2012年3月趣味一般220: 埋蔵金発掘が趣味の人 (898) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
女装の始め方 (354)
ラジオ何台買えば気が済むんだ (318)
幼き日を思い出して呟いてみるのが好き (194)
好きなにおい・嫌いなにおい教えて!! (821)
:∴∵  根付  ∵∴: (599)
中学生限定 趣味について語るスレ (286)

埋蔵金発掘が趣味の人


1 :
前スレ 埋蔵金発掘が趣味の人
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/hobby/1160472160/
【書込み注意事項】
荒らし防止のため、E-mail欄に sage と入力し書き込みしてください。
E-mail欄に sage と入力し書き込みすると、カテゴリーのトップに上がることはありません。
sageを入れることで、ひっそりとお話ができるということです。
【指定返信方法】
個別の書き込みに対して返信したい場合は、半角で入力しましょ。
>>71 ←全角   >>71←半角
【注意事項@(諸注意)】
@埋蔵金の本質から地域・人物等に迷惑がかかる場合があるので、人名・固有名詞等の記述は慎重に
A仲間募集・共同出資・物証等売買において、詐欺等の可能性もありますので、くれぐれもご注意ください。
【注意事項A(スレ立てについて)】
荒らし煽り反応直リン、全て控えましょう。
次スレは事前にスレ立てを宣言してから>>950が立てる。
応答がない時は>>960以後10レス刻み、>>980から順次。

2 :
2って、自分でーしてみるw

3 :
165さん今晩は。新スレ立ててくれて有難うございます。
「茨城の男」を改名して「武田の秘宝」と名乗ることにしました。
どうぞよろしく!

4 :
おおおおwwww
武田の秘法とはかっこいいーー
これからもよろしくお願いします^^

5 :
>>989
165さん、965です。 前スレ>>714と書けばよかったですね。
三州タタキなどの出土物は徳川時代に作られた偽装物だと思います。
こういうものが埋められているだろうことは智義氏は中島氏から聞いていたでしょう。
しかし2代目以降は智義氏から細部は明かされていなかった。
もちろん埋蔵金が本当には埋まっていないことも。
ですから2代目以降を詐欺というのは可哀想な気がします。
今の当主は気が付いていると思いますがね。
>>985で、水野氏が銅板をつかまされたと書きましたが、正確には本物かどうか確かめるために
もしやと思って対価を払って入手したと言うべきでした。
智義氏は埋蔵金が埋まっていないと聞いていたのですが、別の所から埋蔵場所を示す銅板が出た
と聞いて驚き、埋蔵の真偽を改めて確かめたかったのだと思います。
つまり、騙したはずの本人が別の詐欺師にだまされたということです。
銅板を偽造した人は智義氏の発掘話を利用したのですが、智義氏が埋蔵金を発見出来なくて
苦労しているのを見て、智義氏が本当は確かな資料も無くて闇雲に掘っているとタカをくくって
銅板をでっち上げたのでしょう。
まさか智義氏の話自体がウソだとは知らずに。
それから、話は変わりますが、田舎で土地を譲ってもらおうと思ったら現地の仲介者が居ないと
難しいですよ。
金額の問題だけでなくて、よそ者にはなかなか売りません。

6 :
前スレでボーリングの話がありました。以前結城のある現場に立ち合わせて
もらいました。やはり1メートル位の鉄棒をつないで突き進んで行くタイプ
でした。職人風の男二人が来て力一杯回すのですが、最初は快調ですが、
1間位だったかな?急に土が締まって来て、大の大人が大汗かいて力一杯
頑張ってもなかなか進まないのです。土は深くなると締まっていて頭で考える
ようには行きません。これ以上は人力では無理だといった時、そこが固い地層なのか、
石なのか、木の根っこなのか、埋蔵金なのか、判別出来ずに終わりました。

7 :
祝・新スレ

8 :
714さん 詐欺系も捨てきれないと思います。しかし、矛盾が生じてしまいます。
@三州タタキや家康像を埋めたのは誰か?その目的は?
中島蔵人が、後に人を騙すためにわざわざ各所に穴を開けて埋めたのでしょうか?
後に中島氏は、詐欺で訴えられたそうですが、採掘権を売ったとの記述で、採掘権だけなら手の込んだ用意をすることなく逃げれるとは思います。
A中島氏が水野氏に伝えたのはなぜか?
二束三文の土地を高額で売れる方法を伝授したのでしょうか? 現代の原野商法の方法?
B初代が一番掘り返しています。
714さんのおっしゃるとおりならば、最初は詐欺目的でそれらしく始めたが、銅版が出てきて、もしや?と思い本格的に自分が掘り始めた。
最初に中島氏から原野商法の方法を聞いてマネをしたならば、銅版も中島氏が用意した捏造物と疑わなかったのでしょうか?
中島氏から聞かされていなかった品物だったので、本物だと思ったのでしょうか?
C初代、2代、愛三郎
初代は、誰にも発掘開始当初の話をしなかったって事になりますが・・・
銅版があったからといって、コロッと詐欺のことを忘れるものですかね・・。
D詐欺の割には間が抜けている
三州タタキは、2代目が見つけています。
埋めてあることを知っているとされる初代はなんで掘り出さなかったのか?
家康像を見つけて、三州たたきも見つければ、益々評判が上がりパトロンも付いたでしょうに
大穴を開けていく必要は無く、ある程度ピンポントで発見していけば良いはずです。
大穴はパフォーマンスなんでしょうか?
E捏造の銅版の割には当たっているのは?
初代が捏造の銅版をつかまさせたとして、その銅版を基に2代目がタタキを発見する
銅版を捏造した人も中島氏の話を知らないと当てられないのでは?

9 :
続きです。
三州タタキなどの出土物は徳川時代に作られた偽装物であれば、
赤城に埋める必要があったのか?まぁこれはたまたま赤城だったってこともありえますね。
それより、何のために?です。
っていうか、土地の所有者が中島氏だったとは思えないのですが?
中島氏が外国人から採掘権で訴えられたということは、
中島氏は、捏造物の埋蔵場所を知っておきながら、外国人に教えた地点からは何も出てこなかったってことになる。
なんで? なにも出なかったら訴えられるに決まってるじゃん。
っていうことは、家康像等が埋まっているのは知っていた中島氏だが、何処に埋まっているのかはわからなかった。
しかし、銅版の捏造者は、どこに捏造物が埋まっているかを知っていたということになってしまいます。
では、誰のために?小栗抹のため?誰が?
官軍は、小栗をそんな物を用意しなくてもせたはずです。
仮に小栗が口を割った時のための用意?
小栗は、そんな用意があるとわかっていれば、される前に官軍に埋蔵金の話を言って、官軍に浪費させていたでしょう
しかし、官軍は掘っていない。
逆に小栗がそんな用意を知らなければ、埋めても意味が無いです。

10 :
ここで、赤城から離れて
武田の秘法さん
以前、人に聴いたことがあるのが、
昭和に学生2人が山に入り、遭難しかけて彷徨っている途中で埋蔵金を発見し、
リュックの中に延べ棒を何本か入れたが、
いよいよ遭難しかけてリュックを捨て軽装になって歩き続けて助かった。
体力も回復し、延べ棒を回収しに行こうと思ったが、遭難しかかっていた状況だったので
記憶もあやふやで、ついに見つけられなかった。
って話を聞いたことがあるんですが、有名な話ですかね?

11 :
地底探査について
ふむ、一間でしたか。
直径が大きい鉄棒だと、土との接地面積が大きくなり、摩擦が生じ入らなくなる
んー細くても、深くなれば接地面積が増大するからキツイのかな
鉄棒をハンマーでぶっ叩いてどれぐらい入るのでしょうかね。一旦抜くのがキツイかな?
っていうか、大体何m下にあるのでしょうかね?
深さ7mの井戸を掘るのにも人力だとかなりキツイと思いますが、、
落盤等も考えると、露天掘りで5m前後が限界だと思いのですが
土留めを作りながら掘っていけば、10mぐらいいけるのかな?でも、土だし用にやぐらを組まなきゃいけないので、目立ちますね。
あまり掘りすぎて水が出ても困るし
土留め(四方に板を張っていく)を作らないで7mの井戸を掘った話を聞いたことがありますが
これぐらいの深さになると崩れて危険だそうで、井戸の土管の最初(一番下)を設置するのをみんな嫌がるそうでw
安全な範囲の露天掘りであれば5mあたりが限界だと・・・

12 :
テスト

13 :
赤城に戻って
714さんのおっしゃるとおり、
証拠が真贋玉石混合で、捏造物の可能性も疑う必要はあります。
三枝氏の話も有りますしね。
ただ、残念なことに、家康像も銅版もすべて行方不明ってことになっています。
それと、捏造物を本物と勘違いするなら、もっといろんな物証を水野氏が持っててもいい気がします。
まぁ2代目が人にあげたりとかしたのは、偽物とわかっていたのであげたのかもしれませんし、、
んー あの銅版等で赤城以外で同じところを見つけた私って・・・・
んー 歩尺の図以外の銅版のことを水野さんふれてないんだよね なんでだろうね?

14 :
165さん、2ちゃんで自説を説明するのは難しいですね。
全部書くと畠山氏の書いたものをトレースするようになってしまいます。
断片的になりますけど、個々に説明しようと思います。
前スレで書いたことと重複したりしますがよろしく。
1、地中の偽装物は幕府が作った。 
官軍との決戦に備えて、埋蔵金ネタで誘導するための仕掛けです。
実際は無血開城したために上州は戦場にならず、仕掛けは無駄になった。
中島氏はこの偽装作戦に関わったかして事情を或る程度知っていた。
それを利用して維新後に米人に埋蔵金詐欺を働いた。
2、中島氏は死に際に肉親には自分の気持ちを聞いてもらいたかったのではないか。
遺言のつもりで、自分がなぜこんな悲惨な状態になったのか、かなり本当のことを
話したと思います。
3、銅板は中島氏の話には出てこなかった。
初代はパトロンを見つけて掘り始めたが、そうするうちに銅板が自分の関係しない
ところから出てきたので、ひょっとすると本当は埋蔵金が埋まっているのかも知れないと考えた。 
なにしろ義父は詐欺を働くような人間だから言うことを全て信用するわけにはいかないし、
中島氏も幕府からはウソを教えられていたのではないかという疑いもある。
4、初代は子供たちには詐欺が発掘事業の発端だとは教えなかった。
自分が始めた事業はパトロンが確保出来さえすれば延々と続けていける。
また現実にその目論見は当っていた。
子孫も本当に埋蔵金が有ると信じていれば頑張れるというわけです。
それにもし本当に埋蔵金が出たら、それも目出度し目出度しとなる。
どちらにころんでも損は無い。

15 :
続き。
5、中島氏から初代が聞いた話には埋設物の詳細は無かった。
漠然と津久田原の辺りということは聞いていたが、掘ってみないとどこにどんな偽装が
在るのか分からない程度の情報しか持って居なかった。
初代にとっては発掘が大規模に、かつ長期になれば嬉しいわけですから、パトロンの手前、
たまにはそれらしいものを出しながらダラダラ掘れば良いのですね。
ピンポイントで一箇所掘って終わりでは困りますから。
6、出鱈目に掘っていてタタキを発見したというのが真相らしい。
私が得た資料では当ても無く地面を突付き回していて発見したそうです。
(銅板はタタキ発見とは関係無い。)
赤城に幕府が陽動作戦として偽装を施したのは、上州方面へ官軍を貼り付けたかった
からではないでしょうか。
米人が掘った場所からは偽装物が出なかったということは、中島氏が埋蔵に関して大した情報を
持って居なかったという証拠と思います。(上記5)
私が推測するに、彼は米人から得た金で何かの事業(投資)をして(おそらくは相場を張り)、
その利益で米人に金を返済すれば訴えられないという博打を打ったのでしょう。
ところが思惑はずれで金はスッテしまって返せない。 とうとう訴えられたという筋です。
官軍はなぜ偽装に引っ掛からなかったかという件ですが、これは幕府の陽動作戦が発令される前に
幕府が瓦解してしまったからでしょう。
偽装の埋設等のハード面は出来ていたのですから、後は官軍側に「あの辺が怪しい。」という
偽情報を掴ませる段取りになるはずですが、それが中止になったので折角の準備も無駄になりました。

16 :
私以上に深夜の書き込みご苦労様です^^
いささか無理があると思われる点が、いくつかあります。
@そうするうちに銅板が自分の関係しないところから出てきたので、ひょっとすると本当は埋蔵金が埋まっているのかも知れないと考えた。
↑中島氏から赤城を利用した詐欺の方法を聞いていたにも関わらず、すんなり信じるとは思えませんね。
中島氏から聞かされていなかった捏造物のひとつと認識し、無視はしないだろうけど、パトロン探しの材料として利用すると思う。
A中島氏が埋蔵に関して大した情報を持って居なかった
たいした情報を持っていないにも関わらず、いろんな物が埋まっているということだけを知っていた?
津久田原一帯が広大すぎて、これじゃ詐欺はできません。っていうか、ばくぜんな話過ぎて詐欺をやる側だってやりづらいでしょう。
B官軍への足止め作戦
官軍にとって江戸城がゴールですから、江戸城から東北方面への自陣奥深くにこんなの作って陽動、足止めが出来るとは思えません。
もし、陽動、足止めをしたいなら伊豆、箱根に作ると思います。
進撃が早かったとはいえ、自軍の後方に作るのは意味が無いかと・・・。
赤城の位置からして、会津藩が作るならわかりますけどね。
しかし、江戸城開城後、船橋、宇都宮、北越、東北、函館までいっていますので、会津藩が足止めに作ったなら流布しているはずです。
江戸城を囲んだ勢力の一部が東北へ進行を続け群馬に転戦してそこで足止めを食う
江戸城を包囲させておきながら、別ルートで群馬に向かわせ、戦力を割いた後たたく?
ありえませんなー どこの戦史にも自軍の後方に陽動させる物は作らないと思いますよ?
やっぱり陽動作戦をしたいなら、自軍の前(伊豆・箱根もしくは、北越(金沢))に配置するでしょう。
また、沼田藩は新政府軍に恭順していますので、慌てて作るのは無理かと思います。

17 :
埋蔵金有る無しはどうでもいい、陽動や本命もどうでもいい話として、自然に考えると
赤城には、1両〜360万両または、何らかのものを実際に埋めたと思います。
@中島氏が、何らかの物の運搬を命じられた。その際、最終地点が赤城だとは聞かされていた。
※何らかの物と書いたのは、24万両とは聞かされていたが、実際見たとは思えないので、千両箱等の中には石が・・・のパターンもありえると思います。
A埋蔵金から遠ざかってしまった中島氏だが、何らかの物の運搬を命じられた時にもらった指示書(行程表)は手元にあった。
B榛名の埋蔵地に再度訪れた際に、すでに何らかのものはなかったが、自分がメンバーから外されたとは思わなかったので、納得してしまった。
※メンバーから外されるのは、当初の予定通りだったので、絵図面(埋蔵見取り図)は手渡されていない。
C貧困からその指示書の模写(複製)を宝探の地図として米国人に売り渡した。
Dその米国人は指示書(井戸の話は指示書にも有ったと思う)の通り、その辺の井戸の周辺を掘ったが、何も出てこなかったので訴えた。
Eまさか自分が運搬グループの陽動運搬グループだとは気が付いていないので、指示書が偽物だとは考えもしなかった。
F晩年、信じて疑わない中島氏は、水野氏(初代)に打ち明け、指示書を手渡す。
G中島氏のリアルな証言と指示書を見た水野氏は、面白半分で探してみる気になった。
H赤城を訪れた水野氏は、地元人の話などから、中島氏の話を裏付けてしまい、発掘に着手する。
Iその際に、米国人とは違って、聞き込みなどから井戸は井戸でも「源次郎の井戸」と、特定してしまう。
J運悪く?中島氏などの話に基づいた目印(家康像)を発見してしまい、さらに熱を入れてしまう。
K発掘の規模から周囲に「埋蔵金探し」の噂が広まり、物証等を悪徳詐欺集団がいろいろな物を売りつけにきた。
Lしかし、中島氏の言う最終地点は赤城だけは正しかったので、探しているうちにいろんな物が出てきてしまった。
Mで、いまでも掘っている。

18 :
赤城には無いと思っている私ですが、この流れが自然だとは思っています。
詐欺をするなら、大穴まで掘らないですよ。
某詐欺手段も宝探し(海)をネタにしていましたが、本格的にやらずにいましたね。
銅版の真贋はわかりませんが、それと、詐欺をやる人が詐欺に騙される「クロサギ(参照)」のは、いささか難しいかと
なおかつ、詐欺をそっちのけで本格的に掘り始めるのには無理が有るかと
だって、中島氏は、具体的に何がどこに埋まって(有る)ってこともわからない程度の情報しか知らなかったなら
その話は、水野氏にも言っているはずであって、そんなあいまいな情報の中で銅版が出てきたって本物とは思わないでしょう。

19 :
赤城には…無いでしょうね…
榛名の24万両を手に入れて…それから地元の話から…
もしかしたら360万両も???って欲を出して…
24万両のお金で広大な土地を買ってから発掘に手をだした…
赤城に埋めたとすれば…一時的に…あの、神社の下に埋めて…
それは掘り出されてますよ…

20 :
165さん、前714さん
盛り上がってますね。
物証の発見状況を見ると
1期 初代…家康像、銅板
2期 義治…玄武(亀のたたき)
3期 三枝…百庚申、五輪塔
4期 智之…朱雀(梵字のたたき)
って具合ですね。
発見年代の期間が異常に長いですね。

21 :
どぉ?赤城本命さん 研究進んでますか?

22 :
沈滞してます。
発想が湧かないと先にすすめませんから。
次はいつ閃くやらってとこですね。

23 :
>>16
またまた深夜に出てきました。 それでは、また補足を少し。
1、銅板が出てから入手するまで時間も掛かっていますし、初代も半信半疑で入手すべく動いたと
思います。 
自分の手持ちの材料は少ないし、何か決定的なことが書かれているとまずいという危惧も
有ったんじゃないでしょうか。 パトロンには俺だけが凡その埋蔵地点を知っているというような説明を
してるのでしょうし。 少なくとも是非現物を見てみたいという欲求は有ったでしょうね。
こういう事情もあって水野家では銅板には今ひとつ信頼を置いていないように見えます。
2、中島氏は実は全く偽装埋蔵の細部は知らなかったと思います。 せいぜい津久田原という程度で、
それすら私は怪しいと思っていますよ。 なにしろ初期には榛名山なんて言ってるくらいですから。
米人に教えるのは出鱈目でも全然問題ないです。 掘って何かが出れば良し、何も出なくても
場所を変えてみろ位のことを言ってれば大丈夫です。 欲の皮が突っ張った人間はちょろいです。
元々金目のものが埋まっていないことは承知なので、時間が稼げればいいわけですね。 
そうして金を引き出してから、せいぜい1年くらいで金を返してやらないと大変なことになるとは
認識してたでしょうから、相場みたいに短期に結果が出ることで稼ごうという魂胆です。

24 :
>>16 続き。
3、この上州主戦場説というのは畠山氏(?)も書かれていたんじゃないかと記憶していますが、
実際に計画はしていたそうです。 江戸城は守るには不利なので、箱根山を敵が越えたら将軍家を一気に
上州へ退避させて、敵を迎え撃つという内容です。
他にも敵の侵入経路によっては甲府という選択肢も在ったようです。
こちらになれば八王子同心が活躍したでしょうね。
沼田藩の件ですが、その問題があるために埋蔵工作は沼田藩領を避けたという解釈が在ります。
4、初代が集めた金は莫大だったようで、当時は公共事業のように近隣の人々の良い仕事になっていたそうです。
盛大に穴掘りをやっていれば、まさかダマシとは思われないでしょうし、景気も良くなって文句を言う人も
出て来にくいものです。 丁度今L&Gで騒いでいますが、渦中の人たちはあんな見え見えの詐欺でも
引っ掛かるものなんですね。 自分が働いて得た金ではないですから心置きなくばら撒いたことでしょう。

25 :
>>20 連投失礼。
こういう邪馬台国論争にも似た証拠が乏しい事柄を解釈していくと、その人の性格が出てきちゃいますね。
私なんか育ちが悪いもので、出てくる人が皆魂胆を持った人のように見えてしまうのです。
結局は165さんと私の分かれ目は中島氏の捉え方の差だと思うんです。
最近読んだのですが、春米で掘っている方の資料では中島氏が悪人に書かれています。
たまたま私と同じような人物像を設定しているのには興味を持ちました。
それから、おっしゃるとおり、長期間掘ってる割には確かな出土物が少ないですね。
これ以外にも細かいものは出てるんでしょうけど、一般に発表するには憚られるような
偽物然としたものなのでしょう。
三枝氏も大した根拠無く掘ったのに色々な出土物が出たようですから、実はもっと広い範囲に沢山
埋められているかも知れませんよ。
もっとも、現物を見た人で、あれは全部偽物といっている人も居ますから保証は出来ません。

26 :
深夜派ですなー
私は書物に影響を受けないって言うか、参考程度にはしますが重きはおきません。
畠山氏の著書も読みましたが、感想は古すぎる。
古いからこそ当時の貴重な証言等が書かれているとは思いますが、いまいちピンときませんでした。
歴史の流れ(いきさつ等)的なものは頭に入れていきますけど、あくまでも自論でいっています。
だって、、詳細に検証したって、誰も掘り当ててないじゃん=観点を変えるしかない。です。
古い事柄に影響されて、周りが見えていない可能性もあるので、別の観点から客観的に見ています。
中島氏のこともですが、いい人、悪い人以前にそのときの状況を客観的に見ているつもりです。
まぁ私は「中島が騙した」のではなく、「中島も騙された」と思っていますけど
邪馬台国論争ですかー 邪馬台国の存在は気になりますが、埼玉かもしれませんね。
さきたま古墳群などの・・・って、ことは絶対ありえないなw
そうそう「卑弥呼」ってのは、名前じゃなくて、役職名?巫女の総称?ってのには興味を持ちましたけどね。

27 :
>>10
学生二人が彷徨って埋蔵金を見つけた件
以前テレビでやった話のことでは?たしか武井さんという武田の埋蔵金を永年やっている人
がテレビに出て、その合間に埋蔵金話をストーリーとして挿入したのがあった。
埼玉県の秩父側から三峰山に向かい、迷って山梨県側に下って来る途中発見?・・・
間違っていたらごめんなさい。

28 :
学生の話本当ならすごいいつごろの話ですか?

29 :
Aチーム・・・懐かしいな年齢ばれるな 今12chで再放送しているよね。
学生の件ですが、昭和30年代以降だと記憶しています。
金の延べ棒で重くなったリュックを捨てる際に、延べ棒1〜2本をズボンのポケットに入れたそうです。
しかしながら、斜面を滑り落ちたりしている途中にやはり無くしてしまったとのことです。
これもまた、真贋がわからない話ですが・・・
しかしながら、この手の話は、どーしても古い話になっていまいますね。
近年 んー昭和60年代以降にこの手の話が出てこないのが不思議です。

30 :
昭和30年代じゃなくて、戦前でした

31 :
戦前でしたかありがとうございます。
千葉で一枚小判が見つかったとTVで見ました。
一昨年です。

32 :
>>26
やー、病院でスタッフから風邪を移されましたよ。 
今流行ってるみたいだから気を付けて下さいね。
ところで、この手の本は結構いい加減なところがあるんですよ。
ですから一応は別系統の資料を当りながら読んでます。
風邪で具合が悪いので、2代目義治氏の聞き書きみたいなのを読んでましたら
早速おかしなところがありました。
中島氏が上野戦争に敗れて甲府へ行き芝田監物と謀って榛名山へ御用金を
埋蔵に行くというくだりが出て来たのですが、甲府城へ官軍が入った方が
上野戦争より早いんですよね、確か。 
こういうこともチェックしながら読んでます。
上の方で書いてられますが、仮に銅板が偽物でも、解読した結果、
実際の地形に合うところが在って不思議はないと思います。
人間は出鱈目を書いたつもりでも、既に頭の中にある情報を使ってしまうそうですから
銅板製作者の馴染みの地形が反映されているのではないでしょうか。
もし偽銅板の製作者がユーモアを多少解する人でしたら、正解の場所にはスカと彫った
石くらいは置いてくれているでしょう。

33 :
いやー 昨日さんざん友達の風○店で暴れまわって書き込みする体力ありませんでしたわw
まず、真上の714さんから^^
銅版の示す場所についてですが、前スレでも書きましたが、正確すぎると思っています。
江戸時代後期の群馬県の一般的な地図とは比較にならないぐらい正確です。(縮尺は若干異なる)
江戸時代でも実測地図は精度が高かったので、それを基にしたのか、実際丹念に歩いて記したのか
疑問は残っています。
私の研究では、右上の▲のしたの〜は、川です。川といっても用水かな?現在その痕跡は、どぶ板の下だと思います。
馴染みの地形というか、結構広範囲です。現代の2万5千分の1で全体が現れます。それで見ると、バッチリです。
武田の埋蔵金も洞穴の上に×と掘り込まれている箇所が何箇所かありますよね。
中は、崩落していたりして、調査が困難な場所もあります。
でも、わざわざ×と掘るものですかねー。

34 :
>>33 埋蔵金からそれますが(笑)、風○店って暴れまわるところですか?(笑)
どんな暴れ方をするのかなぁ。
銅版は一体誰に知らせるつもりで作ったのでしょうか?

35 :
いやーお恥ずかしい。
風○店を経営している友人達が多く、全部原価(女の子もらう分だけ)で遊べて
もちろん、何をしても怒られませんし、何をしてもOKな可愛い子を用意してくれていますので(笑)
遊んでいるのがバレるので、「ウチの店にも来て下さい。」って、関係各所から連絡が(笑)
ついつい呼ばれるまま友達達のところをハシゴして、埋蔵金を掘りに歩き回り、クタクタになりましたよ(笑)
武田の秘宝さんが都内で遊ぶ際には、超VIP扱いで^^
さて、銅版の話を
714さんがおっしゃるとおり、埋蔵金探しに熱くなっている水野氏を騙す(詐欺)ために作られた可能性もあります。
また、水野氏の著書のなかにも、詐欺の可能性を示唆しています。
また、発見の仕方「櫛を落として」との話は創作的であるが、大掃除のさなか双永寺の床下から出てきたとも書いてあります。
この床下に土が盛り上がっている中に発見された銅版ですが、坊主が発見したのかは不明です。
畠山氏の著書の中でも、発見に関しては、いささか疑問のように書いてあります。
真贋は、さておき
>銅版は一体誰に知らせるつもりで
ですが、私としては、掘る人に教えるためだと思います。
主だった幕臣宅には、新政府軍の手入れがあるでしょうから、家においておくのは危険です。
そう判断して、「もし、幕府のために掘る際には、双永寺の床下を探して手がかりを手にしろ」というパターンかと思います。
このパターンを知る人物は、埋蔵金のことを知っていることになりますので、銅版を手にしたら、埋蔵地が特定できたのかもしれません。
埋蔵の首謀者である林氏が、明治になっても生きていたのに掘らなかった理由はわかりませんが、
掘ったところで、新政府のものになってしまうなら、いっそ掘らない方がいいと判断したのかもしれません。

36 :
>>35
お元気のようでなによりです。 私は昔から、そっちの方は駄目ですねぇ。
生身の女はどうも苦手なんですよ、面倒くさくて。 幼児体験のせいなのかなぁ。
さて話は変わって、埋蔵に関わったとされる林・中島氏らの行動には違和感が有るんです。
世のために行動しているのだというような動機付けをしてる割には、松平家にも新政府にも
協力していないのですね。
これは掘っている人たちも同様で、私利私欲ですと言ったほうが良いように思えるのですが。
旧幕側に義理立てするか新政府に協力するかは選択の問題ですけど、どちらかにすべきだと
思うのですよ。 埋蔵金は自分のものじゃないんですから。
自分は掘らなくとも、松平の家系の人は生存してますので、持っている資料は全て渡すとかね。 
零落されている方もいらっしゃるので、何かのお役に立とうとは思わないんでしょうか。

37 :
>>36の続き
それから、銅板の件ですが、家康像(?)と一緒に発掘された銅皿は全然話題になりませんけど
どうしてなんでしょう。
普通に考えたら、掘れと言われた井戸付近から出たものの方が優先されてしかるべきでしょうに。
銅皿の数字が井戸からの歩数だとしたら、いずれにしてもTBSが掘った範囲に入っているみたい
ですから何も出なかったという結論にはなりますが。
でもそうすると、銅皿は偽装の一部ということになって、一緒に出た家康像もすごく怪しいですよね。
一寸思い出しましたが、あの銅皿は本を見ると皆、現物でなくて拓本を撮ってるみたいですね。
すごくちゃちくて笑ってしまうようなものですが。
その銅皿を元にして発掘したのが三枝氏ということになってますが、ひょっとすると彼がもう正解
に達していたのかも知れません。
というのは、小川田の崖から「天下平也」と彫られた石が出て来たそうですので、これが双永寺銅板
の最後に在る「天下平ナリ」に当ると考えれば、水野家の井戸付近から一将(家康像)が出ているから、
謎文の最初と最後は出土して解決したということになります。
残念ながら埋蔵されていたのは金ではなくて石でしたというお粗末。
まだ分からないのは途中の七臣ですが、これは解答を得るための道筋ですので、答えが両方(像と石)
とも分かってしまえば用無しです。
結局は「謎を解くより闇雲に掘った方が早い。」という教訓でした?

38 :
>>37
 前714さん
 銅皿は長く詳細が不明でした。内容は「謎解き徳川埋蔵金伝説」に詳しいですよ。
 三枝氏の発掘経緯と銅皿の記述は必ずしも合致しません。
 中央に十、上に子の文字から北に十町の長井小川田から百庚申を発見したと
 なっていますが、正しくは中央に井、亥雨、子、未と数字でした。
 ここは前スレで持論を述べていますので、よろしかったらよんで下さい。
 数字は歩数ではありませんよ。
 天下平也の意味も違います。謎文は七臣が解れば、一将に達すること目前とあるが、
 最後は一将に達すれば七臣に達して天下平也とあり、文章としておかしいですね。
 天下平也は言葉に意味はありません。実はこれがわかったときは、大笑いしました。

39 :
前714さん
 長井小川田は偽装工作と見て間違いないでしょうね。ここの発見の内、
 私が重要視しているのは、庚申塔と五輪塔なんです。天下平也の石は傍証
 程度にしか評価していません。他の変な石は全く無視しています。(これは
 発掘人足に酒手を与えうんぬんの記述からです。)
 ただ、偽装工作とはいえ、ここもまた八門遁甲によって作成された形跡がある
 から重要視しているわけです。

40 :
五輪塔は、古すぎて時代に合わないと書いてあった気がしますが
すべて新しいものを接地する必要も無く、古いものを目印にしても問題ありませんね。
三枝氏の掘った経過?を図にしたものもありましたが、いまいちピンときませんでした。
朱塗りの土や刀など出土したり、石組の壁に行き当たったりと、三枝氏本人もドキドキだったでしょうが。
今現在の三枝氏の発掘場所がどうなっていっるのか知っている方いますか?

41 :
まぁ私利私欲ですなー。
盗掘だと何といわれようがごっそり掘り出して、
3億で売りに出される中津城を買って私邸にしますねw
暇を見つけちゃ中津城の敷地内を掘り返して遊びますねw

42 :
>>40
>五輪塔は、古すぎて時代に合わないと書いてあった気がしますが
どこで見ましたか?知りませんでした。
庚申塔でしたら、確かその通りだったような気がします。
三枝氏の地点にこだわる理由はここだけは水野系の物証ではないことです。

43 :
庚申塔でしたか 五輪塔じゃなかったですね。
五輪塔は、鎌倉時代から現代まで作られていて、庚申塔は江戸時代初期頃から多く立てられるようになったんで勘違いしちゃいました。
五輪塔は、それぞれ上から空・風・火・水・地を表しています。
五輪塔は、密教。庚申塔は、道教・神道・仏教だそうです。

44 :
道教は結構調べましたね。
庚申信仰は基本的には北極星を主神とする星辰信仰ですね。

45 :
昨日ケロロ軍曹で、埋蔵金を発掘するってやってた。
大きなドリルがついた乗り物で掘ろうとしたら
少年が
「当時は深く掘る技術が無い。人が掘れる深さ」
「掘り返すっていうときに掘れないと困るから、そんなに深く掘らなていい」
と、言っていた。
やっぱり?千両箱の中には石が入っており、囮として運んでいたのが印象的だったな。
本物は、コッソリ別行動だった。

46 :
つづき
囮とするなら大規模にやれば、みなを引き付けられるだろうね。
アニメの中で「千両箱の中は石だった」と、敵?に告白するんだが、
「そんな戯言信じられるか」と、言い返されてた。
村人を動員して大規模に行った赤城は、やはり囮?
埋蔵地を選定した時点で、「どれだけのものをどれだけの人数で運べるか、それに要する期間」を計算するだろうに
村人を雇って運搬させたり、長期滞在して兵站を現地調達すれば、目立つよね・・・。
って、思った。っていうか、思っていたけどw
年甲斐も無くアニメを見てしまったが、元々好きなのでw

47 :
保守age

48 :
掘りにいきてええええええええええええええええ
調査してええええええええええええええええええ

49 :
んー 埋蔵金の特質からネタがなくなるとスレが伸びなくなるなw

50 :
オススメサイト。
http://ageat5ay5.chimanako.net/

51 :
今までこの板に辿り着けませんでした。何故かそれまでは「お気に入り」をクリックすれば直ぐ入れたのに、
突然2チャンネルの「壷」がどうのと・・・もういいやと諦めていましたが。専用ブラウザを使わないと
駄目になったのかな?インターネット詳しくない仲間はここで脱落するのでは?私はPC修理の人についでに
「お気に入り」を使わない方法で見られるようにしてもらいました。何故お気に入りは駄目なのか・・

52 :
いっぺんageてみたらどうかな。

53 :
2ch検索って、ヤフーなどで検索します。
そうすると、「2ch検索へようこそ」ってサイトが見つかります。
そこに2chで見つけたい「キーワード」を入れます。
ここでしたら「埋蔵金」そうすると、スレッドに「埋蔵金」と入っているものがすべて引っかかります。
ちなみに検索結果
埋蔵金発掘が趣味の人 (52) - 趣味一般板@2ch
俺のから徳川幕府の埋蔵金が見つかった (8) - 天国板@2ch
【徳川】伝説の財宝、埋蔵金【武田】 (18) - 日本史板@2ch
徳川埋蔵金大研究 (80) - 考古学板@2ch
徳川埋蔵金のありかを知ってる人がいたら教えてくれ (19) - モ娘(狼)板@2ch
徳川埋蔵金 (9) - 番組ch(朝日)板@2ch
【愛知】造成地の埋蔵金5000万円、誰も心当たりなく発見者らに所有権 (12) -痛いニュース+板@2ch
埋蔵金【第二節】 (124) - 考古学板@2ch
<日本一>日光埋蔵金弁当<10万円> (56) - 弁当・駅弁板@2ch
【御家再興】埋蔵金伝説【浪漫】 (48) - 戦国時代板@2ch

54 :
ココ以外は、見るに値しない内容ですが・・・
あ、リンクはっておきましょう
http://find.2ch.net/

55 :
下の埋蔵金関連書籍はなんでこんなに高いの??
ttp://www.sauchi.jp/risuto.htm

56 :
>>55
基本的に初版本っぽいですね。(ハリポタの初版本は、約480万円?だそうですね。)
オマケにこれらの本を出版した出版会社の多くが潰れ、再販の見込みがなく、絶版本になっているものもあります。
中には、再販されたり、複数版刷られた奴もあります。←これは安価です。
んーここは高いな。
ヤフオクでコツコツ探すと掘り出し物はありますよ。

57 :
書物を掘る暇があったら穴を掘れ。

58 :
>>56
>>57
ありがとうございます。

59 :
【書込み注意事項】
荒らし防止のため、E-mail欄に sage と入力し書き込みしてください。
E-mail欄に sage と入力し書き込みすると、カテゴリーのトップに上がることはありません。
sageを入れることで、ひっそりとお話ができるということです。

60 :
うはー 過疎化が進んでる(;;)

61 :
もう冬が来る
山の中での調査は困難だろう
また来年まで調査ができなくなる

62 :
【日光埋蔵金弁当15万円】
http://www.masuzushi.com/maizou/maizou15.html

63 :
今まで直接表示されてた書き込みフォームが出ないので、書き込み不能と思い込んでいました。
「バー」を右クリックしたら「書き込み」表示が出ました。これで書き込みOKかな?(テスト)

64 :
だれかネタを投下してくれえええええええええ

65 :
小判が欲しいな 

66 :
むー

67 :
>>165さん
これまでのカキコ読んでると165さんは銅板 地図を重視してるみたいですね。
ひとつ質問いいですか。
 地図を重視し、赤城以外の地点とする根拠は?

68 :
お 本命さんおひさしぶり
根拠と言われましても、他の皆様と同様に「ここにある」という根拠を出すのは難しいです。
しかしながら、
@古今東西多くの方が赤城にチャレンジしているが見つかっていない。
A三州タタキや梵字等の物証を発見したにもかかわらず見つかっていない。
@、Aのことから赤城にはないんじゃないか?と、いう仮説からスタートしてます。
また、銅版の方位板はよく検証しているが、絵地図板を検証している方が少ない。
家康像、方位板、灯明皿、タタキ等を組み合わせてでないのは、絵地図を考慮していないから?との考え
それと、埋蔵金を掘り返す場合に群馬県の広大な原野のどこを?ということからわからないと始まりません。
知らない地に出かける際を考えてください。
目的地の最寄り駅までは電車等で容易に行くことが出来ます。
駅から目的地までは、大きな交差点やコンビニ、ガソリンスタンドを目印に歩きます。で、目的地に到着。
コレだと思っています。
源次郎の井戸ありきからスタートしてしまったので狂ってきています。
まず、群馬県に行って、絵地図でどの目的の場所に行くところからスタートしないと

69 :
そこで、群馬県内のいろんな地図を片っ端から調べました。
道(公道、私道、山道)、川(本流、支流、農業用水)、山の稜線などに見立て、似たようなところがあれば、
絵地図の図形と地図をあわせて「中」を出し、方位図の「中」を合わせて、方位図に描かれている文字の各方向に
何らかの不動の物はないかを検証しました。
候補地は2箇所でました。
1箇所は、その痕跡を見つけるが困難かもしれません。なんらかの痕跡はあるとは思います。
もう一箇所は、絵地図と本当に酷似しすぎて・・・だから近代になって作られた銅版じゃないのか?と、疑うわけです。
ですが、検証してみる価値はあるとは思いますけどね。
ただ、七臣のひとつが・・・ない。っていうか、なくなっちゃったと思われます。
この二箇所の調査をしてみる価値はあるかもしれません。

70 :
今、埋蔵金と騒がれている 帳簿外の40兆円 40兆円ですよ?
日本にいくらの債務があるでしょうね?
それでも、40兆いける
財政破綻していたといわれる幕府でも、十分埋蔵金を作ることが出来たでしょう^^

71 :
って・・・また独り言になってるし orz

72 :
試行錯誤の末、分りました。
「埋蔵金発掘が趣味の人」を右クリック、
縦長のメニューの中の
「ブラウザで開く(Z)」をクリック、
書き込みが出来るページにたどり着く。
これで、書き込みが出来ます。
イヤー 書き込むネタはありませんが、書き込みの方法が分らなくて
書き込み出来ませんでした。インタネ音痴は私だけかな?

73 :
武田さん 2ch専用ブラウザなん??
武田さんはネタいっぱいあるでしょーw 公開できる範囲で公開してくださいね

74 :
あら? コテハン抜けてる

75 :
来春、梅雪の埋蔵金の探索を考えています。
梅雪を研究したり探索している人いませんか?
差し支えない範囲で研究結果や探索結果を報告して貰えませんか?
失敗談も歓迎です。

76 :
>>73
パソコン修理(インタネ回復)してもらった時、何でもいいから「埋蔵金
発掘が趣味の人」も覗けるようにしてくれと頼みました。2ch専用ブラウザ
というやつを使ったようです。
行き違いになりましたね。ネタいっぱいないですよ〜。
例によって、来年に期待ってところです。梅雪の埋宝に肉薄出来るか!?

77 :
ちょっと調べると、黒川金山?
花魁(おいらん)淵は聞いたことがありますが、死んだ花魁の人数がサイトによってバラバラですね。
面白いのが、黒川金山のの周囲に源次郎岳ってあったw もしかして、源次郎の井戸じゃなくて、源次郎岳だったりしてw
赤城じゃなくて、徳川の埋蔵金=武田の隠し金だったりしてww

78 :
武田さんどうぞ
http://www.zephyr.dti.ne.jp/~bushi/index.html

79 :
165さん有難うございます。武田関係資料、参考にさせて頂きます。
黒川金山周囲の埋蔵金としては、畠山清行氏の本にある「高橋修二郎」の
埋蔵金を探索しました。一応「竜喰川」と狙いをつけて数回行きましたが
例によって「山歩きが趣味の人」で終りました。今は「二の瀬」から
入り易くなっています。

80 :
出合の滝、精錬場の滝、弥惣小屋の滝、下駄小屋の滝、砂金小屋の滝
思案の滝、五間の滝、四苦八苦の滝、千人工の滝
多すぎるな・・・
確かに「竜喰川」という名前をつけて、人を寄せ付けないようにしたかもしれませんね。
ちなみに花魁(おいらん)
狐狸は尾で化かす、花魁は口でだまして尾要(おい)らん
んー 鼻緒が必要な下駄・・・・下駄小屋の滝があやしいw

81 :
川について下って三つ目の「滝」として、滝周辺も探索しましたがそれらしい洞穴
は発見出来ませんでした。畠山清行氏の創作か?実話か?地元の人は伝承聞いて
いないようです。実話なら、「川について下って」にポイントがあります。
通常、から山奥の秘蔵地へ入るには、川沿いの山道を上流の山奥に向
かって「上る」と思われます。下らなければ到達出来ない険しい川は竜喰川以外では
1,2本しかありません。

82 :
あれ? 滝つぼにあるんじゃないでしたっけ?
花魁淵の一説に滝つぼに隠すうんぬんってあったきがしましたが
ふむふむ
では、自説どおりに上がってみたらいかがでしょうか?
山道厳しいのかな?

83 :
いえ、「高橋修二郎の残したメモ」には下るとあるので下らねばなりません。
滝つぼに隠す話は別の埋蔵金ではないでしょうか?
「沢登り同好会」なるものがあって、竜喰谷でもそれらしきパーティーに行き合い
ましたが、転落死?した人の記念碑もありましたよ。山道は険しくないけれども、
途中から道が無くなります。一人での山入りはあまりお薦めしません。

84 :
「高橋○○○○○○○○○○に
腕の形○○○○○○○○○る
大木○○○右三本○○○○○○○○
山○○○○あり穴は大きな岩の
左からみ○○○○○○○る
木で○○○○○○本
棒は大○○○○○○十枚
延べ板○○○○二つの穴
にもま○○○○○ある
右の○○○口は川につ
いて下って三つ目の○
のほらあなから入る」
まず「高橋○○○…」の高橋だがこれは高橋修二郎の高橋ではないと思う。
なぜならこのメモは人に見せることが前提ではないので作文のように誰が書いたと明記する必然性がない。
とすれば単純に埋蔵金の場所を示す一部分と考えるのが自然だと思わる。
高橋川という沢、高橋という集落もある…。
高橋修二郎さんの遺体の発見場所から推測すると高橋は沢や集落の名前ではなく一之瀬高橋だと思われる。
柳沢川の上流やそこに合流する一之瀬川沿いの地域一帯を一之瀬高橋という。
この呼び名は一之瀬川の上流二之瀬や三之瀬にまで及ぶが高橋修二郎さんが金を見つけたのは柳沢川と一之瀬川の合流点近くのおいらん淵から武田信玄の時代金の採掘が盛んに行われた大常木谷辺りまでの間と考えるのが状況からして自然だ。
この辺りの洞穴か金採掘用使った坑道の深くに金は隠されていたはずだ

85 :
・・・一緒に行きますか?

86 :
重武装していく必要があるかな
足の蒸れないコンバットブーツにナタやザイル、コンパス、GPS
衛星電話に非常食に医薬品
猟銃も欲しいところ

87 :
オレも行きたいな。
猟銃は時節柄自重

88 :
大常木は一度行ってみたい所ですが、一人では勇気がありません。
二人以上の複数なら熊の方が気づいて逃げるので猟銃は必要ないでしょうね。
埋蔵金の量は棒金何十本、延べ板何十枚程度ですから「小埋蔵金」ですね。

89 :
赤城は誰も行ってくれないので、武田の埋蔵金に切り替えるかな
山分けで、端数は、武田さんがもらうでどうでしょうか?

90 :
>>89 当然折半です!・・取らぬ狸の皮算用(笑)。
ところで、梅雪をやりませんか?探索したい所が1ヵ所ありますが・・・
赤城だって具体的に話が進めば同行したい人はいると思いますよ。まとめる
人が大変だけど。

91 :
梅雪さんは個人的にきになる。
混ぜて混ぜて。手柄は要らないから。
畑薙、本栖湖、樹海などなど。冒険要素いっぱい。

92 :
おー いきましょう いきましょう マジでいきましょう
樹海は・・・ちょっとw

93 :
本栖湖から
「この辺はな、ちょっと樹海の方に入れば、自然の洞窟がたくさんあるんだよ。
そういった場所はな、財宝とかを隠しやすいんだ。こういう洞窟の奥に財宝を隠
して土砂で覆えば、よほどのことがないかぎり発見されないものだ」

94 :
穴山の資料が少ないですね。
時代が古いせいでしょうか
ちなみに 蜂はダメです。 しんじゃいます

95 :
樹海の洞窟は溶岩で臨時の軍資金として「小埋蔵金」を隠すには都合いいですね。
でも「隠し湯」がありません。梅雪の埋宝は「大埋蔵金」で樹海には無いと思いますがどうでしょう。
肝心の「武功録」は何処かの旅館の経営者が持っているという話を聞いたこと
がありますが、その人が掘り出したという話も聞きません。まだ眠っている
ことを期待しましょう。

96 :
武功録? 甲賀忍者の杉谷善住坊?
善住坊の実兄である諸澄九右衛門政景は、本能寺の変の時に穴山梅雪を襲撃した一揆の一味であったという。
その時に、梅雪の懐中から『武功録』という手控えを見つけ、梅雪が隠した埋蔵金の在り処を知り埋蔵金を手に入れた。
しかし、その事を嗅ぎ付けた仲間の者にされてしまったのだという。

97 :
三連休を利用して甲府の県立図書館に出かけてマッタリと梅雪の歴史を調べようかと思ってたのに、
休みがぁ。。。消えた。

98 :
>>97
おお!貴方も梅雪に関心を持っているのですね? 是非実行して下さい。
私も時間があれば行ってみたいと思っています。
私から一言・・梅雪の信頼する部下「弓削新太郎正勝」も一緒に調べてみて
下さい。ある時は二人一緒に、ある時は別々に手分けして「埋蔵」した可能性
が高いと見ています。記録は無いと思いますが、いつ頃何処に立ち寄ったなど
が場所の特定上、重要な参考になると思います。

99 :
埋蔵金って何十兆円とか言われるけど、見つけたからといって
当時の貨幣価値を今の貨幣価値に適用して換金できんのか?
薄っぺらい小判なんて、いくら大量にあっても数千万にしかならんと思うんだが。
プレミアが付いてるとしても、マニアが何十兆円で買ってくれるわけないし。

100 :
>>99
100万両が小判で埋まっているとして、金などの地金につぶしてやると
今の相場では少なくとも50億以上にはなるでしょう。
これは最も価値を低くしてしまうやり方ですね。
全部が新しい小判ではなくて大判や美術的な金製品だったら、
もっとずっと高くなるでしょう。
海外のオークションなどに分割して出したら兆も夢じゃないですよ。

101 :
どんなことしても自分のものにはならない気がするけど・・・

102 :
お714さんお久しぶり
>>99さん
すでに何十兆円って自分で言ってるじゃないですかw
円になったのは明治からです。
プレミアが付いた価格として換算して何十兆円だと思いますよ。
まぁ何十兆は言いすぎだと思うけどね。

103 :
「梅雪の埋宝」は本によると「まるどう」と「たけながし」と「こがね」で
大判、小判は無い。骨董的価値は無く潰し金換算か・・

104 :
本丸口
   まるどう    五十七ほん
   たけながし   三十九ほん
   こがね     九はい
戌の口    申三戌五十八
   まるどう    五十二ほん
   たけながし   三十八ほん
   こがね     五はい
辰の口    卯十己五
   まるどう    二十七ほん
   たけながし   二十五ほん
   こがね     四はい
隠し湯の湧きて流る窟穴を、
のぼりて指せや地蔵小坂、
朝日夕日月に照る、
岩打て岩打て地蔵もうて、
竹に千歳の色添えし、
梅が雪見の酒なりし、
千代八千代に栄えます、
黄金の口ぞ汝に聞かむ。

105 :
この秘文によれば、梅雪の埋宝は3か所に分割埋蔵され、本丸口を発見でき
れば、他の2箇所は”芋づる式に”見つかるようにも思える。
[辰の口]
   本丸口から卯十巳五だから、辰へ真っ直ぐ行けば良いものを・・
   真っ直ぐ行くと岩、崖、川などの障害物があって真っ直ぐは進めない?
[戌の口]
申三に対して、戌五十八は長過ぎる。直線で五十八(町?)も続く
   山道(?)は山梨県には無いのでは?・・

106 :
さすがですね。
上の秘文は、西富士にある電波系キャンプ場のオーナーが公開している武田の埋蔵金に関する秘文です。
出所はわかりません。
しかし、人工的な石物等にぶち当たっているみたいで興味がありますが、ホームページの更新が止まっているので、
その後どうなったかは謎です。
また、オウム真理教が、真剣に樹海内を本格的に探索しています。
>>93は、オウムの幹部の話です。
邪悪なカルト教団ですが、天才集団でもあるので、何らかの根拠があるのかもしれません。

107 :
富士山麓青木ヶ原樹海、埋蔵金の伝承もあり本当なのかも分りませんが・・
2,3回行ったことがありますが、溶岩の洞穴が無数にあり、これを一つ特定
するのに「目印」が問題です。オウムが見つけられないのも「目印」が無く
なっているからだと思います。目印の「大樹」が倒れてしまっていると殆んど
不可能と見ました。あるいは「小埋蔵金」でとっくに誰かが・・

108 :
今年もお世話になりました
来年もよろしくお願いします。

109 :
初めにお断りしておきますが決してあなた方を非難しているわけではありません。
いつも楽しく拝読していますが
あなた方はあまりにも埋蔵金の真実を知らないようなので、少し早いですがお年玉
として一度だけ書き込みます。二度はありません。
>>104→ この秘文は畠山氏の著書等で有名です。
>>105→ [辰の口]本丸口から卯十巳五だから…秘文の中には、どこにも本丸口
          からの距離とは書いていません。
     [戌の口]直線で五十八(町?)も続く…秘文の中には、どこにも数字
          の単位は町だと書いていません。
>>106→ オウムは樹海に金塊を隠していた事は数年前の新聞等に載っていました。
     古い金塊を捜していたわけではないと思うのだが。
赤城にせよ武田の梅雪にせよ有ると思いますょ。
こう書くと、その根拠は場所は…となります。言えるわけないでしょ。
特に赤城は100%有ると思っています。なぜ出さないのか…
その理由は各自が考えてください。では良いお年を・・・

110 :
あけましておめでとう

111 :
新年おめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
>>109 風さん
お年玉有難うございます。今後の「肥やし」とさせて頂きます。
赤城は資料がいっぱいあるのに誰も到達出来ないのは?
あっ、「これっきり、これっきり」でしたね?(笑)

112 :
今年こそわああああああああああああああああああ

113 :
過疎化が進行中・・・

114 :
皆さん見るだけで書き込みはしませんねぇ〜
そろそろ、165さん取って置きのマル秘情報を!(笑)

115 :
えー 取っておきのって・・・
私の自説は出しちゃいましたんで、、、赤城本命さんが出してくれると・・・
と、ひとにふってみる(笑)

116 :
赤城(徳川)は必ずある、というこの道の専門家がいるみたいです。
水野さんが掘った所は無いから、「有志」はそれ以外の場所を推理して
チャレンジしてクダサ〜イ!

117 :
梅雪の宝は?

118 :
梅雪の宝も確実にあるそうですよ。
>>109 風さんも言ってますが、秘文の「解釈」をしっかりやれば、梅雪の宝
に到達できる・・らしい。・・です。秘所には「山神さま」もあったそうで・・
また聞きなので、どこまで信じていいやら。その方、早く発掘すればいいのにね。
卯十を東へ10町と解釈しているようではタメタメタメ・・みたいなことのようですよ。
どなたか、改めて秘文の「驚くべき新解釈」をお願いします。

119 :
場所が特定できれば誰でも既に掘っていますよ。
埋蔵金自体この世に存在するのか?疑問だなぁ……

120 :
山の中は、データーが少なすぎるから難しいよね

121 :
データーが少ないのはどの埋蔵金話も同じだと思います。
甲州の山の中では、目印が「ついたて岩」であったり「屏風岩」だったりし
て自然の「岩穴」を活用すると言われています。
「目印」が地蔵の場合、「地蔵」は言うまでもなく、「地に蔵す」の意です。

122 :
もっと詳しくww

123 :
過疎化が・・・・
だれかネタの提供よろしく

124 :
保守上げ

125 :
保守

126 :
現在でも琵琶湖に資産を隠す人がいるんだから
昔の人も同じじゃない?
関東地方で怪しそうな池や湖は無いのかな?

127 :
三宝寺池
文明9年(1477)石神井城が上杉氏の将軍太田道灌との戦いに敗れ落城したときに、城主豊島泰経は黄金の鞍をつけた愛馬に乗り、三宝寺池に沈んだという伝説があります。

128 :
このサイト時々おかしくなる。過疎化の時は、このサイトへのアクセスが
出来なくなっていることを管理者が知らないのでは・・誰かが書き込みし
たくても出来ない状態が続いて・・?友人にアンテナになってもらう・・

129 :
上げ!
赤城本命さん「児玉老人」は確かに水野家に宝のありかを遺言していますょ。
その遺言をみんなが誤解釈しているから見つからないだけです。

130 :
実は「児玉老人」は創作のようですよ。

131 :
ハハハ…反論や批判は誰でも出来ます。
大義兵法秘図書をよ〜くご理解ください。反論は理解してからお願いしたい。
おのずと答えは見えてきます。
ここまで言ってあげて答えが出てこないのなら、赤城は諦めたほうがいいです。
机上で楽しむのなら良いですが発見なぞとは思わないことです。
答えの出てこない者に発見は到底無理です。

132 :
あきらめるんじゃなくて相手にしていないのでしょう。
いまどき赤城を探してる人は水野さんを含めて居ないと思いますよ。

133 :
>>132 赤城を探している人はいない ???

134 :
いつもこの辺で堂々巡りするよね。
単なる水掛論じゃ論議が深まりません。
>>129
>水野家に宝のありかを遺言していますょ。
>その遺言をみんなが誤解釈しているから見つからないだけです。
っと、おっしゃるなら、誤解釈の一部でもご紹介、ご解説願いたいです。
>>131さんも同様
>大義兵法秘図書をよ〜くご理解ください。
っと、おっしゃるなら、あなたの理解できた一部でもご紹介、ご解説願います。
>反論は理解してからお願いしたい。
って言っている131さんだって、何を根拠に反論を否定しているのかすらわからない。
って言うと、研究成果を他人に一部でも教える必要は無い、自分で考えろと言う。
10の内1でも言ったらみんなにわかっちゃうっていう程度のものだったら、それもハズレですよ。
そんな程度のものだったら、すでに多くの人が気が付いてるはずですからね。
しかし、みーんな中途半端なことを言ってるねw
まぁ2chだからチラシの裏程度の書き込みだから仕方ないけど、書き込みに対してあまりにも無責任だねー
ちなみに165だけどねー。
前スレ見れる人は見てね。わたしは、ある程度持論を展開していますよ。

135 :
>>134 貴方の言われるとおりこのままだと「水掛け論」で終わってしまいますね。
しかし私からするとこのページを楽しんでいる方々に対する私からの赤城についての
最大の答えが「大義兵法秘図書をよ〜くご理解ください」です。これは答えです。
この私の胸中を察してもらえないようなので、私は退散いたします。
将来、私の答えが正しかった事を証明してくれる人がこの板から出ることを夢見て…

136 :
赤城の水野氏は「大義兵法秘図書」をよ〜く理解しなかったから発見でき
なかったということか・・・
じゃあ〜みんなで解読しましょう!

137 :
みんなで解読しましょう^^
って、文章の一部しかわからないよー><

138 :
昔読んだ本にその一部が書いてあったね。全文は水野氏に教えて貰うしか
ないけど、多額の金を要求されること間違いなし。
分っている一部だけでもみんなで議論すれば新解釈が出てくるかもね。

139 :
大義兵法秘図書をよ〜くご理解ください。
と、コメントしている人がいるので、考えられることは
@大義兵法秘図書の中身(全文)が、出回っている。
A大義兵法秘図書の存在自体を理解しろと言っている。
水野さんは、著書の中で人を釣るようなことをしているので、
著書で紹介された大義兵法秘図書の一文をそのまま信じていいのかは、いささか疑問。
古文書、暗号文などもそうだが、文章の一部のみで全文を解読するのは難しいので
@の大義兵法秘図書の中身(全文)が、出回っている。
を、>>131さんは示唆しているのかな?

140 :
よろしく。
久々にこの板が盛り上がりつつあるので一言。
>>139→に対して一言だけ言わせて下さい。
現在までに世に出ている大義兵法秘図書の中身やその他世に出ている
物だけで十分分析できます。
秘図書全てを見て分析しないと分析できないと思うことこそ八門遁甲
の術にハマっているように思います。
では何故発掘及び発見できないか・・
その答えは分析できた者にはわかります。

141 :
水野氏が主役のCD「与えられるか否か」徳川埋蔵金120年目の挑戦、を
見ると、水野氏が心底信用する東北地方にお住まいの年配の男性が「ここ」
と指差すゴルフ場の一角を掘ったが失敗だった。水野氏自身どこを掘ったら
いいか分らないでいる。水野氏は大義兵法秘図書の解析が出来ていないこと
は明らかですね。解読不能の文章を渡した児玉老人は本当に水野家に遺言を
残そうとしたのか、他に目的があったのか・・???

142 :
もう一言だけ。
世に出ている様々な物で確実な分析をしていくと「必ず確証」が得られます。
しかしこの確証が赤城に「有る」と出るのかそれとも「無い」と出るのかは
分析後のお楽しみに…

143 :
ほぼ >>141さんとダブりましたのでもうもう一言。これが最後です。
>>141で大義兵法秘図書を「解読不能の文章」とありますが最後に一言
十分意味を持って解読できます。
先にも述べましたとおり確証が得られます。
ここまで言って解読できないのなら…です。

144 :
新人さん
何度も繰り返して申し訳ないんですが・・・。
赤城に有る無いは関係ないのです。
解読できます。と、おっしゃっているから
どんな風に解読できたんですか?
その一部でもご紹介していただけませんか?
と聞いているだけです。

145 :
もう最後だと言っているのに…(私も人が良すぎる)
>>134の書き込み中の下から6行目及び>>144の下から3行・2行に対して
お答えします。
◎10の内1でも言ったら…
◎どんな風に…
◎その一部でも…
世の中にはその1を知る事により全てがわかってしますことがあります。
偉そうな事を言うつもりは更々ありませんが…一言
あなた方はその1が解らないから解読出来ていないだけです。
例えば>>140で世に出ている物で十分分析できますと言っています。
※こんな大事な事をみなさんはわかっていましたか…これは基本中の基本です。
従いまして何と言われようと1は言えません。
努力してください。
私なりにかなりのヒントを出しているつもりですが…
そのヒントも解らないようなら…です。
各自の検討を祈ります。  さ よ な ら

146 :
はい さようならー

147 :
武田さん もうすぐ春だけどどうしますか?
春先は、熊がお腹空かせていそうだから怖いけどw

148 :
>>147
5月のゴールデンウイークまでが勝負です。それが過ぎると木の若葉が伸びて
見通しが悪くなり、「目印」が見つけ難くなります。6月は梅雨入り。
梅雪にチャレンジしたいですが、仲間同志でやる場合は事前の打ち合わせが
必要ですね。探索地について「意見統一」しなくっちゃぁね。

149 :
>147,148
黒川の事ですか?

150 :
私だけの調査ではなくて複数の方の見解では、残念ながら水野さん所有の
文献類は後に創られたものであるという結論です。
こういう検討には古物に目が利く人が必要なのですが、意外にそういうメンバー
は入っていないようですね。
大義兵法秘図書なるものは文体からして時代が違う。
水野さんも全文を公開出来ないでしょう。 当たり前ですね。
見る人が見れば一目瞭然です。
畠山さんの本は情報を提供してくれた人に気を遣い過ぎていて
簡単な矛盾点でもそのまま放置されているのが欠点です。
単純な間違いが多いですよ。

151 :
>>149
梅雪の埋宝が黒川かどうかも含め、「意見統一」が必要ということです。
山梨の山はどこへ行っても熊はいます。

152 :
ここへ行ってみたい。ぁゃιぃ
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/travel/1059890221/451

153 :
>>150
ちょっと意味がわからなくて悪いんだが・・・
どの時代とどの時代を比較して文体が違うって言っているのかわからないけど
大義兵法秘図書は、明治16年〜20年に書かれているんですけどいいので?
また、明治時代の刊行物の文体を見ると、現代人でもスラスラと読めるが
児玉自身は江戸時代の人間だから明治に書かれたとしても、江戸の文体でもなんら不思議はない。
その逆の児玉は江戸時代の人間なのに明治の文体を使うのは不自然って言われても時代の流れで変わったと考えても不思議はない。
さらに「」→「高」、「齋」→「斉」などとなったのもあっという間だったし、個人差がでる可能性もある。
何時代と比較して文体が違うのか教えていただきたいんですが?
また、その特徴が良く現れている文字などの一例をあげていただけると助かるんですが?

154 :
明治の書物じゃなくて昭和の書物っていうことかな?
まぁどっちでもいいんでがw
探索地は、武田の秘宝さんに一任します。

155 :
以前にも赤城かどこかで集合してという話が出たような記憶があります。
どんな人物が何人集まるか、お互い顔も知らない者同士。・・さて具体的に
どう進める?・・やはり2,3人知れた者同士でないとうまく行かないのでは?
まず、一度顔合わせしなくちゃね。

156 :
>>153
時代というのは江戸とか明治といった大まかな年代をさす場合もありますが
ここでは10年くらいの単位でしょうか。 その程度の時間差を問題にしています。
古物の真贋を判定するときには大切な手がかりになるので
(つまり鑑定のノウハウ)、内容をおおっぴらには出来ません。
それに、細かく指摘しますと誰が言っているのか分かってしまいますからね。
本当は紙質なども現物で確認したいところですが無理でしょう。
もっとも、そういった客観的な証拠を挙げていっても、実は現存するのは
コピーだとか言われると仕方がなくなりますけれども。
それから、児玉某が創作というのも調査の結論です。
仮に近隣に同姓の道場主が居たとしても初代とは書かれているような関連
が無いということです。
ここにこんなことを書いているのは、本気で掘る前には資料を疑った方が
いいのではないかと申し上げているのでして、資料の真贋は問題にせずにただ
埋蔵金の謎解きを楽しむということを否定するものではありません。

157 :
結局のところ、よく分んないけど、初代か二代目の水野氏の財産を食い物に
するために偽の証拠品や偽書を作っては期待を持たせ、巨大な穴を掘らせて
土木工事費という形で絞り取った、ということですかねぇ。まあ結論は急い
で出さない方がいいと思いますけど・・

158 :
んー
以前も書いたんだけど、再度書いておこう
あくまでも私的見解ということをご理解いただきたい。
<資料について>
現代において、水野氏の資料(銅板、家康像など)等を信じている人は少ないと思う。
なぜなら「掘り出せていない」から
文や文字の解釈の仕方などと言われる方が多いが、今まで水野氏の資料を研究した人は何十年間に何十人もいた。
その筋で高名な方々も挑んだであろうが、その結果をもってしても「掘り出せていない」。
これにつきる。
ただし、「大義兵法秘図書」だけは、埋蔵金の場所うんぬんを抜きにして本物っぽい気がする。
なぜなら、銅版は買ったが、大義兵法秘図書はもらったからである。
他の資料が簡単な物であるのに、大義兵法秘図書はものすごく丁寧に作られている。
また、物を捏造するのは簡単であるが、人を捏造するのは難しい。
なぜならば赤城に住んでいたとされる児玉を村人が見たことも聞いたこともないというわけには行かないからである。
無論、児玉の存在自体の聞き取り調査も行われたことだろうと推測できるからである。
児玉がの存在の有無、埋蔵場所の有無を抜きにしても別な意味でいい資料である。
まぁ大義兵法秘図書についても、古今東西解読にチャレンジしているし、
真贋をいまさら言っても、「掘り出せていない」という結果が出ているだけである。

159 :
<埋蔵金について>
赤城には無いと思っている。(水野氏が挑んでいる場所)
理由は、上記にも書いているが、古今東西多くの方々がチャレンジしているが掘り出していないから。
何らかのものが、どこかに埋められているとは思う。
※最大400万両といわれている埋蔵金だが、どれだけの量なのかは前スレで検証してあるので見れる方は見てください。
@赤城を含むいろんな場所で、謎の集団が目撃されている。
埋蔵金話が沸き、複数箇所で集団ヒステリーが同時発生し、集団幻覚をみたとは思えない。
A三枝氏の発掘などをみても、他の者が遊びや金儲けで仕掛けるには巧妙すぎるものも多い。
埋蔵金の有る無しを抜きにしてね。
そこで思うのが、赤城以外説である。
こんだけ挑戦しても、いまだ発掘できていないのは、場所が違うからではないのか?と、単純に考えるわけである。
また、資料等についても水野氏の資料(発掘物含む)以外に手立てがないので、
いまさら真贋を問うよりは、限られた資料の中で、他の場所も当たってみるのも楽しいかと思う。
また、上記@Aのことからも、水野氏の資料を100%偽物と疑うには早い気もするので、
「参考」にしているということ。
前スレでも書いたが、銅版の絵図とまったく同じ場所が2箇所存在する。
1箇所については、近代に銅版を作ったとしか思えないぐらいに、気持ち悪いほどピッタリ符合する。
しかし、それは、赤城以外の場所である。
水野氏をはめようと画策したり、水野氏が誰かをはめようとした場合に「なんでこんな場所と同じにするん?」
「なんで赤城周辺にしないん?」「まんざらいい加減に作ったわけでもない」と、思ってしまう。
そう考えると、群馬県内赤城以外となってしまうわけである。

160 :
徳川は現地探索も研究もしたことないけど、自分が埋蔵する立場だったら、
平埋めはしませんね。掘って、埋めて、埋め戻したら、「土」が10%位
余ってしまう。てんこ盛りにして、ここに埋めましたと教えているような
もの。武田の埋蔵金は「岩穴」に隠してあると言われています。赤城か
赤城以外かは分りませんが、あるとしても、大規模な「土掘り」しなくて
もいい所ではないでしょうか?幕末混乱期に、秀吉のような計画埋蔵の
時間的余裕は無かったと思われますが・・

161 :
うん 武田さんがおっしゃるとおりだと思う。
さらに付け加えるなら、その埋蔵量である。
最小である万延小判にしても>>159の通りその400万両はものすごい数なのである。
>幕末混乱期に、秀吉のような計画埋蔵の時間的余裕は無かったと思われますが・・
の通り、万延小判を鋳潰す時間的余裕があったのかも疑問で、インゴットになったとしても運搬には重い。
そもそも幕末の財政上、そんな量の小判といわれる方がいるが、大戦で日本が負けても国がつぶれなかったの同様に
天領地だけでも年貢の収入は膨大なもので、先の蓄えがあれば可能な額なのである。(解説済み)
それを人知れず運搬し、埋蔵できたかというとかなり難しい。
これも以前に書いたが、中仙道を江戸から行った場合の人足の人数や護衛の人数は大変なものだ。
しかも、山間でも野っ原でもその辺への埋蔵は、あとで掘り出してくれと言わんばかり。
また、掘り出すことを考えると、赤城の原野でただ埋めただけでは、後世の人達は掘ることが出来ない。
「なんらかの目印」や「目印を探す手立て」、「それが目印で正解だと示す物」がないと掘れない。当たり前の話だけどね。
って、考えると、群馬県内赤城以外分散隠匿説になる。

162 :
いよいよ群馬県に集結か!(笑)
小栗が指図して埋めたとすれば、小栗が土地勘がある地域内ということに
なりますね。

163 :
いやいや 武田のお宝からいきましょうw

164 :
いやいや 徳川のお宝からシロクロつけましょう!
おっとり刀で馳せ参じます!

165 :
いやいや 武田のは、見つけた人がいますからw

166 :
武田をやる場合は、最初に大体の方面を決めなければなりません。
(A) 大菩薩やその北側の黒川金山一帯方面
(B) 下部温泉、身延、本栖湖方面
大きく分けてこの2方面です。反対方面を探しても見つかる筈がありません。
諸兄のご意見は?

167 :
(B) 下部温泉、身延、本栖湖方面 でw

168 :
追加します。
(C) その他の方面
信玄の隠し湯は、七つとも十以上とも言われるので、(A),(B)に限定
するのは(C)を探索するつもりの人に失礼でした。

169 :
武田は明治の頃、例の金塊が出て一時期に金ブームみたいな時期があったとかね。
今の牛金掘あたりを、何処かの親分が子分数十人で掘りまくりで、何も出なかった。
やはり、黒川で出た金は近い場所に隠しやすいと思うけど・・・

170 :
うちのひい祖父ちゃんは目隠しされて何処かに連れていかれて
穴だけ掘らされて帰されたらしい
母親から聞いた話だけど母親は埋蔵金じゃないかっていってた
ひい祖父ちゃんの生年月日は知らないけど祖父ちゃんは生きてたら
100歳近くだから、かなり昔の出来事だと思う

171 :
穴掘りの話題。
http://digimaga.net/news/20080309/scoop_excavation_meeting/

172 :
>>152
日曜日に行ってきた。
舗装された林道がすぐ傍まで来てました。
時間がなかったので林道を走っただけで終わりになりましたが
次回はぜひ温泉でのんびりと。

173 :
保守上げ
やっと板復活

174 :
大阪の旧商家と寺院を全て取り壊して
掘り返せば100兆円の金銀財宝が出てくるよ。
誰か買い取って掘ってくれ!

175 :
おひさしぶりですね。
八門遁甲について、ちょっと書きますね。
はっきり言うと実態は解っていないというのが実情です。
「謎解き 徳川埋蔵金伝説」八重野充弘著の中に
 占法の一種。上円下方の式盤を用いて占う式占に太一(乙)・雷公・遁甲
 の三種がある。円盤を回転せしめ、その静止したるところの相を式書にて
 判断する。」とあり、これを見たときは私は息が止まるほど驚きました。
実は徳川に関わるきっかけがここにある上円下方(上が円状で下が四角のもの)
の式盤だったからです。私の方法論は物証の中から規則性を探し出し、他の物証
との照合を行うというものです。その結果、いくつかの信じられないような
規則性、符合が出てきて現在に至っているというのが現状です。
 以前三枝氏の発掘に興味がある旨を書きましたが、これは長井小川田の発掘経緯
に水野家が関わっていないのが大きな理由です。つまり、情報に操作が加えられていない
可能性があるからです。まあ、規則性とか符合とか書いても中々信じてはいただけない
でしょうが。

176 :
165さんは、八重○さんか。昨日、tvでてましたね。

177 :
↑その人、畠山さんのパクリばかりですね。

178 :
宝島で中国銭埋めてヤラセしたらしい。チャリティ番組なのにな。

179 :
>>175 赤城本命さん、ゴールデンウィークだし、そろそろ現地探索して、
その結果をここで報告して頂けませんか?
掘るところまで行かなくても、証拠の目印を発見した!とか。

180 :
>>179さん
行きたいですねえ。本当に行きたい。

181 :
>>180
赤城へ行くなら車出しますよ!

182 :
また過疎になって来た〜。みんな連休で出かけているのかな?

183 :
誰かゴールデンウィークの成果を発表して!

184 :
保守上げします。

185 :
ただいま
八重野さんみたいにTVでてギャラもらいたいねー
埋蔵金でなくても30分ぐらい引っ張れればいいんだかららくだよね。
>>177さん
否定はしませんが、どうしても八重野さん、畠山さんの資料・研究を参考にせざるをえませんね。
なぜなら徳川埋蔵金といえば、八重野さん、畠山さんが言いだしっぺみたいなもので、
持論からいくと、八重野さん、畠山さんを否定し、一から調べないとダメだからね。

186 :
>>185
同感です。しかしこれは難しい。埋蔵金の第二の「ル」を作ることを
意味するから。八重野さんが畠山清行氏の切り開いた道をひとつずつ実地
検証して行くならこれも必要なことだと思いますが。八重野さんを批判する
前に自分自身はどういう行動を起こしたか、インターネット族の悪い癖に
陥っていないか、「批判ばかり族」になっていないか、考えましょう。

187 :
私も同感。
ただ、畠山さんの本の内容は不正確なものが多いので要注意ですね。

188 :
畠山さんの本は、埋蔵金”物語”だからねぇ。どこまで本当かは一つづつ
確かめないとね。しかし全くの捏造ではなく、各地にあった埋蔵金ばなし
の見聞録で、実際にそんな話が存在したのだと思う。ということは、その
うちのいくつかは発見されていないだけで、存在しているのではないか!

189 :
畠山さんはホラ吹きだよ
あいつは子供の頃からそうだった

190 :
ホウ!畠山さんの子供の頃からご存知とは相当のご年令では?
青年時代は左翼思想家(とみなされて?)逃げ回っていたとか?

191 :
昭和60年位だったかなあ、畠山氏と電話で話したことがありますよ。
八重野氏とは一度、お会いしました。二子多摩川でね。

192 :
ホウ!畠山さんと電話で何を話されましたか?20年以上前ですね!
どんな感じの方でしたか?

193 :
赤城の件で少し確認したいことがあって歴史読本の出版社で電話番号を
聞いて電話したんですが、こちらがまだ未熟なせいもあって有意義な
話はできませんでした。大分体が弱っていらっしゃるらしく、現地には
いけないと話されていました。

194 :
>>193
有難うございます。そうでしたか。その頃から現地へ行けない程弱ってまし
たか。「日本の埋蔵金(上)」、「同(下)」の初版が昭和48年、「新・
日本の埋蔵金」の初版が昭和54年ですから、この埋蔵金3部作を完成して
から後、現地取材が出来なくなった訳ですね。

195 :
>>194
日本の埋蔵金(上・下)ですが、ネットでは5万円の値段がついてますね。
私が古本屋で買ったときは、1500円位でしたから、びっくりしました。

196 :
普通の古本屋には売ってませんね。欲しい人はネットで買うのが早いですね。

197 :
>>186
バカ、キエロ

198 :
先日、昔の糸井の埋蔵金番組が、ユーチューブにUPされていたので見た。
いろいろ解釈しなおすところがあったよ。

199 :
>>165
ひさしぶりですね。

200 :
お久しぶりです。
一時「人大杉」とかで開けなかったけれど、皆さんは大丈夫だったのかな?

201 :
やぁやぁ 赤城本命さん 武田の秘宝さん おひさしぶり
■TOPICS
徳川埋蔵金掘り3代目 水野智之氏の家業の看板制作・埋蔵金掘りを手伝える方を若干名募集しております。
住み込みで撮影した 当映画監督 の修行を体験してみませんか?
【勤務地】群馬県赤城村
【内容】看板制作
【給与】ほぼボランティアです。
【待遇】住み込み可。
     水野氏の哲学・生き方講義、埋蔵金掘り可能。
お問合わせはこちらまで ○○@wireworks.jp
水野智之氏の家業の看板制作ってのが笑えるなw

202 :
うちの田舎はむかしお城があった
けれど、戦国時代につぶれてからただの城跡になってた
むかし軽い発掘調査があって茶碗やらがでてきた
その調査はすぐに打ち切りになったんだけど、
当時小学生だったので宝探しだというので、
クラスの連中と一緒に穴掘りばかりしてた
そしたら人骨っぽいのを掘り出してしまった
あれはなんだったんだろう
こういうところには金目の物も埋まってるのかな
皆さん教えてください

203 :
調査隊が人骨を埋めていった。
驚愕、○○城跡からネアンデルタール人の化石                         か?

204 :
昔のお城なら「抜け道」があったかもね。

205 :
人骨はたしかに人骨だったようなきがします
近所の人を通じて警察が来ていたような気がします
戦国時代の武将のものなのか、最近死んだ人のものなのか
こういうところには何かがありそう
>>203
捏造では無いと思います 本当に人骨を埋めたらその方がすごいですけど
>>204
抜け道に何かが埋まってるでしょうか

206 :
>>205
抜け道に何かが埋まっているとすれば、若干の武器と当座の逃亡資金(黄金)
かな?本命は出口の先の山の中かもね。お城の周りの地形、地質なども改め
て観察されると面白いですね。抜け道の出口はどこかなど。

207 :
んー
仮に当時の武将等の人骨が出るってことは、手付かずの可能性もあるけど
穴から抜け出せなかった=その場でされた=敵が入ってきた の可能性もあるね。
そうすると逃亡資金もGETされちゃった可能性もある。
もしくは、抜け出す途中に負傷兵が息絶えた=他の者は脱出成功=逃亡資金持ち出しかもね
それと、地崩れ等がなければ、小学生が掘る程度で抜け穴が露出するとは思えないなぁ
場内に敵兵を埋めるとも思えないし、もののけの骨の可能性が高い

208 :
しかし、昔の古墳などで、風化により石室が地上に露出したりもしているから
絶対に掘れないとは言い切れない^^
地元の図書館や役所で地元の風土誌などを閲覧して、その城の時代や背景を調べてみるといいね。
お宝は黄金だけではなく、時代茶碗もお宝です^^

209 :
抜け道はトンネル状のものではなくて
山の裏側を抜く細い山道です
当時よく探検しました
途中に井戸がいくつかあってそこも発掘されていました
茶碗やなんかはかなり出てきたらしいですが、
それ以上は知らないです
人骨は間違いないと思うんですが、
一部分だけだったので獣の食い散らかした後かも
というと人骨でもなかったのかと思わなくも無いです
小動物サイズの骨ではなかったので大きな獣かな
昔のことなんであまり定かではありません
子供だったので大きく見えたというだけかもしれないですし

210 :
>>209
井戸は発掘されてましたか。井戸は地下につながる所ですからね。空井戸
だったんでしょうかね。

211 :
関連スレ
【四川大地震】旧日本陸軍のお宝か!? 崩れた山肌から大量の埋蔵金現る!★3 
http://etc7.2ch.net/test/read.cgi/infection/1193714138/

212 :
>>211
日本軍が四川省を占領できてたら戦争に勝てたわなw

213 :
>>212
昔こんな話聞いたことあります。もしも太平洋戦争に勝っていたら、あの広大
なアメリカ本土や連合軍の国々を支配統治するために、日本軍の男は世界中に
バラバラに派遣され、敗戦国を管理しなければならなかった・・

214 :
いやいや 枢軸国がまるで日独伊の3国だけと学校で習ったのが間違いで
ハンガリー王国・ルーマニア王国・独立スロバキア・クロアチア独立国
ブルガリア王国・タイ王国・フィンランド共和国・満州帝国
蒙古聯合自治政府・中華民国南京国民政府・ビルマ国・フィリピン第二共和国
自由インド仮政府・ベトナム帝国・カンボジア王国・ラオス王国・ギリシャ国
ピンドス公国・マケドニア公国・イタリア社会共和国(イタリアとは違う)
セルビア救済国・フランス国(ヴィシーフランス)・ロシア諸民族解放委員会
自治政府もいれて23カ国+日独伊で、なんと26カ国が枢軸国
そのほか、イラク・アルゼンチンも枢軸国に好意をもっていた。
なので、ヨーロッパ・中東・アメリカはドイツ・イタリアが実行支配
アジア・オセアニアは日本ほかが実行支配かな。
武官として各国に派遣されるだろうと思うけど、日本兵が派兵して実行支配をする必要はないと思う。
それ以前に日中戦争体験者に話を聞いたことがある。
「あれだけ広い中国と戦争して、どこまで攻めに行く気だったんですか?」
「地図の上では、近かったんだけどね・・・実際は広かった」
との回答を頂いたことを忘れませんねw

215 :

まあその中には実際には傀儡国家やらも多いですからね。
とはいえ同盟国側にも主要同盟国の傀儡みたいなのがけっこう含まれてるのでお相子かもしれませんけど。
それに、敵の敵は味方というような理由でどちらかにひいきなのはいつの時代も当然でしょうからね。

216 :
流れで書くが・・・
国際連合憲章第53条、第107条では、第二次世界大戦中に連合国の敵国であった国が憲章に違反する行動を起こした場合、
国際連合加盟国は国連決議に拘束されることがなく単独でも無条件に、当該国に対して軍事的制裁を課すことが認められるとしている。
この連合国の敵とされているのは、国名は明記されていないが
日本(大日本帝国)、ドイツ(ナチス・ドイツ)、イタリア(イタリア王国)、ハンガリー、ブルガリア、フィンランド
ということになっている。
傀儡政権等やタイ国のように日本の軍事力の強迫に屈したと主張する国も枢軸国だったが、明確な枢軸国としての枢軸国はこの6カ国だろう。
日本が国連常任理事国になりたがっているのは、この条項から外れたいからである。
「分担金を多く払ってるから常任理事国に入れさせろ」ではない。
特に「国際連合加盟国は国連決議に拘束されることがなく単独でも無条件に、当該国に対して軍事的制裁を課すことが認められるとしている。」
の部分が脅威で、常任理事国の中国の存在をかなり意識している。
っていうか、インディージョーンズ ジパングの黄金 まだー?

217 :
黄金追跡 水野智之著
実録埋蔵金35兆円の謎 水野智之著
 ゲットしました。

218 :
その本、おかしなところが結構あるでしょ?

219 :
>>218
おかしなところだらけですが、前から読みたかった本ですから。
まだ全部読んでませんけど。

220 :
水野さんの本って、わざとなのか本当に知らないのか分かりませんけど
肝心なところがおかしいんですよね。 おかしいやらガッカリするやら。

221 :
まあ、大体このての本は読む方も読む方ですから。

222 :
DVD「あたえられるか否か」ー徳川埋蔵金120年目の挑戦ー水野智之他
は期待外れの内容だったけれど、一つ分ったことは、水野さんは東北地方の
ある人物(DVDにも登場)を心底信用していて、それはいいとして、水野
さん自身は自分自身どこを掘ったらいいか皆目分らない、出口の無いジャン
グルに迷い込んでどうしたらよいか分らないでいる人のように思えましたね。
水野さんには難しいみたいなので、誰か「新しい発想」を!

223 :
もお、そろそろ研究を公表しようかと。
まず、水野さんにぶつけてみようかと。
そのあとホームページでも作ろうかと思っておりますが。

224 :
ぜひ頑張ってください。 HPできたら教えてね。

225 :
しょうもないものがでてますな。
ttp://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/113288677

226 :
>>225
どこかで見たことがある写真だと思ったら、以前にテレビでやってた
山下財宝の詐欺グループの写真だった。
まだこんなことしてる連中がいるんだなー。 あきれたもんだ。

227 :
my 雑巾

228 :
やぁやぁ

229 :
山下財宝ってフィリピンのどこかにはまだあるの?

230 :
もともとどこにも存在しない。

231 :
>>229
やぁ武田さん
以前にも書いたけど、山下は南方を転戦したわけじゃないから集められない。
彼は、フィリピン戦直前に満州からきたからね
日本軍の物資や現地で使う通貨を山下財宝ってひとくくりにしているだけですよ。
軍の物資や現地で使う通過(金銀、軍票など)は、多少あるかと
なぜなら、丸裸で戦うわけにはいきませんからねぇ

232 :
残念ながら少量あった貴金属等の現物は使用したり現地人に発見されたりで
残っていない。  通常は軍票(これは無価値)や略奪で手当てしていた。

233 :
>>231
やぁ165さん
山下大将は分が悪い時に南方に行くよう命令され、それでも連戦連勝してアメリカ軍から
恐れられた、と何かで見ました。時のアメリカ軍の指揮官がマッカーサーで、負けたこと
痛くプライドを傷つけられ山下を絞首刑にすることに執着したとか。
それはさておき、以前テレビで見た、旧日本軍兵士の実体験話が現実味があったので
皆さんの考えを聞きたかったのです。たしか、敗色濃く撤退の途中、バギオ辺りで財宝を
持って逃げ切れなくなって洞窟に隠し、入口を爆破して敗走したというものです。

234 :
>>233
その元兵士は山下財宝をビジネスにしてる人たちらしいですよ。
話が荒唐無稽なので冷静に聞けば作り話と分かるんですけどね。

235 :
なるほど。

236 :
埋蔵計画(赤城本命版)
@埋蔵の動機
 欧米列強の海軍力への恐怖から、軍用金を内陸部に移動する必要があったが、
 明治維新の勃発により、急遽その性格を変えた。
A埋蔵の準備
 恐らく明治維新の数年前には計画が作成され、場所の選定、測量、偽装工作
 が行われた。
B埋蔵方法
 八門遁甲と当時の最先端の測量術、土木技術を使用して埋蔵された。
C埋蔵場所
 赤城西麓

237 :
>>236
いょ!赤城本命さん!いよいよですね!待ってました!
うーむ、赤城西麓ですか。

238 :
赤城西麓?

239 :
おw 何げなく書いたが
武田さんと同じ点だったw
赤城西麓かー

240 :
運搬、その他あらゆゆる条件を考慮して最適地を選んだ。
・・・典型的な「計画埋蔵」ですね!

241 :
埋蔵金ではないが近所の山を散策したらエロ本の山を発掘した

242 :
@の理由は欧米列強の海軍力と上陸作戦を考えた場合、江戸城はあまり
 にも海岸線に近いってことなんですよ。そうこうするうちに鳥羽伏見の
 戦いにより敗戦するという状況から当時江戸城にあった金を赤城に運んだ
 と推測しているわけです。
Aは前橋藩士を名乗る武士団が開墾と称して赤城に現れるのだけど、前橋城って
 1863年から再興をはじめて1866年に再建されるのだけど、利根川の水運の要の
 位置にあるわけです。それと亀のタタキなどはすぐに作れるものじゃないしね。
Bの八門遁甲説には批判も多いと思うけれど、これまでの研究からみると八門
 遁甲としか思えないいくつかの結果がでていますから。それと場所を確定する
 方法として測量および簡単な数学の知識が必要でして、これが本当によく出来て
 いるんです。
C私は名前のとおり赤城本命です。これは徳川埋蔵金が赤城の伝説から発生したと
 考えるからです。小栗伝説とかあるいは猿ヶ京説とかはあくまでも水野家の
 発掘から派生した説にしか過ぎないと考えます。
 また双永寺の銅板も基本的には信じています。これは解読、研究からきた
 経験的なものからですが。近い将来、すべて明らかにするつもりです。

243 :
季節もいいし掘るかーーー

244 :
ピンポイントまで特定できるかどうかですね。
一定のエリアまでしか絞り込めない場合は、レーダーその他科学の力を
借りるほかないでしょうね。
そっから先は人海戦術。お呼びがあればシャベル持って駆けつけますよ!

245 :
て、赤城本命さんのお話は、終了しちゃったのかな?;;

246 :
全部書いてもいいんだけど、なかなか決心がつかないねえ。
そうそう、以前165さんが亀のところで見つかった石のこと
書いてたけど、黄金追跡の中にありましたね。

247 :
朱書きの凡字が書いてある石のことですか?
黄金追跡に書いてあったっけかな?
埋蔵金関係は、一通り読んだのでどこに書いてあったかは、すでに定かではw

248 :
自説を確かめるには、埋蔵場所を公開して他の人に掘ってもらうか
秘密にする代わりに自分で掘るしか方法がないのでは?

249 :
書籍等を読んで
水野氏の著書は、断定(確信)的に書かれていましたね。
まぁ掘ってる本人ですから、自信をもって書いてあると思います。
畠山氏とかのは、あくまでも民話をまとめたもので、記録の集大成って感じです。
ですから、水野氏の著書と違い、断定(確信)的に書かれているわけではなく、想像も加えてあるところが多い気がします。
八重野氏のは、畠山氏に追随?影響?しているところも多いですが、トレジャーハンターとしての読みどころもあります。
あとは、言うに及ばず・・・いつの間にか心霊的になったり、空想になっていきます。
糸井氏の埋蔵金発掘ビデオをみると
かなり胡散臭いと思いながら、掘り進んでることがわかります。
水野氏が実物と思われる兵法書を映像で見せたりしているのと、
糸井が石の蓋(壁)かも!っていっている場面は、「あーなるほどそう見えるね」って参考になります。
晩酌でもしながら見ると楽しいです。
しかし、その番組の中でも兵法書の存在意味が不明確で、番組中、水野氏は埋蔵金の在り処を示すと主張していますが、
兵法書の部分的な解釈は皆無です。(実物と思われる兵法書が番組で出てきます。)
しかし、赤城本命さんの主張のように八門遁甲が使用されているならば、
八門遁甲=兵法(陣構え)なので、何らかの関連があると思います。

250 :
猿飛佐助じゃないけれど、水遁の術、火遁の術・・遁甲とは人の目を欺いて
己の身を隠す忍法に通じているのでは?つまり、人の目を欺いて身(お宝)
を隠す。八門の意味が解りませんけれど・・方角かな?

251 :
八門遁甲の八門とは、(休門、生門、傷門、杜門、景門、死門、驚門、開門)をさします。
その使い方は、かなり混沌としています。
八門遁甲を霊夢でみて編み出したといわれる中国の黄帝は、
指南車といわれる物(常に南を指差す車)を作り、方位を選んで敵と戦いました。
その後、八門遁甲の術を使って勝利したのは、有名な太公望。
ここまでは、黄帝同様に方位だったのかもしれません。
しかし、有名な諸葛孔明は、陣にしています。
八陣図は、高く突起物のように土を盛り上げたもので、印(しるし)のように赤い石を頂上に埋め込んである。
四つの門が二股に分かれ、六十四の突起が、八列八個に並ぶ。二つに分かれた陣は向かい合い、その全体の周囲は四百七十二歩。
突起は六十四が二つで百二十八ある。
日本に入ってきたときは、兵法でした。
日本に入ってきたのは意外に古く、西暦602年です。(日本書紀)
天武天皇が、八門遁甲の「術」を使って、
「彼は呪術的な法力をもつ天文遁甲の術を用いるといわれ、反乱軍であるにもかかわらず兵を思うがままにあやつって、神と畏れられた。
この乱によって弘文天皇(大友皇子)は自に追いこまれた。
そして翌673年2月27日、彼は飛鳥の浄御原(きよみはら)宮に即位式をあげて天武天皇となった。」と、パクリですがあります。
しかし、隋では604年までに発禁。日本でも757年ぐらいに禁止になってます。
方位から陣形になり方位に戻ってるわけです。

252 :
諸葛孔明の陣形を考えた場合、八門遁甲に当てはまるとおもわれるものは、
方円の陣(大将を中心として円を描くように兵で囲む陣形。全方位からの敵の奇襲に対処できる防御的な陣形。移動には適しておらず迎え撃つ形となる)
車掛の陣(大将を中心に、その周囲を各部隊が円陣を組み、まるで車輪が回転するかのように入れ代わり立ち代わり各部隊が攻めては退く)
しかし、三国志で陸遜が、無人の陣に死門から入り込んで迷ってしまったことから考えると、完全に妖術になってしまってますねw
この流れをみると、日本における八門遁甲とは、方位学より兵法と考えています。
幕府は、兵法として研究等をするのを禁止していますし。。
「八陣図(諸葛孔明の)は、高く突起物のように土を盛り上げたもので、印(しるし)のように赤い石を頂上に埋め込んである。」
とうのもかなり魅力がありますね。
そこで、やはり水野さんがもっている児玉の兵法書が、埋蔵金のヒントとして?児玉からもらったわけですから?
この陣形を作るに当たってのなんらかの手がかりのような気がします。
「四つの門が二股に分かれ、六十四の突起が、八列八個に並ぶ。二つに分かれた陣は向かい合い、その全体の周囲は四百七十二歩。」
「突起は六十四が二つで百二十八ある」
赤城本命さんは、この本来兵法書により構成する陣形を独学(測量および簡単な数学の知識)で導きだしたのかもしれません。
なので、私は基本的に八門遁甲は方位学(易学)ではなく、もっと単純なものだと考えています。
まぁ方位学(易学)では、中心点から北西が大吉ですね。

253 :
165さん有難うございます。天皇家の儀式に今でも人に見せない儀式がある
とか。中国から伝わった秘法やそれについて書かれた書類があり、宮内庁の
書類保存係(部署名は忘れました)で厳重に保管されているようです。
武田流兵法についての古文書をチョッとだけ見たことがありますが、敵が攻めて来る所に人の
死体を掲げ、(敵の戦意を喪失させ)両側を槍を構えた兵士を配置して突き崩すという
ものでした。こちらは遁甲や埋蔵金とは関係無さそうでした。一点気になるのは、
人間の深層心理を読むことです。埋蔵金がトレジャーハンターに見つけられなくて偶然に
発見されるのは、人間の心理の逆を行く方法で埋蔵しているからかもしれませんね。

254 :
>>165さん
本当にいろいろご存知だなあ。
八門遁甲による埋蔵法で埋められているのですから、
軍事より方位学のほうが濃厚と思われます。
それと遁甲は式占ですから、周易(八卦)を中心に考えると間違うかも?
>>武田の秘宝さん
場所はピンポイントで確定できますよ。
測量と簡単な数学とはそういう意味ですから。
赤城は平埋めです。自然の洞窟とか使用したものではありません。
赤城流八門遁甲埋蔵法は決してオカルト的なものではありません。
方位学と天文学と測量と数学を駆使したものですから。

255 :
>>254
科学的にピンポイントが推定できるなら、素晴らしいことです。
私もオカルトはあまり好きではありません。某テレビ局が入って結城をやろう
としているそうですが、霊能師が出演するらしいのでチョッと胡散臭い・・

256 :

自然の洞窟とかの方が発見は早いよねw
平埋めでも土をかぶせただけじゃないから、意外とやっかいかな?
こうしている間にまた1年経っちゃうから、着手しませんか?w

257 :
>>256
その通り!早々に計画たてて実行すべきです!人生、長いようで使える
時間は余りありません!
赤城本命さん、165さんと組んでやられては?きっとうまく行くよ!

258 :
>>255
もし八門遁甲などを利用して系統的な埋蔵をされていると仮定すれば
実際に掘ったときにピンポイントで掘り出せないような解読法は
誤りだと言えると思います。
大埋宝なら埋蔵者は必要なときには直ぐに代理のものでも掘り出せるように
してるはずですからね。
ですから、自説を確認するために掘るのであれば、あまり大した仕事は
しなくて済むでしょう。 誤差を考えて、推定埋蔵地点から三次元方向に
半径数メートル以内を掘って見て出なければ止めればよろしい。
その範囲でカスらなければハズレです。
小型のユンボでも持ち込めるところなら数日でかたが付きますよ。
ところで、結城はとっくに出てしまってるんですよね。

259 :
>>258
結城の話をもう少し詳しく…

260 :
>>259
結城は確か畠山さんも書いてると思ったけど、江戸時代に百姓が
偶然発見してお上に届けたと有った。
別のルートでも調べてる人から、そんな話を聞いたよ。
実際、それ以降は幕府の方も大々的な発掘はしてないんじゃなかったっけ?

261 :
>>260
よく分らないのは、吉田村の古井戸から発見済みのはずなのに、明治以降、
何人もの人が結城城の近くとか元吉田とか、チャレンジしていることです。
当然、未発掘という前提で行動したことになります。

262 :
情報が今みたいに行き渡ってなかったんだと思いますね。
ガセネタを売り歩いている連中がいますから、引っ掛かったんでしょう。

263 :
えー ほろうよー

264 :
エーラインって知ってる?
この方法で埋蔵金どころか未発掘の金山や資源鉱物を見つける事ができるよ!

265 :
エーラインってどんなものですか?
金山や資源鉱物の探査にはマクロの機械が必要だと思うし、埋蔵金はピンポイント
を特定しなければなりません。

266 :
日本にはその昔、金山を見つけだす専門の職人が存在したと言われています。
所詮人が発見した技法ということもあり、
日本全国地図上で金銀銅やその他の鉱山を調べると面白いことがわかります。
鉱山と鉱山を線で結んでみると、綺麗な正三角形になるということと、その場所が心霊スポットだったりします。
そこでポイントを絞り込むのですが昔の人は寺や神社を鉱山に建設する習慣がありました。
目をつけるのは鉱山ではなく今では跡形も無い寺や神社に目をつけます。
私は金で出来た仏像を掘り当てた人を知っています。しかし、この方法は埋蔵金では無く普通の宝探しです。
スレ違いだったらすみません。

267 :
んースレ違いでは無いんだけど、レイラインの間違えですね^^;
よく、ミステリースポットなどに登場します。
恐山からどこどこを結んだ線上の奇怪な・・などという形で登場します。
わざと正三角形になるように線を結んだり、どうでもいいような神社まで枠組みに入れてしまう傾向がありますよね(汗
変な話ですが、正三角形にならなければ・・・
直線で結ばれている!五角形を描く!星型!などなど、後付部分がおおいです。
など色々線を引いた上で、そこから浮かび上がる図形を言っているだけなのです。
またかなり広範囲の日本地図で線を引く(線上に並ぶように拡大していく)もんですから、線に沿っているように見えますが
1/25000ぐらい細かくすると、線から10kmも20kmも離れてたりします。
人工衛星の無い時代に10km20kmは、致命的です。
個人的には、そういうのも大好きです^^
基本的には方位は重要ですから、鬼門の方向だったり、日の出、日の入りの方向、
夏至や冬至の〜なんてのが関係してきます。
また、基点(城や山、古墳など)から方位にしたがって作ったりしますので、必然的に並んでしまう場合が多いですね。
埋蔵金と宝探しは同じですが、宝探しをもう少し考えると違いがでてきます。
埋蔵金:徳川・秀吉の埋蔵金、キャプテンキッドの宝など行為的に隠された宝
宝探し:沈没船など事故・事件・不注意などでなくなってしまった宝
琥珀の間とかは、宝探しになるのかなぁ?

268 :
http://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/113288677
これはマジかいな

269 :
詐欺ですな。 例のブログのやつでしょ。

270 :
              ,. -─────────‐- .、
             // ̄ ̄\      / ̄ ̄\\
           /                     \
          /        ::::::::::::::::::::::::::::::::       \
        /   / / ̄\\::::;;;;;;;;;;;;;;;;;:::::// ̄\\  \
       /    |  |. ┃ .| | ::::;;;;;;;;;;;;;::::| |. ┃ .| |    \                     
     /      \ \_// :::::::::::::::::: \\_//      \   
    /     ../ ̄ ̄\ /   ::|::   \ / ̄ ̄\..     \  
   /         :::::      |      |      |       :::::      ヽ.   
  |               |      |      |              |.
  |               \__/\__/               |                 
  |                |       |               |  赤城さん元気ですか!?
  |                |r─‐┬──、|                |
  ヽ                |/   |    |              /
    \              \      /             /
     \               ̄ ̄ ̄ ̄             /

271 :
結構見てる人いるみたい。

272 :
あのブログ書いてる奴、掘ってないのが見え見えで面白い。
あそこに出てくる地図とか写真も、その手の典型的なものだから
笑っちゃう。 いろいろと寄せ集めたもんだ。

273 :
>>267さん細かい説明ありがとうございます。 レイラインの間違いでした。
結城氏の埋蔵金話を楽しく拝見してました。
私は小山市にある神社や寺に興味があり色々調べているうちに結城氏と小川氏に親戚以上の
深い繋がりがあるような気がして仕方ありません。
小川氏の本城は鷲城、支城が祗園城、近くには結城氏の結城城があります。
仲が良かった二人ですが、結城氏は北条氏と上杉氏の間を行ったり来たりしているうちに、
小山氏とは険悪な関係になってしまいます。
結城氏と小山氏がゲイで恋人同士だったらどうなんでしょうか?
二人で宝を管理するってことはありますか?
というのは、
本城跡(鷲城)の北東?側に神明町、天神町、神山、という地名の近くに持宝寺という寺があります。
神の名を持つ地名に守られている寺ですが、宝が地中深く埋められている可能性ってどうなんでしょう?

274 :
何か埋めたという資料でも有るんでしょうか?
普通に考えたら、宝を密かに埋めたところに宝の字を
付けたりしないでしょう。 
うぞうむぞうにめったやたらに掘り返されてしまいますから。
そうなったら例えその時に発見されなくても後から掘る人は
やりにくくなってしまいます。
お寺には宝の字が付くところは方々にあります。
いわゆる仏教の三宝を云っているのでしょうね。

275 :
「歴史の闇から蘇る」は、連載当初から読んでいました。コメントをしたこともありますw
読んでいても一向に出てこない。。
まぁ出てこないのは、どこも一緒なので気にしていませんが・・。
気に食わないのは、掘って行く過程で出てくる物とかですね。
サインだとか・・トラップだとか・・まぁひとのことは言えませんが。。
>>273さん
私は、結城に関してはわかりません。
以前、結城の鬼さんって人が、いろいろ研究発表していましたね。
そのときは、神社にはふれてませんでした。

276 :
>>131 >>140 >>142 >>143 >>145 を、よ〜く理解し勉強すること。
おのずと答えは見えてきます。
あなた方に対する批判ではありませんが、「今だ」答えが見えていないと言うより
答えの出し方すら分かっていないようなので、ここで重大な答えを一つ教えておきます。
あなた方が解析できていない赤城の秘文には埋蔵量が書かれており、解析すると
その量は「三百○拾○万両」となっています。
これを信じるかは、あなた方の自由ですが、あなた方はこの解析すらできていない。
従って、あなた方は「すっかり」遁甲の秘術にハマっています。
※この板で公表することは出来ないが、その量になる解析根拠は確実に持っています。
赤城本命さん、難しく考えすぎです。但し解析は簡単でもないですが…

277 :
>>276さん
 大儀兵法秘図書はすこししか公表されていませんが、一部分だけどうしても
 遁甲に通じるところがあって、関係しているとしか思えないのです。
 秘密の暴露というか関係者にしかわからないことが書いてあります。

278 :
なんか・・・
すでに世に出てる銅版などじゃ「あーまたかー」って言われるし、
「銅版等じゃ見つからない」ってのが主流だし
一部しか公開されていない大儀兵法秘図書に切り替えたって感じがするのはおれだけ?

279 :
○赤城本命さん、貴方に限らず遁甲が関係あると言っている
 そのこと自体が遁甲にはまっていると言っているのですょ。
○165さん、申し訳ありませんが銅板等は初めから眼中に無しです。
今までこの板を見てきてのあなた方に対する感想は、
私が答えを言う以外、多分いくら言っても無理だと思います。
(決して非難はしていません。)
これ以上この板に赤城の事を書き込むと叱られますので終わります。
しかし事実は事実です。ご了承ください。
あなた方の今までの推理は横に置き
机上の推理も含み動く事です。(答えは出てきます)

280 :
いや だからさww
詐欺のよくある手口でw
あれはダメだったが、これは大丈夫!っていうのと酷似してるんだよねw
少ししかわかっていない大儀兵法秘図書に目を付けて
今までの銅版や発掘された物証とはまったく違うものです!
今度のコレは本物!
とか、
今までいろんな○○を使って効果が得られず諦めていた方に朗報です!
○○は成分2倍!効き目が違います!
しかもさらにお安くなりました!
みたいなさw
それで金を出させる。まったく手法は同じw
それでいて、たぶんあなたに大儀兵法秘図書の全文を見たのか?とか、
差し支えない部分の解釈等を紹介してくれ(以前にもいいましたよね?)となると
教えられないとか、自分でって回答w
そんなのね。誰だっていえるんですよ。
私や赤城さんの論と、あなたの言っている論の相違点すら具体的に言っていない。
評論家にすらなれていないのですよw
例のオークションの詐欺集団の関係者ですか?ww
せいぜいがんばってくださいw

281 :
恐れ入りました! 永久に、この板より退散致します。

282 :
>>273
結城氏と小山氏は深い関係にあり、頼朝が自分の名の一字を与え、小山七郎朝光
と名乗らせた人物が後に初代の結城氏となりました。結城晴朝が隠居して暮らした
と言われる中久喜城は現在の小山市です。結城氏の埋蔵金があるとした場合、
その場所は現在の結城市内だけでなく、小山市や筑西市も探索エリアに含めるべき
だと思います。

283 :
>>282 273です。
私は寺や神社に供養され、封印されている刀に興味があり、結城氏や小山氏の埋蔵金にたどりつきました。
大昔の書物には現在存在しない寺院の名が数々でてきますが、
その消えたとされる滅びた寺院を探すのが現在では困難で、探す方法としてレイライン(名前を間違えて覚えてました)の話題を振らせていただきました。
というのは、埋蔵金の調査にポイントを絞った場合、当時公家に近い存在だった両名ですが、寺や神社が小山市には普通より多く存在することに着目しました。
寺や神社では取り決めとして何百年に一度しか開放されないという倉や堂が存在します。
中久喜城〜小山城の間に寺院の密集地があるということで、何でだろう?と疑問がでてきます。
北条氏が何度も結城城を落としたい為、小山氏の支城である小山城を攻めていますが本当に欲しかったのは小山城だったら…、
この小山城が落ちる直前で誰かが必ず戦を話し合いで止めているんですよね。
敵が攻めてくると考えられる近くにある川を使って本城に逃げる考えは敵の裏をかくダミーで、
結城城や中久喜城側にある寺院が逃走場所になっていたとしたら、
戦国武将に多かったとされるゲイの人間関係を模索すると上杉謙信を尊敬していた結城氏は小山氏とも深い関係にあり、
上杉氏が結城氏の近くまで来ると北条氏は小山氏結城氏両名には手を出せないんですよね。
重要なものを城では無く協同で建設した寺や神社が管理していたとしたら、
神社や寺院は城の近くの西や北西に建設するケースが多いのに本城から寺院密集地は普通より離れている点、
過去の捜査の手がかりの情報が大雑把でどうかわかりませんが寺や神社まで調べたという細かい形跡が無いこと、
神聖な地だからという理由で埋蔵金調査が寺院や神社にまで手が及んでいなかった場合、探索してみたいものですねW
可能性は薄いですけど、
住職や神主に知り合いがいたら、保管している書物を色々読んでみたいものです。

284 :
>>273さん 結城を名乗っていただいてw
結城のお宝は、まったく知識がないんですが。
長文を拝見して、地図好きなので見てみました。
寺院が結城に密集しているのは、城下町なので納得です。
小山城近辺については、街道に面し(現在の旧国道4号線)、さらに河川交通の要所である思川(旧利根川支流)があるため発展したと思われます。
中久喜城近辺は、現在の県道264号線が、小山と結城を結ぶ旧街道と思われます。
そのため中久喜城周辺も寺院が多いかと・・・。
寺院は、埋蔵するには格好の場所だとは思っていますが、逃走経路に使用するのは困難かと思います。
本能寺を見ても見てもわかりますが、不意打ちだったとは言えど、篭城には不向きで脱出不可能です。
由比正雪の幕府転覆資金が、湯島天神に・・など、寺院での土木工作は容易かと思います。

285 :
>>283
埋蔵金を調査するんでしたら、かなり確実な資料をつかんでからで
良いと思いますよ。 
具体的に掘るとなれば町名が分かった程度では不可能ですし、
どこそこの井戸の周辺とかいった絞込みが必要ですから。
今までに私が埋蔵金がらみで見た資料は、まず作り物でしたね。
少なくとも三大埋蔵金と言われるものは絶望的と思います。
小さい埋宝は、ひょっとすると偶然に出くわすかも知れません。
ある程度大きいものを狙うならば海外が良いですよ。
それも資料が残っている可能性が高い比較的近世のものです。
何年か前にも大西洋の深海から日本の潜水艦に積んだ金塊が
大量に発見されましたが、あれも公文書から探査したものです。

286 :
>>285
何言ってんだ君は。
イ52は調査の結果積載物のほとんどは錫だったじゃないか。
そんなことも知らない君のくなど聞くに耐えない。

287 :
>>286
表にはそんな発表してるんですか? 引き上げできなかったとか。
まあ、積載量が費用には見合うかどうか厳しいところだったようですから
誤魔化した事情も分かりますけど。

288 :
>>285
潜水艦イ52号の事かな?
引き揚げられたけど 残念ながら金塊なんか積んでいなかった事になってるけどねw
ニュースでもやっていましたよ。
  ァ  ∧_∧ ァ,、
 ,、'` ( ´∀`) ,、'`
  '`  ( ⊃ ⊂)  '`
cf. NHKスペシャル 消えた潜水艦イ52号 1997年3月2日

289 :
>>288
沈潜の引き揚げなんか考える連中だけに流石海千山千ですね。
あのNHKの番組見てましたが尻切れトンボだったような。
全部錫だったなんてね、よく言いますこと。
沈められるまでに途中で誰が抜いたんですかな。
まさかその金塊が山下財宝になったなんて言わないでしょうね。

290 :
>>284 165さん
>>273です。
寺から埋蔵金が偶然発見されたという事例が過去にあったみたいですね。
逃走経路やゲイに関しては裏付けも何も無い私の妄想ですが、
埋蔵金の発掘は埋蔵金とは全く関係の無い文献からアプローチした方が発見の確立が高いかも知れませんね。
寺院に保管されている資料を見てみたいです。
結城城に拘らずに全国どこでも良いので住職さんが保管している古い資料があれば、ここで紹介して欲しいですね。
誰かいませんかね?
>>285さん
海外は中国の話を良く耳にします。
中国は歴史に関してはしっかり記憶している国という事もあり、
泥の中に沢山の船が沈んでいる情報を役人が持っているそうです。
役人に知り合いがいればいいのですが、残念ながら親しい友人がいません。
わからないこともわかると言ってみたり、大丈夫じゃないものを大丈夫と言ってみたり、
習慣の違いというのでしょうか…、まだ人間的にも成長が必要な国なので今後に期待したいです。
中国以外でも車やバイクのレースで地元の人からそれらしい話は聞けるみたいですね。
しかし、見つけたとしても海外の場合、対 大統領との話にまで発展する可能性があり、
我々、日本人が見つけたとしても、海外の場合、全部持って行かれてしまうというケースに発展しそうですね。


291 :
>>289
大体が支払いのために30tの金魂なんぞ潜水艦で運ぶなんて思えない。
ドイツが欲しかったのは軍需物資なんだから。

292 :
盛り上がってきましたね〜
イ52の金塊2tの話まできましたかw いいですねー軍事好きには言い話です^^
当時の潜水艦用の九五式酸素魚雷は約1.7tで、それを19本積めました。計32.3tね。
ちなみに
伊52号の艦長は、宇野亀雄中佐
1944年3月10日呉発。21日シンガポール着。23日シンガポール発ロリアンに向かった。
6月23日大西洋で独潜U-530と会同。電探逆探装置取付。24日米護衛空母Bougueの艦載機により、ヴェルデ岬西方で撃沈された。
と、なっていますので、間隙をぬって途中浮上し充電等したでしょうが、途中で金塊を抜くことは不可能かと思います。
シンガポールで金塊を抜かれて・・・みたいなのがありますが、
シンガポールはフィリピンじゃないですし、山下大将はシンガポールからフィリピンに転戦したわけじゃないので、山下財宝にはなりませんね。
ただし、金塊は最初からなかったとは言い切れず、積荷としてあった可能性もあります。

293 :
え?30t?

294 :
潜水艦の話題なんてやめようよ、軍事板でやっておくれよん

295 :
>>291
30tではなくて30億円の間違いでは? 記録では2tになってるようです。
金相場が騰がっているので今ではもっと高いです。
金は貴重な軍需品ですよ。 工業原料としてかけがえが無い。
銀だと溶けているかも知れませんが、金は大丈夫です。  
もちろん換金性も高いので白金同様に欲しがっていたはずです。 
なによりも、米国の公文書のリストに記載があることと、
日本側のメモにも残っているとのことなので、確実視しています。
>>292
山下財宝は冗談ですが、こういう方向に話を持っていくのが詐欺師なんです。
落ち着いて考えればナンセンスなんですけど、対面で「貴方は特別です」
なんて言われると意外と引っ掛かるんですね。
>>290
中国系の人は金が好きですからね。 方々に埋まっているでしょう。
ものは考えようだと思うんですよ。 中国の役人は賄賂を要求します。
ということは、金を払えば大抵のことは通るということです。
TVの報道の人たちも取材前には現地の役人には払うそうですから。
その辺を利用すると日本などより仕事はやり易いのでは?

296 :
書いてて思い出したんですが、レンヌ・ル・シャトーは進展してるんですかね。
あっちは赤城山みたいな状況なんでしょうか。

297 :
レンヌ・ル・シャトーって何ですか?

298 :
フランスの田舎ですが埋蔵金の話が伝わっている村です。
ネットにも取り上げたサイトがあります。
何年か前に教育TVでも海外制作の番組が流れましたよ。

299 :
>>298
有難うございます。フランス語っぽいと思いましたが全く知らなかった
もんですから。フランスまでは行けないなぁ〜。

300 :
埋蔵が確実なのは上の潜水艦みたいに圧倒的に外国モノが多いですね。
今でもチョロチョロと発見された報告が入りますし。
国内でまとまった金額が確かに埋蔵されているのは帰雲城くらいですか。
場所の確定がまだなのと、恐らくはかなりの厚さの土砂をどける覚悟が
要りますね。

301 :
>>300
潜水艦や船(事故の事実を含む)が、事実だからね。
積荷リストや交易の証拠もある。歴史の記録もはっきりしてる。
確かに埋蔵されているとはいうが、城自体がどこにあるのかすらわからない帰雲城
まさに「あるとしか言えない」
徳川・佐々成政・豊臣秀吉・結城晴朝の埋蔵金。山下・キャプテン・キッド・テンプル騎士団の財宝

302 :
昔、25年以上も前でしょうか、帰雲城のあたりには行ったことがあるんですよ。
まだ地元の自治体による調査もされていないころだと思います。
そのときは埋蔵金の話は知らなかったもので、単に城への興味しかなかった
のですがね。
現地で見ますと、大体2箇所に絞られるようです。
範囲としては各々1km×500mくらいでしょうか。
平面的には大して広いとは思えなかったですが、深さですね、問題は。
やたらに掘るとTBSのを何回か繰り返すことになります。

303 :
帰雲城を掘る場合は、河川管理者の国か県に掘削許可を取るんでしょうね?
ところで、秀吉の埋蔵金は多田銀山ということになっていますが、秀吉の子孫
が九州へ密かに落ち延びたという説を唱える人がいるらしい。仮にこれが本当
なら、秀吉の遺金は少なくともその一部は九州にあると考えられますが、これ
についてご意見を。

304 :
>>303
それは、どっかの本で書いてあったな。
多田銀山を掘ってる人かな? んー 畠山さんかも

305 :
帰雲城の推定される場所は河川の直ぐ近くと谷あいの場所ですから
国交省の管轄で、おそらくは地元の埋蔵文化財に指定されてるんじゃないか
と思いますので、自治体の許可も必要でしょうね。
秀頼が九州に逃げたというのは畠山さんも書いています。
大分の寺で一生を終えたということでしたっけ?
その子も日出あたりで分家を与えられたとか。
なんだか木下とかいう家名が出てきて因縁を感じましたね。
別に調べてみましたら、鹿児島のあたりでは結構信じられているので
驚きました。 一旦は薩摩でかくまわれていたという話です。
地元の名士が書いた文書にも載ってましたよ。
私は結構有りうる話じゃないかなと思っています。
というのは、秀頼は太閤には体つきからして全然似ていないことから
太閤の子ではないことが幕府にも分かっており、彼が変に動かなければ
徳川も黙認していたのではと思うからです。
肝心の太閤の埋蔵金ですが、これは有っても大したものではないでしょう。
すでにかなりの部分は消費しており、一部は九州に送ったとも
考えますけれども、秀頼の死とともに、現地で世話になった家々に
分配されたのではないでしょうか。

306 :
>>305
九州にあったとしても小額で分配されてしまいましたか。
関連があるかも知れない話を書きます。
ある方が何十年前にアメリカの知人宅を訪れた時、幼少だったのであまり気にも
留めなかったが、部屋の額縁に大判金が十数枚飾ってあったそうです。その家の
主は医師で東京か横浜からアメリカへ移住したそうです。何だか医学界ではかなり
有名な方で独自の研究論文で有名な博士だったそうです。
私の興味はここから先の話です。その家の名前は「○○藤吉郎」と同じ「○○」さんであること、
そしてこの「○○」さんがもともとは九州の出身者だったというのです。面白いではありませんか。

307 :
YouTubeで、埋蔵金と検索かければ、結構でてきますよ。

308 :
この日光の動画はTVのをそのままですよね。 著作権はOKなんですかね。

309 :
>>308
気にすることないんじゃないw

310 :
いやあ。つい先日も権利者からかなりの額を請求された人がいましてね。
他人事ながら心配になりました。

311 :
おれも某大手航空会社から訴えられそうになったことあるw
即効削除で事なきを得たw

312 :
早く掘らないと、また冬が来るよー

313 :
もう日が短くなってるよー
梅雨も明けたよー
早く掘ろー

314 :
山の中で掘るんなら秋とか冬の方が良いかも知れないですよ。
中途半端に標高が低いと蛇は出るは虫はいるはで結構大変。
草が枯れ始めてからでも遅くはないのでは?
日が短くても日の出から始めて早めに上がるようにする。
普段、肉体労働してない人には一日数時間しかもたないですし。

315 :
>>314さん
「体験者は語る」ですね。藪蚊も困りますね。段取り次第で1日で2日分の
仕事ができますよね。
ところで、いつ赤城に集合するの?

316 :
ぼー

317 :
>>315
いま掘ってるのは埋蔵金じゃないんですけど、8月は穴掘りは
やめた方がいいですね。 ま、涼しい高原なら別ですが。
このところ、木を切ったり草を刈ったり力仕事してますけど
1時間やっては1時間休みという具合でなかなか進みません。

318 :
あらやだ、自慢してるのかしら?

319 :
>>317
木を切ったり草を刈ったりも大変ですが、木の根が張っている所を掘り起こす
のは人力では無理のような気がしますね。

320 :
木の根っこもツルハシ使って掘りますよ。
山の中だったら機械が入らんかも知れません。
あまり急いで作業すると危ないですから、ゆっくりやって下さい。
私なんか1日掛かって木を1本片付けるようなペースです。
埋蔵金が埋まっているところは結構大きな石が有ったりして
どけるのに苦労するんじゃないですかね。

321 :
そう、よく考えれば、昔は機械なんか無かったんだから、人力で埋蔵した。
と言うことは、機械なしで人力で掘り出せるはずですね。仕掛けが施して
あると面倒ですが。

322 :
仕掛けといっても、巨石を組むとかは、そこまでもっていかなければならないので無理でしょう。
想像するに穴掘って、穴を石で囲って(井戸のような感じ)、石などを組んでフタをして、その上から土かぶせるんじゃないかな
千両箱等に直接土をかけるとは・・つぼとかなら直接土をかけてもよさそうですけど。
たまに出てくる埋蔵金は、壷に入ってるのが多いですよね。
木だと腐食してしまうからでしょう。
目印である木などが、年月たって生長して根が張ってる可能性はありますね。

323 :
>>322
おっしゃる通りだと思います。直接土をかぶせるとは思えません。ほんの一時
の埋蔵なら別ですが。
結城の埋蔵金にいくつか説がありますが、その内の一つに埋蔵目録にたしか
五尺か六尺の珊瑚があったように記憶しています。直埋めだったら珊瑚が折れて
しまいます。石室か何かに安置しないと・・・。古墳の石室なら石を運んで
来る手間が省けていいかもね。

324 :
ものの本によると、結城や多田の埋蔵地には埋蔵守が居たとか
書いてあるんですが、一寸眉唾な話じゃないですかね。
人があまり住んでいないところに、ずっと同じ人間が居ついていたら
ここに何か有りますよと言ってるようなものではないですか?
そんな間の抜けた話があるんでしょうか。

325 :
>武田さん
五尺か六尺の珊瑚はすごいな サンゴは風化しないんだろうか。。
古墳はだめだねー。その辺は、前スレでも書いた〜
簡単に言うと、墓荒らしはエジプトに限らず日本にもいた。
昔も今と同じで、アホなにーちゃん達の肝試し、デートスポットになっていた。
古墳の年代によっては、石室が露出しやすかったりもした。
昔も古墳の学術的な調査をしていたみたいだから、どさくさにまぎれて埋める事は出来ただろうけど
古墳自体が目立つからねー
>>324
今の人口や人口密度、交通・通信の発達からすれば、不思議な話に思えるでしょうね。
こっそり山奥に炭焼きやマタギで住んでいたりすれば、発見自体が難しいですよ。
結城や多田なら近隣に一般の民家もあるだろうし、「神社仏閣」でも作れば監視しやすいんじゃね?
なにも民家作って住む必要は無いよね。
っていうか、守(警護、監視)じゃなくて、案内人だと思う。

326 :
>>325
それが不思議なんですよ。 結城でいえば、得体の知れないマタギなど
ではなくて郷士として土着したことになってるんですね。 
また、多田ですと神社に居たことになってるようですが、普通は神社仏閣は
土地の支配者に無断で作ることは出来なくて、大抵は街道の見張り所や
出城の役目を兼ねているものですから、前支配者の息の掛かったものが
居残るのは不自然なんです。 
どちらも、人のあまり住んでいなかったところではありますけれど、
人家が近くて(1里もない)出入りは多かったところでして、土地の人間や役人は
当然把握していたと思われます。
それに、仮に守役が居たとして何をさせるつもりだったのでしょう。
現支配者が掘ろうとしたところを発見したとしても止めることも出来ませんし。
本来の埋蔵者に知らせたところで、まさか取り返しに来られるわけでも
ないですよね。 ただ見ているより他にすることは無いと思うのですが。

327 :
>>326
結城について言えば、「結城10人衆」(「5人衆」だったかな?)がいて、
越前福井へ移された晴朝に後を託されたとされています。これが埋蔵金の守
り役と言う人がいますがはたしてそうか?晴朝は少なくとも老後は結城に戻れる
ものと思い家康に何度も里帰り懇願したが家康はこれを絶対に許さなかった。
一説には3分の1は越前福井へ運んだが3分の2は結城に残されているといい
ますが、結城の埋蔵金そのものの存在がハッキリしませんからね。結城10人衆
の一人、赤荻家には、「赤荻文書」があるのは確かなようです。

328 :
             ___  ___
          r⌒η::::;;;:::'/  ⌒三\⌒)
         /\ \::/  ( ○)三(○)\    
        /::::::::: :.\ \ :::::⌒(__人__)::\ ヽ, 
        /:::::::::: ::::. |\ .\   |r┬-|   | .i
       ノ:::::::::::::;;:::::..\\  .\  `ー'´  / .ノ
     /:::::::: ::::::: ;:::::::::... ̄\ ヽ       /::|
__ /:::::::::::::::: ::::: ::::::: r⌒ヽ::::\   ・ .  ・i :::::ノ
ヽ;;:::::::::::::::::::::::: ::::::::: :::::: |    \ )      .| ::/
 ノ::::: :::::::::::: ::::::::::: ::::::::: |   .i  \.    __  i /
/::::;;:; ::::::::: ;::::::::::::: :::::::::: |   .i    ヽ.  .| | _i
⌒ヽ,::;;;;:::::::; :::::::::::: ::::::::: |  .ノ\     .ノ | .
     ̄ヽ,; ::::::::: ::::::::::..|  ./..::::: ヽ、__ (::::)..::) ノ
       \::::::::: ::;:::::: | /..::;;:::::: /    /
        ⌒⌒\: / /..:::::;:::: /   /
            (_/..:::::::::: /  /
               ̄ ̄./ /
               / ./
              /./
             / /
            |_/

329 :
>>327
十人衆は名前も判っていますし有名すぎて秘匿すべき埋蔵金
に関わっていると言うのは変ですよね。
結城氏は何代か続くうちには城を取られたりしてますから
晴朝以前から財産を何箇所かに分散して埋蔵してたことは考えられます。
そうした場合に転封前なら見張り役を置いたことはあったかもしれない。
でも、その人間とか家系が記録に残るようなことはしないと思うんですよ。
晴朝は策士だから国替えに直面してからは目立つようなことはしなかったと
想像してるんです。 だから、後に発見された埋蔵金はずっと以前から
そこに埋めてあったものではないかと。
そして、その埋蔵情報は跡継ぎに直接伝えられていたのでしょう。
書付を他の者に渡しておくなどとは一寸想像し難いです。

330 :
結城氏の埋蔵金は、結城氏初代が奥州から戦利品として持ち帰ったものとされ
ています。しかし1440年頃の結城戦争で城を取られ結城氏はほとんど断絶
状態となった時期があります。大財宝はこの時どこへ行ってしまったのか?
一方晴朝が蓄えた財宝とすると、米や結城紬などで外貨を稼いで蓄えたことに
なりますが、晴朝の歴史を見ると、他の戦国時代の大名と同じく戦いに明け暮
れています。結城には「黄金」は全く産出しません。戦費で大埋蔵金を蓄えて
いる余裕は無かったのではないか?と思うのですが。しかし、小埋蔵金はあっ
ておかしくないし、寺が非常に多いことをみてもある程度裕福だったことが
想像できますね。

331 :
特別会計368兆円 全て秘密だ。
http://love.45.kg/mo0202/2/118.html
これだけの秘密資金があれば、わが国に不可能はない。

332 :
祖父から聞いた話。
埋蔵金は神社の直下らしい。
建物は短期間で解体と復元を行ったとのこと。

333 :
>>332
神社の直下とかは無理っていうか、バレバレ
神社を基点にするとかわかるが、一番怪しまれる場所

334 :
>>165さんへ
赤城の物証のうち
 @家康像…写真あり
 A銅製皿…写真あり
 B亀の像
 以上の3点は実在の可能性大
 C双永寺の銅板…写真なし、写しあり
 D梵字…写真なし、写しあり
 E大儀兵法秘図書…写真あり
 CDEは実在に疑問があり偽造の疑いあり
 今のところ、こんな感じかなあ。

335 :
寺の場合、木造建築は必ず朽ちるので再建が必要。その時のために直下に再建
資金を埋蔵していてもおかしくないのでは?住職が住んでいれば、建物の真下
を盗掘するのは難しいでしょう。小さい神社の場合は神主は住んでいませんが
村の大事な神社なら村人がいつも見ているので簡単には掘れないと思いますね。

336 :
>>334 赤城さん
D梵字
個人的には、梵字類は関係ないと思うなー
E大儀兵法秘図書
糸井の番組で本物とおぼしき物の一部がでてきますが、疑わしいですね。
私的感想:時代を感じない、文が乱雑(書きなれていなそう)、秘図書とは言い難い。
>>335 武田さん
それは、社寺のお布施とか建替え資金ですよね?
銀行が無い時代の貯蓄は床の下が定番で、いまでもたまに出るのはこの類です。
結城のお宝を埋めるというのは、きついとおもいます。
赤城の埋蔵金は、双永寺の床下の土中から銅版がでてきたとされていますし、
寺の天井の梁なども調べられました。
結城とつながる社寺であれば、かなり念入りに調査されると思われます。
社寺であろうとはむかえば潰されるだけなので、調査は受け入れざるをえないしょう

337 :
武田の秘宝は重過ぎるので竹田に改めます。
先日一分銀など2,3枚を貰ったので知り合いの古銭収集家に鑑定を依頼したところ、
本物だそうですが値段は安かった。

338 :
パソコン修理(インタネ回復)
wwwwwwwwwwwwwwwwww
なにそれwqqqqqqqqqqqqqqqq
m9(^Д^)プギャー

339 :
梅雪の埋蔵金について・・
仮に埋蔵が事実とした場合、梅雪はどういう目的で埋蔵したと思いますか?
諸兄のご意見をうかがいます。

340 :
テレビ番組「イッテQ」の山形県の小判探しは明日か。
出たら面白いね。

341 :
山形県米沢あたりのどの辺りだろ? 次の休みにでも探しにいこうかな

342 :
山形県は少し遠いですね。2泊以上の泊りがけだね。
・・・赤城招集のほう期待してるんだけどまだかな。

343 :
山梨に気になる場所があったのでちょっと行ってきた。
林道から山道へ入ろうとしたらヘビがうじゃうじゃ居た。
そのままドライブして帰ってきた。

344 :
>>343
甲州武田をやっているのですか?私は何度も山梨へ行きましたが、意外と
ヘビは少ない印象です。

345 :
本や地図で面白そうな場所を見つけたら出かける程度です。
昨年は大河ドラマの影響で武田のゆかりの地をいろいろと行きました。
蛇は、一匹目を見かけた後、向こうから逃げてくれるようにと足音を
ドンドンと踏みならしながら歩いたのですが、数メートル行くごとに
カサカサ音がして青光りするヤツが脇に入るのを見て、諦めました。

346 :
それは毒の無い奴でしょう? そんなに恐がらなくて大丈夫です。
沢が近くに有るんじゃないですか? 
標高が高くなると居なくなるから、もう少し登ってみたらどうですか。 
山の中で行動するんだから蛇や虫は仕方ないですよ。
寒くなれば居なくなるものですし。

347 :
これからの時期は熊にも気をつけないとな

348 :
海外スポーツアービトラージでボロ儲けしてます
ブックメーカーから毎日2万円稼がしてもらってます。
お金のほしい人はやってみるといいよ
http://join.kir.jp/info/info-catch.html

349 :
>>348
有名な詐欺サイトですね!

350 :
保守あげ

351 :
そろそろ掘るには良い季節です。

352 :
外貨準備などを精査すれば資金の一部転用は可能であろう。
しかし、緊急時に使用する資金であり、ばら撒きに使用してはいけない。
前回の中川は消費税導入を牽制すために使用した。
国の借金が先進国中で最悪の水準にあるとき、菅は屁理屈を言い貴重な
資金をばら撒き政策に使用する方針だ。
破産寸前の借金体質をどう改善するか議論すべきときに埋蔵金・余剰金の
議論に陥っている。
今に左翼系経済評論家が埋蔵金・余剰金の議論を開始するだろう。
豊田商事 職員もアット驚く民主党 公約偽装。

353 :
>>332
古文書や文献、地形から、
遥か昔に廃になっていて現存していない場所を探す。それから。
後、そこに神仏を祀ってあるという事は、全くの無根拠ではなく地に何かあるという事なので、
勝手にほじくって呪われても知らん。
山奥の場所によっては砒素や重金属を供え物や御神体として埋めたりしてるところとかもあるんで、変に触ると危険。

354 :
最近徳川埋蔵金やってたね
本当にあるのかね・・・

355 :
14日のTBSのは長井小川田らしいな。
昨日のは過去のダイジェストだった。

356 :
まー、TVで発掘の状況を流すってことは何も無かったってことだ。
もしも掘ってる最中に何か出てくれば、新聞やらニュ−スで報道されるだろ。
うんと前に番組は制作されてるわけだからね。

357 :
結局このスレも165氏が居ないと廃れてしまうんだよなぁ

358 :
いつも見ていたんですが、ネタ切れでw ご指名がありましたので再登場ですw
活気を出すため、軽く今までのこのスレの流れをまとめてみましょう。
気合が入ってるのは、赤城本命氏、武田の秘宝氏のご両名^^
残念なのが、赤城本命氏は、徳川埋蔵金。武田の秘宝氏は、武田の埋蔵金
ご両名とも念入りな研究と、現地調査を行っている。
あとは、解明したけど教えないとかの眉唾の方か、否定派の方々。
否定派の方々については、「ない」というのも一つの説ですので問題ないかと^^
さらに私も含めて赤城、武田のご両名も、仲間を集めて調査してみる。までには至ってないこと
これは、2chという場所柄でもあって、おいそれと誘えないのも実情。
この点は、八重野氏に見習らわなければならないところがあります。
ハイキングぐらいに考えればいいのでしょうが、
出し抜かれた場合や万が一ブツが出たりしたばあい・・・などの流れですねw
で、書き込みにレスを付けますと
>>353 さんの話もごもっともで、古文書、古地図は重要な手掛かりです。
以前にも紹介しましたが、日本の廃坑の一覧なども本にしています。(明治時代著)
○○村から〜明治時代にはすでに廃坑で、坑道の跡がわずかながら・・・などと書いてあります。
佐々や武田も廃坑を利用してなどとも言われていますので、
見つからないのは、明治時代にすでに忘れ去られた・・・などとも想像しちゃいます。
>>355 さんの長井小川田も本命かと^^
ただ、本命過ぎて今まで多くの方がチャレンジしていても出ない。これもまた事実。
私よりは、本格的な研究や人生をかけた発掘をしている人も多かったはず。
なのに出ない。
そう考えると、やっぱり場所が違うんじゃないかと思ってします。
本命じゃなくて、ダークホースな場所に大穴があったりしますw
今日はここまで、また来ます^^

359 :
おお165氏、まだいましたな
あなたが来ないとここは廃スレになってしまうw
確かにここは2chですが、現地で調査するなら同行希望の人は結構いるはず
あとは具体的に行動を起こすだけですな
もし実際にやるなら私も微力ながらお手伝いしますよ
もっとも165氏が何処の馬の骨とも判らん連中に手の内を明かしたくないというのなら話は別ですがw
畑違いですが、私は甲州地方で水晶掘りをやっている廃坑探査人です

360 :
昨日のTBSは酷かった。
相変わらず見当違いの資料を引っ張り出してたね。

361 :
おおおお 廃坑探査人さんはじめまして!! 水晶堀りとは、すごい!本格的だ!
実は、今までで手のうちはほとんど明かしているんです。場所を教えていないだけなんです。
群馬県内赤城以外説の私は、現在、世にでてる資料が頼みの綱と、
水野氏発掘の資料(家康像など)を無視ですので、赤城本命さんより程遠いと思います。
むしろ、1から始めるに等しい状態です。
廃坑を考慮すると渋川になりますが、造成により発見が困難かと・・・。
その他群馬県内2か所
津久田原、長井小川田、芳ヶ沢、双永寺、年丸橋(小川田橋)ではありません。
その他の1か所は、銅板を信じるならあまりにもピッタリすぎて疑心暗鬼です。
銅版の文章の「津久田原」とかは、作為的な後付けだと思っています。
もうひとつは、研究不足で基点となるポイントを絞りこめない感じです。
以前、レイラインなどの広大な範囲(衛星写真規模)での話もありましたが、
当時、地図が発達していたでしょうけど、衛星写真のような縮尺での地図は難しいかと
当然私のポイントは、10km四方に収まる範囲。
水野氏を信じながら否定する。もどかしい状態ですw

362 :
水野さんは跡継ぎがいないみたいだから埋蔵金関係の資料は
競売に出るんだろうかね?
ヤフオクにでも出たら面白いんだが。

363 :
死ぬ前にすべてを語ってほしいね

364 :
ちょっと埋蔵金が欲しくなったから掘ってくる

365 :
(^ω^)ノシ


366 :
発掘発掘〜♪

367 :
<360万両〜400万両を考える>
以前、一両あたりの貨幣価値を現代の貨幣価値に直してみたことがある。
いろいろ書物などをみると、一両=10万円
10万もあれば、当時の物価からすれば!なんて思ってしまうが
吉原遊女の最低ランクで2朱2万5000円だった。
まぁ今でも吉原の最低が2万〜2万5千円だから、貨幣価値よりも吉原の時代を超えた価格のスライドに驚愕する
パR・競馬で一発当てた程度の価値しかない。
しかし、当時の蕎麦が16文であるから、価値的には食べ物のほうが割高である。
230円(近所のソバ屋)÷16文=14.375円
1両=4000文であることから、4000文×14.375円(1文)=57500円
1両10万円の価値がありながら、5万7500円にしかならないということは、ソバが高いということ。
落語の「時そば」じゃないが、1文ごまかしたくなる気持ちもわかる。
話がずれたついでに、必仕事人などの請負料が、ひとりあたり1両ってのをよく見た気がする。
10万円で人し・・・さすが必。
しかし、一心太助などの棒天秤で魚を売るような仕事。
下級町民で最低な所得のような気がするが、生活費・経費を引いた1日の儲けが700文〜1000文ぐらい。
4日で1両になる(笑)雨風あって月24日間働いたら6両。。月収60万になる。なんと年収720万!
あなたの年収は、天秤かついだ魚屋より高いか安いか(笑)まぁそんな魚屋でも個人経営店だから社長さん。妥当かな?
生活費・経費を除いた月収60万じゃ吉原も相当繁盛したかと思う。
さて、360万両だが、当時の価値から考えると1万両で10億円。10万両で100億円。100万両で1000億円。3600億円になる
消えた年金っていくらだっけ?特別会計って80兆だっけ?
税収が整ってなかったとしても、一国を仕切っていれば、4000億円ぐらいは出せるんじゃないかな?
どうおうもう?

368 :
逆算するの忘れてた
1両(10万円)=4000文=25円(1文)
そばが16文だから かけソバ一杯400円ってことだ
高いと思うが、当時の物流事情を考えるとそれなりなんだろうな
そば粉で有名な長野〜東京までもってくるんだものな。。
そのほか鰹節やしょう油もまさに生産地から持ってくるわけだしね。
今みたいに大型トラックや鉄道、飛行機なんかで大量輸送じゃないからねー

369 :
江戸幕府と近代国家の財政を単純に比較しても仕方がないけど
幕府の収入なんて知れたものです。
石高から言ったら800万石位だから身入りはせいぜい200万石
程度だったらしい。
そのうち政策的に使えたものは約1割以下と言われています。
江戸の警察組織を見ても与力・同心が300人程度で驚くほど
小さい所帯ですね。

370 :
一両10万円は、米で計算しています。まぁ計算しやすく約10万円です。
1石=1両=10万円 200万石で200万両です。
ってことは、年2000億円の税収 米のほか酒税等の税金、許可料などもとっていましたら
税収は4000億円ぐらいにはなったかと
264年間の徳川幕府での蓄財ですから、いくら幕末とはいえ0は考えられません。
警察組織というより治安維持としては、与力・同心・岡っ引き(手先・目明し)下っ引・辻番・自身番
また、寺社奉行とは別です。さらに床屋が身元引受・保証人及び監視役なんです。
wikiをみると、「江戸町奉行所全体で岡っ引が約500人、下っ引を含めて3000人ぐらいいたという。」
そのほかに与力・同心ですから、まぁ3500人ぐらいかな 社寺奉行や辻番・自身番・火付け盗賊改めなど(笑)を含めれば5000人かも
100万の江戸のうちの5000人 率にして0.5% 200人にひとりは警察関係者になるのかな?
ちなみに年間予算は、町奉行で約2億5000万円 社寺等をいれると5億ぐらいかもね

371 :
社寺じゃないやw 寺社奉行だw

372 :
江戸時代の税収が「年貢だけ」だと思ってる方に
国税庁のHPをわかりやすく
江戸時代の税は、大きく年貢(=本年貢、本途物成)と諸役(小物成・高掛物・夫役・国役など)に分かれます。
年貢は田畑にかかる税で、小物成は田畑以外にかかる税でした。
また、高掛物は村高(=村の石高)や持高(=百姓が耕作する土地の石高)にかかった税です。
この他に、江戸時代には、特定の仕事に課税される
運上:農業以外の各種産業(商業・工業・漁業など)の従事者に対して一定の税率を定めて課税したものを運上と呼んだ。
冥加:定の免許を得てその代わりに一定の税率等を定めずに必要に応じて上納させたもの
また、臨時の事業や財政の穴埋めのために賦課される上納金もありましたが、江戸時代の税の中心は本途物成、いわゆる「年貢」でした。
酒税は、運上に入りますね。
まぁ今も昔も税金に苦しみますw

373 :
あ そのほか
長屋とかにも税金がかかります。
これは、通りに面した間口の広さに対しての課税です。
なので、長屋が奥に長細いのは、税金逃れのためなんですね。
城下町などにいくと、間口が狭くて奥が長い「うなぎの寝床」みたいな敷地がいまでもあります。
大店は、通りに面してドーーンと間口が広いです。儲かっているんですね。
時代劇の浪人が通りから自分の長屋に木戸をくぐって入っていくシーン
数人の子供が奥からかけってくる
わざとじゃなくて、上記のような税金逃れのための長屋の構造なんですね^^
さすがに消費税と、町人の所得税はありませんでしたけどねw

374 :
幕府の財政は初期を除くとかなりキチキチだったみたいで
不意の出費などがあると捻出するのが大変だったようです。
今風に言うと固定費の割合が異常に高いんですね。
そのためもあって、何度か財政改革するんですが、
目立った効果は吉宗の時くらいでしょうか。
要は農民からの年貢を上げるしかなかったようです。
なにしろ江戸時代は基本的に進歩を否定した政策が取られる時代ですから
産業革命を起こして収入を上げるということが出来ませんね。
そうして無理して貯めた金も、その後は使い尽くしていったということです。
諸国の大名には特産品からの収入が大きかったところも
ありますけれども、幕府は中期以降では年貢以外には
目立った収入は上がらなかったようです。
幕末にフランスから借りていた金も残債が数十万両あって
新政府が肩代わりしたほどです。
小栗だって金が有ったら外国には頼らないでしょう。
警察組織に関しては、岡引以下には給料も支払われないので
幕府の負担は考えなくていいと思います。
給料が無いために強請りなど悪いことをするんですね、彼らは。
だから、時代劇でも悪く描かれるのは仕方が無いことだと思います。

375 :
実に良スレ、実に興味深い

376 :
なぜか金がないと思っている人が多いのが疑問だが。。
幕府も政府なので、家庭や小遣い程度の入り繰りで考えてはダメです。
今の日本だって、赤字国債を発行して金を借りているが、政府には金がある。
赤字国債を発行してまで、他国の国債を買ったりもしている。しかも裏金まである。
政府だから、市町村だからといってきれいな体ではないのは、みなさんもすでに知っていることかとw
それなのに徳川幕府だけが純潔で、貯えがないと考えるほうが不思議である。
歴史をみても、全国を統一した徳川幕府だけど、たんなる休戦時代にしか過ぎない。
そんな中で、借金はあるが金蔵に1両も入っていないって考えるほうが不自然ではないだろうか?
ちなみに岡っ引き以下にも小遣い程度の手当が出ていました。
与力は警察署みたいなもので、与力本人は警察署長
町奉行は与力に賃金を与え、与力の賃金から同心を雇い、同心の賃金から岡っ引き→下っ引き
現在のような巡査であろうと国から直接賃金が出る仕組みではないのにご注意。
与力が自分で捜査するのが面倒だから個別に雇ったわけではなく、警察組織の仕組み上なのです。

377 :
もうひとつご紹介すると 
みなさん参勤交代というのを勉強したかと思います。
地方の大名の財政を削るためと教わったかと思いますが、これはいささか間違えです。
確かに藩の規模によって大名行列の人数は決まっていました。1万石の小大名で50人から100人
文献名は忘れましたが、文献には、
幕府は、参勤交替を贅沢にやるな!とおふれを出しています。
しかし、地方大名の大名行列の豪華さは、どんどんエスカレートしていきました。
これは各藩の殿様が、見栄っ張りで他藩には負けたくないということからです。
伊達正宗ばりの豪華さを競ったんでしょうね。
大名行列1回あたり2〜3000両・・・3億円^^; まで費用が膨らんで、幕府も怒ったわけです。
3年に1回とも言われていますが、これも言葉足らず。海を渡る藩はローテーションが長いです。
さらに大名行列がくると人々は、道の端によけて土下座する。
この行為は徳川御三家だけにしたもので、御三家以外はひょいっとよけるだけでよかったのです。
歴史を歪曲して教わったのか、ひとつの歴史への勉強時間が少ないせいなのか
はたまたどっかの代議士じゃないけど、封建社会=旧来の権威を排除と位置付けたい組織があるのかw

378 :
あ!でも
埋蔵金が、360〜400万両あるっていっているわけではありませんよ。
0両かもしれません。
江戸の三井呉服店は、1日で約3000両の売上だったって話ですから
埋蔵金があったら100万両ぐらいはあるじゃないかとw
個人的には、360〜400万両ってのは、尾ひれがついて膨れ上がった金額だと思っています。

379 :
んー 産業革命期ってイギリス1760年〜
広大な海外植民地(インドなど)があったから奴隷貿易を含む生産材料の貿易や生産品の輸出ができたのであって
日本も東南アジアをはじめとする国々を植民地化するって政策を15世紀(大航海時代)からやっておいたほうがよかったってことになりますよ?
そもそも15世紀は室町時代なんで、徳川幕府のせいじゃないですよねw

380 :
ご参考までにおもな幕府の改革の中身をあげときます。
<享保の改革1716年:吉宗>
財政政策:倹約令、上米、定免法採用、年貢引き上げ、新田開発奨励、相対済令(金銭貸借の示談)
商業政策:冥加金を課す、株仲間の公認、米相場会所の設立、貨幣改鋳
結  果:一応成功、財政黒字、農村疲弊、百姓一揆&江戸で打ちこわし増加
<田沼意次の改革:田沼君>
商業政策:享保の改革の殖産興業政策を継承
財政再建政策:株仲間の積極的公認、運上・冥加の納入、座の新設、長崎貿易の制限緩和、二朱銀の発行、
       新田開発(印旛沼・手賀沼の干拓 利根川の氾濫で失敗)、千島列島探検
結 果:一応成功、浅間山噴火、天明の飢饉&百姓一揆や打ちこわしの激増
<寛政の改革1787年:松平定信>
農村復興政策:出稼ぎ禁止、公金貸付、助郷役軽減、囲米・社倉・義倉の設置(政府の準備米)
財政政策:勘定所御用達の登用(公共事業における民間資本注入)、物価の引き下げ、旧里帰農令、人足寄場(職業訓練所)、七分積金(公的資金積立および貸出)、
結  果:ちょっとだけ成功、民衆反発w
特記:棄捐令 勉強したことある「借金棒引き令」
これもしっかり教えてくれないのか、わざと教えなかったのか、借金がチャラになると思ってる人が多いけど
まぁチャラはチャラなんだが、商人、札差に「6年以前の借金を放棄させた」が正しい。
で、6年以降のものは、低利年賦払いにしてます。
じゃ商人、札差等が泣く泣く大損して庶民を苦しめたと思いきや、幕府が118万両もの救済融資をしました。
<天保の改革1830年:水野忠邦>
農業政策:人返し令
財政政策:棄捐令、相対済令(金銭貸借の示談)
成  果:不明
特記:このときの棄捐令は、借金を無利子・年賦返済
一般貸借金利を年1割5分から1割2分に引き下げる金利引き下げ政策で、武士のみならず民衆の救済
そのほかの改革は財政面とかあまりないので割愛

381 :
なんか歴史のスレになってしまった・・・自重
まぁ特記したいのは、寛政の改革のさいの救済融資118万両ですね。
wikiなどに書かれているのはあくまでも免除額であって、120万両がパーみたいな印象を受けますがちゃんと救済融資しています。
そうしなと暴動になりますし、今後金を貸す人がいなくなってしまう。
実際、天保の改革の際の金利引き下げ政策で、ずいぶん貸し渋りになったそうでw
財政が悪いからといって、幕府の財政が100万両しかないのに118万両の緊急融資を行うはずがないので、それ以上の貯え等があったことがわかります。
よって、寛政の改革から約100年後の1867年の幕末に幕府の資金が0両〜微々たるものではなかったという私の主張は終わりますw
七分積金の金はどこにいったのかも気になるねw

382 :
165さん、そんなに無理に幕府が金持ちだったように言わなくても良いでしょう。
幕府から町同心に出ていた俸給は本当に少ないもので、とてもこれでは手下は
おろか自分の家族を養うにも満足じゃないと思います。
ですから、賄賂を盛んに取ったわけです。 その中から手下に手当てを与える。
決して幕府はそんな下々のことは考えてくれない。
岡引の中にも正業を持って、そちらで生活費を工面していたものは居たようです。
そんなまともな連中はあくどい事もしなくて済むから、銭形平次に描かれたような
岡引も居たのかも知れませんね。

383 :
江戸時代の体制は中央集権ではないので、全国への徴税権は無いわけです。
そこで、田沼は諸侯から税を取り立てる方策を考えていたそうですが、
うまくはいかなかった。
限られた天領からの収入では行き詰るのは田沼も分かっていたのでしょう。
でも諸侯の持つ利権に手を突っ込むのは無理だったんですね。
そんなわけで、幕府は言ってみれば日本政府というより東京都庁みたいな感じです。
ただ、幕府は権威だけは持っているので、不意の資金が必要なときは豪商などの
民間から金を提供させることは出来たんです。
もちろん、それはまともには返せませんから、かなりの部分は実質は踏み倒しです。

384 :
産業革命というのは、そんなに狭く考えないで、今までに無かった産業を
創造するというくらいの意味に考えてください。
丁度、ここ20年位で情報通信や金融工学が発達したのも産業革命って
言いますよね。
江戸時代だって、鎖国を止めて貿易を盛んにして、国内外の資源を活用する
方向を選べば、蒸気機関に代表される産業革命とは違った革命を起こせたかも
知れません。 でも、そうなれば封建制は解体していたでしょうが。
それから、話は変わりますが、埋蔵金の首謀者として小栗の名が出て来るんですが
これは眉唾だと思っています。
小栗の業績を見ていけば、彼が資金を埋蔵するなどという後ろ向きなことはしないと
思うんですよ。
少しでも資金が有れば、国のため幕府のために必要な事業に投資していくのが
自然ではないですか?

385 :
>>369 >>382 〜 >>384は同じ方かな?
幕府が金持ちだとは言っていませんよ?
幕府といえども政府ですから、金がなかったわけではないという話です。
おっしゃる通り「江戸時代の体制は中央集権ではないので、全国への徴税権は無いわけです。」
その代りに「地方交付金」もないわけです。
藩は自分でどうにかしなければならないので、幕府全額負担で諸藩の整備・警備する必要がないわけです。
次ぎに「賄賂」じゃないんですよね。付届(礼銭)です。
付届は収賄でなく、「役得」として認められていたことを忘れずに。とりすぎると賄賂と言われます。
いまでは「賄賂・みかじめりょう」みたいですが、「政治献金」とさほどかわりません。
面倒なことがあったら先生の力で穏便にということです。
ちなみに中国の高級官僚が巨額な賄賂で捕まってたりしますが、今だから賄賂であって中国の風習です。
付届、役得を多く集められる宦官が、優秀な宦官でした。
時代劇のように「タカリ」をする下っ端もいたでしょうが、「副収入」があったわけです。
そこそこの与力であれば、200石(初任給130石)の俸禄で、4:6で80石=80両=800万円が年収でした。
もちろんこれだけではなく、運上金、地代が入ってきたわけです。さらに特別勤務があれば手当もでました。
役得が得られない力のない与力でも使用人を減らせばとんとんでした。
大塩平八郎(大坂町奉行所)みたいに自分を含めて12人(家族以外6人)も食わせてればどんな家庭も赤字ですよね。
中間は仕方ないとして、余計な下女2名、塾生世話人1名を食わせて赤字で・・・逆ギレの乱w

386 :
>>384
の書き込みは、申し訳ないですが「今だから言える」だけです。
当時の日本としては、鎖国が最良の策であったと思います。
鎖国とえいども完全に閉ざしたわけではなく、長崎の出島を筆頭に対馬、薩摩(琉球)、蝦夷は解放しています。
鎖国とは「制限貿易政策」です。
鎖国(海禁政策)は、日本だけではなく、中国・朝鮮もおこなっています。
徳川綱吉にも謁見したケンペルは、
「日本のように他国よりも資源に富み、勤勉な国民により産業が発達している国、つまり自給自足で豊かな国が、何も求めるものの無い外国人からの奸悪・貪婪・詐欺・戦争などから守るために、門戸を閉ざすのは適切で、そうするべきである」(wiki)
また、外国からの伝染病、宣教師が阿片を使用したこともきっかけです。
島原の乱も鎖国への影響です。現政権にはむかい暴動を起こす要因は取り除いて当然です。
資源とは、金銀銅であったと思います。絹などの産業品も含まれていたかと。
イギリスみたいに植民地がいっぱいあれば、大量生産の必要がありますが、当時植民地を持たない日本にとっては、大量生産の必要がなかったのかもしれません。
また、15世紀からの欧米列強みたいに他国へ侵略する方針であれば、富国強兵による産業革命があったかもしれません。
まぁ当時の歴史の話をしても仕方ありませんが、
「幕府には金(貯蓄)がなかった」ではなく、「幕府には金がったが少なかった」が正しいかと思います。
なので、埋蔵金は360万〜400万両ではななかったんじゃないか?というわけです。
もちろん 埋蔵金があればとすればの話です。
>>384で、
小栗が関わっていたとしても小栗はどうでもいいです。だれが埋めてもいいってことです。
結果は、「有るか・無いか」
小栗は、埋蔵量と同じで尾ひれの一部だとは思っています。

387 :
さて、400万両とは、小判400万枚なのか、400万両相当なのかは一目瞭然である。
「旧貨幣表」によれば、鋳造量は下記のとおりである。
文政小判:文政2年(1819年)11,043,360両(一分金含む)
天保小判:天保8年(1837年)5,576,100両(金銀考)
安政小判:安政6年(1859年)351,000両
万延小判:万延元年(1860年)666,700両
400万枚集めるとすると、天保までの小判をかき集めなければならない。
さらに流通量を考えると文政小判まで集めるということになる。
しかし、文政小判と万延小判は同じ一両だが、金の含有量が違う
文政小判:13.11g 金含有量は約56% 金が約7g入っている。
万延小判:3.3g 金含有量は約57% 金が約1g入っている
7倍の違いをもって1両と言ったのかは疑問である。
400万両相当と考える方が自然である。
では、いつの時代の400万両と考えればいいのかと思えば、やはり当時の価値であろう。
ってことは、万延小判400万両相当の金の延べ棒等
小判=金の価値と簡単に考えれば、金400万gである。4000kg 4t
まぁインゴット1kにして、4000個
計算が面倒なんで・・・1kgのインゴットの寸法が113×52×10mm
んー二つ折りの携帯を一回り大きくした感じ?おれの携帯だけどw
そのインゴットを4000個積み上げてみる。
113mm×4000=452,000mm=縦452m
52mm×4000=208,000mm=横208m
10mm×4000= 40,000mm=高 40m
え?でかくない??計算違うのかな・・・

388 :
>え?でかくない??計算違うのかな・・・
そりゃ縦横高さそれぞれ直線で4000個並べた数値でしょw
縦横比がほぼ二分の一だから仮に縦6枚、横12枚で並べればほぼ正方形で72枚
それを55段積み上げれば3960枚でほぼ4000枚
113mm×6 縦67.8cm
52mm×12 横62.4cm
10mm×55 高55cm
つまり縦横高さが70cm前後の立方体の箱に収まるサイズ
2つに分けて牛車の荷台で運ぶとすると35cmの箱二つでそれぞれ重さが2t
大した規模ではないね

389 :
では、ついでにw
その4tにもなる「荷物」をどのように運んだかを検証してみてください。
運搬にかかわる人の人数や江戸からの日数なども書いてもらえるとうれしい。
まぁ以前私が書いてあるんだけど、違う人の意見もみてみたいw
@陸路
江戸時代は牛車・馬車は発達しなかったんで、大八車として荷台の最大積載量が約120kgといわれています。
これはたぶん車軸が耐えられなかったかと思う。
A川路
高瀬船(たかせぶね)強大な高瀬船(利根川用 積載量54t)もあったが、赤城まで行くのは無理だと考える。
平均的?な「二十石舟」や「三十石舟」で、まぁ三十石船として、(30俵=1俵約60s=積載両1.8t)船頭4人付きですからまぁ1.5tっすね。
赤城までには汽水も上がるでしょうから、せいぜい1tが限界かと思います。
川路については、荷揚げ時の労力の調達方法なども書いてもらえるとうれしい。
期待しています^^

390 :
では陸路は条件設定が面倒なので川路で考えて見ます。
まず金塊を一人が持ち運べる重量に分けたとして40キロで100箱
これを12人ほどの人夫で運び出したとして一人あたま約8箱ほど
現代の派遣における半日アルバイトとして素人学生が普通にこなす程度の量です。
この12人ほどの人夫が4隻の船に4人ずつ分譲してそれぞれの班が1tを担当するとして
今の引越し業者が1tトラックの引越しで2〜5人なのから考えてもまぁ妥当です。
これに警護の兵と現場責任者が十数名。
おおまかに考えて作業員+警備員+現場監督で30人前後でしょうか。
事前計画と準備期間が多ければもっと少人数でも可能ですし
火事場騒ぎのような急ぎの作業ならもっと大人数が必要です。
(単純に100箱を一度で運び出すなら100人必要)

391 :
次に目的に到着から埋蔵地点までの移動ですがこれは事前計画と準備期間の有無で条件が変わります。
予め人目に付かない上に、埋蔵ポイントに近い荷揚げ場所を決定していたなら警備も作業員も少数で済みます。
例えば同行した12人の人夫で行うとして8往復出来る距離なら1日で完了。
1日一度の運搬が限界な距離なら8日を要します。
参考までに太平洋戦争中に学徒出陣した新兵が未開のジャングルを一日数十キロ歩く時の背嚢の重量が30〜50キロほどです。
運搬後は埋蔵の為の穴掘り作業となりますがこれも埋蔵する深さと穴の数(分散するか否か)で変化します。
基本的に城から運びだす作業まではある程度の期限がありますが運び出し後の
作業に関しては期限が必要なのかどうか微妙な所なので前提条件が無いと何とも言えないところです。

392 :
ありがとうございます^^
いっぺんに運べると思われる川路といえども、大変な手間・人数と日数がかかることがわかります。
今まで世に出ている埋蔵金の資料によれば、何度も荷物を搬送したような記述が無いので、いっぺんに運んだと思われます。
@牛馬の徴用がみられない。A人足は赤城周辺(山間部)での徴用だけで、川からとの記述はない。B油樽を運搬と書いてある。C警護の者まで運ぶとは思えない(強襲の可能性)
このへんから、1回で陸揚げから移動が困難なのがわかります。
では、回数を分けた場合。重装備行軍の基本は、1時間に6kmなんで、日の出7:00〜日の入り17:00の10時間と仮定して、60km
8回往復なら往路で8回復路で8回ですので60÷16=約4kmの範囲。後半は、消耗しているんで陸揚げ地点から半径3km範囲かな。
3kmは、平地での話しなので、途中山間部があれば移動速度も遅くなります。
このことから、埋蔵工事の起点とされる双永寺までの移動は困難です。
それに8往復もしたら目立ちますし、書物等に記述されると思います。

393 :
また、4tの金塊をいっぺんで運んだ場合の人数(>>390の100人)の移動形跡がない。
っということは、
仮定@:1回で運べた場合。1回で運べる量の金=400万両無い。
40kgを12人で一回=480kgの金塊
万延小判の金の含有量は1gなんで、小判にして48万両
仮定A:川路の場合(埋蔵まで)は、揚陸地点から距離が短い地点。
もちろん川岸に座礁させて陸揚げは困難なんで、はしけが必要だったかも。
もしくは、すでにはしけがあった地点から半径3kmまでの地点。
となります。
これは、あくまでも川路の場合であって、
陸路の場合は、スタート時に大人数だとしても分散行動がとれるので、目立つことも無かったかと思います。
片品村あたりでの牛での運搬の目撃談などからも一致するわけです。
ですが、村人等から人足を雇って運んだとも書いてありますので、
「川から」と書いてないだけで、川の揚陸地点から人足(100人)を調達して「いっぺんに各地へ分散した可能性」もあるわけです。
7箇所(七臣)に埋めたとすれば、人足15名警護5名程度で一班。それを7班。
でも、7班であれば赤城以外にも同様の目撃談があってもおかしくないんですが・・・。
ってことで、私は、「400万両は尾ひれが付いた額」と、「群馬県内赤城以外説」なのでありますw

394 :
あ 水野さんの本にいくつかの班が集まってきたって書いてあったっけ?
居酒屋かどこかで若い男を雇ったようなことが書いてあった気がするが
酒を飲んでると埋蔵地に一箇所に同じような班が集まって・・とかも書いてあった気がする。

395 :
165さん、おひさしぶりです。
 埋蔵金の量ですが、400万両は過大でしょうね。
 鳥羽伏見の戦いの後、大阪城から18万両を持ち出したことが
 ありますから、その程度はあったのではないでしょうか。
 運搬方法ですが、私は水運で前橋まで運び、そこから陸路では
 なかったかと想像しています。前橋城は幕末に再建されてますので 
 江戸からの水運はあまり目立たなかったと思います。
 赤城でも前橋藩を名乗る武士団が滞在したとなっていますね。

396 :
165さん、おひさしぶりです。
 埋蔵金の量ですが、400万両は過大でしょうね。
 鳥羽伏見の戦いの後、大阪城から18万両を持ち出したことが
 ありますから、その程度はあったのではないでしょうか。
 運搬方法ですが、私は水運で前橋まで運び、そこから陸路では
 なかったかと想像しています。前橋城は幕末に再建されてますので 
 江戸からの水運はあまり目立たなかったと思います。
 赤城でも前橋藩を名乗る武士団が滞在したとなっていますね。

397 :
おお 赤城本命さん お久しぶりです。
陸路は危険と、目につきやすいので、やはり川路だと思っています。
個人的には、江戸城から海には出ずに江戸川〜利根川のコースだと思っています。
ただし、到着地が、前橋なのかはわかりません。
んー金額ですか
50万両前後の小判相当の金塊だと思っています。

398 :
また1年過ぎてしまうのかぁ・・・

399 :
TVで田母神氏の論文が取り出されているが、言いすぎな面があるが間違ってはいない。
学校では日本史と世界史とに隔て、日本史の時間をさき、うわべだけしか教えない。
また、日教組の思想や某国々の意向に蹂躙され、正しいことすら教えない。
たとえば、第一次大戦後ドイツの植民地だった南洋群島諸島を「国際連盟規約第22条に基づき統治」した「日本委任統治領南洋群島洋諸島」を教えない。
委託統治は、簡単に言うと「ドイツの植民地だったのを国連の承認を得て引き継いで結果的に植民地にした」ことである。
日本の委任統治領となったのは、カロリン諸島、マーシャル諸島、マリアナ諸島(グアム島を除く)
ちなみにこの辺の赤道以南は、日本と同様に「ドイツ」からオーストラリア、ニュージーランド、イギリスが共同受任国になった。
まるで日本軍がわざわざ太平洋をサイパンまで攻めに行ったような勘違いをする人がいる。
なんでわざわざあんな遠い南の島まで占領・・違うw 最初から日本の統治だったのだw
サイパン玉砕を悲観し、ナンセンスに言う人がいるが「自国(日本)を最後の一兵になっても必死になって守った」だけ
極端だが、北海道がロシアに攻められ、道民が必死になって戦って死んで行くのを「なにやってんだよ?」というようなもの。
ロシアの高官は、北海道はロシア領といっているので、まんざらでもないがw
ちなみにグアム島は、1898年の米西戦争(アメリカvsスペイン)からアメリカ合衆国の領土になった。
じゃぁドイツがUボートでも送り込んで占領しかたというと違う。買ったのだw
かたや国連から委任されて統治されたサイパン、かたや戦争で奪い取ったグアム。ちなみにスペイン領だったフィリピンもこのとき奪い取ってる。
このように前世代、全体制を批判するのは常だが、歴史などはちゃんと教えるのと自ら勉強すること。

400 :
まぁちょっと話が飛んだが、江戸時代に戻すと
徳川綱吉の「生類憐みの令」は、どう教わったか?
「悪政の代表」と思った人もいると思うが、現代の「動物愛護法」じゃないの?
また最近では、見直し論もあり、
「当時は、まだ戦国時代の「人をして出世する(賃金を得る)」がごとき風習が未だ根強く、病人や牛馬などを山野に捨てる風習や、
宿で旅人が病気になると追い出されるなどの悪習などを改めるための法律であったと考えれば、厳罰を持って処すことの是非を軽々しく評価はできない。」
ともなっている。
さらに仏教の影響や生の戒めの精神論であった。
現在でも本来狩りの対象でもあるカモをしたりすると「動物愛護法」で逮捕される。同じじゃない・・・。
この生類憐みの令が廃止なった直後から、肉食が急速に広まった。
これも正しく教えれば、動物愛護法と同様に善政である。
※ただし、当時違反者の処罰をやりすぎたこともあり、悪政という面もある。
なぜ悪政と覚えてしまったのか、、、
封建社会へいの批判という教え手の思想があったのではないかと思う。

401 :
そうそう ちょっとふれときたいが
フランス政府の後ろ盾で日本国債を発行、六百万両を工面する計画を立てたが、薩摩藩の妨害で計画は潰れている。
また、埋蔵金によく登場する小栗上野介こと、小栗 忠順だが非常に優秀だった。
小栗主導で、慶応元年(1865年)に「横須賀製鉄所」を建設開始。費用は4年継続で総額240万ドル(現在の300億円)。
横須賀造船所の建設で相当な費用を幕府に負担させたという説もある。30万両か
このとき群馬県下仁田町中小坂で鉱山採掘施設との建設ラインを引く。
このへんから小栗と埋蔵金のかかわりがあるとされているかもしれない。
小栗の死は、埋蔵金とかかわりがあるのではなく、その優秀さと「主戦派」だったからと考える。
また、明治政府入りした勝海舟に売られ勝の身代りにされた感もある。
斬首は慶応4年4月6日、明治政府は慶応4年9月8日からだからまだまだ安心できず、
小栗のような分子は危険とみなされて処罰されただけなのかもしれない。
優秀さと、幕府重要人物、主戦派、国際派、金を集めることができたので、生かしておいては脅威と思われたのかもしれない。
最後は、取り調べもされないまま斬首されていることから、
逆に埋蔵金にかかわっていたなら、江戸で過酷な取り調べを受けていただろうから、
埋蔵金には明治政府も「小栗は関係ない」と思っていたのかもしれない。
悪者扱いで勝海舟を登場させていまったので、勝先生のありがたいお言葉をご紹介。
「文明、文明、というが、お前等自分の子供に西欧の学問をやらせて、それでそいつらが、親の言うことを聞くかぇ?ほら、聞かないだろう。親父はがんこで困るなどと言ってるよ。」
では、また^^

402 :
165さん、はじめまして。
ここはずっと見ておりましたが初です。
銅版の写しに、そっくりな場所があると言っておられましたが、
古い本を手に入れまして、水野さんの若い頃が掲載されていました。
そこに銅版の写しの紙の写真があります。古くて字は読めない。
すこーしですが今の図と線がゆがんでいます。紙の色は白。
違う雑誌では紙の色が黄色のもありました。少し破れています。幾つも存在するのですかね。
165さん、ブログかmixi始めて下さい。このままでは進展しませんw

403 :
うw mixiはあるけど放置状態ですw
mixiを始めたとしても、いままで書いてきたことをなぞるだけです(涙
ほとんど書いてしまった。
どーせ自分ひとりで掘らないので、場所を教えてあげたいけど、
本格的に掘られたり、争いになっても困るので、ここでは具体的に申し上げられない。。。
そっくりだけど、その場所かの確証がないから。。銅板が本物だという確証もないから。。
このスレももう1年経ちましたw 実はパート2で、パート1はさらに1年さかのぼります。
そっくりな場所はここだ!ということは言えませんが
今までの書き込みをたどれば埋蔵量ではなく、あるか、ないか、いかに埋めるか
自分で埋める気で探すといがいと見つかります。
@江戸からの運搬に容易な場所
A穴を掘ってもばれなそうな場所
B不動のもの(後世発見できる場所)

404 :
>>402 栃木の虎さんの問いに答えてませんでしたね。
絵地図等銅板に関しては、何種類も世に出てます。
栃木の虎さんがいう「銅版の写しの紙の写真」もそのひとつでしょう。
まぁ水野氏といえども持ち歩くと強奪される可能性もあるのと、見せたくない部分があれば模写のときに修正するでしょう。
また、チラ見をして「模造」する輩もいれば、真贋不明のまま世に出て詐欺の手段にも使われたでしょう。
水野氏本人が、銅板と言っているので、現物は銅板なんだと思います。
しかし、以前、赤城本命さんとのやり取りで、距離らしき漢数字が書いてある銅板のその漢数字が異なっている。
また、出土した燈明皿の漢字も異なっているなど、現在世に出ているもののどれが本物なのかが区別できません。
現物自体も一体どこにあるかすらわからない。
水野氏がもっているのが、はたして本物かも・・・。
本物・模写・模造(詐欺)が存在すると思います。
手法としては、このすべてを検証して、もっとも納得できるものを本物とし、調査するのがいいかと思います。
その調査が空振りならば、次の・・・その次のと
さらに言うならば、本当に銅板が存在したのか?
まぁわれわれの手がかりは、今出ているものしかないのも現実です。

405 :
165さん、
06年11月からですね。赤城本命さんは06年夏から見ております。もう痺れを切らしましたw
なるほど、「銅版の写し」幾つも存在するのですね。
やはり皆で検証する場が必要です。
mixiでやりましょう。この冬で調べて春には現地検証とか。
現在mixiで徳川埋蔵金伝説とTBSの徳川埋蔵金大発掘のコミュがあります。
あまり盛り上がってないですがw
165さん新しくコミュを立ち上げて下さい。皆集まると思います。
個人同士で連絡も出来ますし、画像もあるので、いい場だと思います。
ブログにして見るのはパスワード制でもいいですね。捨てアドに連絡下さい。

406 :
ブログの方がいいと思

407 :
茶碗しか出てこねぇよ

408 :
ふむ。。
期待されてますね。。
前向きに検討しましょう
もうしばらくお時間ください。

409 :
ブログ作ってみたよ。
過去の書き込みの整理がメインになるっぽいw
酒のつまみにどうぞ^^

410 :
ブログのURL知りたい人はメールちょ
2chの性質上、ここでは公開しないからねーw
でも、ブログやるからって、ここにこなくなるわけじゃないから
ひきつづき埋蔵金発掘が趣味の人をよろしく

411 :
アメーバブログの中を検索してね
徳川埋蔵金っす

412 :
>>165さん
ブログ拝見しました。 
そのなかで一寸、詐欺師についての見方が単純過ぎると思いましたよ。
これはずるずると金を出させて、しかも詐欺に問われないという見本です。
海老の養殖やら和牛は数年もすれば結果が判ってしまうので、
長く続けると詐欺と認識される可能性が高いです。
出資者には高額の配当を約束しますし期限も自ら設定しますので
時間が経つほど資金の回転が難しくなるからです。
その点、埋蔵金は、やり方次第でいつまでも続けられます。
赤城のようなやり方をすれば、出ないからというだけでは
詐欺とは断定しにくくなる。
例えば、1億の資金から2千万位は自分で使って、残りは本当に
発掘に使用するというような使い方をすれば長続き出来るでしょう。
出資者も現地を確認していながら、追加で出資していたようですが
これは実際に大規模に掘っていたからですね。
実際、初期には全く何も出なくても次々に出資者が現れた。
この場合、一番の仕事は出資者を見つけることなのでしょう。
和牛などと違うのは出資者は不特定の大衆ではない、言ってみれば
勝ち組の人間です。
そのための人脈を作ることが主な仕事だったと思います。

413 :
赤城関係の資料の中で事実と確認できた最大のものは、中島さんという人が
詐欺で有罪になり服役したということです。
中島さんが詐欺に問われたのは、資金を引き出す際に埋蔵金の在りかを
断定するようなことを契約に言ってしまったものと思います。
その反省からか、後には埋蔵量や埋蔵箇所を断定するようなことは一切
出していません。
それから、ついでですが、私は中島さんと水野さんは親戚関係ではなかった
のではという疑問も持っていますよ。
また、細かい金額の件ですけど、当時と今の物価の比較をするのに鶏卵を
用いるのは適当じゃないと思います。 
相当に当時の価値が低く計算されてしまいます。
昭和30年代の記憶では、商店街には卵屋さんが有って、卵とか鳥の餌だけを
商っていた店が有ったものです。
病人の見舞いに卵を10個とか持って行っても失礼にならないほど価値が
高かったんですね。 私もお使いに卵を化粧箱に入れて持って行きましたよ。
昭和ですらそんな具合なので、明治ではもっと高価な品だったでしょう。

414 :
お どうもはじめまして
卵ですか。。卵じゃなくてもよかったんですが、わかりやすいとおもって^^
卵の価格は安定しているって言いますしw
明治20年前後の卵の価格は7厘です。鉛筆1本1厘です。
現在のアスクルの通販でトンボ鉛筆1ダース(12本)が504円です。
1本42円です。
それの7倍ですから42円×7=294円 卵1個294円です。さすがに高いw
10個つつめば約3000円。
現代の菓子折りも3000円ぐらいが相場なのかな?
3000円なら失礼にはあたらないかと^^
>>412-413さんのおっしゃる通り、当時も卵は非常に高価な物だったんですね^^
まぁ卵もいろいろありまして、ブランド卵だともっと高額になりますね。

415 :
で、詐欺ですが
おっしゃるとおりどの詐欺も数年やればばれてしまいます。
えび・うし・おれおれ詐欺もばれています。
長く続けると不審に思う人が増えてしまうわけです。
掘り返して長くやるより、原野商法で短期に儲けて逃げた方がリスクが低いわけです。
なぜなら、埋蔵金などという夢のような話に出資できる人間はそうはいないからです。
そういう人達は、河野広中みたいな危なげな人達かと。。
そんな人達を相手に詐欺をするより、原野商法みたいに不特定多数にチャッチャと売った方が安全です。
どっかの演歌歌手も「ここに線路が通る」と言われて土地を買ったが、線路は遥か彼方・・・。
高崎線の延伸に伴い、これは可能だったと思います。
ですが、これは初代が30万を元手に始めたを100%信じた場合に限ります。
無一文に近い状態ではじめたなら、1億融資されて2千万を私的に使うだったかもしれません。
水野氏の著書を信じるなら、一生遊べる金額を元手にはじめているわけですから
1億融資されて2千万を私的に使う必要が果たしてあるのかということです。
まぁお金はあっても困らないですけど^^
次に中島蔵人ですが、今日のブログにも書きましたが、かなり怪しいことは確かです。
怪しいのは経歴や甲府から運んだということ。
実際に訴えられているので?実在していたということです。
詐欺といわれていますが、中島のほうが詐欺らしいといえば詐欺らしいです。
無から有をうむわけですから。
水野さんとパターンが違います。中島は短期で、水野さんは長期
中島が詐欺の方法を伝授したのでしょうか?疑問です。
むしろ、中島が水野さんを騙した格好にすれば自然かと思います。

416 :
ちょっと原野商法をおさらい
原野商法(げんやしょうほう)とは、原野などの価値の無い土地を騙して売りつける悪徳商法のことをいう。
1960年代から1980年代が全盛期であり、新聞の折り込み広告や雑誌の広告などを使った勧誘が盛んに行われていた。
虚偽のリゾート開発や計画段階の新幹線や高速道路建設の計画とリンクさせ、土地の値上がり確実であるとの虚偽の説明を行う。
勧誘する地域とは遙かに離れた土地が投機目的の理由で斡旋されることから、現地を訪問して土地を検証することが困難であり、
訪問したとしても売りつける土地とは違う他人の土地に案内するなど、追及をかわすさまざまな手口が用意されている。
やっぱりこっちのほうが早くね?
元手で原野を買っておいて、高崎線が延伸して、このへんに駅ができるよとか。
この辺に埋蔵金が埋まっているから買ったほうがいいよ。
こっちの詐欺のほうが、土地の価格が倍になるかはわからないけど
つくばエキスプレスの計画発表の前後じゃ土地の値段はえらい違いだから。。
河野広中と組めば簡単だったんじゃないかな?
それをだらだら掘り続けて飯を食うんじゃ 智義はバカだね。
って、そう考えてしまう持論ですから
埋蔵金を肯定しているわけではないことをお忘れなく^^

417 :
価格考査について
ブログにて卵を1個3円と書きました。みなさん読んでくれたかな?
価格考査は、あくまでも最低の最低値をとるようにしています。
なので、>>414で再検証すると1個294円になるわけです。
なぜ、最低を取るか
1個294円の卵=7厘です。294÷7=1厘42円です。
1円=1,000厘ですから、42円×1,000=42,000円
1円=42,000円になってしまうわけです。
これはさすがに高いんです。
水野さんは、30万円持っていったと書いてあります。
1円玉10枚で10円 100枚で100円 1,000枚で1,000円 30万円で300,000枚
42,000円×300,000枚=126億円になってしまいます。
個人が持っている金額ではありません。
こんなにもってたら詐欺なんかする必要が100%なくなってしまうw
一両の価値も米価と労働賃金で変わってきますし、蕎麦での換算は割高です。
大蔵省発行の明治7年2月、8年9月の各地価格表(東京)をみると
明治7年上米1石(150kg)が、6.39232円ですが、
明治8年上米1石(150kg)が、7.72347円になっています。
約1年8ヶ月で、約20%の値上がりです。そう、ハイパーインフレなのです。
なので、3円とみると安いかもしれませんが、卵の価値は高いわけです。
ですが、当時の1円の価値は?と聞かれると
物価と照らし合わせてみないといけないために、上記で書いたようにびっくりする金額になってしまうわけです。
インフレ率を除いた実質的な貨幣価値を考慮しなと見失ってしまうわけです。

418 :
お仕事暇なんで・・・^^;
中島蔵人のことにふれて。。
ブログでも書いてあるが、中島蔵人はちょっと怪しい人物ではある。
今晩書くつもりだったが、
勘定吟味役は、水野さんや私たちの間違い?勘違いだと思う。
よく、勘定吟味役には、中島蔵人という人はいなかったといわれる。
勘定吟味役は、高い地位で少数しか任命されない。任命されれば記録されるはずである。
だが、勘定吟味役にも種類があることを忘れている。
@勘定吟味役―総監査役
A勘定吟味役改役―主任主計監査官
B勘定吟味役改役並―副監査官
C勘定吟味役下役―監査員
D勘定吟味役当分出役―地方出張員
同じ勘定吟味役でも5種類あるのだ。
当時の下っ端までの勘定吟味役の名簿とかないので、だれか探してw
この中に含まれていたのかもしれない。
特に甲府に行っていることから、勘定吟味役当分出役だったのかもしれない。
「仮」にみなさんもどこにお勤めですか?と聞かれたら?
○×株式会社 経理部経理課経理係員とは・・・。
高職の勘定吟味役ではなくて、下っ端の勘定吟味役だったのかもしれない。
なので、甲府からの埋蔵金運搬の際に甲府城代にシカトされて先に行かれたのかも。
幕府高職の勘定吟味役をシカトする城代は、たぶんいないと思うから
下っ端勘定吟味役だった?
どうですかね?w

419 :
んー こっちの書き込み頻度を減らそうw

420 :
久しぶりにきてみた^^
ブログにお越しの方々ありがとうございます。
また、コメントやメールしてくれた方々ありがとうございます。
引き続きブログ更新していますので、ぜひお越しください。

421 :
神社の大きい木の下を夜中に掘ってたら見つかって警察呼ばれた
みんなも注意しよう・・・
冒険心もほどほどに!

422 :
了解しました!
神社の大きい木の下を夜中に掘るときは注意します!

423 :
徳川埋蔵金伝説は実は50箇所位、埋蔵説があるんですが、その中でなんらかの
物証なり、物証らしきものが出た地点あるいは出たと言われる地点は私の知る
限り、六箇所です。
 @赤城津久田中原 現水野家 神君像、銅皿(付近から亀像、梵字)
 A赤城深山    双永寺  三枚の銅板の発見場所と言われる。
 B赤城小川田   三枝氏発掘地点 五輪塔、祠、文字の刻まれた石
 C赤城芳ヶ沢   桜井氏発掘地点 天門入口辛宝庫と刻まれた石(剣持氏が関係している)
 D猿ヶ京十二社神社 洞窟発見、後に隠れキリシタンの礼拝所と判明
 E三峰山の安養寺 荒れた祠から巻物が出たとの畠山氏の記述あり。
 このうち、C、D、Eに関しては余り信用していません。
 つまり、何らかの物証が出た地点はほぼ赤城西麓の津久田に限定されるのが
 実情なんです。
 これが私が赤城西麓にこだわる理由ですね。
 それと幕末史に関しては余り興味がないですね。いままで、赤城に関する
 決定的な資料は出ていませんし、これからも出る可能性はないでしょう。
 結局のところ、水野氏、畠山氏、八重野氏の著作の中から、あるいは現地
 調査から結論を出すべきだと思っております。
 埋蔵金運搬について
 畠山氏の著書にある武士団、人足の赤城行きは埋蔵金運搬ではなかったと
 私は思っています。彼らがやったのは測量及び事前工作ではなかったかと
 思います。運ばれたものは油樽とか、弾薬箱とか、長持とか言われてますが
 これは測天儀等の測量機器や土木用の道具が入っていたと思いますよ。
 以前、伊能忠敬一行を描いた図を見ましたが、測天儀は油樽に見えなくも
 ないですね。
 以前も書きましたが、前橋城は1863年位から再建工事がありまして、江戸から
 前橋までの水運で少々の重量物を運んでもなんら怪しまれなかったと思います。
 前橋以降は恐らく分散して陸路というのが妥当と思います。

424 :
>165さん、バタバタしていて間が開いてしまいました。
物価を比べるのは、ほとんど無理かも知れませんけど、敢えて比較してみますと
明治20年頃の1円は現在の3万円位と見積もっています。
単純に国家予算で比べると数十万以上になってしまいますし、卵で比べると正反対の
数字が出て来ます。 そこで、色々な職業の収入の平均で比べてみました。
当時は格差が今よりも遥かに大きいので、上下の平均的なところで比較したのです。
そうすると、智義さんの最初の資金は90億くらいになります。
これでも当時の工夫の日当が安いとは言っても、常時100人単位の人を使い、
土地を取得したりする費用を考えれば、10年もすると使ってしまう金額ではないでしょうか。
それから、この埋蔵話が詐欺と考える理由はいろいろと有るのですが、昔調べたところを
憶えているだけ少し書こうと思います。 (先に書いた中島さんの詐欺事件は除く。)
赤城埋蔵金を調べている人には周知のものばかりかも知れませんが、整理の意味で。

425 :
1.智義さんは赤城には無一文かそれに近い状態で来ている。
昭和50年頃と思いますが赤城の現地などを調べていた人からの情報です。
確か八重野さんの本でも同じようなことが出ていたと記憶していますが、複数の住民からの聞き取り
だったようです。 話を聞いた住民は親からの伝聞だったりしますが、大体は事実と見て良いでしょう。
また赤城に来る前に商売を営んでいたとされる地域には、当時の地図に水野さんという資産家は
見当たらないという結果も聞いています。
2.智之さん側では、中島さんは自らが直接に甲府の金を赤城に埋蔵し、地図などの埋蔵の資料は
智義さんに渡したとなっている。
3.義治さん側では、中島さんは甲府の金の行方は知らないとなっている。(榛名山に埋めた。)
こちらの伝承は、柴田さんとの行動の経緯が時間的に歴史的事実と矛盾していて、
単なる記憶違いでは済まない決定的な誤りがある。 
4.智之さん側では、既に七臣は発掘済みということである。
つまり、銅板は埋蔵金とは直接の関係は無いということになる。
また、鳥飼の源さんの発掘したものは埋蔵金ではないという見解である。
5.智之さん側の云っている銅板の数字の並びが、今出回っている関連本のそれと全く異なる。
現在出版されている複数の本は皆同じ配列のようだが、これはどこから出たものか。
6.銅板の入手時期や経緯が、両家の伝承の間で大きく異なる。

426 :
以上、憶えているところを書いてみましたが、どなたも文章全体がいかにも作り物っぽいという印象は
持たれると思います。
さらに加えて畠山さんの文は両家の混交の様な態ですから、調べていくほど??となってしまいますね。
ついでに三枝さんの方にも一言。
「なぜ、あの場所にしたのか」という理由がデタラメです。 
銅皿の文字と三枝さんの語った内容が全く一致していないことと、
あの場所は街道の直ぐ近くのため、長時間作業をしたら目立って仕方のない所ですから、
こちらも筋の悪いでっち上げでしょう。
出土したと言われる品々も実際に長時間埋まっていたとは考え難いものだったようです。

427 :
まぁこればっかりは、掘り当てないと証明できないので、悪魔の証明と同じです。
有ることを証明するには、見つけなければいけませんし、
無いことを証明するには、無いことを立証しなければなりません。発見されていないから無いはダメです。
現在の徳川埋蔵金に関しては、有無どちら側も憶測でしかありません。
物証があるから有る。というのも早計ですし、
物証等は作り物だ。という側も年代測定等できていない今では早計ですね。
ブログでも書きましたが、目撃談等も本当に埋蔵金運搬だったのかも荷物の中身がわからないので、有無の特定ができません。
埋蔵金に関連して当初は、幕府財政破綻説があり、赤字はあるが蓄えがない=埋蔵金があるはずない。というのが主流でしたが、
近年では財政は苦しかったが、金がなかったわけじゃないというのが主流になっています。
まぁココでも高らかに「財政破綻して金が無かったのにできるはずが無い」という方が多々登場しましたが、そのうち消えていくでしょう。
私も含めてですが、双方どちら側も水野氏、畠山氏、八重野氏などの書物からの憶測でしかありません。
また、これらの書籍から、さらに尾ひれがついたり、想像や印象がいつのまにか事実だったというふうに変わったりもしてます。
中島蔵人すら、どの書物も勘定吟味役で終わってるし、柴田監物ですら甲府城代と書いてあるやつすらある。
ただ、人の書いた書物の上っ面だけなめて有る無いを語るのはいかがなものかと・・・。
なので、私は最初から「あるかもしれない」なのです。
また、過去から赤城にこだわりすぎているので、実は違う場所じゃないか?なのです。
変な話ですが、肯定派は、今まで世に出てる資料等を基に掘り出さなければなりませんし、
否定派も今まで世に出てる資料等を基に納得する場所を掘り返して、無いことを証明しなければなりません。
そのためにも現在世に出ている資料を基に、概念や憶測を排除し研究しなければなりませんね。

428 :
>>425さん
1、2、3については同意します。
4について
 七臣が発見されたというのは水野家の発見した神君像(家康像)を
 一将とすると「七臣に達すれば分証揃って一将顕る」の記述からの
 推定か、あるいは三枝氏の七番目の庚から庚申塔を発見したことから
 かの推定と思います。現時点では七臣発見はありません。
5について
 明らかにどちらかが偽造かあるいは銅板自体が偽造です。
 昭和63年頃から新しい数字が出てきたように記憶しています。
6について
 両家と書かれているのは水野家と双永寺ということでしょうか?
 双永寺は否定していますね。
 ただし、別の物証は双永寺からでたという情報もあります。(前スレで述べましたが)
三枝氏の発掘について
 長井小川田は民家から近すぎて、埋蔵地としては不適格です。これは認めます。
 ただし偽装地、関係地として私は重視しています。
 あそこが選ばれた理由は元からあった庚申塔群の存在だったと私は考えています。
>>165さん
 埋蔵金の存在の証明も不存在の証明も中々難しいのですが…

429 :
>>赤城本命さん
4.これは智之さんの当時の著作に書かれていたものですから
何をもって七臣と言っているか正確なところは分りません。
ただ、実際にそれと対応付けられるようなものが出土したそうです。
5.面白いことに他家から出てきた別の2種の銅板の数字は新しいものと
同じなんですね。 水野さんのも2種類あるみたいです。
6.両家とは義治さんと智之さんということです。
あまり仲が良くないそうですが、事実関係の記述が方々で食い違います。
双永寺は関わりたくないようですね、この件には。

430 :
追加です。 思い出しました。
4.の七臣は正確には6個発見したということだったと思います。
1個は既にメチャメチャに掘った後なので分らなかったらしいです。

431 :
>>425さん
 4について
 私の理解とは少し違うようですが、この件はわかりました。
 6について
 義冶氏と智之氏の関係はおっしゃる通りです。
 ただ義治氏の亀発見も水野家による偽装工作でしょうか?
 これは写真などがないので実際はどのようなものかよく分かりませんが、
 自分達で作ったものを基点として発掘するといったことがあるのかなと思います。
 むしろ、詐欺であれば亀の像をそのままにして、こんな物が出たと残しておいた
 ほうが良いように思います。智義氏には詐欺的要素を感じるのですが、
 義治氏には全然感じないのです。
 考えれば考えるほど自問自答の中に入っていくのですけれど…

432 :
>>赤城本命さん
1から6まで書いたのは特に私の意見ということではなくて
他人が調べたことや本に載っていたことばかりです。
そういった色々な資料を総合した結果、詐欺と云う見解に達したのです。
私は詐欺を意識して行っていたのは初期の頃、中島さん、智義さんの
時代だけだと思います。
後は先人の引いたレールを延ばしているのだと考えます。
もちろん、長い時間が経っていますので、何かしらおかしいなという
感触は持ちつつ続けているのでしょうが。
亀などタタキの類は実際に出土したんじゃないでしょうか。
本に書かれているような形かどうかは分りませんけど。
あの水野さんの敷地の中で、幕末に何かしらの作業が行われていたのは
確実だと思っています。 
ただ、その結果は御用金の埋蔵ではなかったということですね。
その作業に関わったか、あるいは小耳に挟んだのが中島さんで、それを幕府の
瓦解後にネタに使ったものと思います。
当時の作業や計画に関わった人たちは、その計画が完遂されることなく終了した
ので何も無かったかのように忘れられたのでしょう。
もちろん赤城への軍用金などの移動も無かったので、作業は何の意味も
持たなくなったのは当然です。

433 :
んー 425さんには失礼だけど
個人的な感想だとはわかりますが、他人の書いた著書をもとに断定するのはいかがなものかと思うけど・・・
ご自身も「亀などタタキの類は実際に出土したんじゃないでしょうか」
ならば、なぜ亀などのタタキがそこにあったのか?なんのために埋めたのか?
「あの水野さんの敷地の中で、幕末に何かしらの作業が行われていたのは確実だと思っています。」
では、その作業とは、いったい何だったのか? 確実に行われた根拠は何なのか?
「当時の作業や計画に関わった人たちは、その計画が完遂されることなく終了した」
完遂されなかった理由はなんだったのか?完遂されなかったとなぜわかるのか?
「赤城への軍用金などの移動も無かったので」
その根拠はどこから出てきてるのか?
埋蔵金を詐欺であり根拠のないものと解説しているのに、このへんが矛盾というか解説しきれてないかと思います。
詐欺だということを立証するためにも、ご自身で研究してみてはいかがでしょうか?^^
畠山氏の当時の調査による目撃談や作業の話はなんだったのか?というのもあります。
目撃談等を話した人たちは詐欺に加担したのか?
私も赤城以外説ですから、測量か開墾かとも思っていますが、そんなことを昼夜問わず行なう必要もないし、
かがり火をたいて峠越えするほど時間がない測量っていうのも不自然かとも思う。
わたしは、「いつ」「どこで」「だれが」「なんのために」を基に埋蔵は可能なのか(金額および埋蔵作業)から行ってます。
次に場所ですね。「赤城なのか違う場所なのか」「そこまでの運搬が可能だったか」です。
そして初めて銅板や燈明皿ですね。
先入観を捨てて、1から考え直す。意外と楽しいですよ^^
ちなみに銅板全部が偽物とは思えません。
全部偽物だったら「一は萬物のはじめ」なんて書かないと思います^^
たぶんオリジナルからのコピーが出回っていて、最初に手に入れたのがどれかわからなくなっているのでしょう。

434 :
>>165さん
この埋蔵話は全てが水野さんの発掘や発表された資料などが発端となっています。
従って、埋めたかどうかを含めて、その発端が作り物であったならば、
更に深く追求する意味は無いと思うのです。
なにしろ、徳川埋蔵金が有ると言い出したのは水野さん・中島さんだけですし、
銅板にしても埋蔵の経緯にしても、その辺の資料を基にせざるを得ないのですから。
この件を調べていたのは今から30年以上前ですが、実際に発掘を検討していた
人たちなんです。 当時はまだ何件か金を使ってリアルに動いている人がいたのですね。
それに現地の住民などからも情報が集まったのでしょう。
今では現地から得られる情報はほとんど失われてると思いますが。
私は成人はしていたけれども資金もコネも無いので、自分では大した調査も
出来ずに、知り合ったそういう人たちから話を集めていたわけです。
その後、少しずつ補強の証拠集めらしきこともしましたが、残念ながら畠山さんの
記事を否定するような結果になりましたし、計画していた誰の発掘も実行されませんでした。
銅板を含めて埋蔵金の基礎資料についての由来なども見当が付いたのです。
ちなみに「一は萬物のはじめ」というフレーズなども判ってみれば詰まらないことです。
埋蔵金が無いと分った今となっては、残った謎は津久田原での作業ですね。
埋蔵金を求めている人から見たら無意味ですけど、何を目的としていたのか、
それは研究してみたら面白いかも知れません。

435 :
そうそう425さんのおっしゃる通り、すべては水野氏です。
群馬県内赤城以外説で埋蔵金はあるかもしれない派ですから、いままでの物証もすべて本物だと思っていません。
しかし、赤城本命さんが言っている通り、不可解な部分があることは確かです。
私は、赤城に興味ないんですけどねw
なので、お宝目当てに本格的に掘るわけではなくて、真面目に研究している方には申し訳ないがお遊び的いうか、
現代でもなお人を引き付けている埋蔵金伝説を楽しんでいるといった方がいいかな。
シュリーマンが発見したトロイの遺跡もそうですが、神話上の架空都市と言われ続けていたのに発見しました。
このロマンですね。400万両発見しても自分のものにはならないんですからw
それと「一は萬物のはじめ」なんていうことをなんでわざわざ書いたのか?なのです。
真贋よりも深層心理に迫る楽しみですかね。
ちなみに水野氏、畠山氏や八重野氏の著書は参考にはしますが信じてません。
だって、でないんですものw
なので、シュリーマンと同様に場所の特定からスタートしました。
場所を特定してから、銅板等を参考に真贋を検証しています。
赤城は無視できませんが、赤城にこだわる必要もないかなって

436 :
正月休みを利用して、見に行ってみようと思っていますよ^^

437 :
>>165さん
あの辺も10年位前には既に相当様子が分らなくなっていましたから
今はもっと変ってるでしょうね。
区画整理なんかで道が変ってしまっていて。
これから車で行くならスタッドレスくらいは履いて行った方が良いかも。
それから、あの三枚セットの銅板は当てにしない方が良いです。
書かれたのは明治に入ってからですし。
智之さんも埋蔵金と関係無いと書いてますけれど、私も彼とは違う根拠
からですが同意見です。
そういえば研究してる人で銅板の現物を見た人はいるんでしょうか。
いても畠山さんくらいかな。  智之さんが初代は入手したように書いてますから
水野家には有ったのかも知れませんけど。
私は拓本らしきもののコピーしか見てませんから是非見たいです。

438 :
銅版等は、信じていません。
本来なら、糸井が年代測定とかするべきだったのですがそれもされず。
こないだの香取信吾がでてた番組でも、一切振れられていませんでした。
また、この期に及んで現物を出さないあたりも怪しいといえば怪しいですw
ですが、世に出てるのは水野氏のものしかないので、それらを手がかりにしていくしか方法はないわけです。
いろんな人のブログをみると、水野さんは遊びに行っても快く迎えてくれるみたいですね。
ぜひともご存命のうちに本人にお会いしてみたいものです^^
あれ?425さんは、私に拓本?写本?を見せてくれて人なのかな?
来年も男のロマンに向けてがんばりましょう^^
みなさんいまた来年あいましょう^^ って、明日から来年かw

439 :
>>129>>146>>276>>281(必読)
上記の事に関係なく、結局、誰も進んでいない。これが現実ですよ!

440 :
あけましておめでとうございます。
>>165さん
銅板のコピーは誰にも見せていません。 
これは借り物ですし自分でもコピーなどは取りませんでした。
元は拓本らしいのですが、そのコピーなので質感は分りませんでしたね。
寸法も畠山さんが書いているものより大きかったと思います。
コピーなら拡大は自在ですから当然ともいえますけど。
銅皿の写真は本に載っているものは裏返しになってるものしか見たこと無いですが
これが普通なんでしょうか。
あれを書いた人は字の使い方に特徴がありますね。
銅板の方も言葉遣いに特徴がありますから、そのへんもヒントになりました。

441 :
みなさま あけましておめでとうございます。
といっても、すでに4日なわけですがw
正月いこうとおもったんですが、寒いのと帰省ラッシュでw
暖かくなったら出直しますw
あら、銅版のコピー?写真だな。。を見せてくれたのは、425さんじゃないのか。。
コピーといっても、筆記とおぼしき写しで昔ながらの写真でしたけど。。
現在見れるやつと、文字の配列がちょっと違っていましたね。
まぁ基本的に歴史を振り返ると
小栗がやったとは思えませんし、井伊直弼暗から後年ですし、埋める理由が定かではないのが問題です。
しいていえば、官軍との戦いで軍資金の移動ですかね。
横須賀製鉄所建設に支払うべきお金も消えていますし、誰かが持ち出したのでしょう。
徳川家には法馬金も残っているわけですから、財政0両ってこともなかったでしょうしね。
それが、いったいどこに消えたか。。
これを説明できる人は少ないかと思います。
なので、赤城にこだわらず、水野家にこだわらず 丹念に行方を追うのはたのしいですね。
またお付き合いください。

442 :
初めまして
>1からずっと読んで
自分も探索に参加してみたいです。
体力なら自身あり、田舎育ちなので蛇虫も平気、熊は…
よろしくお願いします

443 :
そろそろ ブログも復活させますんで、よろしくお願いします。

444 :
江戸川さん はじめまして
春になったらブログのネタ探しも含めて、ポイントを訪ねてみようと思っています。
まぁ私のところは、蛇も熊もいない場所なのでw

445 :
はじめまして
blogですか。探してみたら判るかなあ

446 :
ブログも沢山あるんですね。何がなんだか…
天草四郎や結城家とか興味津々で沢山読んでしまいましたよ。
天草四郎の件で詳しい人いませんか?詳しく知りたいです
天草に住んでた時があるものですから…

447 :
地中探知機?10万位のを買って、
神社を探すときには、どんな手続きがいるのでしょうか?
神主に頼めばいいんですか?

448 :
天草四郎のお宝は、
畠山氏の著書によると、キリスト教の十字架とかなんとか書いてありましたね。
マリア像とかかもしれませんが、金とかは不明です。
また軍資金もあったかもしれません。
神社等を調べるなら、神主がOKすれば大丈夫かと
掘り返すと可の場合は、たぶん神主と相談ですねw
神仏石碑などを動かしたり解体するのは不可能かと

449 :
165さんありがとう
でも天草四郎の宝は、誰かが取ってしまって、無い気がするなあ。
流山の赤城山なら近いんだけどね。
古い神社なら、何処に埋蔵物があっても不思議じゃない気持ちがしてます
ダメ?

450 :
aruwakenai

451 :
昔書いたけど
流山にある赤城山に埋蔵金があるって話もあった
新撰組が流山に駐屯して赤城山の埋蔵金を掘り出そうとしたという話。
しかし、官軍の追手が思ったより早く
近藤勇が捕まることによって時間稼ぎをしている間に掘り出そうとしたって話w
駐屯期間があまりにも短いので簡単に掘り出したのか、手つかずなのかであるw
軍資金を埋蔵する条件は整っているが想像の域を出ず、新説というよりは空想だろう。

452 :
165さん そうですかダメか…
でも、とりあえず金属探知機は欲しいなあ。
面白そうだし

453 :
このスレ伸びませんね
佐々の埋蔵金とか徳川の埋蔵を赤城より北で探してる人とかいないのかな

454 :
age

455 :
年末年始年度替りが一段落しました^^

456 :
日本の裏金・埋蔵金、特別会計は178兆円
http://pwvx.hp.infoseek.co.jp/0202/2/118.html
この特別会計の中身は、ほとんど知る由もない。
公務員の小遣いと遊びがね、業者の賄賂になって消えてゆく。

457 :
どこかの墓?下から小判が出てきたらしいな

458 :
発掘したいけど実名報道されて3億円拾った人みたいな末路は送りたくないなぁ

459 :
畠山清行著「日本の埋蔵金」がヤフオクに複数出るようになったね。
ひところは全く無かったが。

460 :
age

461 :
>>441
お願いします

462 :
久々に見に来た^^

463 :
金の粒が入った小さな壷みたいなのを見つけました。
5〜10mmぐらいの大きさで全部で14粒。
多分、そんなに価値ないですよね…。

464 :
個人的に気になる場所があるのですが

465 :
掘るしかないな。

466 :
おれが次スレ立てて早2年かww
長寿だな
皆さんお元気かしら?
その後成果はでてますか?

467 :
>>466
まだ見つかっていません。

468 :

岡田外務大臣キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
h‍ttp‍:‍/‍/‍q‍b5.2‍ch.net/t‍est/rea‍d.cgi‍/sak‍u2ch/1256‍630318/1
早く記念カキコしないと埋まっちゃうwww

469 :
ageて様子をみる

470 :
八重野氏がテレビに出ますね。明日深夜。

471 :
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
しかし、すっかり廃れてしまいましたなw
ひとつき1回の書き込みw
まぁ古今東西の埋蔵金に関して、研究されつくしてはいないと思いますが
新説等でないのが問題ではあるかとw
それとやっぱり実行にうつしている人のレポートなどもほしいですね。
ネタお持ちの方よろしくですw

472 :
またまた久しぶりに来てみたけど、、、もうすっかり・・・
先日 株式会社コミック出版 「発掘!埋蔵金伝説99」という本をコンビニで見かけ、ついつい買ってしまいました。
もちろん徳川埋蔵金も掲載されていました。
猿ヶ京、昭和村なども文中に登場していましたが、ただの紹介文であって新説等は掲載されていませんでした。
近年に再開され、空振りになった糸井の土木工事の影響もあってか、このスレも廃れてきてしまいましたね。
赤城本命さんとか元気なんだろうか?

473 :
ハイキング中に雪の中に携帯を落としてしまったのですが、金属探知器で探せますでしょうか?
雪の深さは60センチぐらいです。

474 :
でてきても防水携帯じゃなきゃダメじゃね?

475 :
うちの祖父が戦時中インドネシアで日本兵のだいぶ上の位
だったんだけど、逃げる時に原住民に穴を掘らせてソコに財宝をたんまり
埋めたと祖父が言ってました。原住民は用が済んだので全員射らしいです。
祖父も他界したのですが、宝の地図みたいな手書きの紙は今でも持っています。
この話の真意はわかりませんが、父の話だと昭和20年代から50年代まで
情報提供してほしいという依頼が多数来ていたそうです。
ちなみに現地には祖父の妾が多数いるらしい

476 :
youtubeに糸井が掘っていた赤城の番組が2本上がっている。
見ていたら思わず馬鹿だなーと叫んでしまったよ。
智義が掘っていた時に手伝っていたという老人が出てくるんだが、
「当時は一帯を浅く総掘りにしたがどこにも以前に掘ったあとがなかった」
って言ってるんだよ。
つまり、TBSが掘った時に深いところから出てきた無数の堀跡は、
智義以降のものってことじゃん。
それを聞いていながら深く掘り続けていたのはアホか馬鹿か。
ありゃあ、戦争前に軍人が入り込んで堀りまくった後だったんだ。
なにがフランスの技師だよ。 小栗だよ。 いい加減なこと言うな。

477 :
のびないねーw

478 :
伸びないので
徳川の埋蔵金には、「天下平ナリ」の秘文が伝わってる。
これがある場所を示してるといったら、驚かれるのでは。この秘文と「天地人」をあわせると場所がわかる。
「天下平」とは、「天地人」の「天」の下は、「地人」である。
「地」は地面であり宝を意味する。「平」とはイコールである。つまり、人は宝。よき指導者が宝なのである。
ところがある日、違う解釈を思いついた。「天」と天の下「地」がイコール。
つまり、宝は、天にあると。「天」は、神君家康である。
今、日光の東照宮にいる。「人」は、赤城山で宝があると掘っている人を示す。日光の山は男体山、赤城は赤城山。両方の山を結ぶ線の真ん中に足尾そばの庚申山がある。
庚申山には宝を守る亀の形の岩がある。また、その向いてる方向に×印がある。×は、間違った時につけるのでここは違う。
で、天の日光にあるとすると、「天地人」は1、2、3ともいえる。日光には初代と3代の墓がある。間に二荒山神社がある。2は宝であるから、ここのように思える。
この神社の桜の根元に文字がかいてある球の石がある。球は完璧である。円でないとまずいのでこれも囮である。
徳川の発祥の地は世良田である。世良田の東照宮には巣篭もりの鳥が彫られてる。東照宮の1と、2羽の親鳥、3羽の子。1,2,3がそろう。
人は隣の長楽寺。間に牛石がある。丸い円がほられている。牛は、干支で2番目。ここと思う。
地中レーダーをかけると反応がある。しかし、後日、ここを掘った人の話では砂鉄がでただけとか。科学兵器も役にたたず。どこかがまちがってたようだ。

479 :
2009.3.14 02:36
「牛石」。日光二荒山神社中宮祠近くで明治時代まで存在が確認され、その後姿を消してしまったこの奇石が丑年の今年、復元されることになった。
巨大な原石は既に同神社に運び込まれ、4月から半年をかけて復元される。復元作業は地域住民、参拝者にも協力を呼びかけるという一大イベントだ。
牛石の由来は、修験(しゅげん)の霊場で牛や馬を連れて入ることを禁止されていた男体山に禁を破って牛を引いて来たところ、神社の前で牛が寝そべった形で石になってしまった−というもの。
長楽寺にも丑石・・・。
なぞは深まるばかり

480 :
と、>>478 >>479と、他人の分を引用w

481 :
と、>>478 >>479と、他人の分を引用w

482 :
おひさしぶりです。
最近、和算を研究しています。中々面白いですよ。

483 :
そういえばフジテレビで埋蔵金を占う押し売りみたいなオっさんが出てましたね。
埋蔵金は狸じゃなくて鳥!取りの方角は群馬県!とかいってなかったっけ。
少年刑務所で脅し説教する人だって。。
「男はなぁ、こうやっておしっこをすんだ!穴ぼこからやる女とは違うんだ!」
「お前らは再犯すんだ再犯!包丁もったら俺を思い出せ!」
「どんなに勉強したって東大入れんのは一握りだ!」とか言うらしい。
あぁ、あっちのオッサンなんだなぁと思った。

484 :
俺の行きつけのスナックのママが
消費税は皆に公平で良いと言いあがる。
そら、スナックみたいな。利益も5倍くらいあって
申告もしてないような水商売は関係ないかもしれない。
だけどな。ちゃんと申告して利益率の少ない堅気の
商売してる奴に取ったら死活問題なんだ!
消費税上がったら、外では飲まないよ。家で発泡酒じゃ。 とかもいうらしい。

485 :
すいません。あげちゃいました。

486 :
おおおお 赤城本命さん お久しぶりです^^
その後、研究は進んでいますか?
「和算」ですかー
和算は、額にいれて神社とかに奉納したりもしていますから
その中にヒントがあるかもですね。
この夏に年甲斐もなくバイクの免許を取得して
バイクの機動性をいかして、神社仏閣なろどいろんなところに行こうと思っています。
ぜひ、面白い話とかあったら聞かせてください^^

487 :
算額ですね。
双栄寺にもあるみたいですね。

488 :
赤城本命さんとの書き込みは、3年もたちますねww
埋蔵金話もどんどん取り上げられなくて都市伝説化しています。
新たな刺激がほしい感じですね。

489 :
自分は、今度(夏休み中)30000円の金属探知機を買ってトレジャーハンティングをしようと思っています。
目的物は埋蔵金(小判、古銭など)、隕石、現使用コインなどです。すぐそばに城址や歴史公園
があるのでまずはそこから探索します。

490 :
レポートおねがいしますね^^

491 :
ブログに書くかと思います

492 :
これを見よう。世界は騙されている。現在中継中の発信地はあの阿久根市!特別ゲストも来る!
http://www.ustream.tv/channel/%E4%B8%8D%E5%B1%88%E3%81%AE%E7%8B%AC%E7%AB%8B%E5%85%9A%E6%94%BE%E9%80%81%E5%B1%80

493 :
干支占い犬
甘えられ、指導をされて面倒見私を見つめる優しい所に出て行こうか否か。
波瀾万丈親の口出しにもめて縁切りは、この先苦労の警告と取るべし。

494 :
干支占い羊
孤独な人生その場を放棄し、相手不在の死出の旅ーーー
決めたはいいが死にもの狂い、空想夢物語肉体精神煩って涙の人生選択ーーー

495 :
>>483
じゃないよ。案外いい人だよ。

496 :
バイクの免許とった
バイクも買った
季節もいい
そろそろ 行ってくる

497 :
常滑で掘ってる

498 :
常滑???
焼き物の粘土ですかね?
ちと遠いんで調査できないっす。

499 :
>165
武田ですか?

500 :
遠かったああああああああああああああああああ(汗
カラ井戸があったよ。

501 :
埋蔵金を研究している人ってもういないのかな
ネットで検索しても、ホームページもブログでてこない
さみしいねー

502 :
>>498
常滑に行ったら窯場跡探してくだちゃい
そこを掘るとでかい甕や壺がでてきまちゅ
この壺が極上なんでちゅ
当たり前でちゅね土に埋まっているだけで物は国宝級でちゅから
条例で禁じられてるので気をつけて掘ってくだちゃい

503 :
もう埋蔵金に興味がある人いないのかねー
有る無いは別として、楽しいんだけどね

504 :
あんまり世間がそういうの許す雰囲気じゃないよね

505 :
有る無い、掘る掘らないは別として
趣味的には面白いんだけどね。
今日、徳川埋蔵金で有名な双永寺にいってきたよ。
双永寺の88歳になる耳の悪いばーさんと話をしてきた。
年にひとりぐらいは、双永寺を訪れるって言ってたな。
埋蔵金じゃなくて「かね堀」って言ってた。
双永寺の裏手の墓を掘ったりした人もいたって貴重な話を聞けた。
ある人が、伊勢崎あたりを掘ってダメだったって話も聞けたw
そうそう富山から来た人もいたってさ
地図見たり、本読んでみたりしてワクワクできれば安い趣味だし
読んでる最中とか日常との頭の切り替えもできるし、いい趣味なんだけどね

506 :
俺はとうほぐ地方だから砂金と琥珀拾いかなー
今だったら水晶取れる地域だとパワーストーンとして高く売れそう…ゴクリ

507 :
だーれもいないw

508 :
まぁ なんだ誰も書かないけど、寂しくありません;;
万年橋の神社跡(2箇所)ってだれか掘ったかしら?

509 :
羽端の一本松はーー?
北にある庚申松はー?

510 :
持ち山からたくさんの矢が出てきたけど、掘るべきかな?

511 :
古戦場@@;

512 :
うちの土蔵開けたら刀が一抱え出てきて、先祖が落武者狩りをやった伝説が補強されてしまいました

513 :
名刀が含まれているとは思えないけど
ちゃんと届けないと銃刀法違反になりますのでご注意を
土蔵の中には、まだまだ面白いものがありそうですねーいいなー

514 :
だいぶ前、ばあちゃんの畑仕事手伝ってた時、古銭を見つけた事があったな。
昔の館跡だったと聞いた記憶がある。

515 :
徳川の埋蔵金なんてないのに・・・

516 :
あるという証明も難しいが
ないという証明も難しい
これを悪魔の証明といい
ないほうを証明する方が困難である。

517 :
昭和37年(1962)年に赤城津久田原の近く(関越赤城インターの近所)の
七坂七曲りから工事作業員が小判57枚を発見している。
行ってみるとわかるが、かなり急な坂道
これを「徳川の埋蔵金の一部かもしれない」とすると、「徳川の埋蔵金ではない」と証明する方が難しい。
「落し物や旧家のお金である」とは言えず、「落し物や旧家のお金で”あるかもしれない”」であり、
「落し物や旧家のお金であって、徳川の埋蔵金ではない」という証明にはならない。
悪魔の証明は、wikiにも載ってる。
まぁ「ある」ほうもなかば強引だが、ないということを証明する方が難しい。
wikiには、痴漢の冤罪での悪魔の証明ものっている。
軽く抜粋
本来、刑事における犯罪の証明には、捜査機関が「被告人が犯罪をした証拠」を提出する必要がある。
しかし、痴漢の場合は物的証拠が残らないという犯罪の性質上、被害を受けた者の「この人が痴漢をした」との証言(犯人識別供述)と被疑者の自白程度しか証拠がないことが少なくなく、
その証言ないし自白が信用されるものと認定されれば、具体的な物証がなくとも実際に犯罪をなしたとみなされる傾向にある。
これを防ぐには、被告人が「痴漢をしていない証拠」を示し、100%揃える必要があるが、これが悪魔の証明と呼ばれるものであり、
痴漢をしていないことを証明するのは、まず不可能であることを問題点として指摘されている。
まぁこんな感じ

518 :
まぁ実際掘ってる人もいるし、TVでもやったし、本もいろいろでてるし
「あるかもしれない」だけど、2ちゃんで徳川埋蔵金赤城以外説を昔からやってるので
いまさら「赤城にあるっぽい」とは言わないけど
実際ツーリングがてら行ってみると>>505の話みたいに実際掘ったりしている人の話がきけたりする。
赤城の古地図を見たりしていると、時間を忘れてしまう。
家で暇なときは古地図や資料をみて、天気がよければバイクで現地までツーリング
たいした金もかからず、普段の生活のストレス発散には、かなりいい趣味だと思っている。
見つけたら見つけたで、また楽しいだろうなw

519 :
>>513
なまくらばっかりだったよ
戦時下にお上にさしださなかったんだなぁと軽く感動してしまった

520 :
一本ちょーだいw

521 :
165さん書くほどにネタがないから書けない
でも楽しく見てますから。
近くでいい場所があったら探してみたいです@東京

522 :
東京周辺は埋蔵金の宝庫だよ。
都心にも沢山有るし、青梅から山梨にかけても有る。
伊豆・箱根・富士山周辺・千葉・茨城あたりは有名どころ。

523 :
>>520
あげたいけてど俺の管理下にないから無理w
ν速の趣味スレでもよく話題になるんだけど、>>165みたいにあまり同好の士のいなさそうな趣味をやる人ってすごいと思う
たとえばコレクターなら他人とコレクションを競ったり、スポーツなら技術を磨くことを目的にしたり
それが出来ない趣味をやるモチベーション保てるのが羨ましい
いや、嫌みとかではなくてね
でも書き込みみると本人は凄く楽しそうだから俺も陰ながら応援してる

524 :
埋蔵金は大勢集まってやる趣味じゃないんだよね。
昔から、いかに他人を出し抜くかっていうのが楽しみで皆やってるんだ。
調べていることすら言わないのが普通だから表に出てくる話は大抵はヨタ話。

525 :
おおお みなさんありがとう;;
MIXIやアメブロ見ても同士がいないの(涙)
>>521さん 東京なら、有名なとこで上野湯島の湯島天神境内がありますよー
由井正雪の幕府転覆資金があるといわれています。かの坂本竜馬も探したなんて話もあります。
昔のTVで湯島天神を調査して、地中に四角く掘られた形跡があり、調査したところ砂が詰まってたという結果でした。
もう掘り出された後だったんですかねー
ちょっと離れた場所で、一説ですが千葉の流山には幕府の軍資金があるなんていう人がいます。
流山には赤城神社があり、新撰組が会津までの退却中に掘り出そうとした。なんてあります。
結果的に駐屯する時間が短すぎて、埋蔵金の有無を含めて掘ったかどうかは疑問です。
流山の地で、近藤勇が官軍に投降していますが、掘り出すまでの時間稼ぎをしたなんてまことしやかに・・・w
埋蔵金の有力候補として有名な 埼玉県さいたま市大宮の普門院があります。
かの小栗上野介の菩提寺で、武具&五十両を預けてうんうんと・・・。
その後、賊が入ったけど五十両には手をつけず、他を物色したという
大宮駅からも近所なんで、帰りに鉄道博物館も寄れるという一粒で二度おいしいところです。

526 :
お だれかいるっぽいw
おっしゃるとおり!
でもね・・・なんか寂しくてね〜w

527 :
赤城埋蔵金に関しては、否定も肯定もできない。
ただ、今まで多くの人がチャレンジしたにも関わらず、大きな発見はなかった。
明治四十年に大日本帝國測量部が実測した古地図を見る限り、TVで掘ってたところは、まったくのマト外れ
地形的にも軍事的にも理にかなわない。
現在の地図と比べてみると、その変わりっぷりがすごい。
高速道路・新幹線のおかげでだいぶ変わってるし、そのため無くなった神社も数多い。
そして、上流にダムがない時代、船でさかのぼるのはかなりキツイと思う。
でも、、検証してみる価値はある。
なーんて、書いてると酒がすすんでしまうw
本格的な冬が来る前にバイクにまたがり、また行こうと思う。
埼玉からだと遠いけど、、
こーんな時代 宝くじすら当たらない。
なにか夢を追いかけてもいいんじゃないかな。

528 :
徳川の埋蔵金なんてあるはずない。
あったとしたら明治新政府にもっと徹底的な
戦争が出来た筈だからだ。
金がないから甘んじて降伏し、大政奉還したんだよ。
でも対外的には金があるように見せたいので
埋蔵金だなんて噂を流したんだよ。
徳川関連の埋蔵金は正確には
あるだろうね。日光東照宮の墓のなかに小判が・・
でも掘り出せないでしょ!
時々、豪商などの埋蔵金は出ているはず。
でも猫ばばするから表にはでないだけ。
埋蔵金探しなんて確率の低いことをやるなんて馬鹿。
埋蔵金探しだなんて夢見るお馬鹿さん相手に
あることないこと書いて出版する方が儲かる。

529 :
ゴールドラッシュで一番儲けたのは金を掘ってる連中に飯やら物を売ってた人らしいしね
でも、みつからない=馬鹿は価値観の押しつけじゃない?
少なくともこのスレで掘ってる人は楽しそうだし、熱中できる趣味を持つのは良いことだよ

530 :
165さん、流山の徳川系神社話は見た事あります。
うーん湯島ですか。関東近郊で開発や掘られてない所ってあるんでしょうか?

531 :
東京近郊なら
茨城の結城氏の埋蔵金ですかね。
有名な大岡越前をはじめ、いろんな人がチャレンジしていますが、掘り出せていないようです。

532 :
まぁ東照宮の墓の中とか、某TVでやった「かごめかごめ」からですね。
ユーチューブでも引っかかるね。糸井の2番煎じで終わってたな。
かごめかごめとか、ネットの都市伝説を信じているようでは・・・。
かごめかごめなんて、研究者の中では時代考査等が終了し、流布した時代、場所がぜんぜん違うし、
解釈の仕方も多く、内容もまったくバラバラ
なにより、「かごめかごめ=埋蔵金の歌」って本を出したのは、自称:霊導師、要子廣堂だぜw
「啓示」とか「おつげ」なんていってる怪しい奴の話を鵜呑みにしちゃだめよw
アマゾンで、『徳川埋蔵金の謎を解いた』 要子広堂著 イースト・プレス 1994.4.30って探せば買えるよ。
俺も買ったけど、ほんの後半はグダグダw
女の子を連れまわして、霊との交流とかwww 「ねぇ先生」みたいなww
で、お約束どおり見つからないw
霊導師ってなんなんですかね?霊媒師ならわかるんだけど、
当時は、画期的な発想だったが、もう無関係です。っていうか、でまかせ。
ネットに多く載ってる=本物 と、信じるのはいかがなものか
むしろ研究者のホームページのほうがない。

533 :
さてさて
よく、幕府にはお金が無かったという人がいますが、果たして本当でしょうか?
昔も書きましたが・・・江戸末期(明治までの過去約10年)の小判製造量を見てみましょう。
安政小判:安政 6年(1859年)5月〜、鋳造数: 351,000両、重さ:2.40匁( 8.99g)、内金56.8%)
万延小判:万延元年(1860年)2月〜、鋳造数: 666,700両、重さ:0.88匁( 3.30g)、内金56.8%)
小判だけでこれだけ、ちなみに明治元年は、1868年
補助通貨として「二分金(1/2両)」もある
安政二分判:安政 3年(1856年)5月〜、鋳造数: 3,551,600両分、重さ:1.5匁( 5.62g)、内金19.56%)
万延二分判:万延元年(1860年)2月〜、鋳造数:46,898,932両分、重さ:0.8匁( 3.00g)、内金22.00%)
補助通貨として、まだまだ「一分金(1/4両)」もあるが、旧貨幣表には、小判との合計(上記の数字)に含まれているため割愛
補助通貨として、さらに「二朱金(1/8両)があるが、面倒なので枚数だけ、3,140,000両分
そのほか、安政丁銀(1859年)12月〜 386トン 43匁(約161.25グラム)前後で1両だからえっと・・・小判への両替比率が丁銀100両につき小判115両?
2,400,000両を小判にすると、、2,760,000両か・・・ってな感じです。
約10年間で54,228,232両か・・これを政府(幕府)が、金座、銀座で作ってるわけです。
年平均5,422,823両
ちなみに幕末の武士の年収は、約21両(武士の家計簿より) 年間で雇える兵力=258,229人
幕臣8万人とあるので、8万人分をすでに支払っていたとして、新たに年間178,229人雇える。
んでもって、半分はなんかの支払いとして、約9万人雇える。
で、話半分としても、4万5千人・・・その半分でも22,500人
幕府だけでも、やろうと思えば十分な戦力。
これにプラスして、水戸徳川、御三卿、会津などの譜代の大名等が加われば5万はいける。
新政府軍が江戸城開城直後に御金蔵へ直行したのもうなずけます。無いはずないもの
上で、徳川御三家と書きたかったんだけど、紀州および尾張は倒幕派になっているんで、書きませんでした。
親戚から裏切られたら徳川慶喜もやってらんないよねーw

534 :
よく横須賀を作るときにフランスから240万ドル「借りた」ってあるけど、今や「援助」になってる。
ODA=政府開発援助みたいなもんじゃないかな?
ちゃんとフランスにも分割で返済している記録も保管されているし問題はないと思う。
んでもって、「赤城埋蔵金360万両!を追え!」
安政・万延小判をあわせても1,017,700両なわけです。小判じゃないわけですw
正確には、「赤城埋蔵金360万両分!を追え!」なのです。
万延二分判が46,898,932両分ありますが・・・どうなんでしょうね?
小栗上野介が打ち首にあった後に官軍が家宅捜索して「味噌たる」を発見して
その味噌たるの味噌の上っ面をとったところ判金が敷き詰められていたと本にはあるんですが、赤城埋蔵金もそうなんですかね?
それとも紀州徳川家が所有していた小法馬金(373g)(尾張徳川家が所蔵していたもの「300個」が、日露戦争前に日本銀行に買い入れられ現在、貨幣博物館が所蔵している。)
水戸家には大法馬金(165kg)が1個、明治まであった(拓本あり)そうですが・・・。
はたしてインゴットだったんでしょうか・・・。
ちなみに本日の金相場 3,787/g 373gで1,412,551円 ×300個=423,765,300円
御三家のひとつがこれですもんw
徳川の江戸城には、あったんじゃない?w

535 :
まぁいろいろ考えたところで、結果は出ずw
バイクに乗って見に行くのが精一杯
掘る資金なんざありゃしないw
ここだ!ってときは、掘りますけどねw

536 :
昨日テレビで沈没船の宝探し放送してましたね。
沈没船の宝って世界中にあるんですよね。
久しぶりにワクワク、テレビ見れましたわ
165さん、赤城なら車で行った事ありますけど
江戸からあの距離や山道を馬で重い金を運べますかね?
当時の利根川や荒川でも、今より浅かったハズと思う。
大きな船や500キロを越す積み荷の船の遡上は無理だと思うんですが?
赤城に行きたかったけど、断念して途中で隠しました?なら納得あるかも?

537 :
おおお いい質問ですね。
実は2年ほど前にもココでそれをご紹介した事があるんですw
高瀬船、平田船であれば、楽勝に運べます。
高瀬船であれば、28トン積むことが出来ますし、小型であっても1トンはいけます。
利根川・荒川が今より浅くはありませんでした。むしろ現在は上流にダムがあって水量は減少しています。
実際、群馬の高崎の手前の倉賀野までは、行き来していました。
赤城の現地に行くとわかりますが、川の両岸がガッツリ削られているので、そこそこの水量はあったと思います。
倉賀野より上流が、むしろ川の流れが強かったと思いますので、さかのぼれたのかが疑問です。
曳舟(人が引っ張る船)でもいいんでしょうが、いささか疑問です。
和船については、日本財団図書館のHPを見て頂くと分かりやすいかもしれません。
ttp://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2005/00589/contents/0002.htm
倉賀野の利根川の川沿いに古墳が集中していたりするわけです。
わざわざ穴を掘ったりするよりは・・・なーんて考えてしまうわけです。
で、赤城埋蔵金の埋蔵金の場所を示したとされる銅版の1枚に絵地図?があるんですが、
その絵地図に「中」って示されているんですが・・・グーグル画像検索で「赤城埋蔵金 銅板」で検索すると見れる
あるんですよw思いっきり「中」がw・・・倉賀野のすぐ近所の北藤岡に「中」がw
思いっきり地名でw
利根川沿い、銅版に書かれた場所「中」、古墳・・・。
ほらほら もしかしたら・・・って思えるでしょ?w

538 :
>>165さん
私も赤城に行ってきましたよ。
水野さんの自宅を外から拝見しました。
すごく狭い道で車1台でいっぱいいっぱい。
道から一段土地が下がっていて、初代の掘り跡かなあ。
小川田ではこんにゃく畑を耕していたご夫婦に直撃取材。
ふかし芋をいただきました。
双栄寺にもいきましたが、小さなお寺ですね。裏山に金山宮っていう社があるのですが、
石段が300段近くもありました。
面白かったなあ。

539 :
165さん、勉強してるんですね。
あとは掘るだけじゃないですか?
銅板の信憑性は、いかほどなんでしょうか?
古本屋巡りして古文書資料でも探してみようかな?

540 :
おおお 赤城本命さん お久しぶりです!
金山宮のぼりましたよ! ハァハァいいながらw
天狗の面とか、竹刀とか奉納されてましたね。
双永寺のおばーちゃんの話では、昔は剣術を習ってた人も多くいたそうですね。
電撃取材はしませんでしたが、あのあたりの人は慣れているんでしょうかね?
宝探しっていうよりは冒険かな 楽しいですよね^^
もう、埋蔵金を追いかける人もなかなか見つからないので、赤城本命さんちょくちょく来てくださいよ^^
521さん
銅板ですか んー微妙ですね。
手がかりというと、水野氏の資料に着目しないといけないので、参考にしないとなりません。
でも、実際掘った人達もあまり参考にしていないのも事実です。
特に方位図、絵地図は、なぞだらけだそうで
でも、絵地図の場所が特定できれば、方位図もそれなりにわかってくるとは思いますね。

541 :
そうそう 赤城本命さん
赤城の羽端の一本松はと、北にある庚申松は調査済みなんですかね?
羽端の一本松が、絵地図の上にちょっと離れて書かれている木?とすると
津久田もいい線になるんですがねぇ

542 :
>>521さん
埋蔵金関係の書物を探すなら、アマゾンなんかいいですよ。
20年前まではこういった特殊な古本をさがすのは根気のいる仕事でしたが、
今は本当に簡単になりました。
>>165さん
私も絵地図は全くわかりません。銅板はかなり解読できたのですが…
今回の赤城行きで感じたのは、百聞は一見にしかずということでした。
開発が進み、状況が随分と変化しています。
これまで一人でやってきましたが、そろそろ限界かなと思います。
やっぱり、ホームページ作りますかね?

543 :
>>521さん
埋蔵金関係の書物を探すなら、アマゾンなんかいいですよ。
20年前まではこういった特殊な古本をさがすのは根気のいる仕事でしたが、
今は本当に簡単になりました。
>>165さん
私も絵地図は全くわかりません。銅板はかなり解読できたのですが…
今回の赤城行きで感じたのは、百聞は一見にしかずということでした。
開発が進み、状況が随分と変化しています。
これまで一人でやってきましたが、そろそろ限界かなと思います。
やっぱり、ホームページ作りますかね?

544 :
ひとりは限界ありますね。
年月も経過して、新たな、過去の証拠や証言が薄くなる一方です。
埋蔵金ブームは好ましくないですが、夢を持つことや趣味となることはいいことです。
八重野氏ではないですが、埋蔵金関係のホームページがあってもいいと思っています。
なにより、ひとりよりふたり、さんにん・・・が楽しい。
ホームページを作っても、今までの研究を横取りされることもないでしょうw
掘る作業などは、現代において目立ちすぎますもんw
ブログはあるんですが、2年ほど前にとまったまんまw
歩数の銅版の写しなども送ってくださった方もいたんですがねー

545 :
ああ 赤城に行かれた感想かぁ
百聞は一見にしかずかー
私は、双永寺の高台にたって切り立った川岸を見ながら
「こんなところまで持ってこれるわけがねーw」でした。
双永寺が見張り場所ならば、双永寺より奥なのかな?ともおもったり
楽しかった。

546 :
 
埋蔵金は絶対に国内に置かない徳川の戦術
http://s1.shard.jp/deer/0202/2/118_3.html
徳川の戦術は巧妙だ。
戦争をする時は、軍資金は敵国の領土内の忍者部隊に隠す。
敗北しても不死鳥のように兵士が集まってくる。
勝利すれば、それだけのこと。

547 :
今日は、結城城と金光寺にいってきました。
結城城では、大きな穴を覗いてきましたよw
川とつながっていないけど水気があるので、井戸の周りを総堀したんじゃないかな?深さは7〜8mってとこ
金光寺なんですが、なんと山門の三種の和歌の真ん中の和歌が削り取られていました。
住職に話を聞くと、近所の心無い人が削ってしまったそうです。
和歌を削るということは、それだけ知名度があるってことですね。
和歌は浮き彫りになっていたので、修復には時間がかかると思います。
その住職さんからいろいろな話を聞いたんですが、その中で
幕末(勝海舟の指示の元)に金光寺山門の周りの3箇所から埋蔵金が出土し、合計7万8千両?だったそうです。
三種の和歌で3箇所なのでしょうか?
個人的には、四方にあるかと思いますんで@1箇所あるかも・・・。
住職さんもあと1箇所残っているんじゃないかといっていましたが、
その3箇所の掘った跡がわからないので、@1箇所の検討がつきません。
住職さんは、埋蔵金ハンターとのつながりもあるらしく、いろいろ関東の埋蔵金の話も聞けました。
直近では、足尾にあった埋蔵金を掘り出した人がいるとのことです。
あ 結城城なんですが、開発が進んでおり、土塁や堀のあとは確認できるものの
検討もつきませんでしたね。やはり中久喜の方なんでしょうか?

548 :
165さん すごいなあ。
ワクワクする情報じゃないですか!

549 :
>>547
こんな時代でもネットじゃ知れない情報もあるよね
住職すげー

550 :
>>533
尾張は色々あったからしゃーない
紀州は将軍出したのに裏切るのは酷い

551 :
>>549
住職さんからそのほかいろいろ話を聞けたんですが、
あまり書くとご迷惑をおかけしても困るので書いていません。(半分忘れてますがw)
さてさて
思うことは、ある程度の埋蔵金(軍費)は、当時すでに掘り出されてしまっているだろう
残っている埋蔵金の一部は、近代に人知れず掘り出されているだろう
そして、まだまだ残っているんだろう
掘り出すためには、ネットの情報に頼らず、現地調査・聞き込みなども必要
関係者等の倉の中なども見させてもらったり、古文書を読んだり
いろいろ大変だけど、感動など心の面で得られるものは多いと思う。
みなさんも自分ちの近所の埋蔵金でも調査してみてはどうかな?
畑の真ん中の盛り土だって、もしかしたら古墳かもしれないし。
古い文献を見ると、盛り土の上に銅剣などの副葬品が露出していたがほおっておいたって書かれてある。
金銀じゃなくてもドキドキするよね。
調査し、もし古墳だったら、地元の教育委員会などに連絡すれば、本格的な調査もしてくれる。
まぁ・・・銅剣や勾玉をちょこっと持ち帰ったあとに電話するなw

552 :
>>165

553 :
 徳川埋蔵金発掘の動画見てここにきました。
凄く興味があるんです。でも徳川なんて体操のものじゃなくて、田舎の不思議
な坑道の事で・・・特に書き込んでも問題ないと思うので、勝手に投稿します。
 この蔵はとても古くて、暗い二階には家具が多数あったのを覚えてる
位で今まで、小学生の時に入ったその1回しか2階を見た記憶が無い。
 昔は、「山ぶげんだった、しんしょうが良かった、周辺地域を仕切っていた、
千両箱が積んであった」がひいばあさんの心の支え見たいに聞かされていたん
で、まあ昔は、少しは楽な暮らしをしていたのかもしれない。千両箱の鍵は、
実際に見た事はあります。
 で、それら過去の妄想を踏まえた上で、蔵の土間から山中に向けて掘ってある
坑道!!雰囲気あるんですよこれが・・・大きな壺の後ろに入り口の扉があって
小学校の高学年の時、弟と入った。とにかく暗い、怖い。先が長い・・・
頑張れる所まで行ったけど、どうにもならない恐怖で引き返した。
結局、ばあさんからもその話も聞いて無いし、とうさんも、坑道の先を知らない
何の為の坑道なのか・・・無いかな千両箱・・・・
 だから何って・・・そう何もないです。ここに来たのもレスしたのも暗示かも
しれない。近い将来、本気で探検してみます。秘伝の梅干でも出てきたら最高
です。

554 :
そういう通路の先には財宝などは無いのが普通です。
もし、金目のものを隠すならば、全く別の場所ですね。
その先には都合の悪いもの、例えば隠れキリシタンの集会所などが有ります。

555 :
>>553俺も連れていけ。

556 :
謎の坑道・・・いいなーわくわくする
>>554さんの言う隠れキリシタンの・・・なんてのもあり得る話
年代物のマリア像なんかあるかもよ
@は、ウドやキノコの栽培場所などもあり得る。
戦時中の防空壕を利用して栽培している人もいるからね
軍手、ヘルメット、スコップ、懐中電灯やロープ(入口から縛っていく)、ロウソクなどの酸欠防止グッズをもって入ってみましょう!
全くの未開の坑道ではないので、探検しやすいと思います。
カマドウマやムカデにびびらないようにw

557 :
 553です。みなさんレスありがとう。
キリシタンの集会場所!!・・・思いもしませんでした。
客観的には、かなり可能性がありそうですが、
あまりにキリスト様とはかけ離れた家系なもので・・
近所の寺のバリバリの門徒で、家系図的には親父で16代目だそうです。
まあ、早い話が、閉鎖的な田舎もんって事です。
「ご先祖様スイマセン。こんな末裔がいる事にお嘆きになっておられるでしょう。」
556さんのアドバイスの物に、職業柄、酸素濃度測定器やガス検知器なんかも用意
できるのでリストに要れておきます。
 ムカデ、蛇なんてのも怖いですね。当時は何考えてたんでしょう!!
後は根性ですが・・・・・。
 ただ、先に危険はあっても、けしてお宝は無いと思いますが、冒険心
はフツフツと沸いてきてます。
では、みなさんいつの日か、報告できる日がくる事を・・・
ありがとうございました。

558 :
双永寺の感想は意外に小さなお寺という印象でした。
何かの本でここに算額があるとのことだったので、それにも
興味があったのですが、1872年奉納とのことで期待外れでした。
もうひとつは金山宮からの眺望を確認したかったからですが、
結構うっそうと杉が茂り津久田中原の方は見えませんでした。
長井小川田も行ってみましたが、三枝氏の掘り跡は畑になったあとで
耕作放棄地となっていました。もう60年位前のことですのでしかたないですね。

559 :
しかし、小川田なんてとこをどうして何十年も掘ったかなー。
あそこ、脇を街道が通ってるし普通は掘らないよ。
そういうトンJンなところが面白いんだけどな。

560 :
>>559さん
まぁ埋蔵金は出なかったけど、いろんなものが出てきたわけだから
まんざらハズレでもない気がします。
畠山氏か八重野氏の本か忘れたけど、灯明皿の「社」の文字やそのほかの物証を無視して掘ったとか書いてあったな。
って、ことは、物証を無視してココ(小川田)を掘る奴がいるだろうという予測で物証を埋めなければならない。
すべて事前に仕込んでおく必要があるわけで、相当念入りな偽証工作だなって思う。
はたしてそこまで予測して埋めることは出来たのだろうか?

561 :
日本の埋蔵金に書いてあるいきさつだと矛盾というかおかしげな話になってるんだよね。
最初は銅皿からヒントを得たことになっているのに、実際の発掘場所は皿の内容を全く無視してるし。
この人も元々は議員をやったり会社を経営してたそうだから山っ気のある人間だね。
あそこを掘ったのは何か本に書いていない理由が有ったんだろう。
あそこから出たものはほぼ全部作り物に違いない。
普通は誰が見てもそれらしいものだと死後も高い値段で取引されるんだが、
今まで全く話も聞かないのはおかしい。
実物を見たことはないが、素人が見てもオモチャみたいなものなんだろうよ。
そういえば八重野本に出てる歩数らしきものが書いてある銅皿の写真を見ると誤字が有るようだ。
あの皿もイカモノだと思うよ。 

562 :
>>561さん
どの部分が誤字が教えてください。
お願いします。

563 :
あの皿に関心を持っている人もいるんだねえ。
いくつか怪しいところが有るけど、誤字と思われるところを一つ挙げると、
「芝」だね。 これは之と書くべきところと思う。
それから、双永寺の銅板も当てにしない方がいい。
あれを作った奴もおおかたの見当が付いたよ。

564 :
「芝」が「之」ですか?
どおりで意味が通じないわけだなあ。
ところで誰が作ったんですか?

565 :
おれも手間ヒマかけて調べたんだから済まないけど具体的には教えられないが
銅板を作ったやつは埋蔵とは関係ない人間といっておこう。
おかしいことに、糸井もそのへんのところは調べたみたいなんだよな。
なんで無視して掘ったかなー。 
掘ることだけが目的ということなんだろうけど。

566 :
僕は銅板と灯明皿と大義兵法秘図書は同一人物か同一グループ
の作成と考えていますよ。

567 :
んー そもそも銅板と家康像、灯明皿(灯明皿といってるだけ)に関しては、
立ち会って掘り出しているわけではないので、信ぴょう性は無いです。
もちろん 大義兵法秘図書に関しても直接もらってるわけでもない。
特に銅版に関しては、八重野氏の著書によると
先に銅版が他人(A)に渡っていて、他人(B)から教わったメモを基に銅版を作成しなおして、
Aのと見比べたとある。
双永寺ですら、そんなのが寺から出たって話は聞いたことない。と言っているので、造り物でしょう。
銅版に関しては、好物家に売りつけるものでしょう。
銅版自体3セットありますからね。
ただ、家康像の現物をみた事がある人の話では、すり替えられたとする家康像と、まったく別物だった。
という話です。
それは綺麗なものだったそうですが。。
それと「之」ですが、見直したけど「芝」には見えないなぁ
誤記なのかなぁ・・・
むしろ掘り続けさせるため、売りつけるためには、「子二四芝下宝」とか刻んでもらいたいねw
個人的には、灯明皿の記載の仕方を基に銅版を造ったと考えています。

568 :
って、結構話が盛り上がってるね^^
個人的には、悪魔の証明を実証したいと思ってますよ。
っていうか、源二郎の井戸の位置って今でも明確にわかるんだろうか?
糸井の番組で、「源二郎の井戸があった場所から」って、ナレーションがあった気がする
今はもうないのかな?
位置だけわかるのかしら? この辺にあったとか、あったはずってのは抜きで
っていうか、水野さんとこ行って話を聞いてみたいな〜
そうそう 追記だけど
大義兵法秘図書は、直接もらっているわけではないが、今まで後生大事に持ってて公開していないってことは
水野家も大義兵法秘図書以外は、あやしい物だってわかっていることですね。
その大義兵法秘図書が飯のタネなのか、本物なのか 謎ですけど

569 :
訂正
それと「之」ですが、見直したけど「芝」には見えないなぁ
誤記なのかなぁ・・・

それと「之」ですが、見直したけど「之」には見えないなぁ
誤記なのかなぁ・・・

570 :
結論だけ言うと銅板と巻物は別のルートのものだね。
皿は巻物と同じか少なくとも銅板とは異なる奴が作ったもの。
巻物は鑑定に出せるような代物じゃなさそうだ。
おそらくは智義が書いたか作らせたものだろう。
糸井もそこはつかんでると思うよ。
また水野家に伝わる話もほとんどウソだってことも。
皿を作った奴というか刻んだ奴は少し教養が足りなかったようだね。
芝の字(本来は之)の他にもまずいところがある。
また銅板は言葉遣いに特徴があって、これもヒントになる。
いずれにしても大金を埋めるのに埋蔵場所を謎文を使って書き残すなんてことはおかしいよ。
埋蔵金は特定の人間に渡すべきものだ。 
それ以外の人間には渡って欲しくないから埋めるわけ。
謎解きをしないといけないんじゃあ何時掘り出せるか当てもない。
永久に解けないかもしれない。
それにもっとまずいことに敵の手にも謎文が渡ったときに相手の方が
頭が良かったら先に解かれてしまうよ。
手間ヒマ掛けてそんなアホな事するわきゃない。
謎解きゲーム大会じゃないんだから。

571 :
グーグル検索

念のためうぷ(´・ω・`)まわいが重要
グーグル検索

やらなくてもやられるし 日本語以外話せないし
テレビやネットで説明

572 :
>>165さん >>570さん
銅板、灯明皿、大義兵法秘図書に内容が符合するところがあって
別人の作とはどうしても思えないのですよ。

573 :
>>572
>符合するところがあって
具体的に符号する部分に付いて書いてくれますか?

574 :
↑偽者注意
んなのオレが聞くはずないw

575 :
俺が聞くとしたら
大義兵法秘図書をどこまで読みました?だな
しかも165が半角だしw

576 :
>>572
大義兵法秘図書をどこまで読みました?

577 :
>>572
大義兵法秘図書をどこまで読みました?

578 :
ふむ

579 :
偽者が出てきたんで、つけておきました。
165です。

580 :
ちなみに
具体的に符合する部分などは、個人の研究成果であって
聞いたって、おいそれとは教えてくれませんよ。
なかなか見ることがない大義兵法秘図書との符合点などは、
どこまで読んだかを知って、自分で符合点を探すものです。
話を聞きたいのはわかりますが、偽者になってまで聞き出そうとするのは
よくないことですよ。
165の名を語れば、用意に聞きだせるかと思ったのかもしれませんが、
赤城本命さんを知ってれば、それは不可能とわかるはずです。
もう3年?も前からこの板(赤城本命さんが作った)にきていますが、
核心に触れる部分は、言いませんもの。。

581 :
大義兵法秘図書は皆さんが知っているレベルでしか知りませんよ。
ただ、一箇所だけ当事者しか知りえなかったことが書いてあるのです。
私はこういった部分を「秘密の暴露」と呼んでいて、物証の中から
丹念に探しだしているのです。
具体的に書けなくてすいません。

582 :
ありがとうございました。
今ひとつ、具体的に書いて欲しいです。

583 :
偽者しつこいw
冬休みなんだなーw 勉強しとけよw
皆さんの知ってるレベルでいいんですか?
・・・ふむ。。
丹念に見直して見ますね。

584 :
っていうか、偽者は、このスレを終わらせたいらしいな。
せっかく赤城本命さんが戻ってきてるれたのに
赤城本命さん
以前、教えたサイトにこれますかね?
ここを放棄しますか

585 :
分かりました。
今後は向こうに移動します。

586 :
>>585さん
人の名前を騙って楽しいですか?
165さん、まあ、ゆっくりやりましょう。
別に急ぐ話でもありませんし。

587 :
>>住人の皆様
ネット検索して辿り着きました。TVなどで見てたので未だに興味があります。
三枝氏の探索場所の可能性は大きいのでしょうか?
確か、百庚辰やら何やらが見付かったと本で読んだ記憶があります。
詳細不明なんですけど、分かる範囲で御教示頂ければ幸甚です。
突然の質問、失礼致します。

588 :
百「庚申」の間違いでした。
訂正します。

589 :
みなさん あけましておめでとうございます。165でございます。
赤城本命さん 今年もよろしくです。
今年は、赤城本命さんと赤城山を歩いてみたいと思っていますので、
よろしくお願いしますw
集合場所は、金山宮だけは勘弁でw その下の社にしましょうw

590 :
>>587さんはじめまして^^
いい質問ですね^^
三枝氏の場所ですか。。
個人的には、水野氏よりは当たりに近かったとは思っていますが、結果はハズレです。
ただ、三枝氏も水野氏を中心に考えた結果ですので、
水野氏の資料自体が、玉石混合で当たりに近かったか、遠かったかは微妙です。
場所も悪いですね。人目につきやすい場所を掘ってます。
ってことは、人目につきやすい場所に埋めるかどうかも問題になります。
ヤフオクやアマゾンなどで、埋蔵金に関する本が多数売っていますので、
買ってお読みになるとワクワクしてきますよ^^
で、実際に現地を見ると、さらにワクワクw
ぜひ、一緒に楽しみましょう^^

591 :
>>165さん
あけましておめでとうございます。

592 :
>>590さん
はじめまして。
早々に御返事頂き恐縮です。
三枝さんの場所は結局はハズレなんですね・・・。
生憎、現地の地理・状況も全く分かりませんので。
相当社会的地位のほかに財力もありながら、可哀そうな人生の様な気がします。
「徳川埋蔵金」って子供時代から本などを目にしましたね。
ギミアブレイクで放送した際は、毎回必ず見てましたよ。
最初の内は“必ず出る!”と思いながらでした。
しかし、重機が出たころからでしょうか・・・もしかしたら!?と。
埋めるには余りに深すぎないか?広い面積の掘削の割に新たな出土品が無い!と。
個人的に思うのですが、水野さんは本当に信じてらっしゃるのかなぁ?
あそこまでした結果が・・・ですから。
そこで三枝さんの方は如何なのかと、思った次第なんです。
ずぶの素人が、とやかく口を挟むものではありませんね。大変失礼しました。
色々と今後もお伺いすると思いますが、何卒よろしくお願い申します。

593 :
おお どんどん来てくださいな^^ 大歓迎です。
定説?八重野氏談では、ギミアブレイクが掘った穴は、水野三代目(現当主)より前の当主が
埋蔵金発掘のため掘った穴だとされています。
それを薄々知りながら番組が掘って高視聴率を稼いだとされています。
おしゃる通りに埋蔵金を埋めるには深すぎます。たしか、70m掘ったかな?
江戸時代、鉱山技術が発達していましたが、さすがに深すぎると思います。
埋蔵金の特質から「いざ!」というときに掘れないと意味がありません。
江戸末期の財政が逼迫していたことは確かですが、お金が無いわけではありませんでした。
なので、多かれ少なかれ埋蔵金は存在していたでしょう。
でも、どこにあるかがわからない。
現在でも頼るところは、水野氏の物証とされている
中島蔵人の遺言、源次郎の井戸の場所、銅板(持ってない?)、灯明皿(持ってない?)、家康像(あるけどレプリカ?)、大義兵法秘図書(持ってる?)です。
それと、初代からの掘り出したものや記録です。
この辺をたよりに検証していくわけです。

594 :
三枝氏もこの辺の物証をたよりに、独自の解釈を交え掘ったわけです。
現在世に出ているものは、好事家に売るための偽物だったりも考えられます。
水野氏のウソかもしれません。もちろん水野氏自身が騙されているのかもしれません。
ただ、これから偽物やウソならば、それを立証しない限りには想像の域を出ません。
これらを赤城本命さんや私がいろいろ研究しているわけです。
三枝氏も独自の研究成果を元に掘ったわけです。
三枝氏は、水野氏が掘り出したされる灯明皿、家康像のうち灯明皿に書かれた文字を研究し、
さらに双永寺から発見されたとする銅版を研究しました。
そして、灯明皿がでた源次郎の井戸を基点として、皿に書かれていた「子(北)」を捜し歩いたのです。
そしたら庚申塚は見つかるわ、五輪の塔は発見するわで、有頂天に
さらに輪をかけて祠(ほこら)を見つけて、その中から観世音菩薩や刀はでるわ、天下平也って掘ってある石はでるわで
その場所周辺を掘ったわけです。
たぶん こんだけ物証がそろえば、金を持ってれば掘ってみるでしょうねw
で、はまって私財は無くなり、結果的にハズレ
私は、金がないので、資料から掘ってるわけですw
しかし、埋蔵金の時代も終わり、新たな物証等もでてこなくなり、苦労しています><
本にも書いてありますが、ひと鍬違うと見つけられませんので、きり無く掘ってしまうわけですw

595 :
そうそう 話は変わるけど
赤城本命さーーん
羽端の一本松を見に行きましょうよw
羽端の一本松って書いても今となってはどこにあるのかもみんな知らないから書いても平気w
もし、赤城に埋蔵金が埋まってて、銅版が本物なら
銅版の上にぽつんと書かれている松?は、この松だと思うんだよね〜
あと、庚申松ってのがあって?かつてあった?これも怪しい。
でも、この松を考えると、広範囲になりすぎるだよね〜
まぁいずれの松にしろ周辺を見て回れば、○の書かれている意味もわかるとおもうの
あくまでも銅版が本物だったらねw
畠山氏も八重野氏も絵図の銅版には、一切触れていないから面白いと思う。
まぁ二人は、銅版は偽物派だから、触れないのもわかるけどね。
探検探検^^

596 :
すみません、鼻から否定ばかりで。
これは今現在、最も大きなわだかまりなんですけど。
確かに埋蔵金(らしき物)が遡行して運ばれたり、村民が運搬等に駆り出された事実はあるでしょう。
その結果、「その物」が埋蔵されたであろう事実も分かるんです。
不可解なのは「小鳥飼いの夫婦もの」が急に立ち去ったあとです。
初代水野さんは児玉翁と直面してるんですよね。
見張りのために児玉翁は居た訳だとすると、その間は「あった」ことに。
では、埋められていた埋蔵金が何者かに掘り出された、と言うことは考えられませんか?
そうだとすれば、“それはいつのこと(具体的には児玉翁存命中とか)”なのでしょう。
水野氏代々の知らない時(当たり前ですが)に行われたのでしょうけど。
既に持ち出されたのが事実なら、当初から言われてる莫大な量ではなかったのでは。
故人的解釈なんですけど、埋蔵金は後日掘り出すことを念頭にすれば掘り出す者に伝授されるべき。
それは家系とかの狭義なんでしょうが、時代背景で言えば無理かなと。
また、埋蔵地周辺に目印を置くでしょうか。銅板などが良い例です。
仮に敵側に(目印が)見付けられたとしても、当事者以外解析不能の仕掛けがあれば良い訳ですね。
う〜ん、上手く書けませんが俗に言う赤城(津久田周辺)のは無いような思いです。
最初から否定するなら話は進みませんし、研究調査されてる皆さんに失礼ですね。
冒頭に書きましたとおり、存在した物が現在では無くなってる?と思う気持ちが・・・。

597 :
この板を見ている皆さんにお尋ねします。
どうしても、武田の「お宝」発見に必要な知識なので…
天正時代(※武田信玄の時代)に、日本には「星座」等に関する知識はあったのか?
(多分、中国等から伝わっていたとは思うが…)
方位に関する質問です。
質問@ 現在の磁極と当時の磁極は、大きく開きがあるように思い、現在は「東」に
   大きくずれてはいないのか? だとすると、当時(※天正時代15××年)と
   現在との開きは?
質問A 当時(※天正時代)は、まだ磁石が発明されて無かったとすれば、磁石で測定すると
   大きく位置が違ってくるはず、北緯の測定方法は「北極星」か、「日の出」の方向で
   決めていたのか? 神社仏閣にしろ家屋にしても方位は正確で有る事から、当時の測量方法が解れば?
よろしく、御教授をお願いします。
尚、当方かなりの「バカ」なので、バカでも解りやすいように、出来るだけ簡単明瞭にお教えください。
 (※それに関する、書物等があれば、それも教えて頂きたい)
赤城で、賑わっていますので…
バカな男の独り言?
「大義兵法秘図書」の秘書を解析すると隠した金額は三百七十三「万」両と確かに書いてある。

598 :
>>597 お尋ね!さん はじめして^^
板もにぎわってきましたね^^
え?磁石?磁極の開き?
@磁極の開きは、「ポールシフト」ですね?
数万年 数十万年 100万年に1〜2回ですから、現在と1500年当時じゃさほど変わらないかと・・・。
ウィキペディアにも書かれています^^
A磁石は紀元前から、方位磁針は11世紀(1100年)からありすね。
羅針盤への発達は、15世紀中ごろから17世紀中頃、大航海時代ですね。
日本に羅針盤が伝わったのは17世紀頃といわれています。
日本は遅れていますが、外洋を航海する必要がなかったのと、交易が沿岸部だったからとも言われています。
で、なぜ方位がわかったかというと、「羅盤」が11世紀(平安時代)からあったからだと思います。
羅盤は、風水でよく見るやつね。
その中心に方位磁針が取り付けてあったのではないでしょうか?
方位磁針自体は11世紀には中国で使用されていますので、可能かと^^
できれば、大義兵法秘図書の解説をお願いします^^

599 :
話が前後しましたが、>>569さん おまたせしました^^
「存在した物が現在では無くなってる」その可能性も十分あります。
埋める人を皆しにしたところで、指揮した人がいるわけですから、明治のドサクサにまぎれて掘り出しているかもしれません。
水野氏の話にでてくる中島蔵人ですら、榛名の埋めた所を見にいっていますからね。
もちろん指揮した人が、会津戦争等へ従軍したなら、掘り出す前に死んでいるかもしれません。
もし、地中に埋めたなら、埋めた場所の目印は必要ですね。人工物なり大きな木だったり
何も無い大きな空き地に物を埋めたとしたら、埋めた本人ですら半年後には掘れないでしょう。
もちろん宝の地図的なものも必要かと思います。
時は幕末、自分の身に何かあったときに人に託すにには、やはり地図的なものが必要かと。
ただし、銅版や灯明皿、三州たたきの亀の象などが必要かというと・・・必要ないかとw
もちろんコレらは、土の中に埋めた場合です。
洞窟、鉱山跡などに隠せば、巻物のひとつでもあれば事はすみます。
敵以外にも見つかる可能性があるけどね。
小鳥飼いの夫婦ものに関しては・・・正直わかりません。時代が過ぎすぎました。
過去のが読めるとわかるんですが
私「埋蔵金はある派の赤城以外説」なんです。
だけど、赤城にない。という確証が得られていないので、赤城も視野に入れています。

600 :
そうそう
幕府が有事に備えて備蓄した分銅型の大法馬金(44貫:約165kg)と、金塊を小分けに鋳直したもので小法馬金(100匁:約373g)があり、
大法馬金については財政難のため、潰されて小判に鋳造され、支出されたため現存していない。
小法馬金については尾張徳川家が所蔵していたもの300個が、日露戦争前に日本銀行に買い入れられ現在、貨幣博物館が所蔵している。(wiki)
と、あります。
相当の金塊が残ってるわけです。小判に関わらず、金塊かもしれませんね^^
っていうか、昔も書いたんだけど、
お尋ね!さんが教えてくれている三百七十三「万」両ですが、幕末の万延小判じゃ製造枚数が少なくて、数が合いません。
万延小判のほか、安政小判、天保小判をあわせないと373万両にはならないのです。
なので、小判以外の一分金等や金塊が含まれている可能性が大いにあります^^
わくわくするね^^

601 :
そうそう
近代になって、足尾の埋蔵金が掘り出された話を以前書きました。
足尾銅山で有名な足尾です。
なんで掘り出されたかというと「聞いた話ですが」
とあるところから古文書がみつかり、調べてみると埋蔵金らしいと解読した。
調査を進めていくうちに何代目かの将軍が足尾のとある神社に数度?3度だったかな?参拝したとの記録があり。
調査したけっか発見したそうです。「見つけた」って言ってましたw
たしか、数箇所からって言ってたっけかな。
掘り出した量は不明です。
掘り出した人は、著名な埋蔵金研究家(八重野氏以外w)だそうですよ。
あまり世に出てない話だと思います。
>>569さんが考えている通り、水野氏達みたく回りくどい物証ではなくて
一発で見つかるようなものなんでしょうね。
なので、その発見の足跡を辿りたいために、暖かくなったら足尾にも見に行きたいと思ってます。

602 :
>>598さん
ありがとうございました。参考にいたします!
御礼と言っては、なんですが…
赤城に関して、もう一言だけ!
大義兵法秘図書を解析すると、ある種の導きの答えが見つかります。
その導きを解析すると、次の導きが現われます。
現存する物証や、以前には有ったが、今は消滅している物証等の様々な
答えにより、確信が得られます。(※私の御礼は、ここまでです)
>>597の質問に対し、今後も回答をお待ちしています。ヨロシク

603 :
え?そこまで大義兵法秘図書を解析したなら、武田やめませんか?w
赤城にしましょうよw
一度、大義兵法秘図書を全文読みたいなー

604 :
仕事場からww
お尋ね!さんの話だと
大義兵法秘図書は設計図みたいなもので、
現存する物証や、以前には有ったが、今は消滅している物証等の様々な物をヒントに
文章が成立する(謎が解ける)と言うことですね?
っていうことは、水野氏、三枝氏、剣持氏などの物証(偽物を除く)もヒントのうちになるわけですね。
銅版等含め真贋がわからないからややこしいですねw
んーこの発想はなかったな。
大義兵法秘図書も物証のひとつだと思ってましたね。

605 :
2ちゃんねる 全板縦断勢いランキング(RSS生成可)
http://2ch-ranking.net/
時の話題や勢いのある最新ニュースを掲示板の書き込みを読みながら一発理解。
ニュース板に特化した全ニューススレッド勢いランキング『2NN』(RSS生成可) や、一覧性が高い新着ニューススレッド見出しサイトの『BBY』もどうぞ。

606 :
埋蔵金のメルマガがあるのね。
http://www.mag2.com/m/0001213392.html

607 :
↑クリックする人いないと思うよ

608 :
そうですか。残念ですね。
607さん助言ありがとう。

609 :
箱根の山に大きい鳥長さ32.5センチ

610 :
te

611 :
埋蔵金か、15年位前はよくテレビでやってたよな。
いつも見つからず終いだったがw
赤城山だったかな、生放送で発掘したことがあって、
でかい石版が出てきて、見つかった !と思ったら何もなかったりw

612 :
発掘したいけど実名報道されて3億円拾った人みたいな末路は送りたくないなぁ

613 :
面白そう!
地元の歴史とか勉強して見る!

614 :
幕末の幕府にそんだけの金があったら幕府は滅びなかったよ。

615 :
ttp://www.youtube.com/watch?v=Dbe-j8ZbwEc
0:08〜 ふざけんなよぉまた原発の話なんだろ〜どうせ〜
0:39〜 笑えてきた

616 :
発見!尼子一族の埋蔵金
http://www.veoh.com/watch/v162663898cjNzkZS

617 :
初めまして、よろしく。徳川の話題が多いようですね。武田関係は
無いんかな〜。

618 :
とっても興味があります。が、まったく基礎知識が無く
↑のほうで皆さんが書かれていることが半分くらいしか
分かりません。
これは読んでおけ!的な本をいくつか紹介してくださいませんか?
>>617さん
私も武田の金山に興味があります。東京の西方面に住んでいるので
アクセスしやすいというのもありますが。

619 :
>>618さん
埋蔵金のル、畠山清行氏の「日本の埋蔵金」の上巻の「武田の秘宝」
を読んでいなければ、これを読むことをお薦めします。

620 :
エジプト地中にピラミッド17基 米、衛星探査で発見
http://raicho.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1306505271/

621 :
よく考えたら
埋蔵する意味が無い
(´・ω・`)

622 :
>>彦六さん
ご紹介ありがとうございます。
この本って、絶版になっている高価な本ですか?
ちょっと高いので、図書館を探してみましたが
近くの図書館にはありませんでした orz...
さすがに国会図書館にはあるようです。

623 :
>>622さん
絶版の本です。神田にも無いと思います。一番いいのはトレハンが趣味の人
に借りて必要な部分をコピーさせてもらうことです。又は国会図書館。

624 :
神保町にも無いのですか(/ _ ; )
明日、行こうかと思っていたのですが。
ちょっと寄り道で、国会図書館コースか(´-`)

625 :
6月です

626 :
>>623さん
国会図書館へ行ってきました!
教えていただいた、武田の秘宝の章をコピーしてもらってきました。
内容は・・・八重野さんの本で読んだ内容でした。。
八重野さん本の元ネタなのですかね。
他におすすめありましたら是非!
次は・・・どこかへハイキングがてら出かけてきたいと
思いますが、先日バイクを盗まれてしまいまして・・・
いつ行けるのかなぁ。

627 :
スレ違いかもしれないけど今日の10時NHK第一で戦国シェルター・・
中世の地下室とか言われてみたい戦の時にここに貴重品を隠したらしい。
今でもそっくり残ってる時があるとか。その数、数千以上との事。

628 :
>>626さん
多くの埋蔵金本の元は畠山さんの本だと思います。これをお薦めしたのは
私が埋蔵金の方に興味があるからで、もし武田の金山の方に興味があるなら
(株)ボナンザ発行、泉昌彦著、「信玄の黄金遺跡と埋蔵金」甲駿の巻
をお薦めします。これも絶版だと思います。

629 :
たんさくという会社は畠山さんの日本の埋蔵金の各章をピックアップした本を販売しています。自分はこれで武田の宝を読みました。よければ見て下さい。

630 :
>>628さん
「信玄の黄金遺跡と埋蔵金」、入手しました。
今日は仕事で遅かったので、少ししかページをめくっていませんが
おもしろそうです。しばらく楽しめそうです。ありがとうございます。

631 :
>>629さん
ご紹介ありがとうございます。この本は、amazonの検索で
表示されたのですが、とてもページ数が少なかったので
食指が動かなかったのです。。。畠山さんの本の抜粋という
事は先日国会図書館でコピーしてきた内容と同じなのかも。
複写代で1000円弱でしたから、こちらを購入しても同じだったのかなー

632 :
コピーで充分だと思います。内容は全く同じですので。畠山さんの本は根気よく探せば必ず手に入ります(自分は入手しました)ので頑張って下さいm(__)m

633 :
>>630さん
おめでとうございます。
>>631さん
抜粋は抜粋です。抜粋した人のフィルターがかかっています。やはり原文を
コピーして読むのがいいと思います。

634 :
>>633さん
「信玄の黄金遺跡と埋蔵金」おもしろいです。
ただ難しいですね。歴史の知識、古い言葉
を知らないと意味が分からない箇所が多々あります。
なのでなかなか進まないです。
彦六さんは、実際に現地へ行ったことはあるのですか?
山歩きは好きですし今年の夏は黒川金山を見学に
行ってみたいと思っています。

635 :
>>634さん
つい先週の土曜日、「信玄の〜」に書かれている砂金のある場所へ行って来ま
した。川の水量が意外と多く失敗。私としては砂金採りより埋蔵金探しに行
きたいのですが、今回の相棒が砂金採りの方が確率が高いということで(笑)
山梨へは何回も行っています。高速料とガソリンばらまいて馬鹿みたいに。

636 :
砂金ですかー
この時期は、川の水は増量してますよね。
> 「信玄の〜」に書かれている砂金のある場所
どこだろう。三重河原ですかね?

637 :
>>636さん
三重河原でなく山梨県中西部でした。本には砂金が採れる場所がいっぱい
書いてありますからね。

638 :
グーグル検索

念のためうぷ(´・ω・`)まわいが重要


グーグル検索

やらなくてもやられるし 日本語以外話せないし


テレビやネットで説明

639 :
ご無沙汰です。
雨台風が過ぎて、砂金採取は今がチャンスかと思うんだけど、みなさんは行きました?
バイク盗まれたもんで、ぼくは足がなくて(>_<)

640 :
>>639さん
埋蔵金より砂金採取の方ですか?ネットで調べると同好会があって道具やら
現地の様子など画像が見られるようですね。
私はどちらかというと標題のとおり、埋蔵金の方に興味があるので、こっち
だったら場合によっては車出しますよ。

641 :
>>640
彦六さん
砂金ってわけではありませんが、以前ご紹介いただいた本で
ちょうど砂金の部分を読んでいて。大水が出た後は
砂金が取れやすいと書かれていたので〜
埋蔵金は、まだまだ調査が足りないですねぇ。全然知識が無くて
はてどこから調べていいものやら ^^;;;;

642 :
>>641さん
もし東京にお住まいで砂金採取なら、多摩川上流はどうでしょう。
埋蔵金でターゲットが決まっていないなら、畠山清行氏著「日本の埋蔵金」
上、下、新(いずれも絶版)図書館などで読み、一番興味を持ったものや
距離的に探索可能な場所がいいと思います。

643 :
>>642
彦六さん
以前教えて頂いた「信玄の黄金遺跡と埋蔵金」をまだ読んでます。
内容が濃いので、地図みたり、別な本を参考にしたりしながらなので
なかなか進みません。
今は竜ばみ沢の所を読んでます。まだまだ先は長そうです。
時間が合ったらで結構ですので、山へ行くときにお声をかけて
もらえるとうれしいです。一度行ってみたい・・・

644 :
>>643さん
「信玄の黄金遺跡〜」は内容が濃いですね。信玄の時代まで金山が盛んで、
勝頼の時代になったら急に枯渇したのは、人を動かす力の差でしょうか。
武田の埋蔵金で目星をつけている所があります。行ってみますか?砂金と
違って、収穫は殆んど期待できませんよ。男のロマンです。熊出ます。

645 :
久しぶりにきたら
なにやら盛り上がってる様子でなにより^^

646 :
もう埋蔵金を研究・探索している人っていないんでしょうか・・・
一攫千金ではなく、夢・ロマンとして楽しいんだけど
残念ですなー

647 :
インターネットの時代、ネットから情報を得ようとする人は結構いると
思いますが、ネット利用が少なかった時代の現地探索・現地研究タイプの
トレジャーハンターは、高齢化、引退が進んでいて、その数は年々確実に
減っているのだと思います。新たに積極的に始める人が大勢いるといい
ですね。安心してトレハンの情報交換できる場もあるといいですね。

648 :
過去にも書いたけど、真のトレジャーハンターは地味だからなぁ
ネットより足でかせぐところが多い。
おまけにココぞってところは、こっそり掘り返してる。
武田の埋蔵金探しも、ココぞって山に入れば、いたるところ掘り返してあるしね。
上で書いた足尾銅山の話も真偽はわからないけど、目に付く文献にはないのに掘り当てたって話だし
トレハン情報ホームページも数少なく、おまけに休止中?
ハンターの高齢化、資料の風化・・・時代がすすむにつれて忘れ去られるのかね
高齢になられたハンターの方 あなたの研究を後進に引き継ぎませんか?w

649 :
>165 彦六さん
5年ほど前からこのスレがあります。
実は、このスレはパート2です。このスレも2007年10月からですか・・・早いものですな。
5年間ネットでいろいろ探してきましたが、情報交換の場としてはココしかありません。
トレジャーメンバー募集としては、八重野氏のホームページしかありません。
メンバ募集がありますが、いまもしているかは不明です。
情報交換とは、お互いの研究成果を発表する事になるので「言ったら出し抜かれる」という思いもあると思います。
遊び半分の宝探しゴッゴとして出かけるのもいいですが、どこの誰だか・・・ってので前進しないんでしょうね。
徳川でも武田でもいいから仲間を集めてキャンプぐらいのノリで行きたいですね^^

650 :
>>165さん
情報交換の場としてはココしかありませんか・・・ほかを探すの諦めます。
梅雪関係で探索してみたいところがあります。来年のゴールデンウィーク頃
1泊2日の予定で。
ちなみに、私の名前「彦六」の由来、分かりますか?分かったらあなたは
武田関係にかなり詳しい人です。

651 :
ごめんなさい・・・徳川方なんです。
関東なんでどうしても徳川、結城なんです。
学術派ではありますが、実際現地へ行って話を聞いたりしてますよ。
徳川は謎ですが、結城はないね。
国土地理院なども利用すると詳細な地図がでますよ。
地形など、かなり重要だと考えています。

652 :
やっと、信玄の黄金遺跡〜の黒川金山の章が終わりました。
埋蔵金は難しそうですが、砂金壺はみつけられるかも!な〜んて思いました(笑)
皆さんと出かけてみたいんですが、休みが平日なんですよ(>_<) 普段は、平日休みは空いてて素晴らしい!んですが、普通の人と予定があわないのが悩み(^^;;

653 :
>>652さん
続く章も是非読んで下さい。一度現地視察をしたくなりますよ!私は平日でも
休みとれますよ。
>>651さん
結城は資料がなくて難しいですね。膳所主水の「衣岩十」の謎が解ければ
竿金二尺もの、同一尺五寸もの、砂金樽が・・・(笑)
徳川はやったことがないので分りませんが、徳川ゆかりの埋蔵金を結城の
金光寺の山門近くから勝海舟が掘り出し、明治初期の政府金貨に使ったと
いう話もあります。また晴朝のでなく、幕末幕府軍撤退のとき、軍資金の
一部を結城近辺に埋めたという話もあったようです。

654 :
彦六さん
>金光寺の山門近くから勝海舟が掘り出し、明治初期の政府金貨に使ったという話もあります。
は、金光字の住職に直接話を聞きました。山門の真下から3000両が出たそうです。
ま 住職さんの話ですが、これはいささか・・・
埋蔵金に興味がある方がいてよかった^^

655 :
金光寺の山門の梁に刻まれている三首の和歌を解けば、結城氏の埋蔵金を得る
ことができると言われていますが、気になるのは、この山門が作られたのが
たしか江戸末期の弘化3年だったと記憶しています。和歌を刻んだのは大工
でしょうが、刻ませたのはこの時の住職だとすれば、その住職は全てを知って
いたことになるし、明治になる直前まで埋蔵金があったことになる???

656 :
こんにちは!
今までROMしておりましたが、初めて書き込みしますw
私は地元のマイナーな埋蔵金の伝承を研究しております。
有名ではない分、情報は極端に少ないですが、
それでもあると思われる場所付近を通るだけでも、何かウキウキ致しますね!
埋蔵金とはちょっと違いますが、有名な所は帰雲城が気になっております。
遠くて行った時はありませんが、一度見てみたいですね。
こちらの住人さんとお酒飲んだらつまみ無くても、お酒が美味しくなりそうですねw

657 :
>>656さん
地元に埋蔵金伝承があっていいですね。知っている老人などが健在のうちに
聞き取りしたり、地元の歴史研究家、教育委員会関係の人に当ってみると
ヒントを得られる可能性があると思います。「俺は知らないけど、○○さん
なら知ってるかも」などの情報です。

658 :
おー なんだか盛り上がってきましたね^^
彦六さん>>655は正解です。住職が言ってました。
そして、新参者さん はじめまして^^
もう1年ほど前に話したので、ぼんやりですが、、、たしか5千両だったかなぁ?
結城の3人の従者がこの寺の埋蔵金を見張ってて、勝海舟の発掘に協力したそうです。
で、発掘の協力?口止め料?でひとり千両づつもらって、各地に散ったそうです。
どうやら一発で掘り当てたみたいなんで、埋まってたのはわかっていたんでしょう。
私が見に行ったときは、この3首の和歌は修復中でした。
犬がうるさいので、お寺に一言言ってから見学したほうがいいと思います。

659 :
そのほか、結城城跡には埋まってないなどもおしゃっていましたね。
この住職にハマって長時間お話をしましたw
かなり興味深い話も聞けたんですが、ここでは伏せておきたいと思います。
それなりの埋蔵金の知識と、一般的な常識をもってれば、かなり面白い話が聞けると思いますよ^^
徳川埋蔵金の重要ポイントである双永寺もそうでしたが、金光寺も年に数人訪ねてくるそうですよ。
双永寺のおばーちゃん元気かなぁ
糸井がやってた徳川埋蔵金のTVにも出てた方なんで、当時の話も聞けますよ。
帰り雲城ですかぁ 現実味がありますね。
帰り雲城の捜査を長年やってるグループのホームページがありますね。何度か見ました。
埋蔵金よりは、確実?かもですね。
武田のほうは、富士のキャンプ場の発掘はどうなったんでしょうかw
かなりいい線いってた気もしますが、キャンプ場のオーナーが電波っぽいのが気になりますねw
第3次発掘までは、ホームページがあったと思います。仕掛けの解説とかもありました。
もう見たかしら?

660 :
結城へは何度か行きましたが、秘文、絵図の類が殆んどなく、諦めました。
持っている人が絶対に出さないか、無いかどちらかと思います。そんな状況
で探すなら、結城城跡でなく、西の館(小山市)城跡か、あとは古墳関係か
どちらかと思いますが、史跡に指定されたら掘ることはできなくなりますね。

661 :
保守あげ

662 :
埋蔵金伝説でお馴染みのの「朝日さす夕日・・・」の文章は
やっぱり当てにならないものですかね? 

663 :
>>662
当てにならないと思います。大概、この歌以外に秘図、秘文は無く、この歌
に含まれるキーワードも少なすぎます。大体において時代も古いものが多く
埋蔵者、埋蔵量、埋蔵時期が不明。ということは、当てにならない・・・

664 :
>>663
そうですか・・・

665 :
t

666 :
>>659
西富士のキャンプ場のことですね。キャンプ場の敷地内には無いような気が
しますが、オーナーがトレハンにことのほか熱意がある人のようですね。
地元に住んで居られるので、キャンプ場は別として、地元の情報には詳しい
と思います。埋蔵金に興味がある人なら話が合いますね。

667 :
>>彦六さん
>>165さん
初めまして!!未熟ですが宜しくお願いします。
地元の埋蔵金の伝承なんですが、
調べていく内に8割り位の確立でもうないだろうなと思いました。
地元ではあまり知られてなく、その付近に住んでる人じゃないと知らない
規模が小さい鉱山跡地がありまして、
そこが埋蔵金の伝承がある場所なんですけれども
そこは金の色に似た鉱物が取れるのと、金の一部の成分が取れるので
その事を指してるんじゃないかなと思いましたw
すぐ隣の山にそこ一帯を支配していた豪族の城跡があるのですが
そこの領主が、もしかしたら何かを隠した可能性もあり地道にまだまだ調べていくつもりです。
ただ三分の一ぐらいは大規模な開発で禿山や平地になってしまい可能性が低いですね。
埋蔵金とは関係ない話ですが、
そこの付近に住んでる人達が危ないとの理由で、絶対に口を割らない教えてくれない坑道が
あるんですが、そこが非常に気になりますw
 

668 :
>>165さん
私も帰雲城を研究してる方のHPを良く拝見します。
現地にいけない分、猿のように何回も繰り返し見てますw
帰雲城は非常に気になりますが
現実的に大規模な堀り作業になりますし、その許可も必要ですし
何百人と人が埋まってる状態だから・・・・やはり観光として眺めるだけですかね^^;

669 :
>>667新参者さん
よろしくお願いします。鉱山跡の坑道に埋蔵金の伝承があるなら可能性はあると思います。
豪族が敗走する前、城に残さず取り敢えず坑道奥に埋蔵することは想像できますね。
問題は落盤事故対策です。この問題があるため、命がけとなります。
地元の人がしゃべりたがらないのは、昔そこで人が死んだとか、戦後左翼活動の盛んな
時期に活動家がアジトにしていたので穴を塞いでしまったとか、いろいろ過去の
暗い歴史にまつわる話があるのかもしれませんね。
坑道と言えば、秀吉の多田銀山の埋蔵金!!が発見される可能性が出てきました。
4,5日前のニュースで、新しい坑道が発見され、ロボットを使って「歴史的埋蔵
文化財」を探索する!!我々トレジャーハンターには見逃せないニュースです!!

670 :
多田銀山のニュース、江戸中期に掘られた坑道跡を
調査するみたいですね。埋蔵金というよりは、遺跡調査的な
感じなのかな。
坑道跡が2000ヶ所ってすごいですね。
これだけあると一日一本調査しても5年以上かかる計算に ><
ここは、URLを貼っちゃいけないんでしたっけ。
「多田銀山 ロボット」で検索すればニュースはすぐに見つかります。

671 :
>>彦六さん
>>670さん
この探索凄いですよね!探索の経過が非常に楽しみです^^
ちょっとだけ埋蔵金が見つかるだけでも、わんさか人が来そうですねw
落盤事故・熊・近くに沢や滝・崖があればそれも気をつけなければいけませんし
ある意味、一歩一歩が命がけの部分がありますよね・・・
話が変わりますが、地元の所もそうなんですけど埋蔵金が伝えられる場所の付近って
心霊スポットがあるとこが多いですねw
地元の所と平行して、武田の埋蔵金関係も調べてるのですが
危険な分、非常に醍醐味がありますね!!

672 :
武田の埋蔵金?
竜バニ谷〜一ノ瀬川付近にあるとされる埋蔵金
ここも調べてるのですが、非常に沢登りをしてる方が多いですね。
それだけに洞穴とか見つかってもいい筈なのに、見つからないというのは
カモフラージュで塞いでる可能性が高いのかな。
危険ですが、午王院金山・龍喰金山も近くにあり面白い場所ですね。

673 :
龍喰谷付近にも埋蔵金伝説も残っているんですか。
今読んでいる本に、龍喰谷近辺の話が載っていました。
その本には確か砂金がたくさん〜云々とありましたが
だれかが隠していても不思議はないですね。

674 :
坑道ですか・・・確かに埋蔵金を隠すにはうってつけですね。
実は今日、天気もよかったので、試しに坑道に入ってきましたw
今日行ったところは、1610年開口だそうで江戸初期から昭和まで掘られてたとこです。
真っ暗!そして、ものすごい水の量と江戸の手堀りの狭さ!
立ち入り禁止になってた坑道が直線1200m・・・。
湿気のせいなのかな?100m先も見えなかった。
で、坑道を支えるのが丸太の組み合わせで、あの湿度じゃそうそう長くはもちませんね。
って考えると、未発見の坑道に埋蔵金があっても、長年の風化で坑道が崩れていると思われます。
現代まで埋蔵金があっても取り出せないのと、チャレンジしても落盤等のリスクが大きいですね。
ま、短期間で持ち出すつもりで隠したなら問題はなさそうです。
自然の鍾洞も同様だと考えられます。

675 :
新参者さん
>埋蔵金が伝えられる場所の付近って心霊スポットがあるとこが多いですねw
ってことなんですが、現代のではなく昔からのを研究するといいですよ。
図書館などで郷土史などを読むといいでしょう。
その土地の昔の心霊スポットが、古墳だったりします。
茨城の舟玉古墳の「隠里の膳椀」が有名ですねw
今も昔も若い人たちは、そーいうところへ行きたがり、老人や土地の人たちは行かせたくない。
そこで、お化けの話を持ち出したのではないでしょうか。
昔は今と違って信心深いですが、効果があったのかは不明です。
現代と違って、地方の古墳は放置状態だったので、雨で石室が露出したり
副葬品などもむき出しになったりしてたそうです。
まぁ昔からの神聖さで、山頂部に社を作ったりしてたそうです。

676 :
畠山清行氏著「日本の埋蔵金(上)」によれば、東京日本橋小伝馬町のアサバ
写真館主、高橋修二郎がその一部を発見した埋蔵金は、棒金、延べ板などで、
帳面のメモから、竜喰川かその近辺の川沿いのほら穴3か所に分割埋蔵されて
いる。ここで問題は、その川はどの川かということです。川を間違えると、
いくら探しても宝物も洞穴もありません。はたして未発掘で残っているか
どうか!?発掘済みの場合でも、ほら穴は残っているはずですが。

677 :
彦六さん
その辺の話は、2007年このスレで武田の秘宝さんが竜喰川を調査しています。
79 :武田の秘宝:2007/12/12(水) 10:05:23 ID:???
165さん有難うございます。武田関係資料、参考にさせて頂きます。
黒川金山周囲の埋蔵金としては、畠山清行氏の本にある「高橋修二郎」の
埋蔵金を探索しました。一応「竜喰川」と狙いをつけて数回行きましたが
例によって「山歩きが趣味の人」で終りました。今は「二の瀬」から
入り易くなっています。
81 :武田の秘宝:2007/12/14(金) 11:28:09 ID:???
川について下って三つ目の「滝」として、滝周辺も探索しましたがそれらしい洞穴
は発見出来ませんでした。畠山清行氏の創作か?実話か?地元の人は伝承聞いて
いないようです。実話なら、「川について下って」にポイントがあります。
通常、から山奥の秘蔵地へ入るには、川沿いの山道を上流の山奥に向
かって「上る」と思われます。下らなければ到達出来ない険しい川は竜喰川以外では
1,2本しかありません。
レス80が抜けてますが、80は私がレスしたものでw

678 :
なつかしいね・・・もう4年も前か
私は、下駄小屋の滝周辺があやしいと思って、、
武田の秘宝さんのその後の調査結果は未報告です。
見つけたのか、辞めたのか不明です。
元気かなぁ
遠いのと、沢登りに自信がないので武田はパスしているところですw

679 :
はじめまして。興味本位と申します。
以前に旅行した山梨は「笹子の埋蔵金」に興味を持って早数年。
武田の埋蔵金は各所にありますが、『地蔵小坂』の話はどこを指しますか?
この手の伝承って地名に俗称もあるのでしょうけど、実際にあった(呼ばれた)地名ではないのでしょうか。
黒川周辺の話は多く耳にしますが、笹子の件は信ぴょう性に欠けるのか余り聞きません。
何らかご教示頂ければ幸甚です。

680 :
はじめまして興味本位さん
山梨県大月郡笹子峠の地蔵小坂に軍資金の一部が埋められているという・・・。
残念だが・・・私は、徳川方なんで、よくわからないです(涙。
武田を追う方、、彦六さんよろしくw
古地図が好きなのでよく眺めていますが、昔と今とでは地名が変わっている箇所が多いです。
また現代地図では表示されなくなった箇所も多いです。
特に「なんとかの一本杉」など、昔の目印みたいなのに関しては、現代版だと完全になくなってますね。
ちなみに箱根峠は、観音坂、葛原坂、女転坂、割石坂、大沢坂・・・など27の坂があります。
甲斐の古地図を収集してみてはいかがですか?
私は、徳川に関しては、明治からの地図を持ってます。
その地図を現代の地図と照らし合わせたりして、現地調査してますよ。

681 :
>>673さん
沢登りが趣味な方で、竜バニ谷を登られた方々のブログをいろいろと拝見しますと
やはりそこで砂金を見られた方が多くいらしゃいましたね。
ただ見かけは砂金と似ている鉱物もありますし、実際に見ないと何ともいえませんが。
>>165さん
初代のスレから拝見しまして、165さん凄いベテランの方ですね・・!!
祟りや、怖い地名にして人が近づかないようにする、いわば心理戦が多いですね。
坑道が1200mって凄いですね・・・
私も懸念してるのは、長年の風化で洞穴が埋まってしまい地面や斜面と同化
してしまった状態でしょうか。
彦六さん
修二郎さんの遺体を発見した宇沢某の方のその後が気になります。
二の瀬に住んでたという事は、メモ書きの部分部分が消えてたとはいえ
その辺の土地勘は凄いと思いますし・・・
まぁ見つかってないという前提で研究しますw
修二郎さんが発見した埋蔵金とは関係はありませんが
午王院金山・龍喰金山の当たりも研究したいと思います。
資料が圧倒的に少ないのが非常に気になります。
龍喰金山の周辺には6の坑道or洞穴があるみたいですね。

682 :
>>681さん
二の瀬の宇沢某、川を下って埋蔵地に辿りつくことから、二の瀬から竜喰川の
中流に入り下流に向かって下る、と推理して3,4回行ったことがあります。
完全に探索しきっていませんが、ここは中途でやめて今は梅雪に興味を移して
います。再度修二郎を確認するとしたら、竜喰で気になる所1ヵ所、そこが
無かったら竜喰川はやめて大常木谷に移ります。下から遡るのは危険な川の
ようです。つまり上流から河口に向かって下る。二の瀬から行けるかど
うか?とにかく修二郎は何かの確信があって何度か探索していて発見した
ことになっていますね。私は大常木谷入りは自信がないので梅雪にします。

683 :
新参者さん
龍喰金山の周辺には6の坑道or洞穴は見ました。写真ですけどね。
近くに支流も流れていますね。

684 :
で、高橋修二郎のメモで出てくる大岩って、黒川千軒の大岩なんですかね?
ここにも川があるしね。
なぞは深まるばかり・・・。
遠い!遠すぎる!
埼玉に住んでるけど、奥秩父なんていったことないww
ましてや沢上りも下りも装備すらないww
そんなに歳ではないが、運動不足(泣
はうぅ・・・。

685 :
165さん
はじめまして。
古地図の収集から検索は思い付きませんでした。
そもそも「地蔵小坂」なる地名は地元の古老でも記憶ないとか。
今でさえ旧道となった笹子峠ですが、山道を一度西側から抜けました。
旧茶屋跡などありましたが、武田時代のものではないですし・・・。
正直、武田再興のためにこんな場所に埋めるのかなぁ?が感想です。
確かに誰にでも見付かるようでは目的を果たせませんが、
追われる立場の者が再度掘り起こすとなると果たして。
その場所が末代まで自領ならともかく、戦国時代には敵領になる可能性大ですしね。
う〜ん、奥深く大変難しいんですね。

686 :
>>彦六さん
穴山梅雪ですか!
あのカルト集団も探してたみたいですし、確実性が高いですね!
お互いがんばりましょう^^
165さん
黒川金山ですか!!
私は修二郎さんのは花魁淵までと考えておりました。うむ・・・
写真を見た限りですが、大常木谷に馬鹿でかい岩が数個あるから
そちらも候補にあげてます。
ただ、彦六さんが言う通り危険度が非常に高いので、時間を掛けて
探索しようかなと思います。あの辺は死人も出てますし、怪我人も
多数いらっしゃるみたいなので、防御方として沢登りの訓練も視野に
入れようかと検討中です^^;
オカルト的な噂も龍喰谷と大常木谷あるから見たくないな・・・w
午王院金山・龍喰金山も益々気になってきました。
この恐そうな名前が非常に怪しく感じます!!
人が寄り付かないようにそのような名前にしたんじゃないかと^^;

687 :
>>686さん
「新参者」さんは新参者ではないですね。黒川金山周辺も大分研究されている
ようで・・・。修二郎がその一部を発見した黒川谷周辺の埋蔵金は、武田家の
大埋蔵金とは別物のように思います。未発見の可能性がありますが、小埋蔵金
だとすると、発見した人に密かに持ち去られている可能性もあります。しかし
前にも書きましたが、穴はそのまま残っているはずで、小説は書けますね。

688 :
徳川埋蔵金の研究者いないかぁぁぁ

689 :
梅雪埋蔵金の研究者いないかぁぁぁ

690 :
武田の方々
秋になる前にみんなで山に入られてみては?

691 :
自分はロッククライミングをやってました。
ひと通りの装備と技術は持っています。
沢も経験あります。
もし、宜しければ山中に入る際のお仲間に入れて下さい。
神奈川湘南地区に居住しております。

692 :
興味本位さんのような方がいれば大変心強いですね。修二郎は崖から転落死
しました。危険な所であることは間違いありません。がけ下に穴を見つけた
らまずは興味本位さんに先発隊役をお願いして様子見を・・黒川谷周辺なら
東京から日帰り可なので、まずはどこかで1日、探索ルートの打ち合わせ
確認ができれば理想的ですね。新参者さんが詳しそうなのでみんなで計画さ
れては如何でしょう。ただ私は時季的にどうかと思います。山は日暮れが早
いです。今月中に皆さんで行かれるとしても、来春を見据えた予備調査のつ
もりで行かれた方がいいと思います。

693 :
彦六さん
はじめまして。
一般に岩登り(崖の登攀)は下から登ることになります。
下降するには懸垂下降を行いますが、降り切った所から沢を遡行または下降できるかがポイントです。
つまり下降し切った場所から水平方向に移動(上記行動)が不可ならば、下降した壁を登り直さなくてはなりません。
大変失礼ですが目的地周辺の地形は如何なのでしょうか?自分は皆目検討付かずでして・・・。
埋蔵金(物)を崖の途中の穴に隠すならば、上から降ろすのが普通ですよね。ロープ等を使って。
逆に回収した(する)場合は人が先に下降して、隠した時の逆の順で上げることに。
崖下の穴は確実にあるのでしょうか?または高確率で存在するのでしょうか。
「日本の埋蔵金」で崖下で見付かった遺体が笹金?を所持してたような話は修二郎のことでしょうか。
転落死の遺体が見付かった場所ならばその周囲に「ある」訳ですよね。
その辺の調査や検証等がどうなのか、素人の自分が突然口出しして申し訳ありません。
埋蔵物(金)その物よりもまず、行くには安全の確保を第一と考えております。
地形などここで掲示するに問題ない範囲で御教示頂けると助かります。
隠す側も安易に見付かっては問題ですけど、回収するのにも難儀過ぎては問題だと思います。

694 :
>>693さん
「日本の埋蔵金」を読んで竜喰谷に目星をつけて4,5回探索してみただけで
す。高橋修二郎の残したメモの一行目に「高橋・・・・・・に」とあるので
その近辺で怪しそうな川ということで。従って確実性は保証できません。それ
から前に「黒川谷」と言ったのは地図上にある黒川谷(川)ではなく、大菩薩の
北側から一之瀬川流域を含む「旧黒川金山一帯」という意味です。また心配されて
いるような渓谷ではないと思います。私も経験ありますが、修二郎が事故死
したのは砂地っぽい崖を水汲みに下りようとして足をとられてバランスを崩し
たのではないでしょうか。懸垂下降は必要ないが、バランスを崩した時に掴まる
ロープが1本あればいいようにおもいます。修二郎はそれさえ持たずに出かけた
たのではないでしょうか。全ての川の探索はできないので、沢登りの本と渓流釣
りの本とメモとで調べて自分なりに推理するしかないと思います。
私は梅雪の方が存在の確実性が高いと自分勝手に思っておりますが・・・

695 :
ここで、前スレの方のを拝借いたします
98 : 修二郎 : 2006/10/18(水) 21:54:39 ID:??? [913回発言]
畠山清行氏著、日本の埋蔵金「武田の秘宝」の最初に出てくる高橋修二郎の
埋蔵金について、その埋蔵地を推理します。小埋蔵金なので、既に発見され
てしまっている可能性がありますが、発掘されたという情報もありません。
高橋修二郎が書き残した帳面は雨にたたかれ、文字は部分部分消えていた。
  「高橋(以下十字不明)・・・に
   腕の形(以下九字不明)・・・る
   大本(三字不明)右三本(八字不明)
   山(五字不明)あり穴は大きな岩の
   左からみ(七字不明)・・・る
   木で(六字不明)・・・本
   棒は大(六字不明)・・・十枚
   のべ板(四字不明)・・・二つの穴
   にもま(五字不明)・・・ある
   右の(三字不明)・・・口は川につ
   いて下って三つ目の(一字不明)
   のほらあなから入る」


696 :
107 : 修二郎 : 2006/10/20(金) 21:44:18 ID:??? [913回発言]
<高橋修二郎の埋蔵金>
時:明治40年頃のある秋の朝
所:山梨県塩山市高橋地区近辺、「花魁淵」の近く
発見者:高橋修二郎
修二郎の遺体発見者:二の瀬の宇沢某、炭焼きで生計をたてていた
発見したもの:焚き火跡、鍋、米、缶詰、天幕、皮製の鞄と中に棒金10本
       修二郎の手帳
       近くの崖に引きちぎれた雨よけマント、崖下に高橋修二郎の
       遺体
修二郎の身元:東京日本橋小伝馬町のアサバ写真館主
修二郎の探索歴:夏から秋にかけて2度ぐらいずつ山入りしていた
        その年の9月の末に、四谷の実弟憲三郎を訪れ、「今度は
        九分九厘間違いなしという所を、俺はこの前に行った時、
        さがし当てているから一緒に行かないか」とさそっている
これらのことから、高橋修二郎が発見した埋蔵金は、大菩薩峠の北側で、二
の瀬から歩いて1〜2時間の範囲内、川のそば、めったに人が通らない
ところにあることになります。(続く)

697 :
112 : 修二郎 : 2006/10/21(土) 21:02:56 ID:??? [913回発言]
<高橋修二郎の埋蔵金>
修二郎の残したメモ(謎文)から、次のことが解ります。
(1)「高橋」という固有名詞の近辺、又はそこが起点となっている。
   現地で「高橋」がつくのは、高橋神社、高橋川、市ノ瀬高橋の3つである。
(2)埋蔵地は3ヶ所あり、1ヵ所は山の中腹又は崖の斜面にあり、近くに
   大きな岩がある。他の2ヶ所は川のそばのほらあなにある。
(3)埋蔵金の種類は、金の延棒と延板である。
(4)埋蔵量は、棒金で何十本程度であり、まるどう、たけながし、こがね
   の記述が無いので、埋蔵金の種類、埋蔵量から推して、穴山梅雪の大
   埋蔵金とは別口の小埋蔵金と考えられる。
(5)偶然に3ヶ所同時に発見できるはずはないので、修二郎は何らかの
   秘文か秘図、又はその写しを入手していたと考えられる。 (続く)        

698 :
123 : 修二郎 : 2006/10/23(月) 22:08:23 ID:??? [913回発言]
<高橋修二郎の埋蔵金>
埋蔵地への起点と思われる固有名詞「高橋」について考えます。
(1)「高橋神社」と仮定すると、第1の埋蔵地は、高橋神社裏の「石保戸」
   山となります。ここは、泉昌彦さんの本によると、採鉱跡と思われる
   洞穴がいくつかあった。埋蔵には最適である。しかし、第2、第3の
   洞穴は川のそばのはずであり、高橋神社近くの川といえば高橋川しか
   ありません。高橋川は現地へ行ってみれば分るように、雑木林の中を
   穏やかに流れるごくありふれた川で、険しい崖や岩穴などはありませ
   ん。従って「高橋神社」はないと考えます。
(2)「高橋川」と仮定すると、(1)と同じ理由でこれもないと考えます。
(3)残るは「市ノ瀬高橋」ということになります。大菩薩の北側、鶏冠山
   で栄えた黒川金山の金掘りの末裔が暮らす「市ノ瀬高橋」地区には、
   「一之瀬」「二の瀬」「三ノ瀬」などの集落があります。その「二の瀬」
   の宇沢某が高橋修二郎を発見したのであります。     (続く)

699 :
大まかな事はご存知だと思いますので
この辺でコピペは止めときますね。
創作ではなく、仮に事実としたらやはり土地勘の詳しい
宇沢某もしくは、誰かが見つけた可能性もありますが
埋蔵金が無くても、実際にほこらがあって推定される場所が
見つかるだけでも非常に満足です^^

700 :
何度もすいません。
金山衆の田辺四郎佐衛門あての「武田家諸役免許状」
を読んだ方いらっしゃいますでしょうか?

701 :
徳川方の私が口をはさむのもなんですが
彦六さんの言うとおり予備調査がよろしいかと
まずは、皆で花魁淵へ行かれてみてはいかがでしょうか?
近年「本当の花魁淵は〜」などの記述も多くみられます。
花魁淵のほか、花魁堂、藤尾橋などもあるみたいです。
丹波山村には民宿もあるそうなので、一泊二日などもよろしいかと^^
にわか武田方になって推理してみましたw
日本の埋蔵金を読み直したんですが、修二郎は花魁淵の近くで装備も見つかっていますね。
考えられるのは、おいらん淵の周辺での探索か、どっかの帰りの泊りかですね。
修二郎のメモを見ると「高橋(以下十文字不明)に」とあるみたいで、
地図で調べてみると、塩山一之瀬高橋が広大なことと、二之瀬、三之瀬があることから、、
メモは二之瀬、三之瀬のことではないでしょう。
「腕の形(以下九文字不明)る)」と細かく書いてあるので、二之瀬等であれば二之瀬と書くはずですね。
また同様に、塩山一之瀬高橋が広大な事から、塩山一之瀬高橋でもないでしょう。
すなわち「高橋」とは、細かい地名か川の名前かもしれません。
おや?山梨県の寺院一覧に無いお寺があるね?真北にこれは墓地か
と、考えてしまうわけですw

702 :
徳川方の私が口をはさむのもなんですが
彦六さんの言うとおり予備調査がよろしいかと
まずは、皆で花魁淵へ行かれてみてはいかがでしょうか?
近年「本当の花魁淵は〜」などの記述も多くみられます。
花魁淵のほか、花魁堂、藤尾橋などもあるみたいです。
丹波山村には民宿もあるそうなので、一泊二日などもよろしいかと^^
にわか武田方になって推理してみましたw
日本の埋蔵金を読み直したんですが、修二郎は花魁淵の近くで装備も見つかっていますね。
考えられるのは、おいらん淵の周辺での探索か、どっかの帰りの泊りかですね。
修二郎のメモを見ると「高橋(以下十文字不明)に」とあるみたいで、
地図で調べてみると、塩山一之瀬高橋が広大なことと、二之瀬、三之瀬があることから、、
メモは二之瀬、三之瀬のことではないでしょう。
「腕の形(以下九文字不明)る)」と細かく書いてあるので、二之瀬等であれば二之瀬と書くはずですね。
また同様に、塩山一之瀬高橋が広大な事から、塩山一之瀬高橋でもないでしょう。
すなわち「高橋」とは、細かい地名か川の名前かもしれません。
おや?山梨県の寺院一覧に無いお寺があるね?真北にこれは墓地か
と、考えてしまうわけですw

703 :
新参者さんのお探しの
辺四郎佐衛門あての「武田家諸役免許状」はこれです^^
一、御分国諸商い一月に馬一疋の分、役等免許の事
一、本棟別壱間の分、御赦免の事
一、向後抱え来たり候田地、軍役衆の如く検使を停めらるべきの事
一、郷次の人足普請、禁ぜらるるの事
以上
この度深沢の城において、別して奉公候間、褒美を加えられるものなり、よって件
の如し
元亀二年辛未
二月十三日(竜朱印)山県三郎兵衛尉これをうけたまわる
田辺四郎左衛門尉

704 :
あらあら
徳川の敵の武田にずいぶんと引き込まれてしまいました(汗
あまり知識がないので、皆さんを惑わせてらいけないので
口出しは控えることにします><

705 :
>>彦六さん
大筋、了解しました。
知識のない自分は、現地へ行ってからの方が依り理解できそうです。
1ピッチ=径11mm長さ40mのザイル1本で足りそうです。
丹波山村からなら近場ですね。R411が花魁淵を迂回するようにトンネルができました。
なので途中から徒歩での行動になりますね。
予備調査にしても是非一度、現地に出向いてみたいです。
ツーリングでは良く通ります。
あと「川の傍の洞穴」ですが、大雨による川の氾濫でも影響のない箇所にあるのですよね。
あの辺の川は普段は水量がそこそこですが、V字峡状で大雨時は想像が付かない程の濁流になります。

706 :
明日は当直勤務のため明後日夜までレス出来ません。
また改めて書き込みさせて頂きますので、お許し下さい。

707 :
そうなんですよね
私は一ノ瀬川・龍喰谷・大常木谷の周辺派?なんですが
五間ノ滝・千苦ノ滝など、メモに滝の名前等が目印として書いてあっても
おかしくないと思ってるのですが、いろいろと仮説が必要ですね。
藤尾橋附近で遊女が落とされて、そこから流れて現在の花魁淵(滝の名前忘れました)
に死体が集まったみたいですね。 伝説なので実際はどうなのかはわかりませんけど。
165さん、武田家諸役免許状ありがとうございます!!
泊まりで行ったら、つまみが無くてもお酒が美味しそうですね^^

708 :
盛り上がってきたのでたきつけちゃいます。@高橋修二郎の埋蔵金発見が
畠山さんの創作と仮定したとしても、A三河あたりに住んでいた平衛門夫婦
が甲府に数ヵ月いた後、土地に誰一人縁故者がいない高柳村に移り住み黄金
の延棒を発見したが何者かにされた。B明治8年辺見正順という人物が
十名ほどの家来を連れてへ乗り込み埋宝の探索を始めたが失敗した。
と話が三つも重なると埋蔵金があったことは間違いないのではないか。そして
その一部は今でも発掘されていないかも知れない。山の斜面の大岩はどこに
でもあって目印にならないが、川について下ると洞穴があるのだから発見の
可能性は高いです。お宝があるか空っぽかは洞穴を覗いてみないと分りません。
1ヵ所見つかれば芋ずる式に他の2箇所も見つかるでしょう!

709 :
若干離れてますが、この周辺ていろいろと埋蔵関係の
話しがありますよね!!先程の彦六さんの書き込みの内容に加えて
・次左衛門の「黒川金鉱開堀一件」
・金沢猪作と弓削一司郎(もう無いかも)
あと、165さんが上の方のレスでおっしゃていた、学生二人が遭難したときに
延べ棒を拾った件など。(場所的に関係ないかもしれませんが)

710 :
高橋修二郎が事故に遭遇したのは明治40年頃です。この時既に青梅、八王子
と甲州塩山を結ぶ青梅街道、柳沢峠は開通していたようです。つまり探索に
必要がない限り、大菩薩の旧峠、旧青梅街道を抜けて丹波山村奥秋集落まで
行く必要はなかったと思います。日本橋小伝馬町を出て中央線の塩山駅で下車
裂石、柳沢峠を越え一之瀬高橋に入った。そして埋蔵金発見後の帰途も来た
道をそのまま帰る予定で、日が暮れたので1泊野営して、翌日塩山駅に向かう
つもりの日に遭難したと思われます。一之瀬高橋からその先どっち方面に向
かったか、どの川が怪しいか、いろいろなデータをもとに推理するしかあり
ません。

711 :
明治40年頃ですか・・・今から凡そ104年前のことですね。
100年も経つと周辺環境も随分変わってるかも知れませんね。
沢登りの人の記録を見ても洞穴などの記録は無いのは、
案外、川辺ではなく川の上の崖または斜面にあって見えないのでは。
でも修二郎は実際に見付けた(らしい)のだから、川面に近い場所なんでしょう。
う〜ん、実際に現場周辺を探索してみたいですね。

712 :
>>711さん
(1)東京市が水源確保のため、山梨県から買収した東西3里、南北5里の市有林の範囲内にある。
(2)高橋の北二の瀬の宇沢某が、徒歩で2〜3時間で行ける範囲内。従って二の瀬から30分
  で行ける竜喰谷と限定しない方がいいかも知れません。
(3)「腕の形」なら木と思われ沢山あって限定できない。「椀の形」の印刷ミスなら岩の可能性あり。
(4)「大本・・右三本」は「大木」の印刷ミスと思われ、右3本目の所しか目的地への下り口(又は
  上り口)がない。(道具を持たない人の場合)
(5)そこを下る(又は上る)と山のような大きな岩がある。その大岩の左から、ほら穴が見える。
(6)第2、第3のほら穴はそこから川について下って三つめの(滝、岩、沢)の所にある。
(7)ほら穴は対岸から見えるはずで、対岸には村人が歩く道が無いか、あってもその道からは見えない
  位置にある。又はほら穴の存在が分っているが崖の中途で、ロープを使わないと穴まで行って覗けない
  と思われる位置にあるのでは・・・(川面に近いと誰かしらに発見されています。)

713 :
>>彦六さん
>(7)ほら穴は対岸から見えるはずで、対岸には村人が歩く道が無いか、あってもその道からは見えない
  位置にある。又はほら穴の存在が分っているが崖の中途で、ロープを使わないと穴まで行って覗けない
  と思われる位置にあるのでは・・・(川面に近いと誰かしらに発見されています。)
徒歩2〜3時間圏内ですか・・・
単純に地図に円を描いても、徒歩時間を距離(半径)に換算するのは難しいですね。
発見後は一之瀬高橋に戻ったか通過したと云う形跡はないのですか?
青梅街道(現R411)を塩山に向かうなら、おいらん淵は逆方向の気がします。

714 :
どうして修二郎は、ほら穴の位置を発見できたのでしょうか。
自分たちは「修二郎のメモを参考」にして穴の場所を探そうとしてます。
彼自身は「メモと同様の何か」を見付けたのでしょうか。
※すみません、単純に自分の疑問を書き込みました。既に解明されてるのであれば、ご教示お願いします。
(7)の状況を考えると単純に周辺探索しての発見は難しいですよね。

715 :
>単純に周辺探索しての発見は難しいですよね。
これは、修二郎自身のことを指します。

716 :
>>714興味本位さん
「日本の埋蔵金」に書かれていること以外は、何も無いと思います。ただ、
修二郎は毎年夏から秋にかけて二度ぐらいずつは山入りしていて、最後の時
は、弟健三郎に「九分九厘まで間違いなしというところを探し当てたから一緒
に行かないか」と誘っている。確信が無ければ続けられないことです。つまり
何かしら証拠を持っていたのは間違いないと思います。それが誰かから教わった
あのメモかも知れません。平衛門もその一部と思われる延棒を発見しました。
あること(あったこと)は間違いないと思います。しかし川を1本1本調査
して潰していく以外にすべがないので大変ですよ。

717 :
>>716
>川を1本1本調査して潰していく以外にすべがないので大変ですよ。
それは大変で現実的じゃないですよね。
崖の中ほどにほら穴・・・ある程度狭い峡谷じゃないでしょうか。
広い峡谷は斜面も緩くなる傾向があり、切り立った斜面(崖)があるのは・・・。
川について下って・・・・ここが気になるのですけど。
川の中を渡渉するのか、川沿いを遡上または下降するのか。
渡渉でなければ地形からある程度予測が付きませんか。
>「日本の埋蔵金」に書かれていること
本に書かれる際に何らかの加工修正されてる可能性はないのでしょうか。
「修二郎の持つ何らかの証拠解明のヒント」でも分かれば良いのですが。

718 :
時間を掛けて丹念に調べるしか今のところは
それしか方法はないですよね。
その分私は楽しみながら探すつもりです^^
そういえば明治40年頃は
「8月21日夜半からの豪雨により山梨県一帯に大水害起こる。柳沢峠を挟んで道路は全滅し落合で4戸流出1名死亡、
耕地は壊滅し、交通断絶のため住民は餓死に瀕して馬をして食料としている。と救助を求めた一ノ瀬高橋地区区長雨宮武十郎は語っている。
泉水谷府有林における22日から一週間の雨量は994.7mmに達した。」みたいですね

719 :
そうです。>>718さんの言われる通り、山歩きを楽しみながら探すのが一番です。
谷を歩いていると、沢登りを趣味とするグループや、こんな険しい山ん中までと
びっくりするところまで渓流釣りの人を結構見かけます。「趣味」は人それぞれです。
普通なら人がいるはずのない所から鍋の火がチラチラ見えたので、宇沢某は翌日あえて行ってみたら
高橋修二郎の事故死を発見した、と私は考えています。つまり人が滅多に行かない川の近くです。

720 :
>>717さん
>>719を読んで誤解されないよう、追加で書きます。
私は竜喰川へ数回行ったことがありますが、崖の上、川沿いの山道の足元に洞穴
があるのを見たことがあります。覗いても埋蔵金は無かったですが。つまり何を言いたいかというと、
人里近くの川であっても峡谷になっていれば道のすぐ下に洞穴があっても気がつかないということです。
沢登り、渓流釣りの人達は目的が違うので穴があるのは分っても、危険を冒してまで穴に近づいて
中を確かめることはしないでしょう。秘境の川だけに限定しない方がいいかも知れません。

721 :
あれ?私が花魁淵の位置を勘違いしているのかな?

722 :
>>720
そうですか。
実際に現地踏査されてるなら、無知の自分の考えを訂正します。
確かに「灯台下暗し」の諺そのままですね。
自分も沢登りの際は滝の直登やルート取りに気を向けますもの。
ところで、もう一つ伺わせて下さい。
竜喰川に絞った理由は如何な処からなのですか?
ここで明かすのが問題ならばお答え下さらなくて結構ですよ。

723 :
来週連休も2回あることだし、みなさんで行かれてみては?^^

724 :
>>722興味本位さん
(1)高橋に近い。二の瀬の人間が容易に歩いて行ける川。険しい川。
(2)「川について下って・・」・・・通常、集落から川沿いに山道が上流
   に向かって延びている。もしかしてこの川は河口から上流に向かって
   川沿いに歩く道が無い川ではないか。私は一之瀬川を腰までつかり、
   対岸にある竜喰川の河口まで行き(案外簡単に向こう岸に着けます)
   沢を遡行したことがあります。河口沿いにはしばらくの間里人が歩く
   道はなく、条件に合致していたからです。沢登りのグループに会いました。
>>723
私自身は梅雪の埋蔵金に移りましたよ^^

725 :
>>724彦六さん
>「川について下って・・」
・・・普通は川に沿って下降する、って意味ではありませんか?
是非一度行きたいです。
>梅雪の埋蔵金に移りましたよ^^
残念です、お邪魔でなければそちらにも (謝)

726 :
梅雪系の埋蔵金は全国でも人気がありますよね^^
私は修二郎さんの小埋蔵金と、午王院金山・龍喰金山をじっくりと攻めます^^
しかし金属探知機の選定も迷いますね。
あの険しい山に機材を持っていくとなると、登山の装備品を何か削らなければいけないし
迷いますね。
余談ですが
私が子供の頃によく遊んでた川があるんですけれども
そこの川のサイドは高さ約30mの絶壁な崖で囲まれ、反対側は平地になっておりまして
水中に潜って崖側に行くと、水面の中に洞窟があったんですが(今はテトラポットがあり
入れない)
・・・今考えると怪しいw
すぐ近くに戦国期の城跡もあります。
ちなみに、北条氏側の豪族で城主は小田原征伐の時に小田原城で戦死して
北条の降伏後の次の当主は、城を廃城にして剃髪いたしました。
全く無名な豪族ですが、今考えると非常に怪しいです^^;

727 :
訂正
小田原城→八王子城で討ち死。です

728 :
>>725興味本位さん
梅雪の埋蔵金については同行者募集中です。しかし事前の打ち合わせが絶対に
必要なので(待ち合わせ場所、当日の探索ルート、お互いの意見調整、天候
など)ここでは難しいですね。一度お会い出来て意見調整が出来てからですね。
梅雪のは大埋蔵金ですよ〜^^こちらも3か所分割埋蔵ですよ〜^^

729 :
>>728彦六さん
正直言って、足手まといにならなきゃ良いですけど…お誘い有難う御座います。
先述のとおり、自分は湘南地区居住ですから、現地で一泊して顔合わせなど出来れば嬉しいです。

730 :
>>729興味本位さん
9月中旬も終わり近く山間は午後5時には晴れた日でも薄暗くなって来ます。
私は来年春を考えています。それまでに調整出来ればご一緒しましょう。まだ
7ヵ月先です。一泊二日になるかもしれませんね。勿論ご自分の推理で探索
したいところがあればどんどん行動に移して下さい。

731 :
>>730彦六さん
そうですね、「秋の日はつるべ落とし」ですからね。
申し訳ありません、自分はHNのとおりで本格的なことはしてません。
本格的とは資料の検証、現場の調査やその他史実の確認です。
同行させていただく上で、直接見て確認をしたいと勝手に。。。
同行等で少しでもご迷惑を掛ける時や予測される際は辞退します。
あくまでも中心は各皆さんですから・・・。
それまでに少なくとも調べてお話に入れるようにしたいと思います。
何だかソワソワしてきました、楽しみです。

732 :
いいなー 楽しそうだなぁ
赤城より現実味があるし、結城より開発されてないし
現実味がありますね。

733 :
>>731さん
「日本の埋蔵金」の武田の秘宝の章をよく読み返してみて下さい。この本以外には
若干の資料がありますが、いずれもどこまで信用できるのか眉唾ものです。
どうしても一度打ち合わせの会合が必要と思いますし、それが不可能なら来春単独
で行く予定です。
>>732165さん
赤城は門外漢ですが、私が徳川に取り組むとしたら、一度は水野さんを訪ねて可能な限りの
情報をお願いする過程が必要と思っています。水野家三代が取り組んできた資料や失敗例です。
「あたえられるか否か・・・徳川埋蔵金120年目の挑戦」というDVDを期待して買って見ましたが、
糸井重里と同じ結果でした。水野さんがこの人ならと信用する人に掘らせたからには、それまでの
全ての水野家の情報をこの人に提供したんだろうに!肝心な情報が脱落しているか若しくは
間違っているか、と思います。165さんも梅雪に移られたら?!(失礼しました。)

734 :
>>彦六さん
水野氏は、TVが来てしつこく掘らせろというもんだから、近所を掘らせたとおっしゃってます。
これは、完全なる当てずっぽうです。
また、水野氏自身、埋蔵金のありかがわかっていませんから、いくら掘っても無駄です。
以前、このスレで大義兵法秘図書の内容を知っている(解読?)と思われる人もいましたが、
その真偽がわからないのと、もうこの秘図書の解読しか手がかりが無いのが実情です。
例のTV中に水野氏が一部解説しています。
武田・梅雪に関しては、畠山氏・八重野氏の著書を読んだ程度の知識しかありませんww
でも、みなさんの話を見ていると、ワクワクしてたまりませんなw
ぜひ、一献の際は、お知らせください。参加したいです^^

735 :
「鳳凰は北へ飛んだ」
「不動のものに気をつけろ」
「すでにあるものを利用する」
「江戸から東北、北東は鬼門にあたる」
「徳川にとって東北は弱かった」
「西南の方角は良かったものが悪くなる」

736 :
>>734165さん
畠山氏の本の「赤城の埋宝」を大分昔に読んだきりで、津久田原も双永寺も行ったことありません。
その意味で素人です。大義兵法秘図書というからには兵法が関係しているとすれば、攻めの戦略、
守りの戦略などのほか、諜報(スパイ)戦略、隠遁の術なども含まれます。
武田信玄は諸国に諜報者(商人、僧侶等々)を放ち、彼ら同士では隠語を使って情報交換したようです。
この術は幕府転覆にも使えるので、徳川幕府は研究を禁止したかも知れません。知っている武士は少な
かったと思われます。また隠遁の術を埋蔵金に適用すれば、「敵の目を欺き、おのれの身(埋蔵金)を
隠す。」ことに応用可能と思われます。赤城の埋蔵金は「幕末のお納戸金(?)」ではなく、徳川家康
の「三河徳川家の埋蔵金」なんかなぁ〜^^

737 :
折角ですから、ここで皆さんで集まりませんか?
梅雪あり徳川あり、情報交換などしてみては。
って、新参者の自分が出しゃばることではないですけど。

738 :
そうですね。
みなさん狙いはそれぞれですが、目的は「埋蔵金探し」ですからね^^

739 :
畠山氏の「日本の埋蔵金」「新日本の埋蔵金」とは、
具体的に中身の違いは何でしょうか?
ちょい気になりました、お教え下さい。

740 :
>>739興味本位さん
何版も出版されたようですが、私が持っている本によれば、
(1)日本の埋蔵金 上 ・・・多田銀山、結城晴朝の埋宝、武田の秘宝など11項目。
(2)日本の埋蔵金 下 ・・・赤城の埋宝、黒部渓谷の秘宝など12項目と最近話題の埋蔵金3話その他。
(3)新・日本の埋蔵金 ・・・魔山雷神丸の宝、秘境帰雲城の埋没金、山下兵団の埋宝など12話。
です。日本全国の主な埋蔵金話を3巻に分けて物語風に書いてありますが、新・日本の埋蔵金には
上巻、下巻の埋蔵金話の異説など、一部追加補足説明的な話も載っています。

741 :
畠山氏の眠ったままの埋蔵金も面白いですね^^
ココが宝のありかだ!みたいな書き方なんで、ワクワクさせられます。
明日もお休みなんで、八王子〜おいらん淵を抜けて富士五湖まで行ってみます^^

742 :
私も一度「大義兵法秘図書」を読んでみたいので、どなたかどの本に書いてあるのか
教えて下さい。全文は公開されていないみたいですから、出来る限り長文が記載され
ている本が欲しいです。本の名前と著者名、それとアマゾンで買えるかどうかも知り
たいです。

743 :
>>740彦六さん
ありがとうございました!
上下巻があるのですね。
近々、古本屋へ出向き購入してみます。
畠山氏は埋蔵金の第一人者らしいですが、
自身の研究結果と各地の伝聞を併記してるのでしょうか。
実際のところ、伝わる何割が実在するのかなぁ。。。
>>165さん
>八王子〜おいらん淵を抜けて富士五湖まで行ってみます
バイクで明日、行こうと思ってました。単にツーリングですけど。
もしかしたら足元に埋まったままだと思うとワクワクします。

744 :
>>743興味本位さん
畠山清行氏の「日本の埋蔵金」は絶版で古本屋でも入手困難と言われています。
うまく見つかるといいですね。無ければトレハンの先輩に見せて貰うか、国立
国会図書館などでしょうか。欲しい部分は有料でコピーとれると思います。

745 :
>>彦六さん
「大義兵法秘図書」は、手元にありません。
いまとなっては、糸井の番組内やネットで出回ってるのが精一杯です。
ぜひ、全文公開してもらいたいものです。
>>興味本位さん
明日は、高井戸〜八王子〜国道411を奥多摩湖〜昼前ぐらいにはおいらん淵につきたいです。
で、358号を南下し本栖湖まで、時間があれば湖北ビューライン経由で河口湖IC〜高井戸〜環八〜埼玉
のコースと思っていますが、時間的に余裕があるか疑問ですw
ホンダ シャドウ400の一人旅ですので、すれ違ったら教えてくださいねw
あと、日本の埋蔵金はamazonで買えますよ

746 :
>>744彦六さん
目当ての本は「日本の埋蔵金 中央公論社 1995年9月初版」です。
上下巻の表記がなくて一体、(1)(2)のどちらに該当するのでしょうか?
>>165さん
おーっ! 165さんも単車乗りだったんですね。
実は昨日10時過ぎに道志村〜山中湖に向かいましたが、R138篭坂峠など各所で通行止め。
Uターンしまくりで随分とロスしましたよ。参考までにどうぞ。
ttp://www.pref.yamanashi.jp/douro.shtml
自分も厚木・八王子経由R411で柳沢峠から塩山、河口湖に抜ける予定です。
丹波山村通過は8〜9時の間頃でしょうか。
連休最終日ですから随所で混雑するかと思います。お気をつけて!
amazon探してみます、ありがとうございました。

747 :
>>744彦六さん
調べたところ、(1)に該当するようです。
>>165さん
早速調べたら結構出てました。
「武田の宝」など面白そうですね。
購入して読んでみます。

748 :
>>745165さん
分りました。大義兵法秘図書の解読は入手出来てからにします。

749 :
ただいま戻りました。
中央道を高井戸〜大月 大月〜国道139号〜国道411号
道の駅たばやまで昼食
おいらん堂の入口わからずスルーしてしまい。
おいらん淵は新道(トンネル)だったので地図になく、
一之瀬林道を発見したので行きすぎとわかり、Uターンしてちょい手前の旧道を進む。
例の大きな外塔婆を発見 滝壺を見る
<感想>
おいらん淵は、一之瀬林道より、やや丹波山寄り
林道から、おいらん淵は急な下り(4〜500m?)の途中にあり、
塩山へ向かうのに、急な坂をわざわざ下ってまで、おいらん淵にいって泊まるとは思えない。
青梅街道と川との距離がほとんどなく、5mほど進む(例のコンクリの物見台)と滝壺がある。
高橋修二郎が、人目につく青梅街道沿いにテントを張ったとは考えられない。
また、川向こうは切り立った崖なので、川向こうとも考えづらい。
林道も一之瀬川沿いにあり、ほぼ切り立った崖の上にある。
道と崖の間にテントを張るとは思えない・・。

750 :
>>165さん
お疲れ様でした。
今日自分は急用で行けませんでした。
おいらん堂って丹波山集落を塩山に向かって少し行った左側路肩下ですね。
ガードレールの下に見えますけど、車で座った位置だと見付けられないです。
修二郎の遺体発見はおいらん淵周辺?
713で自分が書いた「青梅街道(現R411)を塩山に向かうなら、おいらん淵は逆方向の気がします。」
とは、今回の165さんの感想と同じだったからです。

751 :
つづき
林道を一之瀬、せめて二之瀬まで行けばよかったが、ヤバそうだったので途中までw
この辺は、まったく目印になるものがない。
おもうに、大常木谷→おいらん淵か、三重河原→おいらん淵か、おいらん淵→藤尾の間だろうと思う。
特に三重河原(丹波渓谷)→おいらん淵の近所は断崖絶壁で、とても水を汲みに行く気が起きないw
また、ほぼ青梅街道沿いなので、川原〜青梅街道の間にテントを張るとは思えない。
藤尾の方へ進むと緩やかになるが、藤尾近辺なら藤尾と書かれていると思うので、藤尾までは行かず、おいらん淵に近いほうだと思う。
そうなると、一之瀬林道沿いの川から離れたところっぽい。
今あるおいらん淵は創作だろう、とても対岸に架橋すらできないだろう。
どっかの娘が身を投げた話からの発展ではないだろうか。
ネットでは、藤尾橋が新のおいらん淵と言われているが、んーー。
ま 基本的に
「狐狸(きつねたぬき)は尾で化かす
男化かす(おとこばかす)にゃ尾はいらん」の尾いらん(花魁=当て字)なので
元和3年(1617年)〜昭和32年(1957年)4月1日までですから、信玄公に関わりはないかと思われ。

752 :
そうそう
竜バミ川で、非常に気になるところを見つけました。
さほど奥までさかのぼらなくてもいいところなんで、私でもいけるかな・・・?w
エスコートしてくれる人いませんか?
あ 沢登の道具すらないや・・・
実感しましたが、埼玉から遠いwww
一泊しなきゃ体がもたんww
ってことで、現地報告終わります。
富士五湖まで行くつもりだったが限界を感じ、勝沼から中央道で帰宅w

753 :
新参者さん
修二郎のメモで一点気になっていることがあるので書いておきます。
最後の行で、「・・・のほらあなから入る。」という記述です。「・・ほらあなにある。」
ではない点です。(1)人が入れるだけの大きいほらあなである。(2)ほらあなから中へ
入ったあとどこを探せば有るの?その点については書いてないので、やはり現地探索、
現況確認しかありませんね。入口は小さくても奥が深い坑道跡だったら、落盤事故に気を
つけなければなりませんね。

754 :
本日、「武田の埋蔵金 上下」を手にしました。
これからゆっくり読んでみます。

755 :
>>754
おめでとうございます。上・下に主要な埋蔵金が書いてありますから楽しんで
下さい。その中のどれに一番興味持たれるか読んでみてのお楽しみです。

756 :
みなさん楽しんでますね!
私は転職したばかりなので現地に行くのは
来年以降になりそうです^^;
当初はテントを張るつもりでしたが一〜二之瀬付近
にある民宿で地酒を飲みながら泊まろうと考えておりますw

757 :
山梨はもう寒かったです。
25日(日)の日中で、山の上は15℃でした。
来年の初夏に向けて、みんなで作戦を練るのがいいですね^^
いろんな現地に行ってみて感じたのは、
信憑性が高い 武田(梅雪)>結城(金光寺)>赤城 信憑性が低い
ですね。
赤城は、物証こそ数多くあるが、捜索することになる広大な土地と発掘の手が多く入っているのに出ない。
結城は、幕府が捜索しているが、開発済みの土地の多さと、結城城を全部掘ってるのにでない。(中久喜も難しい)
武田(梅雪)は、畠山氏に頼るところと自然の要害が邪魔をしているが、ほぼ手つかずのままである。

758 :
>>755
興味を持った「地蔵小坂」の経緯が良くわかりました。
また、おいらん淵周辺のことも・・・現地は寒いくらいの気候でしょうね。
修二郎の遺体発見場所がおいらん淵周辺と言うことでしたが、
現地の状況は749.751の通りだと改めて思いました。
自分はテント他装備も充実しておりますので、来春でもいつでも行けます。
ただし、やはり自分一人では皆目見当も付きません。
他人の褌で相撲を取るつもりはありませんが、機会あれば是非行きたいですね。
結城は金光寺などに埋蔵されてると言うことはないのですか。
寺社仏閣に埋蔵すれば安易に掘り返すことも難しいのでは。
まるっきり素人の浅はかな考えです。

759 :
興味本位さん
以前も書きましたが、金光寺の住職さんに直接話を聞いたことがあります。
当時の書き込みをコピペ
======当時====
その住職さんからいろいろな話を聞いたんですが、その中で
幕末(勝海舟の指示の元)に金光寺山門の周りの3箇所から埋蔵金が出土し、合計7万8千両?だったそうです。
三種の和歌で3箇所なのでしょうか?
個人的には、四方にあるかと思いますんで@1箇所あるかも・・・。
住職さんもあと1箇所残っているんじゃないかといっていましたが、
その3箇所の掘った跡がわからないので、@1箇所の検討がつきません。
==============
@きの苧かふゆもんにさくはなも みどりをのこす万代のたね
Aこふりやうにふれてからまるうつ若葉 つゆのなごりはすへの世までも
Bあやめさく水にうつろうかきつばた いろはかはらぬ花のかん
山門には、鳳凰やサル、馬なども彫られていたと記憶しています。
和歌についての方位を示すものではないかと考えています。
当時は書き込みませんでしたが、住職さんももう1箇所埋まってるのでは?
と、いっておりました。
それが境内なのかどうかは、住職さんもわからないそうです。
7万8千両ですが、本当に出たかは記録もないので疑問です。
まぁ・・・仏門に使える身の住職さんのお話ですので、信じていますけどねw
非常に優秀な番犬がいますので、山門見学の際は必ず許可をもらったほうがいいですよ。

760 :
あ 当時も@1か所埋まっているんじゃないかって書き込んでるじゃないかw
当時書いたかなー・・・忘れたのでもう1回
その勝海舟の指示のもと掘り出した際に、埋蔵に関係する3名の協力があったそうで
その3名の協力のもとで、3か所をピンポイントで掘り出したそうです。
その3名には、それぞれ2000両だったかな?わすれた。
を手渡したそうです。
で、3名とも各地に散ったそうです。
面白いことに
その住職さんが、私を3名の子孫だと勘違いしてくれた(違いますよって言いましたがw)
おかげで、詳しいお話を聞かせていただけました^^
勘違いすることになった理由は、どっから来た?の住職の問に散った3名の一人が住んでいると
言われている土地だったからです。
3首=3か所とすれば、金光寺には、もう埋蔵金がないということになりますね。
もう1箇所とは、どんな根拠で言ったのかはわかりませんが
四方に埋めている可能性があるだけです。
現代では、その3箇所のうち、2か所がどこなのかがわからないみたいです。
1箇所は、山門の真下だったそうですよ。
もし、@1箇所あるとすれば、
あまり大きくないお寺なので、お寺の敷地の外だと思っていますが

761 :
>>757165さん
私も同感です。それで梅雪に移りました。^^ 梅雪は三大埋蔵金ではありませんが
可能性ありと見ています。高橋修二郎も可能性ありですが持ち出されている可能性も。
しかし3か所ですから1,2箇所は未発見と期待しています。
結城は晴朝が移封させられた福井の人から畠山清行氏に面会の申し出があったのを
多忙のため会えず、その人が持っていた資料をみることが出来なかったことが
返すがえすも悔やまれますね。畠山清行氏のこの話が本当なら、3分の1が福井で、
3分の2が現在でも結城に存在するのかどうか確かめるチャンスを失ったことに
なります。

762 :
ひまぁ〜

763 :
過疎化・空洞化にストップをかけよう!
梅雪考(1)
畠山清行氏の日本の埋蔵金「武田の秘宝」を改めて読み直す。
「信玄は、ひそかに侍大将穴山梅雪を呼んで、ある行動を命じた。
穴山梅雪は、腹心の弓削新太郎正勝、丹羽田六之助信雄、岩渡次郎左衛門重俊の三人に、
足軽五十人を従え、夜をこめて、五十駄の武具を山越えにどこかへ運んだ。
この謎を知る者は、穴山梅雪と岩渡、丹羽田、弓削の三人だが、丹羽田はその年8月に病死し、
岩渡も翌々天正3年5月、武田勝頼の長篠攻囲軍に加わって討死した。武運強くも生き長らえた
のは弓削新太郎正勝ひとりだったのである。
弓削家に伝わるたてなしの箱を開けた弓削一司郎は埋蔵金のことを知った。そして絵図をたよりに
大菩薩峠付近の山中で砂金入りの甕二つを発見した。その時金沢君とはちあわせした。」
<質問>秘密を知るたった一人の生き残り弓削新太郎正勝の子孫は何故大菩薩峠近辺を探索したのでしょう?
    このことから可能性として予想されることは?

764 :
おお  過疎化防止に!
考えられることは
@岩渡、丹羽田、弓削がそれぞれ別の場所に足軽の死体ごと隠した。
A岩渡=小、丹羽田=中、弓削=大 の地図(弓削は縮尺大の地図)を持っており、大菩薩峠はわかったが、あとは弓削一司郎の努力
単純で申し訳ないが、こんな感じで

765 :
弓削家に伝わる秘文、秘図のうち秘文は埋蔵場所を明記していないので、秘図をよりどころに
それらしき地形の所ということで、大菩薩、柳沢峠近辺を代々探索していたが、ついに弓削一司郎
は砂金入りの甕2つを発見した。
@棒金でも延べ板でもないので、高橋修二郎の埋蔵金とは別の筋のものである。
A五十駄の黄金を3分割したとすれば甕2つは少なすぎるので、信玄の命で埋蔵した武田の秘宝ではない。
 別の筋のものを偶然に発見したにすぎない。
結局弓削一司郎を含め、弓削家数代にわたる探索はその目的を果たさず、失敗に終った。(つづく)

766 :
梅雪考(2)
「武田の秘宝」より
梅雪は家康と共に信長に面会し、その後大阪堺にいる時本能寺の変が発生、信長は明智光秀にされた。
梅雪は急遽甲州へ戻る途中、諸澄九右衛門郎党に襲われされた。九右衛門は梅雪の「武功録」を奪い埋蔵金を知り、
そこに書かれていた秘文から、埋蔵金を発見、その一部を掘り出し裕福な暮らしをしていたが昔の仲間にみつかり
された。その後諸澄家は火災に会い床下から帳面を発見。「自分に万一のことがあった場合を考え、これを書き残して
子孫に伝える。わが子孫にして宝を得んとするものは、諸澄家家宝の千馬の槍に聞くべし」。子孫諸澄吉朗は苦労の末
千馬の槍を入手、その柄の中の秘文を発見した。
  かく○ゆのわきてながる○○○なを  
  ・・・・・・・・・・・・
吉朗は隠れ湯を下部温泉と狙いをつけ、本栖湖近辺まで探索を続けたが発見することなく、最後の探索行に出かけた
まま消息を絶った。」
<質問>諸澄九衛門はわが子孫に伝えるといいながら子孫諸澄吉朗は発掘できなかった。何故でしょう?
    赤城の徳川埋蔵金もそうだが、誰のための秘文なのでしょうか?謎を解ける人なら誰でもいいの?
    諸澄九衛門が一部を発掘しているのだから存在したし、残り大部分は今でもあるのでは?

767 :
  まだ見ぬ国に住むと言う
  紅き翼の孔雀鳥
  秘めし願いを知るという
  秘めし宝を知るという
  ズンジャカ ズンジャカ ズンジャカサ
              作 詞:北村寿夫
              作 曲:福田蘭童
              お囃子:彦六
 そろそろ紅孔雀が現れてもよさそうだ〜

768 :
まぁ酒でも飲もうw

769 :
明日、日光か赤城に紅葉を見がてらと思ったけど
放射能が多くてどうにもならんな・・・
暇な連休になりそうですw

770 :
日光や赤城に住んでる人はどうすんのよ?

771 :
悲しいことに、住んでる人は耐えるしかなかろう・・・
低放射能地帯居住者が、危険をわかってて行く必要もないかということ
はやく終息してもらいたい。

772 :
名坂峠(大丹波峠)は青梅市上成木極指と奥多摩町大丹波集落を結ぶ峠で標高700メートルを越える。
高水三山の一つ、岩茸石山の北側の鞍部に位置している。
大丹波から峠に向かう途中に人面岩があります。
麓の古老に聞いた話では、この岩の傍に埋宝物があるとのこと。
実際に何度か現地に出向きましたが、確かに人面岩はありました。

773 :
>>772さん
新情報の公開ですね。有難うございます。
埋宝物の中身が不明ですが、経典や仏像でなくて黄金だったら金属探知機をあててみる
方法もありますね。埋蔵場所以外の種類、量、埋蔵者、埋蔵時期、埋蔵目的などの情報
が少しでも分ればいいですね。

774 :
梅雪考(3)  弓削新太郎正勝が埋蔵した埋宝。
埋蔵に立ち会った弓削新太郎正勝は、最後まで生き延び子孫のために秘図・秘文を残したと
思われる。家康の時代となり梅雪も横死し武田家再興の望みも無くなった今、埋蔵地を知る
のは自分だけと思ったに違いない。ところが、弓削司三郎、司左衛門、一司郎と何代もの
探索は失敗した。柳沢峠・大菩薩峠近辺にはいくら探しても無かったのである。
ということは、やはり埋宝の移し替えが行われてしまっていたのではないだろうか。
もしそうだとすれば、梅雪は生前、腹心の弓削正勝にも内緒で移し替えをしたことになる。

775 :
>>773
私は自然湧出の鉱泉を探すのを趣味としています。
大丹波の上流の獅子口小屋手前の川原の崖に数ヶ所あります。
他にも奥多摩では何ヶ所かの湧出場所がありますが、
ここは地元の方に教えて頂いた場所でした。
何度か現地に通ううちに顔見知りの里人と知り合いました。
その中に件の古老が居たのです。
最初は私の目的など知らず不審な目で見てたとか。
それはそうですよね。
登山者やハイカーなら一度登った山(周辺)に短期間で訪れる訳がない。
「人面岩の埋宝物」を探しに来てると思ってたらしい。

776 :
最初は警戒していた古老も「私の本当の目的」を知るや、
大変親切に接して来るようになったのです。
地元の方からの情報で来たことを告げると尚更でした。
一度、古老のお宅にお茶に呼ばれた時に埋宝物の話が。
具体的に中身が何なのかは話しませんし、知ってるのかも不明です。
少なくとも経典や仏像では無いみたいでした。
聞いた話の概略です。記憶が曖昧になってます。
地元の名主?か庄屋?が山向こうに大きな買い物をするため、
使用人と出掛けた際に金品目当ての正体不明者に襲われたそうです。
なんとか逃げるには邪魔な金などを一時的に隠したと言う伝えでした。
時期や名前なども聞いたのですが、失念しており思い出せません。
趣味違いだったのですっかり忘れてましたが、この掲示板を見て書き込んで見ました。
奥多摩に限らず関東近辺では、無名な埋蔵金話を聞いてます。
殆どが地元の方々からの話ですけど、ご自分たちで探索した例は何ヶ所かだけでした。
機会をみて、思い出したことを書き込んでみたいと思います。

777 :
はじめまして 776さん
E-mail(省略可)のところにsageと入力していただけると、ありがたいです。
sageは、このスレが目立たなくなるための文字で、心無い人たちの書き込みを防止するためです。
過去多くの埋蔵金ファンがいましたが、荒らされるごとに減っていきましたので、お願します。
黒川・龍喰近辺は、沢登り・ハイカーなどでずいぶん開拓されてしまっており、
すでに持出されている可能性も考えなければなりません。
無名の埋蔵金話には興味がわきますね^^
多田銀山・徳川埋蔵金・佐々・帰雲城など有名なものよりも埋もれたままの可能性が高いですね。
川口素生氏著書の徳川埋蔵金検証事典にも徳川埋蔵金関係ですが、数多く紹介されています。
信ぴょう性は微妙ですが、丹念に調べたり現地調査も面白いと思います。
地名等は伏せて頂いても結構なので、話の一端をお聞かせいただければと思います^^

778 :
772さん
関東近辺の無名な埋蔵金話、思い出し次第お願いいたします。
それにしても自然湧出の鉱泉を探すのが趣味とは珍しい趣味ですね!
秘密の名泉があったら是非飲んでみたいですね。

779 :
鉱泉探しの趣味は或る意味、秘湯探しと同類だと思いますね。
しかし、鉱泉の源泉はか細くてなかなか見つけにくい特徴が。
集落人家のある場所では地元の方の情報が有益です。
そんなときに埋蔵物の話を耳にするものなのです。
先の名主庄屋や地方豪族などでしょうか。
確かに信ぴょう性は微妙ですね。確実な資料がなくほとんどが伝承なのですから。
表には出ていないと思いますが、西丹沢北部にもありますよ。
戦国時代の歴史もあるので自分は信じていますけど。
鐘撞山に黄金を7個のかめに入れて埋めた、という古文書があります。

780 :
ご無沙汰しております。
先日入手した「武田の埋蔵金」を読み終わりました。
続いて「日本の埋蔵金」を読んでます。
多田銀山、結城の一部まで読破。
多田は本当に有りそうですが、結城はどうなんでしょう?
言い伝えほどの量はないように思います。
もう少し読めば、ちゃんとした感想が書けると思います。

781 :
>>780興味本位さん
多田銀山は、最近になって発見された未知の坑道があるとのことで、まだまだ
可能性はあると思います。1ヵ所でなく何ヵ所にも分けて埋蔵したと言われて
いる点も期待できます。
結城は、今はやっていませんが私も何回か現地へ行ったことがありますから、
全部読み終えたら感想を書いて下さい。それに対する私の感想を書かせて
頂きます。
>>779 772さん
新しい埋宝の話ですね。歓迎いたします。古文書があるなら発掘の可能性は
極めて大です!鉱泉探しは暫くお休みして黄金の方を先に見つけて下さい^^

782 :
多田銀山の方は「有りそう」、結城は「(量的にも)無さそう」かな。
多田銀山は自然の中でいまだ手付かずの坑道などが存在しますね。
一方、結城は近代の造成その他地形の変化を受けてる部分が多い。
山野の埋蔵物は見つかり難くても、後者は広面積で掘削されてる。
ですから寺社仏閣などの手を掛け難い箇所にあるのではないでしょうか。
城址公園も当時のままではなく後年整備されてるので、
もしかしたら整備時などに出てる可能性が大きいんじゃないかと。
おいらんの埋蔵金も山中が舞台です。
あと武田の件で質問があります。
「笹金」とは具体的製造方法はどの様なものでしょうか。
ちょっと疑問が湧きまして…。

783 :
笹金は佐々成政でした、すみません撤回します。

784 :
>>782
「ささ」とは、小さい、細かいの意味があり、私は「粒金」程度にしか考えて
いませんが、もしかしたら甲州金のように刻印が押されているのかも知れません。
詳しい人の投稿を待ちましょう。

785 :
>>784
ありがとうございました。
甲州金でも笹金でも、一度現物を手にしてみたいですね。
今回思ったのは「どの埋蔵金の件もここ最近の発見(現物・資料)」などがなく、
昔のものしかない、と言うことです。
山中ならば人の手が及びにくくて残ってる可能性が大きい、と思う次第です。
>>772さん
はじめまして。
名坂峠は大丹波から二回くらい登ったことがあります。
主だった登山道の趣ではなくて「杣道」然とした道だった記憶が。
当該岩はコースの中間くらいですか、なんとなく漠然と覚えがありますが人面をしてたかは?です。
植林帯の一本道で他人と一度もすれ違うことはなかったです。
丹沢なら武田:北条の戦の歴史もあるので、おもしろそうですね。

786 :
梅雪考(4)  諸澄九右衛門が発見した埋宝
「武田の秘宝」より。天正10年6月梅雪を倒し「武功録」を手に入れた。そこに書かれていた
文とある山中のある箇所の略図から、天正11年8月埋蔵金の発見に成功し、その一部を発掘
した。天正16年九右衛門・孫兵衛・伊門作の3人は山畔1派のためされた。
→諸澄九衛門が子孫のために残した秘文はこの間の数年間に書かれたことになります。
子孫諸澄吉朗は千馬の槍から2枚の秘文を発見、その内容はこのスレに詳しく紹介されています。
子孫のために書き残したはずの秘文を見ても吉朗は発見できず、最後は占い師にすがりつくほどだった。
思うに吉朗は「武功録」の本文を見ていない。そこに重要なヒントが書かれていたと思われます。
さらに諸澄九衛門が残した帳面(宝を手に入れた経緯)→(宝のありかは)千馬の槍に聞け→情報
不足で宝に辿り着けない。梅雪の武功録や九右衛門の帳面はどこにあるのでしょうか。
諸澄吉朗も留子さんも亡くなっていると思われるので、我々は今ある資料だけを頼りに埋宝に辿り
着かなければなりません。

787 :
盛り上がってきましたね^^
山梨静岡県は熱いですね!!

788 :
仕事が落ち着いたら現地にてさらに研究したいです^^;
地元のお酒を飲みながら・・w

789 :
とても面白く読ませていただきました
どなたか兵庫県播磨地方の赤松一族の埋蔵金伝説について
ご存知の方はいらっしゃいませんか?

790 :
梅雪考(5)  重要なヒントについて
「武田の秘宝」より。「埋蔵地は3ヵ所に分れていて、いずれも洞窟に加工した穴の中に隠されていた。
・・・しかもその場所が、意外に人里近くだったといわれている。」と畠山清行氏はさりげなく書いている。
畠山さ〜ん、ちょっと待って下さ〜い!諸澄九右衛門が発見に成功してその場所が意外に人里近くだったとは、
宝探しの人間には重大なヒントです。一体誰からの情報ですか〜?本当ですか〜?
昭和11年、畠山清行氏は諸澄吉朗の妻留子さんと会った。物語の後ろの方で「この物語は、留子さんの語った
ところを、ほとんどあますところなく伝えたつもりだ。」と述べている。吉朗は大正5年8月に最後の山入り
したまま行方不明。梅雪は「武功録」に人里近くに埋蔵したなどと書くはずがない。書く人がいたとすれば
九右衛門が子孫に残した帳面しかない。埋蔵金作家畠山清行氏がこの帳面を見ていたら必ず本文にそのことを
書いたに違いない。よって「人里近く」は留子さんがしゃべったことか。もしそうなら留子さんは発見して
いないのに何故そんなことを畠山氏に話せたのか。畠山氏が質問すると「(留子さんは)・・と言葉を
にごしたが何かあるなと感じた。おそらく探索日記か地図のようなものが残っていて・・」と書いている。
千馬の槍から得た情報のほかに、諸澄九右衛門が宝を手に入れた経緯をこまごまと書かれてあった帳面からの
情報であれば「人里近く」となるし、夫吉朗個人の考えの受け売りであれば畠山清行氏のフライングである
可能性もあります。

791 :
梅雪考(6)  信玄の隠し湯
キーワードの一つが「隠し湯」であることは間違いありません。私の知人は
「信玄の隠し湯」と言われている温泉は七つあると言う。勿論下部温泉もその
一つであります。梅雪の埋宝を探索するにはまず隠し湯がどこかを推定する
ことが必要です。諸澄吉朗は下部温泉と狙いをつけて山入りしました。下部温泉
は梅雪の居城があった下山とは富士川を挟んだ向かい側にあることも考慮した
と思われます。一体400年以上前に温泉が湧き出ていて今は枯れてしまっている
温泉もあるのでしょうか。あればそこも隠し湯の候補に加えなければなりません。
一旦下山城まで持って来た財宝をまた川浦温泉の近くまで持っていくとは考え難い。
七つと限定したとしてもその内のいくつかは最初から除外してもいいのでは
ないでしょうか。あるいはこの七つと限定しない考え方もあり得ます。

792 :
梅雪考(7)   埋蔵量について
(1)畠山清行氏「武田の秘宝」より
   五十駄の荷物×60s(として)=3,000s(3トン)
(2)弓削新太郎正勝の秘文より
   「主穴山玄蕃頭長君は武田家の財宝 黄金 五百余貫匁乎埋蔵致され居由承知致居候可
   新府城築城仁 棒金壱百貫乎使用致され多留も 尚四百余貫匁は残居留ことと○○候」
   この秘文の真偽はさだかでないが、これによれば、残りは1.5トンとなる。
埋蔵金発掘が趣味の人が目指す梅雪の埋蔵金の埋蔵量は、諸澄九衛門以外には掘り出した人が
いないことを前提に、過大な期待を持たずに黄金1.5トン前後と考えてはどうでしょうか。
   

793 :
お久しぶりです。
また、過疎化してきましたね・・・><

794 :
長 い 間 あ り が と う ご ざ い ま し た

795 :
内輪だけで盛り上がってるスレ
新参者も無視するようじゃ過疎になるのは当たり前

796 :
>>795
参加するにもある程度の知識が必要だから
書き込むのに敷居が高いですよね。
ブックマークしてたまに見てますが
書けるほどの知識がないのです ><

797 :
埋蔵金に興味がある人なら何でも気軽に書き込めばいいと思います。
私が想像するに、管理者が一番心配しているのはアラシではないでしょうか。
それさえ無ければお互い埋蔵金に興味がある仲間ということでどうでしょう。
少しばかりの知識や経験があっても結局発掘していない人ばかりですから。

798 :
スレの最初から読みなおしてみたのですが、他のスレと違い内容が濃いですよね。
皆さんが書き込んだ情報って、どうやって整理してますか?メモ帳に貼り付けてみたけど、全然だめで、昨日からwikiで試してます。
とは言っても、紙媒体の資料のが多いから印刷してファイリングがいいのかなぁ?

799 :
>埋蔵金に興味がある人なら何でも気軽に書き込めばいいと思います。
私が想像するに、管理者が一番心配しているのはアラシではないでしょうか。
へぇ〜、そう言う意見も確かにあるとは思うけど、
2ちゃんに書きこむ時点で荒らしの対象になるでしょうが。
789みたいな書き込みにも住人なら、何らかのレスしても良いんじゃないかと思うけど。
知らないから書かないのも一理、でもここの住人に訊いてるんだから返すのも無理か。
だから「仲良しクラブ」で終わるし、新しい参加者を拒絶してるのと同じじゃねーの。

800 :
>>799
ごめんなさい。なにが言いたいのかよくわかりません。
一行で書くと、知らない話題でも反応しろよバカ。でしょうか。

801 :
お 意外と見てくれている人がいるとは、、
私がスレ主ですが、実は2代目です。
このスレもパート2を書き忘れているので、1000になったら【小判】埋葬金発掘が趣味の人【三両目】に
しようかと、真剣に考えています。
パート1(初代)からの流れですと、同じ埋蔵金を追っている人探しと、情報交換が趣旨でした。
例えば、私=徳川埋蔵金、彦六さん=武田埋蔵金と、探す目的が異なっています。
居住地にも大きく左右されますね。近場の埋蔵地が大きく関係してきています。
私は、関東なので、石見銀山(豊臣)、立山連峰(佐々)などは不得意なのと、研究しても遠すぎるので現実味がありません。
主な趣旨は、「埋蔵金に興味を持ってもらいたい」ですね。
夢は、グループで調査できればいいと思います。
新参の方を無視しているわけではなくて、わからないのが本音です。
埋蔵金を真剣に研究している人もいるので、あまり軽はずみなことを書けないのも実情です。

802 :
お 意外と見てくれている人がいるとは、、
私がスレ主ですが、実は2代目です。
このスレもパート2を書き忘れているので、1000になったら【小判】埋葬金発掘が趣味の人【三両目】に
しようかと、真剣に考えています。
パート1(初代)からの流れですと、同じ埋蔵金を追っている人探しと、情報交換が趣旨でした。
例えば、私=徳川埋蔵金、彦六さん=武田埋蔵金と、探す目的が異なっています。
居住地にも大きく左右されますね。近場の埋蔵地が大きく関係してきています。
私は、関東なので、石見銀山(豊臣)、立山連峰(佐々)などは不得意なのと、研究しても遠すぎるので現実味がありません。
主な趣旨は、「埋蔵金に興味を持ってもらいたい」ですね。
夢は、グループで調査できればいいと思います。
新参の方を無視しているわけではなくて、わからないのが本音です。
埋蔵金を真剣に研究している人もいるので、あまり軽はずみなことを書けないのも実情です。

803 :
二重投稿になってしまった。
確かに敷居が高く、知識が必要だと思います。
しかし、埋蔵金に関わらず、何かを調べたり趣味を掘り下げていくには、はじめはみんな同じだと思います。
糸井のTV番組「徳川埋蔵金」を見て興味を持った人もいるだろうし、とっかかりが歴史が好きで、、なんて人もいると思います。
興味のとっかかりとしては、埋蔵金ブームの火付け役の畠山清行氏、その意思を継ぐ八重野充弘氏の二名が有名です。
両名とも著書を多く出しています。
amazonやヤフオクでも手に入りますが、八重野氏の著書のほうが価格も安くお手頃でしょう。
畠山氏の著書も手に入りますが、プレミアがついて1冊1万円(初版本)ぐらいになっています。
まずは、ネットで埋蔵金を検索してみるのもいいかと思います。
難しいのが、研究といっても、畠山氏、八重野氏の研究の後追いになってしまっているところです。
正直、行き詰っています。
なので、同じような方を探してしまっているスレになっているかもしれません。

804 :
あれ?なんか調子悪いな・・・また二重になってたらごめんなさい。
時間が許す限り質問等があればわかる範囲でお答しますし、異論があれば楽しみです。
「埋蔵金なんかあるわけないよ」という書き込みが一番なえますねw
>>798さん
自分が調べている埋蔵金以外は整理しておりませんw
整理のためにブログを書いたこともありますが、三日坊主でしたw
埋蔵金の特質から、あまり研究を語れないというのもあるかと思います。
ようは、ここへの書き込みが他人へのヒントとなり、先を越されるかもしれない。ということです。
ですが、過去、今までの研究(知っていること)を書く人が何人か登場しましたけどw
私自身、おお!そうか!と思ったこともありますw
あ、そうそう。
私の埋蔵金へのとっかりは、元から興味はあったんですが、古地図が好きで色々見ているうちに
徳川埋蔵金の物証とされる3枚の銅板の内の絵地図と酷似した場所があったのがきっかけでハマってますw
年甲斐もなく昨年、中型バイクの免許を取り、機動性を生かして現地調査しています。
もう、寒くてだめですけどねw
みなさん
まずは興味を持ってください。
全国各地の埋蔵金を調べる必要はありません。自分が行ける範囲でかまいません。
そして、調べてみる。現地に行ってみる。死ぬまでに掘ってみる。で、いいかと思います。
マニアックで申し訳ないけど、これからもよろしくお願いします。

805 :
>>789 小僧さん
私は関東の人間で、兵庫県播磨地方の赤松一族の埋蔵金伝説については全く知りません。
関西地域の住人なら秀吉の埋蔵金などやりたいところですが、往復の時間と交通費を考えると
研究対象から外れます。関西地域の方なら知っている人がいると思いますが、残念ながら
このスレには関西の方が少ないような印象を受けます。
>>798さん
埋蔵金の本を2,3冊読んだ後は、ご自分の住んでいる地域から現地調査可能な埋蔵金に
ターゲットを絞れば、情報の整理をし易いと思います。本には書いてない現地へ行った人
だけが知る情報がポロッと出て来るかも知れません!
>>801 165さん
埋蔵金関係のスレの継続、歓迎します。もう少し新規参入者があればベターですね。
昔の「トレジャーハンティングクラブ」の名簿には200人位登録者がいたようです。
昔は大学の探検クラブの人とか、砂金を主にする人達も入っていたのかも知れませんね。

806 :
彦六さんのおっしゃる通り、関西地方の方って少ないと思います。
いろいろ調べてみると、関東での発見は難しいと思います。
有名な徳川埋蔵金、結城埋蔵金、武田埋蔵金は、土地の開発やすでに大規模調査が行われていたり、
人が多く出入りしていたりで、、うちの近所の埋蔵場所もアスファルトの下です・・・。
埋蔵量も多いっぽいですが、有名すぎる点で期待薄です。
その点、関西はまだまだ有望な気がします。石見銀山は別で
有名氏族や豪商・豪農が多かったことも関係しているかもしれません。
銀行がなかった時代、戦乱や盗賊が多かった時代、防災防火がおろそかだった時代
私財を守るためには埋めるしかなかったのです。
また、氏族などはいざというときのため、お家復興のため、敵にとられるぐらいなら・・・と
莫大な軍費を一か所に集めておくのではなく、複数個所に貯蔵したのでした。
悪魔の証明と同じで「そんなのないよ」というなら、「ない証拠を示さなければなりません」
個人の主観や想像ではなく「ない証拠を示すことができないなら」それは、「あるかもしれない」のです。
先日TV番組で、相模湾で沈没したロシアの軍艦ディアナ号らしき船体の一部が発見されたとのことで、
私も番組を見ていましたが、確かに船体と思しき木材等が映し出されておりました。
宝の有無は別として、1855年に沈没したと言われた地元の言い伝えを156年後に「半分」証明した感じでした。
きっとみなさんの近所にもありますよ。
調査の手順を書いておきます。
@調査方法として、埋蔵金に関する著書(畠山、八重野)を読んで、近所(日帰りできる範囲)の埋蔵金伝説を見つける。
A地元(埋蔵地)の図書館へ行き、郷土史などの書物を読む。その氏族・豪商などに関連した書物を集め読む。
Bできれば、古地図などを入手し(意外と安い)、昔の集落や街道などを頭に入れる。現在地図と照らし合わせてみる。
C実際現地へいき見てみる。近所の人に聞いてみる。※詳しく前置きしなくても「あー あんたもか」って感じで話してくれますw
Dこのスレで、同じ目標の人を探すwwww
がんばってください^^

807 :
>>1
パート2が、2007年10月1日スタート
早いもので、4年が過ぎ5年目になりました。
パート1(同じタイトル)の開始が確か2004年で、パート1からだと8年目・・・。
ずいぶん歳をとったわけですw
土木建築技術もなく、シャベルカーを借りる財力もなく、盗掘する勇気もなく
現地へ行っては話を聞き、周辺を見て回る程度しかやっていません。
掘ってみたいですw
春には、現地探索の準備を始め
夏には、日頃の気分転換も含め現地へ赴き
秋には、1年は早いものだなと溜息をつき
冬には、読書に励み、推理を膨らます。
意外といい趣味になっております。
彦六さんが、武田を追いかけているなら、ちょっと見てくるか!などなど
毎週末できる趣味ではありませんが、現地調査などはかなり気分転換になります。
前日からニコニコしながら、あれやこれや準備して
子供の頃やった宝探しの気分 大人になってもやっていますw
来年には、水野氏に会ってこようと思っています。もうご高齢ですから今のうちにw

808 :
このスレ何人いるんかな。元来、非公開にやってる人が多い趣味だから仲良くしようということで。
これからもゆるい感じでよろしくです。

809 :
んー 確かに何人いるんだろ?
実際、追ってる人。楽しみにしている人。
まぁ研究は非公開っていうけど、莫大な資金かけたり、掘ってる人は、ここにはいないかもね。
本格的と言えば・・・・
「歴史の闇から蘇る旧日本軍の財宝」ってブログがあります。
ずいぶん昔から国内やフィリピンで掘ってる人です。読み応え有りますよ。
遠くにイチャってる感じですが、本格的とはこのこと!と、頭が下がる思いです。
一度読んでもみてもいいかと・・・暗号やトラップなどなど内容は濃いです。
結構長いです。^^;
ってことで、来年の初夏に向けて、素人さんでも気軽に書き込んでくださいね。

810 :
気軽に書き込んでもスルーされるんじゃ、阿呆らし

811 :
以前結城をやってみたいという人がいましたがその後書き込みがありません。
やはり壁にぶつかっているのかな。

812 :
 
埋蔵金の秘密は、ベートーヴェンと特許制度
http://2nd.geocities.jp/jmpx759/0204/43/287.html
「ものづくり日本」の本質は、意外なところにあった。
だが、よく考えると、このようなインチキは、
日本のどこにでもある平凡なものだった。
( http://book.geocities.jp/japans_conspiracy/02/p007.html )

813 :
>>810さん
スルーって、ここは、人が少ないからスルーになるだけで、
むしろなんで俺らが答えなきゃならないっていうのもあるw
人が少ないからスルーになるのですw
結城は難しいです。
結城城の公園周辺の掘り返した広大な敷地をみると、ちょっと難しいかな・・と
周辺に土塁が多くみられます。
結城は、農閑期のこの時期に見に行くのがおすすめです。
中久喜城のほうが、まだ手つかずのような雰囲気
おまけとして、船玉古墳(船玉神社)の見学をおすすめします。
どちらの城にしても敷地が広いので、城郭の本を買ってみたほうがいいでしょう。
廃城や廃城の城郭図が載っている本はかなり売ってます。

814 :
>>809
165さん、「歴史の闇から蘇る旧日本軍の財宝」見てみました。
ワナがあるんですか。。。それも毒ガス><怖い怖い。
blogの中でオートキャンプ場のオーナーが武田の財宝を見つけた
という記事について書いてありました。その中に
「開け方が分かるのは私だけかな」とかなんとか。。。
やっぱり、これくらいの自信家じゃないと長年の発掘には
耐えられないんでしょうねぇ。

815 :
>>813
中久喜城の城郭図があるなら一度見てみたいですね。出来れば
城郭と現在の鉄道線路との位置関係、それからすぐ隣りに存在したという
お寺の配置図。これは無理かも知れませんね。もしこの辺一帯を小山市が
史跡公園に指定して整備すると掘ることは出来なくなります。もしかして
整備工事中に古井戸や、そこから地下トンネルが発見されたりして・・(^^)

816 :
>>814さん
歴史の闇から〜を読んでいくと、山下財宝(フィリピンの日本軍の財宝すべてを総称して)
を狙っているみたいですが、三角形の石を目印だとか書いてあったり、
石の傷を暗号とか書いてあったり、結構無理が出てきてるように感じます。
>>815
城郭マニアさんがいるみたいで、本を出版してました。
大きめの本屋の歴史コーナーに行けば売ってるかもです。
売ってたのは全国版(上下巻)だったので、購入は見送りましたw
中久喜は、現地調査、お試しでも掘るなら今のうちですね。
農家の畑や民家も多く建ち並んできていますので急ぎましょう。
下草が枯れてるこの時期がいいかもしれませんね。
史跡公園指定の前に水戸線が明治時代に「切り通し」で開通しているんですが、
これは一発も狙ったんじゃないかと思ってます。

817 :
>>816
初めて中久喜を見に行った時、城跡の真ん中を鉄道が突き抜けているのに驚きました。
結城城を去って隠居したのが西の館(中久喜城)、徳川の意向で福井に移封させられ
れて晴朝も中久喜城を去る。大事な「モノ」があったとすれば城を去る前に移し替え
るのが普通です。しかしこの城はその後は廃城になったのかも知れません。結城は
市中に出回っている資料が少ないので難しいですね。
>>814
オートキャンプ場は富士裾野のですね。オーナーは埋蔵金に熱心な方です。武田の財宝
を見つけたと?!ん〜ん ホントなら早く発掘して欲しいですね。 

818 :
富士山麓のオートキャンプ場のオーナページを見ると2012年12月22日に
出るって書いてあります。あと1年ほどですか。
この方も少々暴走気味で自信満々な方なようですが
騙そうという感じは受けません。悪い人じゃないんでしょうね。
mixiのページは大人気なようですよ。

819 :
>>818
2012年12月22日ですか。お手並み拝見です。

820 :
今日のニュースで、まだこんなのあるんだって話をひとつ
ソースMSNニュース:ttp://sankei.jp.msn.com/affairs/news/111130/crm11113011580007-n1.htm
元朝青龍関が1億円詐欺被害 「モンゴル開発に1兆円使う」と持ちかけた会社役員2人逮捕 
2011.11.30 11:50 [詐欺・出資法違反]
逮捕容疑は平成21年4月上旬ごろ、元朝青龍関に「モンゴル開発のために1兆円使いたい」などと持ちかけた上で、
「フィリピンに保管している金塊を溶かして現金化する。
そのためには保管先への延滞料支払いが必要だ」などとして、2回にわたり計約1億円をだまし取ったとしている。
元朝青龍関は知人女性を介して同年2月ごろに2人と知り合った。
関係者によると、2人はGHQ(連合国軍総司令部)が日本占領下に接収したとされる通称「M資金」の運用を任されているなどと偽って、
元朝青龍関に近寄ったという。
M資金に引っかかるなんて・・・東京湾金塊引揚事件・・・
フィリピンで金塊を溶かすって・・・山下財宝・・・
まぁ昔からいわれているやつですね。

821 :
>>820
”M資金”は週刊誌だけの話かと思っていたら昔私の知り合いの方にも話があり、
あまりに巨額の数字が書いてあってその利息だけで何千万だか何億だかでした。
その話の真偽を確かめるだけでも相当の時間と経費がかかりそうでした。その後
の話は聞かないのでやはり中味のない詐欺話だったと思います。

822 :
M資金に関しては、無きにしも非ずですが・・。
フィリピンは無いですね。
フィリピン(第14方面軍だっけかな?)の司令官の着任日数を見ただけでも
そんな余裕はありません。
軍票の信頼度が落ちたんで、丸福金貨を作って戦費にしたんであって
それ以前にそんなのあったら、丸福金貨自体作りませんもん。

823 :
>>822
何年か前にテレビで見たフィリピンの話は作り話なんでしょうか。
撤退の途中(バギオ?)財宝をほら穴に隠し入口を爆破して逃げたというもの。
その場所さえ特定出来れば入口の土石を除けば財宝があるというのですが・・
たしか元兵士だった年配の人が語っていました。

824 :
彦六さん
結論から言うと無理ですね。
将兵が、どさくさに紛れて略奪した財宝なら多少わかりますけど、日本軍が組織的大量に集めたものは無いと思われます。
山下財宝=山下奉文大将のイメージです。ご存じマレーの虎と言われた勇将です。
マレーから満州へ転戦となり、
1944(昭和19)年 9月23日 第14方面軍司令官に任命
同年10月 6日にマニラに到着
同年10月17日に米軍がレイテ島上陸・・・激戦を繰り返しながら撤退。
1945(昭和20)年 9月 3日降伏調印
米軍のレイテ島上陸までの11日間で、どんだけのものを集めるのでしょうか?
シンガポール(マレー)→フィリピンと南方のイメージが強くいですが、
シンガポール攻略後に満州へ転任になっているのにどうやって持ち運んだのでしょうか?
また、各部隊長が勝手に集めたとしても、撤退戦の最中に私的に兵士に担がせるのは無理でしょう。
シンガポール攻略時に辻政信の華僑粛清を容認したことなども尾ヒレになっていると思います。
華僑=金持ち 粛清=私財没収=私財はどこへ? トップは誰?=山下大将が持って行った。
フィリピンにきた=一緒に持ってきただろう=フィリピンでも集めただろう。
負け戦=撤退時にどっかに隠したんじゃないか?
って、ことが真相ではないでしょうか。

825 :
>>824 165さん
分りました。財宝そのものが無いということですね。
私は梅雪の埋宝で行きますが仲間をさがすのも埋蔵金がらみだからひと工夫必要ですね。

826 :
実は、埋蔵金そのものが無いとは言い切れません。
山下財宝は、無いと思います。
当時、フィリピンには多くの日本人が住んでいました。
フィリピンが危なくなったときに、私財を隠した人もいるでしょう。
隠した理由は、帰国する時に邪魔になった。
また、フィリピンに戻ってきたときに掘り出す。だと思います・
このようなものを総称して「山下財宝」と位置付けています。フィリピンにおいてもこの定義です・
埋蔵金の仲間探しには問題も多いと思います。
知識はないが興味はあるって方でも参加するのは非常に嬉しいことですが、埋蔵金の特質から
確実に身分証明書(免許証・住民票・名刺(在職確認)・連絡先など)を組み合わせて素性を明らかにすることは必要だと思います。
これは、仲間を信じないわけではなく、遭難などの事故があった際の連絡先としての意味もあります。
今日あって今日探しに行くっていうのも無理がありますから、詳細なミーティングから参加してもらえるよな人がいいですね。
遂行には、3名以上がいいかと思います。
あと、、見つけたときどうするか?(一部発見時を含む)これが問題

827 :
それと、このスレの特徴でもありますが
なかなか自分の研究成果を明かさない。
または、自分の研究が他人のヒントになり、出し抜かれるのではないかと思う気持ち
ここをどうクリアするかですね。
以前、赤城で埋蔵金ハンターの話を聞きましたが、やはり単独が多いみたいです。
気持ちはわかるが、単独では限界があると思いますね。

828 :
だからって、身元判明しても安易に徒党組まないでしょ?

829 :
実際、八重野氏のトレジャーハンティングクラブとかもあるし、実現は可能だと思います。
じゃ、八重野氏のトレジャーハンティングクラブに入ればいいじゃん?ってなるでしょうが、
彼の埋蔵金発掘は、広範囲に及んでおり、ピンポイントを突き詰めるって趣旨の人には不向きだからって感じです。
また、探索においても土木建築等の能力がある人が参加しており、一介のサラリーマンや学生、ご老体など
ふるい落とされ継続しがたい状況かと思います。
まぁ血族でも争う世の中なので、身元判明で組むしかないかと思います。
それ以前に、初回で掘ったりできるわけもありませんし、いずれ怪しい人はふるい落とされるでしょう。
実は大規模にやったほうが世間の目にも触れ、安全性は確保されるとは思いますが
お金がないw
そのほかいい方法があれば、ご教授ください。

830 :
以前、どなたかおっしゃってましたが
お近くならばどこかでお茶なりランチなりで実際に会って話すのがいいんじゃないですか?
ネット上と実際に会うのでは違うと思いますし。

831 :
>>830
>なかなか自分の研究成果を明かさない。
または、自分の研究が他人のヒントになり、出し抜かれるのではないかと思う気持ち
ここをどうクリアするかですね。
これが本音なんだから、実際に会って話すのなんてできる訳ないでしょうよ

832 :
>>831
そっかーもっと軽い気持ちで考えてました。
埋蔵金話をしつつランチみたいなっ

833 :
私は地元や山梨などの小埋蔵金を研究してますが
ランチというよりお酒を飲みながら語りたいですね。
周りに埋蔵金について興味がある人が全くいませんし
会社の同僚は歴史に興味がある人もいませんしね^^;

834 :
うんうん
集まってあーだこーだ話したり、現地を見に行くのは良いと思います。
新参者さんと同じで、埋蔵金うんぬんって会社で言っても、みんな???みたいな感じで><
出てこなくて当たり前の埋蔵金ですから、、、掘るのを前提としなくてもいいかもしれませんね。

835 :
>>830
なんだかんだ書いても、実際にオフ会する気配すらないでしょ?
ここはネット上で単にク垂れるだけなんですよ

836 :
>>833:新参者さんの意見に賛成です。
>>829
私がご老体だから言うわけではありませんが、ご老体をふるい落とすとしたらとんでもない
間違いだと思いますね。ユンボを持っていて操作が出来てもどこを掘るつもりでしょう。帰雲城?
この道ながい方々の知識、経験こそ喉から手が出るほど欲しいものです。残念ながら、
そういう方はITが苦手なのです。かなり高齢の方もいらっしゃると思います。古文書や歴史に詳しい人をふるい落とせば
役割分担の一角が弱くなります。もちろん若手の堀り手も絶対に必要ですね。(^。^)金属探知機やメカに強い人、山に強い人なども。

837 :
皆さん、どちらにお住まいなんですか?
僕は、職場が新宿です。
近くの方、いらっしゃいますか?

838 :
>>830
なんだかんだ書いても、『彼ら』実際にオフ会する気配すらないでしょ?
ここはネット上で単にク垂れるだけなんですよw

839 :
私の職場は東京ですよ。
実は、どなたかにすでにメールをいただいております。
ただ、fooさんと、山本さんの2名からメールをいただいていますが、この板のどなたかがわかりません。
例えば私なら165、彦六さんなら彦六と、この板でお使いのHNで構いませんので、
記載していただけると、連絡が取りやすいです。
山本さんからは、赤城埋蔵金に関わる重要な資料もいただいております。
私へのメールは、お探しになってください。
埋蔵金を見つけるより簡単です。

840 :
あ ちなみにmixiはアカウントはありますが、やってません。
mixiの埋蔵金サークルを見ましたが、休止などが多く役に立ちませんね。
彦六さんの登場で盛り上がってきましたので、ここは一気に開催したいと思ってます。
関東以外の方も参加していただきたいですが、旅費等は実費でお願いしますw
冬〜初夏のうちにやりたいですね。夏から現地を見に行きたいですね。

841 :
>> 839
fooは私かな? でも、メールをしたのはだいぶ昔だと思いますし
お返事は頂いてないですよね?
(地理的に近い)武田に興味ありなので、お話合わないカモです。
HN付けたほうがいいのかな。

842 :
おおおお!
昨年5月ににメールいただきました! 返信できずにすいませんでした!
最近、武田も勉強させていただいていますのでご安心をw。
あえてfooさんと書きまして、fooberの正解をいただきまして、これでメール主の確認ができましたw
改めてよろしくお願いいたします。

843 :
>>839:165さん
メールを探すときのヒントをお願いできませんか。ここでは無理かな。関心が
ある人しか探そうとしないとは思いますが。

844 :
ヒントは、いままでずーっと出しています。
彦六さんは武田の埋蔵金、私は徳川の埋蔵金。

845 :
>>842
届いていたようで良かったです。
全然詳しくはないのですが、ゆるい感じでお仲間に入れていただけたらうれしいです。
参加したての方(自分含む)にも話の流れが分かるようにwikiにまとめようかなと思ってます。

846 :
夏に俺の隠し財宝を女房に発見された。
すでにネックレスに転換されてた。

847 :
>>844:165さん
有難うございます。探してみます。

848 :
見つからないのかしら?

849 :
具体的に教えれば?

850 :
試練です。
この程度でくじけるようじゃ本物は見つけられません。

851 :
メールが来ないので、追記します。
メールアドレスを探すのではなく、私のページを探してください。
んで、そこからメールが送れるようになっています。

852 :
金歯のシカ キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
http://www.at-s.com/news/detail/100085444.html
富士山周辺では以前にもあったから何かしらの原因があるはず
http://d.hatena.ne.jp/garimpo/20060210

853 :
金歯のしか!?
こんなことってあるんですねぇ。
リンク先をみると、前回は雲母だったと書かれていますが
今回はどうるんでしょうねぇ。
世の中不思議な事もあるもんですね。

854 :
先日、古本屋さんで「武田信玄 城と兵法」という本を購入しました。
大部分はお城の話ですが、一部、武田金山の話や埋蔵金の話題も
出てきます。武田といえば、金山経営が軍資金の一翼を担っていた
という事もありますので、武田の本には埋蔵金の話題が大抵でてきますね。
また、兵法の部分では、武田の軍道(棒道)について書かれていて
梅雪が逃げてきた道もこの道なのかな〜とか目次を見ただけで
想像がふくらみます(まだ読んでませんが ^^;
※ チラ裏ですみません・・・

855 :
本を読んでたら、武田(梅雪)の埋蔵金は、豊臣の埋蔵金の一部になり、
豊臣の埋蔵金は、徳川の埋蔵金の一部になった。との記述がありました。
一部を抜粋して
秀吉の没後、大阪にある多田金山の廃坑道に、膨大な黄金が埋蔵されていることを記す資料があります。
しかも地図が添えてある。この地図は複数の写しが存在し、二十七か所の隠し場所、
うち二十か所が掘り出し済みである記述が共通しているため埋蔵金ハンターたちが残る七か所を探して奮闘してきました。
しかし、見つからない。なぜならこの地図史料、全部が掘り出される前段階の一時的なものだから。
考えてもみてくださいな。全部を掘り尽くしてしまったあと、新たに地図を作成する意味があると思いますか?
秀頼が大阪城に移していた分も含め、残りは家康が手に入れています。
だそうです。
確かに地図を作成した後に掘り出されている可能性は大いにあります。
全部を掘り出した後の地図は必要ありません。
始め27か所の地図→残り○か所の地図→終了(地図いらない)
多田銀山を追いかけている人の史料は、終了する前の地図ということですね。
んー多田銀山のことは、よくわからないんだけど、全部掘り出したって史料が現存するのかな?

856 :
そして、さらに続きます。
では、徳川埋蔵金はどこにあるのか?
これも一部を抜粋して
記録は明白です。実は駿府城内だったんです。
天守閣の金蔵に収められていた量と合算し、金四百七十箱、銀四千九百五十三箱
その額は小判に単純計算してなんと二百万両。
これは秀忠の命令で掘り出されたときの記録です。
一部が御三家に分配されたほかは久能山に移されました。
で、これを東照宮や寛永寺などの建築費に家光が使ってしまいました。もうないんです。
だそうです。
確かに御三家には、法馬金があり、幕府には大法馬金がありました。
時代時代でいくつか鋳潰されたのを吉宗が回復させています。
その1個は現存?が確認されているんですけど。。

857 :
ただ、金山開発、大久保長安などのことを考えると、減る一方とは考えづらいです。
また、史料に面白いものが
兵(上から下までの平均)を一人一日動かすための費用はいくらかかるのか。
一人一日1600円だそうです。
2万5千の兵力で、1日4000万円の計算になります。
行ったら帰ってこないといけませんので、往復で8000万円・・・。
たしか、関ケ原で、秀忠の軍勢が3万8千 
中山道を途中寄り道はしたが、その距離約450k 重装備で1日50キロ行軍したとして、9日
なんだかんだで10日かかったとしよう。
3万8千の兵馬×1600円=6千飛んで80万円
6千80万円×10日=6億8百万円使って・・・関ケ原に遅刻ww
帰りもあるんで、12億1千8百万円・・・。
戦争って金がかかるね。
そーいえば、魚雷1本3000万円って聞いたことがあるな。
今も昔も税金なんで、無駄遣いはいけませんね。

858 :
さて、寝る前にもう1個
上に書いた中山道、ほかにも甲州街道、東海道、日光街道、奥州街道の五街道
高校のときの日本史のテストにでてきました。
日本史が得意で超余裕だったので、東名高速、東北自動車道、中央自動車道、関越自動車道、常磐自動車道と書いて怒られた記憶があります。
埋蔵金&古地図マニアの私にとっても魅力
だけど、歩くのは面倒。こんなんだから・・・メタボに
いるんです。さすがです。歩いたりする人が。
ニコニコ動画で検索するとあるんですね。歩いたり、原付で旅した記録動画が、
お勧めは「原付で甲州街道を走ってみた」「原付二種で行く旧東海道」ですね。
この2つは、非常に非常に詳しい。ほぼ忘れ去られた旧道すら走破(まだ途中)しています。
きっと歴史が好きになりますよ。
そしてバイクで走りたくなります。
ではでは このへんで^^

859 :
今年1年ありがとうございました。
また来年もよろしくお願いいたします。

860 :
165さん、お久さしぶりです。
前にメールしました。ブログは盛り上がりませんでしたね。
コンビニ本で読んだのですが夏に水野さん亡くなられたそうです。
奥さんの話が掲載してました。
時折ここは見ております。

861 :
おおおおおおおおお 栃木の虎さん!おひさしです!
水野さん亡くなったの?知らなかった・・・ご高齢だったからな
どんな本ですか?タイトルなど教えてもらえませんか?
そうなんです。ブログが盛り上がらなくて休止しちゃって、やっぱりこっちに書いています。
埋蔵金に興味がある人も少なくなってしまったんでしょう。
そうですか、、水野さんが水野さんところに弔問にいきたいな。。。
今年の夏に近所まで行ったんですが、玄関をたたく勇気がなくて
そのころにはお亡くなりになっていたんですな

862 :
165さん、買ってきました。
コミック本
人気TV 特番タブー疑惑の真相 580円
徳川埋蔵金 発掘はその後どうなったのか?
今年の7月 77歳だそうです。
奥さんの話では
「訪ねてきた人を気持ちよく歓待して食事を出したり泊めてもいました。
資料は見せても本当の数字や場所を教えるはずないのに、
話を聞かせて欲しいと次から次と訪ねてきました。
私も主人の意志を継いで掘ってみたいのです。」
その場所もある程度特定したとか。
スポンサーがいればなぁという事だそうです。

863 :
情報ありがとです。
早速買ってみたいと思います。
特定?ゴルフ場の敷地内では?
ゴルフ場のオーナーが掘らせてくれるって言ってたとか、なんとか
不動のものを考えると目印がないと何とも言えませんね
星座を見て方角はわかるとしても、遠くの目印からの測量はできないと思います。
数字があるので測量(歩数など)と思いがちですが、ピンポイントで発見するには当時も今も目印だと思います。
源次郎の井戸がいい例で、はやり目印ですよね。
目印―方角―目印でしょう。
調査したいところがあります。

864 :
明けましておめでとうございます
今年も宜しくお願い致します。
昨日、コンビニ寄ったので、その本を探してみたのですが、残念(>_<)ありませんでした。

865 :
本を買いました。ローソンでもファミマでも置いてありました。
ですが、3ページなので立ち読みもおすすめです。
文中に「主人は文献を紐解いて、ここからそんなに遠くない場所を特定したのです。
わたしもその場所は当たっていると思うのです。」とある。
ほう、当たっていると思うということは、奥さんでも「あぁあの場所(あのへん)」とわかる場所なのかな。
あぁあの場所と言うことは、一帯なのかピンポイントなのかは不明です。
>>863で書いたように原野一帯ってことはないでしょうから、何かしらの目印がある周辺でしょうね。
それは、文中に「埋蔵金とは、女子供でも1〜2日で掘れる程度のところに埋まっている」と書いてあるのにスポンサー探しでを・・・
ってところからもピンポイントではなさそうってことです。
ピンポイントでも、ご高齢だから自分で掘るのが困難だからかな?スポンサーの方が個人(手伝うよっていう人)より身元が明確だからでしょうか?

866 :
んー書き込みを読み返すと、、
1.文献=大義兵法秘図書か?
水野氏が直接手にしているのはこの書物で、銅版と違い秘図書だけは全文公開していない。(銅版は持ってないけど)
文中に資料という文字があるにも関わらず、文献としている。
2.場所を特定した。わたしもその場所は当たっていると思う。
@ここから遠くない場所
・場所を特定できることから、七臣=7ヶ所ではなかった。(鳥飼いさんはなんだったのか?)
・文献の解釈に納得ができ、解釈に合致した場所がある。
・ここから遠くない場所=ここから近くない。=水野さんちの周りじゃないw
Aスポンサー募集
・「その場所」の下見はしてあり、地形が複雑でスポンサーが必要だと感じた?
・「その場所」がその一帯であって、ピンポイント(目印直下)ではないので、大規模になってしまう?
・実はピンポイントだが、大岩の下など露天掘り(総掘り)が不可能だからそう思ったか?

867 :
セブンに行ったから無かったのかなー
なんでスポンサー募集なんですかねぇ。
場所が特定できたのなら、それこそ
身内で掘ればいいのに(笑)

868 :
結城へは何度か行きましたが、秘文、絵図の類が殆んどなく、諦めました。
持っている人が絶対に出さないか、無いかどちらかと思います。そんな状況
で探すなら、結城城跡でなく、西の館(小山市)城跡か、あとは古墳関係か
どちらかと思いますが、史跡に指定されたら掘ることはできなくなりますね。

869 :
武田信玄の隠し金山でゴールドラッシュ! お前ら急げ!!
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1326079014/

870 :
>>869
ちょwwwwやめてwww
今年の夏こそは、山梨の沢をうろつこうと思っていたのに(;´Д`)

871 :
また過疎ってしまったので、あげ

872 :
冬はシーズンオフですね。

873 :
冬はみなさん資料漁りをされているんですかね。
ボクは関東ですが、新年会的なoff会(?)とかあると
うれしいなぁ。

874 :
今から計画を練っておいて、初夏ぐらいに行動開始がいいのですけど・・

875 :
久々に見に来た^^

876 :
実際に小判でも掘り当てた人いますか?

877 :
私も帰雲城を研究してる方のHPを良く拝見します。
現地にいけない分、猿のように何回も繰り返し見てますw

帰雲城は非常に気になりますが
現実的に大規模な堀り作業になりますし、その許可も必要ですし
何百人と人が埋まってる状態だから・・・・やはり観光として眺めるだけですかね^^;






878 :
過疎化進行中ww

879 :
過疎化しているようなのでたわいもない話でも・・・
はじめまして。
前スレ創世記からずっと読ませて頂いております。
いいですよねっ!埋蔵金って夢があって!
しかしながら皆さんの博識さ、歴史の調査能力の高さ、推理による考察等々
昔から感心させられます。
個人的には武田と佐々とかの物語が好きですが、残念ながら私は西日本在住
で家族持ち故、おいそれと現地調査や視察なんぞには行けません。
畠山氏や八重野氏の本は面白いですが、その後の最新情報となると、中々一
般的には聞こえてきません。
ですからここにいる皆さんが少しでも早く条件をすり合わせて、実地検証し
て結果を書き込んで欲しいのですが、過去の例からも解りますが、物がモノ
だけにその難しさも良く解ります。
ですが、私の様に真面目に皆さんのお話や実地検証?実地検分?を陰ながら
楽しみにしている者がいるのも事実です。
ですから事故に気をつけて、少しでも前に進める様、頑張って下さい。

880 :
で、こんなことは皆さんもすでにご存じかと思いますが、過疎化対策でもう
少し書き込みさせて下さい。
花魁淵の場所について、165さんも書き込まれていますが、「真の花魁淵」
または「本当の花魁淵」が別あると言う話の信憑性についての参考になれば
と思います。
以下は某HPからの抜粋です。
-----------------------------------------------------------------------
どうしてもお行きなさると言うのならば、実際は○○橋の下流です。
(○○から上流に1〜2km位)
申し遅れましたが、私の先祖は黒川金山で○○をしていた者の子孫です。
そんな関係で他にも我が家には(中略)
くれぐれも、○○○○の畔の宿には泊まらないようにしてください。
すでに●●●●は引っ張られているのですからね。
尚、そばに○○○○堂という所がありますので、成仏を祈ってあげてください。
皆様方にとっては、夏の風物なのでしょうが我々一族にとってはいまだに鎮魂
を願い毎日が我が身を守る為の戦いを続けています。
どうぞご理解くださいませ。
そこで亡くなわれた方は、1000人近いと思はれます。
花魁は藤のツルでつながれ、移動中に切り捨てられたようです。
場所は、先に記した通りですが○○と○○など複数です。
もし調べるのであれば、そこから○○側に行きますと「○○」という地域があ
ります。そこは、○○衆の子孫も居ますので何か分かるかも知れません。
-----------------------------------------------------------------------

881 :
この記事は文面から有名な心霊スポットとしての花魁淵の本当の場所を探す為、
地元関係者(末裔?)の方に協力してもらった時のやり取りと思われます。
(○○は元々伏字、●●は私が伏字にしました)
なかなか本物っぽい...かな
また別のHPでは「花魁淵の場所」が史実?と異なる場所になった経緯を確認でき
ます。そしてこのHPを読めば先の○○のいくつかが解ります。
参考HP
ttp://members.jcom.home.ne.jp/2241414001/oiran.htm
しょーもないネタですいません。

882 :
じゃ、過疎化防止のために
>>877さん
帰雲城は、まず帰雲城があった場所を探すのに手間取っているみたいですね。
帰雲城の前提として、「城ごと山津波にのまれたんだから、御金蔵の財宝も一緒にのまれたんだろう」からスタートです。
また、1586年ですので人骨などは完全に土にかえっているでしょう。
まぁ片っ端からボーリング調査する必要があり、場所がわからない分、莫大な費用が掛かるでしょう。
一方、花魁淵ですが、以前にも解説しましたが「花魁」って言葉自体、江戸中期頃からなので後付だと考えられます
行ってみるとわかりますが、とても川の上に宴台なんか作れる状態ではありません。
また、私が行ったときは、震災の影響(土砂崩れ)から川をせき止め、川底を重機でさらっているとこでした。
観光名所目的での名称ではなく、村の娘が悲運にも転落でもした場所ではないかと推察しています。
名称はともかく、畠山氏の著書の花魁淵と、現在の花魁淵の位置関係を探る必要はあると思います。

883 :
さて、埋蔵金といえば小判を連想します。
また、江戸後期は財政逼迫で、埋蔵できるたくわえなどなかった。が、通説です。
日本銀行貨幣博物館には、
日露戦争(1904〜5<明治37〜8>年)の戦費調達のため巨額の外債が発行され、金本位制度のもとで正貨準備の蓄積が急務となりました。
そのため日本銀行は金銀地金を積極的に買入れました。
民間でも有力者が日露戦争勃発を機に正貨準備の充実を唱えるところとなり、大判・小判など古金銀貨の買入れを求める篤志家が少なくありませんでした。
当館所蔵の小分銅(分銅金)は、そうしたなかで尾張徳川家より買入れたものです。
と、いうことで、1個約375gの小分銅金300個を日本銀行が尾張徳川家から買ってます。
この分銅金は、家康の遺産といわれています。
375g×300個=112,500g 112,500g×4,642(円/g 2012/2/17)=5億2千2百22万5千円
ほーら、もってるでしょ?
明治ですよ明治 誰です幕末には金がなかったなんて言ってる人は?
本家筋ですが分家にもちゃんと金はあるのに、幕府に蓄えが0なんてありえないんです。
しかも、300個しか持ってないのに300個全部売ると思いますか? 私なら渋々半分ぐらいは売るかもですね。
ちなみに明治に入り両から円に変わった際の1円は万延二分判×2枚(1両)です。
金としては6gです。当時の価値として1両30〜40万円ですので、
小法馬金300個(112,500g)÷6g=18,750両分ということになります。
18,750両×30万円=56億2千5百万円となります。40万円なら75億円ですね。
尾張徳川でですよ?
あーはいはい。尾張、紀州、水戸の御三家(個人)は税制豊かで、幕府(政府)はスッカラカンと言いたいのですね。
まぁ今の時代もそうなんで、わかりますww

884 :
まぁ徳川埋蔵金3〜400万両なんて言うのは、尾ひれがついた話でしょう。
しかし、幕末の新政府軍が押し寄せる中、家康の遺産の隠匿もしくは軍費の隠匿を目的とすれば、
ある程度の可能性は無きにしも非ずです。
これは、徳川に限らず、戦国武将(佐々、武田)であっても同様なことがいえると思います。
兵士にはまず「飯」です。金がないと飯は買えません。
時代考査の本を読むと、武将ひとりに小者(コモノ)が3人から4人つきます。槍持ち、馬の口取り、挟み箱持ち、奉公人(草履もち)です。
実際戦場で戦うのは武将ひとりで、@は後方で飯を炊いたりいろいろしてます。
現在では、関ケ原西軍10万の兵が、この小者を入れた数とされ、実際には3〜4万の兵力だったといわれています。
以前に兵を1名雇うには?を書きましたので、ここでは割愛させていただきますが。
1,000名の兵士を戦わせるのには、億単位の金が必要になります。
では、全員自腹かというとそうはいきません。雑兵などはアルバイトなのです。
新政府軍と徹底抗戦の幕府軍が、一文無しでは戦うことすらできないわけです。
そう考えると、軍費は間違いなくあった。ということになります。
たしか、新選組に勝海舟が3千両持たせて八王子のほうへ行かせてるんじゃなかったっけか?(忘れた)

885 :
なので、埋蔵という言葉がただしかわかりませんが、それなりのはあったと思います。
しかし、今でもあるのか?といえれれば、途中誰かが手に入れた可能性があるので、はっきりは言えません。
埋蔵金探しとは、糸井じゃないけど「あるかもしれない」を前提としなければ、やってられないのですw
では、どこに?
畠山氏、八重野氏の著書以外かもしれません。
畠山氏の著書には、著書をヒントに見つけた人もいるらしいと書いてあった気がします。
今、私(達)にポンっと今まで表に出なかった埋蔵金の秘図など手に入るはずもないので、
両名の著書を紐解き、実際見に行ったりしながら、探し当てようと思っているのです。
冬の間に文献を読み、温かくなれば現地に赴きの繰り返しなわけです。
みなさーん!もうすぐ春ですよww 準備はいいですか?

886 :

●  ▲   ★    ●   ▲ 
2月29日
サッカー日本フル代表
2014年ワールドカップ アジア3次予選 第6戦
日本×ウズベキスタン  (愛知 豊田スタジアム)
●   ★   ▲    ★    ● 

887 :
過疎すぎるwww

888 :
みじかな埋蔵金見つけた体験ありますか?
財布とかじゃなくって
小判とか

889 :
>>888さん
ないです。
土器の破片とかならありますw

890 :
気にすることないんじゃないw


891 :
土器でも凄いですね
私は0

892 :
また過疎化対策です。
今日、仕事があまりに暇だったんでようつべで埋蔵金関連の動画を
見ておりましたら、今は亡きハンターチャンスの児玉清さんが
「謎学の旅」という番組において、これまた凄い推理で徳川埋蔵金
のなぞ解きをしているじゃないですかっ!!!
順番が良く解らないのですが興味がある方はドゾ
解読! 家光の暗号文が示す埋蔵金13.flv〜33.flv
ttp://www.youtube.com/watch?v=nsnJyRmNJU8&feature=related
埋蔵金の目印か? 冠石と俵石の謎13.flv〜33.flv
ttp://www.youtube.com/watch?v=nsnJyRmNJU8&feature=related
このスレ好きで最初から見ていますが、同じ説ありましたっけ?
かごめ歌に始まり日光東照宮の謎、明智光秀=天海上人説、そして
実際に残されている謎文やゆかりの寺院など残された資料などを基
に推理、調査し、ここではないかと言う場所を突き止めるっっ!!!
ちなみに家康の墓ではありません。
あくまで徳川埋蔵金が存在し、尚且つ「かごめ歌」が徳川埋蔵金の
暗号であり、日光東照宮にそのヒントを求めるのであれば...
と言うことが前提になりますが。
実際に発掘調査まではしません(できません?)し、ピンポイントで
ココだとまでは行きませんが、かごめ歌と日光東照宮、さらには
明智光秀=天海上人説とそれらの謎が指し示す場所が気持ち良く
一致している様に思えます。
あくまで児玉清さん?TV局?の推理ですがね...

893 :
しかしこれを見たら個人的には、推理に基づく物証(物証に基づく推
理?)は、あまりに途方もない心霊だの結界だのと言った類の、俗に
言うトンデモ説にも思えなかったなぁ。
特に3代将軍「家光の7つの御守り袋」に入っていた暗号の様な文書や
「八福の家康画」とその考察、暗号の様な文書の内容と方角が指し示
す地図上の場所とその名前などなど、妙にスッキリする感があります。
しかも全て貴重な現物が出てきます。ちなみに国宝ですって。
それに比べて本物か偽物か解らないモノを頼りに親子何代も掘り続け
ている水野さんの方が無理がある様に見える。(別に悪い意味ではあり
ません)但し、公にできない本物的な何かがあるのかもしれないが...
やっぱり赤城はブラフ???もしくは何かは埋めたけどもう無い???かな。
後は番組に登場する人物や登場する建築物などがそれぞれ史実や年代
、時代背景に一致するかどうか...
私個人はスレ主さんなどと違い、勉強は苦手で平凡すぎる位の頭しか
持ち合わせておりませんので難しいことは解りませんが、何だか古い
物や話が好きなんです。
歴史なんて高校で習った位の知識しか無く、しかも平均点。
かと言って骨董品収集が趣味でもありません。
ただ単に自分の知らない、それも自分が生まれるずっと昔の人が実際
に触れ、手で触った物を、何の因果も関係も無い自分が同じ様にふれ
さわっていると言う事に何となく感動とロマンを感じるのです。
埋蔵金なんて古くて、教科書で習っただけの、しかも絵でしか見た事
の無い偉い人が実際に謎かけして隠した物です。
しかも金!ゴールドですよ!

894 :
何とかこのスレで知恵や知識を出し合って、埋蔵金発見って事になり
ませんかねぇ。そうなればこのスレに書き込んだ一人として、埋蔵金
発見にまでに関わった一人として(ほんの小さな、砂金一粒分位の協力
者として)自己満足できるのですが...
いつもくだらない話ですいません。

895 :
初レスです。みなさんの博識ぶりに感服しています。
埋蔵金には夢がありますね。悲しいかな実際に掘り当てた人はあまり聞かないのが実情
ですが、皆無な訳ではないのでこのスレのみなさんの夢も現実になればいいですね。
話は変わりますが、徳川埋蔵金のことです。165さんが熱心に推理しておられるようですが、
10年〜10数年前、例の糸井氏の発掘より後ですが、TVで徳川埋蔵金についてちょっとやっていて、
そこでは、確か埼玉のある寺で、江戸末期に幕府の役人一行がやって来て、赤城山の方に行く予定
だったんだけれども途中にあるその寺の裏の境内に何かを埋めたとかいう話が伝わっていて、
実際、裏の境内にはこんもりした木の生えた山がありました(しかし寺では発掘させないとか言っていたか?)。
番組では寺の名前は伏せており、また「赤城山の方へ行く予定だったんだけれども」の部分は
後に私が記憶を創作してしまっているのかもしれないんですが、個人的には「徳川埋蔵金はここじゃないのか?」と思ったものです。
その時小栗の名前が出てきたかどうかも忘れてしまったんですが、この寺なんじゃないんですかね?
だから、何というか、赤城山というのは当初埋める予定だった場所であり、かごめの歌?とかも当初は
それが暗号として考えられていた、みたいな話で。
余りに漠然とした話で申し訳ありません。

896 :
>>895
確か、神社ではなく寺だったと思います。
神社なら、埼玉には昔日光東照宮に着く前に家康の御霊?を途中休息させた場所として
ミニ東照宮がありますから、徳川家とそいういった神社との関係はわりとお馴染なので
意外感はありません。聞いた時意外な感じがしたので、寺だと思います。

897 :
明日おれんちの庭掘るからみんなも来いよ!

898 :
>>897
除染のボランティア募集ですね。わかります。
TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
【 みんカラ 】赤猫 (287)
幼き日を思い出して呟いてみるのが好き (194)
新苗字 (297)
  粘土細工     (251)
献血手帳好き。 (844)
制服、ブルセラ (600)
--log9.info------------------
けいおん! (824)
みとせのりこ 3 (856)
iPodをシャッフルして出た5曲を晒すスレinアニソン板02 (856)
Barbarian On The Groove (421)
宮本佳那子スレ (210)
nao part3 (446)
ブシロードカードゲームLIVE2012 (747)
【riya】eufonius 総合スレ part17【菊地 創】 (892)
聴けば涙するアニソン名曲中の名曲 part3 (391)
angela Part25 (974)
■■■音楽系同人サークルを語るスレ 34曲目■■■ (110)
MUSIC JAPAN 新世紀アニソンSP Part14 (953)
ALI PROJECTアンチスレ5 (611)
【パチソン】本人の歌唱ではありません 2 (184)
結局マクロスFの曲で最強なのはなんなんだよ (104)
ANIMAX MUSIX 15th 【腕組みビール最高です】 (552)
--log55.com------------------
【食】第三のビール「のどごし」が「金麦」に敗れた事情
【7pay】セブンペイ、25万人が払い戻し手続せず。未使用残高は約7千万円。セブン&アイがサイトなどで手続呼び掛け
【炎上】ないはずの海老が入ってて客がアナフィラキシー症状 レストラン「アレルゲン表記は全品中止します」 ★11
【正論】適菜収「#安倍晋三 という絵に描いたような売国奴を支持するネトウヨって、気が狂っているとしか思えない」 ★4
【Olympic】韓国の外交使節団が「放射能東京オリンピックのポスター」を公開。韓国マスコミも絶賛しながら世界に配布へ
【横浜地裁】相模原45人殺傷事件の初公判 植松被告暴れ遺族方向突進し羽交い締めにされ…2時間早く閉廷
【経済】ゴーン被告逃亡の裏で燻る「日産・ホンダ統合説」の現実味
【自衛隊基地は出ていけの】沖縄県、豚コレラ発生で自衛隊に出動要請