2012年3月戦国時代204: 【戦の神は】生涯負け戦無しの豊臣秀長 (846) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
【戦の神は】生涯負け戦無しの豊臣秀長 (846)
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【戦の神は】生涯負け戦無しの豊臣秀長


1 :
豊臣秀長の武功はもっと評価されていいだろう。
全て引き分け以上の結果だからよ。
仮に朝鮮で指揮を執ったら、歴史も変わったかもしれんし、秀吉
の後釜になってれば、容易に家康の外交戦術で沈むはずもなかった
だろうに。

2 :


3 :
秀長は男色家だから能将だったのぢや!

4 :
↑それは無い
兄と共に男色は無い

5 :
秀長「兄に意を覚えたことは何度もあります」

6 :
.

7 :
兵力

8 :
兵力だけではねえ。
秀次は大軍でも惨敗したし

9 :
播磨淡河城攻めで淡河定範相手に敗走させられたことがあるだろ>秀長
なかなかの戦上手だったけど生涯不敗は嘘

10 :
>>8
秀次がミスっただけでは。

11 :
>>10
それ聞いたことあるけど
信憑性あるの??
何か他で聞いたこと無いし
一旦退くことはあるけど

12 :
>>9 いや、結局城を自分で焼いて逃げたじゃん?痛み分けだろ。

13 :
いえ、秀長公の御敗北でございます。

14 :
>>11 は >>9 の
間違い
だから根拠は

15 :
小人数の局地戦から十万規模の戦略までそつなくこなせるのが秀長クオリティだな
秀長ほどの戦歴を持つ人はまずいない

16 :
>>11
火牛の計はかなり胡散臭いけど淡河城を攻めあぐねてたのは事実だろう
自分も一次資料が何かは知らないけど、
とりあえず「神戸市淡河町の歴史」「三木史談」なんかを読んでみたら?

17 :
3〜4千の兵で但馬攻略は評価するべき。

18 :
>「神戸市淡河町の歴史」
えええ!淡河町って神戸市にあるの!?
なぜか、もっと西の姫路の近所かどこかだと思い込んでたよ・・・
市民なのに今まで知らなかった・・・ちょっとショック。

19 :
まあたしかにこの人の軍才はもっと評価されても良いと思う

20 :
秀長は勝利の神様でもあったのかも?
秀長の死後、秀吉は諫める者が居なくなったせいか、狂人ぶりを発揮していきますよね?
その面でも、秀長の存在は大きかったのかも?
秀吉・秀長の姉とものたてた瑞竜寺の「木下家過去帳」によると、弥右衛門は、秀長や旭が生まれた後に去したそうな

21 :
敗北を知らぬとは生涯半人前であったことだろう。

22 :
秀長=亀田兄
亀田クンも無敗だよ。

23 :
淡河城で淡河定範に逆撃くらったのは事実ではあるが
ああいう小規模戦の敗北なんて信長家康とかだってざらにあるわけだから
評価は下がらんよ。

24 :
内政では敗北はあるかも、後でフォローしとるのでは

25 :
大軍優勢以外で勝利経験はあるかな

26 :
少数逆転の勝利がないのがマイナスには成らんと思うけど
戦争なんて優勢な状況を作って行うのが常道なんだし。

27 :
小早川隆景といい勝負だな

28 :
内政も外交も戦争も調整役もできるし、まあ便利な男だよな。
生きていたら家康と対立してたのかねえ。

29 :
>>28
(寿命が秀長の方が長いと仮定して)生きてたら家康は猫かぶったまま死ぬんじゃないかなぁ。

30 :
>>26
そいつぁ、秀吉さんの兵力じゃ。
まあ総大将に任命されて着実にこなすなら中の上や。

31 :
秀長が死んで豊臣が内部分裂してくれない状況では、できるだけ
良い状況で次代に繋げるために領国経営にせいを出しそうだな。

32 :
秀長が長生きしてれば、朝鮮出兵を諫めることができただろうし、秀頼の後見人になって家康を抑えることができたかもな。
なぜだか知らんが秀長は結構過小評価だよな。

33 :
ID:22uwBhnGの論法だと相当数の将がたいしたことがないことになるな。
部将クラスは特に。

34 :
秀長が梁田広正だったら、
加賀平定できたかねえ。

35 :
秀長晩年は秀吉との関係も微妙だったみたいじゃん
大和の領国経営で秀吉と揉めて謹慎処分喰らってる
秀長に朝鮮出兵は止めれないだろうし、別に止める理由も無い
秀吉死後の家康を牽制するには十分だろうが

36 :
秀長在世時から、朝鮮出兵は持ちだされていたんですか?
秀長が生きている頃から、すでに秀吉の暴走は始まってたんですかな。

37 :
歯止めが利かなくなったって言ってるジャン

38 :
別に始まって無いだろう。
謹慎は規律を守るためだろ

39 :
三戦の秀長スレ見て来なされ。

40 :
朝鮮の役が無くならなくても
朝鮮の役の時に秀長が存命なら、十中八九総大将は秀長になると思われ
そうなれば日本軍は一元化した動きを取れるので、その後の展開が変わってくる

41 :
朝鮮征討は規定路線だったらしいから秀長生存でも文禄の役は実施されただろうな。
でも慶長の役のような再度出兵はどうなったかな。
それと>>35に書いてある謹慎というのはおおげさで正月の拝礼を停止された程度みたいよ。
そのへんは日本史板の秀長スレでも話題になってた。

42 :
三戦の方でもそりゃあもう・・・

43 :
..

44 :
内政では、どうだろうな
悲しみや苦しみはあったとおもうけど

45 :
金策は上手かったんだろ。
てか、外様まで秀長を信頼してきたんだから、家康にとっては怖い存在
だよね。

46 :
.

47 :
秀長は豊臣家での地位の割りに、当時の資料が少なくて実態がわからないんだよね。その存在を評価されるようになったのは
戦後になって研究が進んでからで、逆に言えば生存している間は、さほどの存在感を発揮していなかったと思われる。
良くも悪くも補佐役だったんだろうね。
あと、その領地の奈良では、興福寺の僧が死んだのを聞いて大喜びしている日記を残していて、司馬遼太郎はそれを
あたかも利権を奪われた旧守派の醜さのように書いていたが、実際当時の豊臣圏は相当の重税を課せられてて、領民は
大変だったから、住民の立場としては、死んだと聞いたらみんなが喜ぶくらいのかなりの悪領主と言う感覚だったと思う。
まあ、そういう秀吉政権の「負の側面」を背負っていた、と言う評価も出来るんだけどね。ただ、あくまで秀吉あっての人物で、
ひとり立ちして表舞台で活躍する、と言うタイプでもないように感じるよ。

48 :
存在感がなかったから当時の資料がすくないというのはどんなもんかね。
それと僧、しかも高位の僧と住民というのを一緒の立場と考えるのもどうだろうね。
なんか見方が全般的にいびつにみえるなあ。

49 :
存在感が無かったら、毛利や他の大名に簡単にやられてる。
正月なんか秀吉が主力連れて信長参りだから
相当大変だったはず
敵が侮ってないのが実力

50 :
それと忘れていけないのが、
半兵衛も小六も羽柴の内政には関与できない現実
たった一人で零細から大企業まで支えた実力者と言うこと。

51 :
>>48
まあ、あくまでオレの見解だってことで。無論、水準以上の能力の持ち主だった事は認めているよ。
ただ、秀吉死後の豊臣家の救世主的な人間だったかどうかについては疑問がある、ってだけで。
そういう見方もあるくらいに考えてください。

52 :
別に秀長を過小にみているということにたいしていってるんじゃなくて
歴史的な事象への見方がおかしいということをいってるんだけど。

53 :
秀長に関する一次資料が少ないのは当時あまり評価されてなかったからだろ
それ以外に理由が見当たらない

54 :
まぁ当時の一般的な価値観で評価されてなかった事が
現代人から見ると評価できる事は往々にしてあるしな。

55 :
秀吉の弟ってことでおもしろい話ができないかなーと。

56 :
>>52
事象?秀長を過小評価していると思われるかもしれないが、羽柴〜豊臣初期にかけて
秀吉軍の実質的な中心は蜂須賀小六でしょ。秀吉騎下の最大兵力が、彼が統率していた
蜂須賀衆だったわけで。秀吉がある程度自由に動けたのは、秀長と言うより歴戦の勇者である
小六の押さえの力のほうが大きかったと思うよ。
個人的には、小六こそ過小評価されすぎているようにも思う。

57 :
小六は太閤記で変な補正受けちゃったせいでまともに評価されなくなった感はあるね
スレ違いだけど

58 :
蜂須賀小六が秀吉が長浜城主になったときに領したのが2000石いかないぐらいで
中国攻略にいってからは1万石強ぐらいだったかな。
これは秀長はもちろん浅野よりも少なかったんじゃないかな。
それと小六の秀吉配下での功績は軍事よりも政の分野のほうが大きいといわれてるよね。

59 :
>>53
>>秀長に関する一次資料が少ないのは当時あまり評価されてなかったからだろ
>>それ以外に理由が見当たらない
秀長自身が残さなかったからだろう。
補佐役の資料が無いのは保科正之がいるな
柳生宗矩の資料も無いらしい

60 :
織田政権の当時の配置からしても、
秀長の地位は前田利家や佐々成政と同等なのである

61 :
残念ながら信長が小六や半兵衛を内政に使うことを許さないよ。
与力にそこまではさせない。
やれるのは秀長のみ

62 :
近くで見ていた利家が、秀長の事を信長に報告してたかもしれないね。
てか、秀吉と違うのは、秀吉は若い頃から転々と職を変え、時には松下の
部下として働いていて、全くの戦国素人ではなかった。
しかし秀長は農作業一筋。突然武将として力を発揮できたのは他にはいないだろ。

63 :
信長の秀長評とかってないの?

64 :
来週のその時でやるってよ

65 :
来週?

66 :
きたー!来週のNHKのその時歴史は動いたで、秀長特集やるぞ!

67 :
第263回
シリーズ 秀吉の家族@
もう一人の秀吉
〜豊臣秀長 太閤記 (たいこうき) を演出した弟〜
放送日 平成18年9月13日 (水) 22:00〜22:43 総合
http://www.nhk.or.jp/sonotoki/sonotoki_yotei.html
戦国を統一した豊臣秀吉の成功のかげには、家族たちの献身的な働きがあった。その家族の群像を描くシリーズ『秀吉の家族』。
1回目は秀吉の弟・豊臣秀長。身命を賭して兄の天下取りを支えた秀長の生き方に注目する。
4年前、大分県日田市で秀長が着用したといわれる甲冑が発見された。この鎧からは秀長が秀吉と背格好まで同じだったことがわかるという。まさに秀長は秀吉の影武者のごとき存在であった。
さらに信長の一家臣から天下人へと出世していく秀吉の動きを綿密に追うと、その活躍に秀長の存在が不可欠であったことが浮かび上がる。
秀吉の最も忠実な分身に徹した秀長は、秀吉のために命を賭けて敵と交渉し、合戦では危険な最前線に身をさらした。さらに秀長は情けにあふれた行動で、味方だけでなく敵の信頼をもかちとり、秀吉の功績へとつなげていく。その葬儀には20万人の民衆が参列したという。
秀吉の栄光に隠された弟・秀長の献身の生涯を通して“もう一つの”太閤記の真実に迫る。

68 :
sage進行でしない?

69 :
.

70 :
別所攻めの時淡河定範に大敗してるはず

71 :
>>9で既出だけどスレタイには突っ込みたくなるよな

72 :
大敗というのは戦場を放棄するぐらいの敗北じゃないと。
この淡河の場合は突出したところを逆撃をくらって後退するも攻城軍全体は崩れたわけではなく
それで淡河定範は自ら城を焼いて三木城に移動しているという流れだから。

73 :
>>72
負けは負け
何で言い訳してるんだ?そんなに秀長の経歴に傷がつくのが嫌なのか?

74 :
>>73
俺も負けだと思ってるよ。
ただ大敗というほどじゃないといってるだけで・・・。
なんか君のほうが必死にみえるんだけど・・・。

75 :
対局に影響無いから負けにはあたらず

76 :
戦闘で負けたが戦争には勝った

77 :
よくぞ言うた、作左!

78 :
負けの定義にもよるよな。
攻城戦で奇襲くらって、一時的に引いたのが負けになるわけ?
それなら城落とせずに引いた武将も負け扱いになり、生涯不敗の武将なんかいなくなる。

79 :
別に生涯不敗の武将がいなくても何も困らないじゃん

80 :
まあ、コーエーで戦闘力100を与えられた上杉謙信ですら下野のへっぽこ城
落とし損なっているし

81 :
この人も側室とか沢山居たんだろうか。

82 :
あんまり記録には無いらしい

83 :
つーか、秀長のこと自体、ビックリするほど記録がない。とても政権の重要人物だったとは思えないほど。
そのために、秀長については有能だったという説とともに、「秀吉の秘書官程度でしかなかった」って説も同時にあるわけで。

84 :
資料無いから無能とは、
愚の骨頂

85 :
>>84
資料無いから有能とは、
愚の骨頂
でもあるぞ。

86 :
有能だった資料はあるじゃん

87 :
秀長が今評価されてるのも資料からそれが読み取れるからだろ。
別に無から有をひねりだすような真似をしてるわけじゃないの。

88 :
秀長の部下には、良いのが多い。
藤堂高虎、小堀遠州など

89 :
藤堂高虎か城造り有名みたいだがどうせ朝鮮人の技術者頼み!性格は奇人変人

90 :
築城にいるのか?あんなの??

91 :
幸村のファンになるような人種の今のトレンドが秀長か
島津義弘も流行ってるみたいだけど

92 :
「地味だが以外に活躍している」
というところに擽られるのでしょうな。

93 :
太閤記の補填みたいな人だからな
竹中半兵衛の弟子としても、
それぞれの評価をあげるのを文句は無い

94 :
>>89
藤堂高虎の城作りは技術的な面もさることながら
その立地選択に対する戦略眼の確かさが高い評価の源泉。
ただなんとなく要害つくってみました、レベルで築城名人とは呼ばれないよ。

95 :
まあ、城はいくら造りが堅固でも戦略的価値がなければ何の意味もないからな

96 :
>仮に朝鮮で指揮を執ったら、歴史も変わったかもしれんし
生きてたら朝鮮出兵ないだろうそもそも

97 :
秀長生前から朝鮮出兵の準備してただろ>秀吉

98 :
朝鮮出兵自体は浪人対策の要素もあるから
今でいうところの失業者対策事業

99 :
秀長は歴史好きからは十分に高い評価をされてると思うが。
能力や事績の割に知名度はないが。

100 :
高虎が本気で仕えたのは、秀長だけだったとどっかの資料に書いてあった

101 :
高虎自身がそんなことを言うわけ無いからそれは後世の創作じゃないか

102 :
まあ藤堂本人なら家康だというしかないだろうから、創作だろうな。

103 :
まあ、何度も主君替えてるからな
別に家康も気にしないだろう

104 :
四国攻めの時は、秀長のためと働いたみたいね

105 :
高虎が積極的に自分で主人を選んでるのは秀長までという感じはする。
その後は結構流されてる、というか勝ちに乗るならルートが一本しかないし
年齢重ねてるから若い頃みたいな野心が感じられないし。

106 :
秀長の墓ははじめ大和郡山にあったが、荒れ放題だったので、
高虎が京に移してその横に自分の墓を立てたという話がある。
主君替えが多くても、どこかで命張らなきゃいけないわけだし、
高虎にとってはそれが秀長だったのではないかと。
ちなみに大和大納言家が取り潰された後、遺臣団の多くは
秀次に付けられ、秀次事件で連座して処刑されたり没落している。

107 :
>>106
それで豊臣本家に忠誠を求められても無理ってもんだわな。

108 :
何か高虎スレになってきたな。
まあ別アングルから見るのは良いな

109 :
自演

110 :
そういえば、高虎の父                                                                          秀長は本能寺ごろ迄は長秀なんだな丹羽さんよりもらったらしいが、
逆さにして秀長。
確か高虎も父の逆さにだな

111 :
何故秀長は貰った名前をひっくり返したの?

112 :
武田信繁の死と、羽柴秀長の死。
歴史に大きな影響を与えたのはどっちだと思う?

113 :
他の重臣による配慮らしい。
同じ名は間違いやすい。

114 :
諱で相手を呼ぶことなんて殆ど無いんだからそんなにややこしくないだろ
天下人である兄秀吉の「秀」を下にしてるのを憚ったんじゃないか
蒲生氏郷も似たような理由で改名してる(元の名前は賦秀)

115 :
>>112
前田利家の死に比べれば影響は低いと思う
前田さんがあと10年長生きしていれば・・・(もしくは秀頼が生まれず秀次政権だったら・・・)

116 :
↑前田利家では無理

117 :
そうか?利家が家康より長生きしてりゃ随分変わったと思うがな

118 :
変わりはしたと思うが、秀長の方が明らかに影響強かったと思う。

119 :
皆さん〜今日!NHK22時〜から「その時歴史が動いた秀吉の家族」観てね

120 :
第263回
シリーズ 秀吉の家族@
もう一人の秀吉
〜豊臣秀長 太閤記 (たいこうき) を演出した弟〜
放送日 平成18年9月13日 (水) 22:00〜22:43 総合
http://www.nhk.or.jp/sonotoki/sonotoki_yotei.html
戦国を統一した豊臣秀吉の成功のかげには、家族たちの献身的な働きがあった。その家族の群像を描くシリーズ『秀吉の家族』。
1回目は秀吉の弟・豊臣秀長。身命を賭して兄の天下取りを支えた秀長の生き方に注目する。
4年前、大分県日田市で秀長が着用したといわれる甲冑が発見された。この鎧からは秀長が秀吉と背格好まで同じだったことがわかるという。まさに秀長は秀吉の影武者のごとき存在であった。
さらに信長の一家臣から天下人へと出世していく秀吉の動きを綿密に追うと、その活躍に秀長の存在が不可欠であったことが浮かび上がる。
秀吉の最も忠実な分身に徹した秀長は、秀吉のために命を賭けて敵と交渉し、合戦では危険な最前線に身をさらした。さらに秀長は情けにあふれた行動で、味方だけでなく敵の信頼をもかちとり、秀吉の功績へとつなげていく。その葬儀には20万人の民衆が参列したという。
秀吉の栄光に隠された弟・秀長の献身の生涯を通して“もう一つの”太閤記の真実に迫る。

121 :
始まりましたよ

122 :
秀長で番組が出来るとはすごい時代になったな

123 :
すこしは知名度上がるかな?

124 :
いきなり城盗られたぞ

125 :
シリーズ編かよ
もういいよ豊臣は
男ならまだいいが次はねねだとさ。
笑える

126 :
最後の締めが良かった

127 :
あの札の字は筆跡鑑定してるのかな?本当に秀吉の字なら感動なんだけど。

128 :
秀次にも光を!

129 :
あの字は綺麗すぎると思った。

130 :
>>127
伝秀長鎧の、兜の内側に埋め込まれていた護符のことか?
「秀長加護 天正十五年」てやつだな

131 :
直筆でないにしろ
けっこう感動した
ちくしょー、うまい作りにしやがって
スレタイっぽい感じじゃなかったね。
でもそこが良かった。
秀吉と秀長、裏表両面だったからこそ
短期間で天下取れたのだなあ

132 :
秀長にスポット当ててくれたのは嬉しいのだが・・・・
余りにも秀長を持ち上げ過ぎて妙なこそばゆさも感じたな
今まで秀吉個人or半兵衛、官兵衛両軍師が担ってきた部分を
秀長に被せ代わりのスーパーマンに仕立てたようで何でも都合よく解釈しすぎだと

133 :
その時歴史が動いたは結局そういう番組だから仕方ない

134 :
中川清秀の件はあきらかに見し。全滅なんてありえん

135 :
今夜の「その時歴史が動いた」見逃したー!!
再放送あるんかな・・・

136 :
>>135
http://www.nhk.or.jp/sonotoki/faq.html
Q2. 番組の再放送はいつですか?

(1) 本放送の翌週《火》曜 16:05〜16:48
                総合 全国 (福岡県を除く)
(2) 本放送の翌週《金》曜 午前0:00〜0:43(※木曜深夜)
                総合 近畿地方のみ
(3) 本放送の翌週《金》曜 午前1:10〜1:53(※木曜深夜)
                総合 全国 (近畿のぞく)
(4) 本放送の翌週《月》曜 17:15〜17:58 BSー2
                ※BS−2の放送は不定期です。
いずれも編成の都合で休止または時間がずれることもありますので、当日の新聞等でご確認ください。

137 :
>>136
小一郎のやうにお前は思いやりのある奴だなwwwww

138 :
「その時歴史が動いた」は講談、最新の研究結果がちゃんと説明されるのは「NHK高校講座」。
大人向けの番組の方が青少年向けの番組より幼稚という不思議。

139 :
大人向けだからこそストレス発散の講談的内容でも済まされる。
モノを知らないガキにいい加減なことを教えるわけにはいかない。
発想が逆なんだよ。 娯楽漬けで育ったガキにろくな奴はいない。

140 :
小山田が書いたと言うことは、徳川では相当恐れられてたな
まあ大河で無視し続けてきたから補填としたらGJ

141 :
中川の件は計画的見し。高山も加担。

142 :
次の次の大河ドラマ、秀吉系列かな。

143 :
幕末、朝で主役やってる女が主役らしい

144 :
うわー まじか・・・

145 :
幕末って時点で見ない。
せめて明治or大正の戦争ものなら別だが・・・。

146 :
小堀遠州は、秀長に影響は受けてるかな??

147 :
篤姫だっけか。
現代的な解釈や感情を持ち込むのは勘弁してもらいたいなあ。

148 :
大河は「とにかく女活躍させて昼メロやらせときゃが見る」
って事に気付いてから糞。視聴率を気にしないで冒険できるとこが
国営放送の強みなのにワンパターン化してどうすんだ。
逆に幕末でよかったよ、これ以上あんな糞どもに戦国時代を弄られ
たくない。

149 :
NHKはじつは金曜時代劇とかのが面白い。
大河は史実重視、木曜・金曜時代劇は娯楽重視と謳ってるのに大河が史実がさっぱりなせいで。

150 :
鳴門秘帳

151 :
山田風太郎の秘伝何とか系を完全リメイクしてもらいたいけど、某国営放送
では無理か。と、いうかBBCとかではエロ描写もおkなのになんで日本じゃ駄目なんだろう

152 :
大軍を率いての統率力は相当なもんだろね。いくら有力な武将も同伴していて
たとはいえ、徳川秀忠、豊臣秀次、古くは大友宗麟などは駄目駄目だったね

153 :
秀忠、秀次の若輩御曹司コンビと老練な秀長とを比較するのは酷じゃないか?

154 :
徳川秀忠、豊臣秀次、が大軍を率いた年齢の時に、秀長は大群を統率できたのか?って事だわな。
無意味そのものの比較だ。

155 :
あら?若い頃には3000くらいで但馬平定してるよ

156 :
武田信玄>>>>小早川隆景>羽柴秀長

157 :
>>155
じゃあ秀次は若い段階で東北平定してるよ。
秀忠は大阪城落としてるよ。
これをもって秀次、秀忠>>>>>秀長としてもいいですか?
状況も環境も違うものを比較してもしょうがないって事。

158 :
「大軍に兵法なし」と言われるけど、実際に大軍を率いて敗退してる人たちを挙げてその難しさを説いてるだけで、
別に秀忠や秀次と比較してどうこうってるわけじゃないんじゃないの

159 :
>>157
違くね?
とりあえず、大阪城は家康の力でしょうよ

160 :
>>159
秀次の東北平定にも秀忠の大阪の陣にも確かに家康がついていますよ。
でもそれなら秀長には秀吉、もっと言えば信長がついているわけで。

161 :
単に比較が無意味というので止めとけば冷静な見方する奴と思ったんだが
上のような屁理屈までこねるあんたは間違いなく下衆だね。

162 :
>>160
但馬平定戦、伊勢平定戦は秀長の単独ですぞ。

163 :
秀忠や秀次よりは家康の方が比較し易いと思う、
戦歴豊富で中々の名将の家康でさえも大軍を指揮するとぱっとせず、
謀略や政略で事を決していた。
やっぱ大軍を率いるにはまた別の才能がいるんだろうね。

164 :
秀次の場合四国や東北での実績は考慮外だと思う。齢20未満の人間がどれだけの
指揮統率がふるえるものなのかと。だから長久手の敗戦も秀次の責というよりも
実際に指揮しただろう老臣の誰かの責とすべきと考える。

165 :
そもそも長久手は本当に秀次が大将だったのか?
当時は三好秀次でまだ羽柴秀勝も生きているから
地位兵力的には池田堀とさして変わらんだろ

166 :
羽柴秀勝っても所詮は信長の子供で警戒心を解くために貰った養子程度の存在、
病弱だったらしいし後継者候補としては考えてないんじゃないの。

167 :
>>166
別にそういうことが言いたいわけじゃないんだが

168 :
>>165
ん?上手く伝わらなかったかスマン。
秀吉が長久手で秀次を総大将にしたのは将来的な事も考えての采配であり、
それならば後継者にする気の無い秀勝を総大将にする意味がない。
だからそういう立場の秀勝は地位的に秀次に劣る存在で、
将来後継者候補の秀次は池田&堀より格上の存在って事を言いたかった。

169 :
羽柴秀勝は長久手では総大将はしたくないのでは??
万が一討ち死にならしゃれにならん

170 :
3

171 :
九州征伐は、あまり話題にならないな。

172 :
九州は島津軍やぶったしな

173 :
九州征伐は島津が豊後攻めに失敗してボロボロになったとこを叩いただけだしな
むしろ志賀親次と佐伯惟定を評価すべき

174 :
何それ???

175 :
1586年7月島津は約5万の軍勢で筑前を攻めるが高橋紹運、立花宗茂親子の
頑張りにより失敗
同年10月義弘率いる3万5千が肥後から、家久率いる1万〜2万の軍が日向から
豊後を攻めるが、義弘軍は岡城の志賀親次等に阻まれる。
一方の家久は佐伯、臼杵の攻略に失敗するものの12月に戸次川で四国勢と大友
義統を破る。義統は豊前まで逃げ島津は府内を占拠する。しかし87年3月に豊臣
軍が豊前に到着するまで木付城、栂牟礼城、岡城、臼杵城等は抵抗を止めず、
結局島津軍は3月15日に府内から撤退、それに乗じた大友の反撃を各地で受ける。
特に志賀親次と佐伯惟定は瞬く間に多くの城を奪還し、さらに撤退時に合流した義弘
、家久を19日に三国峠で親次が、20日に梓山で惟定がそれぞれ襲撃している。
4月17日の根白坂の戦いで島津があっさり負けたのは、筑前攻めから約10ケ月に
およぶ連戦の疲れと、5万以上いた島津軍が筑前・豊後攻めの失敗の影響で外様
連中が離反して2万程度になってたのが大きかろうと思う。

176 :
その後に仙石(センゴク)が秀吉の命で行って大敗喫してる
別に関係ないだろ

177 :
いえいえ

178 :
仙石のあれは本人(とあえて言っておく)があまりにどうしようもない事やっちゃったからだし……

179 :
反乱もなしに、あそこまでの進軍はすごいけど
戦後処理も
北条みたいになってたら

180 :
秀吉主役の太閤記なのに、その存在すらないことにされてる・・・。
もうだめぽ。

181 :
>>180
一体何の話しをしているのだ。閲覧者には解釈不能だぞ。

182 :
おそらくは先日のテレビドラマかと。
後半だけ見たけれど、秀長の出番の記憶が無い。
妹?は出てきているのにね。

183 :
...

184 :
>182
これか
http://www.tv-asahi.co.jp/taikouki/

本スレ

http://tv8.2ch.net/test/read.cgi/kin/1162396297/

185 :
番組HP見ても名前すら無いな…orz

186 :
死んだ後に名前だけが出てくるんだろうな…。

187 :
でhfっゆいい

188 :
dgeyfh

189 :
山内一豊の土佐での一領具足の鎮圧の危うさに比べれば、
秀長の紀伊や大和の統治能力の高さが際立ってしまう。
同じ統治難国でも、
土佐・・・DQN系、謀略に強い。
紀伊・・・国人の力が強力、一向宗もまだ力がある。軍事力も高い。
大和・・・北部は歴史があり、DQN系より遥かに海千山千の宗教勢力がある。
誰でも知っていることだろうが、もう統治能力が違いすぎる。

190 :
今頃気付いたが、
誤)土佐・・・DQN系、謀略に強い。
正) 土佐・・・DQN系、謀略に「弱い」。

191 :
秀長のような彼氏が欲しい

192 :
秀長は本当に必要なとき以外は金を使ってはくれんぞ
正直、ケチだぞ

193 :
ケチと言うより倹約家
そうせねばやってられなかったらしい

194 :
いまどきの女はそれなりに自分も稼いでるから
へんにプレゼントだのオゴリだのをされるよりワリカンとかのが
自分を尊重されている気になるんだ。
だから必要なときだけ使ってくれれば十分!
ほんと秀長は良いルイージ

195 :
大和とか伊勢とかの難しい土地を金のやりくりで見事にまとめたらしいしね。
そうなると逆に台所事情はきつかったろう。
藤堂高虎とかも、無駄が嫌いそうなエピソードあるし。
兄の贅沢話との対比が涙ぐましいな。

196 :
>>191
へうげものの秀長はイケメンだな。
あれなら抱かれてもいい。

197 :
秀吉との年齢差を考えると実弟かな?

198 :
母親は一緒なんだよな、父親が違うんだっけ?

199 :
資料でも別れるらしい。
おそらく実弟

200 :
ナポレオン=秀吉
ダヴー=秀長

201 :
たしか秀吉の父が死んだ時すでに秀長は生まれてたはず

202 :
小和田に拠るとどっかの寺の記帳からの計算らしいが
(秀長誕生時には弥右衛門生存、故に秀長は弥右衛門の胤)、
果たしてその史料って信用できるのかね
太閤記や他の史料でもずっと異父弟と伝わってたのにいきなり
「実は同父弟だったんじゃないの?」といわれても納得できない
もし同父弟なら何故異父弟だという風に誤って伝わってしまったのか

203 :
>>202 
秀長がそう思わせるぐらい丁重だったらしい。
もともと自分を語らない人だから。

204 :
まぁ総務大臣って感じだね。彼は。

205 :
>>203
それ堺屋の小説の記述でしょ?
眉唾だと思うぞ

206 :
>>202
秀吉自身が自分の人生を脚色しまくって宣伝したせいで
「信用のおける資料」なんてのが極端に少ないのですよ、実際。

207 :
秀吉秀長同父兄弟説は秀吉研究の権威である桑田忠親の研究が始めだよな。

208 :
>>206
何せ秀吉は帝の落胤だからなw

209 :
>>148>>151
国営放送てw
歴史かじる以前に世の中のことを少しは学ぼうぜw
おまえらみたいな教養のない人間が何を言っても誰も相手してくれないぞ

210 :
兄は猿だが、秀長は鯰顔に見える。
>>209
政府・与党の圧力で偏向するから皮肉ってるんだろ?

211 :
右翼からは左に偏ってると言われ左翼からは右に寄りすぎだと言われ
てことは別に偏向してないのではないかなと思った

212 :

NHKは常に偏向してるよ。柳沢国会も政府の要請がありオンエアしなかった。

213 :
秀長て穏和で優しいイメージがあるが、島津家久の毒とか結構荒事も多いよね?

214 :
いやそれ証拠が無い、というより言い掛かりに近い気が。
まあ実際やったと仮定しても証拠残ってたらいかんのだけど。

215 :
家久は島津に消された説もある
本気で暗するならあんなモロバレな方法とらねーよ豊臣は利用されたんだよ
って説だ あと普通に病死説もある

216 :
まあ謎の家久死去の説の一つに秀長による暗ってのがあるって認識くらいいいじゃん
別に秀長が聖人君子じゃないと駄目なわけじゃないでしょ?

217 :
やる理由ないけど

218 :
見せしめ程度じゃないかね。
メリットないけど

219 :
どうせやるなら
島津潰してるだろ

220 :
>謎の家久死去の説の一つに秀長による暗ってのがあるって認識くらいいいじゃん
ひとつ、別に謎ではないw 40で病死はよくあること
ひとつ、根拠がない憶測なので”説”ではなく陰謀論

221 :
佐土原城で急したのは事実だし、豊臣による毒説、島津による毒説、病死説などいろんな仮説が語られているのもまた事実。
異論は異論として受け入れる度量が必要だな。

222 :
秀長の長者ぶりを褒め称え感謝してるという内容の記述もあるからなぁ。なんかよくわからんよね。

223 :
家久に恨みのある伊東家や大友家からの刺客にやられたかもしれんし、
想像は尽きんな。

224 :
紀伊攻めでも誰かを毒してたような。

225 :
>>221
だからー。どれも根拠がないんだよね。
仮説、証明される可能性のない仮説=妄言

226 :
なら病死説も証明されたわけではないから妄言になるぞ。
そういうのを、謎の死という。だからこそ様々な仮説が飛び交うわけだ。
それらを全否定したいなら、病死であることを証明してみ。

227 :
紀伊攻めの際に降伏した雑賀孫市を偽って毒したという俗説があるな>秀長&高虎主従
そもそも孫市自体何者かもわからないんだが

228 :
>>226
問題はそこではなく、「毒説があるから」という理由で「秀長は汚い武将だ」という印象操作をしようという連中なんだが。
島津の弟くんの死の原因を秀長と結びつけて語ろうとする奴こそ、最初に毒の証拠を提示する義務があるんだけど。

229 :
>島津の弟くんの死の原因を秀長と結びつけて語ろうとする奴こそ、最初に毒の証拠を提示する義務があるんだけど。
毒したのは間違いない、というのならたしかに証拠が必要だろうが、可能性があると仮設をたてただけだろ。
仮説という言葉の意味わかっているかい?
また、可能性を完全に否定したいのなら、それこそ立証する必要がある。それが仮説というものだ。

230 :
犯罪を立証するには被害者の存在と被疑者の動機、
それに凶器やアリバイなど犯罪が可能であったという証拠が必要だからな
凶器やアリバイはともかく、秀長には家久を害する動機が存在しない
既に降伏を決定した相手を毒して何か得することがあるとは思えない
仮説の一つとして認めるのは吝かではないが、説得力に乏しいのは否定できないと思われ

231 :
別に自分は毒説支持者じゃないからどっちもでいいけど。
可能性を全否定したいなら、証拠が必要であることを指摘したまでで。
ただ、動機がないと思う根拠が
>既に降伏を決定した相手を毒して何か得することがあるとは思えない
ということなら、降伏後に暗された例は結構あることだけいっておくよ。

232 :
毒説って、島津関係の書物から発生?

233 :
ある程度の傍証が無ければ仮説ではなく妄想だな
こと歴史においては結構妄想としか思えない事柄が俗説としてまかり通っていたりするが

234 :
ならば、毒説はありえないという傍証を提示してみたら?
自分はどっちでもいいから、説得力のある傍証だったら賛同するよ。

235 :
・・・・・・なあ、わかってるんだろ? 「○×はない」という証明を相手に要求した時点で論理的に敗北してるんだってことは。

236 :
なんで毎回ID変えてんの?

237 :
>>236
横レスですまないけど、君はこの件に関してはどういう見解があるん?
病死説?義久による粛清説?

238 :
1587年5月に家久が病気になっている書状が存在
秀長との会見は5月以前?そして6月5日死亡
死ぬのにそんな時間がかかるってどんな毒?
定期的に与えることによってじわじわ効くような毒もあるだろうが
それだと定期的に毒を服用する必要がある

239 :
>>237
病死も暗も、どちらの可能性もあるなと思ってる。
暗説はありえない、と強く主張するひとがいるから、その根拠を聞いているだけ。

240 :
もともと病気で弱っている所に、毒薬または劇物をあたえて衰弱死。その時代の薬学ってどの程度のモノだったの?

241 :
家康がプロ顔負けの薬マニアで漢方に精通し自分で調合して
家臣や自分で服用してたりするけど
健康のために青酸カリかなんか飲んでたような・・・他の劇薬だっけ

242 :
>>240
チン毒 ハンミョウ ヒソウ 水銀
が主な毒と言われている
ただしチン毒は想像上の産物
どれも貴重品や舶来品で通常入手は困難
島津や豊臣なら容易ではないにしても手に入るだろうけど
効果はどれも数時間から数日で死亡する
だったと思う

243 :
>>231
「降伏後に暗された例は結構ある」というならその事例を一々挙げてみ?
最後まで抵抗を続けた武将が戦後に粛清されるのは珍しくないが、
まだ島津との戦闘行為が続いてるのに降伏者を暗して何のメリットが有るのか
暗説を主張したいならまずはそこをはっきりと指摘するべきだろう

244 :
>>239
暗説がありえないという人の前に、根拠なく「暗説」を提示する人のほうに聞くべきじゃねえの?
何度も言うけど否定の証明を相手に求めた時点であなたの負け、もっと言えばあなたは物事の考え方自体がおかしいんだよ。

245 :
島津家久も、蒲生氏郷みたいにカルテのような物が残っていたら良いのに

246 :
>>243
>暗説を主張したいならまずはそこをはっきりと
何度もいうが、別に暗説を主張したいわけじゃない。
完全否定したい派(当然根拠があっていってるのだろうから)の考えを聞きたいだけ。
>>244
>暗説がありえないという人の前に、根拠なく「暗説」を提示する人のほうに聞くべきじゃねえの?
たしかにそちらの意見も聞きたい。
だが、コメントしてくるのが暗完全否定派のひとたちばかり(少なくとも昨晩は)だったので、まずは
そのひとたちの意見を聞こうとしているんだがどこかおかしいかい?
否定の証明云々の話だが、「暗がありえない証明」が言葉としてお気に召さなければ、「病死である証明」でもいいよ。
そのへんはどっちでも。
自分は病死説も暗説も、どちらも立証は不可能だと思ってるがね。

247 :
島津と紀伊の二回疑惑があるな。

248 :
別に自分も秀長暗説を完全否定したいわけじゃないよ
仮説としての存在は認めたうえで
「根拠の薄い仮説だな」と指摘してるだけ
貴方自身も秀長暗説が信憑性のあるものだと思ってるわけではあるまい

249 :
たしかにそれほど可能性が高い仮説だとは思っていない。家久については。
ただそれとは別に、秀吉秀長兄弟というのは苦労して成り上がっただけに、ひとの嫌がる汚れ仕事も結構やってきた(やらざるを
えなかった)んじゃないかとは思ってる。颯爽としたイメージはあるけどね。
それでいて、明るい印象を相手に与えるのがこの兄弟のすごいところだろう。

250 :
信長公記や多聞院日記に名前残ってるのに、太閤記などの談話には残ってないんだろ?

251 :
>>242
始皇帝みたいだな

252 :
>>250
太閤記の著者に思うところがあったんだろうね。

253 :
>>250
竹中半兵衞や三成が目立っているからだろ。
254 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

255 :
信長公記はともかく多聞院日記は秀長への悪口で一杯だからな・・・
同じ太田牛一の大かうさまぐんきのうちでは記述有ったっけ

256 :
秀長は
「いたずらに外国と争い、人馬や兵糧を費やすことはおろかなことである。
損失ばかり多く、何も得るものはない。
和議を講じて交易を行うことが富国の一番の道である。」
として病床にありながら朝鮮と戦を行うことに反対していたという
http://homepage1.nifty.com/SEISYO/hidenaga.htm

257 :
>>255
多聞院日記には秀長が死んだときに大量の金銀が蓄えられてるのを非難して、
「あさましいことよ」ってったんだっけ
自分は原本は読んだこと無いが、司馬遼太郎の「豊臣家の人々」の秀長の話で読んで腹が立ったのを覚えてる
まあすぐ司馬本人に「あさましいのはむしろ秀長から金をせしめ取ってきたこいつらの方だ」と書かれてたけどw
あれはいい小説だった
>>256
ソースは何だと聞きたいな

258 :
>>256 
たしか、武功夜話だな。
前野に言ったセリフ

259 :
愚かなこととわかっていても、方針転換が難しいのが現実の政治。

260 :
>>258
ちょっと後世の創作くさいな。

261 :
秀長なら、解っていたのでは?半島のアホさが

262 :
大納言さえ健在であれば・・・豊臣の治世が続いたことはいうまでもないのである。
あぁ、大和大納言。

263 :
秀吉は実は無能で、実力者秀長の操り人形だったんじゃないの?

264 :
九州征伐後の尾藤知宣の処遇には秀吉と秀長の微妙な権力関係が反映してると
考えるのはうがちすぎだろうか

265 :
>>263
「そのとき歴史が動いた」で小和田氏がそんなこと言ってたな
秀吉みたいなのは戦国時代に幾らでも居るとか何とか
秀長の功績が長年、評価されなかったことからの反動も理解できるが・・・
秀長ファンはちょっと調子に乗りすぎて秀長を過大評価しすぎ、秀吉を過小評価しすぎ

266 :
劉邦あっての韓信、蕭荷、張良

267 :
武将としての力量は徳川家康に匹敵していたほどの大物
四国も九州も独力で平らげる軍事的才覚を持ち、
家中統制能力は秀吉以上
まさに豊臣家の屋台骨だった
秀吉没後も健在なら家康が付け込む隙など微塵もなく、
豊臣家は安泰だった

268 :
健康管理も武将の大事な心得のひとつです。

269 :
秀長の死因は結核か何かでしょ
肺の病はあの時代本人が気にしてもどうしようもないからなあ
まあ健康に気をつけてた家康は偉いと思うが

270 :
 

271 :
豊臣家の重責を一人で背負い込んで過労と心労で早死にしそうだが

272 :
 

273 :


274 :
家康が最も恐れた男秀長、氏郷、利家、幸村、光秀、昌幸、氏照、信玄、マサカゲ

275 :
どんだけ恐れてるんだよw

276 :
百姓上がりなのに、どこで武将としての器量やスキルを学んだんだろ?
兄貴同様に我流なんだろうか?

277 :
>>276
基礎は竹中半兵衞らしい。
後は独学か誰かいるかも

278 :
>>276
武田信繁を理想にした

279 :
>>276
蜂須賀党も少しは寄与してるんじゃないかな?

280 :
勉強したけりゃいろいろ方法があったんじゃないか?
寺社勢力が強かったのは教育、福祉を担当してたからだろう。

281 :
>>280
今と違う。
寺社関係は、戦国で領地が奪われ、筒井迄ムチャクチャだったが、秀長が相手したから。

282 :
>>276
そもそも読み書きできたのか? 平仮名位は読めたろうが。
書状の筆跡(直筆)を見れば、その辺りも推測できそうだが。

283 :
かなり、達筆らしい。

284 :
弟が天皇の御落胤だったんじゃないのかと言ってみる

285 :
秀長亡き後の秀吉の外征のやり様の稚拙さを見れば、秀吉の軍功に占める秀長の果たした貢献度がいかに大きかったか、判ろうというのもだ。
秀長あっての秀吉であり、秀長無き秀吉など、三流武将だろ。

286 :
秀長が生涯戦で負け無しって、例えば「徳川秀忠は生涯戦で負けたことが無い」って言うのと同じレベルの話だろ。

287 :
今度はこっちでかよ。みじめな奴だww

288 :
>>286
釣れますか

289 :
>>288
釣り乙

290 :
勝敗っていうのは微妙な表現だよな
秀長は賤ヶ岳前哨戦で負けたといえないこともないし、賤ヶ岳合戦として羽柴軍が勝ったから勘定に入れないでいいかもしれない
秀忠は関ヶ原戦争、大坂の陣では勝ってるが、上田城や岡山で負けたといえないこともない
規模やら結果のもたらすその後やらで何を勝敗というかも全然変わるしな
最終的な目的を達する為にはどれだけ無様に負けようが大した意味はない

291 :
とりあえず小物が一つ釣れましたな

292 :
この御仁はかなりの蓄財家らしいね。どの位大和の既得権益を破壊したんだろ?

293 :
z

294 :
一族武将なら、上々な方だと思う、曹仁より遥かに使えたと思う。

295 :
何でも三国志に例えるのがどれほど恥ずかしい行為なのかが解らない三国志脳の恐怖。

296 :
太閤立志伝4のイケメン秀長萌えw

297 :
>>296
実際はチビデブだったらしいがな。

298 :
>>297
華奢だったらしいが、鍛えていたはず

299 :
>>297
デブっていうな
ふくよかなんだ…

300 :
>>297
秀吉と違うタイプと言う意味合いもあるかも。

301 :
ガリとデブでブルースブラザーズだな。

302 :
本能寺の変直前ぐらいだと、秀長は中国方面軍の副将格だったけど織田家の中での序列は
どんな辺だったんだろう?
同程度の序列の武将をあげてもらえないでしょうか。

303 :
>>302
前田利家の弟とかとおんなじくらい。

304 :
「所詮は陪臣。
織田家直臣の序列に加わろうなどとは、
図々しいにもほどがあるわ!」
とか言われたら悲しいだろうな、
という秀長ファンの俺w

305 :
>>301
>ガリでデブ
ルイージみたいな感じか

306 :
>>304
まあ、独立は希望したら可能だったからな

307 :
>>306
確かに。
堺屋氏の小説だっけ?
この当時、弟でも能力があれば
別に家を構えることも珍しくなかった
とかいうくだりがあったよね。
太閤立志伝5でも大殿との親密度が
上がったら、「直臣やらないか?」
ってお誘いあるし。
それをずっと断るのが秀長プレイの
醍醐味だと信じてる。

308 :
太閤立志伝4
秀長でプレー。
姫路城城主の兄秀吉に、謀反を提案。
すると秀吉は了承し、信長に対して謀反を起こす、
速攻で秀吉の下を離れる。
秀吉は織田信長・毛利輝元に攻め込まれ、死亡。
秀長は武田家に仕え、城主まで上り詰める。
運がいいと勝頼の居城の隣の城を与えられる。勝頼が他城を攻撃している隙に
謀反を起こし、全力で勝頼の居城を攻め込む。
こうして武田を滅ぼし、天下を取った。

309 :
もっとって言うか例えばプロ野球のピッチャーで
生涯成績が10勝0敗、防御率0.95の選手が居たとしよう。
さてこの選手は野球の神様と呼ばれるように成るだろうか?

310 :
>>309
あまりの微妙さに神様扱いされるかもしれないw
「あいつ何故か負けだけは付かないんだよ」
んで引退間際は一部の好事家の間で伝説的存在にw

311 :
>>308
兄者にに忠実でない秀長なんて…
>>309
無敗なのに生涯10戦しか出してもらえない
プロ選手って例えとしては
非現実的では?

312 :
>>311
怪我で引退とか

313 :
>>312
なるほど、それはありそうだな
ということはあれかな。
309がスレタイを見て言いたいことは
車に乗らずに無事故無違反で
ゴールドカードの優良ドライバーなんて
片腹痛いぜ!
ってのに相通じるものがあるのかな

314 :
表に出ない謀略は数えきれないほどあると思うけど。毛利相手なら。

315 :
>>314
そんなものありとあらゆる戦国大名にあるだろうよ>表に出ない謀略

316 :
まあそうだが、
>>車に乗らずに無事故無違反で
>>ゴールドカードの優良ドライバーなんて
>>片腹痛いぜ!
これは、全然当てはまらないと言うことで

317 :
じゃあ
飲酒運転でスピードオーバーで
高速道路逆走してるのに
無事故無違反でゴールドカードの
優良ドライバーってことか

318 :
>>309-310
もっと試合にはでてるけど現役生活の短かった伊藤智あたりはいまや伝説化されてるけどね。
横滑りのスライダーと速球のコンビネーションは最強だった。神様ってわけじゃないけど非常に評価は高い。

319 :
但馬平定とかは少ない兵でやったんだろ?
但馬一国もらってるという事は国主レベル。
織田信長も認めてたんだろ。

320 :
>>319
但馬一国なんてもらっていません。

321 :
知行宛行状や特権の認可状が長秀の名で出てるから但馬における実効支配は確認できてるんじゃないのな。

322 :
だよな。言葉尻で攻撃すんのやめてくんない?

323 :
こないだ本の整理してたらNHKラジオ文化セミナーの
「信長・秀吉と家臣たち」って本が出てきたんだが、
>そしてこの年の六月と十月、秀長が家臣に但馬の地を宛行っている様子が見られますから、
>但馬の支配権を秀長が分担した様子です。
>しかし、考えてみると、一国の支配権を家臣にすぎない秀吉が分け与えるという形は、
>織田家の組織の中では考えられません。
>身分的には秀長は信長の直臣で、兄秀吉の与力という立場だったのではないかと思います。
とあるんだけどどうなのだろう?
俺は陪臣だとばかり思ってた。そういう説もあるんかいな。
しかしこのスレタイなんとかならないのか

324 :
>>323
信長公記に、
伊勢長島で攻め入った武将の中に秀長単独で名がでてることからも、
直臣だったのではないか、という推測があるね。

325 :
コイチローの嫁は元尼さんの人だけ?
とても信じられん。

326 :
>>325
まあ、寺社の嫌がらせかもしれんが、『虎の城』の描写が正しいのかも。

327 :
日本の100人番外読んだ
「銘酒 豊臣秀長」か…
秀吉の誤植と思う人がたくさんいるんだろうなw
個人的には「銘酒 大和大納言」とかのほうが良いなあ

328 :
過疎ってるけどコイチローの戦歴を書いてみるので
気がついた人は補足や指摘をたのむよ
・1565年 美濃国鵜沼城攻め? (初陣?)
・1567年 稲葉山城攻略 (秀吉別働の間本隊預かる?)
・1570年 金ヶ崎の戦い (秀吉軍の最後方隊で撤退)
        姉川の戦い
・1573年 小谷城攻略戦
・1574年 長島一向一揆討伐戦 (秀吉名代)
・1576年 石山本願寺攻め
・1577年 雑賀攻め
       但馬攻略開始
・1578年 播州三木城攻め (丹生山焼き討ち・淡河城攻めで淡河弾正に一杯喰わされ敗走)
・1580年 但馬攻略完了
・1582年 備中高松城攻め
       山崎の戦い
・1583年 滝川一益攻略
       賤ヶ岳の戦い (本陣預かる。中川清秀討死の責を問われる?)
       北ノ庄城攻め 
・1584年 小牧・長久手の戦い (織田信雄の監視)
・1585年 雑賀攻め (副将)
       四国征伐 (総大将)
・1587年 九州征伐 (別働隊大将。島津を追いきれなかったので秀吉に怒られる)
ミスもあるが結果は上々でなんとも手堅い戦績といったところ?

329 :
確か信長から、着物?を直接もらった事があるんでしょ?

330 :
>>328
地味と言うけど、四国征伐、九州征伐の規模は異常。
関ヶ原の10万クラスの連合軍

331 :
管理能力が高い
バランス感覚にすぐれる
与えられた仕事を自己の裁量で的確に裁ける
主人に忠実
上司の代行として部下を統率し結果をだせる
ナンバー2としては理想

332 :
>>331
そしてそれは全部「No1になれない資質」でもあるな。

333 :
確かにね
秀吉という最高位のナンバー1がいたから秀長は活躍できたと思う
秀吉がいなければ秀長はここまで活躍できなかったし活躍できる人間に成長できなかったんじゃないかな?また秀吉も補佐役として最高の秀長がいたからあそこまで昇れたんじやないかと俺は思う
まさに理想のコンビだ

334 :
>>329
それは知らなかった
いつ頃?

335 :
家康も、信長がいなければ天下は取れなかった。
あんな、自己中ばっかの軍団を、しかも10万単位で無難に指揮できたのはさすが。

336 :
>>335
信長も家康いなかったら天下を狙うことは無理だった訳だが。

337 :
>>332
それでも徳川秀忠よりは上だから、優秀な2代目になれる

338 :
>>337
何をトンJンな事を言っているんだお前は。
秀長は一度たりとも「後継者」の役を与えられたことはない。

339 :
>>338
常に秀吉の名代だけど?
それに、もし秀長が秀吉より後に死んでたら、間違いなく豊臣家の後継者になってた。

340 :
俺も二代目としての能力と組織の重鎮としての能力は違う
しかし秀長が倒れてから元茶頭の山上宗二が処刑、利休の死と秀長に近しい堺衆の死が続くが
これって秀長が生きてたら防げたと思う?
それとも巻き込まれたかな?
秀長は朝鮮出兵を止めてたってネタも、博多商人にデカい顔させたくない堺衆の要請があったとかだったら
なくはないのかなと思うんだが…
利休の死にはどういう意味があったんだろうなあ

341 :
違うと思う、だ
すまん

342 :
>>339
> それに、もし秀長が秀吉より後に死んでたら、間違いなく豊臣家の後継者になってた。
秀頼がいても!?どういう理論だよ。

343 :
>>342
事実上な。
秀吉が史実通りに死んだら、秀長は間違いなく後見に任されるし、
今までの実績から見れば秀頼が成人まで事実上豊臣の当主。
別におかしくないのだが?
なぜそこまで噛みつく?
生理来てるのか?

344 :
なんで「間違い無く」なんて断言できるんだか。
晩年の秀吉の事を考えれば、自分より秀長が長く生きそうなら
それこそ「間違い無く」粛清しただろうよw

345 :
どちらも断言なんて出来ないが、
可能性で言えば粛清の方が可能性高そうなのは史実の流れを見る限り仕方ないかも。
秀次粛清の流れになっていけば、秀次の弟を養子に取ってる
秀長と意見が対立して秀吉に疎んじられて行く構図は容易に想像できる。

346 :
たとえ平身低頭で主君に忠実であっても、主君が死んだとたんに変貌し遺族にもひどい仕打ちをする忠臣がいるってことは
他ならぬ秀吉自身が誰よりもよく知っているからなぁ。
なまじ秀長の場合、他の有力大名と違って容易に秀頼にとって代われる存在なだけに、秀吉の猜疑心を一層刺激しそうだ。

347 :
中国では初代の兄を助けて覇業を確立→初代の死後専横・即位って例に北宋の趙匡義があるな

348 :
俺は秀長が秀次切腹を止められたかどうかが一番の焦点だと思う
正直、晩年の秀吉を見ているととても難しいと思う。
でも秀長が秀次切腹事件に巻き込まれて失脚又は誅されてたら
秀吉死後の豊臣家はもっと早くつぶれただろうな

349 :
ttp://tottori.sblo.jp/article/120373.html
根白坂の戦いの秀長の行動はよくわからん
誰か詳しい人解説してくれ

350 :
結局、この人の百十二万石って、
大和、紀伊、和泉以外にどこが入ってたのかわからないんだよね。
その三国全部併せても九十万石行かないし。

351 :
豊臣家ってやたら色んな所に小さな荘園みたいな領地持ってたからな。

352 :
戦術立案とか陣頭指揮能力とかも、並みの武将よりは優れていたんだろうけど
ほんとうはそれ以上に、
戦時の情報共有のやり方とか、各々のストレスをうまく吸い上げるとか、
各々の調整をしていかにスムーズに戦う環境を整えるかとか、
イケメンエリート総務部長的な能力が抜きん出てたんじゃないかな。
武人か文官かといえば文官なんだけど、
めちゃくちゃ優秀な文官は戦争にも応用力があるってことじゃないか。
この人わ。

353 :
裏方のスペシャリストだな。
それでいて名代という表舞台も勤まるし、秀吉に重用されるのもわかる。
しかし天下取った後は用済みのタイプだな。
あんまりにも優れた文官が幼い後継者にとって一番の脅威だから。

354 :
>>353
人身に後継者いないから脅威にはならない

355 :
>>354
アホか。そんな単純なもんじゃねえよ。

356 :
三国志呉の孫策と孫権みたいな関係では?

357 :
むしろ尊氏と直義

358 :
>>309をみて、伊藤智仁を思い出した。
(無敗投手ってわけじゃないけどw)
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E6%99%BA%E4%BB%81

359 :
学研M文庫ってのから豊臣秀長が出てた
作者は志木沢郁とかいう人

360 :
その人なら読む価値あるかも知れんよ

361 :
この人のやっていた事はどうも、武将と言うより羽柴家、豊臣家の筆頭執事みたいな感じだったようね。
特に後期は入阪した同盟、配下諸侯の接待が主な仕事だったようだ。

362 :
>>361
他になり手なし。
戦場には九州まで全て出ている

363 :
秀長の家臣ってどんなのがいるの?
藤堂、桑山、本多位しか分からん

364 :
>>363
志村ー、小堀小堀!
島左近は居たかどうかはっきりしないんだっけ?

365 :
武田信玄→武田信繁みたいなもん?

366 :
>>364
小堀は家臣と言うか、茶坊主だったような。

367 :
>>366
小姓だったかな
でも遠州のオヤジは重臣じゃなかった?

368 :
かなりの大領土をもらってたよね?

369 :
秀長はすごい財産を残したらしいが
秀保が死んでお家取り潰しになったあと
その財産はどこへ消えたんだろう
国庫(=秀吉)に吸収?
こないだ出た秀長の小説読んだら
材木代金横領が役人個人の罪になってた
真相はどっちなんだ

370 :
おそらく、真実では?
部下に詰め腹切らせる人じゃないし、
年賀に出ず謹慎したらしいから

371 :
秀長が仮に長生きして静粛しようとしてたら、どうなってただろう?
秀次よりも人望あっただろうし、当時の秀吉は既に暴挙が目立つようになってたから、
秀長派の大名、武将が現れて内乱になるんじゃないのかな?
秀長自身は反乱とかに無縁って感じもするけど、謂れの無い追悼命令が出たら変わってくるかもしれんし。

372 :
秀長は秀吉に腹切れって言われたら
切っちゃう気がしてならないんだよなあ
そこが引っかかる

373 :
ある意味、利休と似たような展開かね。

374 :
追悼命令が出る時点で死んでるじゃねーか

375 :
>>369
>こないだ出た秀長の小説
なんてタイトル?

376 :
>>371
そんなことでかつがれるようなタイプではないし
かつがれてうまくいくタイプでもないと思うな
秀長の評価は秀吉あってのものだと思うんだ
(秀長を卑下しているんじゃないよ)
秀次切腹を止められるか止められないかはわからんが
連座については諸将から執り成し依頼があるだろうから
あちらを立てたりこちらを立てたりしてるうちに
結局過労で亡くなったりして(;´Д`)
>>375
その名も「豊臣秀長」学研M文庫かなんか
ググったら出てくると思う

377 :
金商人事件って知ってますか?

378 :
>>376
>秀長の評価は秀吉あってのものだと思うんだ
その逆じゃないのか。
秀吉は秀長の戦功全てを己のモノとしていたんだから。
というより、秀長自身が己の戦功を兄に提供していたといったほうが正確だが。

379 :
>>378みたいな書き込みを、「贔屓の引き倒し」と呼びます。

380 :
>>379
事実を述べているだけ。
それに対して薄っぺらなレッテル張りをしてみても、何の意味もない。
反論するなら、意見の趣旨についてしたらどうだい。

381 :
>>380
秀長あっての秀吉なら、秀長が羽柴家乗っ取ってるよ。
反論って物はね、しっかりとした「論」が最初にあって始めて成り立つ。
論でもなんでもないただのマンセー感情に、わざわざ反論なんて物をしてもらえると思ったら大間違いだぞ。

382 :
秀長の戦功でありながら、秀吉の戦功として語られているものとは?

383 :
>>381
>>秀長あっての秀吉なら、秀長が羽柴家乗っ取ってるよ。
歴史的事実として秀長は終生忠実な秀吉の部下。
乗っ取りを企てた事など一度とてない。
ま、個人的に何を妄想しようと自由だが。
>反論って物はね、しっかりとした「論」が最初にあって始めて成り立つ。
 論でもなんでもないただのマンセー感情に、わざわざ反論なんて物をしてもらえると思ったら大間違いだぞ。
「天に唾する」とはまさにこの事。

>>382
自分で調べてみたら。
反論するならその上で。

384 :
自分の説の根拠も提示できずに逃げちゃったよ

385 :
>事実を述べているだけ。
といった以上、事実を述べなよ。どの戦功だい?
具体的に指摘しないと反論しようがないだろう。キミが逆の立場ならそう思わないか。

386 :
>>384
>自分の説の根拠も提示できず
まさに君の事だろ。
君の論法は、単なる妄想と根拠無きレッテル張り。ただそれだけ。
初歩的な歴史知識まで一々こちらが手とリ足とリレクチャーする義務はない。
幼稚な質問をしてくる方がどうかしている。

387 :
>>386
そんなごたくはどうでもいいからさ、君の説の根拠となる資料なり文献なりを出せよ早く。

388 :
>>385
>どの戦功だい?具体的に指摘しないと反論しようがないだろう。
反論するだけの知識もないのに否定するなって話だ。
上記でも述べたが、
初歩的な歴史知識まで一々こちらが手とリ足とリレクチャーする義務はない。
それなりに知識を頭に詰め込んでから反論してもらおう。

389 :
>>387
>君の説
って何だい?意味不明。
ちなみに、君の真っ当なご意見は全く見受けられないんだかな。
他人には論拠を求め抽象的な批判中傷を押し通すってのが、君の「手」らしいな。
こういう手合いは見飽きた。
中身が薄っぺらな奴の常套手段だ。

390 :
>反論するだけの知識もないのに否定するなって話だ。
反論・否定って何のことだい?
こちらは最初から否定も肯定もしていない。ただ、どの戦功のことなのか聞いているだけ。
>秀吉は秀長の戦功全てを己のモノとしていたんだから。
>というより、秀長自身が己の戦功を兄に提供していたといったほうが正確だが。
この「秀長の戦功」について、具体的に書けばよいだけだろう。

391 :
>>390
何度も繰り返すが、
初歩的な歴史知識まで一々こちらが手とリ足とリレクチャーする義務はない。
このレベルは、他人に尋ねるのではなく自分で確認すべき問題。
今時の小学生でもできる事だがな。
君が小学生以下の知能だというのなら、話は別だが。

392 :
あいにくだが、初歩的な歴史知識だと、それは秀吉の戦功になっているはずだろ。
>秀吉は秀長の戦功全てを己のモノとしていたんだから。
>というより、秀長自身が己の戦功を兄に提供していたといったほうが正確だが。
だから、自称脱初歩のキミに尋ねているんじゃないか。初歩的な歴史知識ならこっちも
調べられるんだがね。で、どの戦功?

393 :
>>392
>初歩的な歴史知識ならこっちも調べられる
では調べてから、意見してもらおう。

394 :
秀長の統治下では郡山は発展したけど、奈良は衰退したという話を聞いたことがあるんですが?本当ですか?

395 :
>>393
意見するなんて一言もいってないって。
で、どの戦功?
揶揄したり煽ったりしないことは約束する。とりあえず書いてみてくれないか?

396 :
>>395
繰り返す。
初歩的な歴史知識まで一々こちらが手とリ足とリレクチャーする義務はない。
このレベルは、他人に尋ねるのではなく自分で確認すべき問題。
今時の小学生でもできる事だがな。
君が小学生以下の知能だというのなら、話は別だが。

397 :
ID:mvCvtCyBの言う
「自分の意見を具体的に何も言わないで人の意見にだけ突っ込み入れる歴史無知のゲーム厨」
この種の三好厨系の低脳に手取り足取り説明するのは確かに疲れる
その苦労は俺も知ってるから、考えただけでもゲンナリする気持ちは理解できる
ただし、この場合はID:53QeREoqの言ってることの方が正しいと思う
なぜなら、秀長の功で秀吉が評価されてる戦って
実際、俺も思いつかないしID:53QeREoqも、それを内心思いながらも
しかし口に出して言っちゃうと、また荒れるから、普通に質問してるわけで
もし、本当にあるんなら、どうかID:mvCvtCyBには教えて欲しい

398 :
>>397
>秀長の功で秀吉が評価されてる戦って実際、俺も思いつかない
自分で調べてもみないで、質問しないでもらいたい。
端的に言えば、秀長の存在は当時絶大だったにもかかわらず、後世あまり目立たない事が一例。
秀長死後の豊臣の斜陽も一例。
個別事例は自分で確かめてもらいたい。
小学生でもやってる事だ。

399 :
個別事例を確かめた上で、ないと判断しました。これ初めてだけど自分の意見ね。
で、異論があるなら、具体的にどうぞ。
「もっと調べろ」というのはなしね。調べた上での結論なんだから。

400 :
>>399
>個別事例を確かめた上で、ないと判断しました
浅い探求しかしていないのは・・・(もしくは嘘か)
深い知識があれば、そんな感想は間違っても出て来ない。

401 :
具体例が出てこないようでは
>秀吉は秀長の戦功全てを己のモノとしていたんだから
は全くのデタラメであると結論づけられますね
自説を通したければまず、根拠を挙げなさい
深い知識があれば、の話ですが

402 :
>>401
情報操作の意図が見受けられる。
「というより、秀長自身が己の戦功を兄に提供していたといったほうが正確だが」
を故意に省いたか・・・
ろくに調べもしないで、他人に説明を求めないでもらいたい。
もしくは、知ってはいるが、釣り狙いで質問しているか・・・
自助努力の問題を他人に押し付けるなって話だ。

403 :
>>402
> 自助努力の問題を他人に押し付けるなって話だ。
そりゃお前にぴったりの言葉だ

404 :
と言うことで、>>402を見てもお分かりの通り、
>秀吉は秀長の戦功全てを己のモノとしていたんだから
>というより、秀長自身が己の戦功を兄に提供していたといったほうが正確だが
の具体例を何一つ示せないままのID:mvCvtCyBでした
はい、次の患者さんどうぞ

405 :
>>403
>そりゃお前にぴったりの言葉だ
意味不明。知識はないが小学生レベルの中傷だけは一丁前か。
>>404
繰り返す。
初歩的な歴史知識まで一々こちらが手とリ足とリレクチャーする義務はない。
このレベルは、他人に尋ねるのではなく自分で確認すべき問題。
今時の小学生でもできる事だがな。
君が小学生以下の知能だというのなら、話は別だが。
自ら為すべき事を為さず、それを他人にまる投げして責任転嫁する幼稚さは愚劣の一言。
もしくは分かってる上でのすっとぼけた釣りか・・・

406 :
>>405
言い訳はいいからお前は具体的な事例なり資料なり書籍なりを提示しろ。
出来ないなら二度とこのスレで書き込みをするな。資源の無駄だ。

407 :
>自ら為すべき事を為さず、それを他人にまる投げして責任転嫁する幼稚さは愚劣
なので、いつまで経っても自説の根拠を示せないID:mvCvtCyBは愚劣だと本人も認めました
患者さんの病名は
「根拠無く自説を振り回す荒らし病」です
処方箋は「根拠となる具体例」となっております

408 :
>>405
あんた本能寺スレでも無知さらけ出して逃げ出したくせに懲りないなw
リア厨?

409 :
>>406
>具体的な事例なり資料なり書籍なり
を読んでないのでは話にならない。
それは君個人の自助努力の問題。
をした後ケツを他人にふかせる事を要求する類のお子チャマ君か?君は

410 :
ID:mvCvtCyBの説の根拠は堺屋の小説w

411 :
>>408
>本能寺スレでも無知さらけ出して逃げ出したくせに
また根拠なしのレッテル張りか・・・
こういう手合いは書き込んだ内容には一切言及せずに、
論点と無関係な方向で他人を中傷してくる。
「無知」だというなら具体例を挙げてもらいたいものだ。
ま、無理だろうけど。

412 :
>をした後ケツを他人にふかせる事を要求する類のお子チャマ
どうやらID:mvCvtCyBにはオムツも必要だそうです
繰り返しますが、患者さんの病名は
「根拠無く自説を振り回す荒らし病」です
処方箋は「根拠となる具体例」となっております

413 :
>>410
>ID:mvCvtCyBの説の根拠は堺屋の小説w
では聞くが、君は堺屋小説の内容を否定できる論拠があるのか?
ないだろ、全く。
他人の意見は否定できても、根拠がないので論理的な反論は何一つできず、
己の薄っぺらさを露呈させてるだけ。

414 :
>>411
自説の根拠たる資料も出せずに
「小説家はきちんと歴史考証してるから云々」
とか宣うあんたの方がどうかしてるよ

415 :
>>412
>繰り返しますが、患者さんの病名は「根拠無く自説を振り回す荒らし病」です
 処方箋は「根拠となる具体例」となっております
自助努力を何もせず(もしくは釣りか)、
自己責任の問題まで他人に責任転嫁してくるお子チャマ君。

416 :
>他人の意見は否定できても、根拠がないので論理的な反論は何一つできず、
>己の薄っぺらさを露呈させてるだけ
根拠無しに他人の意見を否定できるID:mvCvtCyBの病名に
「自己紹介乙病」が追加されました
こちらの処方箋も「根拠となる具体例」となっております

417 :
そもそもあんたの空想に対して論理的に反論なんて有り得ないだろ
学生のディベートごっこじゃあるまいし
あんたの自説の論拠が想像や小説の受け売りって点から一歩も出てこないわけだし

418 :
>>414
>自説の根拠たる資料も出せずに
繰り返す。
初歩的な歴史知識まで一々こちらが手とリ足とリレクチャーする義務はない。
このレベルは、他人に尋ねるのではなく自分で確認すべき問題。
今時の小学生でもできる事だがな。
君が小学生以下の知能だというのなら、話は別だが。
自ら為すべき事を為さず、それを他人にまる投げして責任転嫁する幼稚さは愚劣の一言。
もしくは分かってる上でのすっとぼけた釣りか・・・
>「小説家はきちんと歴史考証してるから云々」
では何を根拠に堺屋小説を茶化し、その内容を否定できるのか、
是非お教え願いたいものだな。
ま、無理だろうけど。
結局上っ面で否定はするだけが取り得のお子チャマ君か、君も。

419 :
イタイ子供に火を付けてしまったようだ
元々のスレ住人諸氏スマンm(_ _)m
俺は退散するw

420 :
>>418までのmvCvtCyBによる発言で、自助努力をしたくない無知と言う診断も出ました
処方箋は服用しないと効果がありませんよ
これまで全く「具体例の提示」がなされていませんから、誰も納得しておりません

421 :
>>416
>根拠無しに他人の意見を否定
いつ、どこで?
示してもらおうか。
言っとくが、これはこちらの自助努力の問題ではない。
そういう根拠なしのレッテル張りをするから、君はお子チャマ君な訳。

422 :
『これまで全く「具体例の提示」がなされていません』
状態で、他人を罵倒する姿勢が
>根拠無しに他人の意見を否定
だとの結論になっております
きちんと示しましたので、あとはID:mvCvtCyBの反論なり謝罪が出てくることでしょう

423 :
>>419
痛い所を突かれ、尻尾を巻いて逃げ出すか・・・
ま、所詮はこの程度だよ、君はwww
>>420
>これまで全く「具体例の提示」がなされていませんから、誰も納得しておりません
無知蒙昧で何を意見しても笑止千万。
無知な人間が己の無知を棚に上げ、自分で確認すべき事柄まで他人に押し付けてくる幼稚さは哀れというしかない。

424 :
ちなみに、言い出しっぺによる「具体例の提示」がなされていれば、具体例に基づいた
まともな反論も出てくることでしょう
他力本願はみっともないので、念のため

425 :
具体例を出せない理由は、ID:mvCvtCyBの「無知蒙昧」によるものだと認めるわけですね
それなら、みなさん納得しますよ
そうでないと言うのなら、自分で確認すべき事柄ぐらいは自分で調べましょう
出来れば、の話ですが

426 :
>>422
>『これまで全く「具体例の提示」がなされていません』状態で、他人を罵倒する姿勢が
 >根拠無しに他人の意見を否定だとの結論になっております
意味不明。
日本語として意味を為していない乱文で、己の論拠の無さを誤魔化そうとしてもミエミエだ。
恥の上塗りだよ、お子チャマ君。

427 :
この人は言ってる事が全て自分に当てはまってると
気付かないのかしら?
本能寺スレでの「朝廷陰謀説」の論拠も
出さず逃げ出したままなのに…

428 :
>>427
>本能寺スレでの「朝廷陰謀説」の論拠も出さず逃げ出したままなのに…
今度は事実を歪曲するでっち上げの嘘か・・・
ちゃんと読めよ。
堺屋小説の件は君のハッタリだというのはミエミエだぞ。
上っ面な知識も無いのに、著名な作家の作品をケナすなよ。
精神的幼児性が垣間見える。
>>425
己の無知を棚に上げ、自己責任問題を他人に押し付けないでもらいたい。
駄文を書き込む暇があるなら、ネット検索でもして調べてみたら?


429 :
落ち着けよ。論点ズレまくってんやん。

430 :
>>429
ID:7JUjXQzv&ID:bnCi/GG/に諭してもらいたい

431 :
論点は>>378の論拠があるのかどうかその一点に尽きる

432 :
ID:mvCvtCyBに聞きたいのはさ
逆に俺が、「秀長は秀吉の戦功全てを己のモノとしていた」と発言して
君が知らなかったとする。賢い君は必死に調べ上げたとする
それでも、その事実を見出せなかったとして、質問を俺にする
すると、俺は君に対してこう言い放った
「初歩的な歴史知識まで一々こちらが手とリ足とリレクチャーする義務はない。
 このレベルは、他人に尋ねるのではなく自分で確認すべき問題。
 今時の小学生でもできる事だがな。」
この場合は俺の「秀長は秀吉の戦功全てを己のモノとしていた」という発言は認めてくれるの?

433 :
松永久秀と内藤宗勝の関係に似ている。

434 :
>>432
「というより、秀長自身が己の戦功を兄に提供していたといったほうが正確だが」
の一文を敢えて除外したのは何故か?
故意にこちらの趣旨を歪曲しようとしたのでは?
姑息なマネはやめてもらいたい。
>その事実を見出せなかった
有り得ない。ちゃんと史実を把握すれば、こちらの主張を否定できるわけが無い。

435 :
>>434
いや、だから、俺が例えば
「秀吉自身が己の戦功を弟に提供していたといったほうが正確だが」
と付け加えたとしてさ
俺が、その理由を一向に話そうとしなくても
君は、この俺の意見を認めてくれるのか?って聞いてんだよ
どうなの?

436 :
>>435
>秀吉自身が己の戦功を弟に提供していたといったほうが正確だが
秀吉は主君で、秀長はその家来。
手柄をたてなければならないのは家来であり、主君が家来に自らの手柄を提供する必要は無い。
主君は家来の手柄を評価し、恩賞を与える立場。
例えがナンセンス。
小学生でさえ、こんな意見は認めてはくれない。

437 :
>>243
23ではないが
>「降伏後に暗された例は結構ある
伊予の例だが、河野通直が、秀吉によってl降伏後に暗ではないが、処断されたとおぼしき節があり、
西園寺公広も戸田某に暗されたのでなかったか、と。
これは、瀬戸内の海運を重視した秀吉が、毛利を服従せしめた以上、伊予に秀吉の息のかかっていない
土着の大名が存在することを許容できなかった豊臣政権が四国征伐で降伏した河野氏、西園寺氏を暗という手段で排除することで、
秀吉系の大名領にすることを狙ったといえなくはない。同様に、豊後水道の一方に、島津の勢力がいることを良しとしなかった、豊臣政権が、単独講和した家久の存在が事後に疎ましくなり暗という手段で消し去った可能性が全くないわけではないだろう。

438 :
せっかく奇矯屋が論点がズレてると忠告してくれたのになw
結局自説の論拠は提示しないのか?わざと?

439 :
初レスで申し訳ないが見るに見かねて言っておきます。
その人、いつもそんな感じの荒らしだよ。
論拠はいつも出さず自分以外の者は全て否定しています。
完全スルーをお勧めします。
スレの流れを見ると支離滅裂でもう充分でしょう。

440 :
>>438
>論点がズレてる
>自説の論拠は提示しないのか?わざと?
まさに君の事じゃないのか?
具体例として下記の貴殿の意見参照。
>あんた本能寺スレでも無知さらけ出して逃げ出したくせに懲りないなw
>「小説家はきちんと歴史考証してるから云々」

441 :
>>439
本能寺スレの方ですね
了解です

442 :
>>440
>>376のような世間一般が概ね認識している事柄に対して
>>378のような独特な異論を唱えたなら最低限論拠を示すべきだろう?

443 :
>>439
>その人、いつもそんな感じの荒らしだよ
>スレの流れを見ると支離滅裂
物事の本質も見えない愚か者らしい。
>論拠はいつも出さず自分以外の者は全て否定
では、君が支持する連中は、何か一つでも論拠を出したのか?
こちらを一方的に否定しておきながら、もう一方は無条件で庇い立てする情実ぶりは幼稚だな。
低能すぎる。

444 :
>>436
え〜と、君の言い分を適用するとね
秀長は家来で、秀吉はその主君。
恩賞を与えなければならないのは主君であり、家来が主君に自らの手柄を提供する必要は無い。
家来は主君に手柄を評価され、恩賞を与えられる立場。
こう当てはまるんだけどさ、君の考えだけが一方的に適用されるわけではなさそうだよね
主従お互いの立場で、相手に自らの手柄を与える必要はなさそうだけど、どうかな?

445 :
>>439
だよね
俺も、このID:mvCvtCyBが実は三好厨なんじゃないかと思えてきた
一向に根拠を示さないもん
なのに、同じ主張ばかり繰り返して
根拠もないのに、結論だけありきでさ・・

446 :
>>442
>秀長の評価は秀吉あってのものだと思うんだ
>世間一般が概ね認識している事柄
私見は私見。
世間の共通認識とは別個のモノ。
現に「思う」と延べ、私見であると明示しているではないか。
秀長無くして秀吉の天下取りは有り得なかったのは否定できまい。
秀長は自らの戦功を兄秀吉と同化させたが、秀吉はそうではない。

447 :
>>444
>家来が主君に自らの手柄を提供する必要は無い
>こう当てはまるんだけどさ
>主従お互いの立場で、相手に自らの手柄を与える必要はなさそうだけど
頭大丈夫か?意味不明。
>君の考えだけが一方的に適用されるわけではなさそうだよね
君の考えこそ世間の誰にも理解不能だよwww
君が支持している連中は知らんがwww

448 :
>>445
>一向に根拠を示さないもん
>根拠もないのに、結論だけありきでさ
無知な人間に手とリ足とリレクチャーする義務はない。
初歩的な知識くらい頭に入れて反論しろって話だ。
君も同類なら基礎的な知識くらい頭に入れたらどうだ。
そんな事まで他人に依存するお子チャマ君は、甘ったれと言われても仕方あるまい。

449 :
>>447
結局さ、君の言ってることも同じってことだよ
君は主人が自分の手柄を家来にやる必要ないと言い
俺は家来が自分の手柄を主人にやる必要ないと言い
そこには鎌倉以来続く武士の御恩奉公の関係があるんだからさ
どっちも手柄を相手にやる必要ないと言えば当然っちゃ当然だよね
でも問題はさ
君が>>378で >秀吉は秀長の戦功全てを己のモノとしていたんだから。
この発言をしたことから始まってるんだから
発言者の君自身が、その根拠を示さずに誰が示すの?

450 :
>>449
>家来が自分の手柄を主人にやる必要ない
なら、その主君に仕えずに自立しろって話になる。
君にも分かるように易しい例えを挙げてあげよう。
今日、サラリーマンが自分の手柄を会社に帰属させないことが可能か?
無理だ。
そうしたければ、独立して自ら起業しろって話になる。
本質は全く同じ。
>君が>>378で >秀吉は秀長の戦功全てを己のモノとしていたんだから。
 この発言をしたことから始まってるんだから
>>434でも述べたが、最度繰り返す。
「というより、秀長自身が己の戦功を兄に提供していたといったほうが正確だが」
の一文を敢えて除外したのは何故か?
故意にこちらの趣旨を歪曲しようとしたのでは?
姑息なマネはやめてもらいたい。

451 :
>>376が「思う」と付け加えたからって一般認識であるという点に変わりはない
>>378の自説の論拠は無しでいいのかな?

452 :
>>448
>無知な人間に手とリ足とリレクチャーする義務はない。
>初歩的な知識くらい頭に入れて反論しろって話だ。
初歩的な知識を手取り足取りレクチャーしてもらいたいと思ってないけどさ
>秀吉は秀長の戦功全てを己のモノとしていたんだから。
この発言は、初歩的な知識のない人へのレクチャーじゃなくて
具体的な戦功を挙げることは知識のない人へのレクチャーになる
この違いが未だに分からないんだよ
見解と具体的な根拠。これは普通一くくりで説明するものだよね?

453 :
>>451
>「思う」と付け加えたからって一般認識であるという点に変わりはない
「思う」=「一般認識」ではない。
小学生でも分かる論理だが・・・
おいおいって感じだ。
>自説の論拠は無しでいいのかな?
繰り返す。
無知な人間に手とリ足とリレクチャーする義務はない。
初歩的な知識くらい頭に入れて反論しろって話だ。
そんな事まで他人に依存するお子チャマ君は、甘ったれと言われても仕方あるまい。

454 :
>>452
>初歩的な知識を手取り足取りレクチャーしてもらいたいと思ってないけどさ
なら初歩的な事を尋ねるなって話だ。
>この発言は、初歩的な知識のない人へのレクチャーじゃなくて
 具体的な戦功を挙げることは知識のない人へのレクチャーになる
 この違いが未だに分からないんだよ
君の主張こそ何を言わんとしているのか意味不明なんだが。
小学生でも、こんな訳の分からない日本語使わないぞ。
基本的な日本語構築能力さえ無いんだから論外だ。

455 :
>>450
>今日、サラリーマンが自分の手柄を会社に帰属させないことが可能か?
社員の成績が企業の業績として帰属されるのは分かるんだって
でも君の言ってるのは、社員の個人成績を社長の個人成績として譲渡するってことだろ?
営業社員Aの取った契約を複数件、社長が自分の取った契約にカウントした
それが君の言う
>秀吉は秀長の戦功全てを己のモノとしていたんだから。
これだろ?
話を誤魔化しちゃいけないよ。どうせ、みんな分かってるんだからさ

456 :
>>455
>君の言ってるのは、社員の個人成績を社長の個人成績として譲渡するってことだろ?
 営業社員Aの取った契約を複数件、社長が自分の取った契約にカウントした
会社の業績=社長の手腕・能力に他ならない。
よって成果を挙げた社員には、報酬や昇進の形で称される。
羽柴家(豊臣家)の当主は秀吉、よって秀長の戦功は全て秀吉のモノとされた。
秀長は、信長在世時の秀吉のように、自らの手柄・戦功を誇示したりはしていない。


457 :
>>454
何か君と話してるとこちらが手取り足取りレクチャーしてる気分になってきたよw
@主張=A(根拠+具体例+証拠理由など)
この@主張に当たる部分が
>>378の>秀吉は秀長の戦功全てを己のモノとしていたんだから。
だろ?
で、Aのその(根拠+具体例+証拠理由など)は?って聞かれてるんだから
そこで突然、Aを説明するのは初歩的な知識もない人へのレクチャーになる
と言うのはおかしいでしょ? ってことだけじゃん
当然@を言うからには、その根拠、具体例等があって初めて成立するんだからさ。
そのAを示せないんなら、
それは先に結論だけありきで、中身がないって言われても反論できないでしょ?

458 :
どんな家臣でも、秀長ほどの評価であれば充分高いと思う。
秀吉も充分、評価していたし、秀吉の配下である以上、それで充分だったのでは。
逆に秀吉よりも目立ちたがる武将であれば、ライバルだし。
頼朝、義経のような悲劇を生んでいたかもしれない。

459 :
<<457
>秀吉は秀長の戦功全てを己のモノとしていたんだから
繰り返す。
「というより、秀長自身が己の戦功を兄に提供していたといったほうが正確だが」
の一文を敢えて除外したのは何故か?
故意にこちらの趣旨を歪曲しようとしたのでは?
姑息なマネはやめてもらいたい。
>初歩的な知識もない人へのレクチャーになると言うのはおかしいでしょ?
そんな事は全く述べていない。
それは君の日本語構築能力の未熟さによる、あくまで君の私見。
>根拠、具体例等があって初めて成立するんだからさ。
 そのAを示せないんなら、
 それは先に結論だけありきで、中身がないって言われても反論できないでしょ?
君に反論するだけの知識自体がないのだから、反論できないのは当たり前。

460 :
>>453
>>376が「思う」と付け加えたとて発言内容そのものは一般認識に沿ってるだろ
枝葉末節に話を逸らすのはやめて>>378の論拠を提示してくれないかな
せめてID変わる前にさ

461 :
しかしこの板で佐伯さんに遭遇するとは思わなかったw
エロゲーだけやっとけよ

462 :
>>460
>「思う」と付け加えたとて発言内容そのものは一般認識に沿ってるだろ
沿ってない。小学生でも分かる論理だ。
一般認識に沿ってるとの主張は、あくまで君の個人的見解にすぎない。
>>378の論拠を提示してくれないかな
繰り返す。
無知な人間に手とリ足とリレクチャーする義務はない。
初歩的な知識くらい頭に入れて反論しろって話だ。
そんな事まで他人に依存するお子チャマ君は、甘ったれと言われても仕方あるまい。

463 :
>>456
>会社の業績=社長の手腕・能力に他ならない。
>よって成果を挙げた社員には、報酬や昇進の形で称される。
あのね、例え挙げるから考えてね
去年、ヤクルトスワローズで古田敦也が選手兼監督してたよね?
上記の君の言ってる企業における社長の成績とは
古田が各選手を指示し、采配を奮ってチームを優勝させた場合に適応されるのね
でも君のいう『>秀吉は秀長の戦功全てを己のモノとしていたんだから。』
という主張はこのケースと同一じゃないでしょ?
君のいう『>秀吉は秀長の戦功全てを己のモノとしていたんだから。』は
古田敦也がヤクルトの一選手として、
青木やラミレスの打ったホームランのうち、数本を自分の成績にした。
っていう意味合いで語ってるの。それを君は指摘されてるんだよ。理解できた?
だから監督としての秀吉じゃなくて、選手としての秀吉が、秀長から奪った戦功を具体的に提示して

464 :
>>463
>君のいう『>秀吉は秀長の戦功全てを己のモノとしていたんだから。』という主張
何度でも繰り返す。
「というより、秀長自身が己の戦功を兄に提供していたといったほうが正確だが」
の一文を敢えて除外したのは何故か?
故意にこちらの趣旨を歪曲しようとしたのでは?
姑息なマネはやめてもらいたい。
>古田敦也がヤクルトの一選手として、青木やラミレスの打ったホームランのうち、数本を自分の成績にした。
 っていう意味合いで語ってるの
例えがナンセンス。
そんな趣旨の所見など述べていない。
繰り返すが、秀長は、信長在世時の秀吉のように、自らの手柄・戦功を誇示したりはしていない。
これこそが、
「秀長自身が己の戦功を兄に提供していたといったほうが正確だが」
の趣旨だ。
肝心の箇所を故意に削除して、こちらの意図を歪曲する姑息さは、悪いが通用しない。
ちなみに。>>458
>逆に秀吉よりも目立ちたがる武将であれば、ライバルだし。
 頼朝、義経のような悲劇を生んでいたかもしれない
も参照してもらいたい。
己の才知を誇る黒田孝高が、側近から遠ざけられた史実も知らないのか?

465 :
>>459
分かったよw瑣末なことにしつこいな〜
じゃ、君のいう
秀長自身が己の戦功を兄に提供していたといったほうが正確だけど
それにより秀吉が秀長の戦功全てを己のモノとしていた具体的なその戦功をご提示戴けるかな?
> 君に反論するだけの知識自体がないのだから、反論できないのは当たり前。
だから、みんなその反論をできるかどうか知りたいから、その具体的な戦功を教えてと言ってるんだよw
その具体例提示の後で反論できないんなら知識がないと言う君の意見は正しかったことになるからさ

466 :
「秀吉あっての秀長」が一般認識ではない?
佐伯さん苦し紛れでもそれは無理があるよw

467 :
>>465
>具体的なその戦功をご提示戴けるかな
>具体的な戦功を教えて
そんな事さえ知らないとは呆れ果てる。
自分で関連する文献でも読んで確認したらどうだ。
ネットでも簡単に検索できるだろうに。
何でもかんでも他人に頼ろうとする見苦しさを少しは恥じたらどうだ?

468 :
質問なんですが、秀長の生年は確定してるんですか?

469 :
>>466
>「秀吉あっての秀長」が一般認識ではない?
分かった。
「秀吉あっての秀長」であり「秀長あっての秀吉」としよう。
羽柴家(豊臣家)はこの兄弟の二人三脚で成長した組織なのだから。
だが、天正十九年早々世を去ったのが秀長ではなく秀吉だったら、
史実のように豊臣家が斜陽したか疑問の余地がある。

470 :
>>467
頼んでもいない無関係なご高説は散々してくれるのに
本質となるべき具体例提示の件になると、自分で調べろってなるわけ〜w?
だから言ったじゃん
秀長は秀吉の戦功全てを己のモノとしていたんだから。
と、俺が言ったとしたら
それも君は納得するんだね?
納得しないんなら、自分で関連する文献やネットで調べろ
この返答でおkなんだね?


471 :
>>469
そこがわかったんならもういい
そこから先はif話だから結論は出ないしな
推論を積み重ねる話し合いの場では
あまり自説に拘らない方が有益な時間を過ごせると思う
では、また
次回は煽り合いなく話せたらいいな

472 :
結局、
具体的根拠もないのに偉そうに結論だけ主張するな
説明を訊かれても答えられないなら
言い訳せずに素直に自身の非を認める賢さを身につけろ
ってことだな
>ID:LT5dstowは今回いい勉強になったな
素直に感謝の言葉を述べても罰は当たらないと思うぞ

473 :
やはりコイツ(ID:LT5dstow)の出現で予想通りの不毛な展開だったね。
>>471
>次回は煽り合いなく話せたらいいな
それは無理だよ。
コイツから煽り文句奪ったらレスできません・・・それはいい方法だ!
>>472
>素直に感謝の言葉を述べても罰は当たらないと思うぞ
感謝の言葉ならいいが返ってくる言葉は必ず毒電波の自慰行為!
ID:LT5dstow
とりあえずオマエは人間としての礼節を学べ!

474 :
礼節というか、ひっこみがつかなくなった時の切り替え方を学ぶべきだな。
あと簡単にボロが出る書き込みをする前に、一応推敲してから送信すること。

475 :
急に伸びてると思ったら粘着を構ってたのか
スレタイに羽柴入れて次スレ立てたいからもっとやってくれ
全然関係ないがセンゴクの小一郎とへうげものの秀長どっちが好き?
どっちも良い味のキャラクターになってるね

476 :
>>470
>秀長は秀吉の戦功全てを己のモノとしていたんだから。と、俺が言ったとしたら
 それも君は納得するんだね?
納得する。君が低能だということをだ。
低能でなければ、こんな意見は出てこない。
加えて、
「というより、秀長自身が己の戦功を兄に提供していたといったほうが正確だが」
の一文を敢えて除外して、こちらの真意を敢えて歪曲する姑息さは小者と言うしかない。
>自分で関連する文献やネットで調べろ
君がやる事だろ。お門違いだ。

>>472
>具体的根拠もないのに偉そうに結論だけ主張するな
 説明を訊かれても答えられないなら言い訳せずに素直に自身の非を認める賢さを身につけろ
君自身が書き込んだ一文を返答とする。
「自分で関連する文献やネットで調べろ」
>>ID:LT5dstowは今回いい勉強になったな
無知で、ネット検索すらやる気の無い怠惰な君には、「勉強」という言葉は一生無縁だwww
ところで、何が勉強になったのか意味不明。
愚か者は、必ずピントのボケた主張をする。
>素直に感謝の言葉を述べても罰は当たらないと思うぞ
何に感謝せなならんのか意味不明。
どうにも頭が不自由らしいwww
>>473
自演か?
でなければ、どこにでも転がってる愚か者の一人か・・・
無条件で、論旨不明、論点ハズレの書き込みを連発している輩の肩を持つ愚行は,低能丸出しだwww

477 :

『>秀吉は秀長の戦功全てを己のモノとしていたんだから。』
という名文(迷文w?)と、共に無知を曝け出し
歴史的根拠の説明を一切答えられないままに逃亡した
ID:mvCvtCyB=ID:LT5dstow=ID:Iz4eF+3Z が
只今、発狂中につき
このスレへの書き込みは禁止と致します。
スレ利用者、閲覧者の皆さんには大変、ご迷惑をおかけ致します。

478 :
>>477
本能寺の方にも帰ってきましたよw

479 :
>>477
>『>秀吉は秀長の戦功全てを己のモノとしていたんだから。』という名文(迷文w?)
繰り返す。
「というより、秀長自身が己の戦功を兄に提供していたといったほうが正確だが」
の一文を敢えて除外して、こちらの真意を敢えて歪曲する姑息さは小者と言うしかない。
>無知を曝け出し歴史的根拠の説明を一切答えられないままに逃亡した
誰かさんが書き込んだ一文を返答とする。「自分で関連する文献やネットで調べろ」

480 :
>>478
>本能寺の方にも帰ってきましたよw
だから?
文句があるなら、書き込んだ論旨に対してやったらどうだ?
書き込んだ行為にいちゃもんつけても、己の愚かさ幼稚さを晒してるだけw
君には誰かさんが書き込んだ一文を送ろう。
「コイツから煽り文句奪ったらレスできません」

481 :
>>480
>文句があるなら、書き込んだ論旨に対してやったらどうだ?
あの・・
だから再三に渡り、このスレでは
『>秀吉は秀長の戦功全てを己のモノとしていたんだから。』
この戦功についての具体的な説明を求めてるんですけど・・
一向に説明戴けないのが、あなたなのであって
他のスレでも似たようなことをされて叩かれていらっしゃるんなら
どーぞ、そのスレの質問くらいは、せめて答えてやって下さい
勿論、こちらのスレの質問にも
具体的な回答をして戴けるなら、それに越したことはないのですが・・

482 :
>>481
>『>秀吉は秀長の戦功全てを己のモノとしていたんだから。』
だから再三に渡り、
「というより、秀長自身が己の戦功を兄に提供していたといったほうが正確だが」
の一文を敢えて除外して、こちらの真意を敢えて歪曲する姑息さは小者と言うしかない。
>他のスレでも似たようなことをされて叩かれていらっしゃる
どこで?
明示してもらいたい。
>どーぞ、そのスレの質問くらいは、せめて答えてやって下さい
誰かさんが書き込んだ一文を返答とする。「自分で関連する文献やネットで調べろ」

483 :
>>480
>文句があるなら、書き込んだ論旨に対してやったらどうだ?
と仰ってるのはアナタ自身で
その言葉通りに真に受けて私は
『>秀吉は秀長の戦功全てを己のモノとしていたんだから。』
このスレでアナタが語られた↑の論旨について訊ねようとしているだけで・・
なのに >「自分で関連する文献やネットで調べろ」
こんな問答、他に聞いたことありませんw
もう支離滅裂、論理破綻の極みとしか・・w


484 :
>>483
>『>秀吉は秀長の戦功全てを己のモノとしていたんだから。』
 このスレでアナタが語られた↑の論旨について訊ねようとしているだけで・・
直後に続く
「というより、秀長自身が己の戦功を兄に提供していたといったほうが正確だが」
の一文を敢えて除外する姑息さを少しは恥じたらどうだ?
この一文については尋ねないのか?
>「自分で関連する文献やネットで調べろ」
無知だから、根拠無くこちらを否定する。
だったら、さくっとネット検索でもしたらって助言してるだけ。
知識がある上で反論されるのは肯定できるが、
基本的知識がない輩が、自助努力までこちらにまる投げしても、それに応じるほどお目出度くは無い。

485 :
>>483
もう相手にしなさんな。
完全スルーがスレのため。

486 :
>>485
だったら最初に、無知にも関わらず人の意見を否定するなって話だ。低能クン。
全てはそこから始まった。
結局ちゃんとした知識を得れば、こちらを否定できなくなるだけ。
それを分かった上での逃げ口上か・・・
相手にならない未熟者の分際で、こちらを反論する愚かさを恥じろ。

487 :
>>327
俺は「銘酒 大和大なんご」とかのほうが良いなあ
大納言の誤植と思う人がたくさんいるんだろうなw

488 :
わしゃーかんぱく
おみゃだいなんご
と書くとほのぼの兄弟っぽい

489 :
秀吉に弟がいたらしい事は知っていても、大河ドラマの「秀吉」を見るまでは
自分の中では存在感薄かったっけ

490 :
>>489
俺なんか本当につい最近まで知らなかった
織田家の家臣として12万石ももらってたってマジ?
兄貴から分譲されたのならともかく信長から12万石も与えられたってすごい気がする
織田の家中でもかなり上位の武将だったってこと?

491 :
12万石は領地じゃなくて、占領地の管理だろ。

492 :
家臣は皆そうだろ

493 :
占領地の管理という扱いで秀長による知行宛がいなどの発給ができるもんなのか。

494 :
>>493
だから柴田も明智も秀吉も
そうだろう

495 :
>>490
12万石の根拠は何でしょう?

496 :
>>495
但馬一国で12万石だと何かで読んだんだけど
違ったかな
ところで根白坂の戦いって武辺咄聞書っていうのを見ると
秀長はさっぱり活躍してないどころか
藤堂高虎や黒田・小早川が独断で兵を出して勝利したように見えるんだけどどうなの?

497 :
美濃守もらったのも織田家時代だよね

498 :
>>497
美濃守は織田家とはいえ信長死後じゃなかった?
山崎の戦いの後もらったんじゃなかったっけ

499 :
>>496
wikiにも
>但馬7郡10万5000石を治める大名となる(これは秀吉の領主代役ではなく、秀長個人の戦功である)。
とあるけど、信長公記とかでは信長から朱印状が出ているようには思えない。

500 :
wikiは、特に戦国武将のものなんて歴史家気取りの妄想の垂れ流しばかり。

501 :
蜂須賀や前野という与力連と同じく知行宛がいは秀吉からされてるということなんだろうが
秀吉の配下の中では大身だから信長直臣与力格となっているのではという推察も十分首肯できるけど。

502 :
>>500
松茸はがんばってるぞ。

503 :
陪臣で10万石超ってのはよくある事例なの?

504 :
但馬一国小国なれど、秀長の武功は大したものじゃ。
と信長が言いそうじゃね?

505 :
信長なら「わしの兵卒と金を使って、この程度の事しか出来んのか!」って言う

506 :
>>503
100万↑の大名家にだとよくある

507 :
>>506
なるほど
じゃあ直臣・陪臣どっちも可能性があるんだね
俺の中では信長は
陪臣だったら>>504
直臣だったら>>505
って言いそうなイメージだよ

508 :
>>504
但馬征伐は
金はともかく兵卒は少なかったはず

509 :
但馬攻略は四千くらいの兵で平定したんだっけ?

510 :
信長時代の大名クラス
前田利家
佐々成政
佐久間盛政
柴田勝家
金森長近
織田信忠
森長可
滝川一益
川尻秀隆
木曾義昌
織田信雄
明智光秀
朽木元綱
細川藤孝
池田恒興
筒井順慶
羽柴秀吉
亀井滋?
羽柴秀長

511 :
但馬は元々の秀吉軍三千と、秀長の所領南但馬竹田城千の兵、合計四千で攻略した

512 :
秀吉軍、山陽方面忙しく、山陰の但馬には、人数僅かした回せないのでは?

513 :
但馬攻略は半年かかったが、大体は秀長を慕って城を開城したんだと。

514 :
信長時代の大名クラス
前田利家・佐々成政・不破光治(三人で府中)
佐久間盛政 (加賀)
柴田勝家 (越前)
金森長近 (越前大野)
織田信忠 (美濃)
森長可  (信濃)
滝川一益 (上野・信濃)
川尻秀隆 (甲斐)
木曾義昌 (木曾郡/安曇・筑摩)
織田信雄 (伊勢)
明智光秀 (南南近江・丹波)
細川藤孝 (山城の一部・丹後)
池田恒興 (摂津)
筒井順慶 (大和)
羽柴秀吉 (北近江・播州方面)
羽柴秀長 (但馬7郡)10万5千石だそうです。

515 :
荒木・高山・中川の三人衆は?
稲葉・安藤・氏家の三人衆も
村井・九鬼・丹羽長秀も気になる

516 :
秀保じゃなくて藤堂高吉をそのまま跡継ぎにしてたら
豊臣政権が滅びても、大和豊臣家は江戸まで存続した可能性があるよな
少なくとも当主の寿命はかなりあるわけだしw
横槍を入れられたらそれまでだけど

517 :
荒木は裏切ったからその後らへんじゃね?

518 :
淡河定範に牝馬の計で負けてなかったか?>秀長

519 :
>>518
根拠がなかったはず。
スレ全部読めば

520 :
>>11
>火牛の計はかなり胡散臭いけど淡河城を攻めあぐねてたのは事実だろう
>自分も一次資料が何かは知らないけど、
>とりあえず「神戸市淡河町の歴史」「三木史談」なんかを読んでみたら?
>淡河城で淡河定範に逆撃くらったのは事実ではあるが
>ああいう小規模戦の敗北なんて信長家康とかだってざらにあるわけだから
>評価は下がらんよ。

521 :
別に評価は下がらなくても、スレタイが誇張表現であることは事実なようだ

522 :
>>521
よくワカランが
こだわることか?

523 :
>>522
こだわってるのは無敗って事にしたい人達だろ。

524 :
嵐の予感

525 :
↑無駄に荒らしたい馬鹿

526 :
俺もこのスレタイは嫌だ
もっと萌えるスレタイはないか

527 :
今、『乱』戦国漫画雑誌で淡河定範と秀長の作品が掲載されてるな

528 :
サカイヤ太一のヒデナガはフィクション多いよね

529 :
>>528
資料の質も悪い。

530 :
某犯罪半島の工作員??

531 :
>>528
歴史物でノンフィクションなんて物理的に不可能だからな

532 :
歴史群像読んだ?
まあまあ面白かった
金融家・秀長か〜

533 :
凄い銭ゲバ・守銭奴のイメージしかないな。

534 :
どこのキムチ???

535 :
秀長の財産は増田長盛のもとに渡り関ヶ原のあと没収された。
秀長の役割は兄の名代でもあると同時に裏社会ネットワークの総元締め的な感じだったんだと思うんよ。
ホントは実弟なのに竹「阿弥」の子供ってことにしてるし、資料少ねえし、
千利休と仲良かったり、藤堂高虎みたいな出自が超胡散臭いのが配下にいるってだけで…
小渕が秀吉、野中が秀長、古賀まこっちゃんが藤堂ってわけよ。ガハハ。

536 :
これはなんかコメントするべきなの?

537 :
>>536
そっとしておけよ

538 :
大河ドラマ豊臣秀長希望スレ
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1225086299/

539 :
でも秀長の銭ゲバはマシな方だよ。
俺が大好きな石田三成は、米の売買でも相当印象悪いし…

540 :
【無敗対決】
羽柴秀長 対 吉川元春

541 :
ああ、嫌味抜きで局地戦の雄は忘れちゃいかんね。

542 :
少数逆転も難儀なものだが大軍を統率するというのも卓抜した能力が必要となるものだよ

543 :
人望なくして一軍の将をこなせない

544 :
>>514
あれ?利家って信長時代に能登21万石貰ってたよな

545 :
信長が死ぬ前年に利家はようやく一国。

546 :
秀長が朝鮮で指揮を取ったらかなり有利な講和条件を引き出せたかもな

547 :
小牧長久手の時、秀長は何してたんだ?秀次じゃなくて秀長が軍を率いていればよかったんじゃね?

548 :
>>547
大阪を裏手から脅かす紀伊・大和の雑賀軍を殲滅していました。
後から名前だけ聞くと秀長投入はもったいなさすぎるような相手ですが、
当時の状況では羽柴政権にとって「戦力×地理的条件=」で言うと
まちがいなく家康&織田連合に次ぐ敵。
秀吉が家康に当たるなら雑賀には秀長投入以外に方法はない。
対家康戦は、本来もっと早く秀吉が戦線に到達して諸将をまとめていなければならず、
その役目はこの時点の秀長では代行できなかった。
秀吉が早く動けない政情があった、もしくは家康が作らせたことが最大の勝因と見ていい。
いずれにせよ秀長を雑賀戦から引き剥がして家康戦先鋒に投入は
そのマスから外れれば王手がかかる場面で「この飛車をこの筋に動かせていれば勝ちだった」
というような都合のいい結果論に過ぎない。

549 :
>>548
紀伊は藤堂高虎を軍目付にし、秀次にやらせればよかったんじゃないの?

550 :
秀吉に言え

551 :
>>549
ムリ。
家康より弱いといっても、京大阪に近い戦場で絶対に勝たなきゃならない相手。
そして、こいつらに絶対に勝てる大将は、羽柴家には秀吉か秀長しかいない。
このときの紀伊大和はそういう相手。
秀吉は、どうあっても自分以外で「最強の身内の指揮官」をここに投入して勝たなければならなかった。
藤堂高虎がこの時点より30年後、政治軍事両面で内外に認められ、成長して
32万石の大大名として兵力1万を自由に動かせる立場で副将として補佐するのなら
(大坂の陣前後で秀忠をフォローしまくった経験&能力+大坂の陣後の領地/兵力)
秀次でもなんとかなったかもしれないが、
この磁気の藤堂高虎はせいぜい一万石、三百人の兵士を扱うの一陪臣に過ぎない。
経験的にも格的にも秀次をフォローするなんてとてもムリ。

552 :
小牧長久手は家康の勝ちと言われるけど、名分上は秀吉対信雄なんだし、戦略的に大きく見た場合
大和紀伊を殲滅して信雄をうまくいなして無力化させた秀吉の勝ちだと思うんだけどな。
うるさい池田が死んだ局地戦には負けても、戦闘に負けて戦争に勝ったってところだろうよ。
事実その後の家康はじり貧で、いくら自分を高く売りつけるためにねばったとはいえ
秀吉に屈服するしかなくなってるし。家康が(寿命以外で)秀吉に勝つ唯一のチャンスだったんだが。
まあスレチなんだが。

553 :
両面作戦が必要なら、秀長は間違いなく2だという例だな。

554 :
つまり当時の戦略的に見れば秀吉の勝ち。関ヶ原や江戸幕府につながる伏線と見れば家康の勝ち…
確かに秀長がいないと羽柴軍はつらいな。一族というより、一家に近いから人が不足するのは仕方がないところか

555 :
そもそもが遠路の三河攻めは池田たちの暴走を秀吉が抑えきれずに許可しようなものだからな。
成功した場合の池田らの功が大きくなりすぎないように、一応一族から秀次を出して混成軍にしたが
そもそもが作戦として杜撰なもの。まだこの頃の秀吉ではそこまで威令が効いていなかった。
秀吉でさえ遠慮して抑えきれなかった織田の旧重臣たちを、秀長がいたとしてもはたしてどうなって
いたか。

556 :
>>555
> そもそもが遠路の三河攻めは池田たちの暴走を秀吉が抑えきれずに許可しようなものだからな。
> 成功した場合の池田らの功が大きくなりすぎないように、一応一族から秀次を出して混成軍にしたが
> そもそもが作戦として杜撰なもの。まだこの頃の秀吉ではそこまで威令が効いていなかった。
それは秀吉が作戦の失敗を池田に押し付けただけの「太閤史観」
実際は秀吉の方がノリノリで企画立案している。

557 :
秀次が、ありえない場所で休憩してっからダメなんだろ。秀長なら、細かい配慮
が出来たはずだ。

558 :
>>556
>それは秀吉が作戦の失敗を池田に押し付けただけの「太閤史観」
>実際は秀吉の方がノリノリで企画立案している。
それは家康とその周囲が作戦の失敗を秀吉に押し付けただけの「徳川史観」
実際はやはり秀次による諸将の統制ミス。

559 :
>>558
> それは家康とその周囲が作戦の失敗を秀吉に押し付けただけの「徳川史観」
…正気か?太閤記って、知ってる?w

560 :
秀次の失敗だろ。
池田を見しにして逃げて帰ってくるだけだったし。
せめて蜂須賀級の武将を軍目で付けておくべきだった。(秀次と同列以上のものね)

561 :
それを秀吉の失敗と言う

562 :
諸将のイケイケ状態を押さられる程の優位性がまだなくて仕方なく+出せる一門が秀次しかいなかっただけだろ
秀吉「個人」の失敗というより、譜代・一門の不足という「家」の問題点でしかない

563 :
そんなに秀吉が完全無欠じゃ無いと困るのか。

564 :
秀長を完全無欠にしたいんだろ。
だから秀吉のミス=秀長をやっておけば家康勝利はなかった
ともっていきたい。
あれは秀長でも大局は変わらんだろ。生涯無敗というこのスレは生まれなかったかもしれないが。

565 :
なんにしろ秀吉にとっては結果オーライだったんじゃね。
長秀没後の丹羽家を削りまくったみたいに、池田もそのうち改易するつもりだったと思うよ。
大きくなりすぎちゃった元同僚ってのは扱いにくい。というか、あの時の名文上の格は織田家宿老として同等だから。
清洲会議の時に柴田を出し向く方便とはいえ、丹羽と池田の影響力を大きくしすぎちゃったし。
その元興が死んだし大局に影響のない局地戦だったから結果オーライ。
秀次にハクつけるチャンスでもあったけど、まあ後継者として必要なのは政治的実績で武功だけじゃないし。
あと秀長が代わりにやったら、少なくとも池田みたいに無駄な城攻めして時間潰したりはしなかったと思う。
あと功にはやる森を抑えたりもできただろう。
ただそれで結果がどうなったかはわからないけど。
一応現場に名人Q太郎はいたんだけどね。
で、雪崩れ込んできた徳川軍の先鋒を叩き潰してさっさと撤退。そこいらへんの戦闘指揮はうまかった。
池田・森も一緒になって撤退してれば被害も抑えられたはずなのにね。
まあ堀は秀吉に近いからはなっから池田なんてほっとけって思ってたかな、なんて妄想してみる。

566 :
> 少なくとも池田みたいに無駄な城攻めして時間潰したり
それが「太閤記史観」なんだよ。
あの城攻めは無駄ではなく、徳川の防御網に引っかかった以上やら無ければ成らないものだった。
秀長であってもあのルートを使う限りは、ああせざるを得なかった。
池田も森も、秀長以上の戦場たたき上げだぜ?

567 :
丹羽の書状等を基にしている新説も池田らの進軍上での暴走に関しては否定なものではない。
それにその新説そのものも書状解釈に重点を置きすぎてるゆえに必ずしも通説を覆すほどには
支持されてない。

568 :
日本人って、こういうトップに立たないけど重要な人物とか好きだよね。
ヨーロッパアメリカでは人気でないタイプ。

569 :
日本人が好きと言えるほど秀長に人気・知名度があるのか?

570 :
日本でもさほど人気はないな

571 :
さっさとおっ死んだから亡国の忠臣ってわけでもないから日本式の人気は出ないな

572 :
秀長が生きてたら秀頼が死ぬことはなかったろうなぁ
東海道を小大名に任せるのでなく秀長に与えても良かったと思うし
てゆーか、秀吉の失敗は家康の押さえとなるべき大老家が豊臣本拠の大坂より以西か以北にあったことだと思う
前田なら美濃尾張三河に移しても良かっただろ

573 :
さんざん酷使された秀長をあの家康より長生きさせるなんて、どんだけ鉄人になれば気が済むのかと
確かに秀長在命中は家康も手を出せなかったろうが、
それなら豊臣家のまとめ役として堀か蒲生が成長して長生きしたifの方が現実味ある。(二人ともまだ伸び白あるだろうし)
あるいは黒田か蜂須賀をどんどんひきたてて、倅をその位置につけるとか。(器量的には長政と家政はやれると思う)
やっぱり前田の犬っころじゃ無理だよ。
というか、関ヶ原の後豊臣家が意地張り続けなければ秀頼は高家として生き残ったと思うよ。

574 :
>>572
晩年はもう利家すら信用できなくなってたんだろう
利家に美濃尾張やったら家康よりも利家に天下取られると思ってたはず
家康と利家を対等にして両者拮抗で牽制させようとした

575 :
利家すら信用できないというより
利家が信用できる証拠なんて何もないというのが正しいだろ

576 :
一回柴田を裏切ってるしな。もう一回裏切らない保証なんて何処にもない。

577 :
>>564
あの老衰し石高も徳川の半分にも満たない利家でさえ、
生きている間は家康の抑止力になっていた。
なら必然的に秀長長命なら、家格・実力において利家を凌駕する秀長に、
家康は手も足も出ないってわけだ。
秀長がいれば、豊臣家は史実とはかけ離れた強大さを誇り、
豊臣恩顧の諸大名も秀長にはまったく頭が上がらず、
家康の付け入る隙はまったく無い。

578 :
>>577
夢想ーって楽しい?

579 :
まぁ家康が動けば秀長軍単独で充分な訳だ

580 :
動員数の差で叩き潰されるだけだが。>秀長単独

581 :
それを覆したのが小牧長久手じゃないか。

582 :
意味わかんね

583 :
山田有信には勝てなかったけどな>秀長w

584 :
四国征伐も九州征伐も秀長の才能で成功したなんていうのもどうかと思うけどね。
四国なんて同時に3方向から長宗我部より大軍が押し寄せてきたし
九州にいたっては島津は完全に疲れきっており豊臣軍が来る前に撤退してるし立花にボコられてる。
官兵守、隆景の調略で竜造寺他ほとんどの勢力が裏切るわでこんなもん秀長じゃなくたって誰でも勝てる。
牟田口クラスの無能でも無い限り負ける奴なんていないよ。
そもそもこの二つはあらかじめ勝てるようにお膳立てしてあった状態。
甲斐の武田と同じようなもん。
別に秀長が凄かったわけじゃない。

585 :
すぐ能力論にいくのが実に厨くさいな

586 :
つーか秀長の軍事能力に対しては、秀吉がたびたび不満を表明してるし。
それを「肉親だからそう言っただけで本当は信頼してるし凄いんだよ!」みたいな脳内変換で
軍事能力があったことにしているのは、それこそ変だろ。

587 :
秀吉という太陽のごとき兄の威光があるからこその活躍だろうに。

588 :
黒田や小早川の調略?竜造寺等の北部九州の諸勢力は黒田が秀吉の先方軍として北九州に
進出した毛利の監察として派遣された時期以前に秀吉によしみを通じていたはずだが?

589 :
>>584
10万クラスの混合軍団を失敗せずに運営できる大将ならば、
その原動力が自分自身の能力値(笑)でなくて、
血筋や、総大将の威光、家内での格といった要素だけで成り立っていたとしても
ものすごいレアな存在。
ちなみに、家康には関ヶ原の直前までその力は備わっていなかった。
(秀長が易々と行って見せた「傘下大名に言う事を聞かせる」ことができていなかったのは
福島正則の件を見ても明らか。家康が大名に対して絶対的な威厳を持つようになったのは
関ヶ原の戦後処理が終わった数ヵ月後の頃。
さらに言えば、秀吉も小牧長久手の時代まではこの力を持っていなかった)
秀長の能力はともかくとして、彼の「存在」そのものが四国・九州平定の成功要因であり、
そして、もし関ヶ原の時代まで生き延びていれば、このときの「実績」が
あらたな「味方集め」の種になる。
混乱期においては、過去の実績は人々の判断に大きく物を言う。
家康の味方を増やしたのは、過去の実績という財産だが、
秀長が生きて入れば、それに匹敵する実績となる。
西日本諸将に対してはまちがいなく家康以上のネームバリュー。

590 :
誰も名前出してないのに突然家康と比較し始める不思議

591 :
老人雑話の秀吉の叱責以外の話ってなんかあったかな?>不満にかんして

592 :
中川清秀を見しにしてる

593 :
それが老人雑話にのってるのww

594 :
中川を見しにしたのは事実

595 :
>>575
利家なめすぎ

596 :
利家はどう考えても、最後のギリギリの部分では信用できないだろ。

597 :
>>592
戦で無傷と言うわけにはいかんだろ

598 :
利家を信じたら滅ぶ これ戦国の常識
秀吉も三成も家康も決戦の主戦場で前田を使うのを躊躇ったんだろう

599 :
だから利家なめすぎ
人望なら秀長もしくは秀吉より上
清正や正則も利家が長生きしてたら暴走しなかった。

600 :
利家の人望(笑)

601 :
>>598
柴田もそうだね
けどそうなると利家は他が損害出してる時に常に自分のとこの軍勢は温存してたわけで
なんて狡猾な奴なんだ

602 :
前田家も損害出してるぞ

603 :
>>602
アリバイ作りの申し訳程度。
あの裏切りで損害ゼロだった日には
後々までの評判にかかわる。
利家はその辺はよく考えて、
必要最低限の部下をしてから逃げてます。

604 :
見しにはしてないだろ。

605 :
>>604
だから「見しにしてませんよ、戦って負けたから退却したんです」と
言い訳が立たなくもない最低限のことをやって(部下をさせて)逃げている。
まったく言い訳が立たなければ、後で秀吉がいくらュしても
「あいつには武士道(そういう概念はまだ固まってないけど、要するに武家としての素養ね)がない」と言われる。
利家の最大の長所は、こういう評判を損なわないで姑息なことができること。

606 :
どこが姑息なんだ?
秀吉と勝家の間に挟まれて苦渋の決断だったんだよ。

607 :
>>606
苦渋のあまりあんな決定的な場面で裏切ったわけですねわかります。

608 :
裏切りなんて戦国時代ならよくある事だよ
利家だけを責めるなんて筋違い。
豊臣家にとって利家の死が一番痛かった

609 :
>>600
清正はなんか利家のこと尊敬して慕ってるぞ
他にも福島、浅野、池田、細川、蜂須賀、藤堂なんかも
家康も利家の武勇には一目置いてる。

610 :
苦渋の決断が率先して北の庄攻めの先方をこなし、柴田佐久間部隊の落ち武者を散々に討ちまくり
好意にしていた街や寺で皆しを行ったわけか
更に関係無い佐々まで討とうと発言し秀吉に窘められてる始末
そんな光景みたら秀吉でなくても人間不信になる

611 :
成政は秀吉に逆らったんだから自業自得

612 :
その時の羽柴ー佐々は対立も同盟も何も無いお
冷戦と言うべきかな
秀吉も対立の意思がない確認に留めているのよね
しかし柴田の残兵を救い見事に匿った佐々成政は漏れに言わせればネ申
残兵の身柄に拘らないこの頃の秀吉も器がでかい

613 :
スレタイの秀長の話題が久しく出ていないな。
やはり地味なのかね。

614 :
そんなエピソードのある人じゃ無いしね。
その空白部分を推測と妄想で埋めていくから、人によってとんでもなく有能な人間にもなるし、
無残なまでの無能にもなる。

615 :
別に無能ではないだろう。
冷静に分析したら有能なのはわかる

616 :
>>615
言いたい事が伝わらなかったことだけは良くわかった。

617 :
個人的には、無残なまでの無能呼ばわりしている意見はほとんど見かけないかな。
程度の差こそあれ、それなりには有能だという声が多数派かと。
片や有能評価となると、秀吉家康をはるかに凌ぐとんでもないものをしばしば見かけるが。

618 :
まあ、秀吉も秀長がいたから天下取れたんだとは思う

619 :
もう少し野心のあるエピソでもあれば計れるんだけどねぇ
まじめな人の能力は計り辛いわ

620 :
島津軍の奇襲を見破ったのは評価してもいいんじゃないか?

621 :
見破ってないというかそんな史実はない

622 :
ぶっちゃけ寡兵で島津を撃破した宮部継潤のほうがすごい。

623 :
確か高虎が援護した話か

624 :
秀長が長生きしていたら秀次の謹慎自害や朝鮮出兵もなかったろうな
本当貴重な人を豊臣家は失った

625 :
>>624
秀次はともかく朝鮮出兵は間違いなくあった。秀吉は九州征伐の時点ですでに
大陸出兵の前線基地を造り始めている。
大陸への進出は豊臣政権の既定路線だよ。

626 :
秀次にしても、秀頼の障害にならないように秀次を存命させるのはかなり難しい。
秀長さえいればなんでも問題解決ってわけじゃない。

627 :
>>625
名護屋城築城開始は天正十九年の秀長死後からなんだがな

628 :
>>625-626
秀長長命なら史実と同じになるわけがないだろうに
秀長の存在感と影響力を過小に考える愚劣
歴史の前提条件が変わっても、史実は変わらないとする発想がお目出たい

629 :
秀長長命なら、史実と同じになることが決してないと。
ふ〜ん。

630 :
秀長長命でも、千利休は失脚して切腹して果てたと?
ふ〜ん
秀長長命でも、秀次は関白になり、一族もろとも処断されたと?
ふ〜ん
秀長長命でも、秀吉死後家康の無法がまかり通り、関ヶ原の役が起きたと?
ふ〜ん

631 :
>>629
秀長長命なら、すでに史実と違うじゃねーかw

632 :
秀長長命だと、千利休は失脚しないんだ?
ふ〜ん
秀長長命だと、秀次は関白にならないんだ?
ふ〜ん
秀長長命だと、家康は天下を狙わないんだ?
ふ〜ん

633 :
>秀長長命なら史実と同じになるわけがない
つまり、秀頼は生まれないか、生まれても夭折か女児ということになるわけね。
秀長長命だと。面白いSFだ。

634 :
朝鮮出兵のための予備的な動員令は小田原戦役後に出されたが、その後の奥羽征伐によって延期。
船舶建築、兵糧確保備蓄ともに九州征伐と並行して西国大名に命じられている。
秀長は政権において西国大名を指導する取次指南の重職に任じられていたから内心はどうあれ
政権システムの中で出兵を推進していたというのは十分に推測できる。

635 :
>>633
秀長長命なら秀頼が誕生しないなんて、お前発の戯れ言
それをこっちの意見に仕立て上げるペテン

636 :
じゃぁ>史実と同じになるわけがない
秀頼公をどうぞ。
自分発の戯れ言には責任もとうぜみっともない。

637 :
結局、豊臣政権を潰されて悔しい人間と晩年の秀吉の愚行を悔しがる人間によって
秀長さえ生きていれば全て解決という妄想が膨らみ
秀長が実態以上のスーパーマンになってしまっただけなんだよ

638 :
秀次追いやった後、すぐ秀頼死んでしまった場合、秀吉は跡継ぎ誰選ぶの?
鶴松とかの例もあるしちょっと気になった

639 :
>>638
小早川秀秋が最有力。

640 :
>>637
そういう妄想したい訳

641 :
>>636
論点は豊臣政権の政策と人事の推移だろうに

642 :
>>641
秀長に秀吉の考えた事を反対して押し切れるほどの権力は無いよ。

643 :
>>642
秀長が指揮した四国征伐の最中、秀吉が出張ろうとしたのを秀長が押し留め、
秀吉がそれを容認したのも知らん無知

644 :
>>643
信長過大評価スレでファビョッてた馬鹿発見

645 :
>>642
>はじめのうちはまだしも、論破されそうになるとレスが無意味なレッテルはりや罵詈雑言
 だらけになります。すでにその気配があるでしょ。
 兵農分離にしたって半年も前に論破されているのに相変わらず。
 この人と議論しても無駄です。
 こちらから論拠を求めても逃げるだけだし、相手の求めに応じて論拠を出しても、恣意的な
 曲解ばかりして、無駄なレスが大量に蓄積するばかりです。
それはそのまんまお前さんの事だろうに
都合が悪くなると、根拠無しのレッテル貼り虚言を弄してはぐらかしにかかるペテン手法は進歩無し
流石は簡単な字義さえ知らない文盲君だ
己のPな嘘を他人の著作のタイトルで目くらますペテンのメッキをはがされ大恥をかいたのに、
また敵わない相手に挑んでくる学習能力の無さ
「書体」の意味を覚えたか?文盲君

646 :
>>644
まさに
>はじめのうちはまだしも、論破されそうになるとレスが無意味なレッテルはりや罵詈雑言
 だらけになります。すでにその気配があるでしょ。
 兵農分離にしたって半年も前に論破されているのに相変わらず。
 この人と議論しても無駄です。
 こちらから論拠を求めても逃げるだけだし、相手の求めに応じて論拠を出しても、恣意的な
 曲解ばかりして、無駄なレスが大量に蓄積するばかりです。
がぴったりの駄文だ。
自分のペテン手法を人様になすりつけんな
加藤智大2号君

647 :
>>645 >>646
あなた誰ですか?
>>642の人のレスにはそんな事書いてないみたいですが。
他所のスレのいさかいならここに持ち込まないでください。
迷惑です。

648 :
>>647
痛い所をつつかれると、他人を装う見え透いた自演
これも使い古しのペテンの手法
いつまでたっても進歩のない文盲君

649 :
>>648
知りませんよ。
誰の事を言ってるんですか。
あなた口が悪いですよ。
スレタイ通りの事を話す気がないなら他所にいってください。

650 :
>>649
「書体」を変え他人に成りすます涙ぐましい努力
今更正体バラしちまったら、恥の上塗りだかんな
だが、すっとぼけても無駄無駄
お前さんの正体は割れている
みっともないぞ

651 :
>>650
だからどこの誰を言ってるんですか。
>>645みたいな事をあなた他所でいわれたんですか?
今まさにそのとおりになってるじゃないですか。
御自分の行いを正されたらどうですか?

652 :
>>651
シカト

653 :
島津に対する仕置で秀吉に対して自分の決定を押し通したことがあったような。

654 :
秀吉がそれでもなお強く押し通そうとしたなら秀長の方が退いてただろ。
秀次事件や唐入りを歴史的に変えてしまうには、それこそ九州征伐や四国征伐そのものを
取り止めさせられるくらいの発言力が必要。
せいぜい微修正がいいとこじゃないの。

655 :
そうかもしれんが、やり方によるだろう

656 :
秀吉から大量物資をもらって戦えたから負けるはずがない
正面激突戦さえしなければ兵糧尽きて相手は降伏するからね

657 :
負けるはずがない
今川義元

658 :
>>657
義元の負けるはずない度を1とすると、
秀長のそれは50くらいあるけどな。

659 :
最高権力者である秀吉が、朝鮮や明の事情(どころか対馬と朝鮮の関係すらも

660 :
しまった、変なところで送信してしまった・・・・
つづき・すらも)ろくに把握してなかったのだから、遠征の失敗はどうにも
ならんよ。

661 :
>>654
秀長の要請を却下できないという事実は、秀吉にとって秀長の存在と発言力と信頼感がそれだけ大きかったという証左だ。
そもそも秀吉の提言に異議を唱えられる事自体、秀長は豊臣政権内で別格の存在だった証しである。
国内統一戦と唐入りは同列に論じられない。
天下統一事業は豊臣政権にとって万人納得の規定路線だが、
天下統一後の外征は政権にとって必須の政策でも何でも無い。
ましてや秀次粛清など何の関係も無い。
そもそも秀長長命なら秀次失脚は有り得ない。
何故なら関白に就任していないからだ。

662 :
信者って怖いな

663 :
>>662
有効な反論ができないと、論点から外れた戯れ言を吠えて憂さ晴らしという幼稚さは相変わらず。

664 :
>>663
きみいつものあの人だな。

665 :
>>664
お前が簡単な漢字さえ読めないアソー首相と同類の文盲君だって事ははなから承知。
小学生レベルの漢字の読み書きは克服したのか?

666 :
なんか変なのいるな。

667 :
>>666
お前だよ

668 :
また周囲すべてを一人の敵に見立てる変な荒らしが来てるのか。

669 :
なあ、信者信者って言うけどさ、好きな武将のイフを考えるって面白いじゃん。
全否定する人って何だろうね。否定するなら、自分でスレ立てて、そこで論議すれば?

670 :
>>669
むしろイフを語りたい人間こそ、そう言うスレを立てるべきだろ。

671 :
>>621
ソース厨がウルサイから…。お寺のHPから。
島津の敗戦を決定づけたのは日向高城・根白坂の戦いであった。
島津は数々の特殊戦法を繰り出す軍隊であったが、ここでも夜襲戦法が起用され、
駐屯する秀長軍の陣に構えられた防御用の堀の規模を測定し、夜間の総攻撃に備えていた。
ところが、未然に察知していた秀長軍は、堀をさらに深くし、逆トラップを張っていたのである。
それを知らずに総攻撃に入った島津軍は大敗となった。これで秀長は、島津本領の要でもある高城を手中に収めたのである。

672 :
あ、すまん。秀長の手柄ではなかった。以下に詳しい戦況を。
宮部善祥坊は、島津の使者の様子を見て今夕夜討をかけてくることを見破り、人足を千人近くの山々へ出向かせ竹木を伐りたおし、
寄陣の前に深さ3.6メートル幅4.5メートルの空堀を掘り、其岸に切って来た竹木にて柵を振り、自身も士卒も武装して夜討ちを待ち構えていた。
外に、物見を其々出していた。

673 :
案の定、亥の刻に島津義弘壱万六千にて根白の陣へ押し寄せてきた。兼て準備していたので、善祥坊兵たちに先達て木戸口へ走り向一番鑓を合
「宮部善祥坊継潤一番鑓」と名乗った。配下の兵田中九助、其子彦六(後に勘兵衛又玄蕃と号。紀州大納 言殿に相勤る)国友半右衛門・三村太郎右衛門二番鑓を合わせて防戦し。垣谷隠岐守・南條勘兵衛・木下・亀井・福原の諸大将も自ら鑓を合わせて命を捨て防戦した。
嶋島津は元来剛将で、薙刀を提げて、真先に進て攻懸る。椛山・平田・伊集院・石口等の兵達も、わき目も振らずに柵に付いて時の声をあげて攻め戦う。

674 :
砦の宮部他のの人々柵を阻て鑓を取って防戦した。
双方手負の人、死人、将棋倒に戦が美味く出来ない。
島津が兵達が柵に取り付いて蟻のようだ。
空堀にも透間もなく人が入って攻めかかってくる。。
宮部は「時分は能きそ」と柵を結んだ綱を切って柵を堀の上へ押倒す。
柵に付たる兵も堀の中の兵も皆柵の下押付ら れ、死者八百余人也。宮部一組の兵達柵を倒して内の柵へ引籠った。

675 :
島津の兵達柵は、を渡り味方の死人の上を走り渡り、内の柵を攻破り、十七日夜寅の刻に三の丸二の丸も打ち破り、 宮部一党を本丸へ引籠らせた、命を惜しまず防ぎ戦い。
夜已に明て十八日の朝には、。義弘は攻め詰めて困っていた。大和大納言秀長卿は五十町計り離れて居たが、三万計りの兵を連れて耳川のはたまで惜しい出て見渡せは、
根白の砦は島津の軍兵雲霞のことく取囲んで、鉄砲矢叫ひの音声相交って天地も響くばかりであった。秀長この姿を見て「このまま見捨てれば宮部一党討ち死にする、耳川を渡って後詰しよう。」と馬を川へ打入れられた。
尾藤左衛門尉知宣馬より飛下り、秀長卿の馬の口にすかり「今義弘の軍勢を見るに、武田勝頼が長篠のから設楽原へ出て行ったときと違いが無い、此強みの鑓先には関白様も恐らくは適わないであろう。川を渡ってはいけません」と諌め申し上げた。

676 :
藤堂佐渡守高虎計は手勢を引連川を越えて搦手より 根白の砦へ駆入。
宮部に力を合せ高虎も自ら数人突倒し、義弘此れにも攻掛り、宮部一党も防あぐねているように見へた。
 黒田如水・同甲斐長政は秀長卿の進まないのを見て、手勢を率いて進み入り。先村上彦右衛門を先方に根白砦へ駆け付け
「唯今大和大納言殿六万にて助けにこられるぞ」
と呼ばさせた、砦の内より競ひ出ける。如水父子共に耳川を渡った。栗山備後利安先陣して真先に渡す。後藤又兵衛政次・毛利但馬・衣笠因幡・
竹の森石見・井上周防、其々川を渡って攻めかかった、義弘の陣へ切てかかり、秀長卿の内羽田長門守千余騎、 同耳川を渡って黒田に負けまいと鑓を入れた。根白の砦は、これに利を得て、本丸より打ち出手戦った。

677 :
此時小早川隆景は二里隔て陣取っていたが、根白の急を聞て三千余にて耳川の端迄きていた。
秀長卿これを見て「今川を渡って島津を攻めようと思うが、諸大将は同思われるか、」と談合が有った。
隆景笑って答えずに。隆景の家老井上伯耆就遠・浦兵部宗勝背破り具足の古物具にて秀長卿の馬の前へ出て
「島津は今日の珍客にであるが、此方のていしゅは如何に出迎えられるか、ご相談に出向きました」と申し上げたが、
秀長卿尾藤をはじめ皆進み出ないので、伯耆も兵部も則馬に打乗て川を乗渡し島津を討取らんと進んだ。
義弘の甥島津三郎次郎忠親踏留まって討死した。
其外七八百余り屈強の者とも討れ、義弘も根白の囲を解て、火をかけて猪の猛る様にして引き上げた。
隆景・如水は、秀長卿へ使を遣して「義弘はたかだか一万六千、味方は八万に鉄砲二三千挺にて左右の峰から打ち掛けて。
大軍を以て追討し義弘を討取って、直に鹿児嶋へ押し入るべきとき」と頻に申越したが、尾藤が固く諌て留めたの出で、義弘はついに逃げ。よって高城・財部も落城しないので、義弘は鹿児嶋目指して逃げ。
島津義久は惣大将なので、肥後の八代に陣取っていたが。日向口の事を聞いて鹿児嶋へ逃げ帰った。隆景はそれより大隅豊後へ打入った。

678 :
島津降参して筑紫治ったので、六月十八日 筑前博多にて秀吉公、秀長卿を召し出して
「根白表にてどうして義弘を打ちもらしたのか。退路を断たずに、義弘の首を見ないとは情けない」
と御腹立はおいへんなもので、秀長卿迷惑して「軍監尾藤蜂須賀が言った通りにした」と云われ「尾藤の指図にてこうなったと」
と申し立てられたので、尾藤左衛門は領国讃岐を召し上げられ、御改易と成った。宮部善祥坊には御感状を下され、その他御証文御褒美と様々さまざまいただいた。
(亀井茲矩物語にて) 

679 :
>>672-678
まあ、宮部善祥坊の手柄としても
普通なら上司の手柄となる所をそうしないところが
秀長の良い所だな。

680 :
四国でも、秀吉が出馬したら、今まで部下に任せてた仕事が否定されるから、
固辞したんでしょ?

681 :
秀長が長命で秀次が後継にならなかったとしたら誰が後継になるんだ?
微妙だよな

682 :
鶴松(八幡太郎)を長命にすればいいのではないでしょうか?

683 :
ここは秀吉の実親が長生きだったら?

684 :
>>682
秀長長命との因果関係が無いものは無理だろう

685 :
>秀長が長命で秀次が後継にならなかったとしたら
この仮定がまず成り立たないよ。
それこそ鶴松が長命してたでもないと。

686 :
>>685
だよねぇ
結局秀次が後継→秀頼誕生→秀次が家督移譲を渋る→秀次処刑
だと思うんだが
秀次が渋った一因に大野の件が関係するなら親族の秀長もどう反応するかわかったもんじゃないし
秀次が関白にならないと言ってる人はどういう理由でそう思うのか聞きたいな

687 :
出兵に際しておこなわれるであろう関白職委譲を彼は後継人事とは捉えずに
政策人事になると考えてるのでは。

688 :
政策人事で関白を動かすとしても、後継人事は絶対に必要だろう。それも即座に。
唯一の後継者である鶴松が他界したのだから、速やかに後継者を指名しないと
「信長公と同じく、秀吉公の天下も一代限りか。さて次の天下人は誰になるやら」と
周囲が勝手に動き出すようになれば政権も危ない。
将来性のない政権とみなされれば、求心力も急速に失うからね。

689 :
秀吉死亡→秀長が秀頼が元服まで関白→秀次は大和大納言を継ぐ→秀頼関白
これで安泰

690 :
元服まで期間限定関白なんて上手くいくわけないよ
人間というのは地位と権力を手にしたら中継ぎというポジションを拒否して手放したがらなくなる生き物だから
秀頼が元服しても関白禅譲を拒否→家康に秀頼を担がれて打倒される→徳川政権誕生
甘い夢なんて見ないほうがいい

691 :
>>690
秀長には、それが無い。

692 :
信者って、こわいな。

693 :
>>692
思考停止は怖いな(笑)

694 :
>>690
君の歴史観に興味があるw

695 :
>>688
政権の後継者が年端も行かぬ幼児でも、
秀吉存命中は豊臣政権は磐石だった史実も知らん与太話。

696 :
史実では後継者空白の時期がなかったことも知らないのかこいつ。

697 :
>>695
後継者が年端も行かぬ幼児でも
実際の政務は家康が取るから無政府状態にならないという意味で磐石だっただけ
内外に問題が山積している状態で幼児になんか誰も期待していないだろ

698 :
内外ともに秀吉の残した不の遺産があまりに大きすぎて、実力のあるものが
主導権をとってそれを解決していかないと、どうにもならない状況だったのは間違いない。

699 :
不の遺産

700 :
しかし秀長に子がいたらなあ… 秀吉の家系は種無しばっかか

701 :
娘はいたらしいけどね。
仮に息子が、多少出来がいいのがいたとしても、鶴松死亡→秀頼誕生の間に秀次ポジションになってそうだから
果たして生き残れていたかどうか。

702 :
秀長が長生きするより利家が長生きするほうが重要

703 :
利家が生きてたとしても徳川を抑えられたか…

704 :
>>700
秀吉は勿論のこと秀長も女なんかやりたい放題
子作りし放題の御身分なのに子宝に恵まれないのは
兄弟揃って種無しとしか思えんな

705 :
>>704
秀長に側室は少ないことは記録から明らかだが

706 :
秀長は側室にもせず一夜限りで終わる愛が多すぎるのか
エロい奴だ

707 :
つーか、秀長の日常めちゃめちゃ忙しいぞ。
戦争のないときは朝から晩まで、上洛してくる大名への対応や豊臣家の行事の仕切り
やらされてるし、自分の領地も見なきゃいけない。
子作りしてるヒマなんて殆どないよ。

708 :
秀長が表舞台に登場してる大河ドラマ秀吉だけレンタル屋に置いてない
アマゾンにも売ってない、つか秀吉だけDVD販売してなくね?なんでだろ

709 :
>>670
実はそいつ、もうとっくに立ててんだよ
でも否定意見ばっかりで全然誰も乗ってこないから
例によってろくな反論もせずに、相手の人格攻撃だけして
トンズラこいてこのスレに寄生してきたんだよ
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1227946171/l50

710 :
>>697
論点は秀吉存命時なのに、秀吉死後にすり替えるペテン
もしくは馬鹿だから、論点自体を把握できないってか

711 :
贈大納言秀保の評価が低いのはどうしてでしょうかね?

712 :
>>710
秀吉存命時から秀頼に代わって政務を執るのは家康であることが確定しているから
政治の空白が起きないという意味で磐石なんだよ
これも理解できないのか?
秀頼が立派な政治をしてくれるから磐石だなんて考えてる人間は一人もいないのは馬鹿でもわかる

713 :
>>708
大河ドラマ板だと「竹中がハミチンしてるから出せない」説と
「信長役の渡がOK出さないから出ない」説の2つが有力
他にも「大政所役の市原悦子がOK出さない」説
「(脚本の気に入らなかった)原作者の堺屋がOK出さない」説もある
俺も堺屋じゃないかなと思ってる
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1176886866/l50

714 :
>>712
秀吉が家康に後事を託したのは、病に倒れ寝たきりになってからだ。
また出たよ、虚言癖。

715 :
>>714
秀吉存命中は磐石なんだろ?
秀吉が病に倒れ寝たきりになろうが死ぬまでは>>695の主張する存命中だろ
磐石なのにどうして家康に後事を託す羽目になったわけ?

716 :
君の才秀頼に十倍し、必ず能く国を安んじ、終に大事を定めん。
もし嗣子たすくべくんば、之をたすけよ。しかしそれ不才ならば、君自ら取るべし。
こういって秀吉は家康に後事を託したに違いないよ。

717 :
後事を託したのは家康じゃなくて、家康・利家を中心とした二頭五奉行体制。

718 :
元は百姓なんでしょ?
彼以外に農相に適任な方居ないでしょう

719 :


720 :
>>703
利家にビビリまくってたぞ>家康w

721 :
無理をしないのとビビルのは違う事象だということが分からないらしい

722 :
大納言家は存続して欲しかった。
存続してたら、関が原、大阪の陣と変わっていたかもしれん

723 :
男子がいないんだから存続しようがないし
他所の養子を入れて名前だけ残したところで何の影響力もないから
戦を変えることなどありえない

724 :
豊臣の名は残るかも

725 :
豊臣っつーか。羽柴だな。

726 :
はしは

727 :
>>716 劉備か?

728 :
秀長と秀吉が合体すりゃいい秀長吉として

729 :
大和家は天下人のバックアップ枠だったんだろうな。
秀吉の時は弟の秀長。
秀次の時は弟の秀保(又は秀勝)。
秀勝、秀保が死去したので弟切れで取り潰しと。
うーん、上にあるようにもしかしたら秀吉は
秀頼を豊家当主にして秀次を大和に入れるつもりだったのかも知れない。
それを秀次がお断りして揉めると。

730 :
竹阿弥の出自が水野氏という説もあるそうなので、秀長から男系で続くなら将軍になるという手も使えたのではないか。

731 :
>>730
あの人、実弟が定説らしいけど。
何せこだわってないから

732 :
秀長が家康と船遊びに行き
秀長が家康に抱きついて沈めてす

733 :
残念。家康は体術も水泳も達人だった。

734 :
残念。船底に半蔵と忠勝が潜んでた。

735 :
家康は秀頼に助命条件として大和国替えを提案したんだな。秀長の領地だったから?

736 :
そう考えると、淀が悪かったんだな
めんどりが鳴けば、国が滅ぶ

737 :
秀吉、秀長を生んだオヤジって何気にスゲーよな。

738 :
秀長は暇らしい

739 :
>>736
淀はもともと徳川恭順派で、徹底抗戦したのは城の中に入れた浪人達の圧力があったからという説もあるぞ
豊臣が滅んだ原因としてはこっちの方が間抜けだけどなw

740 :
秀長さえ長命を保ってたなら、家康の天下はありえないに異論はなかろう

741 :
典型的な秀長過剰評価論者

742 :
秀長が家康との楽しい食事をして
交際して
秀長と家康が婚姻すれば家康は豊臣の家の為に粉骨砕身働く

743 :
それは新しいな

744 :
秀長が生きていたら、家康とも上手く折り合いをつけて、西の豊臣と東の徳川で役割分担して国を治めるだろうに。

745 :
家康が難癖つけてきても秀長存命なら誰も家康には付かないだろ。
茶々と秀長は仲良かったのかな?仲悪かったら茶々は家康と手を組んで大和潰すか?
まぁそれでも西国の大名は秀長に付くだろうし、仮に関ヶ原になったとしても裏切る奴はいないだろう。

746 :
秀頼と家康に組まれたら完全にアウトだろ。
どう考えても裏切り者になるのは秀長なんだし。

747 :
>>745
茶々、秀長敵にしたら
あとで家康に潰されるだろ。

748 :
>>741
典型的な秀長過小評価論者
根拠なしの上っ面なハッタリ

749 :
秀長は秀吉の半身に近いからな
利家とのダブル構造による強固政権で家康涙目だったこと間違いなし

750 :
利家は秀長の代理という側面が強いから、
秀長生きてたらそんなに出番はないんじゃないの
秀長死後における利家の官位昇叙見ても、
秀吉が意図的に家康に対抗できる人間に仕立て上げたという感じ

751 :
家康と戦うより家康と戦う前に死ぬ方が得だからな
秀長も利家も空気を呼んでいいタイミングに死んだことは凄いよ
おかげで「〜が生きていれば」グループにう巧く入って評価を高めることができた

752 :
生前の評価が高いから当然

753 :
その二人よりさらに評価の高かった秀吉が、晩年評価を落としまくっていますが。
秀長死亡の時期にもし秀吉の方が死んでいたなら、と考えてみればわかりやすい。

754 :
レベルが低い

755 :
秀長さんってけっこう良い奴?

756 :
生前の評価と言うと守銭奴で搾取しまくった事ですねわかります。

757 :
>>756
大和郡山で寺社が領土で文句言ってきたこと??

758 :
部分的に見るしかできないアンチなんですよ。大きく見なさい。

759 :
優秀な男ではあったが、秀吉以上ではない。
秀吉に出来なかったことは、秀長にも難しかったとみるべきだろう。

760 :
>>759
フォローはかなりのもので、秀吉の手に負えない部分を支え続けた。

761 :
>>760
ソース

762 :
秀長が大名間の調停を行った事例の一つ。天正16年における大友黒田氏間の境目相論。

763 :
>>762
それのどこが秀吉の手に負えないものなのか?

764 :
>>763
760じゃないからこちらに言われても・・・。紛らわしかったかなw

765 :
>>763
まあ、比喩だが、派手な部分は秀吉、地味な裏方は秀長。
これがパターン

766 :
優秀な補佐役ってのは、単体では実力を発揮できないからな。
やはり優秀な補佐され役があってこそ。
秀吉という不世出の英雄が、全面的に信頼してくれてたというのは大きかった。

767 :
ソースって言ってる奴って
「自分が馬鹿でーす」
って言ってるのと変わらないよね。自分でも調べりゃいいのに

768 :
秀長だから出来たことは、秀吉の名代で参陣した長島の戦い?だっけ?

769 :
>>768
四国もそうだし、九州も滅ぼさず配下においてる。
内政や居留守は目立たぬが他には出来ない、正月など秀吉達が信長に年賀に行って小数で毛利と対してる。

770 :
何より有能で全面的に信頼できてを指揮権任せられる兄弟が居たってのは大きいよな。
当時は一門でドロドロの闘争を勝ち抜いて家督を継いだとか、
いても空気みたいで大した役には立ってないのとかばっかりだし。
秀長以外だと有名なのは武田のテンQさん(でも早死に)とか北条兄弟、島津兄弟とか、
他に誰が居たっけ。

771 :
三好家も知らんのか。

772 :
有能な一門が次々と暗されちゃった家か

773 :
>>770
マジで言ってるつもりか?間違ってるぞ、バカ よく調べてから書き込みなw
お前どんだけ頭悪いんだ?今のご時世そんな事考えてる奴なんていないぞ?これだから情弱はw
お前がマジレスするのは勝手かもしれないがお前にマジレスを求めてるやつなんていないんだよ
ほんと最悪・・これが今の戦国板ですか
もう一度言うぞ
頭湧いてるの?

774 :
だれか>>773に構ってやれよ

775 :
ああああああああ

776 :
>>775だが
ごめんwwwwwww規制解けてたwwwwww

777 :





魔王ホモ
信長は利家と衆道の関係だったということですね、わかります

778 :
>>774
ちょwwwマジレスっすかwwww
これだからゆとりは困るんだよwwww情弱がwwww
どうせニコ厨なんだろうけど(プッ
だいたいここで馴れ合いとかお前頭湧いてんのか?
お前がマジレスするのは勝手かもしれないがお前にマジレスを求めてるやつなんていないんだよ
、氏ねじゃなくて

779 :
>>774
うわー出たよマジレスwwwおまえ天皇とか韓国とかとかDQNとかマジレス厨がツボるネタがあるだろ?
ふんだんに取り入れていけよw
クソつまんねーんだよ今すぐ電源きってレスついてんじゃんwwwwwwwwwwwwwwwwwとでも言っとけやカスwww
おまえみたいなバカがいるからvipがえっちになってんだろバカが
まぬけ過ぎなんだよおまえwマジレスしたあと鏡見てみww満面の笑みが映ってんだろww笑えるwwww
その満面の笑みを見て気付かないか?おまえはまるでタモリの居ない世にも奇妙な物語なんだよwクソワロスwwww
良いか、最後にこれだけは言っておく。お前は今すぐ人助けしろ、その後に泣き顔でスマイルでもしとけよカスwww

780 :
【消臭中】             シュッ ∴∴∴∴∴
                  ∠ ̄P∴∴∴∴∴∴∴
                   | |\  シュッ∴∴∴∴∴
    ―――――――、   /  \     ∴∴∴∴∴
.   /.  ̄ ̄ ̄//  ̄ ̄| |   |     |     ∴∴∴∴∴ 
  / (^ω^ ).//    | ||   | ( ^ω^)     ∴∴∴∴∴∴
 [/_.(___//[ ]    | ||   |(ノ   |      ∴∴∴∴∴∴
 || 巡回_|_| ̄ ̄ ̄ |.|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|. ≡ ∴∴∴∴∴∴              
 lO|――|O゜.|____|.|| ―――――――┘ ≡
 |_∈口∋ ̄_l__l⌒l | | コ□ニ//l⌒lソ   ≡
   ̄ ̄`ー' ̄   `ー' ̄ `ー'   `ー'  ブロロ・・

781 :
織田でいえば信忠
豊臣でいえば秀長
徳川でいえば信康

782 :
藤堂高虎が秀長に仕え没後、養子の秀保に仕えるが早世。
そこで秀吉に仕えず出家したということは、秀吉自体には、魅力を感じていなかったということか。
復帰後も秀吉が亡くなる直前に家康に急接近したことでも、秀吉より秀長のほうに信奉していたことが、よくわかります。
でも、ひとがいいということは、天下人にはなれないかな。

783 :
むしろ全盛期ですら、秀吉という人間を信用していたような人間がどれほどいたことやら。

784 :
秀吉はミニ織田信長。信長はおそらく海外に出ただろうが国内はやっぱり
がたがたになるだろう。天下統一の時点で秀吉はミニ信長をやめればよかった。
秀長が先に死ぬとは思ってもいなかったから大誤算。結局信長の考えは突飛で
現実とのすり合わせは無理。秀吉は大ぼら吹きと思われていても結局信長を
下敷きにしているだけ。現実とのすり合わせが出来ない秀吉が生き残っても
豊臣政権は無理。徳川に移るのも現実派から見れば当然。現実とのすり合わせは
石田ではとても秀長の代わりにならない。秀吉のブレーキ役は秀長しかできない。
逆に秀長が残り秀吉が先に死んだらうまく徳川と合流しただろう。藤堂高虎がその後の
秀長を継承している気がする。現実主義者は考える事が同じだから。

785 :
>秀長が先に死ぬとは思ってもいなかったから大誤算。
おいおい秀長は早世でもなんでもないぞ。秀吉や家康が長命なだけで、秀長があのへんの年齢で
死ぬのは意外でもなんでもない。
>逆に秀長が残り秀吉が先に死んだらうまく徳川と合流しただろう。
どうやって?
藤堂家を豊臣家臣から徳川家臣へ乗り換えさせるのと、豊臣政権を徳川政権と合流させる(?)のは
まったくわけが違うぞ。

786 :
しかし組織力の問題から見ても、豊臣政権は永続化しようとすれば、何らかの形で
家康の影響下に入らざるをえなかったとも思う。
徳川家の体制が、当時でも最も先進的な近世的組織を作りつつあったのに対し、豊臣政権は
あまりに組織と仕組みがなさ過ぎる。内政も外交も、ほぼすべてを慣習で片付けていた。
これは秀長個人がいくら優秀であっても、どうにもならない問題だ。

787 :
その辺、信長時代のいかにも封建制らしい封建制を引き継いだ秀吉政権と、
先進的な北条氏の体制を引き継いだ徳川家の体制との差だろうね。

788 :
合流と言うか、徳川も豊臣一門だしなぁ。
危機感を抱いて家康を閉め出さなかったら、徳川幕府はなかったかも?ね。

789 :
秀忠だって「豊臣秀忠」だしねえ。
秀吉が死んだ時点で既に、「徳川執権体制」という形になっていたように見える。
関が原は鎌倉幕府における、和田合戦みたいなものだと位置づけていいのではなかろうか。

790 :
北条どの先進的だのってなんという史家の史論なの?

791 :
なんという史家も何も、もはや一般論だろ。

792 :
一般論?

793 :
ID:Rz1HuSc9=北条系のスレによく湧いて出てくる荒らし。放置推奨。

794 :
秀長がいたからまとまってたんだろ?
北条なんて血縁一族の集まりなんだから豊臣に当てはめるのは無理。
秀長がしっかり豊臣政権の基盤を作ればよかったが、その矢先に亡くなってしまった。
相談役の秀長がいないせいで武断派と官僚派は行動を見失ってしまったから崩壊したんでは?
福島正則「あいつムカツクんですよ」
秀長「まぁまぁ、落ち着け。俺から言っておくから」
が、秀長がいないと相談・調整役できる人間がいない。だから同じ意志を持った人間に相談しに行って徒党を君でしまうのだ。
福島正則「あいつムカツクよな」
清正「だよな」
みたいなイジメの原理。

795 :
木下家定とか浅野長政をもっと頑張らせるべきだったという暴論。

796 :
長政は明らかに親家康派だった。
秀長の立ち位置も、長政に近いものだったのではないだろうか。

797 :
この人の一番の謎は嫁だ。 
側室の有無も不明だし。
娘の旦那がどちらも1579生まれだから、それ前後にはいたと思うが。

798 :
出陣

799 :
>5
朝鮮出兵を止めさせるために、家康と組んだかも。

800 :
800Get
>794
秀次もいたら良かったのに。

801 :
>>795
何の知識もないゲーム脳のお前がビクビク怯えながら予防線張って意見垂れてるだけで全て暴論。
という暴論・・(ていうか正論なんだけどね)

802 :
秀長も秀吉と一緒でガチホモだからなかなか子供ができなかったの?

803 :
なぜかキルヒアイスのイメージがある

804 :
そう言う気持ち悪い事を言うから腐と言われる

805 :
兄ちゃんより長生きしてたら・・・と言う副将的弟は他には
武田信繁
三好義賢
吉良親貞
あたりかな

806 :
惜しまれる、非常によいタイミングで歴史から退場したよな。

807 :
へうげもので秀長も良かったけど秀次格好良すぎて吹いた

808 :
うむ。秀次こそ美味しい。

809 :
存命していたら渡海して、現地でやっぱり病没ってことになってそうだ。

810 :
早死にが悔やまれます

811 :
そんなに早死にってわけでもないけどね

812 :
up

813 :
あげ

814 :
52歳じゃなぁ、まぁしょうがないよな
関が原まで生きろというのは無理な話では

815 :
秀吉あってこその秀長だから

816 :
残念だね

817 :
子供が居たらなあ・・・

818 :
豊臣小一郎が大和紀伊百万石の大封を継ぐべき跡継ぎがいなかった

819 :
秀保が死ななかったら豊臣と徳川の間で大和大納言家はどうなっていたか?
秀吉亡き後の危うすぎるパワーバランスの中で高虎がどう舵取りしてたかは気になる。

820 :
秀長が出てくる面白い小説ないかな?
堺屋さんのは読んだ。あと学研M文庫のと家来の藤堂高虎が主人公の
「虎の城」と「下天を謀る」も読んだ。
マンガ「へうげもの」の秀長もかなりよかったんだが。
他にないかね?

821 :
ベタだけど司馬遼太郎の「豊臣家の人々」は?
マンガならセンゴクにもたまに出る位かな

822 :
あ、「豊臣家の人々」も読んだんだ。
センゴクも。
今山岡荘八の「豊臣秀吉」読んでんだけど、ぜんぜん出ないのな…

823 :
仮想戦記だと進退窮まった秀吉がやむなく毛利に降って秀長がやむなく羽柴家当主になる話しが最近あったな

824 :
>>823
兄弟で争うことになるのか……それとも上様にお手打ち?

825 :
秀吉降伏で死にかけの半兵衛は秀吉サイドに残り、与力に加わったばかりの官兵衛はやっとられんわで織田に帰順
官兵衛が秀長を担ぎ上げて羽柴家安泰を信長に掛け合ったところ「んじゃお前らで秀吉ぶっしてこい」って話に
一方秀吉は秀吉で毛利家の中でまた這い上がろうと宇喜多と手を組んで暗闘を開始
かくて中国路を舞台に兄弟相克の争いがって話だった
あ〜結構最近読んだのに本の名前が思い出せんなあ…

826 :
やっとわかった「戦国軍師伝(河丸 裕次郎)」
三巻で完結してるな
ttp://www.i-sengoku.com/series/s9784054044029.html

827 :
>>825-826
半兵衛が残り少ない命を燃やし尽くすわけだ。
しかし秀長様はどんな気持ちなんだろう…いくら敵に降ったとはいえ、兄の首を取れと言われて。

828 :
絶対無理だろ。そんなん決意する秀長は秀長じゃない。
敵対するかっこうしつつ、どっかでまた兄者と一緒になれるよう
手を尽くしてんだよ、たぶん。
吉川の太閤記にも出番ほぼなしだっけな…

829 :
兄者がいてこその秀長だしな

830 :
昨日のドラマで出てたな

831 :
タイコウリキシデンってゲームでさ、秀長を選んでゲーム進めてたんだ。
んで、秀吉が長浜城主になって数ヵ月後に秀吉に謀反を持ちかけるんだ。
そんで秀長に説得されて秀吉は信長に謀反を起こす。その直後、秀吉に
「あなたの元を去ります」って言って羽柴家をおさらばして毛利家の家臣になった。
当然秀吉は攻め込まれて死亡。

832 :
秀長を補佐役に持って配下の武将に韓信あたり持ってきたら
俺も天下統一できると思うんだ。

833 :
秀長が補佐役なら(竹中半兵衛から兵法を吸収した後のね)よっぽどザコじゃなかったら
天下取れるんじゃね?

834 :
まず秀長から全幅の信頼を受けるに値するだけの器量を見せないとな。
秀長って結構シビアだぞ。

835 :
元農民とはホント思えない
文字の読み書きはいつごろから出来るようになったんだろうか?

836 :
>>835
木下弥右衛門って村役人じゃなかったっけ。
農民は農民でも豪農だから、その子弟も読み書きできたんじゃないかな。

837 :
お寺に預けられたけどいたずらして帰ってきちゃった逸話があったのは秀吉だっけ?
秀長もそれぐらいの教育は受けていたのかねえ
それでも兄貴に連れてこられた頃は大変だっただろうなあ

838 :
秀吉と秀長
現代だと星野仙一と島野育夫のような関係ではなかったかと思う

839 :
星野は知ってるが島野ってのは初耳。

840 :
島野なくして星野の闘将としての実績はなかっただろう
でもその島野が終生星野の部下であり続けたのは間違いなく星野の力
星野が阪神監督となったときも中日を抜けその下でヘッドコーチを勤めたが
北京五輪のときはすでに惜しくも死去していた
というような紹介の仕方はちょっと誘導的かな

841 :
その島野ってのは知らないが、秀長の場合、彼に助けられた部分は多かったろうが、
彼がいなかったら秀吉の成功はなかったかというと、それはなかったんじゃないか。
逆に秀吉がいなければ秀長の出世はまず絶対になかったろうが。

842 :
最近色々調べだしたんだけど
明智の丹波攻略戦にも参加してたの?
織田家時代からけっこう活躍してんだね

843 :
小牧長久手の戦いで指揮をとればよかた

844 :
はい

845 :

【サッカー】日本、アイスランドに3-1勝利!前田、藤本、槙野が決める ハンドスプリングスローに場内沸く キリンチャレンジ杯★4
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1330093829/
2月29日 VSウズベキスタン戦  ワールドカップ最終予選

846 :
age
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