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2012年5月創価・公明115: 日蓮ってver.21 (295)
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日蓮ってver.21
- 1 :11/11/26 〜 最終レス :12/05/10
- 日蓮ってver.20
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1309092933/
「日蓮って」過去ログ
http://hyakkimaru.nukenin.jp/
創価学会の教義と日蓮仏法について、真面目に語るスレッドです。
創価学会員側の論客大歓迎です。
他スレで教義について議論になったら当スレへ誘導してください。
コテハン推奨。sage推奨。「荒らし」は無視で。
スレが荒れる原因になりますので、野次、暴言、挑発、嘲笑、語尾のwwwはNGです。
スレ違いの話題もほどほどに。
初心者の方も教義についての質問があればお気軽に書きこんでください。
- 2 :
- 大正新脩大藏經テキストデータベース
http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php
日蓮宗現代宗教研究所 文献資料
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/database/bunken/bunken.htm
興門所伝考
http://lupinus.org/naohito/
佛教再考
http://www.geocities.jp/saikakudoppo/
富士門流信徒の掲示板
http://jbbs.livedoor.jp/study/364/
創価学会教学基礎情報
http://www.sokanet.jp/kaiin/kisokyogaku/index.html
宮田幸一のホームページ
http://hw001.spaaqs.ne.jp/miya33x/index.html
- 3 :
- 前スレより転載する。
801
名無しさん@お腹いっぱい。 ↓ 2011/11/26 (土) 23:56:50.02 ID:eLGfWsRy
>>798
揚げ足取りみたいなやり取りをするなら、以後は答えない。
正しい教えを広めるのは、当然人や世を救うためである。
>そのように思想の高低を論じる割に、何か言われると何の客観性もない功徳の有無を重視する。
・信仰するものが求めるものは、信仰する生命に得・功徳があるかどうかである。
当然、そこには主観的なものと客観的なものとの両方がある。(例外はあるぞ。)
また、何の客観性もないというのは、あなたの主観的意見に過ぎない。
・正しい思想にのっとれば、正しい結果(得・功徳)を得ることができる。
だから、思想の高低はその信仰の質を表すものであり重要。
>恋人
恋する相手が創価学会員なら、それをひっくるめて愛すか学会からやめさせようと働きかけるか別れるかは、こちら側(俺じゃないぞw)の判断。
最終決定するのは当人。
可哀そうでもなんでもない。
- 4 :
- 中国人の天台チギ大師の論説を鵜呑みにした坊さんである。
チギの五時教判を基調にした教論を広めようとした。
明治以降の近代仏教の研究成果により五時教判は誤りであるとされた。
これは学ぶべき事実として確定されている。
目いっぱいおまけした所で真説ならぬ仮説だったのである。
それにもかかわらずいまだに五時教判を布教しているのが創価学会だ。
仏教なら嘘を言ってまで布教してはいけないと思うが如何か。
八歳の童子すらあっさりとわかる理屈なのである。
- 5 :
- 歴史に仮定は許されないのだが言わせて貰う。
<日蓮が仏教の歴史年表、義務教育版を一覧したならば>
である。
五時教判は明確な誤りだと認めた事だろう。
つまり南無妙法蓮華経と日蓮は唱えたか?
しなかったというのが本当だろうと思う。
知らないで済ませた という事は現代人には犯罪である。
ギリギリ江戸時代までは、間違いではなかったのが未だしもの
救いであろう。
- 6 :
- >>3
前スレの798です。
>揚げ足取りみたいなやり取りをするなら、以後は答えない。
>正しい教えを広めるのは、当然人や世を救うためである。
そうであれば言う順番は逆になるはずでしょう。
正しい宗教の力が絶大で、あなたやあなたの周囲の学会員が本当に救われているという実感があるのであれば、
教科書に書いてあるような答え方をしないのではないかと私は思います。
>また、何の客観性もないというのは、あなたの主観的意見に過ぎない。
私は当事者ではありませんから功徳について主観的ということは有り得ません。
また、客観性とは当事者以外のどの人が見てもそうだと確認できることを言います。
>可哀そうでもなんでもない。
思想に高低があり自己の思想が最も正しいという考え方の持ち主と思想を異にして結婚することは、
結婚相手に思想面で一生見下されて生きることを意味しますが、
相手から愛を大義名分にそのような一生を押し付けられることは私は可哀想だと思います。
次に続く
- 7 :
- >正しい思想にのっとれば、正しい結果(得・功徳)を得ることができる。
創価学会の教判の第一である内外相対に照らして
創価学会の教義は外道に該当します。
以下にそのことを説明します。
創価学会のHPにある内道についての説明にはこうあります。
>仏教(内道)では、人間の内面に変革の可能性があることを洞察し、
>今世の行いによって、苦悩を安心へ、不幸を幸福へと転換できることを説きます。
この人間の内面にある変革の可能性とは、要するに成仏の可能性のことですが、
富士派、創価学会の教義では人間誰しもが持つものではありません。
その変革の可能性の要たる仏種は正しい仏法を信奉する彼らが下種することによってしか衆生には発生しないのです。
たとえ菩薩のような振る舞いを重ねたところで正しい日蓮仏法に縁しなければ成仏はあり得ないと説きます。
このような不平等な教義の根幹は本未有善というものに由来しています。
これが富士派、創価学会の独善性、選民主義的性格の原因の一つと言えるでしょう。
富士派、創価学会は自己の因果を神などの自己の外に求めるものを外道だと規定しています。
しかし、富士派、創価学会が言うように成仏の可能性が元々の自己の中には無く、
他者から植えつけられなければ持つことができないのであれば、富士派、創価学会の教義もまた外道という他ないでしょう。
富士派、創価学会の思想・教義はこのように自己矛盾しており、選民主義的な差別思想です。
ですから正しい思想とは言えないでしょう。
また、元々同じ思想を持ちながら大石寺と創価学会が袂を分かったことからも
>正しい思想にのっとれば、正しい結果(得・功徳)を得ることができる。
に反していると言えるでしょう。
- 8 :
- >正しい教えを広めるのは、当然人や世を救うためである。
以上のことから創価学会が折伏をしなければいけないと考える理由はこう考えられます。
あなたは前スレでこのように言いました。
>なお、折伏は必要なこと。
>何故なら、正しい教えを人に積極的に教えなければ、その正しい教えは弘まっていかないからだ。
何故、その正しい教えは弘まらないのか、という疑問が脱落しています。
それはあなた方の中に、正しい教えは絶対に自然発生しないという根拠のない前提があるからです。
成仏の可能性を創価学会員にしか認めていないからです。
だから間違った宗教を折伏し、全ての人々に下種しなければいけないと考えるわけでしょう。
結局のところ、創価学会が折伏するのは人々や世の中を救うためなどではなく、
むしろ人々や世の中を尊敬していないからです。
何の根拠も無く人々に仏種がないと断じ、正しい教え・思想の自然発生の可能性も認めない。
それは何故か。
創価学会員が自分達だけが常に正しいという幻想に浸り続けるためです。
そのために折伏しているのです。
これを揚げ足取りと取りたいなら好きになさい。
言葉一つ大事にできないなら題目の五字七字も大事ではないのでしょう。
- 9 :
- チギは自爆スイッチを内部に仕掛け、
中共は外からミサイルを打ち込む。
中国人は日本人とはまた違うダイナミックな仏教破壊大作戦をやってくれるな。
- 10 :
- センセーに生まれ変わりだと嘘をつかれたかわいそうな鎌倉時代の僧侶
- 11 :
- 捏造経典を命懸けで持ち帰った人達ほどじゃない。
こちらは残酷すぎる。笑い話にもできない。
- 12 :
- >>11
天平の甍はイイ話だけどなー・・
それに比べて仏教の漢文原稿を読んだこともなく、
知ったかのうそ八百講釈をへたくそな文章の手紙に
えんえんと書き連ね、他人のワルクチも言い続け、
世の中にゴマンとある悲惨な出来事を見れば、
それは謗法の罪だとあざ笑い、
雨乞いの祈祷がうまくいかないのを見ればザマーミロと言い、
日照りに苦しむ庶民の姿をなによりも喜ぶ。
自分を信じて死んだ信者に対しては、おまえらは
猫に食べられるネズミ、鷹にくわれるキジだから
ガマンしろと冷たく突き放し、逆に自分が首を切られそうに
なると首切られる首切られると連呼して、こんな理不尽が
あってよいものかと怒ります。
もし自分の考えに異論があって質問されると、
ギャー!!! とヒステリーを起こし、おまえらは無間地獄に堕ちるぞ
と当たらない予言をかならずやり、質問には決して答えず、
別の人あての手紙につじつまの合わないアヤしげな屁理屈をならべ、
でも自分は法論に勝った勝ったと大騒ぎします。
小さな子供がば、他宗に帰依した罰だと喜び、
身延の寺に来た貧乏人の庶民はすべて追っ払い、
図に乗って自分の母親ほどの年のうすぎたない老婆も
門前払いし、でもその老婆の実家がじつは金持ちで、
多くの贈り物が届けられると、手のひらを返したような
態度で、歯の浮くような美辞麗句を書き連ねた手紙を送りつける。
わたしはそんな人にはなりたくないわー・・・
- 13 :
- 御書を何度も読んだが、題目をたくさんあげると功徳がある、という
言葉は、どこにも見つからなかった。
法華経に対する「信仰心」を強くすることが、最も大切だと書いて
あった。
- 14 :
- >>12
ご存知かもしれませんが、ネタとして、このHPも面白いですよ。
ヒップホップで学ぶ日蓮
http://d.hatena.ne.jp/Halalneet/20091109/1257784704
- 15 :
- 「律蔵」で検索してみると、ゴータマ在世時と思しき彼の弟子達の実に下劣な行状の事例を見ることができます。
生首の口でーに興じた、など正気を疑う事例が少なくありません。
仏教などただのカルトではなかったのかと疑問に感じます。
現代の仏教徒は現代の哲学や科学に従って合理的に生きる人だと言う人もいましたが、私はそうは思いません。
元より仏教徒には戒律が課せられています。それを破れば、最も重い処罰は教団追放、破門です。
それがゴータマが弟子に課した条件であり、それを忘れて仏教徒を名乗る資格はないでしょう。
ゴータマの教えばかりに目が行きがちですが、ゴータマは見解・教義では救われないと説いているのですから、
教えとはつまり解脱・悟りを開くためのアドバイスでしかありません。
むしろ生活スタイルを規定する戒律のほうが主であり、教えが従であると見るべきです。
悟りが言語化されているとすれば見解で救われないとする彼の言葉と矛盾するからです。
中村元がゴータマは実践哲学者であると言いましたが、
カラマ・スッタに見られるように確かにゴータマには実用主義的な側面が見られます。
ですから彼が人々に出家を勧めた理由も、生産活動によって業を作り出さないため等の
観念からくるものだとは私は思いません。
ゴータマ自身の苦行を諦めた後、成道するまでの生活を弟子達にトレースさせるため、
そしてそれ以外の余計な行為をさせないための出家ではないかと思うのです。
大乗仏教徒は菩薩行と言いますが、ゴータマやその弟子はむしろ在家に食べさせてもらっていた方ですから
菩薩行という自覚があったかは疑問です。
仏教徒は生産活動を禁じられていますから乞食が成功しなければ餓死するでしょう。
餓死を避けるためには盗み食いをしなければならないでしょうが、そうすれば戒律に背くことになります。
布施が常識の時代とはいえ、常に食料があったとは限りません。
おそらく甘いものではなかったことでしょう。
当時のインド以外でこのようなことは実現不可能でありますが、
このような生活スタイルでなければ仏教ではないのではないかと私は思います。
結局、仏教は変質して世界宗教となりましたが、オリジナルは単なる土着宗教に過ぎなかった、
というのが私なりの結論です。
- 16 :
- >>4-5・・・
五時教判のネタ元は涅槃経でしょ、
もし五時が一番エラいという主張なら、
最高経典は天台大師がお好きな涅槃経になるはずだけど、
法華経はたまたま五時のオマケってだけで、
天台大師も涅槃経には仏性の記述があり、
法華経にはそれが省略されている
シロート経典 (方便用) って言ってるわけだし、
いつのまにか経典名すりかわってて、
なんだかインチキくさい話ですよねー・・。
- 17 :
- ついでだから久々に法華文句ながめてみたけど・・
(次難其依涅槃五味判五時教)
その理由というのは、それが涅槃経の五味のたとえに依って
五つの時の教えに分類されていることです。
※五時の元ネタは涅槃経とある
(若五時明教。得五味方便之文
而失一道眞實之意。雖得其文配對失旨)
もし五つの時に分類された経典がその教えを明らかにするのなら、
それは五つの違った味わいの解説文を得ることであり、
その結果本当に意図された、たった一つの真意が失われてしまい、
それぞれの文章が意図するところは得られても、
ほんものの趣旨は失われてしまうのです。
※文章はすべて仮の説明である方便だと言ってます、
もちろん法華経もその例に漏れず、ただの方便です。
(牛若食者即得醍醐。正直純一。故不論五味。
若無差別中作差別者。約名字即乃至究竟即。判五味相生也)
牛が草を食べるように無心なものは即座によく発酵した
ヨーグルトを味わうことが出来るでしょう。真っすぐで混じりけがなく、
そのために五つの味を論じることもありません。
もしまったく区別のない世界の中にあるビミョーな違いを
みわける者がいれば、あっというまに分かれた元のものを
理解し、究極の場所に行き着くことでしょう。
五つの味のちがいを理解するとは、そういうやり方なのです。
※五味は段階でもレベルでなく、たったひとつの仏という
概念をあらわすいろんな表現のちがいに過ぎなくて、
五つのオイシイ味とでも・・・
- 18 :
- 天台大師の基本スタンスは中国禅思想や維摩経・般若経
あたりとほぼいっしょで、こんなカンジと思う。
1. その抽象概念 (感覚でもある) は文字や言葉では
正確に表現できません
2. だからすべての経典はそのなにかを示す仮の
もので優劣や区別はないのです。
まっ、仏教史に名をのこしてとーぜんの一人の巨人
ですな。それにくらべて念仏のワルクチ言いたい
ために 「ご飯にと砂利を混ぜて食う 」 みたいな
センスゼロのおばか文章しか書けないブタ坊主が
自分は天台大師を超えた、とかほざいてるわけで・・・
- 19 :
- >>16
4-5ではありませんが、智が涅槃経を最勝としたならば涅槃宗に下ったことになってしまいます。
しかし事実は涅槃宗は天台宗に吸収されているのです。
智は八教説を立てましたが、法華経のみを八教に含まれぬ超八醍醐と位置づけています。
また、五時説では酥に華厳経を配していますが、涅槃経の依文では酥は十二部経であり、
醍醐をあえて法華経に配したのと同様の牽強付会が見られます。
涅槃経の依文をあえて曲げて解釈したのも智と見るのが妥当ではないでしょうか。
そもそも華厳経には成道後21日間の間にはまだ登場するはずのない精舎や弟子達が記述されているのです。
まったく意味が分かりません。
現代の文献学に拠らずとも、大乗非仏説を論じなくても、
五時説には元よりなんら説得力がないと思います。
- 20 :
- >>19
それでは智の教判が他の教判を圧等し現在も影響力を持っている理由は
2chにカキコしている素人>超エリート集団
になる。
- 21 :
- >>20
日本語になっていませんね。
まったく意味が分かりません。
- 22 :
- >>21
> 2chにカキコしている素人>超エリート集団
↓
素人にも論破できる智の教判は知的階級の僧侶や指導者に受容された。
- 23 :
- >>22
私は事実しか書いていません。
一つ注意しなければならないのは、
現代人の我々には教判など必要ないことが分かっていますが、
智の時代の人間には教判が必要だと考えられていたということです。
つまり、智の教判を否定するためには彼の教判の矛盾を指摘するだけでは足らず、
対案を示す必要があっただろうということです。
さらに、その正しさを証明するためには単に論理的であるだけでなく、
当人に宗教者としてのそれなりの風格が備えられてなければいけませんし、
しっかりとした行法も確立していなければ宗教として無意味でした。
また最勝とする経典をどのように優れた解釈をするかも重要な点だったでしょう。
そもそも数多の経典をゴータマの直説とした上で完全な教判を構築することなど
元より無理なことでしょう。
これらの難しい条件を満たした上で智の教判を否定するのは
至難であっただろうと思います。
さらにいえば、智や天台宗の真価・魅力は五時説にあるわけではありません。
五時説の説得力は五時説以外からもたらされる部分も大きいでしょう。
仏教は結局宗教であり、数学や法律ではありませんから、単に論破するだけでは意味はないのです。
それゆえ、
>素人にも論破できる智の教判は知的階級の僧侶や指導者に受容された。
も不思議ではないということです。
- 24 :
- >>4
>中国人の天台チギ大師の論説を鵜呑みにした坊さんである。
日蓮は五時説について一応の検討をしていますが、辻褄をどうしても合わせられず、
「大部の経、大概是の如し。此れより已外諸の大小乗経は次第不定なり、
或は阿含経より已後に華厳経を説き、法華経より已後に方等般若を説く。
みな義類を以て之を収めて一処に置くべし」と匙を投げています。
そして五時説の矛盾解消を放棄し、無量義経の「四十余年未顕真実」を依文に
無量義経以前の経は全て無価値であると断定し、法華独勝を唱えたのです。
日蓮ですら五時説については完全に信用しておらず、半ば投げやりな態度であったと言えるでしょう。
学会員や法華講員はそうしたことも知らずに五時説を鵜呑みにしているのですから困ったものです。
- 25 :
- 無量義経の「四十余年」云々って、
本当に他の経典の価値を否定して
実践することも悪とする意味なの?
それとも日蓮の妄想?
- 26 :
- 論曰。智者章安。明文若此。今人?不寓目。尚自訛傳阿含十二方等八之妄説。為害甚大。
(法華玄義に云く。…
論じて曰く。智者章安の明文此くの若し。今人絶えて寓目せず。尚ほ自ら阿含十二方等八
の妄説を訛傳す。害甚だ大なりと為す。)-智旭 教觀綱宗
http://www.ouyi.mymailer.com.tw/ouyihtm/015/015-4.htm
会昌の法難では、天台宗の典籍は焼かれたり廃棄されたりして典籍を散逸していた。
そこで中国天台宗は朝鮮半島や日本の天台宗に欠けた典籍の復帰支援を請じなくては
ならなかった。実際、中国の高僧徳韶は日本に使者を送り、天台典籍を求めた。
それに応えて周の時代(953年)比叡山の日延が天台典籍を天台山に運んだ。
また、宋の時代(961)年 に高麗(朝鮮)では諦観法師が天台山に天台典籍をもたらした。
その過程で、中国天台宗に諦観の『天台四教儀』の五時八教教判の教義が混入してしまった。
http://www.kosaiji.org/hokke/tendai/kyogi.htm
- 27 :
- >>25
>本当に他の経典の価値を否定して実践することも悪とする意味なの?
疑問に感じられるのも当然で、無量義経だけでは諸経の価値の否定や実践禁止ということにはなりません。
日蓮は無量義経に法華経と涅槃経に書かれてあることも繋ぎ合わせることで排他的な教義を立てたのです。
しかし、日蓮のその編集法はタチの悪いものでした。
法華経には法華経を信じない者に他の経・修行を勧める文もあるからです。
そういう意味で日蓮のしたことは正確には妄想ではなく、詐欺だと言えるでしょう。
>>26
これは事実なのでしょうか?
どの程度を混入と言っているのかよくわかりません。
五時八教は智に由来するものであっただろうと私は思います。
リンク先にも
>五時八教という用語は妙楽大師湛然が既に使用している。
と書かれていますし、会昌の法難以前の唐の時代の最澄も
五時八教の教義内容について触れているようにみられます。
法華玄義にもあるのではないでしょうか。
また、智以前から他の教判が存在しているのに、
南三北七を下した智に教判がなかったというのは理解に苦しむことです。
- 28 :
- 大乗非仏説が定着している現在、五時八教について論ずるのは、
無意味なのではないでしょうか?
- 29 :
- >>28
いいえ、無意味ではありません。
科学は仮説しか提示できません。
現代の科学で検証不可能の余地に
精一杯の淡い期待を寄せるのが信仰者の心理です。
信仰者は自分の信じるものが仮に物語であっても
信じるに足る内容があると考えるから信じられるのです。
しかし、信仰者が信じる教義それ自体に内在する矛盾や倫理的問題点を衝くことは
科学が提示する仮説とは全く意味が異なります。
それは時代の変化に左右された(される)相対的な否定ではなく、
絶対的な否定であるからです。
無論、こうした否定だけで必ず信仰が潰えるとは私は言いません。
>>3が
>信仰するものが求めるものは、信仰する生命に得・功徳があるかどうかである。
と言うように、
彼らが所願満足するか、絶望するかした時に信仰は潰えるものなのかもしれません。
- 30 :
- >>29
>科学は仮説しか提示できません。
現代の科学で検証不可能の余地に
精一杯の淡い期待を寄せるのが信仰者の心理です。
現代の仏教学では、大乗仏教は仏滅後500年を経過して創作された
との見解が主流です。
中国には、原始仏教や小乗経が、ほとんど入ってこなかったのが、
五時八教という、錯誤の原因でした。大乗経典の中だけで、優劣を
付けようとした点が、勘違いの始まりだったと思います。
- 31 :
- >>27
インド以来の定判は三蔵教は応身仏の説、大乗教は報身仏の説、密教は法身仏の説です。
いわゆる歴史上の釈尊が説いたのは三蔵教だけです。ただし法身の菩薩は同時に報身仏
の説法を聴いたのであり、つまり通の五時が正意で別の五時は傍意であるという意味です。
- 32 :
- 華厳経は釈尊が説法をする以前の自受法楽を表現した経です。
涅槃経は釈尊が入滅する直前の説法です。つまり大乗経の設定
には時節があり、これを別の五時といいます。
けれども応身仏、歴史上の釈尊が説いたのは三蔵経だけです。
報身仏の説法は凡夫・二乗には感見不可能であり、法身の菩薩、
弥勒菩薩とか文殊菩薩とか大乗経の登場人物だけが感見できた。
だから実際には大乗経には時節はない、これを通の五時といいます。
- 33 :
- >>31
>>32
> インド以来の定判は三蔵教は応身仏の説、大乗教は報身仏の説、密教は法身仏の説です。
> いわゆる歴史上の釈尊が説いたのは三蔵教だけです。
三蔵経って「経」「律」「論」ですよね。歴史上の釈尊は「経」「律」「論」を
説いていましたでしょうか?
>つまり通の五時が正意で別の五時は傍意であるという意味です。
もうしわけありませんが、どうも意味が理解できないのですが。
もうすこしかみくだいた表現にしていただけませんでしょうか。
>華厳経は釈尊が説法をする以前の自受法楽を表現した経です。
>涅槃経は釈尊が入滅する直前の説法です。つまり大乗経の設定
>には時節があり、これを別の五時といいます。
これがいわゆる五時八教の教判ではないのですか?
- 34 :
- コテハンがぬけていました。
- 35 :
- 「四十余年未顕真実」を悟り←―→悟ってないの間のグラデーションで捕らえ、
法華経を悟りを完成させるための教えとして捉えるのが既成仏教の立場。
「四十余年未顕真実」をオール・オア・ナッシングで見、法華経は全肯定だが、
それ以前の説法は全否定として捕らえたのが日蓮の立場ってことだろうか。
- 36 :
- >>31
大乗仏典はテルマだという宗教板の縁起一代さんのような捕らえ方ですね。
彼によると、大乗仏典は聖者がダルマを聞き感得され、文字化されたものだそうです。
参考資料として以下をあげていました。
ttp://www.amazon.com/Hidden-Teachings-Tibet-Explanation-Tradition/dp/086171122X
彼が
ttp://mimizun.com/log/2ch/psy/1313562213/の291で言っている「受用身」とは
報身仏の説法に対応するのかも?彼は中公文庫の大乗仏典の訳を評価していましたが、
『法華経 U』の解説(314ページ)には「この本仏は釈尊の報身を説いたもので」とあります。
報身なのはあくまで本仏で、地上に生まれた釈迦と法華経の説法は歴史上の釈迦が説いたものだ、
というのが法華経の作者たちの考えなのでしょうか。
- 37 :
- >>36
>地上に生まれた釈迦と法華経の説法は歴史上の釈迦が説いたもの
だ、 というのが法華経の作者たちの考えなのでしょうか。
すみませんが、全く話の意味がわかりませんので、誰にでも理解で
きる文章を書いていただけませんか?
ここのところ難しい言葉を羅列する人がいますが、良い文章ではあ
りませんし、ご本人が、その言葉を理解していない証拠です。
仏教初心者にも理解できる言葉で、なるべく簡単に書きましょう。
独り言を羅列するつもりなら仕方ないですが、他の人と議論したい
という気持ちがあれば、簡単明瞭に書いてください。
本当に理解している人は、簡単な言葉で文章を書けるはずです。
- 38 :
- 法華経はアーガマと同じく、
歴史上の釈迦が説いた、と法華経の作者は考えていたんでしょうか、
という意味です。
法華経の作者からすれば、歴史や時間を超えてるのはあくまで本仏だけ
かな?と思いました。
- 39 :
- 仏弟子も登場するということは、大乗仏典も歴史上の釈迦が説いた
という設定になっているのではないでしょうか。
観無量寿経にはアジャセ王子のような普通の人も出てきますし。
大乗仏典は報身の説法とする解釈では、
このあたりをどう処理するのでしょうか。
- 40 :
- >>30
あなたが何を仰りたいのか判然としませんが、
定説はあるものの、現代でもゴータマの直説を完全に確定することは不可能なのですよ。
だからこそ信仰者はその未確定性に希望を抱き続け、科学的研究の成果を容易には受け入れないわけで、
それ故に彼らが信じる教義それ自体に内在する矛盾を衝くことには意味があると言っているわけなんですよ。
譬えるなら、ある人が昔から作って食べている焼き飯を指して、それはチャーハンでない、といくら否定しても、
その人が焼き飯を好きであり続ける限り焼き飯を作って食べ続けるようなものです。
その人は昔からの焼き飯を人生の何にも換えがたいと信じる人です。
そのような人にチャーハンの作り方を無理に押し付けても
かえってチャーハン嫌いにしてしまう可能性すらあるでしょう。
私が五時八教についてあえて論じているのは、そういうことをするのではなく、
その人が本来絶対に食べてはいけない危険物だと思っているはずの具材が
当人も知らないうちに実は焼き飯の中に入れてしまっているんですよ、
と教えるほうが意味があると考えているからです。
あなたは日蓮正宗や創価学会を「仏教」だと錯覚しているのかもしれませんが、彼ら自身にそんな自覚はないのです。
あくまでも彼らが信じているのは「日蓮仏法」であって「仏教」ではないのです。
彼らには仏教の中に日蓮仏法がある、という認識ありません。誤解されませんように。
また、
>中国には、原始仏教や小乗経が、ほとんど入ってこなかったのが、
>五時八教という、錯誤の原因でした。大乗経典の中だけで、
これはあなたの誤解でしょう。ほとんどが伝来しています。
教判にもアーガマは含まれていますが大乗経典の中だけで、とは何のことでしょうか?
>>37
文章がおかしくて理解できないなら理解できないと言えばいいだけでしょう。
何が難しいか易しいかは人によって基準が異なります。専門的な事柄は専門的な言葉を使用しなければ正確な議論はできません。
専門的なものを日常的な言葉に置き換えるのは詐欺です。詐欺師ほどよくそう言って無知なる者を騙すものです。
難しいものを難しいものと、簡単なものは簡単なものと正しく認識し区別できるのが本当に理解力のある人です。
- 41 :
- >>36
291の発言はだいたいそうですね。阿難の結集とは別に文殊菩薩などが大乗経を
結集し、竜宮などに匿したと。それでチベットでは創作した経論をテルマだと称した。
>>39
華厳経は釈尊が説法する以前の、つまり仏弟子は一人もいないときの経典ですが、
会座に声聞はいます。そもそも説法する以前の経なのですから、史実ではないことは
当然なわけですね。
- 42 :
- >>36
法華の教主自体は応身ではないかという議論は古来あり、「生身尊特」の論争といいます。
『天台宗論議二百題』の「法華教主」にはこうあります。
問う 法華の教主は、三身の中には、いずれぞや。
答う 報身なり。
もし、報身なりといわば、相多身大、これを報身と名づく。法華の教主は、四八の相好なり。
まさにこれ応身なるべし。ここをもって経の文に「微妙浄法身具相三十二」と説けり。
もしこれによって、しかなりといわば、方便品の記には「当知法華報仏所説」と判ぜり。
知るべし、報身なりということを。
答う いまの経は、開権の教主は「従劣弁勝」なるが故に、三十二相相相尊特なり。
なんぞ報身にあらざるや。ここをもって宗の師「垢衣内身実是長者」と判ぜり。
ただし一辺の難に至っては、劣身すなわち尊特なるが故に、相違なきなり。
…
- 43 :
- もともと(サンスクリット語)の経には“仏”の語源は無いと聞いている。
漢訳されてから、菩薩と差別に扱い分けたみたいだ。
相撲でいう、大関が最高だったのに横綱という地位を置いたようなものかな。
会長という役職の上に“名誉会長”・・・というのにも似ているね。
ブッダ=めざめたひと
漢字で表記をすると段々に難しくなってしまいそう。
朝起きて目覚めた自分が三十二相になっていたら・・・まだ夢かと悟りたいw
譬えとしての言葉での表現のしかたでも、度が過ぎた解釈の訳しかたに、庶民達は妄想に浸ってしまいそう。
その国の王の上に架空の神、仏、天などとを置き、
「は〜い、天からの御言葉で〜す」と民衆に言えば、ちょっと評判の悪い王でも謀反を防げるね。
そのために国王の側近として、宗教は欠かせないものだったのでしょう。
日蓮も、この国の祭儀の代表の長とし執行によって国を変えるつもりでいたのでしょうね。
しかしこれ、よ〜く考えてみれば、国を二分に争う事になったでしょう。
“神も仏も名無しさん”とは・・・ゆかぬw
- 44 :
- >>40
>あなたは日蓮正宗や創価学会を「仏教」だと錯覚しているのかもしれませんが、彼ら自身にそんな自覚はないのです。
>あくまでも彼らが信じているのは「日蓮仏法」であって「仏教」ではないのです。
>彼らには仏教の中に日蓮仏法がある、という認識ありません。誤解されませんように。
ここのところの意味が理解できないのですが、教えていただけるでしょうか?
歴史上の釈迦の存在なしに、日蓮系の仏教も存在しえないと思うのですが
どういった論理を持って、日蓮仏法が仏教から独立して存在できるのでしょうか?
- 45 :
- >>40
> あなたは日蓮正宗や創価学会を「仏教」だと錯覚しているのかもしれませんが、彼ら自身にそんな自覚はないのです。
> あくまでも彼らが信じているのは「日蓮仏法」であって「仏教」ではないのです。
> 彼らには仏教の中に日蓮仏法がある、という認識ありません。誤解されませんように。
日蓮正宗や創価学会は二箇相承を真撰としている。
「身延山付嘱書」
> 釈尊五十年の説法 白蓮阿闍梨日興に相承す
釈尊五十年の説法が仏教以外の何だというのだろうか。
- 46 :
- >>44
創価学会員や法華講員は一般的には日蓮を歴史も超越した
久遠元初自受用報身如来であると信じ、
歴史上のゴータマについて軽視しているからです。
>>31-32
ご指摘ありがとうございます。
別の五時は高麗の諦観の説であったことについて
納得致しました。
>>45
創価学会員や法華講員は歴史上の釈尊をあまり尊敬していません。
「歴史上の釈尊?クククッ奴は四天王の中で最弱!」
みたいな感覚ですね。
- 47 :
- かなり適当ですが、創価学会員の認識はこんな感じだと思います。
S’:日蓮
S:池田大作
AAA:戸田城聖
AA:牧口常三郎、智、最澄、ゴータマ
A:クマーラジーヴァ、竜樹
- 48 :
- 法華講員だとこんな感じでしょうか。
S’:日蓮
S:日興
AAA:日目、御法主、智、ゴータマ
A:最澄、クマーラジーヴァ、ナーガールジュナ
無論、個人差はあるでしょうから参考程度として下さい。
創価学会員さん法華講員さんの異論反論は承ります。
創価学会員の認識については
最澄を下げて日興をAAに、Aに日目を入れたほうがよかったかもしれません。
- 49 :
- >>46
日蓮の教義は別の五時を強調して通の五時を無視し、
超八醍醐を唱えて円体無殊を無視する、山外派的、
つまり華厳よりの天台、東寺密教の土台は華厳なので
日本では東寺密教的な天台、そういう特徴ですね。
- 50 :
- >>49
報恩抄を一部読み返してみましたが、
日蓮が仏滅600年後の馬鳴を大乗経典の作成者と考えていた点について確認しました。
>通の五時を無視した
日蓮は通の五時を知らなかったわけでもなかったようですからその通りだと思います。
- 51 :
- 仏の三身という概念があるので
中国や日本の昔の仏者が、現代人のおもうような意味で
いろんな経が歴史上のお釈迦さんが説いたそのままの
記録と考えていたのかというと、それは違いますね。
- 52 :
- age
- 53 :
- 37です。
>>39
法華経はアーガマと同じく、 歴史上の釈迦が説いた、と法華経の
作者は考えていたんでしょうか、 という意味です。
現代仏教学では、スッタニパータなど原始仏教典が、最も古い経典で
釈尊の教えに近いとしています。そこには、法・報・応の三身などを
初めとする、難解な仏教用語は、ほとんど出てきません。
現代人、しかも仏教用語を一つも知らない人でも、理解できる経典で
す。大乗仏教は、歴史的には、まず西暦1世紀に、般若経が南インド
で創られ、次に、北西インドで法華経が創られました。それだけで
五時八経が根底からくつがえります。
法華経は、仏滅後500年経ってから創られました。法華経の作者は、
自分達が、釈尊が生きている時代にタイムスリップしたと仮定して、
法華経を書いたと思います。
当時、法華経の作者達は、伝統仏教の僧侶たちから、ひどい迫害を
受けました。伝統仏教の経典を差し置いて、自分たちで新しい経典
を創り出したのですから、無理もありません。悪口罵詈・刀杖瓦石
(とうじょうがしゃく)されました。それが勧持品弟13に「法華経
の行者は難に遭う」として、記録されました。
- 54 :
- >>51
そうなりますね。
前提の世界観が異なるなら、結論たる「仏説」の意味が異なるのも
至極当然のことです。
大乗経典は報身仏の説であり、法身の菩薩が天界などで説法を聴いて、
竜宮などに経を隠し、それらが龍樹により発見された、
というのがインド以来のおおよその説だと言われていますが、
ここで疑問に感じるのは六道・十界とは心の分類であるはず、ということです。
六道・十界は大乗経典の作成時には心の分類ではなかったのか。
それともそれとは別に天界などの異界の存在が信じられていたのか。
もしくは大乗経典の作成者らには何らかの神秘主義的傾向があったのか。
なんともいえぬ違和感を感じます。
大乗仏教者が自ら信じる経典を史実の仏教教団とは無関係
(しかしゴータマとはまったく無関係とは言わない)
だと認識した上でより一層尊重するというならば、
私はそこに逆に非常に強い神秘主義的な傾向を感じてしまいます。
- 55 :
- >>54
六道はその通りに実在するものと信じられていました。
16世紀に西洋の天文地理の知識が伝えられた後も
仏者は須弥山宇宙を信じていました。
明治になっても西洋の「邪説」を論破しようと活動する
人がおりました。
須弥山儀
http://www.ryukoku.ac.jp/about/pr/publications/63/05_treasure/index.htm
- 56 :
- 理趣経で他化自在天宮で説法するのも、文字通り如来が天界にある他化自在天の宮殿で説法したというだけの話であって、
現代人でいえば南極基地やホワイトハウス地下のシェルターで説法するのと同程度の隔たりしか想定されていないのかもしれません。
説法者の本体に相当する法身や久遠実成の如来は宇宙のどこからも超越した場所に鎮座しているのかもしれないが、
説法そのものは普通の衆生も住んでいる普通の場所で行われている。
- 57 :
- >>55
創造科学を主張し進化論を否定する聖書原理主義者が現在も猛威を振るう国よりまし。
- 58 :
- 視実等象儀詳説 佐田介石著 明治13年
三 述天地真象心所知非肉眼所知
天地の真象を知ることは眼に非ずして心にあり。
若し心に私考私説を挟むときは何程遠きに往くとも
天地の真象が知らるるものにあらず、又天地の広大なる
之を探て知り往て之を知らるるものと思ふは大に心得違ひなり。
心に真理を決知するときは往て探るを俟ず
坐ながらにして天地の真象知りがたきに非ず。
老子に不出戸知天下不窺不窺?見天道其出弥遠其知弥少
是以聖人不行而知不見而名といへるもの良に信ず可きの確言なり。
因て天象地理の至広の真象は望遠鏡や測量器にて
知らるるものに非ずと知るべし。
from 近代デジタルライブラリー http://kindai.ndl.go.jp/
*老子に 戸を出でずして天下を知り、まどよりう窺はずして天道を見る。
其の出ずることいよいよ遠ければ、其の知ることいよいよ少なし。
是を以て聖人は行かずして知り見ずしてあきらかなり。
- 59 :
- 日本の仏教界にほとんど福音派状態が見られないのは、
大乗非仏説によって、仏語としての権威が解体され尽くしたからだと思う。
原理主義という選択肢が消えてしまった。
- 60 :
- 五千回以上の郵便法違反、給料の不正受給、就業規則違反等々を犯した足立創価学会幹部に「嘘をついてしらばっくれろ」と指導した学会本部。
日蓮上人もびっくり仰天
「いつから犯罪者集団になったんだ?」
- 61 :
- 日蓮御書だってうそ八百の羅列やん、
しかも貧乏な庶民にはオドロクほど冷たい人だし、
衆生救済なんて口で言ってるだけで、じっさいには
なにひとつ行動してないやんけ。鎌倉幕府に意見
したとかも証拠書類がゼロで残ってなくて
日蓮教団が勝手に言ってるだけたし・・
- 62 :
- >>55.58
この佐田介石の視実等象儀、検索してみましたが面白い代物です。
日本の仏者の一人が明治期まで西洋の天文学に抵抗し、
神話の世界に住していたことは私にとっては意想外のことでした。
>六道はその通りに実在するものと信じられていました。
古代の仏者を現代の神秘主義者と同等視することは間違っているということでしょうか。
56が同一者の書き込みかわかりませんが、欲界の中の他化自在天は色を有していますから、
少なくとも天界の大部分が別次元の話ではなかったということは納得できることです。
宇宙ステーションや月面基地での説法ぐらいの感覚かなぁと思いますね。
ただ、無色界にまで至ると様相が変わりますね。
そこまでいくとコーザルだとかアストラルだとか言っているような現代の神秘主義者と
通ずるような感じもいたしますが、どうなのでしょう?
また、実在と言っても唯識の見地からみれば天も地獄も人界も等しく表象でしかないことになるのでしょう。
六道といい六道輪廻といっても空間や時間が表象でしかないならば意味を成さないことになるのでしょう。
仏者のいう実在とはあくまでも仮のものという認識でいいのでしょうか。
>>53
>五時八経が根底からくつがえります。
その五時説が元々の天台の考えの場合、元より歴史上のゴータマのみを念頭に置いて考えられたものではなかった、
ということについて今回ご指摘を受けてきているわけですね。
元より歴史上のゴータマのみを念頭に置いたものでない説を、歴史上のものしか考えない大乗非仏説によって
否定できる、と考えるのはちょっと難しいかもしれませんね。
天界でゴータマが説法したとされる経典をそのように信じるかどうかは、
神様がいるいないというのと同じで、もう純粋に信仰次元の問題ですから。
- 63 :
- 大乗非仏説が否定できるのは、
創価学会員が言うような、
「歴史上の釈迦が法華経を説いた」というような言説のみで、
「報身や法身のブッダが説いた」というような言説はできないと思います。
歴史を云々するのは科学による反証を覚悟しなければなりませんが、
報身や法身というのは元より科学的証明を放棄しており、カテゴリーが違いますから。
>>31.32のご指摘を私なりにまとめますと
日蓮は報身や法身のブッダが説いたという前提の上で
時節があると考える時節的順番をつけた別の五時を強調した。
一方、天台オリジナルの五時は通の五時と言われるもので、
報身や法身のブッダが説いたという前提の上で論理的順番をつけたもので、
時節はないと考えたものです。
この「時節」というものをどう考えるかで日蓮に対して
大乗非仏説が有効かどうか変わってくるのだと思いますね。
通の五時説にしても何をして時節なしと断じるのか32の内容だけですと
しっくりきません。
- 64 :
- >>19
だから法華文句のこのぶぶんですよ。
(次難其依涅槃五味判五時教)
そんなわけで、涅槃経の五味のたとえをもとにして、
五つの時代に経典をわけているのです。
天台大師は涅槃経の受け売り講釈をしてると自分で
言ってるわけで、その中身は・・
(若五時明教。得五味方便之文)
もし五つの時の経典が、お釈迦さまの教えを明らかにしているなら、
それは五つのちがった味わいの解説文を手に入れることです。
結局ね、五時教判などはそもそも存在してなくて、
日蓮教学と呼ばれるものが天台大師の権威を利用するために
うそをついて世間をダマしてるだけと思うね。
そして天台大師は、五味や五時をただのインデックスとして
説明のための分類に利用してるだけで、むしろ経典に優劣がないことを
強調してるんでしょうね。
それと超八醍醐は、天台大師じゃなくて、天台中期の妙楽大師って
ことになってるけど、原文ってホントにあるのかな?
- 65 :
- >>24
国家守護論のこの部分は成立時代の前後を検討してるわけだけど、
時代がアトのほうが高級な経典としたいのが、伝わってきますね、
経典の内容にはほとんど興味をしめさなくて単純というか。
それよりもこれにつづく文章が面白くて・・
(第二に諸経の浅深を明さば、無量義経に云く
「初に四諦を説き[阿含]次に方等十二部経・摩訶般若・華厳海空を説き
菩薩の歴劫修行を宣説す」亦云く「四十余年には未だ真実を顕わさず」又云く
「無量義経は尊く過上無し」←この部分に注目 ! ! !
此等の文の如くんば四十余年の諸経は無量義経に劣ること疑い無き者なり。)
このアヤしげなリクツは、無量義経の中に無量義経はそれ以上のものがない
と書いてあるから、だからそれ以前のすべての経典は無量義経に
劣るのだ、という主張。
完全に自画自賛のトリック論法なんだけど、これ見破れれば、
日蓮御書や日蓮教学に無数にあるみょーな屁理屈は、すぐに
指摘できるようになるはずですよ。
- 66 :
- 無量義経そのものが中国で作成された偽経というのが
定説ですしね。
- 67 :
- つーかさ
昔元カノに支部に連れていかれて
まぁ見学くらいなら〜って気持ちで行ったんだが
とりあえず氏名、住所、電話番号を小さな紙切れに書かされて
あと変な本と数珠買わされたんだけど
その小さな紙切れ見ながら個人情報を入信書みたいなのに書き写してたんだけど
これって訴えられるの?
入信したことになってたみたいで
ガチギレしてその書類目の前で破棄するように頼んだけどだめだった。
ちなみに名古屋の支部
- 68 :
- >>67
訴えても負けるな
宗教関係は個人情報保護法の適用外だからね。公明の暗躍のせいで
- 69 :
- >>68
そっかー
紙切れをこそこそ後ろで書き写してるの見て
この程度の人間がいるって思ったら可哀想になったが
最後の最後まで支部側擁護してたあの子とはさすがにもう無理だったわ。
まぁ終わってるのはその支部だけかもしれんけど。
二の舞三の舞は防げなさそうねー
- 70 :
- >>62
>神様がいるいないというのと同じで、もう純粋に信仰次元の問題ですから。
インドには紙がなかったために歴史があいまいであり、そのインドから伝わった
経典は中国ではぜんぜん成立史などはわからない。
しかし大乗の教えは仏滅後500年頃から世に現れたということはインドの伝承
で知っていたのですね。肉身のお釈迦さんが説いたのは阿含の経だけだと。
大乗が報身仏の教えだというのはキリスト教の「啓示」という考えと同じだと
いえますが、仏教だけでなくキリスト教でも現行の聖書のテキストが時間をかけて
成立したことは今日ではわかっています。だから「啓示」といっても霊感を与え
いっぺんに誰かに書かせたというのではなく、思想発展の歴史そのものが啓示
だとキリスト教でもいうしかないわけです。
そうしますと昔はいちおう霊感を与えていっぺんに書かせたと想定していたので
天主も報身仏も実在しないと考えるのが合理的だとする人が増えます。
しかし実在しないとなるとキリスト教、浄土真宗、日蓮宗などは成り立たなくなる
わけです。
- 71 :
- 釈迦の説法を、最初に書き留めなければならないのは誰だったのでしょうかね?
阿難だったとしたら、既に無量義経において『如是我聞一時仏住王舎城耆闍崛山中与大比丘衆万二千人倶。』と書きはじめているので、
法華経の序品において改めて書かなくてもいいのではないでしょうかね。
それと、
「四十余年には未だ真実を顕わさず」と述べているようですけど、
法華経の内容からして読み取れるのは“四十余年”などとの短期間の話でもなさそうな気がするのですけど、誰か詳しい御方さんが
いましたら教えていただけませんでしょうか。
無量義経と法華経の辻褄は合っているのかと疑問に思っています。
それと、釈迦が法華経を説く前に“文理真正”とは、、どういうことなんでしょ。
- 72 :
- 佛三身讃 西土賢聖撰
西天譯經三藏朝散大夫試光祿
卿明教大師臣法賢奉詔譯
法身
我今稽首法身佛 無喩難思普遍智 充滿法界無?礙 湛然寂靜無等等
非有非無性眞實 亦非多少離數量 平等無相若虚空 福利自他亦如是
報身
我今稽首報身佛 湛然安住大牟尼 哀愍化度菩薩衆 處會如日而普照
三祇積集諸功徳 始能圓滿寂靜道 以大音聲談妙法 普令獲得平等果
化身
我今稽首化身佛 菩提樹下成正覺 或起變現或寂靜 或復往化於十方
或轉法輪於鹿苑 或現大光如火聚 三塗苦報悉能除 三界無比大牟尼
迴向
如是佛身無漏智 我常信解淨三業 以無量慧大福行 一心垂愍諸群生
以今頌讃三身佛 所獲無漏功徳種 願我速證佛菩提 盡引衆生歸正道
(大正蔵 Vol. 32)
- 73 :
- >>64
>むしろ経典に優劣がないことを強調してるんでしょうね。
「方便之文」を解説文と訳するのは間違っていると思いますし、
また、「方便」にはそれぞれの方便間に優劣がない、という意味も無いでしょう。
「五味」とは牛を精製する過程における五段階の味のことであり、醍醐味が最高級とされていますから、
素直に優劣が含意されていると読むべきではないかと思います。
>結局ね、五時教判などはそもそも存在してなくて、
>日蓮教学と呼ばれるものが天台大師の権威を利用するために
>うそをついて世間をダマしてるだけと思うね。
これまでの議論を読んで下さい。
>それと超八醍醐は、天台大師じゃなくて、天台中期の妙楽大師って
>ことになってるけど、原文ってホントにあるのかな?
ご指摘の通り妙楽でしたね。
>>65
仮に無量義経が金口でありその内容を全肯定できるという原理主義的な前提に立ったとしても
>>27に書いた通り、法華経の内容と矛盾しているわけですから日蓮の論理は乙っているというわけです。
- 74 :
- 今經於八為屬何耶。若非超八之如是。安為此經之所聞。-法華文句記卷第一
(今教八に於て何に属するや。もし超八の如是に非ずんば、安んぞ此の経の所聞と為さん)
- 75 :
- 李世杰『天台哲学の原理』 169頁
第八に爾前所説の円教と法華所説の円教と同じでないこと。すなわち華厳円教
と法華円教と同じでないこと。此の事は「約教別与」と「約部通奪」の二種の
術語によって説明される。「約教別与」とは一切諸法円融無碍の円教の教体
からみれば、爾前所説の円教と法華円教と完全に同一で些かの区別もない。
但し「約部通奪」からみると、爾前の円教は大小権実の諸教みな一仏乗の円教
であると開会することができない。すなわち、爾前の円教は大小乗権実が対立
する相待の円教である。しかし法華円教は大小権実を開会しみな一仏乗の円教
とする。ゆえに絶待の円教であり、純円独妙の教であるから、あるいはこれを
「超八醍醐の教」とも云う。譬えていえば、「拳」とは五指の集まりであり、
五指を離れた拳の体は無い。この意味では、法華の教体は八教(八宗)以外に
無い。ただし「体」はそうであるが、我々が「拳」の一つの形態をさし「拳」
というとき、「拳」そのものと「五指」そのものとには区別がある。すなわち
この「拳」とは一本一本の指を超越した特別のはたらきである。この特別の
はたらきのゆえに、法華は八教を超越するともいうのである。(顕正居士訳)
天台哲学的原理 華岡佛学学報第4期 http://www.hhfg.org/fjyzx/f32.html
(八是爾前所説圓教與法華所説圓教之不同點大…)
- 76 :
- “但し!”とか“しかし!”とか“、○○即△△”とかって聞くと、なんだか腹が立つな。
しったかぶって偉そうに話しておいて、結論もまとめられずに終わらせる。
アンチがいなければ、グーは出せないww。(こっちはパーだけどね)
小乗や爾前の教えがあってこそ“正法”とかって言ってるだけでしょ。
こんないい加減な教養で自己満足に浸って、妄想世間を彷徨っているもんだww
戦場にも行きもしないで、「敵の放った矢に当たらない!」とか「仲間割れする!」とかホザいてるし。
先駆けの日蓮と自称してるならば、自らの法華行者の実証を蒙古軍の前で現してみればよかったのではないか?
そんでもって、、、こうか?
「しかし日蓮の場合は、正法を広めるための法論戦の先陣の大将ですから」ってねww
っていうか、法華経にはそのように書いてないしな。
宗教は物事の考え方を区別して考えさせるもんだから、争いが起きるではないのかね。
- 77 :
- >>75
せっかく貼り付けてあるので、何度も読んでみた。
結局、屁理屈だよ。
何の説明にもなってない。たとえも適当でない。
天台って馬鹿なんだな。という感想。
- 78 :
- >>75
仏教は中国に入ってから、理屈っぽくなったんですね。
- 79 :
- >>70
時間をかけて成立したから、啓示ではない、
いっぺんに誰かに書かせたというのではない、
というのは推論ですね。
随時、細々とした編集が入ったとしても、
原型はいっぺんにできたと考えてもおかしくはないはず。
創作は多くの人間が長時間関わって作るより、
才能と体力気力の充実した一人が短時間で書き上げてしまったほうが出来が良いものです。
インスピレーションを指して、漫画家のように「神が降りてきた」と言うのはよくあることです。
教義成立の過程を見て、合理的に考えるならそのような要素を入れる必要は無いかもしれないが、
仏教は瞑想を最初から採り入れているし、神話的要素も備えている。
だから神秘主義的要素があってもぜんぜんおかしくはない。
現代人が仏教徒であり続けるには合理的な解釈をしたほうが望ましいかもしれないが、
無理をしているような感じがしなくもないわけです。
>>74-75
氏は他所でその和訳のあとに次のようなコメントを付していますね。
>約部奪釈のみ知って約教与釈の「今円昔円円体無殊」を忘れると「超八醍醐」
>と称しかえって別教に転落し、「根源の一法」にまで至り得る、とおもう。
>>64や>>16-18の論調も「超八醍醐」の論調とさして変わらない感じも致します。
「約教別与」・「今円昔円円体無殊」といっても阿含経はそこに含まれていないようだから、
ゴータマを祖とした龍樹や法華経の意図に反しているような感じもしますね。どうなんでしょうか?
また、「約部通奪」が指す事柄は変質した釈尊教と大乗教の間の不協和を解消し、
本来の仏教を復興させるための思想として法華経が大乗経の中の一経典ではあるけれどもインテグラルな役割を持つ、ということでしょう。
まぁ、例えるならセーラームーンは他4人と同じ戦士でもあるけれど、シルバー・ミレニアム復活の鍵たる
幻の銀水晶を持つプリンセス・セレニティでもある、みたいなものでしょう。
しかし、本来の仏教の再生、つまりタキシード仮面の復活を諦めたり希望を失ったりすると、
セーラームーンは敵に破れて幻の銀水晶を奪われ、全てを飲み込む貪欲な「根源の一法」が復活する、といったような感じですかね。
>>78
いえ、仏教はインドでもすぐ理屈っぽくなっていたんですよ。
- 80 :
- この前、ーを極めて解脱したVIPPERがいたな
ストの極限であるチ○コも触らずにイクという脳イキまで極めたら
大学院の研究も絶好調になったって。
でも、そのうちボーとすることが多くなって、病院行ったら、医者に、
「脳内の興奮物質が慢性的に異常な量出ており脳が変調をきたしている」
「常習者の初期症状に似ている」
と言われたって。
悟りやインスピレーションというのもこれに似てるのかもしれないな
http://blog.livedoor.jp/himasoku123/archives/51683031.html
- 81 :
- 密教系のタントラ・ヨーガとかは、そういう修行をするみたいですね。
実際に出さないようにもできるとかとも聞きます。
中国のほう房中術でも、いったん出したのを、また吸い戻すとか。
ほんとうにできるのかどうか分からないですけど。
そのVIPPERも、そいういう才能があるのかも。
- 82 :
- >>81
密教は龍樹を祖師と擬しておりますが、
伝承によれば出家前の龍樹は強姦魔ですからね、
後宮に忍び入って妊娠させたことで事件が発覚し、輪姦仲間が処刑されたとされているようです。
しかし、
>実際に出さないようにもできるとかとも聞きます。
強姦時にこんなことができれば、彼の仲間も捕まらなかった。
彼がこのような宗教の祖師だとしたなら、
出家しても当時の失敗が忘れられなかったのかと、
侮蔑と嘲笑の的となるでしょうね。
もちろん、このような伝承が事実である可能性は低いでしょう。
事実ならば龍樹は今時のtwitterで犯罪自慢して自爆する馬鹿と同レベルということになりますからね。
強姦で仲間が処刑されるの見て、愛欲は苦の原因だと悟り出家した、などと
反省すべきところが違うだろ!というツッコミを入れたくなるような出家理由には
呆れてものも言えませんし、ましてやもし古人がその伝承を信じながらも龍樹に聖とか菩薩とか
尊称付けていたのだとすれば大乗の仏者というのはまことに唾棄すべき人種であるとしか
思えなくなってしまいますね。
クマーラジーヴァも何を考えてこのような伝承を伝えたのか、
自身が女犯を犯したからだろうか、意味が分からないところです。
- 83 :
- >>73得五味方便之文
「方便之文」のつづきはこうですよ。
雖得其文配對失旨
その文章の示すものが得られたとしても、
(お釈迦さまのホントウの)趣旨は失われてしまいます。
これが五味方便之文の説明、法華経も五味の文章だから
お釈迦さまの真意は伝わってないと言ってるのだ。
無量義経の四十余年未顕真実とは意見が反対で、
格別法華経だけを持ち上げてる部分は見当たりませんでした。
>>醍醐味が最高級とされ
法華文句の該当箇所はたぶんここ。
今佛熟前番人 以法華爲醍醐
仏が熟成されるその前に二つのつがいのものがあり
そのため法華は醍醐とされ、
更熟後段人。重將般若兆汰方入涅槃。
さらに熟成されたあとに区別があらわれ、
般若を洗練させたものと重なって、
まさに涅槃に入ります。
※つがい(番人)の二つは涅槃経と法華経。
まっ、解説はしないけど、五時教判や醍醐サイコーに
相当するものも法華文句には見つかりませんが・・
- 84 :
- >>75
貼ってくれた人ありがとさんです。
これは日蓮教団十八番、天台教義の法華一乗を法華経が一番と
デタラメ解釈したのと同じことで、かんたんに書けば、
(日蓮教)
法華 = 法華経のこと
(天台)
法華 = 法華経ではなく、ほとけが現れた状態を示す言葉、
成仏や真理、法、などと同義語
でしょ? 似てる言葉を利用して勝手に意味をすりかえる手口、
超八醍醐は法華経ではなく、瞑想とか内観であらわれる
頭の中の抽象感覚のことと思うけど、八教の経典を超えた教えなら、
文字としては存在しないんだろうし。
権威に執着する日蓮教学なら、法華円経=法華経としたいとこでしょうが。
- 85 :
- >>83>>84
・・と書いてて、思い出したのは、えっらそうに天台教義を
利用しまくってるけど、日蓮さんって天台僧じゃないのね。
でも立正安国論のあたまはこうなってるらしく、
(天台沙門日蓮勘之)
天台宗の正式な僧侶である、日蓮が考えました
この部分を省略してゴマかしてる御書選集あるけど、
証拠ゼロなんかね? なんだか隠ぺい体質のような・・・、
それで天台の印可状がないとして、仮に日蓮さんをニセ坊主という
設定にすると、こんなモンダイが発生します。
1. 天台の相承がなければ仏教ではないから、日蓮さんは外道となり
五重の相対の第一である内外相対がくずれてんじゃね?
2. さすがに経歴詐称の論文を幕府に提出するのは無理だから、
安国論はじっさいには提出などされてないのでわ?
これは5-6年関連スレで質問つづけてるけど、いまだに天台の
印可状がどこにあるのか誰も教えてはくれません、
もちろん日蓮教はサギ集団ではないはずと思うので、
探せばどっかにあるのかも知れませんけどね・・
- 86 :
- >>83
今まで指摘してきませんでしたが、残念ながら法華文句にはあなたが仰る文は一切ありません。
また、私は漢文について詳しくありませんが、あなたの訳が正しいともあまり思えないのですね。
顕正居士氏と違ってあなたの書き下しや釈を信用することはできませんし、
該当箇所については著名な方の書き下し文などの併記をお願いしたいところです。
若五時明教。得五味方便之文。而失一道眞實之意。
雖得其文配對失旨。其文通用其對宜休。
また、あなたは「其文通用其對宜休」について触れませんでしたが、何故でしょう?
私にはこの文が一連の文の結論のように思えるので何故略すのかはなはだ不審に感じます。
一般的な天台に関する見解と異なることを述べている以上、説得力が欲しいところです。
>>84
私の理解だと超八醍醐、妙楽の考え方は華厳的、禅的なところがあるから智とは違うという批判があるわけですね。
>>85
日蓮は天台の寺で出家し、受戒もしているわけですから
天台僧を名乗ったことにいったい何の問題があるのか私には分かりません。
天台の相承とか印可とか、一僧侶なら誰でも貰えるものなんですか?
また貰っていなかったら所属する宗派の僧侶を称することはできないのですか?
ちょっとよくわからないですねぇ。
- 87 :
- >>85さん、>>86さん 米山士郎です。
少しだけ私にも責任がある気がするのでちょっとだけ書きます。
日蓮さんが密教の影響を受けた天台僧侶であることは私の中では
前提になっています。密教以外の他宗にも曼荼羅は存在しますが、
伝統(歴史)的に仏像ではなく曼荼羅を本尊として扱う、となると話は別です。
密教ぽい、というか密教でなければ曼荼羅を本尊とする宗派で
代表的なのは密教かと。
相承とか印可の問題ですが、正宗系信徒会員は日蓮さんを究極の本仏
だと思っているわけです。人間(人格者)としても僧侶としても頭が良くて
究極だと。
正宗系信徒会員は曼荼羅曼荼羅、本尊本尊と口うるさいというか、
うっとおしいわけです。が、日蓮正宗では本尊の書写は法主の専権事項
(笑)だそうですが、天台宗の高僧であったという記録は少なくとも私は知りません。
師弟不二のような空海や最澄の直系を意味する、相承とか印可が
日蓮さんにあったのか?というと答えはNOだと(限りなく)断言して良いと思います。
密教辞典を立ち読みしたら、法主の系譜に日蓮さんの名前はありませんでした。
正宗系信徒会員の目を覚ます意味で私のブログでは
「法華経曼荼羅を書写する日蓮さんに密教の法主あるいは高僧としての
曼荼羅書写の相承、印可はなかったのでは?」
という意見です。
- 88 :
- 日蓮さんの法華経曼荼羅は佐渡始顕から徐々に発展している点や
立宗宣言当初、曼荼羅に言及がないのも理由です。
但し、誤解しないで欲しいのですが、私は日蓮さんが法華経曼荼羅を
独自につくったことは”広い意味、世間一般的な意味として” 「宗教性はある」 と思います。
日蓮さんに現代に通用しない欠点や問題があることはもちろん前提です。
また、”視野の狭い”正宗系教団の言動は 「非宗教、反宗教である」 ことは明白です。
私自身は日蓮の教えに信仰を実践する意味での興味は全くありません。
>>86さん
日蓮さんが天台僧を名乗ることに何の問題もないと思います。
>天台の相承とか印可とか、一僧侶なら誰でも貰えるものなんですか?
もらえないでしょうね。野良無線LANみないな野良僧侶だったのでは?
>また貰っていなかったら所属する宗派の僧侶を称することはできないのですか?
上に同じですね。
犀角独歩さんのブログが詳しいのですが、
「個々、個別の相承であれば日蓮さんはいろいろな人から受けていた。」みたいですね。
- 89 :
- △
天台宗の高僧であったという記録は少なくとも私は知りません。
◯
日蓮さんが天台宗の高僧であったという記録は少なくとも私は知りません。
- 90 :
- 不動愛染感見記に
自大日如來至于日蓮廿三代嫡々相承 建長六年六月廿五日 日蓮授新佛
とあり、日蓮は台密の相承を受け、日蓮阿闍梨と自ら号し、
弟子にも阿闍梨号を授与しています。
日大直兼問答記に日大は大聖人俊範ヨリ天台ノ法門ハ御相伝也と述べ、
天台の学匠直兼はこれを認めています。
- 91 :
- >>86
83氏の文章ですが、法華文句にはありませんが法華玄義の方にありますね。
P808の部分です。
http://www.chohoji.or.jp/TENDAI/santaibu/001/06.txt
- 92 :
- >>90さん
ありがとうございます。
阿闍梨、というか日蓮自身の階級はどの程度の位置づけだったんでしょうか?
昔、検索したのですが、よくわからないです。
京都奈良で阿闍梨になって地方に行った僧侶も大勢いそうですし。。。。
高野山真言宗の僧侶の僧位についての質問です。 - Yahoo!知恵袋
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1228276597
伝法灌頂 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%9D%E6%B3%95%E7%81%8C%E9%A0%82
>日蓮は台密の相承を受け
という台密の相承も、法主レベルでなく
部分的、つまり一人の僧侶としてやっていけるだけの相承だったのでは?
推測を踏まえてでも良いと思いますので、もう少しお考えを書いて頂けないでしょうか?
- 93 :
- どれくらい詳細なのか不明ですが、参考までに。
阿闍梨 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E9%97%8D%E6%A2%A8
- 94 :
- >>87-89
>少しだけ私にも責任がある気がするのでちょっとだけ書きます。
責任というのがどういうことなのかよくわかりませんが、まぁいいでしょう。
>もらえないでしょうね。野良無線LANみないな野良僧侶だったのでは?
少なくとも初期の日蓮が天台僧を名乗ることに問題がないのは当然でしょうし、
相承や印可が誰でも貰えるものではないのも勿論そうでしょうね。
ただ、野良無線LANとか野良僧侶とはおかしな言い方ですね。
>>91
勿論調べてあります。
引用文の最後の「其文通用其對宜休」は私も原文を調べて付加したのです。
私が訝しむのは何故、漢文を読みこんで訳したと仰る当人が
読んだ文書のタイトルなんかをずっと間違えているのか、です。
>>90
ご指摘ありがとうございます。
日蓮が弟子に阿闍梨号を授与しはじめたのが何時頃であるかご存知であるならば
ご教授お願い致します。
- 95 :
- 閑話休題。キリスト教圏ではID説があります。
仏教圏にはそういったものはないようですが、
三身説も高度な知性の存在を前提に考えれば、
なんら神秘主義的要素を加えずとも成立するであろうし、
私としては無宗教者であっても人の夢を壊すのは趣味ではないですし、
一つ考えてみてはいかがですかなと提案したい事案ではあります。
今日においても既に擬似的にではなく、
実際に空間に立体映像を投影する技術は実現してきています。
ttp://youtu.be/KfVS-npfVuY
ttp://youtu.be/gIugCRpWrpo
脳波でロボットを動かす技術も確立しつつあり、
量子テレポーテーションも研究が進んでいる。
また、アニメにあるような人体のテレポーテーションは
ttp://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/sikou2.html
上記のどこでもドアの思考実験でわかりやすく説明されているように
ありえない話であり、アバターのようなリモートコントロールが現実的でしょう。
リモートコントロール、立体映像、テレポーテーション、これらの技術が完全に確立し、
駆使されれば、天使や霊のような存在を作り出すなど造作も無いことでしょう。
天使の輪など、見方を変えればまるで立体映像の投影装置のようでもあるわけです。
仏といい菩薩といい、報身や応身の正体が地球外や未来の知的生命だとすれば、
無理に夢の無い話に落とし込まなくても、信仰を肯定的に捉える合理的な解釈が一応は可能でしょう(非常に愉快ですが)。
人類はこのままのペースで技術的発展を遂げますと、
2030年代末から2050年代初頭の間には技術的特異点を迎え、
猿人、旧人、新人(ホモサピエンス)、の次の段階のポスト・ヒューマンに至るという説があります。
大筋においては、それを疑う理由はさしあたり無いと思います。
ですからその現生人類の知能の限界を超えた超人の持つ叡智をして、
まさに超越、解脱、悟りの境地とか言ってもそんなに悪くはないかもしれません。
もちろん私自身はこうしたことを仏教の伝承と結びつける気持ちは全然ないのですが、
結び付けたい人がいたらいたでそれも面白いかなぁと思ったりもするわけです(少なくとも神秘主義なんかよりかは)。
- 96 :
- >>86残念ながら法華文句には・・
タイトル違いね−・・、んじゃ玄義に訂正しとくわ、
それと其文通用其對宜休、になんか特別なネタあるんなら、
さっさと訳して、隠さず私にも教えてくださいよ、
楽しみに待ってますから。
>>86日蓮は天台の寺で出家し、受戒もしているわけですから
これは初耳ですね、んでどこの寺?
たとえば静岡の実相寺みたいな? そのときの師匠の名前は?
これもあれば具体的に名前書いてみたらいいんじゃない?
はー、受戒もしてたんですかー・・・
>>87
日蓮さんは印可状のない嘘つき坊さん確実と思うけど、
天台の印可がないと証明するのも、また不可能ですからね。
それで、たまーにネットで印可状ある? と聞いてみるだけ。
答えはもうね・・。
それとわたしが聞きたいのは、高僧とか相承の話ではなく、
末端の一人の天台僧侶としての正式な資格はありますか?
というシンプルな質問。この資格を持ってなければ、
立正安国論は冒頭の経歴詐称からはじまってるインチキ文書でしょ?
とーぜん幕府に提出できるはずもなく、日本史教科書の記述は
うそとなり、中山法華経寺の国宝指定も問題ありじゃん、
という流れで・・・
- 97 :
- >>90
いわゆるナンチャッテ相承なんですね。シロートの檀家さんたちを
ダマくらかして仏教商売するのが目的だから、台密だの阿闍梨だの
勝手に自称して高僧ごっこやってます、と自分で言ってるわけで・・
たとえば比叡山の阿闍梨なら修行に三十年くらいかかるんじゃない?
日蓮年表にはそんな時間ないし、天台僧なのにお世話になった
本山の歴代座主をあれだけ口ぎたなく罵倒してるのもオカシイし、
そんなことしてなんで破門にならん? とかムジュンだらけ。
口先で言うだけじゃなく、こちらもまずは天台本山の印可を示すのが先でしょ。
- 98 :
- >>90
日大直兼台当問答記
http://9322.teacup.com/nichiren/bbs/73
この日大さんと直兼さんの問答は面白いですね、
直兼さんは初めから「ごもっとも」とか連発してフレンドリーで、
最後にとつぜん日蓮さんこそ妙悟で本地とかヨイショするところは、
立正安国論のストーリー展開をキチンと踏襲してますよね。
ただし直兼さんもそこそこのレベルには見えるから、
「証判」目当てに日大さんが中身改ざんした文書かもしらんね。
でも天台宗は真如言説宗であり、ここから如と説の字を取り去って、
真言宗と称する、みたいなまめ知識とかもあって、いろんな内容
テンコ盛りのなかなか楽しめる問答で、おススメですよ。
それと日大さんの「大聖人は俊範より天台の法門は御相伝なり」
とある天台僧の俊範は、後嵯峨天皇に止観の講義をした人物で、
増鏡にも後嵯峨天皇は止観を談ずるのがお好きとあるから
実在の人で、天皇とも面識ある有名人ということのようで。
ただし止観マスターなら座禅の瞑想と数息観による内観法が
必須の行法だから、文献受け売りしかできない日蓮さんとは
まるっきり接点がない人物という印象。結局これも
有名人の名前を利用しただけの根拠ゼロの話で、
また印可状のふりだしに戻らないといかんわな・・
- 99 :
- >>90
さらに「台密(天台密教)の相承」だけど、これ貼ってくれた人は
日蓮さんが密教ぎらいで真言憎しの怨念に凝り固まってる
こと知らんのかね? しかもこの文書は日蓮教団に毛嫌いされて
ねつ造偽書扱いされてんじゃないの?
日蓮さんの天台批判の要点は、もともと法華経を根本経典と
していた比叡山が、密教を導入して法華経をないがしろに
したのはケシカランという主張。
このヘンな言い分はともかく、叡山に密教を導入した極悪人である、
慈覚・智証の二人の天台座主を御書でののしること五十回。
叡山の戒壇は密教の泥で汚れてしまった、と見えすいた
田舎芝居で嘆いてみせ、さらになにをカン違いしたのか
日本密教の開祖である弘法大師までののしり始めて、
トータルでの密教批判は御書に百箇所以上あると思うよ。
それでも台密を相承したんですかー・・・。
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