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2012年5月ワールドカップ198: 村上春樹的にワールドカップを語る (537) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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村上春樹的にワールドカップを語る


1 :08/03/29 〜 最終レス :12/03/21
もしあなたがサッカーに芸術やスペクタクルを求めているのならブラジル代表の試合を観ればいい。
真に芸術的サッカーが生み出されるにはブラジル人選手が必要不可欠だからだ。
ロベカルやカフーがサイドを駆け上がり、レオナルドやリバウドが中盤で華麗にパスを展開し、そしてその間にロナウドやロナウジーニョは
ゴール前でチャンスを待ち、ラストパスやゴールのイメージをする。芸術的サッカーとはそういったものだ。
大した個人技もなくフィジカルに劣り、走るだけが取り柄の選手の集まりには、それだけの
サッカーしかすることはできない。
そして、それが僕らの日本代表だ。


2 :
よく分からんけど2

3 :
「完璧なサッカーなどといったものは存在しない。完璧な選手が存在しないようにね。」
僕が最初に代表の監督だったころ
イタリアで知り合った有名監督は僕に向ってそう言った。
・・・僕がその本当の意味を理解できたのは解説者になってからのことだったが、
少くともそれをある種の慰めとしてとることも可能であった。
完璧なサッカーなんて存在しない、と。

4 :
「あなた『オシム語録』って読んだことある?」と巻が訊いた。
「あるよ。もちろん全部は読んでないけど。他の大抵の人と同じように」
「理解できた?」
「理解できるところもあったし、できないところもあった。『オシム語録』を
正確に読むにはそうするための思考システムの習得が必要なんだよ。
もちろん総体としてのやりたいサッカーはだいたい理解できていると思うけど」
「その手の本をあまり読んだことのない新人選手が『オシム語録』読んで
すっと理解できると思う?」
「まず無理じゃないかな、そりゃ」と僕が言った。

5 :
「隆行、あなた何回くらい移籍したの?」と
柳沢がふと思いついたように小さな声で訊いた。
「八回か九回」と僕は正直に答えた。
小笠原が練習を止めてレガースをはたと芝の上に落とした。
「あなたもう30歳を過ぎたんでしょう?いったいどういう生活してんのよ、それ?」
柳沢は何も言わずにその澄んだ目でじっと僕を見ていた。

6 :
シュートが無人のゴールを外れて、気がつくともう相手のゴールキックになっていた。
やれやれ。
僕は頭を振った。まずは次のチャンスメイクの事を考えよう。
ゴールを決めるのはそれからでも遅くはない。
そのときメディアからの批判の気配を感じたが、振り返るのはやめておいた。
たぶん、今はその時期じゃない。
そう、物事のタイミングを間違えるとろくなことにならないと、
僕はうすうす気がつきはじめていた。

7 :
その時僕は三十一歳で、あと何週間かのうちに三十二になろうとしていた。
当分のあいだ代表になれる見込みはなく、かといってサッカーをやめるだけの確たる理由もなかった。
奇妙に絡みあった絶望的な状況の中で、何ヶ月ものあいだ僕は新しい一歩を踏み出せずにいた。

8 :
人間というのは大別するとだいたい二つのタイプにわかれる。
つまり代表サッカーの好きな人間と嫌いな人間である。
べつに前者が保守的で愛国の気持ちに富んでいて、ちょっと右翼的で
後者がその逆で、というわけでもなく、ただ自国の代表が好きか嫌いかという
極めて単純な次元での話である。

9 :
なかなか上手いなw

10 :
今、僕はロナウジーニョを外そうと思う。
もちろん問題は何ひとつ解決してはいないし、選手を変えた時点でも
あるいは事態は全く同じということになるかもしれない。
結局のところ、現代サッカーにおいて10番の選手は絶対の存在ではなく、
ゲームメイクのためのささやかな試みにしか過ぎないからだ。
しかし、人気選手を外すのはひどくむずかしい。
僕がメディアに説明をすればするほど、正確な答えは闇の奥深くへと
沈みこんでいく。
弁解するつもりはない。少なくとも前回の結果は現在の僕における
ベストだ。付け加えることは何もない。
それでも僕はこんな風に考えている。
うまくいけばずっと先に、何年か先に、新しいセレソンを発見することが
できるかもしれない、と。
そしてその時、象は平原に還り選手たちはより美しい形で
ボールをまわし始めるだろう。

11 :
「じゃあ私たちわかりあえるわね?」と中国代表サポーターは静かに言った。
彼女が電話の向こうで椅子にゆったりと座りなおし、脚を組んだような雰囲気が感じられた。
「それはどうかな」と僕は言った。「君らはなにしろ反日がアイデンティティーだからね」
「中国というのはあなたが考えているよりも懐が深いかもしれないわよ」
「君は本当に日本のことを知っているの?」僕は訊いてみた。
「もちろんよ、歴史の授業で習ったわ」
「いつ、どこで?」
「いつか、どこかでよ」と彼女は言った。「そんなことここでいちいちあなたに
説明していたらとても時間が足らないわ。大事なのは今よ。そうでしょ?」
「でも何か証拠を見せてくれないかな。君が日本のことを知ってるって証拠を」
「例えば?」
「日中戦争の被害者は?」
「3000万人の中国人よ」と女は即座に答えた。「南京大虐殺で30万人。それでいいかしら?」

12 :
「俺と巻の似ているところはね、ゴールできなくてもいいと
思っているところなんだ」と鈴木隆行が言った。
「そこが他の国の代表FWと違っているところなんだ。
他の国のFWの奴らはみんなストライカーになりたいと思ってあくせくしてる。
でも俺はそうじゃないし、巻もそうじゃない。
ファールがとれればそれでかまわないと思っているのさ。
自分は自分で、他人は他人だって」

13 :
「そうなの?」と高原が僕に訊いた。
「まさか」と僕は言った。
「僕はそれほど強い人間じゃありませんよ。ゴールできなくていいと
思っているわけじゃない。点を取りたいと思うときだってあります。
ただここ数年のチーム状況を見てると、まあこれは仕方ないだろうと
思っているだけです。あきらめてるんです。
だから鈴木さんの言うように相手からファールさえとれればかまわないと思っているわけじゃ
ありません」
「俺の言ってるのもほとんど同じ意味だよ」と鈴木は割り箸を
手にとって言った。
「日本のFWなんて上がり気味のMFと下がり気味のFWの違いくらいしかないんだ。
変わる奴も同じで、もとめられるプレーも同じで、ただ呼び方が違うんだ」

14 :
「何故マスコミが嫌いだと思う?」
その夜、岡田監督はそう続けた。そこまで話が進んだのは初めてだった。
わからない、といった風に僕は首を振った。
「はっきり言ってね、マスコミなんて何も考えないからさ。「日本人は一対一に弱い」と
「ストライカーがいない」の二言が無きゃベタ記事での批判記事も書けやしない。」
はっきり言って、というのが岡ちゃんの口癖だった。
「そう?」
「うん。奴らは大事なことは何も考えない。考えてるフリをしてる
だけさ。‥‥何故だと思う?」
「さあね」

15 :
「必要がないからさ。もちろんライターになるには少しばかり文才が要る
けどね、評論家であり続けるためには何も要らない。人工衛星に
ガソリンが要らないのと同じさ。グルグルと同じところを回ってりゃ
いいんだよ。でもね、俺はそうじゃないし、あんただって違う。
勝つためには考え続けなくちゃならない。3バックのラインメイク
から代表のセレクションまでね。そうだろ?」
「ああ。」と僕は言った。
「そういうことさ。」
「でも結局はみんな日本代表に期待する」僕は試しにそう言ってみた。
「そりゃそうさ。国民はみんな自国の代表に期待はする。でもね、日本が本当に強くなるまでにあと10年は
強化を続けなきゃならんし、いろんなことを考えながら10年現場を勤めるのは、
はっきり言って何も考えずに批判だけして5千年代表を見るよりずっと疲れる。
そうだろ?」
そのとおりだった。

16 :
「ゴールを決めるのってやはり楽しいんでしょうね」と彼はリフティングしながら言った。
「どうだろうな」僕は言った。「守備も重要だからなんとも言えないよね。比べようがないから」
「僕も少しは練習してるんです」
「シュート練習を?」
「ええ、そうです」と鈴木啓太は言った。
「変ですか?」
「変じゃないよ」

17 :
ジーコが目指したサッカーは失われてしまったものなのだと僕は考えるようにつとめた。
すべては失われたものだし、失われつづけるべき筋合いのものなのだ。
損なわれてしまったものをもとどおりにすることは誰にもできない。
地球はそのために太陽のまわりを回転しつづけているのだ。
僕に必要なのは結局はリアリティーなのだと僕は思った。
世界に通用するFWがいない日本はパスまわしを高い位置から早くしなければならない
といったタイプのリアリティーだ。

18 :
ドイツワールドカップ決勝はイタリアの優勝で終わった。
僕はスタンドからピッチの風景を眺めた。ピッチの上ではガットゥーゾが、
地面の匂いを熱心にくんくんとかぎまわっては芝を食べていた。
ガットゥーゾは何分間か飽きもせずにその作業をつづけていた。
ガットゥーゾがどうしてそんなことをしなくてはならないのか、僕にはわからなかった。

19 :
「あなたは直前に迫ったワールドカップに対して恐怖を感じるということはないんですか?」
と僕は訊いてみた。
「あのね、俺はそれほど馬鹿じゃないよ」とロナウドは言った。
「もちろん、セレソンに課せられた優勝というノルマに対して恐怖を感じることはある。
そんなの当り前じゃないか。ただ俺はそういうのを前提条件としては認めない。
自分の力を百パーセント発揮してやれるところまでやる。
点はとるし、取れないプレーはやらない。そうやって得点王になる。
駄目だったら駄目になったところでまた考える。
理不尽なメディアからのプレッシャーというのは逆に考えれば能力を発揮できる機会でもある」

20 :
僕はそのサッカー中継を眺めながら、オン・ザ・ロックを三杯飲んだ。
1時になると0対0のまま後半ロスタイムでサッカーの中継が終わり、TVのスイッチが切られた。
僕のひとつ置いてとなりの席にはときどきこの店で見かける20歳前後の女の子が座って
同じようにTVを見ていたので、中継が終わると僕は彼女とサッカーの話をした。
彼女は自分はイタリア代表のファンだけど、あなたはどこのチームが好きかと訊ねた。
どこだっていい、と僕は答えた。ただ試合そのものを見ているのが好きなんだ、と。
「そういうのどこが楽しいのかしら?」と彼女は訊ねた。「そんな風にサッカー見ても熱中できないでしょ?」
「熱中しなくてもいいんだ」と僕は言った。「どうせ他人のやってることなんだから」

21 :
きもいスレだなw

22 :
「ドイツ?」と僕はびっくりして言った。「小野さんがドイツに移籍するんですか?」
「ええ、私けっこう上手いのよ。あなたどう?」
「海外でやってみたいと思うことはありますよ。あまり上手くはないけれど」
「じゃ行きましょう」
我々はドイツで移籍先をみつけて中に入った。中位から下位くらいにある
小さなクラブだった。
ボーフムのユニフォームを着た小野さんとウォルフスブルグのユニフォームの僕の組み合わせは
ブンデスリーガの中ではひどく目立ったが、小野さんはそんなことはあまり気にせず中盤に居座り、得意の
ダイレクトパスをキュッキュッと披露した。
我々は何試合かに出場したが、小野さんは自分でも言ったように
なかなか腕が良かったし、僕は初めての海外だし浦和のサッカーに慣れていたのであまり上手くプレーすることができなかった。
それで2本ほど小野さんがアシストを記録した。
「上手いですね」と僕は感心して言った。

23 :
キーンがW杯直前にアイルランド代表を去ったのにはもちろん幾つかの理由があった。
その幾つかの理由が複雑に絡み合ったままある温度に達した時、音をたててヒューズが飛んだ。
そしてあるものは残り、あるものははじき飛ばされ、あるものはW杯で活躍した。
アイルランド代表をやめた理由は誰にも説明しなかった。
きちんと説明するには五時間はかかるだろう。
それに、もし誰か一人に説明すれば他のみんなも聞きたがるかもしれない。
そのうちに世界中に向って説明する羽目になるかもしれない、そう考えただけでキーンは心の底からうんざりした。
「ビールの種類が気に入らなかったんだ。」どうしても何かしらの説明を加えないわけにいかぬ折りにはそう言った。
実際に練習場の待合室の自販機を見に行った女の子までいた。
それほど悪くはなかったわ、と彼女は言った。少しばかり期限切れのもあったけど…。
好みの問題さ、とキーンは答えた。
「お互い好きになれなかったんだ。僕の方も自販機の方もね。」幾らか気分の良いときにはそうも言った。
そしてそれだけを言ってしまうと後は黙り込んだ。

24 :
>>21
チラ裏にでも書いときゃいいのになw
(それでもチラシさえもったいないがwww)
まあsageでオナってるぶんには許してやろうぜw
キモイことこの上ないのは確かなんだがなwwwwwwwwwwwwww

25 :
「ではフランス代表にかける意気込みと自己PRを言ってくれ」
僕は心底、心の底から吃驚した。多分マスコミにもわかっただろう。
意気込み?なんでそんな上等ものがフランス代表になるのに求められるんだ?
「ベンゼマが怪我したから」
とても素敵な人間的な理由だ。
でもそんなことをいってしまったら今までも苦労が水の泡だと言うことは
さすがに僕でも分かった。
やれやれ、代表FWになるのも楽じゃない。

26 :
「だからね、ときどき俺は日本代表を見回して本当にうんざりするんだ。
どうしてこいつらは努力というものをしないんだろう、
努力もせずに不平ばかり言うんだろうってね」
僕はあきれて彼の顔を見た。
「僕の目から見れば代表に来ている人々はずいぶんあくせくと身を粉にして
仕事している印象を受けるのですが、僕の見方は間違っているのでしょうか?」
「あれは仕事じゃなくてただの労働だ」と彼は簡単に言った。
「俺の言う仕事とはそういうのじゃない。
仕事というのはもっと主体的に目的的になされるもののことだ」
「たとえば攻撃がシュートで終わって他のみんながホッとしている時に
マークの相手の確認を始めるとか、そういうことですね?」

27 :
「日本代表に必要だったのは日本のサッカーというものを確立するための時間であり、経験だったんだ
それは何もとくべつな経験である必要はないんだ。それはごく普通の経験でかまわない。
でもそれは日本人のからだにしっかりとしみこんでいく経験でなくてはならないんだ。
代表のユニフォームが赤だったころ、日本のサッカーファンはワールドカップに出たかったけど、
そこでなにをすればいいのかわからなかった。
どんなサッカーをすればいいのかを発見するために、日本には長い歳月とハード・ワークが必要だったんだよ、たぶん」

28 :
>>1で残念だったのはロベカルって書いたところだな。
ロベルト・カルロスって書けば、それっぽくなる。

29 :
黄金世代の存在が失われてしまうと、日本代表の中にいろんなものが見あたらなくなっていることが判明した。
まるで潮が引いたあとの海岸から、いくつかの事物が消えてなくなっているみたいに。
そこに残されているのは、オタ以外の一般人にとってもはや正当な意味をなさないいびつで空虚なパスサッカーだった。
薄暗く冷たい世界だった。中田や小野がいた日本代表に起こったようなことは、その新しい監督の下では
もう起こらないだろう。私にはそれがわかった。
人にはそれぞれ、あるとくべつな年代にしか手にすることのできないとくべつなものごとがある。
それはささやかな炎のようなものだ。注意深く幸運な人はそれを大事に保ち、大きく育て、
松明(たいまつ)としてかざして生きていくことができる。でもひとたび失われてしまえば、
その炎はもう永遠に取り戻せない。日本が失ったのは黄金世代だけではなかった。彼らといっしょに、
日本サッカーはその貴重な炎までもを見失ってしまったのだ

30 :
僕はボールを地面に置いてフリーキックを蹴る。
この繰り返しをすることが面白いなんて思ったことなんてないし、
意味があるとも思わない。
でも誰かが壁を巻いてボールをゴールに
入れなければならないのだ。
雪かきと同じなのだ。
「サッカー的雪かき。」と僕は声に出して言ってみた。

31 :
『どうしてマテラッツィに頭突きしたの』と僕はジダンに訊いてみた。
訊こうと思って訊いたわけではない。
それはふっと口をついて出てしまったのだ。
「僕にも確信が持てないんだ。こういう言い方って馬鹿馬鹿しいと思うだろう? 
でもほんとうなんだよ。僕はマテラッツィに頭突きしたような気がするんだ。
あのドイツ大会の決勝で僕はマテラッツィに頭突きした。そういう気がする。どうしてだろう?
どうして僕はあのエリアにマテラッツィと二人きりでいたんだろう?」

32 :
「それはよかった。Jリーグは僕には向いていない。きっと君にも向いていない。
8年間鹿島にいたおかげで僕にはそれがよくわかるんだ。
僕は鹿島アントラーズで8年間、人生をほとんど無駄に費やした。
二十代のいちばんいい歳月だよ。よく8年も我慢できたと思う。
でもその年月がなかったら、たぶんジーコやトルシエからの代表招集も
あんなにうまくはいかなかっただろうね。そう思うんだ。」

33 :
>>32
鈴木もぜひw

34 :
【中央日報】「日本人は第2次世界大戦を反省していない」村上春樹氏インタビュー[04/09]
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1207723064/
これどうよ?

35 :
僕は二十七歳で、そのと日本代表のゴールを守っていた。
八月の蒸し暑い空気が大地に暗くたちこめ、ブーイングを繰り返す中国人たちや、
閑散としたスタジアムの上に立った国旗や、反日メッセージのプラカードやそんな何もかもを
フランドル派の陰うつな絵の背景のように見せていた。
やれやれ、またPK戦か、と僕は思った。

36 :
イングランド代表を引退して日本に来たとき、僕のやるべきことはひとつしかなかった。
サッカー後進国でこぼれ球をゴールに流しこむこと― それだけだった。
メキシコW杯で得点王に輝いたことやブラジル戦でPKを外してしまったことや
そんなものはみんな忘れてしまうことにした。歴代2位のゴール数や代表のキャプテンマーク、そんな何もかもをだ。
はじめのうちはそれで上手くいきそうに見えた。しかし僕の中には何かしら
ぼんやりとした空気のようなものが残った。そして時が経つにつれて
その空気ははっきりとした単純な形をとりはじめた。
僕はその形を言葉に置きかえることができる。こういうことだ。
サッカーは22人でボールを追う単純なスポーツ。だが最後に勝つのはいつもドイツだ。
言葉にしてしまうと嫌になってしまうくらい平凡だ。まったくの一般論だ。
しかし僕はそれを言葉としてではなくひとつの空気として身のうちに感じたのだ。
メキシコW杯でもイタリアW杯でも、ドイツは常にイングランドを上回ってきた。
そして我々はそれをまるで細かい塵みたいに肺の中に吸い込みながら生きてきたのだ。

37 :
僕はFAに電話をかけ、W杯にどうしてもいきたいんだ。
話すことがいっぱいある。話さなくちゃいけないことがいっぱいある。
世界中にイングランド代表のユニフォーム以外に求めるものは何もない。
酒をやめて代表に復帰したい。 何もかもをEURO1996の頃のプレーからはじめたい、と言った。
FA役員は長い間電話の向こうで黙っていた。
まるで世界中の細かい雨が世界中の芝生に振っているようなそんな沈黙が続いた。
僕はその間ガラス窓にずっと額を押し付けて目を閉じていた。
それからやがてFA役員が口を開いた。『君、今どこにいるんだ?』と彼は静かな声で言った。
僕は今どこにいるのだ?
僕は受話器を持ったまま顔を上げ、電話の周りをぐるりと見まわしてみた。
僕は今どこにいるのだ?でもそこがどこなのか僕にはわからなかった。
見当もつかなかった。 いったいここはどこなんだ?僕の目に映るのは
いずこへともなく歩きすぎていく白衣の看護士の姿だけだった。
僕は精神病院のアル中病棟のまん中からFAを呼びつづけていた。

38 :
たぶん僕は時代遅れなのだろう。でもマンチェスター・ユナイテッドで
7番をつけていた事を今でもとても懐かしく覚えている。
今は残念ながら、どのチームをみてもあれほどのゲームメーカーはいない。
たまにテレビやスタジアムでプレミアリーグをみるけど、
あれは僕にはあまりにも動きが忙しすぎる。
休憩するまでひと息いれたり、深呼吸をしたりという余裕がまったくない。
おい、たかがサッカーじゃないか、といつも僕は思う。
どうしてそんなに忙しくあっちみたりこっちみたりしなくちゃならないんだよ?
どうしていちいちそんな複雑にみなくちゃならないんだよ?

39 :
僕はフランス代表をやめてイングランドに帰化したとき、フランス代表のユニフォームを自宅に持って帰って置いた。
自宅にはトロフィーなどを置くスペースがあったので、そこにユニフォームを置いて、
俳優業やビーチサッカーに疲れるとときどき部屋に入ってぼうっと眺めていた。
でも不思議なことに、あのフランス代表で王様だった時のような
気分は二度と戻ってはこなかった。
どうしてかは僕にはわからない。でも何かが違っていた。そう、空気が違うのだ。
どうしてだろう?自分という人間の種類が微妙に変化したのだ、
たぶん。

40 :
僕はセリエやローマについての多くをカッサーノに教えた。
殆ど全部、というべきかもしれない。
不幸なことにカッサーノは全ての意味で不毛な選手であった。
会えばわかる。酒癖が悪く、私生活は出鱈目であり、弁論は稚拙であった。
しかしそれにもかかわらず、彼はドリブルやラストパスを武器として闘うことができる
数少ない非凡なファンタジスタの一人でもあった。
バルセロナのメッシ、マンチェスターユナイテッドのクリスティアーノ・ロナウド、
そういった彼の同時代人の選手に伍しても、カッサーノのその戦闘的な姿勢は
決して劣るものではないだろう、と僕は思う。
ただ残念なことに彼には最後まで自分の戦う相手の姿を明確に捉えることはできなかった。
結局のところ、不毛であるということはそういったものなのだ。
数年間、彼はその不毛な戦いを続けそしてローマを退団した。
2006年1月のある晴れた月曜日の朝、ローマからスペインのレアル・マドリードに出て行ったのだ。
彼がローマで問題を起こしていたのと同様、レアルでも問題児になるのに、時間はかからなかった。

41 :
たぶん僕の記憶が間違っているのだろう。レアルにいた頃の活躍は
それほどたいしたものではなかったかのかもしれない。僕がただ活躍したと
思い込んでいただけのことなのかもしれない。僕にはうまく思い出せなかった。
最後に代表のユニフォームを着たのがいつのことだったかも思い出せなかった。
僕が覚えているのは移籍金の額だけだった。298億円もあった。肖像権収入込みの金額だ。
会見では何百人というマスコミが押し寄せた。そのフラッシュの光のかたまりが、
まるで燃え盛る火の粉のようにテレビの画面に照り映えていた。
あれはいつのことだったのだろう?そしていったい何処だったのだろう。
うまく思い出せない。
今となってはいろんなことが前後し、混じりあってしまっている。

42 :
ドイツW杯の終わりに僕はずっとつとめていたサッカー選手を辞めたが、
それはとくに何か理由があってのことではなかった。
仕事の内容が気に入らなかったというのでもない。
トップレベルとはいえないにしても年棒は悪くなかったし、
ファンやメディアの雰囲気だって寛容的だった。
代表やクラブにおける僕の役割はひとくちでいえば広告塔だった。
でも僕は僕なりによく働いたと思う。自分で言うのも変かもしれないが、
そういった戦術的な職務の遂行に限っていえばかなり有能な人間だったと思う。
戦術理解は速いし、運動量はあるし、ボールはさばけるし、現実的なものの考え方をする。
だから僕がサッカーを辞めたいと言いだしたときマネージメント事務所は
次のW杯も狙えそうなんだがと言ってくれたくらいだった。

43 :
でも結局サッカーを辞めた。
辞めて何をするというはっきりした希望や展望があったわけではない。
もう一度ピッチに戻ってコーチのライセンスをとる勉強を始めるというのはどう考えても億劫だったし、
それにだいいち、今となってはとくに指導者になりたいわけでもない。
ただ僕はこれから先ずっとサッカーの世界にいて、ずっとその仕事を続けて
いくつもりはなかったし、もし辞めるなら今しかないだろうと思ったのだ。
それ以上長くいたら、僕の人生はたぶんそこでずるずると終わってしまうことになる。
なにしろもう10年勤めたのだ。

44 :
僕はどちらかといえば、運動量の豊富な類ではなく、前線に張ることを好むFWだ。か
といって、世間とやらで待望されているところの、点取り屋の類のものでもない。単
に動きが遅くてチェイシングをあまり好かないだけなのだ。
しかし、いつまでもフリーランニングを嫌い、エースの身分に甘んじていられないことは僕自身が一
番分かっている。そういえば去年も同じことを考えていた。こんな僕でも、当然A代表
に打って出るべく、リーグ戦でアピールなるものを人並みにはやってみたのである。代表として
世界にでるからには、できることなら自分のプレーをしたいと、チャンスを選り好みし
すぎ、監督にすべからくダメだしされてしてしまったのである。そして僕は代表落ちしたのである。
世間からしてみれば、このご時世、何を贅沢をなどと怪訝な目で見られることは百も
承知だ。しかし、したくもないプレーで世界に行くなどということは、僕は考えられなかっ
たのである。
そう、僕はシュールなリアリストであると同時に、ペシミスティックなストライカーだった
のである。

45 :
僕は自分が国歌斉唱中にしていることに気づいた。
それは今まで僕が経験したことがないほど強く激しいものだった。

46 :
ワールドカップとヒットラーの歩みはある共通点を有している。
彼らの双方がある種のいかがわしさと共に時代の泡としてこの世に生じ、そしてその存在自体よりは
ナショナリズムによって神話的オーラを獲得したという点で。ナショナリズムはもちろん
三つの車輪、すなわちテクノロジーと資本投下、それに人々の根源的欲望によって支えられていた。

47 :
人々は恐るべきスピードでこの泥試合にも似た素朴なボールゲームに
様々なものを与え続けた。あるものは「光あれ!」と叫び、あるものは「電気あれ!」と叫び、
あるものは「延長あれ!」と叫んだ。そして光がフィールドを照らし出し、電光掲示板がリプレイを映し、
延長戦やPK戦がくり広げられた。
スコアがプレイヤーの技量を十進法の数値に換算し、悪質なファールに対しては審判がカードで応えた。
次にゲームメイクという形而上学的概念が誕生し、ゾーン・デフェンス、プレッシング
オフサイド・トラップという様々な戦術がそこから生まれた。そしてこの時期において、
ワールドカップ・サッカーはある種の呪術性をさえ帯びるようになった。

48 :
ワールドカップ研究書「ワールドカップの20世紀」の序文はこのように語っている。
「あなたがワールドカップの観戦から得るものは殆ど何もない。ナショナリズムに置き換えられた
プライドだけだ。失うものは実にいっぱいある。歴代名選手の銅像が
全部建てられるくらいの銅貨と(もっともあなたにアンドニ・ゴイコチェアの銅像を
建てる気があればのことだが)、取り返すことのできぬ貴重な時間だ。
あなたがスタジアムで孤独な消耗を続けているあいだに、あるものはプルーストを
読み続けているかもしれない。またあるものはドライブ・イン・シアターでガールフレンドと
『勇気ある追跡』を眺めながらヘビー・ペッティングに励んでいるかもしれない。そして彼らは時代を
洞察する作家となり、あるいは幸せな夫婦となるかもしれない。
しかしフットボール観戦はあなたを何処にも連れて行きはしない。パスの交換を見つめるだけだ。
パス、パス、パス……、まるでパス回しそのものがある永劫性を目指している
ようにさえ思える。

49 :
永劫性について我々は多くを知らぬ。しかしその影を推し測ることはできる。
フットボールの目的は自己表現にあるのではなく、自己変革にある。エゴの
拡大にではなく、縮小にある。分析にではなく、包括にある。もしあなたが
自己表現やエゴの拡大や分析を目指せば、あなたはレッドカードによって
容赦なき報復を受けるだろう。
良きゲームを祈る(ハヴ・ア・ナイス・ゲーム)。」

50 :
「完璧なストライカーなどといったものは存在しない。完璧なシュートが存在しないようにね。」
僕が鹿島にいたころ偶然知り合ったブラジル人名選手は僕に向ってそう言った。
僕がその本当の意味を理解できたのは解説者になってからのことだったが、
少くともそれをある種の慰めとしてとることも可能であった。
完璧なストライカ−なんて存在しない、と。
しかし、それでもやはり代表で前線にでるとなると、いつも絶望的な
気分に襲われることになった。僕に出来るプレーはあまりにも限られたものだったからだ。
例えばポストプレーができたとしても、ゴールを奪うことに関しては
何もできないかもしれない。そういうことだ.

51 :
8年間、僕はそうしたジレンマを抱き続けた。―8年間。長い歳月だ。
もちろん、あらゆるものから何かを学び取ろうとする姿勢を持ち続ける限り
年老いることはそれほどの苦痛ではない。これは一般論だ。
20歳を少し過ぎたばかりの頃からずっと、僕はそういったプレーをしていこうと努めてきた。
おかげでサポーターや評論家から何度となく手痛い批判を受け、ブーイングされ、誤解され
また同時に多くの不思議なあだ名をもらったりもした。
様々なパスがやってきて僕にシュートを促し、まるで橋をわたるように音を立てて僕の上を
通り過ぎ、そして二度と戻ってこなかった。
僕はその間じっと口を閉ざし、何も語らなかった。
そんな風にして僕は20代最後の年をセリエAで迎えた。

52 :
僕は正しい事をしたんだろうか?
「君は正しい事をしたんだ」ライカールトと呼ばれる監督は言う。
「だって君はリーガの世界で一番タフな10番のブラジル人なんだからね」

53 :
良スレ

54 :

「ねえ、巻さん。ところであなたの人生の行動規範っていったいどんなものなんですか?」と僕は訊いてみた。
「内田、お前、きっと笑うよ」と彼は言った。
「笑いませんよ」と僕は言った。
「フォワードであることだ」
僕は笑はしなかったけれどあやうくピッチ上に転げ落ちそうになった。「フォワードって点取り屋のあのフォワードですか?」
「そうだよ、あのフォワードだよ」と彼は言った。
「フォワードであることって、どういうことなんですか? もし定義があるなら教えてもらえませんか」
「自分が点をとるだけではなくて、フォアチェックや潰れ役とか、やるべきことをやるのがフォワードだ」
「あなたは僕がこれまで会った人の中でいちばん変わった千葉の人ですね」と僕は言った。
「お前は俺がこれまで会った人間の中でいちばんまともな鹿島の人間だよ」と彼は言った。
そして僕のゆるいパスにもしゃにむに突っ込んでいってくれた。

55 :
「代表に選ばれてるよ」
僕は、耳を疑った。
いきなり、そんなことを言われても僕と代表とを結ぶべき糸など
存在しないはずだ。
しかし、もう一度、電話の向こうの声は続けた。
「あなたの国の、代表チームに選ばれてるよ」
そして、電話は切れた。
僕は、あっけにとられた。
もしかしたら、これが協会からの代表選出の電話なのか?

56 :
「でもね」と彼は言って、煙草を地面に落とし、靴の底で踏んで消した。
「オシムの監督しているチームでは絶対にユーティリティって言葉を使っちゃ
いけないの。私たちは『ポリバレント』って言わなくちゃいけないの。
ユーティリティプレイヤーって、ほら、差別用語なのよ。
私、一度冗談で『器用貧乏な選手』って言ってみたの。そしたらすごく怒られちゃった。
そういうことでふざけちゃいけないって。
みんなすごおおく真面目にサッカーしてるんだから」

57 :
ときどき、まるで義務を果たすかのように僕は憂鬱になった。
冷静に考えれば僕が憂鬱になる理由などなかった。僕はたぶん代表に入るだろうし、
それなりのプレーでチームに貢献するだろう。僕はその仕事をある程度はこなせることを予感
している。特にゴールを決めなくても、ポストとしてそれなりにうまくやっていけるだろう。
もともと僕にはたいした欲はない。日本人FWのプレーなんて、どれも今僕がクラブでやってるのと
似たようなものだ。そのことを嘆く人は僕の周りには多かったけれども、それがそんなに
ひどいことだと僕は思わない。たぶん、ボールをもってないときにはひたすらプレスに走り回って、
中盤が入れてくれたボールを前線で少しでもてれば、それがこの停滞した日本サッカー界で巧くやっているってことなのだ。

58 :
良スレ

59 :
僕が北京五輪代表の選考をしてる時、彼
女は思い出したように質問してきた。
「ところで、4年前のアテネオリンピックは成功したの?」
「あれは見事なまでに失敗だった。」
僕はOA枠を無視しながら答えた。 まだ遠藤には未練が残っていた。
「4年前、日本がアテネに出場をした時メダルはねらえる筈だったんだ。少なく
とも僕はそう思おうとしていた」
「でも違ったのね」
「でも違ったんだ」
イタリアでくすぶっていた森本をすくい上げ、平山切りをしてからメンバーに入れる。帰化した李をさらに加える。
完成。
「誰が悪かったの?」
彼女はメモをとりながら僕に尋ねた。
僕は記憶をたどり、なるべく彼女に正確に伝えようと頭の
なかで整理してから答えた。
「人間力のおっさん」

60 :
もちろん厳密に言えばそれは人間力のおっさんなんかではな
く、山本と呼ばれる代表監督だったのだが、彼女に1から説明する気にはならない。
それにあの時の僕にとって山本は人間力のおっさんと呼ぶに相応しい存在だった。
やれやれ。
考えてみて欲しい。
「人間力」があれば強豪国を押しのけてメダルを取れる。サッカーの試合にそんなスキルはない。
ならば帰化人や海外組を多くメンバー入れて個人技の不足を補おうとするのは至極当然の事だろう。
あの時出場した五輪代表の命運はまさに監督次第。メンバーを選び終わった瞬間から
アテネは日本にとって生と死が等価値の空間でしかなかったのだ。
人生とはえてしてそういうものだ。

61 :
「反町くん、選手選ぶの下手だねぇ」と会長は言った。
「そうですか」とぼくはいささか傷ついて言った。

62 :
「あのね、森重君、どんな事情があるかは知らないけど、
そういう種類のことはあなたには向いてないし、ふさわしくないと思うんだけれど、どうかしら?」
と反町さんは言った。彼はテーブルの上に手を置いて、じっと僕の顔を見ていた。
「そうですね」と僕は言った。「自分でも時々そう思います」
「じゃあ、どうしてオーバーラップをやめないの?」
「時々前線でボールが欲しくなるんです」と僕は正直に言った。
「そういうゴールに絡む温もりのようなものがないと、時々たまらなく淋しくなるんです」

63 :
「大丈夫、心配することはないよ。内田君は谷底の世代、北京五輪代表に含まれているんだよ。」
と香川は静かに言った。
「これまでもずっと含まれていたし、これからもずっと含まれている。
ここからすべてが始まるし、ここですべてが終わるんだ。
ここが内田君の場所なんだよ。それは変わらない。
君はここに繋がっている。
ここがみんなに繋がっている。ここが君の結び目なんだよ。」
「みんな?」
「枠にシュートが飛ばない若手FW。名ばかりのドリブラー。
似つかわしくない10番。そういうものみんなだよ。それがこのチームを中心にして
みんな繋がっているんだ」

64 :
やれやれ、と僕はその日10本めの――たぶんそれくらいになって
いるはずだ――枠に飛ばないシュートをした。

65 :
「どうして、あの時ゴールを外したの?」
と内田が訊いてきた。僕は彼のクロスを捉えられなかった理由を考えたが、
なぜかはわからなかった。試しに内田の質問を頭の中で三回程繰り返してみた。
だが、やはりというべきか一向にその理由は思い浮かばなかった。
「わからないよ」
と僕は首を左右に振りながら答えた。
すると、内田は「そう…」とだけ言って僕から顔を背けた。

66 :
ゆで卵をむきながら男は話を続けた。
「俺も二十一年間いろんな日本代表を応援したけどね、こんなの初めてだな」
「何が」と僕は訊ねた。
「つまり、ね、ん…、あんなチャンスボールをゴール前で外す人なんてのはさ。
 ねえ、監督さんも大変でしょ?」
「そうでもないよ」と僕は二杯目のコーヒーをすすりながら言った。
「本当に?」
「本当さ」
「柳沢さんだってすごいんだから」と内田が言った。
「元祖QBKよ」と豊田が言った。
「参ったね」と男が言った。

67 :
やれやれまた予選リーグ敗退か。

68 :
「いかに目立たないか・・それがサッカー選手の永遠のテーマなのさ。」
つぶさに放った彼の言葉に僕は肯定することも、もちろん否定することもできなかった。
「メディアはわかりやすく負けた試合を批難したがる。つまり、試合で一番目立った選手をやり玉にあげるというやりかたでね。」
それが現代社会の根底に根付いた日本人の生活信条を形容していることに気づいたのは、しばらく後になってからであった。

69 :
「どうしてスコットランドに隠れて住むようになったの?」
「きっとあんた笑うよ」と水野は言った。
「たぶん笑わないと思うよ」と僕は言った。
「誰にも言わない?」
「誰にも言わないよ」
「北京五輪に行きたくなかったからさ」
我々はしばらく黙って歩いた。

70 :
「ファールをゲットするのは嫌いですか?」
「好きも嫌いも、ただこけるだけですからね」
 監督は笑った。「好きも嫌いもないなんてことはないでしょう。大体において
代表FWをやったことのある人間はシミュレーションが嫌いなものです。決まってるんですよ。
正直に言っていいですよ。正直な意見が聞きたい」
「好きじゃないですね、正直言って」と僕は正直に言った。
「どうしてですか?」
「何をとっても馬鹿げてるように感じられるんです」と僕は言った。「大げさな転倒とか
痛そうな表情の芝居とか、被害者面して審判へアピールするとか
ボックスで何かあればシュートよりPK狙いだとか
セットプレーひとつにとるのにも演技しなくちゃいけないところとか、そういうのが
ひとつひとつ気に入らないんです」

71 :
                     「時々パスを出すんです」
と梶山が言った。
「失礼?」と僕は言った。ちょっとぼんやりしていたもので、聞き間違えたような気
がしたのだ。
「時々パスを出すんです」と彼は繰り返した。
僕は彼の方を見た。彼は指の爪先でペットボトルの表面をなぞっていた。それから
中身の水を思い切り食道の奥へ吸い込んで十秒ばかりキープして、
そしてゆっくりと吐き出した。まるで吐しゃ物みたいに、水が彼の口から空中へ
と漂った。彼は僕にペットボトルを渡した。「給水用の水、ぬるくてもよければ
どうぞ」と彼は言った。
僕は肯いた。

72 :
「ゲームメイクの話が聞きたいね」と僕は言った。
彼は僕の顔を見た。梶山の顔にはあいかわらず表情らしいものがなかった。
「話してもいいんですか?」と彼は言った。
「もちろん」と僕は言った。
「簡単な話なんです。相手のDFが寄ってきたら、近くの味方にボールを預けるんです。サイドや
ヒールでちょこっとやって、それでおしまいです。10秒もキープはしませんね」
「それで」と言ってから、僕は口をつぐんだ。次の言葉がうまくみつからなかったからだ。
彼はしばらくぼんやりしていた。
「5回に1回くらいはドリブルをします」と彼は言った。そしてまた指を鳴らした。「それく
らいのペースがいちばん良いような気がするんです。もちろん僕にとっては、というこ
とですが」
僕は曖昧に肯いた。ペース?

73 :
「結局、あなたの考えた五輪代表って、良くも悪くもあなた独りのものなのよね。
選手たちはきっとチームや日本のことなんて一度も考えなかったんじゃないかしら?」
そうだな、選手はたぶん日本を代表してることなんて考えもしなかったろう。でも僕は五輪代表の監督で、協会のお気に入りなのだ。
今更敗戦の責任のことを持ち出されても困る。
「戦い方に悔いはない」と僕は海外の監督の真似をして言った。
「あなたって面白い人ね」と言ってマスコミはくすくす笑った。
自慢じゃないけれど、私はマスコミの追求をかわすのがけっこう得意なのだ。

74 :
僕は正しい事をしたんだろうか?
「君は正しい事をしたんだ」小野と呼ばれる協会役員は言う。
「だって君は日本人監督で一番高学歴な協会のお気に入りなんだからね」

75 :
「巻さんはどんなプレーが売りなんですか?」と僕は訊ねてみた。
「フォアチェック、ポストプレー、スペースを作る潰れ役、泥臭い運動量」と彼は即座に答えた。
「あまり点の取れるプレーとは言えないですね」
「だから重宝されるのさ。世界のFWと同じプレーをしていれば日本人FWでは通用しなくなる。
 そんなものはワールドクラス、イブラヒモビッチとかの世界だ。まともな日本人はそんなはずかしいことはしない。なあ知ってるか、玉田?
 この日本代表のFWで少しでもまともなのは俺とお前だけだぞ。あとはみんな紙屑みたいなもんだ」

76 :
まったく 一昨日は 出鱈目の年 出鱈目の月 出鱈目の日だった。
やれやれ 

77 :
「もう一度パワープレーをするのよ。それも今すぐにね」とトゥーリオは断言した
「それ以外にウズベキスタンに勝つ方法は無いわ」
「今すぐに?」と僕は聞き返した
「ええ、今すぐよ。相手が引いてる間はね。果たされなかったことを今果たすのよ」
「でも日本人が放り込みをやって点が取れるものかな」
「取りましょう」と彼は言った
「相手もアジアのチームだもの。きっとどこかに競り合いの弱いDF一人くらいはいるはずよ」
やれやれそんなDFが一国の代表チームに選ばれているだろうか

78 :
ドイツW杯で敗退したとき、わたしには理解できたの。
わたしたちジーコJAPANは素敵な仲間、そして家族であったけれど、
結局はそれぞれマスコミに祭り揚げられた凡庸な選手の集団に過ぎなかったんだって。
遠くから見ると、それはスター集団のようにみえる。でも実際のわたしたちは、
ひとりずつJリーグや海外クラブのベンチに閉じこめられたまま、どこに行くこともできない赤ん坊のようなものに過ぎない。
ふたつの選手の軌道がたまたまかさなりあうとき、わたしたちはこうしてパスを交換する。
あるいはシュートチャンスを作ることもできるかもしれない。
でもっそれは束の間のこと。次の瞬間にはわたしたちはまた相手のカウンターの中にいる。
いつか燃え尽きて残り時間がゼロになってしまうまでね

79 :
おまいらw

80 :
「ナカムラ君、あの煙なんだかわかる?」突然宮本が言った。
わからない、と僕は言った。
「あれ、日本の国旗を焼いてるのよ」
「へえ」と僕は言った。それ意外に何を言えばいいのかよくわからなかった。
「日本の国旗、首相の写真、そのてのもの」
と言って宮本はにっこりした。「中国人はみんな反日の象徴としてそういうのをみるでしょ、
国際Aマッチでもそう。それを反日団体のおじいさんが集めてまわってスタジアムのまわり
で焼くの。それがあの煙なの」
「そう思って見るとどことなく哀愁があるね」と僕は言った。

81 :
ウズベキスタン戦の後サポーターが騒ぎ始めた。彼らは「岡田解任」を叫んでいた。
結構、解任するならしてくれよ、と僕は思った。解任してバラバラにして、足で踏み
つけて粉々にしてくれ。全然かまわない。そうすれば僕だってさっぱりするし、あとの
ことは自分でなんとでもする。手助けが必要なら手伝ったっていい。さっさとやってくれ。

82 :
「前線でうちのFWはいったい何をしているのかしら?」と闘莉王が質問した。
「知らない」と僕は言った。
「ポストプレーとかプレッシングなんかやってるんじゃないかな」
「せっかくのFWなのに、もっと点を取ろうとして動くんじゃないの?」
「知らないな。でも頭の構造が点取り屋に向いてないんじゃないかな。つまり、君なんかに比べてさ」
「あなた、意外にいろんなこと知らないのね」と闘莉王は言った。
「中村君って、ピッチ上のことはたいてい知ってるのかと思ってたわ」遠藤が言った。
「ピッチは広い」と僕は言った。

83 :
「ねえ、彼のことどう思う?」と監督のザガロは訊ねた。
「ロナウドのこと?」
「そう」
「まあ悪い選手じゃない。怪我が多くて、ボールを持ちすぎるときがあるけど」と少し考えてから僕は正直に言った。
「でもセレソンに一人くらいはああいうのがいても悪くないだろう」
「私はキャプテンとしてのドゥンガという選手が好きだけど世の中がみんなあなたみたいだったら
、世界は酷いことになっちゃうんじゃないかしら?」
「だろうね」と僕は言った。

84 :
イナはジャッキー・チェンが香港マフィアの下っ端に不意にドロップ・キック
されたかのように派手に転んだ。ほんの一瞬のことだったがその時のイナの顔は僕に向かって
微笑んでいたようにも見えた。あいつの引退後はスクリーンで見ることになるかもしれない。
すかさず駆け寄るレフェリーは、警告のカードを4番のアリという選手(あのチームはほとんどが
アリだが)にだした。小慣れた東南アジア系のレフェリーは相手の抗議をさらりと流して、ゴール
正面から目測で23、4mの位置を指した。

85 :
僕はいつもフリー・キックを蹴るときは、ポールに高々と掲げられた日の丸をまず見てから蹴る。
この理由は2つあり、1つはゴルフ・プレイヤーのように単に風向きを見る。
イタリーでは数センチの誤差でも修正しなければ僕の鈍い弾は簡単にとられてしまうのだ。
そして2つ目は日の丸が戦争映画に出てくる戦艦の旗が潮風でぴんと張ったように、まっすぐ
見えたときは必ずゴールに吸い込まれるという逆ジンクスがある。それを知っているのは
ヒデさんだけであり、その時は必ず僕に蹴らせてくれる。幾度となくアジアで
の泥臭い戦いを共にしてきた2人の間の意思疎通には言葉もいらないし目さえも入らない。
そこに戦いの場の空気があれば何分も会話ができるのだ。

86 :
>>84-85の元ネタってなんだろ?

87 :
なにこのキモスレ・・・・

88 :
村上春樹は読まんがこのスレは面白いw

89 :
「それで、外の世界の様子はどうだね?何か変わったことは起こってないかな?
ここにいると何が起こっているのかわからないもんでね」と彼は言った。
僕は脚を組んで首を振った。
「相変わらずだよ。たいしたことは起こってないよ。
サッカーの戦術が少しずつ複雑になっていくだけだ。
そしてパスをまわすスピードもだんだん速くなっている。
でもあとはだいたい同じだよ。特に変わったことはない」
ロマーリオは肯いた。「じゃあまだ次のワールドカップは始まってないんだね?」
ロマーリオの考える「この前のワールドカップ」がいったいどのワールドカップを意味するのかはわからなかったけれど、
僕は首を振っておいた。
「まだだよ」と僕は言った。「まだ始まってない」

90 :
「でも、そのうちにまた始まるよ」と彼は皮手をはめた両手を
こすりあわせながら抑揚のない単調な声で言った。
「気をつけるんだよ。代表落ちしたくなければ、気をつけた方がいい。
代表落ちというのは必ずあるんだ。いつでも必ずある。ないということはないんだ。
ないように見えても必ずある。
マスコミやファンというのはね、心底ではスター選手の代表落ちが好きなんだ。そしてメディアで
けなし疲れるまで監督批判するんだ。
けなし疲れるとしばらく休む。それからまたバッシングを始める。決まってるんだ。
誰も信用できないし、何も変わらない。だからどうしようもないんだ。
そういうのが嫌だったら国内リーグでゴール数を稼ぐしかないんだよ。」

91 :
カードを持った審判がやってきて、僕の隣りに腰を下ろし、もう大丈夫かと訊ねた。
「大丈夫です、ありがとう。ちょっと相手DFのファールを取ろうとしただけだから」と僕は言って微笑んだ。
「そういうこと私にもときどきありますよ。よくわかります」
彼はそう言って首を振り、芝生から立ち上がってとても素敵な笑顔を僕に向けてくれた。

92 :
僕はサッカーについての多くを鹿島時代のジーコに学んだ。
殆ど全部、というべきかもしれない。
不幸なことに代表監督としてのジーコ自身は全ての意味で不毛な指導者だった。
いっしょにチームにいればわかる。
戦術はないにひとしく、采配は出鱈目であり、自由放任というより無責任そのもだった。
しかしそれにもかかわらず、彼は選手時代の実績をカリスマとして選手を惹きつけることができる
数少ない非凡な監督の一人でもあった。
ヨハン・クライフ、フランク・ライカールト、そういったかつての名選手出身の
監督に伍してもジーコのネーム・バリューは決して劣るものではないだろう、と僕は思う。

93 :
ただ残念なことに彼には最後まで自分のチームが闘うスタイルを
明確に捉えることはできなかった。結局のところ、不毛であるという
ことはそういったものなのだ。
3年と7ヶ月、彼は日本代表を率いて不毛な戦いを続けそしてドイツワールドカップで惨敗した。
2006年のある晴れた夏の日、オーストラリアとブラジルに惨敗し、
クロアチアに引き分けて、彼のチームは一勝もできずに予選リーグから消えたのだ。
ドイツでは日本がW杯に参加していたことと同様、予選落ちしたこともたいした記事にならなかった。

94 :
規制の時しかこないけど
たまってるとうれしいね、結局のところw

95 :
「サッカーとはシステマティックすぎでもクリエイティブすぎでもよくない。
その均衡を保つことが最大の課題であり重要である」
何故彼にはわかっていたのだろうか。
その当時はセンターバックとしてラインを機械的に統率していた僕は少々
システマスティックな選手だった。
だがブラジルと戦ったことで、精密機械といわれた僕の頭脳はどこの生産工場
にもあるであろうしょうもないボトル・ネックになってしまったのである。
想定されるパターンにないプレーに対しては機械は対処できなかったのだ。

96 :
おもしれーな、このスレw

97 :
引退の潮時かもしれない、とオーウェンは思う。
代表で初めてゴールを決めたのは十八の歳だ。何十ものゴール、
何百ものマスコミ、何千万ポンドのオファーが、まるではしけに
打ち寄せる波のようにやって来ては去っていった。
二十八歳…、引退するには悪くない歳だ。気の利いた人間なら大学を出て銀行の
貸付け係でもやっている歳だ。

98 :
「時々グラウンダーで蹴るんです」遠藤が言った
「どうしてグラウンダーなんかで狙うわけ?」
「変ですか?」
「わからないな。君はゴロで蹴る、ボクは壁をまいて蹴る。そのあいだにははっきりとした違いがあるし
ボクとしてはどちらが変と言うよりは、まず違いをハッキリとしておきたいんだ。
お互いのためにね。それにボクが得意な角度のときにコロコロで蹴られても困る。」

99 :
浅はかな、受け売り文を使うあたりが村上春樹的ということかな?

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