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2012年1月2期野球殿堂27: 92>91>89>90 藤田巨人 (154)
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92>91>89>90 藤田巨人
- 1 :10/02/22 〜 最終レス :12/01/23
- 30歳前後の藤田巨人ファンが好きなジャイアンツはスレタイの順である
- 2 :
- 理由は幾つもあるけど概ね次の通りである
前提 この間のジャイアンツは年齢も若くどちらかというと余話弱々しい若者の集まりであった
92年 最初の成功から一転、真の姿である弱さを見せた前年を引きずり
弱さを再度見せたが、若者が団結し、内に秘める強さも見せ、最大限努力し大活躍。しかし土壇場での断念。
91年 今までがマグレと言わんばかり、真の姿を露呈し本来の弱さを見せた
89年 若者達が一致団結し奇跡の連続の様な勝ちを連続し見事に勝ち抜いた
90年 大勝利でファン的には楽しめたが大勝利以外の面では特別な見せ場もなくそれなりのシーズン
総合的にこの間は大変感動深いものであった。
四連覇していたらこれほど感動はしなかっただろう。
四年連続V逸でもこれほど感動はしなかっただろう。
強さ弱さを併せ持つ若者の両方の面を見れたから素晴らしかったのだと言える。
強くもあり弱くもあった。それが藤田ジャイアンツの魅力だ。
- 3 :
- なお日本一→優勝→四位→大混戦二位
という順番も最高だと思っている。
これが四位→大混戦二位→優勝→日本一
のような徐々に上がっていく展開だと、どこにでもある普通のパターンで何も感動しない。
弱い若者だが本当はすごい力を秘めた集団でもあるチームが感動的奇跡的に日本一を取り
翌年もその続きでリーグを制するが、真の強者にシリーズでボコボコにされ、
翌年再度日本一を目指すも、野球は甘くは無いんだよという事を教えられ、
Aクラス入りすらならず、翌年も更にそれは続くかに見えたが、そうはいかず一気に首位の座へ。
しかし土壇場で弱気が顔を出し大善戦の挙句、終戦。
この流れが大変素晴らしい。
当時は勝てずに頭に来ていただけであったが、今にして思えばこれ以上ない最高の筋書きである。
- 4 :
- ライバル西武に4連敗したことで巨人最悪の監督
第一期は良かったんだけどね
- 5 :
- でもその4連敗した年のレギュラーシーズンこそ最強の巨人だった。
俺は巨人ファンじゃなかったから、あの年は地獄だった。
先発斉藤なんかの時は、もう結果が分かってるから
パの試合をラジオで聴いたりしてたもんだ。
- 6 :
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- 7 :
- この時代の良さは27〜32歳位の人にしかあまり知られていない。
33歳以上の人は時代以前に、この期間の存在だけはまるで記憶に無いようなのである。
丁度33歳の人は89年に中学校に入学した。
中学生と言えば丁度ナイター中継の時間自宅を開けている事が多くそういった事も関係しているのだろう。
- 8 :
- 89年なんてかなり完封負けしたと思うけど、
あの年、たまたま瞬間的に投手達が覚醒(というより今にして思えば他チームが情けなすぎたが)しなければ
完全に優勝は無かった。恐らく完封負けの数はリーグ最多だろう。
- 9 :
- 違ったね
平成1年完封負け数
阪神14
読売13
広島12
中日12
横浜9
東京7
- 10 :
- 89年5〜6月の広島戦なんて9試合戦って17点しか取れなかった。
9月も6試合戦って9点しか取れなかった。
なお9月には全チームと19試合行い53点しか取ってない(二桁得点の試合あり)
当時を知る者からすれば、89年は弱すぎた。
- 11 :
- >>1
これを立てた人?
1989〜1992年の読売で好きな年はいつ?
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/meikyu/1255177151/
1 名前:神様仏様名無し様[] 投稿日:2009/10/10(土) 21:19:11 ID:eXMrBclJ
私は
1、1991年
2、1989年、1992年
3、1990年
の順
- 12 :
- そもそも89年に近鉄が優勝したことが奇跡なんだよな
実力から言えば西武の方が全然、上だったのに
89年も西武が出ていれば巨人は惨敗していた
- 13 :
- その通りだ
- 14 :
- 制したのと同じく近鉄が読売に三連勝したのもまた、たまたま。
読売が四連敗したのや翌年優勝を逃したのは必然。
92年の最終成績が本当の実力だろう。そういう意味では藤田さんの最終年は偶然でも何でもなく、初めて「本当の数字」で一年を終えた。
- 15 :
- 近鉄もまた、完封負けが多いはなんだで弱いチームだった。
あの年に限定すればライオンズに並んでブレーブスも強いチームではあった。
- 16 :
- 第一次のときも
82に真の姿?を見せてしまってるしな。
まあ藤田政権、地味な印象になりがちなのは
長嶋、王の谷間にあって、更にチームが若返ったため、野球人気を強固に支えている団塊世代から
あまり支持されていないんだな。その代わりに団塊ジュニア前後の世代には神憑り的に支持されている。
- 17 :
- 藤田がいなければ斎藤はエースになれなかったことだけは確か
それだけでも大きな仕事をした 桑田槙原だけだったら94年 96年の優勝もなかったと思う
- 18 :
- >>17斎藤はもちろん、二線級のピッチャーも藤田がいなければ、あんなに活躍できなかっただろうな。
第一次藤田のとき、長嶋の遺産で勝てたというような事をよく言われていたが
逆に第二次長嶋の前半は、藤田時代の遺産が非常に大きかったように思う。
- 19 :
- 読売とか言うやつはキチガイが多い。
巨人とかジャイアンツと言うならわかるけど。
てか俺3年ぶりに殿堂板覗いたんだけど、>>1ってその時からスレ立てまくっては
1人で自演してたよな。
進歩しろよ、キチガイ。
- 20 :
- そういえばこのチームだけ、巨人という他チームには無い名前がついているので
読売ジャイアンツという名にし巨人という名は無くしてほしかったな。
あの時は貯金40もしたんだから試合毎にもう少し圧倒感も欲しかったもんだが、
終わるまでどちらが勝つか分からないという試合が殆どで貯金40もの強さを全く感じさせなかったな。
89年と92年の違いは混戦の最中一本打たれたか打たれなかったかの違いだけなので、
緊張感は全く同じだった。
現在と比較し中盤で今日は勝ち決定だろうという様な試合は、ほぼ無かった。
よく斎藤の日は2点取られたら負けると思ったと言っている、非読売ファンがいるけど、
読売に勝ってほしい側からしたら、今まで勝っているからその日も勝つなんていう確証は全く無く、
今日は打たれるかもしれないという不安は常にあったし、勝てば勝つほどそのように感じたもんである。
斎藤コーチの連続完投中なぞ、日に日に今日は負けるだろうという予感が強くなったもんだ。
投高打低チームのファンはしんどい。
- 21 :
- >>19
長女とかいうコテの奴か?
670 名前:長女[] 投稿日:2008/03/31(月) 01:52:36 ID:uMJUljOt
当時読売ファンの私が、最も好きなシーズンは89〜92
全てが好き。信じられない奇跡が続いた89年。
完全に他を圧した90年。
前二年が信じられない様な、本来?の姿を曝け出した91年(お盆の横浜3連敗の
苦悩しきってる選手の表情は最高)
92年の前年同様苦悩しきった選手達が最下位に沈み続け、
連勝が始まり首位に躍り出る最中、子供の様にはしゃぐ選手達。
しかし土壇場で、またシーズン前半の弱さが顔を出し、優勝出来なかった選手達。
それをよそに、監督勇退。
私は当時の読売も好きだ。
特に後二年。
強い者より弱い者を好む。
救いは前二年も、強い者が磐石な勝利をしたのではなく、
ひたむきさが重なって勝利したみたいな点だ。
その点西武は勝って当たり前みたいなムードが出ててあまり好きではなかったのですが、
95年も終盤に入ると何か複雑な気分になり、96年なんて完全に西武に優勝してもらいたかった。
そう思えば一番うれしかったのは97年の西武の優勝かもしれない。
しかし、02年に西武に4連勝した時は、嬉しかったのである。
- 22 :
- >>21
こいつはしらない。これよりさらに2年位前俺がここによくきてたのが06年07とか
だから、その辺にいた。でも特徴は同じだから多分同一人物。
殿堂板なのに、「東京巨人軍」すら知らずに、「読売」と連呼してて、
指摘したらすっごい切れてたww
てか、今でも会社名は「株式会社読売巨人軍」なのも知らないんじゃない?
- 23 :
- この時期は、よく打線が貧弱だったといわれるけど
相対的には中日の次に点をとってるんだよな。
88〜92の平均得点
中日 4.22
巨人 4.19
ヤクルト 4.17
広島 4.14
大洋 4.00
阪神 3.79
- 24 :
- あの時代は落合 池山 広沢ぐらいしか大砲がいなかった気がする
- 25 :
- 92年は打線も本塁打20本台後半級が3人いて
このまま93年も藤田が率いてたら...と思う。
先発完投志向だけどリリーフに
劇場型フインキ出しながらも
防御率1.30くらい、80イニング120奪三振の石毛起用とか。
- 26 :
- まあ藤田が監督続けてたら、確かに石毛はまた違う人生になったかもしれんな。
- 27 :
- 谷口とか育っていたかもな
- 28 :
- 斉藤を2年連続20勝させた時点で神監督
- 29 :
- >>26
でも、藤田が監督続けてたら「巨人・松井秀喜」は無い
- 30 :
- ttp://www.sponichi.co.jp/baseball/special/calender/calender_10july/KFullNormal20100701178.html
- 31 :
- >>29
どうして?
- 32 :
- 92年はデーブ大久保がトレードでこなかったら最下位もありえた
- 33 :
- 伊藤智を指名する予定だったが茂雄が松井にひっくり返した
- 34 :
- >>28
藤田>>王>>>>>>>>長嶋失せろ
な俺だが鹿取を出した事だけは許せなかった・・・その後
抑えに苦労した巨人、磐石になった西武を見ると余計にね
- 35 :
- >>33
伊藤回避した事も松井を引き当てた事も、長嶋の数少ない功績、ちゃんと育てたのは特筆に値する。
願わくば、松井にとって永年居心地の良いチーム作りをして欲しかった。
でも基本的には>>34に激しく同意。先発重視抑え軽視の悪しき感覚は、
長年に渡ってチームの重要未解決問題になってしまったもんなぁ。
ただ、鹿取曰く、「西武のバック(守備)があったから、安心して投げられた」という事らしい。
- 36 :
- 「暫定守護神」
藤田野球の長所が先発完投重視であるのは数字にもハッキリ出ていて完投数、そしてチーム成績にも表れている。
それに対し負の遺産をを挙げるなら救援投手陣が手薄になったことではないか。
王政権の87年28S、88年は23Sだったが、藤田監督就任後89年16S、90年20S、91年9Sと減っていった。
藤田就任前の大半のセーブを稼いでいたのは鹿取義隆。先発にも救援にも藤田は若手を求めていた時期だった。
平成に入り投手起用の分業化がかなり進んでいた頃だ。それとは逆に先発の強化を図る藤田。鹿取はその割りを食った形になった。
斎藤雅樹、桑田真澄を中心とした投手がよく投げ89年の完投数は前年の36から69に増えた。開幕は抑え構想に入っていたが前半戦の
失敗が響き信頼感を失っていった。鹿取は著書で、この89年は中でも5月18日の失敗が大きかったと振り返りさらに
「監督にとって重要な意味を持つゲームと位置付けていたようだった。試合後名指しで叱責された」と言った。
この試合は調べるとチーム30試合目の対中日戦で先発・木田優夫から救援した鹿取が抑えられなかったものの継いだ広田浩章が
抑え1点差で逃げ切り勝ち。20勝一番乗りを果たし貯金を11としている。“重要な意味”とは期待株の木田が先発として連勝がかかっていて
一本立ちを願っていたからか。その後鹿取は広田や水野雄仁に取って代わられる。
勤続疲労による故障も追い討ちをかけこの年は結局3セーブしかできなかった。そしてシリーズ前、鹿取を「出してもいい」と言った藤田に
西武監督・森祇晶が目をつけ西岡良洋とのトレードを成立させた。(シリーズには一度登板)
しかし西武移籍後の鹿取と巨人は言わずもがな。巨人は広田、水野が今一つで長く続かず92年藤田が発掘した石毛博史はいたが
90年代はマリオ・ブリトー、槙原寛己らが務めるも2年と持たない“暫定守護神”ばかり。90年代の日本一は一度だけに終わった。
一方西武は黄金期以降も強さをキープし、「森監督が気を使ってくれた」「巨人とは比べ物にならない常識覆した守備力」と言った鹿取も
救援陣の一角を担い、40歳で引退する97年までの8年間で73セーブ、117セーブポイントを挙げた。
- 37 :
- 槇原は、相手ピッチャーも3番手4番手が投げているのに12勝くらいしかできんのかね。
もっと勝ててもいいはず。
- 38 :
- 年々弱くなっていったような気がする
- 39 :
- あの当時、うる覚えだけど、どうして、先発槇原に抑え兼任させたのか?の問いに、
先発して翌日は全く投げず上がりなんだが、結局登板する前日か前々日にはブルペンに入り何球か投げ込むんですよ。
ただ、その何球かブルペンで投げるのを試合終盤に投げるだけ。
みたいないかにも投手コーチ出身的な理論で、当時納得したけどやはり無理があったよね。
- 40 :
- >>37
プロから見たら癖の分かりやすく、矯正できない投手だったのでは?
西武やヤクなどのID野球が浸透しつつある時だったし。
それでも12勝はしちゃう所はすごい。今でいう対米国や韓国などの
海外試合や五輪があったら神ピッチしそうだ。
- 41 :
- 藤田監督のクローザー起用時ってあまり入る打順を気にしていなかったようだね。
一応は万一を考えてその時点でのいちばん遠い打順に入れるもんだが(つまりもう1人交代する)。
よっぽど自信あったみたいだ。
一度なんぞ8回に角を入れてそのまま前の投手の打順に入れたもんで9回の先頭打者が
角になったことまである。
- 42 :
- 藤田監督って、先発完投にこだわりすぎだと思わない?
野村克也監督みたいにあまり小刻み継投をされても、
試合時間がやたら長くなって困るけど
- 43 :
- 監督として成功しないと言われる投手出身の藤田が成功したのは牧野の存在が大きい。星野における島野みたいなもの。
牧野がいなくなった第2期は西武に4連敗するなど采配が雑になった。
- 44 :
- あの頃の西武は強すぎたから仕方ないわ
- 45 :
- 牧野なきあと小牧野はいたな。
別名壊れた信号機。
- 46 :
- >>43
もともと藤田は短期決戦にあまり強くない。
長いプランでの運営は得意だがここ一番の試合とかは負けるイメージがあった。
- 47 :
- 一見スマートな紳士だけど藤田って実は星野によく似てるんだよね。
藤田と星野の共通点
投手出身
川上哲治の門下生
投手を中心とした守りの野球
短気な激情家
自分に楯ついた選手をすぐトレードに出す
人脈・政治力がある
優秀な参謀がついている
短期決戦に弱い
- 48 :
- 投手を酷使する傾向がある
- 49 :
- 手堅そうに見えて、キャッO、リードに問題のある大久保を正捕手に起用するなど
意外と攻撃型の監督だった。
- 50 :
- 藤田はかなり攻撃型だったよ。
監督辞めてからも、横浜のローズがフリーな時、取った方がいいと進言して、
ポジションが空いてなくとも、取ってから考えればいいと、結構アバウトな事言ってた
- 51 :
- 89〜90年は先発投手陣に完投させすぎたな。いくらなんでも全試合の半分を完投とかありえん。
- 52 :
- >>51
そのしわ寄せが91年にきた、ということか?
91年は巨人投手陣がボコボコ打たれた印象があるなあ
- 53 :
- >>51
>いくらなんでも全試合の半分を完投とかありえん。
時代に逆行するにもほどがある
だけど面白かった
- 54 :
- 90年の日本シリーズで西武に惨敗したのは、「前年3位のチームなので対策、マークが甘かった」のもあるよね?
2年連続20勝と安定感抜群で、崩れる兆候が万に一つもなかった斎藤は何故フルボッコされたんだろ?
- 55 :
- >>54
上で書いてる通り、斉藤は完投させ過ぎでシーズン終盤はバテバテだったんではないの?
- 56 :
- >>54
90年の巨人は9月上旬に早々と優勝を決めた。
シーズン終盤は、日本シリーズに向けて投手や野手を
少し休ませておけばよかったようなものを、斎藤の
「2年連続20勝」を達成させるべく、藤田が斎藤をシーズン最後の最後
まで使いまくった記憶がある。
斎藤は日本シリーズをやる頃にはグロッキー
だったのだろう
- 57 :
- 早く優勝すれば試合勘がにぶる、最後までもたつくとバテるのは定番
- 58 :
- 2年連続20勝取るか、日本シリーズに向けて休ませるかどっちかだよね。
決して藤田監督の選択は間違ってないと思うよ
- 59 :
- >>51
その傾向は優勝できなかった82年にもあった。
開幕直後は先発陣が調子よすぎて角はほとんど出番なし。
おかげで調子が狂ったという。
- 60 :
- 斎藤雅は19勝目まではすべて完投勝利で、20勝目だけは
最終登板で消化試合だったのでリリーフに助けてもらったって
聞いたことあるけど、マジなの?
- 61 :
- それで、90年の日本シリーズ第2戦での斎藤フルボッコって兆候はあったの?
- 62 :
- >>54
当時の西武の成績をよく調べよう。
- 63 :
- 西武が強すぎた
- 64 :
- 格下の日ハムや近鉄には勝てたが、西武には結局勝てなかったので手腕には疑問があるな。
- 65 :
- 90年の日本シリーズについては、西武を「前年3位だから」となめていたのか
「前年3位でもパリーグ最強豪なのは間違いない」と思っていたのかどっちだろ
- 66 :
-
- 67 :
- 藤田
- 68 :
- >>65
意味不明。
いつの時代に優勝したチームを前年3位だからって、
なめることって今まであったか?
東スポネタクラスでも聞いた事ない。
- 69 :
- もう一度トレーディングブギ
- 70 :
- 嫁姑戦争
- 71 :
- 藤田
- 72 :
- 藤田
- 73 :
- >>47-48
星野に似ている藤田をなぜ桑田が尊敬しているのか謎。野球観は全然違うよね。
桑田は事あるごとに選手の酷使を批判してるけど、藤田は勝つために投手を酷使するタイプの監督だったし。
- 74 :
- >>73
人柄・人格が何万光年も違う。
- 75 :
- 初めて触れた人情…泣きながら食べたステーキが忘れられない
http://www.zakzak.co.jp/sports/baseball/news/20110818/bbl1108180938000-n1.htm
- 76 :
- >>73
まあスキャンダルで桑田が壊されそうになったとき
救ったのが藤田なわけで。
桑田の野球観のよき理解者だったんだろう<藤田
しかし藤田と星野は似てる点もあるけど
熱烈監督をイメージ付けるために、審判へ猛抗議したり
ベンチ総出の喧嘩を嗾けたりとかは藤田はしなかったわけで
その点からして随分と異なるようには思う。
- 77 :
- >>40
野村ヤクルトには、完全に癖を見抜かれてたからね。
目が悪いゆえのサイン交換の困難さも手伝って。
>>41
手首かどこかを負傷して守備は可能だがバッティングがまだ無理という選手を
試合後半に守備固めとして出場させたが、その選手も遠い打順に入れず
次の攻撃で、その選手に打順が巡って来たという事もあった(結果は
バットを全く振れずに見逃し三振)。
まあまだ時代的に、そういうケースでの1アウトは仕方ない(ガツガツしない)
という感じだったのかもしれんが。
- 78 :
- だから西本さんと中尾のトレードが出来たんだな
巨人は、山倉と村田の間で、山倉がどうしてもナマクラと言われる位練習嫌いだった為の刺激策として
で西本さんは、やはりチームワークから外れてると言う評価から、優勝の翌年で投手補強をしたかった星野監督と合った
で西本さんは、巨人になかった中日の感覚に合い20勝した
- 79 :
- ――中畑監督の場合、藤田元司監督がいたからという部分があった。
中畑 俺、どっちかっていうと、引退後は歌手になりたかったんだよ。
十分その才能はあるわけだから(笑い)。でも、藤田さんに“うわあ、監督
業って素晴らしい仕事なんだな”って思わせてもらった。采配はもちろん、
選手への声の掛け方、裏方さんへの気遣いも行き届いていた。物凄く気配り、
目配り、思いやりがある人なんだよね。そういう時、物凄く格好良く感じるのよ。
わあ、この人すげえ幅のある人だなって。実は、藤田さんが最初に監督をした時は
長嶋さんが解任された後だったから、みんなあまり良く思ってなかったんだけど、
すぐに藤田さんの人となりにほれちまったね。そして俺が現役を辞める時、藤田
さんからも“清、いつか巨人の監督として戻ってこい”と言われてね。その夢が
膨らんでいったっていうかさ、“ああ、こういう監督になりたいなあ”っていう
のが目標になっていった。藤田さんの存在はでかかったね、俺にとって。
http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/01/01/kiji/K20120101002345770.html
- 80 :
- >>40
しかも槙原は集中力持続しないせいか日本シリーズの方が強いし、ボールも
手が大きくて国際球合うらしい・・それが日米野球の好投
>>65
清原を恐れすぎてデストラーデ勝負が失敗。 4連勝しか勝つ道がないと
思ったそうです、後半調子良かった槙原を特攻して負けて敗戦
94年勝ったのは桑田・槙原の順番が良かった
- 81 :
- >>61
あったどころの騒ぎじゃない。
あの年の齋藤は最後の2,3試合はボロボロだったよ。
たまたまって、感じじゃなく、明らかにシーズンの疲れだった。
防御率もどんどん大きくなっていった。
- 82 :
- 槇原って投球だけは一流だけど
フィールディング、バッティング、バント、すべて三流だったからな。
せめて送りバントくらいしっかりやってれば味方も点を取ってくれたかも
- 83 :
- >>81
まあ2年連続20勝という
当時ですら中々達成できなかった記録が掛かってたからなぁ。
一時期は打者転向まで言われていたのに。
まあ総じてシリーズでは成績よくないな。シリーズではやっぱり、度胸一発のような投手の方が
強いんだろうかね。自信をつけてノミの心臓を克服してエースに君臨したけど、
元々の性格なんて変わる訳じゃないから、シリーズのような舞台、ここぞという時に
やっぱり弱かったような
- 84 :
- >>83
斎藤は開幕にあわせて調整するためシーズン後半は悪いという
言われ方もしてる
- 85 :
- 藤田と星野の共通点は人心掌握に長けてること。ただし、短期決戦の采配には
疑問符が付く。
- 86 :
- >>85
短期は原が上手いかな?? 長期はあまり上手いとは思わないけど
- 87 :
- >>86
02年日本シリーズ4勝0敗○
07年クライマックス0勝3敗●
08年日本シリーズ3勝4敗●
09年日本シリーズ4勝2敗○
強いのかねぇ・・・WBC優勝は大きいか。
長嶋よりは強くて、藤田と同じくらいかなという印象。
- 88 :
- 落合がシリーズで思うように勝てて無いから
原が短期決戦に強く見える。
- 89 :
- >>87
07年のCSは巨人に取り久しぶりの大舞台で特に初戦の内海・木佐貫が
びびってたし実力で負けてた。 中日は今より強かった
本当に負けたのは08年のシリーズかな。 10年CSはよく甲子園で連勝した
長嶋も76年・77年は力は阪急の方が上だしな・・・
- 90 :
- 落合は日本シリーズのホームラン0本
- 91 :
- 他のスレだったけど、「じゃぁ、どのレベルだったら、
短期決戦に強いって言えるのさ?」みたいな流れで、
川上、森、広岡、野村くらいだった気がする。
そうなると、殆どの短期決戦経験監督は
勝負弱いって結論になっちゃうけどなw
- 92 :
- 短期決戦普通枠と、短期決戦経験少なすぎて分からない枠を作れば解決。
- 93 :
- 鹿取が著書の中で、藤田の先発完投主義のせいで職場を奪われたと恨み言を言ってるらしいな。
- 94 :
- >>91
明らかに戦前不利で負けた監督は短期に弱いとは言わない気がする。
意外と巨人系は王以外は短期向きだと思う、選手起用我慢できない
から。 長嶋のアテネ予選の采配は好きだし中畑のアテネ本戦は普通
逆に王・星野のWBC・五輪ははっきりいってド下手。
- 95 :
- 藤田は、83年
問題の第6戦、終盤の西本で行くか江川で行くかのとき
迷ってる最中、王の「西本でいきましょう」の声で決断してしまった(結果は失敗)。
これ、やっぱり王の江川に対する様々な心情というのが全く入っていないとは言えないわけで
このときは助監督とはいえ、ある心情を起用に持ち込んでしまう(その後の監督時代も同じ)と
失敗してしまう例ではないかな、と。まあ83年シリーズに関しては、王の言葉で
決断してしまう藤田も藤田なんだが…
- 96 :
- >>95
スレチだけど韓国に負け越してるのはオールプロになってから
王と星野の時だけ
- 97 :
- 藤田の後年の話では、あのとき江川の持つ、得体の知れぬカリスマ性に掛けていれば…とも。
王は監督就任後、そのカリスマ性を逆に警戒した。まあ江川に対する王の心情も分からなくはないんだが
この辺の差が、藤田と王の監督評価の差にそのまま表れてるような気はする。
- 98 :
- 第二次政権のとき、桑田問題の処罰に対する藤田の対応をみてても、江川に対しても
ドラフト時のいざこざ、それはそれという割切りを藤田は持てる人だったんじゃないかな?
そもそも江川の問題は藤田に何ら関係ない長嶋時代のときの話なわけで。
桑田は王政権時に採った選手だが、王の監督時代に桑田のああいった問題が勃発したとき
果たして王は、どこまで桑田を庇うことが出来ただろうか?藤田のように体を張れただろうか?
やっぱり球団の言うなりだっただろうか?
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83年は衰えていた・調子悪いとはいえ西本より江川の方が三振取れる。
9回に点を取られていけない場面では打たせて取る西本より江川の
方がと思う。
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