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2012年1月2期野球殿堂57: 根本陸夫の敏腕について語る(監督、フロント時代) (252)
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59: 2000年代の西武ライオンズ (61)
60: 印象に残った1-0の試合 (67)
61: ランディ・バースについて語る 二冠王 (719)
62: 元広島のマイナーな選手を懐かしむpart2 (444)
根本陸夫の敏腕について語る(監督、フロント時代)
- 1 :09/07/23 〜 最終レス :12/01/22
- 特に西武時代はえげつなかった
- 2 :
- 凄かったが、後に禍根を残した。
むしろ「金ない企業は球団経営から手を引け」というのがスタンスだから仕方ないのかもしれないが。
- 3 :
- 小林誠二を広島に返したのは古巣への恩返しだったのか。
- 4 :
- 生きてた時代が良かった人。
- 5 :
- 9年連続Bクラスって日本記録かな?
- 6 :
- 間違えた。10年連続Bクラスだった。
- 7 :
- >「金ない企業は球団経営から手を引け」
ちょっと違うんじゃ無いかなあ?
根本さんの場合、無駄金を使う様な球団に対しては寧ろあざ笑っていたかの様な側面すら
感じられたけどな。
彼の出発点は近鉄パールズでのスカウトなんだけど、その頃の話で
「ウチが目を付けた選手と交渉を始めるだろう。そしたら即座にタイガースが動き出すんだよ。
でタイガースが動き出した途端に必ずジャイアンツがやってくるんだ........、タイガースが動き
出すと「必ず」なんだよ。」
と仰っていたんだわ。
その経験が様々な裏技を編み出す原点となった様に思う。
- 8 :
- >>7
ごめん
「使うべきところに金使えない企業は〜」って感じかな。
- 9 :
- 西武時代の手腕が目立つけど、そんなに金のない広島時代の手腕も大したものだったよ。
この人は、人を見る目がすごかった。
- 10 :
- もし大洋(現横浜)にこの人がいたら牛込とのタッグで
凄いチームになっていたのではないかと思う
- 11 :
- >>3
小林は広島じゃ入団してから5年間殆ど鳴かず飛ばずだったのが西武で見事に
才能が開花したからな。82年の中日との日本シリーズじゃ大活躍したのは記憶
してる奴も多い筈。
- 12 :
- それにしてもよくクラウンライターの監督を引き受けたな
- 13 :
- この人が若親分と呼ばれるほども闘将だった事を覚えてる人も
少なかろう
- 14 :
- 星野がよくこの人と比較されるが、比較するにも失礼なぐらい関わったチームに良くも悪くも影響を与えたね。
- 15 :
- 裏金や脱法的なやり方は好きに馴れないな
野球界が汚れにみえる
魅力はあるがアウトロー的な魅力だと思う
- 16 :
- この人が生きてれば今の横浜もなんとかなるのかなあ
- 17 :
- >>14
生前交流もあり、根本自身も後継者的な存在と思っていたそうだが、「自分の立場・わきまえ」というものへの理解ができなかったな星野は。
あまり表に出すぎちゃいけない、しゃべりすぎてはならないというのを根本は当然ながら理解していた。
>>16
今のドラフト方式に適するやり方を模索してなんかやるだろうな。
- 18 :
- あ〜
そうですね。この人は表舞台に出て来ないから、逆に星野よりカリスマ性あったよね
- 19 :
- 星野って監督就任時にめちゃくちゃトレードで入れ替えをして、
大豊を囲い込みで取ったりして(しかも囲い込みしてるくせに2位)、確かに最初は根本の後継者的なところはあったかも。
野村克也が言ってたが、星野はGM向きだな。表舞台に出るべきでない。
- 20 :
- >>18
表舞台の方が苦手だったんだからしかたない
- 21 :
- 経歴的に
星野=中日の投手の中では全国的な知名度を誇るスター
根本氏=選手時代はさほど目立った成績残さず
というのが根底にあって、星野は自意識過剰で裏方GMで我慢できるタイプではないし、
言わなくて良いことまでしゃべってしまうのがな。。
>>16
吉村と三浦放出してかつてのダイエーみたいな3対3の大トレードやりそう。
- 22 :
- >>19
それは今中を一位指名して取りこぼさないため。
かなり微妙な指名方法だったけどね。
もっとも、当時は球団職員として囲い込んで、ドラフト外で取るという
事例もあった(ロッテ福沢がその口)。今はそういう抜け道は一切でき
なくなってしまっているけど(必ずドラフトで指名)。
- 23 :
- 未だに思うのだが、2004年に存命なら球界再編にどう動いたのだろうか。
- 24 :
- 過去の数々の悪行をバラされてたかも。その点では助かったともいえる。
- 25 :
- 根本のやり方の先に再編問題があった
もちろんそれ以外の要素も大きいが
- 26 :
- 監督・現場の采配には、一切口を出さなかったのが偉い。
本来の役割から言えばそれが当たり前なんだが、
広岡も星野も黙っていられない。どうしても上下関係だと思ってんだな。
根本はあくまで、入退団の人事権を振るう人。
どう使ってもらってるかとか、幾らもらってるかには一切干渉しなかった。
だからこそ、役割と責任の範囲が明確になるし、
目先の即戦力を欲しがる監督なんかより、ずっと長い目で選手やチームを見れた。
まあそれも結局、オーナーがきちんと理解してバックアップしてないと、
有名監督の意向やスター選手の扱いが最優先になって、バラバラになっちゃうけどな。
- 27 :
- まぁこれは当時の景気、親会社の財務状況にもよるんだが、
選手獲得のための予算をガンガン引っ張ってきたのも凄いと思うな。
堤・中内が理解力あったとしても。
- 28 :
- >>3
もともと2年限定のレンタル移籍
- 29 :
- >>21
あんなトレードはもう出来ないだろ
あのトレードは発端は西武からで93年春に西武側から秋山⇔佐々木の打診があったがダイエー側が拒否
秋に話が再燃するわけだが、ダイエー側で関わってたのは根本1人だけだった
今の横浜とは勝手が違う
- 30 :
- 工藤(横)←→江藤(西)
のトレードとかやってくれそう(^o^)丿
- 31 :
- >>26
>監督・現場の采配には、一切口を出さなかったのが偉い。
その代わりトレード・ドラフトはフロントの専権事項って事で現場には一切
口を挟ませなかったらしいよ
江夏のトレードも広岡は全くツンボ桟敷に置かれていて
期待していた柴田が交換要員だって聞かされてムクれちゃったらしいし
森の場合は毎年日シリ直前に「今年は○○でいく」ってドラフトの情報が
94年には知らされずに『ア〜今年で漏れはクビなんだな』って事を
予め知ったうえで巨人との日シリに臨まされたらしい
- 32 :
- >>31
94年とか根本かんけいないじゃねーかw
- 33 :
- なんと言っても
工藤の下位指名
秋山のドラフト外での獲得
伊東の球団職員からの獲得
鈴木健の単独指名
そして
1位 渡辺智
2位 石井丈
の一挙両得
かと思えば野茂を避けての潮崎単独指名
- 34 :
- あと松沼兄弟の両取り。
実はKKも両取り狙ってたけど、巨人の桑田一位指名で失敗
- 35 :
- 森山の単独指名も
二浪してマイナーな北九州大中退→ONOフーズ就職まで追いかけていたのは凄い
- 36 :
- >>32
根本氏の元で修業を積んできた浦田氏が体制を引き継いでは居たよ。
只、根本さんほどの実権は無く堤オーナー等の西武上層部の干渉に左右されがちな体制では
あったけどね.......、森→東尾への監督交代も上層部の干渉に依るものだろうと思われる。
- 37 :
- >>33
小島弘務みたいに大失敗例もあったけどね
プロ入り要件を満たしていなかった小島は西武にも入団できず
元の住友金属にも戻れずで、その上駒大中退って経歴から駒大に気を使う
他球団が翌年以降指名する可能性も殆どなく四面楚歌になり球界追放に
なりかけたけど根本さんは星野に頭を下げて翌年中日に指名してもらった
後ダイエー時代の実績としては駒大入学が内定してた城島の指名
ヤクルトが駒大内定者の新谷を強行指名し新谷の入団に失敗しただけでなく
以後ヤクルトは一切駒大へ出入り禁止って事件(?)があって以来
駒大内定者を指名するってのはタブー視されていたから
ダイエーが城島を強行指名した時はプロ関係者は息を呑んだらしいが
結局全て丸く治めちゃった
- 38 :
- 本間満の面倒見るから許してねby根本
- 39 :
- きらいだ
以上!
- 40 :
- 根本氏の失敗例で小島弘務の時は何で中日が翌年1位で指名したの?
星野に頭下げたってのがあるが何も1位じゃなくていいんじゃない?
どこの球団も多分手を出さないと思うよ。下位で十分だと思ったけど
何か、今で言う、巨人と長野1位指名の関係を知ったとき真っ先に、
小島中日1位と根本西武を思い出した
- 41 :
- >>40
普通は一位指名と下位指名とでは契約金の額が違うからな
根本さんにしてみれば自分の不手際で窮地に追い込んだ
小島に対する贖罪の意味もあって「できれば上位で指名して欲しい」って
星野に頼んだんじゃないの?
- 42 :
- >>41
そうなんですか。やはり義理と人情が絡んだんですね。あまり星野は好きじゃなかったんですが
上位どころか1位で指名してちょっと見直しました
- 43 :
- 根本は小島を自分の家で指導していたが、それが凄い厳しかったらしいな
殴る、蹴る、しまいには髪を引っ張るまであったとか
プロに入ってからの小島は、ランナーがいない塁に牽制球投げたことしか印象にない
- 44 :
- >>43
それでも10年近くプロの世界でメシが食えて
引退後は名古屋で焼肉屋を開いて上手くいってるらしいから
中日へ行った事も含めて結果オーライだったんじゃないの?
「巨人・阪神以外ならプロへはいかん!」って公言してた清原を引き当てた時も
即清原の元へ行って『なぁボク、おじさんと一緒に野球をやろう?』と呼びかけたり
王をダイエーの監督に招致した時はまだ巨人に未練のあった王に対して
「巨人の長男はあくまで長嶋君で君は次男坊だよ、次男は外へ出て新しい家を作るのが
筋じゃないのか?」って言って巨人への未練を断ち切らせたとか
そういう細かい芸も備えてたんだよね
- 45 :
- >>38
それだけじゃない。
駒大・河原純一争奪で巨人とダイエーが争っていたが、一度本人と駒大太田監督がダイエー入りを固めた。
だが土壇場で巨人入団したため根本が「河原の件、憶えてますか?あの時あなたと河原くんは何て言いましたかね?」とこの河原の件を持ち出し太田氏と河原の不義理を問い詰めた。
- 46 :
- 途中送信
ヤクルト・新谷問題と違うのは、このように太田監督と河原の後ろめたさという弱味を握っていたから有利に進めることが出来た。
さらに駄目押しで河原逆指名できなかったのもあるが、4位指名予定だった本間の指名順位を3位にあげ対外的には本間の能力を評価していると太田氏の顔を立てた。
- 47 :
- 鈴危険の早大進学示唆後の強行指名はひどかったなw
- 48 :
- >>47
いや、西武以外の全球団も三味線だってのは分かってたらしい
どこかのスカウトは「鈴木君の成績では早稲田なんか入れないのは
スカウトはみんな知ってる」なんて公言してたぐらいだもんw
- 49 :
- 言っちゃ悪いがそもそも浦和学院ってそういう進学校でもなかったしね。
- 50 :
- ドラフトが完全ウエーバー方式に戻ると根本みたいに汚い強行指名に
何のなすすべもなくなるな
他球団が横槍指名を入れることすらできない
- 51 :
- 邪魔倉も進学校じゃなかったけど彼の場合はプロ指名拒否したあと
ちゃんと早大に進学してるのにな
- 52 :
- >>51
山倉の場合はドラフトされる前に早大進学がほぼ決まってたから
高校の監督に「絶対にプロ入り可と言質を取られるような話はするな!」って
厳命されていてノムが自宅に指名挨拶に来た時には文字通り一言も喋らず
帰りに駅まで送って行った山倉の親父さんが「高校の監督さんから『ああせい』
と言われてただけなんですから許してください」って詫びを入れたらしい
- 53 :
- >>38
そのおまけが15年現役でASにもでるんだからわからんもんだ
- 54 :
- >>31
94年ってw
- 55 :
- ttp://www.sponichi.co.jp/baseball/special/calender/calender_09august/KFullNormal20090801201.html
- 56 :
- りょうすれなのであげます
- 57 :
- なんだかんだいって根本みたいのがいたほうが面白かったな
いまやNPBはメジャーのただの草刈場だよ
それもイチロー、松井がいなくなったら投手以外お呼びがかからなくなりそうだが
- 58 :
- 根本氏が生きていたら、なんとなくだが04年の栄養費問題や07年の西武球団の不祥事は発覚してなかった気がする。
もう球団を退団してるだろうがなんだかそういう燻り始めた火を事前に揉み消してしまいそうだ。しかし、やっぱりボロクソに批判されたのだろうか。
- 59 :
- 堤失脚後ではむしろ元凶として叩かれた
- 60 :
- 東尾土井逮捕で西武内で立場微妙になって
創立したばかりのダイエーに自ら売り込んだってうわさは本当ですか
- 61 :
- >>60
つうよりクラウンライター時代から根本さんのチーム作りを側面から支えてきた坂井代表が
東尾土井の件の責任を取って引責辞任した事が大きかった様に思う。
その事により球団幹部に理解者が居なくなり、思うように動けなくなった様に感じたね。
西武時代に得意にしていた裏技・隠し球も渡辺富男等を獲得した昭和63年ドラフトが最後
だったな..........。
- 62 :
- 89年の鈴木哲
- 63 :
- 30年前西武元年勝率3割台で6位
5位も3割台広瀬南海
17年前ダイエー監督になって
『南海の人は同好会レベル』と周囲にもらして
広瀬らコーチ刷新
すっげーよ
- 64 :
- 小島弘務の件での根本と星野の関係は後の井口柴原の時にはどうなってたのかな?
どちらかを中日が欲しがってたのにダイエーのガードが固くて星野が怒っていたが
裏に根本が糸引いているのを承知だったのだろうけど
中日が最初井口狙いで断られた後柴原狙ったがまた断られ、だったっけ?
- 65 :
- 空白の1日でドラフトボイコットした巨人が獲得しようと
してた松沼兄弟をかっさらっていった。
- 66 :
- >>3
もともと2年限定のレンタル移籍だったんで、
約束どおりに広島に返しただけ
- 67 :
- 泥沼離婚で西武ではコーチ監督になれない秋山
0Bがいないダイエーで引き取り15年後監督
目配りと先見性はさすが
- 68 :
- 当時の西武はCM禁止とかだったけど、女性スキャンダルはすごかったな
伊東とか無縁と思われる人物も美人局に遭ったし
- 69 :
- 思われる、って顔で判断するなw
- 70 :
- >>68
オーナーからして、スキャンダルまみれだった
- 71 :
- >>12
マブダチ・安藤昇のたっての頼みだったからな。
- 72 :
- 勝利5割を超えながら最終戦で負けて4位で終わるトコ
オーナーにとっては一番うれしいだろう
- 73 :
- 広島監督時代は、次第のホープを我慢して起用
クラウン監督時代は、それまでの打ち上げ花火的な補強をやめて、乏しい生え抜きの若手を我慢して起用
西武監督時代は、福岡組、移籍組、大型新人組の雑多な連中の、勝ちたいという気持ちが熟成するまで待ち
ダイエー監督時代は、チームを一年見極めた後、大型トレードでチームの体質を改善
広島時代は全然知らないが、監督としては
鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギスの家康型?
- 74 :
-
- 75 :
- ttp://www.sponichi.co.jp/baseball/special/calender/calender_09november/KFullNormal20091101247.html
- 76 :
- まさに伝説と呼ばれるに相応しい
- 77 :
- >>28
>>66
ライオンズに3年在籍しとるんよ、小林は。1年は自動更新されたんかいの?
- 78 :
- ttp://www.sponichi.co.jp/baseball/special/calender/calender_09december/KFullNormal20091201144.html
- 79 :
- 私は1981年の秋、ライオンズの監督就任が決定した数日後から、
秋季、冬季の自主トレーニングに立ちあった。マスコミは「広岡流の
管理野球が始まった。」などと喧伝した。ヤクルト時代の年中無休の
イメージを重ね合わせて、そう思い込んだらしい。
しかし、私はその時 正確に言えば、まだライオンズの監督ではなかった。
契約書に調印は したが、その契約書によれば、私の契約は1982年1月1日
から発行す ることになっていたのだ。契約時の話し合いで
「それ以前の秋季練習など を視察するのは拒まないけれど、それに対する
報酬は支払われない。」と なっていたし、根本陸夫前監督の「まあ、のんびりして、
来季になってから ボチボチやってくれよ。」という話に、私も、「そうさせていただきましょう。」
と 答えたものである。
ところが数日後、私と共に入団が決まった森昌彦、 近藤昭仁両コーチらと雑談中、誰からともなく、
こんな話が出た。「せっかく 秋季練習をやっているんだから、ちょっとのぞいて見ませんか。
選手を見て 予備知識を仕入れておくのことも無駄じゃない。」
スポーツ新聞は若手選手 だけではなく田淵幸一、山崎裕之らのベテランも汗を流していると
伝えている。 「では、退屈しのぎにちょっと行ってみるか」ということになった。ごく軽い気持ちで
見物するつもりだったのだが、見物しているうちに、私たちの気持ちは大きく揺れ
動き始めた。
- 80 :
- 選手達の動きを目で追いながら、私は金縛りにあったように立ちつくしていた。
いつの間にか、その自主トレーニングに魅了されて いた。森昌彦が耳元でささやいた。
その声は、興奮のためか、震えていた。
「いけますね、これは。」
その言葉は、今でも私の耳に残っ ている。私も同じ思いだったからである。その時の私は、
表現のしよう のないなにかに感動し、身体中の血が騒ぎはじめていた。
私は、選手達のプレーぶりや、トレーニング法が見事だったから感動したのではない。
彼らの技術は明らかに未熟といえた。 トレーニング方法にも欠陥が目立った。
しかし彼らの肉体はたくまし かった。みんなバネがある。瞬発力も鋭い。このことは、
プロ選手 としての技術を吸収し、身につける上で欠かせない基礎体力の養成が
ほぼ近づいていることを意味している。もちろん全員がそうだとは いえないが、
予想以上に多くの選手が、そのレベルに達していた。
「ウーン、ここにいると・・・・」と言いかけた私の言葉をさえぎるように
森がまたささやいた。
「巨人軍の選手が子供に見えますね」
私は思わず吹き出した。その森の言葉が、彼に告げようとしていた
私のセリフとまったく同じだったからだ。
- 81 :
- 豊かな素質を秘めた選手が予想をはるかに超えて多いことも発見できた。
未完成だが、同レベルの選手達が、横一線に並んで 競い合っている。
そんな感じの自主トレーニングだった。そのせい だろうか、全員がキビキビと
動いていた。コーチにハッパをかけられて いるわけではなかった。全員が自らの
意志で動いていた。自主性が 芽生えているのは明らかだった。
しかも、彼らの態度は、真面目で ひたむきだった。
「いいムードですね」近藤が言った。
森が「当分の間 毎日、僕らも見学にきましょうか。」
「そうするか。」と私。この場合、
森のいう「見物」とは、私達の自主トレーニング参加を意味していた。
私たちはライオンズに魅せられ、引きずり込まれた形で、彼らの
自主トレーニングに自主参加することになったのである。しかも無報酬で・・・
つい一時間前には思っても見なかった成り行きになった。私には
コーチの経験も、監督の経験もあった。だが、指導する側が、指導される
側に引きずり込まれて指導するというのは、初めての体験だった。
- 82 :
-
- 83 :
- 根本が今の広島のGMに就任したところで
黄金時代は築けないだろ。
- 84 :
- いくら根本の敏腕が凄いと言っても
資金力が他より劣っている球団を常勝チームにすることは無理だろうな。
- 85 :
- コクドの独裁者の全面協力あったればこそ
他企業では無理
- 86 :
- >>83
そういやあそこの鈴木本部長は根本に似てるね>顔が
- 87 :
- >>83,84
その広島や福岡ダイエーでの実績は?
広島は言うまでも無かったが、福岡ダイエーも監督時はともかくフロント入り後はドーム完成の
僅か2年後に阪神大震災直撃で親会社は瀕死の状態になっていた訳だが。
- 88 :
- ナベ常がゴリ押し導入したインチキドラフト
結局この人が恩恵受けたね
長嶋のためだったのに
- 89 :
- >>87
親会社の経営状態がどうにせよ、
当時のダイエーはホークスに巨額の資金を出してくれた。
井口とか松中と親会社が金出してくれない状況でも
根本の敏腕さえあれば獲得できたと思ってるの?
広島の時はまだ球界全体の年俸が安く広島でも他球団に負けない高年俸を払えていた時代。
おまけに逆指名ドラフトもFAも無い
(だから今の広島みたいにせっかく育てた選手を他球団に取られる心配もないし、金をかけなくてもいい新人を取れた)。
いずれも現在のような(FA、逆指名ドラフトがある)時代に根本が
「資金力が他より劣っている球団を常勝チームに出来る」
裏付けには全くならない。
- 90 :
- >>88
赤っ恥だったな。一応三野を他球団から長嶋人気で奪えたみたいな喧伝して面子を保ったふりした。
あの時点で長嶋は確かに人気者だが、新しい世代にはそれほど人気はないと気づけば良かったのに。
- 91 :
- Bクラスって
- 92 :
- >>89
広島は当時から貧乏球団でしたわw
只、オーナーが松田恒次→耕平に一本化されて資金面での裏付けがようやく出来た時期ではあるがね。
只、オーナーの方針もあって屋内練習場(球界初だったという)等の練習施設の充実には巨費が投
じられはしたけども、球団の独立採算制は存続された(これは現在も続いている)事で選手獲得等
では他球団に大きく差を開けられていた状況だった訳で。
- 93 :
- 結果論だけど94年にせめて2位で西口獲れてたらな。
西口ダイエー1位報道もあったのに土壇場で見送ったのは何でだろう
- 94 :
- >>92
「現在のような(FA、逆指名ドラフトがある)時代」
という条件をなぜ無視する?
だいたい当時は山本浩二が(日本人選手中)球界最高年俸を取っていたのを始め
カープの年俸は12球団の中でも高額なほうだった。
球界全体の年俸がこれだけ高騰してしまった現在
カープにそんなことが可能か?
さらに今だったら他球団より低い年俸しか提示できなければ
FAでどんどん出ていってしまう。
80年代だったら黒田も金本も新井も江藤も広島から出ていけなかったよ
(例え出て行きたくても)。
君が根本の敏腕とやらを絶対視したいのはわかったからw
- 95 :
- >>94
(古葉)監督の年俸も高かったしね>12球団一
80年には古葉3200万 セゲヲ2400万
1年前の広岡(燕日本一直後)が1400万
- 96 :
- FA、逆指名ドラフトが導入されさらに大リーグ移籍も日常化した現在の球界は
自由競争の世界と言っていいが(だからこそ年俸もどんどん高騰する)、
そういう世界では金が無ければ強くなれない。
もちろん金があれば必ず強くなれるというわけではない。
金は十分条件ではないが必要条件。
80年代とは全然環境が異なるから「現在のような(FA、逆指名ドラフトがある)時代」
と言ってるのに。
>>92はもう少し人の意見をしっかり聞く態度を身につけような。
- 97 :
- 当時はセリーグというだけで
パとは比べ物にならないくらい選手集めしやすかった
- 98 :
- いろいろと伝説があるが、中でも露骨だったのが
80年ドラフト1位
日ハム 高山郁夫
阪急 川村一明
ともに入団拒否→ともにプリンスホテル入団→84年ともに西武入団
- 99 :
- 逆指名ドラフトなんて現在は行われていないだろうがw
- 100read 1read
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59: 2000年代の西武ライオンズ (61)
60: 印象に残った1-0の試合 (67)
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