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2012年1月2期共産党15: コミンテルン (461)
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コミンテルン
1 :08/11/19 〜 最終レス :12/01/19 コミンテルン = 共産主義の国際組織 共産主義インターナショナル、第三インターナショナル、国際共産党。 「共産主義のインターナショナル」という意味。 ■概要 第二インターナショナルは、第一次世界大戦の際、加盟する社会民主主義政党がそれぞれ自国 の戦争を支持したために瓦解した。これに反対する諸派がスイスのツィンメルワルトで開いた国際 会議がコミンテルンの源流。十月革命後の1919年3月、ボリシェヴィキの呼びかけに応じてモスク ワに21カ国の代表が集まり、第一回大会を開いた。 当初は世界革命の実現を目指し、ボリシェヴィキが各国の革命運動を支援するための枠組として 機能した。また、1920年のインドネシア共産党、1921年の中国共産党結成とも結びつき、中国国民 党との国共合作にも尽力した。しかしレーニン死後にスターリンが一国社会主義論を打ち出したこと で役割が変わり、各国の共産党がソ連の外交政策を擁護するのが中心になっていった。1920年代 中頃には中国で国民党政権と協調し、共産党が弾圧されても黙認した。1928年夏のコミンテルン第 六回大会ではファシズムと社会民主主義のつながりが強調され「社会ファシズム論」が台頭したが、 1930年代前半よりドイツで台頭するナチスに対し、社会ファシズム論に基づいてドイツ社会民主党と の対立にあけくれたことは、ナチスの権力獲得を許す一因となった。1935年には、コミンテルン第七 回大会で方針転換をはかり、人民戦線の戦術を提唱し、スペインやフランスで人民戦線政府が誕生 したが、スペインはフランコによる反乱からの内戦で壊滅した。また、独ソ不可侵条約の成立と、第 二次世界大戦初期のポーランド分割の結果、人民戦線戦術は放棄された。 第二次世界大戦の勃発に伴って名実ともに存在意義を失い、1943年5月に解散した。 大東亜維新史観 概説 http://www.nicovideo.jp/watch/sm5193993 http://jp.youtube.com/watch?v=EC2rwzYh890
2 : コミンテルンの陰謀だ
3 : 大東亜戦争とスターリンの謀略―戦争と共産主義 三田村 武夫【著】 http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4915237028.html 私が政治運動に身を投じてからの最大の関心事は、激変する国際情報と第二次世界戦の 嵐の中で、モスクワを本拠とする共産主議運動が、いかなる戦略戦術を展開して行くか、 更に軍閥の独善的戦争推進の背後にあつて、世界革命への謀略コースをいかにして押し 進めて行くかを怠りなく注視し研究することであつた。 そして、その間に、私が体験し、調査し、研究して得た結論が本書の内容である。 序説 コムミニストの立場から 第1篇 第二次世界大戦より世界共産主義革命への構想とその謀略コースについて 第2篇 軍閥政治を出現せしめた歴史的条件とその思想系列について 第3篇 日華事変を太平洋戦争に追込み、日本を敗戦自滅に導いた共産主議者の秘密謀略活動について 資料篇(「コミンテルン秘密機関」―尾崎秀実手記抜萃;日華事変を長期戦に、そして太平洋 戦争へと理論的に追ひ込んで来た論文及主張;企画院事件の記録;対満政治機構改革問題に関する資料)
4 : ■共産主義革命の為に日本を戦争へ引きずり込んだ左翼メディア・スパイ活動 ソ連・スターリン → コミンテルン(各国の共産党) → ゾルゲ・朝日新聞・尾崎秀實 → 敗戦革命 共産主義シンパの近衛文麿首相のブレーンとなり、日本を戦争へ導く工作を行った。 彼のねらいは、日本を共産主義国にすべく、レーニンの言う「敗戦革命」を起こすことにあった。 朝日新聞からは尾崎のほか、佐々弘雄、笠信太郎なども近衛に近づき、影響を与えた。 ちなみに同じく近衛のブレーンだった西園寺公一(きんかず・西園寺公望の孫)は 戦後、日本共産党に入党したが、除名され、家族と共に中国に行き、中国共産党の党員となった。 1950年、GHQのレッドパージにより、朝日社内から約二百人もの共産分子が追放された。 現在、朝日新聞社は社会主義国家建設にむけて、今度は中国共産党と手を組み、工作を続けている。 大東亜戦争とスターリンの謀略―戦争と共産主義 三田村 武夫【著】 http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4915237028.html 第3篇 日華事変を太平洋戦争に追込み、日本を敗戦自滅に導いた 共産主義者の秘密謀略活動について 参考:近衛上奏文(朝日新聞らが作った”空気”が戦争へ誘導した) 「KY」(空気が読めない)→空気を読め、は危険なサインである。
5 : 第二次世界大戦と日独伊三国同盟―海軍とコミンテルンの視点から http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4764603209.html わが国における日独関係史の研究は、日独防共協定や日独伊三国同盟の締結などに関しての 優れた研究は多いが、外交史などに限られ日独両国の戦争指導や同盟作戦の問題点などに関 する研究は殆どない。 この空白を埋めるのが本書である。 また、日独間だけでなく、日独両国の動きに対する米英ソ中などの動向―日米関係から日中、日 ソ、日英関係など多国間関係を複眼的に分析した。 さらに、第二次世界大戦への道程と、敗戦後の日本の現状をコミンテルンの視点で分析。 コミンテルンを加味した歴史が新しい視点を提供するであろう。 また、戦前の日本の対外政策は陸軍主導ではあったが、常に陸・海・外の三省が調整して国策を決めていた。 時には松岡洋右や白鳥敏夫などに代表される革新官僚が大きな影響を与えた。 これら革新官僚による戦後の外務省史観形成に対する責任の追求は隠蔽・改竄されている。 タブー視されてきた外務省の戦争責任や東京史観への責任をも明らかにした。 三国同盟の締結と日本海軍 独ソ開戦と日独ソ関係 ・・・・ コミンテルンから見た第二次世界大戦 海軍・外務省の戦争責任と東京史観
6 : 第二次世界大戦と日独伊三国同盟―海軍とコミンテルンの視点から http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4764603209.html 第十一章 コミンテルンから見た第二次世界大戦 一 近衛文麿と革新官僚と陸軍統制派 二 反コミンテルンがもたらした日独接近 三 コミンテルンと日中十五年戦争 四 コミンテルンから見た米国 五 コミンテルンに二度敗北した日本 六 太平洋戦争の人種的視点−日独の比較 コミンテルン(ソ連・スターリン)の影響 『大東亜戦争とスターリンの謀略』(三田村武夫)などがコミンテルン史観を紹介した代表的な 著作であろうか。本書でも頻繁に引用が見られる。また、「近衛上奏文」にも敗戦革命に関連した 記述が見られるが、本書では1943年4月に衆議院議員の三田村武生氏が荻外荘を訪れ、「こ の戦争は必ず敗ける。そして敗戦の次に来るものは共産主義革命だ。日本をこんな状態に追い 込んできた侯爵の責任は重大だ!」と言い、これに対して近衛公が”なにもかも自分が考えてい たことと逆な結果になってしまった。ことここに至って静かに考えてみると、何者か眼に見えない 力に操られていたような気がする”と語ったとあり、その一年半後にこの上奏文が提出されたという。 本書ではこの”何者か”を「近衛の政策集団の昭和会や朝食会のメンバー」とし、”目に見えない 力”を「共産主義者(或いはシンパ)を通じたコミンテルンの影響力」だったと喝破している。 そして”国体の衣をまとった共産主義者”である昭和会や朝食会のメンバーが革新的国策を案出し、 大政翼賛会=一党独裁の近衛新体制をや国家総力戦体制の確立に大きな働きをした、としている。
7 : 第二次世界大戦と日独伊三国同盟―海軍とコミンテルンの視点から http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4764603209.html また、近衛文麿は上奏文にてコミンテルンの策謀を指摘していたため、ソ連のスパイであった GHQ情報部調査課長、ハーバート・ノーマン(『外交官E.H.ノーマン』)により作成された「戦争責任 に関する覚書 近衛文麿」によって自に追い込まれているという。彼はコミンテルンと関係が深い 太平洋問題調査会(IPR)のカナダ代表でもあったという。 革新官僚: 稲葉秀三(のちサンケイ新聞社長)、勝間田清一(のち社会党委員長)、 和田耕作(のち民主党代議士会長) 革新外務官僚(近衛外交を推進): 松岡洋右、白鳥敏夫(革新派の政治家や財界人が支援) 朝食会: 尾崎秀実、西園寺公一、犬養健 高度国防国家推進 陸軍統制派: 東条英機、永田鉄山、武藤章、池田純久 ソ連、スターリン、コミンテルン、スパイ・ゾルゲ → 尾崎秀実(日本、アジアの赤化を図ったスパイ) 北一輝『日本改造法案大綱』(日本を共産主義独裁体制にすることを企図した) →五.一五事件、二.二六事件 2.26で暗された山本英輔海軍大将が死の二ヶ月前に送付した手紙が本書で紹介されており、 結局の所、皇道派の陸軍将校の過激派が目指しているものは、終局の目的は社会主義であると指摘 していたとある。
8 : 第二次世界大戦と日独伊三国同盟―海軍とコミンテルンの視点から http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4764603209.html コミンテルンの実施した反日プロパガンダの一例として、偽書である「田中上奏文」があり、 これが日本の侵略の意志であるとして利用されてきたらしい。これは中国共産党が全世界に 喧伝した捏造であるが、今なお騙されている人々が全世界にいるのが実情である。 本書では『Venona』(本書中では一貫してVenoa、ベノアと表記されているが誤りである)によ って明らかにされたコミンテルンの米国浸透にも言及があり、ルーズヴェルト大統領自身が容 共的であった所へ、大統領周囲には約200人もの共産主義者やそのシンパが採用されていた という。 側近No.2のハリー・L・ホプキンズ → GPUの全米責任者、イサク・アフメーロフに情報提供 モスクワでは「役に立つ間抜け」と言われていたという。 国務省のアルジャー・ヒス → ヤルタ協定原案作成、ソ連暗号名「アリス」 ルーズヴェルト大統領、トルーマン大統領の情報をソ連へ提供。ヤルタ会談時にソ連から叙勲 財務省のハリー・ホワイト 大統領補佐官のロークリン・カリー など。
9 : 第二次世界大戦と日独伊三国同盟―海軍とコミンテルンの視点から http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4764603209.html 日独伊三国同盟締結から敗戦に至る歴史を明らかにする 第二次世界大戦中の日独戦争指導の実相 コミンテルンの視点から見た第二次世界大戦史 日独伊を囲む米英中ソなどのグローバルな史観 軍部をスケープゴートとしてきた東京史観に一石を投じる書 日米開戦は、トロツキーのクルミ割り器理論通りに遂行されたものでは無かったか、と指摘 している。だが、それは日独を米英に噛み付かせる”砕氷船理論”でもあり、終局的な目標は ソ連共産主義による世界覇権であった。 ルーズヴェルト大統領が大戦末期に死去したため、その周囲の”ピンコ(共産主義のシンパ)” らが職を失い、占領軍司令部(GHQ)の民政局員として多数来日し、民主化という美名の下に 社会主義国家日本を作ろうと暗躍した事も指摘している。そして日本の精神的解体を画策して いったとしている。 本書は『大本営陸軍部戦争指導班 機密戦争日誌』からの引用が多く見られる。この機密日誌 は大本営全体の意志を記したものでは無いにせよ、統帥部=大本営の戦局ごとの機微を伝える 重要な史料であることがここでも確認できる。 大本営陸軍部戦争指導班 機密戦争日誌 ―防衛研究所図書館所蔵 http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4764603101.html
10 : 第二次世界大戦と日独伊三国同盟―海軍とコミンテルンの視点から http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4764603209.html 我が国における日独関係史の研究は、日独防共協定や日独伊三国同盟の締結などに関して の優れた研究は多いが、外交史などに限られ日独両国の戦争指導や同盟作戦の問題点など に関する研究は殆ど無い。この空白を埋めるのが本書である。また、日独間だけでなく、日独 両国の動きに対する米英ソ中などの動向−日米関係から日中、日ソ、日英関係など多国間関 係を複眼的に分析した。さらに、第二次世界大戦への道程と、敗戦後の日本の現状をコミンテル ンの視点で分析。コミンテルンを加味した歴史が新しい視点を提供するであろう。 また、戦前の日本の対外政策は陸軍主導ではあったが、常に陸・海・外の三省が調整して国策 を決めていた。時には松岡洋右や白鳥敏夫などに代表される革新官僚が大きな影響を与えた。 これら革新官僚による戦後の外務省史観形成に対する責任の追求は隠蔽・改竄されている。 タブー視されてきた外務省の戦争責任や東京史観への責任をも明らかにした。 ■革新官僚、松岡洋右 ナチス・ドイツに心酔、昭和16年3月にはモスクワでスターリンと会見し、 「日本人は道徳的には共産主義者であり、それを破壊したアングロサクソンの資本主義と戦っている。 アングロサクソンこそ日独伊、それにソ連の共通の敵である などと革新外交官らしい松岡節を開陳し、その夜モスクワを発ち二十六日にベルリンに着いた。」
11 : 日中戦争再論 http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4764603225.html 作戦戦闘・外交・経済・国際法・インテリジェンス・メディアなど多彩な視点から迫る日中戦争の総合研究書 日本史上最長・最大の戦争である日中戦争を最新の研究成果に基づき国内外の研究者、実務家らが、多 様な視点から再検討する。最新の日中英語研究文献目録も収録。 第四篇 インテリジェンス・プロパガンダ・メディア ■太平洋戦争下におけるアメリカと中国共産党のインテリジェンス関係 アメリカの情報機関 アメリカ初の対外情報機関「戦略事務局」(OSS:Office of Strategic Service) 「中米合作所」(SACO):対日情報活動 「戦時情報局」(OWI):ホワイトプロパガンダ担当 「経済戦委員会」(BEW):経済情報を収集分析 中国共産党が2つの勢力に分裂 1.党指導部: コミンテルン解散後も親ソ的 2.兵士・ゲリラ: 民族主義的傾向を強めていた 中国・ビルマ・インド(CBI)戦域司令官の政治顧問、ジョン・デイヴィス(John Paton Davies)は、2.が中共の 大きな流れであると認識し、これを支援すれば対日戦に利用出来、且つ、ソ連への接近を阻止出来ると考えた ようである。その為、共産主義イデオロギーについては不問に付したようだ。一方、蒋介石率いる国民党軍は派 閥争いなどがあり、「真剣に対日戦を遂行していない」と受け止められ、中国共産党支援にアメリカが傾いたとの 説もある。また、そのような噂を中共が流布したとの説もあるようである。この中共接近が国民党も支援していた アメリカ内部の混乱を起こすことにもなったらしい。
12 : 過去の歴史の解明は、その過去の歴史を解明しようとする者の今現在置かれている政治的環境、つまり現在進行しつつある歴史のなかでの個人的、集団的感情を必然的に反映することになる。
13 : 日中戦争再論 http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4764603225.html 第四篇 インテリジェンス・プロパガンダ・メディア ■太平洋戦争下におけるアメリカと中国共産党のインテリジェンス関係 中国共産党のプロパガンダを担ったアメリカ人としてジャーナリストのエドガー・スノウが有名で あるが、彼が1936に赤区を取材、中共の政治信条を「農業平等主義」としたことが、1940年代 のアメリカで中共のイデオロギー性を過小評価、生活向上の為の単なる「農業改革集団」とする 見方が広まった淵源だという。 同じくコミンテルンのエージェントとして中共を擁護したアグネス・スメドレーについても書かれて おり、張学良との連帯を模索して、1936年の西安事件におけるラジオ放送などで利用したという。 毛沢東は中国共産党の正体を隠蔽し、アメリカを最も影響力のある国として認識し、『新民主主義 論』を発表し、外国人記者を取り込み、アメリカに接近し、以て蒋介石の国民党とアメリカを離間させ る事も企図したという。そして「中共はアメリカを取り込むために、ソ連との連帯の弱さ、国府とは全く 異なる腐敗のない民主主義体制の実施というイメージを意図的に作り上げていった」という。勿論実 態は、『マオ 誰も知らなかった毛沢東』にあるとおり、毛沢東はスターリンの支援を受け、ソ連に隷属 しており、その政治は腐敗し、粛清と虐の非人道的なものだった。これについて本論文では「中共 は単なる秘密情報の収集などではなく、外国人の取り込み及びプロパガンダを通じて外国政府の中 国政策そのものに影響を与えていくという、非常に高度な情報活動を展開して射たということが出来る」 としており、これは現在も中国がおこなっている諜報活動の姿でもある。 最後の部分では、アメリカの情報機関がソ連の浸透を受けており、対中情報も歪められ、更には アメリカの情報機関自身が組織拡大の為に中共と連帯していた、などというお粗末な実態を指摘してい る。そしてそれは、現在の日本の政界、官僚、財界、マスコミ全部が中共に乗っ取られ、操縦されている という無残な実態にも気づかせてくれる。これは『蠢く!中国「対日特務工作」マル秘ファイル』で幾つか の実例が挙げられている通りである。
14 : 日中戦争再論 http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4764603225.html 第四篇 インテリジェンス・プロパガンダ・メディア ■中国国民党中央宣伝部国際宣伝処の対米宣伝工作−エージェントの活動を中心に− 胡適:国際的知名度を活かし、日中戦争初期に国民使節として中国支援を求めるホワイト・プロパガンダを実施。 国際宣伝処:対米宣伝工作、ブラック・プロパガンダを実施。 「日本の侵略に加担しないアメリカ委員会」はその工作の一環だったという。 (American Committee for Non-Paticipation in Japanese Aggression) ティンパリー(Harold J. Timperley):『マンチェスター・ガーディアン』紙の中国特派員 →国際宣伝処の外国人エージェントの中心(北村稔氏の研究による) オーストラリア人だそうであるが、昨今の豪州の反日ぶりと似ているのが不気味である。 中国の反日プロパガンダが如何にアメリカで成功を収めたか、が最後の部分に記されており、 ギャラップの米国世論調査では 1937年8月では日中戦争に関して、中国支持43%、日本支持2%、中立が55%だったという。 1938年10月には中国支持が59%、日本支持が1%、中立は40%だったという。 また、日本軍の真珠湾攻撃のニュースで重慶は歓喜に湧いたという。「米国をして日本を制する」という 砕氷船理論が実現される事を切望していたからだそうである。無論、日米開戦の経緯はこれだけが原因 ではないが、アメリカをして「対日戦争に如かず」と信じ込ませた事がハル・ノートにも繋がっただろうし、 ルーズヴェルト大統領の日本観にも重大な影響を与えたことだろう。 またそれが、広島・長崎に原爆が投下された遠因であるかも知れない。
15 : 日本の悲劇と理想 平泉 澄【著】 http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4764602407.html 大東亜戦争に至る眞實を識る歴史書 史實が眞實の扉を開く (序より)烈しい非難と深い疑問とに充つるもの、大東亜戦争の如く甚だしきは、他に類例がありますまい。 国民の全てが、最大至重の関係有るに拘わらず、三十年の長きを経て、今猶真実の解明せられず、疑問 は疑問のままに、非難は非難のままに、放置せられてあります事は、真に遺憾としなければなりませぬ。 (中略)真珠湾の攻撃に先立つ事数年、米国政府の一角に、武力によって日本を打倒しようとする陰謀が あって、着々として準備を整え、やがて日本を挑発して開戦に導いた事は、米国最高の歴史家ビーアド 博士によって研究発表せられ、之を裏付ける確実なる史料は次第にその数を加えて参りました。 ※ビーアド → チャールズ・オースティン・ビアード(C.A.ビアード) ※チャールズ・ビアード著 ルーズヴェルト大統領と一九四一年の開戦 Charles A. Beard : President Roosevelt and the Coming of the War 1941 : a study Appearances and Realities, 1948. 史艸(=史草;Journal of historical studies)Vol.4(19631025) pp. 62-66 日本女子大学ISSN:02883066 http://ci.nii.ac.jp/naid/110006537370/ (中略) 当時日本の為政当局は、米国政府の一角に於いてめぐらされつつあった此の危険なる陰謀に就いて、全く盲目 であったか、どうか。もし之を怪しいと睨んだとするならば、之を看破し、之を探知し得たのは一体誰人であったか。 又もし之を探知し得たとするならば、此の恐るべき陰謀、迫り来る国難に対して、如何なる方策を以て国を護ろうと したのであるか。果たして当時、具眼の傑士があり、雄大なる防衛策が立てられたのであるか。更に云えば、大正 昭和の日本に、一体国策とか、世界政策とか、いうべきものが、あったのか、無かったのか。是等の問題は、いうま でも無く、日本人の手によって解明せられなければならぬ所、更にせばめて云えば、我が国の歴史家が、義務とし て負うべき責任でありませう。
16 : 日本の悲劇と理想 平泉 澄【著】 http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4764602407.html 序 大東亜戦争への関与や近衛内閣、東条内閣の内幕については余り詳しく触れず、我が国の歴史や 伝統を専ら皇国史観に基づいて解釈、披露してきた著者であるが、本書に於いては年齢や時節を考慮 し、書き記すべき時が来たと考え、大東亜戦争開戦に至る経緯を自らの視点・情報を加えて記している。 専ら国文学、国史学の人であるが、本書に於いて我が国のインテリジェンスに迫る部分もあり、他の書と 一線を画す内容となっている。特に、以下の3つの問いを発しているのが重要である。 一、当時日本の為政当局は、米国政府の一角に於いてめぐらされつつあった此の危険なる陰謀に就い て、全く盲目であったか、どうか。もし之を怪しいと睨んだとするならば、之を看破し、之を探知し得たのは 誰人であったか。 二、又もし之を探知し得たとするならば、此の恐るべき陰謀、迫り来る国難に対して、如何なる方策を以て 国を護ろうとしたのであるか。果たして当時、具眼の傑士があり、雄大なる防衛策が立てられたのであるか。 三、大正昭和の日本に、一体国策とか、世界政策とか、いうべきものが、あったのか、無かったのか 以上の問いはまさしく”インテリジェンス”に対する問いと言って良いのでは無いだろうか。 一、は情報収集・分析に相当し、二、はカウンター・インテリジェンスが相当し、三、は一に基づく戦略立案に 相当する。更に云えば、その三について再び一、二、が実行されて初めてインテリジェンス・サイクルが回転 する。残念ながら、戦前の日本では(アメリカも同様であったが)インテリジェンス活動は特務機関や一時的 な一部の活動に留まり、戦略に基づいて計画的に組織的に実施されていたものは少なかった。軍事情報に ついては小谷賢氏の『日本軍のインテリジェンス』や堀栄三氏の『大本営参謀の情報戦記』にあるように、 小規模で未熟ではあったが、それなりの成果は挙げていたものの、大本営作戦課が情報を無視し、無謀な 作戦計画を行い自滅していった経過が示されている。
17 : >>15 アメリカのちゃんちゃんこ着せて貰って生きのびた国粋右翼が、今頃になって悪あがきかな?極東軍事で徹底的に処刑してもらうべきだったね。老醜右翼よ、早くくたばれ!
18 : 日本の悲劇と理想 平泉 澄【著】 http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4764602407.html ■序章 日米開戦の責任を考察しているが、これは『先哲を仰ぐ』の”大東亜戦争”の章に同じで、 A.C.ビーアド博士の論文(1948) タンシル教授の著述 筆者が所有していた”空母エンタープライズ所属のパットナム少佐の日記” (これは捕虜になって押収されたもの) 米国海軍学会紀要1962年9月号(pp.70-83) における海軍少将ケンプ・トーリー(Kemp Tolley)氏の『ラニカイ号の異様なる任務』 (The Strange Assignment of USS LANIKAI) を元に、米国が日本に先制攻撃させることで大義名分を得ようとして画策していた事が証明される。 (簡単に日米開戦の経緯を時系列で示す) 昭和16年12月1日 この日が日米双方が開戦の日と想定していた。(日本の外交通信は1941年において4通を 残して全て米国に傍受・解読されていた。マジック作戦と呼ばれた。) 昭和16年12月2日 日本軍が攻撃してくるはずだった1日が過ぎ、対日戦争の口実を失ったと焦ったルーズヴェルト 大統領等が、偽装戦闘艦ラニカイ号をインドシナ沖へ派遣することを命令する。 日本海軍に攻撃させ、対日戦争の口実を得る為である。 昭和16年12月8日 真珠湾攻撃(これによりラニカイ号の作戦は中止となる) (補足1)日本軍の攻撃が12月1日から8日へ変更されたのは、陸軍が準備不足にて15日を主張し、 1日と15日を折衷した結果である。結果、アメリカを焦らせ、彼らの謀略の証拠が残る事となった。 (補足2)ラニカイ号による対日戦争の口実獲得未遂は、後年のベトナム戦争開戦の口実として利用さ れたトンキン湾事件そのものである。
19 : 砕氷船理論 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 砕氷船理論(さいひょうせんりろん)とは、レーニンが唱えた戦略である。後にスターリンの手によって実行された。 ■概要 1935年(太平洋戦争開戦の6年前)、モスクワで開かれた第七回コミンテルン大会でスターリンが再確認した。 「ドイツと日本を暴走させよ!しかし、その矛先を祖国ロシアに向けさせてはならぬ。ドイツの矛先はフランスと英国へ、 日本の矛先は蒋介石の中国へ向けさせよ。そして戦力の消耗したドイツと日本の前に、最終的に米国を参戦させて 立ちはだからせよ。日、独の敗北は必至である。そこで、ドイツと日本が荒らしまわって荒廃した地域、つまり、 日独砕氷船が割って歩いた後と、疲弊した日・独両国をそっくり共産主義陣営にいただくのだ」 つまり、日本とドイツを他の国と負ける戦争をさせ、その後ソ連が両国を属国にするよう仕向けさせた。 これはその後忠実に実行され、最後の一行以外は全て現実のものとなった。 ■経過 1929年、世界恐慌によって資本主義の限界と共産主義の台頭を見た当時の人たちは、しだいに国家社会主義や ファシズム・ナチズムといった思想に魅せられていく。そういった下地の元で砕氷船理論は実行されていった。 日本で実行役となったのが、当時コミンテルンのエージェントであった尾崎秀実であった。尾崎は同僚や関係者はおろ か妻子にも話さず、秘密裏に行動を進めていった。具体的には国内の動きを逐一スターリンに報告し、ソ連と動きをあ わせるためにひそかに活動を行っていた。 ↑ 尾崎秀実らの仕掛けた「敗戦革命」は、この「砕氷船理論」の実践である。 三田村武夫『大東亜戦争とスターリンの謀略』 http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4915237028.html
20 : 共産主義黒書―犯罪・テロル・抑圧 コミンテルン・アジア篇 クルトワ,ステファヌ http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4874300278.html ロシア革命の世界革命化を狙ったコミンテルンと、 人類史上未曾有の犠牲者を生み出した アジア共産主義の現実 ナチズムの犠牲者約2500万人に対し、共産主義によりされた人数は、 ソ連2000万、 ★中国6500万、 ベトナム100万、 北朝鮮200万、 カンボシア200万、東欧100万、 ラテン・アメリカ15万、アフリカ170万、 アフガニスタン150万 を数え、合計は1億人に近い。 民族・人種によるジェノサイドと イデオロギーによるジェノサイドはどこが違うのか。 なぜ、共産主義は今日まで弾劾されずにいるのか?
21 : 共産主義黒書―犯罪・テロル・抑圧 コミンテルン・アジア篇 クルトワ,ステファヌ http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4874300278.html 中国の章では、 魯迅が「中国人は食人種である」と書いている と紹介し、共産主義のテロルの中で処刑では犠牲者を少しずつ切り刻み、生きながらに その肉片を食らう醜悪な中国の文化も紹介されている。 (※凌遅刑) ソビエトのスターリン主義者が見た毛沢東主義者の手法、として悪名高い”自己批判”、 ”総括”、”粛清”の様式が紹介されている。 (※連合赤軍の山岳ベースリンチ人事件はこれの模倣だったと言える) また、毛沢東の”大躍進”における誤った農業指導(過度に濃密に植える、土地に合わない 作物を栽培させる、害虫を駆除する雀を駆除する)によって恐るべき史上最大の飢饉が発 生したことも紹介されている。1959−1961年の間の餓死は2,000万人〜4,300万人 であろうと推測されているという。そして 凄惨な人肉食が農村で行われていたという言い伝えが紹介されている。
22 : 共産主義黒書―犯罪・テロル・抑圧 コミンテルン・アジア篇 クルトワ,ステファヌ http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4874300278.html 文化大革命の段では、青少年を毛沢東主義に洗脳し、 ”紅衛兵”という赤いロボットにしていった歴史 も描かれている。そして彼らが恐るべき非人間性を発揮し、”反革命分子”とみなした人間 に対して残虐で下劣な暴力を振るったことが記されている。1966年前後にこのような事態 が中国では起きていたのだが、当時の日本の大学生の中にはこのようなものに憧れ、極 左テロ活動に身を投じていったというのは良く分からない事である。やはり、美化されて伝 えられた結果、実態を知らずに騙されていたのであろう。その紅衛兵も分裂し、内戦状態と なり、果ては軍隊が投入されて紅衛兵が処刑されていったのである。なんとも救いのない 話である。 チベットでは数十万人(人口の約10%)が中国によって拘禁され、 その2%しか生存していないという恐るべき実態 や、ダライラマなどへの宗教弾圧、追放・・などなど、中国の非人道性、残虐さがここでも証 明されている。 恥知らずな中国共産党は今なおおぞましい人種差別と民族浄化を継続しているという。
23 : ようするに、レーニンやスターリンや毛沢東の願望にホイホイのせられるほど日帝はオツムがイカしていたと。
24 : ベノナ (VENONA) 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ベノナないしベノナ計画(英:Venona project。但し一部機関では、VENONAと大文字表記する)とは、 1946年から1980年までの長期にわたって、アメリカ合衆国とイギリスの情報機関が協力して極秘裏 に行ったプロジェクトである。主要任務は当時のソ連が第二次世界大戦後半に発信した暗号文を解 読することで、この作戦で対象となったソ連の暗号は13あることが知られており、「ベノナ」はその中 では最後のものである。なお、「ベノナ」の意味は現在も不明。「BRIDE作戦」とも呼ばれる。 極めて高度の機密とされていたが、1990年代の後半以降アメリカで関係情報が公開され、その実態 がようやく知られるようになってきた。 Venona : Decoding Soviet Espionage in America http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htmy/0300084625.html Venona : The Greatest Secret of the Cold War http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htmy/0006530710.html This book is based on the only complete set of decrypts held in Britain outside Whitehall and is supplemented by interviews with most of the principal players in the VENONA drama (NSA, GCHQ, FBI and MI5 officers).
25 : VENONA (ベノナ) Venona : The Greatest Secret of the Cold War http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htmy/0006530710.html 『第二次世界大戦と日独伊三国同盟』(錦正社)では本書を元に、コミンテルンの米国浸透に ついての言及があり、ルーズヴェルト大統領自身が容共的であった所へ、大統領周囲には 約200人もの共産主義者やそのシンパが採用されていたという。 側近No.2のハリー・L・ホプキンズ → GPUの全米責任者、イサク・アフメーロフに情報提供 モスクワでは「役に立つ間抜け」と言われていたという。 国務省のアルジャー・ヒス → ヤルタ協定原案作成、ソ連暗号名「アリス」 ルーズヴェルト大統領、トルーマン大統領の情報をソ連へ提供。ヤルタ会談時にソ連から叙勲 財務省のハリー・ホワイト 大統領補佐官のロークリン・カリー など。 日米開戦は、トロツキーのクルミ割り器理論通りに遂行されたものでは無かったか、と指摘している。 それは日独を米英に噛み付かせる”砕氷船理論”でもあり、終局的な目標はソ連共産主義による世界 覇権であったと考えられる。 ルーズヴェルト大統領が大戦末期に死去したため、その周囲の”ピンコ(共産主義のシンパ)”らが職 を失い、占領軍司令部(GHQ)の民政局員として多数来日し、民主化という美名の下に社会主義国家 日本を作ろうと暗躍した事も指摘している。そして日本の精神的解体を画策していったとしている。
26 : 近衛上奏文 http://www.ne.jp/asahi/masa/private/history/ww2/text/konoejousou.html 早期和平ニ付近衞公爵上奏文(いわゆる近衛上奏文) 昭和20(1945)年2月14日上奏 (Wikipediaより引用) 近衛上奏文(このえじょうそうぶん)とは、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)2月14日に、 近衛文麿が昭和天皇に対して出した上奏文である。 ■概要 近衛は昭和天皇に対して、「敗戦は遺憾ながら最早必至なりと存候」で始まる「近衛上奏文」 を奏上し、英米の世論は天皇制廃止にまでは至っていないとの情勢判断の下、いわゆる 「国体護持」には敗戦それ自体よりも敗戦の混乱に伴う共産革命を恐れるべきであるとの 問題意識を示した。 (要旨) ・「大東亜戦争」(太平洋戦争)は日本の革新を目的とする軍の一味の計画によるものであること ・一味の目的は共産革命とは断言できないが、共産革命を目的とした官僚や民間有志がこれを 支援していること ・「一億玉砕」はレーニンの「敗戦革命論」のための詞であること ・米英撃滅の論が出てきている反面、一部の陸軍将校にはソ連軍や中国共産党と手を組むことを 考えるものもでてきていること 近衛は陸軍内に共産主義者が存在し、敗戦を利用して共産革命を行おうとしている旨を述べた。 また、戦争終結のためにはこの一味が障害となること、一味さえ取り除けば軍部を利用していた 共産主義者を抑えることができることを述べている。
27 : 静観。とにかく最後まで吐き出してもらってからコメント。
28 : 近衛上奏文 http://www.ne.jp/asahi/masa/private/history/ww2/text/konoejousou.html 早期和平ニ付近衞公爵上奏文(いわゆる近衛上奏文) 昭和20(1945)年2月14日上奏 近衛文麿は上奏文にてコミンテルンの策謀を指摘していたため、ソ連のスパイであった GHQ情報部調査課長、ハーバート・ノーマン(『外交官E.H.ノーマン』)により作成された「戦争責任 に関する覚書 近衛文麿」によって自に追い込まれているという。彼はコミンテルンと関係が深い 太平洋問題調査会(IPR)のカナダ代表でもあったという。
29 : コピペ貼るだけで終わり?
30 : 歴史の書き換えが始まった!―コミンテルンと昭和史の真相 明成社 (2007/10/21 出版) http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4944219628.html 第一章 大東亜戦争とコミンテルン 一 インテリジェンス・リテラシーとは何か 『諸君!』連載・中西輝政論文の意義/三田村武夫『戦争と共産主義』の功績 /インテリジェンス・リテラシーの欠如 二 張作霖爆事件はコミンテルンの謀略だったのか ほとんどが伝聞だった/コミンテルン謀略説を追う 三 世界は如何なる原理で動いているか 第一次世界大戦から重用されだした偽写真、偽文書宣伝工作 /田中上奏文はソ連が作った偽書だった/何故日本人には歴史の真相が届かないのか 第二章 戦後史とコミンテルン 四 戦後日本はコミュニストが作った 日本近現代におけるコミンテルン介入し/「コミンテルン憲法」/チナミンテルンと日中国交正常化 五 ハーバート・ノーマンの正体 シロタ親娘の暗躍/都留重人とノーマン/ノーマンらの著作はコミンテルンの宣伝活動だった /ノーマン工作員説を受け容れない日本言論界の保身 六 「目に見えない力」が今、明らかになりつつある マッカーシーは正しかった/近衛上奏文とノモンハンの真実 七 ”初期マルクス”は生きている レーニン主義の三つの眼目/人間の心の支えを破壊するマルクス主義 /福澤諭吉が説いた「怨望」という悪癖 /日本を破壊する三つの情念〜「悪平等主義」「伝統日本への憎悪」「アジア主義」 資料 近衛上奏文
31 : ソ連の陰謀は事実だな
32 : 若い頃よりの憂国の想いは、歳を重ねる毎に強くなり,また逆に絶望感も強めています。 この国がかって堂々と日本人である事に誇りを持ち、胸を張って海外に雄飛していた 時代は、夢のような遠い昔話になりました.勝てば官軍、負ければ賊軍…とは、申し ますが…物言わず朽ち果てていく旧軍の関連品を見る度に…そして太平洋の様々な海 を潜る度に…海底に眠る艦船や航空機、浜辺に残骸をさらす輸送船や戦車、未だに上 陸地点を見つめて錆つく姿を晒す朽ち果てた野砲…。我々の祖父達が血族・先人諸氏 が南方やシベリアで亡くなっています…これらの振り返られる事も無くなった物言わ ぬ遺物達を出来れば国立の軍事博物館を作り篤く保護したいものと考えております。 貴重な収集品をお譲りいただければ幸いです。宜しく御願い致します。 http://cb1100f.web.infoseek.co.jp/ cb1198f@yahoo.co.jp
33 : 結局何が言いたいのか? バカの呟きでしかないのだろうか。 哀れさも居たたまれないモノを感じてしまう。
34 : ようするに、レーニンやスターリンや毛沢東の願望にホイホイのせられるほど日帝はオツムがイカしていたと。
35 : コピペのコミンテルンどころか、コピペのコンツェルンだろが!
36 : なにもやることがなくなってしまった田母神君がスレ立てているのですねわかります。
37 : 過去に生きるOFW君でしたか(^^ゞ 何かオナっていなきゃ、やりきれない日々ですものね。
38 : 歴史の書き換えが始まった!―コミンテルンと昭和史の真相 明成社 (2007/10/21 出版) http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4944219628.html 中西氏はこう語っている。「かつて先輩の方々から『日本があの戦争に巻き込まれたのは、 コミンテルンに引っ掻き回されたからだ』とよく聞かされていたが、その直感は正しかった。 世界史の画像は転換されなければならない。」 世界は謀略に充ち満ちている。日本人の善意など到底通用しない冷厳な世界史の原理が そこにはある。その世界の現実を直視し、いかにして国家の生存を図るか。それは幕末明治 以来、日本の先人たちが直面し続けた課題でもある。その対応を困難なものにしたのが、ほ からなぬコミンテルンの国際謀略だったことを明らかにしたのが本書である。しかも、それは 冷戦が崩壊した今でも現在進行形であり、”初期マルクス主義”の恐るべき人間不信の原理 がGHQの占領政策とその固定化としての「戦後レジーム」に入り込み、日本の歴史、文化、 伝統を破壊し続けているのである。
39 : 歴史の書き換えが始まった!―コミンテルンと昭和史の真相 明成社 (2007/10/21 出版) http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4944219628.html 大東亜戦争とスターリンの謀略―戦争と共産主義 三田村 武夫【著】 http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4915237028.html 実は三田村さんは昭和21年の春には要旨になる部分−ほとんど主要部分ですけれども、それを 私家版で印刷されて、関係先に配布されたんですね。読売新聞の当時の社長だった馬場恒吾の ところにも持参したらしい。「それを三田村氏が持ってきて、一同びっくり仰天した」ということが、 馬場氏の側近だった柴田秀利氏(※読売新聞社主、正力松太郎の右腕でもある)の回顧録、 (『戦後マスコミ回遊録』 中公文庫) http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4120014401.html に出ています。馬場氏はこれは重大な証言だということで、GHQの情報部長ウィロビー将軍にこれを 示した。ウィロビーは本当にびっくりして、それがきっかけでゾルゲ事件について関心を示して「ゾルゲ 捜査」を始めたらしいんですね。ですから恐らく昭和25年の出版の以前に、限られた範囲ではあるが 日本側にも、それからGHQの参謀部側にも周知されていたということですね。つまり、この本が無けれ ば、ウィロビーによるGHQ内部の共産主義者ネットワークの調査も、それからルーズヴェルト政権や 戦前の日本政府に入っていた共産主義者を追及するという、1950年代のマッカーシーの動きも無かっ たかもしれない。発端はこの本にあったということなんですね。 巨怪伝―正力松太郎と影武者たちの一世紀 佐野 真一【著】 http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/416349460X.html (正力松太郎の片腕だった柴田秀利氏が、GHQ情報部長ウィロビー将軍にコミンテルンの策謀である 日本の敗戦革命を曝露し、これに驚いたウィロビーがGHQ内のレッドパージを行い、GHQの占領統治政策 がルーズヴェルト大統領の元側近達によって進められていた日本赤化を阻止し、右急旋回していった経過 が示されている。一端公職追放となった戦前・戦中の軍人、政治家、財界人が復帰していく切っ掛けとなった のは実にこの件に依るのである。)
40 : 歴史の書き換えが始まった!―コミンテルンと昭和史の真相 明成社 (2007/10/21 出版) http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4944219628.html 「田中上奏文」はソ連が作った偽書だった 偽写真だけじゃなく、偽文書も多く作られました。その最大のものの一つが田中上奏文 (田中メモランダム)です。田中義一首相が昭和二年(1927)、昭和天皇に日本の国策 として大陸侵略を通じ世界征服を目指すべき事を明治天皇以来の日本の大方針だとして 上奏したという内容で、「支那を征服せんと欲せば、先ず満蒙を征せざるべからず。世界を 征服せんと欲せば、必ず先ず支那を征服せざるべからず」という調子のとんでもない代物 ですが、流石に日本国内では早くから偽書だということは定説化していました。しかし海外 は違いました。1920年代末から40年代にかけて欧米を含め世界中で広く流布され、アメ リカのルーズヴェルト大統領のようにそれを真実として強く信じていた欧米人も多かったの です。その影響は戦後も長く続き、「侵略国家」日本のイメージを作るのに大きな役割を果た し、東京も基本構図において、「上奏文」のイメージをそのまま踏襲しています。中国 では今も事実として教科書で取り上げているものも多い。 ところが、戦後60年を迎えた平成17年(2005)春、モスクワのロシア・テレビラジオ局 (RTR)が、シリーズ番組『世界の諜報戦争』の中で、「『田中上奏文』は、日本の国際的信用 を失墜させ、日本を世界から孤立させる目的で、1928年にソ連の諜報機関OGPU(KGBの 前身)が、偽造し全世界に流布させたものである」と明らかにしたのです。
41 : 歴史の書き換えが始まった!―コミンテルンと昭和史の真相 明成社 (2007/10/21 出版) http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4944219628.html 「田中上奏文」はソ連が作った偽書だった 日本としては、大いにこれを宣伝すべきですが、その様な雰囲気が盛り上がっているとは 言い難い。つまり、歴史の書き換えが今、必要になっている訳ですけれども、その障害とな っているのが、日本人の歴史観(=東京史観、GHQ史観)、或いは国際社会観、つまり 「世界はどういう原理で動いているか」ということに対する無知ですね。国際関係では各国は、 大きな戦争や革命ともなれば、諜報、謀略、工作というものを、実際の軍事手段と同じぐらい 重要視してやっているわけですね。この真実が日本人にはまだまだ浸透していない。世界は 一応そういうことが無い、という前提で歴史の史料を解釈したり、論じたりすると事の真実は 全く見えなくなってしまう。
42 : 真珠湾 日米開戦の真相とルーズベルトの責任 G・モーゲンスターン著 渡邉明訳 http://www5a.biglobe.ne.jp/~kinsei/0312.htm 真の開戦責任が日本ではなく、ルーズベルトにあった! 真珠湾の悲劇を正しく理解する貴重な記録を、本邦初訳! ●「真珠湾は責任の研究である。」 それは、いかに政府の僅かな指導者たちが、国家の政策をまるで私的なたくわえのように処理して いたかを詳細に映し出している。彼らの意志決定は戦争が終わってしまってから、アメリカ国民に 発表された。それでも当局の秘密のカーテンの背後でなされた多くのことの片鱗がうかがえるに過 ぎない。 ●「アメリカはズルズルと、戦争にはまっていったのではない。」系統だった図式の進路に沿っていた。 調査委員会報告の中で最も注意を引く所説はこれである。 ●「アメリカの指導者たちは、戦争が近づいたときの、日本政府中枢の真意と秘密構想を、一連の傍 受電報の暗号解読によってあたかも御前会議に列席しているかの如く知っていた。」 ●本書はアメリカがどのように第二次世界大戦に入っていったかの実録的物語である。真珠湾の大惨 害に至った秘密外交と軍事の陰謀の記録がここにある。 ●また、99年5月ニューヨークタイムズ紙が「真珠湾の司令官が汚名を返上」と報じた。真珠湾の備え を怠ったとして退役させられたキンメル提督らの名誉回復を米上院が決議したという。 本書の正当性をアメリカ自らが証している。
43 : ようするに、コミンテルンやルーズベルトの願望にホイホイのせられるほど日帝はオツムがイカしていたと。
44 : 真珠湾 日米開戦の真相とルーズベルトの責任 G・モーゲンスターン著 渡邉明訳 http://www5a.biglobe.ne.jp/~kinsei/0312.htm ■米国人ジャーナリストが解明した日米開戦の真相とルーズベルトの戦争責任 二十世紀最後の年を迎え、日本人としてこの一世紀を回顧するとき、最も鮮烈な記憶は、日露戦争 勝利の栄光と大東亜戦争敗北の悲劇であろう。 特に、大東亜戦争の敗北は深刻であった。二百万を超す戦没者と連合軍総司令部(GHQ)による 占領政策のダメージは、現下の混迷の最大の要因であると思う。今日の人材不足や偏向した歴史 認識を是正しきれない原因、東京史観を克服できない要因が、ここに秘められている。 「真珠湾の奇襲攻撃」に始まる日本軍の戦争は、正義に反する不道徳で非人道的な戦争であった との誤解は、未だに根強いものがある。特に、マスコミ界や教師・青少年の多くに、この傾向が強い。 事実に全く反するこのようなプロパガンダを、克服しない限り我が国の将来はない。
45 : 真珠湾 日米開戦の真相とルーズベルトの責任 G・モーゲンスターン著 渡邉明訳 http://www5a.biglobe.ne.jp/~kinsei/0312.htm http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4764603128.html ■米国人ジャーナリストが解明した日米開戦の真相とルーズベルトの戦争責任 この意味で、最近における資料集『東京却下・末提出弁護側資料』の刊行や『教科書が教えな い歴史』による啓豪活動、さらに新しい歴史教科書をつくる会編纂の『国民の歴史』の発行等の努力に は、深く感謝したい。そして、事実を事実として認識することが、自らの正義を確認することになり、名 誉と誇りを回復することになる日本人は幸せである。 これに反して、正義と信じて行動していたことが、悪徳への協力であった場合は悲惨である。しかし、 今日の悪徳を放置することは、将来の更に大きな悪徳を招くとして、敢えてこのタブーに挑戦すること は、悲しい結果が見えるだけに勇気がいることである。この点、アメリカは偉大である。アメリカには、 このようなタブーに挑戦する人物が存在している。第二次世界大戦時におけるアメリカ・ジャーナリスト 界の若きホープ、シカゴ・トリビューン紙の記者ジョージ・モーゲンスターンも、その一人である。
46 : 新手の自虐マニアが湧いてきたようだなあ。そこまで日帝のバカさ加減を抉らなくてもいいだろうに。
47 : 真珠湾 日米開戦の真相とルーズベルトの責任 G・モーゲンスターン著 渡邉明訳 http://www5a.biglobe.ne.jp/~kinsei/0312.htm ■米国人ジャーナリストが解明した日米開戦の真相とルーズベルトの戦争責任 昭和十六年十二月、ワシントン時間の七日午後の日本海軍による真珠湾奇襲攻撃のニュースは アメリカの全国民にとって、全く寝耳に水の驚きであった。戦争反対の圧倒的世論の中で、アメリカ が戦争に巻き込まれることは絶対にない、と明言した大統領ルーズベルトの約束を信じ切っていた アメリカ国民は、真珠湾攻撃を平和交渉真っ最中の崩し討ちであるとの宣伝を信じ憤激した。そして、 日本人を僧み、挙国一致で対日戦に立ち上がった。「リメンバー・パールハーバー」は、アメリカ国民 の合言葉になり、ジャップを徹底的に懲らしめることに情熱と使命感を燃やした。 当時三十五歳で、米国最大の発行部数を誇るシカゴ・トリビューン紙の論説委員として、国際間題 に健筆をふるっていたジョージ・モーゲンスターンも、海兵隊に従軍し海兵隊総司令部広報部ニュー ス班長として、戦闘報道員の指導監督にあたった。
48 : 真珠湾 日米開戦の真相とルーズベルトの責任 G・モーゲンスターン著 渡邉明訳 http://www5a.biglobe.ne.jp/~kinsei/0312.htm ■米国人ジャーナリストが解明した日米開戦の真相とルーズベルトの戦争責任 しかし、真珠湾の余りにも大きな損害は、米国内でもその責任をあいまいにすることを許さなかった。 ルーズベルト政権は、それを平和交渉で油断させて干し討ちをした日本軍のせいにしていたが、これだ けでは不十分であると判ると、真珠湾防衛の責任者であった現地の最高指揮官二人を職務怠慢の理由 で処罰・解任した。当然のことながら、政府はこの処置の正当性を証明する必要があった。特に議会に 真相究明の気運が生まれると、ルーズベルトは機先を制して真珠湾事件直後の十二月十六日、大統領 待命の調査委員会(ロバーツ委員会)を発足させた。ロバーツ委員会は、資料や証拠の一方的な取り上 げによって、ルーズベルト政権の処置を正当であると発表したが、その余りに偏った調査方法は、かえっ て疑惑を深めることになった。国際間題を専門とするジョージ・モーゲンスターンが、これに気付かない筈 はない。
49 : 真珠湾 日米開戦の真相とルーズベルトの責任 G・モーゲンスターン著 渡邉明訳 http://www5a.biglobe.ne.jp/~kinsei/0312.htm ■米国人ジャーナリストが解明した日米開戦の真相とルーズベルトの戦争責任 しかし一方で、ルーズベルトは、「真珠湾の騙し討ち」に憤激したアメリカ国民の総力を結集して、 第二次世界大戦を戦っている大統領として、当時のアメリカ国民の圧倒的な支持を得ていた。アメ リカの正義の戦いであると信じ、進んで戦争に参加した人々にとっては、英雄ルーズベルトの名声 を傷つけることは、アメリカの威信ひいてはアメリ力国民を誹謗する者として許せないことであった。 アメリカ国民の戦意と激烈な戦争は、この問題を棚上げにしたが、大統領選挙の一九四四年にな り、戦争が米国の勝利に終わることが明確になると、改めて再審査の気運が起こった。まず最初に、 真珠湾敗北の責任者として処罰された二人の現地指揮官、海軍大将キンメルと陸軍中将ショートの 正式の軍法会議開催の要求が起こった。法廷で争うことは不利であると判断したホワイトハウスは、 陸・海軍長官に指導監督の権限がちる陸軍査問委員会と海軍査問会議における再審で決着を図っ た。しかし、再審の判決は、現地指揮官の責任だけでなく、内閣や最高司令部の責任を指摘した。 ここに、改めて議会が調査に乗り出すことになると、ホワイトハウスへは、自ら調査を取り仕切るほう が賢明であると判断し、与党の民主党主導の調査委員会を設置した。こうして上下両隣合同の真珠 湾調査委員会が設けられたのである。
50 : >>23 おsageさんのようにSGIにホイホイと乗せられている人もいます。
51 : 真珠湾 日米開戦の真相とルーズベルトの責任 G・モーゲンスターン著 渡邉明訳 http://www5a.biglobe.ne.jp/~kinsei/0312.htm ■米国人ジャーナリストが解明した日米開戦の真相とルーズベルトの戦争責任 延べ七十日の聴聞会(三百三十一名の証言記録)と提出書類及び審問調書等の一千万語に及ぶ 調査記録は、開戦か屈服かの窮地に陥った日本政府に、開戦以外には選択の余地がないことを悟 らせるために米国政府がとった一連の行動、これと全く矛盾する日米友好を印象付ける米国民向け の発言、平和を熱望していた日本が、ハル覚書によって戦争を決意したことを、暗号解読によって ルーズベルトをはじめ、米国政府首脳が熟知していたこと等の実態を明らかにした。 それでも、多数派の民主党委員の判決は、当初の予定通り責任は現地指揮官にあるというルーズ ベルト擁護の結論であった。しかし、二人の共和党委員(ファーガソン、ブリュースター両上院議員) はそれを認めず、ルーズベルト政権と陸海軍最高司合部首脳部の責任を厳しく追及した報告書を 提出した。
52 : 真珠湾 日米開戦の真相とルーズベルトの責任 G・モーゲンスターン著 渡邉明訳 http://www5a.biglobe.ne.jp/~kinsei/0312.htm ■米国人ジャーナリストが解明した日米開戦の真相とルーズベルトの戦争責任 この調査において最も重要なことは、調査委員会が収集した全資料が、合計四十巻に及ぶ『真珠 湾攻撃記録および報告』として、公表されたことである。 その結果、常に真相を追及すべき立場のジャーナリストや史料の評価と分析によって、史実を解明 することを専門とする歴史学者の圏から見ると、多数派報告は、史料の評価方法を全く無視した、事 実と余りにも乖離した結論であることが明らかであった。 まず、ジョージ・モーゲンスターンが、この膨大な資料を精力的に調査・分析する作業を始めた。 そして、終戦から僅かに二年目の一九四七年に、ルーズベルト政権の陰謀と戦争責任を明らかにした 『パールハーバー−秘密戦争の物語−』を刊行し、忽ちベストセラーになった。戦後間もない戦勝気分 にあふれていたアメリカにおいて、国民的英雄であったルーズベルトを、意図的に国民を欺いた大統領 として非難することは、アメリカ人が正義と信じて戦った戦争を根底から否定することであり、アメリカを 愛する人々にとっては、忍び難いことであった。
53 : 50 名前:革命的名無しさん 投稿日:2008/12/07(日) 22:02:18 >>23 おsageさんのようにSGIにホイホイと乗せられている人もいます。
54 : オミンスさんて何? おsageさんて何? SGIはあれか?
55 : 真珠湾 日米開戦の真相とルーズベルトの責任 G・モーゲンスターン著 渡邉明訳 http://www5a.biglobe.ne.jp/~kinsei/0312.htm ■米国人ジャーナリストが解明した日米開戦の真相とルーズベルトの戦争責任 しかし、彼は、ルーズベルトの開戦前の言動と真珠湾調査委員会の報告書を詳細に調査し、アメリカ の国益を守るためには参戦が必要であると確信していたルーズベルトが、選挙のためにそれを隠し、 当選すると国民との公約を無視し、日本を開戦に追い込むことによって参戦の目的を達成した、と断定 した。そして、大統領の絶大な権限は、国民との信頼の上に成り立っているのであって、公約を破るため の謀略は、米国の理想と憲法の精神に反するとして糾弾した。 本書の著者モーゲンスターンも、日本をジャップと呼んでいることにその片鱗を見せているように、決し て親日家ではない。しかし、真実を追及すべきジャーナリストとしての責任感、事実を秘匿する方が、 アメリカの誇りとする良心に反するとする正義感が、ルーズベルトー派の日本に対する卑劣で陰険な 策謀と誓約に背き米国国民を騙して参戦させた行為を、見逃すことができなかったのである。
56 : 真珠湾 日米開戦の真相とルーズベルトの責任 G・モーゲンスターン著 渡邉明訳 http://www5a.biglobe.ne.jp/~kinsei/0312.htm ■米国人ジャーナリストが解明した日米開戦の真相とルーズベルトの戦争責任 真珠湾の真相を実証しようする本書には、モーゲンスターン特有の明敏な観察力とともに根拠を 明確にした厳密な論証にその特色がある。それは「本文」四三○頁に対して、「註」が八○頁、活字 の大きさを考えればご二分の一を占めると言っても過言でない綿密な「註」に明らかである。また、 ジャーナリストらしい鋭い切り口が随所に見られる。ハル覚書への日本政府の回答を、最後通牒と 認識した途端に、米国政府及び軍の要人が一時的に判断力を失い、真珠湾が攻撃されるまで全く 無能になったこと、そして、この一時的無能者が、その後異常な昇進を遂げた反面、この時真珠湾 攻撃の可能性を進言する等、適確な行動をした者は、その後の昇進がストップしたことへの皮肉を こめた指摘は、その一例である。
57 : 共産党は古今東西、イデオロギーのために人の生命や人権を軽んじて手段にしてきました。 また、イデオロギーのために、嘘を捏造し正当化してきました。 要するに、基本的人権をイデオロギーより重視できないから悪です。 左右異なっても、昭和の軍国主義と同じ悪です。 真正の尊王派にとっては、天皇を自分の権力のために利用した東條は仇敵です。東條を擁護することは昭和天皇に対する反逆を意味します。 東條の靖国合祀を認める保守の人がいますが、そういった人々は皇室を尊重していません。ただの身勝手か、昭和の軍国主義に忠実なだけなのです。 皇室2000年の歴史、とりわけ、聖徳太子以来の伝統から見れば 、昭和の軍国主義などは、皇国を窮地に貶めた害毒に過ぎません。
58 : 真珠湾 日米開戦の真相とルーズベルトの責任 G・モーゲンスターン著 渡邉明訳 http://www5a.biglobe.ne.jp/~kinsei/0312.htm ■米国人ジャーナリストが解明した日米開戦の真相とルーズベルトの戦争責任 一九四七年、東京では極東軍事が真っ最中の時機に、これだけの著書が刊行されたことに 深い感慨を覚える。しかし、戦時検閲で米国に不利となる情報を遮断していたGHQは、当然のこと として日本での発売を厳禁した。それから五十二年、去るの十二月八日、前記の『東京却下・ 未提出弁護側資料』の編集主務者として有名な渡邉明氏によって、この名著が日本語に翻訳・出版 されたことは、まさに快挙である。 同時に、チャールズ・A・ビーァド博士の『ルーズベルト大統領と一九四一年の開戦』(一九四八年 刊行)と双璧をなす、この貴重な書物が、これまで日本で翻訳ざれなかったことは全く不思議である。 日米開戦に関する日本の研究が、多数派意見に同調して、史実の解明に不徹底で、隔靴掻痒の感 がある原因が、ここに潜んでいるように思われる。
59 : 【張作霖爆の真実】1/3 田母神論文「コミンテルンの謀略」【桜 H20/12/13】 ゲスト:瀧澤一郎(国際問題研究家・元防衛大学校教授) http://jp.youtube.com/watch?v=HTh1yMkmuK8&feature=channel_page http://jp.youtube.com/watch?v=XsbC3BK9auU&feature=channel_page http://jp.youtube.com/watch?v=233fsKFGurI&feature=channel_page (3分50秒辺りから本題) 防人の道 今日の自衛隊 『田母神論文が問うた「コミンテルンの謀略」 』1〜3 http://jp.youtube.com/watch?v=pdASo00PbpQ http://jp.youtube.com/watch?v=g-I5p8_DmQk http://jp.youtube.com/watch?v=CpdKkvXIBpk 大東亜維新史観 概説 http://www.nicovideo.jp/watch/sm5193993 http://jp.youtube.com/watch?v=EC2rwzYh890 【マスコミ】コミンテルンと大東亜戦争【田母神閣下支持】 http://society6.2ch.net/test/read.cgi/mass/1228229525/
60 : 防人の道 今日の自衛隊 『田母神論文が問うた「コミンテルンの謀略」 』 http://www.nicovideo.jp/watch/sm5523694 ゲスト:瀧澤一郎(国際問題研究家・元防衛大学校教授) ★平成20年12月11日★ キャスター:濱口和久・佐野綾香 ■ 田母神論文が問うた「コミンテルンの謀略」 − 瀧澤一郎氏に聞く ロシア情勢にお詳しい瀧澤一郎氏をお迎えし、この程、ロシアで出版されたという画期的な書籍を ご紹介しながら、“ロシア革命の輸出総合商社”たるコミンテルンの成り立ちから世界中に向けて 展開してきた工作活動がどのようなものだったのかまで、機密文書を元に読み解いているその内 容から導き出される張作霖爆事件の真相や、その史実を引いた田母神論文の成したものなど について、お話を伺います。 参考文献 『赤い蜘蛛の巣』 (未邦訳) http://www.chtivo.ru/chtivo=3&bkid=784634.htm http://www.chtivo.ru/getpic3d/16777215/500/358550.jpg
61 : 文藝春秋 2009年1月号 http://www.bunshun.co.jp/mag/bungeishunju/index.htm 「真珠湾」六十八年目衝撃の真実 日米開戦 ──日本を破滅に追い込んだスパイ 西木正明 (本文引用) 結論を先に言えば、日米交渉とは英米のインテリジェンス機関によって最初から仕組まれた ものであり、結果として日本は真珠湾攻撃を決行し、あの国家を破滅に導く戦争に誘い込まれ ていったのである。 ■関係人物 ウィリアム・ワイズマン (クーン・レーブ商会(後のリーマン・ブラザーズ)共同役員) 米英諜報機関同士の連絡窓口 ルイス・ストラウス (クーン・レーブ商会社員、米大統領ハーバート・フーバー私設秘書) ジェームス・ドラウト師 (メリノール教会聖職者訓練学校長) ジェームズ・ウォルシュ司教 (メリノール教会派総長) ■参考文献 エール大学所蔵『ワイズマン文書』 ■背景 ルーズヴェルト大統領の周囲に蠢く200名以上の共産主義シンパ(ピンコ) 中国共産党・毛沢東によるホワイト・プロパガンダ及び対日ブラック・プロパガンダ 日本国内のコミンテルンのゾルゲ及び尾崎秀実ら共産主義者、朝日新聞などの敗戦革命計画
62 : 月刊 WiLL 2008年01月号 (2008年11月26日発売) http://web-will.jp/latest/index.html ■新年特大号!総力大特集 田母神論文、どこが悪い! 総力特集100ページ ・田母神前空幕長 独占手記50枚! ・中西輝政 田母神論文の歴史的意義 ・渡部昇一 「東京史観」の呪縛 「村山談話」は「外務省談話」だ ・西村眞悟 「村山談話」こそ更迭せよ! ・荒木和博 「虚構の国防」で国が滅びる ・西尾幹二 何に怯えて「正論」を封じたのか ・田母神論文も全文一挙掲載 田母神俊雄 「日本は侵略国家であったのか」
63 : 最近何かと話題多いね。。。 あと、こんなん発見した。 http://www.gikaijin.com/
64 : 〜あなたの知らない本当のイギリス〜 欧州最狂の【反日トンデモ国家】の実像とは? @イギリスの反日洗脳教育 南京大虐30万人、従軍慰安婦20万人という特ア製プロパガンダが完全に直訳のまま学校の教科書に掲載されています。 むしろ、中国産の反日プロパガンダをヨーロッパで拡大輸出している犯人はイギリスというのが事実です。 イギリスの高校のメジャーな修学旅行先は「タイ」。なぜだか分かりますか? 「イギリス人捕虜がここで野蛮なジャップどもに虐待されたのです。父祖の屈辱を忘れてはいけません。」 という反日野外授業をするためです。自分たちが植民地で有色人種を動物以下に扱っていたことなど一切教えません。 A反日マスゴミ イギリスのマスゴミは、一つの例外もなく全てが反日です。日本の良いところなどまず書きません。 東京に滞在しているイギリスマスゴミ各社の特派員はほぼ全員がノリミツオオニシの劣化コピーだと思ってください。 それくらい酷いです。国営放送のBBCですら日本は歴史教科書を書き換えて子供に戦争犯罪を教えていないだの 中国の工場は毒ギョーザなんて作ってなかっただの日本は外国人お断りの看板だらけの人種差別国家だのと平気で嘘八百を報じます。 また特アの受け売りだけでなく反捕鯨や死刑制度叩きという欧米独自の嫌がらせも行います。 B日本文化の不人気 イギリス人は日本のアニメや漫画をあまり好みません。イギリスで流通しているもののほとんどはアメリカからの二重輸入品か ドイツ・フランス・スペインあたりからの重訳です。その一方で残酷なアニメや漫画を取り上げてマスゴミが日本叩きをしたり イギリス政府が国連の人権委員会などに働きかけて日本への非難勧告を何度も決議させています。 C皇室侮辱 ヒロヒトは悪魔、今の天皇は悪魔の子。これがイギリスの常識です。プリンセス・マサコが幽閉・虐待されているという話が大好きなのは 日本の皇室がイギリス王室より腐っていてほしいという願望の表れでもあります。 英語には敬語表現がありますが、日本の皇室関係者が訪英した時などもマスゴミはイギリス王室だけに敬語を使い、まるで日本が下僕であるがごときナレーションをします。 江沢民が天皇に尊称を使わなかったのと同じようなものです。
65 : 月刊 WiLL 2008年01月号 (2008年11月26日発売) 大増刷出来! http://web-will.jp/latest/index.html ■新年特大号!総力大特集 田母神論文、どこが悪い! 総力特集100ページ 月刊「WiLL」編集部ブログ:オトナのジョーシキ 月刊誌『WiLL』編集長と編集部員が交代で更新する“編集日誌”ブログ http://monthly-will.cocolog-nifty.com/log/2008/11/post-e919.html 「田母神論文」問題へのご意見募集中! 2008/12/1 http://monthly-will.cocolog-nifty.com/ 皆さま、「朝まで生テレビ」はいかがだったでしょうか。 最後のアンケート結果を見て、私はやはり「田母神論文」が出てきた意味はあったと思いました。 田原総一朗氏は、私とは異なる考え方をお持ちのようですが、それでも「日本の分岐点」だとおっしゃっ ていたのには、同意します。 (中略) 追伸 WiLLはおかげさまで増刷しました。ありがとうございます。
66 : バカは死ななきゃ治らない。勝手に氏ねば。
67 : 月刊 WiLL 2008年01月号 (2008年11月26日発売) 大増刷出来! http://web-will.jp/backnum/index.html ■新年特大号!総力大特集 田母神論文、どこが悪い! 総力特集100ページ ・中西輝政 田母神論文の歴史的意義 「真珠湾論争」についての章を抜粋 現に最近も、カナダ・オタワ大学の歴史学者ブライアン・ヴィラとティモシー・ウィルフォードは、権威 ある学術誌にこの「真珠湾論争」をきちんと整理し直し、修正主義派(いわゆるルーズヴェルト陰謀説) との公平かつ真摯な議論の大切さを訴えている(Intelligence & National Security, August 2006)。 なお、彼ら自身も、自ら「修正主義者」と規定しているのである。 戦争が終わってすぐに出版されたチャールズ・ビアード著『ルーズヴェルト大統領と第二次大戦』と いう古典的な書籍があるが、これはルーズヴェルト大統領は真珠湾攻撃を知っていたといういわゆる 「真珠湾陰謀説」の嚆矢である。チャールズ・ビアードは20世紀前半のアメリカを代表する偉大な歴史 家だったが、この本を出版した為に彼は大いなる顰蹙を買い、失意の内に亡くなった。 その後も、ジョージ・モーゲンスターン著『真珠湾−日米開戦の真相とルーズヴェルトの責任』(194 7年、邦訳は錦正社、平成11年)がずっと読み継がれており、後には80年代にジョン・トーランド著『真 珠湾攻撃』(文藝春秋)が出版されている。 トーランドは立派な歴史家であるが、『真珠湾攻撃』を書いた途端に袋叩きに遭うことになった。 しかし、『真珠湾攻撃』から10年後には、ジェイムズ・ラスブリッジャーとエリック・ネイヴの共著『真珠 湾の裏切り−チャーチルはいかにしてルーズヴェルトを第二次世界大戦に誘い込んだか』(文藝春秋) が出版される。これも重要な書籍で、共著者の一人であるエリック・ネイヴはまさに「自分がそこにいた」 という立場から書いているのである。彼はイギリス海軍における暗号解読と日本語翻訳の専門家であっ た。これも「陰謀説」に分類されるものだ。
68 : ニコルソン・ベイカー Nicholson Baker (From Wikipedia, the free encyclopedia) http://en.wikipedia.org/wiki/Nicholson_Baker ■Human Smoke: The Beginnings of World War II, the End of Civilization (2008) is a history of World War II that questions the commonly held belief that the Allies wanted to avoid the war at all costs but were forced into action by Hitler's unforgiving crusade. It is written in a mostly objective style, largely consisting of official government transcripts and other documents from the time. He cites documents that suggest that the leaders of the United States and the United Kingdom were provoking Germany into war (showing, for example, that Britain bombed Germany before Germany bombed Britain) and that the leaders of those two nations had ulterior motives for wanting to participate. In the epilogue to the book he suggests that the pacifists (who are often vilified by WWII historians) had it right all along, stating: “They failed, but they were right.” Human Smoke: The Beginnings of World War II, the End of Civilization (ハードカバー) http://www.amazon.co.jp/Human-Smoke-Beginnings-World-Civilization/dp/1416567844 ニコルソン・ベイカーの著書『人間の煙』は1941年の真珠湾攻撃がルーズヴェルト大統領の対日攻撃意図 に基づく誘導によって生じたものであるということを公開史料から証明していったものである。 2008年の本書、1947年のジョージ・モーゲンスターン著『真珠湾 日米開戦の真相とルーズベルトの責任』 など、今や真珠湾攻撃が米英の陰謀による誘導、そして更にはソ連スターリンのコミンテルン、その傘下の 中国共産党の毛沢東らによる対日ブラックプロパガンダの策謀と総合して理解する事が必要となってきている。 更には当時のアジアが白人帝国主義に蹂躙されていた事なども史実として考慮しなくてはならない。
69 : ニコルソン・ベイカー Nicholson Baker (From Wikipedia, the free encyclopedia) http://en.wikipedia.org/wiki/Nicholson_Baker Human Smoke: The Beginnings of World War II, the End of Civilization (ハードカバー) http://www.amazon.co.jp/Human-Smoke-Beginnings-World-Civilization/dp/1416567844 GHQ焚書図書開封 #28◆開戦直後に真珠湾のそばをすり抜け帰国した日本商船 ★平成20年12月20日 公開★ http://www.so-tv.jp/ 今年になりましてもニコルソン・ベイカーという人がですね、「Human Smoke」という本を書いていて、これ は普通の人の読むような、誰も否定できないような新聞記事や、事例、出典などを掻き集めてですね、 何年かに亘ってアメリカ大統領ルーズヴェルトの対日攻撃意図というものをずーっと論証していく本で、 今年になってですよ、2008年、非常に話題になっておるんですね。ということは、新しい例証で、公開さ れた史料なんです、全部。公開された史料を積み重ねていっても、どうもアメリカ・ルーズヴェルト大統領 の日本に対する攻撃的悪意というものが論証される、ということで、アメリカ人の中で、日本を追い込んだ 事に対する強い反省の念が湧き起こっているというのが今の実態で、もうそれが、陰謀説と一体化する様 な形で論証が進んでいるわけで、歴史というのはね、学問的にどれが正しいとか、今の学会が認めてる認 めてないとかこんな事言っちゃ困るんですよ。歴史は動くんですから。(後略)
70 : チャンネル桜ってところで引いた人って俺だけ?w
71 : GHQ焚書図書開封 #28◆開戦直後に真珠湾のそばをすり抜け帰国した日本商船 チャンネル桜インターネット放送「So−TV」★平成20年12月20日 公開★ http://www.so-tv.jp/ 私はですね、陰謀説はその通りだと思っています。つまり、これだけ証拠が揃って、そして本を挙げま すと、私専門じゃないんで、中西輝政さんが沢山の本を挙げています、ズラーッと挙げてこれだけの本 があって論証されていれば(もうルーズヴェルト大統領の真珠湾攻撃誘導の陰謀は明らかである)、特 に私が最近読んだのは文藝春秋から出ているロバート・B・スティネットの『真珠湾の真実』という、これ は一番新しく出ている出版・翻訳されているルーズヴェルト陰謀説の決め手となるような本ですけれども、 私はそういうものを読む度に、2つのこと(中略)(要約:アメリカが悪意を以て日本を陰謀に嵌めて真珠 湾攻撃に誘導したこと、一方、日本がまんまと策謀に陥れられたことは更に日本人を絶望に追い込むも のではないか。)アメリカの悪意が知性と結びついて謀略を生んで策略を生んで日本が嵌められたんだ と、そしてそれはドイツとの開戦というのを期待していたチャーチルの意図があってそうなったんだという ルーズヴェルトとチャーチルの作戦だったということになると、私達日本人はより複雑な感情を持たざる を得ない、少なくとも私はそうなんですね。 『真珠湾の真実』ロバート・B・スティネット http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4163575308.html
72 : GHQ焚書図書開封 #28◆開戦直後に真珠湾のそばをすり抜け帰国した日本商船 チャンネル桜インターネット放送「So−TV」★平成20年12月20日 公開★ http://www.so-tv.jp/ (日本の)南進を誘って、ソ連と戦争をさせないようにしたのも謀略で、尾崎秀実のスパイ、ゾルゲ 事件、それからゾルゲが近衛内閣の情報を悉くモスクワ、クレムリンに報じていた、ということで、 そしてそれが真っ直ぐ又ワシントンに繋がっていた、そのワシントンに繋がっていたのが田母神さん が例を出しているハリー・デクスター・ホワイトというスパイが、ワシントンのアメリカ大統領府の中 枢部にいたと、まぁこの話も最近では段々明らかになってきているわけで、つまりコミンテルンの 謀略によって大東亜戦争というものは誘発されたんだとすると、我が国は、要するにアメリカの謀 略だけではなくて、モスクワの謀略、クレムリンの謀略という十重二十重の謀略だったんだという ことが言えるわけなんですね。そういうものに騙されたんだというのは物凄く悔しいことであって、 戦争をすることは見事であったけれども、日本人の戦争は勇敢武勇だったけども、みんな本当、 死ぬ覚悟で商船までが戦ったんですからね、ですが、同時にしかし、知力、騙されないという国 際社会の中で騙されないで生きるという事ももっと大事なことだという風にも思って今、改めて歴史 を回顧する(略)
73 : 自らの身は顧みず 田母神俊雄著 http://www.web-wac.co.jp/publish/ http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4898311288.html 「日本は素晴らしい国だ」 「侵略国家などではない」 と言った私は、航空幕僚長を解任された。しかし、国益を損なうと思ったことについては、日本の 立場をきちんと主張しなければならない。国家防衛の基盤は愛国心である! ■中西輝政氏 京都大学教授 重要なのは、「日本だけが侵略国家ではなかった」という点だ。 東京史観を支える論者には、 常に国際的視野が欠けている。 ■高山正之氏 ジャーナリスト 中国に行って、軍の幹部に、「中国の歴史認識は間違っている」と断言した田母神氏。 媚中政治 家は田母神氏の爪の垢でも煎じて飲め。 ■小林よしのり氏 漫画家 田母神前幕僚長は大したもんだ。 へなちょこの政治家に比べて、サムライの気構えを感じる。 自衛隊の思想統制を絶対に許してはならない! ■日下公人氏 評論家 空幕長更迭は悲しい事件である。 今回の更迭による士気の低下を、マイナス30%とすれば、自 衛隊の損害は37兆5千億円にあたる。 http://www.exblog.jp/blog_logo.asp?slt=1&imgsrc=200812/16/58/e0064858_3344485.jpg http://www.exblog.jp/blog_logo.asp?slt=1&imgsrc=200812/16/58/e0064858_3345273.jpg
74 : 月刊WiLL | 最新号目次 http://web-will.jp/latest/index.html 新春特大号! 総力大特集 田母神論文をすな! 憤激対談 ■小林よしのり・田母神俊雄 憲法に書かずに文民統制もへったくれもない ■櫻井よしこ 誰もわかっていない「文民統制」 ■渡部昇一 ヒトラーも「文民」だった ■潮 匡人 防衛音痴のアホ、バカ文化人・言論人 ■柿谷勲夫 軍の尻を叩いた朝日新聞 田母神論文、読者投稿 ■読者はこう考える10編
75 : >>70 それはコミンテルンの陰謀
76 : それはコンツェルンの陰謀
77 : 【書評】『日本は「侵略国家」ではない!』渡部昇一、田母神俊雄著 2008.12.21 http://sankei.jp.msn.com/culture/books/081221/bks0812210836003-n1.htm 先の大戦を「日本の侵略だった」とする見方を真っ向から否定した懸賞論文を発表した航空自衛隊 の田母神(たもがみ)俊雄前空幕長と、論文の審査委員長で保守の論客、渡部昇一氏の共著。 どのような経緯で田母神論文が最優秀作と決まり、空幕長職の解任劇につながったのかを説明。 論文内容のどこが問題視されたのかを丁寧に解き明かしながら、日本が「侵略国家ではない」ことを 力説する。 両氏に共通するのは祖国を愛し、「ゆがんだ歴史認識が国を滅ぼしかねない」と危ぶんでいることだ。 中でも、歴史認識についての政府見解である「村山談話」を痛烈に批判する。 田母神氏は「ゆるぎない愛国心こそが国を守る原動力だ」と訴える。文民統制や国防のあり方を考える ヒントが詰まった一冊だ。22日発売。(海竜社・1260円) 日本は「侵略国家」ではない!渡部昇一 田母神俊雄 海竜社 (2008/12 出版) http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4759310541.html
78 : 日本文化チャンネル桜 平成20年12月29日(月)から平成21年1月3日(土)にかけての1週間、チャンネル桜では、 年末年始特別編成 にて番組をお送りいたします。 1月2日(金) 19:30-20:30 新春特別企画 「日本の現在と未来を語る」 パート1 1月3日(土) 19:30-20:30 新春特別企画 「日本の現在と未来を語る」 パート2 戦後レジームの大いなる矛盾を見事に白日の下にさらし、真に日本を思う人々を勇気づけられた 前航空幕僚長の田母神俊雄氏をお迎えし、この国の現状と未来についてじっくりと語り合った 新春特別企画をお送りします! ■出演 田母神俊雄 (前航空幕僚長) 中條高徳 (日本戦略研究フォーラム 会長) 渡部昇一 (上智大学名誉教授) ■司会進行 丹羽文生 (拓殖大学海外事情研究所客員研究員・東北福祉大学講師) ※ パート1のみ 水島 総 (日本文化チャンネル桜 代表) ※ 1月2日(金) So-TV 配信予定 ※ 番組内容は変更になる場合もございますので、予めご了承ください。
79 : Will オトナの常識[月刊ウイル]2009年1月号(2008/11/26発売) http://web-will.jp/backnum/index.html ■中西輝政 田母神論文の歴史的意義 (張作霖爆とコミンテルン) 21世紀に入って、ロシアでは「張作霖爆はコミンテルン(正確にはソ連軍諜報部)がやったもの である」という研究や報道が次々と現れ始めた。確定的な一次資料は未だ出ていないが、「日本軍の 仕業」として断定出来なくなってきているのである。 またロシアでの議論に加え、近年、この時期のイギリスの情報部資料が出てきたが、張作霖爆 については、当時、イギリスのMI2c(陸軍情報部の中の極東課)が中心になって調査し、事件直後 「ソ連の仕業ではないか」という第一報を送っていたことが明らかに成った。 その後、彼らは東京から入る外交報告で、「日本は自分たちがやったと思っていて、内閣も宮中も 大騒ぎになっている」ことを知り、実際に張作霖爆を起こしたのは誰なのか、ということを更にその後、 延々4ヶ月間に渡って調査している。 そして4ヶ月後の1928年10月、まとまった報告書を提出し、そこで「ソ連が主役だ(protagonist)」 と結論し、書き送っている。つまり、関東軍もかんだかも知れないが、ソ連(コミンテルンないしソ連軍 諜報部)が主役だったという結論を出しているのである(その文書番号はWO105-5750, MI2c Note 19 October, 1928)。 こういう文書、史料がようやく今、読めるようになり、それらを検討していくのはこれからの仕事であっ て、今や「確定している」というのはまかり間違っても言えないことなのである。つまり、日本の歴史教科 書や多くの昭和史の本は、これまでの「確定」調では書けなくなってきているのである。
80 : Will オトナの常識[月刊ウイル]2009年1月号(2008/11/26発売) http://web-will.jp/backnum/index.html ■中西輝政 田母神論文の歴史的意義 (新史料「マッカラム覚書」) ルーズベルトの対日政策をみる時、特別に重要な部署であった海軍情報部の対日責任者、マッカ ラム少佐が1940年10月に書いたこの覚書は、簡単に言えば、「三国同盟を結んだ日本はアメリカが 政策転換(欧州参戦)を行う上で非常に都合のよい位置に自らを投げ入れた。日本を追い詰めていっ て日本から先に攻撃に出ざるを得ないような事態を作り出せば、ルーズベルト大統領の最大の悩み (アメリカ世論が欧州参戦に反対という問題)が解決できるだろう。その為には次のような政策がある。 第一に・・・」というような主旨で8項目を挙げている。 その8項目の殆どはその後の1年でほぼ実施されているが、一番典型的なのは「在米日本資産凍結」 と、オランダやイギリスと一緒になって行った「対日石油禁輸」である。明らかに、これを行うと「日本は必 ず暴発する」という考えで書かれている。
81 : Will オトナの常識[月刊ウイル]2009年1月号(2008/11/26発売) http://web-will.jp/backnum/index.html ■中西輝政 田母神論文の歴史的意義 (いかに日本を追い込むか) あるいはルーズベルトの信任厚い陸軍長官スチムソンは1941年10月、アメリカは第二次世界大戦 への参戦を可能にする為に、米海軍の基地があるフィリピンを日本に奇襲攻撃させるよう仕向けるべき だ、とはっきり述べている(Stimson Diaries, October6&16, 1941)。更には11月25日の閣議でルーズベ ルトは「問題は、いかにして日本に最初の一発を撃たせるように追い込んでゆくかである」と語っている (同右、November25, 1941)。 その上、ハル・ノートを用意していることが明らかになった時点で「我々は裏口のドアから参戦するのだ」 ということを閣僚同士が話している史料も残っている。 これらがアメリカ側に「日本を罠に嵌める」とか「欧州参戦のために日本を暴発させる」という戦略があっ たということの雄弁な根拠だと私は考える。これすらも否定するとすれば、「私は今から日本を罠に嵌めま す」というルーズベルト自身が書いた文書でも見つからない限り、この間のアメリカの策略については語れ ないということになる。 「マッカラム覚書」はルーズベルト自身の目にとまり承認された可能性がかなり高いものだと言えるが、 それすらも無視する人々は、一体何が出てきたら田母神論文の批判派が言う「通説」を改めるのであろう か。
82 : Will オトナの常識[月刊ウイル]2009年1月号(2008/11/26発売) http://web-will.jp/backnum/index.html ■中西輝政 田母神論文の歴史的意義 (「近衛上奏文」も無視) 先に蒋介石もコミンテルンによって動かされたと述べているように、「コミンテルン」(狭義のコミンテ ルン以外に、KGBの前身たるソ連情報部そしてGRUすなわち赤軍諜報部そしてGRU即ち赤軍諜 報部を含む)という存在が日本と大東亜戦争を考える時、非常に重要な存在なのだが、田母神論文 はこれを総称して「コミンテルン」の果たした役割の重要性を繰り返し訴えているのである。 これは当にソ連崩壊後に出てきた「コミンテルン」ないしソ連諜報機関の活動に関する文書が、近 年広範に読めるようになった新しい歴史研究の成果を踏まえて論文を書いているということだ。 (中略) 蒋介石もルーズベルトも「コミンテルン」に動かされていたが、忘れてならないのは、実は一番動か されていたのが日本の近衛内閣であったことだ。そのことを近衛文麿公は昭和20年になって知った ため、既に自らの政権におけるコミンテルンの暗躍から8年近くも経ち、時既に遅かったのである。
83 : 防人の道 今日の自衛隊 −平成20年12月26日号 ゲスト:杉原誠四郎(歴史学者・評論家) http://www.so-tv.jp ★平成20年12月26日★ ■ ルーズベルトの昭和天皇宛親電に潜む意図と、翻弄された日本 − 杉原誠四郎氏に聞く 『正論』2月号にて「ルーズベルトの昭和天皇宛親電はどうなったか」を執筆された杉原誠四郎氏を お迎えし、これまでルーズベルト大統領による開戦回避のための最後の努力であると見られてきた 昭和天皇宛ての親電に秘められているしたたかな狙いについて、「開戦前」に親電を打つことがルー ズベルトの常套手段であることや、米国側の「温情」に期待を寄せていた在米日本大使館などが翻弄 される様子を時系列を追ってお話しいただきながら、明らかにしていただきます。また、今なお改善の 見られない日本のおそまつな外交姿勢や発信力のなさなどの問題点についても、お話を伺います。 正論2月号 http://www.sankei.co.jp/seiron/wnews/0901/mokji.html 〈特別読物〉一挙100枚! 日米開戦最後の秘密 ルーズベルトの昭和天皇宛親電はどうなったか なぜ戦争回避につながる親電案を用意したのか。“工作”を読み解く 歴史学者・評論家 杉原誠四郎 日米開戦以降の日本外交の研究 (新訂版) 杉原 誠四郎【著】 http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4750597147.html
84 : 防人の道 今日の自衛隊 −平成20年12月26日号 ゲスト:杉原誠四郎(歴史学者・評論家) http://www.so-tv.jp ★平成20年12月26日★ ■ルーズベルトの昭和天皇宛親電 10.18 東条英機内閣成立 11.15 来栖三郎、ワシントンに赴任 11.23 朝河貫一、「天皇宛親電案」 作成 11.25 軍事会議で日本に最初の一弾を撃たせる相談をする 11.26 栗栖、東郷茂徳外相に親電構想の意見具申 ハル、ハル・ノートを日本に突きつける 11.27 野村、栗栖、ルーズベルト大統領と会談 11.27〜28 ウォーナー、複数の政府高官に親電案を渡す 11.28 東郷、親電構想拒否の回答 軍事会議でルーズベルト大統領、親電構想を打ち出す 11.29 天皇宛親電(第一次案)できる 12.3 ジョーンズ、ルーズベルト大統領と会う 12.4 シカゴ・トリビューン、「戦争計画」を暴露
85 : Will オトナの常識[月刊ウイル]2009年1月号(2008/11/26発売) http://web-will.jp/backnum/index.html ■中西輝政 田母神論文の歴史的意義 (「近衛上奏文」も無視) 「近衛上奏文」は、近衛首相自ら天皇に対して「上奏文」という極めて重要な形式を取って提出した 文書であり、しかもその内容については東条内閣以降、戦争の成り行きを非常に懸念していた吉田 茂などの国際情勢に最も精通している人たちが参加して、その案文を作ったのである。これを一顧だ にしないかのような姿勢で戦後史家は通り過ぎ、あたかも見て見ぬふりをしている。 (中略) この上奏文は周知のように、日本の内閣の中枢や軍の大きな動きの背景に、実はその中に紛れ込 んでいた「コミンテルン」の工作員たち、例えば尾崎秀実やゾルゲのような者が多くいて、「そのような 見えない力に私は動かされていたように思います」という主旨で、かっての自分の政権の中にも多くの 隠れ共産分子がおり、日本を罠に陥れていったことが今になって分かってきたとして、敢えて自らの不 明を詫びつつ、しかもそれを天皇に上奏したものである。 これはゆるがせに出来ないものだと思うが、「近衛上奏文」の背景或いは近衛、特に吉田茂らが言わ んとしたことをきちんと検証した戦後の歴史家は一人としていないし、彼らにそうしたことを気づかせた 根拠に関し、国際的にどのような資料があったのかを調べた人もいない。 これには戦後、隆盛を誇ったマルクス主義史観からの反撃を恐れ、遠慮してきたことが大きな要因だ ったと思われる。強大なマルクス主義史観の歴史学会や、それに影響されるマスコミ出版会に遠慮して、 ソ連の工作が日本を動かしていたとか、尾崎秀実は日本を裏切っていたことを採り上げ、戦前の日本 政府内に潜行していた共産系の工作について悪口を言うことが出来なかった名残であろう。
86 : 警備警察50年◆現行警察法施行50周年記念特集号◆ http://www.npa.go.jp/kouhousi/biki2/index.htm 第2章 警備情勢の推移 対日有害活動 http://www.npa.go.jp/kouhousi/biki2/sec02/sec02_0701.htm 1 ロシアによる対日有害活動 (1)ラストボロフ事件(昭和29年1月24日 米国に亡命) この事件は、ソ連の情報機関員とみられる 在日ソ連通商代表部二等書記官 ユーリー・A・ラストボロフ(当時32歳) が、日本の内外政策に関する情報収集の任務を帯びて来日し、外務省、通産省事務官等多数の日本 人エージェントを使って情報収集活動を行っていたスパイ事件である。 ラストボロフは、昭和29年1月24日、米国に亡命し、記者会見に於いて、日本に於ける情報収集活動 の実態を明らかにした。ことに、終戦後のシベリア抑留中の日本人に対するエージェント工作の実態を 暴露し、昭和25年までにソ連のエージェントとなることを誓約させられた日本人は約500人、その他の 情報提供者を含めた潜在エージェントは8,000人以上に達することを明らかにした。 戦後の外事事件―スパイ・拉致・不正輸出 外事事件研究会【編著】 http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/480901147X_1.html ↑コミンテルンは1943年に解散したが、上記の如く旧ソ連が操る対日有害活動エージェントは昭和29 年の時点に於ては8,000人以上に達し、特に約500人は誓約帰国者として運用されていた。 戦後日本は、アメリカのGHQ、旧ソ連のエージェントなどが入り乱れるスパイ天国となっていたのである。 今なお、コミンテルンの影響力は強力に残っている。
87 : 戦後の外事事件―スパイ・拉致・不正輸出 外事事件研究会【編著】 http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/480901147X_1.html T ロシア(旧ソ連)関係諜報事件 参考1 ゾルゲ事件 昭和16年10月18日 警視庁検挙 この事件はソ連の情報機関員とみられる ドイツ新聞日本特派員 リヒアルト・ゾルゲ (ドイツ人 当時46歳) を中心に外国人、日本人で組織された在日スパイ組織が、8年間にわたって我が国の政治、経済、軍事 などの機密情報を収集し、ソ連に報告していたスパイ事件である。 ゾルゲは昭和8年9月、ドイツ及びオランダの新聞社日本特派員として身分を偽装する一方、ナチス党 員の資格を持って入国し、新聞記者で後に内閣嘱託、満鉄調査部嘱託となった 中国問題評論家A(=尾崎秀実) ら日本人、外国人多数で構成するスパイ網を組織し、日本の対ソ攻撃計画に関する情報収集を任務とし て活動していた。 ゾルゲはドイツ共産党からソ連共産党に転籍したソ連スパイであるが、ドイツ政治学博士の学位を有し、 偽装の為ナチス党籍を獲得し、かつ、有数の東洋通であったことから在日ドイツ大使館の信任も厚く、日 本の中枢部に入り込み、我が国の政治、経済、軍事などの機密情報を収集し、無線電信などによりソ連 に報告していた。 ゾルゲが我が国に派遣された昭和8年から16年に至る時期は、第二次世界大戦勃発前後の最も複雑 な国際情勢にあり、ゾルゲの広汎、緻密な情報は、ソ連の政策決定に大きな影響を及ぼしたと見られる。 特に、昭和16年、ゾルゲは今まで集めた情報の分析に基づき、 「日本は南進政策を採り、ソ連攻撃の意図は無い。」 と、本国へ打電し、ソ連はこの情報により、当時我が国を警戒してソ連シベリア国境地帯に配備していた ソ連軍の部隊をヨーロッパに移動増強する事が可能となった。
88 : 戦後の外事事件―スパイ・拉致・不正輸出 外事事件研究会【編著】 http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/480901147X_1.html T ロシア(旧ソ連)関係諜報事件 参考2 レフチェンコ証言問題 昭和57年12月9日 米国下院情報特別委員会公表 レフチェンコ証言問題は、KGB情報機関員である ノーボェ・ブレーミヤ誌(「新時代」)東京支局長 スタニスラフ・A・レフチェンコ (当時38歳) が米国に亡命し、米国下院情報特別委員会で、ソ連のアクティブ・メジャーズ(政治工作)につい て証言を行い、多数の日本人エージェントを運営していた実態を明らかにした事案である。 レフチェンコは、昭和50年2月に来日し、日本の各界に対し、 ・日本、米国、中国の離間 ・親ソ連ロビーの扶植 ・日ソ善隣協力条約の締結 ・北方領土返還運動の沈静化 等を狙いとした政治工作を行う事を任務とし、昭和54年10月、米国に亡命するまでの間に11人 の日本人エージェントを直接運用していた。 レフチェンコは、その証言の中で、日本人エージェントのコードネームを示し、著名な政党の人物 やジャーナリストが含まれていることを明らかにすると共に、これらのジャーナリストは、自民党や 閣僚メンバーを含む上級政府職員とハイレベルの接触があり、日本政府の内外政策についての秘 密の口頭情報や資料の提供を受けたことを証言した。
89 : 戦後の外事事件―スパイ・拉致・不正輸出 外事事件研究会【編著】 http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/480901147X_1.html T ロシア(旧ソ連)関係諜報事件 参考2 レフチェンコ証言問題 昭和57年12月9日 米国下院情報特別委員会公表 日本に於けるKGBの実態について、レジデントと呼ばれる在日KGB機関長の下に、 ・ラインX (科学技術情報収集担当) ・ラインN (イリーガル支援担当) ・ラインKR (防諜担当) ・ラインPR (政治情報担当) と呼ばれる各ラインが組織されており、ラインPRは、 ・アクティブ・メジャーズ班 ・米国を担当する主敵班 ・中国班 から構成されていたことなどを明らかにし、1970年代のアクティブ・メジャーズの中で最も成功 したケースの一つに「周恩来の遺書」の捏造を挙げている。「周恩来の遺書」は、日中離間を最大 目的としてKGBによって捏造され、在日KGB機関員が、サンケイ新聞社の記者を通じてサンケイ 新聞に掲載(昭和51年1月23日付朝刊)させることに成功し、その後、タス通信がこれを取り上げ て大々的に世界中に伝えた背景を証言した。 ※こうした工作はサンケイ新聞のような保守系メディアの方が有効である。 ※対日工作においてはラインXが非常に成果をもたらし、その上リスクがスパイ天国日本では少な いとして人気があったという。 ※ラインNの未遂に終わったRテロ計画などはミトロヒン文書などにも記されている。
90 : 知られざるインテリジェンスの世界 世界を動かす智恵の戦い http://www.php.co.jp/bookstore/detail.php?isbn=978-4-569-70468-5 第2章 情報活動の基本 /雪作戦と日米開戦 ルーズベルト政権の財務長官ヘンリー・モーゲンソーの下で次官を務めたハリー・デクスター・ホワ イトは、ソビエトの情報機関に操られたスパイであったとされている。モーゲンソーはルーズベルト大 統領が最も信頼を寄せている無二の親友であった。週に少なくとも1回は大統領と昼食を共にしたとも 言われている。 ホワイトはマッカーシー旋風が吹き荒れていた1948年に、議会の調査委員会によってされ証 言台に立たされた。戦後にソ連のスパイ容疑を掛けられた者の中では、最も高位の連邦職員であった。 彼は国際通貨基金(IMF)や世界銀行の創設に深く関わった人物である。暗号解読によって判明した 彼に対するソビエト側のコード名は、Richard、Lawyer、Reedの3つであった。 ソビエト情報機関は「雪作戦」(Operation Snow)を発動して、ホワイトに対する働きかけを行った。雪 は白い(White)というところからの命名である。まずはアメリカが中国支持を強化する方向に持って行く ことである。アメリカが中国支持を鮮明にすれば、それは必然的に日米関係の悪化に連なって、日本が ソビエトを攻撃する可能性が薄らぐからである。当時ソ連が恐れていたのはドイツと日本という敵を腹背 に受けて、二正面作戦を強いられることであった。 須藤眞志『ハル・ノートを書いた男』(p.162)はソ連の情報員の言葉を次のように引用している。 「われわれの目的は、極東のソ連地域を日本の攻撃と侵攻の可能性から守り、安全にすることでした」 ジェロルド・シェクターとレオナ・シェクター共著の『聖なる秘密』(Sacred Secrets, p.23)によれば、ソ連か らの使者はホワイトに、アメリカが日本に要求すべき事項を伝えていた。それは、 ・中国への侵略の停止 ・大陸からの軍の撤退 ・満州からの全面撤収 の3項目であった。
91 : 知られざるインテリジェンスの世界 世界を動かす智恵の戦い http://www.php.co.jp/bookstore/detail.php?isbn=978-4-569-70468-5 第2章 情報活動の基本 /雪作戦と日米開戦 ホワイトに対するソビエトの働きかけは巧妙で、米ソは相互理解と共通の利害関係に結ばれている とする雰囲気を盛り上げていった。平和の維持と米ソ関係の改善を目指しているかのように思い込ま せて、その実ソ連の意図を徐々に浸透させていったのであった。そしてホワイトを通してモーゲンソー を動かし、モーゲンソーの「考え」はルーズベルトに達していたのである。 ホワイトは理想主義に基づいた戦争の回避を主張しているかに見えるが、実はソビエトの恐れる日本 軍のシベリア進行阻止に加担していたのである。彼がソビエトの意向通りに動いた結果、アメリカは日本 に対して中国からの全面撤兵を要求し、石油の全面禁輸を実施した。これがパールハーバー攻撃を誘 発したとされている。またホワイトは日本の進出を抑える為に、中国に対して多額の借款を与えることも 考えていた。 当時の状況として、駐日アメリカ大使のジョセフ・グルーは日本に対する強攻策が戦争を誘発するこ とになると恐れていたが、国務省の極東部部長のスタンレー・ホーンベックは、日本に支援を与えるのは 間違いで、軍事力で対抗すべきだという意見であった。日米交渉のアメリカ側の当事者はコーデル・ハル 国務長官で、彼が1941年11月26日に日本側が提示した文書に、いわゆるハル・ノートがある。日本側 はこれを最後通牒、つまり事実上の宣戦布告と受け取った結果、この文書が太平洋戦争開戦の切っ掛け となったことは知られている。このハル・ノートを起草したのはホワイトであるが、本当の発案者はスターリ ンだという人もいるくらいである。 後の東京で梅津美治郎被告の弁護人となったベン・ブルース・ブレイクニーは、「もしハル・ノート のようなものが突きつけられたなら、ルクセンブルクのような小国も武器を取り、アメリカと戦っただろう」 と発言している。
92 : 知られざるインテリジェンスの世界 世界を動かす智恵の戦い http://www.php.co.jp/bookstore/detail.php?isbn=978-4-569-70468-5 第2章 情報活動の基本 /雪作戦と日米開戦 (ヤルタ会談に於いて)ホワイトが作成した財務省提案は、ソ連に巨額の借款を30年間低利子で供与 する。またドイツに要求する予定の200億ドルに上る賠償金の半額をソ連に与えるというものであった。 更にソ連の意に沿って、ドイツの化学、電気、冶金の諸産業を完全に廃止させるということも盛り込んで いた。 しかし国務省の反対で、借款とドイツの非産業化は実現しなかった。但しドイツの賠償金に対する提案 は、チャーチルの反対にも関わらず、ルーズベルトが賛意を表しているのである。この様なスパイを味方 に持てば大変心強いが、敵にすれば気づかぬ内に危機的状況に追い込まれる可能性が有る。 なお、このヤルタ会談について、アメリカのブッシュ大統領は「歴史的誤り」として非難した。2005年 5月7日のことである。 (中略) アメリカがソビエトの無線通信に対して行った暗号解読作戦であるヴェノナ(Venona)が明らかにした ところによると、ソ連の人民内務委員会(NKVD)は、ルーズベルト政権の主要部全てに浸透することに 成功していたのであった。
93 : 機密指定解除 − 歴史を変えた極秘文書 http://ec.nikkeibp.co.jp/item/books/G10960.html 第1章 戦争の裏側で何が? 9,盗聴されたルーズベルトとチャーチルの交信 1940年8月 第二次世界大戦 − 基地秘密協定の為の駆逐艦 1940年5月15日の午後、英国海軍の密使が、一通の文書を新首相の執務室から米国大使館 へ運んだ。大使館の暗号室でその文書は暗号化され、ホワイトハウスの暗号室へ送信され、解読 された上でフランクリン・D・ルーズベルト大統領に手渡された。 ルーズベルトとチャーチルは、この数ヶ月間密かに連絡を取り合っていた。海軍大臣としてのチャ ーチルは、ルーズベルトに、大西洋上で巡視している米国海軍艦船が発見したUボート関連の情報 を回してくれるように依頼した。ルーズベルトは直ちにこれに応じた。英国海軍情報部の責任者は チャーチルに、「米国は既に中立の立場とは言えない」と告げた。ルーズベルトとチャーチルは、共 に米国の中立法違反を見逃していることが公になると米英の関係を損ない、間もなく三期目に立候 補しようとするルーズベルトを政治的に傷つけてしまうことを承知していた。
94 : 機密指定解除 − 歴史を変えた極秘文書 http://ec.nikkeibp.co.jp/item/books/G10960.html 第1章 戦争の裏側で何が? 9,盗聴されたルーズベルトとチャーチルの交信 1940年8月 第二次世界大戦 − 基地秘密協定の為の駆逐艦 両者の秘密交信がドイツに傍受されていることに、二人は気付いていなかった。米国大使館の暗 号室で勤務していたのはタイラー・G・ケントで、彼はルーズベルトとチャーチルとが共に謀って「米国 を密かに参戦させる画策をしている」と信じていた。公然たる反ユダヤ主義者のケントは、ルーズベル トは”ユダヤの手先”だと思っていた。ロシア生まれのケントの愛人で親ナチ派、アンナ・ウォルコフも またそう考えた。彼女は帝政ロシア最後の皇后に使えた侍女だった。ケントは文書を写真に撮り、アン ナに渡した。アンナはその写真をロンドンのイタリア大使館の連絡員に渡した。イタリア大使はその情 報をローマへ転送する。イタリア駐在のドイツ大使は、その情報をベルリンの外務省へ送った。 ロンドンのブレッチリー公園にある英国の暗号解読部隊の中枢部では、ドイツ外務省の通信を日常 的に傍受し解読していた。5月のある日、ローマからベルリンへ送られる通信の中で、チャーチルへ 送信されたルーズベルトの秘密電文を見て度肝を抜かれた。それには「40隻ないし50隻の老朽駆逐 艦を引き渡すのは可能だが、議会の特別承認を必要とする。現状では、それは容易なことではない」 とあった。
95 : 機密指定解除 − 歴史を変えた極秘文書 http://ec.nikkeibp.co.jp/item/books/G10960.html 第1章 戦争の裏側で何が? 12,スターリンが是認した朝鮮戦争 1950年4月 朝鮮戦争 − 韓国侵攻でのソ連邦の役割 1945年8月29日、北朝鮮ハムフンの近くでソ連の戦闘機が、米軍の「超空の要塞」B−29爆撃機 に発砲、強制着陸させた。このB−29は、日本軍が最近放棄したばかりの捕虜収容所に取り残された 連合軍後呂に補給物資を投下する作戦行動中だった。第二次世界大戦はその15日前に終結していた が、B−29の乗組員たちは新たな戦争が始まったことを知らなかった。それは「冷戦」と呼ばれること になる。 (中略) 米国とソ連両政府は、軍事境界線(38度線)を設け、ソ連が支援する北朝鮮と米国が支援する韓国 に分離した。 (中略) その頃、米国の情報機関は、金日成に対して韓国を襲撃するように、ソ連がどの程度強く指示してい るのか理解していなかった。また、中国が金日成の計画に関わっていることにほとんど気付いていなか った。ソ連と中国の結びつきは、ソ連が崩壊し冷戦が終結、ロシアの記録が歴史家の目に触れるまで、 余り知られていなかった。だがいまや歴史家たちは、ソ連の指導者ヨシフ・スターリンと中国の指導者 毛沢東が、朝鮮戦争へ繋がる数々の事件の黒幕だったという文書記録の証拠を持っている。 例えば或る文書は、金日成が赤軍大将のテレニティ・シトゥコフからいかに戦争へ煽られたかを明らか にしている。このシトゥコフは、かつて北朝鮮でソ連軍を指揮し、1948年に駐北朝鮮ソ連大使として赴任 した人物だった。同時にこの文書では、金日成が1950年4月にモスクワでスターリンと密会したことなど も明らかにしている。
96 : 機密指定解除 − 歴史を変えた極秘文書 http://ec.nikkeibp.co.jp/item/books/G10960.html 第2章 二重スパイ 裏切り者 反逆者たち 20,カボチャ文書(パンプキン・ペーパーズ) 1938年1月 冷戦 − チェンバーズ・ヒス事件 チェンバーズの標的はワシントンで華麗なキャリアを持つ男だった。その男、アルジャー・ヒスは、 1928年、ハーバード大学法学部卒業後、最高所判事オリバー・ウェンデル・ホームズの秘書 を務めた。1930年代前半、ルーズベルト大統領のニューディール政策に参画し、当初は農務省、 次に国務省で働いた。1941年、40歳になった彼は極東問題調査部門で重責を担った。第二次世 界大戦末期には、国際連合を立ち上げる担当者でもあった。またヒスは、戦時にルーズベルト大統 領や英国のウィンストン・チャーチル首相、ソ連の独裁者ヨシフ・スターリンが会したヤルタ会談で、 ルーズベルト大統領の補佐役を務めた。1947年ヒスは、国務省を平穏に辞し、カーネギー国際平 和財団の総裁になった。 (中略) チェンバーズ・ヒス事件が再燃したのは、1996年、国家安全保障局(NSA)が、超機密作戦、暗 号名ヴェノナの結果を発表した折だった。1940年代のソ連の秘密情報を解読したヴェノナ文書は、 ヒスをスパイ活動と結びつけた。憶測は、すぐにヒスが戦時中接触した人物へ飛んだ。それは、英国 外務省の外交官ドナルド・マクリーンで、ヒスと共に国際連合の枠組みづくりなどに取り込んだ人物だ った。マクリーンは、ソ連邦へ質の高い情報を提供した「ケンブリッジ・スパイ」一味の一人だった。 ※ドナルド・マクリーンが属した”ケンブリッジ・スパイ・リング”、マグニフィセント・ファイブは余りにも 有名である。その中心人物、キム・フィルビーをモデルとした小説、映画は枚挙に暇が無い。
97 : 機密指定解除 − 歴史を変えた極秘文書 http://ec.nikkeibp.co.jp/item/books/G10960.html 第7章 国家という秘密 48,ソ連スパイ活動の黄金時代 1943年8月 冷戦 − ヴェノナ作戦 世界に数あるスパイ作戦の記録でも、最も長い期間に渡り、最も複雑なのが、暗号名VEONA (ヴェノナ)という作戦だ。 (中略) 1943年に開始された国家安全保障局(NSA)の前身、陸軍の通信安全保障局(SSA)による 秘密計画に、FBIを参加させることになった。SSAの暗号解読チームは、ソ連の電文の解読に取り 組んでいた。それは、1940年代、米国に置かれたソ連の外交施設からモスクワへ発信された無線 傍受の内容である。そのプロジェクトは、最終的にヴェノナという暗号名がつけられた。1948年、 FBIのロバート・ラムフィア特別捜査官が、この計画に参加した。彼はFBIの連絡係であり、電文情報 の管理者でもあったが、得られた知識はフーバー長官だけに伝えられ、ワシントンの政策立案者に対 しては知らされることはなかった。 1940年代の新聞の見出しに登場した多くの名前、例えばエリザベス・ベントリー、ウィテカー・チェン バーズ、ジュディス・コプラン、クラウス・フックス、アルジャー・ヒス、ドナルド・マクリーン、そして原子 爆弾スパイ一味の、ハリー・ゴールド、ディヴィッド・グリーングラス、ジュリアス・ローゼンバーグと その妻エセルなどは、そうした電文の中に潜んでいる。ラムフィアやフーバーとその他少数の捜査官 たちは、電文の中にこうした人たちの名前と合致する暗号名、例えば、ハリー・ゴールドはアルノ、ジュ リアス・ローゼンバーグはアンテナなどを、少しずつ見破っていった。しかし、そうした電文はの 為に利用出来なかった。ヴェノナの口の堅い管理人やFBIは、米国がソ連の主要な暗号方式を解読 したことを明かしたくなかったからだ。
98 : 機密指定解除 − 歴史を変えた極秘文書 http://ec.nikkeibp.co.jp/item/books/G10960.html 第7章 国家という秘密 48,ソ連スパイ活動の黄金時代 1943年8月 冷戦 − ヴェノナ作戦 ヴェノナの解読で発覚したソ連のスパイの浸透は、政府の奥深くに広がっていた。モスクワからの一通 の電文は、財務省の工作員が既に多過ぎる為、作戦要員に、これ以上工作員を配置しないよう依頼した ものだった。ソ連の工作員は、ホワイトハウスにも、上院委員会職員にも、米国陸軍やOSS、国務省、 司法省、それに軍需生産委員会にもいた。 ヴェノナの秘密、それを隠す覆いには穴が開いていた。ヴェノナの存在は、電文を処理していたロシア 語言語学者、ウィリアム・ワイズバンドによってソ連に知らされた。ヴェノナを極力隠しておきたい為、 彼は遂にスパイでされることはなかった。 長年の間ヴェノナは、米国の防諜活動の最も重要な拠点だった。ヴェノナは、ソ連情報機関による密か な米国人勧誘が成功してきた事実を明らかにした。スパイとなった米国人は、秘密の情報源として、 ホワイトハウス、国防省などの政府機関に潜入、それのみならず、マスコミやハリウッドなど様々な領域に 侵入した。この時期を米国に於けるソ連スパイ活動の黄金時代、と呼ぶ人もいる。ソ連の手先となった 人物は、350人近くに及ぶとされたが、その半数は、未だに姓名が判明していない。 ※田母神論文の”フランクリン・ルーズベルト政権の中には3 百人のコミンテルンのスパイがいた”という 記述は公開されたヴェノナ・ファイルに基づいていることが分かる。
99 : 新春特別企画 「日本の現在と未来を語る」−Part1 ★1月2日公開★ http://www.so-tv.jp/ 戦後レジームの大いなる矛盾を見事に白日の下にさらし、真に日本を思う人々を勇気づけられた 前航空幕僚長の田母神俊雄氏をお迎えし、この国の現状と未来についてじっくりと語り合った新春 特別企画をお送りします! 出演: 田母神俊雄(前航空幕僚長) 中條高徳(日本戦略研究フォーラム会長) 渡部昇一(上智大学名誉教授) 聞き手: 水島総(日本文化チャンネル桜 代表) 丹羽文生(東北福祉大学講師・拓殖大学海外事情研究所客員研究員)
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