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2012年3月のほほんダメ203: のほほん癒される詩 (197)
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のほほん癒される詩
1 : ぼくの詩だお http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/bf/Yukio_Mishima_1931.gif
2 : 「木枯らし」 木が狂つてゐる。 ほら、あんなに体を くねらして。 自分の大事な髪の毛を、 風に散らして。 まるで悪魔の手につかまれた、 娘のやうに。 木が。そしてどの木も 狂つてゐる。 平岡公威(三島由紀夫)11歳の詩
3 : 「父親」 母の連れ子が、 インク瓶を引つくり返した。 インク瓶はころがりころがり 机から落ちて、 硝子の片が四方に飛び散つた。 子供は驚いた。 ペルシャ製だといふじゆうたんは、 真ッ黒に汚れた。 そして、破れた硝子は、くつ附かなかつた。 母の連れ子の 脳裡に恐ろしい 父の顔が浮び出た。 書斎のむち、 今にも つぎはぎだらけのシャツを 脱がされて、 むちが…… 喰ひ附くやうに、 母の連れ子の、目の下に、 黒いじゆうたんが、 わづかな光りに、ぼやけてゐる 平岡公威(三島由紀夫)11歳の詩
4 : 「蛾」 窓のふちに、 蛾がとまつてゐて、 ぶるぶると体を震わせてゐた。 私は、可哀さうになつて、 蛾を捕へようとした。 窓は、堅く、閉ざされてゐたので、 私は、窓を開けて、 放してやらうと思つた。 私は蛾にさはつて見た。 蛾は勢ひよく飛び出した。 私は、気が抜けた。 さつきの蛾と、 そして、 今の蛾と……。 平岡公威(三島由紀夫)11歳の詩
5 : 「凩」 凩よ、 速く止まぬと、 可愛さうな木々が眠れない。 毎日々々お前に体をもまれて、 休む暇さへないのだ。 凩よ、 お前は冬の気違ひ、 私の家へばかり、は入つて来ないで、 いつその事、雪を呼んでおいで。 平岡公威(三島由紀夫)11歳の詩
6 : 「斜陽」 紅い円盆のやうな陽が、 緑の木と木の間に 落ちかけてゐる。 今にも隠れて了ひさうで、 まだ出てゐる。 然し、 私が一寸後ろを向いて居たら、 いつの間にか、 燃え切つてゐて、 煙草の吸殻のやうに、 ぽつんと、 赤い色が残ってゐるだけだつた。 平岡公威(三島由紀夫)12歳の詩
7 : 「独楽」(こま) (音楽独楽なりき。白銀なせる金属にておほはれる) それは悲しい音を立てゝ廻つた。 そして白銀のなめらかな体を 落着きもなく狂ひ廻つた。 よひどれの様に、右によろけ、 左にたふれ。 それは悲しい酔漢の心。 踊るを厭ふその身を、一筋の縄に托されて。 唄ふを否み乍らも、廻る歯車のために。 それは悲しい音を立てゝ廻つた。 「静寂の谷」から、 「狂躁の頂」に引き上げられ、 心のみ、尚も渓間にしづむ。 それは悲しい酔漢の心。 そして白銀のなめらかな体を、 落着きもなく狂ひ廻つた。 平岡公威(三島由紀夫)12歳の詩
8 : 「三十人の兵隊達」 三十人の兵隊達。 赤と黒の階調。 三十人の兵隊達。 銀流しの拍車があらはす。 銀と白の光の交叉。 三十人の兵隊達。 硝子の目玉。 極細の毛糸は、 漆黒の頭髪。 けれども、 八つを迎へた女の子は、 この兵隊を捨て去つた。 そして、女の子は、 赤ん坊の人形に、 頬すりする。 芽生えた、母性愛の 興奮。 三十人の兵隊達。 母性愛の為に捨て去られた、 兵隊達。 三十人の兵隊達。 赤と黒の階調。 平岡公威(三島由紀夫)12歳の詩
9 : 「絵」 孤児院の片隅で、 幼い子が、大きな絵を眺めてる。 そこには、飴ん棒のやうな木が、 列を作つて並んで居、 木には、パン、草には、ビスケットが、 今を盛りになつてゐる。 口を開けて、夢中になる孤子に、 あたゝかい日差しがあたつてゐる。 しかし、入つてきた院長は、さつさ と子供を引張つて外に出て来た。 「あんな絵は、目に毒ぢやてな」 平岡公威(三島由紀夫)13歳の詩
10 : 「誕生日の朝」 青と、白との光線の交錯のうちに、 身をよこたへつゝ、 その日のわたしは、生れたばかりの 雛鳥のやうだつた。 さて、細い一輪差まで 絶えいるやうな花の香に埋もれ、 太陽をとり巻く雲は、一片の花弁に見えた。 誕生日の贈り物がとゞいた。 美しい贈物の数々は、 石竹色の卓子の上に置かれた。 平岡公威(三島由紀夫)14歳の詩
11 : 「見知らぬ部屋での自者」 骨董屋の太陽のせゐで カーテンの花模様も枯れ 家具は色褪せ 空気は 黄色くただれてゐたので その空気に濡れた古鏡に わが顔は扁たく黄いろに揺れた ……やがて死は蠅のやうに飛び立つた うるさくかそけく部屋のそこかしこから 平岡公威(三島由紀夫)14歳の詩
12 : 「夜猫」 壁づたひに猫が歩む 影の匂ひをかぎながら 猫の背はなめらかゆゑ 光る夜を、辷らせる ああ、蝋燭の蝋のしたたる音がする。 真鍮の燭台は なやめる貧人のごとき詫びしい反射であつたから、 ふと、傾いた甃(いしだたみ)の一隅に わたしは猫の毛をわたる風をきいた 影のなかに融けてゆく一つの、寂寞の姿をみた 平岡公威(三島由紀夫)15歳の詩
13 : 「民謡」 夕ぐれの生垣から石蹴りの音がしてきた 微温湯をいれたコップの内側が、赤んぼの額のやうに汗ばんでゐた。 病気の子のオブラァトと粉薬が窗のあぢさゐの反射であをざめた 石竹色の植木鉢に、錆びた色ブリキの如露がよつかゝつてゐた 早い蚊帳がみえる離れで、小さな母は爪立つて電気を灯けた。 ねむつた子の横顔が 麻の海のなかに浮びあがつた 平岡公威(三島由紀夫)15歳の詩
14 : 「夏の窗辺にくちずさめる」 雲の山脈の杳か上に 花火の残煙のやうなはかない雲が見えてゐた サイダァのコップをすかしてみたら やがて泡になつて融けて了つた 平岡公威(三島由紀夫)15歳の詩
15 : 「幸福の胆汁」 きのふまで僕は幸福を追つてゐた あやふくそれにとりすがり 僕は歓喜をにがしてゐた 今こそは幸福のうちにゐるのだと 心は僕にいひきかせる。 追はれないもの、追はないもの 幸福と僕とが停止する。 かなしい言葉をさゝやかうとし しかも口はにぎやかな笑ひとなり 愁嘆も絵空事にすぎなくなり 疑ふことを知らなくなり 「他」をすべて贋と思ふやうに自分をする。 僕はあらゆる不幸を踏み 幸福さへのりこえる。 僕のうちに 幸福の胆汁が瀰漫して…… ああいつか心の突端に立つてゐることに涙する。 平岡公威(三島由紀夫)15歳の詩
16 : 「アメリカニズム」 万愚節戯作 たるんだクッションのやうなスヰートピィ もう十年代、流行おくれの色ですね 玉蜀黍の粕がくつついてる 赤きにすぎる口紅の唇。 ショォト・スカァトは空の色がみえすぎます。 歓楽は窓毎に明るく灯り、 スカイ・スクレェパァはお高くとまり、 鼻眼鏡で下界をお見下しとやら、 だが、ニッケルの縁ではね。 野蛮の裏に文化はあれど…… 白ん坊の裡にも黒ン坊がゐる。 欧州向の船が出て、 髯なし共が御渡来だ、 カジノで札の束切つて 縄の御用もありますまい レディ・メェドの洋服が船にのつておしよせる あくどい洒落がおしよせる 自由とスマァトネスがおしよせる 「世界第一」がおしよせる 星のついた子供の旗をおし立てゝ。 平岡公威(三島由紀夫)15歳の詩
17 : 「薔薇のなかに」 薔薇のなかにゐます。 わたしはばらのなかにゐます。 しつとりしたまくれ勝ちの花びらの こまかい生毛のあひだに滲みてくる ひかりの水をきいてゐます。 薔薇は光るでせう、 園の真央で。 あなたはエェテルのやうな 風の匂ひをかぐでせう。 大樫のぬれがての樹影に。 牧場の入口に。 大山木の花が匂ふ煉瓦色の戸口に。 わたしは薔薇のなかにゐます。 ばらのなかにゐます。 小指を高くあげると 虹の夕雲がそれを染め…… ばらはゆつくり、わたしのまはりで閉ざすのです。 平岡公威(三島由紀夫)15歳の詩
18 : 「江の島ゑん足の時」 ぼくはゑん足をお休みしました。 二十日の朝はおきると、みんなは今新宿えきへついて、もう電車にのつただらうと思ひました。 すぐそんな様なことをかんがへ出します。ひまがあるとおばあ様やお母様の所へお話しにいきます。 もうみんな江の島へついたかと思ふといきたくつてたまりませんでした。 ぼくは江の島へいつたことがないのでなほいきたかつたのです。 ぼくは朝から夜まで其ことをかんがへて居ました。 ぼくは夜ねると、次の様な夢を見ました。 ぼくもみんな江の島のゑん足にいつて、そしてたのしくあそびましたが、いはがあつてあるけません。 そこでもう目がさめてしまひました。 平岡公威(三島由紀夫)7歳の作文
19 : 「私は学生帽です。」 私は平岡さんのお家の学生帽です。坊ちやんが一年生の時西郷洋服店から参りました。 私は喜ばしい事もあれば泣きたい事もあります。 いつも坊ちやんが学校へいらつしやる時に、おとなりのぐわいたうさんとが書生さんに昨日のごみを取つて もらひます。私達はそれを毎日楽みにして居ります。 私はずい分古い帽子ですが、坊ちやんが大事にして下さるので、坊ちやんからはなれようとは思ひません。 私は何年と云ふ長い月日をかうやつて暮して来ました。 今迄の間にどんな事があつたでせう? 私はそれを物語りたいのです。 (つい此間の事でした。坊ちやんがこはれた帽子を学校から持つていらつしやいました。 それは云ふ迄も無く私です。 坊ちやんは御母様に「之をぬつてね」とおつしやいました。お母様は「ええ、え」とおつしやつて、ぬつて 下さいました) 私は何と云ふ幸福な身でせう? 平岡公威(三島由紀夫)7〜8歳の作文
20 : 「かみなり」 きのふのよる僕は雨戸をしめて寝床へ入つた。その時がらす戸から「ぴかりつ!」といなびかりが見えた。 五六べうたつて大きならいが鳴つた。たんすの上にある時計はゆれるしれうりだなの上においてあるせとものも かちやりと音をたてた。 なんだか家中がゆれるやうなきがした。 おはなれにいらつしやつたおぢいさまが「ひどい雨だ」とおつしやつた。 ほんたうにひどい雨だ。 又こんなかみなりが今ごろなるときではない。又ことしはこんな大きなかみなりが一度もならないのに。 平岡公威(三島由紀夫)8歳の作文
21 : 「冬」 もうそろそろ冬になつてきた。 お庭のかきの木のはや、もみぢの葉がさらさらとおちてくる。 お家のうらの小路にほこりがさあつと立つ。 がらす戸に時々つよい風があたつていやにうるさい。 お池の水はじやぶじやぶとおとを立てる。 金魚が驚いて水の中へ沈む。 花園の花がぽきぽきと折れる。 お父さまがお役所からかへつていらつしやつて「今日は実にひどい風だつたよ」とおつしやつた。 平岡公威(三島由紀夫)8歳の作文
22 : 「冬の夜」 火鉢のそばで猫が眠つてゐる。 電灯が一室をすみからすみまでてらしてゐる。 けいおう病院から犬の吠えるのがよくきこえる。 おぢいさまが、 「けふはどうも寒くてならんわ」 とおつしやつた。 冬至の空はすみのやうにくろい。 今は七時だといふのにこんなにくらい。 弟が、 「こんなに暗らくつちやつまんないや」 といつた。 平岡公威(三島由紀夫)8歳の作文
23 : 「朝の通学」 四谷西信濃町十六番地。 朝、おきて見ると、空は晴れて居たが、大へんさむかつた。 お祖母様がからだをこゞめて、あんかにあたつていらつしやつた。 お家を出る時、うらの小路を、外たうを着て皮手袋をはめた大学生が寒さうにポケットへ手を入れてゐた。 あめ売のおぢいさんも、ふところへ手を入れて、あたゝかい方へあたゝかい方へと歩いて行つた。 自動車屋の車庫では、子供が二人、たき火をして、手をあたゝめてゐた。 又、でんしやの中ではしやつを沢山きて洋服がふくれてゐる人や、顔や手を年がら年中まさつして居る人が大分あつた。 四ツ谷駅に下りて見るとみなポケットに手を入れてゐた。 学校へきて見ると、運動場一ぱいに霜が下りてゐた。 いつもはあんなにあつたかい御教場の中も、今日は何だか、寒くかんじた。 平岡公威(三島由紀夫)8〜9歳の作文
24 : 「雨降り」 雨がふつてきた。 ポタンととひの中に入つてとひをつたつてザアッとおちる。 庭のすみに落ッこちてゐる小さなくびふり人形も雨水でビショビショになつてゐる。又木の葉の上にのつてゐる露が まるで真珠のやうだ。 雨だれの音はどんなにでもきこえる。 タンタラタンともきこえるし又タカタカタンとも、自分の思ふとほりにきこえる。 まるで音楽をきいてゐるやうだ。 雨がふるとお百姓さんも亦(また)草も木もおほよろこびだ。 平岡公威(三島由紀夫)9歳の作文
25 : 「ばけつの話」 僕はばけつである。 僕は大ていの日は坊ちやんやお嬢さんがきて遊ばして呉れるが、雨の日などは大へん苦しい。 ほら、この通り、大部分ははげてゐる。 又雪の日なんかは、ずいぶん気もちがいい。あのはふはふしたのが僕のあたまへのつかると何ともいへない。 それから僕が植木鉢のそばへおかれた時、あの時位いやな事はなかつた。となりの植木鉢がやれお前はいやな形だの、 又水をくむ外には何ににも使へないだのと云つた。あそこをどかされた時は、ほんとにホッとした。 ではわたしの話はこれでをはりにする。 平岡公威(三島由紀夫)9歳の作文
26 : 「夕ぐれ」 鴉が向うの方へとんで行く。 まるで火のやうなお日様が西の方にある丸いお山の下に沈んで行く。 ――夕やけ、小やけ、ああした天気になあれ―― と歌をうたひながら、子供たちがお手々をつないで家へかへる。 おとうふ屋のラッパが――ピーポー。ピーポー ――とお山中にひびきわたる。 町役場のとなりの製紙工場のえんとつからかすかに煙がでてゐる。 これからお家へかへつて皆で、たのしくゆめのお国へいつてこよう。 平岡公威(三島由紀夫)9歳の作文
27 : 「農園」 今週の月曜でした。 唱歌がをはつておべん当をいただかうと思つて、教室にはひつて来ました。 すると、おけうだんの上に大きなかごがあつて、その中にはたくさんそら豆がはひつてゐました。 僕はうれしくて、うれしくて、「早くくださればいいなあ」とまつてゐたら、おべんたうがすんだら、皆の ハンカチーフにたくさん入れて下さいました。おうちへかへつて塩ゆでにしていただいたら、大変おいしう ございました。 思へば、三年のニ学きでした。 おいしいみが、たくさんなるやうにとそらまめのたねを折つてまいたのでした。 果して、たねはめが出、はがでて、今ではおいしいみがたくさんなつて、僕たちがかうしていただくまでに なつたのでした。 (中略) 又この間は五六年のうゑた、さつまいもの苗に水をかけました。秋になつたらこのおいもも僕達の口の中へ はひる事でせう。 平岡公威(三島由紀夫)9歳の作文
28 : 「海」 先をと年、小田原の海へ行つたとき、大分沖の方まで泳いだら、お腹がいたくなつたので、およぎをやめて かへりました。するとその翌日、にはかにきもちが悪くなり、病気になりました。それで泳ぐのに、僕は こりごりして了ひました。(中略) 波打際であそんでゐると、ビーチパラソルの中から、をばさまが「こんどは少うし川の方であそんだらどうを?」 とおつしやつたので僕は「えゝさうしませう」といつて、弘道さんと、バケツやたもをもつて、川へいきました。 二人でふなの子をとつたり、水の中をあるいて向う岸へいきッこをしたりしてゐるとをばさまが大きなこゑで 「公ちやんとひろみちちやん! ごはんよ」とおつしやつたので僕とひろみちさんは一さんにかけて行つて おいしいおべんたうをたべたり、おしよくごのキャラメルをたべたりして、又一しきりあそんでかへりました。 その翌日は朝はやくおきて畑へ行くと、お百しやうさんが「このいも、まだあたらしいでがすよ。あんちやんたちに あげませう」とさつまいもをくれました。 平岡公威(三島由紀夫)9歳の作文
29 : 「大内先生を想ふ」 ヂリヂリとベルがなつた。今度は図画の時間だ。しかし今日の大内先生のお顔が元気がなくて青い。 どうなさッたのか? とみんなは心配してゐた。おこゑも低い。僕は、変だ変だと思つてゐた。その次の図画の 時間は大内先生はお休みになつた。御病気だといふことだ。ぼくは早くお治りになればいゝと思つた。 まつてゐた、たのしい夏休みがきた。けれどそれは之までの中で一番悲しい夏休みであつた。 七月二十六日お母さまは僕に黒わくのついたはがきを見せて下さつた。それには大内先生のお亡くなりになつた事が 書いてあつた。むねをつかれる思ひで午後三時御焼香にいつた。さうごんな香りがする。 そして正面には大内先生のがくがあり、それに黒いリボンがかけてあつた。 あゝ大内先生はもう此の世に亡いのだ。僕のむねをそれはそれは大きな考へることのできない大きな悲しみが ついてゐるやうに思はれた。 平岡公威(三島由紀夫)9歳の作文
30 : 「電信柱」 お家のお庭向きのへいの前に小さい道がある。 そしてそこに木でできた電信柱が立つてゐる。今日の噺はその電信柱の電線の噺である。 ある春の日、僕は縁側に座蒲団をしいて日向ぼつこをしてゐた。 その日は勉強もなかつたし、又遊ぶ事もなかつた。 それでなんの気もなくその電線をながめてゐた。するとそこへ、三羽の雀がさへづりながらとんできた。 三羽の雀はふとその電線の上へ停つた。そして鬼ごつこでもするやうに電線の上を飛び廻つたのだ。 その度に電線はゆらゆらとゆれた。そのとき電信柱は、 「雀さん、そんなに体の上を飛び廻つてはいたいですよ」 とでも云つたのだらう。三羽の雀は又話をしながらとんでいつた。 (続く) 平岡公威(三島由紀夫)9歳の作文
31 : 「電信柱」 それから月日はたつて八月になつた。 八月といへば暑いさかりである。 僕はハンカチーフで汗をふきふきシロップを飲んでゐた。 その時、僕の頭に浮かんだのは、あの春の日のことであつた。 今度は帽子をかぶり庭にでてその電線をみてゐた。 するとそこにはいつの間に来たのか沢山の小鳥が電線の上にとまつてゐて、大きな声をはりあげて歌をうたつてゐた。 あげは蝶や黄色虫が小鳥のまはりをとんでゐる。 樅(もみ)の木や杉の木や松などが歌に合はせて踊るやうに葉をうごかしてゐた。 お向ひの物干の青竹が笑ふやうにして云つた。 「電線さんおにぎやかですね」 平岡公威(三島由紀夫)9歳の作文
32 : 「松の芽生」 これはまだ僕が大森へ泊りに行かないまへの話です。 或る日お庭へ出て箱庭をなんの気なしに見たら、小さなざつ草を見つけたので、かはいい草だと思つて、掘つて おばあさまにお見せしたら、「あゝこれは松の芽生ですよ」とおつしやつたので、僕は拾ひ物でもしたやうに 有頂天になつて、急いで、又元のところへ植ゑました。そしてもつと有りはしないかと方々をさがしますと、 その箱庭のすみの方にと、それから小さい箱庭とにありました。それから毎日たんねんに水をやつたのです。 そのうちに僕は大森へ行つて今朝かへつて来ました。 平岡公威(三島由紀夫)年月未詳(推定は9歳)の作文
33 : 「涼しい夕涼みの一時」 入日が西の空をまつかにそめてゐます。 縁先の夕顔がぽつかり白い花をひらいた。昼頃降つた雨がまだかわからないのか。庭下駄でふむ庭の土が 何となくじめじめしてゐます。 それでまた一段と庭の空気が涼しいやうな気がいたします。 えんの下で名も知れぬ虫がなきはじめると、椿の枝の虫籠から、琴をひくやうに美しい鈴虫の音(ね)が、 そよ風に送られて僕達の耳には入つてまゐります。 やがて、松の小枝をとほして、うすい月の光がさしてきました。 太陽はもうすつかり西山に姿をかくして、うす暗い夕空には、月とそれから五つ六つの小さい星がきらきらと 輝いてゐるだけです。 平岡公威(三島由紀夫)年月不詳(推定9歳)の作文
34 : 「学校の二階の窓から」 いつもならさうも想はないが、かうやつてしみじみと二階から見える景色をながめると本当にいゝけしきだと思ふ。 赤坂御所の方はあまり木ばかり立つてゐてさうでもないが、学校のうらの製紙工場の方は木々が緑を増してゐて 何となく秋をおもはせる。 ごんだはらの市電停留所の所へつづいてゐる自動車路は大へん静で良い道路だ。 今度は一寸ちがつて左手の方をながめると、小高い丘の上に家が七、八軒並んで居る。黒い細い煙突から 煙が細く登つてゐる。そのそばに銀色をしたアドバルーンがふんはり浮いてゐる。 丘の上はこの位にして、段々下へうつつて行く。 先づお堀のすぐそばに四ッ谷のプラットホームがあるのがよくわかる。 こゝからは見えないが、始終、電車が出入してゐる。 半身黄、半身緑の市内電車が橋下のトンネルの中へ消えて行く。 (学校の二階のまどべの机で記す) 平岡公威(三島由紀夫)9歳の作文
35 : 「長瀞遠足記」 朝起きて見ると東の空がほのかに紅くなつてゐる。 あゝ今日は遠足の日だ。 いつもなら、女中が、 「お坊ちやまお起き遊ばせ」 位云つてくれてもなかなか起きない僕が、今日は起してくれる前におきて了つた。 女中にきいたのだが、僕が十一、二時頃おきて、 「もう朝になつた?」 と、きいたさうだ。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 それから僕はお母さまと書生とで池袋駅へ急いだ。 いよいよ汽車にのつてあこがれの長瀞へ行くのだ。 汽車の中では僕が色々なものをもつて来たので相当面白かつた。 「かァみながァとろォ かァみながァとろォ」 と叫ぶ駅夫の声に汽車が止つて、先づ宮様方がお下りになり、それから一年から順に汽車から下り、列を作つて、 神保博士の長瀞の石の『ちんれつくわん』へ行つた。 色々な見たこともない石があつた。 けれどもその内で一番僕の面白いとおもつたのは木の化石だつた。 太い木がそのまゝ石になつて居るのは、作つた物としか思へない。 (続く) 平岡公威(三島由紀夫)9〜10歳の作文
36 : 「長瀞遠足記」 たうとう河原についた。 こちらの河岸はまことに長瀞の名に応(ふさ)はしくトロトロと流れて居るが、向う岸は水が河底にある岩に 当つてドドドッとしぶきを上げて居る。 本当に『美しい天然』だ。 そこで少し休んで石畳でおべん当をたべた。ザアザアと流れる水の音をきゝながら御飯をたべるのは何とも云へない。 それから、遊園地を通つて、宝登山神社にお参りした。 そこで大へん面白い“獅子舞”を見せていただいた。 雄獅子が二匹と雌獅子が一匹とでピィヒャラピィヒャラとこつけいな踊りをした。 それがすんでから、神社に別れを告げ、この名ごり惜しい長瀞から東京へかへることになつた。 帰りに汽車の中で小松先生が俳句を一句作つて下さつた。その俳句はかうである。 長とろや とろりとろりと 流れけり 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 今日の美しい日は夢のやうにすぎて了つた。 長瀞遠足は大へん為になつた。 ほんとにいゝ遠足だつた。 平岡公威(三島由紀夫)9〜10歳の作文
37 : 「端午の節句」 四月の始から、もう端午の節句のセット等を、デパァトは店頭に飾り出す。四月の半ばになると、電車の窓から 見えるごみごみした町にも、幾つもの鯉のぼりが立てられる。腹をふくらまし尾を上げて、緋鯉ま鯉は 心ゆくまで呼吸する。彼等は町の芥を吸ひ取り、五月の蒼空を呼んで居るかの如くである。 かうして五月が来るのだ。 私の家も例年の様に五月人形を床の間に飾つた。いかめしい甲は最上段にふんぞり返つて、金色の鍬形を 電気に反射させてゐる。よろひも今日は嬉しさうだ。今にも、あの黒いお面の後から、白い顔がのぞき側にある 太刀を取つて……然し、よろひは矢張りよろひびつの上に腰掛けてゐる。松火台の火は桃太郎のお弁当箱を のぞいて見たり、花咲爺さんのざるの中を眺めたり、体をくねらして、大変な騒ぎである。 (続く) 平岡公威(三島由紀夫)中等科一年、12歳の作文
38 : 「端午の節句」 神武天皇の御顔は、らふそくの光が深い陰影を作り非常に神々しく見える。 金太郎は去年と同じく、熊と角力を取り乍ら、函から出て来た。よく疲れないものだ。お前がこはれる迄 さうして居なければいけないのだ。 さうして、人形は飾られた。白馬は五月の雲。 そして紫の布、それは五月の微風だ。 白い素焼のへい子(し)。 その中には五月の酒が満たされてゐる。 五月が来た! それは端午の節句が運んできたのである。 平岡公威(三島由紀夫)中等科一年、12歳の作文
39 : 「ある日」 ある日。 いつだつたかよく覚えてゐない。只その日にあつたことだけをおぼえてゐるのだ。なんでも春の夕方だつたとおもふ。 そしてまだ学校へはひらなかつた時らしい。 僕はお二階のヴェランダで女中にだつこをしてもらつてゐた。 女中に抱かれ乍ら僕は夕日の沈む空をみてゐたのだ。 すると遠くから一羽のとんびがまひおりてきた。空中で円い輪を描いて段々下へおりて大分下の方へきたら、 ものすごいスピードで溝をめがけて飛んだ。 そして空へ上つた時にはそのするどい爪で大きな溝(どぶ)ねずみをつかまへてゐた。 とんびはそのねずみをもつて松の木の上に止つた。 そこへ同じ大きさ位のとんびがやつてきた。前のとんびは後のとんびに頭をこすりつけ、一しよに仲よく そのねずみの肉をたべた。 僕は二羽のとんびに友達は仲よくせよといふことを教はつた。 平岡公威(三島由紀夫)10歳の作文
40 : 「夜のプール」 三時頃、林さんが来た。 僕はその前の日林さんの家へでんわをかけたのだ。そして、その時僕は、久しぶりで七時頃から夜のプールを 見にいきませうといつた。 果して林さんは来た。 ごはんをすませて三十分位たつた時の僕は、涼風吹くさはやかな外苑の夜道を足どりも軽くあるいて居た。 夜のプール。 物すごく明るい電気が左右から緑色のプールをくわうくわうと照らしてゐる。 ザブーン。 気持のよい音。五、六人一しよに飛びこんだ。サッサッ、水をかく音。ふとみると、夜空に日章旗が高く ひらめいてゐた。 平岡公威(三島由紀夫)年月不詳(推定9歳)の作文
41 : 「東京市」 昔は、秋風の吹くごとに、波の如くすゝきのざわめく武蔵野が、今や華やかな都東京市になつた。 それでも明治初期は、東京市と云つても所々に野原があり、本所、深川あたりでは狐狸(こり)が出て人を化かす といふ噺もあつたが、大正、昭和となつては、さすがそんな噂はなくなつた。けれども、淋しいと云へば淋しい。 その頃は新宿も市外で、今のかつしか、えばら区などと言ふ所は勿論かやぶき屋根の立並んでゐる村であつた。 しかし、明治初期の頃の日本橋、銀座は、割合に発展してゐて、越後屋、高島屋、白木屋などの大商店が軒を ならべて居たと云ふ。後に越後屋は三越と名を改め、外の大きな店々は三越と共に、豪壮なビルディングへ転居した。 昭和五、六年になると、東京市は実に偉大な発展を占め、旧市、新市合せて、何んと三十五区になつた。 おまけに、新宿が市内になり、銀座、日本橋、丸の内と合せて、東京市は東洋にほこる大都会となつた。 東京市は天をついて伸びてゆく、丁度若木のやうに。 平岡公威(三島由紀夫)10歳の作文
42 : 「我が国旗」 徳川時代の末、波静かなる瀬戸内海、或は江戸の隅田川など、あらゆる船の帆には白地に朱の円がゑがかれて居た。 朝日を背にすれば、いよよ美しく、夕日に照りはえ尊く見えた。それは鹿児島の大大名、天下に聞えた 島津斉彬が外国の国旗と間違へぬ様にと案出したもので、是が我が国旗、日の丸の始まりである。 模様は至極簡単であるが、非常な威厳と尊さがひらめいて居る。之ぞ日出づる国の国旗にふさはしいではないか。 それから時代は変り、将軍は大政奉くわんして、明治の御代となつた。 明治三年、天皇は、この旗を国旗とお定めになつた。そして人々は、これを日の丸と呼んで居る。 からりと晴れた大空に、高くのぼつた太陽。それが日の丸である。 平岡公威(三島由紀夫)11歳の作文
43 : 「三笠・長門見学」 船は横須賀の波止場へ着いた。ポーッと汽笛が鳴る。私達は桟橋を渡つた。薄曇りで、また酷い暑さの今日は、海迄だるさうだ。 併し、僕達は元気よく船から飛び出す。三笠の門の前に集合し、そして芝生の間の路に歩を運ぶ。艦前に来て 再び集まり、三笠保存会の方から、艦の歴史やエピソォドを伺つた。 お話が終ると私は始めて三笠を全望した。 見よ! 此の勲高き旗艦を。そしてマストにはZ信号がかゝげられてゐる。 時に、雲間を割つて出でた素晴らしき陽は、この海の館を愈々荘厳ならしめた。艦頭の国旗は、うすらな風に ひるがへり、今にも三笠は、大波をけつて走り出さうだ。一昔前はどんな設備で戦つてゐたのか、早く見たくなつた。 やがて案内の人にともなはれて急な階段を上り、艦上に入る。よく磨かれた大砲が海に向つて突き出てゐる。 こゝで日本の大きな威力が世界に見せられたわけだ。伏見宮様の御負傷の御事どもをお聴きして、えりを正した。 其処此処に戦士者の写真が飾られてあるのも哀れだ。 (続く) 平岡公威(三島由紀夫)中等科一年、12歳の作文
44 : 「三笠・長門見学」 私達は最上の甲板に登つて東郷大将の英姿を想像してみた。手に望遠鏡、頭上には高くZ信号。……皇国の興廃 此の一戦にあり、各員一層奮励努力せよ……。とは単なる名文ではなくて、心の底から叫んだ愛国の声ではないか。 士官の室が大変立派なのにも驚いた。又会議室へ行つて此処でどんな戦略が考へられたかと思つた。艦の全体に ペンキで戦痕が記されてある。こんなに沢山弾を受けたのに一つも艦の心臓部に命中しなかったのは畏い極み乍ら、 天皇の御稜威のいたす所であらう。艦を出て、暫時休憩し、昼食を摂る。休憩が済むと、再び海に沿うた道を歩く。 そここゝにZ信号記念品販売所等と看板があるのも横須賀らしい。さうする中に海軍工廠の門内へ入つた。 クレーンや、色々の機械の動く音と、金槌の音が、あたりを震はせてゐる。「今造つて居る戦艦は、十一月に 進水式をするのです」と案内の人が言つた。あちらでは古い旗艦を保存してゐるのに、こちらでは新しい軍艦が どんどん生れて来てゐる。一寸面白く思つた。 (続く) 平岡公威(三島由紀夫)中等科一年、12歳の作文
45 : 「三笠・長門見学」 其の内にランチへ乗る。さうして五分も経たないで長門につく。先づ此れを望んで、さつきの三笠と較べて見ると、 余りにその設備の新式なのに驚いた。艦上には四十糎(サンチ)の素晴らしい大砲がある。其の太い砲口から 大きな大きな砲弾が出たらどうであらうと思ひ乍ら、案内の人にともなはれて下へ行く、水兵さんの頭を 刈つて居る所、色々な室、何も彼も物珍らしく面白い。時間が無かつたので、ゆつくり見学することが出来ず 残念であつたが、記念撮影をして再びランチに帰つた。あゝ日本の精鋭長門、こんな軍艦があつてこそ、 日本の海は安全なのであらう。ランチが着き菊丸まで歩いて、かうして今日の有益な見学を終つた。 平岡公威(三島由紀夫)中等科一年、12歳の作文
46 : 「分倍河原の話を聞いて」 私達は早や疲れた体を若い小笹や柔かい青艸の上にした。視野は広く分倍河原の緑の海の様な其の向うには、 うつさうとした森があつて、遥か彼方には山脈の様なものが長々と横たはつて居た。白く細く見えるのは 鎌倉街道である。遠く黄色い建物は明治天皇の御遺徳を偲ぶ為の記念館であると、小池中佐はお話下さつた。 腰を下して、分倍河原の合戦のお話をお聴きする。元弘三年、此処は血の海が、清き流れ多摩川に流れ込んだのだ。 今でこそ此の分倍河原は、虫の音や水の流れに包まれてゐるが、六百年前には静寂がなくて其の代りに陣太鼓の音や 骨肉相食む戦闘が繰り返へされたのだ。《勝つて兜の緒を締めよ》この戦ひは如実に之を教へてゐる。 見よ。六百年の歴史の流れは、遂に此の古戦場を和かな河原に変化せしめたのだ。其の時、足下の草の中から、 小さな飛蝗が飛び出し、虫の音は愈々盛になつて居たのである。益々空は青い。 平岡公威(三島由紀夫)中等科一年、12歳の作文
47 : 「支那に於ける我が軍隊」 七月八日――其の日、東京はざわめいて居た。人々は号外を手にし、そして河北盧溝橋事件を論じ合つてゐた。 昭和十二年七月七日夜、支那軍の不法射撃に端を発して、遂に、我軍は膺懲の火ぶたを切つたのである。 続いて南口鎮八達鎮の日本アルプスをしのぐ崚嶮を登つて、壮烈な山岳戦が展開せられた。懐来より大同へと 我軍はその神聖なる軍をつゞけ、遂に、懐仁迄攻め入つたのである。我国としても出来得る限りは、事件不拡大を 旨として居たのであるが、盧溝橋事件、大山事件に至るに及び、第二の日清戦争、否! 第二の世界大戦を 想像させるが如き戦ひに遭遇した。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 (続く) 平岡公威(三島由紀夫)中等科一年、12歳の作文
48 : 「支那に於ける我が軍隊」 飲むは泥水、行くはことごとく山岳泥地、そして百二十度の炎熱酷暑、その中で我将兵は、苦戦に苦戦を重ねて 居るのである。その労苦を思ふべし、自ら我将士に脱帽したくなるではないか。たとへ東京に百二十度の炎暑が 襲はうとも、そこには清い水がある。平らかな道がある。それが並大抵のもので無いことは良く解るのである。 併し軍は、支那のみに止らぬ。オホーツク海の彼方に、赤い鷲の眼が光つてゐる。浦塩(ウラジホ)には、 東洋への銀の翼を持つ鵬が待機してゐる。我国は伊太利(イタリー)とも又防共協定を結んだ。 併しUNION JACK は、不可思議な態度をとつて陰険に笑つてゐる。 噫! 世界は既に動揺してゐるのだ! 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 支那在留の将士よ、私は郷らの健康と武運の長久を切に切に祈るものである。 平岡公威(三島由紀夫)中等科一年、12歳の作文
49 : 「菊花」 渋い緑色の葉と巧みな色の配合を持つた、あの隠逸花ともよばれるつつましやかな花は、自然と園芸家によつて 造られた。 園芸家達の菊は、床の間に飾られるのを、五色の屋根の下に其の艶やかな容姿を競ふのを誇りとし、自然の 造つた菊は、巨きな石塊がころがつて痩せ衰へた老人の皮膚の様な土地に、長い睫毛の下から無邪気な瞳を 覗かせてゐる幼児のやうに咲き出づるのを誇つてゐる。 前者は人の目を娯ます為に相違ないが、野菊の持つエスプリはそれ以上のものである。 荒んだ人の心の柔かな温床。 荒くれ男どもを自然の美しさに導く糧。 それが野菊である。 《鬚むじやらの人夫などが、白と緑の清楚な姿に誘はれて、次々と野菊を摘んで行き、山の端に日が燃え切る頃、 大きな花束を抱へて嬉しげに家路に着く》それは美しい風景ではあるまいか。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 時は霜月。 木々が着物を剥がされかけて寒さに震へる月であるが、彼の豪華な花弁が野分風も恐れずに微笑む時である。 平岡公威(三島由紀夫)中等科一年、12歳の作文
50 : yh
51 : 「土耳古(トルコ)人の学校」 私の家の横にある坂を登つて細い道を真直に行くと、剥げた水色の番瀝青(ペンキ)に飾られた貧しい垣と 低い門が有る。其の門柱には墨で描いたのか殆ど見えない様な字がある。上方のは、土耳古回々教学校とどうにか 読めるが、下の方の奇妙な外国語がちよいちよいと顔を出して大抵消えてゐる。木造の洋風家屋は風景な庭の 一隅にあつて、二階は寄宿舎で階下は教室らしい。 日曜など、八時頃に起きて散歩に来て見ると、土耳古人の子等がどやどやと入つて行く。日曜だから御説教でも 聞くのであらう。昼過ぎになると出て来る。 寄宿舎に居るものは、かなり小人数らしい。女の児の方が多いが、男の子も少なからず居る。併し、彼等は実に 哀れな身装(みなり)をして居るのである。バンドのない状袋の様な洋服や、男の子達は短い皴くちやなズボンを はき、見悪(みにく)く汚ない上着を着けて居る。時々彼等の口から本国の民謡風のものが唱はれるが、他は 流暢な日本語である。 平岡公威(三島由紀夫)中等科一年、12歳の作文
52 : 「土耳古(トルコ)人の学校」 或る雨の日、彼等ゴム長靴連の行方を見てゐたら、代々木八幡の方角であつた。何処でどんな暮しを行つて居るのか、 私は彼等の生活の上に好奇心を持つ。又彼等の容貌は云ひ知れぬ愁ひを含んでゐる。其の眼は、五月の空のやうに 蒼く美しいが、眉の奥深く黒い縁にかこまれて冷え切つた荒野の土のやうに沈んでゐる。その頭髪はブロンドも あれば、稍(やや)鳶色のもあるが、酷く手入を怠つてゐると見え、雀の巣のやうである。疲れ切つてほのかな 紅色を失つた頬。凡て快活な少年少女らしさを失つて居るとはいふものゝ、彼等はよく遊ぶ。 固いボールを以て。 校庭の山羊を相手に。 秋雨の日など、よぼよぼの牝牡の山羊が、ぬれた雑草を食べてゐる。 此の老夫婦の所へ、もう直ぐ小山羊が来るさうである。 山羊は、親しみを湛へた目で私に寄つて来る。 平岡公威(三島由紀夫)中等科一年、12歳の作文
53 : 「胃」 印度古代一青年美女に恋せり。 美女傍らに熟睡せる時、仏、青年をして変形せしめ美女の口に入れしむ。内に森あり、花園あり、一宇の堂あり。 金色妙なる龕の中に金色に輝くもの安置せらる。 一尼僧出でて曰く、 こは胃也。 何万億年前の汝の胃に汝自身が惹かれ汝自身が恋する也。 いでその胃が女に宿りし来歴を語らん。 ……大海をわたり…… つひに胎内に胃となつて結実せり。 即ち汝は汝自身に恋する也と。 「女死する後、 たをやかなる胃はその体内より語り出だせり、 われを忘れざれ、 何万年の後われは再び生れん、われを焼け」 ○――――――――――○ 「輪廻は性を転ぜしむるものでありませうか?」 「極めて容易に」と婆羅門はこたへた。「相恋する男女は共に自己が輪廻の上にかつてありし自己の証跡に 恋するものであります」 ○――――――――――○ 平岡公威(三島由紀夫)20歳「詩論その他」より
54 : 「胃」 機縁 ある旅行者が野中の一軒家に入る。 するとその中にはその外部にある一切のものがあつた。 その内部のひろさは外部(全宇宙)のひろさと同様であつた。 しかし人かへつてこれを告げるや、婆羅門は微笑んで云つた。 おまへはその中に入つたと見た時、はじめて真に現存の世界にはひつたのである。おまへが見たといふ現世と 同じ世界は、この現世そのものであつたのである。しかしはじめて機縁が、この現世とその広さを汝自身に 示したのである。この世界は一であるが、機縁なきものゝ心にある世界と、機縁あるものゝ心にある世界とに わける時二つになる。汝は汝自身の内へ汝の第二の世界に入り得たのであると。 この世界は一にしてしかも二重である。 平岡公威(三島由紀夫)20歳「詩論その他」より
55 : あぷ
56 : http://unkar.org/r/ihou/1261012447#l85
57 : 花が咲くとは何といふ知恵のかゞやきでせう。咲くとは何といふ寂しく放胆な投身の意味。外へ擲(なげう)つことが 却つて中へ失はしめる勇気のあらはれです。内外の間に存するものをそれは捨てもせず生かしもせずきはめて 爽やかにさうと試みるのでした。この生命への不遜がいつか或るより大きな意味に叶つてゐることを信じ させずには舎(お)きませんでした。(中略) 花が咲くとは運命でありませうか。花が咲くとは決心でせうか。僕にはそれがよくわかりません。まことに 荒々しい力が優に美しいものを押しゆるがしそこに震盪と困惑にみちたあまりに、憧れに近いやうな心地を 生み出すのを、人は創造とのどかによびます。運命も決心をもさういふ創造の一党だと私は信じ難かつた。 花が咲くとは風が吹き鳥がうたふやうに、あるおほきな無為から生れたもう動かしがたい痺れたやうな創造だと 僕は思ひました。決心も運命もそこでは投身そのものではなく、投身直前の、あのゆらゆらしたなつかしい虹の 時間でありました。 平岡公威(三島由紀夫)19歳「廃墟の朝」より
58 : (中略) もう一度僕らは同じ質問をくりかへしませう。「花が咲くとは?」「なぜ花は咲く」「いかにして花は咲く」 「なんのために」質問はこのやうに微妙な変様をかさねます。ともあれ花が咲くといふこの言葉、なんといふ なつかしい慰めにあふれた言葉でありませう。それは訪れです。それは一つの便りです。それはある確乎たる海の 訪(おとな)ひのやうなものでした。燕とぶ巷をこえ潮風にきらめく松林の梢はるかに輪廻のやうに音立てゝゐる あの海の訪れでした。(中略) 季節をまちがへずに咲くことはよいことにちがひありません。しかし花が咲くのはそのためばかりではありません。 多くの愛恋から見離され、かずかずの哀しみを拒みながら、抱きつゞけられたひとつの約束を、みごとにいさぎよく 破ることでもありました。さうした清らかな違約は、単なる放恣ではなしに、ある与へられた回帰の命令であつた。 出発への不信からではなく、もはや浄福にまで高められた信頼からもえ出でてくる素直な拒否のしるしであつた。 花を聡明なる宇宙とよぶなら、それはかうした聡明さであらねばならなかつた。 平岡公威(三島由紀夫)19歳「廃墟の朝」より
59 : 詩人は今日こそ花が咲く季節々々を呆けてうたつてゐてはならないのです。今こそよみがへる花々の歌が、 その死の意味よりして、切なく奏でられねばなりません。よみがへる日はおほきな回帰の日であつても出発の日とは なり得ません。人々は死ぬやうにしてよみがへる。花々は枯れるごとに咲く。それはたゞ徒爾でせうか。救ひが 来る時、来るのは救ひではなくて、いつも慰め手であるやうに思はれるのです。花々の咲くのがつねに慰め手の 来訪にすぎぬのなら、なぜもつてそれは僕らのよすがになり得ませう。茲(ここ)に待つことのはかりしれない深さが、 菖蒲の園を侵す夕闇のやうに、濃まやかにあたりを籠めて下りてくるのであります。 しかし待つことについて僕らはまだいふべき力をもちません。もつと耐へ、もつと書いてからでなければ。 もつと生き、もつと苦しまねば。さうして莞爾としつゝ心はいつもあらたな悲しみに濯がれてゐることをもつと 学ばなくては。かくして詩人はいつの日も失はれたる預言の遵奉者です。この上なく直截に、「花が咲く」と うたひうる人です。 平岡公威(三島由紀夫)19歳「廃墟の朝」より
60 : 昔、燦爛たる天空へ手をさしのべて星占ひした人々が僕には羨ましさの限りでした。万物と一つにならう、 万物の嘆きと一つにならうとする豪毅な意志をもつ人よりも、彼らはむしろつゝましやかに万物を彼ら又ひいては 僕らすべてに対する示者とみる人でありました。僕らの目が万物から何ものかを示されることを信じたのです。 しかし僕らと万物の関係は、自と他の対局ではなかつた。そこにあるものはもつと秘めやかな不可思議な聨関で ありました。万物は僕らにむかふときいつも高貴な示者であつたのです。それは同時に、僕らが「映すもの」で あつたといふことです。のりかゝること、憑くこと、存在の本質を蝶のやうに闊達に舞ひのぼらせ、分ちながら 投身すること、それを僕らは示すと呼びました。映すことには之に反してある熱い無為のこもつた正確さが 在つたのです。憑かれながら確固として映すのが、僕らの所業でした。そのとき示者と映すものとは共に他であり 同時にまた共に自でありえたのです。 平岡公威(三島由紀夫)19歳「廃墟の朝」より
61 : (中略) 示者によつて身を見ることこそ、創造の理に外なりませんでした。星占者はかくて身を見るもの、すなはち彼らは 天への彫塑者でした。宇宙への正確な造形術を、自分の克明な手の皺のなかに、しかと弁へてゐたのでした。 彫刻の不朽なかなしみを誰よりも直截に云ひえたのは彼らであつた。示者の憤りを誰よりもよく知つてゐたのは 彼らでした。 かういふ星占者のかなしみも僕にはよくわかるやうな気持がします。宇宙に対して彫塑者の手をもつこと、 それはどんなに人間であるゆゑの悲しみにみちた事柄でせう。僕らの手がそつくり天のどこかの一隅にのこされて しまふとき、僕らは弁証にあふれた星空を、支へきれぬほどに重たく感じるでせう。僕らには星座のやうな孤独が 降りてくるでせう。この種の孤独のなかでは、神と親しいものたらんがために、永遠に神を拒否しつゞけねば ならぬでせう。そして一言否といふたびに僕らは千度の投身を敢てせねばならぬのです。 平岡公威(三島由紀夫)19歳「廃墟の朝」より
62 : (中略) 僕らは薔薇の花に背をむけるとき、その背の向け方から学ばねばなりません。季節がめぐるのは、――夏の最後の 光輝をつんざいて黒々とした葉につゝまれた樫が、はや初菊の薫りをはこんでくる雲のゆきかひに、荘厳に身を ふるはす刹那のやうに――、花々の饗宴のあとに豊かな収穫の秋が訪れ、やがて連峯の頂きをめぐつて白雪の かゞやきが日ましにひろくなつてゆくのは、一つの礼節なのであります。知恵にみちた、ふしぎなやさしさに みちた礼節でありました。かうした礼節のひそかな正しい愛を僕らには測らう術もありませんでした。ある確かな 領域を占めてゐるのに測られぬ物事があるものです。そこでは測られると云ふさへ、可能の意味ではないのでした。 信ずるといふ尺度によつてのみ正確な度数を示して測られる物事があるものです。そのとき信ずるといふこのことは 物差でさへないのでした。触れて来るものをみなその内へとりこんでしまふやうな明澄さ。快晴の内部。僕らは 内部へ陥ちてくるものゝみを信じようとして、その内部自らのおほきな陥没について知りませんでした。 平岡公威(三島由紀夫)19歳「廃墟の朝」より
63 : 礼節のまことのやさしさに僕らは盲ひであつたのです。礼節が詩人のみぶりとなるや、厳かな愛が彼らを貫いて ながれました。運命の突端を担ひながら、彼らはめぐりゆくものに自分たちが親近にするのを感じました。 超克といふことの深いかなしみも、彼らには大らかな礼節をのぞいては考へられなかつたのです。洵に岸を 歩む人である僕らは、たえず彼岸の意識に浸つてゐます。しかし彼岸への川の超克が僕らの考へ得るすべてであるなら、 それは侘しいことではないでせうか。とりわけ川のはてに日が沈み、夕映えが水に映つて千々に砕かれた牡丹のやうに みえるときは。…… かくて僕らは最初の言葉だけが確かであるとの誤謬に陥るのではありますまいか。その後のことばの証しは 軽んぜられて、預言のみが。その後のことばのすべてが再び最初の言葉であれ不当に要求される誤りが。――第二の 言葉であることは第三の言葉であるよりも辛いことであります。花が咲くとはむかし第一の言葉でありました。 今やそれは第二の言葉であります。むしろ第二の言葉であれと花が花自身に教へるのでした。 平岡公威(三島由紀夫)19歳「廃墟の朝」より
64 : 来週、ABSの「現金化ユキチカ!」で特集やるでしょ
65 : 星がまたゝき、葉末に露が結ばれ、萩の下かげに虫がすだくのさへ、なべては第二の言葉にならうとしてかなしんで ゐる万物のいとなみではないでせうか。僕らにとつて生きてゆくことは宿題でも追憶でもなくなるでせう。 生きてゆくことは僕らにとつて凝視に庶幾(ちか)くなつてゆくでせう。凝視といふのが当らぬなら、凝結といふも 同じことでせう。生成としての凝結でなしに、凝結があらゆる一瞬にまつはつてゐて、間断なくそれに生の意味を 与へること。やがて僕らは斜めにとびゆく星となるために身を削がれるでせう。やがて僕は蠅のやうに物狂ほしく 宇宙の時象めがけて飛ぶでせう。それらの時象の目をさまたげ、あらゆる対象の圧者となるでせう。僕らは このやうな驕慢な倫理を深く愛します。僕らは翼の遍在を信じ、それらの翼の戮者を信じます。あまりにも すみやかな愛を信じ切つて、その愛のなかへ千度の投身を敢てして、なほ且つ僕らはその愛と共にゐることを 忘れるのです。共在を忘れることによつてのみ、僕らの愛は完成するのでした。 平岡公威(三島由紀夫)19歳「廃墟の朝」より
66 : (中略) 優れた無為、それを僕らは水や風に対して考へました。先づ僕らは風のことを夢想しました。晴天の、凪ぎつくした 海にあつても、ある距離だけ岸から離れると、そこにはいつも帆船の帆を孕ますに足り乗手の髪をなびかすに足りる ある不朽の迅速な風が吹いてゐるといひます。その風はなまなかの生物とは関はりのない、しかも一種過敏に 失した傷つき易さをもつ非情の風でありました。なぜならその風の所在に触れそれを感じそれを耳に聞き目に見 鼻に嗅ぐ時のみでなく単にそれを知りそれを夢見るにすぎぬ時でも忽ちにしてそれ自身の本質を根底から変へて しまふやうな存在をもつた風でした。常住である点で頑なであり、傷つき易い点で優柔であるその風は、無関心と 非情の性質に於て、却つて人間の本質と深く相触れてゐるのでした。人間存在の本質を抹するその風に、実(げ)に 人間の真の不在が、即ち真の本質が潜在してゐるのではなかつたでせか。そこでは微小なポジティヴに対する 無窮のネガティヴがあり、あの巨大な夜のやうに鏤められた星辰を以て僕らを深く覆うてゐました。 平岡公威(三島由紀夫)19歳「廃墟の朝」より
67 : かやうなものこそ宇宙の啓示といへ神秘なる証しといへます。そこは到達しがたい裏側であるが故に、何事にも 代へ得ざる礎の有処でした。あの烈しい実在の正統な母胎でありました。いかなる壮麗無比の夢がその風のなかで ゑがかれようと、風は突如としてその夢を奪ひ、奪はれた夢のなかへ急速に陥ちてゆきます。激しく奔騰しながら 風は嘶きました。人間の夢のひとつひとつが風にはあらはな敵意と感じられたのです。 人間はこの風を記述するのに嘗て方法を知りませんでした。陸(をか)に揚げられるや忽ちその光輝は失はれ 華麗極まる彩色の美も死灰の色に移ろふといふあの深海魚をさながらに、人間のもつ作用の最も遥かな作用である 「知ること」に依つてすら、目にもとまらぬ迅さで風は己が様態を変へてしまふのでした。知ることを超えて いかなる記述があり得ませうか。 深海魚のもつ美しさといへども、海底ふかく潜つてゆけぱ、目のあたり之を見ることができます。が、銀貨の 表をしてその裏を窺はしめることは不可能事でなくて何でありませう。しかもこの裏面は不動の厳めしい裏面では ありませんでした。 平岡公威(三島由紀夫)19歳「廃墟の朝」より
68 : この風こそは人間の真の不在をひつきりなしに証ししてゐるたをやかな面差の持主でありました。東方の仏陀のやうな 幽婉さを以て、宇宙万象のときめきに美しく慄へつゞけました。おもへば烈しい実在が人間の悲劇となることも、 その実在が彼(か)の風から生れ彼の風の逆説をきらびやかに身に纏つて、扨て人間の陥没をあまりにも荘厳に アンダラインするからでした。風は逸脱と普遍によつて、摩訶不思議な中間者となりました。媒体ではなく中間者に。 風は超えるといふことを逸脱しつゝ自由でした。超者と被超者との間を自由に往来できるのは風のみでした。 そこに於て風は手を要しませんでした。風は手をもちませんでした。 それだのに、手をもつ人間が、かやうな風の嫡子たる烈しい実在を内在する機会に遭ふとは、いかに高貴な苦悩に みちた歓びでありませう。清らかな愛の証跡も、運命の苦しい水脈(みを)も、あまねく歌ひつくされて、ふと 物に憑かれたやうに立止るあの真昼の時刻の歓びでありました。それは人間の癒しがたい疫病ではありましたが、 その悲劇の本性に於て、人間の魂の健康に相触れるところが寡くなかつた。 平岡公威(三島由紀夫)19歳「廃墟の朝」より
69 : この風こそは人間の真の不在をひつきりなしに証ししてゐるたをやかな面差の持主でありました。東方の仏陀のやうな 幽婉さを以て、宇宙万象のときめきに美しく慄へつゞけました。おもへば烈しい実在が人間の悲劇となることも、 その実在が彼(か)の風から生れ彼の風の逆説をきらびやかに身に纏つて、扨て人間の陥没をあまりにも荘厳に アンダラインするからでした。風は逸脱と普遍によつて、摩訶不思議な中間者となりました。媒体ではなく中間者に。 風は超えるといふことを逸脱しつゝ自由でした。超者と被超者との間を自由に往来できるのは風のみでした。 そこに於て風は手を要しませんでした。風は手をもちませんでした。 それだのに、手をもつ人間が、かやうな風の嫡子たる烈しい実在を内在する機会に遭ふとは、いかに高貴な苦悩に みちた歓びでありませう。清らかな愛の証跡も、運命の苦しい水脈(みを)も、あまねく歌ひつくされて、ふと 物に憑かれたやうに立止るあの真昼の時刻の歓びでありました。それは人間の癒しがたい疫病ではありましたが、 その悲劇の本性に於て、人間の魂の健康に相触れるところが寡くなかつた。 平岡公威(三島由紀夫)19歳「廃墟の朝」より
70 : (中略) 風について語ることは、恰かも透視者がその霊妙な術を施し終つたあとで感ずるやうな死に庶幾(ちか)い疲労を 呼びさまします。透視者はその果てに死ぬといはれてゐます。しかしこのやうな疲労こそ人間の営為が、ある深く 美しい無為につながつてゐることの一つの証跡であり、人間の営為がかうした美しい無為を橋としてのみ現象と 実相のいづれからも逸脱し得るといふ一つの教へでありました。逸脱と遁走、――疲労はそれへの方法でした。 迅速きはまりない風に対して、彼(か)の美しい無為を持することは、巨きな古代の節制でありましたが、現代は その代償に、死の惧れさへある疲労を負はせずには措きません。嘗て多くの船舶が憩うてゐる波止場の切岸に 立つた僕は、水面に向ひ沖に向つてこのやうに呼びかけました。水よ! 水は永遠に疲れてゐる。汝の内にいかに 強い意志が籠り、いかに烈しい決心が宿らうとも、汝自身のもつ疲労をあざむくことはできぬ。疲労は汝の属性であり、 汝も亦、疲労の属性であるからだ。永遠に疲れたるものよ。実在をたしかに支へ、支へる力の無為のために、 驕奢を保て。 平岡公威(三島由紀夫)19歳「廃墟の朝」より
71 : (中略) ――僕は水にむかつこのやうに呼びかけました。水はそれに応へるやうにもみえなかつた。そこで僕は青い山々に 向つて、群れ飛ぶ鶴に向つて、古代の国々に沿うて流れる海峡の潮に向つて、折から数多の松笠が夕映のなかに 耀いてゐる傾ける松の森に向つて、檜の薫高い谿間に向つて同じやうに呼びかけました。万象は応へることを止め、 死にゆく神のやうに凝然とうなだれました。そのとき僕は、今もなほ僕自身が呼ぶものであることを、深く羞ぢました。 自ら宇宙の静謐の一分子であるといふ至上の愉楽は、今在る苦しみに身悶えする人間にとつて、いつかは最高に 享受されるでありませう。それまでいかにしてこの苦しみをつゞけるか。否、持続の意識が、既にその苦しみを 軽減するでせう。かゝる軽減から更に悪しきものは生れ出ても、どうして良きものが生れませう。投身と陥没が、 逸脱と遁走が、小田巻のやうに美しく輪廻せねばなりません。苦しみが将に此処にある日のことを、僕らは 祝日として歌ふべきであります。 平岡公威(三島由紀夫)19歳「廃墟の朝」より
72 : (中略) 今日、出発の意味を真に知るために、知慧の輝きがいかなる値ひを持つべきか、僕らはくどくは云ひますまい。 出発は輪廻からの解放ではなしに、まことに美しい日のための、輪廻の祝典でありました。そこでは知慧といふ 優雅な衣裳の、繊細な褶(ひだ)のひとつひとつが、たぐひなく華麗なものとみえ、すべては驕奢の、魅はし ふかい影にあふれてゐました。僕らは斯くして、帆や旗について考へたのです。 帆や旗について、あれらの闊(ひろ)い風について僕らは考へたのです。すべてはためくもの、はためく姿を以て 風に対するもの、さういふ存在の比喩を僕らは熱心に考へたくおもひました。人間があの仏蘭西(フランス)の 哲人の云つたやうに葦であるべきか、また今茲に語るやうに旗であり帆であるべきか、――彼の偉いなる風を 語つたのち、僕らは思惟したく考へました。なべてはためくもの、烈しい実在をば己が裏側から刻明に表現しようと する努力。僕らはさうして僕らの裏側を、この上なく烈しいものに対する、繊巧無比な楯としました。その楯は 人を覆ひかくす世の常の楯ではありませんでした。 平岡公威(三島由紀夫)19歳「廃墟の朝」より
73 : (中略) 人間の所謂発見とは? 寓話はいつでも教訓の私生児です。即ち人間が為し得る発見は、あらゆる場合、宇宙の どこかにすでに完成されてゐるもの――すでに完全な形に用意されてゐるものの模写にすぎないのでした。発見は 完成の端緒であるといふ言葉は、また、完成は発見の端緒であると、神秘な口調で言ひ直すことができる筈でした。 「完全に」――この言ひ方は時空を超えた言ひ方であるのでした。在るとは在つて了つたといふことであり 在るであらうといふことでした。そして同時に、不在の意味が極度に神聖視される筈でした。完全存在が完全不在の 高貴な雛型となる筈でした。その場所では、本物も偽物も模写も同じなのではありませんか? 贋金つくりは 正銘の金貨をいやでも作るのではありませんか。偽物も本物も全く同価値ではないのですか。 では何故いふのです。正真の「永遠の青空」などと。あれは冗談ですか。却々(なかなか)以て、人間はこれ以上 真面目な物言ひはできぬ筈です。 平岡公威(三島由紀夫)19歳「廃墟の朝」より
74 : なぜなら右のやうな完全さが人間界で通用するとは人間の可能性を予めすものであり、可能喪失の足場に於てこそ 一番高い建築がなされ得るからです。一番高い建築とは、即ち人間の死でありました。 この得難くまた得易い秀麗な建築。それについて語ることは又更に大いなるものについて語ることでもあります。 そしてその建築の哀切な高さについて。 可能性を放棄するとき人間の身丈は嘗て見ざるほど高くなるであらう。その高さは深部の明澄とすらもはや 無縁なものであるだらう。しかしどこか脆弱な高さである。僕らはそれに気附いて戦慄しました。 死といふものが、あの物質の老朽のやうに、一刻々々が予兆にも触れられざる潔癖な緩さに満ちたものだつたら。 海に沈む日のやうに、蒼褪めた死神の頬をも染めて止まない赫奕たる幻光を放つものだつたら。頽落する宮殿のやうに、 時間の秩序を徐々に濁らせ、つひには別箇の瑰麗な秩序へと凝結させる性質のものだつたら。又は、地上に落ちる 流星のやうに、ある高貴な衝動が無為にかゞやいた一本の弧にまで浄化されるのであつたら。――それはよいであらう。 平岡公威(三島由紀夫)19歳「廃墟の朝」より
75 : しかし人間の死は、人間の死は何か別のものです。残された意志と云つたやうなもの。地球がもつ頽唐の感情を 奪去つたやうな一つの意志。最後の征服意志。時空の中絶をも奪はうとする一つの意志が、あるひは死への熱情となり、 あるひは不死への願望となるのでした。そして時にはそれが、人間に対して死自身がもつ不変の意志とも、全く 一致することさへあるのでした。そのみかけからの共謀も、戦慄に価する脆さをば、打破るわけにはゆかなかつた。 可能性の放棄といふ気高い英雄的行為。その高さが意志によつて脆くされるのであらうか。意志といふ白蟻が、 塔の高さを毀つのであらうか。否、むしろあの高さは意志様態であつた。意志の暗示のてだてであつた。たゞ 可能性の放棄は意志ではなかつた。可能性は意志の原形であつたから。ではそこにいかなる造形術が企てられたの でしたか。僕らの原始のいかなるデフォルメーションがなされたのでしたか。それは言ひ難いことの限りでありませう。 平岡公威(三島由紀夫)19歳「廃墟の朝」より
76 : (中略) 「待つ」、それはどんなに贅沢な約束であり悔恨でさへありませう。待つといふ刹那を信ずるために、今までの 人類の歴史はひたすらにめぐりつゞけてきたのではないのか。その美しさは放心と等しく、その謐けさ寧らかさは 不屈な魂の距離であつた。このやうな距離にぬれながら、かつてなきさはやかな背信を不断に投げつゞけて くれるのは、あなたではなかつたか。――僕らは畢竟かくして二人称へとかへるでありませう。僕らの本然の故郷、 その二人称の場所にこそ、僕らの勇気が、僕らの愚行が、甲斐なきことの純潔さを以て、乾き、また乾かされ、 たんぽゝの綿のやうに飛翔(といふより盈溢)を待つでありませう。その花蔭は、花々の密度にひしめき、海よりも なほ色濃く、今や可能の微風の内に、最初の戦慄を伝へてくるであらう。場所の不易、場所の不朽が、今こそ僕らを 飛翔させるであらう。百万の王国の名にも値ひせぬ僕らの政治が、昼の間は、貝殻のやうに快晴の希臘を映し、 甘美な埃を夢みず、あらゆる立法の又とない出帆の契りのため、千代かけてサン・サルヴァドルたらんと念ずるで ありませう。 平岡公威(三島由紀夫)19歳「廃墟の朝」より
77 : When a stutterer is struggling desperately to utter his first sound, he is like a little bird that is trying to extricate itself from thick lime. Yukio Mishima, The Temple of the Golden Pavilion 吃りが、最初の音を発するために焦りにあせつてゐるあひだ、彼は内界の濃密な黐(もち)から身を引き離さうと じたばたしてゐる小鳥にも似てゐる。
78 : What a dazzling thing it was, this scornful laughter! To me there was something brilliant―brilliant like the light reflected from the clusters of leaves―about this cruel laughter of my classmates which was so characteristic of boys of their age. Yukio Mishima, The Temple of the Golden Pavilion 嘲笑といふものは何と眩しいものだらう。私には、同級の少年たちの、少年特有の残酷な笑ひが、光りのはじける 葉叢のやうに、燦然として見えるのである。
79 : She looked like a madwoman who has been caught. Her face was motionless under the moon. Until then I had never seen a face so full of rejection. My face, I thought, was one that had been rejected by the world, but Uiko's face was rejecting the world. The moonlight was mercilessly pouring over her forehead, her eyes, the bridge of her nose, her cheeks; but her motionless face was merely washed by the light. If she had moveed her eyes or her mouth even a little, the world, which she was striving to reject, would have taken this as a signal to come surging into her. Yukio Mishima, The Temple of the Golden Pavilion
80 : 彼女は捕はれの狂女のやうに見えた。月の下に、その顔は動かなかつた。 私は今まで、あれほど拒否にあふれた顔を見たことがない。私は自分の顔を、世界から拒まれた顔だと思つてゐる。 しかるに有為子の顔は世界を拒んでゐた。月の光りはその額や目や鼻筋や頬の上を容赦なく流れてゐたが、 不動の顔はただその光りに洗はれてゐた。一寸目を動かし、一寸口を動かせば、彼女が拒まうとしてゐる世界は、 それを合図に、そこから雪崩れ込んで来るだらう。
81 : I gazed at it and held my breath. At the face whose history had been interrupted at just this point, and which would not tell a single thing regarding either the future or the past. Sometimes we see such a face on the stump of a tree that has just been chopped down. Though the cross section of the tree is young and fresh in color, all growth has ceased at this point; it is open to the wind and the sun, to which it should never have been opened; it is exposed suddenly to a world which was not originally its own―and on this cross section, drawn with the beautiful grain of the wood, we see a strange face. A face that is held out to this world just so that it may reject it.... Yukio Mishima, The Temple of the Golden Pavilion
82 : 私は息を詰めてそれに見入つた。歴史はそこで中断され、未来へ向つても過去へ向つても、何一つ語りかけない顔。 さういふふしぎな顔を、われわれは、今伐り倒されたばかりの切株の上に見ることがある。新鮮で、みづみづしい色を 帯びてゐても、成長はそこで途絶え、浴びるべき筈のなかつた風と日光を浴び、本来自分のものではない世界に 突如として曝されたその断面に、美しい木目が描いたふしぎな顔。ただ拒むために、こちらの世界へさし出されて ゐる顔。……
83 : Insensitive people are only upset when they actually see the blood. Yet, by the time that blood has been shed, the tragedy is already completed. Yukio Mishima, The Temple of the Golden Pavilion 鈍感な人たちは、血が流れなければ狼狽しない。が、血の流れたときは、悲劇は終つてしまつたあとなのである。
84 : The shop was filled with a peculiarly American odor, half the hygienic smell of medicines, half the sweet, clinging odor of bodies. The customers were almost all women middle-aged or older, with proud eyes and heavily painted lips, attacking large sweets and open sandwiches. Despite the noise and bustle of the store, there was something very lonely about the individual women and their appetites. Sad, lonely, like a performance by so many consuming machines. Yukio Mishima, Thermos Bottles
85 : アメリカ特有の匂ひ、衛生的な薬品の匂ひと甘いしつこい体臭とを五分五分にまぜあはせたやうな匂ひが店内に 充ちてゐた。ほとんど中年以上の女客が、濃い口紅を塗り、威丈高な目つきをして、大きな菓子やオープン・ サンドウヰッチと取り組んでゐた。これだけ騒々しい店なのに、着飾つた一人一人の孤独な女たちの食慾には ひどくしめやかなものがあつた。しめやかな、淋しい、沢山の消化器の儀式のやうだ。 「魔法瓶」
86 : The Great Imperial Concubine was not, as was so widely believed, the personification of Courtly elegance, but, rather, a person who found the real relish of life in the knowledge of being loved. Despite her high rank, she was first of all a woman; and all the power and authority in the world seemed to her empty things if they were bereft of this knowledge. Yukio Mishima, The Priest of Shiga Temple and His Love For, whatever a woman may say about abandoning the world, it is almost impossible for her to give up the things that she possesses. Only men are really capable of giving up what they possess. Yukio Mishima, The Priest of Shiga Temple and His Love
87 : この貴婦人は優雅の化身といふよりも、愛されるといふことに壮大さの趣味を託してゐる人だつたのである。 高位の貴婦人であらうと、女である以上、愛されるといふことを抜きにしたいかなる権力も徒である。 一体女には、世を捨てると云つたところで、自分のもつてゐるものを捨てることなど出来はしない。男だけが、 自分の現にもつてゐるものを捨てることができるのである。 「志賀寺上人の恋」
88 : An onnagata is the child born of the illicit union between dream and reality. Yukio Mishima, Onnagata 女方こそ、夢と現実とのの交はりから生れた子なのである。 「女方」
89 : Ranged across the top of the radio were a small china dog, a rabbit, a squirrel, a bear, and a fox. There were also a small vase and a water pitcher. These comprised Reiko's one and only collection. But it would hardly do, she imagined, to give such things as keepsakes. Nor again would it be quite proper to ask specifically for them to be included in the coffin. It seemed to Reiko, as these thoughts passed through her mind, that the expressions on the small animals' faces grew even more lost and forlorn. Reiko took the squirrel in her hand and looked at it. And then, her thoughts turning to a realm far beyond these childlike affections, she gazed up into the distance at the great sunlike principle which her husband embodied. Yukio Mishima, Patriotism
90 : ラヂオの横には小さな陶器の犬や兎や栗鼠や熊や狐がいた。さらに小さな壺や水瓶があつた。これが麗子の唯一の コレクションだつたが、こんなものを形見に上げてもはじまらない。しかもわざわざ棺に納めてもらふにも当らない。 するとそれらの小さな陶器の動物たちは、一そうあてどのない、よるべのない表情を湛へはじめた。 麗子はその一つの栗鼠を手にとつてみて、こんな自分の子供らしい愛着のはるか彼方に、良人が体現してゐる 太陽のやうな大義を仰ぎ見た。 「憂国」
91 : There was the sound of a car outside the window. He could hear the screech of its tires skidding in the snow piled at the side of the street. The sound of its horn re-echoed from near-by walls. ...Listening to these noises he had the feeling that this house rose like a solitary island in the ocean of a society going as restlessly about its business as ever. All around, vastly and untidily, stretched the country for which he grieved. He was to give his life for it. But would that great country, with which he was prepared to remonstrate to the extent of destroying himself, take the slightest heed of his death? He did not know; and it did not matter. His was a battlefield without glory, a battlefield where none could display deeds of valor: it was the front line of the spirit. Yukio Mishima, Patriotism
92 : 窓の外に自動車の音がする。道の片側に残る雪を蹴立てるタイヤのきしみがきこえる。近くの塀にクラクションが 反響する。……さういふ音をきいてゐると、あひかはらず忙しく往来してゐる社会の海の中に、ここだけは 孤島のやうに屹立して感じられる。自分が憂へる国は、この家のまはりに大きく雑然とひろがつてゐる。自分は そのために身を捧げるのである。しかし自分が身を滅ぼしてまで諫めようとするその巨大な国は、果してこの死に 一顧を与へてくれるかどうかわからない。それでいいのである。ここは華々しくない戦場、誰にも勲(いさを)しを 示すことのできぬ戦場であり、魂の最前線だつた。 「憂国」
93 : In the radiant, bridelike figure of his white-robed wife the lieutenant seemed to see a vision of all those things he had loved and for which he was to lay down his life―the Imperial Household, the Nation, the Army Flag. All these, no less than the wife who sat before him, were presences observing him closely with clear and never-faltering eyes. Yukio Mishima, Patriotism
94 : 中尉は目の前の花嫁のやうな白無垢の美しい妻の姿に、自分が愛しそれに身を捧げてきた皇室や国家や軍旗や、 それらすべての花やいだ幻を見るやうな気がした。それらは目の前の妻と等しく、どこからでも、どんな 遠くからでも、たえず清らかな目を放つて、自分を見詰めてゐてくれる存在だつた。 「憂国」
95 : The abundance of Masako's tears was a genuine cause for astonishment. Not for a moment did their volume diminish. Tired of watching, Akio dropped his gaze and looked at the tip of the umbrella he had stood against a chair. The raindrops running from it had formed a small, darkish puddle on the old-fashioned, tile mosaic floor. Even the puddle began to look like Masako' s tears to him. Yukio Mishima, Fountains in the Rain 雅子の涙の豊富なことは、本当に愕くのほかはない。どの瞬間も、同じ水圧、同じ水量を割ることがないのである。 明男は疲れて、目を落して、椅子に立てかけた自分の雨傘の末を見た。古風なタイルのモザイクの床に、傘の末から 黒つぽい雨水が小さな水溜りを作つてゐた。明男はそれも、雅子の涙のやうな気がした。 「雨のなかの噴水」
96 : At first glance, it seemed as neat, as motionless, as a sculpture fashioned out of water. Yet watching closely he could see a transparent ghost of movement moving upward from bottom to top. With furious speed it climbed, steadily filling a slender cylinder of space from base to summit, replacing each moment what had been lost the moment before, in a kind of perpetual replenishment. It was plain that at heaven's height it would be finally frustrated; yet the unwaning power that supported unceasing failure was magnificent. Yukio Mishima, Fountains in the Rain
97 : 一見、大噴柱は、水の作り成した彫塑のやうに、きちんと身じまひを正して、静止してゐるかのやうである。 しかし目を凝らすと、その柱のなかに、たえず下方から上方へ馳せ昇つてゆく透明な運動の霊が見える。それは 一つの棒状の空間を、下から上へ凄い速度で順々に充たしてゆき、一瞬毎に、今欠けたものを補つて、たえず 同じ充実を保つてゐる。それは結局天の高みで挫折することがわかつてゐるのだが、こんなにたえまのない挫折を 支へてゐる力の持続は、すばらしい。 「雨のなかの噴水」
98 : To cure the world of its stupidity, the first requirement was a process of purification through stupidity; a thorough exaltation of what the bourgeoisie saw as stupid, even if it meant aping the bourgeois creed and its single-minded, tradesman's energy.... Yukio Mishima, Raisin Bread この世界の愚劣を癒やすためには、まづ、何か、愚劣の洗滌が要るのだ。藷たちが愚劣と考へることの、 一生けんめいの聖化が要るのだ。あいつらの信条、あいつらの商人的な一生けんめいさをさへ真似をして。 「葡萄パン」
99 : Either way, Jack was cured by now. He'd been mistaken in thinking that if he killed himself the sordid bourgeois world would perish with him. He'd lost consciousness and been taken to a hospital, and when he came to and surveyed his surroundings, the same world had been all around him, alive and kicking as ever. So, since the world seemed irremediable, he'd resigned himself to getting better.... Yukio Mishima, Raisin Bread とにかくジャックはもう治つたのだ。彼が自すれば、それと同時に、あのいぎたない藷たちの世界も滅びるだらうと 思つてゐたのはまちがひだつた。彼が意識を失つて病院へ運ばれ、やがて意識を取り戻してまはりを見廻したとき、 藷たちの世界は依然いきいきとして彼を取巻いてゐた。……あいつらが不治ならば、こつちが治つてやるほかはない。 「葡萄パン」
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