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【昭和の】♪三島の名句・美文♪【遺産】


1 :10/09/08 〜 最終レス :12/02/05
三島由紀夫(本名、平岡公威)
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/bf/Yukio_Mishima_1931.gif
http://image.rakuten.co.jp/auc-artis/cabinet/s-2540.jpg
http://www.c21-smica.com/blog_century21_nobu/img_1596165_27088893_0.jpg
大正14年(1925年)1月14日、東京都四谷区(新宿区)永住町2に
父・平岡梓(元農林省水産局長)、母・倭文重の長男として誕生。
昭和45年(1970年)11月25日、自衛隊市ヶ谷駐屯地にて割腹自決。
http://www.geocities.jp/kyoketu/61052.html
檄文 三島由紀夫
http://www.geocities.jp/kyoketu/61051.html
演説文 三島由紀夫

2 :
王子をゆりうごかした愛は、合(みあは)しせんと念(おも)ふ愛であつた。鹿が狩手の矢も
おそれずに牝鹿が姿をかくした谷間へと荊棘(いばら)をふみしだいて馳せ下りる愛であり、
つがひの鳩を死ぬまで森の小暗い塒(ねぐら)にむすびつける愛であつた。その愛の前に
死のおそれはなく、その愛の叶はぬときは手も下さずに死ぬことができた。王子もまた、
死が驟雨のやうにふりそそいでくるのを待つばかりである。どのみち徒らにわたしは死ぬ、
と王子は考へた。死をおそれぬものが何故罪をおそれるのか?
この世で愛を知りそめるとは、人の心の不幸を知りそめることでございませうか。
わが身の幸もわが身の不幸も忘れるほどに。
三島由紀夫「軽王子と衣通姫」より

3 :
たとひ人の申しますやうに恋がうつろひやすいものでありませうとも、大和の群山(むらやま)に
のこる雪が、夏冬をたえずうつりかはりながら、仰ぐ人にはいつもかはらぬ雪とみえますやうに、
うつろひやすいものはうつろひやすいものへとうけつがれてゆくでございませう。
恋の中のうつろひやすいものは恋ではなく、人が恋ではないと思つてゐるうつろはぬものが
実は恋なのではないでせうか。
はげしい歓びに身も心も酔ふてをります時ほど、もし二人のうちの一人が死にその歓びが
空しくなつたらと思ふ怖れが高まりました。二人の恋の久遠を希ふ時ほど、地の底で
みひらかれる暗いあやしい眼を二人ながら見ました。あなたさまはわたくし共が愛を
信じないとてお誡(いまし)め遊ばしませうが、時にはわれから愛を信じまいと
力(つと)めたことさへございました。せい一杯信じまいと力めましても、やはり恋は
わたくし共の目の前に立つてをりました。
三島由紀夫「軽王子と衣通姫」より

4 :
わたくし共の間にはいつも二人の仲人、恋と別れとが据つてをります。それは一人の仲人の
二つの顔かとも存ぜられます。別れを辛いものといたしますのも恋ゆゑ、その辛さに
耐へてゆけますのも恋ゆゑでございますから。
自在な力に誘はれて運命もわが手中にと感じる時、却つて人は運命のけはしい斜面を
快い速さで辷りおちつゝあるのである。
女性は悲しみを内に貯へ、時を得てはそれを悉く喜びの黄金や真珠に変へてしまふことも
できるといふ。しかし男子の悲しみはいつまで置いても悲しみである。
凡ては前に戻る。消え去つたと思はれるものも元在つた処へ還つて来る。
三島由紀夫「軽王子と衣通姫」より

5 :
追憶は「現在」のもつとも清純な証なのだ。愛だとかそれから献身だとか、そんな
現実におくためにはあまりに清純すぎるやうな感情は、追憶なしにはそれを占つたり、
それに正しい意味を索めたりすることはできはしないのだ。それは落葉をかきわけて
さがした泉が、はじめて青空をうつすやうなものである。泉のうへにおちちらばつて
ゐたところで、落葉たちは決して空を映すことはできないのだから。
祖先はしばしば、ふしぎな方法でわれわれと邂逅する。ひとはそれを疑ふかもしれない。
だがそれは真実なのだ。
三島由紀夫「花ざかりの森」より

6 :
今日、祖先たちはわたしどもの心臓があまりにさまざまのもので囲まれてゐるので、
そのなかに住ひを索めることができない。かれらはかなしさうに、そはそはと時計のやうに
そのまはりをまはつてゐる。
美は秀麗な奔馬である。
真の矜恃はたけだけしくない。それは若笹のやうに小心だ。そんな自信や確信のなさを、
またしてもひとびとは非難するかもしれぬ。しかしいとも高貴なものはいとも強いものから、
すなはちこの世にある限りにおいて小さく、ゆうに美しいものから生れてくる。
三島由紀夫「花ざかりの森」より

7 :
わたしはわたしの憧れの在処を知つてゐる。憧れはちやうど川のやうなものだ。
川のどの部分が川なのではない。なぜなら川はながれるから。きのふ川であつたものは
けふ川ではない。だが川は永遠にある。ひとはそれを指呼することができる。それについて
語ることはできない。わたしの憧れもちやうどこのやうなものだ。
ああ、あの川。わたしにはそれが解る。祖先たちからわたしにつづいたこのひとつの黙契。
その憧れはあるところでひそみ或るところで隠れてゐる。だが、死んでゐるのではない。
古い籬(まがき)の薔薇が、けふ尚生きてゐるやうに。祖母と母において、川は地下を
ながれた。父において、それはせせらぎになつた。わたしにおいて、――ああそれが
滔々とした大川にならないでなににならう、綾織るものゝやうに、神の祝唄(ほぎうた)のやうに。
三島由紀夫「花ざかりの森」より

8 :
老婦人は毅然としてゐた。白髪がこころもちたゆたうてゐる。おだやかな銀いろの縁をかがつて。
じつとだまつてたつたまま、……ああ涙ぐんでゐるのか。祈つてゐるのか。それすらわからない。……
まらうどはふとふりむいて、風にゆれさわぐ樫の高みが、さあーつと退いてゆく際に、
眩ゆくのぞかれるまつ白な空をながめた。なぜともしれぬいらだたしい不安に胸がせまつて。
「死」にとなりあはせのやうにまらうどは感じたかもしれない、生(いのち)がきはまつて
独楽(こま)の澄むやうな静謐、いはば死に似た静謐ととなりあはせに。……
三島由紀夫「花ざかりの森」より

9 :
頽廃した純潔は、世の凡ゆる頽廃のうちでも、いちばん悪質の頽廃だ。
愛の奥処には、寸分たがはず相手に似たいといふ不可能な熱望が流れてゐはしないだらうか?
この熱望が人を駆つて、不可能を反対の極から可能にしようとねがふあの悲劇的な離反に
みちびくのではなからうか?
抵抗を感じない想像力といふものは、たとひそれがどんなに冷酷な相貌を帯びやうと、
心の冷たさとは無縁のものである。それは怠惰ななまぬるい精神の一つのあらはれにすぎなかつた。
三島由紀夫「仮面の告白」より

10 :
ロマネスクな性格といふものには、精神の作用に対する微妙な不信がはびこつてゐて、
それが往々夢想といふ一種のな行為へみちびくのである。夢想は、人の考へてゐるやうに
精神の作用であるのではない。それはむしろ精神からの逃避である。
だけに似つかはしい種類の蕩さといふものがある。それは成熟した女の蕩とは
ことかはり、微風のやうに人を酔はせる。それは可愛らしい悪趣味の一種である。
たとへば赤ん坊をくすぐるのが大好きだと謂つたたぐひの。
三島由紀夫「仮面の告白」より

11 :
傷を負つた人間は間に合はせの繃帯が必ずしも清潔であることを要求しない。
潔癖さといふものは、欲望の命ずる一種のわがままだ。
好奇心には道徳がないのである。もしかするとそれは人間のもちうるもつとも不徳な
欲望かもしれない。
謙遜すぎる女は高慢な女と同様に魅力のないものである。

人間の情熱があらゆる背理の上に立つ力をもつとすれば、情熱それ自身の背理の上にだつて、
立つ力がないとは言ひ切れまい。
三島由紀夫「仮面の告白」より

12 :
他者との距離、それから彼は遁れえない。距離がまづそこにある。そこから彼は始まるから。
距離とは世にも玄妙なものである。梅の香はあやない闇のなかにひろがる。薫こそは
距離なのである。しづかな昼を熟れてゆく果実は距離である。なぜなら熟れるとは距離だから。
年少であることは何といふ厳しい恩寵であらう。まして熟し得る機能を信ずるくらい、
宇宙的な、生命の苦しみがあらうか。
一つの薔薇が花咲くことは輪廻の大きな慰めである。これのみによつて人者は耐へる。
彼は未知へと飛ばぬ。彼の胸のところで、いつも何かが、その跳躍をさまたげる。
その跳躍を支へてゐる。やさしくまた無情に。恰かも花のさかりにも澄み切つた青さを
すてないあの蕚(うてな)のやうに。それは支へてゐる。花々が胡蝶のやうに飛び立たぬために。
三島由紀夫「中世に於ける一人常習者の遺せる哲学的日記の抜萃」より

13 :
極端に自分の感情を秘密にしたがる性格の持主は、一見どこまでも傷つかぬ第三者として
身を全うすることができるかとみえる。ところがかういふ人物の心の中にこそ、現代の
綺譚と神秘が住み、思ひがけない古風な悲劇へとそれらが彼を連れ込むのである。
外的な事件からばかり成立つてゐた浪漫的悲劇が、その外的な事件の道具立を失つて、
心の内部に移されると、それは外部から見てはドン・キホーテ的喜劇にすぎなくなつた。
そこに悲劇の現代的意義があるのである。
確信がないといふ確信はいちばん動かしがたいものを持つてゐる。
三島由紀夫「盗賊」より

14 :
男には屡々(しばしば)見るが女にはきはめて稀なのが偽悪者である。と同時に真の偽善者も亦、
女の中にこれを見出だすのはむつかしい。女は自分以外のものにはなれないのである。
といふより実にお手軽に「自分自身」になりきるのだ。宗教が女性を収攬しやすい理由は
茲(ここ)にある。
女の心に全く無智な者として振舞ひながらその心に触れてゆくやり方は青年の特権である。
愛といふものは共有物の性質をもつてゐて所有の限界があいまいなばかりに多くの不幸を
巻き起すのであるらしい。
ある人にあつては独占欲が嫉妬をあふり、ある人は嫉妬によつて独占欲を意識する。
三島由紀夫「盗賊」より

15 :
嫉妬こそ生きる力だ。だが魂が未熟なままに生ひ育つた人のなかには、苦しむことを知つて
嫉妬することを知らない人が往々ある。彼は嫉妬といふ見かけは危険でその実安全な感情を、
もつと微妙で高尚な、それだけ、はるかに、危険な感情と好んですりかへてしまふのだ。
我々が深部に於て用意されてゐる大きな変革に気附くまでには時間がかかる。夢心地の裡に
汽車を乗りかへる。窓の外に移る見知らぬ風景を見ることによつてはじめて我々は汽車を
乗りかへたことに気附くのである。
ある動機から盗賊になつたり死を決心したりする人間が、まるで別人のやうになつて了ふのは
確かに物語のまやかしだ。むしろ決心によつて彼は前よりも一段と本来の彼に立還るのではないか。
三島由紀夫「盗賊」より

16 :
死を人は生の絵具を以てしか描きだすことができない。
たとひ自の決心がどのやうな強固なものであらうと、人は生前に、一刹那でも死者の眼で
この地上を見ることはできぬ筈だつた。どんなに厳密に死のためにのみ計画された
行為であつても、それは生の範疇をのがれることができぬ筈だつた。してみれば、
自とは錬金術のやうに、生といふ鉛から死といふ黄金を作り出さうとねがふ徒(あだ)な
のぞみであらうか。かつて世界に、本当の意味での自に成功した人間があるだらうか。
われわれの科学はまだ生命をつくりだすことができない。従つてまた死をつくりだすことも
できないわけだ。生ばかりを材料にして死を造らうとは、麻布や穀物やチーズをまぜて
三週間醗酵させれば鼠が出来ると考へた中世の学者にも、をさをさ劣らぬ頭のよさだ。
三島由紀夫「盗賊」より

17 :
皮肉な微笑は、かへつて屡々(しばしば)純潔な少女が、自分でもその微笑の意味を知らずに、
何の気なしに浮かべてゐることがあるものだ。
いかに純潔がそれ自身を守るために賦与した苦痛の属性が大きからうと、喜びの本質を
もつた行為のなかで、その喜びを裏切ることが出来るだらうか。
人は死を自らの手で選ぶことの他に、自己自身を選ぶ方法を持たないのである。生を
選ばうとして、人は夥しい「他」をしかつかまないではないか。
三島由紀夫「盗賊」より

18 :
自しようとする人間は往々死を不真面目に考へてゐるやうにみられる。否、彼は死を
自分の理解しうる幅で割切つてしまふことに熟練するのだ。かかる浅墓さは不真面目とは
紙一重の差であらう。しかし紙一重であれ、混同してはならない差別だ。――生きて
ゆかうとする常人は、自己の理解しうる限界にαを加へたものとして死を了解する。
このαは単なる安全弁にすぎないのだが、彼はそこに正に深淵が介在するのだと思つてゐる。
むしろ深淵は、自しようとする人間の思考の浮薄さと浅墓さにこそ潜むものかもしれないのに。
人間の想像力の展開には永い時間を要するもので、咄嗟の場合には、人は想像力の貧しさに
苦しむものだつた。直感といふものは人との交渉によつてしか養はれぬものだつた。
それは本来想像力とは無縁のものだつた。
三島由紀夫「盗賊」より

19 :
死といふことは生の浪費ではありませんわね。死は倹(つま)しいものです。
何のために生きてゐるかわからないから生きてゐられるんだわ。
何気なく何物かを宿し、その宿したものに対して忠実なのは女だ。彼女の矜りの表情は
彼女の知らないところに由来してゐる。
必要に迫られて、人は孤独を愛するやうになるらしい。孤独の美しさも、必要であることの
美しさに他ならないかもしれないのだ。
三島由紀夫「盗賊」より

20 :
地球といふ天体は喋りながらまはつてゐる月だつた。喋りつづけてゐるおかげで、人間は
地球がもうすつかり冷却して月とかはりなくなつてゐることに気附かない。しかも
地球といふ天体は洒落気のある奴で、皆が気附かなければそれなりに、そしらぬ顔をして
廻りつづけてゐるのだつた。
決して生をのがれまいとする生き方は、自ら死へ歩み入る他はないのだらうか。
生への媚態なしにわれわれは生きえぬのだらうか。丁度眠りをとらぬこと七日に及べば
死が訪れると謂はれてゐるやうに、たえざる生の覚醒と生の意識とは早晩人を死へ
送り込まずには措かぬものだらうか。
莫迦げ切つた目的のために死ぬことが出来るのも若さの一つの特権である。
三島由紀夫「盗賊」より

21 :
女たちの笑ひさざめく声といふのは、どうしてこんなにたのしいのだらう。湖の上に
洩れて映る大きな旅館の宴会の灯のやうだ。そこには地上の快楽が、一堂に集まつてゐる
やうに見えるのだ。
小説家の考へなんて、現実には必ず足をすくはれるもんだ。
四十歳を越すと、どうしても人間は、他人に自分の夢を寄せるやうになる。
自分の小説の登場人物に嫉妬を感じる小説家とは、まことに奇妙な存在だ。
三島由紀夫「愛の疾走」より

22 :
美代は、丁度その時間にそこで作業が行はれてゐず、魚の腹から卵をしぼり出す残酷な仕事を
見ないですんだのを喜んだ。
『でも、卵……卵……卵……。男たちがこんな仕事をしてゐる!』
彼女は何だか自分が魚になつたやうな、ひどく恥かしい感じがした。自分も一人の女として、
冬からやがて春へと動いてゆく、自然の大きな目に見えない流れに、否応なしに押し流されて
ゆくのだと思ふと、しらない間に野球帽も手拭もとつて、寒さのために赤い活気のある
頬をした修一の横顔を、じつと眺めてゐるのが、何だか眩しくなつた。
三島由紀夫「愛の疾走」より

23 :
本当に愛し合つてゐる同士は、「すれちがひ」どころか、却つて、ふしぎな糸に引かれて
偶然の出会をするもので、愛する者を心に描いてふらふらと家を出た青年が、思ひがけない辻で
パッタリその女に会つた経験を、ゲエテもエッカーマンに話してゐるほどだ。
クライマックスといふものは、いづれにせよ、人をさんざんじらせ、待たせるものだ。
第一の御柱は崖のすぐ上辺まで来てゐるのに、ゆつくり一服してゐて、なかなか
「坂落し」ははじまらなかつた。
女といふものはな、頭から信じてしまふか、頭から疑つてかかるか、どつちかしかないものだな。
どつちつかずだと、こつちが悩んで往生する。漁も同じだ。『今日はとれるかな、とれないかな』
……これではいかん。必ず大漁と思つて出ると大漁、からきしダメだらうと思つて出ると大漁、
全くヘンなものだ。こつちが中途半端な気持だと、向ふも中途半端になるものらしい。
全くヘンなものだ。
三島由紀夫「愛の疾走」より

24 :
突然、美代は両手で自分の顔をおほひ、体を斜めにして、修一の腕をのがれた。
修一はおどろいてその顔を眺め下ろした。美代は泣いてゐた。
声は立てなかつたが、美代は永久に泣きつづけてゐるやうで、その指の間から、涙が
嘘のやうに絶え間なくこぼれおちた。顔をおほつてゐる美代の指は、華奢な美しい女の
指とは言へなかつた。意識してかしないでか、美代は自分の一等自信のない部分へ、
男の注視を惹きつづけてゐたことになる。
それは農村で育つたのちに、キー・パンチャーとして鍛えられた指で、右手の人差し指と
中指と薬指、なかんづく一等使はれる薬指は、扁平に節くれ立つて、どんな優雅な指輪も
似合ひさうではなかつた。
しみじみとその指を眺めてゐた修一は、労働をする者だけにわかる共感でいつぱいになつて、
その薬指が、いとほしくてたまらなくなり、思はず、唇をそれにそつと触れた。
三島由紀夫「愛の疾走」より

25 :
…もともと口下手の修一は、こんなときに余計なことを言ひ出して、事壊しになるやうな
羽目には陥らなかつた。彼は子供が好奇心にかられて菓子の箱をむりやりあけてみるやうに、
かなり強引な力で、美代のしつかりと顔をおほつてゐる指を左右にひらいた。
涙に濡れた美しい顔が現はれた。しかし崩れた泣き顔ではなくて、涙のために、一そう
剥き立ての果物のやうな風情を増してゐた。修一はいとしさに耐へかねて、顔を近づけた。
するとその泣いてゐた美代の口もとが、あるかなきかに綻んで、ほんの少し微笑したやうに
思はれた。
それに力を得て、修一は強く、美代の唇に接吻した。
三島由紀夫「愛の疾走」より

26 :
……美代はこの唇こそ、永らく待ちこがれてゐた唇だと、半ば夢心地のうちに考へた。
もう何も考へないやうにしよう。考へることから禍が起つたのだ。何も考へないやうにしよう。
……こんな場合の心に浮ぶ羞恥心や恐怖や、果てしのない躊躇逡巡や、あとで飽きられたら
どうしようといふ思惑や、さういふものはすべて、女の体に無意識のうちにこもつてゐる
醜い打算だとさへ、彼女は考へることができた。純粋になり、透明にならう。決して
過去のことも、未来のことも考へまい。……自然の与へてくれるものに何一つ逆らはず、
みどり児のやうに大人しくすべてを受け容れよう。世間が何だ。世間の考へに少しでも
味方したことから、不幸が起つたのだ。……何も考へずに、この虹のやうなものに全身を
委ねよう。……水にうかぶ水蓮の花のやうに、漣(さざなみ)のままに揺れてゐよう。
三島由紀夫「愛の疾走」より

27 :
……どうしてこの世の中に醜いことなどがあるだらうか。考へることから醜さが生れる。
心の隙間から醜さが生れる。心が充実してゐるときに、どうして、この世界に醜さの
入つてくる余地があるだらうか。……今まで誰にも触れさせたことのない房を、修一の
大きな固い掌が触つた。この人は怖れてゐる。慄へてゐる。どうして悪いことをするやうに
慄へてゐるのだらう。……この太陽の下、花々の間、遠い山々に囲まれて、悪いことを
人間ができるだらうか。……美代の心からは、人に見られる心配さへみんな消え失せてゐた。
世界中の人に見られてゐても、今の自分の姿には、恥づべきことは何一つないやうな気がした。……
それでゐて、美代の体が、やさしく羞恥心にあふれてゐるのを、修一は誤りなく見てゐた。
丈の高い夏草の底に埋もれて、彼女はそのまま恥らひのあまり、夏の驟雨のやうに地面に
融け込んでしまひさうだつた。
三島由紀夫「愛の疾走」より

28 :
初恋がすらすらと結ばれたら、そんな夫婦の一生は、箸にも棒にもかからないものになる。
人間は怠け者の動物で、苦しめてやらなくては決して自分を発見しない。自分を発見しない
といふことは、要するに、本当の幸福を発見しないといふことだ。
三島由紀夫「愛の疾走」より

29 :
佃煮や煮豆の箱がいつぱい並んでゐる。福神漬のにほひがする。そぼろ、するめ、わかめ、
むかしの日本人は、粗食と倹約の道徳に気がねをして、かういふちつぽけな、あたじけない
享楽的食品を、よくもいろいろと工夫発明したものである。
正義を行へ、弱きを護れ。
自分が若いころ闊歩できなかつた街は、何だか一生よそよそしいものである。
とにかく人生は柔道のやうには行かないものである。人生といふやつは、まるで人絹の
柔道着を着てゐるやうで、ツルツルすべつて、なかなか業(わざ)がきかないのであつた。
人生つて、右か左か二つの道しかないと思ふときには、ほんの二三段石段を上つて、
その上から見渡してみると、思はぬところに、別な道がひらけてるもんなのよ。さうなのよ。
人間には、自由だけですまないものがある。古い在り来りな、束縛を愛したい気持もある。
三島由紀夫「につぽん製」より

30 :
素足で歩いては足が傷ついてしまふ。歩くためには靴が要るやうに、生きてゆくためには
何か出来合ひの「思ひ込み」が要つた。
悦子は明日に繋ぐべき希望を探した。何か、極く小さな、どんなありきたりな希望でもよい。
それがなくては、人は明日のはうへ生き延びることができない。明日にのこつてゐる繕ひものとか、
明日立つことになつてゐる旅行の切符とか、明日飲むことにしてある罎ののこりの僅かな酒とか、
さういふものを人は明日のために喜捨する。そして夜明けを迎へることを許される。
われわれが人間の目を持つかぎり、どのやうに眺め変へても、所詮は同じ答が出るだけだ。
苟(いやしく)も仕事をしようとすれば、命を賭けずに本当の仕事ができるものではない。
生れのよい人間は滅多に風流になんぞ染つたりはせぬものだ。
三島由紀夫「愛の渇き」より

31 :
われわれはむしろ、自分が待ちのぞんでゐたものに裏切られるよりも、力(つと)めて
軽んじてゐたものに裏切られることで、より深く傷つくものだ。それは背中から刺された
匕首(あいくち)だ。
人生が生きるに値ひしないと考へることは容易いが、それだけにまた、生きるに値ひしない
といふことを考へないでゐることは、多少とも鋭敏な感受性をもつた人には困難である。
この世の情熱は希望によつてのみ腐蝕される。
ある人たちにとつては生きることがいかにも容易であり、ある人にとつてはいかにも困難である。
人種的差別よりももつと甚だしいこの不公平に、悦子は何ら抵抗を感じなかつた。
『容易なはうがいいにきまつてゐる』と彼女は考へた。『なぜかといへば、生きることが
容易な人は、その容易なことを生きる上の言訳になどしないからだ。それといふのに、
困難のはうはすぐ生きる上の言訳にされてしまふ。
三島由紀夫「愛の渇き」より

32 :
生きることが難しいなどといふことは何も自慢になどなりはしないのだ。わたしたちが
生の内にあらゆる困難を見出す能力は、ある意味ではわたしたちの生を人並に容易にするために
役立つてゐる能力なのだ。なぜといつて、この能力がなかつたら、わたしたちにとつての生は、
困難でも容易でもないつるつるした足がかりのない真空の球になつてしまふ。この能力は
生がさう見られることを遮(さまた)げる能力であり、生が決してそんな風に見えては
来ない容易な人種の、あづかり知らぬ能力であるとはいへ、それは何ら格別な能力ではなく、
ただの日常必需品にすぎないのだ。人生の秤をごまかして、必要以上に重く見せた人は、
地獄で罰を受ける。そんなごまかしをしなくつても、生は衣服のやうに意識されない
重みであつて、外套を着て肩が凝るのは病人なのだ。
三島由紀夫「愛の渇き」より

33 :
下から上を見たときも、上から下を見たときも、階級意識といふものは嫉妬の代替物に
なりうるのだ。
人生には何事も可能であるかのやうに信じられる瞬間が幾度かあり、この瞬間におそらく人は
普段の目が見ることのできない多くのものを瞥見し、それらが一度忘却の底に横たはつたのちも、
折にふれては蘇つて、世界の苦痛と歓喜のおどろくべき豊饒さを、再びわれわれに向つて
暗示するのであるが、運命的なこの瞬間を避けることは誰にもできず、そのために
どんな人間も自分の目が見得る以上のものを見てしまつたといふ不幸を避けえないのである。
あまりに永い苦悩は人を愚かにする。苦悩によつて愚かにされた人は、もう歓喜を
疑ふことができない。
嫉妬の情熱は事実上の証拠で動かされぬ点においては、むしろ理想主義者の情熱に近づくのである。
衝動によつて美しくされ、熱望によつて眩ゆくされた若者の表情ほどに、美しいものが
この世にあらうか。
三島由紀夫「愛の渇き」より

34 :
人間の性の世界は広大無辺であり、一筋縄では行かないものだ。
性の世界では、万人向きの幸福といふものはないのである。
音楽といふ観念が音楽自体を消すのである。
嘘つきの常習犯ほど却つて、自分の喋つてゐることが嘘か本当か知らないのではあるまいか?
一瞬の直感から、女が攻撃態勢をとるときには、男の論理なんかほとんど役に立たないと
言つていい。
三島由紀夫「音楽」より

35 :
いくら成人式をやつたつて、二十代はまだ人生や人間に対して盲らなのさ。大人が
しつかりした判断で決めてやつたはうが、結局当人の倖せになるんだ。むかしは、お婿さんの
顔も知らずに嫁入りした娘が一杯ゐるのに、それで結構愛し合つて幸福にやつて行けたもんだ。
たしかなことは、不幸が不幸を見分け、欠如が欠如を嗅ぎ分けるといふことである。
いや、いつもそのやうにして、人間同士は出会ふのだ。
三島由紀夫「音楽」より

36 :
精神分析学は、日本の伝統的文化を破壊するものである。欲求不満(フラストレーション)
などといふ陰性な仮定は、素朴なよき日本人の精神生活を冒涜するものである。人の心に
立入りすぎることを、日本文化のつつましさは忌避して来たのに、すべての人の行動に
性的原因を探し出して、それによつて抑圧を解放してやるなどといふ不潔で下品な教理は、
西洋のもつとも堕落した下賤な頭から生まれた思想である。
「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」といふ諺が、実は誤訳であつて、原典のローマ詩人
ユウェナーリスの句は、「健全なる肉体には健全なる精神よ宿れかし」といふ願望の意を
秘めたものであることは、まことに意味が深いと言はねばならない。
精神分析学者には文学に関する豊富な知識も必要だ。
三島由紀夫「音楽」より

37 :
人間は、どんなバカでも『お前を盲らにしてやるぞ』と言はれれば反撥する程度の自尊心は
あるから、テレビのコマーシャルをきらふけれど、『お前の目をさまさせてやる』と
言はれて不安にならぬほどの自尊心は持たないから、精神分析を歓迎するわけですね。
男性の不能の治療は、無意識のものを意識化するといふ作業よりも、過度に意識的なものを
除去して、正常な反射神経の機能を回復するといふ作業のはうが、より重要であり、
より効果的である。
見かけは恵まれた金持の息子でありながら、人生は貧乏人さへ知らない奇怪な不幸を
与へることがある。
三島由紀夫「音楽」より

38 :
女の肉体はいろんな点で大都会に似てゐる。とりわけ夜の、灯火燦然とした大都会に似てゐる。
私はアメリカへ行つて羽田へ夜かへつてくるたびに、この不細工な東京といふ大都会も、
夜の天空から眺めれば、ものうげに横たはる女体に他ならないことを知つた。体全体に
きらめく汗の滴を宿した……。
目の前に横たはる麗子の姿が、私にはどうしてもそんな風に見える。そこにはあらゆる美徳、
あらゆる悪徳が蔵されてゐる。そして一人一人の男はそれについて部分的に探りを入れる
ことはできるだらう。しかしつひにその全貌と、その真の秘密を知ることはできないのだ。
三島由紀夫「音楽」より

39 :
われわれは誰が何と言はうと、愛が人間の心にひらめかす稲妻と、瞥見させる夜の青空とを、
知つてをり、見てゐるのである。
どんな不まじめな嘘の裏にも、怖ろしい人間性の問題が顔をのぞかせてゐる。
神聖さと徹底的な猥雑さとは、いづれも「手をふれることができない」といふ意味で似てゐる。
強度のヒステリー性格は、受動的に潜在意識に動かされるだけではなく、無意識のうちに
識閾下の象徴を積極的に利用する。
三島由紀夫「音楽」より

40 :
精神分析を待つまでもなく、人間のつく嘘のうちで、「一度も嘘をついたことがない」
といふのは、おそらく最大の嘘である。
ひとたび実存主義的見地に立てば、「正常な」人間の実存も、異常な人間の実存も、
「愛の全体性への到達」の欲求においては等価であるから、フロイトのやうに、一方に
正常の基準を置き、一方に要治療の退行現象を置くやうな、アコギな真似はできない筈である。
つまりそれはあまりにも、科学的実証主義のものわかりのわるさを捨てすぎたのである。
三島由紀夫「音楽」より

41 :
社会構造の最下部には、あたかも個人個人の心の無意識の部分のやうに、おもてむきの
社会では決して口に出されることのない欲望が大つぴらに表明され、法律や社会規範に
とらはれない人間のもつとも奔放な夢が、あらはな顔をさし出してゐる。
神聖さとは、ヒステリー患者にとつては、多く、復讐の観念を隠してゐる。
三島由紀夫「音楽」より

42 :
待つといふ感情は微妙なものです。それは人の生活に、落着かない不満足な感じと同時に、
待つことそれ自身の言ふにいはれぬ甘美な満足をもたらすからです。
明日の遠足がよいお天気であるやうにとねがふ子供は、その明日がお天気であつただけで、
もはや遠足そのものの与へる愉しみの十中八九を味はひつくしてゐるのです。よいお天気の
朝を見ただけで、彼の満足の大半は、成就されたも同じことです。
仏の花を買ひにゆくといふ殊勝な用事を彼にうちあけることが、私には何故かしら
嬉しかつたのです。私は悪戯をする子供の気持よりも、修身のお点のよいことをねがふ
子供の気持のはうが、ずつと恋心に近いことを知るのでした。まして恋といふものは、
そつのない調和よりも、むしろ情緒のある不釣合のはうを好くものです。
三島由紀夫「不実な洋傘」より

43 :
われわれはふだん意志とは無形のものだと考へてゐる。軒先をかすめる燕、かがやく雲の
奇異な形、屋根の或る鋭い稜線、口紅、落ちたボタン、手袋の片つぽ、鉛筆、しなやかな
カーテンのいかつい吊手、……それらをふつうわれわれは意志とは呼ばない。しかし
われわれの意志ではなくて、「何か」の意志と呼ぶべきものがあるとすれば、それが
物象として現はれてもふしぎはないのだ。その意志は平坦な日常の秩序をくつがへしながら、
もつと強力で、統一的で、ひしめく必然に充ちた「彼ら」の秩序へ、瞬時にしてわれわれを
組み入れようと狙つてをり、ふだんは見えない姿で注視してゐながら、もつとも大切な瞬時に、
突然、物象の姿で顕現するのだ。かういふ物質はどこから来るのだらう。多分それは
星から来るのだらう、と獄中の幸二はしばしば考へた。……
三島由紀夫「獣の戯れ」より

44 :
幸二が正に見たかつたのは、人間のひねくれた真実が輝やきだす瞬間、贋物の宝石が
本物の光りを放つ瞬間、その歓喜、その不合理な夢の現実化、莫迦々々しさがそのまま
荘厳なものに移り変る変貌の瞬間だつた。さういふものの期待において優子を愛し、
優子の守つてゐた世界の現実を打ち壊さうと願つたのだから、それが結果として逸平の
幸福になつても構はない筈だつた。少なくとも幸二は何ものかのために奉仕したのだ。
しかし実際に幸二が見たのは、人間の凡庸な照れかくしと御体裁の皮肉と、今までさんざん
見飽きたものにすぎなかつた。彼は計らずも自分が信じてゐた劇のぶざまな崩壊に立ち会つた。
『そんなら仕方がない。誰も変へることができないなら、僕がこの手で……』
支柱を失つた感情で、幸二はさう思つた。何をどう変へるとも知れなかつた。しかし
着実に自分が冷静を失つてゆくのを彼は感じた。
三島由紀夫「獣の戯れ」より

45 :
『あのとき俺は、論理を喪くしたぷよぷよした世界に我慢ならなかつたんだ。あの豚の
臓腑のやうな世界に、どうでも俺は論理を与へる必要があつたんだ。鉄の黒い硬い冷たい
論理を。……つまりスパナの論理を』
幸二は清の単純な抒情的な魂を羨んだ。硝子のケースの中の餡パンのやうに、はつきりと
誰の目にも見える温かいふつくらした魂。刑務所の庭にも清の語つたのと同じやうな花園があつた。
受刑者たちが手塩にかけて育ててゐるその花園を、幸二は手つだはなかつたけれど、
遠くから愛してゐた。ひどく臆病に、迷信ぶかく、痛切に、しかもうつすらと憎んで。……
三島由紀夫「獣の戯れ」より

46 :
人生とは何だ? 人生とは失語症だ。世界とは何だ? 世界とは失語症だ。歴史とは何だ? 
歴史とは失語症だ。芸術とは? 恋愛とは? 政治とは? 何でもかんでも失語症だ。
座敷のまんなかに深い空井戸が口をあけてゐる家といふものを想像してみるといい。
空つぽな穴。世界を呑み込んでしまふほど大きな穴。あんたはそれを大事に護り、
そればかりか、穴のまはりに優子と俺をうまい具合に配置して、誰も考へつきさうもない
新らしい『家庭』を作り出さうといふ気になつた。空井戸を中心にしたすてきな理想的な家庭。
三島由紀夫「獣の戯れ」より

47 :
死といふ事実は、いつも目の前に突然あらはれた山壁のやうに、あとに残された人たちには
思はれる。その人たちの不安が、できる限り短時日に山壁の頂きを究めてしまはうと
その人たちをかり立てる。かれらは頂きへ、かれらの観念のなかの「死の山」の頂きへ
かけ上る。そこで人たちは山のむかうにひろがる野の景観に心くつろぎ、あの突然目の前に
そそり立つた死の影響からのがれえたことを喜ぶのだ。しかし死はほんたうはそこからこそ
はじまるものだつた。死の眺めはそこではじめて展(ひら)けて来る筈だつた。光にあふれた
野の花と野生の果樹となだらかな起伏の景観を、人々はこれこそ死の眺めとは思はず
眺めてゐるのだつた。
三島由紀夫「罪びと」より

48 :
あれは実に無意味な豪奢を具へた鳥で、その羽根のきらめく緑が、熱帯の陽に映える森の
輝きに対する保護色だなどといふ生物学的説明は、何ものをも説き明しはしない。
孔雀といふ鳥の創造は自然の虚栄心であつて、こんなに無用にきらびやかなものは、
自然にとつて本来必要であつた筈はない。創造の倦怠のはてに、目的もあり効用もある
生物の種々さまざまな発明のはてに、孔雀はおそらく、一個のもつとも無益な観念が
形をとつてあらはれたものにちがひない。そのやうな豪奢は、多分創造の最後の日、
空いつぱいの多彩な夕映えの中で創り出され、虚無に耐へ、来るべき闇に耐へるために、
闇の無意味をあらかじめ色彩と光輝に飜訳して鏤(ちりば)めておいたものなのだ。だから
孔雀の輝く羽根の紋様の一つ一つは、夜の濃い闇を構成する諸要素と厳密に照合してゐる筈だ。
三島由紀夫「孔雀」より

49 :
俺の美は、何といふひつそりとした速度で、何といふ不気味なのろさで、俺の指の間から
辷り落ちてしまつたことだらう。俺は一体何の罪を犯してかうなつたのか。自分も知らない
罪といふものがあるのだらうか。たとへば、さめると同時に忘れられる、夢のなかの
罪のほかには。
三島由紀夫「孔雀」より

50 :
安里は自分がいつ信仰を失つたか、思ひ出すことができない。ただ、今もありありと
思ひ出すのは、いくら祈つても分かれなかつた夕映えの海の不思議である。奇蹟の幻影より
一層不可解なその事実。何のふしぎもなく、基督の幻をうけ入れた少年の心が、決して
分かれようとしない夕焼の海に直面したときのあの不思議……。
安里は遠い稲村ヶ崎の海の一線を見る。信仰を失つた安里は、今はその海が二つに
割れることなどを信じない。しかし今も解せない神秘は、あのときの思ひも及ばぬ挫折、
たうとう分かれなかつた海の真紅の煌めきにひそんでゐる。
おそらく安里の一生にとつて、海がもし二つに分かれるならば、それはあの一瞬を措いては
なかつたのだ。さうした一瞬にあつてさへ、海が夕焼に燃えたまま黙々とひろがつてゐた
あの不思議……。
三島由紀夫「海と夕焼」より

51 :
われわれの内的世界と言葉との最初の出会は、まつたく個性的なものが普遍的なものに
触れることでもあり、また普遍的なものによつて練磨されて個性的なものがはじめて所を
得ることでもある。
少年は何かに目ざめたのである。恋愛とか人生とかの認識のうちに必ず入つてくる滑稽な夾雑物、
それなしには人生や恋のさなかを生きられないやうな滑稽な夾雑物を見たのである。
すなはち自分のおでこを美しいと思ひ込むこと。
もつと観念的にではあるが、少年も亦、似たやうな思ひ込みを抱いて、人生を生きつつ
あるのかもしれない。ひよつとすると、僕も生きてゐるのかもしれない。この考へには
ぞつとするやうなものがあつた。
三島由紀夫「詩を書く少年」より

52 :
あの慌しい少年時代が私にはたのしいもの美しいものとして思ひ返すことができぬ。
「燦爛とここかしこ、陽の光洩れ落ちたれど」とボオドレエルは歌つてゐる。「わが青春は
おしなべて、晦闇の嵐なりけり」。少年時代の思ひ出は不思議なくらゐ悲劇化されてゐる。
なぜ成長してゆくことが、そして成長そのものの思ひ出が、悲劇でなければならないのか。
私には今もなほ、それがわからない。誰にもわかるまい。老年の謐かな智恵が、あの秋の末に
よくある乾いた明るさを伴つて、我々の上に落ちかゝることがある日には、ふとした加減で、
私にもわかるやうになるかもしれない。だがわかつても、その時には、何の意味も
なくなつてゐるであらう。
三島由紀夫「煙草」より

53 :
「いつはりならぬ実在」なぞといふものは、ほんたうにこの世に在つてよいものだらうか。
おぞましくもそれは、「不在」の別なすがたにすぎないかもしれぬ。不在は天使だ。
また実在は天から堕ちて翼を失つた天使であらう、なにごとにもまして哀しいのは、
それが翼をもたないことだ。
そこはあまりにあかるくて、あたかもま夜なかのやうだつた。蜜蜂たちはそのまつ昼間の
よるのなかをとんでゐた。かれらの金色の印度の獣のやうな毛皮をきらめかせながら、
たくさんの夜光虫のやうに。
苧菟はあるいた。彼はあるいた。泡だつた軽快な海のやうに光つてゐる花々のむれに
足をすくはれて。……
彼は水いろのきれいな焔のやうな眩暈を感じてゐた。
三島由紀夫「苧菟と瑪耶」より

54 :
ほんたうの生とは、もしやふたつの死のもつとも鞏(かた)い結び合ひだけから
うまれ出るものかもしれない。
蓋をあけることは何らかの意味でひとつの解放だ。蓋のなかみをとりだすことよりも
なかみを蔵つておくことの方が本来だと人はおもつてゐるのだが、蓋にしてみれば
あけられた時の方がありのままの姿でなくてはならない。蓋の希みがそれをあけたとき
迸しるだらう。
ひとたび出逢つた魂が、もういちどもつと遥かな場所で出会ふためには、どれだけの苦悩や
痛みが必要とされることか。魂の経めぐるみちは荊棘(けいきよく)にみたされてゐるだらう。
三島由紀夫「苧菟と瑪耶」より

55 :
無くなるはずのないものがなくなること、――あの神かくしとよばれてゐる神の
ふしぎな遊戯によつて、そんな品物は多分、それを必要としてゐるある死人のところへ
届けられるのにちがひない。
星をみてゐるとき、人の心のなかではにはかに香り高い夜風がわき立つだらう。しづかに
森や湖や街のうへを移つてゆく夜の雲がただよひだすだらう。そのとき星ははじめて、
すべてのものへ露のやうにしとどに降りてくるだらう。あのみえない神の縄につながれた
絵図のあひだから、ひとつひとつの星座が、こよなく雅やかにつぎつぎと崩れだすだらう。
星はその日から人々のあらゆる胸に住まふだらう。かつて人々が神のやうにうつくしく
やさしかつた日が、そんな風にしてふたゝび還つてくるかもしれない。
三島由紀夫「苧菟と瑪耶」より

56 :
それは矛盾にみちた悲劇的な愛だつた。彼の巧みな手れん手くだに乗ぜられた女が、
やがて彼の愛が冷め、その冷たさ愛を糊塗しようとする彼の手くだの巧みさを見たとしたら、
おそらく興ざめて別離はたやすくなるにちがひない。しかし愛の冷却に伴ふさまざまな困難を
一つとして切抜けかねる彼の意外な不器用さが、女のなかに母性的な別種の愛をめざめさせ、
それがますます別離を困難にすることはありうることだ。
嫉妬は透視する力だ。
愛の問題ではないのです。女には事実のはうがもつと大切です。
三島由紀夫「獅子」より

57 :
皮肉は何といふ美味なつまみものであらう。殊に酒精分の強い洋酒の場合は。
凡て悪への悲しげな意慾が完全に欠如してゐるこのやうな人間、(それこそ悪それ自体)が
地上から滅び去るとはどんなによいことであらう。さういふ善意が滅びることは、
どれほど地上の明るさを増すことだらう。
三島由紀夫「獅子」より

58 :
椅子から体がずり落ちて床に倒れた。生きてゐる間は巧く隠し了せてゐたこの女の地声が
いよいよ聴かれるのだ。それはゲエといつたりウーフといつたりウギャアといつたりする声である。
房や頬や胴を猫のやうに椅子の脚や卓の脚にすりつける。顔に塗りたくつた真蒼な白粉が彼女に
よく似合ふ。彼女は頭を怖ろしい音を立てて床へぶつける。白い太腿が蜘蛛のやうな動きで
這ひまはつてゐる。そこにじつとりとにじみ出た汗は、目のさめるやうな平静さだ。
――彼女と卓一つへだてて彼女の父も、熱心に同じ踊りを踊り狂つてゐるのだつた。
彼の呻き声は笑ひ声と同様に無意味である。「苦悩する人」といふ凡そ場ちがひの役処を
彼が引受けてゐるのは気の毒だ。仔犬のやうな目を必死にあいたりつぶつたりしてゐるが、
一体何が見えるといふのか。彼自身の苦悩でさへもう見えはせぬ。彼は口から善意の
固まりのやうな大きな血反吐をやつとのことで吐き出して眠りにつく。さうでもしなければ
安眠できまいといふことを彼はやうやく覚(さと)つたのである。
――繁子は毒の及ぼす効力をこのやうにまざまざと想像することができた。
三島由紀夫「獅子」より

59 :
危険なのは「幸福」の思考ではあるまいか。この世に戦争をもたらし、悪しき希望を、
偽物の明日を、夜鳴き鶏を、残虐きはまる侵略をもたらすものこそ「幸福」の思考なのである。
三島由紀夫「獅子」より

60 :
不吉な宝石によつて投げかけられる凶運の翳といふものを人々はもはや信じまい。
尤もさういふ不信が現代の誤謬でないとは誰も言へまい。現代人は自分の外部に、すべて
内部の観念の対応物をしかみとめない。宝石などといふ純粋物質の存在をみとめない。
しかし人間の内部と全く対応しない一物質を、古代の人たちは物質と呼ばずに運命と
呼んだのではなからうか。精神のうちでも決して具象化されない純粋な精神が、外部に
存在して、ただ一つの純粋物質としてわれわれの内部を脅やかすに至つたのではあるまいか。
死、生、社会、戦争、愛、すべてをわれわれは内部を通じて理解する。しかし決して
われわれの内部を通過しないところの精神の「原形」が、外部からただ一つの純粋物質として
われわれを支配するのではあるまいか。ともすると宝石は、精神の唯一の実質ではなからうか。
三島由紀夫「宝石売買」より

61 :
報ひとは何だらう。そんなものがあつてよいだらうか。報ひといふ考へ方は、いま悪果を
うけてゐる者が、むかしの悪因の花々しさに思ひを通はす、殊勝らしい身振にすぎぬではないか。
貴族とは没落といふ一つの観念を誰よりも鮮やかに生きる類ひの人間であつた。たとへば
「出世」といふ行為を離れてはありえぬ「出世」といふ観念を人は純粋に生きることが
できないが、そこへゆくと、没落といふ観念はもともと没落といふ行為とは縁もゆかりも
ないものなのである。没落を生きてゐるのではなく、「失敗した出世」を生きてゐることにならう。
没落といふ観念を全的に生きるためには、決して没落してはならなかつた。落下の危険なしに
サーカスは考へられないが、本当に落ちてしまつたらそれはもはやサーカスではなくて、
一つの椿事にすぎないのと同じやうに。
三島由紀夫「宝石売買」より

62 :
女性のもつ人道的感情はきはめて麗はしいもので、多くの場合、審美的でさへあるのである。
女の宝石をほめるのは、面と向つてその体をほめるやうなものではなからうか。宝石への
誉め言葉が時あつてふしぎな官能の歓びを女に与へるのはそのためだ。
この人は自分の軽薄さを実に軽薄に扱ふ術を心得てゐる。真底から軽薄な人間の遠く及ばない
完全無欠な軽薄さだ。つまり真底から軽薄な人間は自分の軽薄さの自己弁護についてだけは真剣に
ならざるをえないのだから。その範囲で彼の軽薄さは不完全なものにならざるをえないのだから。
三島由紀夫「宝石売買」より

63 :
打算のない愛情とよく言ひますが、打算のないことを証明するものは、打算を証明するものと
同様に、『お金』の他にはありません。打算があつてこそ『打算のない行為』もあるのですから、
いちばん純粋な『打算のない行為』は打算の中にしかありえないわけです。夜があつてこそ
昼があるのだから、昼といふ観念には『夜でない』といふ観念が含まれ、その観念の最も
純粋な生ける形態は夜の只中にしかないやうに、又いはば、深海魚が陸地に引き揚げられて
形がかはつてゐるのに、さういふ深海魚をしか見ることのできない人間が、夜の中になく
夜の外にある昼のみを昼と呼び、打算の中になく打算の外にある『打算なき行為』だけを
『打算なき行為』とよぶ誤ちを犯してゐるわけなのです。
三島由紀夫「宝石売買」より

64 :
値踏みといへば、五千円といふまちがへやうもない名前をつけてやる行為です。世間一般でよぶ
鷲の剥製といふ名の代りに、値踏みをする人は五千円といふ特別誂への名でよびかけます。
すると鷲の剥製は、魔法の名で呼ばれたつかはしめの鳥のやうに歩き出して彼に近づいて
くるのです。
…人形に魂を吹き入れて『立て!』といふとき、魔女たちはこれに似た感情を味はひは
しないでせうか。人は値踏みによつてのみ対象に生命を賦与(あた)へることができるのです。
これ以上打算のない行為があるでせうか。
三島由紀夫「宝石売買」より

65 :
何度失敗してもまた未練らしく試みられて際限がないあの錬金術同様に、打算のない行為といふ
ものは、何度失敗しても飽きることなく求められて来ました。はじめそれは精神の世界で
探されました。宗教がさうですね。お互ひが真に孤独でなければ出来ない行為は、精神の
世界では、愛がその最高のものであり、もしかしたら唯一のものかもしれません。そこで
打算のない行為の原型が愛に求められました。しかし残念なことに、愛は対象の属性には
決してなりえないといふ法則が発見されたのです。これがつまり基督の昇天です。彼の愛は
人間の属性になるには耐へなかつた。孤独の属性になるには耐へなかつた。
嘘つきにみえる方が正直にみえるより得ではなくつて? だつて安心して本当のことが
言へますもの。
三島由紀夫「宝石売買」より

66 :
夢想は私の飛翔を、一度だつて妨げはしなかつた。
夢想への耽溺から夢想への勇気へ私は出た。……とまれ耽溺といふ過程を経なければ
獲得できない或る種の勇気があるものである。
最早私には動かすことのできない不思議な満足があつた。水泳は覚えずにかへつて来て
しまつたものの、人間が容易に人に伝へ得ないあの一つの真実、後年私がそれを求めて
さすらひ、おそらくそれとひきかへでなら、命さへ惜しまぬであらう一つの真実を、
私は覚えて来たからである。
三島由紀夫「岬にての物語」より

67 :
みしまゆきおってもうかけなくなってじさつしたの??

68 :
人間とはただ雑多なものが流れて通る暗渠であり、くさぐさの車が轍(わだち)を残して
すぎる四辻の甃(いしだたみ)にすぎないやうに思はれる。暗渠は朽ち、甃はすりへる。
しかし一度はそれも祭の日の四辻であつたのだ。
このごろの若い人のやつてゐることは、衣装がちがふだけで、中味はちつとも昔と
かはつてゐやしませんよ。若い人は自分にとつてはじめての経験を、世間様にもはじめての
経験だととりちがへる。どんな無軌道だつて昔とおなじで、ただ世間のやかましい目が
昔ほどぢやないから、無軌道も大がかりになつて、ますます人目につくことをしなくちや
ならなくなるんです。
今、世に時めいてゐる人たちは、無礼な冗談や狎(な)れすぎた振舞をもむしろ面白がるが、
かつて世に栄えて隠棲してゐる人たちにとつては、同じ冗談も矜りを傷つけられる種子に
なるのだ。そんな老人相手には、ひたすら聴き役にまはるに限る。そして柔らかな会話で
按摩をし、むかしの権力がふたたびその座に花やいでゐるやうな錯覚を起させるのだ。
三島由紀夫「宴のあと」より

69 :
若い男は精神的にも肉体的にもあんまり余分なものを引きずつてゐて、特に年上の女に
対しては己惚れが強くて、どこまでつけ上るかわからない。
「面倒臭い」。それは明らかに、老人の言葉だつた。
死んだやうな生活といきいきした思想とが、どうして同居してゐることができよう。
かづが今やその人たちの一族に連なり、その人たちの菩提所にいづれ葬られ、一つの流れに
融け入つて、もう二度とそこから離れないといふことは、何といふ安心なことだらう。
何といふ純粋な瞞着だらう。かづがそこへ葬られるときこそ、安心が完成され、瞞着が
完成される。それまでは世間はいかにかづが成功し、金持になり、金を撒かうと、本当に
瞞されはしないのだ。瞞着で世間を渡りはじめ、最後に永遠を瞞着する。これがかづの
世間へ投げる薔薇の花束である。……
三島由紀夫「宴のあと」より

70 :
その大仰な秘密くささも情事に似てゐて、政治と情事とは瓜二つだつた。
しかし人間は墓の中に住むことはできない。
かづが打算と考へてゐるものは一種の誠意、とりわけ民衆的な誠意であり、動機が
どうあらうとも、献身と熱中は、民衆に愛される特性だつた。
自然なものしか人の心を搏ちませんよ。
政治家の目からは選挙区の景色はどこも美しく見えなければならず、自然を美しく眺めるには
政治家でなければならない。それは収穫されるべき果物の、みずみずしさと魅惑に
充ちてゐる筈だ。
かうして展望することは政治的な行為であつた筈だ。展望し、概括し、支配するのは
政治の仕事である。
本当の権謀術数は、絹のやうな肌ざわりを持つべきである。
三島由紀夫「宴のあと」より

71 :
空虚に比べたら、充実した悲惨な境涯のはうがいい。真空に比べたら、身を引き裂く
北風のはうがずつといい。
曇り空の一角に白金のやうに輝いてゐる小さい太陽へ、たえずかづの目は惹きつけられる。
不可能といふことがその輝きの素なのである。それは輝いてゐる。美しく天空に懸つてゐる。
何度目を外らしてもその輝きへ目が行くのも、それが不可能だからなのだ。そしてちらと
そこへ目が行つたが最後、他所はすべて闇としか思はれなくなつてしまふ。
理想のちらつかせる奇蹟への期待も、現実主義の惹起する奇蹟への努力も、政治の名に於て
同一なのかもしれない。
男の目が不可能に惹きつけられて光つてゐるときには、それを愛情のしるしと考へてよかつた。
かづは自分の活力の命ずるままに、そこに向つて駈けて行かねばならぬ。何ものも、
かづ自身でさへも、この活力の命令に抗することはできない。しかもさうしてかづの活力は、
あげくの果てに、孤独な傾いた無縁塚へ導いて行くことも確実なのである。
三島由紀夫「宴のあと」より

72 :
みしまゆきおってもうかけなくなってじさつしたの??

73 :
佃煮や煮豆の箱がいつぱい並んでゐる。福神漬のにほひがする。そぼろ、するめ、わかめ、
むかしの日本人は、粗食と倹約の道徳に気がねをして、かういふちつぽけな、あたじけない
享楽的食品を、よくもいろいろと工夫発明したものである。
正義を行へ、弱きを護れ。
自分が若いころ闊歩できなかつた街は、何だか一生よそよそしいものである。
とにかく人生は柔道のやうには行かないものである。人生といふやつは、まるで人絹の
柔道着を着てゐるやうで、ツルツルすべつて、なかなか業(わざ)がきかないのであつた。
人生つて、右か左か二つの道しかないと思ふときには、ほんの二三段石段を上つて、
その上から見渡してみると、思はぬところに、別な道がひらけてるもんなのよ。さうなのよ。
人間には、自由だけですまないものがある。古い在り来りな、束縛を愛したい気持もある。
三島由紀夫「につぽん製」より

74 :
大ていわれわれが醜いと考へるものは、われわれ自身がそれを醜いと考へたい必要から
生れたものである。
小肥りのした体格、福徳円満の相、かういふ相は人相見の確信とはちがつて、しばしば
酷薄な性格の仮面になる。
独逸の或る有名な人犯は、また有名な慈善家と同一人であることがわかつて捕へられた。
彼はいつもにこやかな微笑で貧民たちに慕はれてゐた。その貧民の一人を、彼はけちな
報復の動機でしてゐたのである。
彼は人と慈善とのこの二つの行為のあひだに、何らの因果をみとめてゐなかつた。
三島由紀夫「手長姫」より

75 :
中世欧羅巴(ヨーロッパ)の騎士たちは戦争のみならず日常生活の随所に織り込まれる
決闘によつてたえず生命の危険にさらされてゐた。それは古今東西変はらない女たるものの
天賦の危険、即ち貞操の危険と相頡頏するものであつた。つまり男女の危険率が平等であつたのだ。
さういふ時、女は自分の貞操を、男が自分の生命を考へるやうに考へただらうと思はれる。
貞操は自分の意志では守りがたいもので、運命の力に委ねられてゐると感じたに相違ない。
また貞操は貞操なるが故に守らるべきものではなく、それ以上の目的の為には喜んで
投げ出されるべきであつた。と同時に、男がつまらない意地や賭事に生命を弄ぶことが
あるやうに、女もそれ以外に賭ける財産がないではないのに、一番見栄えのする貞操を、
軽い手慰みに賭けて悔いないこともあつたにちがひない。その勇敢、その勇気が、かくして
時には異様に荘厳な光輝を放つたことがあつたかもしれない。……
余裕は反省を絞めしてしまふものだ。
三島由紀夫「夜の仕度」より

76 :
どんな卑近な情熱でも、そこには何らかの自己放棄を伴ふものだ。
良心は人を眠らせないが、罪は熟睡させるのである。
三島由紀夫「孝経」より
女を知らない体がどうして不幸なものですか。わたしの体を知つた男はみんな不幸になる
ばかりだわ。わたしお兄様をお可哀想になんて言へないことよ。
三島由紀夫「家族合せ」より

77 :
往時より、月を見て暮らした人、透視術にした人は、疲労困憊して狂気か死への途を
辿るといはれる。さやうな疲れは人間の能力を超えたものへの懲罰であり、同時に
深く人性の底に根ざした疲れである。
死すべき時は選びえずともどうして死所を選びえぬことがあらう。
三島由紀夫「中世」より

78 :

     みしまゆきおってもうかけなくなってじさつしたの??

79 :
>>78
晩年に最高傑作の戯曲を書いてますから、それはないです。

80 :
この世界には不可能といふ巨きな封印が貼られてゐる。
本当の危険とは、生きてゐるといふそのことの他にはありやしない。生きてゐるといふことは
存在の単なる混乱なんだけど、存在を一瞬毎にもともとの無秩序にまで解体し、その不安を
餌にして、一瞬毎に存在を造り変へようといふ本当にイカれた仕事なんだからな。こんな
危険な仕事はどこにもないよ。存在自体の不安といふものはないのに、生きることが
それを作り出すんだ。
男は大義へ赴き、女はあとに残される。
大義とは? それはただ、熱帯の太陽の別名だつたかもしれないのだ。
三島由紀夫「午後の曳航」より

81 :
ところでこの塚崎竜二といふ男は、僕たちみんなにとつては大した存在ぢやなかつたが、
三号にとつては、一かどの存在だつた。少くとも彼は三号の目に、僕がつねづね言ふ世界の
内的関聯の光輝ある証拠を見せた、といふ功績がある。だけど、そのあとで彼は三号を
手ひどく裏切つた。地上で一番わるいもの、つまり父親になつた。これはいけない。
はじめから何の役にも立たなかつたのよりもずつと悪い。
いつも言ふやうに、世界は単純な記号と決定で出来上つてゐる。竜二は自分では知らなかつた
かもしれないが、その記号の一つだつた。少くとも、三号の証言によれば、その記号の
一つだつたらしいのだ。
僕たちの義務はわかつてゐるね。ころがり落ちた歯車は、又もとのところへ、無理矢理
はめ込まなくちやいけない。さうしなくちや世界の秩序が保てない。僕たちは世界が
空つぽだといふことを知つてるんだから、大切なのは、その空つぽの秩序を何とか保つて
行くことにしかない。僕たちはそのための見張り人だし、そのための執行人なんだからね。
三島由紀夫「午後の曳航」より

82 :
血が必要なんだ! 人間の血が! さうしなくちや、この空つぽの世界は蒼ざめて枯れ果てて
しまふんだ。僕たちはあの男の生きのいい血を絞り取つて、死にかけてゐる宇宙、
死にかけてゐる空、死にかけてゐる森、死にかけてゐる大地に輸血してやらなくちやいけないんだ。
彼はもう危険な死からさへ拒まれてゐる。栄光はむろんのこと、感情の悪酔。身をつらぬく
やうな悲哀。晴れやかな別離。南の太陽の別名である大義の叫び声。女たちのけなげな涙。
いつも胸をさいなむ暗い憧れ。自分を男らしさの極致へ追ひつめてきたあの重い甘美な力。
……さういふものはすべて終つたのだ。
誰も知るやうに、栄光の味は苦い。
三島由紀夫「午後の曳航」より

83 :
莫迦な女ですね。…自分を莫迦だと知つてゐるだけになほ始末がわるい。女といふものは、
自分を莫迦だと知る瞬間に、それがわかるくらい自分は利巧な女だといふ循環論法に陥るのですね。
下手な絵描きに限つて絵描きらしく見えることを好むものである。
魔はやさしい面持でわれわれに誘ひをかける。
中年の女といふものは若い女を見るのに苛酷な道学者の目しか持たぬ点に於て女学校の
修身の先生も奔放な生活を送つてゐる富裕な有閑マダムもかはりない。
厭世的な作家?
そんなものはありはしないよ。認められない作家はみんな厭世家だし、認められた作家は
長寿の秘訣として厭世主義を信奉するだけだ。とりたてて厭世的な作家なんてありはしない。
彼らとてオレンジは好きなんだ。オレンジのの滓(かす)がきらひなだけだ。この点で
厭世家でない人間があるものかね。
三島由紀夫「魔群の通過」より

84 :
われらの死後も朝な朝な東方から日が昇つて、われらの知悉してゐる世界を照らすといふ確信は、
幸福な確信である。しかしそれを確実だと信じる理由がわれわれにあるのか?
認識の中にぬくぬくと坐つてゐる人たちは、いつも認識によつて世界を所有し、世界を
確信してゐる。しかし芸術家は見なければならぬ。認識する代りに、ただ、見なければならぬ。
一度見てしまつたが最後、存在の不確かさは彼を囲繞(いによう)するのだ。
僕は生れてからただの一度も退屈したことがないんだ。それだけが僕の猛烈な幸運なんだ。
三島由紀夫「旅の墓碑銘」より

85 :
自分の名前は他人の所有物だ。
『私』といふ言葉はもつとも仮構の共有物だと思はないかね。誰も僕のことを、
『おい、私』なんぞと呼びはしない。決してさう呼ばれないといふ安心が、『私』の
思ひ上りになり、はては権利になる。
僕の思念、僕の思想、そんなものはありえないんだ。言葉によつて表現されたものは、
もうすでに、厳密には僕のものぢやない。僕はその瞬間に、他人とその思想を共有して
ゐるんだからね。
個性といふものは決して存在しないんだ。
三島由紀夫「旅の墓碑銘」より

86 :
肉体には類型があるだけだ。神はそれだけ肉体を大事にして、与へるべき自由を節約したんだ。
自由といふやつは精神にくれてやつた。こいつが精神の愛用する手ごろの玩具さ。
……肉体は一定の位置をいつも占めてゐる。世界の旅でいつも僕を愕(おどろ)かせたのは、
肉体が占めることを忘れないこの位置のふしぎさだつた。たとへば僕は夢にまで見た
希臘(ギリシャ)の廃墟に立つてゐた。そのとき僕の肉体が占めてゐたほどの確乎たる
僕の空間を僕の精神はかつて占めたことがなかつたんだ。
精神は形態をもつやうに努力すべきなんだ。
生命は指で触れるもんぢやない。生命は生命で触れるものだ。丁度物質と物質が触れ合ふやうにね。
それ以上のどんな接触が可能だらう。……
三島由紀夫「旅の墓碑銘」より

87 :
旅の思ひ出といふものは、情交の思ひ出とよく似てゐる。事前の欲望を辿ることはもう
できない代りに、その欲望は微妙に変質してまた目前にあるので、思ひ出の行為が
あたかも遡りうるやうな錯覚を与へる。
どうしても理解できないといふことが人間同士をつなぐ唯一の橋だ。
本当の若者といふものは、かれら自身こそ春なのだから、季節の春なぞには目もくれないで
ゐるべきなのだ。
戦争時代の思ひ出つて全く妙だね。他人が一人もいなかつた。他人らしい清潔な表情を
してゐるのは、路傍にころがつた焼死死体だけだつた。
三島由紀夫「旅の墓碑銘」より

88 :
なぜなら、すべて神聖なものは夢や思ひ出と同じ要素から成立ち、時間や空間によつて
われわれと隔てられてゐるものが、現前してゐることの奇蹟だからです。しかもそれら三つは、
いづれも手で触れることのできない点で共通してゐます。手で触れることのできたものから、
一歩遠ざかると、もうそれは神聖なものになり、奇蹟になり、ありえないやうな美しいものになる。
事物にはすべて神聖さが具はつてゐるのに、われわれの指が触れるから、それは汚濁に
なつてしまふ。われわれ人間はふしぎな存在ですね。指で触れるかぎりのものを涜(けが)し、
しかも自分のなかには、神聖なものになりうる素質を持つてゐるんですから。
夢とちがつて、現実は何といふ可塑性を欠いた素材であらう。おぼろげに漂ふ感覚ではなくて、
一顆の黒い丸薬のやうな、小気味よく凝縮され、ただちに効力を発揮する、さういふ思考を
わがものにしなくてはならないのだ。
三島由紀夫「春の雪」より

89 :
何故時代は下つて今のやうになつたのでせう。何故力と若さと野心と素朴が衰へ、
このやうな情ない世になつたのでせう。
様式のなかに住んでゐる人間には、その様式が決して目に見えないんだ。だから俺たちも
何かの様式に包み込まれてゐるにちがひないんだよ。金魚が金魚鉢の中に住んでゐることを
自分でも知らないやうに。
歴史はいつも崩壊する。又次の徒(あだ)な結晶を準備するために。歴史の形成と崩壊とは
同じ意味をしか持たないかのやうだ。
三島由紀夫「春の雪」より

90 :
拒みながら彼の腕のなかで目を閉じる聡子の美しさは喩へん方なかつた。微妙な線ばかりで
形づくられたその顔は、端正でゐながら何かしら放恣なものに充ちてゐた。その唇の片端が、
こころもち持ち上つたのが、歔欷(きよき)のためか微笑のためか、彼は夕明りの中に
たしかめようと焦つたが、今は彼女の鼻翼のかげりまでが、夕闇のすばやい兆のやうに
思はれた。清顕は髪に半ば隠れてゐる聡子の耳を見た。耳朶にはほのかな紅があつたが、
耳は実に精緻な形をしてゐて、一つの夢のなかの、ごく小さな仏像を奥に納めた小さな珊瑚の
龕のやうだつた。すでに夕闇が深く領してゐるその耳の奥底には、何か神秘なものがあつた。
その奥にあるのは聡子の心だらうか? 心はそれとも、彼女のうすくあいた唇の、潤んで
きらめく歯の奥にあるのだらうか?
三島由紀夫「春の雪」より

91 :
清顕はどうやつて聡子の内部へ到達できるかと思ひ悩んだ。聡子はそれ以上自分の顔が
見られることを避けるやうに、顔を自分のはうから急激に寄せてきて接吻した。清顕は
片手をまはしてゐる彼女の腰のあたりの、温かさを指尖に感じ、あたかも花々が腐つてゐる
室のやうなその温かさの中に、鼻を埋めてその匂ひをかぎ、窒息してしまつたらどんなに
よからうと想像した。聡子は一語も発しなかつたが、清顕は自分の幻が、もう一寸のところで、
完全な美の均整へ達しようとしてゐるのをつぶさに見てゐた。
唇を離した聡子の大きな髪が、じつと清顕の制服の胸に埋められたので、彼はその髪油の
香りの立ち迷ふなかに、幕の彼方にみえる遠い桜が、銀を帯びてゐるのを眺め、憂はしい
髪油の匂ひと夕桜の匂ひとを同じもののやうに感じた。夕あかりの前に、こまかく重なり、
けば立つた羊毛のやうに密集してゐる遠い桜は、その銀灰色にちかい粉つぽい白の下に、
底深くほのかな不吉な紅、あたかも死化粧のやうな紅を蔵してゐた。
三島由紀夫「春の雪」より

92 :
われわれは恋しい人を目の前にしてさへ、その姿形と心とをばらばらに考へるほど
愚かなのだから、今僕は彼女の実在と離れてゐても、逢つてゐるときよりも却つて一つの
結晶を成した月光姫を見てゐるのかもしれないのだ。別れてゐることが苦痛なら、
逢つてゐることも苦痛でありうるし、逢つてゐることが歓びならば、別れてゐることも
歓びであつてならぬといふ道理はない。
優雅といふものは禁を犯すものだ、それも至高の禁を。
繁邦は思つてゐた。人間の情熱は、一旦その法則に従つて動きだしたら、誰もそれを
止めることはできない、と。それは人間の理性と良心を自明の前提としてゐる近代法では、
決して受け入れられぬ理論だつた。
三島由紀夫「春の雪」より

93 :
雨のまま明るくなつた空は、雲が一部分だけ切れて、なほふりつづく雨を、つかのまの
孤雨に変へてゐた。窓硝子の雨滴を一せいにかがやかす光りが、幻のやうにさした。
本多は自分の理性がいつもそのやうな光りであることを望んだが、熱い闇にいつも
惹かれがちな心性をも、捨てることはできなかつた。しかしその熱い闇はただ魅惑だつた。
他の何ものでもない、魅惑だつた。清顕も魅惑だつた。そしてこの生を奥底のはうから
ゆるがす魅惑は、実は必ず、生ではなく、運命につながつてゐた。
……海はすぐその目の前で終る。
波の果てを見てゐれば、それがいかに長いはてしない努力の末に、今そこであへなく
終つたかがわかる。
そこで世界をめぐる全海洋的規模の、一つの雄大きはまる企図が徒労に終るのだ。
三島由紀夫「春の雪」より

94 :
肉体が連続しなくても、妄念が連続するなら、同じ個体と考へて差支へがありません。
個体と云はずに、『一つの生の流れ』と呼んだらいいかもしれない。
どんな夢にもをはりがあり、永遠なものは何もないのに、それを自分の権利と思ふのは
愚かではございませんか。私はあの『新しき女』などとはちがひます。……でも、もし
永遠があるとすれば、それは今だけなのでございますわ。
三島由紀夫「春の雪」より

95 :
「じやあ、気をつけて」
と言つた。言葉にも軽い弾みを持たせ、その弾みを動作にも移して、聡子の肩に手を
置かうと思へば置くこともできさうだつた。しかし、彼の手は痺れたやうになつて動かなかつた。
そのとき正しく清顕を見つめてゐる聡子の目に出会つたからである。
その美しい大きい目はたしかに潤んでゐたが、清顕がそれまで怖れてゐた涙はその潤みから
遠かつた。涙は、生きたまま寸断されてゐた。溺れる人が救ひを求めるやうに、まつしぐらに
襲ひかかつて来るその目である。清顕は思はずひるんだ。聡子の長い美しい睫は、
植物が苞をひらくやうに、みな外側へ弾け出て見えた。
「清様もお元気で。……ごきげんやう」
と聡子は端正な口調で一気に言つた。
清顕は追はれるやうに汽車を降りた。(中略)
清顕は心に聡子の名を呼びつづけた。汽車が軽い身じろぎをして、目の前の糸巻の糸が
解(ほど)けたやうに動きだした。
三島由紀夫「春の雪」より

96 :
剃刀は聡子の頭を綿密に動いてゐる。ある時は、小動物の鋭い小さな白い門歯が齧るやうに、
ある時はのどかな草食獣のおとなしい臼歯の咀嚼のやうに。
髪の一束一束が落ちるにつれ、頭部には聡子が生れてこのかた一度も知らない澄みやかな
冷たさがしみ入つた。自分と宇宙との間を隔ててゐたあの熱い、煩悩の鬱気に充ちた黒髪が
剃り取られるにつれて、頭蓋のまはりには、誰も指一つ触れたことのない、新鮮で冷たい
清浄の世界がひらけた。剃られた肌がひろがり、あたかも薄荷を塗つたやうな鋭い寒さの
部分がひろがるほどに。
三島由紀夫「春の雪」より

97 :
髪は何ものかにとつての収穫(とりいれ)だつた。むせるやうな夏の光りを、いつぱい
その中に含んでゐた黒髪は、刈り取られて聡子の外側へ落ちた。しかしそれは無駄な収穫だつた。
あれほど艶やかだつた黒髪も、身から離れた刹那に、醜い髪の骸(むくろ)になつたからだ。
かつて彼女の肉に属し、彼女の内部と美的な関はりがあつたものが残らず外側へ捨て去られ、
人間の体から手が落ち足が落ちてゆくやうに、聡子の現世は剥離してゆく。……
ああ……「僕の年」が過ぎてゆく! 過ぎてゆく! 一つの雲のうつろひと共に。
今、夢を見てゐた。又、会ふぜ。きつと会ふ。滝の下で。
三島由紀夫「春の雪」より

98 :
どんな不キリョウな犬でも、飼ひ馴れれば、可愛くなる。
幸福といふものは、どうしてこんなに不安なのだらう!
誰も他人に忠告なんて与へられやしないよ。だから法律が、結局、人間生活のすべてなんだ。
はじめ思想や主義を作るのは男の人でせうね。何しろ男はヒマだから。
でもその思想や主義をもちつづけるのは女なねよ。女はものもちがいいんですもの。
人間には憎んだり、戦つたり、勝つたり、さういふ原始的な感情がどうしても必要なんだ。
三島由紀夫「永すぎた春」より

99 :
美しい身なりをして、美しい顔で町を歩くことは、一種の都市美化運動だ。
現実といふものは、袋小路かと思ふと、また妙な具合にひらけてくる。
他人の心のわかりすぎる人間は、小説なんか書かない。
建設よりも破壊のはうが、ずつと自分の力の証拠を目のあたり見せてくれるものだつた。
皆が等分に幸福になる解決なんて、お伽噺にしかないんですもの。
三島由紀夫「永すぎた春」より

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