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2012年4月文学33: マルセル・プルースト9 (138)
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マルセル・プルースト9
1 :12/04/01 〜 最終レス :12/04/14 ▽前スレ マルセル・プルースト8 http://toro.2ch.net/test/read.cgi/book/1326479287/ ▽過去スレ マルセル・プルースト6(実質7) http://toro.2ch.net/test/read.cgi/book/1321162711/ マルセル・プルースト6 http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/book/1314888613/ マルセル・プルースト5 http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/book/1311425550/ マルセル・プルースト4 http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/book/1309272869/ マルセル・プルースト3 http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/book/1307003330/ マルセル・プルースト2 http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/book/1292503087/ マルセル・プルースト http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/book/1284102860/ ▽関連過去スレ 失われた時をもとめて について何度でも語る http://book3.2ch.net/test/read.cgi/book/1003073055/ 「失われた時を求めて」について語る http://love6.2ch.net/test/read.cgi/book/1131810328/ 「失われた時を求めて」について語る 第二巻 http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/book/1190464274/ ▽前スレのログ速版 (ここの1から、他の過去スレ、関連過去ログも全部●なしで閲覧できます) マルセル・プルースト8 http://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/book/1326479287/
2 : 田中良「プルースト的気象学――『失われた時を求めて』を読む」(近代文芸社、2009・4・1) 「階段」「月」「斜め」といったテーマからの切り口で、自分が読んでいて今まで気づかなかった発見 が随所にあった。 現代の研究の潮流からすると次のような弁明をしなきゃいけないんだなあ >私も自ずとテキスト中心の分析に傾いていき、その分草稿への目配りがおろそかになっている ことは否めない。草稿研究なくしてプルースト研究はないといわれる現在、このような草稿研究に 十分裏打ちされていない論集がどれほどの意味をもつのか心もとないが、それでも多少はこれま で指摘されてこなかった見方があるのではないかと率直に思っている。
3 : 前スレで話題にした島内景二の三島本で、三島の中村光夫との対談『人間と文学』の最後が引用される。 >…しかしぼくは、プルーストはあの小説を書くことによって現実を終わらせようとした と解釈する。というのは、ことばというものは終わらせる機能しかない。はじめる機能など ありはしない。…ことばは何もはじめやしないし、革新もしなければ、物事を生みもしなけ れば、もちろん革命の役になど立つものですか。少なくとも芸術は革命の役には立たない。 社会もよくしないし人間もよくしない。ただ終わらせる。ことばというのは世界の安死術だと 思いますね。 三島は自決の3年前、豊饒の海シリーズの第1作『春の雪』を書きあげた直後に執筆した評論 「古今集と新古今集」でも、紀貫之は古今集仮名序で和歌が「力をも入れずして天地(あめつち) を動かす」と言っているが、実際には、和歌には、現実にはそんな力など備わっていないと断言 する。 神風特攻隊の渾身の行動によっても神風など吹かなかったのだから、詩(言葉)の力などで 天地が動き出すはずがないと。(島内216頁以下より) >それなら、行動と言葉とは、つひに同じことだつたのではないか」、「このときから私の心の中で、 特攻隊は一篇の詩と化した」 加藤周一が、日本文学史序説で、吉田松陰について「彼が詩人であったのは、そういう詩を書いた からではなく、その生涯の思想と行動とが一種の詩に他ならなかったからである」と書いていたのを 思い出した。 島内も、吉田松陰が桂小五郎(木戸孝允)に、「男子たる者は、自分の人生を一編の詩にすることが 大事だ」と言ったというエピソードを引用し、三島の人生も「和歌」そのものだった。だから辞世の二句 のほかわずかばかりの和歌しか三島は残さなかったのだという。
4 : 紘子BBAのチャイコフスキーよんでみっか。
5 : 3月1日、旦那さんの「赤ずきんちゃん」と同時に新潮文庫から再刊されてます。 文庫用に特別に書いたあとがき、ペレストロイカ後の後日譚の増補付。 前スレで触れたけど念のため。
6 : それは買う価値ある? 中公のなら安いんだけど・・・・
7 : 今、出かけたついでに立ち読みしてきた。 結構、微妙だなあ。あとがきなら短いので立ち読みでも十分だし、無理 に読まなくてもいいかなと。 光文社カラマーゾフの翻訳者の亀山郁夫の解説も悪くないし、増補の 「ピアニストが聴くペレストロイカ」は30数頁あり、これもおもしろいが (1990年に中央公論に掲載された記事)、構成も含め見事さに舌を 巻いたのはやはり、もとからの部分。 無理にどちらかと問われれば、中公でもいいかな。こちらは吉田秀和の解説みたい。 小1の中村紘子が吉田秀和と江の島で撮ったセピア色のツーショットスナップ 60年以上の知己ってことになる http://www.nakamurahiroko.com/topics/2011/12/post-178.html (林達雄、丸山真男の知性には衝撃を受けたが、吉田に対してはそうでもなかった ということになってしまわないか)
8 : 父平岡梓の回想はどこでよめるの?
9 : >>8 平岡梓「伜・三島由紀夫」(文春文庫) http://www.bunshun.co.jp/cgi-bin/book_db/book_detail.cgi?isbn=9784167162047
10 : ありがとん
11 : >>5 上野千鶴子が文学を社会学する (朝日文庫)の「平成言文一致体とジェンダー」では 戦後の作家から太宰、三島、大江、柴田翔、高野悦子、橋本治、など玉石混淆の中で、 庄司薫の「赤頭巾ちゃん気をつけて」について、 -- 「ぼく」という自称詞の頻出は、戦後世代の日本語がじゅうぶんに翻訳文体を咀嚼したことを示す。 また( )の中に入った自己言及的な解説も、近代小説に固有のメタテクストである。 -- と評価しているのはビックリ。 古典でも同時代でもなく、有名すぎてかえって読んでいないだけだが、 こういう位置づけができるのであれば、ただのスケベ心から読んでみようか、という気になってしまった。
12 : ハナレメバレバレ笑
13 : >「ぼく」という自称詞の頻出は、戦後世代の日本語がじゅうぶんに翻訳文体を咀嚼したことを示す。 >また( )の中に入った自己言及的な解説も、近代小説に固有のメタテクストである。 これは単に位置づけを与えてるわけで、作品としてプラスに評価してるわけじゃないですよね。
14 : Gさんが逃げたなw
15 : ベルクソンからプルーストへの時間論のうけわたしについては、過去にどんな話がされたの?
16 : >>13 「国語」という思想―近代日本の言語認識 イ ヨンスク みたいに細かい歴史を追ってはいないし、 ジェンダーの観点もあって、言語学というよりは本のタイトルのように社会学からみた言文一致体の話。 -- 「平成言文一致体」の先駆者の名誉を橋本治に捧げるなら、 その前に空前絶後の「この一作」で作家を廃業(?)した庄司薫の「赤頭巾ちゃん気を付けて」を見落とすことはできない。 -- と、これは「位置づけ」ではなくて、「評価」している範疇にはいりそう。 ただオリジナルを読んでいないので何もわからないのは確か。 庄司薫、村上春樹、橋本治あたりの言文一致体の成立とその後(?)について何か資料あるのかな。 探してはみるけれど。
17 : >>11 >>16 村上春樹→吉本ばなな ということも言われることがありますね。 言文一致体は女流漫画家経由というのもあるような気がする。 SF作家の新井素子なんかはそうだし。 橋本治は、「花咲く乙女たちのキンピラゴボウ」という少女漫画論も あるほど漫画に造詣が深いし(そもそもイラストレーターだったし)、 ばななにしてもお姉さんは月野宵子という漫画家。 漫画の場合、言文一致はある意味当たり前だし。 上野千鶴子って人は心理学者の小倉千加子との対談など読むと、サブカル 的なものへの感度が低いなあと感じることがある。 自分は上野千鶴子のよい読者とは言えないけど。
18 : >>17 >漫画の場合、言文一致はある意味当たり前だし。 そっかーー。 漫画は萩尾望都にはハマッたけれど、はまりすぎて他が見えていないのは確か。 橋本治も追っかけていたわけではないので、桃尻語訳枕草子あたりを読み直そう。
19 : >>17 >自分は上野千鶴子のよい読者とは言えないけど。 こちらも下記サイトを読んで笑ってしまった程度。歴史を作った人ではあるが。 http://blog.tatsuru.com/archives/001731.php
20 : >>19 内田樹には「女を何を欲望するか?」というフェミニズム批判の本がありますね http://blog.tatsuru.com/2007/12/26_0910.php 内田が上野との対談を断る理由については同感。 http://blog.tatsuru.com/2010/06/05_1049.php 上野への嫌悪(奥泉光はいとうせいこうとの文学漫談で、「よい読者ではない」って実は 大嫌いって意味なんですよねと言っていたw)は、例えば「文学を社会学する」で斎藤学 の「封印された叫び」をやけに持ち上げ、返す刀で某女性ジャーナリストをわざわざ 実名をあげて斬るようなところ、その啖呵の切り方に顕著に感じる。 悪い意味での政治性(大同団結したうえでの敵味方二分思考というか)。内田言うところの 「脊髄反射的」な攻撃性。 http://blog.goo.ne.jp/teramachi-t/e/bcf6850b3a1a3547ddda300aa23e00d7 といいつつ、上野の最近の著作「女ぎらい――ニッポンのミソジニー」おもしろそうなので 読んでみようかな。 http://d.hatena.ne.jp/charis/20101126
21 : >>18 川田宇一郎「女の子をさないために」は漫画に触れていたっけと 探したら、どうやら「ナウシカ」等の宮崎アニメのほかは内田春菊 「南君の恋人」(1986)しか出てこないみたい。 萩尾望都、竹宮恵子、大島弓子といった花の24年組(1949年生) は考えてみると、橋本治(1948年早生)、村上春樹(1949年早生) と同じ団塊世代。上野千鶴子(1948年生)も。 24年組が「赤頭巾ちゃん、気をつけて」(1969年上半期芥川賞)の 影響を受けた可能性はひょっとしてあるかも。
22 : >>14 スレも変わったので一休みしてました。 今週は、プルースト本を何冊か読んでました(三島本も新たに入手)。 ジョナ・レーラー(鈴木晶訳)「プルーストの記憶、セザンヌの眼」(白揚社、2010) 原田武「プルースト 感覚の織りなす世界」(青山社、2006) ミシェル・シュネデール(吉田城訳)「プルースト 母親し」(白水社、2001) でも、なんといっても、國分功一郎という1974年生まれの哲学者による 「暇と退屈の倫理学」(朝日出版社、2011/10/20) という本が素晴らしかった。あとがきに >すばらしい研究や芸術作品や哲学は人に訴えかける力をもっている。 とあるけど、この本自体がまさにそう。数年に1冊めぐりあえるかあえないかと いうレベル。読んだ後で世界の見え方が変わるようなところさえある。
23 : >>15 プルーストとベルクソンの相違は何回か話題になりました。 プルースト自身が、「私の作品は、無意志的記憶と意志的記憶の区別に貫かれていますが、 この区別はベルクソン氏の哲学に現われていないばかりでなく、それと矛盾するものでさえ ある」と言っている。 どう矛盾するのか、プーレの「プルースト的空間」をネタにしたりした http://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/book/1311425550/142-155 前スレでも話題になったけど、そもそもプルーストがベルクソンをどのように理解あるいは誤読 していたかの手掛かりが乏しく、この点について哲学板の住人の方が「私は自分でも説明できま せんし納得がいく説明を読んだことがありません。」と書いていたのが印象に残ってます。 http://logsoku.com/thread/toro.2ch.net/book/1326479287/256-273 時間に触れてるところをピックアップしてみました。
24 : うーん、どっちもさらっとしか読んでないけど、 感じとしては、 過去現在未来が等価になって、質的変化を遂げながら持続する時間がベルクソン的時間論、 全ての過去が今現在の幻惑の中に収斂し未来までもを巻き込んで行くのがプルースト的時間論 かなあ。。。 プルーストはベルクソンからけっこう影響された筈なのに、資料が少ないのかなあ・・・
25 : スレ汚し失礼。
26 : >>23 >>24 丁寧な説明ありがとうございます!
27 : >>20 >内田が上野との対談を断る理由については同感。 >http://blog.tatsuru.com/2010/06/05_1049.php ここからの引用。 -- 私は親族共同体をベースに考え、上野さんは親族を離れた個人をベースに考えている。 >>11 でふれた上野の本には放哉へのオマージュがある。 -- わたしの出発点が放哉だと聞いて驚く人もいるかもしれない。 どんなことがあっても、何を手に入れても、わたしは自分にこう言い聞かすことにしている。 はじめもひとり。おわりもひとり。 -- おひとりさまのタイトルの本を書くのも当然。 >>22 >でも、なんといっても、國分功一郎という1974年生まれの哲学者による > 「暇と退屈の倫理学」(朝日出版社、2011/10/20) >という本が素晴らしかった http://d.hatena.ne.jp/jmiyaza/?of=11 から始まる読書感想文はもちろんご存知でしょうが、ここを読む限り話題はかなり広いですが、ピンとはこなかったところです。
28 : >>23 >プルーストとベルクソンの相違 どちらも丁寧に読んでいるわけではないけれど、似ている、ということ自体わからない。 違いすぎて、どこをどう比較しようとしているのか不明。 >>25 >スレ汚し失礼。 ほとんどがGさんとの1:1の話で、いやではないけれど、三島のツッコミみたいなのがもっとたくさんあったほうが楽しい。
29 : うーん、私見ではやはりプルーストにはベルクソンの影響があるだろう、 というのが率直な感想。影響の大小はわからないけれど。 特に『物質と記憶』における純粋持続としての時間の考え方は、 無意志的想起と無縁じゃないように思えるし、 それからベルクソンにおける「直観」というテーマは、 プルーストの反知性主義的な態度とも無縁じゃないような印象。
30 : ヌーとプルプルプルースト笑
31 : >>21 http://blog.tatsuru.com/archives/001645.php 「誰が書いたんだ」という作者当てクイズが「庄司薫」がぼくたちより10歳年上の卒業生で丸山真男門下の元大蔵省官僚だと知れるまで続きました。 真相が知れるまで「あれはウチダが書いたんじゃないか」という噂も一部では流れて、びっくりしました。 僕が在学中どれほどありもしない文学的才能について「はったり」をかましていたのか伺い知ることができるもの悲しいエピソードです。 と内田樹本人のコメントがあります。 萩尾望都も http://blog.tatsuru.com/2009/04/21_0917.php 内田樹は橋本治との対談集もおもしろい。
32 : >>22 数年に一度とは! 國分功一郎は訳者としてしか知らないんだけど、 今度手にとってみますね。
33 : 思想の國分のドゥルーズ論読めよ。 日本人最高の明晰さだよ。 今度の五月号で続きがでるよ
34 : >>27 >はじめもひとり。おわりもひとり。 「おわり」は誰でもどうしてもひとりですね。たとえ誰かに看取られようと。 自然発生した人間は存在しない以上、「はじめもひとり」と言うのは 一種のその人特有の心構えということになるのかなと思います。 はじめとおわりの間を結ぶ、つかの間の人生でもひとりであることを恐れない といった 「咳をしても一人」 はじめとおわりだと、自分は、空海の次の詠歌により共感する。 生まれ、生まれ、生まれ、生まれて、生の始めに暗く、死に、死に、死に、死んで死の終わりに冥らし http://www.cityfujisawa.ne.jp/~iwane/sei-hk.htm
35 : >>27 続き >何を手に入れても 「いれものがない両手でうける」の精神ですね。 内田に同感というのは、「東大で上野千鶴子に喧嘩を学んだ」といったタイトルの 本さえあるように、人と議論をする際のスタンスにおいておそらく内田は上野と相反する ものがあるから対談を拒んだという側面です。 内田のスタンスとは、ご紹介のブログで100%の賛成をもって引用している高橋源一郎の スタンスですね(そのまま全部読んでもらった方がいいけど、最後の方だけ引用すると) >もっとも本質的な批判は、対立者からのものです。だから、その意見にこそ耳をかたむけ なければなりません。 >「対立」する意見を持つ「対立者」を「敵」と考えてはなりません。 「対立者」もまた、同じこの 共同体を構成する、かけがえのない成員なのですから。だから、「非国民」「売国奴」「愚か者」 のような言葉を決して使ってはなりません。 ぼくがこのような原則を採用している理由は、60年代から70年にかけて、政治運動に参加して いた時、この原則を採用できず、悲惨な結果を招いたことがあったからです。以後、ぼくは、これ らを守るべき原則と考えるようになったのです。 インテリ源ちゃん(1951年元旦生)も、上野千鶴子、村上春樹ら「団塊の世代」の最後の方に属する。 「総括」なんて言葉が流行った時代。村上春樹が硬直的なフェミニストを珍しく生な形で揶揄してみせ たのも、大学時代(高橋源一郎、さらに内田樹の頃だと高校にも学生運動は飛び火していた)のある種 の政治的な連中のスタンスに対する違和感・生理的反感といったものが原体験としてあるように思う。
36 : >>28 >似ている、ということ自体わからない。 違いすぎて、どこをどう比較しようとしているのか不明。 ショーペンハウエルの読書論に、読書は人の考えをトレースするだけだから、 知的には非常に怠惰な営みであると確かでていた。 同じ言葉が使われているからといって、別の書き手であれば、それは全然 違う意味で使われている場合もあるので(同じ意味かどうかなんて終局的に わからない、全く同じということはありえない)、本来、継ぎ木なんかできない。 ベルクソンとプルーストだって、時間、空間、記憶といった言葉を共通にしている からといって、それらを簡単に比較できやしないのは当然。 終局的には、それらを各人が自分なりに消化し(誤読は避けられない)、自分なり の言葉を持つ(これも最後まで現在進行形の営み)しかない。 プーレの本を持ち出してみても、プーレだって、ベルクソンやプルーストをプーレ なりに消化して(誤読は避けられない)、プーレの時間・空間・記憶をベルクソンや プルーストの言説に託して語っているに過ぎないから、それはかえって混乱を 齎す面がある。 プルーストなり、ベルクソンなりをそれぞれトレースするのだって、繊細かつ精妙な レコード針が必要なのだから。プーレまで持ち出したら、本当はプルーストだけ をトレースしているよりもっとノイズは大きくなる。 でも、ずっとプルーストのみをトレースしていたら、かえって、プルーストもなにもかも 浅くしか読めない。赤ん坊にプルーストの残したものだけを与えても、決して、プルースト のように思考・想像する人間は育たない。 少なくとも、プルーストがベルクソンを読んで、思考等を喚起され(もちろん、他にも無数の 喚起があり、そののひとつでしかありませんが)「失われた時」などが生まれたことは アセ氏のいうように間違いないところだと思います。
37 : >>27 國分功一郎「暇と退屈の倫理学」。まだ、注の方で読み残している部分も あるので、ネットにあるレビューはぽちぽちとしか読んでいません。 ご紹介のお医者さんが書いたレビュー、要約も適切でおもしろかったです。d >まだ(國分)氏のなかで生煮えでいて成熟しきっていないものが、相互の関連が 充分に整理されないまま、ごつごつと並べられているような印象がある。 そういった点も含めて、この書は、ものすごく思考やら連想やらを喚起されるのです。 だからこそ、このお医者さんもこれだけ長いレビューを書いてもまだ書き足らない。 私が数年に1冊くらいしか出くわさない魅力を感じたのは、まさにその喚起力です。 ハイデガーやコジェーブ、ユクスキュル等の紹介の手際のよさ、そのわかりやすさも 出色ですが、それを超えて、読む人に思考や想像を促す喚起力を持っている。 ある箇所を読んで、おやと思うと、前の箇所を丁寧に読み返さずにはいられない 迫力、読ませよう、伝えようとする熱意が感じられる。 この本は特に1頁目から著者の思考をトレースしながら読んでいって魅力がわかる。 そして、トレースしやすいように随時、まとめや前に書いたことを復習しながら進んでいく。 多分、高校生、人によっては中学生くらいでも十分についていけるくらいに親切でわかり やすい。しかも全然くどいと感じない見事さ。
38 : 序章、さらに本論の7つの章を経たあとの「結論」と題される章で國分は次のように言う。 (もとの本は注意してほしい箇所に傍点がふられ、さらに読みやすく配慮されている) >人は何かが分かったとき、自分にとって分かるとはどういうことかを理解する。「これが 分かるということなのか……」という実感を得る。 人はそれぞれ物事を理解する順序や速度が違う。同じことを同じように説明しても、 だれしもが同じことを同じように理解できるわけではない。だから人は、さまざまなもの を理解していくために、自分なりの理解の仕方を見つけていかなければならない。 >大切なのは理解する過程である。そうした過程が人に、理解する術を、ひいては生きる 術を獲得させるのだ。 >論述を追っていく、つまり本を読むとは、その論述との付き合い方をそれぞれの読者が 発見していく過程である。 だから、國分は、結論を述べる前に、再度、読者に、本書を通読して、ここまで辿りついて下さいと力説する。 >以下の結論だけを読んだ読者は間違いなく幻滅するであろう。また、同じ意味で、本書の 結論だけを取り上げて、そこに論評や非難を浴びせることも無意味である。論述の過程を 一緒に辿ることで主体が変化していく、そうした過程こそが重要であるのだから。 いかに掲げられる結論はどちらも、それに従えば退屈はなんとかなるという類のものでは ない。その方向性へと向かう道を、読者がそれぞれの仕方で切り開いていくことになる、そう いう類の結論である。 ハイデガーの高弟ガダマーは、師はたとえ間違っていても、その間違いですら思考を喚起する、 そこが自分と違い天才たるゆえんだと言った。 結論より過程が大事だということがまさに実感される本です。
39 : >>33 d
40 : >>25 自分も、>>28 さんと一緒で、三島のツッコミみたいなのがもっとたくさんあったほうが楽しい (三島は、「芸者論」の岩下尚史の三島本2冊を入手) 今回のスレでは、書き込み数押さえようと思っているのだけど、早くも國分の本関連で連投に なってしまった。 >>32 是非。フーコー、ドゥルーズ、ガタリ、デリダなど随分訳しているんですね。
41 : http://ameblo.jp/philosophysells/entry-10905760250.html 歓待の原理——クロソウスキーからフーリエへ(論文再録) テーマ:ブログ 昔書いた、「歓待」についての論文です。 よかったらお読みください。 歓待の原理 クロソウスキーからフーリエへ 國分功一郎
42 : http://ameblo.jp/philosophysells/entry-10911415568.html 恋愛から自然へ(論文再録) テーマ:ブログ 昔書いた論文です。 よかったらお読みください。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 恋愛から自然へ シャルル・フーリエ『愛の新世界』(福島知己訳)についての書評論文 (『思想』、岩波書店、第一〇〇八号、2008年4月、44〜53ページ。) 國分功一郎
43 : 失礼、>>35 はアップしてなかった次のレスを前提にしてました。 >>19 内田樹のブログで言及される村上春樹「海辺のカフカ」での戯画化された フェミニスト2名が図書館に登場するシーン。 村上の原理主義的なものへの嫌悪(おそらく政治の季節のさなかに送った 学生時代以来ずっと持ち続けている)が珍しく生の形で出ているなと思った。 最後に、小柄な男性だとばかり読者も信じ込んでいた司書が実は女性である ことをカミングアウトすると、フェミニストたちはひるんで退散する(ネタばれ)。 このシーンは、三砂ちづるの「オニババ化する女たち――女性の身体性を取り 戻す」を持ち上げ、対談本まで出した内田樹とともに、フェミ二ズム陣営(若い 人の間では風化しているみたいだけど、男女共同参画とかDV夫からの避難 シェルターとか今でも結構言われているところでは言われている)からは バックラッシュの一環ないし、それに肩入れするものとして、斎藤環まで批判 していた。 思考硬直した相手を揶揄・攻撃する場合、こちらまで定型的で陳腐なパターンに 陥ってしまうところがある。村上のあのシーンもその危険がなきにしもあらずだった。 村上は「1Q84」で、DV夫や彼氏を暗する必仕置人みたいなヒロインを登場させる。 彼女にお金を払ってその仕事をさせている黒幕がいるわけだけど、1Q84はその組織 の女性や子供といった社会的弱者を守るという思いには同情・共感しているように見え ないでもない。 善悪がとても相対的になる(自分は黒幕の番犬のドイツシェパードを害したのは黒幕 自身と推理し、筋に絡んでくると予想していたのだけど、続編でその伏線全く無視されて いたなあ) 国民的作家としての日和見主義か、一流のバランス感覚か。「正しい偏見」
44 : >>41 >>42 これもd
45 : http://junkudo.seesaa.net/article/190950196.html 【映像】國分功一郎×千葉雅也「スピノザの哲学原理」2011年2月19日 長いけれど、面白かった。
46 : d スピノザは岩波文庫等でひととおり読んだなあ
47 : Gさんて何歳ですか? 職業とかも知りたい。 変な意味じゃなくてw
48 : >>47 年齢は、今までコメントしている本から勝手に推測すると、 橋本治(1948-)と同世代のような気がしている。 違っていたら、スマソ。
49 : 橋本治って器用なだけでつまらない印象
50 : >>46 http://bookweb.kinokuniya.co.jp/bookfair/prpjn68.html 國分功一郎「スピノザに近づいてみる――「倫理」と「思考」のための60冊+α」 ベルクソン、聖書、フーコー、ユクスキュルへのコメントがおもしろい。 D.H.ロレンスの「黙示録論」まであるのはビックリ。
51 : ヌー笑
52 : ネルヴァル作品を野崎歓あたりが 今を生きてる言葉にしてほしい
53 : >>47 Gはへんな時間に書き込んでるんで会社員じゃないとおもうよ ここのスレが仕事みたいなもんかな 話題的には学歴コンプのロスジェネとおもわれ ちがってたらスマス
54 : >>53 ×ちがってたらスマス ○ちがってたらスマソ
55 : >>47 迷ったがスルーしますw
56 : >>50 d 萱野稔人の高い評価にも同感 ベケットのジョイス論/プルースト論も挙がってますね
57 : 年齢くらいはおしえてくれるとうれしいw
58 : >>31 d 「赤頭巾ちゃん」発表当時は覆面作家で、東大入試中止の年に日比谷高校を 卒業した人たち(吉田城。内田樹は中退・大検だけど同学年)は同級生の誰か があれを書いたと考えていたんですね。 庄司薫も、三島由紀夫同様、大蔵省に入省した経験があるというのははじめて知った wikiは大学卒業から再デビューまでの間は次のようになっているけど、もしソースが確認 できれば書き換えられる必要がありますね >大学卒業後、1960年、『文學界』7月号に発表した「輕やかに開幕」を最後に数年間筆を絶ち、 謎の多い空白期間を過ごす。エジプト学に沈潜していたとも、株で生活していたとも言われている。
59 : 女の子をさないためにオモスレー騙されてるような気もするけどどうでもよくなった
60 : >>57 プルーストだと晩年といってよいくらい
61 : アラファイブくらいですか
62 : >>58 庄司薫、大蔵省でググったが内田のほかにはソースは見当たらなかった。 あとはその引用 庄司薫氏はいまどうしてる? http://logsoku.com/thread/book.2ch.net/books/994614897/ 〈2001年からの長寿スレ。2007年に内田のブログコメントが貼られるや 誰かが慌てて埋めている。本当としても黒歴史というわけでもないのに なぜ?)
63 : >>61 いわゆるオタク世代ですね。
64 : 大蔵省の入省記録みたいの閲覧しないとダメか
65 : >>64 もちろん、福田章二にとっては、ある時期までまるで三島をなぞっていたみたいで 気恥ずかしいだろうけど、必死で隠すほどのことでもないはずだしなあ でも内田が勘違いして書くとも考えにくい(日比谷高校の同窓生の情報ネットワークで 知ったのではないかと思う。兄弟揃って日比谷→東大ってのは小説中の薫君にお兄さん が2人いたようにざらだったと思うし) 三島の団藤重光への傾倒と庄司の丸山真男への傾倒もパラレルにみられないでも ない(といっても俺は三島への団藤の影響はそんなにないと思ってる) 前スレ452の自分の書き込み >庄司薫という人には、この人が生まれ育った時代背景と合わせて、人生の軌跡 自体に伝記的興味を覚える(庄司の芥川賞受賞の翌年1970年に割腹自した三島由 紀夫についても作品そのものは好きでないが、同種の興味を感じる)。 ぎりぎり戦時・占領軍時代の体験があり、戦後に思春期を迎えた、裕福で文化的な環境に 育った、頭がよくてよくてしょうがない男の子のライフスタイル、ビルドゥングスロマン。 三省堂の重役のご子息だったみたい。「白鳥の歌」でもヨッチャンという住み込みのお手伝い さんがいる設定だし 20世紀にはいって中公文庫で再ブレイク、今度は3・11後に新潮文庫で再々ブレイクか?
66 : >>22 で触れたレーラーの「プルーストの記憶、セザンヌの眼」は「19世紀末から20世紀 初頭にかけて生きた芸術家たちは、現在の最先端に脳神経科学の知見を先取りしていた」 といった内容で2007年にアメリカでベストセラーになった本。 作家以外ではセザンヌのほか、ストラヴィンスキー、それにフランス料理の伝説的なシェフ オーギュスト・エスコフィエ。 作家は、プルーストのほか、ホイットマン、ジョージ・エリオット、ガートルード・スタイン、 ヴァージニア・ウルフが取り上げられている。 プルースト、スタインが重なるエドマンド・ウィルソン「アクセルの城――1870年から1930年 にいたる文学の研究」(ちくま学芸文庫)をひっぱりだしてきて今読んでます。 レーラーの訳者の鈴木晶は、東京教育大付属駒場で四方田犬彦、金子勝らと同学年だった人。 フロイト関連の本や翻訳、バレエ・舞踏の研究者でもありプルースト関連でいえば、ニジンスキー の本や手記の翻訳を出している。
67 : Gのすすめる本は間違いなしやで。
68 : せやで
69 : >>38 これを読むと、國分の文章はとてもわかりやすい! しかも、読むことと思考の本質を的確に捉えてる印象。 國分はおそらく、ドゥルーズ『差異と反復』序文を意識して、 結論についての箇所を書いてるんだろうなあと思いましたね。
70 : >>69 >読むことと思考の本質を的確に捉えてる印象 本はこうやって読むものなんだなという入門書としてもいいですね 『差異と反復』、ハードカバーのが最近本の山からでてきました。 (上野千鶴子「家父長制と資本制」も) 國分のスピノザ本は近いうちに入手しそう
71 : 國分功一郎 @lethal_notion 今日の猫街倶楽部の読書会、最高でした!皆さんありがとうございま した!この人たちが全員、暇倫を読んで下さっています! http://pic.twitter.com/PY9Z7JTg
72 : 469 :考える名無しさん:2012/03/24(土) 00:45:44.64 0 國分功一郎 @lethal_notion 『小論文MD』いま読んでも面白いと思いますよ。是非参考にして下さい!というわけで、 俺はこれから猫街倶楽部にいってまいります。 國分功一郎 @lethal_notion 「時代」という項目では無理やり中島みゆきの同名歌の歌詞を引用(参考書なのに笑)。 赤井さんがきちんとJasracに許可をとってくれた。 國分功一郎 @lethal_notion 因みに俺が初めて赤井さんとお仕事をご一緒させていただいたのは、朝日出版社 『小論文MD ミニディクショナリー』というやつで、その中でかなりハードな項目 をいくつも執筆させていただきました。中でも「近代」は最長項目。 ビックリ。國分が参加してたとは!。クレジットみたら確かに載ってる。まだ國分 23歳くらいかよ。郷原かいも参加してるのな。「近代」の項、おれ確認してみたら 赤線だらけw。確かに良く書かれてる。國分の書いた項目ほかの知りたい。 470 :考える名無しさん:2012/03/24(土) 01:03:37.85 0 『小論文MD』のクレジットみると今活躍してる三十台がたくさんいる。
73 : 萱野 バリバールやネグリ、アルチュセールも、スピノザについて書いてい ます。ただ、大学院に入って本格的にスピノザを読んでいくと、現代思想業 界で言われていることの半分ぐらいはでたらめであることがよくわかりまし た。特にネグリのスピノザ論(『野生のアノマリー』)は問題です。 アルチュセールに関しては、正面からスピノザを論じていないところもある から、一方的に断定するのはフェアじゃないけれど、正直言ってあやしい。 アルチュセールのいう新しい唯物論の概念はそれ自体としてはおもしろいけ ど、それをスピノザから導き出すのは相当無理があるんじゃないか。 國分 現代思想業界でスピノザについて言われていることの半分ぐら いがでたらめだっていう話に同意するんですが、僕にとってはやはり ドゥルーズのスピノザ論が大きかった。そして勉強を進める中で、 ドゥルーズのスピノザ論がまともに読まれていないということが分かっ てきた。『スピノザと表現の問題』はかなりテクニカルな話をしてい て、相当に読み込まないと分からない。ドゥルーズの文章は非常に簡 潔ですので、彼が一行の中に込めている内容はそのロジックを順序立 てて理解していかないとまったく分からない。今回の本の最後で、 『エチカ』の定理十一までの話を細かくしていますが、ドゥルーズは そのことだって、二、三行で書いている感じですよ。ドゥルーズの不 親切さには注意しないといけない。なのにドゥルーズのスピノザ論の 名前はよく耳にする。そういうこともあって、今回の本ではドゥレー ズのスピノザ論で読まていない部分、たとえば「分析的方法と総合的 方法」を論じた箇所や、フランス語訳『エチカ』の誤訳の指摘、『 単論文』における神の定義の問題点などといった箇所をかなり意識的 に引用しているんです
74 : 萱野 ドゥルーズやゲルーのスピノザ論は本物ですね。バリバールも おもしろい。でも、日本の現代思想業界でスピノザに言及するほとん どの人は、これらのスピノザ論をまともに読まずに、『エチカ』の都 合のいい箇所を引用するだけで終わっている。たとえば第四部定理六 七の「自由な人間は何よりも死について考えることがない」という部 分を引いて、スピノザ哲学は生を肯定する哲学なんだみたいなことを 言って、何かを論じた気になっていたりする。相当安易な空気に支配 されていたのは確かでしょうね。 國分 本の冒頭で、「とにかくスピノザを愛さねばならないという不 文律ができあがっているようにさえ思える」(11頁)と書いたんです が、あれは、ジジェクがドゥルーズ論『身体なき器官』(邦訳、河出 書房新社)の中で「今日のアカデミアにおける不文律の一つにスピノ ザへの愛という司令がある」(72頁)と言っていて、その言葉を意識 して書いたんです。 萱野 ジジェクの言葉には半分同意できます。みんな「スピノザ、 スピノザ」と騒いでいるけど、本当にスピノザをわかっているのかと 文句を言っているわけですよね。そこまでは同意できる。でもジジェ ク自身もそんなにわかっていない(笑)。 國分 ジジェクはスピノザのことはそんなには知らないでしょうね。
75 : 圧倒的神論文 総合的方法の諸問題--ドゥルーズとスピノザ (スピノザ) 國分 功一郎 思想 (950), 109-129, 2003-06
76 : 無人島 1969−1974 ジル・ドゥル−ズ / 河出書房新社 2003/06出版 ISBN : 9784309242903 321p 20cm ¥3,675(税込) スピノザを勉強しようと思い立った時に始めたのは、ここに収録されている 「スピノザとゲルー氏の一般的方法」を読むこと、そしてそれを自分で翻訳す ることでした。その頃はまだこのアンソロジーがなかったので、雑誌論文をコ ピーして読んでいました。とはいえ全然歯が立たなかった。短いものですが、 その内容は極めて高度です。理解と翻訳には五年ぐらいかかりました。私の翻 訳は発表する場がないままお蔵入りしています。しかし、この作業の中で実に 多くの知見が得られましたので、それを一つの論文にまとめることができまし た。よかったらお読みください(國分功一郎「総合的方法の諸問題――ドゥル ーズとスピノザ」、『思想』、2003年6月号)。この文章はマルシアル・ゲル ーという哲学史家のスピノザ論に対するドゥルーズの書評ですが、驚くべき強 度のスピノザ論・ゲルー論になっています。これからスピノザやドゥルーズを 研究したいと思っている方々にもこれを熟読することをお勧めします。 もちろん、ここに収録されている他の論文もすばらしいものばかりです。
77 : 2012年02月19日 02:37 投稿のユーザー動画 … 政治 カテゴリ前日総合順位:圏外 ( 過去最高:15位 ) ニコ生思想地図 07 「震災以後、哲学とは何か」 國分功一郎×東浩紀 http://www.nicovideo.jp/watch/sm17013383
78 : >>71-77 國分情報d 「暇倫」でとおる人気なんですね(ウェーバーの「プロ倫」みたい) http://www.kinokuniya.co.jp/20120121100050.html http://togetter.com/li/270230 (「欲望と快楽の倫理学」序章まとめ) 哲学板みてきた。単独スレの方は盛り上がってないけど。 萱野稔人 國分功一郎 白井聡 http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1322981229/l50 【正義】國分功一郎【民主主義】 http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1331603059/l50
79 : 宣伝すごいな
80 : プルースト、スピノザで検索したら 「プルーストとライプニッツ」という論文ならでてきた http://www.waseda.jp/bun-france/pdfs/vol27/nishiwaki037-050.pdf 「プルーストと哲学教育――師ダルリュの教育観(1881年)について――」 http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/7847/2/ff008005.pdf
81 : グーグルのトップ頁みると本日は、馬の連続写真で有名な エドワード・マイブリッジの誕生日 http://www.cookbooks.jp/ef-2/ef2-4-1.html
82 : スピノザは持ち上げられすぎてる哲学者。 それぞれの思想家がそれぞれの立場を 投影して、勝手に読み解いてるつもりでいる。 日本でも酷い過大評価で「エチカ」のラテン語原文と 注釈まで出ている始末。
83 : それはいえてる
84 : 結論より過程が大事ってのは、趣味の研究・読書なら、わかるんだけども、世間から金もらって研究してる場合には不適切だろう。
85 : ベルグソンの考えは、Aという原因から必然的にBという結果がでてくるっていうのは間違いなんで、 Aという原因からでてくる結果の可能性はBもCもDもある。 そのいくつかある可能な結果のうちどれか一つが実際は実現するというわけだ。 CならCが実現したと、そうするとCが実現した後から、CのほうからAを振り返ってみるとAからCへ 必然的にこのことがおこなわれたというふうにみえるんで、結果から原因をみれば必然的なんだけども、 結果がおこるまえの原因のAのほうからあらかじめCが必然的な結果だとしてみえてくるってことはないと。 それは間違いで、Aという原因からはいくつもの可能性がふくまれているんで、どれを選ぶかは人間の 自由意志だと、あるいは偶然であると、そういう考え方だ。
86 : >>85 具体的な書名くらいは上げて。
87 : >>82 エチカもほかの岩波の翻訳も通読していないけれど、きちんと読んでおきたい、という気がしている。 今年のスピノザの朝カルは満席らしい。 http://d.hatena.ne.jp/jmiyaza/searchdiary?of=0&word=%2A%5B%C6%BB%C1%F0%5D -- http://blog.foxydog.pepper.jp/?eid=980304 デカルトはいわゆる常識に通じる。誰でも分かる。 スピノザは常識に通じない。分かる人に分かる。 スピノザがやっているのは、「こうしなさい」「こうすればいい」ということではなく、 「方法が実現したときの状態を描写する」 ことである。 証明ではなく状態の描写。考えていけば分かる、というスタンス。 -- このレジュメはTractatus 6.54 と同じことを言っているとしかおもえない。 Meine Sätze erläutern dadurch, dass sie der, welcher mich versteht, am Ende als unsinnig erkennt, wenn er durch sie - auf ihnen - über sie hinausgestiegen ist. (Er muss sozusagen die Leiter wegwerfen, nachdem er auf ihr hinaufgestiegen ist.) Er muss diese Sätze überwinden, dann sieht er die Welt richtig. My propositions are elucidatory in this way: he who understands me finally recognizes them as senseless, when he has climbed out through them, on them, over them. (He must so to speak throw away the ladder, after he has climbed up on it.) He must surmount these propositions; then he sees the world rightly.
88 : >>87 補足。引用は下記サイトから。 http://www.kfs.org/~jonathan/witt/tlph.html
89 : うへ
90 : >>87 暇倫に批判的なレビューを書いていたお医者さん、結局、國分氏のスピノザ講義 を受講しているのですね。 満員はスピノザへの関心だけでなく、國分氏の人気という面も大きそう。 スピノザのエチカと暇倫、神のような絶対者を棚上げして、神なき時代に人間がよく生きる にはどうしたらよいかという人生哲学的なところがあり、そこに魅かれるのかも。 一杯のお茶が飲めるなら世界なんか滅亡したっていいさと無神論者にいわせているドスト エフスキーと違い、國分氏のベースには、「文学(哲学も)はアフリカの飢えた子ども達の 前で何ができるか」(サルトル)といった熱いヒューマニズムがあるようだ。 極端になると「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない 」(宮澤 賢治)に行きつきかねないような。前スレ606 阪神大震災で驚くべき数の人たちがボランティアに訪れた。今回の震災でも。 暇倫では次の課題として最後にちらっと触れられるだけだけど >どうすれば皆が暇になれるか、皆に暇を許す社会が訪れるか >暇の「王国」こそが「自由の王国」である。誰もがこの「王国」の根本的条件にあずかる ことのできる社会が作られねばならない
91 : >>87 少年時代のラカンはスピノチストだった。 セーゴー氏も、自分は20代半ばまではスピノチストだったけど、17世紀のユダ ヤ人が神を論じることの凄まじさがだんだん見えてきて、スピノザからいったん 遠ざかった、ライプニッツの方が身近になったみたいなことを書いている。 >すでにヘーゲルにして、「スピノザは近代哲学の原点である。スピノザ主義か、 いかなる哲学でもないか、そのどちらかだ」と言っていたのだし、ベルグソンは 「すべての哲学者には二つの哲学がある。自分の哲学とスピノザの哲学である」 とまで書いていた。スピノザとほぼ同時代の神学者ピエール・ベールですら、 はやくも「宗教心がほとんどなくて、それをあまり隠さないのであれば、誰だって スピノザ主義者なのである」と囃したてていた。 ようするに、スピノザについて発言することは、たちまち全ヨーロッパの知との 関係を問われるか、さもなくば自分の哲学を問われるということなのだ。 http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0842.html
92 : 若い頃に、スピノザ、ことにエチカに嵌る人が多いのは、幾何学的大系に、1冊 の小さな本の中に、深遠なる宇宙全体・世界全体、森羅万象、語り得るものすべて が封じ込められているのではないかと期待させる形式だからかな。 ヴィトゲンの論考も。 若者の性急さと相俟って。 幾何学的形式ではないけど、例えば、ブーバー「我と汝」、ウォーコップ「ものの 考え方」なんかもそんな感じがある。
93 : 「失われた時を求めて」にもそこにプルーストという天才がとらえた世界全体 (プルーストの全生涯が背景にある)が封じ込められているといった魅力を感じる。 少年時代のロラン・バルトにとっても。 >プルーストの作品は、少なくとも私にとっては、参考書であり、全体の マテジスであり、文学の宇宙開闢説の曼荼羅である(中略)プルーストは 私にやって来るのであって、私が呼び寄せるのではない。それは《権威》 ではない。単に、循環する記憶なのである。「テキストの快楽」68頁。 マテジスはフーコー「言葉と物」にでてくる用語。 精密科学の全領域における科学的認識の基礎。複雑な自然を秩序づける 「タクシノミア」に対し、単純な自然を秩序づける(その普遍的方法が 「数学」)。
94 : >>87 ご紹介の國分・萱野対談のメモすばらしいですね、d。 「原罪とは、悪とは食あたりだ」 座布団10枚って言いたくなる。 このメモの次のコンテンツがオギュスタン・ベルクの講演メモ、 ベルクには一時ハマったなあ http://blog.foxydog.pepper.jp/?eid=980307 http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0077.html
95 : >>87 レス大杉ですまそ。 >登りきったら梯子は投げ捨てねばならない。byヴィトゲン ちょっと禅の公案みたい、むしろ密教か 國分・萱野対談メモにもこうある。 >スピノザはある意味「密教的真理」である。 空海なんかも、阿と吽の2文字や曼荼羅に全宇宙の真理が込められているとする。 でも、それはわかる人にはわかるが、わからない人にはわからない。 わかるための補助輪みたいなもの。 わかったら補助輪は取り外さねばばらない。
96 : セーゴー氏の千夜千冊冒頭で言及されるけど>>91 フェルメールとスピノザは同じ1632年、 アムステルダム生まれ 國分功一郎「スピノザの方法」の表紙のフェルメール http://yojiseki.exblog.jp/11966161/
97 : ミシェル・シュネデール『プルースト 母親し』>>22 プルーストの全テキスト(草稿、書簡も含めた)を読み込んで、 伝記的事実も渉猟したうえで書かれていると思われる。 250頁ちょっとなのに、非常に密度が濃く、1日、2日ではとても 読めない。アフォリズム、鋭い洞察が散りばめられている。 吉田城が訳してくれているのがうれしい。 邦訳のある作品(年は原著の刊行年) 『グレン・グールド 孤独のアリア』(1988) 『シューマン 黄昏のアリア』(1989) 『プルースト 母親し』(1999) 『マリリン・モンローの最期を知る男』(2006、アンテラリエ賞)
98 : >>97 Thanks. シュネデールは、 『グレン・グールド 孤独のアリア』 『プルースト 母親し』 はかなり時期が離れているけれど、それぞれはなんとなく読んでいました。 ただ、グールドは関連本が多すぎて読み切れていないくらい。 プルーストも本人の公開されている作品さえ読み切れていないのに、批評のたぐいもたまっている。 この中でのこの2つが同じ作家、ということさえ気づかなかった。 『シューマン 黄昏のアリア』は気にはなっているけれど、みていない。 以前も書いたけれど、高橋悠治の『ロベルト・シューマン』だけで十分かな。
99 : >>66 鈴木晶は前スレでとりあげた「ディアギレフ」も翻訳していた。 初めて読んだのは、内田樹との対談。 レーラーの「プルーストの記憶、セザンヌの眼」は「脳科学」が怪しげ(トンデモ)にしか見えていないので、未読。 機会があれば立ち読みするつもり。 エドマンド・ウィルソン「アクセルの城」はどこかに埋もれているはず。 このスレにくるようになってから、読む本が手元にある古いものから新しく買う本までマジに増えてしまった。
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