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自由主義者としてのエドマンド・バーク


1 :08/09/13 〜 最終レス :12/05/03
バークが保守主義者だって?
自由主義者だろ。

2 :
保守主義者であり自由主義者である
バークは保守主義を一つのイデオロギーとして確立しちゃったからな

3 :
チョンだろう、共産主義、右翼。
たぶん、反日。

4 :
バークが確立したというよりも、
後の奴らが勝手にしたって感じもしなくもないけどな。
ハイエクは自分は保守主義者ではなく、自由主義者だとはっきり言っているし、
(どこかで転向してしてなければね)
バークをも自由主義者としてみていたと思う。
最近、保守主義を援用するために
バークの名を使うの必ずしも正確じゃないんじゃないかって思ってきた。
自由主義者としてのバークを語ることが実は重要なんじゃないかって、
最近はすごく思う。

5 :
>>3
意味がさっぱりわからんぞ 笑。
日本語を話せよ 笑

6 :
>>5
君がチョンで日本語、不自由な件了解。

7 :
>>4
もちろん、バーク以後の人々がバークを保守主義の元祖としたのも事実だが、
かといって保守主義をイデオロギーとして基礎づけたのがバークの著作であることも事実だ
とはいえ、バークは自由主義者でもあるので、それとして語るのは別に問題ないとは思う

8 :
>>6
俺がチョンか 笑
なんでもありだな 笑
少なくとも、バークの著作からは
「(美徳ある)自由」の言葉はかなり頻繁に見られるし、
それに対して「保守」の言葉を見出すのは難しい。
実際、彼はトーリー党じゃないし、
フランス革命以降、
フォックスと対比して彼は自分をオールド・ウィッグと表現した。
ウィッグ党員にして、
フランス革命に徹底抗戦を主張したバークの自由とは何であったのか。
彼がフランス革命に対して、
イギリスの国体、コモンウェルスを保守しようとしたのは間違いないし、
イギリスのコモンウェルスと(美徳ある)自由とういうのが深い関係性にあるということで、
保守的自由主義ということになるんだと思うけれど、
バークの保守的思想に対する日本の解釈が、単に反共、反左翼、反ジェンダー、
反ポストモダン程度を攻撃するためだけの道具としてだけ終わってしまうのであれば、
非常に残念に思うのです。
彼の自由論は
もっと科学哲学・論理学・記号論・認知科学などと照らし合わせることによって、
より有益で、具体的な論理的指標を建設できるのではないかと思っています。
バークは、バークに軽く触れている程度の人間がイメージするよりも、
遥かに知的であり、
彼のレトリックにおける一語一語の、一文一文の組み合わせは、
非常に計算されたものである、
俺はそう考えている。

9 :
ちなみに、一言加えておくと、
カール・ポパーは合理主義者(批判的合理主義者)の立場から、
伝統主義者であるとするバーク批判を試みているけれど、
(ただし、ポパーはかなりバークを擁護し、
伝統主義に対して今までの合理主義は批判し得ていないとしながら)
ポパー自身もバークを批判仕切れているとは全く思わない。
俺自身、ポパーは嫌いじゃないし、どちらかというと好きな方だけれど、
バークの方が何故か好きだな。

10 :
訂正
>>8
「単に反共、反左翼、反ジェンダー、
反ポストモダン程度を攻撃するためだけの道具」
    ↓
「単に共産主義、左翼、ジェンダー、
ポストモダン程度を攻撃するためだけの道具」

11 :
>>8
バークがチョン、共産主義

12 :
>>9
同じ科学哲学者兼社会哲学者のポラニーなんかはバークの事をかなり称賛しているね。
両者の依って立つ知識論の違いによるものかな。

13 :
ジャンポール・サルトル の思想はなんと素晴らしきことか

14 :
>>11
バークはアイルランド生まれのイギリスの政治家で、
マルクス主義が成立する前の時代の人で
イギリスの自由民主党(自由党)の前身ウィッグ党の政治家。
アメリカにおける革命を擁護、イギリスの東インド会社のインド圧政に異議を唱え、
対してフランス革命を誰よりも先駆けて徹底的に批判した人。

15 :
>>14
相手にしなさんなって

16 :
>>8
バークをして保守主義の嚆矢とするのは、別に「保守」の名がそこで用いられたからではない
単なる反動や反革命的態度ではなく、伝統的な政体や世界観を守るべき価値として自覚的に選び取ったからだ
それに、名誉革命以降の政体を支持するバークがウィッグであったとしてもなんの不思議もないし、
トーリーが保守党という名前になったのは1830年代だ
バークのころのトーリーとウィッグの違いは、王権との関係の違いにすぎない

17 :
>>8
あぁ、なんでもありだ。
自由主義だからな。(笑

18 :
>>12
バークの「偏見の擁護」「時効」はポラニーの「暗黙知」に通じるものがあると思う。
それに対して、ポパーは「イデア論」を敵視し、帰納法を徹底的に批判しているから、
両者は必ずしも理想とする社会の展望はそんなに遠くはないとは思うけれど、
論理の組み立て方が違うからねえ。
反証主義は独特の位置にあると言えるし、俺自身も反証主義は批判しきれない。

19 :
>>14
制度が人間に優先するという考え方。
「天皇機関説」の元祖だな。
フランス革命を批判、いまなら「ソ連崩壊」や「ベルリンの壁・ぶち壊し」を罵倒するだろう。
キム・ジョンイルバンザイとかな。クソだ。

20 :
>>16
確かにそうでしょうけれど、トーリーと保守党は切っても切れない。
少なからず、現在の保守党にはまだその名残があるでしょう。
これをもってバークが保守主義者ではない、なんてことは言わないにしても、
保守主義には何を保守するのかって問題はやはりある。
トーリーの保守的態度と、フォックス派の保守的態度、バークの保守的態度は異なる。
自由論のないバーク保守論は俺は空虚だと思う。

21 :
>>19
全然違う。

22 :
>>21
チョンの共産党、ぐうの音も出ず(笑
半島に帰れ!!!!!

23 :
>>20
バークの自由主義を、彼の保守主義と区別して論じることはできないけどな。
彼の自由には、伝統が染み付いているのだから。
>保守主義には何を保守するのかって問題はやはりある。
保守すべき価値はなにか。それは人によっても違うし、国や時代が違えばさらに異なってくる
バークの場合、著作でそのへんがはっきりしている。だからこそ、彼はその後の英国政治思想に圧倒的な影響を与えたし、
また保守主義の元祖となることも出来たわけだ。
>自由論のないバーク保守論は俺は空虚だと思う。
そりゃそうだ。
でも、バークがよその国に輸入されても、英国の伝統と結びついているバークの自由までも移植することは難しいだろう

24 :
>>14
>アメリカにおける革命を擁護
おかげで「プロ・アメリカン」呼ばわりされましたね
>イギリスの東インド会社のインド圧政に異議を唱え
ある意味で「慈恵的帝国主義」のさきがけですね
まぁどのみち帝国主義ですが
>フランス革命を誰よりも先駆けて徹底的に批判した人
アリストテレスなどの古典をしっかり読んでいたおかげ、そしてギボンたちとの交流のおかげですね、さすが当時のヨーロッパ随一の教養人
でも、熱月の反動以降のフランスは、ジャコバン主義ではなくナショナリズムに基づく対外政策をとっていたのに、
バークはいつまでもフランスのことをジャコバン主義だと思ってたみたいですね

25 :
>>24
そうですね。そのとおりだと思います。
英国の伝統とバークは切り離せない。
で、日本はどうするんだって話がでてくる。
日本の伝統って何?保守保守言っていても結局22みたいのが保守と言われれば、
俺は保守なんて御免だよ。日本の保守派は下らねえよ、って思う。
むしろバークが愛したイギリスの伝統、騎士道、教会に想いを寄せている、
寛大で紳士的な人間性をこそ尊重したい。
結局何を保守したいのか見えない。
日本の武士道的な態度、武士道が廃れて新渡戸稲造や内村鑑三が懐かしんだもの、
そういったものを保守したい、日本人がもっていた寛大な態度、人の意見に耳を傾けた態度、
他の東洋人が示さなかった好奇心、こういったものを大切にしたいっていうならわかるけれど、
馬鹿みたいに在日だのチョンだの、ただ、たまたま日本国籍をもって生まれただけのクズの主張を
俺は全く守りたいとは思わない。

26 :
間違った
25だけど
>>23です。

27 :
些細な部分につっこませてもらうが・・・
>日本の武士道的な態度、武士道が廃れて新渡戸稲造や内村鑑三が懐かしんだもの、
明治の「武士道」は、キリスト教がない日本にも道徳はあるんだ!と言おうとして新渡戸たちがこしらえた道徳にすぎない
武士が存在した時代の「武士道」はもっと血腥い

28 :
>>27
そこは突っ込まれると思いつつも書いた 笑
ただ、そこを指摘する場合、バークにとっての騎士道も同様に突っ込まれていいんじゃないだろうか?
また新渡戸達が「こしたえた」道徳というのは言いすぎじゃないか?
キリスト教との対比だけでなく
(おそらく学者連中相手にはキリスト教とした方がよかったのだろう)
新渡戸自身、バークの騎士道に対して武士道という対比はしている。
全くのゼロから創作したわけでもあるまいし、
彼らは少し前の時代には吉田松陰、橋本左内、勝海舟あたりがいたわけだから、
武士の精神の気高さは少ないにせよ窺い知れただろうし、
新渡戸あたりの世代は武士というものがどういうものか、
皮膚感覚で感じられる環境にはギリギリあったんじゃないかとは思う。
当然に実際の武士の精神と比べると、
大きな埋めがたい差異はあったと思うけれどね。
また、俺は個人的にはその「血腥さ」は普通に受け入れがたいが、
最悪の状況では、引き受けるのも男子ではないかと思う。
まあ、俺は現代人だからね、理想論で終わりそうな気もするけど、
吉田松陰や橋本左内の著作に触れている時などは本気で思うときはある。
こういう感覚は、自由論に行き着くんだ。
多数決・常識とは違う、その状況における個人の判断は時に優先されるべきという意味でね。

29 :
>ただ、そこを指摘する場合、バークにとっての騎士道も同様に突っ込まれていいんじゃないだろうか?
そうだな。
エルンスト・ルナン曰く、忘却(歴史的誤謬)こそが一つの国民の創造の本質的因子だそうだ。
あと、武士の「武士道」の血腥さというのは、葉隠的なものではなく(ありゃ平時の観念論だ)、江戸時代以前の戦闘集団だったころの武士道なので、
道徳論というよりは自らの実存の弁証といった感じ。
松陰や左内のような、儒教に基づくノブリス・オブリージュとは違う。

30 :
>8
拉致被害者をただちに帰国させ、お前は帰れ!!!!!

31 :
>>30
お前はしょうがねえな。
イカレ具合が可愛くもあるけどな。
バークを尊敬している人間が共産主義者なわけねえだろ。
おバカまるだしでちゅよ。
「拉致被害者をただちに帰国させ、お前は帰れ」って
お前どんだけ小市民だよ。
テレビとマンガばっかりみている坊やはママのでもしゃぶってな。

32 :
>>29
俺は「武士道的な」と表現しているからそれでいいの。
儒教に基づく平時の観念をなんで含めちゃいけないの?
戦国時代のものだってある種の観念論から入るじゃん。
中国由来の儒教きらい?
まあ、一部の韓国の歴史家によれば、儒教は韓国起源とかいうらしいけどね 笑。
皮肉で言ってんだけどね。

33 :
そろそろ釣られてる事に気付けよ

34 :
>>31
バークを尊敬している人間は共産主義のチョンだ。
お前が生きた見本だ。
儒教に肯定的なところでボロが出まくりだ。
チョン・台湾・支那
儒教な國=共産主義だ。

35 :
>>33
冗談はやめてよ。
こいつは俺が釣り上げたんだ 笑。

36 :
>>32
>儒教に基づく平時の観念をなんで含めちゃいけないの?
いつ含めちゃいかんと言った?
松陰が儒教的価値観に基づいて行動してたことは常識だと思うのだが。
ただ武士道はもともと儒教的な価値観を含まないし、時代によって変質してもいるので、
松陰や左内が武士だからといってなんでもかんでも「武士道的」とするのは、いい加減じゃないかと。
そもそも、君は「武士道的」とか「武士の精神の気高さ」とかいう言葉を、具体的にどういうものを想定して使ってるの?
>戦国時代のものだってある種の観念論から入るじゃん。
同じ観念論を含むとはいえ、葉隠などとはレベルが違うんだがなぁ。
>中国由来の儒教きらい?
何これwww
いつ儒教が嫌いだって書いた?
武士道と儒教を区別しただけで「儒教が嫌い」扱いするなんて・・・
>まあ、一部の韓国の歴史家によれば、儒教は韓国起源とかいうらしいけどね 笑。
>皮肉で言ってんだけどね。
そもそも誰も「中国由来の儒教は嫌いだ」なんて言ってないのに、こんな妙な「皮肉」を言われてもねぇw

37 :
>>8
>彼の自由論は
>もっと科学哲学・論理学・記号論・認知科学などと照らし合わせることによって、
>より有益で、具体的な論理的指標を建設できるのではないかと思っています。
興味深い、ここをもっと掘り下げて語ってくれないか?

38 :
バークが自由主義者であるという時の自由主義は
日本で言われてるリベラルとは意味が違う

39 :
>>37
論理なんて単純化してナンボのもんだから、
アリストテレスをラッセルとホワイトヘッドがちょいと修正して、「完全性定理」ではいできあがり。
電子の有る無しで量子化しとくだけで、こういうくだらん掲示板や、エロ動画くらいはできる。
おもいっきり頭の悪い奴が、ガッコの練習問題程度で四苦八苦して、「できたら凄い」とか妄想するだけだ。
やっぱ、チョンの共産党ってのは底なしのバカだな。

40 :
>>39
それは「お前だけの論理」だよ。
んで、その単純化した論理で、みんなチョンの共産党になるわけだから、
「おめでたい論理」だな。
アリストテレスも、ラッセルも、ホワイトヘッドもそんな論理のために
名前を使われていい迷惑してるだろうよ。

41 :
>>38
バークのいう自由はイギリスで広く、その使用法が普及していた自由であることは間違いない。
ハイエクは、バークの自由をイギリス的なもの、
今、日本で言われているリベラルをフランス的なもの、
と単純に二分化して表現した。
前者は、フランス人ではモンテスキューやトクヴィルを含み、
後者は、イギリス人のトマス・ペインを含むとした。
俺が言いたい自由主義は当然に前者の方で、消極的な意味における自由だけど、
単純に「消極的な」では片づけられない感じもする。

42 :
>>37
「自由」という抽象表現に「意味」を与えようとしても、
実際は具体的実像がクオリアとして浮かび上がってこないのは、
俺はおおよそ現代の人間理性の限界だと感じている。
学者連中がいかに自由に意味を与えようとしても、
そこには
 「抽象的名辞」=複数の「抽象的名辞」を文法に基づいて成文化(構築)したもの
が出来上がるのがおおよそパターン化されており、
抽象表現を結局抽象的な名辞で表現するだけで終わってしまう。
自由といっても、バークは「美徳ある自由」と「美徳なき自由」を使い分けていた。
またバークはさらに具体的な状況に応じて、
さまざまな人間の具体的な(自由意志における)行動に賛成と反対の評価を分け与えた。
別にバークでなくともおよそ具体性に言及する人間はこのような判断する。
フランス的な自由は、「自由」が至上の価値にされてしまい、
この人間であるが故の二分法(保留もあるだろうから三分法といえるかもしれないが)が、
軽視されてしまう。
「賛成」と「反対」の立場を表明するにあたり、バークはバランス感覚を重要視するわけです。
このバランス感覚は、
具体的な様々な状況に応じて、賛否・保留の具体的な判断が生まれるわけでしょう。
バークは具体性を重んじ、具体的状況に応じて判断をする。
バークの時代における具体的状況において、
あくまでもバークの観念において、基準となる材料(指標)はあったと思う。
それが意識的なそうでないかはともかく、
その辺は現代的な科学哲学や科学的な方法論によって
いくらか浮かび上がらせることができるだろうということ。
長くなって申し訳ない。

43 :
>その辺は現代的な科学哲学や科学的な方法論によって
>いくらか浮かび上がらせることができるだろうということ。
わかったから早くやってみろよ

44 :
>>42
バランス感覚を駆使し、状況に応じて判断するからこそ、バークは時としてオポチュニストと誤解されたりしたわけだ。
しかしこういうバークの態度こそ、保守の現実主義的な政治のartの利点であり、強みだったわけだが。
もっとも、バークの場合は君の言うとおりなんらかの「基準となる材料(指標)」があるように感じられるのに対し、
成功した権力政治家、たとえばビスマルクのような保守的で現実主義的な政治家になると、国益以外の一切の原理・原則が見られなくなってしまう。
そこまで尻をまくることをしなかった(できなかっただろうし、そんな者は軽蔑しただろうが)からこそ、バークは政治家としてはイマイチ不遇だったのかもしれない。
(不遇なのは出自も影響してるだろうが・・・)
それはともかく、
>バークの時代における具体的状況において、
>あくまでもバークの観念において、基準となる材料(指標)はあったと思う。
というけれど、これを論証するのは大変そうだな。
具体的な状況ごとで、適用される指標の具体的な様相は異なってくるから。
論証するためには、その個々の指標に貫徹している、あるいは指標が共有しているなんらかの属性を探り、
整合性を確認し、またそれが18世紀後半の英国や欧州の思想潮流の中にどう位置づけるか確認する、という作業が必要になる。
そのためには、バークの著作や書簡を虱潰しに検討していくような、古臭いけど地道な思想史的アプローチのほうが確実な気がするが。
そういう作業を経てはじめて、バークの自由の検討に、現代の哲学の方法論が活用できるのではないか?

45 :
>>40
少しはものごとがわかって来たようだな。
共産主義の儒教を肯定する◆jjssUUlKasがチョンであることは単純にして明快なことだ。
ほとんど自明だが、もうすこし、噛み砕いた説明してほしいか?
参考
http://www.amazon.co.jp/dp/4886790232
この本の訳者の一人は大学の後輩でなぁ。
美術サークルというところに属していたとか、結婚に至った事情とかそういうことくらいは承知している。
「おめでたい」ことは否定しないが、俺だけではない。すくなくともそいつと二人だ。
単純化はたしかに腕と経験と研究を必要とする。複雑にするのはバカでもできる。「知恵の輪」ってやつだ。
”Alles sollte so einfach wie mo¨glich gemacht werden, aber nicht einfacher.” 
(Keep it simple, as simple as possible but no simpler)-Albert Einstein-
http://www.brainyquote.com/quotes/quotes/a/alberteins148822.html

46 :
>>45
俺個人としては、
自分のことをプラグマティシストだと思っているけれどね。
俺が儒教を肯定したか?
どこをどお読めば肯定したことになるのかわからんが、
共感するところも多少ある程度だよ。
シンプルとは何でしょうか?
ただ、貴方の言いたいことはあんまり共感しないけれど、
多少は共感するところもある。
ソシュールの言葉だけれど、シニフィアンというのがあるよね。
シニフィエをとことんまで無視して、
無駄に長く複雑にシニフィアンが並べられた文章を俺は好きになれない。

47 :
>>44
バークの著作や書簡を虱潰しに検討することを先にすべきなのか、
バークの著作を科学的に検討するための方法論を模索することを先にすべきなのか、
これは俺はどちらでも良いようにおもう。
人それぞれ趣味趣向が違うし、互いに批判しあえばいいんじゃない?
主観や偏見は誰にでもある。誤解や歪曲だってある。
言葉で表現すれば、
自分が思い描くよりもずっと凝り固まった感じにだってなる。
ただ思うのは、
貴方みたいな気構えの人、
誰の意見にも慎重に耳を傾けた上で、
慎重に言葉を選びながら、
礼節を弁えて言葉を発する人、
そういう人がたくさん増えてくれば、
俺はそれだけで十分全うだと思いますよ。
俺は単にバークに近づけば、そういう人々と話ができるだろう、
単にそういった感覚で近づいているに過ぎないのかもしれないとも思う。

48 :
「◆jjssUUlKasがチョンである」はカール・ポパーの定義に従えばすぐれて科学的言明である。
◆jjssUUlKas自身がそれを証明している。
「バークを尊敬している人間が共産主義者なわけねえだろ。」が科学的言明かどうかは、なかなかおもしろいテーマだ。
これを偽であると考えると、科学的言明とみなしやすく、また偽である証明はかなりたやすい
それに対して
これを真とすると、証明はまず不可能であるし、真である事を前提とすれば科学的言明とみなすのもかなり難しい、しいていえばこれが偽であるという証明をすることで逆説的に科学的言明といえる可能性があるくらいの程度か?

49 :
ふーん、
俺がなぜチョンなんだい?
俺がどこで証明しているんだい?

50 :
消極的自由の重要性を保守政治家が理解して無い国が日本。
左派政治家も理解して無いが。

51 :
>>49
おっ、こんどは◆jjssUUlKasがポパーをまったく読んでおられないか、読んでも何が書いてあるかまったくご理解にいたらなかったかを証明されたようだな。
再度、ご拝読いただこう。
◆jjssUUlKasがチョンで自分で証明したとはどこにも書かれていない。
かわいそうだから再掲してやろう
「◆jjssUUlKasがチョンである」はカール・ポパーの定義に従えばすぐれて科学的言明である。
◆jjssUUlKas自身がそれを証明している。
どこで証明したか自覚がなければ、その旨書込んでいただこうか?
>>慎重に言葉を選びながら、 礼節を弁えて言葉を発する人
を目指しておられるようなので、お手並み拝見しよう。

52 :
ヒントはシンプルなんだろ?
うう〜ん、どこかな〜?
ってどうでもいいわ!!!
お前の釣りには飽きたわ!!!
さらば 笑。

53 :
>>42
貴方の問題意識はよく分かったし、共感する。
しかしその解答に科学哲学なり科学的な方法論なりが
どう関係するのかよくわからない。
その辺を具体的に教えてもらえないだろうか。

54 :
>>53
そこは時間をかけたいので、
会話の中から面白い条件がそろった時にでも。
まず、このような問題意識に至ったのかは多少書いておこうと思う。
近年、共産主義という強力な理念から一応ある程度解放されて、
自由主義と保守主義というものが再び見直されるようになった。
さて、自由主義はともかくも、
保守主義には何を保守するかという大きなテーマがあることを
みんなうすうす感づいている感じがするが、
それでも一向に単に「保守すべし」という単にそれだけのムードが立ち込めている。
じゃあ、何を保守するんだってなった時に、保守主義のルーツを辿ると、
やっぱりエドマンド・バークあたりに辿り着く。
そこには明らかに今の日本で騒がれている「保守すべき対象」との差異があることは明白。
そうなると、バークの保守的な思想と日本的な保守的な思想の違いを明らかにしなければならないというテーマが生まれる。
前者を支持するのか、後者を支持するのか、単純に二分化するのは難しいけれど、
ここに大きな差異があったならば、同じ「保守主義」のくくりで一纏めにしてもよいのだろうか?
という疑問が生まれます。
まず、その違いを明確にする、あるいはどこが一致しているのかを
現代の保守思想といっても一枚岩じゃないから、
個別的に見ていかなければいけない。
そしてそこには見分けるための方法論が必要だということになってくる。

55 :
>>54
これからじっくりってことね。
保守主義の相違についてはハイエクの捉え方が一つのポイントになるような気がする。
バークの影響は反合理主義自由主義へ繋がるものとロマン主義へ繋がるものとがあって、
おそらく前者の流れを重視する人にはハイエクはバーク的保守主義者であり
後者の流れを重視する人にはハイエクは非バーク的保守主義者となるだろう。
まあ保守はあまりに多くの意味があるからこれだけでは十分でないけども。
保守主義の意味を掴むには保守の個々の意味の相違を探るのではなく共通の原理を探るか、
真の保守主義と偽の保守主義を峻別する原理を探る方が良いかもしれない。

56 :
>>52
>>慎重に言葉を選びながら、 礼節を弁えて言葉を発する人
ではなかったのかな?
何か、他人に教えを請うときは、どういう言葉をつかい、どのような言い回しを用いればよいか?
御熟考をお願いする。
問題を再整理しよう。
カール・ポパー氏は、「科学的言明」を論理をもって明晰に定義した。論理であるから極めてシンプルであることは言うまでもない。
しかるに「◆jjssUUlKasがチョンである」はポパー氏の定義によれば、すぐれて科学的な言明となる。
◆jjssUUlKas氏は、このスレッドのコメントの中で、「◆jjssUUlKasがチョンである」が科学的言明であることを証明するこれまた極めてシンプルな一句を書込まれた。
ポパー氏の論に通暁していれば、容易に見つかるはずである。さぁて、「◆jjssUUlKasがチョンである」は、どのような論理によって科学的言明となり、またそれを証明する一句とはどれであろうか、の

57 :
>そうなると、バークの保守的な思想と日本的な保守的な思想の違いを明らかにしなければならないというテーマが生まれる。
まずひとつは、バークの思想の背景には名誉革命以降の国制(国王と上院と下院とで構成され、下院が実質的な主権を握る)が「自由」を支えているという信頼があるが、
日本の保守思想にはそういう国制への信頼はとくにない。
あるとしたら天皇を中心とした国体への信奉だろうが、国体は「自由」と関係ない。

58 :
自由は秩序との間でバランスをとられなければならないのだよ、キミ。

59 :
ただその自由無くして保守主義は有り得無いんだよなあ

60 :
保守 - Wikipedia
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%9D%E5%AE%88
にもあるけど、
保守主義は過去に獲得した市民的諸権利を擁護するもの。
日本の場合この諸権利があると言えばあるけど、まだまだ少ない。
そして自由もまだまだ少ない。
その為の漸進的改革を擁護するのが日本の保守主義だと思う。

61 :
まあその諸権利って左派の言う権利とは若干違うものだけど。

62 :
日本人に自由がないと思う感覚を、
政府や制度に原因を見出そうとするのは見当違いじゃないか?
たとえば表現の自由とかいうけれど、
日本人には表現の自由があまりないのではなく、
日本人が実際にある自由を生かせるだけの、
レトリックがないだけにすぎないのではないか?

63 :
まあそういう所もあると思うけど、
教育制度には自由が少ないよ。

64 :
特に学校での消極的自由の無さは問題。
学校によって違いはあるけど。

65 :
無さというか少なさ。
そして少ない学校では生徒が被害を受ける。

66 :
俺が言いたいのは社会全体の日本人が、
傾向としてレトリックがないということ。
また、そのレトリックを鍛える気概も、覚悟も、
またその重要性も理解していないということ。
レトリックのない人間に、自由に物事を表現できる人間を鍛え上げる力などない。
物理的にありえない。
悪いけれど、そんなことで生徒はかわいそうだというのであれば、
俺にはそれは奴隷道徳としか思えない。

67 :
話が噛み合って無いようだ

68 :
いいや、そんなことはない。

69 :
左翼教育の強制からの自由が少ないって事だよ。
つまりそれは消極的な自由の少なさ。
レトリックの話も重要だと思うが、別の話。

70 :
なるほど、
じゃあどうすればいいんの?

71 :
基本的に保守派の政治家も消極的自由の重要性を理解してる人は少ないように思う。
だから左派の意見に反対だったとしても引っ張られてしまう。
政治家で無い人に政治活動を勧める訳では無いけど、
まあしたい人はするのも良いと思うが、
消極的自由や漸進主義、モラルといった概念が広まると良いと思う。
そうすれば結果的に教育にも反映されると思う。
左派のような強行的な広め方では無く、節度を持った方が良いと思うけど。
ただ左派よりも広めなくてはいけないが。

72 :
どうすれば広まるかは書いてなかったか。
学問的に広める、
言論で広める、
ネットで広める、
政治の分野で広める、
とか色々だろうか。
一瞬アクセス禁止って出たんだが、もう書き込めなかったりという事もあり得るかも。

73 :
レトリックの話題に話を変えるかね。

74 :
俺はたぶん、貴方とほとんど同じような考えだと思うから、
だからあえて反論を考えて、
貴方の考えを引き出したいと思っているので、
批判されたからと言って気を悪くしないでね 笑。
それにしても、ポパーのいうイデアリズムというのかな?
この根はかなり深く、マルクス主義やフロイドの精神分析など、
仮にこの種の固定観念を批判しえたとしても、
また新種のイデオロギーは、どんどん生まれてくると思う。
そしてそれを国民は支持する。
消極的な自由は、インパクトに欠ける。
なぜなら、彼の理論は精神に刻まれたものであり、
中毒性の強いイデオロギーの前では霞みがちだと思うから。
今、テレビでは、
いつものように同じようなくだらない内容の番組が展開されているけれど、
俺は、それはある種の中毒性だと思っている。
大衆批判なんてあるけれど、国民はその中毒性に踊らされて、
その踊らされた行動が政治に反映される。
未来は暗い 笑。

75 :
少しハッとしたけど大丈夫。
消極的な自由はインパクトに欠けますか。
難しい所もありますね。
未来が何とか良い方向に行くと良いのですが。

76 :
>>69
教育の自由の為の具体的な制度として考えられるのは
・教科書検定の廃止
・教育バウチャー制を前提にした学校選択の完全自由化
こんなもんかな
保守主義者がこれを支持するかはわからないが

77 :
これは書いておこうか。
俺が思うに、バークの思想に共感するものが、
自分の考えを広めるもっともよい方法は何であろうかということ。
俺が思うに、バークが行った方法こそが、
もっとも効率的でもっとも効果的な方法なんだろうということ。
それは、現代的な広告や、テレビマンが行う方法よりも、
ある意味で、
ずっと影響力が少なく、効果も微小なのかもしれないということでもある。
ただ、
いったい我々が目にする広告を果たして我々はいつまで目にすることができるだろうか?
われわれが目にするコメンテーターや芸能人、評論家の名前をいったいいつまで記憶するだろうか?
俺が思うに、彼らの言行は時代の移り変わりにおいて一貫性がなく、
恣意的であり、決していつまでも記憶されるような代物ではない。
彼らのさらけ出した言行は、流行の一部であり、時代の一部である。
彼らの主張は忘れ去られるが、バークは違う。
即効性はないが、
それでもなお、さまざまな時代のさまざまな状況において
呼び起されるだろう。

78 :
>>76
それ、大賛成ですよ。

79 :
>>76
学校選択の完全自由化は良いと思う。
教科書検定の廃止という方法もあるんだ。

80 :
ある教科書では南京事件があったという記述があり、
他の教科書では中国政府の言うとおりの死者30万人説が記載され、
また別の教科書では華麗にスルーって感じで、よりどりみどりになるかもな。
あとは各学校・教師の自主的な選択、あるいは文部科学省や教育に関心のある政治家先生の陰日向両面からの圧力次第か。

81 :
教育に関しては、日教組や左派の学者などよりも、文科省の影響力のほうがはるかに強いんだがな
近年、文科省の統制はさらに強まる傾向にある
バウチャー制度はともかく(そういう改革は新たな権力行使の舞台となるから、文科省的にはマイナスではない)、検定制度撤廃は無理だろう

82 :
ただ、よく使われる用語「自由化」というものが、
バークのいう自由論と一致するかどうか?
「美徳ある自由」と「自由化」にはどんな差異があると言えるだろうか?

83 :
バークの政治的発言がヒントになりそう

84 :
単に規制をとっぱらうだけの「自由化」では、一部の声の大きい人たちが世論を構成したり、
政治家など力をもった人たちが権力を振るって悦に入ったり、利権の草刈場になるだけだ
そこに「美徳ある自由」が入る余地があるかどうかは未知数だ

85 :
ちと亀だが・・・
>>62
>日本人に自由がないと思う感覚を、
>政府や制度に原因を見出そうとするのは見当違いじゃないか?
>たとえば表現の自由とかいうけれど、
>日本人には表現の自由があまりないのではなく、
>日本人が実際にある自由を生かせるだけの、
>レトリックがないだけにすぎないのではないか?
どちらが原因かということが問題なのではない。自由とそれを支える制度は両輪の関係にある。
確かにわが国では、自由は(法的にも、究極のところ憲法によって)保障される。
そういう意味では、日本にも自由は実際にある。
しかし憲法の規定や自由の思想は、日本の伝統とは関係ない、西洋の様々な思想潮流の産物だ。
英国のように、自由を支える国制を、自分たちの歴史の中で、自らの手によって生み出してきたものではない。
つまり、彼我の差は、自由を支える制度に対する、歴史・伝統に基づく信頼の有無なのではないだろうか。
こういう信頼がある英国の国制constitutionは、下院と内閣の強化と大衆政治化を経ても、なお維持されているのではないか。
「バーク以降の英国の政治思想は、左翼・右翼を問わず、バークの弟子だ」という言葉が説得的なのも、そのあたりに理由があると思う。
日本の場合は、保守の立場からの自由を支える現憲法への信頼などという議論自体が成り立ちがたい感じもする。
現憲法の下での統治には、機能的部分はともかくとして、保守にとっては権威的部分がないだろうから。
ついでにもう一つ。
ある政治思想を実社会に活かすためには、思想それ自体を研ぎ澄ましていくことだけでなく、
それを支える仕組みや制度を考察する必要がある。
政治思想史をみれば、様々な思想の中で、政策や主張と制度論が相互作用してきたことがわかる。
バークは政治思想家でもあるのだから、バークにおける自由と国制の関係を軽視すべきではない。
とはいえ、自由があるのにそれを活かせていないので、それを活かすためのレトリックを考えるべき、という姿勢は必要だと思うし、面白い。
今のところ、このレトリックに関して君はどのようなアイデアをもってる?

86 :
>>85
>しかし憲法の規定や自由の思想は、日本の伝統とは関係ない、西洋の様々な思想潮流の産物だ。
英国のように、自由を支える国制を、自分たちの歴史の中で、自らの手によって生み出してきたものではない。
つまり、彼我の差は、自由を支える制度に対する、歴史・伝統に基づく信頼の有無なのではないだろうか。
確かにそのとおりですね。
ただ、日本に自由の感覚が全くなかったのかといえば、ノーだと思います。
実際に東アジアで、可及的速やかに近代化できたのは日本だったわけだし、
欧米にまったく共感という発露ではないにせよ、
ここは取り入れるべきだとしたのは潜在的にその重要性を理解できたから、
また、水戸学からの尊王思想というのがあったにせよ、
薩摩だって長州だって幕府の意向を無視して、結構気ままにとまでは表現できないにせよ、
いろいろ既存の秩序には反発していた。これは言葉こそ違えど自由の感覚に近いと思う。
まあ、俺には歴史の知識があまりないから、歴史的事実とはかけ離れているかもしれないが、
でも、今のところはそう思っている。
レトリックについていえば、これからも述べると思うから少しだけ言うと、
修辞法、弁論に欠点がないとは全く思わない。時に害悪の多きものとも思っている。
それは『ソクラテスの弁明』、『ゴルギアス』あたりにたとえ触れていなくても、
感覚的にある程度、だれでも感じるところだと思う。
ただ、バークの著作を読む限り、いいやそれを読む限りに限らず、
西ヨーロッパの伝統として根付いてきたレトリックには嫉妬する。
『フランス革命の省察』や『崇高と美の観念の起原』に限らず、
他の著作を読んでみても、現代日本の政治家が一体誰がこれに比するレベルのものが書けるだろうかと。
バークのレトリックが、伝統の中心にあるのではなくて、本当に古代ギリシャ、ローマ、
このあたりから脈々と続いている本当に歴史的な活動そのものがイギリスの国体の骨組になっていると思う。
長くなったんでこんなもんで 笑。

87 :
>>86
日本の近代化について、君の解釈に関係しそうな話を一つ。
東大の東洋政治思想史の教授・渡辺浩によると、明治維新はまさに、身分制からの自由を求めた下級武士による革命なのだそうだ。
農民や町人ならば、努力次第で土地や店を構えたり拡大できたりする可能性が開けている。
しかし下級武士は、そもそも「立身出世」の可能性自体がほとんどない。努力しても家格の壁を乗り越えることはできない。
江戸時代では、下級武士が最も鬱屈した階級だったといえる。
(中津藩の下級武士だった福沢諭吉は、晩年の自伝で「封建制度は親の敵だ」と書いている)
幕末の混乱による体制の揺らぎは、自らの能力に自信がある下級武士にとって、能力を発揮できる機会でもあった。
小御所会議から王政復古の大号令へといたる政治過程は、西南雄藩を牛耳るようになった志士達を中心としたクーデターであり、
そのクーデターで官軍となった軍勢が幕府軍を武力で倒したことで、彼らの体制が既成事実化されたというのが明治維新の実像ではある。
しかし、新政府がとった政策は開明的だった。江戸時代の封建制は解体され、近代化が進められた。
新政府の、一見武士としてのアイデンティティを自己破壊するかのような改革は、
身分制の中で苦しんできた下級武士が中心となって行なったからと解釈すると、そんなに不自然でもない。
福沢も「尊皇攘夷とか言ってる基地外どもが政権をとったから不安だったけど、見直したよ」といったことを言っている。
外様の雄藩の幕府に対する鬱屈や、水戸学や国学も維新の原動力の一つかもしれないが、
それ以上に下級武士の鬱屈のほうが強い原動力だったのではないかな。
あと西洋のレトリックの伝統について、バークがアリストテレス以来の西洋の伝統的な政治学に学んでいたのは事実。
関係ありそうな研究のひとつに、ポーコックという政治思想史研究者の「マキャヴェリアン・モーメント」がある。
古典古代に由来する共和主義が、マキャヴェッリなどの著作を介して英国にも伝わり、
さらにそれが米国の建国思想にまで影響している、というスケールの大きい話。

88 :
そうそう、俺には歴史の知識があまりないから、具体的なことはあまり書けないけれど、
だいたいそういう感じです。
ところで、俺が思うに、日本って自由ですよね 笑。
こんな自由な国って他で探すのも難しいと思うんです。
で、この閉塞感ってなんだろうって思うときがある。
古典と関係のないところの、テレビとか新聞とか、まあなんでもいいんですけど、
なんか偽善的な発言が多くないですか?
まあ、大衆というのは具体的な知識がないから、偽善に振られるんだと思うんですけれど、
テレビ(これって国民のほとんどが眺めているわけですよね)では
下らねえことばっかりやってるくせに、それは批判しないけれど、
地位のある人間のちょっとした言葉にみんなでわーわー食いついて、
しょうがねえなって思うけれど、まあ、食いつかれる要素があることも認めるけれど、
この自由を活かせないってなんでしょう??
まあ、活かしている人もいるんだろうし、
活かすにしても善し悪しがあるとは思うんだけれどさ 笑。
そうすると俺はレトリック論に向かわざるをえないんです。
日本の制度だって結構自由でしょう??

89 :
>>88
>で、この閉塞感ってなんだろうって思うときがある。
確かに、自由を活かせない閉塞感ってあるような気がするね。
他の国のことはともかく、日本は今も昔も同調圧力が強いのかもしれない。
ネットでも、炎上みたいに、吊し上げている側の中心が見えないまま進む現象があるし。
>まあ、大衆というのは具体的な知識がないから、偽善に振られるんだと思うんですけれど、
>テレビ(これって国民のほとんどが眺めているわけですよね)では
>下らねえことばっかりやってるくせに、それは批判しないけれど、
>地位のある人間のちょっとした言葉にみんなでわーわー食いついて、
>しょうがねえなって思うけれど、まあ、食いつかれる要素があることも認めるけれど
気持ちはわかるけどねぇ、地位のある人はそれだけ責任があるということなんだと思いますよ。
専制政治じゃない社会では、権力者は容赦ない批判に晒されてなんぼの立場なんですよ。
米大統領選の暴露合戦なんて酷いもんでしょう。でも、そうした悪意に満ちた目に耐えられないとダメ。
少なくとも、西洋の政治家は古代ギリシア・ローマのころからこんな感じですね。
あと、批判になってない下らん悪口や罵倒なら華麗にスルーできるだけの余裕も必要かと。
安倍さんや福田さんは、批判に対する耐性が弱かったから、参っちゃったのかもな。
それに比べると小泉さんは耐性が強かった。逆に鈍感で問題すぎたかもしれんがw

90 :
ようやく◆jjssUUlKasも自分がチョンの共産党だと認めてようだ。
日本國とご皇室のためにはささやかではあるが喜びである。
皆様、おめでとうございます。

91 :
修辞法については、アリストテレスのような方法論に向かうべきなのかもしれませんが、
個人的にはあまりアリストテレスを真剣に読みたいとは思わない。
で、チャールズ・パースあたりを参考にするのが面白いかなとね。
パースは、哲学的にはアリストテレス、デカルト、バークリ、ヒューム、カントあたりに言及しながらも、
ドゥンス・スコトゥスという無名ではないけれど、スコトゥス的な実在論に立って、
プラグマティズム、記号論を打ち立てた。
まあ、エドマンド・バークの著作を分析するに当たっては、さまざまな見地から見られていいと思うけれど、
チャールズ・パース的な方法論を用いながら、分析していくこと、
これが結構面白いんじゃないかなって思ってます。
以前に誰かが、バークから思考の方法論が得られるだろうと書いていたけれど、
やっぱり逆だと思う。
既に得られている方法をもって、バークの著作にあたること、
こちらの方が手っ取り早いと思う。

92 :
>>91
んじゃその方法論でいっちょバークを読んでみますか?
本はメジャーで入手しやすい『省察』がいいと思うがどうだろう。

93 :
>>92
いいね。のった。
翻訳?原書?

94 :
まあ、とはいっても、
個人的には、
手始めにバークの著作『省察』『崇高と美の観念の起原』を読みつつ、
(あとの著作は入手し難いからね。
俺もやっと手に入れることができたって感じ。)
チャールズ・パースの記号論を中心に、
カール・ポパーの反証主義、
フレーゲの概念記法(それを補足するためにヴィトゲンシュタインの前期・後期)、
集合論なんか適当に読みつつ、
過ごすだけでいいような気もする。

95 :
あとは、ドイツの生物学者ユクスキュルなども、
読んでおくのもお薦めです。

96 :
「◆jjssUUlKasがチョンである」はカール・ポパーの定義に従えばすぐれて科学的言明である。
◆jjssUUlKas自身がそれを証明している。

チョン自慢は続く(笑

97 :
保守

98 :
レスが少ないようなのでちょっと違う話題でも。
今学校教育について調べてたら、文部科学省が地域重視するというような事に
なってるようですが、これが家族否定、家庭教育否定になりかねないと危惧してます。
そういう思想を持った人も文部科学省と同じような事を主張しているからです。
文部科学省側はそんなつもりでは無くても、結果的に危ない場合もあるのではないかと思います。

99 :
常にではありませんが、日本の場合家庭という概念に関しても法的に制度的に尊重されにくい場合があると
思います。家庭が尊重されにくいという伝統という保守主義的にある種矛盾しかねないような状況と言うべき
でしょうか。家庭の尊重と言っても虐待は悪い事でありしてはいけない事ですが、これは家庭の尊重という
事とは別の話です。
日本はちゃんとした家庭も多いのですが、一方議会や教育関係者では否定派が少なくなく
制度的には全部ではありませんが、アメリカのリベラル的だったり社会主義的な制度になっている面が
少なくないと思います。つまりどちらも違う価値観を尊重しない上での統制的な側面があります。
リベラル的な面の方に関しては少しなら良いかも知れませんが。

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