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2012年5月世界史276: キエフ大公国〜ルブリン合同辺りまでの東欧史 (100)
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キエフ大公国〜ルブリン合同辺りまでの東欧史
- 1 :10/12/18 〜 最終レス :12/04/10
- 大国が興亡したこの時期の東欧を語りましょう。
口火を切らせていただきますと、自分はノブゴロド公国、
ジョチ・ウルス、リトアニア大公国等に興味があるのですが、
これらの国家は自らの史書をあまり残していないのでしょうか?
リトアニアなど、大国だった割には山川のポーランド・ウクライナ・バルト史でも扱いが小さかったもので。
- 2 :
- 三浦清美「ロシアの源流 中心なき森と草原から第三のローマへ」
でもリトアニアについてある程度記述はあった。
英語ならゲディミナス大公あたりまでのリトアニアは
Lithuania Ascendingって本が詳しい。
ヴィルニュスの異教神殿が実はミンガウダス時代に建てられた
カトリック聖堂を改造したものだとか面白い話が色々。
- 3 :
- 東欧史をやろうとロシア語を二外で取ったら「東欧史でもロシア史でもドイツ語文献のが多いよ」
と言われてしまった3年の夏
- 4 :
- >東欧史でもロシア史でもドイツ語文献のが多いよ
せいぜい中世後期以降でないの?
- 5 :
- すれ違いかもわからないが、ロシア語が複雑怪奇なのは主にどういう流れで
言語が混交していったのですか
モンゴルなどの支配も関係あるのですか
- 6 :
- このあたりの国はいずれも、後世のロシア帝国みたいに東方に膨張する可能性を持っていたのかな。
- 7 :
- >>6
ロシアの東進の原因は基本的に毛皮の需要増加によるものだからね。
ポーランド・リトアニア共和国などで、ロシアと同じように毛皮の需要が、
大きかったのかと言うと、正直良く分からないや。可能性はなくはないと思うけど。
- 8 :
- というか奢侈品としての毛皮の需要が増加したのは西欧諸国では?
ロシアは輸出する側
- 9 :
- >>8
あぁ、確かにそうか。という事はもしポーランド辺りがロシアの征服に成功してたら、
西欧への輸出用の毛皮をとるために、ロシアと同じように東進した可能性も考えられるね。
- 10 :
- >>9
ポーランドによるロシア征服はポーランド人のというよりも、イエズス会とヴァーサ家の野望
むしろポーランド人たちは反対していた
もしロシアを絡めるならばルブリン合同と同様の、ロシアをポーランドと対等なステートとした、
ポーランド・リトアニア・ロシア合衆国を作るべきだと言っていたのがポーランド議会
大元帥のジュウキェフスキ率いるポーランド議会軍はポーランド国王と対立してモスクワから撤収しちゃったので、
国王軍の部隊だけ残って、そこに起こったのがモスクワ蜂起
合衆国ができたらモスクワ大公国による東進があったかどうかはわからないが、
むしろその辺で産業化がすすんで工業が発展して正教と結びついた東進の動機が生まれなかった可能性もある
- 11 :
- >>10
まぁ、確かにスムータにおけるポーランドの征服はほとんど、
ジグムント3世の勝手だったと言えるね。もし、合衆国が、
出来たら、逆に東進がなかったというのも有り得るのかな?
それとも、毛皮目的でやはり東進は行なわれたのかな?
まぁ、所詮はIFでしかないからどうとでも考えられるんだけどね。
- 12 :
- スムータは産業革命の150年以上前
正教の布教なんてロシアが領土拡大してから後付けでこしらえた動機
- 13 :
- >>12
いや、産業革命云々じゃなくて、当時のポーランドは結構な、
先進国だったから、もしロシアがそこに併合されたら割りと、
豊かな地域となって、史実のように毛皮による利益のための、
東進はしなかったんじゃないかという事でしょ。まぁ、確かに、
東進の目的が正教の布教なんていうのは多分後付けで毛皮の、
確保が主な東進の目的だろうから、もし合衆国が出来たとしても、
東進してた可能性も高いけど。所詮はIFだから何とでも言えるね。
- 14 :
- ヨーロッパの「豊かな地域」「先進国」がそれこそ20世紀初頭あたりまで
こぞって植民地獲得に血道をあげてたじゃん
- 15 :
- >>14
まぁ、そうなんだけどね。やはり、ポーランドもロシアと同じように、
東進してた可能性は高いね。そしたら、近代以降のポーランドは、
列強の1つとして西欧諸国と肩を並べる国になってたかも知れない。
- 16 :
- 予想する際の鍵は16世紀末と17世紀初頭のポーランドの社会文化
シュラフタ文化というやつの黄金時代
自由主義、世界市民主義、多文化主義、宗教的寛容、そして限定的ながら議会制民主主義
ジグムント3世やイエズス会は当時のポーランド文化の中ではかなりの鬼っ子で、宗教的過激派
過激派のジグムント3世さえいなければ案外スウェーデンとの国家連合もかえってうまく成立してバルト海合衆国ができていた可能性あり
ロシアのほかにハンガリーとも結びついて、EUのような巨大な合衆国が成立
ハプスブルク勢力を蹴散らして立憲君主制に基づいた議会制民主主義の国家成立
また当時のモスクワ大公国では専制と過酷な領主を嫌って大量のロシア人農民がポーランド=リトアニア共和国へ逃げ込んだ
そもそもスムータのとき偽ドミトリー派は反専制の民主勢力の急進改革派で、
彼らのはツァーリ機関説だからドミトリーは偽でもなんでもよかった
- 17 :
- >ロシアのほかにハンガリーとも結びついて、EUのような巨大な合衆国が成立
>ハプスブルク勢力を蹴散らして立憲君主制に基づいた議会制民主主義の国家成立
有権者=地主層の天国となって史実よりも近代化が遅れそうだな
啓蒙専制君主なんてのも出て来ようがない
- 18 :
- >>17
実際、ジグムント3世に対するロコシュなんかによって、
マグナートの権力が強まり、近世の西欧で多く見られた、
絶対主義が根付かなかったという面も確かにあるからね。
ポーランド分割の遠因がそこにあると言う人もいるし。でも、
その一方で、ポーランドの「黄金の自由」には、民主主義に、
近い一面も確かにあるんだけどね。(まぁ、少し違うけど)
- 19 :
- まずパプスブルク家蹴散らすという前提が不可能
- 20 :
- ロシアの発展はハン国との対立を拒んだこと、
それに伴うタタールの人口増加、必然生まれる他のハン国への
継承の正当性、そしてムスリムともそれほど敵対してなかったことにあるから、
教皇からの王冠で支えられるポーランドにゃロシアは維持できんでしょ。
宗教的にも正教迫害とユニエイトの新興みたいなカトリック主義で
とても寛容だったとはいえない。
- 21 :
- >>20
ポーランドの宗教ってそんなに非寛容かなぁ?シュラフタ間には、
信仰する宗教による差別は(少なくとも法的には)なかったらしいし、
ポーランド内のウクライナも基本的には正教信仰を貫いたようだし。
時期によってはカトリックを強要することもあったけどそれはロシアも同じ。
ポーランド・リトアニア共和国って宗教的にも結構寛容なイメージあるけど。
- 22 :
- ポーランドが領内に仏教寺院やモスクの存在を許すだろうか。
- 23 :
- >>22
仏教は分からないけどモスクは可能性がなくもないかなぁ?ポーランド国内には、
わずかとはいえムスリムもいたって聞いた事あるし。宗教的寛容はあったみたい。
- 24 :
- 当時の"進歩的な"西欧の領内で非キリスト教の寺院の存在はほぼ不可能だった事実からすれば
寧ろ"後進的"ロシアの方がこの意味では寛容だったとも言える。
- 25 :
- >>24
ロシアは西欧のような異端審問などはあまり見られないし、国内には、
ムスリムやユダヤ人なんかも多くいたからね。寛容と言えないことも、
ないのかな。まぁ、異民族に正教信仰を強制したこともなくはないけど。
- 26 :
- ポーランドはドイツの荒くれ者を使ってプロイセン先住民を残忍に弾圧しており、
異教徒に対する柔軟性という点では明らかにロシアに劣る。
- 27 :
- >>26
まぁ、この時代はポーランドが黄金の自由を迎えたという共和制の、
時代とは明らかに異なるし。ポーランドはその後、そのドイツ騎士団と、
明らかに敵対するようになるし。その時に異教徒のリトアニアと同盟組んだし。
それだけで、ロシアよりポーランドののほうが不寛容とするのは違うでしょ。
- 28 :
- >>21
ルブリン合同までポーランド・リトアニア問わず、法的に貴族はカトリックのみが
諸権利を有していたよ。合同参照。
あと、ルブリン合同以後はカトリックかユニエイトへの改宗を迫り
正教徒の教会を取り上げたりして暴動が起きている。またイコンについては
厳しく取り締まられたせいでギリシャ周辺に比べるとかなり著名なイコンは少ない。
オスマンとも軍人は教皇への貢税をやめた上で彼らとの話し合いを望みもしているが、
貴族層は徹底抗戦を計って、結果ろくに改革もできず消耗していき軍事的弱小国になった。
ロシアは兵士に正教徒を義務づけていたし、貴族層に士官の義務や
兵士の調達を義務づけていたからそれほど寛容だったわけではないね。
ただ皇帝と正教会の対立は結構過激だったし、もともとがビザンティンということもあり
なんとなく国教という意識は薄かったんだろう。
- 29 :
- >>28
まぁ、前近代の宗教的寛容なんてそんなものか。でも、ワルシャワ連盟協約も、
あるし、同時代のヨーロッパではそれなりに寛容なほうだったのは事実でしょ。
末期に制定された5月3日憲法でも、信仰の自由を明確に認めてたりしたし。
- 30 :
- 自由の保障や寛容は必ずしも実情と相容れないからなぁ。
中世は法、条約自体がしばしば曖昧で抽象的なものとして扱われていたわけだし。
いくらかは無視して政策が実行されていたし、異教徒側にそれを止める方法はなかった。
まぁ裁判所では信教から不当に裁かれることは無かっただろうけど。
要は上のためでなく下のためにあるのよね。
- 31 :
- >>30
まぁ、それはどこも同じだね。ポーランド・リトアニア共和国は当時としては、
宗教的寛容が保たれてたらしいけど、あくまで当時としてはだしね。とは言え、
宗教戦争の多かった同時代の西欧諸国とかと比べるとマシなほうだったろうね。
- 32 :
- マシかな?
スイスはスイスで自由だったと思うよ。
確かに戦争はあったけど、戦争が暴動よりも良いか悪いかは分からん。
- 33 :
- >>32
スイスは良く知らないから何とも言えないけど、少なくともポーランドには、
泥沼な宗教戦争や異端審問はなかったからね。マシなほうではあるでしょ。
だからこそ、多くのユダヤ人がポーランド国内に住むことが出来たんだし。
- 34 :
- 現代じゃ寛容の方が正義ってイメージだけど
実際の歴史は非寛容の方が勝ってしまうのが面白いところ
- 35 :
- >>34
何をもって勝っているというのかが良く分からないんだけど。
単に軍事的な意味だったらポーランドも結構な強国だったよ。
まぁ、正義か否かで歴史を語るのはナンセンスなんだけどね。
- 36 :
- ウクライナ史の書籍で最もお勧めなのはどれですか?
- 37 :
- ウクライナのユダヤ人にとってはヤゲヴォ朝は楽園、ロマノフ朝は地獄
- 38 :
- >>35
三十年戦争には東と停戦してさあ行くぜ!
と思ったら充分な銃歩兵に用意できず、最後まで介入できない、
イタリア式城壁も建築できずに野戦で勝っても消耗するためろくに攻めることができない、
後にはスウェーデンにあっさり落とされたポーランドが強国とな?
>>37
サンクトペテルブルグに進出した一部ユダヤ人の地位は向上したけどね。
ユダヤ人同士の格差が広がったという意味では地獄とも楽園とも云える。
- 39 :
- http://history.franko.lviv.ua/
- 40 :
- >>38
ポーランドもヤギェウォ朝からルブリン合同後の17世紀らいまでは強国だったんだけどね。
それ以降は議会政治の弊害がもろに出たり他国(特にスウェーデン)との戦争に負けたりして、
徐々に衰退していったね。とはいえ、18世紀でもそれなりの地位はあったが。分割は防げなかった。
- 41 :
- >>38
ポーランドは現代的な意味で言う主権国家としての色彩は弱く、
どちらかというと、現代のEUに近い構造
だから戦争では国がまとまればポーランドはめっぽう強いのだが、まとまること自体が稀
実際、スウェーデンとの戦争では攻め込まれた後にようやく覚醒・確変し一気にスウェーデン軍を追い払ってる
ただそれだけに、余計なコストがかかって国庫が疲弊するという悪循環
その悪循環を解消するために行った大改革が立憲君主制の民主主義と強い中央政府と強大な常備軍を主軸とする1791年の憲法制定
これに震え上がったのがプロイセン
そこでプロイセンが運動してロシアとオーストリアを取り込んでポーランド分割
こういう流れ
- 42 :
- >>38
三十年戦争への不介入の主な理由は
多文化主義という、ポーランド伝統の特殊な社会事情
もし介入すればカトリック側につくことが筋だが、
そうなれば国内のプロテスタントや東方正教の勢力と対立して内戦の危険もある
そのため当時のポーランドが三十年戦争へ本気で介入したであろう確率は、ゼロ
- 43 :
- >>41
>1791年の憲法制定
>これに震え上がったのがプロイセン
>そこでプロイセンが運動してロシアとオーストリアを取り込んでポーランド分割
第一次分割は憲法制定の前だけどね。ポーランド分割ってロシア側の視点で、
語られることが多いんだけど、プロイセンはプロイセンである意味ロシア以上に、
ポーランド分割に積極的だったしね。最初に提案したのはプロイセンのほうだし。
プロイセンとしてはポーランドがまとまることで強国化するのが怖かったのかな。
- 44 :
- ポーランドはカス
強いのはリトアニア
- 45 :
- >>43
5月3日憲法が成立したとき、
当時のプロイセン宰相が「あープロイセンおわたwww」と記したそうだね。
実際はもうちょっと長い文章だった気がする。
ロシアを利用したおかげでプロイセンはおわらなかったわけだが。
- 46 :
- >>45
ロシアとかと違ってプロイセンは歴史的にかなり長い間ポーランドと戦ってて、
その上、結構な割合で負けてたりもしてたからね。さすがにタンネンベルクの、
戦いへの恨みとかはもうないだろうけど、ポーランドに対するある種の恐れは、
あったかも知れない。だから、弱体化してたとは言え憲法制定には焦ったのかな。
- 47 :
- 肝心なのは、当時のプロイセンvsポーランドの対立は、
ドイツ民族vsポーランド民族の対立ではないこと
実は当時のプロイセンvsポーランドの対立は、
絶対王政(プロイセン)vs立憲民主主義(ポーランド)、
あるいは単元文化主義(プロイセン)vs多元文化主義(ポーランド)のイデオロギー上の対立
この根はタンネンベルク以来の伝統
近現代でも前者は「ドイツ歴史学派」として、
後者は「ポーランド実証主義」として、はっきりとした思想的対立がある
18世紀当時ポーランドの復活を恐れたのはプロイセンの住民全てではなく、
プロイセンの当時の支配層たるプロテスタント系王侯貴族
あの当時では、第三身分の商工民はポーランドに敵対していなかった
第三身分まで含めて「ドイツ」となってそのうち「ポーランド」にさえ敵対するようになるのは
ナポレオン戦争以後の話
- 48 :
- >>47
確かにそこら辺は注意すべきところだね。近代的なナショナリズムを基に、
前近代の歴史を考えてしまうことは良くあるけど、ナポレオン戦争の前じゃ、
明確な民族意識はまだなかっただろうから、そういう歴史観は不適切だね。
- 49 :
- そもそもプロイセンなんて小国と五分以下の時点で
如何にポーランドが自力が無い国か分かろうもんだがな
元々ポーランドは軍事的に大したこと無い傭兵国家だ
騎兵はリトアニアとリトアニアが率いるタタール系騎兵に依存してたのが実情だ
- 50 :
- ポーランドはまとまれば強いがまとまりにくい体制だっただけ、とそれだけの話なんだが、
この煽り厨ウザいな。
例のキチガイだな。
- 51 :
- まとまりも何もヘトマンは国王への忠誠で動き、それは不動だったよ。
貴族達がどうあれ関係ない。実際ヘトマン達の意見は実現可能な範囲で
広く受け入れられていた。
問題は彼らが軍事的都合よりも軍の資金を増すことだけを考え、
その方針も「兵達の質を上げる」ことで、「施設を作る」ことではなかったこと。
もちろんポーランド・リトアニアの地形的有利を考えればある一定までは
これも認められるべきだが、しかし近代的な軍事改革には当然ついていけるはずもなく。
フッサール(笑)とか馬鹿みたいな金食い虫を揃えるに至った。
要は指導層が無能だっただけ。
で、他文化主義といってもグレゴリの受容以降、カトリック化は強まり
正教の排斥は停滞無く進んだし、それがユニエイトを経てコサックの反乱などの
事実上の宗教戦争を起こすまでに至った。
こうして疲弊していくばかりで進展のない状況では
スウェーデンが占拠した後もそのまま続けられるようなインフラは存在せず、
精鋭の消耗は馬鹿にできず食料の尽きると共に彼らも引き上げることになった。
実際の所、ポーランドは勝利しようと相手に決定的な打撃は与えられないんだよね。
食料のない地帯になって始めて追い払えるようになるだけで、
インフラの整っていない自国での勝利しかできない。
スイス傭兵団ともども時代遅れと化したドイツ騎士団を攻撃、懐柔できたくらいか。
唯一の大勝利がウィーン包囲だがそれだってポーランドそのものの力じゃないしなぁ。
- 52 :
- >>51
きみはリトアニア人やウクライナ人のよく吐くタワゴトと同じことを書いてるが、
韓国の百姓どもに歴史を書き換えられてる武士の国日本や
リトアニアやウクライナの百姓あがりに歴史を書き換えられてる武士の国ポーランドは
きみのようなキチガイを相手にすると大変だな
いろいろ突っ込みどころがあるが、
・ヘトマンたちを中心とした旧軍の体制は士族層の自発的な協力に依存していた
・それが本格的に崩れてきたのが17世紀半ば
・士族の国家への忠誠は、まずはパクタ・コンヴェンタやヘンリク条項などの国体、
つぎに国王で、ポーランドは一貫して国王機関説国家で、きみのような幻想は存在しない
・旧軍は各領の貴族たちの私軍の融合体で、日本の幕藩体制と構造は同じ、
したがって施設等の設置は各私軍が自発的に行う
・各私軍はリトアニアを合わせて4人のヘトマンを中心として
戦争ごとにいざ鎌倉で私軍が連合して国軍が形成される
・当然フッサールの維持には国庫はほとんど関与していない(そんなことは議会が許さない)
・近代的な軍改革が職業軍の拡大で、それは無能だからできなかったのではなく、
それ以前の自由主義体制と兼ね合いで士族たちが反対したため
・カトリック化はプライベートな社会的現象であり、公的な社会的現象ではなく、
日本でキリスト教徒がどこか余所の人たちであるかのように扱われるのと同じこと
・正教の排斥に国家としては関与しておらず、士族たちがそれぞれの考えでやっていた
・コサックはトルコ領クリミアへの季節的略奪をポーランド議会によって禁止されたために
ヤブレカブレ(笑)になって叛乱、そして最終的にロシアの半奴隷に
・コサック反乱は純粋に経済的理由からの叛乱であって、事実上でも宗教戦争ではないよ
・ほかにやり方があるだろうに、則叛乱とかコサックは本当に馬鹿だなあ
- 53 :
- >>51
スウェーデン?
・スウェーデンはコサック叛乱に対応しているポーランドへ侵入した、ただの火事場泥棒
・その証拠にコサック叛乱への対処が一段落したポーランドで
ヘトマンのスタニスワフ・コニェツポルスキが軍を立て直すと、
グスタフ・アドルフ(笑)はあっというまに掃討された
・精鋭(笑)とか、スウェーデン軍に精鋭など存在しない
あれはただのならず者の寄せ集め
・ポーランドが相手に決定的打撃はあたえているが、相手を絶滅しないだけ
・その理由は、相手を奴隷化する習慣がないから
・いっぽう、ポーランドは征服した相手を自国民として同等に扱う(例:リトアニア・ウクライナの士族層)
・これは、ローマ帝国と同じ
・このような類の帝国構造があるのは、古代ローマ、ポーランド、アメリカ、この3つだけ
・したがってきみの「インフラ未整備」仮説は成立しないことは当然
・要するに戦争に勝つことがその体制がすばらしいというのがきみの考え方のようだが、
それをメリトクラシーという
・戦争に勝てるならポーランド共和国のような民主主義国家でなく
ドイツ帝国のような独裁的な軍国主義国家のほうがいいね
・それはあくまできみの価値観であって、普遍的なものじゃないので、
リトアニアやウクライナの百姓のタワゴトのコピーでもって
周囲にに押し付けないでくれ
すくなくとも現代ではこういう考えでポーランド史は捉えられていて、
いっぽう、戦前や1990年代初頭は特にきみのそこに書いた旧式の考えが強かった
- 54 :
- 4人のヘトマンが中心? 声が大きいのは
王冠ヘトマンだけ。傭兵と地方自治体からの徴兵の方が
村長からの徴兵よりも優遇され、インドなどに見られる藩主達のような
私軍としての性格はほとんどない。当然私軍として独自に動くこともない。
自由主義体制下におけるリヴォニア戦争での半数以上の逃亡者は
さすがとしか言い様がないね。そんなんだからスウェーデンと立場が逆転することになる。
偽ドミトリではせっかくリトアニアのヘトマンが頑張っても軍事的能力不足から失敗。
それとユニエイトは国家政策だ。コサックに至っては
ムスリムからの継続的な略奪をいつまでも放置し続けることがなきゃ
多少の弾圧も大目に見てくれたろうにね
奴隷化なんざロシアもスウェーデンもデンマークもしていないし、
自国民として扱うのはフィンランドのようにロシアも同じ構造のようだな。
それと戦争に勝てない時点でまとまろうが何しようが弱いということになるね。
で、素晴らしい云々は誰もいってないと思うんだけど?
いきなりイデオロギー論を展開し始めるのは何をしたいのやら。
それとそちらの考え方はまさに戦前からのもので、
唯物史論が極端とはいえ別な方向付けをして以降は貴族国家という見方が一般的。
- 55 :
- スエーデンは司法面じゃ貴族の参与を拒絶し
国民の参審制を取ってイギリス・ポーランドよりも民主的だったな。
どこまでが前時代的、近代的かは焦点の問題だね。
- 56 :
- とりあえず
ルブリン合同辺りまでの東欧史を話せよ。
- 57 :
- ルブリン合同までというと世界初のウォッカを製造してた頃だな。
- 58 :
- もしリトアニアがポーランドと合同しなかったら
ぶっちゃけ合同とか言いつつ吸収合併だよね、ポーランドが主の
- 59 :
- クリミア方面への影響力は引き継がなかったからな。
結局リヴォニア戦争は何一つ得るものがなかった。せめて合同が後十年遅ければ……。
- 60 :
- キエフ大公国は
今のロシアでもウクライナでも
「自分の祖先の国」という
位置づけなんだろか。
- 61 :
- ポラック(笑)
- 62 :
- リトアニアの農民層が被害妄想もってるだけ
支配層たる貴族層はポーランドとの合同は当然のこととして受け取っていた
のちに成立した、現在のリトアニア共和国は農民層の国
それまでのうちにリトアニア貴族はほぼすべてポーランドの文化に同化
なのでリトアニア人がポーランドを嫌うのは、
そんなこんなで階級闘争の憎悪が民族的憎悪に摩り替ったから
- 63 :
- ポーランドが日本ならリトアニアは朝鮮
ドイツがかつての中国様でいまのアメリカ様の立ち位置
ベラルーシやウクライナが満州とかモンゴルとか
ロシアはどこまでいってもロ・シ・ア
- 64 :
- >>62-63は一体何番目へのレスなのか
- 65 :
- >>64
ポーランド厨は、別にスレの流れとか関係なく、自分の考え(妄想)を書きまくるだけ。
- 66 :
- ペディアも凄まじいしな〜。
リヴォニア戦争で原因の商船拉致はまあいいとしても
リトアニアが単独でモスクワと戦っていた時に大勝した戦いで、
当時参戦してなかった『ポーランド軍』が単独でモスクワに大勝したことにされ
記事が保護されていた記憶がある。(しかもそのすぐ後にポーランドは
後から参戦したと書かれていたのに)
プスコフの大敗北からいって合同はどう考えても不利に働いたな。
合同をリトアニアがしなかったら。
ポーランドはさっさとスウェーデン・モスクワと手を組みリトアニアを食って、
そうすれば神聖ローマ+ハンガリーと東北国で向きあうことになったのか?
マグナート達の悩みの種だった10分の1税にも強気になれただろうし、
これならポーランドも落ちぶれることはなかっただろう。
- 67 :
- ポーランド軍と言うとポーランド王国軍を指すほかに王国と大公国のコモンウェルス軍を指すことがあるから、
ウィキのように書く人が多数いるとその辺が統一的に表記されていないことがある
しかもヴァーサ時代では議会が反対して国軍が動かないと国王が私的に兵を集めて行動してしまうことがあったらしいな
リヴォニアでそういうことがあったかは知らないが、対ロシア戦争では例があった
- 68 :
- ヴァーサというか、一六世紀は衰退の時で、
ジグムント二世は王権を強化し私兵を作り始めていたし、
貴族には既に傭兵を捻出する財源を確保するのが難しくなっていたから、
ある意味、王が出ないと誰も出ない状況の方が多かったんだな。
その段階で二万以上の傭兵をヘトマンが率いたプスコフ包囲戦は
まさに国家の命運をかけた決戦なのに…ご覧のありさまだよ。
- 69 :
- ジグムント二世の時期はどうなんだろう。衰退とも向上ともつきにくい。
ポーランドの状況が厳しかったのは分かるけど、かなり後半までローマ教皇の助けを求めていたのは不思議だね。
防壁論にせよ東西用軍備にせよ、ローマありきの十字軍的な前提が貴族内で主流だったのは、
それを自ら否定したポーランドとは思えない。元々貴族内の統一性が欠けていたから前時代の意識を
次代に引き継がなかったし、ハンガリーが落ちたことで危機感が表に立ったってことなんだろうか。
- 70 :
- >>68-69
包囲戦になると傭兵はあまり役に立たない。
また、バートリがリトアニア兵とドイツ兵と傭兵の大半を撤退させた後も
ヘトマンのザモイスキは良く頑張って政治的な勝利を手にした。
これらの兵を撤退させたのは、通常こういった兵は高い報酬を要求するため。
当時のポーランドは中央政府の財政の小さい「小さな政府」の国家だったから、
軍事費に公金をそんなに使うわけにはいかないし、議会がそれを許すはずもない。
当時のポーランドは非国家主義国家のため、貴族によって思想が全く異なっていた。
この時代ザモイスキやジュウキェフスキのような憂国の賢人もいれば、
ラジヴィウのようなどうしようもない身勝手な連中もいた。
また、ルボミルスキ本人は大貴族のサークルの利益のために身を捨てた。
まるで日本のサムライか企業戦士のように。
ローマ教皇とのコネクションを重要視したのは、
トルコに面した時に自らの背後の国々を牽制するため。
おそらくザモイスキの知恵だろう。
- 71 :
- ちなみに上に書いた「当時」ってのはポーランド衰退期の16世紀後半から
18世紀までのことだけど。
- 72 :
- >包囲戦になると傭兵はあまり役に立たない。
へ?
- 73 :
- ジグムント2世が目指していたのは王権の強化よりも中央政府の強化と見たほうが理解できる。
これも若き日のザモイスキが絡んでいる可能性が高い。
- 74 :
- >>72
へ?じゃなくて、役に立たない。
当初は陥落後の戦利品の分け前を報酬として期待できるため、
包囲戦でも短期決戦なら収支の問題は小さいが、
長期化すると報酬の支払いで揉める。
17世紀にスモレンスクを陥落させたときは国軍のほうが主として使われた。
それでもいろいろ揉めた。
- 75 :
- >当初は陥落後の戦利品の分け前を報酬として期待できるため、
>包囲戦でも短期決戦なら収支の問題は小さいが、
>長期化すると報酬の支払いで揉める。
それは包囲戦に限った話じゃないな。
金を払える限り傭兵は役に立つし、払えなければいないのと同じ。
まあ近世国家に限らず、専制帝国の軍隊や近代国家の国民軍であろうと
金を含めた各種リソースが無ければ結局兵士を張り付かせておくのは不可能に
なる訳だが。
- 76 :
- 三千の市民兵相手に総勢四万の兵士が長期戦を狙っていたというなら
どんな兵隊だろうが役にたたねーと思うんだが。
ちなみに当時西方でポピュラーな星型城塞の普及していない東欧・ロシアじゃ
火砲だけでも余裕でオーバーキルできるぞ。
- 77 :
- ポラック(笑)
- 78 :
- >三千の市民兵相手に総勢四万の兵士が
一体どこからそんな極端な数字が
- 79 :
- まあ、別の対ロシア戦争ではあの超巨大要塞スモレンスクを陥落させたんだからいいじゃないかw
ムキになる必要はない
プスコフ戦はなにかそのまま圧勝したらまずいようなポーランド側の内部事情があったように見える
国王はバートリでヘトマンはザモイスキだからな
- 80 :
- ポラック(笑)
- 81 :
- バートリは死んでから名君としての評価が上がったが、
生きているときは外国人だけに警戒されてはいただろう。
死んだらもはや国を裏切る不安がないが
生きているときは増長しないようにしないといけない。
特にバートリはあのアンリの後だけに。
しかし名宰相のザモイスキと組んで結果的に問題なかった。
- 82 :
- ポラック(笑)
- 83 :
- 曹操vs織田信長vsカエサルvsナポレオンvsフリードリヒ大王vsグスタフアドルフvsアレクサンドロス
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1229337555/740-
- 84 :
- ポラック(笑)
- 85 :
- ポラック(笑)
- 86 :
- 名将ヤン・タルノフスキの評価が上がればいいなあー
- 87 :
- ポラック(笑)
- 88 :
- test
- 89 :
- リセットテスト
- 90 :
- またレベル1からやりなおしか
- 91 :
- てすつ
- 92 :
- ボヘミアもポーランドもハンガリーも民族王朝が途絶えて
貴族の権力の方が王よりも強くなってしまった。
ヤゲウォ家のリトワもポーランドに引っ張られてしまって。
ピョートルの娘や后達の時代からピョートル時代に課した
貴族の義務を緩め、更にホルシュタイン・ゴットルプ家への
王朝交代やエカテリーナ即位で拍車がかかって貴族の
楽園化したのに、ロシア帝国のツァーリが専制的な権力を
失うことがなかったのはなぜだろう。
ハンガリー貴族も、一時は国土の大半をオスマンに占領
されてたのに、なんで二重帝国を形成させる程に強い力を
保てたんだろう。
- 93 :
- 【政治】菅直人首相「中国人船長釈放、5年先、10年先に適切な対応だったと歴史に評価される」 毎日新聞菅流事典:/1 名誉欲
http://raicho.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1312345197/
■ソース(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/seiji/archive/news/2011/08/02/20110802ddm012010129000c.html
【政治】菅直人首相「普天間みたいに、言ったけどできなかったということはおれにはないんだよ」 毎日新聞菅流事典:/2 猫の目
http://raicho.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1312344980/
毎日新聞 2011年8月3日 東京朝刊
http://mainichi.jp/select/seiji/archive/news/2011/08/03/20110803ddm012010107000c.html
菅流事典:/3 四面楚歌【し・めん・そ・か】
◇安易な接近で墓穴
◇あなたは私と責任を分担し合うのが嫌なんですか
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110804ddm012010012000c.html
- 94 :
- 王はともかく貴族は民族じゃないか?
- 95 :
-
《野田首相》
ISDS(ISD条項)は、あまりよく過分に詳しくしらなかった
条約と国内法との上位関係だったら、条約が上
だからこそ、条約を結ぶために(国内法を)殺したり、壊したりはしない
http://www.youtube.com/watch?v=XJtWmYBNKck#t=19m50s
《佐藤ゆかり議員》
貿易協定におけるISD条項について説明、
国内法がISD条項によって曲げられる可能性について首相に質問
《野田首相》
国内法で対応できるよう交渉をしていく
(一時中断)
国内法よりも、条約のほうが上位にあり、それに対応しなければいけない現実の中で、どう対応するか考える
《野次》
何を言ってるんだ!
どうやって対応できるんだよ!
条約が上だから対応できないんだよ、国内法では!
http://www.youtube.com/watch?v=NL97kik6S_4#t=00m26s
- 96 :
- 埋葬用の剣、中世東欧の墓地発見
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=2011121903
豪華なネックレス、中世東欧の墓地発見
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=2011121902
若き戦士、中世東欧の墓地発見
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=2011121901
ベルト金具、中世東欧の墓地発見
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=2011121904
- 97 :
- >>96
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1319285512/241-
- 98 :
- 白樺
- 99 :
- 日本の税収40兆!公務員の人件費32兆!
天下り先機関の維持に12兆!
ほっといてもジャンジャン借金が増えるシステム!
日本オワタ\(^o^)/
介護福祉に投入される税金が2兆円に満たない一方、
職員のボーナスには毎年6兆円の税金が投入される見通し!
国民にばかり負担を押し付け、
自分らは悠々自適の贅沢三昧!
日本オワタ\(^o^)/
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