2012年1月2期人生相談70: ●●毒になる親のせいで人生を駄目にされた人●● (92)
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●●毒になる親のせいで人生を駄目にされた人●●
- 1 :11/09/10 〜 最終レス :12/01/25
- 子供の自立を望まず共依存させる親の呪縛は
簡単には解けない。
子供が自立しようとしたら
侮辱して自信を削いだり、不安をあおったり
哀れっぽい言動をしたりして
必死に妨害工作を始める。
間違っても
『頑張れ、おまえならやれる。応援するぞ』
などと言うことはない。
娘の不幸を願う親。
自分を持つの禁止。
彼氏、お洒落禁止。
一所懸命やる気をぐ。
楽しむの禁止。
人生を謳歌するの禁止。
底辺生活以外は許さない。
抑圧、嫉妬する親
- 2 :
- 重複
削除依頼出してこいな
- 3 :
- 人生とは何だ
毒親とは何だ
自分とは何だ
- 4 :
- エネルギー生命体
- 5 :
- 毒しか摂らないからいけないんじゃないか
- 6 :
- キチガイ
ストーキングババァ
人を付回してすることしか能がないくせに
母親ズラしてんじゃねえよ
とっとと
キチガイストーカー
- 7 :
- 今日はひどい気分だ
- 8 :
- これがあったら努力を苦労とせず打ち込める、とか
食欲に関心が向かないような価値観を自分の人生に見出だしてる、とか
そんなものは彼方へ離れた感覚
- 9 :
- 努力するのは自分がかわいいと思えるからだよなぁ
自分を本気でかわいいと思えないときに努力すると嫌悪感じる
- 10 :
- 良い論であっても、それには消費期限があった
つまり目の前で誰かに吐かれた言葉に力があると感じるのは、
まさに言葉はエネルギーであるということの証明ではないだろうか
文字も言霊ではないかな
それらに対し、勘違いというものは何故起きるのか
多分、それを受け入れるスペースが心にあるかないかだと思う
スペースの有無は、その時の精神模様で決まるという感じと思えばいい
- 11 :
- 心が現実を受け入れないのなら
良い言葉の魂は絞め出されてしまう
言葉の魂は、現実を受け入れてる状態にのみ、入ってくる
- 12 :
- 泣きたいんだけど、
泣いても虚しいだけだから泣けないようなもん
- 13 :
- 自立心はあるが、
自立力を持たなければならない
- 14 :
- 頭だけでやっていけるならある程度無愛想でも構わないが、
頭だけでやっていけないなら、感情を豊かに持ち得ないときびしい
問題は
豊かになる手段だ
- 15 :
- うちの様な抽象的なカキコや、
それを喋ることで「元気になった気がする」のは、
「テンション上がってこの状態」だからである。
テンションが下がればひどいな。
- 16 :
- テンションを高くする基本的な条件は、
容姿、
知識、
体力、
どれかがあればいい
でも応用するには精神のそれも必要
- 17 :
- 自分に迷ってリアルでの性格がぐちゃぐちゃ
てか、テンションが上がるだけの底あげが無い…
しかし唯一、少し地理の勉強はしてるんだけど、
現実と結びつくにはどれだけやればいいんだろう。
それは、勉強が自信になることでだったり、勉強が話のネタになることだったり、勉強が性格を矯正してくれることだったり、、することを求めてるってことなのかもね
- 18 :
- というか、
まず俺に足りてないのは容姿なんだけどw
容姿は、体つきが大きくないってのが大きい
- 19 :
- http://d.hatena.ne.jp/yuhka-uno/20111020/1319108480
- 20 :
- >>19
貼りありがとうです
- 21 :
- ♪たまにはこうして肩を〜並べて上げて
- 22 :
- 基本的な情報も大事かな。
TVのニュースなどで頭に入らなければ、新聞を取ってみるとか。
情報を持っているということが、少なからずの自信になるかと思う。
- 23 :
- 理不尽な少年期を送り、大人へと送り出される。
自分は低学歴。
しかし高学歴の人でも不満はある。
簡単なことだ。
今の自分に満足感が無いだけなんだ。
それが、毒親につけられた傷跡が不満をつくっている場合でも、その点は同じではないだろうか。
どんどん孤独感や疎外感に陥っていく俺は自分なりの精神だけは失いたくなかった。でも自己嫌悪になったし、投げ出したりもした。
それでも振り向けば、学びの気付きだった。
人生思い通りにならないけど、意識的に自分を満足させることはできる。
でもなにで自分が納得できるのか、わからない。
でもあるんじゃないだろうか。何年も気掛かりになっている手付かずのものが。
それがあれば喜ばしい。とりあえずだが。
ずっと気にしてるものに着手できれば、それは納得のある満足を生むかと思う。
- 24 :
- 母とのがやめられない。母からの求めに抗えない、抗うと母の平穏が保てない。でも母とのが最高に良いのも事実だ。俺は崩壊しているな。
- 25 :
- 頑張るしかない。
世の中、頑張ればモノになる人がいるのに頑張れないんだから、変だ。やる前から諦めてたり、
気力が無いとか、一過性で大袈裟だとも思った。
でも、わかる。
最近、今の世代を育てた親が、テレビや文明にハマったからいけないんじゃないかとか思った。
今の世代じゃない。その親あたり。
なにかと抵抗力が弱かった親は、情報の主体性を自分に持っていなかっただろう。それがいけない。
まあ、一説みたいな話ではあるけど…
- 26 :
- 全国小学生テストなんかより全国小学生毒親持ちか調査しろよ
早いうちから子どもを救ってくれ
- 27 :
- ストーカーみたく、ハッキリした被害でもなければダメなんでしょうかね。
毒の定義付けが難しいのかもしれないです。
それとも、メディアで知識を流していれば親が良くなると思っているのでしょうか?そう見せかけて
メディアは建前的に子供を庇う綺麗事を流して、取り繕おうとしているのかもしれません。
しかし親が毒と判明されたとして、どうするか。
結局、
親「働いてんだ、文句あっか!」
となったりするかもしれませんね・・・。
親という存在は、すぐ罰せられるかもしれないという不安から、優秀な親でもノイローゼになり、親という肩書きに親が耐えられなくなるかもしれない・・・
- 28 :
- どうにもならない問題にぶつかった!
そういう時は、可能性を広げよう。
可能性は自由だ。
人は可能性で出来ている
- 29 :
- 今夜はスレ主さんに感謝しつつ、少し吐き出します。
いや、少しではないかも・_・;
- 30 :
- 俺は小学校から不登校だった。
子供ながらに人一倍なんとなく生きていた。
それは保育園の頃から、三人グループ(班)の仲間外れにされていたころから特徴は現れていた。
自分というのが弱かった。末っ子ではあります。
- 31 :
- 親はコミュニケーションはそこらを見渡しても、最低ランクでしょう。
ちょっと悪くてもいいから、話上手くなってほしいものだったよ。
体裁を守る親。
話の内容はなんとなく合わせるが、話のツギハギを補うためのその無駄なエネルギーの使い方といったら
子供にも伝承されました。
家族共々、その中でも俺は特に話が出来ない子供だった。
- 32 :
- 子供ながらのその話ベタや、気の弱さから、保育園では楽しい記憶もない。
しかし
保育園では、ぶたれたりはしなかった。
つまり、弱いながらも「体裁」を守ることには長けていたんだと思います。
親のものでしょうか
- 33 :
- 小学校になっても、いわゆる風の様な存在という感じでしょうか?
外見は爽やかでもないんだけど、、。
頭の悪い子供でした。
先生に、30センチの定規を持ってくるように言われた。
俺は母から借りた30センチの定規が古くさく汚いものだったので、みんなの定規とは違う定規を持ってきたと思い込んだ。
「定規を出しなさい」と言われ、出し渋っていると、先生も苛立ちはじめていた。
で、恐る恐る出したら「あんじゃないか」
という、なんともつまらない雑草話。
これは小学校一年か二年の時の数少ない記憶のひとつ
- 34 :
- 二年生の時の担任は、30才位の女性でした。
話をした記憶は一度だけあります。
昼間のテストが悪かったので、放課後に数人居残りになり、自分もいました。
みんな出来上がったテストを先生に見せて、先生にプリントをやり直すように言われ、また自分の席にもどっていたりしていた。
そして、俺も居残りのテストが出来たので先生の所に持っていった。
その時俺は、「体裁」を発揮した。
「先生できたよ!」
明るく子供らしく、しかし、先生は俺が差し出したプリントを受け取らず、沈黙が数秒間流れた。(思い出すと何気に、泣けるわ)
その数秒間、先生は、無言だったが、「はぁ・・・」
というため息が聞こえてきそうな、あるいは、「このガキ、」というような顔をしていた。
二年の時の一番の記憶です。
- 35 :
- ああ、それでその後どうなったかというと、
俺が沈黙にたえられなくなり、プリントを見ながら「あっここ間違えてた!」
と言って、席に戻った。
その後の記憶はない。
あでも、微かに夢を思い出す時の様な記憶があって、その後その先生に話しかけられ、
「さっき何で黙ったかわかる?」と聞かれたような、気がする。それにどう反応したかは覚えてない。
悪い先生ではなさそう。俺を諭そうとしてたんだ。
なんか、これ以上書きたくもないなw
不登校までも結構ある…
- 36 :
- 小学校二年の時から、学校から出された宿題のプリントを
俺は戸棚の奥に隠し、プリントをやらなくなった。
二年の頃はたしか、通信簿は平均か、それ以下辺りだった。
三年、四年と来る間、友達がいつの間にか一人いるようになりました。
俺とは対極的な、長男もであり、話術も巧みであった。
しかし彼は、頭が良くて繊細だったから、子供の皆と合わなかったんだと思う。
そんな彼は休み時間になると、俺を校庭に誘い、さびしさを埋めるように俺に話しかけていた。
俺は相づちしていた記憶しかない(苦)
俺は、恥ずかしながら、彼の存在のありがたさなどに気付いたのは二十歳を過ぎてからだった。
- 37 :
- 俺が不登校になったのは五年生からで、
四年まで、その友達のことも、当たり前だと思っていた。
家での記憶もほぼ無ければ学校での記憶もほぼ無い。
でもたまに話かけてきてくれる子もいたなぁ。浅い会話だったけど。
そんな、俺の物事に対する無関心に対する罰だったのだろうか。
俺が5年になった頃、
俺の兄貴が中学校をずる休みしだしたのだ。
その兄に登校中俺も付き合った。
はじめはそんなもの。
しかし、何度も二人で休んだ。
家では親は、
主に母が子供の世話役だった。父は子供にカッコイイ一言を狙うみたいに、めったに喋らないが、かといって、本質の無い善意だった。
それは両親ともだが、
本質の無い善意とは
例えると、基礎の無い家を建てるというか、ネジを締めない棚のような善意の建設感、
それよりももっとひどい。
家が無い。棚も無い。
ネジと基礎だけ。
つまり、部品のみ。
家が無い。
子供である僕たちは、そんな家を求める旅に出ているというわけです。
- 38 :
- まあ、だからって基礎はしっかりしてるわけではない…(苦笑)
そんな、親は子供に甘かったんですよ。
親も教育がわかってなかったんだ。
いつしか兄と二人で不登校。
親はまあ、専門のカウンセラーみたいなところに俺等を連れていってくれたりしたけど、
「今は見守ってやってみて下さい」
と先生に言われたそうだ。
先生はなぜそんなことを言ったのか。実験台だったのか。
それからも親達は、周りに頼ってばかりだった。
結局、小学生の頃は俺は、外出なぞする理由もなく、一人でうちにいたり、兄とゲームをやったりしていた。
- 39 :
- 中学の歳になると、戸棚にある食べ物を食べつくし、自分の部屋が出来たので、
そこで録画したビデオを延々と観ていた。
太らない体質だったが、食い物は、骨を太らせていったな。
たまに兄と、兄の友人の家に出たりしたが、そんな中俺が得たのは煙草だった。
そんな生活が三年続いた。
もう、戻せない罰を背負っていた。
- 40 :
- 所々休憩入れとけばよかった
- 41 :
- 俺は中学校の頃、
母が創価学会に入っていたので(ハハ・・)、その関係のカウンセラーに連れていってもらった。
場所は東京。
東京タワーも母と見てきた。
こんな話、どう思いますか?複雑やわぁ
俺は障害者にもなりきれない。
そして、カウンセラーの所に着いた。
俺は女性のカウンセラーと二人で話た。
俺は先生があまり積極的に喋らないから、とても話したくなった(親は頭悪いのに家を煩悩の掃き溜めにして口やかましくしているので、子供のやる気を無くしていたのだ。現在もそう)。
カウンセラー
「あなたは何か自分でやりたいことはありますか?」
俺
「いやぁ、別に(みたいな)」
カウンセラー「そうですか…」
俺
「でも何もやることが無いから何もやらないだけで、
何かやることがあるのにやらないのとは違うんですよね」
みたいなことを言った。
話終わった後カウンセラーの人が
「このお子さんはすごいことを言いましたよ」と母に言っていた。
これは嬉しかった。
俺も、なぜあんな理路整然と喋れたのか、、、
今になって思うに、それは「聞いてくれている」
というのをすごくその先生に感じたから、俺も言いたいことを言いたいように喋れたのだ。
- 42 :
- 家庭でも、それが出来れば子供が育つ大きなものになると思いました。
「しっかり考えて聞いてくれている」
という感覚は、子供にとって大きな喜びです。
数少ない良い会話だった。
- 43 :
- まあ俺はアンチ草価っすよ
- 44 :
- (´∀`)/
死にたい
- 45 :
- 〜それで、
話を途中カットしまして、
二十歳になった頃、ある派遣業に就いた。
そこで、数ヶ月働いた後、好きな人ができた。
歳はひとつ違いで入社日は同じでした。
お互い、会話はあまり交わしていませんでしたが、一度最初の頃に仕事を挟んで話はしていました。
お互い、好きなんだとわかっていた。
神様からの助け船だったんでしょう。
彼女がいれば、どんなことでも頑張れる!
そう、思いました。
真実、愛、人生、、僕は、幸せを馬鹿にしちゃいけないと思った。
それとその頃、良い先輩方にも恵まれていました。
しかし、ピンチはチャンスでもあり、
「チャンスはピンチ」
でもありました。
- 46 :
- 本当に好きな人ができて、
僕は初めて自分を本気で見つめてみたんです。
それが壮大な
地獄のはじまりでした
- 47 :
- こんにちは〜
- 48 :
- 今朝は食べるものが無かったので
外の自販機でココアを買って飲んでます。
お金は最低限ありますが、
人前が苦手というか、いや、人が変な目で見てくるんだと思うんです。だから買いにいくにも煩わしさが付きまとう。
身長164とかなんですが、やはり昔のあの生活から、貧相な体と、顔もね、骨格が独特なんす。
顔は一時期ジャニ系とも言われましたが、それは骨格が幼かった頃の栄光です。
だからココア飲んでます
- 49 :
- ココアはやっぱり森永って、凄い売り文句だと思う
- 50 :
- 失敗者の長文の嵐なんて読んでられないよね
- 51 :
- 日向って、、もっと自分らしいのに変更します
- 52 :
- ※こっちにします
- 53 :
- 毒になる親とは、子供の成長を妨げることが定義の機軸になるかと思う。
精神的な著しい閉塞感は、資本である体がいかに健康であっても、精神を病む危険性を
開放出来ない心に抱えているんではないでしょうか。
- 54 :
- 話の続きになります
俺は自分というものを見つめるようになった。それは、他人のために自分を見つめはじめたことでもありました。
俺はまず、元々の悩みがいくつかあり、
足がO脚だということとや、体が小柄な割りに、顔が大きいということだった。
ボキャブラリーもひどく欠落していて、それについては潜在的に自信がなかった。
こんな、自分が、彼女と付き合ったとして、どうなんだ?と疑問に思いました。
体を見られたら嫌われるかもしれない、他の男と比べられて嫌われるかもしれない。
僕は、プラトニックの道を行きました。
- 55 :
- あの会社で僕はプラトニックが幅を効かせてました。
それでも先輩方は優しくて、感謝しきれない。
でもね、そこまで学校行かずに少年頃から育った自分はできちゃいなかった。
最終的に、その仕事は派遣だったから、業務終了の時がきた。
離ればなれになった。僕は、好意を伝えられなかった。
自分が今までの人生で信じてきていた自分。それを、否定する時がきたんです。
- 56 :
- 休憩(´∀`)y-oO
- 57 :
- 自分がこれまで働けてきていたのは、
不都合に対して「盲目的」だったからです。
それと、社会の事情なんてちっとも知らなかったから、自分の可能性を信じきれていた。それだけのことだった。
僕は自分を責め続けた。あてどの無い責め苦。ただ、自という発想はこの時は大してありませんでした。
そして
派遣が終わり、別の派遣先を紹介してもらったのですが、何日か働いて、そこで言われました
「君、なんでそんな死にそうなの?」と。
自分でもわかっていました。魂の力が感じられない。胸がどす黒い。そんな状態でした。
- 58 :
- なにしろ、二度とないかもしれない好意を持った人達との、
自分の二十歳までの信念を良い意味で覆えしてくれた恩師とも思える人達、好きな人を、僕は両方失ったのです。
元々の信念は無くし、新しい信念を共感してくれる人達もいなくなり、永遠に会えない、そんな絶望感でした。
何も無いのと、絶望が重なったんです。
今思うに、それまで学んで来なかった分の制裁や清算てきなものだったんじゃないかという感じですね。
- 59 :
-
ちなみに
その20歳辺りにしろ、10代にしろ現在にしろ、
末っ子で不登校の俺のことなんか気にしちゃいない家族。
その事を客観論として親に言うと、
「だってあんたが家族に話さないからでしょう?」という一点張り。
兄弟も、利己主義。
力を持つと、家族を助けることに力をつかわない。家族に見せびらかすことに力を掲げる。
精神的にいがみ合っているんです。
末っ子の俺の言葉なんか届かない。
頭が悪いし、悪なんじゃないかって。
そこに気づけたのは、あの人達のおかげで、傷ついて自己を内省したおかげなんです。
- 60 :
- >>59は、ちょっと文がわかりずらいかもしれません…
そして、新しい派遣は10日程で辞めて、派遣会社も辞めました。
ニートになりました。
しかし、空虚感の中、義務感で一ヶ月後には仕事を見つけましたが、やはり、空元気で撃沈。
僕は哲学にのめりました。
昔から哲学的だった。10代から生きる意味について考えていたし。
哲学や思想、経験を織り混ぜて内省するようなニート生活を続けました。
- 61 :
- 二年程(長い)考えていくうちに、ひとつの結論にたどり着いた。
「家族愛を深めればいいんじゃないか」
それは、苦肉の策でしたが。
僕は、愛は頭が悪くても、素直な気持ちになればきっと育める、という信念を持つことが出来たのです。
- 62 :
- 休憩(´∀`)y-oO
お腹すいた
- 63 :
- 明日、来てくれるかな?
ニートもぉ!
- 64 :
- 髪切った?
クビになった
- 65 :
- 主要企業の一部では、景気回復に好感触だそうです。
これだけじゃ漠然としてわからない
- 66 :
- 寒い
- 67 :
- >>61の続き
家族愛の一歩として、まず俺が昔の不登校によってこのようになってしまい、今のモヤモヤした気持ちがあるということを親に話し、
そのコミュニケーションの中で、親の「不登校の子にしてしまった」
という罪悪感なども一緒に解消していこう、と目論んだ。
まずは、親の反省の気持ちを確認しようと思ったのです。
最終的にはそのやりとりによって、働こうという気持ちを復興しようと考えていました。
- 68 :
- でも話がわかるような親なら
こんなことにはならなかったわけで(苦笑)
何ヵ月も親と話すうちに、俺は怒鳴るようになりました。でも心は冷静です。
そして気付きました。やはり話し合いでは解決しない。論理的には俺が論破できるのですが、しかし
「気持ちの面で解決しない」んです。
話し合いとは気持ちを導くためにするのです
- 69 :
- 親(家族)が毒親(嫉妬、抑圧、幸福を妨げる、自立の妨害)等をし出すと、必ず脳がおかしくなる。
これに暴力みたいなものまで入ってくると主体性が少なくものが言えない人間になる。
その状態で学校等の社会に出ると必ず大なり小なりイジメみたいなものを受ける。
こうなると四方八方敵だらけ。抜け出したいのに親が池沼すぎてどうやっても無理になる。
家出しか方法がない。
- 70 :
- >>69
脳、ですか。
であれば神経科がいいんですかね、、。
一度、精神科で軽い鬱だと診断されました。今は鬱ではないのに、ある偏見が目立ちます。
この偏見も一度みてもらった方がいいのかもしれない。
本格的なニートをする前に、一人暮らししたことがあります。
仕事が肉体労働でキツくいのと精神的苦痛で、一年足らずで実家に戻りました。21の時です。
一人暮らしで、友達もいなかったですし、自分に価値も見出だせなかった。
でも不条理な苦労としては俺は、マシな方なのかもしれないですね。
- 71 :
- いや、俺は顔もズレてるし、
体も小さい(一般平均な大人の体格の二周り位かそれ以上は)。
それから中卒だが、勉強は小学五年とかで止まってる。
人格も二十歳に崩壊した(ホルモンでも無くなったかのような感じもあった)。
それから数年。
二十歳から、筋トレやジョギングはある程度していて、活発にはなるが、
物事の本質を掴むのには、やはり勉強が必要であった。知恵も知識からである。
- 72 :
- 本質を掴むために勉強はしてみましたが、
顔や体のことで嫌悪を示されたりしたことを考えると、
知識を身に付けたところで誰が生理的に受け付けないような奴の言うことを聞くだろうか。
いやいるのかもしれないが、ただ「聞く」だけだ。無条件な関係を持てる相手がいると信じることがどうしてもできない。
暖かくなってきた時期に氏のうと思ってます。
あるところまでは人は生きる輝きの片鱗を持っていられる肉体・精神性質的な資格を持っている。
その輝きは、年老いても持っていられるようですが、僕は体と顔です。
刹那的にはなってません。
神が見ているとすれば、僕は頑張って氏にます。
暖かくなってきたら、というエゴはありますが、親もいますんで、もう少し時を過ごします。
- 73 :
- 書き込み読んでるとそこらの学部卒以上に
本質を理解されてるように見受けられるけど。
文章面白いし。ネタじゃないのか?
ネタでなく本気で命を絶つつもりなら最後に
本書いてほしい。読みたい。
- 74 :
- age
- 75 :
- >>73
ありがとうございます。
ネタのように書いてあるかもしれませんが、ネタではないです。
本を書きたいと思ったことはあります。
言葉を頂いたおかげで少し自信が持てました。
ここにも時々は顔を出したいと思います
- 76 :
-
『「若者奴隷」時代 “若肉老食(パラサイトシルバー)”社会の到来 』
とりあえずアマゾンでポチっとけ
本気で海外移住考えんとされる
- 77 :
- 氏ね
- 78 :
- >>75
学校行ってないだけあって文章がところどころおかしい。
100%親のせいにしないで多少は自分の不甲斐なさのせいにした方がむしろ楽。
親が悪いのは分かったが、派遣云々は自分のせい。
- 79 :
- >>50みたいな自虐的な事を言いながら>>56みたいな蛇足クズレスもしてしまう。
典型的な「自分の甘え」を許容してもらおうとするタイプ。
堂々と甘えるか自分に厳しくするかどっちかにしないと軽い分裂症になる。
親の事は置いといて自分を見つめた方が良いと思う。
- 80 :
- 本当、ためになります。
>>78
確かに、論理の基本となる機軸がわからないまま、書いたり、話したりしています。
そして、単語と情緒的な文に頼って
文章を構成したつもりになっているのも自分で感じている次第です、、。
>最近では親と離れて暮らしていることもあり、こうなったのは自分の責任と思えるようにはなりました。
自分に出来る社会貢献は、知的文章による人の活性化ではなく
自分が経験した出来事を、教訓となるように文字を抽出し、反面教師として伝えることかと思っています。
- 81 :
- >>79
甘えと厳しさが自分の中にあり、ジレンマがあります。
堂々と甘えられるような才能はないので、そういうのは近年諦めました。
二十歳過ぎ頃には、自分に厳しくなろうとしました。でも鏡で自分の容姿を見て、絶望になりました
この容姿では話にならない、という感じです(キモイというか、変)。
外出も減り、図書館で勉強しようとしていたのも、やめました(ちなみに、図書館の鏡で自分を見て絶望した)。
実家にいた頃、家族も会話が苦手なタイプなので
自分はますます話す機会も無くなり、自分が堕落していくのがわかりました。
ただ出来ることは、反省することだけだったんです。
厳しく生きることとは、自分が耐えればいいことなんでしょうか?
ただ耐えていると、ただ耐えることに耐えられず、それによって精神開花は望めたとしても、
僕の場合、先立つものが無い。
文字の世界でだけです。
レスありがとうございます
- 82 :
- >>81
容姿がないのがすべてのネックになってるんでしょ。
仮にだけど両親が中身のある人で、ドクダミ茶さんを
心から愛して大切に扱って、成長して強く生きることを願い
促すような親だったとしたら、ドクダミ茶さんはそれでも容姿が
ネックになったのかな。
- 83 :
- >>82
おそらく、その場合ネックにはならないと思います。
信頼できる愛というものが意識に働いていれば、生きることを優先に考えると思います。
しかもそれが、幼い頃からだったとしたら、学校にも行って、容姿も違ったでしょう。
まあ、それはそれで悩みはあったかもしれませんが。
そう考えていくと、今、自分にある問題に対する態度だけが重要ということになりそうです。
- 84 :
- それだけではありません。
親は、あなたが成功した場合、途轍もなくうらやみ、
嫉妬の目を向けることでしょう。
いいお屋敷にでも住んで御覧なさい、
親は嫉妬に狂い、目も当てられなくなりますよ。
- 85 :
- >>84
そういう親もいるんですね…
心の道、苦難を知る者にとって、嫉妬など景色の一環みたいなものではないでしょうか。
精神問題は、誤魔化すから問題が長引くんだと思います。
苦しみを受け止めることから、苦しみの出口への思考が始まります。
- 86 :
- >>83
それなら自分にとっての母性的な働きをしてくれる
存在を探してみては。物でも作品でも。特に条件とか
社会常識に囚われずに。
アンパンマンやドラえもんが心の母的存在な人は
割と多いようだけど、何かそういう存在を。
- 87 :
- ガイアの夜明け
予約録画チェック
カンブリア宮殿
もチェック
- 88 :
- >>86
そうですね、探していきます。
まあでも、それが今のところ無いので、本を書いて自分で作ろうとしている感じはあります。
自分に自信が無いからでしょうね。
- 89 :
- >>87
俺は精神論以外は詳しくないので
商業的な内容が強いと、観ても共鳴するものがあるかはわかりませんが、
久しぶりにテレビをつけてみるのもいいかもしれませんね
- 90 :
- あまあ、詳しくないと言うと語弊があります。
精神論以外は疎いです
- 91 :
- 親で人生決まる。親がクズだと人生終了。
親がクソ。この一点で人生崩壊。
- 92 :12/01/25
- 矛盾と偽善しかない糞親の家に生まれたのが最大の不幸だ。毎日早くくたばれと思う
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