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2012年4月日本史363: 【豊臣政権】本能寺以降の織田家【近世大名】 (556)
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【豊臣政権】本能寺以降の織田家【近世大名】
- 1 :11/01/02 〜 最終レス :12/01/29
- 信長以降の織田家の実質的地位と形式的地位や織田家の面々(女も含む)の動き
豊臣政権や徳川政権下でどのように落ちぶれていったか語りませんか
ひとつの疑問があります
関ヶ原以後、織田家はなぜか秀頼側に肩入れしていきます
世の中の流れ的には徳川側についたほうが有利であるにも関わらずです
豊臣秀頼は織田家の血をひいてますがそれを言うなら
徳川家光も織田家の血をひいています
秀頼側なら主導権を握れるのは確かですが
沈没船の船長になってどうするのでしょう
この話題でなくても構いません。信雄のアホ過ぎる処世術でもいいですし
生き残った織田信勝の血統や他大名に受け継がれた織田の血筋でもいいですし
語りませんか?
- 2 :
- 秀信は物心ついた時には豊臣の天下で領地や官位を与えられてるからな。
- 3 :
- 秀吉がいなきゃ織田宗家の家督を信孝に奪われただろうし
そうなってたら生かしてもらえていたかも分からん
一方、秀吉の天下取りで織田家の地位は低下したもののそれは物心つく前の話だし
秀吉の地位、勢力(関白太政大臣、日本全国)は信長の生前のそれ(右大臣、中国東部〜北関東)をとっくに超えてる
しかも岐阜15万石を与えられ中納言にもしてもらってるしね
- 4 :
- 今から見ると、織田家の連中は
豊臣に乗っ取られてどう思ってたんだろう?って思うが、
実際には織田信長自身、斯波家と織田宗家を乗っ取って成り上がったのだからね。
案外、生かされてるだけラッキーって思ってたかもしれん。
- 5 :
- 織田家は、能力主義で登用してきた分、織田家の血統自体のカリスマ性が充分に出せなかったよね。
信長の子(特に庶子)と家来の格式を区別するしくみが無かったというか。
自分が信勝との関係で苦労したから、嫡庶の区別を明確にしたかったのかも知れないけど、六男以降の扱いがひどい。
それが、秀吉の織田家軽視を容認する遠因になってる気がする。
- 6 :
- 六男以降の扱いったって、元服は本能寺の後だし
- 7 :
- 後世の人間が信長〜信忠〜秀信と一連の流れでみると、
秀吉め!と思うかもだけど、秀信からすれば
信長に媚びてる秀吉を知らない上に、功績も無いのに官位と所領をくれたんだから
感謝しまくりだろ。
だから叔父の信雄なら信孝はサルごときがと思って対立してるよね。
だから晩年の信雄の心境を知りたいと思う。
- 8 :
- >>7
さすがに老境の達すれば、自分が愚物だと自覚するに至ったんじゃないかと>信雄
- 9 :
- 秀信と信雄の関係はどんな感じだったんだろうか
信雄は信孝は嫌いだけど信忠の息子なら全然おkって感じだったんだろうか
- 10 :
- 本能寺で信忠を置いて逃げた有楽斎みたいな?
仕えるけど一緒に死ぬ気はねーよ、て感じで
- 11 :
- 大河の宣伝をみてふと思ったんだが、
浅井の次女の初って京極に嫁いだんだよな。
浅井と京極ってかなり因縁のある間柄だと思うんだけど、その辺を勘案してのことだったのかな?
それと、浅井の三姉妹って秀吉にとってどれほどのカードだったんだろうか?
京極は確かに名門ではあるけど、織豊政権下で目立った大名ではなかった。
三女の江も、徳川秀忠に嫁ぐ前は小大名に嫁いでいる。
信長の直系というわけでもないし、どうなんだろう。
- 12 :
- 「偉大な当主の幼い孫を二人の叔父が補佐する」というのは、毛利のマネだよね。
秀吉には簒奪の意図などまるで無かったということだ。
少なくとも当時の人間はそう信じたはずだ。
ところが徳川史観に毒されると・・・w
資料を正確に読み事情を公平に判断するにはそれなりの歴史的手法が必要だ。
日記に資料的価値がないという伝統を持つ我が国日本でどうやってそういう手法を開発していくか。
日記?
ブログとか称して他人に読んでもらうための日記を書く伝統の話だよ。
「おとこもすなるにきというものをおんなもしてみんとてするなり」だっけ?
ネカマの伝統も相当古そうだw
- 13 :
- 秀信の子孫について詳しい人いたら教えて下さい
- 14 :
- 紀州で子孫残して苗字変えたらしいが本当に子孫かは分からない
- 15 :
- >>12
毛利は輝元が主で両川が従の形が保てたけど、
織田は秀信が従で秀吉が主になっちゃったからな。
- 16 :
- >>10
信忠は逃げようと思えば逃げられた、
でも、もし捕まったら、市中引き回しの上、公開処刑され、
首を河原にさらされるーってことで自害して火をかけたんじゃなかったか。
ちなみに信長も逃げようと思えば不可能じゃなかった(実際逃げた人がいる)
でも、もし捕まれば天下の信長がさらし首、ってことで自害を選んだらしい。
有楽斎なんか捕まえられてもどうってことない雑魚だからね。
そういう人は捕まえられるリスクを冒しても逃げるってこと。
- 17 :
- >>11
茶々が秀吉の側室になる前の三姉妹は
それほど重要なパイではなかったんじゃないか。
江の最初の夫は市の姉犬の子で従兄、
初の嫁ぎ先も父の姉の子で従兄。
いずれも父母の兄弟の子で親戚筋に嫁いでいる。
ただし、茶々が豊臣家世継ぎの母となってからは
明らかに意味合いが違う。
江の2度目以降の結婚、秀吉の甥や徳川との縁組は、
明らかに豊臣世子の叔母であることからの政治的な結婚。
茶々が秀吉の男子を産んだことで、
江は急遽重要なパイになった。
- 18 :
- 大坂の陣前夜は、織田信雄、織田信包、織田長益が城にいた
- 19 :
- 我等木造一族
- 20 :
- スレ違いですけど。。
本能寺の変が無かったら、どうなってたでしょう?
信長も後20年くらいだと思いますから、
信忠は結構、優秀だったと思いますけど
カリスマ性は無いですよね〜
まだまだ戦国時代だったですかね〜?
- 21 :
- こづくりとな
・・エロい えへへ
- 22 :
- >>20
毛利瀕死寸前、北条従属予定だったんだから普通に天下統一しただろ
信忠頂点なら信雄、信孝の対立もそこまで酷くはならなかっただろうし
豊臣と違って織田一門沢山居て跡取りの問題も無いし
家康も基本義理堅いから恩ある織田から天下奪うようなことはしないだろうし
- 23 :
- >>18
ある意味謎だよな
なんか、大坂の陣の総大将に織田方がなるって噂もあったらしいし
- 24 :
- 織田も大坂の陣以降は、外戚として徳川に
接近している。
1620年に徳川秀忠次男が、忠長として元服するが。もちろん由来は秀忠と織田信長。
(浅井長政説もあるが )
これには、御台所の意向が強かったとされている。
23年には信良( 信雄の四男)の娘が忠長忠長と結婚。
晴れて徳川将軍家の外戚となった織田家は国主格従四位上左少将と言う、石高からしたら
破格の待遇を受けることとなる。
んで、家光忠長後継者争いではもちろん忠長側に
名を連ねていたらしい。
その後、家光が織田家をどう扱ったのかはわからない。
知っている人います?
- 25 :
- 織田長益はさっさと豊臣秀吉に臣従しましたが。
伊勢国津15万石を領有していた織田信包は、北條氏政の助命を嘆願したため秀吉の怒りを買い、除封改易となり、のち許され、近江国浅井郡内2万石、さらに丹波国柏原3万6千石の微禄を食む小大名に転落していた。
あげく大坂の陣開戦前に、吐血して、頓死。大野治長に青酸カリを盛られた可能性が高い
- 26 :
- 徳川の城で織田の殿様が前田の殿様に刺される
それを見ていたのは木下の殿様
- 27 :
- >>12
> 日記に資料的価値がないという伝統を持つ我が国日本で
マジで言ってんの?
- 28 :
- >>26
前田利昌が織田秀親を刺したのは「徳川の城」ではなく、寛永寺の境内ではないか
- 29 :
- >>1
織田家の末裔たちが豊臣家周辺にいたのは
淀殿が天下人の側室として織田家の伯父、叔父たちを周辺において
積極的に取り立てたからという実態がある。
徳川家では長らく家康が実権を持ちすぎて
秀忠&江夫妻が徳川家の主導権を握れなかった。
江は姉の淀ほど伯父、叔父たちを厚遇していない。
それが江の性格によるものか(おとなしかったとされる)、
はたまた家康に意見できなかったものなのかはよくわからない。
- 30 :
- 豊臣政権下での織田家(秀信をはじめ信雄信包ら大名クラス)に対して、
同僚大名はどんな感じで接していたのかなぁ。結構気を使ってたのかね。
- 31 :
- 信包さんは空気のような人だから、いてもみんな気が付かない
- 32 :
- 秀吉が織田秀信をオマエ呼ばわりした時期はいつなんだろ。
ある日、突然、「今日から俺が主君、オマエは臣下ね」みたいな感じ?
福島とか加藤みたいなヒゲ面の荒武者が、荒々しく秀信の肩をひっつかんで
下座に引きずりおろし、秀吉に土下座させたりとか・・・
しかし、ある日いきなり、今まで「三法師さま、三法師さま」と言ってた猿顔の爺から
「秀信、ひざまづけ。ワシが主君じゃ」なんて言われたのかな。
で、荒武者に腕をわしづかみにされて、下段の間にねじふせられる秀信哀れ。
そのときの秀信の心境やいかに?
- 33 :
- 織田も将軍家ゴミ扱いしてるからあんまり考えてないんじゃない?
秀吉の西日本統一はあまりに迅速だし、関白となったからには身分的には主家より上だし
石高的にも主家より上。織田家を根絶やしにしてないのは将軍家に対する措置と同じだし
- 34 :
- 豊臣秀頼は天下人から転落後も、豊臣家の旧臣たちから大切にされ、
家康に仕えるようになった旧臣たちですら、「秀頼公に変な真似をしたら承知しないぞ」
みたいな感じはあったね。
しかし、織田秀信や織田信雄にはそんな気配は感じられない。
一時期、秀吉や家康にかつがれたことはあったが、織田家の旧臣から格別の扱いはされなかったのではないか?
それは信長と秀吉の人柄や人材登用のあり方と関係があるのではと思う。
その人柄が愛された秀吉と違って、まるで外資系金融のようなドライさで
家臣を登用した信長には、在世中はみんな競って忠節を尽くし、報酬を得た。
だが、没落し利用価値のなくなった織田家には、旧臣たちはさしたる感傷はなかったのだろう。
松下電器と外資の企業風土の違いと同じだと思う。
- 35 :
- >>34
嫡子と庶子の差が最大だと思う。
豊臣秀頼は秀吉が指名した豊臣家の正統な後継者。
豊臣家の大事な嫡子であり、7歳にして従二位中納言で順調に位も進み、
迂闊な扱いができなかった。
それに対して、織田家では信長とその嫡子信忠は本能寺の変で死んでしまい、
正統な後継者が絶えた。
残ったのはもともと織田家の家督を継ぐはずのない庶子ばかり。
庶子は信長や信忠に家臣として仕えるのが筋で、
それをいえば織田家の重臣たちと同格、かわりない。
秀信(信忠の庶長子で、本来ならば寺に入れられ出家か?)
信雄(本来なら勝家や秀吉のような織田信忠に仕える織田家家臣だろう)
らは信長の生前、本来ならば織田家の家督を継ぐはずもない家来筋であり、
重んじられなかったのも仕方がないと思う。
- 36 :
- >>34
でも秀信は官位は高かったからな。9歳で従四位下侍従で最終的には中納言まで昇ったし。
13万石の大名にしては官位だけは五大老並みだし、秀吉も特殊な諸侯として秀信を扱っていた感じがする。
旧主家の当主だからだけでなく織田家の旧臣からの目、世間の目もあるから気を使ってたんじゃないかな。
とはいえ秀信以外の織田家一門に対しては信孝を死に追いやったり、信雄信包を所領没収や減封したりとえげつない事やってるけど。
- 37 :
- >>35
秀信は庶長子なんか?
- 38 :
- >>35
本能寺の時点ではすでに信忠が当主
- 39 :
- 本能寺以降の織田家は一家離散状態だな
- 40 :
- 秀吉からみると三法師を残しておかないとそれこそ
謀反人悪逆人と言われても仕方ない状況になる。
絶頂期だから正面きってはいえないがやっぱり
史実状態でもそうやって思ってたはず。
400年たって簒奪の意思はなかったとか
そんな風にはなってるけどどうみても
えげつない。
信孝して信雄残すのもイヤらしいどころで
はなっからバカにして問題にはしてなかったのだろうし。
直接証拠を残さなかった秀吉と
本人が手を下しても天下静謐のためと言い切ってしまえる家康
どっちもその時点ではベストな選択ではあったに違いない。
- 41 :
- >>35
ちょっと待て。
信雄は庶子ではないだろう。嫡子である信忠と同じ母から生まれてるんだから。
本当は彼は次男ではなく三男なのに、前後して生まれた信孝が庶腹だったから
信雄の方が兄になったとも言われている。
信忠亡き後の織田も、信雄がボンクラでさえなければあっさり信雄が継いで家督争いにはならない。
(いくら三法師という嫡孫がいると言ってもあの時代に赤子を当主にするなんて選択はあり得ない。秀吉のような確信犯でなければ)
そうでなかったから重臣達は嫡腹ではない信孝を推さざるを得ず、それが秀吉に付け入る隙を与える事になった。
- 42 :
- >>41
信忠の母は生駒ではないという説が有力。
たとえ信忠が生駒腹であったところで、
生駒は信長の側室であって正室ではない。
信忠は信長の嫡子として扱われるにあたって、
信長の正室濃姫の正式な養子になっている。
信雄は嫡母濃姫の養子にはなっていないのだから、
信忠との差は決定的で、どう解釈しても庶子だろう。
- 43 :
- >>37
当主が正室を迎え、その正室認知のもとで迎えた第二夫人以下が側室であり、
もしくは正室認知のもとで側室から生まれて初めて当主の子として認められた。
当主が正室を迎える前に侍女などに手をつけて生まれてしまった子が
庶長子ということになる。
足利尊氏の子直冬や、織田信長の兄信広などがこれに当たり、
酷い時には父子名乗りが許されない場合もあった。
信忠は正室がおらず(信玄の娘とは婚約だけ)、よって側室もいなかった。
三法師の母はこっそり手をつけた侍女か何かだと言われる。
三法師は清州会議までその動向が全く記されず、母も不明の信忠の庶長子。
信忠が三法師を織田家の家督相続者の長男として大事にしていたのならば、
明智光秀が何を差し置いてもまず害するであろうが、
光秀は信長と信忠を害すれば天下が取れると思い、三法師探索を命じていない。
三法師は清州会議で秀吉が連れてきて誰もが驚いたというくらいに
織田家内でも知られていなかった男子だった。
安土城にいたとか、信忠とともに二条御所にいたとかいうのも後の創作であり、
どうやら三法師は信忠から確実な認知も受けずに城内にいることが許されず、
城外で養育されていたらしいともいわれている。
- 44 :
- >どうやら三法師は信忠から確実な認知も受けずに城内にいることが許されず、
>城外で養育されていたらしいともいわれている。
それも史料で明記されていない以上、後世の史家の単なる推量であって、確実とは言えないよなあ。
本当のことは、永遠に謎のままだろう。
- 45 :
- >>44
三法師が正式な信忠の嫡子であるならば、
わざわざ清州会議などしなくても三法師が家督相続者だろう。
せいぜい、三法師の後ろ盾を誰にするかくらいを
決める会議だったはず。
三法師のことなど退けて信雄や信孝のほうが
信忠の後継者としてふさわしいと言っている辺りが
やはり三法師の出自を物語っている。
- 46 :
- 北畠信雄→バカ
神戸信孝→身分低
羽柴秀勝→家臣養子
有楽町→論外
- 47 :
- 柴田勝家がお市の方を娶ったということは、
信長の義弟として後継者になる野心があったのかな?
- 48 :
- >>46
信包の事も思い出してあげてくれ。馬揃えじゃ信雄と信孝の間にいたんだぞ。
この人、何でこんなに大人しいんだろ?清洲会議で何かしゃべったかな?
- 49 :
- 織田信包は清州会議の時に40歳。
織田信忠の次代を決めるのには年を取り過ぎていたのかもしれない。
信長存命中には信長ー信忠ー信雄に次ぐ地位にあり、
信長の母土田御前を保護していることからも信長と同腹であった可能性が高いが。
逆に、信包が織田家の家督を狙うような性格の激しい弟であったならば
間違いなく信長にされていたはず。
自分を押しして信長の息子たちを厚遇するような性格だったからこそ
信長に可愛がられた可能性も。
- 50 :
- 信包40歳だったら秀吉勝家長秀より若いけど、当時の織田家一門のなかでは一番長老ぽいね。
それなりに所領持ってて発言力ありそうな地位にあったのに、清洲会議では全く存在感ないね…。
- 51 :
- >>45
そこなんだが三法師が庶子と言う時点での扱いがよくわからない。
信雄、信孝も庶子とするなら実際のところ孫とどっちもどっちで
年齢差の分、跡継ぎとしては不満ということか。
それとも家督継承者としての信忠の庶子ということで少しは
その価値が上ということか。
どちらにしろ兄弟2人の跡目争いならば各家臣は難儀だろうが
三法師の扱いについてナンクセつけたあたりもよくわからないんだな。
叔父2人の自由で家臣がとやかくいう問題でもないだろうし。
信雄がそんな頭働くとも思えないし
不明解な問題だから秀吉の出る幕もあったということか。
- 52 :
- >>47
柴田さんは基本織田家命の忠臣だから
- 53 :
- 信雄、信孝は北畠と神戸継いで実質織田家からは離れてたのが大きい
- 54 :
- >>51
同じ庶子でも信雄、信孝は織田家で知らぬものはない城持ち大名。
一方、三法師は織田家内でもほとんど知られていない幼子だったという違いはあるかな。
三法師も10代半ばぐらいになって城持ちになっていれば話は違うだろうが。
というか、その頃には父の信忠は正室や側室を持っていただろうし、
三法師が寺に入れられることなく城を持てたかは微妙なところ。
- 55 :
- 浅井長政が離反しなきゃなーと思うのは俺だけか?
長政なら信長亡き後、秀吉、家康に睨みを利かすこともできるし
まあその前に信忠が本能寺で生き延びてたら織田の行く末も違ったのに
- 56 :
- >>54
だわなぁ。
信孝死後に一瞬信雄が三法師手中にして
そこで織田家をまとめればいいとは思うのだが
すでにその時点では家臣は織田家再建というふいんきではなかったか。
なので織田家がいかに信長のカリスマ性によって支えられてたかとすると
信忠が生きてても意外とどうだったかというのもある。
ほんで織田家の兄弟の跡目争いと言うよりはかなり初期から
家臣団というか秀吉ー柴田の主導権争いというところが
あったような感じだなあ。
柴田は織田再興という立場だったろうが秀吉はなんか
いやらしい。
小牧の前に信雄が秀吉を家臣の分際で恩を忘れたかこの猿め
とかは言えなかったのかね。
言ったら逆にやられてたかもしれんが大義名分はあったようだがなあ。
- 57 :
- >>55
おまえ戦国BASARAのやり過ぎだろ
- 58 :
- >>57
やったことないぞw
長政が後見人で秀信を補佐すりゃ
秀吉も織田家の乗っ取りは難しいし
家康も迂闊に戦いを仕掛けるわけにもいかない
- 59 :
- 浅井よりも、織田家の皆さん多数囲ってた蒲生の婿殿は…
何考えてたんだろ
清洲会議の頃もその後も
- 60 :
- >>59
婿殿はこれからの武将で本能寺の時はまだ小者でしょ
本能寺の時はオヤジと共に信長の妻子を保護したが
ただ晩年の織田家に対する思いは気になるね
秀信が豊臣家にいたわけだから
- 61 :
- 婿って言っても元々六角家臣だから
下手なことして一緒に織田と滅びるより
蒲生家の方が大事だったんだろうよ
- 62 :
- 長い間信長の側近だった堀秀政は信長死後の織田家の衰退を嘆いていたらしいね。
時勢の流れで秀吉に付いたとはいえ、思うところはあったんだな。蒲生も同じだろう。
- 63 :
- 信長と信忠及びその官僚団が一瞬にして潰滅したから織田政権維持は100%無理だろ。
結果的に秀吉に乗っ取られたとはいえ、あの時秀吉が迅速に大返しして光秀討ってなかったら、
畿内にいた織田家の残りの人間もことごとく光秀に討滅されてたかもしれないし、
その後の織田家の家名存続もなかったかもしれん。
- 64 :
- 三法師こと織田秀信家は豊臣政権で清華家扱いで五大老並み
関ヶ原で西軍方、他にも西軍方の織田家の人間は居るし
大坂の陣でも豊臣方に付いた人間が結構居る
豊臣政権って織田家の人間には居心地良かったのかねえ?
- 65 :
- 存外、扱いは丁寧だったのかもね。
実権だけ与えられなかっただけでさ。
- 66 :
- 秀吉に大人しく従えば、官位も高位につけてやって優遇してたんだろうね。
信雄信包も秀吉の意に沿わぬ事して一時は所領没収されたけど、
大人しくしてたら小大名ながら復帰させてくれたし。
- 67 :
- それは、徳川政権下での豊臣も同じだったと思う。
素直に家康に臣従していれば、優遇されたろう(石高は知らんが)。
少なくとも家康・秀忠の代での取りつぶしはなかったと言える。
- 68 :
- >>64
秀信は東軍方で参戦するはずだった
重臣の百々綱家らは家康に与する方が得策って考えてた
本人はどういう考えをしてたかは知らないけど
ただ会津征伐に行く軍装に手間取り最終的に西軍方に
- 69 :
- >>68
うん
でも西軍方からの調略とも言えないような感じの誘いに乗ってるし
当人的にどう考えたのか興味深い
- 70 :
- >>62
「織田家の久太郎」っていう糞スレが昔あったな
- 71 :
- >>69
美濃、尾張を与えるだったけ?
- 72 :
- もし織田秀信が東軍についていたら、本領安堵・加増されて、100万石規模の大名として存続したということだよね。
しかも、信長の嫡孫、高い官位というブランドもある。
秀信は江戸幕府において、どんな存在になっていったのだろうか?
加賀の前田クラスの領地+高家クラスの家格の高さ、といった別格の家柄になったのだろうか?
- 73 :
- >>72
豊臣同様に場所が悪過ぎる……
立ち退かないと滅ぼされる可能性が
立ち退けば多分生き残れるけど
- 74 :
- >>72
秀信は秀吉の養子だからそう上手くいかんだろう。
それに秀信は養父秀吉が死んだときに岐阜13万石の城主だったのに
なぜ家康が100万石にしてやらねばならんのだ?
家康は織田家を継いだ織田信雄も生涯京に軟禁して
任地へ赴かせないほどに神経質な男。
豊臣は滅多叩きに滅ぼしたがその前政権である
織田家もまた酷く警戒した。
信雄ばりに京か江戸で秀信の身柄を軟禁した上で
小大名としての存続ならあったかもしれんが。
- 75 :
- 家康は秀吉よりも織田家に対する思い入れは少ないだろうからね。
姉川の活躍や信康自害の理由が捏造にしても、
武田戦で有効な援軍を長篠まで寄越さなかったり、長久手で足を引っ張られたり…
関ヶ原で東軍についたとしても、20〜30万石で旧織田勢力圏から離れた場所でしょ。
奥州とか四国とか
- 76 :
- >>74
織田信雄って最後の所領は大和の宇陀だよね。
大和とはいえ結構僻地だと思うけど、京に軟禁されるほど警戒されてたの?
いくら信長の血統とはいえ愚人という事は諸大名も周知だろうしw
- 77 :
- >>72、>>73、>>74、
喜連川や高家の様な扱いになる可能性はどうだろうか?
- 78 :
- >>77
東軍に参加してたら、って話してるんだが。
戦勝側についたのに、何で万石以下まで領土削減されなくちゃならんのだ
- 79 :
- 僻地に10万石以上で押し込み
本人は江戸か京に軟禁かな?
- 80 :
- >>78
よくある話で、何かと因縁つけられて減封とか。
- 81 :
- 結城松平のように分割解体される予感
- 82 :
- >>76
昔立ってたスレで信雄が大坂冬の陣の豊臣方総司令官打診されてたって聞いたな。
- 83 :
- 秀信が東軍方に付いてたら西軍に付いときゃ良かったと思う運命が待ってたかもな
- 84 :
- 秀信が東軍についたら、しばらくはその戦功によって領地を保つことはできただろうね。
でも、岐阜のような要衝から僻地へ転封されたかも知れない。
そして、何か理由をつけられて改易、2万石くらいの捨て扶持をもらって家は存続、
でも、家格の高さから高家待遇というような展開かな。
そうなると、「こんな貧乏くじを引くんなら、西軍についておけばよかった」って
思うかもね。
- 85 :
- 秀信には斎藤道三と蒲生氏郷の息子が家臣いたから
なんか改易は勿体ないんだよね
- 86 :
- >>84
2万石あったら大名だろ。
「高家待遇」はありえない。
- 87 :
- >>84
30万石ぐらいが妥当じゃない?
- 88 :
- >>87
家康は東軍で戦功をあげた大名でもそれほどの加増はさせてないよ。
そもそも、家康は関ヶ原の恩賞を豊臣家の家禄を削ることで捻出している。
関ヶ原の一番の軍功はまず家康にあると家康自身がいい、
250万石ほどだった徳川家の石高を400万石に引き上げた。
だから、とにかく徳川家の家禄をあげることが第一で、
他の大名の取り分なんて雀の涙。
しかも、豊臣恩顧の大名が大坂夏の陣の後軒並み改易させているから
当然秀吉の養子だった秀信も改易されてたと思う。
- 89 :
- 小早川秀秋ルートで改易やね
- 90 :
- 一応信長の嫡孫だし、かと言って勢力的には脅威になる事もないだろうから、意味不明な難癖で
改易される事も無いと思うけどね。
跡継ぎもいて無嗣断絶も無いから、何らかの落ち度が無い限りは生き残ったんじゃないかと思う。
- 91 :
-
- 92 :
- 織田秀信が仮に東軍についていた暁には、大和國南都郡山もしくは伊勢國安濃津に20万石格にて転封された可能性大
大坂の陣後、筑後32万石
- 93 :
- 私が家康ならば、織田秀信は甲斐か信濃高島に転封します。
祖父総見院による甲斐国人弾圧、諏訪大社焼き打ちを忘れない土豪による一揆が再発し、秀信は佐々陸奥守成政と同じ運命を辿ることでしょう。
- 94 :
- >>92
それで幕末に西国雄藩化したらバロス
- 95 :
- >>94
織田は、徳川に対する恨みはないからね。
毛利や島津とは違う。
前田も黒田も細川も、「雄藩」にはならなかった。
- 96 :
- 山内土佐と鍋島佐賀は雄藩ではなかったのかね。
- 97 :
- まあでも家康さん義理堅いから東軍に付けば潰したりはしないだろうね
でも旧織田家臣とかに担ぎだされたらウザいから大封はやらんだろうな
5万石加増で18万石ぐらいで僻地に飛ばされるも
権現様と盟友だった信長の直系子孫として将軍家と婚姻結んで家格は高く扱われる感じだろうか
- 98 :
- おそらく2〇万石程度で出羽高畠、あるいは陸奥棚倉あたりに封じられよう。
ただ家格だけは家督相続時に従四位下侍従、壮年で少将、極官は従四位上中将
- 99 :
- 織田有楽斎などは信長の弟ながら徳川家康の東軍について
西軍の武将の首2つを挙げるという大変な戦功をあげながら
徳川家康から3万2000石の大名にしか取り立てられてないんだよな。
家康は織田家の直臣ではなかったことから
織田家を主家として立てる気などさらさらなく、
織田家の出身者だからといって特別な取り立てなど一切していない。
織田秀信を家康がそこまで評価していたとは思えず、過大評価。
秀信が東軍につき、更に西軍敵将の首を上げるなどの大変な戦功をあげた場合のみ
いくばくかの加領(3〜5万石ぐらい?)
東軍についただけで敵将の首がなければ現状通り、
東軍か西軍かわからず傍観で領地召し上げだろう。
織田信雄は兵を出さずに傍観していたら家康に関ヶ原後
領地を召しあげられている。
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