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2013年08月ラウンジクラシック244:  卍 仏教以外でもよしっ! 卍 (625) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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 卍 仏教以外でもよしっ! 卍


1 :2012/12/24 〜 最終レス :2013/07/29
 
test

2 :
 
652 名前:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. [] 投稿日:2012/12/24(月) 09:34:00.94 ID:bCG4o6fs
> 「そうか!一切は虚妄なんだ!」と、「虚妄こそ真理」であると考えて教えに迷うものが出てきます。
横槍ですけど、成る程そうですか?
「迷う」といふのが、私には理解できませんですね。
お気に触ったのでしたら御免なさいね。
思い返せば、私が仏教に深く傾倒していったのは「生死一如」のフレーズでした。
このフレーズがもしなかったら、私はかくも宗教には関わらんかっただろうね?
私は今、日本経済に関心がありますですが、
この経済にしても虚妄でありますね。
なんの実体もない、それは揺れ動くユラギのようなもんで、これを文字列にした途端に
人の心も揺れ動くのであります。
そして、この揺れ動く様こそ人生なんでしょうね。
空即是色であります。
「遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ」。
                        【梁塵秘抄より】

3 :
 
653 名前:644[sage] 投稿日:2012/12/24(月) 10:24:09.88 ID:oKqbtVGr
> 「迷う」といふのが、私には理解できませんですね
教えを聞いて、その教えを「見解」として持ってしまう、ということです
例えば、仏は、善悪の分別をするという衆生の理解に従って、善悪の二つを説きます。
それは、悪を転じて善ならしめんとするためです。
(世俗諦:悪 → 勝義諦:善)
しかし、この教えを聞いて、「善こそ至高!悪こそ低劣!」のように、
「見解」として持ってしまう者が出てくる。彼は、諸仏が、抜苦与楽の方便として、
「善悪」を説いたという理解がないのです。
「善悪」と聞くと、「善悪」なる実体がどこかにあると思い、善を賞賛し、悪を蔑みます。
そこで大乗になると、「善悪」は、縁起によって生じた虚妄なるもので、それを仮に善悪と仮説したということ、
それは、更なる勝義諦として明かされる「善でもなく、悪でもない、ありのままの世界(涅槃・戯論寂滅)」へ
至らしめるための教法、筏だったことを明かします。
(世俗諦:善、悪 → 勝義諦:善にもあらず、悪にもあらず)
このように、善にも悪にも偏らないことが中道です。「苦・楽」や「有・無」を代入してもOKです。
ですから、「善・悪」という言葉は、諸仏が用いれば戯論寂滅へ導く方便になりますが、
凡夫が使うと、見解・戯論にもなり得ます。有所得とも言います。
> お気に触ったのでしたら御免なさいね
いえいえ、興味を持って聞いてくださる分には全然大丈夫ですよ

4 :
 
644 名前:Classical名無しさん[sage] 投稿日:2012/12/23(日) 14:19:47.63 ID:noEr/GcP [1/3]
確かに、究極の勝義から言えば非虚妄非非虚妄ですね…では、そこまで順を追ってそこまで議論を進めます。
まず、部派や実在論者や常見に陥っている者は、「xは常に変わることなくxである」
という、誤った理解に陥っています。虚妄なる法を、虚妄ならざる法だと顛倒している者です。
諸仏は、これを破るために、「それは虚妄であり、xはxであると思ってもいずれ非xになってしまう」と諭します。
これは、世俗的には「虚妄ではない」が真実とされますが、勝義諦としては「虚妄である」となります。
この話には続きがあります。もし、ここで、「虚妄である」と教えを聞いて、
「そうか!一切は虚妄なんだ!」と、「虚妄こそ真理」であると考えて教えに迷うものが出てきます。
そこで初めて、諸仏は虚妄、非虚妄、これはどちらも世俗的な真理であり、勝義から見れば非虚妄非非虚妄である、と明かします。
(なぜならば、xは非xに変わると言っても、人々は依然としてそれをxと仮説して意思疎通ができるから)
何を言いたいのかといいますと、「xは常にxだ!」というレベルの者に、「非虚妄非非虚妄」という教えは早すぎます。
別の例で云いますと、十二縁起の順観、「生」を釈尊は 〔 正しからぬ道 〕 とし、逆観の「滅」を 〔 正しい道 〕 としました。
世俗諦:生 → 勝義諦:滅 となります。生を転じて滅にならしめます。
ところが、教えに迷って「滅こそ至高!」と考える者が出てきます。実在の滅を考えてしまいます。
そこで初めて、世俗諦:生、滅 → 勝義諦:不生不滅 という教えが出てくるのです。
「生」と「滅」には「常」と「無常」、「有」と「無」を代入しても同じです。

5 :
 
645 名前:Classical名無しさん[sage] 投稿日:2012/12/23(日) 14:25:59.23 ID:noEr/GcP [2/3]
ちなみに、私は『中論』13-1は大滝さんの言うように、反対者の偈頌として仮に処理したとしても、
事態はそう大きくは変わらないと思います。
諸仏の言う「虚妄である」は、「虚妄ではない、人は常に人である」という見解を破るための、
方便・仮説・正説となりますが、反対者の言う「虚妄である」は、諸仏の「虚妄である」という
教えを受け取っては、「虚妄こそ真理」というように、教えに迷って言われたものなので、戯論・見解となります。
「虚妄である」という言葉1つをとっても、その発言者がどのような意図で言うのかどうかで、教えにもなれば、戯論にもなります。
諸仏は、「非虚妄非非虚妄」であると知って、「虚妄である」と言います。導くために。

6 :
 
622 名前:1/2大滝秀治[] 投稿日:2012/12/20(木) 16:58:11.56 ID:lQuvX9hz [1/3]
おじゃます。野暮用で、大変遅くなりました。
急いでますので、中論13章について現在は以下のように把握している、ということで返事代わりにさせてください。
・13-1『「およそ執着されたものは虚妄である」と世尊は説き給うた。そして、すべて形成されたものは執着されたものである。
   それゆえに、もろもろの形成されたものは虚妄なのである。』
★この偈は同7-34(如く)、24-18(相対の仮設)の仮観と矛盾します。「非虚妄非非虚妄」(四句第4)というべきです。
もし龍樹の偈なら、龍樹は透徹できておらず、反対者の偈なら誤解ゆえ、反駁は容易です。
しかし、編集が拙劣です。チャンドラキールティ(月称)のコピー間違いか?
・13-2『もしも、執着されたものが虚妄ならば、そこにどのような得るところがあろうか(なにも得るところはない)。
   ところで、このことは世尊によって説かれたが、それは一切は空であることを明らかにするためである。』
    ★同じく、これが龍樹の偈なら龍樹は透徹できていないといえます。同25-10・15⇔16・24 .Sn.1119 参照。
     拙劣な編集です。まともなら、誰の偈なのか明解にすべきです。公案集じゃないんだから。
・13―3『もろもろのものについて<自性の無いこと>(無自性)が成立する。なぜなら、それらのものについて変化することがみられるから。
    しかし、それ自体(自性)を有しないものは、(実体として)存在しない。なぜなら、もろもろのものに空性があるから。』
    ★後段を実体としての様相を問うものと解するなら、龍樹の偈として一貫します。
     ものは自性がないから変化するように知覚されるが(仮観)、そのものとしての実体はありません(空観)。
     仏法は、機能的には縁起であり、内容的には無自性(前段)無実体(後段)の空⇒中道なのです。
     自性を機能的に定義すれば、自立性・単一性・恒常性であって、「無為法」や「超越主義」は縁起撥無の反仏法としかいえません。

7 :
 
623 名前:1/2-2大滝秀治[] 投稿日:2012/12/20(木) 17:04:45.23 ID:lQuvX9hz [2/3]
・13-4『もしも、自性を有しないならば、何ものに<変化するという性質>が有るだろうか(変化する性質はある)。
   もしも、自性を有するならば、何ものに<変化するという性質>が有るだろうか(変化する性質はない)。』
    ★このように解すると龍樹の偈として一貫します。
・13-5『(実体としての)ものには<変化するという性質>が無い。
    また(実体としての)他のもの(他の状態に達したもの)にも<変化すると言う性質>は適合しない。
    なぜなら、(実体としての)青年は老いることがないし、(実体としての)老いた者も老いるということがないから。』
    ★非無常非恒常(四句第4)が中道示唆です。
    「老いる」は「老いる」ではない、「老いる」そのものがない。ゆえに「老いる」といいます。
・13-6『もしも(実体としての)そのものに<変化するという性質>が有るならば、
    例えば(実体としての)RそのものがRであることを捨てないで酪となるであろう。
    また、Rとは異なる何ものか(例えば水)について、(実体としての)それが水であることを捨てないで酪となる、ということがありうるであろう。』
     ★実体のものに<変化するという性質>はありえないのです。

8 :
 
624 名前:2/2大滝秀治[] 投稿日:2012/12/20(木) 17:11:30.18 ID:lQuvX9hz [3/3]
・13-7『もしもなにか不空(非空)というもの(実体)が有るならば、(その否定としての)空というものが有るであろう。
    しかるに不空(非空)というものは何も存在しない。どうして空なるものが存在するだろうか。』
    ★空であるとはものではなく様相(方便)です。
・13-8『一切の執着を脱せんがために、勝者(仏)により空が説かれた。
    しかるに人がもしも空見をいだくならば、勝者はその人々を「癒されない人」と呼んだのである。』
    ★この偈は重要です。
     Sn.653・874・1072(想いからの解脱において解脱)・1119参照。
     空観に直指肯定文言はありえないのです(中論 帰敬序、25-3参照)
     本偈は真言密教(空海)の「果分可説」の直接的な批判となっています。
                                 以上

9 :
>>1
乙です〜
あれ、精神疾患スレってもう2度と書き込めない感じですか?
ちなみに>>1さんは何者…?

10 :
 
467 名前:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. [] 投稿日:2012/11/13(火) 09:40:58.10 ID:3ZE7Eotv [1/2]
>諸仏は二諦に依り衆生に説法される
この二締といふのは理論物理学で説明した方が早い。
電車が動いてる(走ってる)状態で、その中におる乗客は果して動いておるだろうか?
アインシュタインはこのようなことを考えた。
電車は動いておったとしても、乗客は停止したまんま。だと理論ではなる。
試しに、
乗客が電車内でジャンプをした場合、もし動いておったのならば、
着地点は後退するだろ?
アインシュタインは、着地点は後退するどころか発地点になることを発見した。
これが相対性理論の基本になるところでつ。
@乗客は動いていない。→これは正解
A第三者からすると、乗客は動いている。→これは正解。
そして・・・
静止しておるはずの第三者が、実は動いておるんですね。
これを発見して、そしてアインシュタインは、こう言うたんでつ。それは、
「あらゆるものは、必ず動態であり静止しておるんものは無い」。これですね。
じつは覚者というもんは、高度は理論物理学をマスターしておったのです。
しかし私が掲示板に、このような事を書いても、
その意味というのがチンプンカンプンののではないですか?
(つづく)

11 :
 
>>9 644 さんへ
> あれ、精神疾患スレってもう2度と書き込めない感じですか?
ERROR:このスレッドは512kを超えているので書けません!
↑ これが表示されて書き込み出来ないようです
  _  _  _
> ちなみに>>1さんは何者…?
私は小学4年生の頃に
落武者の霊を、ハッキリ、クッキリ、目撃して、それ以来
オカルト原理主義に傾倒している状態の者です
一応、教学として
唯識・根本仏典・中論・般若経などの解説書を読んで
勉強している所です
私の場合は
オカルト原理主義に傾倒している状態なので
仏教スレの偉い先生の方々から
頭ごなしに叩かれている者です

12 :
 
468 名前:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. [] 投稿日:2012/11/13(火) 09:42:06.01 ID:3ZE7Eotv [2/2]
(つづき)
実は、相対性理論においても、大学生くらいの学力で本当に理解できるのは10パーセント
くらいだそうです。
つまりそれだけのアタマしかないのは事実であります。
しかしながら・・・
禅者は無意識のうちに宇宙論にまでそれは到達できるのであります。
これがいわゆる多次元論であります。
多次元でモチーフとなるのは、ブラックホールですね。
しかし今の理論物理学は、陰因子を通り越して、それで暗黒物質らしいです。
ここまでくると、私もどうにもなりません。
アタマが狂ってしまいそうです。
そこまでやる必要性はないのです。
相対性理論で充分ですから、これを先ずマスターすることが肝要でしょうね。

13 :
なんや?ややこしいいなw
ん〜〜、身体が二つ欲しいw
>「xは常にxだ!」というレベルの者に、「非虚妄非非虚妄」という教えは早すぎます。
>「虚妄である」という言葉1つをとっても、その発言者がどのような意図で言うのかどうかで、
たしかに相手を見て法を説くということはあると思います。
例えば、中論18‐6では説法シーン毎の待機説法ノウハウマニュアルを開示し、
『もろもろのブッダは(1)「我(アートマン)が有る」と“仮設”し、*←自我を無視する唯物論者用の仮設&仮説法
   (2)「無我(アナートマン)である(我が無い)」とも説き、*←我執者用の「一切内」説法
   (3)また「我なるものは無く、無我なるものも無い」とも説いた。』
      *↑無我執者用の説法(無我との「想い」からの解脱Sn.1072)、 四句第4:非有我非無我
 これらはコンサルティングの現場でのコンサルタント用マニュアルです。

14 :
>>11
>↑ これが表示されて書き込み出来ないようです
了解です
>オカルト原理主義に傾倒している状態の者です
そうでしたか。だとすれば、やはり縁起を学ばれて体感されるのがぴったりだと思います。
といっても、私も全然体感できませんけどorz

15 :
 
472 名前:Classical名無しさん[] 投稿日:2012/11/14(水) 09:59:59.56 ID:NFFH0whw [1/2]
 ,/   ,..:::=ー,..:-=-::、
     (( 、、_/ i'´ / _....,_ `ヽ
  、ヽ ミゞ ゝ ヽ/ ; r','"⌒~^'ー::、
  ''=,ミ -- ' ^ ~ ^ ニ _ ^ヾー-:、 ミ:、
  ∠./,:=ニニ - 二 =ー::、 ^ ミ 、 ー
,.::-=ニ'レ,.:--‐   ー--:: 、ヽ ヽ ミ ヾヽ
/,,.-‐i ;::::::-、  !  .;:::::;;;::;、 ; ヽ  ミ  、ヽ、
〃./'i ,,:=:, 、   _ ,:=::.、  .;   ニ  ヾミ、_
,! i l,γ @> ゙:.  .: k @ ミ:、 .i ,:-'   、^ミ=-
ノ. !,tゞニ彡'ノ : . ^ミ=ニイ、、  彡ソヘ ヾヽヽ、
/. レ   /  :. '-、     :,  / ,ソミ:、 〉 )
  | / /ゝ、_ノ..,)ヽ   、 l  i /ヽヾ j λ
  ! ヘノ/ノ川 !.ヘヾ、ミ、 i  :l  ハノ .)ノ人 ヽ、
   !.i^'=ァ〜'T''⌒ナヾヘ !  i /`´
   ヽ、`l  ;  /,/ / ./ノ
    ヾ、i. ;  〃゙  / ,.ノ'´ ほぉ〜 そうかい ホッホッホッ
      ヾゝi_,ノ   ノ/
      ヽ、_,,../゙          ば〜〜〜〜〜〜かw
                  時空は縁起なんじゃよ
そんなことより、四諦はどーした。

16 :
>>9
ところが中論13章はそういう類の説法マニュアルのシーンを想定したものではありません。
『自性』という重大な根本タームを問題にする以上、まさにプロ同士の激しい哲学的論争の章というべきです。
中論はまさに論戦で海千山千のスコラ部派(説一切有部など)連中をブチ倒すことを直接的な目的で書かれたものです。
そんな“〜という教えは早すぎます”とか、「導く」、なんて親切心は龍樹にはさらさら無かったと思います。無駄です。 
法有論で「自性」を堅く理論構築している知的エリート連中は従順な子供ではないのです。
それどころか、必死であらゆるレトリックを駆使して相手を論破し党派としての優位性を確立しなければならず、
二諦説をストレートにぶち込まなければハナシにならなかったはずです。
ポイントは法有論(自性有り)を破説することですから、自性(svabhāva स्वभाव)批判が中心となります。
<自性・実体がない> → <虚妄である>は空見(中論13-8)です。
縁起しているものは虚妄ではありません。勝義(空)に直指表現はありえません。成立文字はありません。
無自性とは、ものはあるように見えるだけで真実には無いのだ(虚妄)、というような表層的なことを言っているのではないのです。
般若智直覚の空(の如く)である(直接現実:無分別勝義)は、分別知覚の有⇔無の二項相対である(間接現実:分別世俗)とは相が違うのです。
ところが<自性・実体がない> ⇒ <虚妄の如く(←示唆)である>は成立します。
比喩ですから、言語不立の勝義(空)を直指しているわけではないのです。間接現実での示唆なのです。
従って、アタシの掴みは上記>>622->>624や質問箱>>175>>185となります。

17 :
 
>>13 虚妄の如く1/3 大滝秀治さんへ
いつも有り難う御座います
だけど
世俗の人にも、わかるような文章表現で御願い致します

18 :
>『中論』13-1は大滝さんの言うように、反対者の偈頌として仮に処理したとしても
あまりに拙劣な編集なので、あたしは必ずしもどちらとも言ってません。
・13-1・2の『虚妄である』のままでは、まさに13-8のいう“虚妄である”との『空見』です。
*↑たしかに帰謬論法なら反対者の偈として俎上にあげた、ともみえます。
・しかし、13-2で<「一切は空である」ことを明らかにするため>の文言は『法有論(自性有り)』ではありえず、龍樹の偈と言わざるを得ません。
 となれば13-1も龍樹の偈とするのが自然です(両偈とも「虚妄」です)。
そうなら(1)透徹していない(⇔中論7-34、大智度論初品中十喩釈論第十一、金剛般若経32の仮観と矛盾)と龍樹を批判するか、
         (2)原本がない以上、編集者自身が分かっていないか、誤記か、ということになります。
       
従って、正しくは、
・13-1『「およそ執着されたものは、あたかも虚妄のようである」と世尊は説き給うた。そして、すべて形成されたものは執着されたものである。
     それゆえに、もろもろの形成されたものは虚妄のようのである。』
・13-2『もしも、執着されたものが虚妄のようならば、そこにどのような得るところがあろうか(なにも得るところはない)。
    ところで、このことは世尊によって説かれたが、それは一切は空(の如く)であることを明らかにするためである。』となります。
                                               以上

19 :
 
☆ 卍 仏教 質問箱 卍 ☆ パート32
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1354584399/175
175 名前:大滝秀治[] 投稿日:2012/12/20(木) 18:15:04.08 ID:pVqiw4ZX [2/2]
中論13-8『一切の執着を脱せんがために、勝者(仏)により空が説かれた。
    しかるに人がもしも空見をいだくならば、勝者はその人々を「癒されない人」と呼んだのである。』
    ★この偈は重要です。
     Sn.653・874・1072(想いからの解脱において解脱)・1119参照。
     空観に直指肯定文言はありえないのです(中論 帰敬序、25-3参照)
     本偈は真言密教(空海)の「果分可説」の直接的な批判となっています。
> 「一切はファンタジー」ってのが、お釈迦さんの喝破の内容なんじゃないかい?
中論13-1『「およそ執着されたものは虚妄である」と世尊は説き給うた。そして、すべて形成されたものは執着されたものである。
   それゆえに、もろもろの形成されたものは虚妄なのである。』
★この偈は同7-34(如く)、24-18(相対の仮設)の仮観と矛盾します。
「非虚妄(ファンタジー)非非虚妄(ファンタジー)」(四句第4)と示唆べきです。
もし龍樹の偈なら、龍樹は透徹できておらず、反対者の偈なら誤解ゆえ、反駁は容易です。
しかし、編集が極めて拙劣です。誰の偈か明解に編集すべきです。
現に中観派の論師たちでも混乱しています。
チャンドラキールティ(月称)のコピー間違いか?

20 :
 
☆ 卍 仏教 質問箱 卍 ☆ パート32
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1354584399/185
185 名前:虚妄の如く 大滝秀治[] 投稿日:2012/12/23(日) 11:28:17.86 ID:5kMRGUZJ
レスありがとうございます。『議論スレなら放っておくつもりでしたが、 質問スレなのでついつい』レス返ししておきます。
休憩中の気休め?wになります。 
> 虚妄というのは、決して「虚妄だから言語表現できない」という意味ではありません。
そうではありません。虚妄だから言語表現するのです。
『虚妄』論者はすべてを世俗諦(間接現実)でしか見えていない虚妄=物語・ファンタジー・イリュージョンだからこそ、
逆に虚妄だと直接肯定言辞で言語表現してしまうのです。
たとえば、無想家の宝珠や、オイラ氏や、Sn.757にいう『愚者』のようにね(議論スレッド51など)
→まさに虚妄だ、とは『空見』です(中論13-8)。
石飛道子は完全に読み間違っています。
直接現実においては直接肯定的言辞はありえません。
間接現実からは“虚妄の『如く』”(←比喩)、“非虚妄非非虚妄”(←四句第4)、沈黙(維摩など)、気合音(喝〜ツなど)などのスタイルで示唆するしかありません。
これを> 『それはしばしのものでしかない』ゆえに仮設→仮観(中論24-18の趣旨)というのです。
あなたは中論24-18を掴めていない。
ものは自性がないから変化するように知覚されるが(仮観)、そのものとしての実体はない(空観)からこそ、言語ゲームとしてプレイするのです(中観)。
> 中論13-2では、このことは「空を闡明するものである」
もしこれが龍樹の偈なら龍樹は透徹できていないといえます。同25-10・15⇔16・24 .Sn.1119 参照。
仏法は、機能的には縁起であり、内容的には無自性(前段)無実体(後段)の空⇒中道(の如く)なのです。

21 :
>「導く」、なんて親切心は龍樹にはさらさら無かったと思います。無駄です。
うわぁ…この一言は、大滝さんと私の考え方の、大きな違いを表してますね…残念です。
> <虚妄である>は空見(中論13-8)です
「虚妄である」が空見になるかどうかは、言う人の態度によります。
吉蔵の『大乗玄論』の言葉を引用します。
「一往、相対して論ずるなら、常は戯論であり、無常は非戯論である。
また、無常は戯論であり、常は非戯論である。
また、常と無常を倶とすれば戯論である。非常非無常は非戯論である。」
「有所得の四句は並びに(四句すべて)戯論である。
無所得は方便をもって四句を説くため、悉く(四句すべて)非戯論である。
また、これは正説である。」
(常は非虚妄、無常は虚妄と置き変えても同じでしょう。
四句は、虚妄、非虚妄、虚妄非虚妄、非虚妄非非虚妄、ですね)
また、
「五蘊は我意識から生じたものであって、その我意識は真実には虚妄である。
もし種が虚妄であるならば、その芽がどうして真実に存在し得ようか。」
(龍樹「宝行王正論」1−29)
とありますが、「我意識は真実には虚妄である」は、空見ではないでしょう。
「これあるとき、かれある」の「これ」と「かれ」に代入されるものを、虚妄や無自性と言っています。

22 :
>>15
おお懐かしいアインシュタインの肖像ではないか。
それは、以前アタシが投稿したものさw
ところで、アインシュタインもモーツアルトが好きだった。
◆シゲティの演奏:「モーツァルト:ヴァイオリンソナタ K454 変ロ長調」
「音楽再生」http://www.yung.jp/yungdb/op.php?id=628 (Vn)シゲティ (P)セル 1950年代前半録音
を今聴いているが、
シゲティもいいが、ジョージ・セルのピアノがめっちゃイイ!
極めて構成的だが、音の粒立ちが鮮やかで、闊達な推進力がある。
実に偉大な指揮者だったが、指揮者にしておくのはもったいない!w

23 :
>『自性』という重大な根本タームを問題にする以上、まさにプロ同士の激しい哲学的論争の章というべきです
まあ、そういう見方が多いかもしれませんね。中村先生もそう解釈してるように見えます。
>法有論で「自性」を堅く理論構築している知的エリート連中は従順な子供ではないのです。
>それどころか、必死であらゆるレトリックを駆使して相手を論破し党派としての優位性を確立しなければならず、
これは、その通りだと思います。この論争、戯論を鎮めるために、『中論』は書かれたということでしょう。
石飛先生はこれを、「言い争わない論法」と言いますね。「論争(戯論)」を鎮めるための「論争(非戯論)」というところです。

24 :
 
>> 「導く」、なんて親切心は龍樹にはさらさら無かったと思います。無駄です
> うわぁ…この一言は、大滝さんと私の考え方の、大きな違いを表してますね…残念です
http://www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/Chuuron/Chuuron04a.htm
  _  _  _
中論卷第四 龍樹菩薩造梵志青目釋 姚秦三藏鳩摩羅什譯 觀如來品第二十二
空は則ち説けない!空でなくても説けない!
空、非空は共であろうと共でなかろうと説けない!
但だ仮名を以って説くのみだ!
  _  _  _
中論觀四諦品第二十四
衆因縁より生ずる法を、わたしは即ち是れは空だ!と説いた
何故ならば衆縁が具足、和合して而も物が生ずる!
是の物は衆因縁に属するが故に自性が無い!
自性が無いが故に空である!但だ
衆生を引導するが故に、仮名の空を以って説いた!

25 :
 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E8%AD%98
インドにおける成立と展開
唯識は、初期大乗経典の『般若経』の「一切皆空」と『華厳経』十地品の「三界作唯心」の流れを汲んで
中期大乗仏教経典である『解深密経(げじんみつきょう)』『大乗阿毘達磨経(だいじょうあびだつまきょう)』として確立した
そこには、瑜伽行(瞑想)を実践するグループの実践を通した長い思索と論究があったと考えられる
論としては弥勒(マイトレーヤ)を発祥として、無著(アサンガ)と世親(ヴァスバンドゥ)の兄弟によって大成された
無著は「摂大乗論(しょうだいじょうろん)」を、世親は「唯識三十頌(ゆいしきさんじゅうじゅ)」「唯識二十論」等を著した
「唯識二十論」では「世界は個人の表象、認識にすぎない」と強く主張する一方、言い表すことのできない実体があるとした
「唯識三十頌」では上述の八識説を唱え、部分的に深層心理学的傾向や生物学的傾向を示した

26 :
 
http://archives.bukkyo-u.ac.jp/infolib/user_contents/repository_txt_pdfs/bungaku88/B088R001.pdf
異教徒の主張するアートマンなどの〈 常住な自性 〉 ← 絶対不滅・常住不変のアートマン
経量部や瑜伽行派などが主張する〈 無常な自性 〉 ← 変化する自性のような 「 何かがある 」 と仮説する
  _  _  _
チベット仏教ゲルク派
http://rdor-sems.jp/index.php?%E8%AA%B0%E3%82%82%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E7%81%AB%E4%BA%8B
「空」の本当の意味を知るには、中観自立論証派と帰謬派の見解の僅かな差を吟味する必要があります
中観自立論証派と帰謬派の見解の僅かな差を吟味することによって「空」の意味を知ることができるのです
自立論証派と帰謬派の本質的な差異は、世俗の次元での自相(自性)の有無です
自立論証派は
「火を火たらしめている本質的な要素は、熱さや燃焼作用である。それは、火自体の側にある固有の要素だ」という自相を
世俗の次元では承認します
熱さや燃焼作用が火の自相として認められる・・・ということです
これは、私たちの常識的な考え方に近い立場でしょう
帰謬派は、そのような自相を、世俗の次元でも否定します
自相とは、「それをそれたらしめている本質的な要素がそれ自体の側にある」と私たちが自然と思い込んで執着している心の働きです

27 :
 
http://archives.bukkyo-u.ac.jp/infolib/user_contents/repository_txt_pdfs/bungaku90/B090L031.pdf
プラマーナと実在に関する問題の本質は対論者が
中観派にプラマーナにより一切法無自性は証明し得ない
なぜならプラマーナは実在を証明するものであるから
と詰問することと共通している
この実在論へのカマラシーラの対応は直接知覚に関しては
修所成慧としてのヨーガ行者の直接知覚により無我が悟られ
また実在が直観されることはないと論じ
実在論を論破し無自性論証へと導く
  _  _  _
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AB%E9%82%A3%E8%AD%98
末那識(まなしき)
唯識説の説く八識のうち第七識であり、第八識(阿頼耶識)を所依として、第八識の見分を所縁として生じる識である
睡眠中でも深層において働き続け
根源的な心である阿頼耶識を対象として、それを自分であると考えて執着し続ける
この深層的な自我心を滅することによって、我々は初めて真の無我行を実践することができる
第七識・末那識と相応するものは、我癡・我見・我慢・我愛の四煩悩

28 :
>般若智直覚の空(の如く)である(直接現実:無分別勝義)は>、分別知覚の有⇔無の二項相対である(間接現実:分別世俗)とは相が違うのです
いえ、二諦は相即します。「世諦即第一義諦」、「生死即涅槃」と言われる所以です。
「諸法(は)実相(である)」と言っても良いでしょう。『大乗玄論』には、
「唯だ一つの実諦なのであるが、方便によって二諦と説く」と説かれます。
石飛先生が、「世俗諦も第一義諦もすべて地続きの地平である」
「世俗諦を超えたところに第一義諦があると思うのは、やはりどこかに誤解があるだろう。」と仰る通りです。
> <虚妄の如く(←示唆)である>は成立します。比喩ですから
直喩だけではなく、隠喩というものがあるでしょう…。どちらも喩えです。
また、大滝さんは「虚妄」という言葉に「虚妄」という意味を読み取っているように見えます。
「如来は常をとり去るために無常を説くのであり、これは無常(そのもの)を謂うのではない。
実(体性)をとり去るために空と言うのであり、これは空(そのもの)を謂うのではない。
我をとり去るために無我と言うのであり、これは無我(そのもの)を謂うのではない。
相をとり去るために寂滅と言うのであり、これは寂滅(そのもの)を謂うのではない。」
(僧肇、『注維摩』大正蔵38巻、353頁)
虚妄は、有自性を破るための方便・仮説ですよ。

29 :
 
> 世俗諦を超えたところに第一義諦があると思うのは、やはりどこかに誤解があるだろう
↑ この説明よりも
  _  _  _
http://www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/Chuuron/Chuuron03a.htm
中論觀法品第十八
八聖道分を修習して、我、我所を滅する因縁の故に、無我、無我所を得て、智慧を決定する!
  _  _  _
『何か常識的なものを超えて解脱に至る!』
↑ この説明の方が、わかりやすいような気がします

30 :
 
>>29 の補足です
第六表面意識による
「〔有ではない無でもない〕と言う哲学的な思惟に固執してはいけない」
「何か常識的な概念などに固執してはいけない」
  _  _  _
末那識(まなしき)とか阿頼耶識(あらやしき)などに働き掛けて
「常識的な概念の殻を打ち破って涅槃にRっ!」
と言うような意味合いです

31 :
>>29
>>30
独り言のようにも見えるので、返信しないでもよいですか…w

32 :
 
>>30 の補足です
(自性)自相とは、「それをそれたらしめている本質的な要素がそれ自体の側にある」と私たちが自然と思い込んで執着している心の働きです
それ自体の側に「自性のような何かがある」と思い込んで執着している心の働きです
この何かに執着している心の働きを
末那識(まなしき)とか阿頼耶識(あらやしき)などに働き掛けて
「〔何かについての思い込みの〕殻を打ち破って涅槃にRっ!」
と言うような意味合いです

33 :
 
>>31 さんへ
> 独り言のようにも見えるので、返信しないでもよいですか…w
どちらでも OK です

34 :
>>33
了解です。私は唯識はあんまり分からないので、ちょっとずつ勉強していこうと思います。
では、そろそろ遊びに行ってまいります〜

35 :
 
>>34 さんへ
> 遊びに行ってまいります〜
↑ 気をつけて行ってらっしゃいませ〜
  _  _  _
礼拝帰依 ブッダン サラナン ガッチャーミ
普礼真言 オン サラバ タタギャタ ハン ナマンナノウ キャ ロミ
地蔵菩薩 オン カカカビ サンマエイ ソワカ
  屮(_ ._)屮   屮(_ ._)屮   屮(_ ._)屮

36 :
 
http://sankei.jp.msn.com/world/news/121224/amr12122412070001-n1.htm
マヤ遺跡の神殿が一部破損 観光客、禁止区域立ち入りか 2012.12.24 12:06 [南北アメリカ]
中米グアテマラ北部にあるマヤ文明のティカル遺跡で、
マヤ文明の暦が「新たな時代」に切り替わるのを祝うため
今月20〜21日に行われた式典に多数の観光客が訪れた後、
神殿など歴史的建造物の一部が破損しているのが確認された。
観光客が立ち入り禁止の階段を上ったことなどが原因とみられ、
ティカル国立公園の管理担当者は「公園のルールを守ってほしい」と訴えている。
有力紙プレンサリブレが23日までに伝えた。
同紙によると、
主要な建造物の「2号神殿」や「南のアクロポリス」で、
階段の角が削れるなどの被害が見つかった。
ティカルの式典にはペレスモリナ大統領らが出席。
遺跡をライトアップし、
先住民の宗教指導者が「新時代」の到来を祝うなどした。
大災害や人類滅亡などの終末論と関連づけて世界的な関心が集まり、
6千人以上の観光客が訪れた。(共同)

37 :
 
640 名前:Classical名無しさん[] 投稿日:2012/12/22(土) 20:53:07.00 ID:pDvw9941
マスコミは騒ぐのが仕事、トラブルイベント飯の種、興味関心注目を集める為なら誇張扇動捏造もする
十分なリテラシー教育を受けていない者ほど偏向思想デマ宗教エセ科学に感化洗脳される
史上最大のトンデモ本は新約聖書/感情自己責任論
  _  _  _
机先生と、隠居先生
ここの場所を見つける事
出来るかしら? おじゃる?

38 :
 
http://www.47news.jp/medical/2012/12/65.php
宮崎の病院で集団感染 ノロウイルス6人死亡、入院患者5人重症 2012/12/24 12:46 【宮崎日日新聞】
宮崎県は23日、
日南市南郷町の医療法人春光会東病院(加藤久仁彦院長、64床)でノロウイルスによる感染性胃腸炎が集団発生し、
14〜22日に78〜88歳の男性入院患者6人=いずれも日南市=が死亡したと発表した。
同病院が県に死亡者の報告をしたのは5人目が亡くなった後の22日午前で、1人目の死亡から8日後だった。
このほか76〜90歳の入院患者5人が重症で、酸素吸入の措置を受けている。
県は医療機関や社会福祉施設などにあらためて感染予防策の徹底を呼び掛けている。
県によると、県内での死亡例は2010年12月以来で、今季の集団感染による死者数としては全国で最多。
同病院は17日から外来診療を休診している…

39 :
>>21
アタシの定義では、およそ妄想分別が言語に表れる場合のその語や文章・指示する言語論理を『戯語』『戯論』と言っています。
>吉蔵の『大乗玄論』の言葉
上記の吉蔵の言語論理全体(これがまさに戯論ですがw)の中で、間接現実からの直接現実“示唆”という機能で見る限り、
唯一四句第4『非常非無常』だけが非戯論といえます。
間接現実で両端否定形式で言語矛盾を相殺している非二項相対であること、
また直接現実の直指表現(空は表現できない)ではないからです。
他の四句第1〜3は分別戯論です。
>『無所得は方便をもって四句を説くため、悉く(四句すべて)非戯論である。 また、これは正説である。』
>「虚妄である」が空見になるかどうかは、言う人の態度によります。
吉蔵は“方便云々”といいますが主観目的で論理の性格を左右すべきではありません。
上記は正説ではありません。吉蔵は誤っています。
主観的な目的(無所得・利他意識)が正しいならば、すべてが戯論でなくなるというのは、ご都合主義発想と批判されるべきです。
妄想分別はあくまで分別戯論です。
これら発想は、オウムのポア思想とおなじく、“方便”で“虚妄”の人間を殺してもカルマ(業)を軽くする善行だという論理に直結します。
アタシが『虚妄』論(空観)に反対し、『虚妄の如く』論(仮観)を重視するのは、
チベット密教や真言密教の空=虚妄だから殺戮OK!に反対するのと同じ動機からです。
密教タントラ・ヴァジラヤーナ(秘密金剛乗) 五仏の法則(真言宗の金剛経などにも見られる教え)を
仏教議論スレッド49を中心に批判してきたのもあまりに仮設『仮観』(中論24-18)を軽く見がちだからです。
悪手空観であって中観ではありえません。

40 :
>「五蘊は我意識から生じたものであって、その我意識は真実には虚妄である。
>もし種が虚妄であるならば、その芽がどうして真実に存在し得ようか。」 (龍樹「宝行王正論」1−29)
>「我意識は真実には虚妄である」は、空見ではないでしょう。
空見です。
もし「宝行王正論」が龍樹の著作なら、龍樹は誤っています。
「真実」は戯語です。真⇔偽の相対は中道ではありません。相対の仮設語(中論24-18参照)です。
ついでに23-2(真実)、24-8・9・10(真理)も誤りです。
それこそ、よく使用される『真如』=“真の如く”、『如来』=“(彼岸から)来るが如く”←仮観というように表現べきです。
間接現実からの比喩による直接現実(中道)示唆だからです。
「虚妄」も戯語です。虚⇔実の相対は中道ではありません。
この文章そのものが空見です。
ついに龍樹は透徹していなかった、というべきです。
中論は全面改訂を必要とします。
まあ、自家薬籠中のものにすれば、いかに勝れたポンコツ筏でも、捨てるのが当然でしょう。

41 :
 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%A6%B3%E6%B4%BE
天台宗の「三諦偈」「一心三観」「円融三諦」
天台宗の教理を通して、中観思想を理解しようとする際には、注意が必要である
慧文禅師に始まる天台宗では、クマーラジーヴァ(鳩摩羅什)による漢訳『中論』の、第24章18詩である
「衆因縁生(因縁所生)の法、我即ち是れ無(空)なりと説く。亦た是れ仮名と為す。亦是れ中道の義なり。」
(どんな縁起でも、それを我々は空と説く。それは仮に設けられたものであって、それはすなわち中道である。)
における「空」「仮」「中」を、それぞれ別々の真理(諦)と捉え(「空諦」「仮諦」「中諦」)、
この文を、その「三諦」を説いているものとして「三諦偈」と呼ぶ
ここでは
「空」と「仮」が、「無」(断見)と「有」(常見)の「二辺」として捉えられてしまっており、その「空観」と「仮観」の対立から
「中観」(「非有非空の中道」)を見出すこと、あるいは
これら「三諦」を一体的なものとして観ずること(「一心三観」「円融三諦(三諦円融)」)などが、説かれる

42 :
 
>>41 の続き
『中論』の原義から言えば、「空」(空性)も、「仮」(仮名・仮説・仮設)も、「中」(中道・中観)も、
全て、「縁起」「無自性」の言い換えであり、
同じ内容を違う言葉・表現で言い表してるだけ、ただの「同義語」として使用しているだけに過ぎず、
対置・対立させるような関係にはそもそもないのであり、ましてや、
「空」や「仮」を、「無」(断見)や「有」(常見)の「二辺」と混同してしまうような、
上記の捉え方は、端的に言って、解釈としては、明確に誤りである。
(ちなみに、三論宗の宗祖である嘉祥大師吉蔵もまた、
(全面的ではないにしろ)こうした「三諦」の解釈を承認していた。)
こうした天台宗・中国仏教的な「誤解」を、前向き・好意的に捉えることもできなくはない
(実際、語彙・概念にまつわる誤解は混じっているものの、
「空」という概念もまた「非空」なる諸々の概念と相互依存的に成り立っているとも見ることができるし、
「空」概念の実体視や、そこへの執着を避けるためには、
「空」概念もまた相対化されるべき対象になるわけで、そういった点では発想としては間違っていないし、
冗長ではあるものの、丁寧にもう一歩踏み進んだものだとも言える)
が、少なくとも、『中論』の正確な理解や、
その主旨である「縁起」「無自性」の正確な読み取りを考える上では、
確実に妨げになるということだけは、踏まえておいてもらいたい。

43 :
反日石破は官僚の犬!
【円安】 自民党の石破茂幹事長、適度な円相場「1ドル=85〜90円ぐらい」★3
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1356127992/
財務省のとあるデータでは
円相場は87円位が「財務省にとって」都合よくてそこらへんに収めたいらしい。
許すな!!

44 :
 
http://kyushu.yomiuri.co.jp/news/national/20121224-OYS1T00272.htm
ノロウイルス集団感染か、日南の病院で患者6人死亡 2012年12月24日 読売新聞
宮崎県は23日、
同県日南市南郷町東町の医療法人春光しゅんこう会「東ひがし病院」で、
入院患者や病院職員ら計44人が嘔吐おうとや下痢などの症状を訴え、
うち78〜88歳の男性患者計6人が死亡、
76〜90歳の男女の患者計5人が重症と発表した。
現在入院中の患者5人からノロウイルスが検出され、
同県はノロウイルスによる感染性胃腸炎が原因とみて調べている。
同県によると、ノロウイルスが原因とみられる集団感染による死者数としては、
全国で今季最多という。

45 :
 
http://sankei.jp.msn.com/life/news/121224/edc12122417130000-n1.htm
心病む教員、5200人 原因は多忙や保護者対応 11年度文科省調査 2012.12.24 17:13
2011年度にうつ病などの精神疾患で休職した公立小中高校などの教員は
前年度より133人少ない5274人だったことが24日
文部科学省の調査で分かった
2年連続の減少だが
調査を始めた1979年度の約8倍で
依然として深刻な状況が続いている

46 :
>>28
>二諦は相即します
当然です→中論25-19。
それは、分別相(仮観:色)と無分別相(空観:空)の二相<色即是空>を、
覚者にとっては無分別の分別(中観)として相即する<空即是色>、ということです。
凡人と覚者を同じには扱えません。
二相の相即を体得できないから、たとえば坐るのです。
『二相の相即的実践』はアタシのキーワードです(仏教議論スレッド47>>244)。
ちなみに『諦』が真理を意味するなら、第一義“諦”の語は誤っています。
だからアタシは、「間接現実」「直接現実」と言い換えています。
仏法の仏法たるゆえんは“縁起”です。
縁起の現実は事実であって、理性による分別判断(→真理)ではないからです。
縁起の現実に、・分別知覚・記憶・判断を通す「間接現実」と、
       ・無分別智(般若智)直覚による「直接現実」の様相を観ます。

47 :
>大滝さんは「虚妄」という言葉に「虚妄」という意味を読み取っているように見えます。
インターネットというバーチャル空観を含む間接現実は、
まさに二項相対の言語ゲームの世界<一切は言語的存在であり、意味的存在である>ですから
当然「虚妄」という意味をとります。
そうでなければ娑婆では慶安に暮らせません。白痴入院とか生活保護では、娑婆では大迷惑です。
しかし、直接現実は、一切は空(の如く)であり、
無意味・無価値・無実体・無相・無矛盾・無想・無分別の中道=時空際断(の如く)です。

上記僧肇、『注維摩』の趣旨は戯論寂滅(中論25-15→25-16:Sn.1072参照)のコンセプト(『〜をとり去るために』)ですが、
残念ながらこれはダメでしょうw
<毒(言語論理←戯論)をもって毒(言語論理←戯論)を制する>ことは不可能です。
それ自体が毒(間接現実)に他なりません。
たとえば、あなたは、
・『飛ぶ矢は、飛ばず』(ゼノンのパラドックス)
・『去るものは、去らず』(龍樹)
・『龍馬がゆく』(大滝秀治)
これらの文言を@寂滅(“『〜をとり去る』:僧肇:『有自性を破るため』)させ、且つA涅槃へ導くことなどできますか?
オイラ氏に何度も“範例”の提示をお願いしているのですが、逃げておられますw
やはり、大死一番! 分別知(間接現実)から⇒無分別智直覚(直接現実)への飛翔(ジャンプ!)が必要です。
そのための四諦『八正道』でしょう。
以上

48 :
 
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/pdf/mulama25.pdf
輪廻にある存在と涅槃との間には
わずかな違いすら存在しない
涅槃と輪廻にある存在との間には
わずかな違いすら存在しない(中論25-19)

49 :
 
仏教議論スレッド47
http://mimizun.com/log/2ch/psy/1349669547/244
244 :2/2大滝秀治 :2012/10/12(金) 09:22:46.57 ID:sYGvmiW3
で、実践ですが
「坐水月道場(色即是空) 修空華万行(空即是色)」
⇒<出世間のまなざしで、世間の只中で慶安に遊ぶ(生きる)>ですから
坐るときも、日常の仕事も遊びもエッチも、釜ヶ崎でも、TPOが変るだけで、同じです
変えようがありません
即ち、<二相の実践的相即>(*←アタシのキーワード!:中論25-19)です
 *但し!一即多とか、法界は一味だ(>>78)とかの華厳的思想→不二一元論などの、あんなチンケ思想ではありません
生きる(存在)は遊びですから、慈悲とか功徳とか回向だとかの、肛門が痒くなりそうな構えて御立派で御大層な意識なんて
まるでありません
やりたいようにやっているだけですよ
ただ、煩悩あればこその「遊び」ですから、“二念を継がず”は意識しています
最終的には、もうそろそろいいかなと思ったときは、周囲に迷惑をかけないためにも
山中で断食で変相(ゲームオーバー)することに憧れています
龍樹や空海さんやジャイナ教の真似ですけどねw
熊やカラスなどの餌として役立てばいい
そうです、『ニンゲンは犬に食われるほど自由だ』!
ガンジスの川辺でくたばっているオヤジなんか『なんてダンディな奴だ。』!(藤原新也「メメント・モリ」p20,22、28)
めっちゃんこカッコよくて、このオヤジに満腔の共感あるのみです

50 :
 
【ブッダのことば】スッタニパータ<中村 元訳>
http://homepage3.nifty.com/hosai/dammapada-01/suttanipata-all-text.htm
1072
ウバシーヴァよ
あらゆる欲望に対する貪りを離れ、無所有にもとづいて
その他のものを捨て、最上の<想いからの解脱>において解脱した人
かれは退きあともどりすることなく、そこに安住するであろう

51 :
 
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/pdf/mulama25.pdf
涅槃は存在でも、まったく存在しないものでもないものだ
と言われる
もし存在と、まったく存在しないものとが証明されるなら
このことも証明されるであろう(中論25-15)
もし涅槃が
存在でも、まったく存在しないものでもないのだとして
「存在でも、まったく存在しないものでもない」というのは
誰によって説かれたものなのだろうか(中論25-16)
涅槃へと行かれてしまった後
勝利を得た征服者は存在しているとも言われず
まったく存在していないとも言われない
その両方だとも言われず、両方でもないとも言われない(中論25-17)
したがって勝利を得た者がその状態でとどまるとき
彼は存在しているとも言われず
まったく存在していないとも言われない
その両方だとも言われず、両方でもないとも言われない(中論25-18)

52 :
 
http://sankei.jp.msn.com/science/news/121224/scn12122418080002-n1.htm
日本海側、大雪警戒を 気象庁、北日本で 2012.12.24 18:07
気象庁は24日
強い冬型の気圧配置の影響で25〜26日にかけて北日本(北海道、東北)の日本海側と北陸を中心に大雪の恐れがあるとして
交通機関の乱れや雪崩に警戒するよう呼び掛けた。北日本では非常に強い風も吹き、暴風雪になる所もある
気象庁によると、25〜26日にかけ、前線を伴った低気圧が発達しながら北日本を通過し、冬型の気圧配置が強まる見通し
25日午後6時までに予想される24時間降雪量は、いずれも多い所で東北と北陸40センチ、北海道30センチ、近畿20センチ
26日は北日本と北陸でさらに増える見込み

53 :
 
全国地震動予測地図 - 地震調査研究推進本部
http://www.jishin.go.jp/main/p_hyoka04.htm
http://www.jishin.go.jp/main/p_hyoka04_jishindou.htm
http://www.jishin.go.jp/main/chousa/12_yosokuchizu/index.htm
http://www.jishin.go.jp/main/chousa/12_yosokuchizu/2012hikaku.pdf
都道府県庁所在地の市役所(東京は都庁)及び
北海道の総合振興局・振興局庁舎付近(庁舎位置を含むメッシュの中心位置)において
今後30年以内に震度6弱以上の揺れに見舞われる確率(平均ケース) (PDF 73 KB)

54 :
>もし「宝行王正論」が龍樹の著作なら、龍樹は誤っています。
>僧肇、『注維摩』の趣旨は…(中略)…残念ながらこれはダメでしょうw
>上記は正説ではありません。吉蔵は誤っています
わろたw 大滝さんははじめっから伝統説、というのかな。
テキストに書いてあることを書いてある通りに理解するんじゃなくて、
持論をまず正しいという前提にテキストを利用するってタイプだったんだね
それなら、やっぱり質問スレに書き込むべきじゃないと思うよ
>アタシの定義では
ほら、やっぱりきた!言葉の中に、意味を一意に定めて定義しちゃってるでしょ?
中村先生もそう、空=非有非無って定義しちゃうんだよなぁ、そういう西洋的な文献学の方法がまずいのに
「去りつつあるもの」という言葉の中に「去る作用」という意味を与えて定義するなって龍樹も言ってるじゃ〜ん
それは、一切の言語活動を破壊するよ
> <毒(言語論理←戯論)をもって毒(言語論理←戯論)を制する>ことは不可能です
まじすか。じゃあ、釈尊とか諸仏の説法は全部、戯論ってこと?
>これらの文言を@寂滅(“『〜をとり去る』:僧肇:『有自性を破るため』)させ、且つA涅槃へ導くことなどできますか?
「xです」という教えを受け取る者が、「なるほどxこそ真理!」と、見解として持ってしまう限り、大滝さんの言うように、無理ですねぇ
教えを説く者に方便があっても、教えを受け取る者が無方便では、教えは教えにならない、と吉蔵が言っている通りですね
>分別知(間接現実)から⇒無分別智直覚(直接現実)への飛翔(ジャンプ!)が必要です
この辺り、字面だけ見ると、そんなに間違ったことは言ってないんですけどねぇ…

55 :
 
>>32 の続き
(自性)自相とは、「それをそれたらしめている本質的な要素がそれ自体の側にある」と私たちが自然と思い込んで執着している心の働きです
この何かに執着している心の働き
これに対して
【ブッダのことば】スッタニパータ<中村 元訳>
http://homepage3.nifty.com/hosai/dammapada-01/suttanipata-all-text.htm
795
(真の)バラモンは、(煩悩の)範囲をのり超えていてる
かれが何ものかを知りあるいは見ても、執著することがない
かれは欲を貪ることなく、また離欲を貪ることもない
かれは(この世ではこれが最上のものである)と固執することもない

56 :
 
普礼真言/オン サラバ タタギャタ ハン ナマンナノウ キャ ロミ
  屮(_ ._)屮   屮(_ ._)屮   屮(_ ._)屮
題目って真言の事ですよね?
  _  _  _
☆ 卍 仏教 質問箱 卍 ☆ パート32
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1354584399/38
38 名前:金剛界秘密荘厳院平安堂[age] 投稿日:2012/12/06(木) 01:40:27.88 ID:QsYw1Y1v [1/2]
真言を勉強するならば梵語梵字を学習してください
般若心経ももともと梵字で書かれています…
ブラーフミー文字ですね…
「題目」とは日蓮が発明した法華経のタイトル(題目)を唱えること。「南無妙法蓮華経」です
聖書主義と同様の野蛮な原理主義的僧侶だったのでしょう日蓮というのは…
「真言」はもう梵語をそのままです…
これはしっかり梵語や梵字を勉強して下さい
インドのことを昔は婆羅門国と言っていました。その国の言葉なので略して梵語です
バラモン(婆羅門)は、宗教者と学者を兼ねるようなもので、当時は王侯貴族武士を凌ぐ勢力でした

57 :
 
☆ 卍 仏教 質問箱 卍 ☆ パート32
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1354584399/42
42 名前:another[] 投稿日:2012/12/06(木) 02:04:19.24 ID:UL1prt7d [5/9]
全然理解してないので安心した
まず空を理解していない
これはしかたない
やはり釈迦の作ったパズルはよくできている
理解しようと努力する人をことごとく跳ね飛ばす
ナーガールジュナが頓珍漢やったからなおさらだなぁ
うーむ、やはり釈迦みたいな対応になっちまうのかぁ
ひとつ教えとくが、釈迦の教えより現代科学のがずっと役にたつ
まぁ釈迦の教えも役に立つ人には大変役にたつものではあるが
修行積めば詐欺にひっかからないとか
うーむ、どうだろう
そんなに涅槃にいくことが必要だろうか

58 :
 
仏教議論スレッド51
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1354931980/566
566 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2012/12/24(月) 23:25:54.40 ID:4vBNBfuh
臨床精神医学者の宮本忠雄氏は
「真正の宗教体験と統合失調症体験とは相似の形式的構造を持つ」と捉え
両者を下記のように対比している(『』内が、統合失調症の症状)
「見えないものの現存感
→『実体的意識性(隣の部屋に誰もいないのに、誰かがいるという感じ)』
「神の声→『幻聴』」、「見神→『幻視』、「啓示→『思考吹入・妄想着想』
「超越者からの支配感(召命感)→『被影響体験・させられ体験』
(「統合失調症と宗教」(星川、松田著、2010年1月10日創元社発行)より)
  _  _  _
↑ これは隠居先生なのかしら? おじゃる?

59 :
 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E6%AD%A3%E9%81%93
八正道
正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定
正念
四念処(身、受、心、法)に注意を向けて
常に今現在の内外の状況に気づいた状態でいることが「正念」である
正定
正しい集中力(サマーディ)を完成することである
この「正定」と「正念」によってはじめて
「正見」が得られるのである

60 :
 
八正道
われわれが身心のいっさいについて無常の事実を知り
自分の心身を厭う思を起こし
心身のうえに起こす喜や貪の心を価値のないものと斥けることが「正見」である
このように現実を厭うことは
人間の普通の世俗的感覚を否定するものに見えるが
その世俗性の否定によって、結果として
真実の認識(如実知見)に至るための必要条件が達せられるのである
正見は「四諦の智」といわれる
正見は正道によって実現される

61 :
 
http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?mode=detail&nonum=&kaeri=&mode2=2&useid=1579_,30,0279a01
T1579_.30.0279a04: 瑜伽師地論卷第一
http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?mode=detail&nonum=&kaeri=&mode2=2&useid=1579_,30,0282a12
T1579_.30.0282a13: 云何生。由我愛無問已生故。無始樂著戲
T1579_.30.0282a14: 論因已熏習故。淨不淨業因已熏習故。彼所
T1579_.30.0282a15: 依體由二種因増上力故。從自種子即於
T1579_.30.0282a16: 是處中有異熟無間得生。死生同時如秤
T1579_.30.0282a17: 兩頭低昂時等。而此中有必具諸根。造惡
T1579_.30.0282a18: 業者所得中有。如黒羺光或陰闇夜。作善
T1579_.30.0282a19: 業者所得中有。如白衣光或晴明夜。又此
T1579_.30.0282a20: 中有。是極清淨天眼所行。彼於爾時先我愛
T1579_.30.0282a21: 類不復現行。識已住故。然於境界起戲論
T1579_.30.0282a22: 愛。隨所當生即彼形類中有而生。又中有
T1579_.30.0282a23: 眼猶如天眼無有障礙。唯至生處所趣無
T1579_.30.0282a24: 礙如得神通。亦唯至生處。又由此眼。見
T1579_.30.0282a25: 己同類中有有情。及見自身當所生處。又造
T1579_.30.0282a26: 惡業者。眼視下淨伏面而行。往天趣者上。

62 :
 
瑜伽師地論(ゆがしじろん)の場合
http://reigaku.jugem.jp/?eid=424
人が死ぬ時に
過去の長い間の経験により蓄積された
我愛が現起し
その力にうながされて
自己に愛著し
無始の時以来つづいてきた執着された
戯論(けろん)と
善悪(善でも悪でもないものも含める)業により
中有が形成される
そして、やがて
その中有が次に生まれるべき処を求めて母体に入り
ここで男性の精子と女性の卵子が結合するときに
中有は滅すると同時に生有が生じ
一切種子たる阿頼耶識(あらやしき)がこれに結合して
精子は成長して胎児を形成し出生に至る

63 :
 
仏教議論スレッド51
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1354931980/541
541 名前:神も仏も名無しさん[sage] 投稿日:2012/12/24(月) 21:06:20.88 ID:7VGPl9JU [1/7]
宝珠さんは真面目な人で本当に好感が持てる。
しかし持てない所は業報輪廻説を信奉している所。
釈迦はその説を所持していたかもしれないが輪廻からの脱却を説いている。
業を作らないことに重きを置いている。
それは善因善果、悪因悪果と相入れない。
そこを基軸にしているなら業報輪廻を視野に入れるのは悪くないと思われる。
もう一つは奇跡や神秘体験を信奉している所。
この板にいる以上は誰だって、そのような体験の一つや二つはしている。
しかし、それこそが夢幻であり教義通りその執着から離れている人は
多数いると考えられる。迷妄に囚われることが害悪と経伝から皆、知覚している。
唯物論からの離脱は当然であり仏教は特に精神性に重きを置いてると思う。
そもそも仏教を唯物論と捉えている者が存在するのだろうか?
唯物論からも神秘主義からも離脱すべきではなかろうか?
原罪については、そのようなことに心を痛めることが執着であり、
嗜好を生む苦であり悪にも繋がると思われる。

64 :
 
般若経の解説
http://www.dia.janis.or.jp/~soga/subindex.html
これまであなたたちは
(永久不滅 ・ 常住不変のアートマンを土台としたバラモンなどの)輪廻を信じてきた
世尊は輪廻を説かれたのではなく、輪廻からの解脱を説かれた
だから世尊は、(バラモンなどの)輪廻を方便として、正しい知恵を説かれた
これまであなたたちは、(バラモンなどの)善行に励み、永遠ばかりを探してきた
だから、凝り固まり、ありのままに変化を見ることに慣れていない
無我を、縁起を、空を見ることがうまくない
(それ故に、)あなたたちには、(無我 ・ 縁起 ・ 空を観察する為の)練習が必要だ
およそ、禅定に入ろうとする人は …
… この吐いて吸う大きな長い息を十数え、何度も繰り返し、なにも考えず、ただ息を数え続けます

65 :
 
http://archives.bukkyo-u.ac.jp/infolib/user_contents/repository_txt_pdfs/bukkyo95/BR095L017.pdf
佛教大学仏教学部論集第95号(2011年3月)
ウダーナヴァルガのギルギット写本
松田和信
udana-B (prose) Udanavarga 26.21,Pali Udana VIII.3 (prose)
比丘たちよ
生じたもの、現れたもの、作られたもの、形成されたもの、起こったもの、縁起したものがある
ところが比丘たちよ
生じたのではないもの、現れたのではないもの、作られたのではないもの、形成されたのではないもの、生起したのではないものがあるから
だから『生じたもの、現れたもの、作られたもの、形成されたもの、起こったもの、縁起したものを離れることがある』と私は説く

66 :
 
八聖道分を修習して、我、我所を滅する因縁の故に、無我、無我所を得て、智慧を決定する
そして、縁起したものを離れることによって
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/pdf/mulama01.pdf
何であれ依存的に生じたものは
止むことなく、生ずることなく
滅することなく、永続することなく
来ることなく、去ることなく
区別されることなく、独自の性質がなく
そして概念的構築から解放されていることであると
教えて下さった最善の師である
完全なるブッダにひれ伏します
(中論の献呈歌)

67 :
 
http://www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/Chuuron/Chuuron01a.htm
中論觀因緣品第一 龍樹菩薩造梵志青目釋 姚秦三藏鳩摩羅什譯
生でなく、滅でもない
常でなく、断でもない
同一でなく、別異でもない
来ることはなく、出ることもない
能く是の因縁を説いて諸の戯論を滅せられた
わたしは仏に稽首して礼する『是れは諸説中の第一である』と

68 :
>>54
>伝統説、というのかな。 テキストに書いてあることを書いてある通りに理解するんじゃなくて、
>持論をまず正しいという前提にテキストを利用するってタイプ
おやおや、やはりがっかりですねえw 
あなたも『伝統仏教』という妄想に固執する「立場」主義者だったのですか。
「万世一系の天皇」を妄信する伝統主義者と変りませんね。
アタシはいわば「無立場の立場」のフリースタイルですよ(中村元『釈尊の生涯』126頁〜参照)。
ただ、おのずから縁起現象のグラデーション上の様態(個性)と知覚されるに過ぎません。
アタシは、すべて大疑団でキチンと根拠を明示して批判しています。
<自帰依←(大疑団)―フィードバック―(菩提心)→法帰依>⇒(大パリニッバーナ経2-26)の相即的実践(>>46>>49)です。
繰り返しになりますが、知覚され得るコト自体を間接現実で有意味な現象間の<はたらき=機能>が無主体の「仮」=仮観と把握します。
有るように知覚・記憶されるが、幻の「如し」←仮観です。

★幻そのもの・虚妄(空っぽ、ゼロ)では、分別(カウントできる)の誤謬空(中論24-11・12)です。縁起を掴めていないのです★
オウム真理教と同じです(>>39)。
仮説的です。直指肯定ではありませんが、知覚されるそれ自体は間接現実での有意味な現象間の<はたらき=機能>が「仮」となるからです。
   
それはまさに<存在するものでもなく(空観)、存在しないものでもありません(仮観)>⇒中道・中観です(龍樹 中論15-7、25-10)。

69 :
>>54
如し=仮観の経典上の根拠を提示しておきます。
・龍樹 中論7-34 『 あたかも幻の“如”く、あたかも夢の“如く”あたかも蜃気楼の“如”くであると、
     譬喩をもって、生起(生)が説かれ、持続(住)が説かれ、消滅(滅)が説かれているのである。』
・金剛般若経 32 『一切有為法 “如”夢幻泡影 “如”露亦“如”電 応作“如”是観』
・相応部教典 22-95 『色は聚沫の如く、受は水泡の如く、想は陽炎の如く、行は芭蕉の如く、 識は幻事の如しとは 日種の〔尊〕の所説なり。』
・大智度論初品中十喩釈論第十一『解了諸法如幻如焰如水中月如虛空如響如犍闥婆城如夢如影如鏡中像如化』
( 諸法(諸の事物)は、 『幻』のようであり、『焔』のようであり、『水中の月』のようであり、『虚空』のようであり、 『響』のようであり、
『ノ闥婆城(つばじょう、蜃気楼)』のようであり、『夢』のようであり、 『影』のようであり、『鏡中の像』のようであり、『化』のようであると、解了する。)
上記のように、すべて仮観で“虚妄のようである”であって、誤謬空観で“虚妄だ”、とは言っていません。
中論13-1・2とは矛盾します。
どうぞ、中論13-1・2のアタシの解釈(>>18)を批判願います。
龍樹ならどう弁解するんでしょうねえw

70 :
>>54
>言葉の中に、意味を一意に定めて定義しちゃってるでしょ?
『一意』とやらが?ですが、間接現実の言語ゲームは一切は言語的存在(仮設)であり、意味的存在(仮説)だから当然です。
中村博士の『非有非無』は間接現実からの中道(の如く)の“示唆”の意ですが、
『空=非有非無って定義しちゃうんだよなぁ』とあなたが受け取るのは、あなたが無方便だからです。
>教えを受け取る者が無方便では、教えは教えにならない、と吉蔵が言っている
 吉蔵がそう言っているなら、教えを受け取る側は悟っていないのだから無方便なのは当然であって、
だからこそ、<毒(言語)で毒(言語)を制することが出来るのか>の問いが成立するわけです。
  言語ゲームのパラドックスは般若智で飛翔しなければ調いません。
中論第二章が成功しているとは思えません。
以上
いい気分転換になります。
ありがとう。
では修空華万行に戻ります。

71 :
 
秘密経典理趣経 / 八田幸雄(著) / 184ページ参照
一切如来を揮斫するとは
空の中には自己もなく如来もない
自己と如来を分別する限り
それは空の体得ではない
自己を捨て去るとともに
如来も捨て去って初めて
空 ・ 無自性の世界に没入することができる
自己のすべてを捨て去るとともに
一切如来も捨て去るところに
般若の空が体感会得されるのである

72 :
 
http://www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/Chuuron/Chuuron04a.htm
中論卷第四 龍樹菩薩造梵志青目釋 姚秦三藏鳩摩羅什譯 觀如來品第二十二
空は則ち説けない!空でなくても説けない!
空、非空は、共であろうと、共でなかろうと説けない!
但だ仮名を以って説くのみだ!
諸法の実相は性空であるが故に
如来の滅後をこう思惟してはならない
有るか? 無いか? 有であり、無であるのか? と
如来は本より畢竟じて空なのだ!
如来は戯論を過ぎるが、而し
人は戯論を生ずる!

73 :
まあ、俺も前は大滝さんみたいに考えてたから、気持ちはよく分かるんだけどね
「虚妄の如し=虚妄の如し」、「虚妄=虚妄」、→ 故に「虚妄≠虚妄の如し」、はい矛盾乙
みたいに形式論理学的に考えてた時期が俺にもあったからね
>あなたも『伝統仏教』という妄想に固執する「立場」主義者だったのですか。
>アタシはいわば「無立場の立場」のフリースタイルですよ
俺も権威主義は嫌いだから、あくまで「無立場」から挑んだつもりだけど、
よくよく勉強してみると、自分の考えの方が浅いと判断したから、伝統に乗っかったってタイプだよ
大滝さんみたいに、俺は龍樹やら吉蔵の説を覆せるほどの智恵は俺にはなかったよ
> <存在するものでもなく(空観)、存在しないものでもありません(仮観)>⇒中道・中観です
そうそう、字面だけ見ると俺も全く同じ考えだよ。天台の三諦もこんな感じだよね。

74 :
 
http://www.wikidharma.org/jp/index.php/%E3%81%A0%E3%81%84%E3%81%AB%E3%81%A1%E3%81%8D%E3%82%87%E3%81%86
十縁生句段では、次の入曼荼羅真言具縁品以下で取りあつかう実修部門(事相)に入る準備として、十縁生句観という観想がのべられている
十縁生句とは条件によって生じたものの句という意味である。  善無畏の『大日経疏』には三種をあげる
1).原因・条件によって生ずるものだからそれ自体空であると観想する即空観
2).あらゆる存在するものは心の現われであると観想する即心観
3).心と存在するものとは同一つでもなく別異なものでもないと観想し、なみの者の心のはたらきを離れる即不思議観
以上、入真言門柱心品は密教の主要な教義がほとんど説き尽されている
なお、その教理を貫いて根底にあるのは中観派で説く空の哲学である

75 :
 
大日経住心品講讃 / 松長有慶(著) / 大法輪閣(2010/02) / 270ページ参照
秘密王よ
真言の門において菩薩行を修する諸菩薩は深く十縁生の句を観察し
真言の行に通達して、悟りに到達すべきである
1).即空の幻で 「 五蘊が実在である、と固執する考えを退ける為に 」 十縁生句を観ずる
2).即心の幻で 「 阿頼耶識が実在する、と固執する考えを退ける為に 」 十縁生句を観ずる
3).不可思議の幻で 「 世俗と真理の両世界から離れる為に 」 十縁生句を観ずる

76 :
 
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/pdf/mulama24.pdf
空性の誤解によって
智慧の足りない人間はくじかれてしまうのである
間違った握り方をした蛇や
間違ってかけられた呪文のようにである(中論24-11)
その理由によって
 − つまりダルマは深遠であって理解し学ぶのが難しいということによって −
ブッダはそれを教えられると考えることを断念したのである(中論24-12)

77 :
 
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/pdf/mulama15.pdf
カーティヤーヤナの説法で説かれる
現実と非現実の認識を通して
勝利を得た者は
「存在(そうである)」と「非存在(そうでない)」
の両方を論破したのである(中論15-7)
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/pdf/mulama25.pdf
やって来て、また去るものは
依存的で変化するものである
依存的でなく変化しないもの
それこそが涅槃として説かれたものである(中論25-9)
師は生成と消滅の放棄を説かれた
したがって涅槃は
存在でも、まったく存在しないものでもない
というのが正しい(中論25-10)
涅槃は存在でも、まったく存在しないものでもないものだ
と言われる
もし存在と、まったく存在しないものとが証明されるなら
このことも証明されるであろう(中論25-15)

78 :
 
http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?mode=detail&nonum=&kaeri=&mode2=2&useid=0099_,02,0029c01
T0099_.02.0029c04: 雜阿含經卷第五
http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?mode=detail&nonum=&kaeri=&mode2=2&useid=0099_,02,0032a21
T0099_.02.0032a22: 告仙尼。今當爲汝隨所樂説。佛告仙尼。色
T0099_.02.0032a23: 是常耶。爲無常耶。答言無常。世尊復問。仙
T0099_.02.0032a24: 尼。若無常者是苦耶。答言是苦。世尊復問
T0099_.02.0032a25: 仙尼。若無常苦是變易法。多聞聖弟子。寧於
T0099_.02.0032a26: 中見我異我相在不。答言。不也世尊。
  _  _  _
T0099_.02.0032a26: 見我異我相在不 ← 我と見るか? 異我か? 相在か? 不か?
我でもない、異我でもない、相在でもない
これが中論の基礎なのか?

79 :
 
http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?mode=detail&nonum=&kaeri=&mode2=2&useid=0099_.02.0086c20
T0099_.02.0086c21: 雜阿含經卷第十三
http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php?mode=detail&nonum=&kaeri=&mode2=2&useid=0099_.02.0092c11
T0099_.02.0092c12: (三三五) 如是我聞。一時佛住拘留搜調牛聚
T0099_.02.0092c13: 落。爾時世尊告諸比丘。我今當爲汝等説
T0099_.02.0092c14: 法。初中後善。善義善味。純一滿淨。梵行清
T0099_.02.0092c15: 白。所謂第一義空經。諦聽善思。當爲汝
T0099_.02.0092c16: 説。云何爲第一義空經。諸比丘。眼生時無
T0099_.02.0092c17: 有來處。滅時無有去處。如是眼不實而生。
T0099_.02.0092c18: 生已盡滅。有業報而無作者。此陰滅已。異
T0099_.02.0092c19: 陰相續。除俗數法。耳鼻舌身意。亦如是
T0099_.02.0092c20: 説。除俗數法。俗數法者。謂此有故彼有。此
T0099_.02.0092c21: 起故彼起。如無明縁行。行縁識。廣説乃至
T0099_.02.0092c22: 純大苦聚集起。又復此無故彼無。此滅故彼
T0099_.02.0092c23: 滅。無明滅故行滅。行滅故識滅。如是廣説。
T0099_.02.0092c24: 乃至純大苦聚滅。比丘。是名第一義空法
T0099_.02.0092c25: 經。佛説此經已。諸比丘聞佛所説。歡喜奉
T0099_.02.0092c26: 行

80 :
 
http://www.daitouryu.com/iyashi/voice/voice03.html
釈迦は「生命の再生」を次のように説く
生命(命体の意)は「火」であり、肉体は「薪(たきぎ/燃料の意)」であるが故に燃えるのである、と説く
薪が尽きれば、炎は消えるが、しかし薪が尽きても、「火種(ひだね)」は残る
残った火種こそ、渇愛による
「異蘊(いおん/「蘊」とは
 五蘊(ごうん)を指し、集合体の意で、現象界の存在の五種の原理をいう
 色(しき)・受・想・行(ぎよう)・識の総称で、物質と精神との諸要素を収める
 色は物質および肉体、受は感受作用、想は表象作用、行は意志・記憶など、識は認識作用・意識
 一切存在は五蘊から成り立っており、それ故に、「無常」とか「無我」であると説かれる
 一方、異蘊はこれを否定し、墮落に向かわせ
 「慢断(我慢を断滅すること)ぜざるがゆえに、此の蘊を捨て己(おわ)りて異蘊相続して生ず」
 と言う一行が、そもそもの仏道の眼目とするところである)」
である、と
  _  _  _
我慢を断滅する事が出来ない場合は
此の蘊を捨て己(おわ)っても
異蘊相続して
又、次の、この世の生に戻り来る

81 :
 
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/17.html

… 此の陰滅し已らば異陰相續す
俗數法をば除く
耳・鼻・舌・身・意も 亦是の如く説き 俗數法をば除く
俗數法とは 謂ゆる此れ有るが故に彼れ有り。此れ起るが故に彼れ起る
無明に縁りて行、行に縁りて識、廣説乃至純大苦聚集起るが如く
又復た此れ無きが故に彼れ無く、此れ滅するが故に彼れ滅す
無明滅するが故に行滅し、行滅するが故に識滅す
是の如く廣説し 乃至純大苦聚滅す…

  _  _  _
バラモンの場合は
「アートマンは永久不滅 ・ 常住不変だっ!」
水野訳 SN 877
彼等(諸見者)を依著者なり【と知り】、かの現慧ある牟尼は依著【を知り】
「慧者は《種々の有》に戻り来たらず」【と知りて】、解脱者は諍論に至らず
【ブッダのことば】スッタニパータ<中村 元訳>
http://homepage3.nifty.com/hosai/dammapada-01/suttanipata-all-text.htm
877
かの聖者は、『これらの偏見はこだわりがある』と知って
諸々のこだわりを塾考し、知った上で、解脱せる人は論争におもむかない
思慮ある賢者は種々なる変化的生存を受けることがない

82 :
 
http://archives.bukkyo-u.ac.jp/infolib/user_contents/repository_txt_pdfs/kiyou31/D031L001.pdf
3.三事和合説と縁起説
SN XII 43 Dukkha, 44 Loko, 45 Natika
眼と色に縁って眼識が生ずる
三事和合が触である
触の縁から受がある
受の縁から渇愛がある
( − これに対して − )
まさにこの渇愛の残りない離貪から取の滅がある
取の滅から有の滅がある
有の滅から生の滅がある
生の滅から老死、愁悲苦憂悩が滅する
このようにこの全ての苦蘊の滅がある

83 :
 
十八界の分類方法
根・境・識の「三事和合」
認識には
対象(境)・認識器官(根)・認識作用(識)
の三つが必要だという考えによります

84 :
 
世界大百科事典内の境の言及
【六境】より
… 仏教では,認識作用の対象(対境)を〈境(きよう)〉という
認識する感覚器官とその働きを合わせて〈根(こん)〉といい
眼(げん)(見る),耳(に)(聞く),鼻(び)(嗅ぐ),舌(ぜつ)(味わう),身(しん)(触れる)
の五根にはそれぞれ対応する対象があり
それらを順次に
色境(しききよう)(いろ・かたち),声境(しようきよう)(声や音),香境(こうきよう)(香りや臭気)
味境(みきよう)(甘・辛などの味),触境(しよくきよう)(触覚による冷・暖,堅・軟など)の五境とする …
〔それぞれの用語は最新の内容であることを保証するものではありません〕

85 :
 
無明 真実相にたいする根源的無知
行 潜在的形成力
識 認識作用
名色 名称と形態
六処 六つの領域 眼 耳 鼻 舌 身 意
蝕 接触
受 感受
愛 妄執 渇愛
取 執着
有 生存
生 生まれること
老死 老い死ぬこと

86 :
 
http://www.j-theravada.net/pali/key-tanha.html
渇愛(タンハー)
『これは、ビクらよ、苦しみが現れてくる過程についての聖なる真理です。
苦は、渇愛から生じます。
渇愛は、再成し続け、喜びと愛着をともない、いつでも心の気に入る、という三つの特色をもち、
五官を刺激したい、存在したい、壊したい、という三種類の欲で成り立っています。』(初転法輪経)
tanh&acirc;(タンハー)とは「渇いている」「満たされていない」「ほしい」という生命の根元的な欲望で「渇愛」と訳されています。
渇愛の特色の一つは『punabbhava』。
これは puna (再び) と bhava (成ること) からできた言葉で、成っては消え、成っては消え、ずーっと何らかの状態に成り続けていくことです。
たとえば欲深い人はそれなりに色々なことをしていくし、立派な人間になりたいという人もそれなりに色々なことをしていきます。
そうやって動きながら、瞬間瞬間、私たちは変化していきます。それは止まりません。
「私はこれで終わった、もう何もする必要はない」という心の状態になることは、決してありません。
次から次へと「何かになること」をくり返していきます。

87 :
 
http://www.ne.jp/asahi/sindaijou/ohta/kenkyu1/fl-shokibukyo/shoki-soujumetu.htm
想受滅(滅尽定)
(C)覚者は、身行、口行、心行が滅し消えるが、壽と煖はやまず、諸根は浄静である
(D)四禅にもとどまらず、四処にもとどまらず、非想非非想処も捨てて、想受滅(滅尽定)を成就する
(C)は
想受滅(滅尽定)においては、その呼称のごとく「想」と「受」が滅するのである。覚者は
いのち、あたたかさがあり、諸根(眼耳など)の働きはあるが、心作用のうち受、想、行が滅している

88 :
 
tanh&acirc;(タンハー)
tanha^ 最後の a の上に ^ これを乗せる

89 :
 
http://www.nih.go.jp/niid/ja/
国立感染症研究所
http://www.nih.go.jp/niid/ja/idwr-dl.html
2012年第49週(第49号)ダウンロード(33p/944KB)
(12月3日〜12月9日)発生動向総覧 /注目すべき感染症(インフルエンザ)
/病原体情報(感染性胃腸炎ウイルス 2012/13シーズン)〔2012年12月21日発行〕
http://www.nih.go.jp/niid/images/idwr/kanja/idwr2012/idwr2012-49.pdf
2012年第49週(12月3日〜12月9日):通巻第14巻第49号
感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律
感染症発生動向調査
感染症週報

90 :
>>1 :?:
 仏教議論スレッド 52 を建てたってください。
 

91 :
 
ERROR:Lvが足りなくてスレッド立て(ら)れません。
↑ これが表示されてスレ立てられませんでした 屮(_ ._)屮

92 :
 
私【?】の立てたバージョンです
仏教 議論 33
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1331725479/l50
とりあえず ↑ ここを使って下さいませ

93 :
 
仏教議論スレッド51
http://mimizun.com/log/2ch/psy/1354931980

94 :
 
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/pdf/mulama13.pdf
ブッダは言った
どんなものであれ、見せかけだけのものは偽りである
我々が普通に事象を見るときの
部分に分割でき、原因から成っているよなものは
そのもの固有の性質を持って独立しているように見えるのであるが、それは
見せかけなのであり、したがって、そのように実体的に見えている見かけは
すべて偽りである(中論13-1の意訳)

95 :
 
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/pdf/mulama13.pdf
そうすると反論者はこう問うだろう
もし見せかけのものがすべて偽りだと言うなら
何が騙しているというのだろうか
本当は存在しない事物が、存在しているようなふりをしているのだろうか
だとしたら、ふりをしている当の本人がどこかに存在しているのではないか
それについてブッダは
個々の事物の存在については
その事物の空性こそが本当の真実だと述べている(中論13-2の意訳)

96 :
 
☆ 卍 仏教 質問箱 卍 ☆ パート32
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1354584399/210
210 :神も仏も名無しさん:2012/12/26(水) 14:45:22.95 ID:oKSMmuCM
仏教議論スレッド52
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1356500644/
↑ ID:oKSMmuCM さん有り難う御座います 屮(_ ._)屮

97 :
 
おじゃる速報!
http://www.news-postseven.com/archives/20121226_160610.html
ダライ・ラマ 有数の仏教国である日本の若者に平和実現期待 2012.12.26 16:00
ダライ・ラマ:
仮に中国がより開かれた民主国家になれば、多くの問題は解決しやすくなる。
中国では正しい情報が欠けており、日本が悪いとの思い込みがある。
正しい情報こそが正しい判断をもたらす。
中国指導部は現実を直視し、情報公開や法治の徹底を進めるべきだ。
ダライ・ラマ:
私は科学者との対話によって、穏やかな心を得るには仏教的な瞑想が効果的であると知った。
日本は世界有数の仏教国であり、勤勉な民族だ。
若い日本人たちが平和な世界を実現する先頭に立ち、道筋をつけると期待している。
※SAPIO2013年1月号

98 :
 
ダライ・ラマの「中論」講義―第18・24・26章 / 大蔵出版(2010/05)
カスタマーレビュー
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4804330704/ref=cm_cr_dp_see_all_btm?ie=UTF8&showViewpoints=1&sortBy=bySubmissionDateDescending
パーリ仏典の釈尊の教法を理解することが不可欠
<第三段階:ここから三十七菩提分法が始まり、八正道の五つが実践される聖者の修行>
(3)見道=須陀オン:三結(身見、疑惑、戒取)の断に成功した第一段階の聖者。
この段階は、苦集滅道の四諦の教えを理論的に理解して「遠塵離垢の法眼」を得た瞬間に始まる。
(4)修道=斯陀含(一来)+阿那含(不還)
斯陀含:三結の断と二結(欲貪、瞋恚)の弱に成功した第二段階の聖者。
阿那含:五下分結(身見、疑惑、戒取、欲貪、瞋恚)の断に成功した第三段階の聖者。
(5)無学道=阿羅漢:五上分結(色貪、無色貪、我慢、掉挙、無明)の断に成功した最終段階の聖者。
これと同様、『中論』の理解にもパーリ仏典の釈尊の教法を理解が不可欠である。

99 :
 
ダライ・ラマの「中論」講義―第18・24・26章 94〜95ページ参照
私たちの心に現われてくるすべての現象は
あたかもそのもの自体の側から
それ自体の力によって成立しているかのように見えますが
実は、それ自体の力によって成立しているのではありません
対象物がそれ自体の側から成立しているのかどうか
という究極の存在のしかたを探求してみると
それを調べる人は
すべての現象において
それ自体で成立している生成や消滅を見出すことはできないのです

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