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2012年4月世界史129: オスマン朝・オスマン帝国(04) (917)
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オスマン朝・オスマン帝国(04)
- 1 :10/12/30 〜 最終レス :12/04/06
- ■オスマン・トルコの歴史■
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/whis/1293690693/ ←仮板
オスマン朝・オスマン帝国(03)
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1234609506/
オスマン朝・オスマン帝国(02)
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1160847288/
オスマン朝
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1008047030/
- 2 :
- >>1よ、ありがとう!!
オスマン史を知るのに良い文献を紹介しよう。
・永田雄三編『西アジア史U―イラン・トルコ』(新版世界各国史9) 山川出版社、2002年
・佐藤次高編『西アジア史T―アラブ』(新版世界各国史8) 山川出版社、2002年
・柴宜弘編『バルカン史』(新版世界各国史18) 山川出版社、1998年
・鈴木董『オスマン帝国―イスラム世界の「柔らかい専制」』 講談社、1992年
・鈴木董『オスマン帝国の解体―文化世界と国民国家』 筑摩書房、2000年
・鈴木董『オスマン帝国の権力とエリート』 東京大学出版会、1993年
・鈴木董『オスマン帝国とイスラム世界』 東京大学出版会、1997年
・鈴木董『イスラムの家からバベルの塔へ―オスマン帝国における諸民族の統合と共存』 リブロポート、1993年
・新井政美『トルコ近現代史―イスラム国家から国民国家へ』 みすず書房、2001年
・新井政美『オスマンvs.ヨーロッパ』(講談社選書メチエ) 講談社、2002年
・新井政美『オスマン帝国はなぜ崩壊したのか』 青土社、2009年
・永田雄三・羽田正『成熟のイスラーム社会』(世界の歴史15) 中央公論社、1998年
・永田雄三・加藤博『西アジア』(地域からの世界史8) 朝日新聞社、1993年
・林佳世子『オスマン帝国の時代』(世界史リブレット19) 山川出版社、1997年
・林佳世子『オスマン帝国500年の平和』(興亡の世界史10) 講談社、2008年
・『イスラーム・環インド洋世界 16-18世紀』(岩波講座世界歴史14) 岩波書店、2000年
・『イスラーム世界とアフリカ 18世紀末―20世紀初』(岩波講座世界歴史21) 岩波書店、1998年
・歴史学研究会編『世界史史料2 南アジア・イスラーム世界・アフリカ : 18世紀まで』 岩波書店、2009年
・歴史学研究会編『世界史史料8 帝国主義と各地の抵抗T』 岩波書店、2009年
- 3 :
- >>2
続き
・大塚和夫他編『岩波イスラーム辞典』 岩波書店、2002年
・日本イスラム協会編『新イスラム事典』 平凡社、2002年
・伊東孝之他監修『新訂増補 東欧を知る事典』 平凡社、2001年
・三浦徹・東長靖・黒木英充編
『イスラーム研究ハンドブック』(講座イスラーム世界別巻) 栄光教育文化研究所、1995年
・小杉泰・林佳世子・東長靖編
『イスラーム世界研究マニュアル』 名古屋大学出版会、2008年
・羽田正・三浦徹編『イスラム都市研究―歴史と展望』 東京大学出版会、1991年
- 4 :
- 日本の学会はオスマン過大評価
- 5 :
- >>1
乙でございます
>>2
インドの奴隷王朝とか、もっともマイナーな分野にも目を向けてほしいな。
- 6 :
- >>1乙です。
>>4
別にそんな事ないと思うけどなぁ。妥当な評価でしょ。
>>5
インドのデリー・スルタン朝は日本語文献が少ないね。
そういえばムガル帝国は建国にオスマン帝国が少しだけ、
関わってるね。と言っても、バーブルがインド征服のための、
武器(主に火器)をオスマン帝国から取り入れたというだけだけど。
- 7 :
- スレイマン以後の糞っぷりは酷い
- 8 :
- >>7
確かにスレイマン後のスルタンは暗君ばかりが続くけど、
官僚はソコルル・メフメト・パシャやキョプリュリュ家など、
優秀な人物がその後も出てるよ。それに、スルタンだって、
アフメト3世やマフムト2世など、スレイマン1世以後でも、
それなりに優秀なスルタンは結構いるよ。目立たないけど。
- 9 :
- マフムト2世は啓蒙専制君主のオスマン版だったな。
イエニチェリの廃止、西欧化された新式軍隊の設置、大宰相府の分割、
大蔵卿(デフテルダル)を西欧式の大蔵大臣に変える、ヨーロッパ常駐の
大使館の復活、初等教育を義務化する試みなどを行っている。
- 10 :
- >>9
近代オスマン帝国の国家体制はマフムト2世の時代から始まるからね。
この時にオスマン帝国は前近代的な体制から近代的な体制へと変わった。
まぁ、ギリシャ独立戦争やムハンマド・アリーとかの問題もあったけどね。
- 11 :
- マフムトとピョートルの落差がひどいな
やはり日本じゃ過大評価だよ
- 12 :
- >>7
やはりレパント以後は停滞明らかだよな
第二次ウィーンまでヨーロッパより強勢だったなんて言ってるのは世界で相手にされない日本学会だけ
- 13 :
- >>11
ピョートル1世がチートなだけだと思う。彼の先見の明は凄まじかったからね。
ていうか、時代が違うからそう簡単には比べられないでしょ。マフムト2世の、
政策も全般的に成功してるし。特に、長い間できなかったイェニチェリの廃止を、
実現できたのは普通に優秀だった証でしょ。エジプト問題は微妙だったけど。
- 14 :
- >>12
アラン・パーマーの「オスマン帝国衰亡史」でも第2次ウィーン包囲から、
始まってたし、普通に日本以外の国でもそういう認識でしょ。そもそも、
レパントの海戦は戦闘そのものは確かにオスマン帝国の負けだけど、
その後キプロスやチュニジアを奪えてるから、一概に負けとも言えないよ。
- 15 :
- いやさすがに負けでしょ
- 16 :
- >>15
だから、戦闘そのもの自体は確かに負けだけど、結果的に、
勝者のはずであるスペインもヴェネツィアも得するどころか、
むしろ損してるからね。そもそも、この戦争のきっかけは、
ヴェネツィアが、キプロスを奪われた事がきっかけだから、
そこだけみればヴェネツィアはオスマン帝国からキプロスを、
奪還できてないので手放しに勝ったと誉められるものでもない。
当時のヨーロッパ諸国は、まだ戦争での勝利を実質的な利益に、
することが出来なかったという事。正直、オスマン帝国にとっては、
せいぜい西地中海の制海権を失った事ぐらいしか損失はないよ。
それだって、オスマン帝国はソコルルの指導ですぐに艦隊を再建してるし、
スペインからチュニジアも奪いとってるから、地中海への影響力が完全に、
なくなってしまったという訳でもないし。キプロスも結局そのままだったしね。
- 17 :
- >>西地中海の制海権を失った事ぐらいしか損失
いやだからこれじゃん
まぁそれ以前に地中海自体影響力低下してるけどね
- 18 :
- >>17
まぁ、確かにこの事自体は損失だけど、そもそもオスマン帝国は、
西地中海進出にそんなに熱心でなかったし、そのすぐ後ろの文で、
完全に影響力を失ったわけではないとフォローしてるでしょ。それと、
レヴァント貿易は大航海時代以降もそれなりに利益をあげてたから、
地中海そのものの影響力も従来言われてる程には低下してないよ。
- 19 :
- いや俺が言ってるのは損失大したことないから負けじゃないってのはおかしいってこと
だいたい一回の戦いで国が崩壊したり、領土が大幅に削減されることの方がマレ
長期戦争でオーストリアはハンガリー奪回に失敗したけど国力が大幅に減退してないし
スペインはプレヴェザ後も戦力維持(まぁプレヴェザの戦闘自体、一部が戦っただけでどっちもほとんど損害ないけど)
アルマダの敗北後も余裕で戦力で維持してる
だからといって敗北は覆らない
- 20 :
- >>19
いや、まぁ確かに負けは負けだけど当初の目的である、
キプロスの奪還自体は果たせてないからなぁ。むしろ、
損失云々よりもそっちなんだけどね。向こうが勝ったと、
言えるか微妙という根拠は。まぁ、それでも戦闘そのものが、
負けならば負けなんだと言われればそれまでだけど。
- 21 :
- 贔屓目に見て、レパント以後はオーストリアと互角、スペインに対しては劣勢だな
イングランドはそのスペインと互角に戦ったし
そもそもレパントがオスマンにとって衝撃的大敗だったのに領土を奪われなかったのは
スペインが難敵イングランドと戦っていた性で、オスマンが強かったわけではない
やはりヨーロッパと比べて衰退傾向は明らかだよ
- 22 :
- >>13
マフムト2世とムハンマドアリーを比べてみ?
まあ、国家元首としてマフムト2世とアレクサンドル2世を比べても、大差があるけどな
- 23 :
- >>21
スペインはレパント以後オスマン帝国とはほとんど戦ってないから、
劣勢かどうかはそう簡単に判断できないと思うけどね。そもそも、
レパントの海戦の後、オスマン帝国は領土を奪われなかったどころか、
スペインから領土(チュニジア)を奪ってるんだけど。キョプリュリュとかも、
いるし、ヨーロッパに劣勢になったのは第2次ウィーン包囲からでしょ。
>>22
ムハンマド・アリーには戦争では押され気味だったけど、
政治家としては大差ないでしょ。むしろ、外交政策では、
マフムト2世のほうが成功してるし。(エジプト事件の結果)
アレクサンドル2世はあまり詳しく知らないから、マフムト2世と、
比べて具体的にどこら辺で大差あるのか詳しく教えてくれ。
- 24 :
- もう優劣に関してはロシアVSオスマンスレでおなかいっぱい
- 25 :
- >>24
あそこ今IFスレみたいな感じになってるけどね。それで、
アレクサンドル2世についてほんの軽く調べたけど、別にそんなに、
大差があるとは思えないなぁ。ロシアとオスマンという国単位での、
優劣比べなら分かるけど、個人としての力量にそんなに差が、
あるようには見えない。彼の改革も賛否両論が結構あるし。
- 26 :
- >イングランドはそのスペインと互角に戦ったし
海の上では砲撃主体の戦法が先進的だったので互角以上に戦えたが
陸軍は・・・
- 27 :
- 年末にこんばんは。
趣味でオスマン朝について調べてたまたま辿り着きました。
2chで調べるなんて思いもしなかったのですが
このスレの前スレ(03)とても楽しく読ませて頂きました。特に前半部分。
しかし後半部分は酷かったですね。
ブローデルも知らない、噛みつきたがりが歴史学の話をしたいからでなく
延々自分の無知を認めたくないが故だけに噛みつき続ける滑稽な様は
痛々しいだけでなく前半の知に満ちたやりとりを木っ端微塵にしてしまっていて残念でした。
ああいうのは詭弁だと喝破してやれば終わったと思うのですが、まだ彼はいるのかな?
年末くらい大人しく反省してくれればいいのですが。
いえそんな話ではありませんでした。
役に立つ話をありがとうございました。皆様、良いお年を。
- 28 :
- >>27
ブローデルの「地中海」の新しいほうは、結構オスマン帝国に、
ついても詳しく載ってたね。基本的に、オスマン帝国スレは、
結構な良スレだったと思うけどね。後半部の争いってどんなのだっけ?
- 29 :
- いろいろあったんだよw
アンガスの統計資料を電波扱い
ブローデルやウォーラステインもトンデモ学者発言
中世偏見スレにも出没してたし、ずっと前のアラブスレでもオスマンの火器技術はペルシャ起源とか言い出したり
その時は白人に都合のいい史料は全て白人による捏造とか主張してたな
とにかく熱狂的なアンチ西欧でいると荒れるんだよね
- 30 :
- >>29
あ〜、何かそんなのあったね。その時はまだROMってたからなぁ。
- 31 :
- キョプリュフも過大評価だよ
三十年戦争で衰微したオーストリアに大敗なんで、キョプリュフ時代にどれだけ停滞してたんだよ
あと、マフムトを高評価してるが、ムハンマドアリーと比べると指導力の欠けた凡君だろ
- 32 :
- >>31
キョプリュリュ家は、第2次ウィーン包囲で失敗するまでは、普通に優秀だったでしょ。
それと、ムハンマド・アリーは内政は確かに優秀だけど、外交ではマフムト2世に、
負けてたでしょ。エジプト事件の結果が、それを示してるよ。
- 33 :
- >>32は僕ね。名前書くの忘れちゃった。
- 34 :
- >>32
エジプトがオスマン帝国から正式に、名実ともに独立するのは、第一次世界大戦の1914年だしな。
それまでエジプトはオスマン帝国の影響が及ぶ「特別州」であり続けた。
1938年にイギリス・オスマン通商条約が結ばれると、その影響はただちにエジプトにも及び、
ムハンマド・アリーの経済基盤に打撃を与えた。
林佳世子『オスマン帝国500年の平和』(講談社、2008年)では、
「オスマン帝国がこの時期にイギリスと通商条約を結んだのは、
戦争状態にあったエジプトへの打撃を期待してのことだったとみられる。
オスマン帝国もヨーロッパ諸国に倣い、外交と経済政策を関連させる術を
身につけつつあった。」(pp348-349)とある。
- 35 :
- >>34
ムハンマド・アリーも個人としては優秀な人物だったんだけどね。
結局、エジプトの近代政策化が中途半端に終わってしまったのは、
所詮オスマン帝国領で、独立国ではなかったせいでもあるね。
- 36 :
- 結局ムスリム全体が怠惰になったのがオスマンの衰退につながった要因だと思う
いくらタンズィマートを推進したって下の民が何をすべきか自覚してなきゃどうしようもない
- 37 :
- レパントの海戦は、西欧ではオスマン帝国衰退のプロセスの出発点として
語られることが多いが、実際には海軍史において、ガレー船時代の終わりと
カリヨンを主力とする帆船時代の幕開けを告げるものだった。
レパントの勝利で西欧諸国がいちはやくカリヨンへとモデルチェンジを
はかったのに対し、オスマン帝国は17世紀中葉までガレー船にこだわりつづけた。
- 38 :
- オツガイうぜー
- 39 :
- >>37
スウェーデンやロシアでも、ガレー船は結構遅くまで使われてたね。
- 40 :
- >>39
西欧諸国じゃない
- 41 :
- いや、それはそうだけど、単に他でも遅くまで使われてたねってだけの話だよ。
- 42 :
- 人には厳しく、自分にはクソ甘いオツガイであった。
- 43 :
- >>32
イギリスの靴ナメがうまいのがなんでそんなに高評価なんだよ
完全に半植民地化が進んで、どうにもならなくなったじゃないか
直接対決で何度もムハンマドアリーに負けてるのは
マフムトの近代化が失敗したからだろ。
だからイギリスの犬にならざるを得なくなった。
キョプリュフはアウラングゼーブと似てるな
何度も戦闘で大敗しているのに領土拡張に固執したのは失敗だ
その後の急激な衰退を招いて、ナポレオン時に自国領の戦争なのに何もできなかったのも
プラッシーでなにも出来なかったムガルとかぶる
キョプリュフ時代にヨーロッパと決定的な差がついたといってもよい
過大評価はできんよ
- 44 :
- 確かに外政は失敗だね
ただ内政の混乱を回復したのは確かだし
混乱したままだったらもっとはやく西欧勢にやられただろう
- 45 :
- >>29
>とにかく熱狂的なアンチ西欧でいると荒れるんだよね
「熱狂的なアンチ西欧」の奴なんて、2chじゃ珍しいと思うが。
むしろ、>>7、>>11、>>17、>>19、>>21、>>22、>>31、>>36、>>43のような
「熱狂的な西欧礼賛」の奴や、「西欧の文物こそ最高と位置づけ、それに近ければ偉い」
とする奴らが2chにおける圧倒的な多数派だ。
こいつらの「熱狂的な西欧礼賛」ぶりには、目に余るものがある。
- 46 :
- おっ、いらしたか
- 47 :
- ちなみに29書いた俺は44も書いたんだがなw
- 48 :
- >>43
イギリスの靴ナメと言うけど、近代オスマン帝国はそのおかげで、
生き延びれたんだしなぁ。既に弱体化しきってたオスマン帝国の、
延命に役立ったのは事実でしょ。実際、エジプト事件は明らかに、
エジプトのほうが損失大きかったからね。(オスマン帝国も損したけど)
まぁ、直接対決の結果を見ると、確かに軍事はムハンマド・アリーよりも、
劣ってたかも知れない。それでも、イェニチェリの廃止は凄いと思うけど。
それと、キョプリュリュは1人の人物じゃないからね。カラ・ムスタファ・パシャは、
確かにアウラングゼーブと似てるかも知れないけど、キョプリュリュ・アフメト・
パシャなんかは普通に優秀な政治家だったと思うよ。一口にキョプリュリュと、
言っても分けて考えるべきでしょ。僕も第2次ウィーン包囲でオスマン帝国の、
衰退が決定的になった事は認めてるんだし。まぁ、カラ・ムスタフア・パシャも、
別に無能だった訳ではないと思うけど。それと、何度も戦闘で大敗してるって、
言うけど第2次ウィーン包囲までのキョプリュリュ時代のオスマン帝国はそんなに、
大きな負けはなかったと思うよ。(まぁ、大勝もなかったけど)何の事を言ってるの?
- 49 :
- オスマンがクソなのはオスマン自身の自己責任だろう西欧礼賛とか全く関係がない。
- 50 :
- 【イスラエル】イスラエル沖に巨大ガス田[2010/12/30]
イスラエル沖合の海底で巨大なガス田の存在が確認され、
その場所が、イスラエルとの海上の境界線が確定していない隣国レバノンに近いことから、
今後、資源を巡って両国の間で緊張が高まることが懸念されています。
巨大ガス田は、イスラエル北部のハイファからおよそ130キロ沖合にある、リバイアサン鉱区で確認されました。
このガス田を調査した、アメリカの石油採掘会社、ノーブル・エナジー社は、29日、天然ガスの推定埋蔵量は、
巨大ガス田と分類される基準の5倍近い16兆立方フィートにも上ると発表しました。
この会社の幹部は「このガス田の発見で、イスラエルは天然ガスの輸出国になる可能性がある」と述べ、
海底から天然ガスの採掘を進めていく考えを示しました。
ただ、このガス田は、イスラエルの隣国でありながら国交のないレバノンに近く、
両国の間では海上の境界線も確定していません。
レバノン政府は早くも、天然ガスの層はレバノンの領海に延びている可能性があるなどと反発しており、
巨大ガス田を巡って両国の緊張が高まることが懸念されています。
ソース NHKニュース 12月30日 9時0分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20101230/k10013140381000.html
さあ、クソラエルがアラブ人大虐またするんだろうな。
- 51 :
- http://markethack.net/archives/51671951.html
次にイスラエル政府の資源開発に関連する経験の浅さや貪欲さも露呈しています。
イスラエルは建国当初から「我が国は資源に乏しい」という先入観があったため、地下資源の採掘権に関する法律も1950年代に作られたいい加減な法律に依拠しています。
もとより自分で石油や天然ガスを探索するノウハウや余裕は無いわけですから外国企業にとって極めて有利な採掘権の賦与を規定していました。そうしなければ誰も鉱区に興味を示してくれないからです。
ノーブル・エナジーはそういうインセンティブがあったのでリスクを冒してイスラエル沖の油田開発に乗り出したのです。
これを見たメジャーの石油会社はノーブルを冷笑していました。
エクソンやシェブロンなどのメジャーな石油会社は既にサウジアラビアをはじめとするアラブ諸国と長年に渡ってビジネスをしてきたので、イスラエルで石油開発をするとアラブ諸国の機嫌を損ねるわけです。
これに対してノーブル・エナジーは米国国内、メキシコ湾、西アフリカなどを中心に展開している企業でアラブ世界とは縁がありません。だから既存客を怒らせるリスクが無かったのです。
しかしイスラエル沖で天然ガスが発見されて以来、イスラエル政府は採掘権や法人税に関する法律を改正しようと画策しています。
- 52 :
- なんかスレイマン以後のオスマンはほんと学んでて吐き気がしたよ
膨大な犠牲に見合うだけの崇高さを何も作れなかった歴史と言うか
- 53 :
- >>52
何かあなたはさっきから変にオスマン帝国が嫌いみたいだけど、オスマン帝国は、
スレイマン1世後も第2次ウィーン包囲で大敗するまでは勢力を拡大してるし、
それ以降だっていくつかの戦いでは勝ち戦もある。(最盛期ほどじゃないけど)
完全に衰退しきってヨーロッパ諸国から重病人呼ばわれされる程になるのは、
ナポレオン戦争以降だよ。まぁ、それ以後の歴史だってそれはそれで個人的には、
学びがいがあるんだけど。オスマン帝国が過大評価されてるって事はないでしょ。
- 54 :
- 過大評価厨も過小評価厨もいらね
- 55 :
- とはいうものの、日本人の国民性は中庸を好む。戦後のサヨク史観の悪影響だな。
ロシアやイギリスなんかは自国の歴史マンセーしかしてねえぞ。
- 56 :
- >>55
ナショナリズムの強い国だと、自然と歴史観もそうなるね。
僕が前に読んだトルコの歴史教科書は自国マンセーという、
程ではないけど、結構そういう傾向が強かった覚えがある。
と言っても、割りと古いのだったから今はどうか知らないけど。
- 57 :
- オツガイも言及しているけど、トルコは中国の万里の長城まで自民族の建造物と教えているそうだ。
2chでみただけだから本当かどうかわからないが、得てして自国の歴史は誇大妄想かと思うぐらい
大仰に教えるのが世界の実態。
だからといって日本人が真似しようとは思わないが、日本人が好む中庸、中立、平等な視点というのは
日本人が大好きな世界の人々とやらはどこの国もほとんどやらないんだよね。
宗教でもなんでもそうだけど、その辺が結構世界と日本とのギャップ大。
日本人は一般に和の精神を尊び、妥協点を探るけど、他所の国ではそうじゃない日本以上にシビアな
領土問題や宗教観、民族問題、歴史問題がいろいろとカオスになっているから、強く主張して
一歩相手がひいたら一歩踏み込む交渉スタイルが普通。
だから日本人風の歴史観というのは全然世界の国々の主張と合わない。
で、合わないの当たり前。民族や立場の数だけ歴史観がバラバラなんだから。
オスマントルコで言うと、例の虐や寛容・非寛容などなどこのスレでも意見がわかれるようだが、
合わないの当たり前。当事者同士で別々のパラレルワールドいっているんだもん。
日本人以外は歴史学って自民族の主張の補完としかおもってない人がおおい。
だからトンデモがすごく多いし、嘘を見抜くというのが難しいし、嘘でも認めないんだよね。
- 58 :
- >>57
>日本人以外は歴史学って自民族の主張の補完としかおもってない人がおおい。
オスマン帝国からは少し話が逸れるけど、羽田正が前に、
アゼルバイジャンの学者がサファヴィー朝はトルコ人の、
王朝だとやたら強調してきて困ったみたいな事を書いてたなぁ。
歴史学とナショナリズムはなかなか切り離しにくいんだろうね。
特にオスマン帝国のあった地域はナショナリズムの強い国が多いし。
- 59 :
- ヴァヒデッティン皇帝陛下万歳。
帝政派知識人アリ・ケマル万歳。
ムスタファ・ケマル・パシャは逆賊です。
- 60 :
- >>53
ああ、正直に言って嫌いなんだよ
普通歴史を学んでるだけでどこかの国を嫌いになったりはしないけど後期のオスマン・トルコにはなぜか嫌いになってしまった
学び甲斐があることは否定しないし、むしろ自分にとってそういう特別な嫌悪感があるぶんよく学ぶべきだとは思ってるけど
軍事力の優劣とか世界史的な影響力とか以前に何かね…人間を粗雑に扱い過ぎというか
自分は狡猾な政略の手段とかに感心してワクワクするほうなんだけど
オスマンの権力争いを学んでても何かそういう悦びが湧いてこないんだよな…
ひたすらうんざりする
- 61 :
- >>60
まぁ、あなたが個人的にオスマン帝国が嫌いなのは勝手だけど、
だから「日本では過大評価だ」と言うのはおかしいでしょ。主観的な、
感情と、実際の優劣や評価は分けて考えるべきだと思うけど。まぁ、
これ以上はオスマン帝国と関係なくなるからあまり深く言わないけど。
個人的には、権力争いは古今東西学んでて面白いんだけどね。
- 62 :
- >>52>>60
こんなこと書いたらまた荒れるだろうけど、漏れは現在のアラブ諸国も
好きになれないんだよなあ。
建設的な要素がほとんどないから。
- 63 :
- >>61
あーえーと誤解させて悪いがそれは別人
日本の学会と世界の研究を比較できるほどには精通してないな
- 64 :
- >>12
>世界で相手にされない日本学会だけ
今では、英語、トルコ語などで論文を書いて世界的に評価されている
日本人のオスマン史研究者はけっこういるぞ。
- 65 :
- 被引用数のデータ見れば一目瞭然じゃないの?
- 66 :
- >>62
あ〜、そうなの。勘違いしてたよ、ごめん。まぁ、僕も、
日本のオスマン史研究家が海外でどれくらいの評価を、
受けてるのかは良く知らないんだけどね。
- 67 :
- >>66
悪い。アンカミス。>>62じゃなくて>>63だ。
- 68 :
- >>8
スレイマン1世以後にも、アフメト3世、セリム3世、マフムト2世、
アブデュルハミト2世のような有能なスルタンはいるし、
官僚機構の発展によって、優れた官僚が出たことを忘れてはいかんだろう。
著名な思想家のナームク・ケマル、画家で考古学者のオスマン・ハムディ・ベイ
のような文化人のほとんどが官僚層に属していたしな。
- 69 :
- >>37
オスマンだけじゃなくてヴェネツィアもガレー軍船に拘ったし、地中海じゃガレー船
のほうが有用だったからなんだけどな。フランスも結構後々までガレー船は活用してる。
第一、レパントの海戦でも西欧の主力はガレー船だ。ガレオン船の過渡期みたいなガ
レー船と帆船の折衷型で火力重視のガレアス(ガレアッツァ)は数隻しか参加していな
いし、砲門数も大分少ない。
カリヨンって、ガレオンの間違いか他国語だと思うんだが、ガレオンのような大型帆
船と言えるものは、補給艦で戦闘に直接関わってないはずだが。
ガレオンから戦列艦のような砲撃が基本の戦術スタイルに西欧が移行していくのは、
アルマダの海戦以降のはずで、オスマンとの関連低いんだが。
- 70 :
- >>68
>官僚機構の発展によって、優れた官僚が出たことを忘れてはいかんだろう。
スレイマン1世以後、しばらくの間は無能なスルタンばかりが一時期続いてたのに、
帝国が勢力を落とす事がなかったのはスレイマン1世の時代に優れた官僚機構が、
すでに出来上がってたため、スルタンが無能でも官僚たちがカバーできたからだしね。
- 71 :
- 制度さえしっかりしていれば、むしろ君主が無能な方が国は上手く回るのかもしれん
- 72 :
- 官僚機構が発展した弊害もあると思うけどね
現代経営学では大企業病というのがあって
企業の規模が拡大すると官僚化が進み組織が硬直化、保守化して創造性が失われる
さらにセクション化が進みそれぞれの部門で派閥争いがおこる、
規模が拡大するとそういった現象がおきやすくなるという
実際オスマン後期に近代化を進めようとしても抵抗勢力が多くてなかなかうまくいかなかったり
軍事技術の改革もイニチェリの反対にあったり、そこら辺にも関連があるのでは個人的に思う
16世紀前半までの隆盛期は官僚化はあまり進んでなかったし、かなり柔軟に動けたよね
ただ官僚化が進むと組織が安定するメリットはあるし、一長一短だけどね
- 73 :
- ちなみに現代企業ではセクション化を解消するために
水平ネットワーク作ったり部門横断の事業を行ったりしてる
日本の行政も縦割り行政って批判されてたよね
横のつながりがない、だからダブった無駄な事業をおこなったりしたりする
- 74 :
- >>72
まぁ、確かにそういう面はあるね。官僚機構の発達は、
逆にスルタンが自由に動きにくいという欠点もあるからね。
特にイェニチェリの肥大化は後期オスマン帝国にとっては、
改革の上での障害以外の何ものでもなかったしね。
- 75 :
- >>74
中央集権化を目指したタンズィマート期には、官僚の数が増加している。
この傾向はアブデュルハミト2世期にも続くが、官僚の養成のために
新式の学校が帝国じゅうに普及するというメリットもあった。
- 76 :
- >>75
まぁ、アーヤーンみたいな地方有力者が台頭するよりは、
官僚を増やしたほうが、中央集権化は進むからね。
- 77 :
- http://www.geocities.jp/whis_shosin/bizan.html
まあ、みんな時々はこれを見ようや。世界史上最もインパクトのある1日。
この興奮がオスマン帝国の原点だろう。
- 78 :
- 正統カリフ時代からの悲願だからなあ
いまだにイスラム圏だというのもスゴイ話だわ
- 79 :
- でもエルサレムはイスラム教徒の宿敵ユダヤ人が簒奪したままだけどね。 イスラム教徒らはぐぬぬと行っていると思う。
- 80 :
- >>79
ユダヤ人がイスラム教徒の宿敵になったのはここ最近の話で、
歴史的にはオスマン帝国はむしろ親ユダヤと言っても良いと思う。
現在のトルコ共和国もイスラエルとは仲良いし、現在の状況が、
決して、昔からずっと不変のものだったという訳でもないからね。
- 81 :
- 最近といってもユダヤ人の移民自体はドレフュス事件頃からだからかれこれ1世紀以上の歴史はあるだろ。
通貨、ムハンマド自体もユダヤ人を攻撃しているだろ。
↓wikiより
また、627年5月には同じくムハンマドの暗やイスラームへ改宗したマディーナのアラブ人の謀を行うなど、対
立が続いていたユダヤ教徒のナディール族とも戦闘になり、その集落を包囲陥落し彼らも追放となった。627年3月、
ムハンマドはハンダクの戦いでマッカ軍の総攻撃を撃退し勝利した。その後ハンダクの戦いで敵対的中立を保っていた
ユダヤ教徒のクライザ族を討伐するためサアド・ブン・ムアーズ・アル=アウシーに軍の全権を委ねて派遣した。
624年5月1日に、15日間の包囲攻撃のすえクライザ族は全面降伏したが、サアドは成人男性全員を処刑し、
女性や子供は捕虜として全員奴隷身分に下し、その財産は全て没収してムスリムへ分配するという厳しい処断を行った。
この時虐された戦士層の人数は1000人にのぼったと伝えられる。ムハンマドは「まさしく汝は神(アッラー)と神の使徒
(ムハンマド自身)の意に適う判決を行った」とこのきわめて残虐な非人道的行為を全面的に支持したという[8]。
続くハイバル遠征でナディール族が全面降伏した結果、ファダク、ワーディー・アル=クラー、タイマーの各ユダヤ教徒系の
アラブ諸部族は相次いでムハンマドに服従する事になった[9]。
- 82 :
- >>81
ドレフュス事件の頃はまだパレスチナ問題は本格化してないし、
そんなに移民が多いとは思えないけどね。問題の本格化は、
世界大戦後くらいからじゃないの?後、クライザ族の虐など、
ムスリムとユダヤ人が常に仲良かった訳でもない事くらいは、
僕だって知ってる。ただ、パレスチナ問題なんかで良く聞かれる、
「ユダヤ人とイスラム教徒は長い間対立し続けてきた宿敵なんだ」、
みたいな論調は明らかに誤りだからね。常に敵対し続けてきた訳ではないし。
- 83 :
- イギリスの2枚舌外交が対立の顕在化となってはいるけれども、ユダヤ人の侵入自体は以前から軋轢あったよ。
ただ当時パレスチナという地域はアラブ人自体も結構人住んでない
ではどうして軋轢がおこるかというとアラブ人自体も移民してきたの大勢いたからな。
コロンブスの卵じゃないが、現地民からユダヤ人が土地を買い取り、沼沢地を灌漑し、開梱したら水はけがよくなり、
存外に良い土地になってきたそこに地元のアラブ人人口も増える。ユダヤ人移民者も増える。
そのマッチポンプだわな。
>「ユダヤ人とイスラム教徒は長い間対立し続けてきた宿敵なんだ」、
おれはそんなことはいってない。対立自体はムハンマドの時代にもあったと言及しているだけ。
ただ、対立が激化するにつれて当事者同士が「そういう風に喧伝し、刷り込まれている」ということはありえるだろう。
ハマスやユダヤ人のコンサバティブな連中はガチでそう信じているの多いだろうしな。
- 84 :
- >>83
>おれはそんなことはいってない。対立自体はムハンマドの時代にもあったと言及しているだけ。
いや、あなた(>>81=>>83)じゃなくて>>79のレスが、そのように読めるから、
僕は>>80でそれに対して反論しただけなんだけどね。後、ユダヤ移民との、
軋轢は確かに前からあったかも知れないけど、その時はまだ現在ほどには、
問題が深刻化してなかったと思うけどね。良くある移民との軋轢って感じかな?
- 85 :
- ぐぬぬとかいってるのニュー速民だろうからスルーしておけ。
- 86 :
- レコンキスタでイベリア半島から追放されたユダヤ教徒を受け入れたのは
モロッコでありオスマン帝国だったからな
モロッコにはいまだにユダヤ人の集落がありムスリムと共存している
トルコがイスラエルと同盟関係なのも全然おかしな話じゃないよ
中東イスラーム圏のユダヤ教徒はそれを知っているだろうけど
欧州やロシアからの移民してきたユダヤ教徒はそういうこと知らないんじゃないかな
- 87 :
- >>86
現在のトルコがイスラエルと仲良い理由の1つとしてアラブ反乱などのせいで、
アラブ民族主義者に対して共感しにくいからというのがあるけどどうなんだろう?
- 88 :
- >>87
まあその通りでしょうね
まあ今のアラブ諸国と同盟してもなんのメリットもないからねw
- 89 :
- >>88
革命後ずっと西側陣営に属してきたトルコにとって、
アラブ諸国と同盟する意味は確かにないからね。
まぁ、最近はそれなりに交流を深めてるみたいだけど。
- 90 :
- オイルマネーで湾岸諸国が金持ちになってきたし
イスラム圏は多産で人口増加傾向で市場が大きくなっているからねえ
信仰とかそんなもんじゃなくて結局は利益でうごくんですわな
- 91 :
- >>90
まぁ、それは程度の差こそあれ古今東西どこも変わらないけどね。
- 92 :
- >>84
なに言ってんだ?
第4次中東戦争以降もパレスチナに国軍を送り込んで
アラブ人の住居を強制撤去して立ち退かせてるの知らんのか?
1976年の時点と比べても、アラブ人居住地の面積は70%も減少してんだけど
- 93 :
- >>92
第4次中東戦争以降ってドレフュス事件の頃と全然違うじゃん。
その時の移民じゃまだ問題は今ほど深刻化してなかったでしょ。
- 94 :
- 最初はユダヤ人がテロやってたんだよな
今はそれがイスラエル国軍になっちゃったけど
- 95 :
- エツェル
ハガナー
しらべろよ
- 96 :
- >>95
どっちもドレフュス事件よりも創設年は後じゃん。
何を言いたいのかさっぱり分からないんだけど。
- 97 :
- カラ・ムスタファ哀れなり
- 98 :
- >>97
彼の最期はわりと悲惨だね。まぁ、自業自得と言えなくもないけど。
でも、もし第2次ウィーン包囲の失敗後すぐに彼をさずに生かしてたら、
その後の大トルコ戦争によるヨーロッパへの大幅な領土割譲をしないで、
済んだかも知れない。まぁ、あくまでIFによる推測にすぎないんだけど。
- 99 :
- 功を焦り過ぎた嫌いはあるけど、
決して暗愚の将軍ではない。
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