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2012年3月創作発表107: 【シェアード】学園を創りませんか? 4時限目 (618) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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【シェアード】学園を創りませんか? 4時限目


1 :
創作発表板に生まれた少し変わった学校、私立仁科学園。
このスレは、そんな仁科学園の世界観をSSや設定だけに留まらず、様々な表現で盛り上げ、また創っていくスレです。
貴方が創った生徒が学校の一員として誰かのSSに登場したり、気に入った生徒を自分のSSに参加させる事が出来ます。
部活動や委員会を設置するのもいいでしょう。細かい設定として校則を考えてみたり、制服を描いてみたりなどはいかがでしょうか。
また、体育祭や文化祭などの年間行事及び、生徒達の絆を深めるイベントや
仁科学園以外の学校や、生徒たちのバイト生活等世界観は仁科学園の外にまで広がります!
皆さんの想像力で、仁科学園の世界観を幅ひろーく構築していきましょう!
このスレはシェアードスレ(世界観を共有する)です。
ちょっとでも興味をもったらまとめWlikiをみて下さい。きっと幸せになれるはずです!
まとめWiki
http://www15.atwiki.jp/nisina/
避難所
http://jbbs.livedoor.jp/otaku/12930/
前スレ  学園を創りませんか? 3時限目
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1267344255/
前々スレ  学校を創りませんか?part2
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1248533055/
初代スレ 学校を創りませんか?
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1248087645/

2 :
>>1

3 :
さっそくだが、代理投下をしようと思う。

4 :

ナギサワ・マイコは、大人しくて地味。教室では目立たないタイプの女の子だ。
肩くらいまでの黒髪を、いつもだいたいポニーテール(短すぎて“尻尾”になってない)か、
片方にまとめて耳の下あたりで結んで垂らしているのだったが、今日は違った。
いわゆる『お下げ』……というのかよくわからないけれど、左右両方に髪をまとめていたのだ。
学校を出てすぐに、バスを待っている彼女の姿が目に入った。
彼女も僕に気がつくと、ひらひらと手を振った。
「今、帰り?」
若干緊張しながら、話しかける。
「うん。今日はバスなんだ。朝、雨ひどかったから。なのに、こんなに晴れるなんて!」
ナギサワは、屈託なく笑って空を見上げる。
朝の大雨をあざ笑うかのように、すっきりとした晴天が広がっていた。
――その髪型、珍しいね。
たったそれだけのことを、僕は言えなかった。
気恥かしさが先に立って、無難な話題を選択してしまう。
「明日から、また天気悪くなるみたいだね」
「うん、しばらくバスで来ることになるかなぁ。でも、バスだと本が読めるから好きだよ」
本が読める、という言葉に、僕の耳は反応した。
僕がネコ耳か犬耳を持つ獣人のたぐいだったなら、きっとマンガみたく『ピン!』と耳を立てたことだろう。
――どんな本を読むのかな。
けれど、当然と言うべきか、僕はその質問をすることなく、
「じゃ」
と言って自転車のペダルを踏み込んだのだった。
さっきの短いやりとりを頭の中で反芻しつつ、自転車を漕ぐ。
ナギサワは、読書家なのだろうか。
教室では、そんな気配は見せない。
休み時間には、仲の良い女子のグループでおしゃべりをしている姿しか思い浮かばない。
ナギサワの読む本。
あの、お下げを耳の上にあげたような髪型。
ひとりっきりで弾くコントラバス。

5 :

教室で地味な彼女について、僕が知っていることといえば、名前と顔と、座席の位置くらいだった。
その彼女が、意外な一面を持っていたことに、僕は何とも言い難い、不思議な感覚を覚えていた。
――勘違いするなよ。
自転車を漕ぎながら、僕は頭を振る。
乱暴にちぎったみたいな雲の塊が、抜けるような青空に浮かんでいた。
〆 〆 〆
夕食を済ませ、自分の部屋に戻る。
中学2年になった時、ようやく手に入れた、この部屋。
勉強机も、その時一緒についてきた。
残念ながら本来の用途に活用される機会は少なく、もっぱら開いたノートにイラストとも呼べない落書きが描かれたり、
ゲームの攻略本とマッピング用方眼紙が広げられていたり、『設定資料』などと称して意味不明な地名や人名が
書き連ねられたりしているのがせいぜいだ。
その愛すべき机の前で、タロットカードを切る。
そして、念じながら一枚抜く。
――三者面談のことを母さんに言うけど、どんな反応をするか。
抜いたカードを裏向きに伏せる。
カードから解釈を読み取るには、訓練が必要だという。
僕はその訓練として、『ワンオラクル・スプレッド(カードの並べ方のことだ)』を使って、
些細なことや個人的なことを占っていた。
カードは【節制】の正位置。
たおやかな女性が、杯から水を移す様子が描かれている。
『節制』……普段は使わない言葉だ。
『節約』と、何が違うんだろう。『節約』なら、母さんの得意とするところだけど。
辞書を引いてみる。
――節度を守る・度を越さない・控えめである
……うーん。
よく、分からない。
これを、どう解釈しろと?

6 :

節制……節制……このカードの女性は、天使みたいだな。背中に翼がある。
天使……天使の仕事は、杯から水を移すことか?
この天使は、他のよりも年上のお姉さん、って感じがするな。なんとなくだけど。
お姉さんは、よく物事を知っていて、水も零さず移せる、と。
おかしいな、お姉さんといえば「色っぽい」か「ドジ」、ってのがデフォルトなはずなんだが。
……って、いやいやいや、そんなラノベ的解釈で良いワケ無いだろ!
でも、良く知った人は、何でも卒なく物事をこなす。
『良く知った者』……『卒なくこなす』……
うん、この絵柄にはそういう言葉がぴったりだな。
さて、それをどう解釈するんだ?
節制……英語で、temperance。
てんぺらんす。テンパランス、かな?
ぺらんす。パランス。……バランス。
均衡……精確……絶妙な……デリケートな……精密……精鋭……頭脳明晰……
――ダメだ、結びつかないぞ。母さんの機嫌を占うのに、頭脳もなにもあったもんじゃないよ。
「あ゛ーーー! タロットって、難しいぃーーなぁーー!!」
背もたれに思いっきり凭れて、伸びをしつつ僕は叫んだ。
案の定、その後すぐに妹が、煩いだのなんだのと怒鳴りこんできたのだったが、知ったことか。

7 :

4時限目の授業が終わり、理科室から戻る途中、ナギサワと一緒になった。
偶然にも僕も彼女も当番に当たって、授業の後もガスバーナーやらビーカーやらを片付けていたのだ。
ナギサワは……今日は束ねた髪を纏めて左肩に垂らしている。
今まで気づかなかったのだけど、彼女は毎日髪型を微妙に変えている。
ポニーテールにしても、高い位置で噴水みたく (この喩え、伝わるかどうかとても自信がない) 散らしている時もあるし、
やや低い位置で房を垂らしている時もある。
「サイトウくん、この前進路指導室に行ってたね」
特別教室棟の廊下を並んで歩いている時、ナギサワが言った。
――見られてた?
僕は平静を装いつつ、少しばかり動揺していた。
「呼び出し食らった?」
いたずらっぽく笑って、僕を見る。
「はは……まぁ、そんなとこ」
曖昧に笑って、やり過ごす。
何だか、そこに出入りしていることを知られたくないような気がした。
知られたところで、どうにもなりそうにないけれど。
「進路、決めた?」
ナギサワは、さらに追い打ちをかけてくる。今の僕が、もっとも聞かれたくない類の質問だ。
階段を降りる。
一日中日陰なせいで、ここだけ冷房が効いたようにひんやりと心地いい。
あと何日かで、夏休みだ。
夏休みが終わったら……本格的に、進路決定をしなくちゃならない。
正直言って、考えたくない。
「……悩んでる。どうしたらいいんだろ。この前のテストもイマイチだったしさ」
冗談っぽく笑って返す。
「わたしもだよ。なんていうかさ、『もうちょっと考える時間ください』って言いたくなっちゃう」
渡り廊下に差し掛かる。
凶暴さを増す太陽光が、容赦なく気温を上げている。
うわ、暑っ! などと口にしながら、僕たちは歩いている。

8 :

その廊下を歩いているとき、不意にナギサワは、言った。
「『〇〇に成りたい』とか、『△△を目指す』とかって言える人は、ホントに凄いな、って思う」
遠慮がちに、けれど確固たる信念を持った口調だった。
僕は黙っていた。
真意を測りかねた。
代わりに彼女の横顔を見る。
笑ってはいなくて、けれど深刻というわけでもない。
呟くように、「だってさ、」と続ける。
「成りたい希望を言ったとして、それが『お前じゃ無理だ』とか、『素質がない』なんて言われたら、どうするの? 
わたしは……怖いよ、そんなの。可能性が、たった一言で潰されちゃう気がする」
その気持ちは、分からなくはない。
僕は具体的な将来像を描けないでいるけれど、もしかするとそれは『否定されるのが怖い』から、なのかも知れない。
希望する将来像を具体的に言ったとする。
それを否定されてしまうと……、なんというか、逃げ場を失ったような気分になる。
その可能性――たとえどんなに僅かな可能性だったとしても――を、いともあっさりと、潰されたような気分になる。
大袈裟に言うなら、他人のたった一言で自分の人生が決定されてしまうような気がするのだ。
そんなの、まっぴらごめんだ。
教室のある棟に戻ってくると、人が増えてざわめきも増した。
すぐにナギサワの友達が彼女を見つけ駆け寄ってくる。
じゃ、と手を上げ、僕は購買部へ向かう。
ナギサワは、きっと仲良しグループの女の子たちとお弁当を囲むだろう。
スタートが出遅れた。ハムカツサンドは、まだ残っているだろうか?
僕は、購買へ向かう足を早めた。
〆 〆 〆

9 :

真夏かと思うような強烈な暑さだったのが、夕方には雲が空の7割を覆っていた。
見るからに重そうな灰色が、前方に低く垂れこめている。
「これは降るな。さっさと帰ろう」
いつものとおり、友人を促して自転車置き場へ向かう。
タカハシは自転車を出そうとせず、ボーッと突っ立っている。
「なにしてんだ?」
と聞くと、ニヤリと笑い、
「原チャで来たからさ。あっちに隠してある」
親指で校門を指す。
原付での通学は、当然禁止されている。
けれど免許を取った連中は、原付で学校の近くまで来て、公園やなんかに隠して停めている。
タカハシも、原付免許を持っている。
16歳になるとすぐに取ったそうだ。
タカハシはのんきに、ハーフキャップ・メットを頭の上に乗せてスーパー・カブに跨った。
先生やなんかに見つからないか、僕の方がビクビクしてしまう。
自転車の僕に合わせて、のったり走るタカハシ。
眼の障害のことを考えると、自行為――というのは大げさにしても――に近いと思う。
それでもヤツは気にせずに、原付を乗り回している。
〆 〆 〆
進路指導室に通っている僕は、どうしても考えざるを得ない。
例えば、仮に数学が得意だから数学科に進んだとして、就職はどうなる?
『数学科なんて、出たところで塾講師がせいぜいだよ』
数学が得意なクラスメイトが言っていたセリフが思い出される。
史学科や国文科、数学科のなかでも純粋数学の分野、芸術の分野……。
確かに、それらに興味はあるけれど。
頑張って勉強して、大学を出たところで……、何に成る? 
それを活かした就職口なんて、あるのだろうか?
研究職として、大学の一室に篭もるのだろうか。
……それが社会に貢献しているとは、あまり思えない。

10 :

世の中で、もっとも無駄に飯を食っている職業は、哲学者と言われている……というのを、倫理の授業で聞いたことがある。
物事を考えている“だけ”の「仕事」は、結局のところ人様の役に立ってはいないのだ。
『下手な考え 休むに似たり』――つまり、どれだけ高尚であっても役に立たなきゃNEETと同じ。
では、大学時代に蓄えたその知識をひとまず置いておいて、他のテキトーな文系学生と同じく、
企業の営業として働くことになるのだろうか。
営業は、僕には無理だろうと思う。
なにより、身につけた知識を活かせていない。
やりたいことを勉強していたら、いつの間にかそれを活かせる職業が見つかって、その職に就く。
自分の興味あることを勉強し、それで得た知識やスキルを活かして仕事をし、生計を立てていく。
それで適材適所、丸く収まる……。
就職情報誌や進路指導室は、そういう情報は与えてくれない。
『この学部に行ったらこの職業!』というような、選択の余地を与えない記事ばかり。
世の中に、就ける『ジョブ』は限られているように思える。
そのジョブに就くために、有利な学部を選択する必要がある。
でも、どのジョブにも魅力を感じない人がいたら……
どうしたらいいんだ?
テレビを見ていると、実に多くの肩書き、つまり職業についている人たちがいる。
〇〇研究家だとか、△△プランナー、××アドバイザー。
彼らは、自分の得意を職業にしている感がある。
まさしく『ジョブ』だ。
……けど、それで食っていけてるのだろうか?
この、『食えるかどうか』というのが、実に厄介だ。
結局のところ、それを考えて進路を決めなきゃならない。
『大学に入れば、好きなことだけ勉強できる』なんて、嘘っぱちだ。
好きなことを勉強したって、就職できなきゃ意味が無い。
それも、『食っていける』職業に、だ。
「まーたブツブツ言ってるし。キモいんだけど」
さっきから微かに感じていた冷たい目線の正体は、にっくき我が妹だったりする。
「だから、勝手に入ってくるんじゃねぇって言ってんだろ」
「和英辞典どこ?」
聞いちゃいない。
コイツは、世界が自分のためにあると、本気で思ってるに違いない。

11 :
以上、◆BY8IRunOLE氏の代理投下だ。
だが勘違いするな。これは保守代わりで他意などない。
改行の法則が不明だったから調整しなかった。wikiには既に収録されているようなので、自分でやってくれると俺はとても嬉しい。
読んでいて身につまされて胃にクる話、これもまた独特のスタイルといえよう。
・・・もう欝だ・・・俺は寝ることにしよう・・・学校に隕石落ちて全壊して休校になーれ♪

12 :
お久しぶりです、投下します。

13 :
 大きな窓から差し込む蜜柑色の光が蛍光灯の明かりと混じり合い、窓際の机を照らしている。
 机を囲む椅子は四つあり、そのうち一席だけが埋まっていた。
 そこに座り、大人しそうな雰囲気の女生徒――河内静奈が机の上の本へと目を落としていた。
 静奈は、友人である上原梢の部活終了を待っていた。
 特に部活や委員会にも所属していない静奈が待ち時間を潰すために選んだ場所は、図書室だった。
 学食に行けば想い人に会えたかもしれない。
 しかし、彼が放課後の学食を好んでいることを知らない静奈は、かすかに漂う紙の匂いに心地よさを覚えながらページを手繰る。
 夕暮れの図書室で読んでいるのは、変わった装丁の恋愛小説だ。
 まるで日記帳のような本に、手書きめいた書体で物語は綴られていた。
 タイトルもろくに見ず、なんとなく手に取った本だったが、静奈はその物語に惹かれていた。
 悲恋ではなく、甘い恋が成就する物語を、静奈は追っていく。
 それは、非常に共感できる本だった。
 登場人物を自分と想い人に重ね合わせて胸を高鳴らせる。 
 大好きな彼と恋人になりたい。
 本に出てくる恋人のように愛し合い、一緒の時間を過ごし、共に色々なところへ行きたい。
 季節はもう、夏だ。
 一緒に花火をしたい。夏祭りに行きたい。
 泳ぐのは得意ではないが、彼と一緒に海やプールにだって行きたい。
 浴衣や水着を着たところを見られたらと、想像する。
 それだけで恥ずかしく頬が熱くなるが、見てほしいという願望も強い。
 褒めてもらえるだろうか。
 似合っていると、可愛いと、そう言ってもらえたらと、妄想めいた想像をする。
 知識でしか知り得ないデートの光景が、脳内に展開する。
 妄想はページを繰る手を止め、鼓動を速まらせ、口元をだらしなく緩ませる。
「ねぇ、あなた。私と、お話をしましょう?」
 目の前で静かな声が聞こえたのは、静奈の脳内で、牧村拓人と唇が触れあいそうになったときだった。
 
「え、ええぇッ!! わ、わたし、ですか――ッ!?」
 驚愕し大声を出した後で、静奈はここが図書室であることを思い出し慌てて口を抑える。
 一気に顔が真っ赤に染まり、べたついた汗が額と背中と掌に滲み上がる。
 変な顔をしていたのではないかと不安になりながら、静奈は正面に視線を向ける。
 そこにいたのは、ぬいぐるみを抱えた、短い黒髪が愛らしい女の子だった。
 彼女がいつの間に現れたのか、静奈は全く気が付かなかった。
 それほどまでに妄想へどっぷりと浸っていたのかと思うと、死にたくなる。
 大慌てでおどおどと首を振る静奈に、女の子は微笑んで見せる。
 目を細め、唇の両端を吊り上げたその顔は可愛らしい。
 それなのに。
 細められた瞼から除く瞳は、まるで、光すら呑み込んでしまう夜のように真っ黒だった。
 彼女は笑んだまま、口を開く。
 小さな唇の奥から除く舌は、鮮やかなほどに赤く見えた。
 
「ええ、あなたよ。そうね、あなたには――恋のお話がいいかしら」

14 :
 ●
 
 眼鏡がよく似合う、大人しい恋する女の子のお話をするわね。
 女の子が恋していたのは、同じクラスの男の子。
 彼は爽やかで格好いい、バスケ部のエースだったの。
 そんな男の子だもの、当たり前のように女の子の人気を集めたわ。
 ライバルも多くて、彼と恋人になれるなんてとても思っていなかった。
 彼と特別仲がよかったわけじゃない女の子は、いつも彼を眺めるだけだった。
 他の女の子と、楽しそうに話す彼を、いつも眺めていた。
 恋心と嫉妬をこね合わせた視線を、いつも彼に送っていた。
 女の子は、とても人見知りが激しかったの。
 だから彼に声もかけられなかったし、友達も少なかった。
 でも、親友と呼べる子が一人いたわ。
 女の子は親友に、自分の感情を吐露することが多かった。
 それは相談だったり、愚痴だったり。
 親友はいつだって、女の子の感情を受け止めた。
 たまに、困ったような顔や苦笑いを浮かべることはあったけれど。
 反論することもなく、批判することもなく、ただただ女の子の全てを肯定し受け入れたの。  
 それが女の子には心地よかった。安心できた。信頼できた。
 女の子は親友が大好きで、心から感謝していた。
 だからあるお休みの日に、お礼をしたくて、親友を遊びに誘ったわ。
 親友が見たいと言っていた映画を見て、親友のお気に入りのお店で美味しいケーキを食べて、いつもありがとうと言おうと思った。
 けれどその誘いは、残念なことに断られてしまったの。
 どうしても外せない用事があるから、と。
 女の子はがっかりしてしまったけど、都合が悪いなら仕方ないと思い、次のお休みに約束をしたの。
 そして、お休みの日はやってきたわ。
 親友にお礼をするはずだったその日に、女の子は一人で時間を過ごしていた。
 女の子は、日記を付けていたの。
 その日記が残り少ないことに気がついた女の子は、日記帳を買いに町へ出たわ。
 駅前に着いたとき、女の子は見つけるの。
 背が高い、大好きな男の子の姿と。 
 
 その隣に寄り添う、気合の入ったお化粧をして、可愛い服でおめかしをした親友を。
 
 楽しそうで幸せそうで仲睦まじそうな、誰もがカップルだと信じて疑わないような雰囲気で、二人は。
 女の子に気付くことなく、遠ざかって行ったの。
 
 それから、女の子はどうやって家に帰ったのか覚えていなかった。
 たった一人、女の子は、自分の部屋で茫然としていた。
 想っていたのは、男の子のことではなく親友のこと。
 持て余す感情のままに、とりとめもまとまりもなく、ただただ、想ったのよ。

15 :
 誘いを断ったのはデートのため。
 デートの相手は私の大好きな人。
 知ってたはずなのに。
 分かってたくせに。
 信頼していたのに。
 何を言っても受け入れてくれてたのに。
 それなのに。
 こんな形で。
 親友は。
 大好きなのに。
 応援してくれてると。
 想ってたのに。
 嘘だったの?
 騙してたの?
 ひどい。
 ヒドイ。
 酷い。
 どうして?
 どうして?
 どうして?
 どうして奪ったの?
 どうして踏みにじったの?
 どうして? どうして? どうして?
 どうして裏切ったの?
 私の全部を受け止めてくれるフリをして、本当は。
 嘲笑ってたの?
 
 たった一人の親友に対する信頼と情愛は、同じだけの憎悪と嫌悪に反転したわ。
 それでも女の子は、その感情を外に爆発させられなかった。
 だって、女の子は。
 男の子が大好きだったんだもの。
 もしも親友にこの感情をぶつけてしまったら、男の子に嫌われてしまうと。
 そう、恐れたから。
 男の子に嫌われたくないと、願ってしまったから。
 だから。
 女の子は外に感情をぶつけられず、持て余す感情を昇華できず抱え込んだまま。
 手首を、切ったんですって。
 残り少ない日記に血で文字を書いて。
 女の子は、息を引き取ったそうよ。
 
 ――くすくすくす。
 
 嫌われることを恐れる必要なんてないのにね。
 結局、恋は叶わないのだから。
 
 それにしても。
 同じクラスの男の子を大好きな女の子がいて。
 女の子には、相談を持ちかける親友がいるなんて。
 なんだか、似てるわね?
 これってきっと、よくある話かもしれないって、そう思わない?
 
 ――くすくすくす。
 ――くすくすくすくす。
 ――くすくすくすくすくすくす。

16 :
 ●
 
 空調の音が、図書室に低く響いている。他の物音は、耳に届かない。
 この場所は本来静かであるべきであり、物音がしないのは当然だ。
 だが、不必要なまでに静かなような気がして、静奈は身震いをしてしまう。
「ああ、そうそう。一つ、言い忘れてたわ」
 ぬいぐるみを抱えたまま、少女が静けさを破る。
 その声はしかし、気味の悪さを助長するかのように流れていく。
「女の子が書いていた日記なんだけどね? 普通の日記じゃないの」
 少女はそっと、静奈の手元に目を向ける。
 そこにあるのは、一冊の本。
 タイトルも分からない、手書きめいた書体で記された、まるで、日記帳めいた装丁の――。
 静奈の産毛が、総毛立つ。
 思わず両手で身を抱いた静奈の目が、少女を捉えた、その瞬間。
「……っ!」
 息が詰まり、泣き出しそうになった。
 少女は、笑っていた。
 上目遣いで静奈を睨めつけ、裂けそうなほどに両側の口角を上げて。
 にぃっ……と。
 笑っていた。
 
「妄想日記なんですって。大好きな男の子との甘い甘い甘い、妄想を綴った、まるで小説みたいな、日記。
 女の子と一緒に焼かれたその日記がここにあるということは、きっと、女の子も近くにいるわ。
 ひょっとしたら、自分と同じような女の子を、同じような目に合わせようとしているのかもしれないわね?」
 
 くすくすと、不安を煽り立てるような笑い声がする。
 それから逃れるように、静奈は少女の顔から手元へ目を落とす。
 そこには、本がある。
 僅か数ページとなるまで読み進めた、本がある。
 そして、静奈は気付く。
 ずっと気付かなかったのに、不意に気付いてしまう。
 今開かれているページ裏が、次のページに貼り付いて、奇妙に分厚いことに。
 貼り付いていて開けないが、しかし。
 手書きめいた文字の背景となるように。
 
 ――赤黒い文字が、シミのように、浮き上がっていた。
 
「きゃ――ッ!」
 堪えられず悲鳴を上げ、本を振り払う。
 鳥肌は止まらず背筋は震え、目には涙が浮かんでいた。
 世界が涙で滲み、嫌な悪寒が体を包み込む。
 逃げるように目を閉ざした静奈の耳に、届いたのは。 
 
「何、今の声……? って、静奈ちゃん!?」
 
 聞き覚えのある、声だった。
 恐る恐る、目を開ける。
 涙で滲んだ視界に、ウェーブのかかった豊かな金髪の女生徒が映った。
「アリス……さん……っ」
 共に演劇を行った先輩――真田アリスの姿に、静奈は安堵を覚える。
 瞬間、張りつめた恐怖が解けて思い切り後押しされたかのように、涙が押し寄せてきた。
「アリスさん、アリスさん――ッ!」
「わわ、ちょっと、どうしたの!?」
 狼狽するアリスに構わず、抱きついた。
 焼きつけられた恐怖を洗い流そうとするように泣く静奈は、気付かない。
 
 ぬいぐるみを抱えたあの少女とあの日記帳が、夕闇に溶けるように消えてしまったことを。

17 :
以上、投下終了します。
真田アリスとふーちゃんお借りしましたー。
夏の怪談企画用です。
遅くなったけどまだ夏だからいいよね!
しかし怪談とかホラーって難しいな。

18 :
>>13
向上心と上昇志向を勘違いしてないか?

19 :
向上心 俺の心に 向上心
投下乙。
怖さはともかく、えげつねえ。そうやって人の心の闇を針でチク刺すというのか。
学園はそういう怪談には事欠かなそうだな。怪しげな理科系の男とか巫女とかいるし。
しかし、まさか拓人が食堂にいるとは思わないんだろうな。なんか静奈らしいすれ違い方だ。
まごまごしてるとコスプレイヤーに横取りされるっ。

20 :
>>19
> まごまごしてるとコスプレイヤーに横取りされるっ。
待て、ここは雄一郎の可能性も無いとは言えないだろう

21 :
めっきり過疎ったね。
よくわからんタロット占いの話?が投下されてから人がいなくなった気がする。

22 :

人を馬鹿にする発言いくない。

23 :
荒らしに構うな。和穂ぶつけんぞ

24 :
うぇるちんの絶壁無アタックを食らえ

25 :
士乃もつけるぜ!

26 :
私は帰ってきた。
……あと業務連絡。怪談ふーちゃん一話と先輩後輩のこっくりさん上下書いてたけど、こっくりさんが上下どころか五話くらいでも収まる気配がなく、かいてて泣けてくるほど内容がないようだったので消去したw
なんでふーちゃん一つしかデケテナイn……。
>怪談難しい。
身に染みて思い知らされてた所だw
ライオンは四話分ある。現在データ整理中。

27 :
ようやく投下。
なんか言い出しっぺで申し訳ない。

28 :
 こんばんわ。
 諸事情により最後にやるはずだったのをブチ込むとかなんとか作者が言ってるわ。夏が嫌いになりそうだとも言ってたけど……。まぁ勝手に嫌いになればいいわよね。
 本来ならいろんな人が出てくるはずだったけど、今回は出てこない。
 このお話は直接私が語ってあげる。
 この話はね、昔の仁科のお話なの。一体誰が出てくるのか。このお話の真意は一体何か……。
 フフ……。それは少しずつ明らかにしていけばいい。別に夏以外にやっちゃいけないわけじゃないし。それに、夏は来年もやってくるんだから。
 じゃあ、さっそく始めましょう。とっても悲しい、とっても悲しい、怨みのお話……
 仁科の怪談 第X回
 【新浦文子(噂)】
 昔、仁科学園にはどこにでも居る普通の高校生である新浦文子という女の子がいました。
 とっても控えめで大人しい女の子でした。
 熊の縫いぐるみが大好きな、本当に普通の女の子でした。
 ある日、彼女は通学途中に猫が車に轢かれそうになる所に遭遇しました。
 彼女は危ないと思いました。なんとかしなきゃと思いました。
 彼女は車が猫を避けて行けばいいのにと祈りました。とっても強く祈りました。
 猫を轢きそうになった車は、間一髪で猫を避けて電信柱にぶつかりました。運転していた人は死んでしまいました。
 彼女は普通の女の子でした。
 成績もちょうど真ん中くらい。見た目だって普通だと言える程度です。
 ただし、とっても控えめな女の子だったので、友達を作るのは少し苦手でした。彼女はそれだけが悩みだったのです。
 ある時、体育の授業中の事です。
 同じクラスの陸上部の女の子がいました。彼女はとっても優秀な選手で、大会ではすごく期待されていた人なのです。
 彼女は、ちょっと意地悪な人でした。
 運動が苦手だった文子は彼女と居るのが少し嫌いでした。なぜならば、彼女が意地悪な事を言うからです。
 五十メートル走のタイムを計る時です。文子はその陸上部の女の子を見ていました。
 彼女が嫌いだった文子は少しだけ、転んでしまえと思いました。

29 :
 彼女は走りました。
 とても脚が速い女の子でした。彼女は半分ほど進んだ所で、突然転んでしまいました。
 足首をくじいて、骨折してしまったようでした。そして彼女は、陸上部を辞める事になりました。
 文子はある日、恋をしました。
 同じクラスの男子生徒の事を好きになりました。彼の事を考えると、つい頭がぼーっとなってしまいます。
 授業中でもついついぼーっとしたりしてしまいます。
 窓ガラスががたがたと揺れました。
 壁に貼られた生徒達の書がばさばさと落ちました。
 黒板の前のチョークが白い粉を出しながら割れました。
 文子はずっとぼーっとしていました。ずっと彼の事だけを考えていたのです。
 彼はその日、体調を崩して早退しました。それでも文子は彼の事を考えてしたのです。
 クラスのみんなが文子を見ていました。
 先生に呼ばれて職員室に行きました。校長先生や教頭先生もいました。
 みんな、なんとかならないかと言っていました。どうにかならないかととっても悩んでいたのです。
 しかし。文子には何事か解りませんでした。
 先生たちは、この娘は大事な娘だからと言いました。
 次の日、お昼休みに文子は大好きだった彼から放課後に会いたいと言われました。
 文子は喜びました。とても喜んだのです。大好きな彼に誘われるなんて、まるで夢のようなお話だったのです。文子はわくわくしながら、放課後を待ちました。
 そして、放課後です。
 文子は喜んで言われた場所に行きました。学園の隅にある、まるでジャングルのような所です。
 彼はいました。ですが、あの大好きだった笑顔じゃありませんでした。
 他の人も居ました。たくさんたくさんいました。よくみると、文子のクラスの人達が全員揃っていました。
 文子は言われました。化け物とか、悪魔とか。
 大好きだった彼は文子の想いに気付いていました。文子がかんがえた事は、文子が意識した人に全て伝わっていたのです。
 陸上部の彼女も居ました。彼女は転んだ理由が文子だと言っていました。
 文子は否定しました。だって文子は、とても普通の女の子なのです。

30 :
 ですが、聞き入れられませんでした。
 そして、始まりました。とっても苦しい、とっても凄惨な。それは彼らにとっても、命懸けの事でした。自分達を守る為でした。
 文子は寄ってたかって叩かれました。お腹が凄く痛くなりました。すごく喉が渇きました。内蔵が破裂したのです。
頭は皮がべろんと剥がれるほど叩かれました。頭の形が変わっていました。頭蓋骨が割れて、脳みそが少し出ていました。
 腕は間接が増えたかのようになっていました。指はまるで投げ出された手袋のようになっていました。
 それでも、文子は生きていました。
 彼女は思ったのです。生きたい。死にたくない……! と……。
 だから文子は死にませんでした。でも、そのせいで普通では考えられない苦痛を味わう事になったのです。
 皆は言いました。やっぱり化け物だ。人間じゃ無いと。
 大好きだった彼がポリタンクを持ってきました。灯油が入っていました。
 それを、文子にかけました。
 文子は察知しました。これから生きたまま焼かれるのだと。そして、文子は焼かれました。
 それでもなお。文子は死にません。生きたかったからです。ずっとずっと、真っ黒焦げになるまで。
 文子の身体は、焼かれた人が取るポーズをとって動かなくなりました。
 文子は考えました。もう身体は使えないと。
 文子は考えました。なぜ私がこんなに苦しむのかと。
 文子は考えました。みんな大嫌いだと。
 皆は真っ黒焦げの文子を見ました。
 死んだと思ったのです。ところが、皆は驚きました。
 真っ黒焦げの文子の顔は、笑っていたのです。
 とってもおぞましい笑みを浮かべたまま、真っ黒な顔で固まっていました。
 皆は穴を掘ってそれを埋めました。場所は今は誰も知りません。誰も答えられないのです。
 何故ならば、その次の日には、クラス全員の子が行方不明になってしまったからです。
 当然、その前に何があったのか、知る人は誰も居ませんでした。
※ ※ ※
 ……以上よ。
 これはあくまで噂話よ。本当にこんな酷い事があったのかなんて信じられる?

31 :
 それに、おかしな所もたくさんあるしね。
 たとえば、文子ちゃんは普通の女の子だった。でも、ところどころ普通じゃない場面もあったわね。どう考えても、彼女はおかしな力を持っていた……。
 でも多分、彼女は気付いていなかった。
 フフ……。もし自覚していたら、もっと悪い事に使ってたはずよ。だってそれが人間だもの。
 それに、あれだけ凄惨なリンチを受けて死なない人間がいると思う?
 あまりに残虐過ぎるわ。きっと尾鰭が付いて来た結果ね。……もっとも、現実というのはたいがいにしてもっと凄惨な物だけど……。
 フフ……。でもこれは噂話。実際にあったかなんて、誰も知らないんだから。
 え?
 私の名前?
 どうだっていいじゃない。私の事なんか。
 それより、もっと気になる所が無い?
 たとえば、行方不明になったクラスの子供達。一体どこにいっちゃったのかしらね。
 そしてなにより、このお話には重大な事が抜けているのよ。
 ひそかに受け継がれてきたお話だけど、一度たりともそこが話された事はない。
 文子ちゃんはクラス全員から徹底したリンチを受けて、焼きされた。
 そう。焼きされたのよ。
 でも、一度もはっきり言われた事がない。
 何度聞いても、何回読んでも、どれだけ噂が広がろうとも……。
 文子が死んだとははっきりと言われていないの。
 ……よく読んで?
 彼女は本当に死んだのかしら……?
 あら?
 そろそろ時間みたい。お友達が迎えに来たから。
 フフ……。
 私はこのお友達が大好きなの。私のお手伝いをしてくれるから。
 え?
 どこにも居ない?
 見えないの? 私たちの周りにたくさん居るじゃない。みんな私たちを見てる。
 そうね……。三十人くらいかしら。ちょうど一クラス分の人数ね。
 え?
 私の名前?
 どうだっていいじゃない。私の事なんか……。
 でも、みんなは私の事をふーちゃんって呼んでくれてるの。

32 :
おわり。
明日あたりライオン五話投下。
ついに最後の新キャラ出るよ!

33 :
「学校に来るなんてずいぶん久しぶりなんじゃない?」
「はい。すっかりオッサンです」
「あら、私から見ればまだ子供だけどね」
「大人の女性は好きですよ?」
「そーいう所が無ければ可愛いげあるんだけどねぇ?」
 職員室。白壁やもりのデスクの前でやもりと話し込む男が居た。
 身長は裕に二メートルはあろうかというその男は、どうやらやもりとは知った仲のようだ。
「……さて、とりあえず手続きは済ませたけど、復学は明日から?」
「はい」
「どうしてまた復学しようなんて思ったの? あなたならそのまま別の所に進学出来たはずよ。そうじゃなくてもやって行けたかもしれないのに」
「どうせ大学に行くなら仁科にしたいと思ってます。知った所ですから。でもそれなら仁科の高等部の卒業資格が要りますから」
「あらそう。でも夏休み前なんておかしな時期を選ぶわね」
「思い立ったが何とやらですよ先生」
「ま、そういう事にしときましょ。
 ああ、そうそう。あなたが居ない二年間で面白い事になってるわよ?」
「面白い事?」
「ええ。詳しい事はあなたのクラスの迫って子に聞いてみなさい」
「はぁ……」
第五話:【最後の戦士】
 ペタペタという音。リノリウムの床をゴム底で叩く音だ。
 踵を吐き潰した上履特有の物である。
「そろそろトリートメントをしなければ……。ああ、丁度よくプリン頭になってきたし、近々染めに行くか」
 相変わらず下品に廊下を歩く懐。手には大量の缶ジュースとお菓子。
 演劇に携わった裏方さんへのお見舞い品だった。どういう訳か懐が配っている。
 最初に美術部に行ったら何故か台が居なかった。代わりに複数の属性を持つという可愛らしい部長に見舞いの品を預け、何故かととろやマサのおやじにまで配る。
 懐の計り知らぬ所で騒動があったと聞いていたが、それの見舞いでもあるのだろう。次からは俺を呼べときつくととろに言ったが「場を掻き乱す恐れあり」と却下された。
 そんな奴じゃねぇという反論も通じず、少し思う所もあったので素直に身を引いた。

34 :
 巡りに巡り、最後にたどり着いたのはコスプレ部。
 何故最後にしたのかは理由がある。演劇も片付いたし、そろそろコッチの衣装もやってくんない? と一言言う為。
 さらには京が隠し持っているおやつを食う為。
 時刻は既に夕方五時を回っていた。殆どの生徒は帰っている。
 しかしながら、コスプレ部の部室からはやはり人の気配が漏れていた。作業に没頭していると予想される。
 懐は手に持った荷物を抱え直し、いつものように無遠慮かつノックも無しにドアを開けた。
「おーい。やってるかみや――」
「!!?」
 眼前に広がっている光景。
 それは嬉々として嫌がる男子生徒の服を脱がそうとする京。
「……。お邪魔しましたぁ〜」
 懐はそれ以上の言葉を持たない。速やかにドアを閉めて踵を反す。刹那、京が部室から飛び出す。
「ちょちょちょちょちょっと待った! 待て!」
「いやいやいや、いいよいいよ? 俺の事は気にしないで。ちゃんと黙っとくから。さすがの俺もそこは空気読むよ?」
「アンタ勘違いしてる! 絶対すんごい勘違いしてる!」
「だから気にするなってば。そりゃ邪魔されたくねーよな。お邪魔でしょうから私はこれで」
「だから違うってば!」
「何を恥ずかしがる。愛する男女が睦み合うのは自然の摂理であろう。思う存分愛を分かち合いなさい」
「だから違うっつってんの! 解って言ってんだろテメー!」
「確かに俺は『やってるか?』と声をかけた。しかしまさかヤってるとは――」
「それ以上言うなバカー!!」
 顔を真っ赤にした京の鉄拳が炸裂した。あらゆる意味で危険を感じた故の制裁である。
 トドメに髪の毛をぐいぐい引っ張り部室へと連行していく。
「痛い痛い痛い痛い痛い! 髪は止めて! ホント止めて!
 大事にしてんの気ぃ使ってんの。解るでしょ!?」
「自業自得よ! さっさと来い!」
 情けなくもずるずると引きずられ部室へと連れ込まれる。
 半泣きで髪を心配する壊が見たのは、同じく半泣きの男子生徒。見事なまでの中性を貫く顔立ちは男子の制服を着ていなけばそれとは解らない可能性すらあると懐は見た。

35 :
 しかもどこかで見た顔だとも思う。
 脳細胞の軸索に電気刺激を走らせて導き出した答は、その男子生徒は牧村拓人であるという事。
 そういえば演劇にも出ていた。ナイスな役所で。
 床に寝そべり髪を引っ張られた状態で、お互い会釈した。
 拓人の方も何と無く懐を見た事がある様子だった。これだけ目立つ頭と言動をしていればそうだろう。
「……。ああ。なるほど。例の着せ替え人形君ね」
「そんな人聞きの悪い事言わないで!」
「ところで京さん?」
「な……何よ?」
「俺は今床に仰向けになっている」
「そ……それがどうかしたの……?」
「つまりだ。この位置関係に於いて、俺の視界に捕える物は上下が逆転した世界のみならず、とてもいいものが見えるのだ」
「何言ってんのよ」
「結論から言おう。丸見えなのだ」
「……。くたばれ!」
「がふッッ!!」
 寝そべる懐に京の強烈なスタンピングキックが見舞われた。
 持っていたジュースがころころ床を転がり、悶絶している懐の脇腹にあたった。すっかり機嫌を損ねた京に連れ込まれたばかりの部室を追い出される。ついでに半泣きの拓人も救出。
 見舞い品は結局渡せず終いだった。
「……ぐふッ。くっそいい蹴りしてやがる。あれほどのスタンピングはよほどプロレスに精通していないと出来ないはずだが……」
「京先輩、マスクすら作ってますし研究熱心ですから……。きっと人気悪役レスラーの動きを研究したんだと……」
「恐るべきコスプレ魂だ」
「……。噂には聞いてましたけど……。いつもこんな感じなんですか?」
「いつもというと」
「先輩と京先輩」
「知りたいかね?」
「え? ええ……ちょっと」
「いいだろう。ついでにの色も教えてやろう」
「ええぇ!?」
「知りたいだろう?」
「え? ええ……いや、その……。はい」
「素直でよろしい」
 二人は取り合えず一緒に帰って行った。
※ ※ ※
 次の日。
 今日もいつものような日常が始まった。
 拓人は小鳥遊と朝の挨拶を交わし、京は寝不足の目を擦って席に座り、懐は遅刻ギリギリ滑り込みを目論み激チャリをかます。

36 :
 ただしそれは一年二年の話である。
 三年のとある教室では大騒ぎになっていたのだ。なぜならば、その日から新しくクラスに編入する男子生徒があまりにも特異な存在だったから。
 担任教師が事情を説明し、遂にその騒動の元が口を開こうとする。その時、クラスは更にざわめく。主に女子生徒が。
「コラコラ。静にしろ。自己紹介させない気か?」
 担任教師が言う。が、ただのオッサンの声など馬耳東風とばかりに虚しく空気を揺らすだけ。
 皆の視線は既に編入してくる男子生徒に一点集中。主に女子生徒が。
 その男は大男ひしめく仁科に於いてもトップクラスの長身。
 細身でありながらガッシリした印象もあり、さらに彫りの深い慈愛に満ちた目。馬の鬣の様にサラリとしたうっすら茶色のセミロングヘア。ワイルドでありながら品性すら漂わせる渋く整えられた顎髭
 それは破壊力抜群のフェロモン満点の低い声で、自己紹介した。
「今日からお世話になる、空知亮太です。皆さん、よろしく」
 同時に黄色い声が一斉に湧き出る。男子生徒はそれを見て諦めの表情をする者が大半。敵わない。相手が悪すぎる。そんな感じだった。
「さっきも言ったが、二年間休学して今日から復学だ。みんなとは二つ以上も歳が違うが、仲良くな」
 担任教師の空気を揺らすだけの声がもう一度響く。
 その横にいた完璧超人の如きイケメン野郎は自分の席を指定され、バッグ片手にその席へ。
 一歩あるく事に雄の空気を漂わせる。しかしながら粗暴な感じは一切無かった。大人である。完璧に。
 誰かが言った。
「なんて奴が現れたんだ……」
 亮太は指定された席に座り、バッグから教科書等を取り出す。殆どは自習してしまったが、改めて勉強するのも悪くないと思っていた。
 横の席になった女子生徒がよろしくと言った。亮太はそれに必のスマイルで応える。一人落ちた。
 亮太は教室を見回し、やもりに言われていた事を思い出す。
『あなたの居ない二年間で、面白い事になってるわよ』
「面白い事……か。何だろう?」
 亮太はもう一つの事も思い出す。そして、それを横の席の女子生徒に聞いてみる。

37 :
「このクラスに迫って人が居るらしいんだけど、それって誰かな?」
「あ、それなら前の方に座ってる眼鏡をかけたあの人……」
「あの人だね?」
 亮太は隣の席の女子生徒の視線の先を指差す。少し接近し、まるで自分が物を尋ねられたような雰囲気すら漂わす。ナチュラルにそれをやり遂げる男だった。本人にその意識が無いのが憎らしい。
「……あの人がやもり先生が言ってた人か」
「なんで迫さんにご興味があるのですか?」
「ん〜。ちょっとやもり先生に吹き込まれてね。あ、そうそう。黒鉄懐っていう金髪の子が居るとも聞いたんだけど?」
「え? ああ、はい。二年生だけど……。でもあんなの亮太さんがお近づきになる必要は……」
「まぁまぁ。いろいろと面白いとは聞いてるからね。あの迫って人は詳しいらしいね」
「そうみたいですけど……。なんで詳しいんだろう?」
「じゃあ直接聞いてみるよ。後で君にも教えてあげるよ」
「は、はい。楽しみにしてますぅ」
 しばらくの後、懐と亮太は出会う。そしてその時、奴らの運命は大きくうねりを持って動き出すのだ。
※ ※ ※
「セーフか!?」
「アウトだ!」
 遅刻した懐は担任に一喝される。ホームルームの真っ最中に登場してセーフもクソも無いのだが、取り合えず言ってみるのが懐。
 当たり前とばかりに自分の席に着いて一瞬で最初から居ましたよオーラを出す辺りはさすが遅刻常習犯である。
「さーて、寝るか」
「聞こえてるぞバカ者!」
「ちッ……」
 これもいつもの事。実際はあんまり居眠りをしない方だったが、やりかねないとは常々思われている。
 それでも何と無くオッケーな感じを醸し出すのも恐るべき特殊技能だった。今日ばかりはそれを利用しようとしていたが、朝っぱらから失敗してしまった。
 懐は珍しくぼーっとしていた。
 最近の事を思うとやる気が出なくなっていたのだ。バンド解散からしばらく経って、メンバー一人は戻ったものの他のポストは開いたまま。
 トオルと懐に付いて行ける技量を持った人材などやはりそうそう居るものでは無かったのだ。

38 :
 さらには演劇を終えた迫達演劇部の動向も気になっていた。
 あれほどしつこい勧誘をしていた連中が簡単に諦めるとは思えなかった。葱とあかねはまだ凌げるが、問題はキレ者の迫先輩。
 いざとなったら強行策すら行いそうな雰囲気はある意味恐ろしい。
「どーすりゃいいモンかねぇ〜」
 机に顎を乗せたまま呟いた。
 もうすぐその悩みが両方とも解決する事になるとは、この時懐はまだ知らなかった。
※ ※ ※
「なるほど、そういう事か」
「まぁそんな所だね。是が非でも欲しい人材なんだよ」
 昼休み。早速迫と亮太は話し合っていた。
 そして、やもりが言っていた『面白い事』の正体も知る。
「でも……。その懐って子はそっちに興味はないんだろう?」
「まあね……。洗脳すら試みたけど、意思が強すぎるのか失敗したよ」
「ははは。よっぽど凄いんだね」
「そんな所だよ。正直羨ましい程だ」
 迫が懐にこだわり続けた理由。それを聞いた亮太は少し興奮した。
 もし噂通りなら、もしこの迫という男の言った事が真実ならば、それは亮太にとっては非常に楽しい事になるかもしれないのだ。
「どこに行けば会えるかな?」
「どこにでも居るさ。そのうちイヤでも目に付くようになる」
「少し話をしてみたいね。その、懐って子と」
「こっちもだよ。……正直、俺も勧誘は諦めてる。その前に部員の葱とあかねに証明しなとな。アイツがどんな能力を持っているか。
 じゃないと催眠術を修めてまで追わせたアイツらが納得しないだろうし」
「俺も興味があるね。是非一緒に見たい」
「そりゃ構わんが。……でもかなりハデな方法で接近しないとムリだ。俺達じゃ取り付く島もない」
 迫はうーんと悩みはじめる。
 あれだけ神出鬼没の懐なのだが、ここ最近はとんと見ていないのだ。
 最後に見たのは学内発表の演芸を客席で見ている姿だけ。明らかに避けられてる。というより会いたくないと公言されているくらいなのだ。
「よし、こうなりゃ最後の手段だ。コレだけはやりたくなかったが……」

39 :
ライオン五話7
「どうするんだい?」
「……仁科最強の連中さ」
 迫は携帯を取り出す。アドレス帳からある人物を選ぶ。
 そこでまた一旦悩む。もしこの男達を動員すれば最後、本格的に嫌われかねない恐れがあるのだ。それほどの最終手段だった。
「……どうしたんだ?」
「いや……。なんでもない。よし、そっちはそっちで自由にやってくれ。こっちの準備が出来たら呼ぶ。
 その時にどれほどの物か、確かめるといい」
「そうしよう」
「ところで……」
「何だい?」
「なぜアイツに興味が?」
「……俺もギタリストだ。それなりの活動もしてたんけど、色々あってさ」
「色々?」
「そう。色々とね」
「……何か訳アリっぽいが、聞かないほうがいいか?」
「出来ればね。長くなるし、俺自身、決着が付いていない。まぁ、いつか話すよ」
「そうか……」
 迫は再び携帯へと目を落とし、一呼吸置いて通話ボタンを押した。
 もう戻れない。どうせ現状嫌われてるのだ。これ以上恐れて何になろう。そう自らを言い聞かせた。
 そして電話が繋がる。
「もしもし? 俺だ。……ああ。やる事にした。
 安心しろ。部長には黙っててやる。報酬は……。くっ、足元見やがって
 ああ、分かった分かった。お前等が大変なのはよく知ってる。じゃあ日にちが決まったらまた連絡する。その時段取りしよう。
 ……そうだ。勢い余ってしたりするなよ。じゃあ切るぞ。またな、アゲル――」
続く――

40 :
投下終了。
以下新キャラ
空知亮太。三年。ギタリストらしい。
事情により二年間休学して復帰。教員達には事情を知ってる人も居るらしい。
身長二メートル超のクソイケメン野郎。どうにもならない。
彼は懐達が持っていない極めて重要な物を持っている。
それがどんな物で、ギタリストとしてはどうなのかという事もその内明らかになるであろう。
頭のてっぺんから爪先まで大人の男である。

41 :
第六話:【暗躍しちゃいます】
「と、いう訳だ」
「無い無い。よりによってアイツの場合は絶対無い」
「そうッスよ。むしろコッチ側の人間じゃないスか」
 学園内某所。
 秘密の場所で悪しき相談をする者が約三名。
 彼らこそこの仁科学園にてカップルの心胆を寒からしめる恐怖の噂、この時代に反発するかのようなリーゼントにモヒカン、そして坊主頭の三人組。
 あのカップル撲滅運動の三人だ。
「アイツがそうだとは考えられないだろ。むしろ最近はととろと一緒に行動している事がある。そっちのほうが問題だ」
 モヒカンが語る。坊主頭もそれに続く。
「そうッスよ。あれほどのプロレス野郎が護衛に就いたらいざって時の実力行使もやりづらいッス。見事に抑止力になってるッス」
 それを聞いていたリーゼントは軽く首を振りため息をこぼす。そして自らの考えを述べる。
「……確かにアイツにそんな噂は今まで無かった。だが今回は割と身近で見ていた俺が確認したのだ。観察眼だけはあるつもりだ。
 アイツ自身がバカ過ぎて自分で気付いていないのが何とも滑稽だが、その気になる前にツブさなければ」
「そもそもそこがおかしい。カップルなら問題ないが、今は一人なんだ。そもそもターゲットとなりえない」
「それにほっとけば忘れるんじゃないッスか? あの人なら」
「解っていないな。アイツが本気になったら、おそらく止められんぞ。何事も一直線な奴なんだ。それ以外の事は逆な奴なんだが……。
 そうなれば完全にととろ側に寝返る可能性はある」
 リーゼントの大男は危機感を煽る。が、それは見透かされている。
 モヒカンはそれを言う。
「素直じゃない奴だ」
「なんだと?」
「素直に友達を狙うような事態が恐ろしいと言えばいいだろう?
 そのくせ、アイツには自分の事を気づいて欲しい。友達だからな」
「……。フン」
「とにかく今は俺達が手を下すべき時じゃない。まずは奴が何も気付かない事を祈る。次にもし気付いて行動に起こしたら失敗するよう期待する。
 もしダメなら……やるしかない」

42 :
 リーゼントの大男は明らかに不満気な表情を浮かべた。
 珍しく自分でもどう行動すべきか解らずにいたのだ。そして、モヒカン男はそれをよく理解していた。
「結論は以上だ。俺達が自分達のルールを曲げる訳にはいかない。そこは理解しているだろう?」
「……ああ」
「ならいいんだ。もっとも……」
「なんだ?」
「撲滅運動としてでは無く個人で勝手に何かやるなら俺達には何の関係もない事だ」
「……」
「どうせ一人で行くべきかどうかの相談したかっただけだろう? 俺達の知らない所で何をしようが、関係ないさ」
「すまんな」
「別にいいさ。ああ、要注意リストには載せておくから安心しろ。」
 三人は立ち上がる。相談は終わりだ。
 そして最後に、本日の議題についての感想を述べはじめた。
「しかし信じられないッス!」
「全くだ」
「そんな人には見えないんスけどねぇ」
「油断大敵だな。俺はまだ懐疑的だが……」
「ホントッスね。自分で気付いてないって所があの人らしいッスけど……」
 相談事態はつまらない物だったが、議題そのものはかなり驚きだったようだ。
 二人は口を揃え全く同じ事を言った。
「まさかあの懐が女に惚れるとは!」
※ ※ ※
「ぶぁ〜っくしょ!!」
「うわぁあ! き……きたな……」
「スマン。風邪でも引いたか……?」
 人が噂をすれば何とやら。
 この天の素晴らしいシステムを余すところなく利用している懐は鼻水と唾液を派手に撒き散らす。
 懐にとっては定期的に出る謎のくしゃみだった。
「さて……。そっちはなんか進展あった?」
「う……。何も……。やっぱり……その……。うまくメタルの偏見解く所で躓いて……」
「そっちもか……。どうせ『ヘビメタ? あのギャーとか言う奴?』とか言われたんだろ?
 そんな奴こっちから願い下げだ」
「あの……そっちは……?」
「こっちも同じだ。メタルやる奴はポツポツ居るけど……。どいつもこいつも下手くそばっか。
 いくら速くても音が汚けりゃ意味が無いっつーの」
 メンバー捜しはやはり難航していた。
 横たわるメタルへの偏見。それを乗り越えたとてまともなプレイが出来無ければメンバーに加えようもない。

43 :
 そもそも現代ではハードロックシーン自体が大人しい。
 そのうえ懐達が求める『鋼鉄の音』を体現するほどの連中となると希少動物のような物だった。
 当然、流行りものに弱い高校生となれば希少価値はさらに上昇する。
「どうしよっかなぁ……」
「う……。あの……。もう一度昔の仲間に当たってみます……。
 クラシック上がりなら……その……腕前は問題ないかと……」
「そうか……。じゃあ頼む。俺は……。あああぁ〜〜」
 懐には既に心当たりが無かった。
 上手い連中も知っているがそういう奴はたいがいにして別のバンドに居たりする。しかも他ジャンルだ。
 引き抜きはトラブルの元となるので避けたかった。
「帰る!」
「……えっ?」
「考えてもしょーがねー! こういう時は帰って寝るに限る! さようなら」「え……? ちょ……。……行っちゃった」
 懐はすたすたと帰路へ。残ったトオルも仕方なく帰宅。二人が居たベンチは一瞬で静まり返る。通る生徒もまばらだった。
「……」
「……見た?」
「ああ。あれが懐君ね」
「君なんていらないよー。バカでいいよバカで……」
「そういう訳にはいかないよ……」
 ひそひそ声。遥か彼方よりその声を発した者は、駐輪場から自転車を持ち出す懐とてくてく歩くトオルを凝視している。
「……あの歩いてるのがトオル君だよ。なんでもオリジナル曲を創っちゃうんだって!」
「それは凄いね。にしてもこのオペラグラスも凄いね……」
「そりゃそうですよ。もはや魔器と呼べる性能でしょ、亮太さん」
「ああ。たまげたよ」
 ととろと亮太はじとーっと懐を観察していた。
 直接会おうと思って懐を捜していた亮太は、最近はととろと一緒によからぬ遊びに興じているという情報を元に捜索を開始した。
 ととろの目立つ風貌は特徴さえ押さえればすぐ分かる。常に移動している懐より簡単に発見してしまったのだ。懐に会いたいから取り次いでくれないかとの要望に、ととろは意外な提案をする。
「なら観察してみない?」
 そして、さながらスパイの如き覗き行為をする羽目になっていた。
「見た目はホントに目立つね。いや、目立とうとしてるのかな?」
「バカだからねー」
「しかしメンバー捜しをしているってのも本当のようだね」
「うまく行ってないって常に愚痴ってるよ。聞く方の身にもなれと小一時間問い詰めたいよ」
「はは。まぁそれだけ本気なんだろうね」

44 :
 亮太はパチンとオペラグラスを閉じる。距離が離れ過ぎた為に観察が不可能になったからだ。
「十分見せてもらったよ。確かに面白い子だ」
「もういいの?」
「ああ。後は直接会ってみるさ」
「じゃあ呼び出そうか?」
「いや、いいよ。自分で会いにいくよ。変な事に巻き込んで悪かったね」
「誘ったの私なんだけど」
「そうだっけ?」
 オペラグラスを返却し、亮太も帰路につく。
 見たい物は十分見れた。次は人となりを理解し、実力を確かめるだけ。
 その結果次第では亮太自身の問題に決着が付くかもれないのだ。
 ただ、自分の夢を信じれるかどうかという問題が――
※ ※ ※
 同時刻。
 学食は放課後をゆっくり過ごす生徒達が何人か。それぞれが自分の時間を好きなように過ごしていた。
 窓の外では太陽がまだ地面を照らしている。窓ガラスを貫いて少しセミの声も聞こえてきた。
 きっと外はうだるような暑さだろう。
 学食ではエアコンがよく効いていた。この中では降り注ぐ太陽光線も纏わり付く夏の湿気も関係無い。
 おかげで真夏でありながら優雅にホットのカフェオレを楽しめた。
 牧村拓人はいつものようにお気に入りの場所でのんびり放課後を過ごしていた。先日はちょっとした騒動があったが、本来ならばのんびりゆっくり過ごしたいのが本心だ。
 たとえちょっと楽しい事があったとてこの思いは変わらない。
 が、残念ながら既に騒動に知らずの内に巻き込まれてる。先日の放課後からずっとだ。
「……。居た」
「びくっ!」
「驚き過ぎじゃない拓ちゃん?」
「みみみみみ京先輩!?」
「どーしたの? そんなバケモノでも見たみたいに?」
「い……いいえなんでも……」
 正直たまにバケモノに見えているのは内緒だった。
「それがさぁ、こないだはあんな事になっちゃったから見せず終いだったんだけどぉ? 拓ちゃん用の新コス?」
「ぼ……僕用ですか」
 僕は逃れられないのか!? そんな事を考えた。
 前は上手く混乱に乗じて脱出したものの、今日も都合よくそうなるとは考えられない。

45 :
 先日はまさかの乱入者が場をひっちゃかめっちゃかにしていった。
 そのおかげと言っては何だが難を逃れたのだ。
 ああ、今日もまた再び現れないものか。そんな事を思い、あの時の珍事を振り返る。
 そうだ、部室に連れ込まれ、危うく服を脱がされそうになった時、あの人が現れた。そして髪を引っ張られ蹴りを見舞われ追い出され、そしてその後……。
「……はッ!」
 拓人はある事を思い出した。ある意味、かなりの機密事項だ。
 思わず京を見る。どうかしたのかと言いたげな京をよそに、思わず要らぬ事を考える。懐の毒が回っていた結果だ。
 京には最初、拓人に何が起きているのか解らなかった。
 ただ、最初に驚いた顔をし、次に嫌そうな顔をし、トドメに妙な表情となったのを確かに見た。
 妙な表情である。
 そして京は瞬時に悟る。
「……まさか……!! 何を言われた!?」
「ななな……何の事ですか!?」
「懐は……あのバカは何を言った!? 何を聞いた!?」
「何も聞いてませんッ!! が何色かなんてしりませ……しまった!!」
「やっぱりかぁ!!」
 思わず口を滑らせた拓人によってあの後どんなやり取りが行われたのかを連想してしまう。
 京は拓人をチラっと見る。妙な表情は消え、いつもの可愛い顔へと戻っていた。だが、さっきの表情は忘れない。
 ああ、拓ちゃん、やはりアナタも男の子だったのね。
 今度はいても立っても居られず、どうしていいか解らない。
 また拓人をチラ見する。なぜか顔が真っ赤になる。
「……ゴメン、また今度!」
 そう言って走り出した。何故か死ぬほど恥ずかしかったのだ。
 次に湧いた感情は怒り。無論、懐に対して。奴の無駄に鋭い表現力で一体どんな伝え方をされたのか。そればかり気になる。
 とはいえ、髪を引きずって床へ倒したのは自分である。自責の念もあったのだ。正直やりすぎたと思っていた程だった。
 その結果、恥ずかしい情報が流出してしまった。
「ああもうッッ!」
 京はこの時、やり場の無い怒りという言葉の意味をしみじみ理解した。

46 :
 京は突っ走る。
 今日はどこ行く訳でも無い。今は部室に篭っても仕事が手に付かないかもと思っていた。それほど動揺していた。
 たどり着いた場所は学内のうらぶれたベンチが置かれた場所。学食から出て少し走った所。学園の隅だった。
「……あのバカ! なんで懐と関わると珍事件ばかり起こるのよ!?」
 少々派手に独り言を言ってみる。周りには誰も居ない。聞かれるはずは無かった。が、世の中、油断大敵とはよく言った物。
「何を言っているんだお前は?」
「!!?」
 誰かが言った。
 それは出来れば係わり合いになりたくない声。いわゆる不良が発した声だった。
 背後に居たのは真っ赤なリーゼントを頂く、制服では無いはずのドカンを履いた大男。八十年代を地で行く強者である。大型台はその厳つい顔の眉間にシワを寄せつつ少し驚いた表情でそこに立っていた。
「ここで何している?」
「え? え? いや、その……」
 言葉に詰まる。
 台も要らぬ事は言えないと思っていた。その場所は三馬鹿の秘密の会議場の一つだったのだ。
「懐がどうとか言っていたが……?」
「え? 聞いてた……んですか?」
「あれだけデカイ声で言えばイヤでも聞こえるだろう」
 台はベンチに座った。ワイシャツの胸ポケットからタバコを取り出し、慣れた様子で吹かし始めた。銘柄はセブンスターだった。
「学校……ですよ?」
「だからなんだ。どうせ誰も来ない」
「そういう問題じゃ……」
「分かってる。分かって吸っている」
 タバコを指で弾いて灰を落とす。
 持っていた缶コーヒーを一口啜り、タバコの風味と混ぜた。おかげでコーヒー本来の香りは失せたが、代わりになんとも言えない特有の味になった。
「……懐の前では一服も出来やしない。よっぽどタバコが嫌いなのか本気で怒りやがる」
「懐の事知ってるんですか?」
「色々とな。いくらか世話になった事もある」
「そうなんですか」
「お前と同じで、アイツの事で問題も抱えてる」
「問題?」
 ここでも何かやらかしているのかと京は思ったろう。
 台は天を見上げてため息混じりに紫煙を吐き出した。よほど苦悩しているらしい。

47 :
「まったく……。どう育てばあんな性格になるんだか。本当に面倒な奴だ」
「同感です」
「周りが見えないだけならまだしも、自分の事すら見えていない。そのくせ、自分が信じる物には異常なほどの執着を見せる」
「その通りです」
「お互い苦労しているな」
「そのようですね」
 台とまともに話したのは今回が始めてだった。意外と話せそうな人だな。そんな印象を京は受けた。
 身に着ける八十年代ヤンキーファッションも見過ごせなかった。
「何があったんですか?」
「それは……ちょっと言えないな。個人的な事だと言っておこう」
「そうですか」
「そっちは?」
「それは……。……。い、言えませんッ! すごく個人的な事ですッ!」
「? まぁいいさ。これでおあいこだ」
 なぜか恥ずかしそうにしながら少し怒っている京を見て、あのバカは何をしたのかと台は考えた。懐の行動範囲は広い。情報源としては優秀だが、懐そのものの情報は少なかった。捕らえ切れていないのだ。
 台は京をそれと悟られぬよう観察する。
 ここで会ったのは偶然だが、近々姿を現す予定だった。一度じっくり観察せねばと思っていたのだ。
 要注意リストに載ったのは今日だったが、台個人としてはかなり前から警戒していた。
 あの日、イベントホールで話し合っている二人を偶然目撃して以来――
「……なるほどね」
 台は言った。京には聞かれて居ない。
 タバコを踏み締める。缶コーヒーの残りを飲み干す。そして、立ち上がる。
「俺は行くぞ。あまりここには長居しないほうがいい」
「え? あ、はい。そうします」
「では、あのバカによろしく言っておいてくれ」
「それは拒否しますッ!」
 きっぱり拒否られたが、台には何と無く解る。鍛え抜かれた目はごまかせない。
 この先どうなるかはまだわからない。よくある事態だ。どう転ぶかは、もう少し様子をみなければなるまい。
 だが、しかとその目で確認した。
「……なるほどね。懐――」
 台は独り言を呟いた。この先どうなるか、それはすべて懐次第――
続く――

48 :
以上代行終了

49 :

第七話:【眠れる獅子】
 今日も朝から気温が高い。湿度が高い為か不快指数も高かった。
 纏わり付く外気はやる気と体力を奪って行く。降り注ぐ太陽光線は地面で照り返され、上と下から身体を熱し水分を奪って行く。
 真夏である。とにかく暑い日が続いていた。
 エアコンが効いた室内でもいつもより暑かった。エコだか何だか知らないが少し設定温度が高めにされていた。
 それだけなら問題無かったが、行う授業次第では大問題である。
「……。先生。暑いです」
「ガマンなさい。私だって暑いんだから……」
 そんな会話がなされた。
 その場所ではそこかしこに熱源が配置され、人口密集の効果と合間って室温をさらに上げていた。
「……みんな、火の扱いは慎重にね。包丁も気をつけて使ってよ」
「その言葉は先生にお返しします……」
 そんな会話がなされた。
 調理実習を行う家庭科室では、生徒達が自分達の昼食を授業で作らされていた。課題は御飯モノ。要するに炒飯やらピラフやらの類である。それさえ押さえれば後は自由という内容だった。
 その授業を担当する教師の性格が反映されていた。
 それぞれが勝手気ままに作業し、中には料理と呼べない何かすら作っている有様である。
 その授業を担当する白壁やもりはその手つきで生徒達をハラハラさせつつ、さすが家庭科担当と言えるジャンバラヤを作ってみせた。
 そして、生徒達の出来栄えを観察する。一応教師である。しっかり査定し単位付けをしなければならないのだ。
 訳の解らぬ黒焦げの物体を創作した生徒の横では見事に黄金に輝く炒飯が居た。可哀相だから黒焦げの君には後でジャンバラヤをあげよう。やもりはそう思った。
 さらに室内を見渡す。
 そして、やたらと気合いを込めてフライパンを振る生徒を発見。食い意地が形を持って現れたと思われる。
 その生徒は持参したと思われるミックスベジタブルとケチャップで作ったソースを必死に掻き回している。恐らくチキンライスを作る気だろう。
 これまた持参したと思われる鶏モモ肉百グラム九十八円のパックが破かれ、中身は一口大にカットされ、既に一度火を通され次の投入を待っていた。

50 :
「ずいぶん大量に作るのね……」
「だって食べ盛りだもん」
 そんな会話がなされた。
 懐はやたらと気合いを入れ、真顔でフライパンと格闘していた。やもりが見守る中、いい具合に煮詰まったソースに鶏肉と御飯をブチ込みへらで混ぜて行く。その量は懐が大食漢だと如実に物語っていた。
「無駄に器用ね……」
「欲望に忠実なもんで」
「他の授業もそのくらい真面目に受ければいいのに」
「俺はいつだって大マジメだよ」
 ソースが絡まったチキンライスを皿に盛り形を整える。どうやらこれで終わりでは無いらしい。
 次にボウルに卵を次々と割って行く。それを軽く掻き交ぜ、先ほどのフライパンにバターとサラダ油を少し足す。
「バンドのほうは順調?」
「ぜんぜん」
「あなた頑張ってたのにねぇ」
「見たこと無いでしょ」
「練習してる所はあるけど?」
「見せた覚えは……」
 バターが溶ける。同時に溶き卵が注ぎ込まれる。
 懐はそれを親の敵のように掻き交ぜ、半熟のオムレツを作る。どうやらオムライスを作る気らしい。
 手際は単位を取るには十分だとやもりに査定される。
「あなた音楽室使う前は外で発声練習してたでしょ?」
「その時見たのかよ」
「たまに見かけたわ。他にも見た人居るかもね」
 完成したオムレツがチキンライスの上へ。
 そしてゆっくり包丁が入れられ、半熟卵が左右へ華開く。
「おお……。美しい……」
「……ホント無駄に器用ね。もっと他に活かせないかしら……」
「暗に馬鹿にしてないかそれ?」
「そうかしら? あ、そうそう、三年生の編入生の事、知ってる?」
「俺の情報網を舐めるなよ。噂だけなら一気に入ってきた。……恐るべき野郎だと聞いている」
「なんだ。まだ会ってないんだ」
 懐はケチャップをたっぷりとオムライスにかけ、満足そうにスプーンを入れた。その完成度はやたらと高い。まさに食い意地が服着て歩いている男だ。
 ものすごく幸せそうにそれを貪る懐。後片付けなどすべて後回しだ。
「噂だけ聞いたの?」
「そうだけど?」
「じゃ、あの子がどんな子かも噂で聞いた?」
「何の事?」

51 :
「なんだ知らないの? アナタの情報網もたいした事無いわね」
「なんだよ。自分だけ訳知り顔しやがって」
「だって訳知りなんだもの」
 やもりはそう言って懐の元を離れる。生徒は多い。一人にだけ構ってはいられないのだ。とりあえず単位は十分だった。
 懐もなんだか訳が解らなかったが、とりあえず目の前のオムライスの方が重要だった。
 がつがつオムライスを貪る懐。
 あの亮太の正体を知ったら、懐はどういう反応を見せるのだろうか。やもりの興味はそこにあった。そして、その結果生み出されるそれの威力はどんな物か。他人事ではあるが、非常に興味があったのだ。
 偶然目撃して以来、懐の能力が一体どういう物かやもりは少し知っている。そしてその後、どういう経路を辿って来たかも実は知っている。
 彼に何が足りないかよく知っているのだ。そして、その足りない物を亮太が持っている事も知っている。
「あ、そうだ。黒焦げ君にジャンバラヤあげなきゃ……」
 やもりはそう言った。
※ ※ ※
「えええええぇぇぇえええ!!!」
「諦めるんですか……?」
「そうだ。色々と面目ないが……」
 迫は葱とあかねに深々謝罪する。勧誘作戦の突然の中止は結構な衝撃だった。
 一大イベントも終わり、さぁこれからが本番だと思っていた矢先の出来事だった。
「せっかく催眠術を身につけてまで頑張ったのに!」
「身についてないだろう。失敗してるんだから……」
「あそこまで執着してたのに、なんでいきなり諦めるんですか?」
「まぁ、いろいろとな。西郷の件の時に思ったんだ。やりたい事をやらせたほうがいいってな。むりやり引き込んで何になろう。
 そう思ったら、ほっといてやろうと思っただけだ」
「やりたい事って……。そもそも懐さん何出来るんですか?」
「そうですよ。結局私達は何も聞いてないですし……」
「ああ。近々見せてやる。今は捕獲作戦をある連中と練っている所だ」
「捕獲って動物じゃあるまいし……」
「俺達じゃ逃げられるだろ?」
「そうですけど……」

52 :
「捕まえてどうするんですか?」
「楽しみにしてればいい。勉強になるぞ」
「なんか胡散臭いなぁ〜」
「そう言うなって」
 ブー垂れる葱を宥める迫。彼もまた、偶然に懐の能力を目の当たりにした一人である。
※ ※ ※
 夜。通学路近辺。
 近所のコンビニがぼんやり光っていた。夜は静かな町である。
 日が落ちて時間がたった為か気温はいくらか下がっていた。だが、アスファルトに篭った熱はいまだ解放しきれず。それのおかげで熱帯夜となりそうな雰囲気だった。
 懐はコンビニで冷たい缶コーヒーを買った。
 少しでも熱を冷ます為にと思ったが、今日ばかりはコーラのほうがよかったと少し思う。暑かった。
 学校から自宅までは割と距離がある。すぐに帰るタイプでも無いので、放課後は外でたっぷり時間を潰してから帰宅するのが常だった。その度にいつも同じコンビニに寄るのがお決まりの行動パターンである。
「暑い……。なんでこんなに暑いのよ」
 駐車場に座り込んでずるずる缶を啜る。さっさと帰れば自室でエアコンが待っているが、出歩くのが習慣になっているせいかそこまで頭が回らない。
 あまりに暑いので髪をお団子に纏めてシャープペンシルを突き刺しておいた。
 喉がさらされいくらかマシにはなったが、それでも暑い事には変わらない。
 これまたコンビニで買ったフライドチキンをかじる。
 これもお決まりのパターンだ。やたらと脂ぎったフライドチキンはかじる度に肉汁を滴らせる。おかげで手が脂だらけ。
「だがそれがいい」
 そう言ったかは定かではない。
 そして、そのお決まりの行動パターンはすぐに見破られるというのが世の常である。
 その時刻、そこで懐を待っている男が一人居たのだ。
 コンビニから少し離れた所で監視していた男は、懐が買い物をして出て来る姿を確認してその姿を現す。それは懐もよく知る人物だった。
「やはりここに来たか」
「あへ……?」
「……なんだその間抜け面は……」
「お前何してんの?」
「色々とな」

53 :
 大型台が暗闇からその姿を現す。まさかここで出会うとは懐も思っていなかった。学校内ならともかく、そのコンビニ近辺は完全に懐のプライベートな行動範囲内だったのだ。
「好き勝手動きやがって。探すのも一苦労だ」
「世の中には携帯電話という便利な物があってだな……」
「突然現れる事に意味があるんだ」
 少し歩こう。台はそう言った。
 断る理由も無いので、自転車を引いて取り合えずそれに従いついていく。手に持った袋ががさっと音を立てた。
 台は買い込んだ缶コーヒーを一つねだる。濃く入れたエスプレッソをやたらと甘くした物だった。
「……お前、こんなのよく飲めるな」
「甘党なんですのよ」
「気持ち悪い言い方をするな」
「何言ってんだ今更」
 コンビニから離れ、街灯だけがぼんやり地面を照らしている道端を歩いていた。
 坂の上だった。
 道路の脇からは創発市が見渡せる。明るければ仁科の巨大な校舎が見えるかも知れない。
 そこはなんて事ない、何も無い丘の上へと続く道だった。
 台はタバコを取り出す。使い込んだジッポーがカチンと小気味よい音を立て、フリントが火花を散らすと炎が風に揺られながら現れる。
 当然、横に居たタバコ嫌いの懐は口を挟む。
「おいおいおいおい! 俺の前でタバコ吸うんじゃねー! ノドに悪いだろ!
 ああ、副流煙が俺の細胞をして行く! 脳細胞が減って行く!」
「そんな大袈裟な……。脳細胞に関しては元々スカスカだろうが」
「とにかく消せ! この未成年が!」
「はいはい。分かった分かった」
 台は火を付けたばかりのタバコを投げ捨てた。暗闇の中で地面に当たったそれは花火のように光を発して砕けて行く。
 懐はそれを踏んずけて消火する。
 台は大きくため息をついた。これから行う事が、果たして正しいのか。それが自分でもよく解っていなかったから。
 二人は、丘の上までやって来た。
「ああ腹へった」
「……さっき食ったろ」
「あれじゃおやつにもならん」
「お前の胃袋はどうなってんだ? ……ああ、脂ぎった手で触るな!」

54 :
 丘の上は何も無かった。
 本当に何も無い、ただの草が生い茂った地面だけがそこに在った。見上げれば、星々が輝いていた。それを邪魔する物は何も無かった。
 セミの声がずっと遠くから聞こえてきた。木すら生えていない、静かな場所だった。
「暑いねぇ」
「全くだ」
「で、なんでここ来た訳?」
「まぁ……色々とな」
「なんだよ〜。どうせよからぬ相談だろうが。言っとくが最新のカップル情報は無いぞ」
「こっちにはある」
「へぇ」
 懐は二本目の缶コーヒーを開ける。
「腹壊すぞ」
「そんな貧弱な内蔵じゃない」
「そうだったな。風邪引いても気付かないようなバカだったのを忘れていた」
「喧嘩売ってんのかよ。ひでぇ事いいやがって」
 そう言いつつ、さらに買い込んだアンパンをかじる。空腹は止められない。
 そして、口を動かしながら考えるのは一つである。というより、他人と話していてもそれしか考えていない。
 おかげで他人からは考え無しで行動するバカだと思われているが、実際はそうではない事を台は知っている。
 なんて哀れな男だ。そして、アイツも哀れだ。台はそう思った。
 本来ならば信条を捩曲げるかも知れない行動を、今自分はしようとしている。そう思ったら、自分の事すら哀れに思えた。
「おい」
「な〜に?」
「お前、今何考えてる?」
「俺が?」
「そうだ」
「……。う〜ん。答えられない」
「答えられない?」
「うん。だってさ、考え事が多すぎる」
「バカがいっちょ前にほざきやがる」
「お前もたいがいだけどな」
「自覚はしているさ」
 哀れなり、黒鉄懐。お前は自分の気持ちすらかなぐり捨てて居るのか。
 それほどまでに、お前が信じる音楽は偉大だと言うのか。
 ならば、目を開かせてやる必要がある。バカなりの方法で。
「やれやれ。面倒な男だ」
「さっきからひどい事ばっかり言って、ボク傷つくよ? いいの?」
「気持ち悪い言い方をするな」
 台は再びタバコをくわえる。今度は肺の奥まで煙を吸い込み、丘の上の空気へと吐き出して行く。

55 :
「おい、タバコは……」
「堅い事言ってんじゃねぇ」
 懐の言葉は遮られた。それは先ほどとは少し雰囲気が違う言い方であった。続けざまに、同じ口調で台は言った。
「おい。お前は他人の事を考えた事はあるか?」
「なんだいきなり?」
「答えろバカが」
「なんだよ……。お節介ならたまに焼くけど……」
「そういう意味じゃねぇ」
「何なんだお前さっきから?」
「お前は本当に面倒な奴だ。散々他人を掻き乱して、そのうえ自分の事すらどこ吹く風といった様子だ。
 はっきり言えば、救いようのないバカだ」
「何なんだよ。喧嘩でも売ってんのか?」
「鈍い野郎だな本当に。今更気付いたか」
「……はぁ? なんだって?」
「目ぇ開かせてやるよ」
「おい」
「なんだ?」
「俺の前でタバコ吸うんじゃねぇよ」
「聞こえんな」
 台は持っていたタバコを懐に投げ付ける。胸に当たり、落下しながら火種が宙を舞って行く。
 当然ながら、懐もキナ臭い雰囲気になる。
「露骨なマネしやがって。そこまで気は長くねぇぞ」
「相変わらず口だけは達者だな。たまには行動で示してみろよバカ野郎が」
「てめぇ」
 持っていた缶を投げ捨てる。あんパンすら地面へ落とした。
 髪を留めていたシャープペンシルを引っこ抜く。重力に従ってばさっと金色の長い髪が下ろされた。前髪の奥に隠された目は、滅多に見せない雰囲気を持っていた。懐は、珍しく激怒していた。
「す」
「お前にゃ無理だ」
 バカには言葉よりもこっちの方が早い。そう思っていた。だから、台は行動に移したのだ。向こうは純粋な怒りをぶつけてくるだろう。だが、それは仕方の無い事である。
 全ては、コイツの凝り固まった頭をほぐしてやる為。そして台にはこんな方法しか思い付かなかった。
 そして彼らは、丘の上で戦うのだ。
続く――

56 :
>>49-55代理投下

57 :
静かすぎage

58 :
投下、そして代理投下乙だよ諸君!!
俺はまだまだ怠けるが、サボってきた感想などをひとつ。
>>31
……こわっ!
怪談で怖いのはやっぱり、人間のこう、黒い部分だよな。
残暑の厳しい今年の初秋にもぴったり。
“焼かれた人のポーズ”でかつてのトラウマが甦る。そう、あれは確か……
>>34
京と懐の会話のテンポよすぎるなwテンション上がったときが楽しい。
それからイケメンで、バンドメン! 嫌いじゃないわ!
>>47
ととろといい、台といい、いろいろ出てくるものだな。こういうところでも懐の行動範囲の広さが分かるというもの。
やりたい放題の仁科学ライオン! 嫌いじゃないわ!
>>55
やもり先生の授業風景きたこれ。
こういう生っぽい(?)会話の雰囲気もなかなか……
台は不器用だがいい男だともっぱらの噂。

59 :
悪いけど投下するわ。ほんとに悪いけど投下するわ。

60 :

「先輩! お昼にします? お風呂にします? それとも、わっ、わ・た、わ、たわし……?」
「恥ずかしがってどもっているフリで自分が混乱してどうする」
 さて。
 仁科学園は昼休みだが、俺の心はどうにも安らぎそうにない。
 チャイムから十数秒、いつもの後輩が影より密やかに俺の背後に出現していたからだ。……この世に暗者業
界なんてものがあるとして、もし後継者不足に悩んでいるんだったら、この女あたりを強くお薦めしたい。
 それでもそんな女の不意打ちのハグだかキスだかを躱せるあたり、俺も何だか何なんだろ……。
 教室から石もて逐われる前に中庭に自主避難した俺は、ベンチの端に腰掛けて午後の鋭気を養う。もうすぐ夏
休みという時期で、暑気がひどかった。まだしも涼しげな木陰に移動しようかとも思ったが、季節的にカレハガ
やマイマイガの毛虫がいないとも限らない。ドクガの幼虫には毛を飛ばす種類もおり、えんがちょである。
「先輩、私思うんですけど」
 後輩の思いつきはだいたい唐突だ。俺とは反対側のベンチの端で女の子サイズの弁当を啄ばみながら、退屈凌
ぎになるかならないか微妙な下らない話題を提供してくる。
 俺は行き掛けにパン屋で買っておいたリンゴのデニッシュをがぶりとやりながら、半ばうんざりとした視線で
続きを促してみた。
「もし先輩が留年したら、私と同級生になるじゃないですか」
「……」
 いきなりあんまりな仮定をしてくれましたよこの子は……。
「そしたら、先輩を“先輩”とお呼びし続けるのは、留年を冷やかしているようで、かえって失礼になるのでは
ないでしょうか。『おう、先輩。ジュース買ってこいよ』みたいな」
「そういういらんネタを入れるから、話題が支離滅裂になるんだと何度言えば」
 意味不明な局面だが、彼女なりに場の空気を読もうとしているとはいえるだろうかこれは。
 しかしその例文はどう考えてもおかしい。……とツッコんで欲しいのが見え見えなのでそこは華麗にスルーし
ておく。スルー。スルーだいじ。
「でも、だからって、“先崎くん”というのも何かチガウ……。妥当なところでは、やはりさん付けなんかいい
と思います。例えば」
 アホの後輩はそこで咳払いをひとつ。
「『ひゃは、俊輔さんを知らねぇとか、お前この街のモンじゃねぇな?』『あーあ俊輔さんを怒らせちまった。
死んだなあいつ』『さすが俊輔さんマジパネェ』」
「どこの噛ませですか俺は」
 街のならず者の威を借りて大いばりする頭悪めの舎弟みたいな荒んだ声色で、いかがわしい台詞を三連発。
 俺には分かる。後輩はたぶん、最後のを何となく言いたかっただけで女を捨てた。

61 :

「――さらにここで――」
「まだ続くのか……」
「――先輩がもう一年留年したとしたら――?」
 あれで終わりかと思ったが、後輩の舌と煩悩はまだまだ滑らか、動きすぎってほどによく動く。
 そこで得意げな顔をする意味はまったく分からんが。ダッシュ(“――”←コレ)まで使いやがって。賭けて
もいい、その勿体ぶった口調は、中身に対して過剰包装だ。
「もはやこの閑花ちゃんが先輩さまです。立場逆転です。頭いいです」
 うっとりと妄想に耽溺するだらしない表情は、とても頭がいいようには見えない。
「後学のために聞くが、もしそういうシチュエーションが実現したとして、その逆転した立場でどんな悪さをす
るつもりだ?」
「まずは襲います」
「襲っ!?」
「……間違えました。パワハラ、セクハラ、ヴァルハラ思うがままです!」
「お前は先輩さまを何だと思ってるんだ」
 ……ヴァルハラ……?
「まあ、とにかく、そういう下剋上なカンケイも倒錯的で燃えそうだよねってことです」
「はは。何の話か分からんな」
「分かってるくせに、もー。このムットゥリスケベさんめっ」
「とろみ付けんな」
 俺ムッツリスケベじゃないし。たぶん。
「そうそう、留年で思い出しましたが、あのオサレソフトクリームみたいな頭をしたドちんぴらも留年していた
んでしたね。恋人の神柚鈴絵先輩の心中はいかばかりか」
 すごい失礼な比喩だが、まあ普通に考えてリーゼントのことかなァと察しはついた。
「というか、え。あの二人って付き合ってるのか?」
「そりゃあもう、見ているこっちが恥ずかしくなるほどにラブラブですよ! 付け入る隙がないほどにね!」
「付け入りたいのお前は」
 何でか後輩がキレた。
 「先輩はドントアンダスタン乙女ゴコロです」だの、「不良とスポーツマンとバンドメンはキライだって私言
ったじゃないですか覚えてくれてなかったんですか」だの、「ソフトクリームよりだんぜん、あいすくりんが好
きですもんッ」だの、掴み掛らんばかりの勢いでぎゃーぎゃー喚く。そんなの俺が知るか。

62 :

「……まあ、あれです。とにかく。この後輩の見立てでは、あの二人、相性抜群のスーパーカポー(スーパーな
カップル)だと思いますね」
「かもな」
 神柚鈴絵先輩とあの大型台という男との間に、何がしか強い絆があることは、遠目に何度か二人の姿を目撃し
て知っていた。俺たちの関係ほどウェットには見えないが、どこか近しいものを感じたものだ。
 俺の知る限り二人が揃う光景はそれほど頻繁に見られるものではないが、それが恐らくあの男なりの配慮なの
だろう。
 野次馬根性的な意味で、彼らのこれまでに興味が湧かないといえば嘘になった。積極的に詮索するつもりはな
いが、噂話に耳をそばだてるくらいはすると思う。
「というかあの二人は既に、『鈴ちゃんっ』『台ちゃぁんん』って呼び合う仲ですし」
「うんそれは嘘だろ」
「ばれましたか。ほんとはこんな感じ。『おう部長』『おう台先輩、絵の具チューブ買ってこいよ』」
「部長はそんなこといわない」
 ごめん。俺、これはスルーできなかった……。
「しかし先輩。人間、裏では何をやっているんだか。あー恐ろしい……」
「俺はお前が怖いよ」
 何をされたわけでもないのに、台詞にここまで悪意を篭められるのがすごい。そしてそんな美術部部長もちょ
っと見てみたいと思ってしまった自分が信じられない。
 呆然とする俺を冷やかすように、どこか間抜けに予鈴が鳴った。
 湿気にへたったリンゴのデニッシュは、半分くらいがまだ俺の手の中にあった。
 おわり

63 :
以上。
台と鈴絵については、陰口暴言まみれになってしまってごめんなさい。
後輩の余裕のなさの表れということで、「まったくあのビッチしょうがねーなw」と笑って許してくれないかな。無理かも。
続き物がいっぱい溜まってるけど、それもちょっとごめん。誰からいこうか結構悩む。

64 :
ageたそばからさっそく投下乙。
油断してたら一発目のたわしで吹いたw しかもヴァルハラw どこの戦士ですかw

65 :
投下乙〜!
あ、やっぱりkのお二人の掛け合いは好きだなぁ。後輩の台詞にいちいち吹くw
鈴絵さん。後輩の中ではそんなに強敵になってますかw
天然悪女属性ここにあり?

66 :
投下すんの忘れてた。

67 :

第八話:【これも青春って事で】
 台と懐は睨み合っていた。だが、お互いの目線は合っていない。それぞれがお互いの肩や腰の動きを注視していた。
 片や現役のヤンキー、相対するのはプロレス愛好家。お互い戦い方はある程度心得ている。もっとも、お互い素人の域は脱していないのだが。
 僅か数秒、動きの無い攻防の後。先制攻撃を仕掛けたのは台だった。
 一歩だけ前に進み、長い脚を使っての前蹴り。台のリーチはやたらと長い。一歩進んだだけで爪先が懐の鳩尾まで届いた。
 だが、一歩進むというモーション故か、予測されていた。
 懐はそれをあえて受ける。受けて、その脚を両手でホールドした。
 懐はそのまま前に倒れる。倒れつつ、身体を脚にまとわり付けるように回転させて行く。そして、地面に寝転ぶ。台を道連れに。
 台の膝と股関節はその派手な間接投げによって捩り上げられダメージを受ける。地面にたたき付けられた衝撃は容赦なくスタミナを奪う。一瞬だけ意識が飛ぶ。
 そして、懐はすぐさま寝転ぶ台のマウントポジションを取る。
「今のがドラゴンスクリューだ。覚えとけクソ野郎」
「興味がねーな」
「なら忘れられなくしてやるよ」
 馬乗りになった懐の上からの鉄拳攻撃。プロレスなら反則だが、今は関係無い。ほぼ勝敗は決したかのような態勢だったが、拳を振り下ろした懐は同時に顎に衝撃を受ける。自身にも手応えはあったが、弱い。決定打にはならない。
 台はマウントを取られた状態で、拳で反撃してきた。長いリーチはその不利な状況でも懐の頭部まで悠々届く。打ち抜く事が出来るのだ。
 打ち抜く事が可能という事は、ダメージを与えるパンチを放てるという事。
 懐は身体を起こされる。自身の拳に体重を乗せられなかった。打撃では不利だった。ならばと、今度は肘を相手の喉に突き立てる。そのままスライドさせ、ギロ`ョークで止めを指そうと考えた。
 組技系が考えそうな事だった。だから、読まれた。
 今まさに肘が喉へと侵入しようとした時、逆に腕を掴まれる。懐の身体は台の肘打ちがその頭部に届く位置に固定される。

68 :
 そして、台の堅い肘が懐の側頭部を打ち抜く。
 急所に一撃を食った懐はマウントポジションで一瞬意識を飛ばす。全身の力が緩んだ。その隙に、台はブリッジと同時に身体を捻り、マウントポジションから脱出した。
「詰めが甘いな」
「野郎……!」
 台は立ったままそう言った。
 だが、立ち上がって気付いた事。それは、最初に受けたドラゴンスクリューの甚大なるダメージ。右脚の股関節と膝は既にまともに動かなかった。立っているのもやっとだったのだ。
「どうした? さっさとかかってこいよ」
 それはつまり、自らが動けないという事。
 懐の方も顔面に打撃を受け、強烈な肘打ちまで食らった。ダメージは大きかった。懐は何とか立ち上がる。その動きは緩慢だった。隙だらけだった。
 そして自分ならその隙に止めを刺したはずだと考える。
 しかし、台はそうしなかった。
「……余裕のつもりかよウスラデカが」
 嘗められている。懐はそう思った。
 実際は真逆であり、台は組技での反撃を恐れていた。だから無理な接近をしなかった。
 台の方も、あれだけ綺麗に側頭部を打ち抜いたはずなのに立ち上がる懐に多少驚いていた。
「……タフな野郎だな」
 そう思っていた。だが、今の状況でお互いの気持ちなど確かめようもない。
 フラフラと接近する懐。右足を引きずりつつ迎え撃とうとする台。
 懐は体力を振り絞り飛び掛かる。右手を大きく掲げ、振り下ろす。アックスボンバーだ。打撃としては見た目偏重と思われがちだが、相手を寝かせる物としては優秀な技。
 腕力に優れる懐にとっても、これは得意な攻撃だった。ところが。
「まる見えだぜバカが……!」
 台は左足に体重を乗せる。そして、飛び掛かる懐に長いリーチを生かした打ち下ろしを繰り出す。飛んでいた懐には避ける術は無かった。
 結果、カウンターでの打撃が懐の眉間を打ち抜いた。
 鮮血が台にかかる。自身の拳と、懐の眉間から飛び散る物だ。
 懐の制服も自らの血で派手に汚れた。金色の髪は朱色が混じった。

69 :
 台の拳頭の皮はずる向けになっていた。指が腫れている。折れたようだ。
 所詮は素人の拳である。長年修業を積んだ空手家ですら素手の拳の顔面攻撃で拳が破壊される事がある。
 手の甲が痛かった。台の拳は壊されたようだった。回復にはどれだけかかるやら。逆に言えば、それほどの攻撃を懐は受けたのだ。
 前へ倒れて行く懐。そのまま、台の胸へと頭を預けた。ずるずると滑り落ちるように、重心が落ちて行く。明かなノックアウトに思えた。
「ようやくくたばったか」
 台は言った。だが、すぐにそうでは無いと思い知らされる。懐は右手で台の服をわし掴みにしていたのだ。それによって、地面に倒れるのを回避していた。
 その状況は、組まれて密着した状態だった。
「……てめぇ」
「捕まえたぞクソ野郎」
「ゾンビかお前は……」
「プロレスを嘗めるなよ」
 台は振りほどこうとする。が、離れない。純粋な腕力なら懐に分があった。そのまま、左の回し打ちを台の脇腹へと見舞う。
「……ッッ!」
「ハラワタえぐり出してやる」
 懐はそう言ってさらに打撃を繰り出す。台も黙ってはいない。長いリーチは今は邪魔になる。右拳も破壊された。だが、肘ならこの距離で活きる攻撃だった。
 後頭部に肘を見舞う。が、離れない。何としてもその状態を維持するつもりだ。もしまた距離を取られたら、今の懐に勝ち目はなかった。
 だから密着した状態でのスタミナの削り合いに持ち込んだ。そして懐には、一発逆転の手段が一つ残されていた。
※ ※ ※
 カランと氷が鳴いた。グラスがかいた汗がテーブルの上を濡らし、コースターに水分がたっぷり染み込んで行く。
「うおおおおお!!」
 京は叫んだ。茶々森堂の中にそれが響き渡る。たまたま居た他の仁科の生徒が何事かと京を見た。
「遅れを取り戻さなくては……ッ!」
 京はスケッチブックに向かっていた。先日の騒動の影響で作業予定がすっかり遅れてしまっていたのだ。この時間ではさすがに学校の部室は使えなかった。仕方なく茶々森堂に移動し、新コスのデザインに精を出す。
 頼んだレモンティーは解けた氷ですっかり薄くなってしまった。

70 :
 ここならば邪魔は入らないだろう。あのバカもどっか行ったし。
 そう思っていた。実際に作業には集中できた。レモンティーと一緒に頼んだモンブランだけはきっちり完食していたが。
 ところがである。懐の影響は一体何なのか。もはや呪いに近い何かが働いた。今日も京の作業は邪魔される。突然現れた男によって。
「こんばんわ」
「……?」
「秋月京ちゃん……だよね?」
「そうですけど……?」
「はじめまして」
 最初、京はナンパか何かかと思った。
 だが、向こうは自分の名前を知っていた。それに、そんな雰囲気も無かった。その目は穏やかながら、明らかに明確な目的と熱を秘めている。奴と同じ目だ。懐と同じ目をしていた。
 男は自らを空知亮太と名乗り、突然話しかけた非礼を詫び、自身の目的を話した。その態度は完璧に大人。顔立ちもやたらとイケメン。おもわずコスプレさせたいと京は思った。
 ところが、その目的を聞いた京は一気に不機嫌になってしまった。
「……きぃいいいい!!」
「どうしたんだ……?」
「あのバカの居場所なんて知りませんッ!」
「えらく怒ってるようだけど……」
「関係ないです! とにかく知りません」
「そうか……。残念だな。よく一緒に居るって聞いたから……」
「居たくて居る訳じゃ無いです! むりやり衣装作れって催促されて……!」
「衣装……?」
 亮太が頼んだコーヒーとチョコレートケーキが二つ届いた。
 ケーキ二つの理由は不機嫌な京に甘い物を食わせて落ち着かせる為。女性が甘い物好きな理由はイライラ解消物質であるセロトニンの分泌が男性より少ない為。甘い物はそれの分泌を促すのだ。
 さらに亮太も甘党だった。
 京は鞄から懐が書いたイラストを数点取り出した。作ってくれと依頼された衣装のローブだ。
「へぇ。パワーメタルっぽい衣装だね」
「パワーメタル?」
「まぁ……ヘヴイメタルにもいろいろ種類があるんだよ。……話すと物凄い長くなるから省くけど」
「そうですか」
「作ったの?」
「まさか!」
「それは残念だな」
 ケーキを貪る京。亮太と懐は今日も会えず終いだった。今どこで何をしているか、おそらく彼らの想像すらしていない事態だとは、当然知る由もなかった。

71 :

※ ※ ※
「いい加減にくたばれ」
「おまえがな」
 台と懐の削り合いはいまだ続く。時間にして一分にも満たない攻防であったが、実際にそれを行う両者には途方もなく長く感じる。
 お互いボロボロだった。繰り出す攻撃に本来の威力は無い。それが、ダラダラと攻防を長引かせる原因ともなっていた。
「おい」
「なんだ」
「テメェが無意味に喧嘩吹っかけるなんて珍しいんじゃねぇか?」
「今更心理戦に持ち込む気か? 俺を倒したら教えてやらん事もないぞバカが」
「言ったな」
 懐は重心を一つ下げる。そして、少し伸び上がりながら左拳を台の鳩尾に放つ。ショートレンジのボディアッパーだ。
 台の全身から一瞬だけ力が抜けた。
 その隙に、懐は台の両腕を変形の羽折に極める。同時に、自らの頭部を台の背中側の肩口へと差し込み密着させた。ラグビーのスクラムのように。羽折を極めたままだ。
「おいクソ野郎」
「なんだバカ」
「今からお前に必技ってモンを見せてやる」
 懐は言った。それは紛れも無く、これでフィニッシュだと発言していた。
 懐は全身に力を込めた。両足を広げ、重心を後ろへと持って行く。それに釣られて、台の身体は一瞬浮き上がる。
 今度はさらに重心を下げる。さらに前方へと移動させる。浮き上がった台の身体の下へ潜り込むように。
 そして、抱え挙げた。羽折を極めたまま、ブレーンバスターのトップポジションに持って行く。
 それは、ある伝説のレスラーの必技――
「……てめぇ」
「驚くのはこっからだぞ」
 懐はまっすぐ立ち上がる。そして、ゆっくり前方へと倒れて行く。
「覚えとけ。これがSSPドライブ2000だ」
「うおおおお!?」
 台の真正面から地面が迫ってくる。まともに受けたら、間違いなく必の威力がある。
 肩の間接が悲鳴を上げていた。回避せねばと頭の中で何度も考えた。
 だが、がっちりと固定された羽折は抜けられなかった。なにより、地面が台を打ち砕こうと猛烈な勢いで接近して来たのだ。
 絶体絶命。まさにそれその物だった。ところが……。

72 :
 そこまでだった。
 羽折は突然解除された。迫り来る地面は突然にして方向を変え、台を砕く前に一旦空中で停止し、台は低い位置からゆっくり地面に投げ出された。
 懐のSSPドライブ2000は失敗したのだ。
 ただでさえスタミナの消費が激しい技だった。かなりの腕力が必要となる、羽折を極めたままでブレーンバスターのトップポジションにまで持って行くという行為を行うだけのスタミナは、既に懐に残されていなかったのだ。
 結果、途中で立てなくなり膝を付いた。それがクッションとなり、必技はその威力を見せ付ける事なく不発に終わった。
 そして、懐は本当に動けなくなった。
「……クソが! 畜生……!!」
「打ち止めみたいだな……」
 膝を付いたまま動かぬ懐ににじり寄る台。彼もまた、直撃こそ免れたがSSPドライブによって両肩を傷めていた。
 もはや腕を使った攻撃は出来ない。となれば、残された手段はただ一つ。
「これで終わりだ」
 台は一歩大きく踏み出し言った。
 そして、股関節の痛みに堪えながら、その長い脚で遠心力を効かせた回し蹴りを放つ。それは、片膝付いた懐の側頭部を打ち抜いて行った。
 懐は動けぬまま、それを食う。眉間からさらに血飛沫が舞い、台の脚を汚して行く。
 吹き飛ばされた身体は、なす術なく地面へと投げ出された。そして、大の字に寝転ぶ。見えたのは満天の、キラキラ輝く夏の星空。
 脚を振り抜いた台も倒れた。股関節と膝の痛みは相当だったのだ。
 インパクトした瞬間にその衝撃が伝わり、右足が着地した瞬間、ふわっと力が抜けて行った。そして、地面に尻餅を突く。
 お互い限界だったが、どちらが勝者でどちらが敗者か、それは一目瞭然だった。
 台は天を見上げた。見えたのは、寝転ぶ懐が見るのと同じ、綺麗な星空だった。
「……うーん……。痛ぇなこの野郎」
「……タフな野郎だな本当に。まだ喋る余裕あんのか」
「俺を誰だと思ってんだ?」
「そうだな。そうだった……」
 懐は大の字に寝転んだまま。台は胡座で座り、動けなくなった懐を見ていた。

73 :

「おい」
「なんだ?」
「聞かせろよ」
「何をだ?」
「俺に喧嘩売った理由」
「俺を倒したら教えてやるとは言ったがな」
「なんだよ。気になるだろ。お前が理由なくこんなマネするかよ」
「面倒な男だな……」
「聞き飽きたぜそれ」
 台はタバコを取り出した。今度こそ単なるニコチン切れだった。
「けっ。この未成年が」
「それだけか?」
「仕方ねぇ。今だけ許してやらぁ」
「そりゃどうも」
 台は煙を大きく吸い込む。すぐさまニコチンが脳に達し、それは言い知れぬ安堵感を与える。セブンスターの辛い味が舌をピリピリと刺激した。
「おい懐」
「なんだよ」
「お前、音楽以外の事とか考えてるか?」
「無い」
「……即答かよ」
「知ってるだろ」
「フン。じゃ、俺が喧嘩仕掛けた時はどう思った? 腹がたっただろ?」
「当たり前だろ。ありゃ誰だってキレるぞ」
「それでいいんだよ。たまには他の事にも真面目になれ。特に他人に対してな。あと、自分の事もよく考えてみろ」
「俺はいつだって大マジメだ」
「音楽だけにだろ。もう少し、自分の感情に素直になれ。もっと自分自身に目を向けろよ」
「さっきから何が言いたいんだよお前は?」
「フン。それをよく考えろって言ってんだ」
 台は煙と共に言葉を吐いた。懐にそれが伝わっているかは、正直な所自信が無いというのが本音だった。
 だが、これも全て、このバカの為。世の中には音楽以外の事もある。そう言いたかった。不器用な伝え方しか出来なかったが。
「おい」
「なんだ?」
「次こそブッ倒してやるからな」
「お前にゃ無理だ」
「星が綺麗ねぇ〜」
「……そうだな」
 台はタバコを揉み消す。やるべき事はやった。もう用はなかったのだ。後は、全て懐が考えるべき事なのだ。自分の感情に気付くかどうか。
「俺は行くぞ。お前は?」
「動けねぇよ。もう少し寝てる」
「そうか。ケガは大丈夫か?」
「そりゃこっちのセリフだぞ。筆もてねぇだろ」
「なら左手で描くさ」

74 :
「バカだろ」
「お互い様だ。俺を恨むなよ」
「なんだかよくわかんねぇけど。まぁ何でもいいや。これも青春って事で」
「相変わらず口だけは達者だな」
「それが俺だよ」
「そうだったな」
 台は去って行く。
 一人残された懐は大地に寝そべったまま、ずっと星を眺めていた。とりあえず動けるようになるまでには、もう少しかかりそうだった。
「……綺麗だなぁ」
 星を見上げたままそう言った。
続く――

75 :
こいつらバカだなぁ(褒め言葉)
男二人の真剣勝負。台も強いが懐もつえぇ!
両方とも後遺症は大丈夫なんだろか

76 :
投下乙。
このスレでまともな戦闘シーンをみることに、まさかなろうとは・・・
台がすっかりアニキキャラ化してしまっている気がする。由々しき事態。

77 :
ウホッ。終了宣言前に感想乙w
どーも俺は猿にとことん嫌われてるらしいw九レスで猿ったw
ケガはバカだから何ともないはず。うん。バカだから。

78 :
>>76
……本編中で一仕事させるしかないな。

79 :
wiki更新さんくす
「もし先輩が」に誤字があったはずなんだが、どこだったか思い出せないw

80 :
久しぶりに投下しますよん。
弱気なお姉さんは好きですか?

81 :
「『ロミオとジリエット』をやろうと思います!」
遠賀のよく通る声が演劇部の小さな部屋を揺らす。
もうすぐ秋がやってくる。演劇部は毎年ツクツクボウシが鳴き出す時期になると、演目の話し合いを始めるようになる。
木目の走るテーブルを部員たちは囲み、お誕生席には部長が座る。部長の横に座っていた三年生の遠賀希見はこの日のために、
簡単な脚本案を練ってきたのだった。遠賀の声で部員一同は彼女に視線を振り向けた。
メガネを人差し指でつんと突き上げると、ゆっくりと彼女は立ち上がりプリントアウトされた紙を捲った。
「今までに見たことのないような『ロミオとジュリエット』を描こうと思ってるんですよ。我が部初めての試み!」
「でも、先輩。高校の演劇ですよ……前衛とか実験的ってのは、ぼくたちがすることじゃないかと」
部員たちのどよめきをよそに、後輩である迫は冷静に遠賀の案をいぶかしんだ。
遠賀はそれでも自分の脚本案を部員たちに披露する、夏休み最後の日。
「みなさん『ロミオとジュリエット』は御存知ですよね!両家の確執に阻まれた、うら若き男女の悲恋」
「すてき!遠賀先輩が脚本を書くんですよね!」
黄色い声が飛び交う中、迫はメガネを一人拭いていた。遠賀は淀みなく続ける。
「原作ではロミオ、ジュリエットともにタメでした。厨二真っ盛りの十四歳!そこでジュリエットをロミオよりも6つ年上にしました」
「ええ?じゃあ、お姉さんとショタってこと?」
「ショタ言うな!このお年頃の男子ってヤツは年上のお姉さんに憧れるもんです。ロミオを意図的にジュリエットより
年下にすることによって、自然とジュリエットへの恋心が芽生えさせることが出来るということです」
「じゃあ、ジュリエットはどうなの?」
「年上、ということはオトナです。無論、こんな若造、はじめは目もくれません」
「いきなり難関!」
「オトナなのでモンタギュー家とキャピレット家の確執のことは十分に心得ています。そのことを理解出来ないロミオは、
『オトナは汚い!』だの『ジュリエット、どうしてあなたはジュリエットなのですか』と庭からジュリエットを誘うのです。
しかし『はあ?ばっかじゃないの』と彼女はコドモなロミオを鼻でせせら笑うのです」
「やだー。夢も何もないですよ」
遠賀と同級の女子部員が上げる冷たい雨のような声を傘も差さずに置いてきぼり。
「そのうちロミオの情熱に心動かされたジュリエットは、ロミオに段々と恋心を抱くようになり……」

82 :
すっと手を挙げる男子生徒がいた。
理知的なメガネを光らせる。
迫だった。
「あの、遠賀先輩。ぼくも『ロミオとジュリエット』をやるってことはいいな、って思っていたんですよ。
ぼくらの世代が主人公ですのでピッタリと思います。でも、先輩の案でぼくらがやるには少しばかり……」
「少し!」
「ハードルが高いと思いますよ。確かに『年上のお姉さんに憧れる少年』って、リアリティはあると思います。
だけど、これって男子目線じゃないんですか?ぼくら男子から見れば面白そうですし、先輩のジュリエットに魅力を感じます。
でも、オーソドックスなスタイルをとる方が、見る人みんなが満足得るものではないんでしょうか?」
迫の後に続いて、気だるそうな女子部員が口を開く。
「そうねー、迫の言うとおりかも。ロミオがメインの劇になるよねー」
「だって、だって……。主役を徹底的に追い込んだ方がストーリーもクオリティも……」
ふと思いついたアイディアを誉められることは誰だって嬉しい。いや、自分が誉められるより、案を誉められる方が嬉しい。
しかし、三年間で培った演劇の粋を集結したこのプロットを否定されるのが、この上なく我慢出来なかったのだ。
「みんなで楽しくやりましょうよ」
気の弱そうな女子部員が恐る恐る口を開いた。誰もがその言葉に首を縦に振った。
遠賀と迫以外は。
きっと、みんなが喜んでくれると思って創り上げたのに。
今までにない演劇をみんなに見てもらえると思ったのに。
なにごともなかったように遠賀を残して、秋の公演に向けて話し合いは続いていった。
チョークが黒板を走る音が遠賀の動揺を誘い、後輩たちの賑やかな声が遠賀の胸をえぐる。
最終的には脚本を遠賀が担当すること、そして主役の二人は迫と迫の同級生の女子が演じることが決まり、この日の話し合いは幕を下ろした。
ぞろぞろと部員たちは自分のカバンを携えて、部室から立ち去っていくも、遠賀と迫だけは部屋に残ったままだった。
ツクツクボウシが去りゆく夏を惜しむ声。白い雲が風に乗って、すっと校庭の上を駆け抜ける。
秋は近いというのに、新しい季節を迎え入れようというのに。
二人は何故か、今は「ようこそ」の一言が言えるような気持ちではないのだった。

83 :
「いいと思ったのになあ」
迫には先輩の声が、どうしようもなく不器用な妹の呟きのように聞こえた。
乱雑に消された板書を丁寧に雑巾でふき取る迫は、話し合いでの姿勢と同じままの遠賀をじっと見つめる。
「先輩は」
「慰めだけなら、お断りっ」
遠賀は自分の脚本案を提案している最中、手を挙げて流れを止めたのは、もしかして迫なりの気遣いではないのか、
と片隅に思い浮かべていた。しかし、それを露にする理由も恩義もない。不器用で、そして不器用で。
「帰りますよ」
自分の荷物を整えながら、迫は部室の窓を閉じる。忘れ物はないか、と確認しながら部屋を一周すると、必然的に遠賀の背後にまわることとなる。
先輩の背中が小さい。センパイではなく、ただの迷子だ。
お巡りさんでも手に余るほどの、どうしようもない迷子だ。
迫がカバンを肩に掛けると、遠賀は迫に顔を見せないようにすっと立ち上がっていた。
「先に帰ってて!」
これ以上話しかけると、むしろ遠賀を追い詰めてしまうので、迫は軽く礼をして部室を後にした。
―――校舎の玄関では迫が一人で遠賀がやって来るのを待っていた。
夏休み最後の日の校内は、当たり前だが静かだ。迫の耳には遠賀の「先に帰ってて!」という、悲痛な声が残る。
遠賀は迫にとっては先輩の一人に過ぎない。ほんの少し早く生まれてこの学校にやってきて、演劇を共にしている一人の『先輩』なだけだ。
『先輩』が『女の子』の尻尾を見せる。そっと、触れたい。くんくんとしたい。でも、怒られるかも。嫌がるかも。
女の子には一人一人に尻尾がついている。ご機嫌だったり、そっぽを向いたり、恥らったりとくるくる変わるふかふか尻尾。
世の中の男の子は尻尾に惑わされて、ぎゅっと掴んで頬摺りしちゃいたいはず。でも、尻尾が誰にでも見えるというわけではないから。
その尻尾に気付いた子は、ちょっとばかり女の子に誉められるかも。迫は遠賀の尻尾を青い空に思い浮かべていた。
会議の初めに尻尾はぶんぶんと、だけど今頃くるりんと。これから訪れる秋の空のように表情が変わりやすい尻尾だ。
迫のメガネに焼きついた遠賀の尻尾をそっとクリーナーで拭き取ると、駆け足にも似た足取りで演劇部部室へ急ぐ。乾いた廊下の音が耳につく。

84 :
「遠賀先輩っ」
扉を開ける音でも、迫が呼ぶ声でも振り向かずに、遠賀は自分の世界に没頭していた。
ペンを走らせる音が心地よい弦楽器のように響く。
「遠賀先輩っ」
「さ、迫くん!」
女の子の尻尾を掴まれて、ひょんと不思議な声で遠賀が返事をすると否や、迫から顔を背けたもの、
それでも迫には遠賀の二つの瞳に光るものを見逃さなかった。
「台本ですか」
「わたしのことは気にしないで」
「そう言われると気にしちゃいますよ」
「嫌な後輩だ」
「嫌な先輩ですね」
背中を丸めた遠賀は、脚を互いに振り子のように揺らす。
木目の走るテーブルの上、無防備に開かれているノートは遠賀が書いたプロット案。それを自分で自分を打ち消すように、
大きな渦巻きの走り書きがノートの上をほしいままにしている。ノートの上に遠賀のペンを添えて。
「わたし、演劇に向いてないね」
「向いてませんね」
「先輩失格だ」
「エントリーさえしてませんって」
「バカにしてるね。迫くん」
「尊敬だけはしていますよ」
「じゃあ、バカにしないでよ」
「そしたら『天才』って呼んであげます」
「やっぱりバカにしてる」
遠賀の口元が緩んだ。
「迫も、いつかは先輩かあ。『迫先輩ー。この場面のセリフってアリですかー?』とか仔犬ちゃんがまとわりつくんだろうな」
「お断りします」
「断らせません」
表情を崩さずに遠賀と隣り合わせになった椅子に迫は腰掛けると、さらに遠賀は顔を庇うように頭を垂れた。
黒板は迫が部室を去ったときのまま鏡のように美しい。ツクツクボウシは鳴きやむことを知らない。
「もしかして『迫後輩』ってば、わたしが部室から出てくるのを待っていたとか」
あえて迫は返事をしない。セリフ以外で自分を表現するのは迫にとっては容易いこと。大事なことはみんな遠賀センパイに教わった。
遠賀は会議のときの迫のようにすっと手を挙げる。
「センパイ、ひとつ聞いてもいですか!」
「センパイはあなたでしょ」
内心、頭を抱えながらも、遠賀が再び尻尾を振り出したことに迫は胸を撫で下ろしていた。
「はいはい。なんですか」
―――「わたし、やりたい演目がありますっ!」
まだまだ太陽の日差し本気出す新学期。窓を開けても、暑いものは暑い。ツクツクボウシがやかましい。
もうすぐ秋がやってくる。演劇部は毎年ツクツクボウシが鳴き出す時期になると、演目の話し合いを始めるようになる。
木目の走るテーブルを部員たちは囲み、お誕生席には部長が座る。お誕生日席に陣取る迫に飛び込むように、
セミの声に負けまいと久遠荵の声が部室に響く。隣で肩を小さくする黒咲あかねは長いみどりの黒髪を夏の終わりの風で揺らす。
仔犬のような荵は迫が困るのをまるで楽しむかのごとく目を輝かせ、女の子の尻尾を振り続けた。
「ここは舞台じゃないから普通に話せ」
「はいっ。迫先輩!それで、わたしがやりたい演目は……」
おしまい。

85 :
弱いところを抱いた人は萌えます。
投下終了。

86 :
やだ遠賀先輩萌えるw
しかし迫も書く人によって変わるなぁ。

87 :
♪しっぽしっぽ〜しっぽよ〜
この表現はツボに来たかも。
遠賀先輩のロミジュリが見たい。そのうち何かありそう。
それとは全然関係ないけど描いてみた
ttp://imepita.jp/20100919/775340

88 :
なんという清純?派w
台を顎で使おうとするとはw

89 :
投下はあるはずなのに何故か過疎っている印象のぬぐえない謎のスレ。
ここを上げることで、俺は神に近づけるような気がする。

90 :
いや、過疎だw
避難所いけば鳥なしでも誰かある程度解るほどに……

91 :
うん間違いなく過疎だw 最近ネタが全く降りて来なくてね……
電波こいー電波こいー

92 :
秋だから
俺は投下しなくてはならない。

93 :

 暦の上では、秋である。
 日中はまだ残暑が厳しい。夕方になってようやく、体温を奪われているのが分かるくらいの風が吹く。
 弄んでいたコーヒーの空き缶を、道端に見掛けた自販機のゴミ箱にぶちこんだ。
 季節の変わり目にはコーヒー牛だ。タタカイノアトト、フロアガリニハ、ホロニガクテアマイコイツガ、ヨ
クニアウ――
 二学期のスタートから数日、俺も夏休みボケからようやくいつもの調子を取り戻した頃だった。……取り戻せ
てないかも。
 ……夏休み中のしっちゃかめっちゃかな事件のかれこれについては、またの機会に語りたいと思う。海水浴に
出掛ければ後輩に付き纏われ、花火大会でも後輩に付き纏われ、山にキャンプに行けば後輩に付き纏われ、学園
の夏期補習に出席すれば後輩に付き纏われ、喫茶店の茶々森堂では後輩に付き纏われていたばっかりにあまもと
さんの機嫌が悪化し、図書館で勉強をしていれば後輩に付き纏われ、神社の夏祭りではあの不良との戦いを繰り
広げつつも後輩に付き纏われ、夏休み最後の日にいたっては目覚める前から後輩に付き纏われた。夜這いの教唆
すなオカン。もう誰も信じられない。
「あれ松虫が、鳴いている〜♪ `ロ`ロ`ロリン」
 俺に付き纏って夏休みをえらいことにしてくれた後輩は、この日の放課後もしっかり俺に付き纏っている。
 自宅に招待してやる気もないので、俺は足を商店街に向けた。
 今日は書店でも冷やかそう。「これ! これオススメです。ヒロインが後輩です!」「サブヒロインのが魅力
的ですよね。何てったって後輩です」「それに後輩は出てきませんよ。お金のむだです」とやかましい子が隣に
いるのはアレだが、そこは無視すればいいしな。
「あれ鈴虫も、鳴きだした〜♪ リンリンリンリンリーンリン」
 俺の左やや後方で、後輩の声が弾む。
 意外といっては何だが、後輩は歌までうまかった。声に雑味がなく、伸びがよく、情感豊かに聴こえる。
 このあたりはまだ人気がないが、天下の公道でも羞恥心ゼロというのがまた地味に凄い。
「秋の夜長を鳴きとおす〜♪」
 後輩は、誰でも知っている童謡を、原曲よりも軽快に可愛らしくアレンジしてあった。
 昆虫たちの騒がしくも賑やかな音楽会といった風情だ。のんびりと聴いていると、楽しいきぶんになってくる。
「ああおもしろい虫の息〜♪」
「おい誰か死に掛けてるぞ」
 台無しだ。
 ぎょっとして振り返ると、機嫌良く微笑む後輩と目が合った。
 彼女はときどき物凄いハイスペックなのだが、しかし大抵はこういうひどいオチのために好感度が溜まってい
かない。高い買い物をしたときに限って店のポイントカードを出し忘れるような女だった。……ただ、彼女の場
合は本当の意味での“ドジ”であるのかは大いに疑わしいため、俺の心に同情はこれっぽっちも湧かないが。
「ちょっとだけ間違えました」
「そうだな」
「どんまいわたし!」
「いいけどさ別に」
 どんまいなどと言うが、初めからへこんでいた素振りもない。
 俺は「バカバカしい」と口の中で呟き、視線を戻した。

94 :
 会話のきっかけにするつもりったのか、後輩はがらりと話題を変えてきた。
「ところで。先輩的には、秋といえば食欲の秋ですか? 読書の秋? スポーツの秋? ……あと何がありまし
たっけ。収穫の秋とか? あっ、芸術の秋も!」
 こいつのトピックボックスはなかなか空っぽにならない。
「何だろな。……秋か……」
「後輩の秋って言えー後輩の秋って言えー」
「念送んな」
 背筋に来た。彼女の手指の動きの怪しげなことといったら!
 ……催眠術師の才能には目覚めないで欲しいものだ。
「だいたい何だよ後輩の秋って」
「後輩の秋とは」
 いかん、後輩の瞳がキラッキラ輝きだした。どうやら余計なことを訊いてしまったようだ。
 後悔を尻目に、後輩はオペラでも演るかのように朗々と声を張った。
「秋――それは女の子がいっとう可愛くなる、フォールでオータムなシーズン。中でも、先輩の男の子を慕う後
輩の女の子の魅力ときたら、まさにうなぎのぼり。……“後輩”! 妹よりも可愛く、ママンよりも献身的で、
おねえさんよりも小悪魔、そんなヒロインに会いたかった! ……“後輩”! 紅葉のように朱に染まる頬(ほ
ほ)、それは夕陽の悪戯いいえ乙女の恥じらい。さりげない呼び出しが精いっぱい、『後で校舎裏な』。永遠に
も思える待ち時間、心の準備はしてきたはずなのに……、お願いもう少し待ってっ、胸がっ、苦しいよ……。や
がて聞き覚えた靴音が、すぐそこに、……嗚呼っ! 『……先輩!』 来てくれたっ。想い人の影に、切なげな
吐息が漏れる。よみがえるふたりだけの思い出ぽろぽろ、はぐくんだ愛のキオク。……“後輩”! 果たして告
白はどちらからだったのか……。初めてのキスは甘酸っぱくて、もしかしたらリンゴ味……」
「サブリミナル効果狙いか何か知らんが、いちいち『……“後輩”!』挿入するの止めろ」
 長く、ひたすら長く、そのくせ意味が分からない、鬱陶しいことこの上ない説明だった。……というかもう説
明じゃないような。  
 何かもう胸焼けするくらい煽りを利かせているし、恥ずかしいし、危険なのから果てしなくどうでもいいのま
で幅広くネタまみれだしで、聞いてて頭が痛くなった。
「いいですね? 嫁にするなら後輩です。……後輩はいいですよぉ。上目遣いで『せ・ん・ぱ・い♪』なんて頼
りにされたらボクはもう! ひと度その瑞々しいカラダを味わってしまうと、年上の巫女さんとか、パツキンの
チャンネーとか、デバガメ魔法少女とか、へっぽこ女教師とか、何ちゃって大正浪漫とか、もう全然、お話にな
らないです。しかも、ここ重要です、後輩ヒロインは属性的にニュートラルですから、メガネやマヨネーズが何
とでも組み合わさるように、どんなマニアックな衣装やシチュエーションにだって即時対応しちゃえるんです。
先輩が巫女さん萌えなら巫女服後輩に、大正浪漫萌えなら大正浪漫後輩に、可愛い妹が欲しかったなら義理の妹
後輩に、街を火の海にしたいなら重機動メカ後輩に、けなげにフォルムチェンジ」
「最後の何?」
「……まあ、さすがに年齢だけはイメクラするしかありませんが、大丈夫。ほら、私って包容力あるほうですか
ら。年上にだって負けやしません」
「……お前って包容力あるかぁ?」
「先輩にだけ発揮されるんですーっ!」
 嘘くさー。
 ジト目の俺に、後輩は照れ顔。……そういう視線じゃないんだけどな。

95 :

「もちろん、私にとっては先輩の秋でもあります」
「おいよせやめろ」
 不吉な予感しかしない。
 こっちは早く気の置けない友人や素敵な彼氏を見つけて俺離れして欲しいと思っているのに。夏休みのあれや
これやでいっしょにいすぎたか。……卒業までこのままだったらどうしよう。
「先輩の秋とは」
「いや説明は求めていないっ!」
 久し振りにツッコミで大声を出した気がする。
 あの心底しょうもない妄想の俺バージョンだと……? 絶対に聞きたくない。次元が歪みそうだ。
「……そうですよね、先輩は春夏秋冬いつでもカッコイイですものね。秋だけなんてケチくさい」
「俺の言葉の意図を都合よく捻じ曲げさせたら、お前の右に出る者はいないな」

96 :

 そうこうしているうちに、目当ての書店に到着。
 そこそこ大きな店舗で、マイナーなレーベルの入りもいい。補充が遅い嫌いがあり、欲しいタイトルに限って揃わ
なかったりもするが、それはどこも同じか。
「今週はですね、『しにじゅにっ!』三巻、『季刊先輩後輩の友』『後輩の女の子に敬語でいぢめられちゃうアート
ブック』あたりがオススメの新刊ですよ」
「ああ、そう……」
 頼みもしないのに、後輩が別に欲しくもない後輩物のマンガやライトノベルを教えてくれる。
 それをテキトーにあしらいつつ、世の出版社はこいつと同レベルなのかと頭を抱える俺だった。
 「全然興味ないけどな」などと正直なところを口にしてもいいのだが、どうせ「先輩、やっぱり私に操を立ててく
れるんですね! 私が嫁ですよね!?」と変に感激されるだけなのでどうしようもない。
(しかし、そうだ、もう秋なんだな……)
 はしゃいだ様子でいかがわしい表紙を見せつける後輩にダメ出ししながら、俺は今後のことについて考えていた。
 暦の上では、秋である。
 俺のほうは成果ゼロむしろマイナスのままだが、後輩はあれでもしっかりと成長しつつある。同級生の女の子と楽
しげに話していたそうだし、彼女なりに他人と関わる機会を探してもいるようだ。
 ――世界は、お前らが思っているよりは、ずっと綺麗だ
 夏祭りの激戦の後に大型台という男は言い残した。
 俺のほうまで見透かすあたりが鼻持ちならない。
 ――んー? そこまで悲壮にならんでも。もっとバカになればいいんじゃね? あ、それとこれ交換しない?
 茶々森堂で相席になった金髪の少年は底抜けに明るく笑っていた。
 ある意味ではこの問題の核心を突いているだろう。
 ――先崎くんは、何だかんだであの子のこと
「先輩、今、他の女のこと考えてますね」
 後輩がずいっと鼻先を近づけていた。お互いの貌が翳るほどの距離だった。
 男子では無反応だったのに、女子に移行するや否や引っ掛かるとは。後輩の乙女センサーとやら、なんつー精度を
していやがる。
「……さあな」
 はぐらかしながら、俺は仁科学園の知り合いの顔を思い浮かべ続ける。
 後輩と俺にとってのキーパーソンが、果たしてこの中にいるのだろうか――?
 おわり

97 :
以上。
……夏を全部すっ飛ばして秋にしてみた。いや、夏もそのうち書くかもしれんけど
時系列は、きっとなんとかなれ!

98 :
投下乙!
今ベロンベロンだから後でじっくり読ませて貰いますw

99 :
改めて乙。
先崎苦労人w がんばれw
そして後輩の発言はやはりいちいち吹くなw イメクラとかいわせんなw
さらにさらにエサ撒いていきやがったな! 台のアニキが夏祭りで何したのかきになる。喫茶店でトレード要求する奴っつったらあのバカかw

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