1read 100read
2012年3月文学8: デリダとドゥルーズU 文学との関係を中心に (568)
TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼 ▼
【芥川賞】西村賢太【苦役列車】 (964)
坪内祐三 2 【たいしたことないのに威張ってる】 (174)
【ウェルテル】ゲーテ part2【ファウスト】 (162)
ルイ=フェルディナン・セリーヌ2 (123)
大江健三郎という自覚のないクズが (457)
高橋源一郎スレ (159)
デリダとドゥルーズU 文学との関係を中心に
- 1 :
- いまなお刺激的であり続けるこの2人
そしてこの2人を&で接続するところに可能性があるだろう。
おそらくは(プテートル)。
フーコー、ド・マン、ブランショ、ベケット
ナンシー、ラクー=ラバルト、コフマンなど周辺も視野に入れつつ
- 2 :
- 思考と思想の差異は実は見過ごされている!
- 3 :
- 前スレ
デリダとドゥルーズ 文学との関係を中心に
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/book/1323993151/
- 4 :
- >>2
広辞苑ですら見過ごしてないよw
- 5 :
- ええっと、辞書的に言うと、論理的に考えることが思考で、その人の行動をひろく規定しているものが思想。
- 6 :
- 前スレ>>994
>ポストモダンにおいて失効したという「大きな物語」、それは
>マルクス主義のことであるという、そこを確認しておかないと
>ポストモダンとは単なる物まねや軽薄なパスティーシュでしかない
>そういう話にしかならんと思うなあ。
マルクス主義以外のものを大きな物語と呼ぶことは、ポストモダンの物まねにすぎないんだろ?
自分で言ったことくらいちゃんと覚えておけよw
言い逃げされそうだから、一応こっちにも書いておく。
- 7 :
- アセンションとジャネットさんは熱い男だな
昨日はついつられて語ってしまった
- 8 :
- わたしは、おほめにあずかるほどの、熱い男ではないね。
現代思想に関しては、たんに執着的かつ怨恨的な情感がはなはだしいだけですよ。
つまり愛憎半々というやつです。
外っかわから腐されれば、けっこう熱心に擁護するが、
ぎゃくに現代思想の内輪にいるように見える人には、どうにも嫌味をいいたくなって仕方ない、
という捻くれた思いを払しょくできないというだけ。まあ、おっさんには、ありがちなもんです。
ところで、浅田は前に、ハイデガーを二十世紀前半最大の哲学史家、ドゥルーズを後半で最大のそれ、
だといっていた。云われてみて、そうなんじゃないか、と私も思った。
ハイデガーは形而上学者ではなかったと思う。ドゥルーズもそういえるだろうか。
むしろ形而上学者じゃないからこそ、
とうに用済みになった感のあったそれ(存在論、でもよい)を、アナクロにもやりつづけたんじゃないか、と思うんである。
唐突だが、ジジェクは、ヘーゲルは完全な唯物論者だ、といっていた。これも、云われれば、そうなんじゃないか、と思うんである。
- 9 :
- なんか新スレ立ってると思ったら、愚にもつかない訓詁学で前スレ使い果たしたわけね
- 10 :
- 何かを「実践」しようとしている人がいるとして、その場合、
今朝何を読んだか、よりも、たとえば、何を食ったか、のほうが「実践」への影響度大じゃないかと思うのは、
私だけだろうか。
プラトン読むかアリストテレス読むか、よりも、
納豆ごはん食うかきんぴらバーガー食うか、のほうが、肝心じゃないか。
それで、こういう考え方は、もしかしてドゥルーズ的なんじゃない?
- 11 :
- >>6
んん? なんか質問が前と微妙にずれてるな。 大きな物語とは
マルクス主義のみをさすのであるかって、その疑問はもういいの?
前スレでさんざん食いついてきたじゃないか。こんな具合にね。
>それが「大きな物語」がマルクス主義のみを指していることの根拠になるとでも?
>それなのに「大きな物語」はマルクス主義のことしか指さないんだね。なるほどw
とりあえずなー
AはBである
AはBのみである。
これらの文章は同じ意味か否か、まずはそれを確認しておきたいんだがなあ。
疑問はひとつひとつ順番に解決していこうぜw
- 12 :
- >>11
バカじゃないの?w
おまえが言ってるのは、
「AはBである。AをBでないものとすることは偽である」ってことだぞ?
>ポストモダンにおいて失効したという「大きな物語」、それは
>マルクス主義のことであるという、そこを確認しておかないと
>ポストモダンとは単なる物まねや軽薄なパスティーシュでしかない
これをそれ以外のどういう意味で言ったって言うんだよw
ぐだぐだぐだぐだしつこくくだらない言い訳してるんじゃねえよカス
- 13 :
- >>12
なにいってるかなあ?
AはBである
AはCである
これらが矛盾しない場合だってあるだろうw
ポストモダンについていえば。
ポストモダンはミミクリーとパスティーシュの言説の時代である
ポストモダンは大きな物語の失効した時代である
これらは別々の観点からみられた主張というだけであって
矛盾するとは限らないしねーw
ああ、それと、AはBである、AはBのみである、両者の意味は
同じか否か、まだ答えてないよねw
- 14 :
- >>13
消えろゲス
- 15 :
- >>14
とうとう逆ギレか、まったくゲスなふるまいよのおw
鏡をみてみれば?
- 16 :
- つくだにはコテ付けろってば。恥ずかしい。
- 17 :
- 自演ウゼー
- 18 :
- ああ、>>16は俺の自演じゃないからねーw
そうだと思い込みたいやつに念押ししておくけど。
- 19 :
- 16書いた者だけど、こういう恥ずかしさって耐えられないw
だれが見てもつくだにが名無しでちょこちょこやってるのがバレバレ。
見てる方が恥ずかしいんだよ。
そう思うでしょ?>>18
- 20 :
- ぐだぐだぐだぐだしつこくくだらない言い訳してるんじゃねえよカス
- 21 :
- >>19
んー、佃煮であるって、確証はもってないな俺はw
佃煮の可能性はそれなりにあるというか強いとは
思うが、確信とまではいかないな。
- 22 :
- >>13
小学生レベルの屁理屈だな。
正直本気で引いてるわ。
一応確認しておくけど、
>ポストモダンはミミクリーとパスティーシュの言説の時代である
>ポストモダンは大きな物語の失効した時代である
>これらは別々の観点からみられた主張というだけであって
>矛盾するとは限らないしねーw
これは要するにポストモダンにおける言説はすべてパスティーシュであるっていうことでいいのか?
- 23 :
- このNってやつは最悪だから相手にしない方がいい
- 24 :
- >>22
ポストモダンについて、そういう主張があるということだな。
他にも様々な主張があるしね。
ポストモダンはファンタジックである、なんて主張もある。
イーグルトンだっけ? どれが正しいとか、そういう判断までは
やってない。
名無しは佃煮なのかなあ。 なんか雑談スレでも、もてる
限りの自演テクニックをつぎこんできてるみたいだけど
奴は根本的に頭が悪いという弱点があるから、いくら自演
やったって、しょせん張り子の虎なんだよねw
- 25 :
- Nにとっては記号論理さえパスティーシュに浸食されているのか。
たしかにこんなやつとまともな会話わ成り立たないだろうな。
- 26 :
- だから相手にしない方がいいんだって
- 27 :
- >>24
残念ながら、>>12以降の俺の書き込みは>>22だけだぞ。佃煮って知らない。誰それ?
全ての言説がパスティーシュでオリジナルの言説がないっていうなら、
そもそもマルクス主義本来の意味での「大きな物語」ということさえできないんだが。論理的に。
ようするに全スレでのおまえの主張と>>13の主張は両立しないわけだ。
もうつまらないからやめようぜ。ここまでひどいと思わなかった。
- 28 :
- ああ、あんさん佃煮じゃないの。 なんか佃煮じゃないのかって
いうひとがいたからさー。そっちにちょっとひっぱられたのさ。
>>27
モダンの時代は「大きな物語」があったが、ポストモダンは
「大きな物語」がないってのが、ポストモダンを語るうえでの
基本前提じゃないの〜w 大きな物語のない時代だから
パスティーシュやミミクリーがあふれるファンタジックなものになると
ポストモダンは。 なんにもおかしいことないじゃん。
大きな物語は、かつて存在した、と過去形で存在を語られるわけだ。
- 29 :
- >>28
何もわかってない。
「A=Bであり、かつBをB以外のものとすることは偽である」という主張と、
「AはBであり、かつAはCである」という主張は明らかに矛盾って言ってるんだよ。
もういいだろ?
おまえと話してても何もおもしろくない。
- 30 :
- バカでつまらないN
- 31 :
- そして、リオタールにとって、もっとも重要な「大きな物語」は
マルクス主義であったろうって、そういう話をしたわけ俺は。
リオタールはマルクス主義にずっとコミットしてたと、とある
対談でのべていたが、実はそれは違うんだとか、そういう
主張なら、まあ反論としては十分だな、そうおもってるんだがなあ
俺は。
>>29
あっそ、つまらん揚げ足取りめいた議論しかできない
おまえがつまらないって、いつになったら気づくのかな?
- 32 :
- よくポストモダン状況というときのポストモダンは
ごく一般的にはNの>>28みたいな意見をおおまかに指すと思うけどね
- 33 :
- 揚げ足とりじゃないだろw
主張の根幹に関わる部分なんだから。
もうだめだなこいつ。
- 34 :
- にぎやかだね〜
前スレは予想より5倍以上スピードが早かったな。
- 35 :
- AはBである
AはBのみである
このふたつが同じ主張かどうか、>>33の主張の根幹は
これをどう判断するかにかかってるよね〜
さあ答えた答えたw
- 36 :
- >>35
おまえバカだろ。
それが異なるのは明らかで、
A=Bと言っておけばいいものを、
>ポストモダンにおいて失効したという「大きな物語」、それは
>マルクス主義のことであるという、そこを確認しておかないと
>ポストモダンとは単なる物まねや軽薄なパスティーシュでしかない
っていう発言でおまえ自身が「AはBのみである」って主張に変えてるっていう話なんだが。
マジでこんなことも理解できないのか?
- 37 :
- 「大きな物語」がマルクス主義のみだなんてリオタール言ってたっけ?
- 38 :
- >>37
言ってない。
- 39 :
- だからさあ、鍵君みたいにすみっこで暮らしている繊細な神経症患者を強引に排除して喜んでる様なNが、
「ポストモダンとはこうである、どうだ自分は頭がいいだろう」みたいなポーズをとるのは、滑稽であり醜悪でしかないと、
前スレで言ったでしょう?しつこく食い下がれば何でも自分の思い通りになると思っているのかな?
- 40 :
- >>38
よなぁ
- 41 :
- 繰り返しになるが、マルクス主義が、モダンな「大きな物語」の代表格、ということでしょう。
公式マルクス主義の別名は、科学的社会主義だし、その主義者ことを「進歩派」と呼んでいたんだし。
ドゥルーズやらが、熱学、量子力学、複雑系科学、なんかを援用したがるのは、
そのマルクス主義が依拠してきた(とマルクス主義者自らはそう思ってきた)古典的科学の枠を揺るがせる、と考えてのことだったでしょう。
わたしは、古典的な(モダンな)枠というのは、強固でそうそうは揺るがないと考えるので、まあ、蟷螂の斧だとは思うが。
ちなみに、もちろん複雑系経済学はあるし、かのマンデルブロートが言い出しっぺの経済物理学というのもあるんですよ。
それに、知っている人が多いと思うが、法と経済学、という分野もあって、これは乱暴に言うと、新古典派経済学の理論で法体制(英米法です)の合理性を裏付けるという主旨のものです。
Uさんが前に言ったことだが、脱構築法学がターゲットにしているのは、この新古典派経済学を用心棒にしていた英米法体制だといってよいでしょうね。
そういう体制内で割食っている側が多いであろう2ちゃん住人も、
こう考えれば、デリダの「法の力」を読むことに、なにやら真剣味もでてこようというものでしょう。
- 42 :
- >>36
それは仮定法というか反実仮想で書いてるんでね。 さいしょに
「大きな物語」とはマルクス主義のことであるって、確認しておけば
(この書き方は確かにあまりよくないね。リオタールにとってもっとも
重要な「大きな物語」は、とかもっと詳しく説明しておくべきだったかも。)
後段の限定は必要なくなるわけでね。 仮定法で書いている意味を
理解してほしいねえw
- 43 :
- >>41
>繰り返しになるが、マルクス主義が、モダンな「大きな物語」の代表格、ということでしょう。
はーい、そうだと思いまーす。
- 44 :
- 「大きな物語」とはマルクス主義に代表されるなにか
なにかってなにか
- 45 :
- >>44
この「なにか」がそれを語る人によって異なっているのではないかと思われ
- 46 :
- Uって隅っこで暮らしてんの?田園調布住まいじゃ?
- 47 :
- ねらーは言い訳がすごいな。
実社会じゃ高校生にもまず見られないレベル。
- 48 :
- 相手にするなって
- 49 :
- 仮定法っていうか、条件法っていうのか。
野崎昭弘の「詭弁論理学」で、この条件法、仮定法をめぐる詭弁に
ついての議論がなされていて、それについて考えつつ、>>36の
引用部を書いたんだよねえ、俺は。
- 50 :
- バートランド・ラッセルと、ウォーレン・ウィーバーのあいだで
この条件法の問題を巡り、論戦があったとか。
- 51 :
- 条件法でもつかわないと、リオタールのポストモダンについての
議論と、サイードによるその批判を接合することなど、とても
不可能じゃないかと、俺には思われたから、条件法で文を
書いたのさ〜
- 52 :
- 「詭弁論理学」、本棚からひさびさにとりだしたなあ。
- 53 :
- >>41
でも、グラムシからサバルタンスタディーズへの流れはかなりポストモダン的ですよね
- 54 :
- 公理論的数理物理学、公理論的数理経済学、これはいずれも同じ人、フォン・ノイマンが仕上げているんです。
で、フォン・ノイマンは、「二十世紀の偉大な数学者とうのは、ヒルベルトただ一人である」と云い、
自らの応用数学における方法論を、ヒルベルトを引き継いだ「公理論」的なものだとしていた。
いまは、こっちが「大きな」どころか「巨大な物語」だろう。
ドゥルーズやらが数物用語を使いすぎ、ドゥるージアンが、複雑系科学やら、超準解析やら何やらかにやらとドゥルーズ哲学が「親和性」がある、
とかの権威づけしたがるのがまずいのは、それがもはや「巨大な物語」に組み込まれているからだと思う。
- 55 :
- >>53
そういう流れだと、ポストコロニアル的という形容が適切なんではと。
ポストモダンとポストコロニアルとは、いかなる関係にあるか、これも
ちょっとは考える値打ちがあるかも。
まず、ポストコロニアル的な状況があって、しかるのちにポストモダンに
ついての議論がおきたと、とりあえず前後関係について、こんな風に
いってみたいが。
- 56 :
- 哲板で話題になったけど、ドゥルーズガタリの「n個の性」なんていうのも、まさにポストモダン的な発想だよね。
欲望の種類によって人の数(n個)だけ性があるという発想が。そしてそれは決して倒錯ではないとしていて。
性別すら破壊してすべてを平均化し、なだらかな地平の上に人々を配置したいという願いなのかな。
ジャネットさんに前にジェンダーについて教わったっけね。まだ勉強中だよ。
- 57 :
- 話しはズレるんだが、
いまのポスコロ状況と云うのは、ヘーゲルが言ったところの「法状態」だと思うのね。
ヘーゲルのいう「法状態」というのは、具体的にはローマ帝国時代を指すんで、もちろん時代錯誤なんだが、
ローマ法を英米法に置き換えれば、わりとよくあてはまると思うんですよ。
とすれば、多くのところで歴史はまだ始まっていない、のかもしれないから、
いまから「大きな物語」を目指す、というのもありかな、と半ば冗談で言っておく。
- 58 :
- ちょっとまえに、「中国が読んだ現代思想」って本を読んだんだわ。
そんなかに、中国でデリダやフーコーやドゥルーズが80年代以降
どんな風に受容されたかが書かれていて、興味深かったね。
中国の哲学界にとっても、いちばん気になるのは、やはりまあ
なんというか、ヨーロッパ中心主義の問題らしく、デリダやフーコーが
ヨーロッパの内部にありながら、いかに内部からヨーロッパ中心主義を
脱構築していくか、その方法にもっとも興味をもつらしいね。
こういうような相互交流ってのが、ポストコロニアル的ともいえる。
- 59 :
- こういうのって、やはり多中心的な状況と形容するのが適切なのかなあ。
- 60 :
- 「中国が読んだ現代思想」
こいつは面白そう。明日買うことにした。
- 61 :
- >>60
うん、おすすめだよ〜
- 62 :
- >>55
史学だと、伝統的なアカデミアの公式の歴史(=大きな物語)が決定的に疑わしいモノになったということなのでしょうかね
アナール学派とか
フーコーあたりが頻りにアイデアを掠め獲ってますが
まあ、ポストモダンの標語の下にあらゆるものが没中心的になって来た感はあります
- 63 :
- リオタール、イーグルトン、テルケル派、などなど限らず、バフチンもマルクス主義者でしょう。
ヘーゲルは、中心というのは内に対してはなく、外に対してある、と云うように言っているんですよ。
たとえば、戦時中の日本にしても、内側はどこに中心があるのかわからないような、
よくいう「無責任体制」だったわけでしょう。でも、連合国側からは、天皇を中心にしてのものすごい求心力が働いでいるように見えていた。
いまの没中心化というのも、そういうもんじゃないか、と思う。ところが、俗にいうグローバル化のあげく、エイリアンの視点でももってこないと、
それが観えない、という感じじゃないか。つまり、中心化の完成、が没中心化にみえるのかもしれないということ。
- 64 :
- >>62
へーそうなんだ。フーコーの「考古学」は、アナール学派の
研究成果に負ってるところも多いとな。
しかしまあ、どんだけ没中心的になって、中心が希薄化されても
人間なかなか中心から離れて境界の外側にはいけないもんだと
思うよ。たとえデリダやドゥルーズやフーコーでも。
それも「中国が読んだ現代思想」を読んだ感想。
- 65 :
- なんか文学との関係からだんだん離れてスレが非中心化されちゃうなあ。
自重自重。
- 66 :
- >>63
>戦時中の日本にしても、内側はどこに中心があるのかわからないような
ああそだな
太平洋戦争に向かう経緯でも意思決定機関であるはずの内閣が機能せずに
陸軍や海軍や外務省のそれぞれのてんでばらばらの思惑と勝手な行動を
ばらばらのまま容認し対決を回避してなんとなくすべてを立てて
要所要所で必要だった決断をえんえんと先送りにごまかした結果
勝てるわけがないと当人たちさえはっきり判っていた開戦に至るという
そんな有様だったしね
あれは怖いわ
- 67 :
- >>66
その内実ばらばらのシロモノが「御国」の名のもとに
場当たり的な自己正当化プロパガンダを通して自らを縛りあげ
中心が無いにも関わらず狂信的な中心化を果しているように働くという
- 68 :
- とろい奴らだなw
いくら本を読んだって駄目だw
要するに、ポストモダン的状況にほぼ完全にケリをつけられる人間が出てきて
ないってことなんだよ。
- 69 :
- >>68
ポストモダンは大きな物語の「終焉」じゃなかったか?
なんだよケリって
- 70 :
- ばか
ばっか
- 71 :
- >>70
including you of course
- 72 :
- >>70
Toi y compris
- 73 :
- >>70
Dont le pire c'est toi, salope!
- 74 :
- プラトンが「国家」でいったのは、いわば、哲人による統治というのが良いんだ、ということでしょう。
そして、その「理想」の極端な実現の仕方が、党中央の指導のよって統治される共産主義だったと。
哲人というのは、いまふうにはテクノクラットですわね。
テクノクラットの支配、というのは、「大きな物語」が終わっても、まだ続いている。
部分的には弱くなったかもしれないが、全体的にはしぶとく延命している。
そういう現状を見るに、、
はたして大学教授、つまり文化教育官僚として禄を食んでいるような人たちが、なにか現状を改変出来るか、
というと、おおいに疑問が湧くわけ。俗な話、東大仏文出なんて、キャリア官僚から見れば、たんなる落ちこぼれなのに、
わたしは東大出、だというような変なプライドを捨てられないでいる人が、私の周りに、けっこういるのね。
単調な練習いやになって大学で野球部辞めた人が、しかし甲子園球児のプライドを捨てきれない、みたいなもんです。
草野球のスターで、そういう人いるでしょう。
「外に立つ」とか「境界に立つ」とかいうのは、世間並の価値観を度外視する、というような、
わりと単純な心構えにかかわる問題だと思うんですよ。
フーコーは、昼間は世間並みに教授していても、夜になれば世間並ではなくたったわけでしょう。
デリダは、はじめから世間並はやれなかったわけね。旧植民地出のユダヤ人ですから、
フランスでは、当時はどう頑張っても、生粋のエスタブリッシュメントにはなれなかった。
でも、日本みたいに、普通の人ばっかり、みたいな場合どうでしょう。
知的中産階級出で、世間並に勉強して、「知識人」の仲間入りしたような人が、
努力して得たものを、容易に捨てられないんじゃないでしょうか。
思想というとき、問われるのは、本当はそこだけ、と云って過言ではないと思う。
- 75 :
- 鎌田はすててる
- 76 :
- 樫村晴香は?
- 77 :
- 國分は大正教養主義のリバイバル。小宮豊隆みたいなもん
- 78 :
- 大森正蔵
- 79 :
- >>74や>>75みたいな流れで言えば、浅田彰がずっと昔、「構造と力」か
なんかで推賞したように蓄積的知じゃなくて、瞬間的知が今、
必要なんだということで言えば、「捨てなければならない」のは、
社会的地位じゃなくて、蓄積された知識だと思うんだな。無論、喩えで
言ってるに過ぎないんだがW
大体が、文学板のスノッブ連中ぐらい本を、特に最近の本を
読んでれば、ポストモダンを取り巻く状況にもっと気付きそうな
もんだがW
- 80 :
- 知=社会的地位
- 81 :
- 蓄積された知、むかしの浅田語にすれば、パラノ的、ということで、
瞬間的な知、のほうは、スキゾ的、ということになる。
で、パラノ知を捨てたら、「知識人」は、用済みになるから、まず地位は保てないね。
だから、けっきょく身分も捨てることになるが、大抵はそれを怖がるでしょう。
人情として、仕方ないと思うんですよ。
でも、多少は、空言空語をつらねていることを、気恥ずかしいと感じてほしいというのがある。
厚顔無恥の蔓延が、ポストモダニズム以降、すごくなっているのは、いやだな。
- 82 :
- 厚顔無恥ってのはもちろんこのスレに顔出してる全員のことだろうな
- 83 :
- それは違うんじゃない?
仕事でやってないでしょう。少なくとも私は「職業知識人」ではないから、
この点では、自分を恥知らずとは思わない。ほかのことでは、だいぶ恥知らずなこともしたことありますが。
- 84 :
- 鎌田は商売として批評は書いてないね。
「重力の前提」で、他の仕事で生活費を稼ぎながら、その余った時間で
批評をやるんだ、と書いている。一時期であれ批評家で食っていけるなんて
幻想が業界にあったことじたいおかしいんだ、みたいな。宣長なんかを例に
だしながら。
- 85 :
- ポストモダンは、まったく「読めない」文芸評論家を多数、生産したw
松浦寿輝、石原千秋、川崎賢子夫妻、田中和生、柴田元幸、 沼野充義、
安藤礼ニなどなどw
彼等は評論家では毛頭なく、カッコだけ整えたスノッブというのに過ぎんw
- 86 :
- >>(鎌田曰く)一時期であれ批評家で食っていけるなんて
幻想が業界にあったことじたいおかしいんだ、みたいな。宣長なんかを例に
だしながら。
ここが鎌田の矮小さだなw
自分の才能の無さだけを見つめながらやw
- 87 :
- ひさしぶりに平野スレに続けて書き込んでみて、
その住人の知的水準の低さに呆れた。
なんだかんだいっても、デリダ・ドゥルーズのスレは、やっぱり住人が知的なんですよね。
ということで、現代思想系知識人の悪口言い過ぎたことを、すこし反省した。
- 88 :
- >>87
ほんとうかい?くちだけ男くん。
- 89 :
- こんばんは。
おじゃまします。
デリダとドゥルーズの未邦訳は、
まだまだ、残っているんですかね?
教えていただきたいので、よろしく、
お願いします。
- 90 :
- >>89
残念ながら、デリダは割とあるねえ。
部分的に雑誌掲載されたものはあるけど
72年の散種、74年のグラ=弔鐘、80年の絵葉書(後半)など
- 91 :
- ドゥルーズのほうはすべて邦訳されてたはず。主要著作は文庫で読める。
- 92 :
- アマゾンを見ていたらデリダの「絵画における真実」みたいな本がありますが
これは絵画関連のエッセイを集めて編集したものでしょうか?
ざっと著作目録をみてものってないようですが・・・
- 93 :
- >>92
“La Verite en peinture”でしょ(アクサンなし)
それはデリダによる、美学を論じた著作の中では代表作の一つだよ。
カントが『判断力批判』の中で用いていた“パレルゴン”なる概念を持ち出してきて、
芸術作品の本質を語る、という。軽い絵画に関するエッセー集ではない。
難解なジャルゴンが多数登場する意味不明な著作の一つw
- 94 :
- そうですか、では眠り薬代わりに購入してみよう。
しかしジャルゴンはないでしょうw
エニハウありがとう。
- 95 :
- ソンタグはいう。
「どんな戦争地帯にも一度も近づいたことがなく、戦闘に与したり、爆撃のもとで生活したりするとは
どんなことかこれっぽっちの考えもない。それが見え見えのアメリカやヨーロッパの知識人たちが
尊大にもあの戦争(ベトナム戦争)について語るのを目にして、怒りを禁じ得ませんでした。」
これに内田樹が噛みついた。
「安定した知識人としての生活を棄てて、戦時下のベトナムに行くことが「真剣な」知識人としての
知的・倫理的威信を高めると信じているソンタグの信憑の形態は、安定した平時体制を棄てて、
内戦のベトナムに軍事介入することが「真剣な」国家としての政治的・倫理的威信を高めると信じている
アメリカ政府信憑の形態と同型的である。」(ためらいの倫理学)
- 96 :
- 内田にしろ、山崎、中沢、大澤にしろ、独自のフィールドワークなしに
打開は有り得ないw
山崎正和の最近の著作みたいなことなら、西欧の古典学者は一桁以上、
本を読んでるから太刀打ちできないw
- 97 :
- >>92
『絵画における真理』は全部で5篇の絵画をめぐる論考集成で、
序論的な位置に「パス=パルトゥー」という短いテクストがあって、
上巻に「パレルゴン」「+R」、下巻に「カルトゥーシュ」「返却」を収載。
「返却」はゴッホの農夫の靴をめぐる読解で、
ハイデガーの『芸術作品の根源』を読んでおくと結構楽しんで読める。
「パレルゴン」はカントのほか、ヘーゲル、ハイデガーもよく出てくる。
ティテュス=カルメルを扱った「カルトゥーシュ」、
それからヴァレリオ・アダミを扱った「+R」は、
個人的にはちょっと印象が薄い論考だったなあ。
- 98 :
- 蛮勇が流行りなら、内田の説もいいと思うけれど、
現状は全くそうではなく、卑怯未練を小理屈こねて正当化したがるほうが圧倒的に多いんで、
ソンタグのほうを取りたい。
たとえば、イスラーム圏の一部などでは、蛮勇が流行っているのかもしれないから、
そういうところ向けには内田説でもいいかもしれない。
- 99 :
- >>93
パレルゴンとジャルゴンを掛けたとか?w
>>95
内田のほうが弱いなあw
- 100read 1read
- 1read 100read
TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼 ▲
【【【【選考委員から外したい作家達】】】】 (311)
エンタメ小説家・村上春樹は複雑な話が書けないよな2 (103)
死後、急激に読まれなくなった作家2 (151)
【ウェルテル】ゲーテ part2【ファウスト】 (162)
受賞に納得できなかった芥川賞受賞作 (475)
笙野頼子スレ part○○ (277)
--log9.info------------------
ハウスってなんでハウスっていうの? (167)
クラブVIP遊びの方をVIPが教えてくれるスレ (169)
【完璧】ゴルゴ13がDJだったら…【美学】 (158)
@@@@@@@DJ TSUYOSHI@@@@@@@@@ (886)
TOMOさんを応援しよう! (201)
!!!!!!!!!!クラブ GRASS ROOTS!!!!!!!!!!!! (779)
【福岡】サム&デイブ2【乞食】について語れ! (476)
福岡のハウス1DJって誰よ?VOL3 (917)
客呼べないDJ・・・ダメ (315)
【千葉】STAGE2改めSTAR NITE【どうよ??】 (221)
【タカリ】乞食女 その傾向と対策【1人目】 (244)
☆パラパラオールスターズを語ろうぜ!☆ (700)
【大阪】studio candy【東心斎橋】 (468)
【関西の王】DJ KIHIRA を称えるスレ【いぶし銀】 (473)
【福岡】O/D復活【1店舗目】 (277)
■外人ナンパ?■六本木の外人バー■外専女集結?■ (134)
--log55.com------------------
薬師丸ひろ子 12
エイリアン コヴェナント ALIEN:COVENANT【16】
ワンダーウーマン WONDER WOMAN 8
女神の見えざる手〜Article1
実写 『亜人』 佐藤健 Pt.9
【シルバー仮面】BRAVE STORM ブレイブストーム【レッドバロン】
ぼくは明日、昨日のきみとデートする〜私の7日目
実写 『亜人』 佐藤健 Pt.10
-