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2012年6月懐かし漫画439: 【スポーツマン金太郎】寺田ヒロオ1【背番号0】 (213) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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【スポーツマン金太郎】寺田ヒロオ1【背番号0】


1 :10/12/25 〜 最終レス :12/06/16
新漫画党総裁。愛称は「寺さん」「テラさん」
伝説的な「トキワ荘」でのリーダー格で
特に藤子不二雄Aの自伝漫画「まんが道」で
頼もしくて理想的な先輩として描かれた

2 :
背番号ぬるぽ

3 :
「まんが道」で原稿サボった藤子にテラさんが一喝するシーンは最高だな

4 :
堕落していく漫画業界を嘆いて筆を折ったのはこの人だっけ?

5 :
ウィキとか見てたら晩年は可哀想…

6 :
暗闇五段を忘れるな

7 :
やっぱり「まんが道」のイメージが強いからウィキ見ると晩年の病み具合が・・・、

8 :
テラさんが藤子に一喝したとき、バサバサバサーッて鳥が一斉に飛び立つシーンが好きだw

9 :
まんが道の続編みたいな藤子Aの漫画があるみたいだけど、晩年のテラさんの様子も描いてるのかな?

10 :
>>9
「愛…しりそめし頃に…」だね。
出てる。
テラさんが結婚する話とかある。

11 :
>永田竹丸氏の名前を聞いてピンとこない人が多いと思うが
>藤子不二雄A氏と森安なおや氏とで遊び人三羽烏だった漫画家だ
>50年代に大活躍し、スクリーントーンを漫画に導入した人でも知られている
>少し私がビックリしたのは、トキワ荘の同窓会的な特集本で
>公然とテラさん批判をやっていたことだった
>藤子不二雄A氏が少年時代からトキワ荘時代までを描いた伝記
>漫画「まんが道」では和気藹々とした楽しい日々のようだったが
>人間関係でいろいろ摩擦もあったのだろう。難しいものだ
テラさんトキワ荘でリーダー的な役割を担い
皆んなに気配りし色々面倒みてあげていたけど
それを疎ましいと感じている者も居たって事かな?
そんなこんなで人間不信になっちゃって
刺激を求める漫画が増えてきちゃって
児童漫画を貫きたいテラさんは時代の流れに乗れず
筆を折ったと…

12 :
結局、トキワ荘を出た漫画家で成功組は、ある意味寺田ヒロヲの説いた
良心的漫画だとか朗らかで愉快な楽しいなどといった戦前臭のある官憲好み
のような漫画を離れて、ブラック怪奇物だとか、残虐物だとか、成人物だとか
そういった要素を劇画同様に取り入れて読者に迎合した商業主義の産物として
生き残ったわけで。そうでない側は田河水泡同様の時代遅れの漫画家として
忘れ去られて行き、連載を留められて舞台から退場していったわけで。

13 :


14 :
藤子や石森なんかは、正面突破で新しい漫画を切り開いたと思う。
テラさんが描いていたような純児童向け漫画も当時人気あったわけだし、そういった作品を礎にしてどんどん新しい漫画が出て来たわけだからねえ。
テラさんがいたからその後の野球漫画もあったんだし。
でもテラさん自身は変われなかったし変わりたくもなかった。
人間は保守的なものだね。

15 :
スポ金は教条主義的だったし、
絵が古臭かったから、目を通すだけだったな

16 :
マンガの力を知ってるがゆえに自ら縁を切ったテラさんの信念は尊いが、プロはそれを曲げて飯食ってく現実もあるからなー

17 :
まんが道みたいな自伝マンガで、小林まこと氏のマガジンから出た自伝的マンガがおもしろかった、
でも交友関係で出てくる他の作家さんの名前の中には、今も連載を持ち、名前を見掛ける作家もいれば、(自分は)まったく見掛けない作家もいる、
まんが道の年代の作家の中で、テラさんはどちらかというと後者なのかなと思った。

18 :
テラさんは漫画少年で連載してるあいだはかなり人気あったみたい。
漫画少年はたくさんの才能ある新人漫画家を輩出した雑誌だったし、彼らのいい手本かつ踏み台になったんだね
藤子に家賃かしてあげたりしたらしいし

19 :
寺さんのすごいところは
時代に取り残されて
売れなくなってから引退したんじゃなくて
まだ後輩たちより売れてる時点で
時代の方向性が気に食わないときっぱり辞めたところだな
手塚以前の時代のマンガに殉じた作家だ

20 :
トキワ荘伝説ばかりがひとり歩きして
寺さんの作品そのものにはふれる機会が限られていたが
マンガショップの全集で実作が手軽に読めるようになったわけだけど
はじめて読む若い読者にはやっぱり古臭いマンガと感じられるんだろうな
のらくろみたいな戦前マンガに近いような

21 :
そういう意味では、
日本の漫画は手塚以前・手塚以後に分かれるが、その境目に巻き込まれたのがテラさんなんだね。
手塚治虫の部屋と、廊下をはさんで前の部屋で書いてたとか胸が熱くなる

22 :
今現在であれば、テラさんはコロコロコミックや
小学館の学年誌等で、自分が理想とする漫画を描けると思う
しかし当時は限られた土俵上で転機を迫られた状況だしな
小学館の学年誌は大正から発行されてはいるけど
1960年代までは娯楽性よりも学習誌としてのスタンスを重視していた
らしいし、漫画の枠は極限られていただろう
極端に言えば、ヤングジャンプにおいて児童漫画で挑め!
みたいな圧迫感をテラさんは感じていたのではないだろうか?

23 :
尊敬してたイガグリくんの作者が長生きしてればまた感じ方が変わったかもしれないなあ
マンガ界全体も違ったムーブメントが来たかもしれないし

24 :
テラさんと入れ替わるようにして出てきた
梶原一騎などのスポ根物ブームなんかをどう思っていたんだろう
友情や根性などをアナクロで大時代的なセンスで泥臭く描いていく
スポ根マンガをいみじくも米沢嘉博は「手塚治虫のいない風景」と呼んだが
モダンでハイセンスなトキワ荘一派の作風よりもこちらの世界の方が
テラさんの理想とは親和性があったようにも思えるのだが

25 :
>>24
梶原一騎などのスポ根物はテラさんに合わないかもだけど
井上一雄のバットくんみたいな児童漫画への拘りを捨てて
もう少し年齢層を高めに意識した少年スポーツ漫画を描けば
(ちばあきおのキャプテンやプレイボールみたいな作品)
テラさんは転換期を乗越えられたかも知れないな

26 :
>>24
スポ根ブームの火付け役がその「イガグリくん」「赤胴鈴乃助(初期)」の福井英一だという説があるよね
今の感覚だと信じられないが、福井絶頂期はその頃の若き手塚治虫より人気があったそうだ

27 :
漫画少年史や復刻監修など晩年はますます
「漫画少年」へのこだわりをあらわにしていたわけだけど
その復刻版を実際に読んでみるととてもじゃないが
1980年代初頭の「マガジン」「ジャンプ」などの雑誌に
拮抗できるような内容ではないことがわかる
1980年代初頭にこのような戦前の児童雑誌とさしてかわらない内容の
雑誌が受け入れられるとはテラさん自身も思ってはいなかったんじゃないかな
最後まで勝てない戦と知りながらあえて戦ったところがテラさんらしいね

28 :
「戦後野球マンガ史」なら俺も読んだ
それだけ巨人の星のインパクトは凄かったってことだな
自分の描きたいものと読者が求めるもののギャップが大きくなっていった
てか漫画少年は1950年代に描かれたものなのに(後に寺田がそれを編纂しただけ)
何で無理やり1980年代のものと比較するんだ?意味不明

29 :
>>28
説明不足すまん。
テラさんが「漫画少年史」を書いて「復刻版漫画少年」を、
監修発行したのが1980年初頭。
それらの仕事でテラさんが発していたメッセージは、
「今(1980年初頭)は、こんな素晴らしい雑誌(漫画少年)はないが、
なんとか復刻して、できれば雑誌として正式復刊して今の子供たちに読ませてやりたい」
といった趣旨のものだった。
しかし万一正式復刊されたとしても1980年初頭の子供たちには
受け入れられなかっただろうな、ということをいいたかった。

30 :
訂正 1980年初頭×→1980年代初頭〇

31 :
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BA%E7%94%B0%E3%83%92%E3%83%AD%E3%82%AA

32 :
宴会の翌日のお礼の電話もとらなかったってエピソード悲しすぎる

33 :
復刻版漫画少年といっても、ほんの一部だけだったが。
漫画少年史を編纂した動機は、国立国会図書館にも現物がごく一部
しか収蔵されていないことを知ってからのことだった。
資料を編纂するにあたって、全国のファンから現存する漫画少年誌を
送って貰って、万が一にも火災等で亡くしては申し訳ないからといって
ストーブもつけずに作業をしてから返したということだったような。
 今ならデジカメとか専用のスキャナーで誌面をキャプチャーして
ということができるのかもしれないが。。。

34 :
まあ、ああいう形での記録を残すのもよいけど、できることならAみたいに漫画で漫画少年史を残して欲しかったな。
社会人野球の選手が何で漫画家なんかになったのか、どうもよくわからんし興味あるし。

35 :
テラさん側からの「まんが道」って見てえなぁ〜!!
結構ダークな回想がありそうだが。

36 :
>>24
「野球」というのが要素で共通してるだけでそれほど意識するとは思えないが
背番号0は横町で起きた日常の出来事を驚きや喜びを交えて淡々と描いてる
ゼロくんやその周辺も純粋でよいこばかりなど道徳的
野球がメインではなく舞台設定の一つにすぎない
その点飛雄馬は野球ひとすじ命をかけて
成長とライバルとの対決が物語の主題でもある
(一応野球は楽しむものという考えの人もいて
自分の歩む道はこれでいいのかと悩む描写もあるが)

37 :
高校卒業後、新発田警察署に就職(事務)
その後野球の才能を見込まれ新発田電々に転職
もし一旗上げれるか分からない漫画の道は諦め
警察かNTTで安定の将来を選び歩んでいたとしたら
テラさんは凄く穏やかな晩年を過ごしていただろうなぁ…

38 :
むかし「えすとりあ」という雑誌がテラさん特集やって
ロングインタビューが出てたけど
トキワ荘時代の話題はかなりシニカルだったな
「だいたい僕にはトキワ荘時代の楽しい思い出や面白い事件なんてほとんどないですよ」
「不安とか焦りとか困った事や恥ずかしかった事などがいっぱいあってどちらかといえば憂鬱な暮らしでしたね」

39 :
手塚藤子石森赤塚にとってはトキワ荘は、東京での漫画家生活の栄光への一ページだったが、テラさんには苦悩の日々だったんだな

40 :
ここは意外と良スレの予感…

41 :
かなりの識者が集っているとみえる

42 :
>>38
まんが道だけ読んでると、野球でノンプロまで進んだ
良い意味で体育会な頼れる兄貴って感じだけど
実際は明るく振舞って兄貴を務め続けるのは辛かったとの事
親友の棚下照生に悩みを打ち明けていたらしい

43 :
>>42
つげ義春と棚下照生はトキワ荘を訪れたが
仲間になろうとは思わなかったらしい
特に棚下照生は漫画少年史に寄せた文で
>少年(棚下照生)は場違いの自分を感じていた
>(俺のいる所ではない)
>破滅型の性格を持つ少年は、寺田とその仲間に溶けこめず
>また酒を呑み、描き、酒を呑む生活に戻る
と語っている
トキワ荘の青春にはつげ義春役と棚下照生役も出演してるし
そういった部分も描写されているのかな?

44 :
トキワ荘の青春は誰が誰やらよくわからない映画だった

45 :
トキワ荘は本人出したほうが非常にわかりやすい、という稀有な梁山泊だからね

46 :
NHK放送 ザ・ライバル「少年サンデー・少年マガジン物語」
>編集者が、漫画家に、パンチがあって、大人も読める漫画を描くように依頼するシーンがありました。
>漫画家は、バカヤロウ!と言って、その依頼を断ります。
>少年サンデーは子供が安心して読めるものだったはずだ、みたいな理由を述べて。
>の漫画家は、ドラマ中では、土屋先生と呼ばれていますが、寺田ヒロオっぽいですよね・・・
少年サンデーに手塚と藤子と共に看板待遇で創刊から連載を任された
漫画は転換期を向かえスリリングな作品やバイオレンスな作品も増え
多種多様なジャンルの漫画が生まれて来る
そんな中テラさんはあくまでも漫画少年のノリでスポーツマン金太郎や
暗闇五段を描くもあんまり人気が出ず、担当に色々言われるが聞き入れない
やがて少年サンデーから姿を消す…

47 :
そのつげ義春や棚下照生とどうして友達になったのかね?
彼の嫌いな漫画をたくさん描いていたように思うのだが・・・。
また、何で親しいAに紹介しなかったんだろう?
したけどAが波長が合わなかったのかな?
寺さんを追ってる漫画家がいたと思うが、彼あたりにドキュメンタリータッチで伝記漫画
でも描いて貰えよ出版者は。
エロ規制に反対する前にやるべきことが山ほどあるはずだ。

48 :
あまりにも重い葛藤があるよなあ

49 :
暗闇五段は人気が無いとか言うけど、一応ドラマにもなってるよ。

50 :
テラさんは人格者でありすぎたためにと、
自分の最終的に選んだ職業である漫画を世間に認知されて後ろ指
さされないものにしたい思いたい心に縛られていた。
そのため、先輩としてまだ売れていない境遇の後進漫画家を金銭面などで
見返りもあまり考えずに支援したり、作品の勝負で良識派を打ち出し
過ぎて自己規制をしすぎてまた商業主義の強い週刊誌編集部と対立して
自分を追い込んで自滅していった。
 結局、悪書追放運動の嵐が去ったときに、手塚治虫方式の漫画とか
テレビアニメに載れなかった作家たちは滅びた。
藤子たちや赤塚なども、もしもテレビアニメで大衆に知名度を得て
いなければ、実際よりもずっと早く廃業に追い込まれていた可能性は
高いと思う。手塚治虫ですら、もしも虫プロを起こしてテレビアニメ
で名前を売って広い認知を得ていなければ、もしかすると昭和40年代
のうちにも廃業だったかもしれない。歴史にIFは無いけれども。

51 :
>>47
つげ義春をトキワ荘に呼んだのは赤塚でテラさんは親交無いよ
棚下照生とは誌面で知り合い交流を持ち
東京への上京を薦めてくれた縁で親しくなり
トキワ荘で兄貴を演じるストレスを聞いてくれる心の拠り所だった

52 :
10代からすでにプロとして仕事をしていた棚下は
テラさんの生活費の面倒をすべてみるつもりで上京をすすめたそうだね。
のちにテラさんの漫画家生活が軌道に乗り
逆に無頼派の棚下が放蕩し生活に困窮するようになると
今度はテラさんが棚下に金を送り続けたらしい。
トキワ荘グループでの狂騒的な人間関係とはまったくちがった絆が
二人のあいだにはあったみたいだ。

53 :
どうやらトキワ荘仲間との生活と
棚下照生との交流は意識的に分けていたフシがあるな
トキワ荘は会社や職場みたいなもので
棚下とのつきあいはプライベートみたいな

54 :
いっその事、棚下もトキワ荘に呼べばよかったのにな。
そうすればAを呼び込まなくても心強かったと思うのだが。。。
しかし、そんな親友の作品を裏で批判するというのは、どうも人間性がよく分からんね。

55 :
>>54
テラさんは棚下照生をトキワ荘に呼んだみたいだけど
棚下照生はトキワ荘に加わらなかったみたいだよ
>>43
>少年(棚下照生)は場違いの自分を感じていた
>(俺のいる所ではない)
>破滅型の性格を持つ少年は、寺田とその仲間に溶けこめず
>また酒を呑み、描き、酒を呑む生活に戻る

56 :
Aたちもテラさんの紹介で棚下には会ってるんだよね
苦労人の棚下には、能天気で背徳的な雰囲気がまったくない
トキワ荘グループはかなり違和感があったみたいだね
メンバーの第一印象を、
ジャガイモ(石森)、ヘチマとナスビ(藤子「何のことはない二人で一人前か」)
握りメシ(赤塚)、カボチャ、ガンモドキ、乾いた、お玉杓子、消防ポンプ
と、さんざんに書いている

57 :
>>56
棚下は16歳で上京し、戦後の焼け崩れた公衆便所で寝泊り
新聞配達で生活費を稼ぎつつ、生きていくには漫画しかない!
との決意で必死に漫画を勉強して描き続けたらしい
泥水すすりながら一匹狼で描き続けてきた棚下にすれば
トキワ荘の和気藹々とした集団風景は眩し過ぎて違和感だったんだろうな

58 :
まんが道情報のテラさんしか知らない俺にとってはここの数々のレスはスゴい新鮮だよ!

59 :
>>58
それはちょっと不勉強すぎ。

60 :
たしかに。こういうのに限って自分でよく調べないまま
他で知ったかして書いてしまうんだよな

61 :
>>56 乾いたってだれのことだろうw

62 :
まんが道読んでると、トキワ荘を訪れた藤子に対して手塚が
何でも分からない事があれば、この寺田君に聞けば良いよ
と振っちゃったもんだし、尊敬する手塚の言葉だから已む無く
その後、藤子を初めとしたトキワ住民の面倒をみるリーダーとなった
でも本当はトキワ荘で1人のんびり漫画描きたかったんだろうな

63 :
絵はすごくうまいよね。まさに児童漫画のお手本って感じ。
スポ金が代表作だろうけど、
いちばんテラさんらしい作品というと、
やっぱり「背番号0」になるのかな。
自分は「暗闇五段」が大好きだけど、
どこか全体的にため息まじりの無常観・諦念感が漂ってるんだよね。
正義は必ず勝つ。勝つと思いたい。いや、勝ってほしい。
いやいや正義が負ける時代に、それでもあえて正義を貫いてほしい。
…という、テラさんの悲痛な叫びが聞こえてくるような作品だ。

64 :
テラさんは生粋の体育会系だからディープオタク集団だったトキワ荘の連中の
マニアックな知識情報量にいつも劣等感をいだいていたらしい
とくに映画嫌いのテラさんは他のメンバーのマニアックな映画の話についていけず
こりゃいかんと勉強のために無理して映画を見に行って頭が痛くなったこともあったらしい

65 :
>>49
伊賀の影丸やおそ松くんやオバケのQ太郎等の
斬新なヒット作が次々と生まれ来る中で
テラさんの作品は良質だけども
サンデー誌面では時代遅れになっちゃったんだと思う
昭和39年に暗闇五段が終了しサンデーと離れて
再び昭和43年にノンキ先生まんがノートでサンデーに連載するけど
僅か8週で打ち切りになってしまう…
担当者がこうしたら人気出ますよみたいな助言をするも
漫画少年で培ってきた健全な児童漫画に拘り続けたらしい

66 :
>>64
テラさんかわいいなw
Aが上京してきたときに一週間語り合ったと言うが、どんな事を語り合ったのだろう?
映画も観てない手塚も読んでないじゃ話が合わないような気も。

67 :
>>65
ノンキ先生まんがノートについて
中島梓が自著マンガ青春記の中で
『時代の流れについていけない老大家のグチマンガ』
と語っているらしい、中島何様だって感じだけど

68 :
長谷邦夫のブログより
ぼくがかつて、新宿の酒場で、
初めて棚下照生と出会ったときに
「寺田ヒロオをあんなことにしてしまったのは
お前達トキワ荘の連中だろう!」とからまれたことを紹介した
寺田の親友だった棚下は
寺田がなぜか断筆し自宅から出ることがなくなってしまった
ことを怒っていたのだ
しかし、あまりにも根拠の無い言いがかりに
ぼくは反論したのだった
もっとも心配し、何とか復帰させようと
『「漫画少年」史』の出版記念会を開催し
かつての投稿家たちを多数集め
パーティを開いたのは、ぼくたちである

69 :
>>67
中島梓はそういう人間だから
北朝鮮に拉致された人を幸せだといい
戦争体験がないと言われると、わたしたちには交通戦争があっったとかいった
人間のくず

70 :
ん??
長谷って赤塚の腰ぎんちゃくだろ?
テラさんとそこまで深い付き合いなんか無いんじゃないか?

71 :
>>70
トキワ荘の主要メンバーではなかったけど
なんかトキワ荘についての御意見番気取ってるふしがある
>>68の内容を、わざわざ講師を務める大垣女子短期大学の授業で話し
そしてそれを自慢気にブログにアップしている
棚下照生は既に亡くなっているし、最悪作り話の可能性もある

72 :
長谷って昭和の大物漫画家のスレでは必ず話題に上がるよな
ここ数日Aさんのスレでもさんざん言われてたよ
ほんとうに評判が悪いな、このおっさん

73 :
トキワ荘の近くに紫雲荘というのがあって、そこの大家さんによると赤塚は
そこを仕事場にして長谷なんかが出入りしていたみたいだよ。
で、トキワ荘の方は住居で赤塚のお母さんが住んでご飯とか作っていたらしい。

74 :
中島梓(栗本薫)の漫画評論本は目も当てられなかったな
ミーハーな視点だった
あとグインサーガ完結させてから死ぬべきだった

75 :
トキワ荘には女性漫画家も住民としていたはずなのに、なぜか
多くのトキワ荘の物語では、話題として避けられているのはなぜか?

76 :
水野英子だね。日本の少女漫画文化の創始者のひとりだ。
本も出てるしいろいろ語られてるよ
トキワ荘に住んでたのは短かく、そのあと通いになった

77 :
>>68
何だかおかしな話だな。
テラさんが断筆したのはトキワ荘と出てしばらくしてからだし、棚下はトキワ荘メンバー以上の親友名わけだから、
テラさんと顔見知り程度の長谷に八つ当たりなんかするかね?
そもそも、長谷なんか棚下は顔すら知らない可能性もあるし。。。
「ぼくたち」ではなく「赤塚たちは」なら、まだ納得できる話ではあるけどね。

78 :
>>68 >>77
ここでも長谷は赤塚と自分をすりかえているんだろうな
たぶん「寺田ヒロオを…」のやり取りは棚下と赤塚のもので
長谷は取り巻きの一人として赤塚のとなりで飲んでいただけだろう
当事者でもないのに「トキワ荘伝説の生き証人」を気取って
あちこちでご意見番役を務めてるのはいかがなものか

79 :
水野は石森・赤塚コンビとの付き合いしかないし、新漫画党員でも無いからねえ・・・。

80 :
長谷ねえ。なんか固そうな表情の漫画の似顔絵は覚えてる
よく出てくる名前だね

81 :
テラさん寄りのトキワ荘外伝 D/5
http://www.youtube.com/watch?v=-IE9361uyn0
最後のパーティのテラさん見ると泣きそうになるな

82 :
>>81
ここに映ってる人たちほとんど若くして亡くなってしまったんだな
漫画家がいかにハードな仕事かよくわかるね
せめてA先生には長生きしてもらいたい

83 :
>>78
こないだ長谷さんの本読んだばかりだから抜き書きしてみると
・NHKがトキワ荘の同窓会みたいな,トキワ荘での宴会を撮影しにくる
 (NHKアーカイブで有名なあのキャバ先生とかもいる動画) 
・テラさんだけが来ていないのをみんな不思議がり,「酒浸りらしいよ」と
 話して心配し合う。
・それから2か月後,テラさんからトキワ荘時代の面々に「『漫画少年』史」が届く。
 長谷さん,「誰とも会わず酒浸りと聞いていたが,こんな本を作っていたのか」と
 胸熱になり,赤塚先生名義と自分名義で書評を公表する。
・我孫子(A)先生が,赤塚先生に「テラさんの出版記念パーティーをひらこう」と
 連絡し,赤塚氏から長谷氏に電話。長谷氏「藤子コンビからの誘いならテラさんも来るだろう」
 と言うが,「アビちゃんが電話したら,テラさん『自分の出版記念なら出たくない。
 漫画少年の投稿家の会なら考える』そうだ」とのこと。
・長谷氏がそれを受けて,テラさんに連絡し,投稿家の住所リストを教えてもらい
 出席者名簿を作る役目を引き受けた。(←ほかのトキワ荘の面々もそれぞれ役を受け持ったような感じ)

84 :
あと、トキワ荘関係の漫画には、漫画家の親が同居していたとかいうような
話が意図的に消されていると思う。真実が歪められているのだ。

85 :
歪められているったって、別にドキュメンタリー漫画じゃないんだからw
親まで描いていたら大変だし話も散漫になるので省略しただけでしょ。
しかし・・・「漫画少年史」に赤塚は寄稿していなかったかな?軽いコメント的なものを・
発売当時に一度読んだだけなので記憶があいまいだがw

86 :
明けましておめでとうございます。寺坂康四です。
今年も皆様に良質な児童漫画をご提供できたらと考えております。
「堕・あくま ラルル」本年もよろしくお願いします!
http://www.geocities.jp/le_diable_rouge_raruru/index.htm

87 :
>>86
>そんな情緒不安定な私をなんの疑いもなく
>助けてくださった人が「寺田ヒロオ」先生でした。
>若く、怖いものなしの自分は手紙を書きました、
>「そんな今だからこそ、いいマンガを必要としているはずです!
>私もマンガ家になってかならず子供たちに夢を与えるいいマンガを描きます!
>先生も描いて下さい」と、今思えばはずかしいの一言です。もちろん返事はきませんでした。
>それなのに大人になって、弱気になって、助けを求める手紙を寺田先生に書いたのです。
>当時、会社の社宅にその「親展」と書かれた手紙が一通届きました。
>内容は現実の厳しさ、私への心配の言葉がありました。
>そして数日後には私は寺田先生のお宅にうかがったのです。
>「あの手紙に返事を出す必要はないと思ったので・・・」
>その言葉にびっくりしました、数年前の私の書いた手紙の事を言われたのです。
>その後色々な事をお話しました、今でも思い出すと胸が熱くなります。
>目の前にいた人はまさに「テラさん」でした。
>私が食に困っていると思って、たくさんのサンドイッチを並べてくれました。
>緊張して一口も手を付けない私を見て、寺田先生は言いました。
>「さぁ、私も食べるから、君も一緒に食べよう」
>その時、確信しました。この人は本当に「まんが道」に出てくる「テラさん」なんだ。
>最後に私はこう質問しました、「どうして誰ともわからない僕を助けてくれたのですか」
>「別に君を助けたわけじゃないよ、こうすれば今度、
>君のところに君のような人がきたら同じように相談にのってあげるだろ?その子のためにだよ」
>そして最後に握手していただいた手は本当に大きかった事を今も忘れません。
>そう、何もかも大きかったのです。
助けを求める漫画家志望の若者には直接会ってアドバイスをする事もしばしば
だったらしいけど、86もテラさんに救われた1人だったんだな

88 :
棚下照生さんてある時期からぴったり、消息がなくなったんですが
晩年はどうされたのですか?
女優の松山容子さんと結婚されたりして
かなり気になる人だったのですが・・・
漫画はいまいち好きではなかったです

89 :
>>88
22歳でヒマラヤ天兵が大ヒットしてテレビドラマ化
めくらのお市も大ヒットしテレビドラマ化
他にもめくらのお市を始めに6作品が映画化
コミックの印税も入って来るし
若い時に苦労してきた分、金が入ってからは
豪遊して飲みまくっていたらしい
で松山容子との結婚後は豪遊は控えて
漫画も食うに困らない程度に描いて
松山容子との結婚生活を楽しんでいたんじゃないかな?

90 :
>>86
絵を見る限り、全くテラさんの延長線上にあるようには見えないのだが・・・。

91 :
>>90
いま連載しているラルルは確かに違和感有るけど
大空へペダルを踏んでを見てると
70年代のコロコロコミックにでも載ってそうな絵柄で
内容も健全だし、テラさんが読んでも真っ当な
児童漫画だと評価してくれそう

92 :
だったらそのテラさんとのエピソードを漫画にしてくれ。
さすがに大人が今の子供漫画見て面白いかどうかなんて言えないよ。

93 :
>>89
ありがとうございます
そういえば、「めくらのお市」って確か松山容子さん主演でやっていたような
なんか不思議な夫婦でしたね
松山さんは世が世なら、ライトカルチャーの大売れっ子だったのに
どさ演劇出身のせいかあまり騒がれもせずに、知名度の低い漫画家と結婚
するし、いつまでもボンカレーのCMには出ているし
大塚製薬の社長を含め何か裏のつながりがあると思っているのですが
ここでは言及しない・・・と

94 :
寺田ヒロオのスレなのにもはや他人のスレみたいだな

95 :
いや、棚下照生はトキワ荘コネクション以外のテラさんを語る上での
最重要キーパーソン。ここで語る価値はあると思うよ。

96 :
ボンカレーのCMソングって、誰が作曲してたっけ?

97 :
>>94
あんたは多面的なものの見方というのができんのかね?
近視眼じゃ深い考察は無理だおw

98 :
竹宮恵子との対談が載ってる本が有るのだが
トキワ荘のこととかも話題に上ったのだろうか?
テラさんフェードアウト中なのによく依頼に応じたな

99 :
竹宮恵子「テラへ…」

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