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2012年6月三国志・戦国212: 袁紹配下の人物達について語ろう (538)
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ちょっと曹操の長所挙げただけで曹操患者とか言われるんだけど (352)
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袁紹配下の人物達について語ろう
- 1 :08/05/17 〜 最終レス :12/06/03
- 猛将、知将、忠臣、裏切り者等個性豊かな面子が揃った袁紹軍について語ろう。
また袁家一族の者や袁家に縁の深い人物についてもどんどんここで語ってください。
- 2 :
- 2
- 3 :
- 田豊の扱いがひどすぎるよな
- 4 :
- 曹操に降っていればもっと重用されただろうに・・・
- 5 :
- 自業自得であろうに。
- 6 :
- 晋姫本名なんなんズラ?
- 7 :
- 顔良、文醜ってぶっちゃけ大したこと無いよな
- 8 :
- 顔良文醜は
袁紹軍団のフンドシ
- 9 :
- ソジュこそ三国時代No1の軍師。
- 10 :
- 辛ピは勝ち組。
- 11 :
- 辛ピだけ確かに魏でも活躍してるな
信頼も厚い。
勝ち組。
- 12 :
- ただ、官は高くなかったがな
- 13 :
- ちょうこうを忘れてる
- 14 :
- 郭図に全てお任せ
- 15 :
- そしてまず挙がらない張導
- 16 :
- 張導ってどんな人物?
すごく気になるけど袁家にとって重要な人物なの?
- 17 :
- 斬れ!田豊を斬れ!!
- 18 :
- ここまで基禮が挙がらないとは
- 19 :
- >>17
逢起乙。
逢起「審配は義理堅く信用できる人物です。そんな疑惑は嘘っ八でしょう。」
袁紹「お前、審配と同職についてていざこざ起こして恨んでるんじゃなかったの?」
逢起「確かに恨んでますがそれは私的な事です、今は国のことを考えて言っているのです。」
袁紹「田豊に合わせる顔がない。」
逢起「あいつ牢獄の中でざまあみろって手を叩き喜んでましたよ。」
- 20 :
- 袁笑
- 21 :
- >>19
ワロス
- 22 :
- 疑問に思ってたんだが甄姫と劉氏が冀州城に残ってて曹丕に攫われてったのはいつぐらいなんだ?
袁紹はもう死んでる頃なんだろうか?ていうか冀州城ってどこだ?教えて袁家ファン。
- 23 :
- 袁紹の存命中に冀州が陥落するような事態になっていたら、
彼の死後、袁家の残党制圧に5年もかかってないよ。
- 24 :
- あ、そっか冀州城って官渡にはないか。
そうだよね冀州ってついてるもんね。(・ω・`)トチってた。教えてくれてありがとう。
という事は劉氏はそのまま曹操の所か…。
妾5人殺して髪の毛むしり顔に刺繍施すなんて精神状態かなりヤバイと思うんだが
それでも曹操は敵方の夫人の面倒みてやってるのかな?もし殺されてたらカワイソス。
- 25 :
- >>16
袁紹得意の人材の使い捨ての犠牲者のひとり
鉅鹿太守として治水で大きな事績を残した人物
後の董卓討伐で袁紹に協力し、冀州乗っ取りでは韓馥に印綬を譲らせるという
最も大きな功績をあげたにもかかわらず、朝廷(というか董卓)から爵位をうけた
という理由で袁紹に一族皆殺しにされる
- 26 :
- >>24
冀州城ってのはギョウ[業β]のことだね。
魏略に次のようにある。
熙出在幽州、后留侍姑。及[業β]城破、紹妻及后共坐皇堂上。
- 27 :
- 何故幽州じゃなくて冀州にいたんだろうか?
冀州は尚の管轄だよな?
- 28 :
- >26
おおそうか!冀州は冀州でも業βの所か。
冀州は地名だと思ってた俺三國志入門1年目。場所ぐらい覚えとかねば…。
漢文はあまりうまく読めないけど連れていかれたという事はわかった。
丁寧にありがとうー。
>27
劉氏は袁尚の実母だからでいいとして、確かに甄姫は何故なんだろ?
姑と一緒にいないといけないしきたりみたいななんかがあるんだろうか。
- 29 :
- 袁紹って別に無能じゃないんだよな
本格的に崩壊しだしたのって袁紹死んでからなんだよな
- 30 :
- 顔良、文醜はオレの嫁
- 31 :
- >>29
無能じゃないどころか、あの時代最大の英雄であり奸雄
宦官殺戮も董卓を呼び寄せるのも反董卓連合も袁紹が深くかかわってる
漢を終わらせて新しい時代を招きよせたのは袁紹だ
- 32 :
- 曹操や劉備、孫権を新時代の英雄とするなら、まさしく旧時代=後漢最後の大物と言えるかもな
そして、その袁紹の敗北が後漢時代の終焉を告げたとも言える
- 33 :
- 袁紹の時代を懐かしむ人々が南北朝時代にもたくさんいたらしいし、
内政官としてはかなり優秀だったんじゃなかろうか…。
武官としても、コウソンサンを破ったし。
相手が曹操だし、負けは仕方ないと思う。
- 34 :
- 顔良最強説
- 35 :
- ソジュと田豊の仲はどうだったの?
- 36 :
- アーッ
- 37 :
- 三国志7をやってるんだが
袁紹って人材が揃っていてラクだな
ゲームの感覚だと武官は猪武者ばかりで役立たず
もっとも使えるのは審配か沮授
- 38 :
- 袁紹か・・・・
統治能力やカリスマ性は確かだと思うが・・・・
「優柔不断」ってのがなによりの減点対象か (゚ω゚三゚ω゚)
- 39 :
- 息子と高幹に1州づつ与えて後継ぎ決めようとしたり、
ソジュに軍事全権与えたりする壮大な性格は長所であり短所。
さすがに冀州勢に権力与えすぎたので自粛して分割するようにしたが。
- 40 :
- >>33
優秀だったからじゃなくて支持地盤があったからです
典型的な自民党のエリート型武将
支配下の統治も旧態依然の搾取制度ががっちりしているので多少の能力の有無は
それほど問題にならず、むしろ「過去を踏襲すること」に価値があるような政治
紹様を支えるブレインにはさすがに脳なしはいなかったようだが、行政で主導権
を握るには派閥の折衝に強いねばり強い性格の文官でなければ生き残れなかった
何か・・・抽象的だなぁ・・・くそ
- 41 :
- ”紹為人政ェ、百姓コ之。河北士女莫不傷怨、市巷揮涙、如或喪親。”
「優秀でなかった」はずの人物の死なのに、これだけ民が嘆き悲しむんですね。
「優秀でなかった」はずの敵の首領なのに、
その死後に曹操陣営からもその統治ぶりを賞賛する声が上がるんですね。
ヘンなの。
- 42 :
- 麹義マダー?
- 43 :
- >>40
袁氏の地盤は汝南だな。河北じゃない。
当時最大の権門であったとはいえ、テレビも電話も無い時代に
縁もゆかりも無い土地で >>41 のように慕われるのは、
それなりの理由があると思うよ。
お前さんが言う自民党のエリート世襲議員だって、国替えしたら当選怪しいぜ
- 44 :
- そもそも韓プク騙して土地譲らせるまで土地なしだしな。
そして土地を手に入れても自分よりよほどでかく中央の兵力を横領した公孫王賛がいたんだぜ。
界矯の戦いって赤壁、官渡くらいの大勝利だと思う。
- 45 :
- 》44
それで考えると、土地騙しとったり侵略したりしてるのに、
これだけ民の支持えるのってすげぇと俺は思うんだが。
曹操だって、領地の反乱に度々悩まされてたからなぁ。
- 46 :
- 大体が勝った方の直前直後の歴史文献っていうのはガセが多いw
ギョー民の統治ぶり明君ぶりも、袁紹を必要以上に貶めないイメージ戦略の一環と
いう解釈もできる
>>45
袁紹の場合は、当時にしてはあの地方で圧倒的な軍事力があったからね
従うしかなかっただろ
その軍事力の何割かでも山賊討伐に使ってれば即明君の仲間入り
- 47 :
- >>46
> ギョー民の統治ぶり明君ぶりも、袁紹を必要以上に貶めないイメージ戦略の一環と
ところが>>41 の引用も袁紹が死んでから200年以上経ってから成立した
後漢書の記述なんだが…
- 48 :
- むしろ負けた方は散々に書かれるのは歴史の常。
張コウ伝でのみ官渡の無理攻めのせいで曹操に降った張コウとかは勝ち組だからよく書かれる。
他の伝では自発的に裏切ってるし。
それに比べ軽装騎兵をきちんと烏巣に送ってる郭図とか、演義での淳于鶏の扱いどうよ?
- 49 :
- 袁家に詳しそうな方がいらっしゃるので、わかりましたら、お願いします。
@袁家は、宦官と切っても切れない関係だった。宦官と繋がることで繁栄した
とどこかで見たのですが(中英板だと思います)、これは、どういうことなのでしょうか?
具体例があれば、お願いします。
A@の内容は、どの史書のどこに書いてある内容なのでしょうか。
よろしくお願いします。
- 50 :
- >>49
後漢後期の話題なので板違いな気もするが、
後漢書、袁安伝の「時中常侍袁赦,隗之宗也」 の事かな?
袁湯(袁紹、袁術の祖父)が罷免され、袁成(袁湯の嫡子で袁紹の父?)が夭折し
袁家が一時的に衰退していた時代に、宦官の中常侍に袁赦という人物がいて、
彼と協力する事で袁隗(袁紹、袁術の叔父)が政界で力を伸ばし、
兄・袁逢(袁術の父)よりも先に三公昇った。
っていう話だな。
この話の事じゃなかったらごめんよ。
但し、
(1)袁赦が失脚した時と思われる際(179年)に袁隗は巻き込まれていない。
(2)袁隗が司徒を勤めている年数がこの当時としては異常に長く
(172年12月〜176年6月と182年4月〜185年2月)
何進と共に党錮の禁で宦官に弾圧された清流派の人々を中央に呼び戻しているのに
宦官にその地位を引き摺り下ろされていない。
(二度の辞任は病による)
(3)黄巾の乱が起こっても罷免されていない。
以上から、宦官とは関係なく単に袁隗という人物が、優れた政治家だった
という可能性もあると思う。
てゆうか、俺には袁家を四世三公の名門にしたのは、
袁隗が「宦官と清流派の間を上手く調整した」からであって、
「宦官と繋がることで繁栄した」というのは違うんじゃないかと思う。
他に何かソースがあるなら、俺も知りたい。
- 51 :
- >>50
50さん、丁寧に背景までありがとうございます。
三つの理由からしても、よほど袁隗の「政治家としての要領が良かった」のか、
「他に何か、他者の口出しを許さないような巨大な権力との癒着があった」のか
と感じました。
50さんの仰るとおり、「宦官と繋がることで繁栄」とは違うようですね。
「調整」だけで、生き残ったなら、相当のやり手だと思いました。
丁寧に、本当にありがとうございます。おかげさまで、去年からの疑問が解けました。
- 52 :
- 書物は改ざんされてる可能性があるから減点方式で評価すると間違うね。
事実を解き明かすことができればよいが、それが無理なら加点方式で評価しないとな。
そうしないと改ざんの被害を被っている郭図なんかはひどいことになる。
実現不可能な策を提案して実施されなかった者より、
採用されて結果として敗北した者の評価が低いのはおかしいと思うな。
- 53 :
- 袁氏に関しては「三国志」より「後漢書」のほうが好意的に書いてると思う
- 54 :
- 剛直だったり讒言したり自慢気だったりろくな奴がいない
- 55 :
- 自分としてはそういうバラバラな人間模様が好きだったりする。
この上司と部下たちの噛み合わなさは他の軍にはないくらいだよね。
- 56 :
- 袁キはあの兄と弟じゃ苦労しただろうな。
うまく仲介してたりもするんだが。
- 57 :
- >>53
てゆうか三国志が袁紹一派に対して批判的すぎなんじゃないかと。
おかげで>>38が言っているみたいな「優柔不断」ってイメージが付いちゃったが
本当に優柔不断な奴なら、あのタイミングで宦官皆殺ししたり、
迅速な洛陽脱出したりは出来ないと思うんだがなぁ。
>>48がいう「負けた方は散々に書かれる」例なんだろうな。
- 58 :
- 優柔不断なイメージは演義のせいじゃね
正史だと普通に負けてるだけなわけだし
- 59 :
- 後継ぎ問題も審配たちの陰謀がもとでこじれたんだしね
- 60 :
- また妻の話を振って悪いんだが劉氏って後妻だよね?
ということは前妻がいるんだろうけど何かそれについて記述みたいなのあった?死別したとか離婚したとか。
袁譚と袁煕はその前妻の子なんだろうか。
- 61 :
- >>60
袁紹の妻のうち名前がわかっているのが、劉氏しかいないはず。
袁尚の字は顕甫で「甫」は長を意味するらしいので、
もしかしたら正室の長子=袁譚と袁煕は異母兄
という事かもしれないね。
- 62 :
- うーんやっぱり前妻の記述はないか。名前ぐらい出てるんじゃないかと思ったんだが…。
でも劉氏の標的になってないところみるともうすでに死んでる気がするんだよなぁ。
一番初めになら妾より正室だろう。
へぇー甫ってそんな意味があったのか!というと
正室の長子=袁譚、劉氏(側室)の長子=袁尚。二人は異母兄弟。
って解釈でおk?
そう考えると袁尚が三男でありながら後継者候補に挙がったのは
後妻の長子という名目上、強ち無理矢理な話でもなかったんだな。
>>61教えてくれてありがとー。
- 63 :
- >>62
あー、ちがうちがう
袁尚(顕甫)が正室劉氏の長子で、袁譚(顕思)と袁煕は前妻の子かな〜と。
異論は認める。
そもそも側室37564の件の出展は文学論評である典論だけで
後漢書にも武帝紀にも記載は無いから、信憑性には欠けるとおもうんだ。
それに袁紹より前の世代から、婚姻外交が積極的に行ってきた家で、
側室をおろそかに扱ったりしたら、袁尚の立場が悪くなるかもしれない。
かわいい息子が不利になるような事を劉氏がするかね?
- 64 :
- 劉氏とシン氏の会話を見ると、袁煕の母も劉氏か、少なくとも劉氏と袁煕の関係は破綻してないと思うんだよな
- 65 :
- >>63
あっれ、おれもそういうつもりで書いたんだが…。
読み直してみると確かに劉氏が妾であったような書き方で紛らわしかったかな。(´・ω・)ごめん。
素直に前妻の長子=袁譚、
後妻(劉氏)の長子=袁尚って書けばよかったね。
よく考えりゃどっちも妻なんだから正室か…。
うーん確かに実母が妾37564なんて袁尚にとってイメージダウンでしかないし
動機といっても嫉妬のあまりという感情論しか浮かばないな。
袁尚が母のために妾37564を手伝ったとも、
子のためを思って夫に直々に推薦までした劉氏が
自分の私情のみで37564をするような浅はかな女だったとも考えがたい…。
でも典論って曹丕が書いたんだよね?
もし37564が嘘だったとしたらそれはなんのための嘘なんだろう。なんのためにそんな事を書いたんだろう。
今さら袁家のイメージダウンなんて必要ないだろうに…。もしかして甄氏殺害と何か関係があるのかな?深読みしすぎ?
>>64
あの陥落した冀州城で劉氏と甄氏が残っていた時の会話?
あれは小説の創作だと思ってたんだが出典があったりしたらkwsk。
個人的なものだけどあれを見ると袁煕と甄氏との関係も良好であっただけでなく
性格的にも聡明だった印象も受けるな。37564なんて到底してなさそうだ。
でも袁尚の字に甫がついている以上袁煕も劉氏の子というのはどうだろう…?
もし甫が長子という意味でつけられたのではないならわからないけど。
どれもこれも確証を得ないなぁ。憶測だらけでスマソ。(´・ω・)
- 66 :
- 建安中、袁紹為中子熙納之。熙出為幽州、后留養姑。(文昭甄皇后伝)
中山郡無極県の名士・甄一族の中でも評判の娘である甄氏を、袁熙に娶らせた。
着実に勢力を固める婚姻外交であることがわかる。
その後、夫は幽州刺史として北方へ単身赴任し、妻は姑の世話のために残った。
だからといって、袁熙が劉氏の実子だったかというとそうとも言い切れないかな。
長子・袁譚は既に青州へ転出しており、父子の仲も良好とは言えない。
弟・袁尚にはその時点で妻がいなかった可能性が高い。
その結果、聡明で慎ましい性格の甄氏が、
袁家の奥を取り仕切る最適任者だったという可能性も考えられる。
- 67 :
- 袁譚が父と仲が悪いってどこかに書いてあったかなあ
- 68 :
- ごめん。
「父子の仲も良好とは言えない」のくだりは削除し忘れてた。
「兄・袁譚は既に青州へ転出しており、弟・袁尚にはその時点で妻がいなかった可能性が高い。」
と読み替えて下さいな。
- 69 :
- これは妄想として
甄氏が夫についていかなかったのは、本当は「妊娠していた」または「育児中だったから」なんじゃないのかねえ
- 70 :
- しかし、妾腹の兄と正妻の産んだ弟がいがみ合う・・・
知識に乏しい俺には、袁紹・袁術兄弟の仲が本当に悪かったかわからんが、
そうだとしたら結局親子で同じ事を繰り返してるんだな・・・と悲しくなってくる
- 71 :
- ちょっと待って
袁譚たちが妾腹だってのは確定情報だったか?
- 72 :
- >>69
そ れ だ 。
曹叡の親父は袁煕説ってどっかで見かけて嘘ーんて思ってたけど、
あの時点でもう妊娠していたならガッチリ辻褄が合うし
袁煕が甄氏を妊娠経験者の劉氏の元に置いていったのも頷ける…!
おれもその妄想支持するわ…!なんかドラマチックだよなそれ。
>>71
妾腹の場合庶子の扱いになって後継者候補にはならないんではないだろうか…?
でもとりあえず書物の上では袁譚と袁煕は誰から生まれたのかは不明だったはず。
- 73 :
- あの時代に、今ほど早期に妊娠が判断できたか
まぁ、当時からつわりなんかは知られていたかもしれんけどさ
さすがの曹操父子も、腹が膨らんでいたらわかるだろうし
- 74 :
- >>72
袁尚を後継者にってのは審配たちの陰謀だよ
後漢書袁紹伝によるとね
袁紹は後継者を定めてない
- 75 :
- >>73
あ、そっか…子がいるってバレてたらさすがにその子は絶やされちゃうか…。
そのどこかで見た曹叡の親父は袁煕説では曹丕と甄氏が出会ったのは
曹叡の生まれる6ヶ月前って書いてあってこれは臭いと思ってたんたが…orz
妊娠4ヶ月ぐらいでももう腹膨れてくるみたいだしなぁ。バレるか。
ということはやっぱり>66の説が一番無難な線なのかな。
お世話役なんて嫁に頼らずともいっぱいいただろうと思うんだけど…。
>>74
ごめん、袁紹が認めた云々の後継者候補とかそんな風な深い意味でそれを言ったわけじゃないんだ…。
庶子では名前すらも挙がらない身ではないかと思ってそういう言い方をしただけで。
というか何故そこで袁尚の名が出てきたんだろう。実は安価ミスで>62宛てのツッコミだったりする?
まぁ62もおれだったりするけどww
とりあえず62で言う後継者候補は審配らに担ぎ出された後継者候補って意味でとらえてくれ。
なんだろよく誤解されるような…おれの文読みづらいんだろうか…。
なんだか皆と話してる事がずれてる気がして不安でならない。
- 76 :
- >>75
もちろん、もっと妊娠初期に出会っていたのであれば種違い説も否定できないけどな
あの時代に、月経周期から推測される妊娠時期と出産時期を細かく比較して云々ができたとも思えないし
ただ、あくまで「妊娠を理由に」袁煕と離れていたというのはおかしいかな、というだけでな
- 77 :
- >>75
まあ、妊娠してるの気づかずに嫁にしたはいいが、なんだか腹ボテになってきて曹丕涙目
でも、今更突如嫁をのも変だし、かといって生まれた子供をのも変(自分の子供じゃなかったと言っているようなもの)
周囲の名士たちに裏で笑われるからな
で、しかたなく「え?計算合わない?いや、早産だったけど俺の子だよ?」みたいな感じで通すしかなかったのかもしれんよ
逆に自分の子としてしまえば、「まさか自分の種じゃないのを子にはしないよな」って思うだろ
甄氏略奪は孔融が皮肉ってたように当時の名士が白眼視したらしいから、子供のことでもう一悶着あったら恥の上塗りになるからな
それ以外にも、曹操は父が祖父の実子じゃないし、曹操は妻の連れ子とか恩人の子とかを育ててるから、こういうことへの抵抗がそれほどなかった、可能性はある
- 78 :
- 明帝の父は袁煕説なんて、どこのガセだよ
と、思っていたけど、甄氏が後に死を賜った事や
曹丕が典論で書いている事をを合わせて考えると、
ありえない話じゃないと思えてきた俺が通りますよ。
>>77
確かに一騒ぎ起こすと、曹丕自身が、
曹操の後継者レースから外れる可能性もあるもんな。
- 79 :
- 実際にどっちの種だったかは別にして、袁煕の種だったという説による影響はあっただろうね
讒言があったとはいえ甄氏に死を命じた曹丕も、晩年に箍が外れたような曹叡も、
この説によって少なからず踊らされたんじゃないかな、という気がしてならない
- 80 :
- やっぱり300日規定って理にかなってるんだなw
- 81 :
- 曹叡はなぜか自分の廟号を生きているうちに「烈祖」と定めている
祖っていうのはまさしく開祖に贈られる廟号で、魏王国の開祖(曹操)でも魏王朝の開祖(曹丕)でもない曹叡に贈られるのは合わない
なのに、曹叡は自らその号を決めており、これはかなり奇異な印象を受ける
しかし、もしこれが「自分は袁氏王朝の初代なのだ」という秘められた意志表明なのだとすると納得がいく
- 82 :
- >>81
曹丕曹叡親子ってなんだか深いな…
まぁ、かつての友でもあった曹操の息子が自分の孫を育てているなんて
死んだ袁紹も報われた気がするね
- 83 :
- >>82
他の件よりも、廟号問題が一番曹叡の闇を表していると思う
注で言われてるように、自分で死後の廟号を先に決めておくなんてかなりのDQN行為
しかも、「祖」という号に似つかわしくないのにもかかわらずだ
なんでそれをやったのか、周りも強く止めた形跡がなかったのか、納得行く答えは「実は曹氏じゃないことは公然の秘密」しか思いつかない
そうして考えると、曹叡の子が全員世に出ては死に、生まれては死ぬというのが怪しく見えてくるわけで
- 84 :
- 曹叡が即位するまで、公の場に出ることが少なかったっていうのも
もしかしたら、曹丕の子かどうか怪しいというレベルではなく、
顔を見たら「これ絶対に曹家の顔じゃねーだろ」っていうくらい
袁煕(もしくは袁紹)に似ていたのかもね。
- 85 :
- >>84
そのときの劉ヨウの曹叡評「始皇帝みたいじゃん」
始皇帝っていうと呂不ry
- 86 :
- 久しぶりにおぉー盛り上がってるぅ。
ここの方の意見を取捨選択して自分なりにまとめてみた。
もうなんていうか何そのベタな昼メロっていう話になってしまったんでここ違うだろwとかツッコミ入れてくれ。頼む。
「曹叡は実は業β城落城以前に甄氏の身に宿っていた袁煕の息子であり、それが後になって明るみに出て
曹丕は周りの目もあり、やむを得なく曹叡を子として育てる事になったが
その禍根から甄氏とは不仲になり適当な口実を得た時死を命じた。
自身も真実を知った曹叡は汝南袁氏最後の血筋としてその再興を望み
袁王朝の始祖たらんと号を決め、造宮等皇帝の権力強化を謀る。
だが子は皆不自然とも言える早死にを遂げ己もまた若くして病にかかり早逝してしまう。
(曹叡の出身を知る曹派一族の陰謀によるもの?毒でも盛られたんではなかろうか。)
一睡の夢。曹叡の切望は虚しくここに潰える事となった…。」
みたいな?我ながら妄想もいいところww
でも早すぎる出産、甄氏の死、曹叡の不可解な号決めの理由として
一番有力な線だと思うんだ個人的に。
曹丕がその事実を踏まえた上で何故曹叡を跡継ぎに選んだかはまだ合点がついてないんだけどね…。
自分が後継者として揺るぎない地位を得た後なら廃嫡してもよかったんじゃないだろうか?
- 87 :
- >>86
結局廃嫡できなかった理由
・曹丕の早すぎる死
数え40歳は当時としても短い方だ。曹叡だって20歳を超えたばかり。となると他の子はもっと若い。
しかし当時の魏はまだまだ強いリーダーを必要としている。
曹叡以外の子を選べば、幼い後継者が権臣に制せられ他の有力な皇族(曹植など)に取って代わられる危険がある。
そうなれば魏は短命に終わる。
そこで、実子ではない疑惑はあっても優秀さは知っていた曹叡を選ばざるを得なかった、と。
曹丕が曹叡を皇太子に立てるのは重態に陥り崩御する寸前なので、曹丕はそこまでずっと後継者問題を保留していて、後継者に選んだとは言いがたい状態なんだよね。
また、もう一つちょっと面白い話があった。
曹叡が曹丕の葬列に加わろうとしたら、陳群、曹真、王朗らが「暑いからやめれ」って止めたというんだよね。
孫盛は父の葬儀という孝行の発露を邪魔するとは、魏が短命だったのも当然だ、とまで言ってる。
儒学の素養があり、そういう批判が出るのも分かっていただろう陳群ら遺詔を受けた臣は、どうしてそんなことをしたんだろうか。
明帝紀注世語の「明帝は即位後も引きこもってみんなの前に出てこなかった」と重ねてみると・・・。
「曹丕は実子ではない曹叡を後継ぎとしたものの、遺詔を受けた大臣たちにしてみれば実子ではないことがつまずきになりかねないとの思いがある。
そこで陳群らは落ち着くまで曹叡を臣下に見せず、顔形でいらぬ憶測を呼ばないよう配慮した。
しかし臣下の側では姿を見せない新帝に疑問が生じ、劉ヨウが代表して面会した。
劉ヨウはおそらく真実を悟ったであろうが、空気を読んで皆にこう伝えた。「陛下は始皇帝レベルの逸材ですぞ」と。
聡い臣はそこから「実子ではないという噂は真実だったのか」と読み取り、そうでない臣は優秀な人物であることには安堵し、優秀ならば皆で守り立てようではないか、と結論づけた」
みたいな感じかね。
妄想には違いないんだけどね。こういった裏事情がなかったら、廟号問題の曹叡といい葬送での陳群といい、忠孝の道的にはかなりのDQNになってしまうんだよね。
- 88 :
- しかしいくら事情があろうとは言え、あの曹丕が人の子など生かしておくのかな?
もし本当に袁熙の子なら、甄氏を殺した時に一緒に廃する(or暗る)と思う。
明帝は血筋としては曹丕の子で、しかし母を殺された恨みから曹丕を実父ではないと思いたくなったんじゃなかろうか。
- 89 :
- >>88
思いつくままに書いてみる。異論は認める。
・孔融ら名士たちは、曹丕が甄氏を略奪したことを白眼視していた。
その上で生まれた子供を殺したら「それ見たことか」と信望を失い
曹丕が曹操の後継者レースから脱落するから殺せなかった。
・幼子をのもなんかなぁ、と思っている間に曹叡は曹操から溺愛されて
手を出したら曹操の反感を買って後継者レースから(ry
・親父も死んだ事だし、甄氏を殺した後で理由をつけて暗殺しようと思っていたが、
甄氏が死んだ翌日が日食になった為、怖くなって諦めた。
・曹丕自身は命はともかく帝位を譲るつもりは無かった(太子として立てなかった)が、
崩御寸前に、曹叡を見たことも無い臣下が曹丕の意向とは無関係に、
「蜀とか外敵もいるし、長子だから別にいーんじゃね?」という理由で太子に立てられた。
まあ、母を殺された恨みから自身を曹丕の子と認めたくなく
袁煕の子だと「思い込んでいた」「思いたかった」というのは有りだと思う。
- 90 :
- 曹操がわざわざ「こいつ後継者ね」って扱うのってのは、単なる溺愛なのかどうなのか
まあこれも色々な方向に妄想できるよね
幼い頃は曹操に連れられて表に顔出していたのに即位前後はヒッキーになっていたようだし、そのあたりの事情も・・・
- 91 :
- すごいなー、ここで皆のレス見るたび
自分はまだまだ勉強不足の考え不足だと思い知らされる思いだよ。(´・ω・)
やっぱり袁家以外の事も偏りなく勉強しなくちゃな…。
>>87
成る程ーこれは説得力ある!>>88の言う事もまだちょっと興味を惹かれるが
これで全て覆われてしまうくらい有力だと思える説だ。
曹丕の葬式に行く事さえ止められた話もそうだったんじゃないかという疑惑と確信を一層そそられる。
そうだよなー親孝行第一のあの時代で暑いから葬式行かなくてよいよなんて
どんな立場にも、しかも上司であり皇太子様相手ときたら尚更言えないよな。
でもそれで曹叡も同意して行かなかったのならまたそれも余計に怪しい…。
やはりバレるんじゃないかという自覚はあったのか…?
>>90
後継者うんぬんから離れた、しかも感情論になってしまうけど
曹叡を曹操が可愛いがったのは袁煕の子であると知った上での行いで
乱世とはいえ非道な目にあわせてしまった旧友袁紹の、袁家へのせめての罪滅ぼしであったとしたら…。
くぅぅ玉ねぎが目にしみるぜぃ…!(つω;`)
- 92 :
- 曹操は袁紹の墓に詣でて、声を上げて泣いたというからなぁ。
で、ちょうど曹操が泣いている頃、曹丕は人様の嫁を強奪していた、と…
- 93 :
- >>90
曹操「俺が狙ってた女をハナ差で掠め取った報いを受けろw」
- 94 :
- 曹叡といえば実子が全滅していたとはいえ30代の若さで養子を取り、しかも「どこからつれてきたか不明」ってのも謎な行動だな
これも憶測を呼ばずにはいられない
- 95 :
- >>93
孔融(偽)
「かつて秦王政が燕を滅ぼした時、太子丹の愛人を息子に掠め取られてこれを酷く恨んだとか。
…は?出典ですか?そんなものはございません。
こたびの公の言動から推測して、古代にも左様な例があったものと考えたまで。」
- 96 :
- >>94
まるで自分の死を予見していたかのようだな…。
どこから連れてきたかわからんって周りの反発強そうだけど
その子はその後どうしたんだ?名前残ってたりする?
また違う疑問が浮かんだので袁家関連で質問。
逢紀が袁尚派について後、人質っぽい形で袁譚の所へ送られてるけど
これは袁尚と審配から見限られたのと同じだよね?
旗揚げ前から袁紹と関わりのあった超古参を何故疎ましく思ったのだろう?
wikiには「袁譚と袁尚どちらにも二股して利益を謀ったか、
融和を謀りそれが露見したか。」みたいな事が書いてあったけど
後者はともかく前者が想像つかない。具体的にどのような利益が自分に出ると踏んだんだ?
- 97 :
- >>96
魏第3代皇帝・曹芳その人ですが…
- 98 :
- 袁尚と逢紀の関係がどうだったかはわからないが、
審配と逢紀はもともと仲が悪かったとの記載があるし…。
袁譚・袁尚はどう考えても器が小さかったしねぇ。
ま、袁紹陣営は田豊と沮授以外は不当に汚れ役を課せられているから…。
- 99 :
- 袁キはなんで自分も後継者争いに参加しなかったの?
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