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2012年3月日本近代史160: 【幕末の】水戸藩・天狗党の乱【悲劇】3 (110)
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徳川慶喜を語ろう (378)
華族についてpart10 (302)
戊辰戦争・旧幕府軍勝利の可能性について (875)
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松菊木戸孝允(桂小五郎)について語ろう13 (629)
【幕末の】水戸藩・天狗党の乱【悲劇】3
- 1 :
- 幕末歴史ロマンー水戸天狗党の悲劇
−明治維新を待てなかった人々−
http://member.nifty.ne.jp/sasanuma/historio/tengu-to.html
明治維新も目前となった1865年,北陸の港町敦賀で,はるばる水戸からやってきた
武士や農民ら350人余りの大量処刑が行われた。「天狗党」とよばれた彼らは,
なぜ敦賀に来たのか。そして,なぜ処刑されなければならなかったのか
【幕末の】水戸天狗党【悲劇】2
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history2/1163300094/
- 2 :
- 保守
- 3 :
- なんで市川三左衛門は鬼のように、天狗党の家族まで弾圧したの?徳川慶篤の
意向?よかろう公だから意見なんてなかったんだろうけれども。。
- 4 :
- 20 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/12/19(火) 02:39:56 ID:+c98a+d30
斉昭は藩主襲封の際上級藩士に妨害され、下級藩士の支持によって藩主の座に就けた為か、
上級藩士達に疑いの眼を向け、要職には自分を支持した下級藩士を中心に抜擢し上級藩士達を罷免した為、
上級藩士達に目の仇にされていた。結城は上級藩士の出だったが、才覚に優れていた為例外的に執政の座にあったが
斉昭失脚に関与したとして斉昭は復権すると結城を罷免し挙げ句に陰謀を巡らしたと疑い処刑している。
- 5 :
- 敦賀で処刑された者 元治二年(1865)2月4日〜23日
あ
相田健之助
青柳留吉
青山新太郎
青山惣次郎
青木孫之允(22)
秋野源兵衛
秋山又三郎(20)
阿久津蔵介
阿久津小太郎(27)
朝倉源太郎(30)
朝倉三四郎(19)
浅野善十郎(32)
浅山一寿
安島鉄次郎(20)
荒井弁次郎(27)
安清四郎
安掛藤十(23)
安藤繁之介(35)
安藤彦之進(27)
安藤政之介(37)
飯崎清七
飯島喜介(20)
飯島与三郎
飯泉芳之介
飯田定五郎
飯村晋三郎(29)
池田孝太郎
井坂貞蔵(43)
石井蔵之介
石井宗介
石井政之允
石神三次郎
石川甚五郎
石崎彦作
石島秀之允
磯部春之介
井田平三郎
市毛孝之介(19)
伊藤与十郎
伊能彦八郎
今野勇(32)
岩戸常蔵
岩間久治郎(19)
上野六兵衛
内野啓兵衛(18)
内山小六
- 6 :
- 宇津木七之介(26)
梅川竹四郎(23)
小今田平介
大分太介(34)
大内雄之介
大久保信之介(27)
大久保半七(34)
大越小市(22)
大崎新蔵(38)
大島新介(22)
大関弥平
大高要介(21)
大谷包太郎(19)
大津雄太郎(21)
大塚亀次郎
大出大介
大和田外記(26)
大和田秀次郎
岡野亀太郎
岡野彦四郎
岡部仙介
岡山藤介
小川新三郎
小岸亀吉
刑部熊太郎
小澤辰之介
小沢弥一郎(26)
小田部十兵衛(42)
鬼沢熊次郎(21)
小野馨之允(19)
小野藤五郎(19)
か
加固新太郎
鹿島盥(22)
鹿島茂兵衛(46)
樫村平太郎(19)
梶山敬介(21)
柏清三郎
春日秀太郎
片岡武左衛門(53)
片波見善一郎
加藤木宗吉(28)
加藤木雄之介(24)
加藤積次郎
加藤荘吉(24)
加藤政介
加藤柳之助(22)
金井國之丞(18)
- 7 :
- 金沢啓蔵
金平与左右門(39)
金輪清之介
兜宗介(48)
亀山大介(34)
亀山祐衛門(26)
鴨志田伴七
唐津俊蔵(40)
川上清太郎(31)
川崎鉄之介
川島五郎
川島盛之介(19)
川澄鬼平(28)
川瀬専蔵(34)
河津丑之介(25)
河野藤四郎
川俣清左衛門
神田宗介
木内鎌次郎
木内貞五郎
菊池忠兵衛
北川元三郎(25)
木津雄太郎
木邑園三郎
木村宗八
木村雄六
桐山伊介
楠帯次郎(23)
楠要介
久保田久蔵(51)
栗田源左衛門(38)
栗俣新次郎(18)
栗飯原久七(20)
栗飯原留吉(25)
栗又鉄之介(20)
黒澤八郎
黒沢利八郎(34)
桑屋元三郎(20)
玄洞
小泉虎次郎(23)
小泉又介
小泉芳之介(18)
香内彦三郎
國分新太郎(21)
小島重次郎
小島彦次郎
小貫藤介(24)
- 8 :
- 小沼栄介
小橋新作
小林貞七
小林勇次郎
小松崎荘之介
小松主殿
小森好右衛門(30)
近藤伴蔵
さ
斎藤安之進
斎藤太介(21)
酒井八三郎
坂東蔵(24)
阪本勝次
坂本啓介
阪本源介
坂良介
佐川捨五郎
櫻井辰之介
桜井茂介
佐々木久介
佐々木重蔵
佐々木鉄之介(23)
笹目福次郎
笹目平三郎(25)
佐野信一郎
佐山覚之進
澤田信之介(27)
茂木浅吉(17)
篠原造酒蔵(21)
島田文右衛門(30)
清水八次郎(17)
下野廉三郎(17)
白須伊平太(41)
菅谷安兵衛
杉山弥一郎(18)
鈴木信蔵
鈴木荘三郎
鈴木秀太郎(27)
須藤敬之進(24)
関口伊介
関口熊五郎(33)
関口直次郎(54)
関登一郎(41)
関友七
関雄之介(21)
芹沢助次郎(20)
- 9 :
- 荘司与十郎(25)
た
高木徳右衛門
高瀬秀之助(21)
高野長五郎(34)
高橋市兵衛(16)
高橋一楽(20)
高橋鎌太郎
高橋元次郎
高橋新兵衛(27)
高橋荘五郎
高橋辰三郎(25)
高橋秀之介
高松与四郎
高谷篤三郎(21)
瀧口六三郎(22)
瀧平主殿(27)
瀧広次
竹内百太郎(35)
武田魁介(37)
武田耕雲斎(62)
武田孝蔵
武田春吉
武田彦右衛門(40)
武川惣吉
立花新吉
田中重蔵
田中三之介
谷村与左衛門
玉造誠之進(27)
田丸稲之衛門(61)
田邑右三郎
田邑源太郎
千葉貫一郎
都賀厚之介
塚原五郎(30)
塚本重四郎
津久井衛門七(25)
土子竹次郎
堤三次郎
堤清八
坪山源介(31)
鶴田善五郎
寺門周吉(20)
寺門左右吉(24)
寺門善次
富川虎五郎(19)
- 10 :
- 鳥山七蔵
な
内藤昇一郎(35)
内藤利兵衛(27)
直木藤平
永井小四郎(31)
永田兵介
中庭力蔵
中埜平介
中村延之介
中村貞介(33)
中村親之介(20)
中村清之允
中村東一郎
成井藤九郎(46)
難波源之進
根本熊太郎
根本新平(26)
野手熊吉(22)
埜木久次郎
野口主馬(21)
野口清吉
登戸藤之介
は
萩谷金次郎(37)
萩谷荘三郎
萩津甚兵衛
萩野利兵衛(40)
萩原造酒之介(31)
羽黒粂之介
長谷川幾之介
長谷川通之介(27)
畑弥平(46)
服部荘介
濱野松次郎(23)
早川吉兵衛
林芳之介(22)
原田武左衛門
原弁之介(26)
幡谷善七(21)
桧山三之介(27)
平野重三郎(45)
平山藤之介
平山良太郎
深谷四郎
- 11 :
- 福田誠一郎(22)
房前長次郎
藤枝吉兵衛
富士半十郎
藤田小四郎(23)
藤田啓介
藤田中務
藤田秀五郎(22)
藤田平太郎
二方舎人(49)
星彦吉
堀兵介
堀江一壽
本田佐久之介(19)
本田己之太郎
本間信三郎(33)
ま
前木六三郎(37)
前島武次郎(32)
前島徳之介(29)
前島雄三郎(21)
前野彦蔵
松崎熊之介(25)
松原彦兵衛
三鴨善七(28)
溝口太三郎
三田徳兵衛
皆川亀松(32)
箕輪啓一郎
箕輪又次郎
三橋半六(22)
宮崎安五郎(25)
宮田勝三郎
宮田銀蔵
宮本清介
宮本清蔵
宮本孫四郎(41)
宮本安五郎(20)
武藤宇兵衛
邑上栄五郎
村島萬次郎(37)
望月義太郎
森川長吉
森貞次郎(29)
森荘三郎(24)
森誠八郎(25)
森寅松
- 12 :
- 森兵五郎(24)
森山勝蔵(50)
森山藤衛門
や
山口四郎右衛門(40)
山口新介
山口荘介
山国淳一郎(52)
山国兵部(72)
山崎貞介
山澤啓介(20)
山田才介
山田瀧之進(27)
山中市郎
山本儀平(23)
横田藤十郎
横田藤四郎(28)
横田弥四郎
吉川忠蔵(41)
吉川半兵衛
吉田藤蔵(25)
米川久蔵(39)
米川米吉(21)
寄金貞次郎(18)
わ
和田健之介
渡辺金次郎
渡辺直次郎
渡辺雄之介
綿引誠一郎
渡部久介
他
伊介
市郎
右門
鎌次郎
吉兵衛
銀蔵
蔵介
啓一郎
源介
孝太郎
定吉
貞七
貞介
定蔵
定之介
- 13 :
- 重四郎
七蔵
荘三郎
清吉
清三郎
清七
清四郎
清介
惣次郎
宗八
忠介
長吉
長次郎
藤四郎
徳三郎
徳兵衛
彦蔵
兵介
又介
道之介
安兵衛
与三郎
良介
ご冥福をお祈りします
- 14 :
- 遅ればせながら、映画『桜田門外の変』を見てきた。
維新政府に水戸が居なかったことは誠に残念だった。
- 15 :
- 84 名無しさん@お腹いっぱい。 sage New! 2009/07/26(日) 21:35:25 ID:4hYQlsRi0
田沼意尊
天保11年(1840年)7月20日、家督相続。大坂定番をつとめた。
文久元年(1861年)9月14日、若年寄に就任。元治元年(1864年)、
幕府軍総督として水戸藩浪士による天狗党の乱の鎮圧につとめた。
慶応2年(1866年)10月4日、若年寄を解任。
明治元年(1868年)9月21日に上総小久保へ移封され、
明治2年(1869年)6月24日、版籍奉還により藩知事となった。
洋学を取り入れた近代的な藩校創設に尽力した。
同年12月24日、51歳で死去。
明治政府は何やってんだか
- 16 :
- 180 日本@名無史さん New! 04/08/27 23:19
武田耕雲斎の伯爵位通贈というデータソースはないのかな?
断言はせんが、伯爵は従二位待遇だ。武田氏は贈正四位。伯爵は家に与えられるものだから
爵位追贈は意味がないだろ。そしたら子孫に襲爵させて華族として続く筈だ。
水戸藩の華族としてカウントされておらず、公式データにも容易に出てこないこと自体、怪しい情報かと。
武田姓の最高位が贈従三位武田信玄公だからなぁ。
ちなみに爵位と位階、勲等、功級は大抵がかねあいがとれている。
従四位だったら勲三等だとかな。爵位でいえばこうだ。
公爵 従一位
侯爵 正二位
伯爵 従二位
子爵 正三位
従三位
男爵 正四位
みたいな感じ。爵位が家に対する栄典であるのであり、位階が本当の身分を指す。
爵位保持者は華族のカテゴリーとして、様々な恩典があるが、世襲恩典として意味がある。
皇室を支える藩屏として期待された。位階は天皇を中心ととした地位の物差し。
いくら勲功があっても、藩屏として期待されるか、それとも勲功が大きく子孫まで報いる必要があるとか、
政治的恣意が介入しない限り、位階を授ければそれだけで名誉なはずで爵位は稀だ。
華族にならなかった、志士に対する贈位は贈正四位が最高。武田伊賀守はいわば志士の極位として評価されたといっていいだろう。
伯爵でも従一位とかありえるんだが、伯爵で従二位より下はありえない。
- 17 :
- 174 日本@名無史さん New! 04/08/27 11:57
諸生派の家老達
太田丹波守従五位下資春
鈴木石見守従五位下重矩
結城寅寿
市川三左衛門
朝比奈弥太郎
興津蔵人
興津所左衛門
尾崎豊後
・・・・死罪・致仕などの処分受ける。
- 18 :
- 水戸藩・天狗党贈位贈号者
贈正一位 水戸藩主 徳川斉昭公
贈権大納言
安政の大地震被災者
贈正四位 水戸藩家老(執政) 戸田忠太夫忠敞
藤田東湖
安政の大獄
贈正四位 水戸藩家老(執政 ) 安島帯刀信立
小姓頭取 茅根伊予介
贈従四位 京都留守居役 鵜飼吉左衛門
水戸藩士 鵜飼幸吉
幕末維新期
贈正四位 水戸藩士 会沢正志斎
贈正五位 水戸藩士 大胡聿蔵
- 19 :
- 桜田烈士
贈正四位 水戸藩士 高橋多一郎
高橋庄左衛門
金子孫二郎
贈従四位 水戸藩士 関鉄之介
贈正五位 水戸藩士 佐野竹之介
大関和七郎
広岡子之次カ
黒沢忠三郎
森五六郎
山口辰之介
水戸藩士子息 岡部三十カ
水戸藩属吏 稲田重蔵
広木松之介
水戸神官 斎藤監物
- 20 :
- 東禅寺事件
贈正五位 水戸藩士 有賀半弥
前木新八郎
水戸藩士子息 榊鉞三郎
水戸藩属吏 池田留吉
石井金四郎
水戸浪人 森半蔵
水戸藩甲冑師 千葉昌平
水戸藩士家従 小堀寅吉
坂下門外の変
贈従五位 水戸藩士 平山兵介
水戸藩士子息 小田彦三郎
- 21 :
- 生野挙兵
贈従五位 水戸藩士の子 小河吉三郎
水戸藩吏 川又佐一郎
- 22 :
- 水戸天狗党
贈正四位 水戸藩士 武田耕雲斎
山国喜八郎
贈従四位 水戸藩士 田丸稲之衛門
藤田小四郎
武田彦衛門
武田魁介
竹内百太郎
贈正五位 水戸藩士 根本新平
三橋金助
村島万次郎
杉山弥一郎
川瀬専蔵
国分新太郎
前木六三郎
長谷川通之介
水戸藩士子息 朝倉源太郎
須藤敬之進
水戸藩属吏 小林幸八
栗田源左衛門
畑弥平
- 23 :
- 水戸天狗党贈位者(水戸藩所属のみ)
贈従五位 水戸藩士 秋山又三郎
大久保信之介
小野藤五郎
樫村平太郎
木村園太郎
杉山秀太郎
高橋市兵衛
滝口六三郎
玉造清之允
浜野松次カ
米川米吉
水戸藩士子息 朝倉三四郎
桑屋元三郎
下野廉三郎
芹沢助次カ
中村親之介
檜山三之介
- 24 :
- 水戸天狗党贈位者
贈従四位 水戸藩郷士 竹内百太郎(143訂正、藩郷士に収録)
贈従五位 水戸藩吏 大久保信之介(144訂正、藩吏に収録)
高橋長五郎
水戸藩属吏 安藤彦之進
市毛孝之介
木村園三郎(144訂正木村、藩属吏に収録)
鈴木秀太郎
水戸藩刀工の子 関内熊五郎
水戸領里正 前島徳之助
- 25 :
- 戊辰戦争にて戦死・幕末期害された水戸藩士への贈位
害された者
贈従五位 水戸藩士 井樋政之允
豊田小太郎
水戸郷士 白石内蔵進
戊辰戦争
贈従四位 水戸藩士 鮎沢伊太夫
- 26 :
- 水戸学 藤田東湖 回天詩史
http://www.youtube.com/watch?v=ut5Ou3xCTl4
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7498295
水戸学 藤田東湖 文天祥の正気歌に和す
http://www.youtube.com/watch?v=pRpPxeYn4j4
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7489721
生きては当に君冤を雪ぐべし、復見ん四維の張るを。
死しては忠義の鬼と為り、極天皇基を護らむ。
- 27 :
- 天狗党悲劇の越前行
http://homepage1.nifty.com/saizou/tengu1.htm
- 28 :
- 34 日本@名無史さん New! 04/03/24 19:14
天狗党一行は諏訪から伊那、飯田を過ぎ、清内路峠を越えて木曽・馬籠へ向かった。
その長野県清内路村に以下のような記録が残っている。
11月25日、宿舎にあてられた某家では、浪士と聞いて戦々恐々として向かえた。
その家に入った浪士は、仏壇の場所を聞き、位牌にひざまずいて自分の氏名、目的を
述べ「今宵は図らずも奇縁をもってご厄介になるが何分よろしく」と生きている人に言う
ように拝礼し、その後、「ご主人は?」と言って同様に丁重な挨拶をしたので、恐怖は吹っ
飛び、やがて信頼、敬愛の念に変わり、心から歓待したという。
この清内路村に泊まった浪士らは884人と記録に残る。
(歴史の道百選ガイドブック「幕末の往来」より)
- 29 :
- 略奪騒動を起こして天狗党の評判を失墜させた田中愿蔵だけど
早くから倒幕を唱えていたとか甲府城乗っ取りを企てていたとか話をきくと
なかなかの行動力や先見の明をもっていたようだし
早死にせず生き延びていたらもっと活躍できたかもしれないな
- 30 :
- その田中愿蔵を加えた天狗党の総勢が京都まで辿り着けたと仮定して、
新選組なんかと交戦したら、どっちが勝っていたのか?
みんなはどう思う?
- 31 :
- >>30
水戸天狗党の討伐軍出陣の前日に、新選組が禁裏守護職総督軍の偵察隊として、出動していた。
大津の勢田(瀬田?)まで出動していたようです。新選組同人会(研究会)
http://miburou.blog103.fc2.com/blog-entry-747.html
- 32 :
- >>30
天狗党と新撰組がガチで戦うかな?
新撰組自体はたいした人数じゃないけど、幕軍の一部として戦うから当然勝敗は決しているよ。
でも今日までたどり着いた段階でボロボロだろうし、まずは勤王藩として付き合いの長い薩摩藩に協力を頼むと思う。
その後で新撰組と戦うなら面白いね。人数多ければ、新撰組狩りでもするんじゃない?
- 33 :
- 誤字訂正
今日×
京○
- 34 :
- >>31
御教示有難うございます。そうだったんですか。
大津まで偵察が来ていたと言う事は、やはり天狗党がいざ入京した時
には、一戦あり得たかも知れませんね。
でも、新選組独断ではなく、上層部が色々政治的駆け引きをした末の
決裂ならば、命に拠って戦ったかも知れませんね。
>>32
ご意見ありがとうございます。そうですよね。天狗党は長旅の上、各藩と
交戦ギリギリの交渉して、かなり遠回りで入京する訳だから、ボロボロで
すぐに戦えるとは思えませんね。でもそこが幕軍の狙い目で疲弊し切った
所を叩くかも知れませんね。
でも、薩摩藩と通じた場合は容易に手が出せないですね。
新選組狩りをやった場合は、近藤も土方も上層部に掛け合って
即座に戦闘開始を迫った可能性はありますよね。
特に土方は自分が創り上げた新選組だと思っていた節がありましたから、
隊士達を闇討ちされたら、政治判断無関係に斬り込んだかも知れませんね。
もし、はありませんがそんな事を考えると面白いし、何より天狗党が惨
されて行くシーンしか想像出来ないのが、当時の彼等の立場を理解させて
くれます。
- 35 :
- 幕府の兵隊は下妻で蹴散らされて以降、天狗党との直接交戦を避けており、
追撃の格好はするものの、道中天狗党が引き返すとあわてて引き下る有様で
幕府沿道諸藩や住民は幕府の末を感じ、加賀藩は天狗を討てと叫ぶばかりで
自らは決して先頭で戦おうとしない幕府の命令には従わなかった。
- 36 :
- 負ければ自分だけでなく水戸の家族の命もないだろうし
後がないガチガチに凝り固まった思想集団で士気は高かっただろうけど
進路変更せず京入りを目指すってことは
頼みの綱と思っていた慶喜に直接刃を向けるということだから
そのことで士気が下がるか逆に激昂して戦意が高揚するか
脱走者も当然出るだろうし多勢に無勢だから京に入る前に壊滅しそうだ
- 37 :
- 実際は慶喜の出陣を聞いて士気はがた落ちだったが、
それでも幕府兵は怖気づいていて決して自ら戦いを挑むことはしなかった。
加賀藩が吹雪の中で何とか布陣したが、幕府の戦えという現状無視の言葉に
プッツン切れて我等は一橋公の指図によって出陣したのであり、
足下等に指図されるいわれは無いと拒否した。
この加賀藩側の不服従に、及び腰の幕府側はどうにもできなかった。
- 38 :
- 幕府の大将は田沼。慶喜は加賀藩に預けていて、幕府の田沼が慶喜に身柄を引き渡すよう要求し
慶喜が同意し加賀藩から幕府に引き渡されたことで虐待が始まったのであって、
虐待の判断・権限は田沼に帰す。慶喜は田沼に引き渡したことで非難はされたが、
虐待や大量処刑の権限は田沼・幕府によって執り行われた。
- 39 :
- 幕府が強い間は保身のために尊攘派の天狗党を見しにして
幕府の雲行きが怪しくなって朝敵になりそうになると
今度は鳥羽伏見に佐幕派の部下を見捨てて敵前逃亡
利巧ではあったんだろうけどこんな二股侍ぶりは大将の器ではないな
- 40 :
- ほほう
- 41 :
- 鞍馬天狗は天狗党の残党だったのか?
- 42 :
- 7 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/11/16(木) 07:52:09 ID:QJZC9b5g0
水戸の台地は堀をやたら掘って風水が最悪になり
幕末明治の悲劇を招いた
- 43 :
- 天狗側は三千、遠征し始めてからは千人前後とよくきくけど
幕府軍の兵力ってどれくらいだったかは不明なの?
- 44 :
- 120 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2010/05/09(日) 00:28:45 ID:acPzO2HG0
慶喜が討伐軍の指揮を執っていると聞いて
天狗党の面々の戦意は一気に萎えて戦う云々どころではなくなった。
121 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2010/05/26(水) 01:53:11 ID:rUlmjcsp0
諸生党の詳しい情報ってネットにも中々ないね
水戸市とかは寝た子は起こすな的な消したい歴史なんだろうけど
市川の息子とか家族がどうなったか知りたいんだが
- 45 :
- 正確な史実に関してはよく分からないけど、山田風太郎の『魔群の通過』って小説では
天狗党の生き残りが維新後に水戸に帰ってきて、された自分の家族達の復讐だってんで
諸生党派の重臣やその家族の投獄・拷問・斬を大々的に行ったって話が書かれてる。
小説だからあんまり信用は出来ないけど、天狗党の蜂起から京を目指しての行軍過程とかは
かなり史実に忠実に書いてるから、この維新後に起こった壮絶な内ゲバの話しにもそれなりに
信憑性はあるような気がしてる。
- 46 :
- 諸生党は水戸を脱出すると
会津に合流して北越戦争や会津戦争を転戦して
会津の降伏後は留守の水戸城を奪還しようと奇襲をかけて
奪還に失敗してもそのまま房総半島まで南下しながら
最後まで降伏せずに追討軍と何度も戦闘を続けたんだよな
市川の息子もその途中で戦死してた気がする
諸生党も天狗党に劣らぬ信念の集団だったけど
そのせいでお互いあんな酷いし合いをすることになったというのがいたたまれない
- 47 :
- 山川菊江「幕末の水戸藩」が結構詳しい。
- 48 :
- 市川の息子は全員戦死みたい。斬首された武田の子達に比べたら温い死に方のよう
娘は長次ともに釈放され、水戸を離れて後は曾孫まで血を残したらしい
武田は唯一残った金次郎が孤独に死に直系が絶えたのとは対象的
- 49 :
- 旧諸生派にとって天狗派は仇敵であっても藤田東湖だけは別格だったらしく、
東湖が生きていてくれればという思いは天狗派と同じであったという。
- 50 :
- 諸生派の家老達
太田丹波守従五位下資春
鈴木石見守従五位下重矩
結城寅寿
市川三左衛門
朝比奈弥太郎
興津蔵人
興津所左衛門
尾崎豊後
・・・・死罪・致仕などの処分受ける。
- 51 :
- 確か上に名前あがってる家老も戦死したりしてるんだよな
劣勢でも自害とかするつもりもなく、天狗を1人でもそうとしてたんだろうな
- 52 :
- 動けず戦える体力が無い隠居した老人は自害した。
- 53 :
- 戦死も自害もし損ねた者には斬首か獄死が待っているだけだったろうしな
- 54 :
- まぁ敦賀で352人を切ったあと幼児まで斬首し、根絶やしにしようとした訳だし、権力振りかざして弾圧したんだから
今更許して手を取り合おうなんていう甘い成り行きが期待出来るはずがない
まして自分達が賊軍になっても天狗を根絶やししてやりたいと考えていたから、自ら和解しようという考えもあるとは思えない
し合いの果ての全滅は当然の成り行きだったと思う
実際、武田の3歳児を処刑した人物は八つ裂きの末田畑に捨てられ今になっても墓も立てられてないし
同じように3歳以下の幼児を斬首し晒しにしてる
- 55 :
- ちなみに諸生党の生き残りは明治維新後、藩籍封還、廃藩治県による秩緑処分や戦死手当を一切受け取れなかったとか
迫害の上じり貧にされては、水戸に居ても「生きるも地獄、死ぬも地獄」だったろう
ここまで報復を受け賊軍のままにされて、後に慰霊碑が造られたのは数十年後。それも政府は渋々の模様だったことから如何に睨まれていたかがわかる
もっともそれは諸生党が巻いた種ではあるが
- 56 :
- 諸生党の慰霊碑建立に尽力したのは天狗党の生き残りだったとか。
自分がし損ねた相手に自分達の慰霊碑を建てられるという皮肉。
- 57 :
- 慶篤と田沼を、結局天狗党は報復しなかったな
慶篤は敦賀の処刑を安心したと嘲笑い、田沼は処刑した張本人なのに処罰なし
そのまま明治を流れたことを党員はどんな気持ちでいたのだろう
今でもそのしこりを上の子孫にぶつけたいという思いがくすぶってるのだろうか…
- 58 :
- 天狗党自体"よかろう様"である慶篤を当てにならず、ゆえに慶喜を頼ろうとしたので
慶篤が天狗党を快く思っていないのは重々承知。天狗党が復権した頃に心労で死去。
田沼=金次郎が田沼邸へ来たときは既に死にかけていてあだ討ちのやりよう無し。
しかし田沼が死んだ後も本当に死んだのか疑う旧水戸藩士が執拗に田沼邸に押しかけて来たという。
- 59 :
- >>58
水戸内の抗争を思えば手ぬるい感じがする
特に田沼はそのまま首をとって晒しにしてもおかしくなかったろうに
それで歴史から何もありませんでしたと、記載さえされなかったことになるとは…
他の天狗縁者からしてみたら、遺恨を断ち切るには影響が弱いでしょ
- 60 :
- だから納得できない旧天狗党縁者が田沼邸に押しかけてきて本当に死んだのか
いちいち確かめにくることが暫く続いた。
- 61 :
- 水戸に入国して3週間で病死したって、どんだけ天狗が嫌いなんだよ慶篤
水戸が天狗に政局乗っ取られたくらいで情けなすぎる。その程度で病気になる理由がわからん
つか天狗に謝ってからくべきだった
- 62 :
- そういえば、明治以降の天狗と諸生の確執はそれからどうなったのだろうか?
会津のように未だ遺恨の残っているのだろうか
- 63 :
- 明治以降も加波山事件とか血盟団とかきな臭いことやっていたので、
会津のように幕末維新で止まっているわけではないから複雑。
- 64 :
- 恨み一つってわけじゃなさそうだね
しかしなんだろう
どれだけ酷い処刑をすれば、歴史に残らないほどの報復をされるのか想像出来ない
本当に八つ裂きとか遺体放置の墓禁止とかしたんだろうか
だとしたら明治以降、諸生が天狗を恨むのは逆恨みじゃないのか
- 65 :
- 天狗側の生き残りが諸生派戦死者の慰霊碑を建てるぐらいだから天狗側がみんな揃って
復讐に拘っているというわけでもなさそうだが。
- 66 :
- http://mb2.jp/_main/
- 67 :
- 水戸の歴史書の中に、諸生党とは別に奸党という呼び方をするものがある
その全て、市川らはこの奸党に配置されてるけど、これは本当は諸生党は市川らとは関係ないという言い分?
- 68 :
- 武士だけじゃなく、庄屋、農民でも天狗だ諸生だやってたんだよな
維新後でもわだかまりはそれは凄かっただろうね
- 69 :
- 農民層に対する尊王教育にも水戸藩は力を入れ、
郷校を藩領各地に建て、農民層への尊王思想の普及に努めた。
- 70 :
- 諸生党を蔑視して奸党と呼んだときくけど
諸生党以外の反天狗の保守グループもまとめて奸党と記したとも考えられる
市川は諸生党とは別の保守の一派だったという説もあるみたいだし
>>61
毒かなにかで天狗の残党に暗されて
体面上病死ってことで片付けたんじゃないとか勘繰ってしまう
- 71 :
- そこまで簡単じゃないだろう、毒。
と思ったが、その頃には殿の回りも天狗党に入れ替え済みかな。
- 72 :
- 以前から脚気を患ってはいたが・・・・
- 73 :
- >>70
その説は可能性が高いな
慶篤の天狗党に対する行為が冷淡だし、諸生の仕打ちを喜んで安心とか言ってたから
その事を憎まれてもやむを得ないと思う
むしろそうあってほしいと思う俺がいる
- 74 :
- 諸生党の主だった人物はもう水戸を脱出しており
さいみ党が報復で白昼諸生党の残党や家族をしてまわっても
誰にも止められないような状況下で
3週間で病死というのがいかにもあやしいけど
本当に病死でそんな事実がなければ勿論、
あったとしても証拠なんて残すわけないから真相は不明だな
殿様の死に様なんて一部の人間しか知らないだろうに
当時、暗されたのではという噂の類はなかったんだろうか
あやしいと思っていても口にするのはタブーみたいな空気だったのかな
- 75 :
- 市川等は慶篤の死を聞いて"りやがったな!"と憤慨したという
- 76 :
- 天狗党の主だったものは処刑という辱めを受けたのに、諸生党の主だったものは戦死という名誉を遂げていることに
少し不条理を感じるのだが
- 77 :
- 後暗黒時代のことを記載している歴史書は少なからずあるけど
明治2年以降の天狗と諸生の争いや、明治における諸生の仕返しがどんなんだったかを記したのって全くといっていいほどないよね
やはり凄惨なことは少しでも抹消したかったのだろうか
- 78 :
- どちらにとっても抹消したい過去だから、落ち着いた後も語る人が
居なくなっちゃったんじゃないか?
- 79 :
- >明治2年以降の天狗と諸生の争いや、明治における諸生の仕返しがどんなんだったかを記したのって全くといっていいほどないよね
山川菊栄の"幕末の水戸藩"に淡々と抑揚無く愚かしいことやばかげたこと様々な事件が記されている。
(博打で負けた奴が相手に"天誅"加えたとかわけの分からないことまで)
"全く無い"のではなくあまりにも痛い話が列挙されるので読まれないだけなのではないのだろうか。
- 80 :
- 諸生党の市川って、最期は逆磔の刑に処されたんだよね?幕末の時代に水戸藩の執政までのぼりつめた。
幕閣で例えたら老中クラスの人物でここまでの残酷な処刑法で命を落とした人物っていないよね.
小栗上野介忠順だって斬首だったから。 祇園寺ってとこに墓があるらしいけど墓参りする人いるのかな...
常磐神社内で市川の名前を言ったら、追い出されそう。
- 81 :
- >幕閣で例えたら老中クラスの人物でここまでの残酷な処刑法で命を落とした人物っていないよね
井伊直弼だって政敵の一族郎党を皆しにするような暴挙は働いていませんから
- 82 :
- 市川と似たような立場だと長州の椋梨藤太かな
- 83 :
- 政権奪取後の反対派粛清、カウンタークーデターによる失脚と処刑って経緯は似てるね。
違う点としては、水戸藩ほど過剰な粛清が行われなかったことかな。
椋梨ら俗論党が2回目の粛清を行う為にそうせい候に処刑者リスト提出したら、
「ちょっと考えがあるからこれ預かっとくわ」って言われてそのままスルーされたって話もある。
井上馨や山縣半蔵はこれで首の皮一枚繋がったとか。
これがイケイケドンドンで執行されてれば、クーデター後はもっと凄惨な報復措置が採られたかもしれんね。
水戸の悲劇は、エスカレートする粛清をどこかの時点で止められる人が居なかったからではないかと思う。
- 84 :
- 福井県民なんだけど、旧暦12月、つまり今の1月に
美濃から山道越えて越前に入ったというのは正直とんでもないと思う。
真冬の揖斐市〜大野市ルートなんて現代でも誰も通らない。というか通れない。
積雪量でいえば暖冬の年でも2メートルは堅い。まともに雪降ったら3〜4メートルは積もる。
1000人近い人数で大砲まで引っ張って、犠牲者一桁で脇道の蝿帽子峠越えるって、
佐々成政のさらさら越えの次ぐらいに凄い。そして偉業の傍らで家燃やされた大野藩の村民涙目。
- 85 :
- 慶喜様なら我々の思いが分かってくださるという信念が彼等の行軍を支えていた。
- 86 :
- 最後の山越えの前にも水戸から美濃まで
討伐命令を受けた諸藩との交戦や冬の山道の強行軍を続けてきて
満身創痍のうえに慶喜が討伐軍を率いていると知って精神的打撃を受けても
天朝様に尊攘の志をきいていただくという一念だけで隊が維持されたのは
他に道がなかったというのもあるだろうけど
天晴れを通り越してここまでくると思想教育の怖さを思わずにはいられない
- 87 :
- 斬首の担当は彦根藩兵、
桜田門の復讐だったかな?
- 88 :
- 尊皇攘夷の大本山であると同時に幕藩体制の支持者でもあった天狗が壊滅したことは
相対的に長州を中心とした倒幕を志す尊攘派が影響力を増す一因になっただろうけど
もし東湖が存命で天狗を抑えるなどして
水戸の尊攘派が健在なままだったらその後の歴史はどうなっていただろう
- 89 :
- 列強の軍艦が下関ではなく那珂湊にやってくる。
- 90 :
- 藤田東湖は中々達者だが、身内でグダグダ騒ぎ出すだけでますます混乱が深まっただけ。
by 勝海舟
- 91 :
- 勝は筋金入りの水戸嫌いで慶喜の腹心の原市之進も"頭は切れるが裏のある陰険な奴"と貶している。
- 92 :
- >>80
逆磔の刑って、頭を下にする磔? 手が逆になる磔?
市川なんで天狗党の家族を残酷に虐したんだろ。
でも自分自身は最期にうなぎ食わしてもらったという。
- 93 :
- そりゃ水戸から尊皇攘夷思想を根絶やしにするためだろう
天狗残党の報復は思想のためというよりその怨恨からだろうけど
- 94 :
- >>92
ttp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1411432149
- 95 :
- いたそ
- 96 :
- AKB48人の刺客
- 97 :
- >>92
(135)東大教授・山内昌之 市川三左衛門
ttp://sankei.jp.msn.com/life/news/111027/art11102708150004-n4.htm
- 98 :
- そいつの【幕末から学ぶ現在(いま)】は嘘が多すぎてアテにならない。
- 99 :
- 結局どっちの逆さ磔だったんだ?
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