
瑞光院寿桂尼(ずいこういん じゅけいに)
????年〜1568年
今川氏親の正室。父は権大納言中御門宣胤。
氏親、氏輝、義元、氏真の四代に渡って今川氏の政務を補佐した。

5 :
木沢長政
松永長頼
楠正虎なんてマイナーな人物だして何故この二人を出さぬ
細川藤賢を出した事は評価してやるが…

6 :
諸角虎定 (????-1561)
武田氏足軽大将。「武田二十四将」には描かれていないが、武田信虎が自慢するほどの
才覚ある武将だったといわれる。川中島の大会戦に参加し、討死した。
※武田信虎の叔父ね
島津勝久 (1503-1573)
島津氏第十四代当主。薩州家・実久が守護職譲渡を強要したため相州家・貴久に家督を譲って隠居。
しかし、再び国政を執ろうとして追放され、諸国を流浪した
※信長誕生の頃は島津家当主のハズ

7 :
武田信勝 (1567-1582)
武田勝頼の子。信玄の後を継ぎ、16才で武田家当主となるべく定められた。
家督を継ぐべき年、織田軍の侵攻を受けて天目山付近で自害、武田家は滅亡する
立花鑑載 (????-1568)
大友家庶流・立花家の第七代当主。1565年・1568年の二度に渡って大友宗家に対し反旗を翻す。
戸次鑑連の攻撃に居城・立花城より落ちる途中で死亡。

8 :
難波田憲重(????-1546)
扇谷上杉氏の家臣。松山城城主
河越城を奪われた主君上杉朝定を松山城に迎え北条氏と戦った。扇谷上杉氏の重臣として活動し、
家勢の挽回に努めたが、1546年の河越夜戦で古井戸に落ちて死亡したと伝えられる。

9 :
池田大作
北条と伊達の末裔を登用し、コーエー創業者を軍門に下す大勝利をした

10 :
下間頼旦(????-1574)
戦国時代の本願寺の武将、僧侶。
1574年、織田信長の伊勢長島攻めが始まったとき、長島にいる一向宗を指導した。信長の弟
信興や氏家卜全を討ち取ったが、織田軍の猛攻に遭って降伏した。しかしこれは信長の謀略
で、頼旦は降伏して城から出たとき、織田軍によって門徒ともども虐されたという。

11 :
さっきから良い仕事してる人がいるなここ

12 :
足利義維 (あしかがよしつな)
【1509年〜1573年】
11代将軍足利義澄の次男。14代将軍足利義栄の父。
三好元長・細川晴元らと共に、
12代将軍足利義晴を擁する細川高国を打ち破り
堺に居ながら京都および山城・摂津を実効支配した。
足利義栄(あしかが よしひで)
【1538年〜1568年】
足利義維の長男。第15代将軍。
三好三人衆や松永久秀らによって第14代将軍候補として擁立された。
主体性が無く、三好三人衆と松永久秀による完全な傀儡将軍であった。
※能力値低そうだな・・・コイツ

13 :
大祝鶴(おおほうり つる)
【1526年〜1543年】
伊予国大山祇神社の大宮司の娘。
大内氏の侵攻で討死した兄に代わり出陣し撃退。
2度目の侵攻も撃退したが、その戦いで恋人を亡くしてしまう。
戦後、兄や恋人を想い、18歳で自したと伝えられている

14 :
女は要らん

15 :
普通に無印にも女が入ってるんで天道買わなければ良い

16 :
女というよりも、大祝鶴は伝説的要素多いからなんとも
着用した鎧が残ってると言われてもエピソードそのものが物語ぽい感じだし
それよりも武将としては違和感あるが慶ァ尼や寿桂尼のほうが面白いかも
婆だけどね!

17 :
と思ったが真田十勇士とか居たな・・・
架空人物嫌いなんで真田でもオフにしてたから忘れてた

18 :
果心居士 「いくらゲームといっても、やっぱキャラはリアルじゃないとな。」

19 :
尼子久幸がいないな・・・・・

20 :
伝承システムがある時点でリアルもクソもないと思うんですが
あんまり歴史詳しくないからさ
PKに出てこない武将の名前をUPしてってくれたら
調べられる分だけ詳細化するよ
今回、南光坊天海って入ってたっけか?
吉岡妙林とかも女武将だが
生没年がわからんのだよな

21 :
尼子久幸 (1464-1541)
尼子家臣。主君・晴久(兄・経久の孫)の安芸侵攻策に反対し「臆病野州」と非難される。
結局尼子軍は大敗、退却軍の殿軍を受け持ち、奮戦したが戦死した。
井上元兼 (1486-1550)
毛利家臣。主君・元就の毛利家相続に尽力した。のちに軍役や普請などの諸役を怠るなどの
横柄な態度をとったため、元就によって井上一族30名がされた。
入田親誠 (1510-1550)
大友家臣。主君・義鑑の嫡男・義鎮の教育係を務めるが義鎮に疎まれ、義鎮の廃嫡を義鑑に進言、
二階崩れの変を引き起こす。変後は逃亡し、肥後でされた。

22 :
龍造寺 家純 (1479-1545)
少弐家臣。家兼の子。父が馬場頼周の策謀によって筑後に退去した際、弟・家門や三男・純家とともに
筑前に赴くが、途中で神代勝利軍に攻められ、敗死した。
※龍造寺隆信の祖父
龍造寺周家 (1504-1545)
少弐家臣。家純の子。祖父・家兼が馬場頼周に騙されて筑後に退去した際、弟・頼純らと謝罪使として
少弐冬尚を訪ねるが、途中で馬場軍に攻められ敗死した。
※龍造寺隆信の父
(1490-1542)
龍造寺家臣。田手畷合戦の際、赤熊の毛を被り鬼面をつけた軍勢を率いて大内軍の側面を突き、
主君・家兼の危難を救った。戦後、家兼から所領を与えられた。
※鍋島清房の父

23 :
種子島 忠時 (1468-1536)
種子島家12代当主。琉球王・尚真の許可を得て、琉球と交易を行う。
1524年には屋久島に楠川城を築き、また島津家と結ぶなど、領内の安定化に努めた。
種子島久時 (1568-1611)
島津家臣。種子島の領主。時堯の次男。兄・時次が早世したため、
主君・義久の加冠で元服し、家督を継いだ。鉄砲隊を率いて各地で活躍し、武名を轟かせた。
島津忠広 (1482-1551)
島津家臣。忠朝の子。右馬頭と称す。飫肥城主。領地を接する伊東義祐の侵攻をたびたび受けるが、
その都度撃退し、日向における島津家の所領を守り抜いた。
島津忠親 (1504-1571)
島津家臣。飫肥城主。父・忠広の隠居により家督を継ぐ。近隣の伊東・肝付家の攻撃をよく防いだが、
のちに猛攻撃を受けて日向都城に逃れ、同地で死去した。

24 :
すげーかいてんな、ちなみに生年はほぼ光栄の大嘘だぞ。

25 :
馬場頼周
武田光和
どちらも大内の3万ともいわれる大軍を撃退した名将
このレベルが入れてもらえない西日本アワレw

26 :
武田光和(たけだ みつかず)
【1503年〜1535年】
武田元繁の嫡男。永正14年に死去した父の後を継ぎ
安芸武田氏当主となった。武勇に優れた人物であり
父同様に親尼子の立場を貫き、大内氏や毛利氏と争った。

27 :
諏訪頼満 (1480-1539)
信濃の戦国大名。諏訪大社の大祝を務める。金刺家を滅ぼして諏訪地方を平定、隣国の武田信虎と戦うなど、
諏訪家の勢力回復に尽力した、諏訪家中興の英主。
諏訪満隣 (1504-1550)
諏訪家臣。頼満の四男。甥・頼重の死後諏訪領で横暴をふるう諏訪家の庶流・高遠頼継を討つため、
武田信玄と結ぶ。頼継の滅亡後、諏訪家は武田家に属した。
諏訪頼重 (1516-1542)
信濃の戦国大名。祖父・頼満の死後、諏訪大社大祝となる。義兄・武田信玄と戦うが敗れ、
幽閉の後に自害させられた。娘は信玄の側室となり、勝頼を産んだ。

28 :
なんか時代的に古目な人物ばっかりだけど天道PKの追加シナリオは古い時代ばっかりなの?

29 :
>>28
1534年のシナリオが追加されたのでその年代の武将120人が追加された
もうひとつの追加シナリオは誰得の姉川の戦い

30 :
真里谷恕鑑(????-1534)
上総の戦国大名。小弓公方足利義明を助けて数々の武功を挙げたが、
のちに義明と対立して家中の混乱を招き、失意のうちに死去した。
荻清誉(1508-1568)
駿河の国人。今川家に従って武田・北条と戦う。
義元の死後も主家に忠誠を尽くし、武田信玄の駿河侵攻軍と戦って討死した。
松井宗信(1515-1560)
今川家臣。遠江二俣城主として、三河方面の戦いで戦功を立てる。
桶狭間の戦いでは本陣の前衛を務め、主君・義元と共に討死した。
斯波義統(1513-1554)
尾張斯波家14代当主。幼少で家督を継ぐが、守護代・織田家に実権を奪われる。
家臣の織田広信と対立して織田信長を頼ったが、これが広信に露見して害された。
織田広信(????-1555)
尾張守護代。主君・斯波義統を傀儡化し、分家の織田信秀・信長父子と激しく争う。
のちに信長に通じようとした義統を害するが、織田信光に攻められて敗死した。

31 :
真田信勝
河原綱家
出浦盛清
真田信倍
成田長親
岡定俊
林崎甚助
北条氏綱
果心居士
出雲阿国
戸次ァ千代
成田甲斐
柳沢元政
本多小松
湯浅隆貞
蠣崎義広
長門広益
南部安信
大浦政信
斯波詮高
稗貫晴家
和賀義勝
及川頼家
氏家隆継
草野直清
須田盛秀
二本松村国
二本松家泰
川原具信
大和田光盛
阿部良輝
佐竹義篤
江戸通泰
愛州宗通
益子勝清
多功長朝
芳賀高経
上杉朝興
大石定久
北条為昌
小笠原長棟
二木重高
清野清秀
楽巌寺雅方
上杉定美
黒川清実
黒田秀忠
畠山義総
小間常光
椎名康胤
山崎吉家
今川氏輝
瀬名氏貞
岡部親綱
伊丹康直
井伊直盛
福島正成
今川良真
松平清康
松平長親

32 :
阿部定吉
長坂信政
本多忠高
大久保忠俊
大久保忠員
佐久間盛重
飯尾定宗
土岐頼芸
内ケ島雅氏
明叔慶浚
浅井亮親
多賀貞能
足利義晴
朽木晴綱
三淵晴員
細川藤賢
武田元光
武田信豊
粟屋光若
赤井時家
酒井豊教
下間頼慶
本泉寺蓮悟
富樫晴貞
十市遠忠
越智家増
柳生家厳
筒井順興
筒井順政
湯川直光
畠山稙長
畠山政国
衣笠範景
有馬重則
浦上政宗
中山信正
黒田重隆
河野晴通
惣那通著
祖母井之重
曾根高昌
秦泉寺泰惟
本山茂辰
本山親茂
一条房家
一条房通
一条房冬
少弐資元
大村純前
朝長純利
甲斐親宣
阿蘇惟長
相良義滋
相良治頼
上村長種
土持親佐
荒武宗幸
蒲生範清
島津実久
雲林院祐基

33 :
岡本良勝
山路正国
拝郷家嘉
富永直勝
楠木正虎
・クリア特典武将
名古屋山三郎
多目元忠
柳生利厳
井伊直虎
愛洲移香斎
太田牛一
杉谷善住坊
伊藤一刀斎
大久保忠教
斎藤福
真田守信

34 :
足利高基 (1483-1535)
古河公方。上杉家と友好関係を保つ父・政氏と対立し、宇都宮家を頼るが、のちに帰国。北条早雲の策謀で再び対立し、
父を小山家のもとに追い家督を継いだ。
※足利晴氏の父
足利義明 (1487-1538)
小弓御所。古河公方・政氏の子。父らと対立し、流浪の末、真里谷武田家の後援で小弓城に入った。
のちに里見家と結んで北条家と国府台で戦うが、敗死した。
※足利高基の弟
喜連川頼純 (1533-1601)
下野喜連川城主。小弓御所・義明の子。父が第一次国府台合戦で戦死したため、各地を流浪。
のちに豊臣秀吉に仕えた。娘・島子は豊臣秀吉の側室となった。
喜連川頼氏 (1580-1630)
下野喜連川城主。頼純の子。兄・国朝は豊臣秀吉の朝鮮派兵の際、肥前名護屋城へ赴く途中に死去。
そのため、兄の正室(足利義氏の娘)を娶り遺領を継いだ。
真里谷信保 (1478-1534)
真里谷武田家5代当主。足利義明(古河公方・政氏の子)を小弓城に迎えて上総に勢力を拡大するが、
のちに義明と対立して怒りを買い、間もなく憤死した。
※上に出ている真里谷恕鑑、唯一登場する真里谷信応の父
真里谷信助 (1480-1549)
真里谷武田家一族。信勝の次男。兄・信保の死後、庶長子・信隆と次子・信応の間で家督を巡る争いが起こったが、
この争いにおいて信応の後見人を務めた。
※信応の叔父
真里谷信隆 (1496-1551)
真里谷武田家一族。信保の庶長子。異母弟・信応と家督を争う。一時は居城・峯上城を落とされて逃亡したが、
北条家の後援で真里谷城に復帰、家督を継いだ。
※信応の兄
真里谷信高 (1542-1595)
真里谷武田家一族。信応の子。豊臣秀吉の小田原征伐において徳川軍に敗れ、那須に逃れた。
この際、財宝をどこかに隠して逃れたという伝説が残っている。
※信応の子

35 :
群雄集結で大名家に所属しているPK追加武将(特典武将・未発見除く)
・蠣崎
蠣崎義広
・南部
南部安信
・津軽
大浦政信
・斯波
斯波詮高
・大崎
稗貫晴家
和賀義勝
及川頼家
氏家隆継
・戸沢
なし
・相馬
なし
・蘆名
なし
・安東
大和田光盛
・最上
阿部良輝
・伊達
なし
・佐竹
佐竹義篤
古河足利
なし
・里見
なし
・宇都宮
益子勝清
多功長朝
芳賀高経
・長野
なし
・太田
なし
・北条
北条氏綱
北条為昌
大石定久
富永直勝
・武田
なし
・真田
真田信勝
真田信倍
河原綱家
本多小松
・村上
清野清秀
楽巌寺雅方
・結城
なし
・上杉
なし

36 :
>>35
・神保
なし
・畠山
畠山義総
・本願寺
本泉寺蓮悟
下間頼慶
・朝倉
山崎吉家
・今川
今川氏輝
瀬名氏貞
岡部親綱
・柴田
山路正国
拝郷家嘉
・徳川
松平長親
松平清康
・織田
佐久間盛重
飯尾定宗
・斎藤
なし
・三木
内ケ島雅氏
・北畠
雲林院祐基
・浅井
浅井亮親
・六角
なし
・足利
足利義晴
三淵晴員
細川藤賢
・一色
なし
・波多野
赤井時家
酒井豊教
・三好
なし
・羽柴
なし
・筒井
筒井順興
筒井順政
十市遠忠
越智家増
・鈴木
湯川直光
・赤松
衣笠範景
有馬重則
・浦上
中山信正

37 :
>>36
・毛利
なし
・宇喜多
なし
・山名
なし
・尼子
なし
・細川
なし
・明智
なし
・河野
河野晴通
惣那通著
・西園寺
祖母井之重
曾根高昌
・長宗我部
秦泉寺泰惟
・一条
一条房家
一条房通
一条房冬
・大内
なし
・大友
なし
・立花
戸次ァ千代
黒田
なし
・龍造寺
なし
・有馬
大村純前
・阿蘇
甲斐親宣
阿蘇惟長
・相良
相良義滋
相良治頼
上村長種
・伊東
荒武宗幸
・島津
なし
・肝付
なし
・未発見
長門広益 草野直清 須田盛秀 二本松村国 二本松家泰 川原具信
江戸通泰 愛州宗通 上杉朝興 小笠原長棟 二木重高 上杉定美
黒川清実 黒田秀忠 小間常光 椎名康胤 伊丹康直 井伊直盛 福島正成
今川良真 阿部定吉 長坂信政 本多忠高 大久保忠俊 大久保忠員
土岐頼芸 明叔慶浚 多賀貞能 朽木晴綱 武田元光 武田信豊 粟屋光若
富樫晴貞 柳生家厳 畠山稙長 畠山政国 浦上政宗 黒田重隆 本山茂辰
本山親茂 少弐資元 朝長純 土持親佐 蒲生範清 島津実久 岡本良勝
楠木正虎 出浦盛清 成田長親 岡定俊 林崎甚助 果心居士 出雲阿国
成田甲斐 柳沢元政 湯浅隆貞

38 :
信長誕生で大名家に所属しているPK追加武将(特典武将・未発見除く)
蠣崎・・蠣崎義広 長門広益
南部・・南部安信 大浦政信
斯波・・斯波詮高
大崎・・稗貫晴家 和賀義勝 及川頼家 氏家隆継
伊達・・なし
相馬・・草野直清
蘆名・・二本松村国 二本松家泰
安東・・大和田光盛
最上・・阿部良輝
佐竹・・佐竹義篤 江戸通泰
里見・・なし
宇都宮・・益子勝清 多功長朝 芳賀高経
山内上杉・・なし
扇谷上杉・・上杉朝興 大石定久
北条・・北条氏綱 北条為昌 富永直勝
武田・・なし
村上・・清野清秀 楽巌寺雅方
小笠原・・小笠原長棟 二木重高
越後上杉・・上杉定美 黒川清実 黒田秀忠
長尾・・なし
神保・・なし
畠山・・畠山義総
朝倉・・なし
今川・・今川氏輝 瀬名氏貞 岡部親綱 井伊直盛 福島正成 今川良真(成人前・選択)
松平・・松平清康 松平長親 阿部定吉 長坂信政 大久保忠俊 大久保忠員
織田・・佐久間盛重 飯尾定宗
土岐・・土岐頼芸
三木・・明叔慶浚 内ケ島雅氏
北畠・・雲林院祐基(成人前)
浅井・・浅井亮親 多賀貞能
六角・・なし
足利・・足利義晴 朽木晴綱 三淵晴員 細川藤賢
一色・・武田元光 武田信豊 粟屋光若
波多野・・赤井時家 酒井豊教
細川・・なし
本願寺・・下間頼慶 本泉寺蓮悟
筒井・・筒井順興 十市遠忠 越智家増 筒井順政(成人前)
鈴木・・湯川直光
赤松・・衣笠範景 有馬重則 黒田重隆
浦上・・浦上政宗 中山信正
毛利・・なし
大内・・なし
山名・・なし
尼子・・なし
河野・・河野晴通 惣那通著
西園寺・・祖母井之重 曾根高昌
本山・・秦泉寺泰惟 本山茂辰(成人前)
一条・・一条房家 一条房通 一条房冬
大友・・なし
少弐・・少弐資元
有馬・・大村純前 朝長純利
阿蘇・・阿蘇惟長 甲斐親宣
相良・・相良義滋 相良治頼
上村長種
伊東・・土持親佐 荒武宗幸
島津・・島津実久
肝付・・なし

39 :
・未発見(未誕生・登場前含む?)
須田盛秀 川原具信 愛州宗通 小間常光 椎名康胤 山崎吉家
伊丹康直 本多忠高 富樫晴貞 柳生家厳 畠山稙長 畠山政国 
本山親茂 蒲生範清 岡本良勝 山路正国 拝郷家嘉 楠木正虎
真田信勝 河原綱家 出浦盛清 真田信倍 成田長親 岡定俊 
林崎甚助 果心居士 出雲阿国 戸次ァ千代 成田甲斐 
柳沢元政 本多小松 湯浅隆貞

40 :
群雄集結で大名家に所属しているPK追加武将(特典武将・未発見除く) 修正
蠣崎・・蠣崎義広
南部・・南部安信
津軽・・大浦政信
斯波・・斯波詮高
大崎・・稗貫晴家 和賀義勝 及川頼家 氏家隆継
戸沢・・なし
相馬・・なし
蘆名・・なし
安東・・大和田光盛
最上・・阿部良輝
伊達・・なし
佐竹・・佐竹義篤
古河足利・・なし
里見・・なし
宇都宮・・益子勝清 多功長朝 芳賀高経
長野・・なし
太田・・なし
北条・・北条氏綱 北条為昌 大石定久 富永直勝
武田・・なし
真田・・真田信勝 真田信倍 河原綱家 本多小松
村上・・清野清秀 楽巌寺雅方
結城・・なし
上杉・・なし
神保・・なし
畠山・・畠山義総
本願寺・・本泉寺蓮悟 下間頼慶
朝倉・・山崎吉家
今川・・今川氏輝 瀬名氏貞 岡部親綱
柴田・・山路正国 拝郷家嘉
徳川・・松平長親 松平清康
織田・・佐久間盛重 飯尾定宗
斎藤・・なし
三木・・内ケ島雅氏
北畠・・雲林院祐基
浅井・・浅井亮親
六角・・なし
足利・・足利義晴 三淵晴員 細川藤賢
一色・・なし
波多野・・赤井時家 酒井豊教
三好・・なし
羽柴・・なし
筒井・・筒井順興 筒井順政 十市遠忠 越智家増
鈴木・・湯川直光
赤松・・衣笠範景 有馬重則
浦上・・中山信正
毛利・・なし
宇喜多・・なし
山名・・なし
尼子・・なし
細川・・なし
明智・・なし
河野・・河野晴通 惣那通著
西園寺・・祖母井之重 曾根高昌
長宗我部・・秦泉寺泰惟
一条・・一条房家 一条房通 一条房冬
大内・・なし
大友・・なし
立花・・戸次ァ千代

41 :
黒田・・なし
龍造寺・・なし
有馬・・大村純前
阿蘇・・甲斐親宣 阿蘇惟長
相良・・相良義滋 相良治頼 上村長種
伊東・・荒武宗幸
島津・・なし
肝付・・なし
未発見
長門広益 草野直清 須田盛秀 二本松村国 二本松家泰 川原具信
江戸通泰 愛州宗通 上杉朝興 小笠原長棟 二木重高 上杉定美
黒川清実 黒田秀忠 小間常光 椎名康胤 伊丹康直 井伊直盛 福島正成
今川良真 阿部定吉 長坂信政 本多忠高 大久保忠俊 大久保忠員
土岐頼芸 明叔慶浚 多賀貞能 朽木晴綱 武田元光 武田信豊 粟屋光若
富樫晴貞 柳生家厳 畠山稙長 畠山政国 浦上政宗 黒田重隆 本山茂辰
本山親茂 少弐資元 朝長純利 土持親佐 蒲生範清 島津実久 岡本良勝
楠木正虎 出浦盛清 成田長親 岡定俊 林崎甚助 果心居士 出雲阿国
成田甲斐 柳沢元政 湯浅隆貞

42 :
大崎始まったな
枯れ木もなんとやらだがw

43 :
稗貫と和賀参戦したのかw

44 :
なぜ足利義栄をいつも出さないのか・・・
14代将軍なのに酷い・・・

45 :
>>31-41
乙としかいいようがない。

46 :
臆病野州こと尼子久幸がおらんではないか・・・

47 :
陶興房もいない

48 :
元から多いところは別に増やさなくてもいいやという感じなのか

49 :
尼子とか大内とかは少ないだろ。

50 :
遊佐長教
冴えない息子は普通にいるのに……

51 :
家久(悪)に対する当てつけで久保は自分で作った。

52 :
1534年のシナリオくらい無印で入れろよ
1507年のシナリオこそPKで追加

53 :
北条綱高と笠原綱信はなんでスルーされたんだろうな。
せっかくブラックとブルーが登場したというのに。

54 :
宇喜多能家 (1469-1534)
浦上家臣。則宗・則助・村宗3代に仕え主家の危難を何度も救い、知勇兼備の勇将と讃えられた。
のち家中の勢力独占をはかった島村盛実に襲われ、自害した。
※直家じーちゃん
宇喜多興家(1497-1536)
浦上家臣。能家の子。父が島村盛実に襲われて自害したあと、
備前福岡の豪商・阿部善定のもとに逃げ込むが、間もなく病死。「愚なる上に臆病」と評された。
※直家とーちゃん
赤松村秀 (1480-1540)
赤松家臣。政則の庶子という。政則の娘婿となった義村が赤松家を継いだため、
塩屋城主・宇野政秀の養子となる。政秀が龍野城を築いたあと、城主となった。
※政秀のとーちゃん

55 :
>>40
>真田信勝
何で入ってるんだろう?
ていうか、いつの時代の信勝?

56 :
太田牛一が出るとは

57 :
足利義栄は天翔にいたかな
昔出した武将とかまた出せばいいのになどうせバランスはこっちで縛ったりしなきゃいけない程度なんだし

58 :
義栄は烈風伝にもいなかったっけか やたら情けない顔してた記憶がある

59 :
細川昭元 (1546-1592)
織田家臣。晴元の嫡男。足利義昭を擁して上洛した織田信長に属す。
義昭の偏諱を受け昭元と名乗り、信長の妹・犬を娶った。信長の蹴鞠の相手などを務めた。
※細川家プレイの貴重な後継者
細川真之 (1538-1582)
持隆の子。父をした三好義賢に擁立され、阿波勝瑞城主となる。
のち長宗我部元親とともに三好長治を討つが、長治の弟・十河存保に居城を追われ自害した。
畠山高政 (1527-1576)
河内守護。政国の子。三好家と和戦を繰り返した。のちに織田信長に降って河内半国を与えられるが、
家臣・遊佐信教との争いに敗北し、紀伊岩室城に逃れた。
畠山昭高 (1545-1573)
河内畠山家当主。高屋城主。政国の子。兄・高政が遊佐信教らに追放されたあと信教らに擁立されて家督を継ぐ。
のちに信教の暗をはかるが、逆にされた。
遊佐 長教 (1491-1551)
畠山家臣。河内守護代を務めた。軍略に優れ、主家の実権を握る。
三好長慶と争うが、娘を長慶に嫁がせて和睦した。のちに反長慶派の刺客により暗された。

60 :
信長の野望天道PKで追加された武将
●東北19人
蠣崎義広 長門広益 南部安信 大浦政信 斯波詮高 稗貫晴家 和賀義勝 及川頼家 氏家隆継 草野直清
須田盛秀 二本松村国 二本松家泰 川原具信 大和田光盛 阿部良輝 岡定俊 林崎甚助 愛洲移香斎
●関東15人
佐竹義篤 江戸通泰 愛州宗通 益子勝清 多功長朝 芳賀高経 上杉朝興 大石定久 北条為昌
富永直勝 成田長親 北条氏綱 成田甲斐 多目元忠 伊藤一刀斎
●甲信越12人
小笠原長棟 二木重高 清野清秀 楽巌寺雅方 上杉定美 黒川清実 黒田秀忠 真田信勝 河原綱家
出浦盛清 真田信倍 真田守信
●北陸07人
畠山義総 小間常光 椎名康胤 山崎吉家 本泉寺蓮悟 富樫晴貞 拝郷家嘉
●東海26人
今川氏輝 瀬名氏貞 岡部親綱 伊丹康直 井伊直盛 福島正成 今川良真 松平清康 松平長親
阿部定吉 長坂信政 本多忠高 大久保忠俊 大久保忠員 佐久間盛重 飯尾定宗 土岐頼芸 内ケ島雅氏
明叔慶浚 雲林院祐基 岡本良勝 本多小松 名古屋山三郎 井伊直虎 大久保忠教 太田牛一
●近畿30人
浅井亮親 多賀貞能 足利義晴 朽木晴綱 三淵晴員 細川藤賢 武田元光 武田信豊 粟屋光若
赤井時家 酒井豊教 下間頼慶 十市遠忠 越智家増 柳生家厳 筒井順興 筒井順政 湯川直光
畠山稙長 畠山政国 衣笠範景 有馬重則 黒田重隆 山路正国 楠木正虎 湯浅隆貞 果心居士
柳沢元政 杉谷善住坊 斎藤福
●中国03人
浦上政宗 中山信正 出雲阿国
●四国10人
河野晴通 惣那通著 祖母井之重 曾根高昌 秦泉寺泰惟 本山茂辰 本山親茂 一条房家 一条房通 一条房冬
●九州14人
少弐資元 大村純前 朝長純利 甲斐親宣 阿蘇惟長 相良義滋 相良治頼 上村長種 土持親佐 荒武宗幸
蒲生範清 島津実久 戸次ァ千代 柳生利厳

61 :
江上家種 (1567-1593)
龍造寺家臣。龍造寺隆信の次男。江上家の家督を継ぐ。「当世無双の大力」と評された勇将で、各地の合戦で活躍した。
朝鮮派兵に従軍するが釜山で死去した。
大村純伊 (1459-1547)
肥前の豪族。有馬家に敗れ、大村の地を追われるが、のちに有馬軍を破って帰還した。
この時の戦勝祝いの踊りが「沖田踊・黒丸踊・寿古踊」の起源という。
松浦興信 (1495-1554)
肥前の豪族。平戸城主。大内家に属し、主君・義興の偏諱を受けた。
松浦家は、嵯峨源氏渡辺家の流れで、渡辺久が肥前松浦郡に住み松浦姓を名乗ったという。
菊池武経 (1480-1537)
阿蘇大宮司。惟憲の長男。菊池家臣らに擁立されて菊池家を継ぐが、
大友家と対立して追放される。阿蘇大宮司職を巡り弟・惟豊と戦うが敗れ、薩摩に逃れた。
上村長国 (1468-1546)
相良氏家臣。「洞然」と号す。相良宗家を相続する事が決った外孫・晴広のために、
相良氏の歴史や、主君としての心構えを説いた「洞然居士状」を記した。
伊東祐安 (1523-1572)
伊東家臣。義祐の義弟という。知勇兼備の将といわれた。
木崎原合戦の際に総大将を務めるが、兵力に劣る島津軍の攪乱戦法や奇襲攻撃の前に敗れ、戦死した。

62 :
お前らが新武将として作成してwikiのロダにうpすればいいんだよ

63 :
GJ!!

64 :
良スレですなー
後半1580以降のシナリオ用もぜひお願いします

65 :
徳川忠長 (1606-1633)
秀忠の三男。3代将軍の座を兄・家光と争うが祖父・家康に阻まれる。
駿河などを領して駿河大納言と称されるも、兄の勘気を蒙り、改易の上自害させられた。
徳川正之 (1611-1672)
秀忠の四男。武田信玄の娘・見性院に養育された。
会津藩主として「会津家訓」を制定、藩政の基調を定める一方、4代将軍・家綱を補佐し幕政にも携わった。
徳川義直 (1600-1650)
家康の九男。徳川御三家の一・尾張藩の藩祖で「剛」と評された。
学問を好んで儒教を奨励、産業振興・税制整備・治水などを行い、幕藩体制の基礎を固めた。
徳川頼宣 (1602-1671)
家康の十男。徳川御三家の一・紀州藩の藩祖で「勇」と評された。
性格は血気盛んで、大坂の陣で後方の陣に置かれたことを涙を流して悔しがったという。
徳川頼房 (1603-1661)
家康の十一男。徳川御三家の一・水戸藩の藩祖で「才」と評された。
幼少より才気溢れ、家康の寵愛を受けた。家康に希望を尋ねられ「天下」と答えたという。
徳川光圀 (1628-1700)
頼房の三男。「黄門漫遊記」の主役として有名であるが、実際には関東から出たことはなかったという。
全国から学者を招き、歴史書「大日本史」を編纂した。

66 :
保科正之は子孫も徳川名乗ってないし徳川にするのは変じゃね

67 :
伊達忠宗 (1599〜1658)
政宗の次男。父の死後家督を継ぎ、仙台藩2代藩主となる。
徳川将軍家との関係を固めるなどして仙台藩の地位を磐石のものとし、「守成の賢君」と評された。
伊達秀宗 (1591〜1658)
政宗の庶長子。秀吉のもとで元服し、一字を賜って秀宗と名乗る。
大坂の陣では徳川方に属し、武功を上げて伊予宇和島十万石を拝領、藩祖となった。
上杉定勝 (1604〜1645)
景勝の嫡男。父の死後、家督を相続、出羽米沢藩三十万石の2代藩主となった。
三女は「忠臣蔵」で有名な吉良上野介に嫁いだ。
北条氏盛 (1577〜1608)
氏規の嫡男。北条宗家滅亡後、豊臣秀吉より下野に四千石を賜る。
父の死後、徳川家康より河内狭山の遺領七千石を安堵され、河内狭山藩初代藩主となった。
斎藤利治 (1541?-1582)
斎藤道三の末子。長龍とも。父から美濃国譲状を託され織田信長に渡した。美濃攻略に功を上げる。
本能寺の変にて織田信長・信忠親子と共に戦死。

68 :
原昌胤(1531-1575)
武田家臣。陣立てに才能を発揮し、信玄の下で陣馬奉行を務めた。
120騎持の侍大将となるが、長篠の合戦にて討死した。
浪岡具永(1487-1541)
浪岡北畠家当主。顕具の子。内政手腕に優れ、上洛して左近衛中将に任じられる。
浪岡家の全盛期を作り出し、諸大名とも友好を保った。
不破光治(????-1580)
斎藤家臣。のち信長に仕え、柴田勝家に従って越前一向一揆平定に活躍する。
佐々成政、前田利家と共に府中三人衆と呼ばれた。
不破直光(155?-1598)
織田家臣。光治の嫡男。本能寺の変後は柴田勝家、のち前田利家に仕えた。
「医学天正記」に、相当な肥満体との記述が残る。

69 :
そういえば、不破が出てないな

70 :
先祖からクレームついて天翔記以来出してもらえないとの噂
でも太閤5は出てたんだよな

71 :
先祖じゃねえ子孫だった

72 :
クレームってなんだ
二階堂みたいな扱い受けたわけでもあるまいに

73 :
ご先祖さまで天下とればいいのに

74 :
>>2
>>12
足利義維・義栄親子を作りたいんだが、
義晴・義輝・義昭と血縁関係(一門)になるようにするには、
どのようにしたらいいんでしょう?
既存武将の血縁番号がわかる方法とかってありますか?
誤爆して
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/gamehis/1284540949/
にも同様の書き込みしてしまいました。スミマセン・・・

75 :
それは改造スレ的話題ですねっ

76 :
もうひとつはPCにするなら劉禅と星彩をくっつけてやらないとかわいそうだし

77 :
市橋もいれて

78 :
塚原卜伝は出たの?
太閤では出るのに・・・。

79 :
塚原卜伝(つかはら ぼくでん)
【1489年〜1571年】
常陸国,鹿島に生まれる。幼名は朝孝。
後に塚原安幹の養子となり、名字が塚原となる。
39度の合戦、19度の真剣勝負に臨みながら一度も負傷しなかったとされる。

80 :
貴重な武将枠をわけわからん姫武将とか講談キャラだすなよな
官位か石高高い順にだせばいいのに

81 :
小野寺惟道 (1480-1546)
小野寺家12代当主。泰道の嫡男。
はじめ上洛して将軍家に仕えたが、父の死により帰国、家督を継いだ。のちに権力闘争に巻き込まれ、家臣らに害された。
小野寺義道 (1566-1645)
小野寺家14代当主。輝道の次男。
豊臣秀吉の小田原征伐に参陣して、所領を安堵される。関ヶ原合戦では徳川家の出陣要請を無視したため、戦後改易された。
小野寺康道 (1572-1641)
小野寺家臣。輝道の子。最上家との合戦で活躍した。
関ヶ原合戦では最上家の大軍と戦い居城・大森城を死守。戦後、兄の義道とともに津和野に配流となった。
大宝寺晴時 (1502-1541)
出羽の豪族。澄氏の子。氏説の子ともいう。
大宝寺家は、祖・武藤氏平が庄内大泉荘の地頭となったことに始まる。大宝寺姓を名乗るのは武藤長盛の時である。
大宝寺義増 (1522-1581)
出羽の豪族。九郎(政氏の子または弟)の子。
庶流の砂越家と合戦を繰り返すが1532年に居城・鶴ヶ岡城を焼かれたため、尾浦城に本拠を移した。
大宝寺義興 (1553-1587)
出羽の豪族。義増の子。兄・義氏の死後家督を継ぐ。
上杉家臣・本庄繁長の次男を養子に迎え、上杉家との関係強化をはかるが、最上義光に攻められ自害した。
大宝寺義勝 (1573-1623)
上杉家臣。本庄繁長の次男。
上杉景勝の後援を受けて大宝寺家の家督を継ぐ。のちに一揆扇動の疑いにより大和に配流されたが、朝鮮派兵に従軍し許された。

82 :
>>81
出てないことに驚き

83 :
小野寺輝道と大宝寺義氏しか居ないとか省略しすぎじゃねーのか

84 :
羽後の不遇ぶりは異常。
南羽前に米沢を追加した煽りかねぇ?

85 :
小野寺や大宝寺がdisられたのは
タイアップで近所に武将が追加された影響もあるのだろうか?

86 :
早死にのマイナー武将追加するぐらいなら
いい加減柴田勝敏や明智光慶とかの大名後継者を入れて欲しいもんだ

87 :
>>86
俺も同感。
昔のシリーズには死亡原因に「戦死」と「病死」があったから、
この場合はもちろん「戦死」ってことにすれば、
長生きすることもあって面白いと思うんだけどね。

88 :
バグだ!
自国の櫓を破壊しやがった!

89 :
>>81
例えば小野寺惟道を作ったとして、既存武将の輝道と血縁関係は結べるの?

90 :
土岐政頼 (1499-1547)
美濃守護。
父・政房の死後、家督を継ぐが、弟・頼芸を擁立する西村勘九郎(斎藤道三)の攻撃を受け敗北、越前に逃れた。
のち美濃に戻るが、間もなく死去。
土岐頼次 (1545-1614)
松永家臣。頼芸の次男。兄・頼栄が父の勘気を蒙ったため嫡子となる。
父とともに国を追われ、松永久秀に仕えた。久秀の死後は豊臣家を経て徳川家に仕えた。
土岐頼元 (1549-1608)
徳川家臣。頼芸の四男。父の追放後は斎藤道三の扶助を受ける。
斎藤家の滅亡後は武田・豊臣家に仕え、関ヶ原合戦の後に徳川家康に属し、所領を安堵された。

91 :
同じ土岐なら、土岐頼春を先に出すべきだろ。
十万石の領土と土岐五千騎という強大な軍事力を築き上げた英雄だ。

92 :
佐野昌綱も居ない

93 :
加藤光泰

94 :
島津征久と島津忠長。

95 :
よく知ってる好きな武将は自分でステータス作ってるけど
あんまり知らない武将はステータス作れないんだけど
作った史実武将の能力値を上げていくってのはどうかな?
自分だけだと思い入れが強くて過大評価になりそうだし
周りと考察して能力値決めたらちょうどいいのができそうじゃね?

96 :
伊達政道とかはどう?

97 :
陶興房を登録するとしたらこんな感じかね
統率86 武勇74 智謀93 政治86 義理71
足軽A 騎馬B 弓B 鉄砲D 兵器A
生年1475年 没年1539年 戦法・槍衾之四 指南法・理論
でも寿命なしか仮想シナリオじゃないとPKS1でも数年しか活躍できないな…
ついでに尼子久幸も
統率71 武勇82 智謀68 政治46 義理92
足軽B 騎馬A 弓C 鉄砲D 兵器C
生年1464年 没年1541年 戦法・突撃之三 指南法・我流
こんなもんでどうだろうか

98 :
甘粕景持 駒井政武 相木昌朝 庵原之政 庵原忠胤 清水吉政
小島五郎左衛門 

99 :
浪岡顕村(具運の子)、浪岡慶好(顕村の子)、川原具信(浪岡具統の弟) は登場するので
浪岡具永 (1467-1562)
浪岡北畠家当主。顕具の子。浪岡北畠家は南北朝後期に北畠顕邦(顕家の曾孫)が入部したのが始まりといわれる。
顕邦の子・顕義のときに浪岡城が築かれた。
浪岡具統 (1493-1555)
浪岡北畠家当主。具永の子。浪岡城を居城とし、浪岡御所と称された。
近隣の大光寺家や大浦家などと協力して津軽地方を統治し、津軽の支配強化に努めた。
浪岡具運 (1524-1562)
浪岡北畠家当主。具統の子。
寺社の修築などに力を注ぐが、そのために財政を逼迫させて内紛を引き起こし、川原御所を継いでいた叔父・川原具信にされた。
浪岡顕範 (1529-1583)
浪岡北畠家臣。具統の子。
謀叛を起こした叔父・川原具信が兄・具運を害した際に、具信を討ったという。この事件以後、浪岡北畠家の勢力は急速に衰えた。

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