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2012年1月2期文学81: 平野啓一郎 part 25【彫心鏤骨の文体】 (376) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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平野啓一郎 part 25【彫心鏤骨の文体】


1 :11/12/08 〜 最終レス :12/01/17
公式サイト
HIRANO_KEIICHIRO_Official_Website
http://www.k-hirano.com/
公式ブログ
http://d.hatena.ne.jp/keiichirohirano/
前スレ
平野啓一郎 part 24【分人主義】
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/book/1321882226/
平野啓一郎 part 23【空白を満たしなさい】
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/book/1318500099/
【かたちだけの愛】平野啓一郎 part 22【発売】
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/book/1284024698/
平野啓一郎 part 21【かたちだけの愛2】
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/book/1262945904/
平野啓一郎 part 20【かたちだけの愛】
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/book/1254465584/
【書き下ろし】平野啓一郎 part 19【新聞連載】
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/book/1241693648/
【未来】平野啓一郎 part 18【が舞台】
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/book/1224497895/

2 :
樹液が蒸発し果ててその音が聞こえなくなり、煙が紛紜と溢れ出した。
烟影は先程とは殊なる濁った黒い色をしている。細風の戦吹く度に、薪の山が幽かに紅潮する。
焔は知らぬ間に、内部で肥っていた。恰も一個の飯櫃な生き物であるかの如く。
火は時折素早く触手を伸ばしてみては、外に積まれた薪を?み、己が腹中に収めむとする。
しかし、その多くは成功しない。徒に幾条かの不吉な跡を残すのみである。
すると、突然癇癪を起こしたように、二三の小さな薪を好き飛ばしたりする。
焔は俄かに勢い附いていった。間歇的に鳴っていた薪の破裂する音は、次第に絶え間なく、降り
始めの驟雨が地を撲つように、続け様に響き出した。木片が、幾つも周囲に零れている。
−日蝕p174-175

3 :
石筍は、真直上方に伸び四半分程を剰して一度括れた後に、一層大きく膨み、
その儘緩やかに先端を結んでいる。対を成す鍾石も殆ど同じ形である。
丈は各が人の三倍もあろうか。二つの滴石は、将に触れ合い、溶け合わむと
する刹那の所で、纔かに指二本分程の隔たりを保っている。
間隙は存在の予感に閃き、爛熟し、存在以上の充実した緊張を孕んでいる。
                                      −日蝕p128
対立は、その面貌にも見えている。閉ざされた瞼は、苦痛の故とも、眠りの故とも
判ずるを得ない。眉間に仄めく数条の皺は、愁いと快楽とを両つながらに予感させ、
その謎を、際立った鼻準の直線の裡にあずけ、永遠に隠してしまう。
瞼際は締まり、顎の曲線は熟し遣らぬ果実のように滞らない。
それらを覆い侵さむとする髪は、叢がる爬虫類の如、又、甕より零れる清水の
ようでもある。
-日蝕p132

4 :
<これは一体何なのだろう?子供染みた疑念が、意識の腋をくすぐっているような
奇妙な感覚だった。金属線を巻きつけられて目一杯引っ張られた羊の腸が、
指で弾かれたり、馬の尻から伸びた毛で摩擦されたりして、世にも美しく鳴り響いている。
そして、それに合わせて繰り返されるのは、「聖なるかな、聖なるかな、……」という言葉!
少年の若い声帯が、大人の男にはもう決して届かない高みの音を、
失われた無垢そのもののように響かせてみせる。------死を嘆き、悲しむというのは、
人間特有の崇高な感情なのだという。しかし、その感情は、こんな馬鹿な道化じみた遊びで
、慰められるように出来ているのだろうか?こんな、ちんどん屋に毛の生えたようなのに、
涙ながらに聞き入って、心静かに死んだ人間のことを思うのが、美しい人間というわけか!
清らかだ!……ああ、いかにも浄らか!……>(決壊 下巻 p. 377)

5 :
地獄という観念を創造した人間たちも、酷いことをしたと、後悔の念に苛まれるよ。・・・・・・
篠原も、鳥取の少年も、悪では決してない。ただ、健康でなかったというだけだよ。犯罪が凶悪
であればあるほど、実際に、病気だという説明は、人を納得させるんじゃない?
・・・・・・どうして、そんな人間の罪を責められる?『罪と罰』なんてうっかり口にしよう
ものなら、とんでもない反動主義者だと思われかねない。 『罪と治療』いや『病と治療』と
言い換えるべきだね。――人間は、寿命に対して、突然死を対置する。事故や病気をね。
それは、無念だけれど、仕方がないと始末がつけられる。終わらせることが出来るんだよ。
ガンや脳卒中がそうやって受け容れられるのは、それが自己の内部に起こって、
自己に対して攻撃してくるものだからだろう。しかしね、病の不可抗力という考えを徹底する
なら、それが他の個体に於いて発生して、他者に向けて攻撃をしてくることだって、
同じだと理解されるべきじゃないかい?――すると、どうなるか?個性だとか、他者性だとか
を飽くまで実体的に、断固として、どこまでも擁護するなら、際限なくだらしない現状肯定に
陥るしかない。しかし、そうはならないだろうね。人間はますます、他者の病が我慢できなく
なる。そんなもののためにされたんじゃ堪らない。だとすれば、懲役なんて、幾ら
やったって無意味だよ。唯一可能なのは、医療行為だけだろう。悪という名の健康の欠如を、
ピンポイントで攻撃して、個体の内部に偉大なる民主主義を実現する!何に向けてか?
幸福だよ、それこそが。――そうして社会はまた、どうしよう近代主義に逆戻りだよ。・・・・・・」
ーー「決壊」下巻より

6 :
あなたと同じ両親、あなたと同じ土地、あなたと同じ容貌、あなたと同じ性格。――知能、体力、
境遇、すべて同じならば、当然にその人間が人を犯さなければならない。いや、
違う!と反論する人間がいるね。しかし、その人間の遺伝的特徴と環境とを、あなたが
与えられていたならば、あなたが、違う!と叫び、交換に、あなたとして生まれてきた
その人間は、やはり否応なく人を犯すのだよ!――いいかね?人間とは、単なる
データの束だ。そして、その束のあり様が、たまたまあなたの場合、人者であるために
最適だった!世界は、直接には感じ取れないような、ありとあらゆる微細な作用を、
多年に亘って、偏執狂的に根気強くあなたに及ぼし続けて――そう、遺伝のための
気の遠くなるような時間と、固体の成育のための、あなたのせいぜい十数年!――、
ようやく植えつけられた一個の意を、今、活性化することに成功しつつある。
あなたの固有名詞をラベルとして貼ってね。」
「人間は、それを運命と呼び慣わしている。しかし、それもまた、欺瞞の一形式に過ぎない
がね。」

7 :
――ナザレにイエスは、死ぬ直前にそれに気がついて慌てふためいたのだよ。しまった!
とね。あの処刑は、つまり、運命というものの支配の完成だよ。イエスは、両手と両脚とを
三本の釘で打ちつけられた。三本!クロト、ラケシス、アトロポス!モイライは――
運命の三女神は、高が大工の倅が神の子になることを断じて許さなかった!
だからこそ、ナザレのイエスは、釘と、金槌とで、材木に打ちつけられて死んだのだ!
――いいか?どんな人間も、運命に釘打たれている。絶対に、それからは逃れられない。
しかも、その釘を打っているのは、この世界そのものなのだ!」

8 :
乙です

9 :
488:v(・x・)vピース ◆JSPf4VvHXo :sage:2011/12/08(木) 21:32:01.51
でも潤滑油がケツの穴から出る事はないじゃん。ローション使うの?

10 :
つづき。
Japanクールって、冗談でもあります。これ、イギリスのクールブリタニアを政府が遅れてまねたんですよ。
大した物ではないです。そもそもコアなファン、いわゆるギークとオタクをかけてるある種のしゃれですから。
洒落といえば江戸っ子、あらよってわけです。たいした意味はないのです。
 日本は、というか、日本で生まれてきた文化の総体は、いまのところなるほど、結構独特です。
しかし、それはジャネットさんがおっしゃられるとおり、よくない意味でガラパってるんですね。そうとう前から。
 平野さんにあえて絡めると、平野さんも完全にガラパでしょ。どうみてもガラパ的な驕りでしかない。オキシデンタリズムも中途半端で、
僕らが『ラストサムライ』に苦笑いするくらいの影響力しかもってないでしょう。どこへもっていっても、おそらくまちがいなくね。
その点、きちんと評価なさってるとおもいますよ、ジャネットさんは。僕もそう思います。
FFは、ドラクエやゼルダもですが、僕らの世代はごく熱狂的にそれを糧にして生きてきたので、いわゆるビートニクジェネレーションくらいの何事かなんです。
日本の文化とみれば、アメリカでヒッピー文化からロックンロールくらいの強さをもって迫ってきたものだったんです。徹夜なんかザラみたいな。
会社? 休むだろ、休日! ああ神よ、みたいなものでした。それはそれはすごかった。実際、創生期のファミコン・スーファミ時代は半端ではなくエキサイティングな発展だったんですよ。

11 :
http://www.space-invaders.com/
↑これはフランスのパリでおもに活動してるグラフィティアーティストのページですが、
スペースインベーダーってのがはやったんですが、それに影響されていろんな都市にある意味で洒落してるひとです。
 それらのcomputer ageがいま、第一世代として社会化されていっています。
うまれてすぐにファミリーコンピューターとあそんできた世代。
そういう社会は、いままでとは何かがちがっていくでしょう。のぞむかのぞまないかにかかわらず。
 ただ、ガラパとはいってもそのなかには、奇形をこえてるものもいくつかあるんです。
それを見極めるってのは、あまり困難ではないです。欧米日ほかの社会をすべてみくらべて、日本がすすんでるところを見分ければいいだけです。
いまはスマートフォンってかたちで広がりましたが、その個人向け小型communication専用コンピューター発祥は、高校生の女子が遊んでたポケットベルってものだったと思います。
みんな持ってました。僕も一時つかったことありました。それは大人のものではなく、おもちゃでした。なかばバカにされていた、わけです。
 しかし、高度な規則でわれわれはつかいこなしていった。暗号機で授業中にやりとりしてました。ピッチというのを経由して、いまみんながもってるケータイになりました。
その後、アンドロイドというOSでグーグルがまねして入ってきて、みくだしつつ静観きめこんでたビルもあわや黙ってはいられなくなってウィンドウズフォンをつくったくらいでした。

12 :
たとえば、『雨あがる』とか『大奥』ってのは映画ですが、本格的なオリエンタリズムです。
これをぜんぜん奇形化すると『ラストサムライ』や『ミュータント・ニンジャ・タートルズ』みたいな笑えるものになります。
 けど、そういう文化交通はかなり有意義でもあるでしょう。どっちにとってさえ。混ざり合うことはないでしょう、
日米にかぎれば、日本も米国も愚民が多い。日本の愚民は一層ひどいが、なかにはかなりの風変わりな器用さをもった連中がいる。ただし道徳的に狂ってる。
で、米国は野生だが元気がよく、父性主義的世界観を好んで語ってその傲慢ぶりがかなり世界的にみると嫌われているが、なおかつ冒険心や開拓心がある。こちらもポルノ好きで有名。
このくみあわせだけではないですが、文化が違うほうがいいでしょう。だから僕は大奥の世界と雨あがるの世界は分けて欲しいとねがっています。
関西は大奥界です。関東はそうではないか、そうでない方に向かう力がつよいんです。平家物語や鎌倉幕府は、いわゆるマリーアントワネット的宮廷批判だったからです。

13 :
ある意味では、哲学の違いだと思うんです。
『ドラえもん』の10巻だったと思います。こういうシーンがありました。
のび太と仲良くしてきたドラえもんがついに帰ってしまう日がきました。
ドラえもんはのび太を心配して、未来からお守りにやってきた猫型ロボットです。
のび太はダメ人間でした。何をやってもうまくいかない。ドラえもんに助けてもらっても、
道具を悪用するやら悪戯に使うやらなんだかどうでもいいようなやからです。
静香ちゃんを未来の道具で覗いたりとか、ばいいやつです。そういうときに、もう帰るとドラえもんが言った。
 いままでジャイアンという乱暴ものに徹底的にいじめられていたのび太でしたが、ドラえもんが帰ったらもう誰も助けにはきません。
そこでのび太は、ドラえもんと約束します。僕はもうドラえもんには心配をかけない。一人でもなんとかやっていくんだ。だから心配しないで帰ってよ、ドラえもんと。
 その日の夜、ジャイアンと決闘があります。のび太はいつもの様にボコボコに殴られてあっという間にK.O,されます。メガネもぼろぼろ、誰も助けにきません。

14 :
そのとき、のび太はたちあがります。もう勝利をかちほこって、興奮した表情で帰ろうとするジャイアンに必死にすがりつきます。
僕が負けたらドラえもんが心配したままで、安心して帰れないんだ、とのび太は言います。ジャイアンは知ったことではありません。またボコボコにします。
それを何度もなんどもくりかえし、ついにのび太は気絶します。それでものび太はきがつくと、ジャイアンにすがりつき、なんとか勝負をきめようとします。
 ついに、ジャイアンはいやになって勝負を放棄します。のび太は勝ったとはいえませんが、少なくとも負けなかった。ジャイアンは勝負を放棄して逃げ帰ります。
 家に帰るとドラえもんがいた部屋にはなにもありません。いつか、のび太はドラえもんの膝で泣きはらしていた、昔の自分を目にうかべます。
のび太は、ドラえもんが安心して帰ったんだと想い、そのドラえもんがでてきた四次元の机でしずかに眠りにつきます。
次の日には学校があり、のび太にはまだ成長した自分がいるのですから。
 大体がこういう内容です。細部は違うとおもいますが、おおよそのドラマツルギーはそういうものでした。
負けるが勝ちの哲学というのはそういうことです。誰ものび太を責めないでしょう。

15 :

文化的にも、こういう「風変わりな立場」、ある「負けの哲学」みたいなものが日本にはかなり前からあります。
そんなものは、おそらく仏教の一部の感覚以外にはないでしょうし、淘汰されてきえさるものかもしれないのです。
ガンジーはすこしこういう立場、優しさを強さよりも貴ぶ価値観をもっていた思想家だったでしょうけど、ほかはまず見当たらないきがします。
特に、欧米、少なくともアングロサクソンの哲学とはまったく正反対だとまちがいなくおもうのですね。ハムレット王子の自くらいの変化球はありますが、ただの悲劇です。
 しかし、日本人は上に書いたみたいなドラマツルギーに心底動かされるなにかがあるみたいです。日本人といおうか、自然の驚異が非常につよい地域の在来種といおうか。

16 :
要するに、欧米又はアメリカ人から卑屈に見えるものは、そうと見えてそうではない、ということです。
ジャイアンに憧れる日本在来の人はそうそういないと思います。出来杉君というエリートキャラについては大抵の人がそう思うはずですが。

17 :
ー乙

18 :
>>17こういう、最初から負けてる、どうでもいいようなキャラクターがとっても多いわけです。
自然の驚異が非常につよい日本の環境では、もののあわれとか諸行無常とかいろんな言葉はあるが、
絶対的脅威に対して勝利を占めるより、それとうまく付き合いながら何とかやっていく方が得策だ、という思想になる。
 これを和辻哲郎という哲学者は「monsoon的性格(季節風的性格)」といいました。感情のうつくしさ、感情の繊細さと一致する点がとても多いのは、
たとえばいつも自然がおとなしくいつでも人間理性に服するところで栄える、一定量を器用に測る法則を追い求める知性を特徴とした「牧場的性格」や、
あるいはいつも渇ききっていて人間に絶対服従を命じ鋭い利害打算感覚や野獣的突進をよびさまそうとする「砂漠的性格」とは風土が違うから、という分析でした。
 その意味では、欧米というのはどこまでも牧場的な性格なんでしょう。知性を重んずる。自然への勝利者で当然と思っていて、自然の変化や驚異にそれほど感受性を動かされない。
多くの日本の愚民たちは、それにもかかわらずやはり感受性だけは非常につよい。それがアジア一帯にある独特の特徴だとも思います。よかれあしかれ、ですが。

19 :
勝とうという気がない、ってのは、アメリカへの移民や欧州の住民からすると「なんだそりゃ」ってなわけです。
そもそも勝とうという気がないのに、なんであんなに世界史の舞台に踊り出てきたんだ。これが当然の感想ですよね。
 僕が欧州にはじめから住んでいたらかならずそう感じます。バカなんじゃないのか、やっぱりオリエント、アジアじゃないかと。
 しかし、日本の環境にしばらく暮らすと、これはたしかに適応的らしいともすこしおもうはずです。
台風・地震・津波やら雷・火事・戦やら政権交代やら黒船やら春夏秋冬ほんとうに気が休まるひまがない。放射能まで加わってもうどう仕様もないほど忙しい。
変化が以上に激しい環境にいると、どうしても抵抗力、徹底した自然征服者・絶対勝利者への意欲というのは削がれていきます。
かわりに、いつもにこにこしていて、愛想がよく、なんだか優しげだけれどいざとなったらなんでもする、という情緒的な、よかれあしかれ日本的な性格ができあがっていくみたいです。

20 :
いまの皇室、天皇がいますが、彼がまさにそういう典型ではないかと思います。
にこにこしている。腰が低く、あるいは卑屈ですらある。当人は平気だが。なぜか異常に優しそうにふるまっている。弱そうでもある。
しかし、危機が来れば特攻隊もやれば切腹もやる。いざとなれば原発に決死で飛び込む。そういう人たちです。
 そういう人たちを、マッカーサーは軽く評価して「奴隷民族」といいました。それも一理あるでしょう。実際に、皇室の藩屏でしかなかったわけです。
ただ、そういう人たちが地球から一匹残らず消えろとか、そもそも全員が全員息をするなとか、野蛮な部分しかないじゃないかともいいきれない。そこが難しい。
感情のこまやかさ、という特徴は、おそらく人類史の中でなにごとかの貢献はできるとおもっています。それは欧米からみればとるにたらないものかもしれないが。

21 :
ゆうは単なる負けず嫌いだろ
絶対負けを認めたくないっていう
それは自我が強いんじゃないんだ弱いんだ

22 :
和辻の話が出たので、すこし触れる。
和辻の「風土」に関する思想というのは、中沢真一や、(たしか)中村雄二郎も持ち上げたことがあって、
むかし少々は流行したことがあった。また、ジャン・リュック・ナンシーなども、日本に来たとき、情報を仕入れて、
たいへんに優れている、みたいなことを言ったと記憶している(この件は、もしかすると、ほかの西田派の誰かと間違っているかもしれないので断言はできない)。
そういう意味では、やはりポストモダニズム、とくに日本型ポモ=江戸的プレモダニズムに親和的な思想でしょう。
私としては、別段と後期の柄谷の影響ではないが、基本的には、やはりもう一回モダニズムをちゃんとやったほうがよい、
という考え方なので、あまり賛同しません。また、和辻のは、けっきょく弁証法的思想の変種でもあるので、気分的にも好きではない。
話は変わって、日本人というのは、歴史的には、自分たちが思っているほど「温和」な民族ではないでしょう。
たとえば、歴史上のスターを引き合いに出すと
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、の三人で、まず五十万人(朝鮮人含む)以上の人をさせておりますよ。人口比でこのくらいの割合をした為政者というのは、
世界史上、そうなんにんもいません。平安時代なども平穏だったように思われていますが、地方での私闘はかなりすごいのであって、
公儀が平和ボケしていたというだけの話ですね。
温和になったのは、せいぜい江戸中期ごろからで、いわゆる太平ボケというやつでしょう。
ですから、負けの美学、みたいなものが、深くなじんでいる気も、案外しないのですよ。
馴染んでいるものがあるとすれば、むしろ、散りの美学、「花と散る」というやつですね、
何じゃないかと思いますね。
これは、無思慮無反省が招いた悪い結末を、「こころならずもこうなった」式に自らを納得させてたがって、
あるいは、ついにプッツンしたときにやってしまったような無謀を美化したがっているだけのような感じがして、ひじょうに嫌ですね。

23 :
ついでにいうと、先駆けて花と散る、というやつ、
たとえば、三島由紀夫の辞世
散るを厭ふ世にも人にも先駆けて
散るこそ花と吹く小夜嵐
みたいなのは、先駆けて、と、咲きがけて、で掛詞なんですよ。
こういうものが慣用句になるというのは、もちろんエクリチュールの作用ですね。
三島はたぶん無自覚に遣っていたでしょう。

24 :
ゆうさんの云う「負けの美学」というのは、
「江戸時代まであった仏教的諦観と現世主義の微妙な結合」(三島)
というのに近いような気がします。
こういう「洗練」されたものは、支配層とせいぜい上層の百姓・町人にあっただけで、
ほとんどの人は、たんに「卑俗」な現世主義オンリーだったと思いますよ。
いまどきの俗物文化状況は、やはり「卑俗」なほうに属するでしょう。

25 :
〈自然の驚異が非常につよい日本の環境では、もののあわれとか諸行無常とかいろんな言葉はあるが、
絶対的脅威に対して勝利を占めるより、それとうまく付き合いながら何とかやっていく方が得策だ、という思想になる。 〉
上のような考え方も一部の人の「美意識」としてあったものであって、
たとえば、著名な農政家などは全く正反対に、人間の自然環境を改変する能力というものを、当時の西欧人以上に信頼しておりましたし、
江戸幕府や大藩も、名君といわれている人の時代ほど、そういう考え方を支持しましたよ。
たとえば、東京を見ればわかるように、当時としては世界最大級の湿地・湾岸の埋め立てを行っていますでしょう。

26 :
しょせんコネ野郎

27 :
しょコネん

28 :
ジャネットさんはとても話せる方なんで、このスレッドは熱くなるでしょう。
自分方はその種の話し合いは無限にできます。その根気もある。
 ところで、以下加熱していくわけですが、温暖化前につぎの二つをジャネットさんに贈ります。
http://www.youtube.com/watch?v=7G--oSJDOr0
http://www.youtube.com/watch?v=nUE6RSEKxeg
前者は、いわゆる「バカにされている」ゲーム音楽なわけですね。我々はそういわれても痛くも痒くもないわけですけども。
 この二つをきちんと聴けば、つぎのことがわかるはずです。
第一に、日本の在来種は温和どころか野獣的な側面があります。それは騎馬民族からきたある勇猛な意思です。
ぼくは、前者の音楽にたましいを揺さぶられるし、それは記憶の中の何かを打ちます。文学でいうと、戦記物、とくに平家の世界です。
前者の音楽は、『平家物語のテーマ』と名づけてもそれほど大きな違和感がないきがします。その種の勇敢さを表現させているとおもわれます。
 また後者は、同様に『源氏物語のテーマ』としても、まあこっちは反対者がいるかもしれないし専門でもないが、それなりに通る。
 感情の発達はその二種の系統をもってきたとおもいます。東国と西国ではいまでも、雰囲気にちがいがあり、そこで暮らす人の情緒や意思もかなり違う。
狭い島国ですが、武家が土着した地と公家が土着した地ではそうとう違う淘汰がはたらいてきたきがしています。そして男らしさという面ではおそらく総合的に東国が勝ってきました。
東京都はこうしてできあがった適所でした。薩長の例外はありましたが、総じて近畿圏、平城と平安の京は公家の適所でしたし、これからもそうでしょう。

29 :
>>25ある、諦めの境地というのはすべて、在来の日本の農民はもっているとおもいます。
地震で死んだり、毎年たえがたい梅雨がきたりします。どちらもどう仕様もない自然災害です。
そのとき、憤怒したり後悔したり懺悔したりする人はとても少ない。
辛うじて慌てるとか、仲間にかけ声をするとか、最高度でも上告するとかです。
そうでない人はおそらく、在来の五人組などで規制されてきた、厳しい状況の農民の中からは消えていきました。
 それが、のぞむべくもなく、韓国と同様に、高度成長とよばれたものを下支えした人たちであり、
またこの間の震災に世界に若干報道されてめずらしがられた人たちです。この人たちはたしかに大勢います。武士も公卿も少数派でした。
ホワイトカラーに転じたのはすべてこういう人たちだったのですから、どんな危機があろうと、ある諦観の中で辛抱づよく努力しつづける形質が多数でしょう。
 実際に、梅雨というもの一つとっても、特に東京では死ぬほどたえがたいものです。その不快感は「亜細亜」的です。そこに何万年もくらしていたのですから、
諦めの様な本性が刻まれないというのはうそになります。それは美意識でもなんでもなく、うつくしいものや価値観ですらなく、適応でしょう。則天去私。そういうことです。

30 :
悠紀殿と主基殿みたいだな。
さらに(男性的な)悠紀殿の夫=三島由紀夫って面白い考え方もできる。
オトコの娘ならぬオトコの夫w

31 :
技術というものを完璧に信頼しきっている、日本の哲学者というのはしりません。思想と言おうか。
技術は道だったとおもいます。だから日本では凄まじく改良がおこなわれるが、圧倒的発明は少ない。道だからでしょう。
 魂が先にあり、利便が後に来る。そういうもの、職人魂がどこかにのこっているのでしょう。
 さもなければ、ガラパゴスという電子機器とか、ソニーのリーダーができてくることはないきがします。MDも生き残ったでしょう。
何でそんなに不便なことをしているんだ、という経験が日本ではときどき起こると思います。道の思想のせいでしょう。なんで正座して茶を呑んでいたのでしょうか。
だからこそ、改良というものが徹底しておこなわれていく。また、外来の文物からもっともめずらしいものをすぐ請合う。狭い日本だと形質がかぎられて、
どうしてもそこから発明されていく突然変異のはばも狭く、量も数もすくなくなっていくからです。少数の例外、平賀源内みたいなひともそこで生きていたが、
同時に習慣として外来物からの摂取がさかんな国柄なので、国内で開発されたそれらは見下されていた。かれの悲劇はそこにあるでしょう。
当時の船にのって、外にでればいろいろ見れたものもちがったでしょう。技術者としてはまちがいなく一流の才能をもっていた様です。
洋画もまったく実例をみたことがないにしては器用ですし。http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/gennai3.jpg

32 :
ゆうちゃんもはちゃんとトイレでしようね。

33 :
潔さ、という言葉があります。いさぎよさ。新渡戸によって定式化されたわけですが、
これが武士の本質的な価値観の一つとしてかなり重要な位置にあったとおもわれます。
いまでも、「お前はいさぎよくない」といわれれば大抵の日本の人は侮辱に感じるでしょう。
命をいさぎよく捨てる。これが戦士階級の最高の美徳だったわけです。

34 :
ゆうちゃんのって現状は潔いのかな?

35 :
江戸時代以前には、捨助とか捨五郎って名前がありました。普通にあった。
それらはやはり上の美徳らしきものが生み出したものでしょう。
よく、自が罪な社会ではただの自暴自棄だとかくだらない下衆の野蛮な無感動だといいます。
そうではないきがします。渋谷の駅前にはハチ公の銅像があります。それは忠節を誓って、
主人の死後も帰りを待ち続けて駅前まで毎朝参禅した侍の様な犬、いわゆるアキタ犬なのですが、
彼が捨てているとおぼわしき自分の命は、かえって救われるのです。ここに共鳴するところがあるので、
新渡戸はクリスチャンながらあの書物を著して、真意を米英社会へ向けて語ったのでした。
中世の騎士道時代にも、戦士階級には、重装歩兵らの中にはあった様です。
ジャンヌダルクなんかまさにこれを「とりもどした」がゆえに英雄、女史としてまつりあげられている。
 ある戦乱の時期にはなんらかのかたちで称賛されるものなんでしょう。

36 :
も潔く捨ててください!

37 :
家康のことを語るとき、人はその勇者や強者としての資質ではなく、
まさに「負けの美学」なるものについて夢中になります。
われわれはその子孫なわけで、誠にそこにこそ生きがいをみいだしている。
アメリカでベンジャミンフランクリンを人々が語るときの目の輝きを、われわれは家康公についてかなりの程度もっているはずです。
 もしまったく完全にこれがないとすれば、250年間の長きにわたる平和が彼の名のもとに、島国に訪れることはなかったでしょう。
天皇家は完全に腐敗しきって近親相姦ドラマをかきつけていました。そのとき、地方で起こる貧困や侵略にも事実上なにもしませんでした。

38 :
>>36
こういうわ。あなたたち関西人は、多妻制度に馴染みすぎで来た。
公家の社会では繰り返しの婚姻がその財産の弱体化を及ぼす危険はほとんどなかった。
よく世界の貴族とやらにはあることだ。あんたはそこに馴染みすぎなんだわ。綿矢さん。

39 :
その社会でできあがったのがこれなんだよ。
http://livedoor.blogimg.jp/sbsk/imgs/7/f/7fe46861.jpg
http://pds.exblog.jp/pds/1/201110/05/78/c0184178_2353142.jpg
これでいいならこれでいいけどな。げすだろ。

40 :
コテを捨てるな。を捨てよ。

41 :
http://www.youtube.com/watch?v=LJTCJQ9-p8E&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=RETmJabHnRU&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=0KPhXPhgbwY&feature=related
あのね、こんななわけ。これ、俺んちだよ。素で。なにもちがわねーよ。
ずっとこんななわけ。関東。薩長とお前らがぶっこわしたけどさ。まあそれからでもあんまかわらねーよ。
あんた、どこからきたのってことなの。あなた。綿矢京都ゲイシャさん。

42 :
別に美化もせずこんなだろ。関東の一般家庭。なぜか京都語つかってるけどCM。

43 :
なにかがちがうんだろ。あんたら。なんなんだよ純潔捨てろ命令みたいのは。なにがしたいんだ?

44 :
侍が浮気するか? まあもう侍じゃねーけどな。みんな。
されるから。戦争に行くわけ。なにをしてるんだよ、そこで。

45 :
このCM狂ってるだろw
http://www.youtube.com/watch?v=e8Wn8hVOjEk
京都に武士いねえよw それを見越しておもしろがってるんだろうけど、制作陣。これ水戸とかだよ。

46 :

おもいかえせば、この時代から明治テロだか維新だかがあって、
そのあと『門』(漱石)の時代をへていまになったんだよ。
別に形質っていうか、姿の本質は変わらないんじゃないの。
 江戸時代にも京都行ったら>>40こんな遊女だかゲイシャだかみたいのうろうろしてたよね、きっと。
しらないでいたから美化してみえてしあわせだったけどw

47 :
 ジャネットさん。
 Reasonとかintelligenceとかは、わりと輸入物だったこともありますが、
あるいは「理気二元論」みたいのもそうなんですが、
一定の理論はこの島だといつも敬意をもってうけとられてきたとおもいます。
自分たちでもつくりました。ご存知だと思いますが、
もののあわれもそうだし、諸行無常が美意識にまでなったのもあるいはそうです。
忠義とか忠誠も、あるいは素朴な共同体の大和魂だったものまで、
もとは中国や大陸、インドからもってきたものと混ぜ合わせてでも昇華してでも、
しばしば独特の価値観にしました。島にそういう特徴があるのはたしかです。受身だがそれだけではない、という。
イギリスのゴシックが今ではニューヨークタイムズの表題文字にまで援用されるのと構図は或る程度にています。
島国の文化反応としては、跳ね返すよりは一回受け入れるというのがどこでもあるのかもしれません。
 ある技術、もしくは建築の力を最初に自覚したのは、大規模な治水事業を起こした家康公だった気もします。
築城はただの戦闘用の塹壕あるいは実用目的でしたが、利根川や江戸湾を開拓して都市計画としたのは、
クリストファー・レンがそうした様に、計画的な技術の才質だったと思います。大昔でいえばナイルの民なんかもしてきたわけですが、
いまの東京は明らかにその当時の計画が功を奏した姿でしょう。それらは独自の系統をたどって、勝手にできあがってきた類似の才質だった。
 理知みたいなものは、人類の形質が各地域で勝手に伸ばしていけるものなのかもしれない。ただし、競争によって大きなものも小さなものもあるでしょう。
 スティーブン・ホーキングが言ってますが、知性、もしくは科学によって人類は絶滅に向かう。その不安定な文明は自己崩壊するから、って仮説です。
だから宇宙人がこないのだ、と彼はいいました。もし持ち続けた文明があればとっくに来てもいいはずだ、と。まあ確率論だと思います。われわれは遅れて文明に参加したからよくわかる。

48 :
ゆうちゃんはまだ大人の社会に参加してないけどね!

49 :
>>48お前はどういうことなんだよ?
お前はなんなんだ? お前は何者なんだよ、京都ゲイシャ。お前は。

50 :
公家の時代終っただろ。今から1000年くらい前に。
お前はなんで今頃出てきておっかけまわしたりしているんだよ。うるさいし、うざいし、
きたないんだよ。お前。綿矢。うるさい。

51 :
ゆうちゃんは綿矢の下痢便飲みたいんだってさ。何が純潔だよ。アブノーマルだろ。

52 :
もうお前ら朝鮮でいいじゃん。似てるじゃん。よく。
東朝鮮国第三関西特殊でいいじゃないか。IDOL文芸。いいじゃんそれで。
『お休み前に100回ブラッシング』読んで寝なさい。
どっかから出てきたわけわからん売買春あおるゲイシャさん。関西人さん。
 それでも戦うからいいよ別に。疲れるんだよ、いろいろ。意味ないでしょ、売買春煽っても。
これも何回も何回も注意してますよね。俺。500回は言ったな。それでもなんも反省してないよね関西人。

53 :
外来の思想なりが経緯を以て受け取られてきた、というのは、そのとおりでしょうね。
まず当時は科学技術と思想・文化を分けていないし、「理気二元論」は朱子学、つまり中国渡りだし、近くは欧米のものなんで、
ようするにヘゲモニックな文明と接触すれば、当然に低姿勢になる、ということでしょうか。
ひどいときは卑屈になる。事大主義ですね。
美意識としての諸行無常に関しては、武田泰淳が言ったことで、
平家物語的詠嘆などというものは、仏教的思惟の到達点からほど遠い、
気の弱い人のつぶやきのようなもの、
これで尽きている感じがしますよ。
忠義にしても、武士の場合は、もとが「御恩奉公」ですからね、
最初はけっこう現世主義でしょう。カントは、こういうものは、パブリックじゃなく、
プライベイトなもののほうに分類しているんですよ。当時のドイツも中央集権ではなく諸侯がおりましたからね。
大規模土木工事は、中国ではるかむかしのやっているでしょう。
むかしウィットフォーゲルというマルクス主義の歴史学者がおりましたが、
その人は「水利社会論」という説を唱えておりまして、
雑に言うと、治水に成功した人が、中華文明圏に最初の国家的支配を打ち立てた、
みたいなことをいっていました。中国神話の三皇五帝というのは、そういう伝説上の為政者ですね。
仁徳天皇、あるいは、その父親の応神天皇からかもしれないが、
日本でも大規模土木工事をやらせた「おおきみ」が、
中国のそれを真似て聖天子を気取ったんじゃないでしょうか。
だから、家康よりははるか前からあるでしょう。もちろん、人工も技術水準も違いますから、
規模は違いますよ。

54 :
経緯は敬意に訂正。

55 :
ゆうちゃんはプレイの実践者なんだよ!

56 :
>>53
天皇が中国気取りの変形というのは確かです、だから天と名乗り、帝国主義社会をつくりあげたがった。
しかし、「政治」という言葉、水へんに台:うてな という言葉にもなごりがあるみたいに、
ある種の大規模土木事業=ケインズ政策の原典、が国家建立の基礎にありそうなのは確かです。
 それは、自分は家康公の時代に確立されたとおもっています。それまでは地方は統一国家の体をなさず、非常に不安定で国家意識もありませんでしたから。
むしろ聖徳太子が、執政者としてこの初代です。はっきりいうと、天皇家というのはただの侵略暴力団の親玉でした。神聖首長なんてものではないのは、
きちんと古代日本史を研究すればわかるでしょう。ありえない暴力でありえない卑劣な手でありえない配偶をたどってきた方々でした。

57 :
さんずいでは?

58 :
ゆうちゃんのから変な汁出てる!

59 :
天皇機関説が京都大学(旧首都)から唱えられた、
しかも1900年代半ばにおもに公卿層から即刻弾圧された、というのも面白いところです。
ここには「天」の思想が実践されなかった制度的腐敗があります。
天は有徳な者を天主にするのであって、それは世襲制の担保ではないのでしたから。
 ジャネットさんは、前からそうですが、平家物側には組しないのですね。
その批判的意義にもあまり関心はないのかもしれない。平家物語はアンチテーゼなんですよ。
紫式部の虚構論に対して、道長はノンフィクションとルポタージュの手法で対抗した。そこに迫真が生まれる、と。
そこが分かると、虚構論の中にある欺瞞が、はっきりいうと中国次元のものであるのに比べて、
平家物語系の批判的意義、いわゆる歴史考証を踏まえた語りの面白さといおうか、小説ではない文学の巧みさが分かる気がするのです。
 継母物語の一種である源氏物より、史記を高度化したものとしての劇作法としての平家物語は批判的な凄みをもっているんです。
それはガリア戦記とか司馬遷の読み物とか、かなり虚構化された司馬遼太郎の書物とも違う独特の手法です。歴史的には珍しいものです。

60 :
品性下劣な京都の人はしずかにしててくれませんか。おもしろいところなんですよ。

61 :
ところで、平野の話題が全然でませんけど。

62 :
ゆうちゃんはだけど、平野はヤリチン。この差ね

63 :
カントは、確かに 定言命法(汝の立法が同時に万人の立法の原理と一致する様に行為せよ)
って面で忠義も処理したがったのかもしれない。しかし、カントがめざしていたのは神への忠義ですよね。
 神意は理性の立法原理自身の不変性にあるのだから、他者へも同様に振舞え、これがキリスト教倫理と一致した「神の国」の原理です。
 この島で神の国論が唱えられた時期がありました。Kamikazeはその語彙です。防衛者は偶然によってさえその神意を守りえるであろうと、
なんの根拠もあるいはないわけですが、言いました。というより、信じた。それが神国視のはじまりだったと思います。
 東方には大昔、聖パウロが逃れたキリスト教国が存在するという希望的観測もあった様です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3
青森にはキリストの墓まで用意されました。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%81%AE%E5%A2%93#.E6.97.A5.E6.9C.AC
というか、黄金の国という『東方見聞録』の記述は、おそらく理想国への願望の投影があります。
 それらをかんがみると、自分は神の国の理想と「神への忠義」とみたてた人類史の中の達成には似たものがあると思っています。
侍のかんがえを絶対唯一神のものと交わすと、どうなるか? 今現在、試行錯誤されているのはそれでしょう。あらたな倫理の原理と新渡戸がいうのもそれです。

64 :
平野もブサだけど、ゆうちゃんはそれどころじゃないっていう、その下回りかたね

65 :
ゆうちゃんとカントの共通点はってとこだけだよね!

66 :
平野さんは今の段階だと三位一体の中の聖霊です、だから居るとも居ないともないが居るのです。
キリストの御霊です。これは失礼すぎるたとえなので、平野さんの『日蝕』でしか唱えられていませんがw
 ところで、カントのpublicな倫理あるいは公的資質とはどんなものでしたか。
カントは形式主義といわれています。その倫理が内向きで、
社会的政治的でもなく、原理の応用がきかず、狭い視野の中で原理を問うているだけ、という非難の言葉でもある。
 この部分はある面では厳格な彼の倫理を完成させましたが、
同時に後世にとっては批判しえない壁とか、なんだかしらないけどえらそうな体系とか、もしくは
象牙の塔とか、なんだか哲学者は高尚なんだか複雑なんだかわからないなって解釈、いわゆる新カント派を西欧哲学界に吹きいれてもしましました。
この派閥は危険です。人格という概念を、ただの理想主義にとじこめて達成不可能なものとさえしがちだからです。
ガダマーHans-Georg Gadamerは解釈学として、これを脱構築の中で絶対化しようと試みていました。それは原理主義ともいえ、いわば神の国原理主義です。
 この段階は人類が「神」を原理として採用する限り、宗教戦争や政治界同士の衝突、文化ナショナリズムを生むはずです。大変あやうい。そこを超えねばならないのです。
勿論、これらは英雄的な思想家として当代一の名誉を勝ち取ったもののふ、平野さんが『決壊』のなかで少年に語らせた、ある無常観の意味ではないでしょう。それはただの現代社会のなかの矛盾、
消費文明のなかでの個人の憂鬱、メディア同士のかみちがい、齟齬でした。それらは永遠にキリストへの冒涜、という平野さんの聖霊としての邪悪さを免れさせはしないはずです。宗教心は尊いが、絶対ではなく、人格関係のきっかけなんです。

67 :
ゆうちゃんに一体感は訪れない

68 :
むかし、階級制がある頃は楽だった。
>>64-65こういう町人性は無視もされいやしめられていたので、相手にされていなかったし、
あまり高度な教育が与えられたでもない場合はおとなしくしていたのです。
いまはジャネットさんのおっしゃられるとおり、こうやってウヨウヨと入ってくるんですね。輪に。平気で。
それが俗物根性、物見根性の堕落というのはおそらくまちがいがなさそうです。いろいろと苦労されるでしょう。
 関西圏、もしくは大阪あたりで講演でもされればよくわかるはずです。
観客は元気は元気ですが、言いたい放題で講師になんだか分からない質問をぶつけて下品な冗談でもない中傷しつつ帰るのです。
それを何度もなんどもくりかえすと、>>64-65こういう態度が身につきます。小谷野先生は苦労されてきた方です。
京都の一般市民ならちょっと別でしょうが。>>57こういう反応がとっても多い。知的にそだっているが、それらは嫌味だったり微視的だったり揚げ足取りだったりする。
といっても、自分よりジャネットさんの方がそういう機会であふれておられるでしょうけども。

69 :
ゆうちゃんは最低だなあ

70 :
階級制があったら、ゆうちゃんは穢多・非人ですよね?

71 :
浅田さんがおっしゃってたんですが、
「村社会の最も悪い面」がいまの2chとよばれるこの掲示板にははっきり出ているんですね。
日本人には神、いわゆるGODがいない。これが原因です。
GODをもっているのはかなりの知識人か、又はキリスト教信者、そして一部の創価学会員だけです。
彼らは恥をもっているが罪はもっていない。だから匿名ならどんな悪意でもするんです。
 こういう暗面をまねないでほしいとおもってます。これには手を焼いているんです、僕らも。
ロシアやアメリカは匿名掲示板をつくりだしたということですが。平野スレッドくらいが限度にしてほしいわけです。

72 :
浅田さんっておまえ浅田スレ荒らしまくってたじゃんw

73 :
嘘つきのグズ野郎!

74 :
>>72荒らしと批判は違いますよ、成り済まし犯罪者村上春樹。そしてその幇助者・綿矢りさ(山田梨沙)。

75 :
561:神戸土人の悪は底無し。関西ゲス以下の頽廃癌種 :2011/12/09(金) 04:51:05.90 0
あのねえ、浅田さん。京都の人って性格わるすぎるんですよね。知ってたでしょ、鏡見て。

もういい加減にしてほしいんですよねぶっちゃけ。うちあけ。本気で。なんなんでしょうこの偽善者の連中は。なんなんだ一体。
被災者は死んだんだ。お前ら仏教徒だろうが。なにしてるんだお前ら。え? ただのもののあわれだよって? なにいってんだソドム土人があ。
え?

みやびだってえ? あ、そうね。被災地小ばかに、自分の命を必死で守る、なんだかわからんチビっこの中国逃げでしたっけ。大江だろうそれじゃ。浅田さん。そうじゃないだろう。
え? 山本太郎でいいじゃんって? そうでしたか。あ、そうでしたか。国立大からAKB大に就職、おめでとーうございまーす。ぱらぱら。放射能のまじった浜通りの砂ふりかける。

76 :
556:神戸土人の悪は底無し。関西ゲス以下の頽廃癌種 :2011/12/09(金) 04:43:50.79 0
いやー、どうしたんですか、浅田さん。TELEVISION出てますよ。白髪の人と。なんか足組んでますね。短い短い。
どうして足組むんだろう。なんだろうあれ。なんのポーズなんだろう。そうおもいませんか浅田さん。逃避かな、現実。

あれえ。なんでしょ。ドヴュッシーと言っている。なんだ。
被災地と関係なさそうだな。いまも被曝して苦しむ娘に、いまも学校のグラウンドで遊べない大公害の犠牲者に、
震災の恐怖におののくPTSDのきづかれない少年に、あしたにも凍死してしまう家と息子を流されたお年寄りに、現金を一銭ももたず、
それを与えられそうもない数多くの霊に。え?

松は焼かないですって? 自分たちのいのちが、仏教の精神より大事だからってえ?

77 :
>>75批判されているじゃないか。仏教徒なのに黙っていたんだろう、慰霊をしないと言った人達の前で。合掌もせず。

78 :
571:神戸土人の悪は底無し。関西ゲス以下の頽廃癌種 :2011/12/09(金) 05:05:13.57 0
おまえ自称哲学関係者だろ。経済学だけならまあ見逃してもよかったけどさ。いろいろと社会問題にチョッカイ出してきただろ。クリスタルくんと。

それがね、もう積もりにつもってるんだわ。われわれに。怒りとしてさ。あることないこと言ってるじゃないですか。あなた。とかく、あんたも被災すればいいんだわ。
目の前で子供が泣いている。詩をうたう、みんなでそのときだけはつらさを忘れる。あんたはそれを腐したんだよ。しかもまったく嫉妬からね。だから神戸土人なんだわ。村上春樹と一緒。嫉妬のかたまり。醜い地獄堕ちの餓鬼だわな。

79 :
>>76これも批判されているな。瓦礫の山積みな被災地にドヴュッシーの高踏ぶった批評を片足組んで上から目線で届ける。しかも仏閣だらけの町で慰霊はしない。腐っている。

80 :
>>78これも批判されている。批評として出来レースだろうと。和合は被災者自身の詩を書いた。それに嫉妬して、浅田は「あれはセラピーだ。だから駄目」と講演で嫌味を言った。

81 :
606:神戸土人の悪は底無し。関西ゲス以下の頽廃癌種 :2011/12/09(金) 06:07:29.93 0
お前癒しどころかただの嫌味野郎じゃねえか。しかも60年近く。バカが。なにが京都大学だよこのソドムが! お前なに源氏物語未成年に売ってるんだよ。よ。。死んだ方がいい。全人類の尊厳の為に絶滅しろ! 近親相姦小説土人が!

82 :
>>81これもまた批判されているな。下らない、罪深い小説を頒布してきたのは事実だし、さらにはソドム物語級の頽廃で婦=ゲイシャといろいろと悪さしてる。そこで嫌味を言うのは絶滅した方がいい土人だ。どうみても。

83 :
何コテ外してんのゆうちゃん?

84 :
>>83なに匿名で人影に隠れてるの、り さ げすちゃん! 

85 :
またまだあるんだけどw
短時間にどれだけ投下してんの? キチガイの方ですか?

86 :
>>85批評空間ってしってます? ずいぶん遅れた方ですねえw

87 :
>>71
「村社会の最も悪い面」って自分のことですか?

88 :
>>87そうでもないでしょう。あなたは単なる人格への中傷と、その人物の犯した罪への批判のちがいがわからないみたいですね。

89 :
>>71
何が浅田さんはおっしゃってただよw 二重人格の方ですか?

90 :
>>89だから言ったでしょ。人格は人格。罪は罪ですよ。ことわざにもあるでしょ。

91 :
>>89さっきから言ってきてる、あなたは本当に分からないみたいだね、公的言論の意味が。
表現の自由は権力の腐敗を暴く言論の保証用だった。それが分からない。ザンネンな人だ。
それで人格を無駄に貶めている。何の罪悪感もない。
 関西とは関でへだてられていたから、あなたみたいな人を見たことがなかったのかもしれないし、
あるいは会った事のない人種だ。あなたは。

92 :
何でコテ外すんですか? 恥ずかしいって自覚があるんですか?

93 :
>>92卑怯者に真剣勝負しますか?

94 :
哲学板の浅田スレにあんなレスを大量投下しといて、何でこのスレでは浅田さんがおっしゃってたなんて書けるんですか? 恥知らずですか?

95 :
ほんとうに悪さしかしないね、関西人。
俺もここまでとは思ってなかったんだよ。本気で。
この10年で相当社会はすすんだね。関西系の人がなに考えてるか
普段からどういう行いをしてどういう暮らしをしてなにを考えてきたかやっとはっきり同時代に理解できるようになった。
これは社会の進歩だよ。しりたくもなかったけど。

96 :
これが二枚舌ってやつですか?

97 :
>>94だから公的批判だってば。よくあることじゃないか。彼のやってきた批評の批評だよ。恥知らずはお前だろう。俺はあいつの目の前でも言うよ、お前は卑怯者だって。

98 :
>>96あんた達は、無宗教者だからなのかしらんけど、なんの罪も感じないの?
頼ってもってきた。これで慰霊してください。無視。お前がうごかしてたじゃん、綿矢。お前。
お前は慰霊しなかった。災害の被災者に。その心の悲しみに。それに加担した奴を非難するのは当然じゃん。
AKBがどうとか言っていたんだよ、あの人は。その仏閣の町で。

99 :
絶対言えないわw
おまえがいかに小物かわかったよ。ごめんな。

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