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2012年3月戦国時代34: 戦国ちょっといい話31 (247)
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戦国ちょっといい話31
- 1 :
- 戦国のホロリとくるエピソードを挙げていこう
戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください
前スレ
戦国ちょっといい話30
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1323607575/
姉妹スレ
戦国ちょっと悪い話30
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1328357412/
鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1286650888/
このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html
逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/
- 2 :
- 余裕の2get
見ろよ>>3の「2getしてやったり」な意気揚々とした書き込みをwww
今度からコイツのことクソムシって呼ぼうぜw
- 3 :
- 2get
- 4 :
- ∧_∧
( ´・ω・) >>1-3のみなさん、お茶が入りましたよ・・・・。
( つ旦O
と直)家) 旦旦旦
- 5 :
- >>3
よおクソムシ
- 6 :
- >>3からのへんじがない。ただのしかばねのようだ。
あいつら皆,>>4の茶を飲んじゃったんだ。
- 7 :
- そんな創作童話「なおいえさんちのお茶会」のお話
- 8 :
- 俺の立派な>>1モツ
- 9 :
- つーか、>>3のやさしさに全米は泣くべき
- 10 :
- 2getしてやったり
- 11 :
- >>3
きっと前世は蘭丸
- 12 :
- 3の兄です
- 13 :
- >>1おつ!
2月の酒は、雪で冷やした黒ビール〜
- 14 :
- >>13
隠し味を入れておきました。
ささ、どうぞ
- 15 :
- >>12
||||||||||||||||||||||||||||| ..┳ :||||||||||||||||||||||||||||||
|||||||||||||||||| ┠ +20 :||||||||||||||||||||
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|||||||| ハ,,ハ |||||||
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||||||||||,, ⊂ ) ┠ -10つ |||||||||
|||||||||||||| (_┃⌒ヽ |||||||||||||||
||||||||||||||||||: ┠ -20} ||||||||||||||||||||||
||||||||||||||||||||||||||||| ノ┻ :||||||||||||||||||||||||||||
お断りします
- 16 :
- ある時、伏見城の台所で使用人による盗みが多発していた。この事に徳川家康は
「けしからん!」
とたいへん腹を立てていた。これを見た本多正信は
「それはめでたいことです。殿が天下一の大名となり、方々から貢物が届くようになったので、それを盗む者も出たのです。」
と、この様に宥めたという。また、江戸幕府が成立した頃、家康が江戸に滞在する大名達の風紀を取り締まろうとした際にも、考え直す様に進言した。
正信曰く、
「江戸での生活が面白くないものになってしまうと大名を参勤させるのが難しくなり、大乱の元となります。また、
一代で何もかもお決めになられては後の将軍のやる事がなくなり、その威光が増しません。」
というもので、これを聞いた家康から、
「お前の考えは実に臆病で面白い。」
と笑って了承されたという。 「藩翰譜」
- 17 :
- 「お前の考えは実に臆病で面白い。」
って褒められた時の複雑な気持ち知りたい
家康も文学的な表現するんだな
- 18 :
- いくらなんでも屁理屈でしょこれ・・
- 19 :
- 信長の葬儀の後、秀吉が信孝の臣斉藤玄蕃允と岡本太郎左衛門に送った手紙の一部
上様重々御褒美御感状、其上但州金山御茶湯道具以下迄取揃被下、
御茶湯雖御政道、我等は被免置、茶湯を可仕と被仰出候事、今生後生難忘存候。
たれやの御人かゆるしものにさせらるへきと存出候へは、昼夜泪をうかめ、御一類之御事迄あたにも不存候事。
信長さまからたびたび褒美や感状をいただき、その上但馬国の金山、お茶の湯道具まで取りそろえてくださった
茶の湯は御政道であるが、我に許可され茶の湯をしていいと仰せられたことは、今生来世まで忘れることはできない
他の人に許されることがあろうかと思うと、昼も夜も涙が浮かび、織田家御一族の事はあだおろそかに思えない
有名な御茶湯御政道という言葉の基になった手紙。全24条あってこれはほんの一部です。
- 20 :
- 主の草履を盗もうとして見つかってしまい美談になった武将がいる。
- 21 :
- >>19
茶湯の影響力凄いな
へうげもの見て笑っている場合じゃねえ
- 22 :
- 関東管領なんか要りませんよ
- 23 :
- 関東管領として差し向けたってことは、関東公方は認めていたってことか?
- 24 :
- >>23
いや滝川の関東管領云々は信長が任命したなんてわけでなくて
他人がその役割を指して「のようなもの」と説明の為に言っているだけ
- 25 :
- 幕府がなくなってるからその役職の関東管領も無い時代
上杉氏すら名乗っていない
- 26 :
- むしろ関東においては関東管領どころか古河公方を北条が事実上吸収し、北条家当主が古河公方の権威と機能を執行
していたらしい。
- 27 :
- 里見も後北条と別個に古河公方の子孫を担いでたからな。
滝川が上野に入った時、関東の諸豪族の出仕を求めたが
後北条の傀儡足利義氏だけは無視されて「一体どーすりゃいいの?」と戸惑う書状残ってるんだよねw
「おめーの席ねーから!」
- 28 :
- それが織田が高転びして、滝川が燃え尽きて消えて
北条がボコられたあとに弱小大名として何とか残って、
上手く残ったはずの里見が何だかなな理由でブッ潰されて、
扱いに困りましたからこうしましたな感じで
ショボくはされたけど別格扱いで
古河公方が一番本拠に近い辺りで残れたというのも面白い
- 29 :
- 古河公方というより関東公方として元の鞘に収まったような感じ
- 30 :
- 天正13年(1585)、越前の丹羽長重は家臣が佐々成政と内通したとの疑いにより、羽柴秀吉によって
改易された。丹羽家の家臣団は解体し皆流浪の身となったが、秀吉は、自分への謀反に関わっていない
忠孝の士は召し出すと伝え、中でも長束正家に対しては、別して自分に仕えるように要請した。
しかし長束正家はこれを固辞し、丹羽長重が転封された若狭に供奉し続けた。
この正家の態度に秀吉は激怒し、丹羽長重がこれをさせていると判断した。そして長重の元に
『お前は長束正家の事に関して、上意に背くつもりか!?』
と疑念を伝えた。これに驚いた丹羽長重は正家を説得し、秀吉のもとに上京させた。
秀吉は正家を召し出すと、以ての外の形相で叱りつける。しかし正家は少しも恐れず、こう、申し上げた
「仮に秀吉公に召しだされたのが、故越前守(丹羽長秀)の御在世の頃であったなら、わたしも有難き仰せであると、
すぐにこれをお受けいたしたでしょう。ですが今、我が主君長重は至って若輩であり、特にこの度、亡主長秀の
封国を召し上げられ、長秀の旧功ももはや効力を持ちません。
このような状況で年若の主を見捨てて、秀吉公の碌を拝領するなど出来る訳がありません!
この度長重が受けたお疑いに関しては、私が今説明したように、長重には全く身に覚えのないものであります。
もしこれで主人長重への疑いが解けないというのなら、私はたとえ、命を奪うとと言われても秀吉公の
御要請を受ける事はできません!」
これを聞くと秀吉はしばらく黙り込んだ。そして表情を和らげ
「お前の言ったこと、全て受け入れよう。長重に罪はない。ただし逃げ去った逆臣共を召し捕らえるまでは、
その旧領は預かり置く。
誓って長重に対して疎意は無い!」
そう懇切に語りかけた。この天下人の言葉に正家は平伏し、ここで秀吉に奉公することとなった。
長束正家が秀吉家臣になった過程である。
(丹羽歴代年譜付録・家臣伝)
- 31 :
- 全盛期の秀吉だな
- 32 :
- 預かったまま返さない所がラスボスだな。
- 33 :
- 丹羽家の石高長秀亡くなったあたりの時代はたしか百万石超えてたよな
長重が相当な器量じゃないと秀吉じゃなくて家康だとしても召し上げだろうよ
- 34 :
- 前田家も利家が秀吉より先に死んでいれば半分以下になってだろうね
かつ関ヶ原まで生きていれば取り潰されたかも
上手い時期に死んだよなあ
- 35 :
- 家を考えると秀吉より先に死ぬわけにはいかん!と必死に養生してたんじゃないかと思ってしまうw
- 36 :
- 利家さんって、ラスボスの悪行に対してストッパーになったことあるのかしら?
- 37 :
- 長重が1571年生まれで長秀が死んだのは1585年
その時点での長重が相当な器量を見せてたらむしろ警戒されるよな
病床の親父の代わりに出陣したりしてるだけでも立派なもんなのに
- 38 :
- 丹羽家が駄目だったのは、長秀に優秀な親戚が居なかったから。
堀家の堀直政や龍造寺の鍋島のように。
同じように蒲生ちゃん家もかわいそう。
- 39 :
- でも何とか大名に返り咲いてんだよな
- 40 :
- >>39
長重は徳川秀忠と「深い仲」だったとかなんとか…
- 41 :
- 長重の母親は織田信広の娘、妻は信長の娘だからな
縁戚に頼るどころか逆に丹羽家が守らなきゃいけなくなってる
- 42 :
- 親も息子も人並みの器量ならば、
跡継ぎは20代後半に作って60歳過ぎで死ぬのが最もいい世代交代だな。
- 43 :
- >>38
森家の場合は末弟に跡継がすなと長可が言い残したのに
感激されながら継ぐことになったんだっけ
かがみん超優秀
- 44 :
- >>34
利家は、秀頼の傳役を確保した時点で安全圏だろ。
それまでは、量産型中納言の中でも下位だったのが
大納言に任命されてランク急上昇だしな。
- 45 :
- 柴田から自分にひよったりしているのに、前田頼っちゃうのな
- 46 :
- 若い頃からの友達だったからというのもあったかもな
- 47 :
- >>44
秀吉より先に死んでいた場合、傅役だからとか関係なくなるだろ
利家の子じゃ当てにならんし
- 48 :
- 今度は長束正家の丹羽時代
長束藤兵衛藤原正家は近江の産。彼は英才俊逸にて将帥の器量、勇謀は常の人のものではなく、
その上天下無双の算術の使い手であった。
かれは若年の頃から諸国を遊歴し、ある時、未だ小身であった丹羽長秀に、僅かの切米(サラリー)で
召し出された。この時正家は
「一人の食はこれで足ります」
と、長秀に仕えた。
以後、長秀の軍事を助けたが、その戦功、謀才は比類なく、まさに将帥の器量であり、
おいおい加増され、長秀が近江に転封になった頃には千石となった。
しかしそれとて、正家のそれまでの軍忠功労には全く足りない僅かなものであったが、正家は不満を
漏らすこともなく、むしろ諸臣を上回って戦功忠貞にいささかも怠ることがなかった。
天正に至ると、丹羽家世子鍋丸(長重)7歳にいたって、これに補佐の良臣を選ぶこととなった。
長秀は深慮により誰にも相談すること無く、突然正家に1万石を与え、棟梁の職の補佐として、
鍋丸に付くことを命じた。
この大抜擢に丹羽家の諸老臣はこの人事を喜ばないこと、甚だしいものだったという。
しかし正家は実直に長重を補佐した。
この、比較的軽輩であった正家を、俄に重職に付けたことは、後年太閤秀吉が、丹羽長秀の深慮の
素晴らしさであると、徳川家康に物語ったそうである。
(丹羽歴代年譜付録・家臣伝)
- 49 :
- 最後に負けちゃったから算盤得意な官僚みたいな認識になっちゃったんかね
- 50 :
- >>49
実際には、軍功は無かったような。
- 51 :
- その後の守銭奴
上杉景勝の家臣・岡左内定俊は、主家の米沢転封後、その苦しい台所事情を思い上杉家を退転した。
武門名誉の家にあってなお勇名を馳せた左内は、たちまち諸大名から引く手あまたとなったが、左内自身は
「馴染みがあり申すゆえ」と、上杉家以前に仕えていた蒲生氏郷の子・秀行のもとに馳せ参じた。
秀行は、六十万石で会津に復帰すると、左内に知行一万石を与え、猪苗代城代の重職を任せた。
小大名並みの禄を手にするに至った左内だったが、相も変わらず憑かれたように金を貯めこみ、月に二、三度は
例の小判を敷き詰めた上に、素っ裸で寝転がる奇癖を繰り返す日々を送った。
秀行が亡くなり、忠郷の代になったころ、左内も床に伏せたきりになった。
『もはや、これまで』と思い定めた左内は忠郷とその弟・忠知に、「おかげを持ちまして蓄えることが出来申した。」
と書状を添え、忠郷には黄金三万両と正宗の太刀、忠知には三千両に景光の刀と貞宗の脇差を贈った。
残った金も、知人あてに五両・十両と包んで贈った左内の手元には、大きな鋏箱のみが残された。
「この箱は、いかがいたしましょう?」
「焼き捨てよ。上杉を去るに及んでも、やったことだ。世を去るに及んでも同じことよ。」
箱には、山のような借用証文が入っていた。
箱が炎の中に消え、最後の心残りが消えたのを見届けた左内は、静かに息を引き取った。
(増補武辺談他より)
- 52 :
- >>51
いい話だが、子供とか孫はいなかったのか気になるわ
- 53 :
- >>51
相変わらず岡左内はかっこ良いな
お金は大好きだけど、お金より価値がある物が何か、きちんと知っている所がかっこいい
- 54 :
- >>48
正家の嫁さんが本多忠勝の妹らしいんだけど
忠勝は正家の助命嘆願しなかったのかね?
- 55 :
- 信之が東軍だった真田は擁護もできるがなぁ
思いっきり西軍に付いた上に伏見攻めの動きがある以上嘆願のしようが無いでしょ
- 56 :
- >>54
謎が多いんだよな>長束正家の妻
本多忠勝の父は、忠勝が3歳の時に亡くなっているから、異父妹なんだろうがそれでも長束正家と歳が離れていると思うし、真田家と違って積極的な交流をした痕跡は無いし
- 57 :
- >>52
蒲生改易後には黒田、津軽と転仕したみたい
- 58 :
- 岡左内ってwikipediaに記事無いのか
岡定俊なのか岡野定俊なのか不明だからか?
- 59 :
- >>58
諱が不明な場合は、通称や受領名でも問題ない。
そこそこ有名な人でも記事が無いのはよくある。
初回投稿が書籍の丸写しで削除されりすることもあるし。
- 60 :
- 札束プールの起源がこんなところに
- 61 :
- 上杉家から退去するさい千両箱山積みにして出奔したのか?
よく野武士に襲われないな
- 62 :
- >>61
全部人に配るなりして処分したんじゃない?
>焼き捨てよ。上杉を去るに及んでも、やったことだ。
ってあるし、空箱を一度燃やしたと読んだ
- 63 :
- http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-574.html
焼き捨てた話はこれだろう(上杉の武将たちの借金の証文を燃やした話)
- 64 :
- 上杉の窮状をみて退去なら、この性格からして献上してると思う
戦仕度で使いきってるかもしれんが
- 65 :
- >>64
戦になる前に、既に献上してるじゃないか。
- 66 :
- 大阪に本社を置くスーパーゼネコンの竹中工務店。同社は織田信長の普請奉行だった初代・竹中藤兵衛が1610年(慶長15年)に
名古屋で創業して以来、400年以上も続く老舗中の老舗。代々竹中家が経営に携わり、一族の関連会社などが大半の株式を保有しているため、
「上場に踏み切る可能性は限りなく低いだろう」(準大手証券ストラテジスト)という。
- 67 :
- 地元に残る、今川家の忠臣で有名な関口氏広のお話。
義元を追い自されたという氏広。しかし武蔵国に落ち延びたという伝説が残っている。
義元亡き後の今川家に見切りを付け、出奔した氏広。彼は武蔵国杉戸を永住の地と定め名主となった。現在も杉戸町には関口氏広の子孫が暮らしている。
- 68 :
- >>67
関口ひろしって見えて二度見した
- 69 :
- その後のスケベエさん
関が原の戦いの際、佐竹家の動向を徳川家康に問われた花房助兵衛職之(職秀)は、「佐竹は動かない」という
見解を示したが、『見解について起請文を書け』との要求を断って「あやつは気が利かぬ」と家康の不興を買ってしまい
大名への出世の機会を逃した。(http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-214.html)
十数年の歳月が過ぎた大阪冬の陣。
茶臼山に本陣を構えた大御所・家康は、輿に乗って配下を叱咤する老人の姿を眼に止めた。
「あの老武者を見よ!もはや足が萎え果て、馬にも乗れぬゆえ輿に乗っているのであろうに、あの姿勢、声の張りは
ヘタな若武者どもをしのぐわい。いったい何者だ?」
「ああ、あれは助兵衛殿ですな。」
「助兵衛?助兵衛・・・すけのひょうえ・・・花房助兵衛か!まだ健在であったか!!」
関が原の戦いの後、八千石を給され、備中高松に陣屋を構えた花房家は今回、池田忠継の寄騎として
参加を命じられたが、齢六十も半ばを過ぎんとする助兵衛は、嫡男に任せず自ら出陣して来たのだ。
「さすが助兵衛。日々武辺を心がけた者は、あの齢で出陣しても見事な武者ぶりよ。大剛の者と言うべし。」
将としては評価できなかったものの、老いてなお盛んな助兵衛に感心した家康は、池上本門寺の僧になっていた
助兵衛の次男を還俗させ、徳川四天王・榊原家の養子として榊原飛騨守職直と名乗らせ、将軍秀忠の直属に置いた。
(忠士清談・徳川実紀他)
助兵衛は大坂夏の陣後に世を去っていますが、その後、長崎奉行等を歴任した職直は知行二千五百石の
大身旗本に出世しています。これに本家の知行を合わせると一万五百石。
万石を目指した助兵衛の悲願は死後に達成された、というのは言い過ぎでしょうか。
・・・え?「島原の乱」?「抜け駆け」?な、何のことやら拙者にはさっぱり・・・・・・
- 70 :
- >>51
>>63
爆発炎上する車を後にして去っていくアクションヒーローみたいに
燃えさかる借金証文の箱の山を後にして退去する岡左内の姿が
脳内再生されたwww
- 71 :
- いい話かと思ったら、余計な最後の一行がw
- 72 :
- 岡左内「上杉家から(家中の証文を)燃やして参った!」
- 73 :
- 利家が拾いに行きそうだ
- 74 :
- 利家も死ぬときに借金の証文燃やしたんじゃなかったか、
- 75 :
- 官兵衛「某も半兵衛殿に殿から頂いた書状を燃やされ申した」
- 76 :
- 織田信長「燃やすだけでは駄目だ、灰を水に溶いて飲まないと!」
- 77 :
- 天正16年に毛利輝元が上洛した際に、各大名に贈物をした時の記録があるが、
この中では大名には殿を付、その家臣は呼び捨てにしているが唯一、殿が付いている家臣がいた
それは本多忠勝、二木謙一氏はこれを誤記としているが、後世の有名ぶりを見れば忠勝の名は
この当時、既に知れ渡っていたと考えるのも面白い
なお、樣を付けたのは大政所、秀長、信雄というのも面白い話であろう
- 78 :
- 信雄さん、その頃は内大臣とかで一応まだ大事にされてたんじゃないのかな〜
- 79 :
- >>77
忠勝大好きだけど、これって逸話なの?
- 80 :
- >>79
逸話投下されない時はいつも雑談だからいいんじゃない?
- 81 :
- その後のアイキャンフライ
真田家臣の赤沢“I Can Fly”嘉兵衛は、武田崩れ直後に度胸試しで断崖から飛び降り生還したが、真田昌幸に
「大事の時に、命を粗末にするヤツは要らん」と勘当され、第一次上田合戦で首二つを上げ、やっと許された。
(http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1280.html)
月日は流れ、無謀な若者に過ぎなかった男は二十余の首を上げ、歴戦の勇士として知られるようになり、
嫁を迎え、息子が生まれ、息子も出仕するようになったある日、その息子・助左衛門が「改めて話がある」
と言ってやって来た。
「父上、私もいよいよ嫁を迎えることになりました。」
「おお、そうか!それはめでたい。して、お前の嫁になってくれるのは、どこの娘さんじゃな?」
「はい、右京どのの姪御にございます。」
「なんだと?!」
右京、すなわち右京局とは小松殿の死後、真田信之の奥向きの世話をしている女性、平たくいえば愛人である。
(幕府をはばかってか小松が忘れられなかったのか、側室にはしていない)要は助左衛門、コネで妻を選んだのだ。
「たわけがっ!それでは加増されても『女房のおかげで立身した』などと言われるわ!お前はそれで良かろうが、
子孫まで面が汚れるわい。侍とは大身も小身もなく、ただ志の良き悪しきをもって評価されるものぞ!
よかろう、わしが槍一本で稼ぎし百六十石、お前のような者には過ぎたる知行よ。これ以上増やすまい。」
それからというもの、嘉兵衛の勤めはサボりがちになり、ときに目を見張る働きを遂げ、少しでも信之から
褒められようものなら、とたんに翌日から病と称して出仕しなくなる有様だった。
嘉兵衛の死後、奉行職まで出世した助左衛門に信之は
「わしは嘉兵衛ほどの男、もっと加増してやりたかったが、あやつめ、見事な奉公ぶりを見せたかと思えば
引っ込んでしまう。加増するスキが無かったわい・・・」と、漏らしたという。
意地と誇りを貫いて知行百六十石で生涯を終えた赤沢嘉兵衛だが、その態度は「真田武士の鑑よ」と称えられ、
その人物像は『真田家御事跡稿』に記され、顕彰されている。
- 82 :
- 真田にもめんどくさいのがいるんだなw
- 83 :
- あーこれは面白いw
女のコネを潔しとしないということかなw
- 84 :
- 確かに言動が三河者っぽいなw
- 85 :
- めんどくさいけど嫌いじゃ無いなこういう人
- 86 :
- 傍から見る分にはいいけど、
実際同僚として付き合うのは嫌だなあ
- 87 :
- 徳川家の話と言われても信じてしまうレベルの、いいめんどくさっぷりw
- 88 :
- 徳川家重臣の井伊直政と、正室の東梅院の侍女との間に生まれた井伊直孝は、その誕生を東梅院に快く思われなかった事から、
父に会うことも叶わないまま上野国下後閑の名主の家で育てられた。そんなある日、直政の命で矢羽などに使う鶏の尾羽を収集していた
井伊家家臣が、直孝の事を知らずに下後閑の屋敷にやって来て、鶏を追い回し始めた。腕白な子供に育っていた直孝は、
「お前たち!一体何をやっているのか!」
と大声で怒鳴りつけたものの無視された。すると今度は槍を持ち出して追い払ったという。その後、その子供が主君の子供だと知った家臣が
謝罪に訪れても中々聞き入れようとはしなかったという。また、11歳の頃には、庄屋に押し入った強盗を斬りつけて捕縛に協力する手柄を立てたという。
- 89 :
- ええっと、家臣の方が鶏を追い回したのか?子供の直孝じゃなくて?
- 90 :
- そうです。家臣が直孝を無視して鶏を追い回したんです。分かりにくくてすみません。
- 91 :
- ひこにゃん拾った人か
- 92 :
- 世が世なら
ひこけっこーだったのか
- 93 :
- >>88
せめて名主か庄屋か統一しろ
- 94 :
- やっぱり安物の矢羽根にはニワトリみたいな家禽も使ったのか
- 95 :
- うむ
- 96 :
- お高いのは鷲とか鳶の羽だっけ?
- 97 :
- >侍とは大身も小身もなく、ただ志の良き悪しきをもって評価されるものぞ!
結局書物にまで名が残った嘉兵衛の方が武士としては正しいかったと言う事か
- 98 :
- >>93
名主の家と庄屋は違う家のことじゃないのか?
それにしても、まーくんとの↓の逸話でもそうだが
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2241.html
ひこにゃんは子どもの頃から勝気な性格だったんだな
- 99 :
- >>98
曲がりなりにも異母姉妹の義父に対してひこにゃんたらw
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