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2012年2月世界史39: なぜ中東は欧州になれなかったのか (973)
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なぜ中東は欧州になれなかったのか
- 1 :11/07/10 〜 最終レス :12/02/05
- おしえてください
- 2 :
- うーん、宗教改革が起きなかったからか?
- 3 :
- トルコが近東からヨーロッパに寝返ったから、もう一歩だ
あとすこし待て
- 4 :
- 途中までは文化・産業面で周回差付けてリードしてたよね
- 5 :
- イスラム教ってプロテスタントよりも
まともじゃない?
- 6 :
- トルコは街並みは完全にヨーロッパ
- 7 :
- 逆にヨーロッパが中東の真似してんだよ
- 8 :
- でもいつの間にか欧州に追い越された
ついでに中国にも追い越された
- 9 :
- >>7
は?
- 10 :
- キリスト教は中東発
- 11 :
- >>9
まぁヨーロッパだって長い歴史の中で中東の影響を受けたことは、
いくつかあったからね。それを真似と言うのかどうかは微妙だけど。
- 12 :
- なぜ東南アジアは欧州になれなかったのか
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/whis/1306159971/
なぜカナダはアメリカになれなかったか
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/whis/1305925942/
なぜメキシコはアメリカになれなかったか
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/whis/1304888012/
なぜブラジルはアメリカになれなかったか
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/whis/1298698848/
なぜオーストラリアはアメリカになれなかったか
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/whis/1292398085/
- 13 :
- 欧州がルネサンスで希羅文化を学んだ後、どうしてそこで停滞しなかったのが肝だろう
中東だってビザンツを通して学んでいたのに
- 14 :
- なぜトルコは欧州になれなかったか
いまだにEUにも加盟できていない
- 15 :
- そもそもなんでこんなに人口が少なそうな地域が発展できたのかが謎だ。
ローマとパルティア、東ローマとササン朝は互角っぽいイメージがあるが
人口は常に地中海・ヨーロッパ側が数倍だったそうじゃないか。
セルジューク朝はフランスより人口がすくなかったんだろ?
衰退した原因としてはモンゴルによるものが多そうだけど。
- 16 :
- >>13
中東も、ビザンツやペルシャを征服したばかりの初期イスラーム時代の頃は、
それらの地域から学んだものを独自に発展させてた訳で停滞してた訳では、
ないと思うんだけど。イスラム科学に関しては14世紀頃になると停滞するけど。
>>14
トルコはそれなりに先進国だと思うけどやっぱり「ヨーロッパ=キリスト教」という、
イメージが強いしトルコ嫌いの国も結構多いからEU加盟はまだ難しいだろうね。
- 17 :
- なぜ欧州にならなければいけないのか?
- 18 :
- >>17
この場合、欧州化というより近代化という意味だと思うが、
近代化しないと、飯が食えないからな
- 19 :
- >>18
砂漠化に適用したオアシス農法が出来たのだ。
およそウイグル自治区からモロッコまで中東の基本はこれでよし。
無論、20世紀には近代技術を取り入れるようになってきたが、
ベースはかなり前に出来上がっている。
逆に19世紀まではオアシス農法でそこそこ食える中東に比べて
気候が寒冷な欧州は慢性的な飢餓で流民、移民多く気の毒に思われた。
植民地を支配しても大半が食えない状態がずっと続いた。
ただ、逆に産業振興という点ではアフリカ・アジアに比べて砂漠がなく、
森と川が多いのは強味だろう。
- 20 :
- 宗教のせいだろう
欧州はキリスト教の枷から逃れたルネッサンス以降から急速に力をつけてきたけど
中東では逆に宗教の影響が強まった
- 21 :
- >>20
それは因果関係が逆な気がする。現在流行ってるイスラーム原理主義は、
中東がヨーロッパに比べて遅れをとってるのはイスラームの教えを正確に、
守ってないからであり、だからこそイスラームが厳密に守られてた時代を、
見習おうというのが基本的な考え方だと思うから。つまり、「宗教の影響が、
強まったから遅れた」のではなく「遅れてたから宗教の影響が強まった」と、
思うんだよね。近世ぐらいまでは中東もそんなに宗教の影響強くなかったし。
(まぁ、あくまで同時代のヨーロッパに比べてだけど)
- 22 :
- >>21
そこから、プロテスタントみたいに近代化になるということは
考えられないのですかねぇ
清教徒革命のイギリスやカルヴァンの時代のジュネーブなんか
ホメイニやワッハーブ派のサウジも真っ青の宗教テロの時代だっただろう
ダンスをすれば、下手すりゃ死刑、生もない占いをすれば死刑
酒を飲んで暴れたら死刑そんな話がゴロゴロ転がっているだろう。
今のイスラム原理主義やワッハーブ派の流れから近代向かっていく
潮流が生まれるのですかねぇ
- 23 :
- 私もオツガイさんの見解が近いと思います。
イスラム過激派とか、原理主義という運動で直接現在のものと結びつくのは
20世紀に起こってます。列強の侵略の後です。
ルネサンス以後でも17世紀ではまだ異端弾圧・魔女狩りは続いてました。
欧州は世俗化したが、米国・イスラエルでは今でも宗教の力が強い。
つまり、「宗教の強さ=発展を阻害」ではなく、例えば同じ一神教でも
ユダヤ・キリスト教は多国籍企業・規制緩和・自由主義色が強いが、
イスラム教は地元バザール経済中心・社会主義色が強く、この辺が違いを生んでいるのかも知れない。
これも因果関係が逆かな。
- 24 :
- >>21
理性を重んじるムウタジラ派が廃れた以降のイスラム世界とヨーロッパを時間軸で追って見ればわかる
イスラム科学の黄金期を築いたのは合理主義のムウタジラ派
この宗派が宗教論争に破れて合理主義が廃れて理性よりも神性が重視されるようになってから
イスラムが下降の一途を辿ってる
逆にヨーロッパではルネッサンスを経て合理主義が台頭して宗教改革を経てイスラムとの力関係
を逆転させた
- 25 :
- >>22
案外その考えも間違ってない気はするんだよね。ただ現実問題として、
現在のイスラーム原理主義が近代的なものには見えないんだけどね。
トルコ式のオーソドックスな近代化かそれをやめてイスラーム主義に、
走ったイラン式近代化のどちらがより近代的かは今後の政局によるね。
>>24
ムウタジラ派が廃れたのってイスラーム史の中では結構前半部分だよ。
それ以降もセルジューク朝やマムルーク朝やオスマン帝国などが実際、
栄えてる訳だし、しかも>>23が言うようにルネサンス以降のヨーロッパも、
異端審問や魔女狩りは存在した。スーフィズムの台頭を衰退の原因に、
挙げる人は多いけど、それはあくまでイスラーム科学に限った話だと思う。
軍事的政治的にはそれより後の時代でもヨーロッパとまだ肩を並べてたよ。
- 26 :
- 近代化するにあたって、人民がどういう欲望を持っているのかも大事だと思う。
私から見てイスラム圏の人は平均的にアメリカ人や中国人、韓国人より
上昇志向が強いようには見えない。
そこの国の人民の本音がそこそこ食えれば満足なのか、それとも子どもがエリートとなり、
より広い家と大きい車、良い家電製品が欲しいのか、本音はどうなんだという事だ。
私にはイスラム圏の平均はどっちか言うと前者に見えるのだが。
- 27 :
- 中世イスラーム科学だがな、あれは英語のscienceと同じと考えていいのだろうか?
- 28 :
- >>25
>それ以降もセルジューク朝やマムルーク朝やオスマン帝国などが実際、栄えてる訳だし
ムウタジラ派衰退以降イスラム科学で何かの発展があった?
全体的には停滞してるじゃん
ルネッサンスの16世紀以降から欧州に押され始めたし、それまでイスラム勢力を支えてた
のはビザンツの遺産だけというありさま
あと、異端審問や魔女狩りが始まったのは宗教紛争が発端だから
まさに合理主義を捨てて極端に走る宗教が文明の発展を妨げる一例
- 29 :
- >>23
う〜ん、どうだろう?イスラームとキリスト教に根本的な違いがあり、
イスラーム圏が遅れてるのはそれが原因だとすると、かつて中東が、
ヨーロッパより繁栄してた理由が説明つかない気がする。まぁでも、
イスラームがバザール経済中心というのはたまに言われるからね。
近世まではそれで成り立ったけど資本主義の発達した近代以降は、
それでは上手くいかず経済的に遅れる事になったという考えもあるね。
- 30 :
- >>29
中東が繁栄してたのはイスラム成立以前からだろう
いまだに8世紀の教条を法律にしてる宗教だから、時代の変化に追いついて
いけないのは当たり前
- 31 :
- >>28
やっぱりイスラーム科学に限った話じゃん。科学に関しては16世紀以降、
確かにぱっとしなかったけど、別に科学だけが全てじゃないからね。
16世紀はオスマン帝国の最盛期でもあった訳だし、ヨーロッパに、
押されるようになったというよりは、ヨーロッパが互角になってきたイメージ。
とは言え、16世紀のイスラーム圏を停滞してたと考えるのは見方が、
科学中心過ぎると思う。オスマン帝国なんかはまさにこの時期が最盛期だよ。
軍事力や経済力なんかはまだまだヨーロッパと比べても衰えてないでしょ。
- 32 :
- >>30
まぁ確かにイスラーム以前から中東は先進地域だったけどイスラーム化後も、
しばらくは先進地域だった訳で、イスラームに原因を求めるのは違うと思うよ。
後、シャリーアは結構時代の変化に対応できてる面もあるよ。時代の状況に、
応じてウラマーたちが色々と解釈を変えるからね。イジュティハードの門は、
閉ざされたはずなのにそれ以降の時代でもオスマン帝国とかは現実的に、
色んな法律を作って時代の変化に対応しようしてる。
- 33 :
- >>31
16世紀以降欧州に押され始めたのはまさにその「科学」のせいだけど?
各分野において合理化、科学化が進められた結果イスラムの古い体制が
対抗できなくなって凋落の一途をたどった
産業革命以前からすでに人口も領土の数分の一の欧州国家に対抗できなくなってきたし
- 34 :
- >>32
>ウラマーたちが色々と解釈を変えるからね。
それは解釈可能な範囲の中でいじってるだけで、シャリーアそのものの方向性
に影響を与えるほどのものじゃない
だからマレーシアだろうとサウジだろうと量刑の軽重こそ違うが基本は同じ
「人間の合理性」を排除した神と預言者の意思による裁き
- 35 :
- >>33
だから16世紀じゃオスマン帝国やサファヴィー朝が栄えてたから、
まだ押されてないでしょ。普通にカルロヴィッツ条約からが中東の、
衰退の始まりと見るべきじゃないの?16世紀じゃ軍事・経済面は、
まだ衰えてない。ていうか、16世紀の中東の社会や政治体制が、
同時代のヨーロッパと比べて極端に非合理的だったとは思えない。
ムウタジラ派衰退後も文化的に廃れてた訳では決してしないしね。
- 36 :
- >>34
まぁ確かにそうか。でも同時代のヨーロッパの法体制もそうだっんたじゃないの?
あまり法制史に詳しくないので良く分からないけど、基本的な方向性はそんなに、
大きく変わってた気はしないなぁ、向こうの教会法だって。まぁどっちみち現在は、
シャリーアをそのまま法律にしてない国だって中東にはたくさんあるけどね。
- 37 :
- >>35
>だから16世紀じゃオスマン帝国やサファヴィー朝が栄えてたから、
人のレスを読まない人だなキミ
軍事科学分野だけで見ても遅れてた西欧に逆転を許したのも16世紀だし
栄えてたのは結局旧ビザンツ地域を飲み込んだ結果でしかない
同じモンゴルに国土を荒らされたロシアが17世紀になってトルコを抑え始めたし
栄えてた!と言ってもイスラム成立以前からある繁栄の上に胡坐をかいてただけ
- 38 :
- >>29
漏れはイスラームとキリスト教に根本的な違いがあるとは思わない
西欧が政教分離という方法を苦労して編み出さなければ、他の文明圏と同じように
停滞の道をたどっただろう
>>32
イスラームに原因があるわけではなくて、むしろ西欧の発展のほうが異常だったと
考えるべきだろう
- 39 :
- >>38
合理主義が中国でも一時期流行ってて、それが宋王朝時代の発展につながった
そのあと精神論に逃げ込んで停滞し始めた
- 40 :
- >>37
それはちょっとオスマン帝国を馬鹿にしすぎな気が・・・。オスマン帝国だって、
旧来あった制度を独自に発展させてる訳で今までの繁栄に胡坐をかいてた、
訳ではないでしょ。後、ビザンツ領を飲み込んでる訳でもないサファヴィー朝も、
繁栄してるよ。中東が遅れたというよりはは同時代の西欧が急速に発展しすぎた、
だけな気がするなぁ。当時のオスマン帝国やサファヴィー朝も文化的軍事的、
政治的な発展は見られた。だから、中東が遅れたというよりは西欧が急速に、
発展しすぎてその結果16世紀に西欧も徐々に肩を並べるようになった。とは言え、
まだこの頃じゃオスマン帝国なんかが普通に西欧諸国を押してたから逆転は、
されてない。この急速な発展がついに中東を追い越すに至るのが18世紀頃から。
まぁ、これは中東に限らず「なぜ○○は欧州になれなかったのか」シリーズに、
全て言えることのような気もするけど。中東が遅れたというよりはヨーロッパが、
発展しすぎた。同時代のオスマン帝国とか見てても決して停滞してた訳ではない。
- 41 :
- 前から思ってたんだがな、
世界史板でアラブ諸国やイスラーム世界に対して批判的な書き込みがあると、
なぜかそれに対して反発し、これらの地域を弁護するレスがつくよな
正直言って、もういい加減にしてもらいたいと思う
- 42 :
- >>38
うん僕もそう思う。中東が停滞したというよりはヨーロッパが急速に、
発展しすぎた。むしろ西欧はなぜ中東にならなかったのかについて、
語ったほうが真実に近い気がする。ヨーロッパの発展が異常だった。
- 43 :
- >>40
オスマン帝国の文化や制度を一回勉強してみ
精鋭部隊でさえキリスト教徒頼りだったぞ
- 44 :
- >>41
判官びいきというのがあるだろうなww
それと、キリスト教、特にその流れの資本主義原理主義の新自由主義者が
ウザイというのがある。
- 45 :
- >>43
いや、だからそうやってデヴシルメのような制度を独自に発展させてたのに、
それを停滞と言うのはおかしいでしょ。ヨーロッパの影響を受けてたというのと、
ヨーロッパに押されてたじゃまるっきり意味が違うし。それを言うのなら当時の、
ヨーロッパも同じようにオスマン帝国からいくつか影響を受けてたし。
- 46 :
- >>45
だからビザンツの遺産を食ってないと無理って話じゃない?
時代が変化してイスラム騎兵隊だけでじゃ通用しなくなったから、キリスト教徒を
入れて火器部隊を作った
しかもその軍事力を維持できたのはほかではなく旧ビザンツ地域の経済力のおかげ
オスマンがビザンツの遺産なしで繁栄できるなんて夢の中でしか存在しない話
- 47 :
- >>45
ttp://kamome.2ch.net/test/read.cgi/whis/1303004948/l50
★☆★イスラーム史総合スレ その4★☆★
イスラームを擁護したいのならこちらでやってくれ
スレ違いだ
- 48 :
- トルコ人やモンゴル人など、北アジアの諸民族は、武勇に優れ、民族・宗教の
別なく有能な人材を活用するのに長けていた
けれどそれ以外の分野では、はっきりいってぱっとしないよな
- 49 :
- >>46
そりゃビザンツの影響を受けてたのは認めるしビザンツの遺産がなければ、
オスマン帝国の繁栄があったかどうか怪しいけどそれはヨーロッパも同じ。
ヨーロッパだってビザンツや中東などが発展させたものを受け継いでそれを、
独自に発展させた。オスマン帝国もビザンツの影響を受けながらもひれを、
独自に発展させてる訳でそこは差にならないと思う。ビザンツの遺産なしじゃ、
成り立たないけどそれだけでも成り立たない。プラスアルファ的なのはあった。
ただ、ヨーロッパはそのプラスアルファ(つまり発展の度合い)が異常だった。
決してオスマン帝国が停滞してた(つまり独自の発展がなかった)訳ではない。
>>47
中東と欧州が差がついた理由についての議論だからスレ違いではないでしょ。
- 50 :
- >>49
だから同じビザンツの文明遺産をもらっていながら、ヨーロッパはさらに発展できたのに
オスマン=イスラムができなかったのが宗教のしがらみのせいだろう、という話じゃん
合理主義を捨てた以上、合理主義に基づいたビザンツ=ギリシア=ローマ文明をさらに
発展させることなんてできるわけじゃない
それがオスマン停滞の原因
- 51 :
- >>50
オスマン帝国の軍事や政治体制を見る限りそんなに非合理的ではないし、
オスマン帝国は同時代の西欧と比べて宗教のしがらみが特別強かった、
訳ではないと思うけどなぁ。先述したように宗教のしがらみが強くなるのは、
もっと後になってから。ムウタジラ派は衰退したけどだからと言ってすぐに、
宗教のしがらみがヨーロッパに比べて強くなった訳ではない。
- 52 :
- >>51
ムウタジラ派が衰退し始めた当時ではルネッサンスが始まったわけじゃないだろう
合理主義を捨てて神(宗教)による支配を強めたイスラムに対して、欧州がルネッサンス
以降合理主義が台頭して宗教による支配から脱出して発展したと、ずっとそれを言ってる
じゃん
論点を理解してないかわざとはぐらかしてるとしか思えない
- 53 :
- >>52
だからムウタジラ派が衰退した時じゃなくてオスマン帝国の時代と、
比べてるじゃん。オスマン帝国の最盛期にはすでにヨーロッパは、
ルネサンスを迎えてるけどそれでも同時代のオスマン帝国と比べて、
宗教の縛りが弱いかというとそうでもない。それとムウタジラ派が、
衰退した事と宗教の支配が強まった事はイコールじゃないと思うよ。
ムウタジラ派が衰退してイスラームに神秘主義的傾向が強まったのは、
確かだけどだからといって政治に宗教の影響が強くなった訳ではない。
まぁ、とは言え宗教改革がヨーロッパの異常な発展の一因ではあるのは、
間違ってないと思う。ただ、だからヨーロッパが急速に発展した訳で、
ムウタジラ派のせいでイスラームが衰退云々は無関係だと思う。さっきも、
言ったようにヨーロッパがルネサンスや宗教改革で急速に発展しすぎただけで、
イスラームが衰退した訳ではない。ムウタジラ派は衰退したけどそれでも、
従来通り独自の発展を遂げてた。中東の発展の速度が遅くなったのではなく、
ヨーロッパの発展の速度が速くなっただけ。それにムウタジラ派が流行った、
時期ってそんなに長くないし。イスラームがそれ以降も着々と発展はしてた。
- 54 :
- >>53
一時代だけ切り出して屁理屈を言ってるだけじゃん
文明、文化の盛衰は10年20年で見るもんじゃないのに、「すぐ」だけにこだわる時点で
キミも自分の論議の空しさを理解してる
現にルネッサンス以降ヨーロッパ文明発展の傾向と、ムウタジラ派衰退以降イスラム文明
発展の傾向がはっきりしてるのに、無理やり一時代だけ切り出して「この時期ならまだまだ」
って屁理屈をこねまわさなければレスできない時点で終わってる
- 55 :
- オスマン帝国はヨーロッパと接触があったけれど、江戸時代の日本の蘭学者たちのように
西洋のフィロソフィーまで学ぼうとしたわけではないからな
彼らの関心はもっぱら、軍事技術などのテクノロジー面に向けられていたように思える
これがオスマン帝国の限界
- 56 :
- >>54
オスマン帝国に限らなくてもムウタジラ派衰退以降の例えばセルジューク朝や、
マムルーク朝などでも同時代のヨーロッパに比べて宗教の縛りが特別強いとは、
言えないでしょ。ムウタジラ派にかなりこだわってるようだけど、ムウタジラ派の、
影響を過剰視しすぎだと思うよ。まぁ影響は無視できないけどムウタジラ派だけが、
イスラームの発展に貢献してきた訳ではないよ。ムウタジラ派が衰退してからも、
オマル・ハイヤームみたいな科学者は存在する訳で、それ以降の中東の発展の、
速度が特別遅くなったとは思えない。ヨーロッパが急速に変化しただけで中東に、
これといった衰退の兆しはなかったと思うな。中東が衰退したんじゃなくて西欧が、
異常に発展しただけ。ムウタジラ派が衰退してからも合理主義的な考え方は別に、
完全に消え去った訳ではないし、ましてそれ以降宗教の縛りが強くなった訳でもない。
- 57 :
- 欧州の軍事技術の発展は突き詰めて社会全体の改革につながってるけど
それを無視して兵器製造技術にしか興味を持たなかったからなあ
ナポレオンの銃剣方陣対してマルムークが突撃をかまして大敗したし
- 58 :
- >>55
まぁ、あくまで自分たちのほうが有利だという自信があったからね。これは、
近代中国にも当てはまる気がするけど。下手に大国だと素直に向こうの、
文化や思想を学びにくいだろうね。軍事や技術は簡単に学ぼうと思えるけど、
精神や思考の核となる部分(宗教も含めて)はあくまで自分たちのほうが、
上だというプライドがあるせいで、そう簡単に学ぼうという気は起きにくいね。
19世紀頃になるとオスマン帝国のエリートたちも西欧の思想を学び始めるけど。
- 59 :
- >>56
>同時代のヨーロッパに比べて宗教の縛りが特別強い
15世紀ならね
それ以降両者の差がどんどん広がってたことは完全に無視なのか
あくまでもオスマン最盛期で比べたいのか?
都合のいい時期を切り出さないと論理が成り立たない時点で終わってる
ということ理解してる?
- 60 :
- >>58
>19世紀頃になるとオスマン帝国のエリートたちも西欧の思想を学び始めるけど。
学んだ結果、彼らが導き出した結論は政教分離だぞ?
- 61 :
- >>59
それ以降は西欧が急速に発展したから両者の差が縮まっていったんであって、
中東側が衰退した訳ではないと言ってるでしょ。中東は順調に発展してたのに、
西欧が宗教改革やルネサンスを通して異常な発展を遂げたと上でも述べたじゃん。
ムウタジラ派云々はあまり関係ないでしょ。ムウタジラ派が衰退したのはもっと、
前だからもしあなたの考え通りならもう少し前から西欧と中東の差が縮まっていく、
事になるけど、実際は西欧との差がどんどん縮まっていくのは早く見積もっても、
十字軍のあった中世後期ぐらいだと思う。だからムウタジラ派云々は関係ないでしょ。
後、16世紀でも当時の中東がヨーロッパよりも宗教の縛りが強かったとは思えない。
- 62 :
- >>60
まぁ、それだけじゃないけどね。オスマン帝国を崩壊させる原因になった、
西欧輸入の思想は政教分離もその1つだけどナショナリズムも大きいね。
19世紀頃から(見方によっては18世紀末から)オスマン帝国のエリートも、
西欧が急速に発展した理由は何かを探るために西欧の思想を多く学んで、
ナショナリズムや世俗主義などを輸入した。それらが複雑に絡み合って、
オスマン帝国は崩壊して今のトルコ共和国になったというのが大まかな、
流れかな。まぁ、実際はもう少し複雑でややこしいんだけど。
- 63 :
- >>61
中東側が「停滞」してたのであって「発展」してたわけじゃない
オスマン成立してから19世紀まで制度や文化にほとんどと言っていいほど変化や
発展がなかったぞ
それに対して欧州は発展してたし、欧州で学んだオスマン帝国の若者たちも政教分離
してイスラムの枷から抜け出さないとトルコの発展はないと考えたし
全体の流れを見ずに執拗に十字軍とか15,6世紀にだけこだわるキミは
単に逃げ回ってるだけだから、これ以上キミと論議する意味はない
宗教のしがらみが強くても社会全体が発展した例を探して出なおして来い
- 64 :
- >>63
もう少しオスマン帝国の文化や制度を勉強してよ。「停滞」なんて全くしてないよ。
政治制度だってティマール制から徴税請負制への変化や官僚機構の整備など、
変化してるし、法律とかも時代に合わせて柔軟に変えられてる。文化面だって、
建築面などは普通に発展してる。それなのに制度や文化に変化がないなんて、
言うほうがおかしい。オスマン帝国600年間が全く変化のない時代だと思ってるの?
ただ、それでも西欧の発展のスピードがそれ以上に早すぎただけ。停滞してはいない。
- 65 :
- >>63
ついでに言うならオスマン帝国は宗教のしがらみが特別強くなかったと何度も、
言ってる。ムウタジラ派衰退以降だって中東の政治文化経済は発展してるよ。
ムウタジラ派衰退以降のイスラーム史が何の変化もなく停滞してた訳はない。
- 66 :
- >>64
変化の激しい欧州の隣に居ながら600年間でそれだけの変化しかないって
ことは十分停滞してるじゃん
同時期の日本がどれだけ変わったのかを比べるまでもなく、中国と比べても
発展が遅い
そもそも7〜8世紀のアラビア半島に住むアラブ人の考えが国の基本指針に
なってる時点で発展のしようがない
- 67 :
- 中国や日本と比べてオスマン・トルコは発展してたの?
- 68 :
- >>66
>そもそも7〜8世紀のアラビア半島に住むアラブ人の考え
イスラームのことを言ってるんだと思うんだけどそれを言ったら、
ヨーロッパだって完全に政教分離するのは18世紀後半からだし。
宗教改革だってあくまでもキリスト教内での改革で政教分離の、
遠因にはなってもそれ自体が政教分離とは言えない。つまり、
政治における宗教の縛りという点では近代になるまで中東と、
ヨーロッパではそんなに差がないと言えるね。
>変化の激しい欧州の隣に居ながら600年間でそれだけの変化しかないって
>ことは十分停滞してるじゃん
だいぶ変化してると思うけど。オスマン帝国の歴史を少しでも勉強すれば、
オスマン帝国が停滞してたとは言えないんだけどなぁ。上で挙げたのは、
あくまで一例で細かく挙げれば政治経済軍事における変化なんてきりないし。
オスマン帝国の通史は日本語でもたくさん出てるからそれらを読めば、
発展してることが分かると思うよ。鈴木董氏とか林佳世子氏とか色々あるから。
- 69 :
- >>64
ティマール制の廃止や官僚機構の整備などはまさにヨーロッパを参考にして
西洋化改革だから、その時点ですでにオスマンが自らの遅れに気付いてる
ってことじゃん
- 70 :
- >>69
官僚機構の整備が雄なわれたのはスレイマン1世の時代だし、
徴税請負制への以降は西欧化改革とは無関係だよ。
- 71 :
- >>70誤字訂正
×官僚機構の整備が雄なわれたのは
○官僚機構の整備が行なわれたのは
- 72 :
- >>68
だから、一時代を切り出すのではなく、全体の流れで文明の盛衰を見るべきだって
何度言えばわかる?
政教分離、合理主義に進む欧州と、あくまでもイスラム指導の元に拘る中東の違い
を議論すべきなのに、○○世紀では違いはないとかまったく意味不明の話
言ってることもウソが多い
同じローマ法全集に触れながらもシャリーア法を元とする体制を堅持した中東と
ローマ法を元に法律体制を発展させた欧州とまったく違うし、その根底にあるのは
合理主義に基づくか否かであるにも関わらず、都合のいい角度だけ切り出してごまかしまくる
屁理屈こねれば満足なのかキミは?
- 73 :
- 徴税請負制って発展なのか?
- 74 :
- >>72
だから全体の流れでも変わりなく中東は発展してると言ってるじゃん。
その一例としてオスマン帝国時代(600年間)を出したに過ぎないよ。
それ以前だってちゃんと合理的な発展してる。ただそれでも欧州の、
ほうがその発展の度合いが強すぎただけ。だから原因は中東じゃなく、
ヨーロッパに求めるべきだと言ってるんだけど。何度も言ってるけど、
中東が「停滞」したのではなくヨーロッパが以上に「発展」しただけ。
ムウタジラ派衰退以降の中東も「発展」してるが欧州ほどじゃなかっただけ。
- 75 :
- >>70
>官僚機構の整備が雄なわれたのはスレイマン1世の時代だし、
それ、16世紀前半のことだし、文明や文化の発展と何の関係もない出来事じゃん
官僚制度はオスマン発祥なわけじゃないし、それ以前中近東を支配してた大国なら
どれも官僚制度が整備されてた
- 76 :
- >>73
確かにかつては衰退の兆しと見られてたけど林佳世子氏が興亡の世界史で、
当時の時代情勢を考えればそれなりに合理的なシステムだったと言ってるよ。
- 77 :
- >>73
東ローマから見たら発展ではなく退化
それを発展だと言い張る人も居る
- 78 :
- >>75
政治制度の進歩は「発展」と言わないの?官僚制度自体は確かに、
前からあったけどスレイマン1世はそれをさらに効率的で集権的な、
方向に発展させてた。こういう変化があるのに「停滞」はおかしいでしょ。
- 79 :
- >>77
徴税請負制への以降は東ローマが滅んでから数百年も後だからなぁ。
まぁ徴税請負制への評価は人によって分かれるけど最近は見直される、
傾向にあるね。少なくともビザンツ時代とは状況が違うから当時としては、
合理的だったのかどうかで考えるべきなんじゃないの。
- 80 :
- >>78
官僚制度はそれ以前中近東に存在せず、オスマンによって初めて整備されたのなら
キミの言う通りだけど、それ以前あったものを引っ張り出してもう一回整備し直したところ
を「発展」と言わない
それを「発展」にカウントしなければいけないほど、変化や変革が乏しかったのは仕方ないけど
- 81 :
- >>76
うーん・・・なんかずれてる気がする
衰退したぶん、行政力に相応しいやり方を選ぶことは合理的ではあっても発展というのとは違うんじゃ・・・?
- 82 :
- >>80
全く一から新しいものを作るなんて不可能でしょ。どんな発展だってその前段階の、
何かがあるもの。オスマン帝国の官僚制度もそれまでの官僚制度の丸パクリじゃなく、
それらをかなり変えてる。特に顕著なのはウラマーを官僚機構に取り込んだことで、
これはそれまでの中東ではあまりなかった。前段階があるのは当たり前でしょ。
- 83 :
- 例えば古代ローマだってさ
衰退期に入っても政治形態がどんどん変化してはいるでしょ
だからといってそれを発展と捉える人はほとんどいないと思うな
ローマを四分するのが当時の国力に相応しくて合理的でもさ
- 84 :
- >>79
それを「発展」だと言い張るなら西ローマ滅んだ後の西欧でも5世紀から10世紀まで
著しい発展を遂げたことになるが実際は違う
こんな屁理屈言わなければ擁護できないことは悲しいと思わないのか?
- 85 :
- >>81
じゃあどういうのを「発展」というのか定義してよ。
- 86 :
- >>84
中世ヨーロッパ暗黒説は古いと思うよ。同時代の中東とかよりは、
後進的だったとは言え、それなりの発展は遂げてるよ。とは言え、
それらはあくまで普通のペースでの発展でルネサンスなどを経て、
その発展のスピードが急激に上がったと言うべきなんじゃないの?
- 87 :
- >>83
いや、徴税請負制は当時のオスマンの衰退した国力とかそういうのじゃなく、
普通に合理的な制度らしいよ。分権的になりやすいとは言うけどそれでも、
あくまで地方の有力者を中央につなぎとめておくことが出来る訳で、中央の、
負担を和らげながら地方まで確実に支配できるというメリットはあったらしい。
- 88 :
- >>85
二つの要素があるだろうな
力自体の増加と、力の使用・増殖効率の向上
徴税請負制は力の限界を自覚することで相対的には力の濫費という無駄を減らしたかもしれないが
それが、力の増加につながったんだろうか?
- 89 :
- >>88
徴税請負制へ移行してからしばらくするとキョプリュリュ時代を迎えて、
オスマン帝国は国力が増加してるからそういう意味では「発展」じゃない?
- 90 :
- >>87
分権化するのに確実に支配っていうのがよく分からないが
そもそも中央の力が強ければ不必要な措置だろう
地方の力が強いから、その力の比率に相応しい制度にする
それは合理的ではあっても未来につながる発展ではないよね
- 91 :
- >>89
え?
それは何に比べて増加したんだ?
- 92 :
- >>90
>分権化するのに確実に支配っていうのがよく分からないが
>そもそも中央の力が強ければ不必要な措置だろう
当時のオスマン帝国はかなり広大な領土だった訳で当時の技術じゃ、
それらを完全に統制するのはかなり難しい。しかし、この制度ならば、
実質的な地方統治は地方の有力者に任せられるけど徴税請負権は、
あくまで中央から渡されてるためこのような地方の有力者が独立を、
図る心配がない。そういう意味では優れた制度だったと言えるらしい。
未来に繋がる発展とかいうのがいまいち分かりかねるけど。
- 93 :
- >>91
それ以前のオスマン帝国ではちょっとした政情不安に陥ってて、
それを落ち着かせ領土を最大にしたのがキョプリュリュ時代。
その時に徴税請負制も>>92で述べたような理由で役立ってる。
- 94 :
- >>86
誰も中世ヨーロッパは暗黒時代とは言ってない
明らかに発展した時代じゃないのは確かだろう
その時代で「合理的」にカール1世が全土を駆け回って税金を徴収してたし
メロヴィング朝の末期と比べて税収が向上したりけど、それを「発展」
と評する人はいない
- 95 :
- >>92
>>92
そりゃ完全には無理なのは当たり前だろ、だから何だよ
地方の行政官を派遣して徴収すればいい、そのほうが地方の有力者は弱体化して万々歳だ
それはできないのは地方の力が強いから、逆に言えば中央の力が弱いから
そういう力の限界に相応しいのが徴税請負制でしょ?
ていうか普通に反乱とか起きてなかったか?
- 96 :
- >>94
カール1世のそれが今までの制度と比べてプラス方向に変化してるなら、
「発展」で良いと思うよ。フランク王国の制度に詳しくないのでその変化が、
どっちなのかは分からないけど。それまでの制度より優れた制度になれば、
普通に「発展」と言って良いと思うよ。中世は発展のスピードが遅かっただけ。
別に「発展してなかった=停滞してた」という訳ではないと思うんだけど。
- 97 :
- >>93
100が10になってさらに20になったら発展と言い張るのか
日銀マンになる資格アリだな
- 98 :
- >>93
要は政情不安の中で生み出された地方権力への譲歩で国家を一次安定化させたという話にしか思えんのだが
それは譲歩が不必要だった時代に比べて衰退ではないのか?
- 99 :
- >>95
アラブ方面には中央から長官を派遣してる地域もあったよ。ただそれをやるのは、
それをやるコストと利益が釣り合うか見てからだからなぁ。そこまでする必要は、
なかったと当時の政府が判断したから徴税請負制にした訳だし。ていうか当時の、
他の地域(ヨーロッパ含む)だって地方の有力者が地方を支配してたのが、
ほとんどでしょ。例外はあったけど。そういった封建的な制度(ティマール制)を、
より集権的な方向に発展させたのが徴税請負制というわけ。ちゃんと前の時代の、
制度よりは集権的(プラス)な方向に進歩してるから「発展」とは言えるでしょ。
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