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2013年01月心と宗教13: 悟りを開いたことあるけど何か質問ある?24 (346) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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悟りを開いたことあるけど何か質問ある?24


1 :2012/11/23 〜 最終レス :2013/01/16
1 :神も仏も名無しさん:2012/10/13(土) 07:56:14.13 ID:3cn8qPMa
このスレの主はamaです。
ご質問は、できるだけ日常の言葉を使っていただけると助かります。
(amaは、諸般の事情でスレが立てられないことが多いので、
スレ立ては、有志の方でお願いいたします。
テンプレの≪ご注意≫は、既出の気に入ったものを使ってください。)
*前スレ
悟りを開いたことあるけど何か質問ある?23
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1350082574/l50
≪ご注意≫
amaが申し上げる「悟り」は、
一般的に言われている「悟り」とは違うかもしれませんし、
仏教で言われている「悟り」とも違うかもしれません。
ですので、amaが「悟り」と言うときは、このことを含み置きください。
世話になったからamaさん立てとくよ〜。 煩悩も月手無い死輪廻転生だあ。

2 :
師匠から色即是空は空即是色と返すと教わった師、さあとつても素敵な所でも
静かで寂しい所は同してももそもそ動き出し用で結局動しても妄想してしまう空
まあ色々も大変出し苦楽なる事もあるけど、まあそれも永遠の無知言う生命という
事で落ち着けないと長くなるしこの辺でお後が宜しいようで仏物

3 :
また立てたのか?w
ここはもうキチガイ達の落書き帳になってたはずだがwww

4 :
昨日見た夢、好きな漫画、得意な超能力、
好きな異性のタイプ
何でも皆様の好きなことをお書きください。
もちろん嘘を書いてもかまいません。
(ただし脅迫や殺人予告などの犯罪行為はアウトです)

5 :
         アーンク
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6 :
生きたいという欲望は、欲望である。
感覚への執着は、快楽への欲望だ。
欲望は無限に増殖し更新してゆく、、、欲求不満は終わることが無い。
生きたい人間は決して生きることに満足できない。
よりよい生を求め続け、死を恐れ続ける。
生死を区別せず、感覚を区別せず、動静を区別しないその如性。
意味づけなどしなくても生のあらゆる側面は如としてそこに在る。

7 :
欲望とは、拡大し、巨大化し、広漠たる空ほどの無辺に
なろうとする切なる望み、大いなる憧れのことだ。
ただ人々を見守り、欲望を見守ってごらん。すると私の意味することがわかるだろう。
あなたたちの平凡な欲望にさえ、根本的なことが現れている。
実際、とめどもなく多くの金を得ようと欲する人が本当に欲しているのは、金ではなく拡大なのだ。
なぜなら金は、あなたの拡大を手助けするからだ。
あなたはより大きな家を得られるし、より広い庭も得られる。
あれもこれも得られる。あなたの領域はより大きくなるだろう、あなたの自由はより
大きくなるだろう、より多くの金によって、あなたは一段と、多くの選択の余地を得られるだろう。
そして同じことが、他の欲望すべてにあてはまる。
人はより多くの権力を、より多くの名誉を、より長い寿命を、より以上の健康を欲する。
彼らは、もっと多く、を欲している。彼らは制限されたままでいたくないし、有限でありたくない。
自分を、限定したものとして感じるのは苦痛だ。限界があるということは、閉じ込められることだからだ。
しかし遅かれ早かれ、すべての欲望の対象には失望させられる。ある日、金を得たとしても、拡大は起こらない。
あなたはわずかに、多くの選択の自由を得るかもしれない。しかしそれでは満足しない。
欲望は無限なるものに向けられていたが、金で無限なるものが買えるはずがない。

8 :
知性とは何だろうか?
知性とは、欲望を満たせる対象はないという洞察のことだ。
対象はない、と私は言おう。
そして無条件に私はそう言う。決してどんな対象も、あなたの欲望を満たせはしない。
あなたの欲望は神性なものだ。
それは空と同じほど広大なものだ。
いや、大空でさえその極限ではない。
対象はそれを満たせない。
では何をすべきか?
知性的な人は対象を欲することを止める。
彼らは自らの欲望を、あらゆる対象で、世俗的なものや超俗的なもので汚されていないものにする。
彼はその純粋さの内で、瞬間から瞬間へと自分の欲望を生き始める。
彼は欲望に満ちている。溢れ出るエネルギーでいっぱいだ。
彼の平凡な生は、触れるものは何でも変容されてしまうほど、それほど強烈で情熱的なものとなる。
卑金属が黄金になり、枯れ木が再び花を咲かせるようになる

9 :
>>6
>生死を区別せず、感覚を区別せず、動静を区別しないその如性。
>意味づけなどしなくても生のあらゆる側面は如としてそこに在る。
在るよ!有るよ!あるよ!
それは素晴らしすぎる・・・。けど預流果でしょ・・・。
預流果じゃつまらなすぎるしさ・・・・。
>意味づけなどしなくても生のあらゆる側面は如としてそこに在る。
在る在る在る在る在る・・・。
それに酔うのが473氏かな?ただの屑酔っぱらいじゃないか。
我は真理を求める!
他のあらゆる言説や説話は一切問答無用だ・・・。
我が求めるは真理なり!
真理を求める者よ!突撃せよ!

10 :
社会が戦争に向かうのは、人びとが緊張しているからだ。
人びとが自分たちの内側で絶えず戦っているからだ。
人びと怒っているからだ。激怒しているからだ。
彼らは幸せではない。幸せだと、あなたは創造したくなる。
不幸だと、壊したくなる。創造性は幸せから生じる。
破壊は不幸から生じる。
OSHO

11 :
>>9
言葉足らずだったかな。
>生死を区別せず、感覚を区別せず、動静を区別しないその如性。
>意味づけなどしなくても
ということは、いわば何も無いということを提示しています。
そこには古い認識において認識されるものは一切ありません。
意味づけをしないと、意味づけをしていた過去の認識においては何も存在しません。
だけど、意味づけしなくても、その新しい認識においては無であっても、
如のうちに性のあらゆる側面は在る。
在るということは私たちにとっては無いという事です。
そんなパラドックスの表明でした。

12 :
創造面に、与え合い分かち合う方に、無私無目的の労働にエネルギーが行かないなら、
不毛な欲望、破壊性、比較、殺戮などそちらにエネルギーが行かざるを得ないのか。
それゆえにひとは勝敗をスポーツやゲームや国家間の争いに投影して消化しようとする。

13 :
人間を人間足らしめる者は何か?
それは規律性である
では、規律性は何によって成し遂げられるか?
それは戒めである
自分の欲望がまず悪であることを知らなければ
戒めは成立せず規律性も生ぜず人間足らしめない
人間として足るということは不足を現わさない
ただの仏法である

14 :
一人だけで何の矛盾もない寂しいし静かなシーン理があるでも孤独の寂しさは
癒されないでまた世界を想像してしまう。賑やか過ぎると纏まりもなく矛盾だ
らけになるし?また一人でいたいと思う?結局一他力着たり落ちも付かないのが
まあ良いか。一人の人の孤独は如何したら癒されるのか?私たちは踊るのです。
それじゃ天照大身神の岩と隠れではないか?踊ろう

15 :
本当に悪いものだと理解したならその時もうそれは捨てられています。
実際にはその欲望は正しいものだと思っているのに、借り物の知識でそれは悪いと言い出すと抑圧になります。
そもそもそれが悪いと理解しているのであれば戒めの必要はありません。
戒めが必要だと言うことは、その欲望を正しいと思っているが故であり、必要なのは自分の本音と対面する意識です。
意識において借り物の知識ではなく、自分自身の意識において欲望をあるがままに見るでしょう。
戒めは正しいと言う部分と、それは間違いだと言う部分に精神分裂して葛藤してしまう。
そして結局もとの自分が正しいと思っている部分がその人の振る舞いの端々に出ます。
例えば、あなたは柔らかに謙虚にふるまうことが出来ますか?
押さえつけても地は出てしまいます。
そして無理に振舞おうとしても微妙な形であなたの本音、あなたの衝動は出てしまいます。
(本音やその人の根本的な衝動が振舞いにどうしても現れるというのはあらゆる人においてそうです。)
>>9
もし、求めて手にはいるようなものなら、それは「あなた」が見ている「現実と言う夢」を反映した「真理という夢」にすぎないでしょう。
「夢を見る人」「その人の見る現実と言う夢」「現実と言う夢が土台にある真理という夢」このメカニズムが虚偽と言われるものでしょう。
真理は真理を生きたり、真理であることは出来るかもしれませんが、求めることとは無縁の何かだと思います。
意識して欲望を生きれば、欲望であることを自覚すれば、いつしか真理を生き、真理である時が来るかもしれません。
しかし、求めるのであればそれは夢を強める方向です。
真理の夢は強まり、現実観の夢も強まります。
少なくとも真理は求める対象ではなく、もっとそっけないもの。
そっけないものとしてどこよりも近くに見出されるものではないでしょうか。

16 :
人間を人間たらしめるのは、規律、マインドであると言うのはある意味事実です。
そしてそれが苦しみの元であると宗教は唱えます。
意識において生死の形を見分けつつも、心理的に生死の分別がない。
そういう存在が一体どんな悪いことが出来るでしょう。
こういった存在には悪いことをする動機が無いのです。
こういった存在は悪いことをしなければ良いこともしません。
創造的なあふれるエネルギーに満ちています。
生を作り、与えてゆく存在です。
そしてそれはそう在るのであって、そういった規律ではないのです。
規律はそのひとの破壊性を決して変えはしません。
規律はその人の破壊的なエネルギーをそのままに「良いこと」をしようとしますが、
要はその破壊的なエネルギーに変わりはありません。

17 :
さらにいえば、自分が自分である限り、善悪の判断は自分がするものでしかありません。
ブッダ達の言葉も自分が解釈するものです。
善悪の判断は自我の中核であり、その判断を続ける限り自我は生き延びます。
だからブッダは真理は言葉では表せない、
ああだこうだの意見を持たずただ事実を見つめなさいと説きます。
悟る前に悟りが何か、真理を見出す前に何が正しいのか解る事は不可能なのです。
それを不可能だと理解するまで成熟した人が瞑想に入ってゆきます。
理解していればもうそれは本当におきているはずです。
本当にはおきていない私は要は理解していない。
まだ、自我と善悪の判断が生きている。
様々な区別が生きている。
生きる欲望を持たず単に生きることはおきていない。

18 :
>>10
全然違うわ

19 :
>>3
wwwww

20 :
>>16
>人間を人間たらしめるのは、規律、マインドであると言うのはある意味事実です。
>そしてそれが苦しみの元であると宗教は唱えます。
苦しみの元であると宗教は唱えない。
仏教に関していえば戒律だらけといえる。
過剰ともいえる。自然発生的な戒律で問題ない。
個人の反省により戒めとなり、その後の行為にごく自然と現れ
自然な流れで規律性は発生する。反省とは抑圧ではない。徳目である。
仏陀は善悪の判断がつかない程馬鹿ではない。
即ち、殺しをするな、盗みをするな、物事に執着するな、信仰を捨てよ等
であり善悪とはその中に含まれている。これこそが事実である。
大乗系の中で不思議な誤解が生じている。

21 :
つまり、するな、するなの抑圧だらけというのは間違いない。
暗に抑圧こそが解放と説き示すものである。
抑圧の否定とは仏陀の否定と相違ないものである。

22 :
>>20
仏陀は「なかれ」と語ることが多かったですが、その中核は規律ではなく、
因果です。
因果について語っていました。
これは悪いからという押し付けではなく、これの帰結がどうなるかを理解なさいとという実証主義、科学的な語り口でした。
理解が起き、反省し、徳目があれば、その人にとって正しいことというものが既に変わっています。
そうなれば規律の必要はありません。
規律が必要だということは、本音では怒りや執着や盗みがが正しいと思っているからです。
無論いわゆる抑圧が入り口にならざるおえないところはあります。
しかし実際の変容は執着が正しいと思っている(私達の)本音の変容です。
悟りを開くまで私たちは執着が好きだし、執着が正しいと思っているのです。
そうでないならもうやめて見向きもしなくなっていているでしょう。やめようとする努力は不要です。

23 :
>>22
規律性はその人の人格を表す
決して無理してるわけではなく
その人にとっては一番居心地のいい形である
規律が必要だということは、本音では怒りや執着や盗みがが正しいと
思っているからではない。
規律を持つことが単に正しいと思っているだけである。
もちろん因果論に帰結する。
そうなる前提が現にあり、実践により確認がとれ、
だから書き表すに過ぎない。

24 :
≫仏陀は善悪の判断がつかない程馬鹿ではない。
これはなんの善悪ですか?
あなたの言うところの善悪であればそれはあなたがそう考えるものに過ぎません。
ブッダからみたらそれは間違っている可能性が高いです。
あなたももう一人のブッダで無い限り。
いわゆる善悪の判断を手放したところに彼らのいうところの善悪があるのでしょう。
盗みがいい、悪いと言う問題は、自分の体に執着しているからこそ起きる問題です。
ブッダは自身の生死に善悪の判断を持ち込まないようです。
生死にこだわらない存在は、盗みや殺しをやる動機そのものが無いのではないでしょうか。
生死に善悪を持ち込まなければ、あらゆる善悪の判断は不要ではないでしょうか。
生死に善悪を持ち込み、生き延びようとし、死ぬまいとするからこそ、怒りも盗みも殺戮もあります。

25 :
>>24
普通は盗みや殺しは誰もしない。
誰も善悪などに囚われてはいない。
善悪の判断は誰でもが成し得るものである。
それは特別な誰かではない。
釈迦が善悪を決めたわけではない。

26 :
同時に誰も生死に拘って生きているわけではない

27 :
執着の否定も信仰の否定も既に実践にて確認が取れている。
だから書き表すに過ぎない。

28 :
しかし確認をとるまでもなく、
オウム真理教を見るだけで執着と信仰は害悪であるとわかる
自身が確認を取るだけで確信に変わる。

29 :
>>25
釈迦に善悪は必要ありません。
彼はその意識において何が妥当であり何が馬鹿げているか承知しており、ただその広い視野で妥当なことを行うだけです。
翻って我々は無意識において、奪うこと、破壊すること、怒りを抱えています。
それを抱えているが故に「R無かれ」「奪う無かれ」と言う道徳を必要とします。
それらの善悪の判断で己を縛らないと、やってしまうからです。
仏陀には善悪の判断は必要ないようです。そもそもの破壊的な衝動が無いからです。
≫普通は盗みや殺しは誰もしない。
それに近い何かをしたいのですが、無理やり抑えています。
生は花開きません。
≫同時に誰も生死に拘って生きているわけではない
大変生にこだわり、死を恐れています。
同時にといってくくろうとしてもだめです。
≫執着の否定も信仰の否定も既に実践にて確認が取れている。
否定するということはあなたは本心では執着しており、迷信深いということです。
そうでなければ否定する理由も在りません。
≫オウム真理教を見るだけで執着と信仰は害悪であるとわかる
他者の非常に極端な例においてそれを理解するのは容易です。
しかし、自身が嵌っているそれほど露骨でないそれを見抜くのは難しいものです。
他者を見るばかりで自身の本心に意識がいかないのが人間です。

30 :
>>29
>仏陀には善悪の判断は必要ないようです。
>そもそもの破壊的な衝動が無いからです
それは面倒くさがりのニート肯定であるw
>それに近い何かをしたいのですが、無理やり抑えています
それを感じるのは執着の強い者だけである。
今に満足できぬ者だけである。
>大変生にこだわり、死を恐れています
>否定するということはあなたは本心では執着しており
肯定は執着ではない。当たり前のことだ
最後のオウムのは自身の経験というものが、妄想ではなく
実際の現象を導くものだ。
お前にはそれが全くない。
だからただの言い訳に終始する。
具体的事象をもって信実性を示してみよ
これも同様。

31 :
いかんw眠すぎてミスったw
最後のこれも同様は
>大変生にこだわり、死を恐れています
に対して
信実性×
真実性○

32 :
自我と自我が織り成す世界観があります。
あらゆる判断や知識はその自我を強めます。
根本の世界観とそれに条件付けられた知識が人間の窮状を作り出しています。
知識を捨て、世界観も捨てたなら、自我が死んだなら、
新しく生まれる未知の何かが、異なる世界観と、異なる世界観による全く異なる判断でもって生を受け持ってくれるでしょう。
どうこうしようという計らいは自我を持ち越してしまいます。
それは良し悪しではなく、要は、今までどおりということです。
今までどおりが良いのか変革を望むか、それだけのことのようです。

33 :
>>31
真実性ということでしたら、過去の覚醒者たちによる悟っていない人の精神についての講和持ち出せばよいでしょう。
まさかあなたの主観に真実性があるのですか?
少なくとも真実味のある表現をしていただきませんと圏外です。
≫具体的事実
世界が友好的でなく、分裂しており、非効率、浪費、そして貧困で成り立っているこの様を見て何の証拠が。
協調して世界全体で世界の人々が必要とするだけのものを生産し、分配するということが起こりません。
また、あらゆる個人は仏陀のような無条件の至福に満ちていません。
この事実が人間が自身の破壊性を抑えているだけという証拠です。
オウムはよりひどいものなので他がまともに見えるということはあります。

34 :
信心銘にでも触れられたらいかがでしょうか。

35 :
>>32
その通りだよ。それが被害妄想を作り出す。
ここにいる危険性を察知せよ。
ここに進歩というものはないぞ。
473よ、さらばじゃw

36 :
>>32
一歩進んで二歩下がる

37 :
>>34
大乗系はぐーたら性しか生まんぞw

38 :
>>37
これは最高の教えなので、これが役に立つ人は極少数、瀬戸際の人だけでしょう。
私にしてみても、憧れこそすれ、直ちに用はなしません。
覚醒が伴っていれば何もしようとしないことで愛と創造性が花開きもするでしょう。
しかし、鞭打たないと動けないような眠りの内にあるうちはこれは役に立ちません。
規律の方が幾分かましでしょう。

39 :
無数の過去の経験、執着、そして矛盾しあう様々な知識、矛盾しあう欲望が私です。
その私が、なんとか矛盾しあうそれを調和させようとして努力しています、、。
が、この努力している、調和させようとしている主体が混乱そのものなのですね。
混乱している私は、自分がどのように混乱しているか理解することは出来ないはずなのです。
もし、自分がどのように混乱しているかわかったとすればそれは捏造です。
自分がどのように混乱「していた」かを混乱から脱出した時に見出すことは出来るかもしれませんが、
混乱のさなかに見えるはずは無い。
混乱が混乱自身を理解しようとすることで当の混乱は生き延びている?
分析と言うのはそんな悲喜劇なのでしょうか?

40 :
>>39
一歩進んで二歩下がる

41 :
人は食べたり働いたりします。
しかし、心理的に食べる方を好んでしまうと労働は苦しみになります。
人は受け取ったり与えたりします。
しかし、心理的に受け取る方を好むと生はバランスを崩し葛藤となってしまいます。
そもそも奪い奪われるという解釈になっているかもしれません。
心理的に区別しなくても、もともと生はバランスを取って成り立っています。
受け取るだけの人もいなければ与えるだけの人もいません。
なまじ心理的に区別することで快楽と苦痛が生まれてしまいます。
与えず、また取らず。チベットのマスターティロパの言葉です。
それは内面の、心理的な姿勢なのでしょう。
彼も外面における行為では、与えたし、また受け取ったでしょう。
しかし、かれは内面において与えることを好むでなく、受け取ることを好みもしなかった。
その区別が無ければ大いなる一体性があるのか、無なのか。
ブッダは金剛経でこういいます。
調和は調和ではない。調和だと感じるぐらいならそれは根底に乱れがある。
調和そのものであるということはなにもないということだということかもしれません。
クリシュナは行為者である幻想を落とせといいます。
人は行為者である重荷を背負いきれるものではないとOSHOはいいます。

42 :
そこにエネルギーを廻さなければ大人しいものだが、エネルギーを廻すと性欲は力強く動き始める。
それを考察しようとしたのだが、、はて?
そりゃエネルギーを廻せばよりいっそう存在感を増す性欲だが、性欲の構造そのものは元々ある。
ということは私が性欲を持っているのではなく、性欲が私なのではないだろうか。
となると、私が性欲を考察するのは当の性欲による考察であり、その考察は無力な知的な結論であるほか無いだろう。
当の性欲が考察する限り、考察の主体である性欲は生き延びる。
「私」は今特にエネルギーが回っていないので不活発な、性欲、怒り、執着、恐怖、欲望の群れそのものだ。
何も考察しなくていい。考察は考察者を強める。
私の放棄が欲望の放棄だ。
考察者の放棄が、考察者=欲望の群れの放棄だ。

43 :
私は今日ょを生きているので別に教のためにに生きているのではない。私は適当に
だらだら生きているまあ絵絵かすこしずつ。べつに無理してまで未知求めることなく
まあよいか。元眼なさいと言われても成る世うにはなるしまあ色々それぞれ、聖人は
聖人の生き方だし、別に真似する事もないし、でもラーマは人が良い聖人◎出し、
和尚は良く知らない?御釈迦さんも世界嫌いなのかもよくわからん仏仏、

44 :
涅槃で悟らず輪廻転生ありがとう。またまようぞお私も小真もので大きな心には慣れんのでさあとりあえず楽がまあ絵絵に。
曹洞宗と臨在州サイト見たよ。で涅槃ネタ 起きて半分寝て半分つまり人間だもの。曹洞宗はそうとう難しい坐禅、
臨在宗は涅槃ネタ見ただけ。今朝は早く眼が覚めてしまった。そういえば夢の中で私が人に偉そうにしゃべっていた。
国々の厄介な政治問題は全て自国の利益の為の観点からしか見ない其れが原因と、損な事は誰でも解っているのだ当たり前
だ。みんな自国を守らないと他国に潰される死、理想では国も生きて意見と言っていたような平凡な夢の中だつた。掟半分
ネタは?半分じゃ無い全部つまらない現実社会の夢つまらない夢だつた。死んだら浄土真宗信じる人は阿弥陀に導かれる死、
曹洞宗は坐禅に導かれる死、臨在州は棒で叩かれる死、キリスト教はイエスが導く死、あの世でも信じる者は掬われるなら、
無宗教の人は困らないのか?何か困らないこの世と似たようなご縁がある身内や社会や煩悩に導かれる死なのかも。それじゃ
輪廻転生決定的なのか?まあよいか色々好きなところに良ければ良い。根が暗い人は地獄を見るけど地獄が好きなのかも?

45 :
ブッダ達、そしてそれに連なる人々。
そういった人々を好きになるのは危険だ。
どうしてもそうでないもの全てが嫌いになってしまう。
この世は地獄になってしまう。
(そもそもこの世を憎みきれないようではブッダ達が好きになることも無いかもしれない。
ブッダ達を世間的に解釈して腹に収めているだけかもしれない)
自らが独りブッダであるのなら何の問題も無いだろうけど、ブッダを好むのは危険だ。
その好き嫌いが悟りとは対極のものだから。
しかし、それを指摘してくれる生きた仏陀がいるのだろうか?
生きたマスターがいないということは求道者にとって非常に危うい。

46 :
ブッダ達に依存しても、世間に依存しても、依存は苦しみを生み出すのかもしれません。
依存ゆえに独りいられず、孤独を感じてしまいます。

47 :
 もし誰かが私のところに来て、『私にイニシエーションを授けてください』と言ったら、私は彼に言う。
「どうして私があなたにイニシエーションを授けることができるかね?私は証人になることしかできない。」
イニシエーションは、あなたが神聖なものから受け取るものであり、
イニシエーションは、あなたが存在そのものから受け取るものである。
私はその証人になることぐらいしかできない。
証人というのは、私はその現象が起きたときにそこにいたということだ。
それ以上のことは何もない。師に結びついたサニヤスは宗派にならざるを得ない。
師に結びついたサニヤスは決して自由をもたらさないし、束縛だけをもたらすだろう。
私は彼らの師になるつもりはなく、ただ、彼らのサニヤスへのイニシエーションの証人になるだけだ。
事実、サニヤスは彼らと存在を繋ぐ直接的な関係であるだろう。
サニヤスへのイニシエーションのための儀式が行われることはない。
だから彼がそうしたいときにそれを辞めることは少しも難しくない……。
事実OSHOは自分が依存の対象にならないよう注意を払っていたようです。

48 :
>>47
なにいってんだ?

49 :
だれにでも分かる言葉で語るやつが一番頭がいいんだよ

50 :
一足す一は二です。

51 :
>>50
割り込むなよ

52 :
他者が愚かしくみえたり、社会の迷走に眩暈がする。
しかし、そのように外界に不満をぶつけることで、別口の自分自身の外界への要求を見逃している。
他者に愚かさを見ることで、別口の自分自身の存在との愚かな関わり方が完全に見過ごされていた。

「外に愚かさを見るのは自分自身が愚かさを抱えているからである。
自身に愚かさが無くなったら、かつての他者の愚かさはもはや愚かさではなく全く別のものに見えるだろう。」
そのように先達は仰いました。
結局は投影をしていたのかもしれません。
私は、このようにこのような社会で生きたいと欲しています。
それは単に不可能です。
現実の世界で生きることも、死ぬことも可能ですが、ありもしない世界でどう生きるというのでしょう。

53 :
このようにこのような社会で生きたい
その夢が自我です。
人々とその夢の中身が違ったり、少数派なので多数派の夢と相容れないという違いはあります。
しかし、全体と自我のかかわりという根本的な次元ではわたしと人々になんら差異はありません。

54 :
逃げているだけ〜>>53

55 :
>>51
俺の勝手だカス

56 :
>ID:/NVbZRsZ
人の言ってること否定するだけなら誰でも出来るは低脳。

57 :
>>56
すいませんでした

58 :
(つづき)不死の門を守る二つの恐ろしげな像は、仏教の観点からすれば、単純に次のように解釈されるのでしょう。それは聖域
への進入を阻む外的な神の意思をあらわすものではなく、むしろ人間の意志そのものに内在する現世の肉体への執着、肉体の死
に対する脅迫的な恐れを表現していると。聖域に入ることを阻むのはこの人間の意志なのです。なぜなら仏教の教えでは我々は
すでに不死性を獲得しているのであつて、ただ現世的な目標に対する精神の執着ゆえにのみ、我々はこのことを忘れてしまうの
です。物質的欲望の恐怖(ゴータマ・シャキーャム王子が仏陀の境地に到達した夜に克服したのは、この二つの誘惑でした)のた
めに、私たちは楽園からー皮肉なことに、私たちはそこに住んでいるのですがー自分を追い出してしまうのです。仏教の教えで
は<楽園追放>などということは起こらなかったのです。イエスもまた次のように言ったと伝えられます(最近発見され翻訳も出た
グノーシス文書『トーマス福音書』のなかで)、「王国は汝らの中にある」、そして「父の王国は地上に広がったがったが、人間
はそれを見ない」と。実際のところ偏見の無い目で人類の宗教を見れば、誰でもいたるところで地球の諸民が我共有している神話
的な主題を認めざるをえないでしょう。たとえその解釈は様々に異なるとしても、主題の同一性は明らかです。・・

59 :
さて
あかひげ薬局のダイナマイトRは効くんやろか?

60 :
何を開いたんだよ・・・ヤバイって

61 :
精神が精神の領域にとどまっているうちはどんな非現実的な考えにも害は無い。
しかし、精神はその空想において感覚に干渉してしまう。もしくは生存に干渉してしまう。
実際の体の感覚に従う思考、生存に必要なことを淡々と行う思考。
これに囚われてはいけないかもしれない。
しかし、問題は、そういった思考がそもそも抑圧されているということです。
精神的空想は感覚に干渉し(食べ過ぎやRズム)、生存にも干渉する(こちらも食べ過ぎやまた労働との関わり)。
まずは素直に感覚と生存のために現れる自然なマインドに従う。
そうするだけで不自然なマインドは消え去ってしまう。
OSHOも、体に従うだけで問題の99パーセントは消えると述べていました。
体との同化がどうこうというのは、不自然なマインドが消え去り、自然な体との関わりのマインドにマインドが純化された後のことかもしれません。
あらゆる空想は、「それは体に関わっていない精神の次元だけのもの」という覚醒があれば害はありません。
しかし、私たちはあらゆる空想について自分がそこに本当にいるかのように体を巻き込むことを好みます。
空想の中で得ても実際に得ないし、空想の中で死んでも実際には死にません。
だが、それを本気で勘違いしに行くのが精神の作用です。
それは一時的な痛み止めなのですが、現実をあるがままに理解することから遠のいてしまうので結局痛みを増やします。
そうすることで空想マインドが感覚や生存のマインドを抑圧してしまいます。
抑圧された生存マインドは理解不能な恐怖を増産することでしょう。

62 :
宗教性、善悪と、抑圧―OSHOの講和より
これは非常に大切なことだが、
私たちのいわゆる宗教的な資質というのは、すべて反動だ。
人々が暴力的だと、私たちは反動を起こして、非暴力の哲学が生まれる。
暴力的な人間が、「それは良くない」と頭で理解し、努めて非暴力的になったとしても、その非暴力の中には同じ暴力的な姿勢がある。
 そしてこれは普通の人々だけの話ではない。
非暴力の権化のようになったマハトマガンディーのような人でも、深く根ざした暴力性は一生涯つきまとった。
たとえばこんな話がある…
 マハトマ・ガンディーは科学技術の産物にはすべて反対していた。
糸紡ぎ機以降はだ。彼にとっては、糸紡ぎ機で歴史は止まっている。
いったいそれがどうして暴力的なのか。
もし人が糸紡ぎ機でストップしたら、世界の人口のほとんど一割は死ぬだろう。
もちろんガンディーは人類の一割が死ぬことを提唱しているわけではないが、結果的にはそうなる。
そして残った人々も飢餓と栄養失調になり、満足に住む場所もない。
そしてこうしたすべてが、非暴力という美名のもとに覆い隠されるのだ。
 実際の生活上でもマハトマ・ガンディーは、どこにでもいるような暴力的な人間だった。
長男のハリダスは教育を受けたいと望んだが、ガンディーは西洋から来たものすべてに反対していた。
こうした姿勢はそれ自身が矛盾している。慈しみのある人間の姿勢ではない。
慈しみのある人間、愛にあふれる人間にとっては、世界はひとつだ。
そして彼はハリダスに対して、こう語った、
「もし教育を受けたいなら、もう二度と私の前に顔を出すな」。
これが非暴力というものだろうか。彼はハリダスに対して扉を閉ざした。

63 :
インドの伝統では、父親が死んだ時、その火葬の薪に火をつけるのは長男だ。
ハリダスにはそれが許されなかった。それがガンディーの遺志だったからだ、
「生きていようが死んでいようが、ハリダスには何も許さない」。
いったいハリダスのどこが悪かったのか。教育を受けたいと望んだだけだ。
ガンディーには狂信的な思想があった。
そして狂信的思想というのは、非暴力とは相容れないものだ。
たとえば、トイレ掃除はみんなの義務になっていた。
トイレ掃除といっても、西洋のトイレではない。インドのトイレほど醜悪で汚いものはない。
彼は自分の妻に対しても、アシュラムのトイレ掃除に参加させようとした。彼女はそれが嫌だった。それで拒否した。
するとガンディーは言った、
「もし拒否するなら、ここはあなたの家ではないし、私はあなたの夫ではない」
。このような姿勢は独裁的で、愛がなく、暴力的なものだ。
愛のある姿勢だとは言えない。
 あるとき、ハリダスが駅の群衆に混じっていた。
ガンディーが汽車で通ることになっており、ハリダスは遠くから父や母の顔を見たいと思ったのだ。
近づくことができないからだ。
ハリダスが次の駅で待っていることを、ガンディーは取り巻きの人々から聞いた
。それでコンパートメントの窓やドアが全部閉じられた。
すすり泣く妻に向かってガンディーは言った、
「泣くのはやめなさい。泣くということは、私ではなくてハリダスのことを思っているということだ」
 ハリダスがどんな罪を犯したというのか。近代的な教育を受けたいと思っただけだ。
ガンディーの生涯をたどると、暴力的なことがたくさんある。
ところが非暴力の傘がすべてを覆ってしまう。

64 :
生き延びるために生きることは苦しい。
何故なら、それは社会との自然との絶え間ない苦闘として人生が経験されるから。
そして、仮に、働かなくて良いだけの富を蓄えたらどうなるだろう。
「生き延びるために生きる」というマインドと直面することになる。
このマインドはお金があれば消えると言うものではない。
人のマインドの、人のあり方の根本だから、、。
「生き延びるために生きる」マインドは、お金を追っているうちは良いけど、お金があっていざ落ち着いてみると、
このマインドはこの在りかたは、苦しみになる。
結局は欲望なので、生存を確保したら欲望そのものは苦しみになってしまう。
欲望は生存を満たしたら、他の贅沢や栄光など新しい対象に移ってゆく。

生き延びるために生きることが苦しいと理解した人が信頼の道に入ると聞きます。(モジュッドの伝記など)
そうして自身の生存を明け渡せば、自然と自分がこの世であるべき場所に収まり、労働と言う苦闘ではなく世界が自分を働かすようになるかもしれません。

65 :
うぬらはウザイわ!( ̄^ ̄)
http://www.youtube.com/watch?v=2wdeuBJTY0I&feature=relmfu

66 :
死んだらどうなるのか?私にはよく見えないいや身得て居ない。今は此の世の仲で今個個の夢の中鴨?今の時代は欲見えない物は
役に立たない社会で、宗教者と言えども社会の為にならない発言は思っていても控える。今だけでは無い個人は社会の権威が無い
と生きて生けないし、精神も社会や本能から自由では無い、昔は神や仏が居たと信じられていた。それは社会の皆がいい加減だけ
ど信じていたからか。今はガリレイにキリスト教の神?が負けたから、人々の身を守る社会が一番偉いになつたのか、でも日本は
仏教国?西洋に攻めつぶされたわけでは無い?何でそうなつたのか?やっぱり金と個人主義つまり国の法を守っていれば我侭が出
来るし、社会と言う魔法使いに結局は身だけではなく精神も使われるし、科学は真理の追究が仕事?だが社会の為になるつまり金
になる仕事には熱心だが、金にならない心理学など力も入れない。みんな見えて役立つ事しか感心もなく今の精神も脳で解決しよ
うとすれば死は脳の死?私には死は身得て居ないけど精神は駄洒落的に生死んというし、見えない者を信じる事も一大事かも、
結局今私に解っている事は今此処は過ぎることもなく永遠の今此処に居るという事だけ?今此処が死ぬことないと思うけど?よく
知らない事の言い訳にだらだら。好くわからんけど、あまり今と変わるようで変わらないのを繰り返す様な樹が擦るだけ?人の好
い私は社会に歯向かう事は無いけど魔法には掛からない人で見えない目もあるんだようと、てきとうに生きている鳴るように鳴る

67 :
大昔の日本人は神を信じていたのではなく、自分が神の末裔だと知っていたのではないかと思います。
日本人だけではなく、太古の人々は体でそれそれを知っていたのではないのでしょうか。
体を損じても大事な傷でなければやがて時間が治癒してくれる、いや、自分の体そのものが治癒に導く。
それが何を意味するのかも本能的に知っていたのかもしれませんね。
日本の神社は自分が何物であるのかを忘れないためのお社でもあると思います。
だからこそ、そこを訪れると身が引き締まるのだと…。

68 :
私は満点が星意いや、夜の寒いベランダで満天の星空を見ているといっも家族に寒い仲のアホらしいと言われる。
でも星も出ない曇りの真っ暗な闇空が一番好き、何故かボーっとして闇に吸い込まれる様な暖かさを感じるけど
何でかなあ、闇夜なんか私には良くわからない大きさが?もう止み意と言われそうだけど、
哲学的で孝子師匠の満天の星 この人は眉間の星が輝いている。http://www.youtube.com/watch?v=byqktO4Cku8

69 :
私も晴れでも曇でも空を見上げることが好きですが、もう20年以上も前に心の病が苦しくて
絶望とともに一面の曇り空を眺めていたとき、あてもなくある一点を見つめ続けていると
その一点が急に輝き雲が切れて月が顔を出したと思うと間もなく、雲一つない満月の夜空。
驚いたのと訳の分からぬ思いとで涙が溢れ出して、今も覚えていますが。
全ては一つの意識なのだと、今なら疑いませんね…。

70 :
ダぁイナぁマぁイトぉ〜

71 :
苦しい時はツケを払っていると思いなさい
楽しい時はツケを溜めていると思いなさい

72 :
ショーペンハウアー自身の決定的な貢献は次の認識にあります。私たちの外的な目は時空の場の中のみかけの現象しか見かけ
ませんが、しかしこれらの現象全ての内的経験は、意欲する主体としての彼、彼女、ないしそれ自身の経験なのです。この内
的経験はー私たちには隠されていますがー実際は、アートマン=ブラフマンすなわち普遍的自己のエネルギーの経験なのです。
ただそれは幻影である個人自身の死の恐怖および幻影としての生存への欲望によつてサンサーラ(時間的な幻影の影)に繋がれ
ているのです。つまり(生の意志)の衝動は自分自身としてのアートマンの経験ですが、それはーショーペンハウアーの認識で
はー「同情」(慈悲)の洞察という形でのみ生起します。それは菩薩の性質に他なりません。彼は有名な論文「道徳の基礎につ
いて」の中で次の問いをだしています。(続く)

73 :
続き)「ところで、私のものでもなく、私と関わりない苦悩が、それ以外の場合には私自身の苦悩だけがそうである
ように直接に私動機となり、私を行為へと動かすという事は、どの様にして可能なのだろうか。[・・・]この過程は神秘的で
ある。それは理性が直接に報告しえないものであり、それらの根拠を経験によつて見出すことの出来ないものである。にもか
かわらず、それは日常的なことである無常このうえない人、我欲きわめて強い人にとつてさえ、無縁な事ではない。この現象
は日々われわれれの目前に、個々のことにあらわれる。熟慮を重ねる事も無く直接的衝動によつてある人が他人を助ける、
救援に駆けつける、それどころか見知らずの他人のために、その他者の大きな困惑と危険とを眼前にしているということ意外
には何も考えることなく、自分の生命をきわめて明白な危険にさらすことさえある。[・・・]と」(つづく)
    (つづき)この問いに対してショーペンハウアーはこう答えます。この瞬間の反応と行動には、ある形而上学的認識が
顔を覗かせているのだ、とーすなわち(彼はこれをサンスクリットで表現しますが)「汝はそれなり」という認識が。さらに彼
はこう言います「だがこのことは、私が他人とあるていど同一化し、したがって、自我と非自我とのあいだの垣根がその瞬間
には解消してしまつていることを、前提している。そのときだけは、他者の要件が、その必要、その困惑、その苦悩が、直接
自分のものとなる。そのとき、私はもはや他人を経験的直感があたえるままに私にとつて無縁なもの、どうでもよいもの、私
とはまつたく異なったものとは見ないで、私の神経が皮膚に包まれているのではないにも関わらず、その他者においてもとも
に苦悩するのである」(つづく)続きを早く貼ら無いとまた中途半端で知りきれトンボになるので後は明日?

74 :
ある覚者が朝起きたら寒かった。
彼はコートとマフラーを身につけて家を出た。

75 :
有る書く者が朝掟長いと言われた。どらまあ演じているのだろうけど身時書く

76 :
ある覚者が朝起きたら寒かった。 彼はコートとマフラーを身につけて家から追い出された。
彼はただのニートだった。彼は初めて社会の凍えるような寒さを知り家族が彼に対して今までどれほど温かい対応をしていたか知った。
彼はコートを捨てた。そしてマフラーも捨てた。彼は自然の、人間社会の寒さに覚者として己の体一つで勝負を挑んだ。
翌朝彼の体は冬の外気と同じくらいに冷たくなっていた。しかし彼の表情は満足そうにみられた。
加護のもとで屁理屈をこねていた自称覚者ではなくまさしく己のみで生きようとした覚者としての美しさがそこにはあった。

77 :
>>76
まあ、自分の裸を他人に見せて喜びを感じる人って、どこにでもいるからねぇ

78 :
>>76
はだかというかRでしょ

79 :
>>76
裸になりたかった人の話

80 :
長いのが好きな人短いのが好きな人

81 :
>>76
1レスの中で矛盾だらけだぞ。
>>80
>長いのが好きな人短いのが好きな人
レスの文章の長さの話ね、わかります。

82 :
>>76
お前はOpeだろ!

83 :
>>81
いやごめん Rの話だったんだぁ 

84 :
>>83
ぎゃふん!(>Σ<)

85 :
>>84
   _ _
 ( ゚∀゚)

86 :
途中に在って家舎をわすれず。 家舎とは本来の自己がいるところです。途中とは旅なら今此処にある風景か?土地の風景画み
えるけ如何の行ってもほつとけと私の同行の二人旅、行く先不明でも意味不明でもたびたびのまあ好い風景そのものが目的化
何言っているのだろうかまあ一歩一歩後ろ前進もあるで世

87 :
家を出た覚者が空を見ると明けの明星が美しく輝いていた。
その輝く星の前を更に七ツの星が流れた。
「カーッ」
どこかでカラスが夜明けを告げた。

88 :
本来の自己は目覚めを創造しているのかもしれませんね…。

89 :
>>87  ( ´△`)

90 :
あかひげのダイナマイトRは?

91 :
ガリレイの地動説のせいでカトリックの神が科学に負けたせいで非科学的な?神は物理的理論に適合できず経済的な活動もなく
役に立たないものとみなされる、老人も古いだけで何の役に立たないから経済的には損失と見られるのか?現代では役に立つ
紙の金が信仰されるし、現世で見えない解らないものは社会に役にも立たない。から個人も損な者に関わると損で社会に迷惑
かける、永遠なる真実は経済には何の関係無いとにかく生きていくには金かかるし、金が無いと家族や社会にも迷惑がかかる

92 :
寧ろ科学技術で神様の実在を証明しろよ!?♪。

93 :
>>91
神は科学「法」則に負けたのか
法・・・あれ?

94 :
そんなやがて滅び行く地位や金にしがみつかなければ生きて行けない世界に何の未練があろうか。
言葉は悪いが同じゲームはもう飽き飽き、次に行こう、しかしどの次元に進んでもやはり飽きがくるのは目に見えているし
創造主そのものに直談判しに行くしかないのか、魔法をといてくれと…。

95 :
覚者が明けの明星を見た時、彼は明けの明星だった。
覚者が流れ星を見た時、彼は流れ星だった。
覚者がカラスの声を聴いた時、彼はカラスの声だった。

96 :
神はわたしであるが、わたしは神ではない。
わたしはまだ知性の確信しか得られていません…。

97 :
ヘヘェ〜イ、シャバダバダディ〜、イェーイ
俺が昔、覚者だった頃
弟は明けの明星で、父さんは流れ星、母さんはカラスの声だった
わかるかなぁ、わかんねぇだろうなぁ〜

98 :
>>94
創造主に他人のためのゲームを作れば?
と言われたら作れるかい?
でもそのゲームを自分はプレイ出来ない。
あれ?そんな天(神様)がどっかにいなかったけ。

99 :
>>97
人殺しを完全に理解したのは・・・
殺人者になった時だったということか・・・ゴクリ

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