2013年17大河ドラマ26: . 【】決着【】大河民の幕末史【】真実【】 . (836) TOP カテ一覧 スレ一覧 2ch元 削除依頼
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1 :2013/03/21 〜 最終レス :2013/09/17
幕末草
あいつ の 立つ馬 新鮮 チャーシュー 喰わな と嗤い
お札萬札 爆風 吹きぬけ 公家が 参上 踊り出す

2 :
真実の幕末史。ここに決着?ってとこで

3 :
ドラマから離れた歴史議論はここでやってもらえるといいかもね

4 :
八重の桜
前の回で長州は 「 非の打ち所のない朝敵 」 に確定しましたが、
その天皇の意志と
真逆の事をしながら天皇愛を叫ぶ長州って
正に逝っちゃってるストーカー其の者なんだけど、、 キティ体質なの?

5 :
いや、会津の殿様がキティなのだ

6 :
池田屋事件が新撰組の独断暴走になってたけどそうだったの?

7 :
>>6
ハエのあの描き方だと、史実において会津藩が新選組に感謝状や
褒賞金を出した事実が、逆にイミフになるわな。
実際には、幕府からも感謝状と褒賞金が下賜されている。
朝廷からも感謝状の下賜があった。
独断暴走なら、むしろ処罰されるはずなのにねww

8 :
都合の悪いことは全て新撰組のせいにする脚本かw
その度に会津の責任者が「わしの失敗だ」とか言ってw

9 :
新選組オタ隔離スレも必要?
ここでやってればいい?

10 :
本スレ大人しいと思ったら隔離スレできたのか有り難い
新撰組もここでいいんじゃね?(適当)
>>4
天皇と直接面会なんて藩主クラスでもまず出来ない時代だったから
天皇→公家→藩
     ↑
  攘夷過激派とかの運動
命令系統はこんな状態
文久の京訪問のときも、攘夷が本当に孝明天皇の御意思なのかしつこいぐらい公家に確認してる
そんなだから八一八の政変も、長州藩から見れば薩摩と会津にやられた!としか見えない
この状態を解決するために、天皇と政府の間から公家を排除する大坂遷都案が出ることになる
個人的には、長州は攘夷による藩の滅亡を覚悟してたって点でマジキチだと思うけど
ちなみに、攘夷って点では孝明天皇は相変わらずだよ
今後も孝明天皇の攘夷主義者っぷりが、大いに慶喜や幕府を困らせることになる

11 :
>>10
つまり長州には、攘夷 (長州都合で勝手な朝敵認定するための便利思想) があっても
尊王は無かったということなの?

12 :
長州藩の領民は幕府の命令で攘夷を実行しているのだと信じ込んでいた。
アーネスト・サトウが「大君は板挟みにあって攘夷を命令したんだよ」と解説すると、
領民は口々に「ほんまだ」と叫んで納得したとある。

つまり幕府の命令だから攘夷をして、攘夷の対象だった外人のサトウの説明を聞いて納得する程度の攘夷熱だったw

13 :
>>11
幕府公認だった長井雅楽の航路遠略策をひっくり返して藩内で揉めてるうちに、
薩摩の久光の率兵上京で薩摩が一気にリードしたばかりか、長州藩の信用がガタ落ち
さらに孝明天皇が一橋・会津と言う手足を得て、意志を実行に移すことが可能になり、
当の天皇の意思で叩かれた。

14 :
>>13
「蛤御門の変」で、長州は御所(現在でいう皇居)に軍事攻撃を実行したけど、
その暴挙も
攘夷とさえ唱えていればOK
という長州の考えは、理解できないよ。 それ、なんて魔法の呪文?

15 :
大陸から齎された呪術も貪欲に取り入れその奥義は正統なる陰陽師のそれを遥かに凌ぐ
程の力を手に入れた

16 :
だから長州藩内部でも藩の施策に反発した打ちこわし、一揆、諸隊の脱走騒動、
通敵行為を名目にした粛清や強制解散と言った事例が確認されている。
長州藩指導者も攘夷戦争して勝てるとは思ってないんだ。

17 :
>>16
つまり長州にとって「蛤御門の変」というのはただの我欲で、正義も何も無いということ?

18 :


19 :
なじょして?

20 :
>19 → >>10>>11>>13>>14>>16>>17
蛤御門での長州に正義など無いって事でしょ?

21 :
まあ長州にしてみれば色々言い分はあったのだろうが、
結果的に藩兵の出立を許した以上は、結果についての責任を免れがたい
桂や久坂はそれでも何とか交渉解決に持ち込もうと思っていたのだが
計画殺人犯ではなくて、傷害致死だと思えばいいよ。ただし過失致死ではない。
最初からあんなにするつもりは、たぶんなかったのね。

22 :
まぁ長州は敗者だから語る資格はないね

23 :
クズなレスばかりだなあw
外国にビビって不平等条約を結び反対したものを皆殺し。
長州はそんな奴らを叩きのめしただけ。
京の町衆に人気の長州
京の町衆に嫌われた会津
民衆はよくわかっている。

24 :
>>23
長州が人気だったのは豪商をゆすったりして攘夷ポピュリズムを煽ったのと、
禁門の変の時の放火が防御側からなされたりとかいろんな事情がある

25 :
当時の京都人は今の韓国人や中国人同様、洗脳されていたんだよ。
孝明天皇が長州嫌いだなんて知らなかった。
京にいる浪士達が言っている通り、孝明天皇は長州支持だと思っていたのだ。
町衆は浪士達と接触する機会が多く、脅されたり金策されたりすることも
あるが、基本、浪士達は彼等のお得意さんだった。
だから、その浪士達を養っている長州は町衆にとってはカネの出所なんだ。

26 :
18世紀末には江戸一極集中が今日に近い状態になってたから、関東への嫉妬反感もあったんだろうな。
何しろ勝利者である薩摩藩士からして京は閉鎖的な都市に映ったらしいから

27 :
>>25
まあイっちゃってても孝明天皇の主張する攘夷に一番近かったのが長州だったからな
元より孝明天皇に御簾越しでも会える身分じゃないから、願望込みでそう思ってたんだろうな
んだから政変の後も横浜鎖港やらで慶喜が苦労する羽目になる

28 :
>>21>>23 あららズレてんね
そもそも長州が、京都に軍事攻撃などしなければ、京都が燃える事は無かった。
これが「現実」。

29 :
つまり
長州の我欲が 日本を内乱の戦渦に巻き込むのだけど
実際問題、長州って迷惑だよ。

30 :
別に長州なんて好きじゃ無いけど…
当時はそうなの?

31 :
29の人っていつもいて
いつも同じ事言ってるねw
そういう人が排斥排除路線を取って失敗するんだろうなって思う

32 :
ここって質問してもよいのでしょうか?
久坂玄瑞というひとは、吉田松陰の弟子で義弟で、高杉晋作の友達で、
ある意味長州藩の若手エリートで、会津で言うなら梶原平馬ポジション
という理解で良いのですか。1人だけ飛び抜けて若い気が。

33 :
>>32
なるほど。おれは2人とも詳しく知らないけれど、
2人とも生真面目な性格が被っているかもと、言われて思った。

34 :
>>31 とりあえず、おまえにマトモな反論が出来無いほど、長州が酷いのは判った。
長州のせいで京都が火の海になり、そこから日本が内乱の戦火に見舞われ、国民が迷惑した。 で OKって事だね?

35 :
>>28
原因である長州よりも実行犯である会津が憎まれた
これが現実

36 :
勝敗は既に決しており、砲撃しなくとも勝てた戦なのに会津が大砲ぶっ放したから火事になったんじゃね?

37 :
大砲じゃあそんなに燃え広がらないっしょ
長州の残党狩りで会津兵と新選組が火をかけた説がウィキペディアにも書かれてるけど、立て篭もって防戦してる訳じゃないんで、敗走してる側が火をかけたって考えるべきかな

38 :
>>32
以前梶原役の人が久坂役やってたんだよw

39 :
>>37
ウィキは全く信用出来ない。
歴史学関係では、ウィキを少しでも参考にしたレポート類は
認めてくれないはず。

40 :
>>39
Wikiには結構一次資料もあるんだけどな
その事柄の体験者や当事者、もしくはその子孫や親類に当たる人が聞き及んだことなどもある
ま、どこの学会も権威を維持したいのでそういうものは認めたくないんだろうけど勿体無いだけでしょ

41 :
>>41
いや、ウィキは匿名だから、基本、2chと同じ扱いなんだよ。
2chだって、貴重な情報は出ているしwww

42 :
>>37
一橋の下知なりしかば……町家所々へも
放火せしかば、其火次第に焼広がり、
何時鎮るべき様も見へざりけり。
『元治夢物語』馬場文英
中売御門外ニ紅屋と申大家有之、右ノ内ヘ
会津焼玉ヲカケル、夫より市中大方焼払ウ
『浪士文久報国記事』永倉新八

幕府方の史料でも会津が放火したとあるのに
長州が火をつけたとする。それどこの妄想よ

43 :
>>39
せっかく引用箇所には出典明記してあるんだから、そっちの信憑性を評価したらw
もちろんその引用元が信用ならないというケースは往々としてある
あと学術論文書くなら、Wikiじゃなくその引用元の資料の方から引用しろw

44 :


45 :
>>43
結局、43は>>39と同じ趣旨じゃないかw

46 :
馬場文英が幕府方の史料とか言ってる時点で全く信用ならんだろ。
尾木ママの言ってることは文科省の通達とか言ってるのと同じレベルw

47 :
>>42
額面通りに受け取ると慶喜が主犯か

48 :
>>46
幕府方の史料『でも』とあるだろう。
妄想を開陳する前に日本語『も』勉強しろw

49 :
>>48
では、
>幕府方の史料『でも』
…の、幕府方の史料とは?

50 :


51 :
司馬原プロ中のプロ

52 :
>>49
下の浪士文久報国記事は見えないのか?
慶喜公伝にも
火を鷹司以下の諸邸にかけしむるに、
折柄の風力に諸邸見る見る炎上し
とある

53 :
>>52
おまえ、新撰組の言うことは信用出来ないと普段は言っているじゃないかw
こっちは信用しないけど、こっちは信用するとか、恣意的過ぎるだろw
だから、おまえ自体が信用されないんだよ!

54 :
>>53
は?何時俺がそんなこと言ったんだよ?
妄想か?

55 :


56 :
ま、
長州が本来の朝敵である史実は変わらんけどな

57 :
禁門の変での長州は最後まで孝明天皇を舐めていたんだろうな。
そうでなければ御所に発砲するなんてあり得ない。日本史上でも近世以降では空前絶後のご乱行
逆に慶喜や容保は孝明天皇個人の意思の強さを充分知り得る立場にあったから意向を公然と無視することは少なかったのだろう
囲んで脅せばそのうち内応者が出ると言うのは桂から真木和泉まで抱いていた希望なんだろうけど、
現実には天皇自身が最も強硬な長州討伐論者だった。
でも、おそらくその後もそれを知らないか、認められなかったのだろうね。
あくまで「会賊」が獅子身中の虫としてたぶらかしたんだと言うことにしないと辻褄が合わなくなるからw

58 :
会津観光史学宣伝スレ

59 :
>>58
そんな脳内のラスボスに依存するしか無いんだろうな。
長州に都合が悪い時は、会津をスケープゴートにする法則。
幕末の昔から成長なさ杉w

60 :
>>57
>でも、おそらくその後もそれを知らないか、認められなかったのだろうね。
長州の思考パターンは
自分に都合のいい花畑ワールドに閉じこもり、現実を見ようとしない(認められない)んだよ

61 :
>>57 >囲んで脅せばそのうち内応者が出ると言うのは桂から真木和泉まで抱いていた希望なんだろうけど、
長州の行動パターンは
勝手な敵認定で自分を正当化し、ヒステリックな(回りの事を考え無い)暴力に訴える。 ヤクザのような迷惑さだね

62 :
>>日本史上でも近世以降では空前絶後のご乱行
長州の本質が出ちゃってるよね
自分のためなら、日本の大事な歴史的建造物(京都御所)も破壊する。 有り得ない程の無教養さ

63 :
蛤御門の変は
陛下の事を道具としか思っていない長州だから出来た愚行。

64 :
いざとなったら玉をかっさらうのは当然だろ
平家だってそうした

65 :
>>64
うん。
長州の「尊皇」ってそんなかんじ

66 :
「長州の」っていう考え方が浅はかだから
会津は1人負けしたんだと思う
良くも悪くも、考え方も藩論も柔軟性がない
あらゆる考え方が交錯する幕末において「長州の中の一部」が正解

67 :
本スレで歴史談義やってる奴らはこっちでやれ

68 :
>>66
会津藩は開国近代化路線の幕臣より、長州とのパイプは太いよ。
何と言っても在京時代の人脈があるから。
むしろ文久から慶応にかけては幕府と会津藩がいちばん対立していたかも知れない。

69 :
>>64
ソレは長州の壇ノ浦で滅んだ平家の呪い。
平家蟹の猿蟹合戦である。
最期は「臼どん(薩摩/西郷)」と手を組み
会津の猿を退治する。

70 :
>>66
凶悪犯罪者にも良いところがあった
と言いたいのだろうが、それが長州藩の犯した大罪のフォローになるという勘違いは痛いよ

71 :
実際に、
蛤御門の変なんて狂った事を
実行した(止める事が出来なかった)のが
長州の実体だし、現実なんだな。

72 :
やっぱり高杉につきるな
高杉がいなかったら長州は滅んだだろう

73 :
本スレ>>644
この論争中に「このたびの新封地、南部三郡、北海道四郡は〜」云々と出てくるんだそうだ。
南部三郡(斗南)が決まったのが明治2年11月、
北海道四郡が決まったのが明治3年1月5日だから、この激論は
北海道が決まった後、即ち明治3年1月以降だろう→既に斗南に決まった後だろう
と筆者は述べている。
加えて
「藩祖の墓所があったことから猪苗代説が出現したものと思われる。
ただその出典は未だ見出せない」
とも。

74 :
開国という
時代の流れさえ理解できて無かったのは痛いよな、長州さん家って

75 :
長州藩正義党のトップ周布政之助は
開国に向けて粛々と準備してたよ
長州ファイブの派遣(5人以外にも数名派遣、現地で病死)
高杉の欧米派遣計画(失敗により上海に変更)
また、長州が都落ちする前から薩摩藩との連携に重要性を感じ
模索していた周布は
大久保利通と度々アポイントを取り薩摩との仲を深めようとした
(彼は有名な酒乱なので、この時も酒の席で取り乱して大失敗する)
若手(特に松陰一派)を思い切って藩の要職に登用し
開国後まで視野に入れて日本を俯瞰していた周布は
禁門の変後に、その責任を取ったのか、はたまた長州も終わったと思ったのか
静かに自刀しその生を閉じる
こういう歴史の表舞台にあまり出てこない人を
いつか描いて欲しい

76 :
>>75
日テレの奇兵隊で津川雅彦が演じてたよね
けっこうキツ目の自害シーンだったからはっきり覚えてる
まあこのスレで大半の人にとっては噴飯物の作品だとは思うけど

77 :
『春日局』   89年=NHK大河 第三回「母子無情」 〜縦書き表示クレ〜 演出=富沢正幸

78 :
武家に生まれた人間が自分の家族だけが大事ってのも違和感あるなぁ

79 :
歴史ドラマとしてはどうなのって部分は確かに多い

80 :
>>75
君が力説している事は
「長州の尊王攘夷はインチキだ」って事で良いんだな?

81 :
勝は無役の最下級武士の子として生まれた。内職で暮らしを立て、正月の餅にも不自由する家だったという。
彼が出世したのは、蘭学の知識と語学力のおかげだった

82 :
>>80
周布は攘夷を利用して挙藩体制を整えようとしていたから、まあそうだね。
誰も民間船砲撃を重大視した連合艦隊が報復に来て瞬時に長州の諸隊を蹴散らすなんて思ってなかった。
もしそれを予想してたら、禁門の変の出兵どころじゃない

83 :
>>75
ただ、加徳丸事件を引き起こして両藩の関係を決定的に悪化させた久坂をかばってたのも周布でしょ?
薩摩から見たら攘夷を唱えながらひそかに外国と通じてる裏切り者扱いされたんだからさ

84 :
吉田松陰の攘夷論は「開国的攘夷論」

85 :
松陰は最初から大攘夷だもんな
高杉や伊藤をはじめ、その影響下の松陰弟子たちもそう
周布は松陰の弟子たちをとにかく可愛がって守った
結果的にそれが維新に繋がったけど、自身は悩み事が増えて体調を壊し
酒の量も増え、長州藩がどん底の時にその責任を取るかのように自決してしまう
だからある意味悲劇の人なんだよな・・・

86 :
藩主一族の墓、倒される…訪れた子孫が発見
http://www.yomiuri.co.jp/photo/20130403-464608-1-L.jpg
後ろ側に倒された「徳山毛利家墓所」の墓石
3日午前、山口県周南市徳山にある市指定文化財「徳山毛利家墓所」の墓2基が倒されるなどしているのを、訪れた子孫の男性(40)(東京都在住)が見つけ、県警周南署に届けた。
同署は器物損壊容疑で調べている。
同署や市によると、2基のうち1基は、5代藩主広豊の三男で、1742年(寛保2年)に8歳で亡くなったとされる「三助」の墓で、高さ約1・5メートル。
上部の笠や墓標などが後ろ側に倒されていた。
もう1基は、誰の墓かは不明で、石の一部にひびが入っていた。男性が前回墓参した3月17日には被害はなかったため、それ以降に倒されたとみられる。
墓所は初代徳山藩主毛利就隆ら歴代藩主やその妻、子ら約100基の墓がある。市は、2009年10月に文化財に指定した。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130403-OYT1T01894.htm

早く自首しろ

87 :
結局、
長州は尊王攘夷という「嘘をスローガンして」軍事クーデターを起こした。
この事については
みんな納得してるモンなんだなぁ

88 :
尊王攘夷などと嘘をかかげ
暴力で政権奪取した長州。
民主党のようだよな、長州。
つーか、共産主義者かよ、長州w

89 :
>>75
周布って花神で高杉が入れられてる牢屋に
酔っぱらって押しかけて抜刀して暴れながらエールを送った人だよねw
田村正和のお兄さんが男前だった

90 :
ま、
長州に正義が無いのは周知のとおりだけどな

91 :
幕末大河は佐幕派→倒幕派の繰り返し

92 :
>>91
「獅子の時代」はどっちになる?
W主人公で会津&薩摩だが

93 :
とりあえず
会津藩のトップが着用してた緋色の陣羽織は
天皇陛下が実際に愛用されていた「御衣」を、直接陛下から恩賜された本物。
それに比べ長州の錦旗は
公家(岩倉)と薩長が、京都薩摩藩邸で密かに造った紛い物。
一緒にするとか
アホすぎだから

94 :
いわゆる天皇の御旗を偽造・量産するほど
天皇を道具として扱ったのが、テロ組織・長州 。
本来の朝敵なわけだよ

95 :
菊の御紋で現れたには薩摩だった?
俺達のパスポートも菊の御紋で天皇家と同じ

96 :
ん?
>>95が、偽造パスポートを量産してたら、ガッツリ犯罪者・確定 。

97 :
>>94
というか、事前準備、用意してたのは大久保と岩倉だよ
長州藩がそこまで回転よかったら、幕末滅ぶ寸前までいってないよw

98 :
猪突猛進の長州、異様に立ち回りの上手い薩摩
この二つが良い具合にミックスされればそりゃ最強だわw

99 :
薩長は家康がした事と同じ
卑怯でも勝てば官軍なのです(キリッ

100 :
>>97
捏造錦旗 は、
「長州」 品川弥二郎、「薩摩」 大久保利通、「岩倉具視」が中心となって偽造された。
そして捏造錦旗の量産は、長州と薩摩が半数づつ密造した。

101 :
問題は
いいかげん長州の愚行を何時までも肯定してたら
又いつか、 長州のような変な人達に、 日本が混乱させられてしまう。 ということ。
単純に
皇居をテロ集団が攻撃することを肯定しちゃダメ
陛下の印を勝手に偽造することを肯定しちゃダメ

102 :
にっぽんごがかいけけない

103 :
特亜か極左だろ相手を全否定する洗脳カルト的不自由な日本語
書き込みといい薩長は明治大帝の元老だよ
会津だって後に容保の子が皇族になってる
会津厨と薩長厨を対立させてなにがしたいんだか
日本分断弱体化を狙って人の国の教科書まで文句
つけてきたり歴史捏造したりやることがいやらしいから
特亜は無視するにかぎる

104 :
いつも同じ人が張り付いてるよね
いろんな所に同じ文体で張り付けてる

105 :
まあここは会津マンセースレだから仕方がない

106 :
だから

107 :
お役料差止めのような江戸の幕閣との対立や、秋月の左遷を描いているのは面白い。
今まで幕末の政局では会津と幕府は一体として扱われるのがテンプレだったが、
実際は家茂の上洛まで慶喜や容保を悩ませた最大の抵抗勢力は江戸の幕閣。
まあ江戸の幕閣から見たら慶喜たちこそ馬鹿じゃねーの的な存在だったが
思想的バックボーンも、人脈的な系譜も、京都組とはまったく違う。

108 :
>>98
実際は鳥羽伏見が起きる直前まで慶喜が完全勝利ペースだったけどね
政局で慶喜の復活が避けられないと見て強引に戦争に持って行ったのが鳥羽伏見
負けたら1日目でアウト。

109 :
>>103
妄想だけで、よくそんな物語を造れるもんだな
大丈夫か?

110 :
>>104
そんな空っぽなレスを止めて、もう少し中身のあるものを書いてください

111 :
>>105
長州を擁護したい人達に
マトモな反論材料が無いからでしょ?
幕末長州の話ゆえ
仕方が無い事だとは思うけど、、

112 :
でも普通に貶すも褒めるも
長州の話の方が面白いよなぁ
昨日の八重で写真で処理された高杉や伊藤
この時期の動きってかなり面白い
長州は良くも悪くも若者が大胆に動く
それゆえの突破力、若さ故の拙さ
両面あって面白い

113 :
会津マンセーは潔癖症になりすぎた
後ろめたさの無い光を主張しても共感は得にくいし
自分たちの影から目を背けていては目的も見えないし変化も望めない
あんこを作るときに砂糖しか入ってないと不味くなるのと同じ
役人は侍の形をしていても志が無い
けっきょくは新撰組にも見劣りする

114 :
>>113 隠し味についてどうこうと言う微細な話とは違うんだよな
天皇陛下を道具扱いしてOK
それをネタにして内乱クーデターしてもOK
こんな酷い考えを21世紀の人が肯定してたら進歩が無いでしょ?

115 :
やっぱりこのスレの人にとって「花神」や日テレの「奇兵隊」って唾棄すべき作品なの?
そもそも歴史を善悪二元論で分けるほどくだらないことも無いと思うのだが

116 :
>>73
遅レスだけど
広沢安宅『幕末會津志士傳稿本』によると(句読点は追加)
「初め封土の未だ定まらざるや、士族の封土論二派に分る。
一は斗南の地を可とし、一は旧会津藩領土の内一部を可とて
互いに論争して譲らず。久茂は斗南説を主張す。
而して反対派は墳墓の地を去るは不可なりとて
他に移転するを欲せざるなり。
久茂曰く、今日の急は糊口の路を開くにあり。
故郷に恋する時にあらずと。
彼等言塞がる。然れども激怒甚しく、
其首領某は遂に剣を抜いて久茂に迫る。
久茂、徒手を払ひ、悠然自若懇論益々力め、
僅かに事なきを得たり。」
著者の広沢安宅は広沢安任の甥で、京都の覚馬の塾生となった後、
佐川官兵衛の下で働き、戊辰戦争後は東京で蟄居となった。
問題の論争は、東京蟄居の会津藩士の間で起こったもので、
まさにその場にいたはずの広沢安宅によれば、
封土が決まる前に論争が起こったとしている。

117 :
ついでに『史談会速記録』の合本4巻収録の
明治27年1月22日速記による岡谷繁実氏
(明治2年当時は若松県大参事で、明治政府に会津松平家再興を建言した人)
の語る内容によると
「(大庭恭平は明治2年10月の)
十四日に東京に着致し太政官に出頭し、
猪苗代五万石に社稷を御建下度旨建議仕りしが、
会津に置きては後々心配があるからと云ふ事で、
終に斗南にて三万石下し賜りました。」
大庭恭平は足利三代の首を切った騒動の人で有名で、
本来なら高田に謹慎の身だったが、各地に会津藩救済を訴るために
勝手に謹慎地を離れていた。その内に明治2年9月11日付けで
家名存続が許されたので、東京に出頭し、
猪苗代に5万石を下さるよう願い出た。
もっともこの後の「会津に置きては後々心配があるから」の主語が、
明治政府にとってなのか、会津士族にとってなのかは、どっちとも取れる
ただ、>>116の広沢安宅の文章と照らし合わせると、猪苗代5万石の建議は、
大庭恭平の独断で、それとは別に東京で会津藩士の論争が起こっていた。
一方>>73の「このたびの新封地、南部三郡、北海道四郡は〜」云々と出てくる
(この史料は何?)と矛盾するが、葛西富夫の「ある会津藩士の生涯」には、
この論争に関する史料はかなりあると書かれている。
その割に元文献をいちいち書いてくれてないんだが、
上の『史談会速記録』の文章は、先日たまたま図書館で読んでいたら見つけた。
少なくとも「猪苗代」の話は出典のない話じゃないし、
その著者も複数の文献を照らし合わせて個々の史料の矛盾をまとめた上で
議論してないんだったら、結論が早すぎる。

118 :
真面目な話食事は終わらせてから見ることをお勧めする

119 :
>>115
とんでもないよ、日テレ版奇兵隊はこの正月に時専で放送していたけど、
とくに前半の禁門の変までの流れは、長州藩の文久年間までの政治を理解するうえですごく役立つと思う。
後半はやや脚色が入ってしまうんだけど、前半の桂・久坂・高杉・周布の心理に関しては、
ドラマとしてはかなり役立つと思うよ。ただ久坂に関しては禁門の変の判断に関してちょっと惜しい。
八重ではその点、久坂の進発支持を単なる暴挙として描いてない所がいいと思うんだよね。
桂は慎重派だから最初から反対したけど、久坂に関しては「かりに進発を許しても政治的な落とし所がある」と判断していたのが凄いと思う。
会津スキーが長州嫌いだと思ったら大間違い。

120 :
>>112
ただ、高杉は元治内戦の時に諸隊が意のままに動かなくてかなり苦労してるのだよね。
彼は挙兵を呼びかける1カ月前に、冷泉が決起してくれと言ったのに対して、自重を促したから、
九州遊説が失敗して、この上は決起のほかなしと説いた時も「おめえ今ごろになって何言ってんだ?」と冷淡な反応なんだよ
おそらく功山寺決起も成算のある挙兵ではなく切羽詰った高杉自身の「義挙」の色彩が強かったと思われる。
諸隊が高杉の義挙に参加したのもかなり遅い時期で、時山赤根と反政府の交渉が高杉の挙兵などで結果的に決裂したのが原因だろうし。
しかしその後、山口で合流してからの萩への進撃に関しては、井上られっきとした士分と山県ら軽輩の意見が対立して、
心情としては「毛利家恩顧の臣」であった高杉にはかなりの心労だっただろうことは想像がつく。
高杉に関しては、「とにかく真面目な人」と言う印象。

121 :
吉田松陰の攘夷論は「開国的攘夷論」

122 :
>>116
>まさにその場にいたはずの広沢安宅によれば、
>封土が決まる前に論争が起こったとしている。
その根拠(例えば論争の日付とか)はわかる?
自分が読んだのは野口信一「会津えりすぐりの歴史」というコラム集なんだけど
その中で「これはこの激論の場面に立ち会った水島純が、47年後の大正6年に
東京の会津会において講演した内容である」と書かれている。
野口氏によれば、当時会津藩士は東京・越後・若松に分かれていて
新領地が斗南と知った若松組の主水は、会津を絶対に離れないと怒り心頭だったが
東京組の山川・広沢・永岡久茂らは、新政府から疑いを持たれないよう、会津を離れて晴天白日の身で藩を営むことを第一に考えていたと。
(事実当時の若松県知事も、早く斗南への移住を実行してくれなければ、鎮撫の自信がなく免職していただきたいとまで申し出ていた)
で、主水らは決死の覚悟で上京して、山川・広沢・久茂らと先の論争になった。
と言っている。
「猪苗代説の出典がない」の注釈は、私見だけど
「新政府から猪苗代か南部かの問いにどちらを選ぶかの論争とする記述も多い」
の文章中についてるから、その出典(「新政府からの問い」)がないってことではなかろうか?わからないけど。

123 :
>>122
>>117に示した『史談会速記録』、19号、183-202頁 (明治27年)の
岡谷繁実「会津城落城後処置に関する事実十六話」によると、
(今手元にコピーが無いので正確には書けないけど)
会津の地に潜入していた大庭恭平は、ほか二名の代表(多分一人は町野主水だったと思う)と共に
明治2年9月16日に会津の地を出立し、>>117の文章に繋がる
>>116>>117のどっちの記述も正しいのなら、
陸奥への封土が決まる11月3日より前の、明治2年10月14日以降に、
東京で論争が起きるだけの時間はある。
あと『史談会速記録』、304号、141-148頁(大正9年)にも
「故岡谷繁実君による戦争後の会津に関する実歴談」というのが掲載されている。
それによると、岡谷繁実は、猪苗代五万石を与えて立藩させれば会津の
不平士族をなだめることができますよと上申したのに、
いつの間にか難しい議論の末、陸奥三万石になってしまった。
色々な理由があったんだけど、
例えば明治元年の猪苗代は水害のせいで大飢饉の状態で、
とてもやってけないと思われたみたいだが、
これは実に会津の「大凡の成行」だ、
とかで、岡谷繁実は会津を批判している。
なお葛西富夫の『ある会津藩士の生涯』は、一応広沢安宅『幕末會津志士傳稿本』
以外の文献として相田泰三『維新前後の会津の人々』(1967年)を挙げている
(自分は未見)けど、出版時期からみて史料じゃなさそう。

124 :
とりあえず、史談会速記録に当時若松県大参事の岡谷繁実が投稿したり
口述させたりした内容と、広沢安宅の本の内容を繋げると:
9月11日、家名存続が許される
9月16日、大庭恭平らが会津を出発(岡谷繁実の記述)
10月14日、大庭恭平らが東京に到着(岡谷繁実の記述)
封地決定前に猪苗代派と陸奥派で論争(広沢安宅の記述)
「むつかしい議論で斗南三万石になった」「大変なやり損ない」(岡谷繁実の記述)
11月3日、封地は陸奥に決定
ただ、ここに挙げた自分が目を通した文献だと、
「東京にて会津藩士族内で猪苗代か陸奥かで論争したあげく陸奥を選んだ」
ということにはなるが、
「猪苗代と陸奥の二つの内から選ばせた」に該当するソースはない。

125 :
>>123
116と117がともに正しいのなら、野口氏の言うとおり
大庭が新政府に猪苗代を訴えた>>117はは明治2年10月
東京で論争が起こった>>116は明治3年1月
とも言える。
>>116にある「刀を抜いて」というのは
>>122の水島純が語った内容と一致するから。
そしてその中に「北海道4郡」の言葉が出てくる。
てことは>>116の論争は、明治3年1月以降のものだというのが野口氏の見立て。
猪苗代は新政府から問われたのではなく、新政府に訴えたのでは?
猪苗代は5万石ではなく、3万石弱じゃなかったかな?
確かに色々な理由はあったけど、新政府にあらぬ疑いをかけられないようにというのも
その中にあったようだ。

126 :
>>124
>10月14日、大庭恭平らが東京に到着(岡谷繁実の記述)
>封地決定前に猪苗代派と陸奥派で論争(広沢安宅の記述)
このことを野口氏は
「従来新政府から猪苗代か南部かの問いにどちらを選ぶかの論争とする記述も多い。
かくいう筆者も以前「猪苗代か南部か云々」と書いたこともあるが
実際は南部域の決定に対しての論争であったと訂正する」
とコラムで書いている。

127 :
いや、だから>>116の広沢安宅の文章では、
この議論は封地が決まる前に起こったことと書いてある。
自分は水島純の文章を読んでいないが、つまり議論が起こった時期については、
水島純の文章と広沢安宅の文章の文章で矛盾することになる。
というか、ググったら水島純の文章がみつかった。
http://aidu.s293.xrea.com/modules/tinyd0/index.php?id=15
これだと、東京の其余波町野氏の宿所で刀を抜くの喧嘩になったのは、
封地が決まった後(広沢安宅の勘違い)と読みとれる。
でもその前の文章から読んでいくと、東京の連中が会津の猪苗代案を上申せず、
気を利かせて強引に陸奥で話を進めたことになっている。
而して若松表の説は東京では行われず、
其の次第は其当時廟堂の当路者は会津の群臣を会津に据居ては
後来禍根を一掃する事が出来ないと云う疑心を飽まで抱て居りまして、
会津の群臣の丹心は其疑心の為めに蔽われて居りますから
若松の説の先祖以来墳墓の地云々の説を主張しますと
当路者の疑心は益々増長する計り也、
故に東京では旧藩の群臣は早く新封地の斗南に移住して納りを附け、
而して御両公(容保公、喜徳公)の御幽閉が解け青天白日の御身とならせられ
御帰藩になるのが臣子の情諠に於て重大問題、
是れが第一の目的にて其他如何なる辛苦艱難も顧るに遑あらずと
云うのが東京の意見なり、
而して若松表よりは若松の意見を主張する為め、
有志の士が陸続上京しまして東京に来て見ると意の如く行われず、
空く帰ると云う有様、其中には東京の意見を至極尤もとして
其儘東京に滞在した人もあり、何分にも若松表の説は到頭行われざる形勢なり。

128 :
だから、確かに刀を抜くの喧嘩になったのは、陸奥領決定の後
でも封地に関しては東京の連中が勝手に猪苗代案を潰して陸奥案を進めてしまった。
刀を抜いての大激論の事件は、野口氏が言うように封地決定の後の出来事の可能性が高いが、
封地決定前に猪苗代案と陸奥案の衝突があったという話を否定するまでではない。

129 :
五万石云々に関しては、若松県大参事の上申案であって、
明治政府がそれを三万石に削ったと思われる。
というか五万という数字は岡谷繁実の文章にしか登場せず、
ほかでは猪苗代三万石と斗南三万石との間の議論ということになっている。
とりあえず、斗南への移住は強制だったと書き残している人がいる一方で、
猪苗代で士族の族籍のままで残り続けた人
(もしかしたら秩禄給与を断っても士族の地位を継続できた?)もいるみたいだから、
なんとなく上司の意向次第で移住もばらばらだった感じな気がする。

130 :
>>128
うん、東京組が斗南案を勧めたのはそのとおり。
水島も言っているように、いつまでも会津に残っていては新政府に疑われるという懸念もあった。
ということは猪苗代は、新政府とそれほど行き来していず会津を離れたくない若松組が言い出したことなのでは?とも考えられる。
斗南などという、会津とは縁もゆかりもない選択肢を会津が思いつくとは考えにくいから
これは新政府から勧められたのだと思うが、猪苗代は会津在住側が勝手に候補地として言い出したのでは?と。
新政府から出された選択肢には、斗南と猪苗代湖の2つがあった、という従来の説の根拠が
この論争によるものならば、だけどね。
新天地についていくいかないの選択は、ある程度認められてたんじゃないか?
斗南へ強制的に連れて行くほど、藩としての力も残ってなかっただろうし。

131 :
>>115
>>119
先人が象徴する歴史(文化)に感謝しているつもりはあるでしょ、それぞれで。
その有り難さの一つは、
先人の経験値や具体化された結果が示してくれる現代人の指針だと思っている。
そうする事が、感謝を元にした歴史の活かし方の一つかなと。
そして、近代史のように現在に近い歴史は、
より直接的な指南を与えてくれる、有り難い経験値だと思う。

132 :
>>115
>>119
昨今、またもや外国からの圧力によって不穏な空気も漂う中、
毅然とした態度が求められている我が国ですが、
その毅然さを支え、又、粉飾もしてしまう、正義という概念を、
ここらで整理しなおすきっかけがタイミング良く登場しましたね。
我々の大河に。
時には失望さえしてしまう程、
我々が想い続ける大河ドラマですが(笑)

133 :
今年の大河は、歴史の流れを結構丁寧に追っていて、その追う目線(カメラワーク)に
ある種の肉眼視感的な実感もあって、
面白く幕末を語るに相応しい「ドラマ」と思う。

134 :
「全部長州が悪い、R」 まで読んだ

135 :
>134 は、ずいぶんと長州に否定的なんだなぁ

136 :
会津か長州か、なんて単純なドラマじゃない所がいいね
会津、長州、薩摩、越前、岩倉、一橋、幕閣、海舟、天皇、中川宮など
それぞれの立場や離合集散を複合的に示すことで立体感のある描写になっている
ちゃんと見ていればすごく面白いに
単に会津と長州の戦争をやってるだけでしょ、みたいなバカな事の言う人もいるんだよね

137 :
しかし、幕末の混乱って、ある程度、孝明帝が引き起こしてるよね。
政策的には長州寄りなんだけど、感情論で佐幕派が好き。
その好きという感情を政策にまでしてしまう。

138 :
時宗のときにはもう御家人制度そのものががたがきてたから
どっちにしてもどうしようもないのだが

139 :
>>136
うん、ほんと面白い。
B作の「わしらは誰と戦ってるんだべな?」って言葉に出ているね、その複雑さが。

140 :
在地名にしたもので、
武士としての初代からの受け継がれた
大事なものだったんだろう

141 :
>>137
そうだね。毒殺されてもしかたがないか。
毒殺説は史実かどうか疑わしいのは承知の上

142 :
新政府に疑われてると言うのはその通りだったんだろうが、永岡の判断は不味かったな。
なぜ山川や広沢まで賛成したのか。蝦夷地が近いからと言うこともあったのかね。

143 :
知らない

144 :
「やれやれ会津の乞食藩士ども下北に餓死して絶えたるよと、薩長の下郎武士どもに笑わるるぞ、生き抜け、生きて残れ、会津の国辱雪ぐまでは生きてあれよ、ここはまだ戦場なるぞ」と、父に厳しく叱責され、嘔吐を催しつつ犬肉の塩煮を飲みこみたること忘れず。
「死ぬな、死んではならぬぞ、堪えてあらば、いつかは春も来たるものぞ。堪えぬけ、生きてあれよ、薩長の下郎どもに、一矢を報いるまでは」と、自ら叱咤すれど、少年にとりては空腹まことに堪えがたきことなり。」
(石光真人編著『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』中公新書)

145 :
>>126
猪苗代・斗南関係論争に関する元文献と呼ぶべきものがあるとするなら、
おそらく青森県立図書館の書庫や、
青森県内の各地に分散している日記・古文書に記述があると思われる。
『弘前大学国史研究』50号39〜59頁(1967年)掲載の
小笠原二郎「官省指令留等からみた青森県の斗南藩対策の実態」
に紹介されている史料(但しきっちりとした引用がなされていないが、
小笠原氏によると、昭和11年に秩父宮が下北半島を訪ねたときの説明と思われる)
によると:
「明治維新となりまして、明治二年十一月悉くも会津松平氏の御家名を
御取立被下、此年六月誕生されました慶三郎氏、後の容大氏へ対し、
会津の猪苗代か陸奥の北郡に於て三万石御下賜の御内意を拝しました。
旧臣共協議の結果、猪苗代にては、土地狭くして、
旧家臣一統を養ふことは容易ではない。
陸奥の北部ならば土地広漠にして、如何にも賄う事も出来ようとの事にて、
此の地方に於て三万石を頂戴する事に御願い致したと申します。」
上の文書がどこに所蔵されているのかきっちり書いてないけど、
小笠原二郎氏の論文は青森県立図書館に所蔵されている「青森県官省指令留」、
「滝屋文書」、「万日記」などを紹介している。ちなみに小笠原二郎氏の結論では、
「斗南藩は為政者(政府、青森県)からは厄介視され、地元住民からは嫌われ(万日記)、
商業経済の面では喜ばれ(滝屋文書)たというのがいつわりのない実感ではなかろうか。」
『斗南藩史』等々をまとめた葛西富夫にせよ、元文献をきっちりまとめてくれないという欠点があるが、
明治政府からの内示を事実として書いているのは会津系作家ではなくて、青森県系の作家であることから、
多分青森県立図書館か、旧斗南藩域に分散している日記・古文書の類に、
それを示唆する元文献があると思われる。

146 :
>>129
国立公文書館所蔵の太政類典・第一編・慶応三年〜明治四年・第百八十六巻・民法・継嗣に、明治2年9月28日付けで
http://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?KEYWORD=&LANG=default&BID=F0000000000000000311&ID=M0000000000000839258&TYPE=&NO=
「松平容保城地ヲ没シ実子慶三郎ニ高三万石ヲ賜ヒ華族ニ列ス」とあるので、
家名存続が許された段階で、3万石は決定していたと思われる
この後、封地決定までは約5週間の時間がある

147 :
薩摩や長州は藩政改革によって経済を立て直したとされていたが、半藤氏は半ばは密貿易によって財政を立て直したのだ

148 :
追記
笹澤魯羊編『田名部町誌』(1935年)、『下北半嶋史』(1952年)に、
政府から猪苗代か陸奥かの内示があった旨のことが書かれていた。
以下は『下北半嶋史』からの引用(『田名部町誌』もほぼ同じ文章)
「是より前、朝廷にては慶三郎に松平家の祭祀を保持さする思召にて、
猪苗代又は陸奥の北郡にて三万石を賜る旨の内意があった。
重臣等が協議して、猪苗代では旧家臣一統を扶養する事が出来ぬが、
陸奥の北郡ならば土地は広漠だから開墾牧畜によって、旧家臣一統を
扶養する事が出来ようと、内申して御沙汰が出たという。
又文久二年広沢安任は、粕谷筑後守に随うて北郡を通過し、
大間から箱館に渡って、露国の使臣と折衝した事があるので、北郡の
土地風俗等を知悉し居り、専ら広沢の主張に基くともいう。」
困ったことにこれも何からの引用か書かれていない。ただ内容的には
>>145で挙げられている史料とそっくりな文体が登場する。
また広沢の名前が登場するが、どうも内示の話のソースは、
広沢安任の甥の広沢安宅が記述した孤忠録の気がする。
>>116で紹介した『幕末會津志士傳稿本』は、広沢安宅の遺稿を、
死後に莊田三平という人がピックアップしてまとめて出版したもので、
広沢安宅本人が書き残した文章に手が加わっている。
原資料となる広沢安宅の遺稿があるとするなら、子孫の家か、
三沢か青森の記念館、図書館あたりにありそう。

149 :
先に3万石が決まってたのか、それじゃ猪苗代でも南部でも厳しいだろう
いちかばちかで林産のある南部に賭けても不思議ではないか

150 :
そう

151 :
卑怯でも勝てば官軍

152 :
宮さん宮さんはトラウマソング

153 :
されど惜しむらくは度量が狭い。実があって花がない

154 :
実際、南部藩は木材の売買でかなり儲けてたのでしょ。
函館で木材や米穀や卵・乳製品需要があると思ったのかしら。。。

155 :
隣の半島情勢見てると、つくづく日本は平和だな
国内で争う歴史を何度も繰り返してきたが、
すべて明治初期を最後に終わらせた
一歩間違えてれば、日本人も別々に分かれて
武力で恫喝する情けない国に堕してかもしれない
(喧嘩してるのはいつも2ちゃんねらーだけw)
幕末の先人に感謝すべきだろうな

156 :
幕府と朝廷、あるいは朝廷どうし、
東西・南北に分かれて対立、分国する芽は十分あったね
あるいはロシアの南下で北日本が北朝鮮みたいになってた可能性も

157 :
ふん

158 :
癸亥丸(きがいまる)は、
幕末に長州藩が保有した西洋式軍艦。
下関戦争でアメリカ海軍と交戦して大破したが、
復旧されて長州征討に際しても幕府軍を迎え撃った。

本艦の前身は、1843年にイギリスで建造された商船
「ランリック」(Lanrick)である。
攘夷論を唱えて軍備増強を進める長州藩が、
1863年3月18日(文久3年1月29日)
に御用商人の佐藤貞次郎を介して購入
購入年の干支にちなんで「癸亥丸」と改名した。取得価格は2万ドルであった。
2本マストに横帆と縦帆を張った二檣ブリッグに分類される283トンの木造帆船。
蒸気船とする文献もある。もともとは商船であるが、
長州藩では10門の大砲(18斤砲2門・9斤砲8門)
を装備させて軍艦として扱った

159 :
>>155
フェリスの教科書では伊藤を暗殺した人間が英雄扱いのようだなw

160 :
>>156
そうそう。軍事クーデターだったからな
日本のことを、長州が本気で考えていたのなら
そういう危険をはらんだ軍事クーデターはやれないよ
長州は自分のために日本を犠牲にしたんだよなぁ

161 :
ふん

162 :
ふん

163 :
大河では家康が一番登場回数多い

164 :
>>155
ん〜〜?
朝鮮半島はいくつかに分裂してるのがデフォなんだがな。
完全属国の李朝と日本主導の大韓帝国、日韓併合ぐらい、半島をまとめたのは。
だから祖国統一とか絵空事だよ、またシナの属国になるしかないと思うが。

165 :
藩論も柔軟性がない

166 :
>>160
日本のことを考えてないのは、幕府や、戊辰でムダに戦争した会津だろ。

167 :
承知の上

168 :
ボスの慶喜や右腕の春嶽さまは潔く大政奉還を決断して降りたのにな
身内からも恨まれ一生を危険にさらすのを覚悟の上で犠牲者をできるだけ出さない選択をした
だから勝や龍馬からも尊敬された。
新政府綱領八策にも名前がある。彼らこそ本当の武士だった
ボスの意志に背いて戦争して犠牲者だして責任も果たさないとか最低のクソ松平容保
前に頼母が言ってたとおり
よそ者だから自国の家老や領民を田舎者と蔑んで、彼らのためには何ひとつ行動できない
ましてや命を差し出すとか絶対ムリ
手柄ほしさと沽券に固執する松平容保の生涯に義は生まれなかった
※義とは「美」と「我」の融合であり、我を美しゅうするの意。自己満足でコト足りる安いプライドを大儀とは言わない

169 :
慶喜は「いさぎよく」大政奉還を決断して下りたかと言われるとはなはだ疑問だな
単に四侯会議のあと孤立が一気に進み憂慮すべき状態になったこと
あと対外通商の面から政令一途に出ることがどうしても必要と認識されたこと
あと慶喜を新政府から外す構想を持ってた一般人は坂本に限らずそう多くなかっただろう
辞官納地に関しても徳川家が「出資」しないと朝廷→新政府が政治的機能を果たせないわけで
それと鳥羽伏見に関して言えば慶喜の復帰工作が進んでる中で江戸での薩摩藩邸焼き討ちが伝わり、
慶喜自身が討薩表を掲げて進発を命じてるわけだから容保が悪いとは言えない
幕臣でも榎本武揚などは江戸に帰ってから上さまは腰が抜けたかなどと言う暴言を吐いてるくらいだ
幕臣の主戦論者に比べたら、容保は何だかんだ江戸に帰るまで慶喜の意思に従っただけ自制が効いたほうだ

170 :
長州滅藩を支持した江戸の幕臣に比べたら、松平容保は京で西国諸藩の輿論に接することができただけ、
長州処分でもかなり柔軟。先週、阿部正外らの長州藩主父子死罪に対して容保が反対した場面があったが、
この第2次長州戦争の前の決着案でいちばん長州に寛容だったのは会津藩 慶喜ですら長州には腹を立てており会津ほど甘くない
ところが会津は父子助命、少々の減封で決着と言う本当に体面だけの案だからな
長州側が幕府に対して不信感を持っていたために使節を送ってこず初っ端から幕府の面目が潰れて戦争になってしまっただけで、
会津としてはいちおうのけじめを付けたらとっとと帰国したかったのは明瞭
正直、第2次長州戦争回避の交渉に関しては粛清を繰り返して北朝鮮状態になってた長州側の責任が半分くらいある

171 :
龍馬は越前の松平春嶽さまの名前を新政府綱領八策に書いてたぞ。多方に手紙も書いてる
んで伊藤は「坂本さんを信じて新政府を作ってつかあさい木戸さん」と積極的だった
松平春嶽さまが入る以上、徳川の意志は一応残ってる
それに慶喜にしたって大政奉還の受理を発表直前まで他言しなかったのは身内にそれを邪魔する者がいることを見抜いていたからで
二条城での告知からわずか一晩のうちに決めたのは見事な手際だった。潔かった。
その後の生活で旧幕府の人間からも恨まれる危険や命を狙われる危険も覚悟のうえで
日本を預かる将軍として最後で最高の仕事をした
だから敵味方に関係なく本当のボスとしてその器を称えられた
歴代の徳川将軍で慶喜と並べるのは家光か吉宗くらいのものである

172 :
高杉 晋作(たかすぎ しんさく、天保10年8月20日(1839年9月27日)- 慶應3年4月14日(1867年5月17日))は、
江戸時代後期の長州藩士。幕末に長州藩の尊王攘夷の志士として活躍した。
奇兵隊など諸隊を創設し、
長州藩を倒幕に方向付けた。

諱は春風(はるかぜ)。通称は晋作、
東一、和助。字は暢夫。号は初め楠樹、後に東行と改め、
東行狂生、西海一狂生、東洋一狂生とも名乗った。
他に些々などがある。変名を谷 潜蔵、谷 梅之助、備後屋助一郎、三谷和助、祝部太郎、宍戸刑馬、西浦松助など。のち、谷 潜蔵と改名。

栄典は贈正四位(1891年(明治24年)4月8日)。

173 :
慶喜が、雄藩による共和制を念頭において大政奉還をしたのは定説。
「龍馬伝」の慶喜像を信じてる人には気の毒だけど
史料行使しまくった「徳川慶喜」のほうが実在の慶喜にははるかに近い。
美化はあるけど。

174 :
雄藩による共和制を引いて、自分が要職に付くことまで計算に入れていたのが慶喜な。

175 :
しかし、雄藩による共和制って糞みたいな制度だな。

176 :
>>171
身内にそれを邪魔する者がいる=会津藩が野心を持って大政奉還に反対した
にはならないぞ。
それまでの政変もそうだが、時の政権を批判する者は将軍や天皇それ自身を批判する
と言う形を極力取らない、君側の奸を払うと言う大義名分で行動する
会津・桑名はその標的にされる危険があったのだから必死になって反対するのは当たり前
慶喜はさっさと両藩に帰国を命じるべきだったんだ
大政奉還を断行し大坂まで退城したのに両藩に帰国を命じなかった中途半端さがあの鳥羽伏見の結末を招いてる

177 :
>>172
高杉の挙兵が成功した後も長州藩は「天朝に忠節、幕府に信義、祖先に孝道」の藩是は変えてないでしょ。
この段階では長州は倒幕ではない。よって薩長同盟も倒幕のための同盟ではない。

178 :
優柔不断ていうか、鳥羽伏見の時点では慶喜は薩長を武力討伐する気だった。
倒薩の表も書いてるし、旧幕軍を鼓舞する演説もしている。
津や淀の裏切りと錦旗が出たのを見て、慶喜自身が戦意を無くしてしまった。
第二次長州征伐で自分が出陣すると大演説かましたあと、小倉城が落ちたと聞いて取りやめたのと一緒。
後日回想で会桑に引きずられてイヤイヤ兵を向けたと言ってるのは後付けの弁解だよ。

179 :
慶喜は頭良いからな
そこだけはホント救いだった
>>176
どっちみち遅かれ早かれ武家解体するんだから他の藩と一緒にオロオロして時間つぶしてりゃ良かっただろ。
それができないで目先の感情でフンギー戦争参加したのは、容保の「わしこそ日本一賢き者なり」っていう勘違いによる部分が原因
そもそも大政奉還が慶喜の発表である以上、それを言い訳にすれば戦争参加しない道は幾らでもあった
私怨でおこした戦で新政府の邪魔をしても、そこに義はない。
だから命も賭けられない

180 :
龍馬伝では大政奉還で話が終わってるけど、リアルでは
王政復古クーデターがあり、小御所会議があり、薩摩藩邸焼き討ちがあった。
鳥羽伏見で先に発砲したのも薩摩。
新政府軍側の無茶苦茶な挑発と、旧幕府軍側の無茶苦茶な怒りの中で戊辰戦争が起こった。
その流れを把握してから話をしようよ。

181 :
>容保の「わしこそ日本一賢き者なり」
↑どっからこういうのが出てくるんだww
こういうキャラのほうが話は面白くなるけど、無理ありすぎw

182 :
カタモリと清盛

183 :
>>180
「禁門の変」で京都(御所)に攻めて来たのは長州という事実。
つまり、長州(山口)のせいで京都が戦場になり戦火大火を被った。
それゆえ禁門の変後、長州藩は「朝敵」となった史実は重いよね。

184 :
>>179
既に多くの歴史家に言われてるけど、あの時点で幕府軍は戦ってもよし、
越前の周旋で岩倉も態度を軟化させてるので強硬派の孤立を待って上洛してもよかったんだよ
そして戦うとしたら最初から戦闘態勢を取って上洛すればよかった
和平の道を取った場合、会津藩なんて手元に置いておくのは会津にとっても慶喜にとっても疑念を招くもとでしかない
江戸から幕府軍が増援として送られてきてる状況で、会津を国元へ返す返さないは彼の勝手だが、
返さないなら戦争になるのは充分覚悟すべきだったし、戦争になることを覚悟してるのだから戦闘態勢をきちんと取って行動を起こすべきだった
慶喜は確かに「損切り」の局面ではきわめてスッパリ決断のできる人だったが、長州戦争や鳥羽伏見の開戦段階では無責任だったのもまた事実。

185 :
179はまず、薩長の指導者が政局的に追い込まれてたこと、
会津・桑名の排除を理由に決起することでしか局面が打開できなかったこと(王政復古時のクーデタも同じ)、
その標的にされる会津としては、慶喜が討幕派との間で何らかの手打ちが成立するまで警戒せねばならなかったこと
(禁門の変当時から会津藩は必ず政治的非難のターゲットにされている。将軍や慶喜は表立って批判しづらい)
これらすべての事情を無視して慶喜の被害者的側面ばかり強調してる。「君側の奸」論とまったく変わってない

186 :
>>183
朝敵云々の枠から、もっと外に視野を広げて
日本を俯瞰して見れた人達が最後に勝った
みたいな持って生き方してるよね、この大河
まあ、結構オーソドックスなやり方のひとつだけど

187 :
会津が長州に恨まれる原因となった818政変も禁門の変も
薩摩が主導・主力だったことを思うと
会津にはやはり同情せざるを得ない

188 :
大河では家康が一番登場回数多い

189 :
>>187
818政変はどうみても軍事的な主力は会津
会津藩 1888人
薩摩藩 150人
禁門の変の時は
会津藩 4578人 (新撰組や京都見廻組のほか、おそらく幕府からの増援を含む)
薩摩藩 1000人
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/941466/233

190 :
ふん

191 :
>>179
ということは悪いのは会津と容保だな
>>181
わかりやすさ大事だよ
戦う以上はスッキリしたいじゃん

192 :
スッキリ

193 :
★★ネット工作員による造語「ネトウヨ」という言葉とは?
もともと「ネトウヨ」という言葉は
在日韓国人の公式組織であり民主党の支持母体でもある韓国民団が、
ネットで高揚する政治的保守に対して
一括りにネガティブなレッテルを貼るために作った言葉です。
所謂「ネット工作員」は、民団の構成員や協力会社の中に実際に存在し、
民団新聞にも、それを認める記述があります。
彼らは、幾つか書き込み内容を指示されていますが
最も重要なのは「ネトウヨ」という言葉を多用し、
他のネガティブな言葉と併用することです(例えば、「ニート!」「ヲタ!」「低学歴!」「無職!」など)。
これにより、虚栄でも民族的自尊心を保つとともに、保守層そのものを否定し、日本国益を害することを目的としています。
(韓国人の多くが、日本国益を損ねることを運命のように強いられ、
また洗脳されているという事実を疑う人は、勉強してください)
したがって、「ネトウヨ」という言葉を使う書き込みは、
そのほとんどが実際の世論誘導工作員と、
教養がない故に工作員の誘導に騙された思考することができない白痴によるものです。

194 :
ふん

195 :


196 :
>>191
長州がクーデターを起こし、
御所 (天皇) にテロ攻撃なんてしなければ 、 京都が燃える事は無かったよな?
その後の内乱も同じ。
長州が関ヶ原の恨み (四半世紀の恨み) をネチネチ持ち続けてい無ければ、
日本は苦しまずに済んだのにな?

197 :
>>196
そんな単純な政治理解では幕末は捉えられないのでは?

198 :
長州の恨みって意外と短かったんだなw

199 :
>>189
つまり、長州の言う攘夷ナンテ、ギャグにも満たないRーなんだよな

200 :
>>42に加え、会津方の『幕末会津藩往復文書』でも、
御所側が鷹司邸に火を放つことを決定したと書いてある
しかも文書の中身は山本覚馬ら大砲隊の手柄を記す文脈の中
暁 御所之方ニ当り大砲聞ゆ 程なく御所之形勢あり、
小池帯刀、山本覚馬、今泉伝之助等御所之方へ引返シ、
東洞院より堺町御門へ至る、
井伊家之兵ニ合、越前家之大砲を借得て発砲壱番ニして弾薬尽、
最初越前之兵大敗中ハ北、中ハ南ヘ退、中之弐人我兵ニ従て打放す、
今泉伝之助槍之石突ニ而小門之扉を突、大勢石突ニ而つく、
今泉僕大石を以て打破、今泉伝之助手を以て毀ち、内ニ入て
大門之かん貫を取捨、大門を開
皆門内へ入、賊内ニ大砲を仕懸ケ打んとす、
故ニ急ニ退 九条門内へ入、越前之兵ニ合、
九条之内を通裏門より出、烏丸通より蛤御門ニ至る、
其時賊兵已ニ退散す、
鷹司亭ニ放火すへきニ定る、
生駒隊鷹司館へ向大砲隊西院参町を西へ行、
大覚寺之営ニ向て南へ行、賊鷹司裏門より出、小銃を打放す、
大砲隊二発ニして鷹司北西角之塀崩る、
山本覚馬先入続て入る者数輩、始大砲発る時、
桃沢克之充照準、荒川詮太郎打破、長山次八弾薬運送、
酒井亭照準棍を取る、外ニも数人あり、午後鷹司館煙上、

201 :
なお文脈としては、蛤御門の戦闘が起こった時点では
大砲隊は竹田街道におり、戦闘の騒ぎを聞いて山本覚馬らは御所に引き返した
まず堺町御門に行き、そこで戦闘を行った後、九条邸に入り、
そこから烏丸通経由で蛤御門に到着した時には戦闘は終わっていた。
その後、鷹司邸に火を放つことが決定され、
その際大砲隊は鷹司邸に穴をあけることに成功し、
山本覚馬は一番乗り、またその際の大砲を撃った人の部下が記されている。
路順はかなり錯綜しており、最初の時点では鷹司邸をスルーしている。

202 :
>>200
>>201
長州が御所 (天皇) にテロ攻撃なんて
異常な事をしなければ、
そもそも 「京都は戦場になら無かった」 よね?

203 :
そうやって遡っていくと
徳川が悪い、豊臣が悪い、織田が悪い
ってならないか・・・
すっげー無意味な議論のような気がするんだけど

204 :


205 :
お札萬札 爆風 吹きぬけ 公家が 参上 踊り出す

206 :
>>197
ただ、長州藩の行動には批判が多かったのは事実だよ。
薩摩に追いつくためにありとあらゆることをやったと言う感がある。

207 :
新政府の寛容示す文書続々 読売新聞 4月10日
 戊辰戦争中の1868年に、会津若松城の籠城戦で奮戦したことで知られる、会津藩主松平容保の義姉・照姫らの
処遇を記した文書が、近年相次いで見つかった。過酷な処分を受けた印象の強い会津藩だったが、新政府が
意外に寛容だったことがうかがえる。
 文書の一つは、若松城落城から5ヶ月後の69年2月、新政府の軍務官副知事として軍事部門を統括していた
元長州藩士・大村益次郎が、会津の状況を知らせていた側近に返した手紙。近年になって、照姫のことが
「若狭伯母」という表記で書かれていることが判明した。

 照姫は1か月に及ぶ籠城戦で、NHK大河ドラマ「八重の桜」の主人公の新島八重ら、家臣の家族の女性らを
指揮し、負傷者の看護などにあたったとされる。敗戦後は江戸の紀州藩邸に護送され、後に実家に帰された。
 大村は、照姫の護送の準備を進めるよう、側近に手紙で指示。容保の嫡子を懐妊していた側室2人については
出産まで会津に滞在させた。手紙には、出産後も「相当の手当を出すべきだろう」と記されており、
朝敵となった容保の嫡子の誕生を認めていたことが読み取れる。
 『会津戊辰戦史』によれば、側室2人はこの後、会津で相次いで男児と女児を出産した。男児は後に松平家を
再興することになる容大で、手紙の指示が徹底されたことが確認できる。
 また、今年都内で発見された冊子『巷説談』では、照姫の護送に随行した40人の役職と名前が確認された。
巷説談とは、当時の風聞などの情報をまとめ、幕末に大量に発行された冊子で、今回見つかった冊子は、
諸藩から新政府に提出された公式文書の写しが流出したものとみられる。
 それによると、照姫の護送は69年2〜3月に行われ、医師2人を含む護衛役など18人、奥女中が22人と、随行が
手厚く認められていたことが判明。奥女中の中には、八重の友人で、後に元新撰組の斎藤一と結婚した
時尾(明尾)の名も含まれていた。また先代藩主容敬の側室とその使用人ら計18人も後に合流していた。
 両資料を発見した岩下哲典・明海大教授(幕末史)は「これだけの大人数の護送には多くの紀州藩兵が割かれた・
医師が2人も随行していることからも、敗軍に対する扱いとしては破格と言える」と指摘する。
 会津藩は23万石を3万石に削られ、斗南藩(青森県)に転封された。その評価については議論が分かれるが、
岩下教授は「朝敵とはいえ、私利私欲のために抵抗したわけではないとして、大村は元々、会津藩に同情的だった。
実際に、寛大な処分を指示していたことがうかがえる貴重な資料だ」と話している。
(文化部・辻本芳孝)

208 :
「3万石と思っていた斗南藩は実高7千石に過ぎず、騙された!」
と書いている作家が多いけど、この7千石なのは現石(税収)であって、実高じゃない
実際の斗南藩の実高は3万4747石4斗6升5合だったが、
一方で税収(現石)は7380石に過ぎなかったというのが正しい報告で、
ちゃんとした歴史家なら、この辺を区別して記述している
ただどうもこの数字は、年貢米による税収分しか計上しておらず、実際の税収はこれよりも多かった
旧南部藩であれば4公6民なので、実高の4割の1万3899石の税収が期待できる
移住した武家1万7千人を養うには足りないが、その分は新政府から補填されている
ところが明治4年度の斗南藩の税収の内訳(青森県史による)は
米 7310石3斗7升8合
金 1万4503円13銭7厘 (明治4年に1円 = 1両で貨幣単位が切り変わった)
銭 1万2489貫432文
つまり斗南の地は米が余りとれないので、
税金の半分は農産物を売って稼いだ金銀銭で払われた
ところが幕末のインフレのせいで、期待していたほどの税収にならなかった
(領民からしたら、税金が安くなった形)
幕末の文久年間であれば、大体米1石 = 金2.5両なので、
上の税収は米で約1万3611石相当となり、ほぼ実高に対して4公6民の値となる。
一方明治元年〜2年頃は、米1石 = 金8両 = 銭80貫で換算されるので、
上の税収は米で約9279石相当となる
明治4年度の場合、米1石 = 金 5.63円で換算すると、
上の税収は米で約1万0108石相当となる
税金といえば年貢米が当たり前だった会津の人間にとって
ショッキングな税体系だったのかも知れない
いずれにせよ税収7千石は、年貢米だけの数字で、ましてや実高でもない
この辺の数字を取り上げて、斗南の苦しみを大袈裟に申告する傾向がある

209 :
ちなみに『明治史要』によると斗南藩の人口は、1万5240戸7万5467人
明治6年以降の陸奥三郡の人口や、戸数を比較する限り、
この7万5千人は旧南部時代からの領民の人口で、
会津から移住した士族4332戸1万7327人が含まれない
7万5千人もいながら、実高3万5千石、年貢米7千石というのは、
米がほとんど取れなかったために石高の査定が甘く、
どちらかというと税金の安くなり、
南部藩の中では一揆がほとんど起きなかった地域になる

210 :
喧嘩では世の中変わらん
憎しみからは、何っちゃあ生まれん

211 :
斗南の経営能力において会津の要人たちがお世辞にも優秀じゃなかったのはその通り。
ただ、新政府の寛容と言っても、アメリカが日本に原爆落とした後に天皇制を存続させたから寛容と言うような話だからね。
もともと奥羽戦争−会津戦争じたいが不必要な戦争だったんだから恨まれても仕方ない。
現に広沢真臣みたいに米沢を介して会津の平和的帰順を働きかけていた人間もいるわけだし。
まず23万石を3万石相当にする時点で食えない。食えないならいっそ南部領に行こうと言う発想になる。
幕臣が蝦夷地開拓に過大な期待をかけたのと同じだ。

212 :
容保のせいだな

213 :
>>203 ならないだろ
単純明快な話、
長州が御所 (天皇) にテロ攻撃なんて異常な事をしなければ、
そもそも蛤御門の変が起こらなかったのだから。

214 :
それを言うなら、何故会津は前年に薩摩と手を結んで
長州派を追いだしたのか、ということになる

215 :
>>214 は、まさか、それが有ったら
皇居(天皇) に軍事攻撃なんて異常な事もしても良い。
なんて馬鹿なことを言ってるのかナ?

216 :
>>215
天皇を奪い取るということが異常なことと認識されるようになったのは明治以降だ
先に玉を取れという考えは、幕府も薩長もやっていることは変わらないし、
錦の御旗云々は、慶喜の言い訳

217 :
母方が会津藩士の家なんですが、北海道で苦労したのでまあ、歴史というのはそういうものかなと…。
子孫はそれでも生きていかなきゃいけないし、恨みとかもないし。
でも北海道、東北がなんとなく政府からは冷たくされてるかなあ…とは思ってた。だいぶ和らいできたとは思うけど。
色々あったけど、日本人として生きたいものです。

218 :
こういう事言ったらあれだけど
御所に発砲、孝明天皇の信頼
これしかねーのかよ・・・って思ってしまう
何か考えが狭すぎる

219 :
>>216
>>218
幕府は家康の時代も含めてさえ 、 皇居(天皇) に軍事攻撃なんて馬鹿な事はしていない。
近世以降、長州の犯した愚行と一緒に並べられるものは無い。
それはやっては成らぬ事だ。という考えは
朝敵となった長州以前において、
すでに「300年以上の永きにわたりタブーとして定着していた」。
それが、
当時においても現代においても変わらない(長州以外の)日本人の回答だ。

220 :
家康って天皇の位を奪って
伊勢神宮の神主にしようとした人だよ
まあ、結果的に天皇から大幅に権限を奪って存続させたけど
信長は一説によると信長に危機感を抱いた朝廷が
光秀を操ったと言われているし
だからと言って家康も信長も否定しないよ
というか
よりどころがいつも「御所に発砲」しかねーのかよってのが
ほんと、悪いけど素直な感想なんだ
ほんとわりぃ

221 :
>>214
孝明天皇のその後の言動を見たら明らかな通り、長州派公卿と結託した長州藩の政治活動は先鋭化しすぎていた。
しょうがない。
孝明天皇は確かに攘夷だったが、理念的攻撃的な排外主義ではないから長州の行動を秩序破壊と受け止めていた。

222 :
>>220
江戸の幕閣も「承久の故事」にならえなんて言ってたからある意味、開国近代化の立場から御所に発砲と似たようなもんだけど、
さすがに御所への発砲と言うのはまずい。
現代で言えば国会議事堂を武装蜂起して占拠しようとするようなもんだ。ルール違反だよ。

223 :
御所に発砲っていう結果がなぜ生じたか
って部分をまるで触れないで
その最後の部分だけをスローガンのように連呼するから
またかよー・・・って思うのさ
やった事は悪い
だから朝敵になり、家老の首も差し出した

224 :
それと長州の行動で、外国のみならず国内からの非難が起きたのは外国の商船への無差別砲撃だよ。
軍艦でもないのに砲撃すると言うのは非常識極まりない行為と見なされる。
長州にしてみれば物価高騰の原因が〜とか色々あるのかも知れないが露骨な政治的パフォーマンスなのは否めない
砲撃こそされないが、加徳丸事件で薩摩の商船もその犠牲になってるでしょ。

225 :
>>223
だから最初は国元から諸隊を送り込んで囲めば孝明天皇の周囲がビビッて長州が復権し会津を追放できる
とか何とか考えてたんだろうよ。そんなデタラメな戦略でも途中までは上手くいってたのね。
ところが孝明天皇がこれに動ぜず会津を擁護して断固追討を命じ、同時に連合艦隊の報復攻撃のニュースが入って情勢が一変した。
御所を直接攻撃して、朝廷の動揺に付け込んでクーデタを惹起すると言う完全なルール違反をやるしかなくなった。

226 :
よくさ、長州と幕府というけど
もっと語られてもいいのが「朝廷」だと思うんだよね
特に三条実美とか、姉小路とか
朝廷内権力抗争って割とスルーされがち

227 :
つかわりぃ >>220が長々書いた、始めの6行の意味が判らん。
結論は、
近世以降、長州が「実際に」犯した愚行と一緒にできるものは無い。 という事だ。
拠り所がどうしたか知らないが
こんな簡単な結論も判らない奴が多くて困るよ。

228 :
>>210
そうそう、
長州が関ヶ原の恨み (四半世紀の恨み) をネチネチ持ち続けてい無ければ、
日本は無駄な内乱の犠牲をはらわずに済んだよな?

229 :
>>225
帝が一番、時勢を読めてなかったんだよね・・・
開国に反対で、力の落ちた幕府をなんとか維持しようとした
家康が禁中並公家諸法度を発令して
天皇から権力を完全に奪って、ある意味箱の中に入れてしまう
また、尊王思想を持ちそうになると
囲って洗脳するやり方ってのは
俺は統治のためにはある種の合理性はあったとは思うんだよ
その辺の家康の才能は凄いと思う
が、結果的に時勢がまるで読めていない帝を国政に引っ張り出し
その意見に右往左往してしまった感は否めない

230 :
あ、国政に引っ張りだしたのは家康のせいじゃないからな
阿部とか井伊とか堀田が下手打った
俺は家康は大好きだからw
家康が幕末にいたら、絶対に乗りきってるはずだ
どういう乗りきり方をしたんだろうか

231 :
>>229
>帝が一番、時勢を読めてなかったんだよね・・・
時勢を読めずに攘夷とか騒いでた「長州はスルー」で帝批判。 都合良過ぎじゃね?
>その意見に右往左往してしまった感は否めない
その原因の一つである、尊皇精神でクーデターだと政情不安にした「長州はスルー」で幕府批判。
おまえって、長州に都合良過ぎじゃね?

232 :
>>231
長州って言っても、個人じゃないから、何と言っていいのやら・・・
長州のもっとも過激な連中は、あれはキチガイみたいなものだから
長州藩でも高杉伊藤井上などは大攘夷だよ
松陰一派でもっとも過激でラジカルなのが久坂で
久坂が生きてる間は、高杉なんて結構孤立してた
ちょっと引いた所で冷めた目線だったんだよね
関係ないけど、俺は徳川家康と伊藤博文って
結構感覚が似た人だったような気がする
いろんな事に対するバランス感覚とか

233 :
>>228
うん、25年で長州が恨みを捨てていればこんなことにはなっていないなww

234 :
恨みっていうが、実は毛利ってビックリするぐらい徳川に貢物してる
気に入られたくて必死って感じで、ちょっと情けないなと思った
前に展示会で展示してあったよ
そして長州藩も俗論派(親幕政権)が割と力持っていた
討幕を意識したのは第二次幕長戦争の後ぐらいじゃね

235 :
>>232
長州のように、
天皇陛下を暴力によって道具化し、
権力を我が物にしようとする馬鹿な考えを、肯定し続けてはならない。
何時までも
そんなじゃ未来が不安すぎるよ

236 :
>>235
長州のように、って
まるで長州藩一藩だけのようにw
朝廷工作自体は、後半は薩摩の独壇場だよ
特に岩倉〜大久保ラインが機能してた
あと天皇を道具化というか、神格化して
ある種のプロパガンダに使ったのは山縣だと思うから
半分は同意かな

237 :
そりゃ岩倉・薩摩は酷いさ
けど、これからどんな時代になろうと蛤御門の変は無いわ。
あれで永年のタブーが崩壊し、この国から議論による解決という選択肢が遠ざけられてしまった。

238 :
>>229
孝明天皇は「自分の代でよく分からない政策変更はできない」と言う責任感があったと思う
自分には判断能力がないから幕府に行政実務は任せると言うポジションは徹底しているし。
和親条約には反対してないでしょ。敏感に反応したのは通商条約。
こちらは国内のインフレや商業への影響などがでかい。天皇が一番憂慮したのはそこなんだろう。

239 :
>>202
そして日本は植民地まっしぐらですw
長州がいなかったら、近代化なんて無理。

240 :
>>231
孝明帝には、政治能力が欠如してる。
はっきり無能。ああいうのを政治に参加させたことが間違い。
徳川ってのは封建体制だから、武力で倒さないと永遠に終わらないし
既得権の打破もできない。
長州のやったことは全面的に賛成だな。
幕末の混乱がなければ、日本が近代国家として生まれ変わることなんてできない。
朝廷と幕府と会津と薩摩や雄藩の連合体。悪夢みたいな国w
たぶん日清日露で負けてボロボロになるだろ。

241 :
>>239
>>240
単純な史実の話だが
政府(幕府) の公議輿論(諸侯が会議で改革を進める)議会制政権思想を
テロリズムや軍事クーデターの、暴力で邪魔したのが、「御存じ迷惑長州」。

242 :
そんな長州の、
無駄な内乱クーデターのために
日本は、国力が低下して植民地化の危険を高め、近代化が遅れてしまった。

243 :
>>242
幕府には、近代化はできないぞ。
近代化したら幕府がなくなる。
幕府から権力を奪うことは、近代化の第一歩であり、必要条件だった。

244 :
長州の木戸は米国憲法翻訳文を読み明治大帝の
五箇条の御誓文と照らしてわが国の根本法たるべき
憲法を創定し国会を設けて興論政治を行うことが理想だと
述べている木戸は立憲政体の必要性を確信している
幕府の公儀興論よりこちらのほうが優れている

245 :
>>241
議会制政権

全ての既得権を温存して、何も決められない糞制度だろ。
これこそ、日本の国力を致命的に低下させる植民地にされる側の制度。
諸侯っていったら、いろんな藩の無能殿様が一堂に会して
それでどんな決断ができるんだw

246 :
テロリスト・長州のやったこと
総督府設置 → 戊辰戦争・西南戦争・日清戦争・日露戦争〜

247 :


248 :
日本内戦が長引けば日本が列強の植民地になる
おそれがあったから明治政府は反乱を全力で潰した
またロシア南下など当時の厳しい国際情勢を無視して
全面的に長州をテロリストよばわりには違和感を感じる
非武装なら泥棒に入られないと考えるお花畑左翼と
なんら変わりが無い

249 :
大攘夷と小攘夷の区別もつかない糞みたいなドラマ八重の桜
いまだに説明もナシ
おかげで勝の仕事とか目的とか信念もさっぱりわからんちんw

250 :
>>240
すいません、孝明天皇はご自身政治的能力が欠如していると何度も認めています
だからこそ武家に政治は任せよと言うので慶喜や容保に信頼を寄せたわけですが。
>>248
ありません。内戦が長引いて日本が列強の植民地になる可能性なんてまずない
完璧に叩きのめした長州ですら、保障占領をしたがった英国が、仏普蘭あたりと組んだ幕府に阻止されている
それに内戦回避が至上命題であるなら、大政奉還で諸公使の信頼を得ていた慶喜の穏健な政局復帰は当然認められるべきだから、
鳥羽伏見直前の京の主戦派には何ら大義名分がなくなる

251 :
幕府外交は常にどこかの列強と他の列強がいがみ合わせる緩衝地帯外交だけど、
実際に対馬の占拠の際も、連合艦隊の長州報復攻撃の際もそれで切り抜けている
それに対して、清の場合は独断で商行為を禁圧するから、列強に目を付けられて開戦の口実にされる
清はGDPでは当時の日本の5倍、1880年代の日清戦争前夜の時も財力に関しては他国を圧倒している
あそこは弱かったから負けたのではなく、自分から開戦の口実を与えて、しかも内部が纏まらずに負けている
外国での評価を見ても、攘夷騒動が始まる以前は日本への評価はきわめて高い
ところが攘夷が過激化し、条約を破って鎖港とか言い出した頃から急速に評価が落ちた
最初は半文明国扱いだったのが、未開国であってげんこつで思い知らせるしかないんだと言う認識を広めちゃった

252 :
ようするに容保のせいだな

253 :
違う英国のサトウは幕府の統治能力に疑問を抱いた
長州一国すら押さえられない弱い幕府にフランスは逆に
諸侯廃止をもとめ英国はフランスの幕府支援をおそれ西郷に
軍事支援をもちかけ西郷は内戦になるからと断っている
榎本が列強に共和国樹立を認められなかったのもひとえに
統治能力がないとみなされたからへたすれば日本は分裂していた

254 :
ふん

255 :
幕府の統治能力に疑問を抱くことは、徳川家を打倒することとイコールではありません
日本は幸いにしてお隣の李朝や清朝と異なり、開国通商の段階では極めてスムーズに実務が進んでいる
あとは統一政体を樹立すると言う段階に来て追い込まれた強硬派が挙兵のやむなきに至った
それだけの話
統一政体への移行に関しては幕臣自身が程度の差はあれ必要性を認めている

256 :
イギリス=討幕側、フランス=幕府と言うのはまったくの認識の誤り
フランスは幕府側でも何でもない、ロッシュが個人的にのめり込んだ時期があるだけ
イギリスも討幕側ではない、パークスは慶喜を最も高く評価しているし、幕府実務も英仏を均衡させている
露骨なフランス偏重は取っていない

257 :
フランスが幕府側でないならブリュネが江戸脱走の榎本と
行動を共にしたのは何故なのかな?シャノワンが勝に官軍との
決戦を進め警戒した彼に陸軍教師を解雇された訳は?
ロッシュが慶喜の声明書に関わり各国代表に説き朝廷と徳川政権
併立を実現しようとしてたことは?

258 :
フランスの対日政策はイギリスに対抗して日本市場を独占
するという本国の意向があった幕府崩壊後フランス本国の
対日政策は転換するパークスは幕府が米に注文していた甲鉄艦を
駐日列強外交団の局外中立を盾に幕府に引き渡しをしないように
周旋している官軍の制海権を保つためだ英国は中立をいいつつ
実は幕府を信用していなかった

259 :
さすが英国。アタマがえいぜよ!
フランスは大馬鹿じゃ。

260 :
>>1
長州 ≒ オウム真理教
武力&恐怖思想による支配。人命・人権軽視。

261 :
いや、長州ほど自由な気風の藩もないよ
おそらく良くも悪くも
そうせい候に思想やリーダーシップがなかったからだろうけど

262 :
やはり高杉さんは凄いぜよ

263 :
>>243 >近代化したら幕府がなくなる。
早くその妄想の根拠を示しなよ?
当時の政府は、
議会制政治にまで舵を切ろうとしていたのだから
内乱クーデターは、
日本にとって無駄な損失でしかないよ。

264 :
234は外国は日本はプロシアと同じ連邦制で将軍は一大名にすぎない
という認識だから幕府が大名制度を廃止するということは
当然一大名にすぎない将軍制度や幕府も無くなるということ
を言いたいんじゃないのかな?
つまり幕府は大名を否定することで自分の存在も否定したということに
気が付いていない議会制政治になったとしても将軍家がトップに
なれると本気で考えていたふしがあるけれどね

265 :
ああごめん243だねw

266 :
今日の八重の桜
勝麟太郎のセリフ
>もとをただせば徳川は数ある武家の中で喧嘩して一番強かったってだけだ
>幕府の屋台骨は腐りきってる
>幕府はうろだらけの大木だ
慶喜のセリフ
>腐りかけの幕府など、一度つぶれたほうがよい

267 :
>>263
だからさ、その議会が世襲の無能で占められてて
ほとんど何も決断できないってわかんないかな?

268 :
誰もが笑うて暮らせる国は
誰もが政に参加できるようにせんと作れんがじゃ
春嶽さま。もう日本は皆ぁが前を向いて歩かんといかんがです

269 :
>>267
議員(諸侯)は藩士のサポートを受けるから、あんまり問題ないよ。
と言うかそれ以前から航路遠略策をはじめとして幕府に諸侯が普通に献策する状況にあったから。
あと、統一政体を作った場合には諸侯はその代では地位を認められるけど、
次第に政策立案の実際に携わる新参旗本御家人や下級藩士の地位が上昇するから、
貴族院・庶民院的な構造に移行して、貴族院の英上院化で決着。

270 :
>>257
仏軍士官の行動は独断。後任のウートレ大使は英国と同一歩調を取ってるから、謀略はあり得ない。
>>258
内戦状態に入った場合は局外中立を宣言するのが当然
甲鉄艦の引渡は鳥羽伏見後の出来事

271 :
英国が薩長でフランスが幕府と言うのは、話を分かりやすく、もしくは面白くするために作られた話で、
実際には「英国とそれ以外」あるいは「英仏とそれ以外」、「英国を筆頭とする列強」とするほうがずっと実態に近い
誤った認識を与えたのは、パークスとロッシュの個人的性格による所も大きい

272 :
>>267
各議員が、
各藩内の英知を総動員した意見を戦わせるのが議会制というものだ。
薩長の知性に自信が無いのかな?

273 :
本国の意向を受けたフランス公使のロッシュが慶喜に再挙と援助を提案
したのは事実内乱一歩手前慶喜が馬鹿でなかったから乗らなかっただけ
諸侯会議は武士階級以外は参加不可能身分制が足かせになる
当時外国に対抗するには強力な中央集権体制でないと無理だろう
長州薩摩がそれぞれ1国で戦ったが無理だった
武士だけの力では外国に対抗出来ない
庶民に学制をしき中央集権で税制や産業を整えて初めて外国に対抗出来る

274 :
つまり、ロッシュが調子こいて日本に迷惑かけたのは容保のせいだってことだな

275 :
あの時代、外国との軍事衝突は避けなければ成らなかったろ。
実際、長州も負けて、
その尻拭いを政府(幕府)にして貰い、国力低下させた。
為政者であり軍人であったら、あんな浅はかな攘夷は無いよ。
(しかも民間商船に)
何より
「 皇居をテロ攻撃するような馬鹿(長州)」 は、普通の日本人には無理な存在だ。

276 :
役職の必要経費は各藩が自分持ちで行うのに賠償金で国力低下ってなんぞや

277 :
>>274
いや、ロッシュの対幕接近は親仏幕権派とよばれる開明派官僚によるもので、
慶喜とロッシュは軍制改革におけるアドバイザー以上の関係ではないよ。
ましてや会津とロッシュの関係なんて…
>>273
ロッシュの慶応年間の幕府への接近は彼の個人的傾斜と言うことで結論が出てると思うよ。
フランス本国はナポレオン3世がメキシコ出兵失敗や普墺戦争で次第に権威が低下して、独自路線を採る余裕を失っている。
あと、ポサドニック号事件や下関協約の処理に見られるように、
幕府は日本と言う市場へのアクセスにおいてロシアや英国と言った特定国を突出させないように他の列強を利用すると言う外交手法を取った。
これで充分成功している。下関協約も長州の全面敗北にも関わらず、開港場の増加は認められず、償金の性格も友好協力のための補償金とされている。
そんな差し迫った危機は当時の日本にはないよ。上でも述べたけど、清や朝鮮の場合は外国との通商や修好条約を円滑に締結しないか、
締結しても民衆暴動を利用して商業資本に対する排斥運動を行うなど、条約違反と取られる行動を取ったのが致命傷になった
一方で江戸幕府は、和親・通商を前提としたうえで、国内商業資本を保護することを最重点課題としたためダメージが最小限で済み、
さらに武力行使の口実を与えなかった。
唯一、武力行使の口実を与えたのが無差別攘夷の長州藩だが(薩英戦争は英国側や幕府の布告にも過失があり薩摩だけを責めるのは酷)
その結果として結んだ下関協約は償金の支払、下関の事実上の自由港化、下関からの砲台撤去など、かなり屈辱的な条件を含むもので、
これこそ南京条約に類似している。幸いなことに償金と自由港化は広沢真臣などの依頼により幕府が処理したが、
砲台撤去=非武装地帯の設定については第2次長州戦争でも「対幕戦に差し支える」と言う桂小五郎の懇願にも関わらず、英国は頑として認めなかったよ。
日本とまったく逆に、当初は小規模な武力攘夷に成功したものの、自信を深めてアナクロ鎖国政策を継続し、
その結果、最後は近隣国である日本の艦船の侵入を防げず開国を迫られたのが朝鮮。

278 :
↑なお、長州藩の武力攘夷策も観念的なそれではなく、藩内の改革断行と総動員体制が真の目的で、
その結果少々ドジったと言うだけなので、朝鮮や清のそれとは性格が異なるが、
それにしても長州の予測はチョット甘かったのは否めない。ただ事後にすぐ戦争収拾に動き、
長州が列強に強いられた点では、広沢らが幕府と意思疎通に務めて事なきを得た。

279 :
幕長戦争で砲台は再設置したじゃん
射程の長い大砲でイギリスには嫌だったら撤去するから言ってね〜って伝えたけど
イギリスは見て見ぬふりをした

280 :
イギリスは日本人の強さと可能性を最初に認めてたからな
そこは龍馬や高杉さんも心強く戦えた理由の一つだろう
龍馬、高杉、木戸の3人が力を合わせ奇跡の大勝利をおさめた第二次長州征伐
わずか3千の兵で15万もの幕府軍を倒した

281 :
>>275
無能幕府が政権に居座り、
日本に害をまき散らしていたんだから、武力革命は正しいよ。
>>272
ゴミ制度だな。植民地まっしぐらコース。
既得権の打破はとうていできない。4民平等すらできんバカ制度。

282 :
英国は馬関戦争の後幕府の攘夷確約の事実を明確に掴んでいる
英海軍省に報告書として幕府の外国人追放英国貿易規模縮小を
伝えており英国は対日戦争にそなえて防衛計画も立てている
徳川明武の通訳シーボルトジュニアは英国外務次官に仏国借款
日仏合弁会社の設立と担保の独占権を伝えている
だから英国は局外中立を保ちつつ長州への武器売却を黙認する
よく公儀政体が良いと明治を否定する輩がいるが
淀・津藩の裏切りのように徳川は武家の代表者たりえていない
なぜなら慶喜は公儀政体派を参与会議以来裏切り続けていたから
信用がなかった小栗らのせいにして幕府を無関係だというのは
幕府に統一見解がないということで国の信用を失うこと
小栗も浮かばれないだろう貴人情を知らずというがこれでは部下
はついてこない勝も西郷も大久保も桂も坂本も立場は違えど
一身をかえりみず日本の為に戦った
慶喜は政局を見る目はあったがその覚悟があったかははなはだ疑問だ

283 :
>>279
馬関戦争の協定では
「新規に台場を整ふるはもちろん、古き台場を繕ひ、ならびに大砲置くまじきこと」(防長回天史)と取り決められており、
慶応元年6月(あるいは閏5月)に帰藩した桂が、パークスに対して、対幕戦にまい進する決意を語り、
この協定で砲台設置が禁止されているので野砲で応戦するほかないと訴えたが、
英国からは何ら回答を得られていない。
幕長戦争においてパークスの関心は関門海峡での航行と、下関の安全への危惧に向けられている。
そのため、幕長戦争においては幕府艦隊を出動させている幕軍との折衝に傾注している。
とくに江戸では海峡通過を認めるとの言質を得たのに、現地の長崎奉行所が控えるようにとふれたことに抗議し、
6月25日に小笠原長行に戦争の見通しと「不戦の場所」を執拗に問いただし、
暗に幕府艦隊の行動を自制するよう要請している。
下関の安全の危惧は、もちろん長州のために行った行動ではなく、
事実上自由港化しつつあった下関への幕軍侵攻を恐れたため。
パークスの目を盗んで砲台を設置したとしても、それは英国が「協定の改定に応じた結果」出来したものではない。

284 :
>>280
マンセー乙としかw 幕長戦争においてたとえば小倉口では地元小倉藩に対して応援諸藩や幕府艦隊も積極的に協力しなかった
理由は「予定にない戦争だったから」。慶喜としては長州が出頭してこない以上、進発せざるを得なかったのが実情でやる気ゼロの状態
>>281
少なくとも大政奉還を行った時点で慶喜に対する輿論の支持は著しく上昇しており、
辞官納地についても慶喜は穏便に留保した上で越前などが仲介に入り、
政局復帰のラインで話が進みつつあり、鳥羽伏見直前までは武力討幕が必要な状況にはなかった。
>>282
つーか公儀政体樹立については慶喜も含めてみな異論がない

285 :
リーダーとしての器や能力は慶喜が最高と言っても過言ではない
容保うんこ

286 :
>>276
長州が他国の民間商船を軍事攻撃したのは、
政府(幕府)の命令でしたことでは無い。
日頃から政府に対して批判的な態度をとっていた挙げ句、
他国の民間商船に対して、勝手に犯罪行為をしでかし、
自分の失態の尻だけ拭かせる長州。
その賠償金は勿論日本のお金であり
日本は、長州の馬鹿な尻拭いのせいで、国力が低下した。

287 :
ふん

288 :


289 :
真実

290 :
長州って実際迷惑なんだよな

291 :
聞いたことないな

292 :
そうかな

293 :
そーだよ♪

294 :
>>293 >286 を論破ヨロ

295 :
幕府がアホやから

296 :
907 名前:日曜8時の名無しさん[] 投稿日:2013/04/27(土) 00:01:33.96 ID:EU9b63y6
(※ 個人ブログなのでURLカット)
↑のページのコメント40番
>現在の長岡京市域東部の勝竜寺村、神足村、
>古市村は幕末に幕府から会津藩に京都守護職の経費としてわたされ、
>一時会津藩の領地であったそうです。
>石高にして合わせてなんと15万石。
>これは同時期の姫路藩の石高に相当だとか。
>学芸員氏曰く、会津は自藩の持ち出しで守護職についたのではない・・・とのこと。
>禁門の変に際しては3村から1000人が人足として都に赴いたとか。
会津は京都守護職の負担で苦しんだなんて大嘘で、焼け太りしてたんじゃん
909 名前:日曜8時の名無しさん[sage] 投稿日:2013/04/27(土) 00:12:49.24 ID:PxHh70X5
>>907
むしろ3村で15万石というのにびっくり
どんだけ豊かな村だ
910 名前:日曜8時の名無しさん[sage] 投稿日:2013/04/27(土) 00:18:59.24 ID:dJ/VCLe1
長岡京市ってめっちゃ狭いけど15万石ってマジで?
単位まつがってないか

297 :
919 名前:日曜8時の名無しさん[sage] 投稿日:2013/04/27(土) 01:52:51.34 ID:CMb/lZSB
>>907
なんかその学芸員はテキトーなことを言っているな
というか、そこに書いている人が、いくつかの話をごっちゃにしてる気もするが
京都守護の役知料は5万石で、この内山城国乙訓郡内に約3000石
22.245 上久世村
187.959 久我村
159.500 築山村
526.280 菱川村
708.170 神足村
364.589 古市村
840.151 勝竜寺村
78.672 大原野村
114.711 長野新田
3002.277 乙訓郡内の京都守護役知合計
このほか山城国愛宕郡内に552.0314石、葛野郡内に3179.09063石、
紀伊郡内に4365.517石、綴喜郡内に3618.7667石、相楽郡内に810.2195石、
河内国河内郡内に3892.477石、讃良郡内に5912.005石、交野郡内に4614.5488石、
若江郡内に3923.468石、播磨国美嚢郡内に1739.2499石、加東郡内に2031.86892石、
加西郡郡内に6818.014石で、
守護役知の石高合計は山城・河内・播磨三国に5万1113石7斗6升1合0勺5才
ただしこれはあくまでも天領で、守護職を辞めるときに返却しなければならない
実際の役知の報酬は、毎月米2千俵、金1万両で払われていた
つまり毎年米2万4千俵(米9600石相当)、金12万両が払われていたことになるが、
多分その学芸員は、金2.5両=米1石で換算し、京都守護職の報酬は5万7600石相当で、
四公六民で計算すると、14万4千石の土地を貰ったに等しいと計算したんだと思う。
ただ幕末はハイパーインフレ状態で、最終的に金12両=米1石まで貨幣価値が下がっている
この場合は報酬は1万9600石に過ぎず、4公6民として4万9千石で、
役知として名目上預かっていた土地の石高よりも低くなる

298 :
920 名前:日曜8時の名無しさん[sage] 投稿日:2013/04/27(土) 02:06:59.52 ID:CMb/lZSB
ちなみに会津藩の実高が67万9千石だったとする記事をしばしば見かけるけど、
これは幕府の老中松平康英が計算したもので、
どうも上の役知を金1両=米1石として計算したらしい
この場合京都守護に払われた給料は、年間米12万9600石相当となるが、
これに4公6民を適応すると、なんと32万4千石もの土地を京都守護職として貰ったことに相当する
これに会津藩の石高23万石と加増分5万石を加えると、60万4千石
さらに私領同前預所として認められた南山・越後の預地7万5千石を加えると67万9千石
つまり表高と実高と役知高が入り混じったいい加減な計算で、正しくは
会津本領28万石に対応する実高は約40万4千石
預地7万5千石に対応する実高は約9万3千石
守護職役知5万石に対応する実高は約5万1千石で、
これら三つを単純に足すと合計約54万8千石

299 :
921 名前:日曜8時の名無しさん[sage] 投稿日:2013/04/27(土) 02:49:07.35 ID:CMb/lZSB
ちなみに実際に幕府から会津藩へ支払われたお金は
文久3年:役知料として米2万俵の代金として金1万2953両、
  このほか、これまでの奉職の尽力への感謝として金1万両、
  容保の骨折への見舞金として金5万両
元治元年:役知料として米2万俵
  このほか鞍鎧料として1万両、京都不逞の徒追捕や八一八の恩賞等で金3万1千両
慶応元年:米2万俵+金9万両
  このほか禁門の変の功労として金7千両
慶応2年:米2万俵+金12万両
  このほか松平慶永の警衛費として金1千両
慶応3年:米2万俵+金12万両
元治元年までは京都守護職の役知は2万5千石分しか決定されておらず、
残り2万千石は奥州の預地が割り当てられ、米月1千俵は2万5千石からの年貢米として支払われた
また実際には米は月2千俵×10ヶ月分しか支払われず、年間2万俵
慶応元年以降、新たに京都守護職の役知として2万5千石分が増え、
その分は金で払われた
額が年間12万両に増えたのは慶応2年以降で、インフレに合わせて
というわけで、学芸員の言う京都守護職役知の土地15万石は、元治元年頃の米価で
慶応2年頃の京都守護役知として支払われた報酬から逆算で評価していて、
何か間違っている

300 :
読売新聞 
江戸博 蔵めぐり
領民の赦免訴えた謝罪書
松平容保上書写
 1868年(明治元年)9月22目、会津若松(福島県)の鶴ヶ城
の大手門に「降参」と書かれた白旗が掲げられた。およそ1か月に
わたった会津藩と新政府軍との戦闘が終了した瞬間であった。同日
の正午、大手門前に旧藩主松平容保が姿をあらわした。正式な降伏
の儀式である。この時に降伏の謝罪書が提出された。
 謝罪書では、朝廷に敵対して、会津の地で抗戦したことを、許され
ざる大罪を犯したと述べ、同時に領民には辛い苦しみを受けさせて
しまったと書き記す。そのため自らの命も差し出して御聖断を仰ぎ、
さらに会津の民の御赦免の嘆願を加えている。かつて京都守護職と
して孝明天皇の信任を厚く蒙り、政務に携わった松平容保の心境は
いかばかりであったろうか。自らの罪を謝し、領民の赦免を訴えた
文章は、ただただ胸をうつ。
 この謝罪書の写しが江戸東京博物館に残っている。おそらく原文
書では書状の形だったと思われるが、この写しは簡易な冊に仕立て
られている。後半には新政府に引き渡される鶴ヶ城の武具の一覧も
書かれている。
 降伏の儀式を会津藩士たちは無念の思いで見つめたであろう。式
後、ある者はその場の緋毛氈(ひもうせん)を切り取り、屈辱を
決して忘れないと持ち帰った。毛氈は悔しさの血の涙で染まったと
たとえられ、泣血氈(きゅうけつせん)と呼ばれるようになった。
 この資料は開催中の特別展「八重の桜」展にて5月6日まで展示
されている。(江戸東京博物館学芸員 斎藤慎一)
http://ranobe.sakura.ne.jp/src/up112626.jpg
http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/exhibition/special/2012/03/img/yae_list.pdf

301 :
>>1
長州 ≒ オウム真理教
武力&恐怖思想による支配。人命・人権軽視。
.

302 :
>>1
オウム真理教 → 毒ガスによる東京攻撃で、民間人を虐殺
長州     → 武力による、京都攻撃で、民間人を虐殺 (禁門の変)
.

303 :
>>297
>ただ幕末はハイパーインフレ状態で、最終的に金12両=米1石まで貨幣価値が下がっている
改めて『日本米価変動史』で数字を確認したら、そこまで米価は上がってなかった
文久以降の江戸・東京の米相場は、以下の通りで、慶応2年から急激に米価が上昇し、
むしろ明治維新後の明治2年に最高値となっている(明治2年9月の大阪市場で1石=11円45銭)
文久元年3月:米1石=金3.00両
文久2年10月:米1石=金2.03両
文久3年4月:米1石=金2.30両
文久3年10月:米1石=金2.21両
元治元年3月:米1石=金2.02両
元治元年10月:米1石=金2.50両
慶応元年1月:米1石=金2.9両
慶応元年10月:米1石=金5.29両
慶応2年1月:米1石=金4.94両
慶応2年10月:米1石=金8.83両
慶応3年5月:米1石=金8.56両
慶応3年10月:米1石=金5.43両
明治元年1月:米1石=金3.70両
明治元年8月:米1石=金7.90両
明治2年1月:米1石=金7.40両
明治2年10月:米1石=金10.70両
明治3年3月:米1石=金10.80両
明治3年12月:米1石=金7.20両
明治4年1月:米1石=金7.30両
明治4年12月:米1石=金3.90両(円)
なお調べ直したら、>>299の慶応元年以降の米2万俵は全部金1万2953両で支払われていて、
つまり値切られている
慶応元年の役知米2万俵+金9万両は、慶応元年の平均米価(1石=3.75両)で計算すると、
米2万7401石に相当し、4公6民なら封地6万8502石に相当(実際の役知5万1114石に対しては税率54%)
慶応2年の役知米2万俵+金12万両は、慶応2年の平均米価(1石=6.34両)で計算すると、
米2万0980石に相当し、4公6民なら封地5万2450石に相当(実際の役知5万1114石に対しては税率41%)
慶応3年の役知米2万俵+金12万両は、慶応3年の平均米価(1石=6.64両)で計算すると、
米2万0016石に相当し、4公6民なら封地5万0040石に相当(実際の役知5万1114石に対しては税率39%)

304 :
あと学芸員が言っていたという15万石の中身は、加増分5万石、
預地の私領同然への振り分け5万石、京都守護職役知5万石の合計という気がしてきた
この時期の会津藩の所領の変化は若干複雑で、
(1) 文久元年、安房にあった飛地1万7千石と陸奥の会津藩領3万3千石の合計5万石を
越後国に振り分け、振り分けられた陸奥の3万3千石を預地としている
この結果会津藩の関東の飛び地が減った替わりに、越後国内の領分が5万石分増え、預地が4万2千石から7万5千石に増えている。
(2) 文久2年、京都守護職の役知として5万石が与えられる(>>297参照)
実際には当初は山城・河内に2万5千石分しか渡されず、
残りの2万5千石は会津藩の預地から出せということになったが、
慶応元年になって河内・播磨に2万5千石分が振り分けられる
(3) 文久3年、会津の預地7万5千石の内、5万石分を私領同様預地とすることが認められる
つまり預地5万石からの収入を自藩の収入とすることが認められたわけだが、
よくこれが5万石の加増分と誤解されている
(4) 元知元年、会津藩は5万石の加増を認められ、表高23万石から28万石となる
加増地は越後に2万5千石、和泉に1万石、近江に1万5千石
(2)+(3)+(4)で15万石になる

305 :
実際には京都守護職になる前の、(1)が実施された時点での会津領は
本領23万石(陸奥・越後)+預地7万5千石(陸奥・下野)=30万5千石(表高)
これが京都守護職になると
本領23万石(陸奥・越後)+加増地5万石(越後・畿内)+私領同様預地5万石(陸奥)+預地2万5千石(陸奥・下野)
+京都守護職役知5万石(畿内・播磨)=40万5千石(表高)
京都守護職役知は返さないといけないから、加増分は5万石のみ
ただし会津周辺の預地はほぼ既得権であることを考えると、
(1)の時点で実質的には3万3千石の加増を受けているに等しい
これは江戸湾や蝦夷警備への労いという側面があり、
庄内藩や米沢藩も幕末に所領や私領同様預地が増えている
まあ会津藩の江戸方が、幕府との折衝で頑張った成果なんだけど
幕末の数年間の間に越後に7万5千石もの会津藩の所領が増えたことになる
『新潟県史』によると、維新政府にとって越後が重要な攻略目標となってしまい、
越後を戦争に巻き込んだ原因の一つとなったと記述されていた

306 :
>>286
明治以降
色々頑張って粉飾してきたけど
結局
それが真実なんだよな

307 :
ここって二人しかいないんですか?

308 :
179 名前:日曜8時の名無しさん[sage] 投稿日:2013/04/28(日) 19:14:26.05 ID:r9F6mKyF
今日やってた回のあたりでリアル容保が出した帰国願いを貼っておく
拙者儀、不肖の身をもって、戌年(*1)中に当職を仰せつけられ候て以来、都合六ヵ年に罷り成り候ところ、
右については、莫大の御下米金も成し下され候儀に候えども、かねて内証(*2)逼迫致し候。
下って昨年八月中、国元大火にて、城下の過半焼失し、加うるに非常の違作(*3)にて、当卯年(*4)出穀までの
飯米も差し支え候振合いにこれあり、四民飢餓、離散の程、千万心配仕り候仕合せにて、自然、人気居り会わず。
且つ永々の在京については、家中の風儀も相弛み、この節改革向きについても頑固の風習、家来共ばかりにては
行き届かざることもあり。かたがたもって罷り下り、取締り向き手近に申しつけたく、よっては、しばらくの間
御暇下しおかれたく、この節柄、右よう願い奉り候も至極恐縮の儀に御座候えども、その内実、止むをえざるの仕合せ、
御憐察の上、御許容なされ候ようこの段よろしく御執り成し相願い候。以上。
慶応三年四月八日
*1 文久二年・1862年
*2 財政
*3 凶作
*4 慶応三年・1867年
元々財政が苦しい上に、火事や凶作で領民が飢えて過疎ってることや
藩主の京都駐在が長過ぎて国元もたるんでるのでぜひ帰国したいと願い出ている。
なにげに「会津は頑固だから家来だけではうまく改革できない」と言ってるけど、
実際、一度でも帰国できれば内政面ももう少しうまく行ったのではないかと思うのだが。

309 :
>>307
お前と俺を入れたら4人だな

310 :
単純な史実の話だが
政府(幕府) は大政奉還を期に議会政治をめざし、自らも諸侯と同じく会議に参加して改革を進めようとした。
この公議輿論(議会制政権論)を
軍事クーデターで邪魔したのが、「御存じ迷惑長州」。

311 :
■新政府綱領八策
 一策.【大政奉還の提案】
天下の政権を朝廷に奉還せしめ、政令よろしく朝廷より出づべき事
 二策.【議会の設置】
上下議政局を設け、議員を置きて、万機(ばんき)を参賛せしめ、万機よろしく公議に決すべき事
 三策.【人材の登用】
有材の公卿・諸候・および天下の人材を顧問に備え、官爵を賜い、よろしく従来有名無実の官を除くべき事
 四策.【対等な国交の樹立】
外国の交際、広く公議を採り、新に至等の規約を立つべき事
 五策.【憲法の制定】
古来の律令(りつりょう)を折衷(せっちゅう)し、新に無窮の大典を選定すべき事
 六策.【軍事力の増強】
海軍よろしく拡張すべき事
 七策.【天皇を守る近兵衛を創設】
御親兵を置き、帝都を守護せしむべき事
 八策.【貨幣制度改革】
金銀物価、よろしく外国と平均の法を設くべき事
自由と平等を議会政治で目指し、世襲政治から民主主義政治へ移行させたのが薩長を中心とした新政府だ。

312 :
慶喜「この程度の箇条書きでは大雑把でよくわからん」

313 :
まあけっきょく容保のせいってことだな

314 :
慶喜が大政奉還の前に西周に作らせた公儀公論の中身が
議題草案として残ってるみたいだが
中身は議会制を装ったトップは将軍になっている
将軍は上院の議長で下院の解散権もある独裁体制だよw
長州薩摩のクーデターで慶喜独裁が阻止されて本当に良かったねえww

315 :
単純な史実の話ってのもおかしな考えだよな
歴史は幼児向け勧善懲悪善悪二元論で語れるような単純な物ではないし
そのように決めつけることは当時の人々に対し失礼で傲慢な態度だ
行為には理由があるしそれを調べるのが歴史だろう

316 :
>>310
慶喜が何を言っても信用されないよ。
春嶽があきれて逃げ出すし、直参の勝が腐った柿だといっているのに
諸藩が信用するわけない。

317 :
それ八重の桜というドラマの脚色じゃん
実際は文久2年 政治総裁職の松平春嶽と将軍後見職の慶喜はコンビを組んでたけど、
朝廷側の第一人者だった中川宮の面前で慶喜が島津久光、伊達宗城、松平春嶽を
「この三人は天下の愚物、天下の奸物」と罵倒したんだよな、それから距離をおくようになった。
慶喜が脳裏に描いて国家構想は、ルイ・ナポレオンのフランス第二共和国の形態であり
旧態依然たる幕府封建国家ではない。
その意味でも謀略の限りを尽くしながら、目的はあくまで封建思想による島津幕府を
狙っていた久光を憎悪してたし、その久光の尻馬に乗って口先だけの公武合体論を吐く
伊達宗城、松平春嶽も慶喜は許せなかったんだよ

318 :
>>310
せっかく慶喜有利に進んでたその構想をぶち壊したのは、
薩摩の苦し紛れの挑発に乗せられた江戸の幕閣と大阪城の強硬派じゃん
薩長を孤立させて、徳川トップの公議政体作る絶好のチャンスだったのに
勿体ねー

319 :
ずっと思ってたけど、薩摩は江戸城に放火したり庄内藩邸襲撃しているんだから
挑発というよりもはや武力攻撃では

320 :
言葉だけの公儀会を狙ってたのは慶喜
大政奉還や公儀会の大開国論を主張した
大久保一翁は慶喜にどんな仕打ちを受けた
?小御所会議では容堂や慶永は慶喜の参内
及び議定を許させてるし彼らは純粋な
公儀派だろう一貫して権力にしがみつこう
と行動していたのが慶喜
勝海舟も徳川の政治だと思ってるから
間違っていると言っている天下国家や
日本の為の政治のはずだと将軍が間違っているとね

321 :
慶喜は軍制はフランスの真似をしたが
大政奉還前日に西周にイギリス議院の制度を調べさせている
フランスは立憲君主制でなく共和制だから
慶喜のおめがねに叶うとは思えない

322 :
権力に固執した慶喜だが駿河移住の前人事権を発動して陸軍奉行を
解任している彼が日本を内戦に導く憂いを除いておいたことは
彼の為政者としての責任とけじめだろうと思う
彼は大久保一翁や勝海舟を冷遇すべきではなかった
国を担保にした戦費調達に難色を示していたのは勝や一翁
薩摩は潰される前に動いただけ万国公法だなんだと聞きかじって
生意気なことを言っても国家としての概念が無いと意味はないのだと
幕臣の福地桜痴も書き残している幕臣は有能だよ彼らがいないと
明治政府もうまく回らなかったのは事実だが一握りの為政者では
もう日本という国が上手く回らなくなったのも事実
明治維新の最大の功労は学制の施行国民が皆賢くなることで
結果的に日本の国力を上げることに成功した

323 :
ずっと疑問に思ってたんだけど長州征伐で長州が勝って入京が許されるまでいったい何をしてたんだ

324 :
八重の桜
今日のまとめ
やはり徳川慶喜は邪悪な権力亡者だった
身内の侍たちから恨まれることを恐れ、鳥羽伏見の戦いを決断したのは慶喜だった
たかが薩摩…そう侮ったがゆえの決断だったが
結果は幕府軍の惨敗
会津藩主の松平容保は慶喜をいさめようと
何度も戦を止めて隠居するよう奨めたが
邪悪な権力亡者の徳川慶喜は一向に聞かなかった

325 :
>>311
世襲政治から民主主義政治へ移行=×
世襲政治から薩長中心の藩閥政治=○
自由と平等を議会政治で目指し=×
富国強兵政策で国民に我慢を強い、自由と平等などあくまでも建前=○
そもそも、日本では未だに本当の意味での民主国家でもなく、平等国家
でもない。政治家や官僚、それに資本家の権益が国家の論理として罷り
通り、正社員と非正規社員などという差別社会を作っておきながらなにが
四民平等だ。

326 :
それいったら世界中のどこに
民主国家、平等国家がありうるのかって話だけど

327 :
だね

328 :
>>326
日本は国会議員の歳費と公務員及び大企業の正社員の給与は世界最高水準なのに
対し、法定の最低賃金は先進国の中で最下位
同一労働で労働者間の賃金格差が2倍以上なんて差別を行っているのは
先進国の中で日本だけ
企業の経営者が多数の国民の生活をメチャメチャにしておきながら、法的に
なんの咎めを受けていないのは、先進国の中で日本だけ(例外的に米国の株屋)
確かに真の平等国家などあり得ないかもしれないが、上記の件を克服できない
日本は先進国の名に恥じない国家とは言い難いだろう。

329 :
世界的に鬼畜で知られたニコライのロシア帝国
一度は日本を滅ぼすつもりだった黒船アメリカ(侵略により生まれた国)
世界の陸地の三分の一を植民地にしたイギリス
そのイギリスに対抗意識を持ち植民地政策に乗り出すフランス
そして、これらの支配を受け滅んだインド、支那、上海…
こういった現実と日本に迫りくる驚異に備えるには軍備の増強は絶対不可欠だった。
じっさい日本海軍は明治になってから日本を守ってたしさ
戦艦三笠かっこいい!

330 :
>>329
しかし、現在も国際社会の力関係は相も変わらずも欧米優位
日本は明治になって列強の仲間入り出来たのは良いが、最終
的に第二次大戦で負けてしまい、数世紀の間の欧米の犯罪行為
を隠蔽するための生贄状態になってしまい、中共や南北鮮の
良いカモにされ、なにかと強請集りと領土問題その他において
良い様にされているのである。それにしても、今朝のNHKのニュ
ースでやっていた嫌韓デモの特集は見ていて気分が悪かった。
あたかも日本だけが行っている様な報道しやがって。

331 :
今こそ、志士の代表たる龍馬さんの願いを見つめ直す時なのかもしれない。
戦後しばらくはNHKも1日の終わりに国歌・君が代を流して日本への敬意を示していたというし
‘わしらは日本人じゃ’ってことを確認するのは大事なんだよ。

332 :
>>331
今は流していないの?

333 :
今は流してないな
それどころか
君が代廃止を唱える日教組や共産党、会津などの売国集団に荷担する者もいる
ハッキリ言って日本の敵だよ
こいつらスポーツも否定してるし

334 :
>>333
会津は薩長の敵だというだけで、日本の敵ではない(日教組はそうかもしれんが)
大体、薩長は徳川に勝って政権を奪っただけで、薩長=日本などという構図など
現実には存在しない。逆に言えば薩摩も長州も江戸時代においては関ヶ原で徳川
と対峙しただけで、決してにほんの敵では無かった。売国集団とは例えば幕末に攘夷
などと宣い、外国人に危害を与えて日本の立場を危うくする様な行動を繰り返した
連中の事を言うのである。

335 :
昨日の八重の桜の視聴率
13.3%
また下がったなー。
やっぱりさ、みんなもわかってるんだよ
間違いだらけの会津賛美おかしいって。
せめて容保が頼母に謝るくらいしないと、意地っぱりのバカRーつまんねってさ

336 :
>>335
間違いだらけの会津賛美=3年前の龍馬伝は全く逆でやはり間違いだらけの
薩長賛美が目立った。特に高杉が着流し姿に三味線を手に幕軍の攻撃に
立ち向かうなどというマンガチックな演出の「馬鹿んの奇跡」とかいう回は
本作品の中でも最低クラスの視聴率だったな(ドラマ自体は龍馬オタが多い
せいでマァマァの線をいっていたが・・)

337 :
世良の配役に悪意しか感じないw

338 :
なんか、見るからに悪漢面だもんな(笑)

339 :
今生きてて画面に出せる範囲の俳優で
おそらく最高レベルの悪人顔
あの人も最高レベルだった、禁門の変に出てた帝都大戦
1、2を争うよw

340 :
>>334
>幕末に攘夷だとうたい〜
薩長じゃんw

341 :
>>340
その通り、それにプラス水戸(天狗党)と土佐
ちなみに俺は生まれも育ちも現住所も旧水戸藩領内です。

342 :
当時の概念から言えば、攘夷は全然売国じゃないだろ
寧ろ愛国心が強すぎて、周りが見えてないとも言える
今で言えば頑ななTPP反対論者って感じ

343 :
勝先生も弟子の龍馬たちに
攘夷派だって日本を守りたいって気持ちはオイラたちと一緒なんだ。だから斬りかかってきてもむやみに斬り返したり殺しちゃなんねーぞ
って教えてた

344 :
ぶっちゃけ井伊等の幕府上層部が朝廷や薩摩長州のような攘夷論者なら
日本は清や朝鮮の二の舞になってた可能性が高い

345 :
井伊は根本的には尊皇攘夷だよ。
通商条約締結も前政権からの既定路線だったのに、土壇場になって延期できそうなら延期しろとか現場に無茶言ってる。
で、井伊彦根藩、徳川三百年ずっと御所をお守りしてきて尊王の志篤い家柄。
なのに、譜代筆頭として真反対な政策をとった挙句、死んだあとに彦根は減封されるという悲劇。

346 :
>>340
孝明天皇もな

347 :
そだね。 孝明天皇は下関の攘夷に感動してお褒めの手紙を出し、そうせい公に御衣を送って「攘夷戦の陣羽織にしてね」とかいっちゃうぐらいイカれてるのに。

348 :
>>340
典型的な間違い。
長州は藩として攘夷派だったが、
薩摩藩が藩として攘夷派になったことは一度もない。
薩摩藩は、開国派&公議政体論&佐幕派&公武合体派だった。
勿論、攘夷の藩士は日本のあちこちにいたから、薩摩藩も例外ではないけど、
藩としては一貫して開国派。斉彬も久光もね。
薩摩藩は、最終的に後ろの2つの策(佐幕派&公武合体派)を変更し、
開国派&公議政体論&倒幕派になった。
このあたりは、長州藩とはかなり違う。

349 :
>>342
あながちそうとも言えん、反幕勢力(特に長州)の中には
ただ単に幕府の足を引っ張るために運動していた者も居たと
聞く。只、幕府を始め、薩摩や長州などの雄藩に粒ぞろいの
人材が居たからこそ、日本は外国の植民地にならずに済んだ
のだと思う。ゴリゴリの儒教に凝り固まった清国や李氏朝鮮
の様に硬直した社会体制の中ではあのような人材は生まれに
くいからだ。

350 :
あの龍馬さんが命を賭けて下関の戦に加勢を決めたほどだからなぁ長州は。
木戸さんや高杉さんらぁがおらんようになっては日本が異国に乗っ取られてしまうぜよ……まさにその通り

351 :
そもそも300年間武力を独占し、支配者ぶってタダ飯食わせてもらってきたくせに、
ちょっと強い敵が出てきたら「勝てましぇーん、開国しますフヒヒ」とかなっちゃう奴が、武士を、あまつさえ征夷大将軍を名乗るんじゃねえっての
結局幕藩体制下の武士の中で年貢分働いたのは攘夷戦で血を流した薩長だけだったな

352 :
物価高騰で苦しんでる庶民は攘夷を行った
長州に喝采を送ったからな

353 :
龍馬伝おもしろい!
凄くわかりやすい!
@異国は日本を狙っている
A幕府は大半が異国に支配されている
B桂、高杉、伊藤…吉田松陰の意志を継ぐ者たちは日本を守るべく戦っている
C龍馬は幕府に潰された師の夢や仲間のためにも戦を止めて幕府を終わらせるべく戦う
D薩摩は幕府に裏切られ貿易を止められかけている。確実に幕府側の藩を武力で潰したい。

354 :
そもそも薩摩と長州をセットで考えるのは間違いだな
薩摩は強ければイイのただの脳筋
長州はただのネトウヨ攘夷脳(尊皇ではない)
幕府は日和まくりの今の政府
会津は日和まくりの政府に翻弄される自衛隊

355 :
そのへん篤姫と龍馬伝はわかりやすかったよな

356 :
政府の意思に背いて勝手に戦争仕掛けておいて何が自衛隊だカス
こういう当時の事情や文化の背景無視して現代の概念にお手軽に当てはめちゃう奴一番嫌いだわ
薄っぺらすぎる

357 :
私も同意見。まずは新政府の言うことちゃんと聞かないとねー。
それに自衛隊なら国土を他国の侵略から守るのが本来の任務だけど基本的に会津は主体性の無い癇癪持ちの集まりだ。
とてもじゃないが日本のことを考えられる思考は備わっていない。だからよそ者の容保をかくまうという無茶苦茶なタテマエで日本人同士の戦に踏み切ってしまう。
平和主義者の木戸さんや西郷さんは降伏を薦めたのに

358 :
>>356
>>357
なにが平和主義だ。幕府側が大政奉還をして事を済ませたのに自分達が国を
乗っ取りたい為に強引に武力倒幕に持ち込んだクセに。大体相楽らを使って
江戸市中を暴れ回せて幕府側を開戦に追い込もうと挑発していたのは、とう
に知れとるわ。その相楽も「年貢半減令」などという甘い汁で囲い込んで用
済みになれば詐欺師扱いにして殺してしまうし、本当にこいつら人間なのか?。

359 :
大政奉還は土佐の山内容堂の建白書を徳川慶喜が読んで決断したこと
そしてその建白書を容堂公に直訴(断られたら切腹)して書かせたのは海援隊の坂本龍馬と参政の後藤象二郎
遡れば龍馬に大政奉還論を教えたのは長州の木戸
そして木戸に大政奉還を説いたのは吉田松陰
薩摩もまた当初は武力討幕を目指していたが薩土同盟により大政奉還を受理するチャンスを徳川に与えた
すなわち大政奉還は幕末の勇者たちと武士の頂点たる最後の将軍の合意によって成し遂げられた偉業
戦をせずに新しい日本を日本人が作る
それを妨害するべく戦を選択したのが旧・幕府による権力の座に固執した会津藩
そして自らのエゴで滅びた会津

360 :
>>358
俺が「政府の意思に背いて戦争を仕掛け」と書いたのは、354の「幕府=政府」「会津=自衛隊」を受けたもので、鳥羽伏見において「自衛隊」が勝手に「政府」の意思に背いて戦争を仕掛け、
挙句ボロ負けし、「政府」の立場と方針をぶち壊しにしたことを言ったものなので誤解なきよう。
軽々しく現代の感覚で歴史上の出来事を断ずる奴が多いのはしょうがない(NHKでさえそうだ)けど、あまりに自衛隊を愚弄した喩えだったからな。

361 :
>>358
んー、江戸騒擾については、西郷から中止の指示が出てるのに江戸の浪士たちが勝手にやったのが資料的にはっきりしてるわけだが?
そもそも西郷の考えてたのは、京都で戦いが起こるだろうからタイミングを合わせて江戸で騒ぎを起こして幕軍の軍事行動を阻害しようというもの。
で、相良のやったことは実はかなり悪質なんだぞ?
確かに最初は新政府の承認を得て年貢半減を公布しながら中山道を行軍していたが、財政的に無理だと判断した新政府がとりやめを指示しても無視して兵力を集めながら進軍してる。
ぶっちゃけ反乱と言われても仕方ない。
ついでに大政奉還で全然ケリが付いてない。対外的な窓口は徳川家ですとか各国公使を招いて宣言するとか、政権から退くつもり無いのが明白じゃん。

362 :
身内であろうと断罪する時はズバッと断罪した薩摩、長州、土佐
一方徳川は慶喜と春嶽さま以外ぜんぶクズで権力やプライドに固執しケジメの1つもつけられない

363 :
>>360
> 「自衛隊」が勝手に「政府」の意思に背いて戦争を仕掛け、
後年の慶喜の言い訳をそのまま信じるなよ
慶喜の研究者のほとんどは、この時慶喜は武力で薩長を圧倒できるかもと
揺れ動いていたと指摘している

364 :
鹿児島県が仰天プラン 県職員1000人に上海旅行をプレゼント 総事業費1億1800万円
 鹿児島県(伊藤祐一郎知事)が、県職員千人に「海外研修」名目で3泊4日の上海旅行をプレゼントする“仰天プラン”を打ち出した。
県は、中国東方航空と日本航空が共同運行する鹿児島−上海便を維持するためだと説明するが、それならば民間企業や学生の交流事業などを支援すればよい。
事業費1億1800万円。その財源は政府の求めに応じて削減する県の特別職や管理職の給与や手当1億3千万円を充当するそうなので事実上の給与補填と言えなくもない。
6月補正予算案に盛り込み、7日開会の定例議会に提出するというが、こんな「公務員天国」構想に県民は納得するのか?(谷田智恒)
 ●お一人様11万8千円
 「鹿児島−上海線の利用状況が低迷していることなどを踏まえ、同路線を利用した千人規模の職員研修を実施することとした」
 鹿児島県が、「上海派遣短期特別研修事業」と銘打ち、6月補正予算案に必要経費1億1800万円を計上したのは5月29日だった。
 県によると、派遣するのは一般行政職と教職員各500人の計千人。20回にわけて50人ずつを3泊4日の日程で上海へ派遣する。
 必要経費は、現地での宿泊ホテル代1万2千円(4千円×3泊)、航空運賃4万円に、チャーターバスや通訳の料金などを加えて一人当たり11万8千円と弾いたそうだ。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130607/lcl13060701090000-n1.htm

やっぱり薩摩はクズだね

365 :
つまりだいたい容保のせいだな

366 :
>>359
嘘いえ、大政奉還はそもそも幕臣の大久保一翁が松平春嶽宛の手紙に
「この際、大政でも奉還した方が良いかも・・」みたいな事を書いて
あったのを、運び役の龍馬が覗き見をして「良いアイデアだ、後藤さん
に教えよう」てな感覚で後藤象二郎に伝えた(平たく言えばカンニング)
という話を聞いておるぞ!。桂なんて話も寅次郎が考えていたなどという
話も聞いたことがない。どこの話だ、龍馬伝か?、それとも薩長製造の
歴史書か?、それとも長州びいきの学者が書いた書籍か?。
>>361
相楽のぶっちゃけ反乱→そんなの当たり前。そもそも相楽にとって倒幕の
最大のテーマは年貢を半減して貰い農民達の暮らしが良くなる事。それが
薩長の一方的な都合(倒幕資金の調達に協力して貰った豪商達からの猛烈
な反対の為)で反古にされたのだから今までなんの縁もない田舎侍に協力
してきた事が無意味になるのが我慢できなくなるのは当然。第一、人間が
変革を期待するのは、そうなる事によって自分達に利益が回って来る事。
薩長にだって、そういう私心が無かったとは断言できない。それに江戸の
事だって、最初は騒乱の指示を出していたのは西郷で明らかな武力倒幕を
意図していたのは否定できない。理由の一つである幕軍の足止め作戦を考えて
いた事からもそれは伺える。只、江戸の市民の間での薩摩の評判を鑑みて
止めさせる様にしただけの事。要するに、西郷は自分達の政権奪取の為に
農民のささやかな願いも利用しただけの事。それはその後の薩長政府の
圧政ぶりをみても伺える。なにがなんでも薩長を100%善玉にしたいのだろうが
革命家の本性とはそういうものだ。

367 :
白河口の戦いで、700の伊地知正治の部隊に4,500で突っかかって
大敗するんだよな。会津は。ぶざますぎる。軍政改革?聞いて呆れる。
まだまだ合津戦争は美談すぎる。
アホだから軍使を切って決裂し、てめえから白河口で仕掛けておきながら
大敗し、呆れられて離反者続出、進退窮まって結局、若松城で開城降伏。
命だけはお助けを?こいつら何がしたかったんだ?

368 :
>>367
で、こういう下等な連中だからと鳥葬も止むなしと言わんばかりに
死体の埋葬も許さないワケか・・。武士の情けなど微塵もない非情
冷酷集団薩長軍。こういう根性の持ち主だから。政権樹立後の一般
国民に対する圧政も躊躇わずに出来るのだな。

369 :
まーだ死体埋葬禁止令なんか信じてる奴がいるのか

370 :
あほだよね

371 :
違うニダ! 嘘だって認めちゃうと観光資源もなくなるし、謝罪と賠償も要求できなくなるから認めないだけニダ!

372 :
>>369
会津観光史学スレだから仕方が無い

373 :
徳川家…地球連邦
会津藩…ティターンズ
薩摩藩…アクシズ
長州藩…エウーゴ
土佐藩…カラバ
海援隊…リガ・ミリティア

374 :
>>369
>>370
そういうお前達は未だに明治政府がでっち上げた薩長善玉史観に毒されている
だろう

375 :
>>374の続き
第一、大政奉還は寅次郎の原案などという出鱈目に対しては
なんの意見も言わないクセになんで薩長批判に対しては過敏
に反応するんだよ。要するにおめーらは薩長を無批判に讃え
ればそれで満足なんだろう、薩長に都合のいい話だけを正史
にして、都合の悪い話は邪史扱いにして否定する。それだけの
話なんだろう。それで第2次大戦の戦勝国がでっち上げた所謂
「東京裁判史観」を鵜呑みにして自虐史観に浸っている連中の
事を笑えるのか!。

376 :
>>371
なんか、会津と朝鮮を結びつけたがっているみたいだけど。むしろ
長州の方が朝鮮寄りだよね。高杉晋作なんて見ようによっては朝鮮
系の顔にも見えてくるし(まぁ、彼は純粋な日本人なんだろうけど)
でも、韓国併合などというとんでもない政策をしでかして、あんな
半基地害的な民族を日本人の一員にしてしまった事は薩長の大いなる
禍根だわな。お陰で未だに何かと付けて因縁を付けられているのだから
大迷惑だわさ、竹島も乗っ取られそうだし・・。まぁ、薩長様には
日本を世界の一等国に育て上げて貰ったんだから、そのくらい我慢
しろと、あんた達は言うんだろうけど・・。

377 :
ていうか長州は朝鮮系だよ地理的にも近いし、薩摩もそうだが日韓併合を強力に推し進めて
破産してた朝鮮にインフラ整備とかに日本の大金を投入したからねぇ
あれのおかげで東北地方に金が回らなくなって、身売りとか多くなった

378 :
おもしろいのは鶴ヶ城で戦争中だというのに
会津は小作りのセックルに励んでたという現実
そりゃー負けるよなwww 

379 :
あれ?たしか韓国では日本の初代総理大臣の伊藤博文を暗殺した人を英雄だと称えてるんだよな?
伊藤=日本代表として認定されてますやん

380 :
長州閥の桂太郎、山縣有朋、寺内正毅などは、併合推進派

381 :
どうせ読まないだろうけど、
「なぜ遺体は埋葬されなかったのか」
http://www3.ocn.ne.jp/~zeon/maisou/maiso.htm

嘘ついてまで被害者ぶるのは実に朝鮮的だ。
あと血統やDNA、儒教的上下関係に異常にこだわるところとか、
自分より劣等だと主張する奴らになぜか蹂躙された歴史を持つところとか、
自分たちは不当に抑圧されていると信じているところとか、
今は惨めだが、侵略を受ける前、もしくは侵略を受けなければわが故郷は地上の楽園だったと信じているところとか、
すごく似ている。

382 :
>>376
冗談のつもりで書いたのだが、高杉を朝鮮系の顔と書いたのは
間違いだった、確かに気に食わない男だが一応さすが日本人と
思えるような活動をしていた人物を心無い朝鮮人から在日認定
される事があっては、いくら反薩長の俺でも耐えられん。

383 :
>>381
読んでみたよ、非情に説得力のある説だね。確かにこの件に関しては
会津の被害妄想が過ぎるのかもしれない。その点は俺も認める。でも
あんたの会津に対する憎悪感も見ていて気持ちが悪いね。大体、明治政府
政府がでっち上げた歴史教育だって、かなりのモノだよ。特に徳川時代に
対する評価なんてかなり主観的だし、幕末の歴史史観なんてすごく矛盾
だらけだし、それに靖国神社の合祀基準なんて長州の独り善がりじゃん。なんで
単に病死しただけの高杉晋作なんてのが国のために命を落としたと認定
されるワケ?。俺に言わせれば会津と目糞鼻糞だよ。

384 :
別に俺は当時の会津とか幕府側に憎悪感なんて抱いてないよ。歴史上の存在を憎悪するなんて非生産的すぎるだろ。
憎悪と言うか、嫌悪感を抱いているのは現代の、歴史小説とかの単純化された物語を読んだだけなのに歴史を知ったような気になって、
軽々しく歴史上の人物を「アイツはクズだ、カスだ、ゴミだ、ゲス野郎だ、極悪人だ」などと評価しちゃう奴かな。
なので俺も、まぁ、多分信じないだろうが、2chとかで当時の会津人(というか歴史上の人物)をdisったことは一度もない。
あーでも、武士道とか勇ましいこと標榜してる割に、嘘ついてまで「我こそは被害者なり!」などと言ってる奴を見るとからかいたくなると言うのはある。
ただこれは、当時の会津人って言うより、現代の会津信者、会津小説家に当てはまるんじゃないかな?
>明治政府がでっち上げた歴史教育
明治政府が具体的に何をどうでっち上げたの?
>それに靖国神社の合祀基準なんて長州の独り善がりじゃん
靖国神社の設立経緯知った上で言ってんの?

385 :
泣ける

386 :
陸奥たちが引き継いだ海援隊や土佐藩が長州藩と共に会津の復興に携わったというのも流石武士の鑑だなぁと思う
木戸さんも福島の彼方此方に来てるし色々と人々のことを考えてくれてたんだなぁ

387 :
>>384
では、なんで井伊直弼を極悪人扱いしている薩長信者の事は誹謗しない
のですか、寅次郎の事を処刑した事をいつまでも根に持つ様に断罪して
いるコメをよく見るけど、俺から言わせれば戊辰の事を根に持つ会津と
目糞鼻糞だよ。それこそ軽々しく歴史上の人物をカス呼ばわりしている
でしょう。特に>>367のコメなんかは(まぁ、そこまで言うからにはあん
たのコメじゃないのだろうけど)明らかな昔の人に対する誹謗のコメだ
よね。幕府と会津に嫌悪感を抱いていないという割には攻撃の対象が
会津に偏っているみたいだけど。この姿勢から見ると薩長の人間は100%
間違っていないという盲信もあるみたいだね。俺は薩長なんぞよりは幕府
の方が好きだけど、幕府が100%正しいなんて思ってはいないし、逆に
薩長政府の政策でも評価すべき点も大いにあると思ってる。只、明治政府の
作った歴史教育は当然のことながら薩長の視点でみているから、これを
全面的には信用できない。大体安政条約だって当時の我が国の軍事力の事を
考えればやむを得ないと思うし(現に薩長政府だって全面改正までに40年
以上掛かったでしょう)。井伊直弼の判断もあながち否定出来ないよね。
まぁ、薩長は幕府を倒して政権を奪ったのだからその正当性を強調するのは
同然だと思うけど。歴史から反省や教訓を学ぶ気持ちがあるのなら、お上の
教える事を鵜呑みにしないで、中立的な視点から史実を掘り下げる姿勢を
持つのが理想だと思うのですが。

388 :
>>384
赤根武人は維新殉難者として合祀されてるか?
靖国の合祀基準が時期によりかなりデタラメなのは否めないよ。
>>361
財政的に無理なのは最初から想像が付かないとおかしい。

389 :
>>388
年貢半減令は人心収攬の為でなく戦闘の際の負担の対価として発せられたので
予想外に戦闘が起きなかったor小さな戦闘しか起きなかった場所では撤回されただけ

390 :
「明治政府の作った歴史教育」って現代の歴史教育のこと言ってんのかな・・・
薩長藩閥どころか大日本帝国がなくなって何年たつのよ?
もういい加減明治政府の影響力なんかないでしょ。

391 :
まあ王政復古史観が戦後も進歩史観で引き継がれたのも事実だからな。江戸時代暗黒史観がそうだし。
戦闘の不発生を解除条件にする年貢半減令なんてもの自体がトラブルの種になるのは当たり前。
現地と政令出す側でハッキリ文書等で条件と確認しとかないと齟齬が出るのは当然。
だいたい厳密な行政処理をやるなら、統制が取れない赤報隊なんかに先触れを任せるべきじゃない。

392 :
別に条件付きで出したわけじゃないでしょ。
意味がなくなったから取りやめただけで。
しかもちゃんとやめて帰って来いって連絡が行ってるのに無視して行軍したのは赤報隊。

393 :
>>390
ところが、そうでも無えみたいだぜ。このスレに書かれているコメを見ている
と、薩長が100%正しいみたいなのがかなり目に付くしな。>>391さんの言う通り
だよ。大体、歴史は勝者が作るもので、明治の学制令の公布に伴って作られた
歴史教育は権力者たる薩長が作らせたモノだから自分達のクーデターを正当付ける
為に、前政権を否定的に位置づけた内容なのは当然で、それを全面的に肯定的な
みると偏った歴史観になるわけだよ。

394 :
>>393の訂正
肯定的なみると→肯定的な目でみると

395 :
>>393
とはいえ、その対抗馬が会津観光史観だからな。
怨念と思い込みで綴られた、韓半島半万年の歴史と同レベルの。

396 :
いまどき誰が防長回天史を読むのよ
一番影響力があるのは司馬とか小説家だろう

397 :
>>395
何故、日本は近代化に成功したのか?、以下の事が当てはまると思う
(1)幕府の開国時の対応が適切だったから(安政の条約は当時の日本の軍事力の
   関係上、不平等になるのはやむをえない。もし、世論に促されて攘夷を決行
   すれば、相手を刺激させてしまい、清国の轍を踏む恐れがある)
(2)徳川政府の後を継いだ薩長政府の新たな国家造りが非常に適格であった事
(3)日本の国民が国家運営の指針を理解し、あらゆる苦難(増税・徴兵制度等)を
   甘受し、協力的だった事
大雑把に言うと以上の事が考えられると思う。つまり、日本の近代化の成功は薩長だけの
手柄ではないのだ。それを手前が政権を取っているのを良い事に歴史教育という手段で
前政権の業績を否定し、近代化の手柄が100%薩長の手柄で成り立ったという史観を国民に
植え付けさせ「薩長あっての今の日本」などという傲慢な薩長寄りの歴史論を聞いていると
正直言って反発を感じるな。その点があんたの会津に抱く反感心に似通っているかもしれん。

398 :
>近代化の手柄が100%薩長の手柄で成り立ったという史観を国民に植え付けさせ
だからその史観を国民に植え付けるために具体的に明治政府が何をしたのよ?
それが上げられなきゃ単なるお前の妄想だ

399 :
薩長閥中心の王政復古史観の代表は「復古記」〜「維新史」編纂の流れでしょう

400 :
こういう奴らがフルベッキ写真とかを信じちゃうんだろうなw
「お前らバカどもと違って俺は政府に隠された真の歴史を知っている!」っつってw
俺は明治以降の歴史学者の知性と探究心、良心を信じるけどね

401 :
復古記って新政府側の史料しか使われてないから
「官軍が賊軍の討伐令を出した」「官兵が賊兵を討ち取った」式の記述ばっかりだよ

402 :
それでいいじゃん

403 :
戊辰戦争を薩長にとって正当化したいなら、庄内藩が朝敵となる正当な理由を理路整然と説明してください。
天領を勝手に自領として拝借したからといかいう、誰がどう見ても明らかにいいがかりとしか思えない
とってつけたような下らない理由ではなく。

404 :
>>403
俺らが語り合う問題じゃなくて、↓の人達に任せたらいいやんw

次期当主座談会
http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/015/977/62/N000/000/000/125974242538016106595_zadankai.jpg

 島津忠裕氏        徳川家広氏
(島津家 第33代)   (徳川宗家第19代)
 毛利元栄氏         司会者
(毛利家 第34代)

405 :
>>398
具体的なことを簡単に言うと
1)江戸時代はがんじがらめの封建制度に縛られ人民の自由が無かった→確かに強固的な身分制度が
  あったけど、必ずしも厳格なものではなく、時には身分の売り買いもあった。大体、厳しい身分
  制度があるのは、当時は世界的に普遍的な事であり。日本だけが特殊では無かった。
2)幕府が鎖国政策などという愚策をしたお陰で、非常に停滞した世の中であった→鎖国はしていた
  ものの、国内の流通経済情勢は日々進歩しており、欧州での唯一の交易国であった
  オランダからの情報で世界情勢も概ね把握していた。
3)開国時に無能な幕閣のせいで不平等な内容の通商条約を結ばされた→当時熾烈な植民地争奪を繰り
  ひろげていた欧米に対して、島原の乱以降戦の経験のない日本が国力の差が有るのは歴然で、下手
  な対応(当時の志士とやらが言っていた強硬な攘夷政策等)をすれば清国の二の轍を踏む恐れがある。
  従って、当時の幕閣が行った対応は妥当なもの。
4)己の欲で社会を支配しようとした極悪人井伊直弼と、それを誅した正義の水戸浪士→安政の大獄は
  政敵の粛正から始まった事であるが、エスカレートし過ぎた事も事実。しかし、吉田寅次郎は幕閣
  暗殺を企んだのは事実で、当時の社会論理からいえば処刑は当然(現に薩長の山猿共が天下を獲った
  後の不偏分子に対する弾圧はもっと悪質)。それに桜田門外の変は明らかなテロ行為で水戸浪士は
  れっきとした殺人集団でこれを賞賛する価値観を教えるなど法治国家としては論外である。
5)当時の政権である徳川幕府は能なし集団の集まりで、日本を良くしようとする気概などさらさ無かった
  それを憂いて立ち上がったのが我ら薩長軍団→当時の政権が事態を良くしようとした事は、従来の
  政治機構を西洋式にしようとする慶応の改革等を模索していたのは残された資料からも伺える事で
  大政奉還もそのうちの一つ。つまり政権が天皇に返上された時点で、天皇中心の近代的な国家を大過無く
  作るべきであった。それを薩長は自分らで政権を牛耳る為に無意味な倒幕運動を起こした。よって非難
  されるのは薩長である。
以上の事を権力を持っているのを良いことに自分達に都合の良いように教育という形で国民を洗脳していた
のが、薩長中心の明治政府だ。その他、明治の歴史教育には「南朝正閏論」という歴史を深くみれば矛盾して
いる史観もある(因みに、今の天皇陛下は北朝系)

406 :
明治以降の国民や歴史学者はそんな簡単に洗脳されるアホばっかりだったってことねw

407 :
>>405
1)江戸時代はがんじがらめの封建制度に縛られ人民の自由が無かった→確かに強固的な身分制度が
  あったけど、必ずしも厳格なものではなく、時には身分の売り買いもあった。大体、厳しい身分
  制度があるのは、当時は世界的に普遍的な事であり。日本だけが特殊では無かった。
→その身分制度を崩そうという動きを必死に押し戻そうとしていたのが徳川幕府。
2)幕府が鎖国政策などという愚策をしたお陰で、非常に停滞した世の中であった→鎖国はしていた
  ものの、国内の流通経済情勢は日々進歩しており、欧州での唯一の交易国であった
  オランダからの情報で世界情勢も概ね把握していた。
→「蘭学」を汚れたものとして何度も弾圧していた。そのため、自然科学が発達しなかった。
3)開国時に無能な幕閣のせいで不平等な内容の通商条約を結ばされた→当時熾烈な植民地争奪を繰り
  ひろげていた欧米に対して、島原の乱以降戦の経験のない日本が国力の差が有るのは歴然で、下手
  な対応(当時の志士とやらが言っていた強硬な攘夷政策等)をすれば清国の二の轍を踏む恐れがある。
  従って、当時の幕閣が行った対応は妥当なもの。
→幕府の役人たちは世界情勢を分析した上でアメリカが言っているのはただのコケオドシで日本と戦争する能力など無いと見切っていた。
 現に李氏朝鮮はアメリカの要求をはねのけている。部下の冷静な分析を無視した無能な幕閣が不平等条約を結んだ。
4)己の欲で社会を支配しようとした極悪人井伊直弼と、それを誅した正義の水戸浪士→安政の大獄は
  政敵の粛正から始まった事であるが、エスカレートし過ぎた事も事実。しかし、吉田寅次郎は幕閣
  暗殺を企んだのは事実で、当時の社会論理からいえば処刑は当然(現に薩長の山猿共が天下を獲った
  後の不偏分子に対する弾圧はもっと悪質)。それに桜田門外の変は明らかなテロ行為で水戸浪士は
  れっきとした殺人集団でこれを賞賛する価値観を教えるなど法治国家としては論外である。
→井伊家は直弼の横死後、当の幕府から直弼の失政を咎められて減封されている。間違っているのに自分で修正できない腐れ切った幕府を止めるには実行力しか無かった。
 そもそも、死罪に当たらないはずの人々を大勢刑死・獄死させた直弼の行動はいわゆる白色テロ。
 狂った独裁者を討った英雄を称えるのは世界共通。
5)当時の政権である徳川幕府は能なし集団の集まりで、日本を良くしようとする気概などさらさ無かった
  それを憂いて立ち上がったのが我ら薩長軍団→当時の政権が事態を良くしようとした事は、従来の
  政治機構を西洋式にしようとする慶応の改革等を模索していたのは残された資料からも伺える事で
  大政奉還もそのうちの一つ。つまり政権が天皇に返上された時点で、天皇中心の近代的な国家を大過無く
  作るべきであった。それを薩長は自分らで政権を牛耳る為に無意味な倒幕運動を起こした。よって非難
  されるのは薩長である。
→幕府の改革は常に幕府内の守旧派によって潰された。幕府に自浄力など無い。
  そもそも慶喜が考えていたのは、徳川宗家が頂点に立つ形の中央集権国家であり、自分が支配者になりたいだけだった。
  慶喜の議会制国家とは自分が頂点にたち、大名からなる議員を全て隷属させる手段にすぎない。
  国民会議的なものを日本で始めて実現しようとしたのは桂小五郎(失敗だったけど)。

408 :
ついでに、南朝正閏論は江戸時代に国学の議論を進める中で生まれた理論だ。明治発祥じゃねえよ。
で、明治維新を進めて人々には国学を修めた人が多かったので、明治期に北朝・南朝いずれが正統だったかを議論した際に南朝が優勢になった。
ものを知らん奴は今の天皇家が北朝とか平気で言うが、今の天皇家は南北合一した流れにある。
北朝・南朝いずれを正統としてもかわらない。そもそも、南北朝期の北朝天皇から見れば今の皇室の流れは傍流でかなり離れてるし。
北朝・南朝にこだわっていたのは、北朝につかえていた公家たち。南朝を認めると自分の官職が奪われるから、南朝に使えていた公家を排除した。
後南朝は全く認められていないしね。あくまで三種の神器などからの形式的にどちらに正当性があるかの判断。

409 :
>>406
国民は兎も角、学者達は公権力が怖くてハッキリとモノが言えなかっただけ。
その証拠に薩長政府の影響力が無くなった戦後に、客観的な視点での歴史研究
が盛んになっていった。
>>407
>>408
普段の異常なほどの会津攻撃のコメを見ても判る様にお前が病的な薩長信者だと
いう事は判っていたが、お前の反論は大方予想通りであった。間違いなく薩長が
流布した歴史史観に洗脳されている証拠だという事だ、反論の中身がそれを示し
ている。慶喜が徳川が頂点に立って政治を継続するという考えを持つのは、当分
の間国を治める者として新たな政治機構を作る為の暫定的な処置で、徐々に世襲
から脱却した国家を完成していくというもの。第一、今まで政権を執っていた立場
の人間として、いきなり海のものとも山のものともつかぬのに政治など任せられない
という考え(偶々、薩長の連中・・と、言っても上の方だけだけど。が一応的確な
政治機構を作れる人間が居たから良かったものの)が慶喜の中の有るのは自然な事で
一概に否定は出来ないであろう(まぁ、お前の様な狂信者にはどんな事を言っても
無駄だが)。もう一つ、南朝正閏論が江戸時代に水戸学を中心に勃興した考えだと
いう事ぐらいお前に言われなくても判る。まぁ、俺に言わせると持明院派と大覚寺派に
分裂した経緯をみる限り、北朝が正統だと思うけどね。

410 :
>>409
慶喜が国民参加型共和政治を目指していた証拠など何一つ無いんだがな。
妄想乙。
結局、薩長史観を打破するとか言ってる奴らの正体はみんな単なる誇大妄想だよ。
なんの証拠もないのに自分が正しいと言い張ってる。

411 :
>>409の補足
2)について→確かに幕府は儒学(特に朱子学)を是とした国家政策を進めて
       おり、それに相反する蘭学等を排除(有名なものとして「寛政
       異学の禁」や「蛮社の獄)する動きもあり、自然科学が発展し
       づらい環境にあったのも事実。しかし、その反面杉田玄白の
       「解体新書」や華岡青洲の麻酔薬の開発など。その枠を超えた
       業績があったのも事実。現に他の学問では関孝和の和算や庶民
       の識字率の高さ等、世界に誇る高度な学業績もあった。それに
       今、多くの国々の人達(主に欧米系)に愛好されている江戸文化
       というのも生まれるなど、幕府とは裏腹に庶民が自由に社会を
       構築していくという面もあった(ちなみに、薩長が政権を執って
       いた明治時代に政府主導で推し進められていた文化政策は単なる
       西洋の猿真似)
3)について→アメリカが日本と戦闘する能力が無いというのは間違いで実際は
       日本と戦闘する気が無いという事。そもそも日本は国中のいたる
       処に武士という戦闘員(一応)が居て、中央集権国家である中国
       と違い、非常に攻めにくい国であったという事、もう一つはお前
       の言う通り、幕府の役人達が非常に優秀で侮れない相手という印象
       を相手に感じさせる様な外交(その点が薩長政府の末裔である今の
       政治家達の土下座外交とは好一対である)を行っていた事。李氏朝鮮
       に関しては、余りにも後進国過ぎて外交の旨味が感じられない為に
       敢えて深入りしなかったと思われる。
5)について→井伊家が直弼の死後減封されたのは直弼の死によって反対勢力が
       盛り返してきた結果。確かに安政の大獄は行き過ぎた面が大いに
       あったが、主流派が反主流派を粛正するのは当時の政治風土から
       見て、特別な事ではない(只、直弼と主善が調子に乗りすぎたのは
       事実。余談だが、生まれも育ちも今住んでいるのも旧水戸藩領内で
       ある小生は、小学生の時は徳川光圀と斉昭が好きでそれに敵対する
       井伊直弼が大嫌いであり、激しい憎悪感を抱いた覚えがある。勿論
       今は考えが変わったが・・)。第一、いつも言う事だが、吉田寅次郎
       はれっきとした幕閣暗殺未遂事件の容疑者(今風に言えば。それに本人
       も認めている)であり、様々な事項を考慮してもやはり処刑は止む無し
       というしかない。それに、直弼を狂った独裁者と言うが、薩長の連中に
       そんな事言える資格があるのか。現に明治時代は反体制分子に対する
       弾圧(福島事件・加波山事件・秩父事件・幸徳事件等)の歴史では無いのか?

412 :
>>403
徳川家の領土はみんな朝廷に召し上げられました。それが徳川家降伏の条件。
なのにその領土を奪ったらそりゃ戦争になるんじゃねーの?
天皇の直轄地をうばったんだからそりゃ朝敵だよ。

413 :
>>411
松陰の老中暗殺未遂は全く実現性がなく、遠島相当と取り調べの結果決まったのを井伊大老が死罪に直したというのは有名な話だが?
安政の大獄において井伊大老は常に罪を一等引き上げる裁定を行なっている。
明治時代の民衆からの要求に伴う騒擾事件を政治的案件と同一視するのはおかしい。
江戸時代の一揆の首謀者は家族ごと処刑されるのが当たり前だった。
それに比べれば明治時代の処置ははるかに人道的だ。
文化面のことを言えば、町人文化が花を咲かせようとするたび、倹約令を押し付けて潰そうとしたのが徳川幕府。
実際に戯作者などが大勢処罰されている。
この伝統を復活させ、欲しがりません勝つまではなどと言っていたのが、東北出身のクズども。

414 :
お前は八幡和郎かwww
260年の徳川幕府の歴史を簡単に悪と決めつけるのはいかがなものか
町人文化なんか、台頭→爛熟→規制の繰り返しだからなあ
文化と政治体系を切り離して、どっちかを善とするのは無意味じゃないか?
戯作者は武士出身が多いんだよな

415 :
>>413
>明治時代の民衆に伴う騒擾事件と政治的案件を同一視するのはおかしい
ものは言い様だな、第一幸徳事件は騒擾事件じゃない、れっきとした政治的弾圧だよ。
それも半分冤罪的な要素がある。その点旧幕府と政策視点は変わりはない。

416 :
>>413の続き
ついでに言うと、俺は江戸幕府が決して良い政治機構だとは思わない。だからといって
明治時代が天国のような時代とも思わない。ただ世の歴史史観が勝者の都合で
動いていく点があるからそれを指摘したかっただけの事(その点江戸幕府の歴史史観
も家康を過大に神格化したり、秀吉や三成の業績を全否定するなど問題だらけだ、
薩長史観と何ら変わらない。GHQの東京裁判史観も又然り)つまり勝者である現権力者
の言い分だけを鵜呑みにするのではなく、客観的なものの見方で歴史を評論すべきで
あると思う。

417 :
蛮社の獄の一件を見るだけで、あの時代の幕府がウンコだというのは誰でもわかること

418 :
>>414
武士階級の戯作者も多いけど、絵や俳画で評価された人物も多いよね。
絵の場合は大きな藩だとお抱えの絵師が居たし
藩侯が習得すべき文化芸術の一つとして
玄人はだしの絵を残している藩侯も多い。
琳派の代表的作家である酒井抱一なんて姫路藩主の弟だったり
渡辺華山なんて画家も居る。
とくに淫靡な春画を多く残したことで知られる英泉は元武士だよな。
松尾芭蕉だって元は武家勤めを辞してから江戸に出て俳諧者になった。

419 :
下士は上士に理由もなくリンチされて殺されても上士は裁かれない
仇を討ったら下士の身内全員皆殺し
それが徳川幕府による武家システム
商人や百姓も犬猫以下の扱いを受け、殺されても代金を踏み倒されても賠償なし
長崎の商人が信用の無い藩とは取引をしないというのは当然だわ
ましてや相手が徳川御家紋の権威をかさに好き勝手に人々を支配してきたというのならなおさら

420 :
中岡、わしは母上から教わったがぜよ
憎しみからは、何っちゃあ生まれん
誰かが誰かを支配しちゅうような仕組みの中からは
必ず憎しみや恨みが生まれてくるぜよ
by龍馬

421 :
土佐藩の身分差別は「功名が辻」の時代に遡るからな
300諸藩の中でも特殊だろ

422 :
>>419
それって、土佐の山内家の話じゃあないの?。徳川時代って、中央集権国家と
違って、各藩によって領内の運営方針が違うから良いところもあれば酷いところ
もあるんだよね(もちろん、全体的にみてもきついところが圧倒的に多かったけど)
まぁ、当時は世界的にみても人権なんていうのは無きが如しの国が普遍的だった
からね。特に日本だけが異常だった訳でもないし。それに引き替え、ヨーロッパ
などで市民革命が勃興しだした後に成立した明治政府が国際的な目線を考えて多少
ながら人権に配慮した政策を行うのは当然のことで、何も誉められる要素も無い。
(第一、薩長がクーデターを起こした理由の一つに「封建社会からの脱却」を
挙げている以上、江戸時代と同じ法政策を続けていたんでは只の嘘つきになって
しまう、その点連中(あくまでもトップだけだが)も賢明であろう)。そういった
歴史的な経緯も無視して「徳川時代には一家皆処刑になるような罪でも、本人一人
のみに枠をつぼめた明治政府は人道的な政府」などという世迷い言をほざくアホが
いるとは、呆れてものが言えない。

423 :
>>421
ちょっと違う。下士が上士から差別されていたのは本当だけど、どこの家でも上士(侍)と下士(足軽)は待遇に差があった。
んで、地元民から足軽は採用されるから、長宗我部遺臣の下っ端が下士になるのは当然。
長宗我部の上級武士で山内に採用された人は上士になってる。
江戸初期からの下士たちはこの処遇に納得してたんだけど、幕府後期に金で武士になった竜馬の家とかはせっかく金出して武士になったのに差別されることに腹を立てた。
この金で下士になった人たちと先祖代々下士の人たちの意識にはかなりギャップが有る。
身分差別は当然と考えていた人たちと、金でもなんでも身分制度は変えられると考えていた人たちの差。
そして、当然後者から封建制度=幕藩体制を壊そうという人達が出てくるわけさ。

424 :
井伊直弼によって蟄居させられていた土佐の山内容堂が井伊の死によって解放され歴史は動き出す
巡り巡って容堂は龍馬からの大政奉還の建白の直訴(命を賭けての嘆願)を聞き入れ徳川幕府に引導を渡すことになる
日本を想う吉田松陰の意志は生きていた

425 :
>>424
だからと言って>>359の様な出鱈目な説(大政奉還長州起源説)を
垂れ流すのは止めろ

426 :
木戸さんが山口城で龍馬と高杉の前で紙に書いて説明してたなあ

427 :
龍馬「木戸さん。戦ゆうがは、まっこと大したもんですのう。力づくで相手を倒したら世の中の流れが丸っきり変わってしもうた」
木戸「百の議論より一の戦じゃ。坂本くん」
龍馬「このまま一気に江戸まで攻めこみたい心持ちですろ」
木戸「ふふっ…勢いは僕らにあるけんのw」
龍馬「けんど木戸さん、戦はもうこればあにしてつかあさい」
木戸「…」
龍馬「今回の戦で幕府の力はますます弱まりました。今こそ緒藩に声をかけ、味方を増やすがです」
高杉「ぼくもそう思います。今回は守りの戦だから勝てたんです。勢い付いて攻めこめば…」
木戸「黙れっ!!」
龍馬、高杉「…!」
木戸「何を言い出すんじゃ坂本くん。僕らが薩摩と組もうと思うたのは、君たちが薩摩名義で軍艦や武器を手に入れてくれたからじゃ。あの同盟の裏書きを書いたのは君じゃ。薩摩との密約も、幕府との戦を想定してのもんじゃろうが」
「そげん君が今さら戦をするなとは、こげなおかしな話があろうか」
「だいいち、戦もせんでどうやって幕府を倒すつもりじゃ!」
ミニエー銃をつかみ龍馬の前に掲げる木戸さん
龍馬「徳川に、政権を返上させるがです」
高杉「政権を…」
龍馬「そもそも将軍とは、征夷大将軍。畏敵から国を守るという役目を帝から任せられちゅうだけですき」
「ほんならその役目を、自ら帝に返上させたったらええがです」
木戸「大政奉還論か…」
龍馬「た……大政……?…奉還論…???」

428 :
硯で墨をすり、一文字ずつを声に出し筆で紙に字を書いていく木戸さん
その紙を龍馬に手渡す
木戸「国を、政を、還し、奉る…」
高杉「大政奉還か…!」
龍馬「…」
木戸「この考えを持つ者は、じつは過去にもようけおったんじゃ」
「じゃが結局は、みんな諦めた…」
龍馬「…どういて?」
木戸「人は一度手にした力を手放そうとはせんからのう」
「幕府は」「そんな」「お人好しじゃあない!」
大政奉還と書かれた紙を取り上げクシャクシャに丸め床に捨てる木戸さん
龍馬「ほんじゃき…、ほんじゃき武器を持つがじゃ!」
「政権を返上せんかったら、力づくでも滅ぼしちゃると、幕府に迫るために武器を持つがじゃ」
立て掛けてあるミニエー銃を掴み先ほどの木戸さんと同じように掲げる龍馬
高杉「そ…、そーか!」
龍馬「うん」
木戸「坂本くん。君が日本の将来を憂いていることはよう知っちょる。じゃが、地に足がついた考えでなければ夢物語と同じじゃ」
「今の僕らに、それに付き合うちょる暇はない」
部屋を出る木戸さん
龍馬、高杉「木戸さん!!」木戸「大政奉還など…奇跡でも起こらん限り無理じゃ!」
うつむく高杉
クシャクシャに丸め捨てられた大政奉還の紙を拾い広げなおす龍馬
龍馬「その奇跡を起こさんかったら、日本はのうなってしまうがじゃ」
木戸「…」
高杉「…」
去っていく龍馬
<弥太郎ナレーション>坂本龍馬が その鮮烈なる生涯を終えるまで あと 一年

429 :
小説家志望か崩れっぽい

430 :
>>426 >>427 >>428←こいつバカ
完璧な「龍馬伝」の見過ぎ。所詮薩長信者の脳内などこの程度。こんな奴に
今年の大河は出鱈目なんて言う資格などないわwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

431 :
完璧な龍馬伝

432 :
長崎 亀山にて
龍馬「後藤象二郎がわしに会いたいそうじゃ」
太郎「後藤象二郎!?」
寅之助「後藤が長崎におるがですろうか!?」
龍馬「わしはのお、後藤と会うことにしたき」
陸奥「えっ」
惣之丞「ど…どういて!?」
太郎「龍馬さん…!」「あいつは武市さんや以蔵さんを殺した 敵じゃき!」
龍馬の肩を掴み目を見て話す太郎
うなずく惣之丞
龍馬「後藤はの、薩長と近づきたがっちゅう」「これはわしが望んじょったことながじゃ」
陸奥「望んだこと?」
龍馬「わしゃ土佐を使うて大政奉還を成功させるがじゃ」
惣之丞「なに…!」
英四郎「土佐ば使うて?」
龍馬「これはの、絶好の機会ながじゃき!」
太郎「待ってつかあさい!」
惣之丞「後藤はおまんを捕まえる気ぜよ…!」
寅之助「そうじゃ!」
陸奥「その場で斬られるかもしれん」
静かに立ち上がる龍馬。ふー、と息を吐く
龍馬「後藤象二郎が昔のことを根に持つような男か…」
「それとも日本の将来を考えることができる男か…」
「わしがこの目で見定めてくるき」

433 :
慶応3年(1867年)1月12日
清風亭にて
後藤象二郎と対談する龍馬
隣の部屋には土佐の上士たちが刀を構え待機している
後藤「坂本、土佐と薩摩長州の橋渡しをせい」
龍馬「…」
同席した芸子の元に盃を差し出す後藤
後藤「つぎや」
元「はい」
龍馬「お断りしますき」
後藤「…!」
カチンと盃を下げる後藤
龍馬「土佐藩のため大殿さまのために、あればあ働いた土佐勤王党を弾圧し、武市半平太も岡田以蔵も殺してしもうた」
「今さら土佐藩のため働けち言われても、そんなきにはなれませんのう」
後藤「ハーハハハハハ!」
「おんしには選べる道らないがじゃ!わしの言うことが聞けんがやったら」「この場で死ぬだけぜよ」
床をトントンと叩く後藤
龍馬「道が無いがは後藤さまやち同じじゃ」
「ご上士らが斬りかかってくる前に、わしの仲間が雪崩れ込んできますきのう」
後藤「!!」
外にいた見張りに手早く当て身を決め気絶させ清風亭に侵入してくる亀山社中の仲間たち
龍馬「話はこれからじゃ!」

434 :
しかしね、これが薩長オタの言う幕末の真実かね?。いくら薩長の業績を高める
為とはいえ、こんな糞ドラマのストーリーまで史実としてデッチ上げるとは・・。
いやはや呆れてモノがいえんわ(爆笑)

435 :
薩長ファンてキモイよね

436 :
龍馬の話しなのに薩長オタとはこれいかに

437 :
>>433
漫画「おーい、竜馬」にそんなシーンがあったな。

438 :
龍馬さん、高杉さん、木戸さん
みんな最高だよな!

439 :
>>433続き
龍馬「わしゃあ馬関での海戦に加わってきましてのう。長州と共に幕府軍と戦うてきたがじゃ」
「夜明け前に下関を出て 門司の港におった幕府軍の軍艦を砲撃しましてのぉ。長州の奇兵隊は悠々と 敵陣を押さえてしもうた」
「わしらの大勝利じゃった」
くいっと盃の酒を飲み微笑む龍馬
後藤「ちっ…!」
視線を反らし舌打ちする後藤
龍馬「あればあの攻めで逃げ出すとは、幕府の時代ももう終わりじゃき。…今こそ…」
「今こそ大政奉還を迫る絶好の機会ながじゃ」
後藤「ちょっと待ちや。…大政奉還じゃと!?」「クッハハハ…」
龍馬「幕府が政権を帝にお返ししたら、この日本は戦をせんと新しい仕組みに変わるがじゃ」
後藤「寝言も大概にしいや!徳川が政権を手放すわけがないろうが!」
龍馬「ほんじゃき土佐の出番ながじゃ!」
後藤「…何!?」
龍馬「…」
立ち上がる龍馬は部屋の左右の襖を開ける。急な出来事に刀を抜いて待機していた上士たちが驚いて口々に叫ぶ
上士たち「うわっ!?」「な…なんじゃ!!」
後藤「…」
再び後藤の前に座る龍馬
龍馬「お元、その盆をとってくれや」
元「はい」
畳の上に盆を置く龍馬
龍馬「これが幕府」
次に料理の入った二枚の皿を盆の手前に置く
「ほんでこれが、薩摩と長州じゃ」
「薩長は今 勢いづいちゅう。けんど幕府やち『腐っても鯛』ぜよ。政権を帝にお返しせよと薩長が迫っても簡単には怯まんろう。…そこで」
2つの皿の後ろにもう1つ盃を置き、タパパパッ…と酒を注ぐ
「土佐24万石が加われば、幕府軍にとっては一気に脅威になるがじゃ〜」
後藤「…ハハハハハ!ばかを言いなや!」
「どういて土佐がそこに加わ…」
龍馬「薩長に近づきたいがですろう土佐は」
後藤「!!!」
龍馬「近づくがやったら、がっちり手を組む覚悟が必要ですのう」
後藤「おんしは大殿様と徳川慶喜公が仲がえいゆうがを知らんがか」
龍馬「ハハハ!そうじゃあ!それこそが、それこそが都合のえいところぜよ」
障子の戸を開ける龍馬。刀を構えた海援隊士たちがゆっくり部屋に入ってくる。それを見た上士たちも入ってくる。
龍馬「もし…土佐が寝返ったとなったら」
ボタタタと盃の酒を盆にたらす龍馬
「大政奉還を迫る、この上ない機会ながじゃあ」
後藤「黙れ!」

440 :
>>439続き
後藤「土佐が幕府に戦を仕掛けるら、天地がひっくり返ってもないろう!」
龍馬「それでのうてはいかんがじゃ!」
後藤「!??」
龍馬「土佐は徳川には刃は向けん。その考えこそが薩長を抑える力になるがじゃ」
「よう考えてつかあさい。今言うたわしの考えは、土佐が新しい日本をつくる要(かなめ)になるゆうことぜよ」
「それこそが…、まさにそれこそが、大殿様がお望みになっておられることではないですろうか」
後藤「……!」
龍馬「…」
「これほどまで言うたち…」「気に入らんと言われるなら…」「土佐藩も、後藤さまも、とんでもない大馬鹿者じゃ」
後藤「!!!」
上士たち「なんじゃと!うらあああ」
海援隊士たち「やるかえ!おああ〜!」
2人の両脇で刀を抜いた侍たちの怒号が飛び交う
微動だにしない龍馬
後藤「やめんかい!やめや!」「刀を収めや」
「収めい!」
しぶしぶ刀を鞘に収める上士たち
その刹那
後藤が抜刀し切っ先を龍馬の前に向ける
同時に海援隊士たちは刃を後藤の首に向ける
……
数秒の静寂。後藤の刃に殺意はない
龍馬「みんなも収めや」
刀を収める海援隊士たち
後藤「…」
「まっこと恐れを知らん男じゃの。おんしは」
龍馬「誰かに恐れ入っちゅう暇はないですき」
後藤「ふ…ふふふ…」
静かに微笑む後藤は刀を畳の上にどんと置く

441 :
>>440〜まとめ
後藤「分かった。おんしの話に乗ろう」
上士たち「っ!?」「後藤さま?」「後藤さまあ!!」
後藤「けんど条件がある」
「亀山社中は土佐藩のもとに入りや」
龍馬「土佐藩と対等の立場でえいと言われるのなら」
上士たち「なんじゃとお〜」
龍馬「手を結びましょう」
後藤「…クッククク…w」「…えいろう」
上士たち「えっ…」「そんな…!」
後藤「土佐は薩長を利用する」
「坂本。必ず土佐が日本の要になると約束しいや」
龍馬「…約束の」
立ち上がり後藤に手を差しのべる龍馬
「シェイクハンドじゃ」
後藤「…」
龍馬と力強く握手する後藤
上士たち「後藤さま…」
龍馬「…ハハハハハハハ!」「ありがとうございます。後藤さま」
「みんなもご上士様らとシェイクハンドじゃ!」
海援隊士たち「はい!!」
「よろしゅうお願いします」
上士たち「こちらこそ…よろしく!」
<土佐の上士と下士が、初めて手を結んだ瞬間じゃった>

442 :
※訂正
×海援隊士
○亀山社中
急いでしもてごめんちゃ

443 :
龍馬ならではの交渉。しかし見習うべき点や要所をしっかり踏まえてる。
相手の覚悟や忠義を認めることが人と人とが理解し合う上で欠かせない。
亀山社中も上士たちも互いに私的感情や怨みで斬りつけたりはせず双方のボスの言いつけを守っていた。それによって他者の強さを自分たちの肌で感じることができた。
武市や以蔵たちの無念の晴らし方は、後藤をRことではなく日本の将来のために上士と下士が対等に力を合わせること。
憎しみの連鎖を断ち切ることで木戸さんたちにも良い土産話ができた。
まさに人間の持つ可能性を自ら体現する幕末の勇者

444 :
>>436
薩長土肥、略して薩長。特に>>426>>429は確かに龍馬が主人公の話とはいえ
内容が異常なほどの長州賛美である。大体大政奉還の立案者が吉田寅次郎とは
いくらフィックションの世界とはいえ、かなり悪質な歴史改竄である。そして
その改竄を「松陰先生なら考えそうな事だ」と自分に都合の良い様に解釈して
史実としてデッチ上げてしまう>>359の様な薩長並びに松陰の信者は歴史を語る
資格がない。

445 :
あと山内容堂の
@土佐を日本の要にしたい
A友人である徳川には刃を向けないこと
@Aそれぞれ別で「これはこれ」「それはそれ」って感じなんだな
尊敬されるわけだ

446 :
その頃、長州の高杉晋作は萩で療養を余儀なくされちょったがじゃ
高杉「わしと〜♪おまえ〜はあ♪…」
木戸「晋作」
高杉「ああ、木戸さん!」
木戸「土産じゃ」
高杉「こりゃ立派なスッポンじゃあ」
木戸「精がつくぞ〜」
高杉「おうの」
うの「はい。いつもありがとうございます」
木戸「いえいえw」
「思うたより顔色がええじゃないか晋作。藩医の長野晶英先生から老害に効く薬を貰うて来た」
高杉「ありがとうございます」
木戸「はあ…今回の戦は勝てたが、このまま幕府が黙ってはおるまい。再び相まみえる時が必ず来るはずじゃ」
高杉「木戸さん」
「江戸へ…攻め込むおつもりですか」
木戸「それは最後の決戦じゃ」
「まずは京へ攻めのぼり…」
高杉「坂本さんは、大政奉還を成し遂げると言いましたよ」
木戸「…徳川が政権を返上するわけがなかろう。」
高杉「じゃが、何か他に手だては…」
木戸「坂本くんは夢を語っとるんじゃ!」
「薩長を結び付けたことで気が大きゅうなっちょるんじゃ」
高杉「坂本さんは、そのような御人では……!!ゴホッ…ゴホッ…ゲボ」
口を抑え吐血しながら咳き込む高杉
木戸「晋作!」
咳き込む彼の体を支えるうの
木戸「おうのさん!晋作…!」
高杉「木戸さん…戦は…!…戦は…戦は…!」

447 :
>>446
お前さん才能の無駄遣いしてないでラノベなり同人誌なり
ちゃんとした作品を作りなされ
商業デビューしたら買ってやるからさw

448 :
勝海舟の日記で、
|某月某日
|薩摩と長州が同盟したという。
|坂本龍馬が仲介をしたと聞いた。
|彼ならやりそうなことだ。
というような記述があったと思うんですが、
これの原文を読めるサイトを知りませんか?
自分なりに探してみたけど、見つからなくて。

449 :
>>446
無駄の長文でウザいから、もう止めれ、
青山のシナリオ・スクールにでもはいって修行してこい

450 :
>>448
国立国会図書館で海舟日記借りればええやん尼で買うとか
サイトは楽しむもので使うものじゃない
自分でまめに調べないと人に頼っててはだめだ
地方の図書館でもお取り寄せくらいはできるだろまあがんばれw

451 :
>>448
近代デジタルライブラリー
http://kindai.ndl.go.jp/
「海舟日記」で検索

452 :
やはり正義は長州にあり
ということだな。
平和を願う長州の高杉晋作の心は佐藤栄作総理大臣にも受け継がれ非核三原則を創るに至る
ノーベル平和賞だから
オバマ大統領とも互角
劉暁覇さんとも互角
アウンサー・スーチーさんとも互角

453 :
>>452
長州の正義=偽りの正義
非核三原則など嘘八百、実際には核は持ち込まれている。佐藤の平和賞の価値など
オバマや金大中と同程度。マザーテレサはおろか、劉暁覇さんやスーチーさんにも
遠く及ばない。

454 :
幕府も有能な人物は多いと思う特に幕府実務者及び4賢侯
自分は長州好きだけどやってることは若者中心のせいか外国に影響されまくりで
行動も荒っぽい家老が弾圧されたせいか肥後や薩摩のようなしたたかさが薄い
だから慶喜に長州に比べて薩摩うんぬんと言わせたのかもしれない
幕府側も維新後政府に協力してるし薩長土肥だけでは明治維新は無いと思う
つくづく日本が分裂しないで良かった
近代デジタルライブラリー良いな大隈の肉声レコード聞けて感激だ
教えてくれてありがとう

455 :
>>454
薩長派の連中がみんな君みたいに客観的な評論が出来る人間だったら
良いのですがね。そうですよ、薩長のリーダー達も優秀だけど、幕府の
人間にも沢山優秀な人材がいたのです。だから日本は中国の二の轍を
踏まずに済んだのです。幕末の開国期にあれだけの優秀な逸材が雨後の
タケノコの如く乱立した・・、日本にとってなんと幸福であった事か・・。
その事を考えただけでも本当に日本に生まれて良かったなー。

456 :
>>412
その状況たるものをきちーんと知らしめないで
「攻めるの?殺しにくるの?」
「そうだよ。大砲鉄砲いっぱい持って皆殺しに来るよ」
「やめてくれない?お願い助けてくれない?」
「いやだね。お前ら皆殺しだよ」
ってやったのが東北戦争じゃないでしょうかね。

457 :
喧嘩はいかんぜよ
慶喜公がもうやめや言うちょるんならやめちょきや
尚之助「恭順しましょう。会津を賊軍にせぬために」
八重の親父「にしゃ腰抜げが!ならぬものはならぬだああ」(ToT)
だから止めとけばよかったのに…

458 :
>>450
僕は目的の記述だけ読めればいいんです。
>>451
サンクス。目的の記述を見つけることができました。
慶應二丙寅年二月朔日
聞く、薩長と結びたりと云う事、實なるか。
我門柳川の士、当春薩船に使して、下の関へ到りしに、
長より早速使者差し越し、手厚なりしと。
又聞く、坂龍今長に行きて、是等の扱いを成すかと、
左も可有と思わる。
意訳したらこんな感じですか?
慶応2年2月1日
薩長が同盟を結んだということを聞いた。事実であろうか。
私の門下生の柳川藩の侍が、薩摩の船に乗り下関に行ったときに、
長州藩から使者が出迎えて、手厚い待遇であったと。
また、坂本龍馬が今長州にいて、同盟の仲介をしたようだと聞いた。
それもあり得ることだと思われる。
我門〜手厚なりしと。の2行は自信がない。

459 :
海舟は薩長同盟のことを、
幕閣から聞いたのかと思っていたが、
門下生からの噂で聞いたらしい。
それにしても、同盟成立が1月20日だから、
11日後に、江戸にいて、
その情報を得ている海舟の情報網はすごい。

460 :
>>458
見つかってよかったな二枚舌め
学芸員?院生?教授?
原文が読めるのに海舟日記読んでないってこれいかにwww

461 :
高杉の奇兵隊に龍馬の亀山社中が加わり、わずか三千の長州軍で十五万もの幕府軍を撃退した馬関の奇跡
高杉:百万の大軍 恐るるに足らず
:恐れるべきは 我ら 弱き民 一人一人の 心なり
龍馬:これで、次に進むことができるがじゃき
【大阪城】
小栗:ここっこ…小倉藩は 籠城に耐えられぬと は判断し 自らの手で し、城に火を放ちましたっ!
慶喜:そんな馬鹿なことがあるかああ〜〜〜!!!
:外様一藩ごとに幕府が負けるはずがない!!
:すぐさま兵を送り込め!!
家臣たち:は…ははっ!
<敗北した幕府に追い討ちをかけたがは、庶民の怒りじゃった>
<長州攻めの影響で米の値段が高騰。各地で打ち壊しが起き人々の幕府への不満は爆発したがじゃ>
<ほんで小倉城が落ちる前に、14代将軍徳川家茂が脚気により死去>
<幕府は戦どころではのうなってしもうた>
慶喜:くそおおっ…!!!
【下関】
長州兵「申し上げます」
木戸「何じゃ」
長州兵「将軍家茂公が、亡くなられたとの知らせにございます」
木戸「…!!」
長州兵たち「うおおおおー!!!!!」
木戸「正義は長州にありいいいぃ〜っ!!!」
【薩摩】
小松:山が動いたな
西郷:…
:…変わっど
:変わっどぉ〜…
:変わっどお!ぬああああ〜〜〜
【土佐】
容堂:まさか幕府が負けるとはのう…
:徳川の時代も終わりに近づいちゅうがか

462 :
>>460
>原文が読めるのに
ってことは、458の意訳であってるってことですか?
適当な意訳で、自信がなかったのに。
それにしても、教授と間違われるとは、くすぐったいっす。

463 :
龍馬の亀山社中ならぬ亀頭射精

464 :
>>458
原文のほう、「当春」の2文字がある。
この「春」は、「新春」「迎春」の「春」と同じ、つまり「正月」って意味。
だから、「当春」は、「今年の正月」という意味になる。
正月とは、1月1日から7日までの松の内を指す。
「今年の正月」、柳川藩士が薩船で下関へ行き、
そこで、薩摩と長州の友好的な様子を目撃した。
それで彼は、薩長が同盟したと推測し、海舟に報告した。
実際の同盟の調印は1月20日だが、
それ以前から両藩の友好的雰囲気作りは進んでいたらしい。
柳川藩士が気づくくらいだから、幕府も当然気づいてる。
調印のその夜、龍馬は寺田屋で幕府取り方に襲われる。

465 :
>>412
出羽国の寒河江柴橋は、幕府が領土を朝廷に返上する前に、
江戸勤めの功労に報いるため、幕府から庄内藩に与えたものだから、
それを理由に新政府が戦争をしかけるのはかなり無理がある。実際に他藩も納得していなかった。

466 :
薩長同盟前。薩摩名義でグラバー商会から仕入れた軍艦と武器を長州に運んだ龍馬
龍馬「桂さんはまだ薩摩と手を組むことを迷っちゅうがか…」
高杉「此度のことで長州の者みんなが喜んぢょるわけじゃあありません。にっくき薩摩に借りを作ったと恨んぢょる上役もようけおる」
「桂さんはその板挟みになっちょるんですよ…」
龍馬「高杉さんは どう思うがぜよ」
高杉「ぼくは薩摩の助けが無くても闘いますよ。長州人ですけえ、正義は長州にあると信じちょりますからね」
龍馬「…」
高杉「ふはは…、ホンマは 好き勝手に生きたいんじゃけどねー…」
龍馬「高杉さん…」
高杉「上海に行ったとき思ったんです。このまま世界を見て回りたいと」
「この世に生まれたからには、面白い人生にしたいじゃありませんか」
龍馬「…わしも世界を回りたいがじゃ」
「今回の件で薩摩と長州が手を結び、幕府の長州攻めを止めることができたらの」
「喧嘩で世の中が変わるとは思うちゃせんからのう、わしは」
高杉「どうやら、ぼくと坂本さんは気が合いそうじゃ」
龍馬「そうじゃのう」
龍馬・高杉『はははw』

467 :
責任感の強い桂小五郎
平和を愛する高杉晋作
やはり正義は長州にあり

468 :
同盟前A
龍馬「西郷さんからの手紙には桂さんを薩摩藩邸に迎え入れる準備ができたと書いてありました」
桂「うむ。ここまで来たら薩摩と共に突き進むのみじゃ」
龍馬「はい」
桂「上役に挨拶してくる。すぐに出立しよう」
龍馬「は!」
……
高杉「坂本さん!」
龍馬「おお、高杉さん!どういた?」
高杉「…」
素早く振り返った高杉は懐から拳銃を取り出し訓練用の的に向けて放つ
バァァンッ!!!
龍馬「ひゅぅ〜…」
高杉「差し上げます」
「アメリカ製のスミス&ウェッソンちゅうピストルじゃ」
自分が手にしていた拳銃を龍馬に差し出す高杉
龍馬「え…」「いやしかし、それは高杉さんの大事なもんじゃろ」
高杉「大事じゃ…」「じゃが坂本さん、あなたは長州の恩人じゃ」
龍馬「はっはっwそんな…」
高杉「つまりそれは多くの敵を作ってしもうたーゆうことでもあります」
龍馬「…」
高杉「これからも日本のために働くおつもりなら、坂本さん、あなたは決して死んじゃならん」
龍馬「……わかった」
高杉から拳銃を託される龍馬
高杉「…ふふ」
龍馬「は…、意外と重たいのう」
そこに槍を持った一人の侍が
高杉「京までの道中護衛をつけます」
三吉「三吉慎蔵です。よろしく」
高杉「無口な男ですが槍の名手です。頼りになりますよ」
龍馬「こちらこそ、よろしゅう」

469 :
坂本龍馬は、脱藩前、勤皇党仲間の桧垣某に拳銃を示し、
「これからはこれの時代ぜよ」と自慢した話が有名で、
また、洋式砲術の師範・徳弘考蔵に、拳銃の扱いかたを教わったという証言も残ってる。
実家は裕福な商家で、親戚には長崎回船問屋もいる。
したがって、脱藩前に拳銃を入手していたことはほぼ間違いない。
薩長同盟の調印に立ち会うために京都へ向かう龍馬に、
高杉晋作が拳銃をプレゼントしたのも有名な話で、記録に残ってる。
それでは、龍馬は拳銃を2丁持っていたのだろうか?
先に持っていた拳銃は紛失したのかもしれないし、
故障すれば、修理してくれる職人は当時日本にいないことから、
捨てざるを得なかっただろう。

470 :
そういう説もある
でも
汗血千里の駒もある

471 :
どうやらここはデタラメのオンパレード糞大河ドラマ龍馬伝の
ストーリー内容が幕末の真実として認定されている様だ(大爆笑)

472 :
そのほうが楽しいからな
龍馬伝には容保も慶喜も出てくるからわりと公平だよ
越前の松平春嶽さまも龍馬の理解者だし
熊本藩の横井小楠先生も新政府綱領八策の考案に影響を与えた

473 :
>>472
公平!?、あれが公平??????????????????????
思いっきりの反幕と龍馬&薩長(特に長州)のだーーーーいさんびじゃねーか
もっとも俺は途中でみんのをやめたから、最後の頃のは全然しらんが・・。

474 :
そうかえ。
それでもえい。
BSの再放送があるきに。

475 :
>>473
そして今年は会津の大讃美
ちょうどいいバランスだよ

476 :
>>469
坂本龍馬が脱藩前、長州の久坂玄瑞に会いに行って話をした際に、
北辰一刀流免許皆伝の龍馬にあこがれる少年剣士がいて、
頼まれて、一手立ち会った。
ところが、立て続けに二本取られて、龍馬が完敗する"事件"があった。
龍馬が少年に花を持たせたと書いている作家もいたが、そうではない。
その時すでに二十代後半、遺伝のせいもあるし、真面目に取り組んだ"勉強"のせいで、
龍馬の近眼はだいぶ進行していた。
相手がかすんで見えて、動きに反応することができなかったのだろう。
現代なら、眼鏡をかけることでまったく問題ないのだが。
すでにそのころ脱藩を考え始めていたので、護身のために拳銃を入手した。
長年の剣術修行が無駄になったのはショックだったろうが、切り替えはさすがだと思う。

477 :
強い人いっぱい出てくる時代だからなあ。やはり龍馬伝は公平なドラマだった。
近藤さんたち新撰組とも何度もやりあって遂に決着つかなかったし
龍馬「近藤さん。もう人斬りは、やめにせんかい?」
近藤「俺の仕事は、おまえを斬ることだァァ!」
の、やりとりも良かった

478 :
>>477
>近藤「俺の仕事は、おまえを斬ることだァァ!」
まったくそのとおり。その点、「新選組!」はめちゃくちゃだった。
「龍馬伝」にしても、なんで龍馬をあんなにアフォに描くのか理解できなかった。
大名の松平春嶽に会いに行くのに、
あの乞食、浮浪者のような髪形で行くなんてありえないだろう。
千葉佐奈も、春嶽様に会いに行くために紋付を作ったって証言している。
龍馬は徳弘塾で洋式砲術を習って免許皆伝。
ならば、神戸の勝塾では、黒船の操船術はとにかく、
少なくとも語学に関しては龍馬は教える側じゃなかったのか。(たぶん)
24で土佐に戻って28で脱藩するまで、4年間何をしていたのか?
すごい集中力で勉強していたのだが、それがまったく描かれないのが不満だった。

479 :
ドラマで松平春嶽さまに会う時は紋付き袴だったよ。
龍馬「昨日まで橋の下で寝泊まりしちょった男が、今日は紋付き袴で越前の殿様の前におる。こればあ変わった人生もなかなか無いもんですろう」
春嶽「ふっはは…。たしかにw」
あと勝塾では英語や航海術の勉強も一生懸命やってたよ。
宿の大和屋でもひたむきに勉強してた。
自分より優れた人間が沢山いることを肌で感じ、世の中を動かすのは侍じゃなくてもいいんだと確信していった。
だからこそ龍馬は長州の高杉の信念に共感し得たのだ。

480 :
北辰一刀流は薙刀が真骨頂
以蔵を助けるべく龍馬が近藤・土方・沖田と3対1で戦った時には近くに置いてあった竹竿で土方と沖田をはじき飛ばし誘い込むように入った路地で近藤と1対1になった時に刀を抜いた
相手が手練れとみれば冷静に状況を判断する幕末の勇者
そして目的は殺生ではない

481 :
>>475
まぁ、そうかもしれんが。でもね>>477みたいに薩長(特に長州)に都合の良い話だけを
公平だとか真実だとか言う片輪的な史観は持たん方が良いよ。

482 :
俺は龍馬伝かなり公平だと思うけどな
木戸さんが性格変わっていく最中でも、友への想いの狭間で揺れてるのがよくわかるし
人の光と闇の部分をしっかり描くことで行動に整合性がとれ人間味が出てた作品だと思う
最終的に徳川も助けたしな
木戸さんに教えてもらい西郷さんたちに条件承諾とった大政奉還で

483 :
>>480
高杉さんが気に入るわけだ

484 :
いろは丸事件とか史実どおりで凄いスッキリしたもんな
巨大な権力と財力を振りかざす徳川御三家・紀州藩を世界の万国公法で裁く
それまで日本を蝕んできた「徳川や譜代の武家は何をやっても許される」習わしが世界では通じない恥ずべき野蛮人の横暴だと証明された瞬間だった
世の中は力がすべてではないことを描き
日本人として胸を張れるドラマだった

485 :
>>484
ええ? よりもよってそれ? いや、別にいいけど。
世論をバックに巨大権力を相手にいちゃもんつけてゴリ押しした話じゃねえか、あれ。

486 :
いろは丸事件@
慶応3年(1867年)4月23日
龍馬たち海援隊の乗る蒸気船いろは丸は10名の客と大阪で売る米や砂糖や酒、骨董品などの荷を乗せ瀬戸海の讃岐に差し掛かっていた
いろは丸に衝突してきたのは徳川御三家の1つ紀州藩の船、明光丸だった
160トンのいろは丸に対し明光丸は887トン。龍馬たちは乗客と乗員を素早く明光丸に乗りうつらせ全員助かった。しかし
二度の衝突を受けたいろは丸は積み荷もろとも瀬戸の海に沈んでしまう。
翌朝、鞆の津の船宿にて
岡本「明光丸仕入れ手代、紀州藩士の岡本覚十朗と申す」「こちらの頭はどなたでござるか」
龍馬「才谷梅太郎(※仮名)といいます」
岡本「才谷殿。此度はまこと残念なこととなり、いろは丸の方々には心からご同情申し上げる」「おい」
紀州藩士「はい」
木箱を指差す岡本
岡本「千両入ってます。見舞い金ということで、お受け取りを」「ああ、それから宿の支払いもご心配のう」「では…」
帰ろうとする紀州藩士たち
惣之丞「ちっくと待ちや。これで終わらせるつもりかえ」
陸奥「わいらは船も積み荷も全部失ってしもたんやで!」
龍馬「岡本さん。この金は有難く頂戴しますき」
惣之丞「才谷!」
龍馬「乗り合い客みんなに、配るがじゃ。あの人らには何の罪もないき」
「けんど岡本さん!」
「わしらのぶんはまた別ぜよ」
岡本「!?」
龍馬「衝突の原因を明らかにし、どちらに非があるかを確かめたうえで、賠償金を決めて頂いかんといかんがじゃき」
岡本「ぶははは」
惣之丞「何じゃ!」
寅之助「何がおかしい!」岡本「天下の紀州藩にたかが外様のそれも脱藩浪士のクズ共が吠えかかってくるとは…」「ここに留まって談判しとる暇はないんや」「我々は明光丸で長崎に向かわねばならん」
龍馬「ほんなら長崎で」
岡本「!?」
龍馬「あらためて、お話しましょう」
岡本「…」
顔をしかめ去っていく岡本
惣之丞「逃げなや!」
寅之助「長崎で待っちょきや!」
太郎「そうじゃ!あほ!」

487 :
いろは丸事件A
後日、土佐藩邸にて
龍馬「すまん弥太郎」
弥太郎「謝ったち遅いがじゃ」
「大津藩(いろは丸の所有藩)はいろは丸の代金3万両、全額弁償せえと言いゆうがじゃぞ!」
「沈んでしもうた積み荷の代金1万3千両も返さんといかんがじゃき!」
後藤「もうえい。借金は岩崎が何とかする」
弥太郎「え」
後藤「その代わり、これから一切おんしら海援隊はわしの言う通りに動いてもらうぜよ」
龍馬「…」
「金は全額、紀州に払うてもらいますきに」
弥太郎「えっ?」
後藤「…何じゃと」
龍馬「ぶつかってきたがは明光丸の方です」
「このまま泣き寝入りするつもりはありませんき」
後藤「紀州と喧嘩するつもりがか!?」
弥太郎「相手は徳川御三家じゃぞ!勝てるわけがないろうが!」
龍馬「おそらくこれは日本で最初の蒸気船同士の事故ですろう」
後藤「ああ!?」
龍馬「蒸気船はこれからどんどん増えていきますきに同じような事故がまた起こるがです」
「その時は必ず最初の事故が引き合いに出されるがです」
「土佐は紀州に泣き寝入りした、と」
後藤「泣き寝入り…!?」
龍馬「船の事故はたとえ相手にどればあ非があろうと、力の弱いもんが引き下がる…と」
「土佐がそう思われても、えいですろうか後藤さま」
後藤「…岩崎」
弥太郎「!」
後藤「紀州との談判に、おんしも加われ」
弥太郎「ええっ!?」
後藤「そこまで言いゆうなら覚悟はできちゅうのう」
「もし負けたら、腹を切りや」
龍馬「わかりましたき」
弥太郎「えええっ!!?」
後藤「よし」
去っていく後藤
追いかける弥太郎
弥太郎「後藤さま。わしもですろうか!?」
後藤「当たり前じゃ!」
弥太郎「えええええっ!!!?」

488 :
>>482
大政奉還を龍馬が木戸から教わったという話自体、すでに公平と史実から
逸脱しているわ。第一、薩長など幕府が大政奉還の意を表したのにもかか
わらず、最終的には武力倒幕を選択したわけだし・・。
いろは丸事件なんて>>485の言うとおり龍馬が起こした悪質な当たり屋事件
だろう。どうせ龍馬信奉者は信じないだろし、こんな糞ドラマの話を本気に
している連中もそうだろうし・・。

489 :
大政奉還イコール龍馬
やっぱりこれが一番しっくり来る。そのほうがわかりやすいし覚えやすい
それに武力討幕してないよ
幕府じたい無くなってるし徳川慶喜は生かしてやったし滅んだのは未来無き残党だけ
何十倍もでかい船に自分らから二度も突っ込む体当たりはありえないだろう
志がある龍馬や陸奥がそんな無目的な自殺行為はしない

490 :
当たり屋じゃないけど、航海法規を守ってなかったのはいろは丸なのに、
その事実は確認してないから棚上げにしよう、って押し切ったのは事実。
あたごにぶつかった漁船が航海法規を守ってないのに自衛隊が悪いって
言い張ってるのと同じ。

491 :
>>490
押し切られたのは、
紀州藩側が無能だったというだけの話では?

492 :
明光丸には夜間航行に必要な見張りがいなかった
前方不注意は紀州藩
押し切ったんじゃなく正当な談判だよ
イギリスの海軍提督立ち会いのもと
万国公法でジャッジした

493 :
>>492
明光丸側は前方に灯りが見えるけど、見え方から衝突の恐れは無いと判断していて、
いろは丸の航海灯が間違っていたので実は衝突コースだったわけだが。
なぜ見張りがいないことになるの?

494 :
いろは丸事件B
そのころ長崎紀州藩邸では
「脱藩浪士やと?」
岡本「つまらぬ相手にございます。茂田さまのお手を煩わせるまでもないかと」
茂田「ふ…、誰が相手やろうと同じことや。我ら徳川御三家に抗える者などおらんのやさかい」

495 :
いろは丸事件C
慶応3年(1867年)5月15日
海援隊と紀州藩の談判は長崎の聖徳寺で始まったがじゃ
龍馬「陽之助」
陸奥「はい」
龍馬「おまんは元・紀州藩士じゃ。面倒なことになりそうやったら無理に談判に出んでもええがじゃぞ」
陸奥「気にせんといてください。わいは紀州を捨てたんや」
「わいの父上は伊達宗広ゆうて、紀州の勘定奉行やった」
惣之丞:「えぇっ!!?勘定奉行!? 」
陸奥:「けど わいが9つの時に濡れ衣を着せられ失脚させられてしもうた」
「紀州がどうなろうと知らん」
「わいは海援隊の隊士や。日本のために働いとるんですわ」
龍馬「…そうかえ」
弥太郎「そうじゃそうじゃ!その気持ちをもっともっと大きゅうして談判に臨むがぜよ!」

496 :
いろは丸事件D
そして一回目の談判が始まった
高柳「明光丸船長 高柳楠之助や」
龍馬「海援隊隊長 才谷梅太郎ですき」
岡本「わしらは忙しいんや。さっさと終わらせよう」
惣之丞「何!?」
龍馬「はっはっはwほんなら早速はじめましょうか」
岡本「この事故は明らかにいろは丸に非がある」
惣之丞「なんじゃと!」
龍馬「待ちや惣之丞」
高柳「はじめに明光丸の見張りが近づいてくる蒸気船を発見し衝突を避けようともせず突き進んできたゆえ我らは左に舵をきったが衝突してしまったんや」
陸奥「デタラメや!わいらが明光丸を避けようとしたんや」
岡本「そのうえ、いろは丸には相手に位置を知らせるブーフランプもついていなかった」
陸奥「そんなわけあるか!」
惣之丞「夜中の海を灯りも点けんと走るわけがないろう!」
岡本「いろは丸の水夫がそう言うたそうじゃ」
弥太郎「…ん?誰がそう言うたがじゃ?」
高柳「そ…その水夫の名はわからへんけど確かに聞いたんや」
弥太郎「ほんじゃき誰ぜー!」
寅之助「名を言いなや」
太郎「嘘かえ」
紀州藩士たち「水夫が言うたんや」
龍馬「あー、もうえい。水掛け論になるだけじゃき」
弥太郎「何じゃ!わしのやり方に口出しすなや」
龍馬「黙っちょれ弥太郎」「…けんど、わしらより先に明光丸がいろは丸に気付いたゆうがは、嘘ではないろうか」
高柳「はあ…?」
龍馬「衝突のすぐあと、わしと惣之丞は明光丸に乗り移り、船の甲板に見張りがおらんことを見て不審に思い航海日誌を読んだがです」
「そこには」「見張りの記録は一切無かったけんど」岡本「なにぃ…!」
龍馬「明光丸には、1人も見張りが立っちょらんかったがではないですろうか?」
岡本「なっ…なにをアホなことを…!!」
談判のやり取りの始終を紙に記録する陸奥と英四郎
龍馬「そこにあるがは航海日誌ですろ」
弥太郎「見せて頂けませんろうか」
紀州藩士たち「そ…それは…」
岡本「ちっ」
惣之丞「はよう」
「見張りの名が…ある」
岡本「ふん。終わりやな」
高柳「ではこれにて…」
惣之丞「待ちや!この見張りの部分だけ墨の色と筆跡が違う」
龍馬「わしらが読んだ時は何ちゃあ書いちょらんかったがです」
陸奥「改竄しよったな!」
紀州藩士たち「言いがかりも大概にしいや。改竄などしとらん」
龍馬「ほんならどういて!」
紀州藩士たち「!!」
龍馬「明光丸は二度もぶつかってきたがですろうか」
高柳「そ…それはぁっ……」
龍馬「正しい指示が出せんかったがは甲板に見張りの士官が1人もおらんかったからではないですろうか」岡本「く…」
高柳「もうええ。帰るで」
藩士たちを連れて帰ろうとする高柳
惣之丞「待ちや!」
寅之助「待ちや!」
弥太郎「この事故には明光丸の非を認める材料が山のようにあるがじゃき」
高柳「勝手なことを言うなや」
弥太郎「土佐藩は…紀州藩に対し…」
「いろは丸の代金5万両と積み荷の代金3万3千両合わせて8万3千両の弁償を求めるがです!」
高柳「8万3千両やと!?」龍馬「…!」

497 :
いろは丸事件E
紀州藩士たち「なにアホなこと…」
高柳「もうよいぃ!お互いの言い分は出尽くした」
岡本「事ここに及んでは ご公儀の判断に委ねるのはいかがか」
弥太郎「ご公儀の判断じゃと!?」
岡本「これ以上の談判をお望みなら長崎奉行所にて裁定を仰ぎたい」
「文句があるなら奉行所まで出向くがよかろう」
去っていく紀州藩士たち
惣之丞「おい!」
陸奥「待たんかい!」
龍馬「もうえい惣之丞!今日はここまでで、えい」
惣之丞「けんど長崎奉行所はあいつらの仲間みたいなもんじゃぞ」
龍馬「分かっちゅう」「けんどのう、次は必ずあるき」
弥太郎「次…?…おまん、何を考えちゅう」
龍馬「…」
静かに微笑む龍馬
こうして一回目の談判は終了した

498 :
   

499 :
いずれにせよ、特定の何かを異様に賛美したりこき下ろす奴は総じてクズ

500 :
陸奥と龍馬好きだわー。

501 :
>>499
それって、このスレの住人の大半に当てはまるんでは?
特に龍馬伝などという糞ドラマを真に受けている御方とか

502 :
>>492
それって、もしかして龍馬伝から・・

503 :
いろは丸事件F
後日、長崎 引田屋 小梅の間で酒を飲む紀州藩士たち
岡本「ちっ!ホンマに土佐っちゅう藩はどないなっとんのや」
藩士A「あの岩崎とかいう役人は後藤象二郎どのの肝いりで出世したそうでございます」
藩士B「あれは食わせ者や。8万3千両など!」
高柳「才谷梅太郎ちゅう男も気に入りませんな!」
岡本「脱藩浪士のクズの分際であのふてぶてしさ!」
藩士C「もうええ!」
藩士D「決着はついたんやさかいな」
「おい!高柳さまに酌をせい」
芸子「は…はい…」
そのとき隣の梅の間から陽気な歌が流れてくる
はあ〜 よさこい よさこい♪
船を〜沈〜めた〜その〜償いは♪
金を取らずに国を〜取る〜♪
高柳「なにぃ…!?」
国を取って♪蜜柑を食らう♪
よさこい よさこい 晩に来い♪
ハハハハ…
岡本「く!こ…これはわしらのことかい!!」
藩士A「ええ!?」
ダンッと盃を置き立ち上がる岡本ら紀州藩士たち
大浦屋 慶「金どころか国まで取って紀州の蜜柑ば食ろうてやるとは!」
商人A「こいは例の喧嘩のことですたいね〜」
紀州藩士A「誰だ〜!」
藩士B「今の歌はどこの座敷や!」
大浦屋 慶「だれが考えた歌ね?お元ちゃん」
元「さあ…いつの間にやらお客さんたちが」
大浦屋「へえ〜」
商人A「そうね」
紀州藩士D「つまらん歌 歌うな」
高柳「今度は誰や!」
紀州藩士たちが外を見ると今度は通行人を含む料亭の周りにいる殆どの人々が同じ歌を歌っていた
はあ〜 よさこい よさこい♪
船を〜沈〜めた〜その〜償いは♪
金を取らずに国を〜取る〜♪
高柳「なにぃ…!?」
国を取って♪蜜柑を食らう♪
よさこい よさこい 晩に来い♪
芸子は三味線を引き常連客も歌う
薩摩御用達の商人小曽根さんも歌う
西洋人のグラバーさんも歌う
グラバー商会の人たちも手拍子を入れ笑顔で歌う
ヨサコイ♪ヨサコイ♪バンニコイ♪HAHAHAHA
岡本「お…おのれ…」
紀州藩士たちは怒りを露にし立ち尽くすしかなかった
その頃、龍馬たち海援隊は着々と次の談判に向け準備を進めていた

504 :
いろは丸事件G
土佐藩邸にて
後藤「紀州は怒り狂うちゅうぞ」
龍馬「ふむ…」
「これで必ず紀州藩は再び談判を申し入れに来るはずですき。その時には後藤さまも是非お出になってもらいとうございます」
後藤「海援隊の不始末をどういてわしが…」
龍馬「ふははは…w」
「土佐藩は日本を変える要になると覚悟を決めたがですろう」
「たかが紀州一藩にひるんじょるようでは、幕府を倒すらあ到底できんがじゃ」
後藤「何じゃと」
龍馬「後藤さま。これは単なる事故の談判ではありません」
「いろは丸と明光丸の衝突は土佐と幕府の衝突じゃ」
後藤「…土佐と幕府…」
龍馬「この談判の行方を長州と薩摩、さらに緒藩が息を潜めて見つめゆう」
「わしらが勝てば、あっぱれ土佐と緒藩から喝采を受け、流れは一気に変わるがじゃ」

後藤「勝ち目はあるがか」
龍馬「わしは負け戦はせんですき」
龍馬の読み通り紀州藩は再び談判を申し入れに来た
もし彼らが日頃から本当に徳川御三家の威光が世論より強いという自信があり自分らに非が無いと信じきれていたのなら全てを無視し続けることもできたはずである

505 :
プライドにとらわれ相手の土俵に足を踏み入れてしまう紀州藩
油断大敵というやつじゃな

506 :
いろは丸事件H
慶応3年(1867年)5月22日 聖徳寺 談判(二回目)
龍馬の予想した通り二度目の談判は紀州側から申し込んできた。そこには、勘定奉行の茂田の姿もあった。
龍馬「わざわざ勘定奉行さまもお出ましになられるとは、まっこと恐れ入ります」
茂田「あの歌を流行らせたのは…お前たちやろ?」
陸奥「歌?」
惣之丞「あー、あれは誰かが勝手に歌い始めましたき」
陸奥「わいらは知らんわ」
茂田「紀州に喧嘩をうるとは、ふふふ」「噂どおり恐れを知らんようやの」
龍馬「ほんなら早速始めましょうか」
弥太郎「今日で決着をつけんとのう」「この前の談判でハッキリしたがは、この2つじゃき。よう聞きや」
「ひと〜つ…」
岡本「ひとつ、衝突を避けようとした明光丸にいろは丸が自ら向かってきたことによって事故は起きた」
惣之丞「なんじゃと!」
寅之助「そんなこといつ言うた」
岡本「ひとつ、衝突を回避すべきは小回りのきくいろは丸であった」
「ひとつ、二度目の接触は明光丸が貴船の乗組員を助けようとして起きたものである」
陸奥「はあ?」
弥太郎「そりゃ妙ですのう。沈没にまで至った事故を『触った』で済まそうとするがは、あまりにも無理がありますろう」
茂田「そーか…」「ならこれ以上のやりとりは意味が無い。あとは、お上に決断を願おう」
弥太郎「ああ?」
茂田「幕府の判断を仰ぐのじゃ」
惣之丞「幕府!?」
弥太郎「何を言いゆうがじゃあ」
茂田「ふっふふふ…」
龍馬「ちっくと待ってつかあさい」
茂田「?」
龍馬「船同士の衝突事故は、世界共通で定められちゅう公法で決着すべきではないですろうか」
そう言うと龍馬は懐から一冊の本を取りだし、机の上に置いた
本には【萬国公法】と書かれている
龍馬「これは、アメリカ国のヘンリー・ホイートンが国と国との関わりについて書いた萬国公法ゆう本です」
「ここには国同士が揉め事を起こさんよう、共通の決まり事が書かれちょります」
「これから日本国が世界に認めてもらえる国になるためには、まず、この『法』を守らんといかんがじゃき」
「それでも、徳川幕府に判断を委ねると言いはるのやったら…ハッハハw…紀州藩士は野蛮人の集まりじゃと世界中から笑われますろう!」
紀州藩士たち「なっ…なんやとー!!」
龍馬「それこそがぁ!!!」
紀州藩士たち「うっ…」
龍馬「徳川幕府の…いや、帝の御名を汚すことにはなりませんろうか?」
岡本「…!!」「…そ…それは…」
茂田「…」「お前は才谷とか言うたな。ここで萬国公法を持ち出してくるとは…ふふふ」
弥太郎「…」
茂田「…わかった。そうしよう」
龍馬「…」
静かにおじぎする龍馬

507 :
いろは丸事件I
茂田「だが聞くが、誰が世界の法を以て裁くんや?この長崎に、いや日本に、そのような裁きを下せる者など…おらん!」
龍馬「陽之助」
陸奥「はい」
龍馬「お呼びしいや」
陸奥「はいっ!」
部屋に二人の男が入ってくる
「お連れしました」
後藤「いつまで待たすがじゃ!」
陸奥「申し訳ございません」
後藤「土佐藩参政 後藤象二郎と申す」
岡本「えっ…!?」
紀州藩士たち「後藤どの…!!」
後藤「この御方はエゲレス(英国)のアドミラル、海軍提督サー・ヘンリー・ケッペルどのじゃ」
ケッペル『お会いできて光栄です』※英語
後藤「才谷がどういてもケッペルどのに間に立ってもらいたいゆうもので、私がお願いして来ていただきました」
ケッペル『Collisions between vessels can occur anywhere in the world.』
通訳する陸奥
陸奥「船の衝突は世界のどこでも起こることなんです」
ケッペル『Therefore adjudication can be made according to the navigation laws.』
『And that is the rule of the world.』
陸奥「従って、必ず航海法に乗っのって裁定せんとあかんのです」
「それが…世界のルールです!」
惣之丞「ルールゆうがは、【決まり】ゆうことぜよ」
紀州藩士たち「……!!」
茂田「才谷…おまえは、何者や?」
龍馬「ご存知ですろう。わしらあは、ただの脱藩浪士ですきw」
茂田は即座に後悔した。
己が萬国公法を承諾したことを。
談判を申し入れたことを。
そして、彼らを外様のクズと軽んじたことを。
龍馬「ほんなら皆さん、最初っから…始めましょうか」
弥太郎「よし!仕切り直しぜよ」
ケッペル『Plese go ahead.』
弥太郎「ひとつ、衝突致し候 時分 明光丸には見張り候する者ども一人もござなく候」
「これにより、いろは丸を間近に至るまで発見でき申さず衝突致し候」
「ひとつ、明光丸は一度衝突致し候のち、一旦引けし再び衝突致し候」「ひとつ…」
口をあんぐり開け茫然自失の岡本
涼しい顔の後藤
また静かに無言でおじぎする龍馬
<けっきょく紀州は、事故の原因は明光丸にあると認め、賠償金として8万3千両を払うことを認めたがぜよ>

508 :
いろは丸事件J
長崎、海援隊アジト
陸奥「紀州に…紀州に勝ったでええ〜〜〜〜!!」
みんな「うおおおおおお〜!」
龍馬「それにしたち弥太郎、おまんの8万3千両にはたまげたぜよ!」
陸奥「そうや!いろは丸と積み荷の値段は4万3千両やったやろ」
惣之丞「おまん4万も上乗せしよってw」
弥太郎「何が悪いぜ。おお?」
「沈んじょらんかったら、いろは丸は何回も使えて金を稼いだがぜよ」
「4万両はそのぶんじゃ!」
英四郎「そうですたい!」
寅之助「ハハハ!さすがじゃ!」
龍馬「さすが弥太郎じゃ!大出世するだけのことはあるぜよ」
「みんなあ、岩崎弥太郎様様ぜよ!」
みんな「岩崎様!岩崎様!」
弥太郎「なんや馴れ馴れしゅうすな!」
「わしに触りなや!土佐商会の主任に向こうて!」
龍馬「ハハハハ」
<大藩紀州を打ち負かした海援隊の名声は日本国中に響き渡ったがじゃ>
【薩摩】
西郷「こいで土佐は勢い付っとなあ!」
【長州】
木戸「容堂公はどう動くおつもりじゃあ」
【土佐】
容堂「…」「わしは、京に上るぞ」「後藤にも急ぎ上洛するように伝えい!」

509 :
いろは丸事件K
夕暮れの岬
談判に勝利した祝いに元と酒を飲む龍馬
龍馬「船を〜沈〜めた〜、その償いは♪金を取ら〜ずに♪国〜を〜取る♪はあよさこいよさこい」
元「国をとって蜜柑を食らう♪」ウフフフ
龍馬「よさこいよさこい晩に来い♪」ハハハw
元「海援隊が紀州に勝つなんてもう、凄かことです!」
龍馬「おまんには礼を言わんといかんのう」
「金が入ったら、分け前を貰うてくれ」
元「フフ、お金なんて要りません」
龍馬「んー?」
元「坂本さんは…うちの希望ですけん」
「大嫌いなこん国ば…大嫌いなうちの人生ば…変えてくれるとは坂本さんでしょ?」
龍馬「お元」
「おまんがこの日本から逃げ出して異国に行きたい言うた時には、わしゃおこがましいかもしれんけんど…おまんを助けてやりたいと、そう思うたがぜよ」
元「…」
龍馬「おまんは何ちゃあ悪いことらしちゃあせん」
「異国の神様は、決しておまんを見捨てたりはせんき」
お元「…」( ノД`,)…
龍馬「…ハハハ」「泣きなや、お元。おまんが泣いたら、わしまで悲しゅうなってしまうぜよ」
「ほれ」
着物の袖で元の涙をそっとふく龍馬
「さあ、さあ、飲みや」「飲みや〜飲みやw」
元「…ウフフフw」
そこに覆面をした3人の剣士が茂みのなかから近づいてくる
龍馬がそれに気付くと覆面剣士たちは ビクッ と立ち止まり少しずつ間合いを詰めようとする
覆面剣士A「…」

510 :
いろは丸事件L
龍馬「何者ぜ?おんしら」
覆面剣士A「でやあああ」
刃を避ける龍馬
龍馬「いきなり斬りつけてくるとは、おまんら、奉行所の役人ではないのう」
「お元!こっちに来いや」
覆面剣士B「待て!」
覆面剣士C「逃がすな!」
覆面剣士B「えいや!」
龍馬「はっ!」
元「あっ!坂本さん…!」
覆面剣士A「坂本!?おっ…おまえは才谷とちゃうんかー!」
龍馬「…なるほどのぉ」「紀州のお人らかえ」
覆面剣士BC「うああっ!でやあああっ!」
龍馬「ふん」
2人の斬撃を素早くかわす龍馬。Cの刀を奪いCを投げとばす
B「ぬ、ぬあああ」
背後から来るBの斬撃を刀で弾き返し
即座にAの首にビタッと刀を突き付ける龍馬
A「ひっ…!」
龍馬がAの覆面を剥ぎ取ると、そこには紀州藩士岡本覚十郎の顔が
龍馬「…徳川御三家いうがは、談判に負けた腹いせにこういうことをするがかえ」

刀を手放し地べたにへたりこむ岡本覚十郎
龍馬「おまんらあには、わしは斬れんぜよ!」
刀を投げ捨てる龍馬
BC「く、くそおおおー!!!」
岡本覚十郎を連れて立ち去る覆面剣士たち
着物を風に靡かせながら悠然と夕日の草原に立つ龍馬
<龍馬暗殺まで あと6ヶ月>

511 :
カッコいいけど、ド近眼の龍馬にはむりっぽ。
5mも離れれば、相手の目鼻がぼやけてのっぺらぼうのように見えるんだから、
剣先の動きが見えるわけがない。
ここは拳銃をぶっ放して、追っ払うしかない。

512 :
>>506-510
いろは丸事件!まさに史実どおり!スッキリ爽快だね。
>>511
拳銃は新撰組とか本当にヤバイ相手にしか使わないだろう
それに龍馬は寺田屋で重傷を負い死にかけて長州の三吉さんの助けと薩摩藩邸での治療と妻お龍の看護を受け
そして薩摩で塩浸温泉につかり以前よりも強靭な肉体となっている。
霧島連山に登った時にも『坂本龍馬は一度死んで生まれ変わった』と言っているくらいだ。
ゆえに紀州藩士の信念の無い刃など余裕で見切れるのである。

513 :
>>512
こんなデタラメのオンパレードを史実と受け止めるなど、本当に龍馬&薩長信者は
頭がお花畑状態としか言い様がない。

514 :
龍馬伝の第三部みてたら薩摩の塩浸温泉に入りたくなったわー。
磐梯山の頂上にも霧島連山パクって天逆鉾とか刺したらいいんじゃね?スペンサー銃のレプリカでも良いよ。引き金ひくと弾の代わりに音楽が鳴るとかね

515 :
薩長同盟ぜよ!@
ついに龍馬は桂と西郷が交渉を始めるところまでこぎつけた
慶応2年(1866年)1月
場所は京 薩摩藩邸
桂は木戸貫治と名を変え情勢緊迫する京に入っていた
けんど、この動きはすんぐに幕府に探知されたがぜよ
会津藩士「申し上げまする!二本松の薩摩藩邸に木戸貫治っつう男が入ったみてえです」
容保「木戸貫治?何者だ」
会津藩士「ただいま調べさせておりやすが、長州藩士っつう噂も…」
容保「!」「…薩摩藩邸の見張りを怠るな」
会津藩士「ははーっ!」

516 :
薩長同盟の調印は、小松帯刀の京都の屋敷でおこなわれたのだが。

517 :
そうだよ。途中で見張りが厳しくなって
場所を小松さまの屋敷に変更したんだよ。龍馬と三吉さんが寺田屋を出ようとした時に
お龍が薩摩藩の人を連れて知らせにきてくれたのだ。
歴史を知らん八重の桜では薩摩藩邸でやっちゃったけどね。
名前も桂のままだったし

518 :
薩長同盟ぜよ!A
部屋の中には西郷と小松が座っており、そこに薩摩藩士たちに案内され木戸が入る
西郷「どうぞ」
静かに座る木戸
木戸「長州藩政治堂用掛 木戸貫治であります」
「ようやくお目にかかれましたね西郷さん」
西郷「下関では木戸さあに大変失礼なこつをしてしまいもした」
木戸「いや、ありゃあ あれで良かった」
「そもそも長州と薩摩が容易く手を取り合えるわけがない。それがようわかりました」
小松「…」
木戸を睨む小松を横目に笑う西郷と木戸
西郷「ハハハ」
木戸「ワハハ」
小松「…」
「長州と薩摩が手を結ぶにあたっては、幾つかの取り決めをしておかんにゃなりもはん」
木戸「お待ちつかあされ。立会人はおられんのか?」
西郷「おいどんたちが信用できんとな?」
木戸「ぼくは 長州の命運を背負ってここにおるんです!」
「話は坂本くんが来てからにしましょう」
小松「坂本…」
西郷「西郷龍馬ごわすか」

519 :
薩長同盟ぜよB
龍馬と三吉は薩摩藩邸の近くまで来たが新撰組の見張りが厳しく、一旦引き返し伏見の寺田屋に身を隠していた。
龍馬「藩邸に行くがは夜中になるまで待った方がよさそうじゃのぉ」
三吉「遅すぎます。日が暮れたら行きましょう」
「邪魔する者はわしが斬ります」
龍馬「人斬りはいかんぜよ三吉さん。騒ぎになったら、わしらの企てがバレてしまうき」
三吉「じゃが…」
龍馬「わしは必ず桂さんのところに行くき」
「長州と薩摩を結びつけるがは、どういてもやらんといかんことじゃき」
三吉「……わからん」
龍馬「へ?」
座って茶を飲む龍馬の前で、刀と槍を置き三吉も座る
三吉「坂本さんは土佐の下士じゃと聞きました」
「何でそげな人が『長州と薩摩を結びつける』どもと言えるんか」
「何で近藤長次郎どのの女房に『必ず日本を守る』どもと…あんたは約束できるんじゃ」
龍馬「…ハハハハ」
三吉「何がおかしいですか」
龍馬「いや…わしは高杉さんから三吉さんは無口な男じゃち聞いちょったけんど、ほんまはお喋りやったがか三吉さん。ハハハ」
三吉「わけの分からんもんを守れ言われて、あれこれ考えんやつはおらんですよ!」
龍馬「…ごめんちゃ」
「そのとおりじゃの」
三吉「…」
龍馬「三吉さんの言うとおり、わしは土佐の下士じゃった。けんど、その土佐も、何もかも捨ててしもうた…」
「今のわしはもう何ちゃあない…ただの日本人ぜよ!」
三吉「ただの…日本人…」

520 :
会津マンセーじゃない俺でもこのRーは鬱陶しい

521 :
>龍馬と三吉
ちなみに、さんきち、ではない。
みよし。三吉慎蔵

522 :
>>520
全く同意見、龍馬や薩長に都合の良い話は例えデタラメでも史実にしちゃうクセに
逆のコトをされたら「妄想だ!」とか「非国民!」とか叫く。それが龍馬&薩長信者

523 :
>>521
親切なお人やw
>>519
素性や身分は関係ない…
木戸さんや高杉さんも日本人。俺も貴方も日本人で日本のために動く皆は何ら違いはない1人1人の人間なんだよってことだな
さすが幕末の勇者。志の高い長州藩士ならきっとわかると信じている

524 :
薩長同盟ぜよ!C
【寺田屋】
龍馬「力の無い者でも 本気で声をあげ 本気で動いたら 必ず 必ず この国を変えることができるがじゃき」
三吉「坂本さん…」
【薩摩藩邸】
西郷「ないごて坂本龍馬じゃっとごわすか!?」
「薩摩と長州が手を結ぶちいうこつは徳川幕府に向こうて戦を仕掛けるいうこっじゃ」
「そげな大事な話し合いを一介の浪士がおらんと決められん始められんなんどち…!」
木戸「誰がおるんです?」
「これから我々が交わす約束は 外に対して宣言するもんじゃありません」
「薩摩と長州だけが知る密約です」
「じゃからこそ 立会人は坂本龍馬じゃなくちゃならん。なぜなら、ぼくは彼を信用しとるからです」
「西郷どのも彼を信じたからこそ、ここにおられんじゃないですか?」
西郷「……」
目をみて話す木戸の言葉に西郷は静かに頷く

525 :
薩長同盟ぜよ!D
登勢「寒なってきましたなあ」
龍馬たちの部屋に火鉢を持ってくる寺田屋の女将 登勢
龍馬「おお、すまんの。お登勢さん」

「わしらのことは…もう気にせんでおってつかあさい」「夜になったら出ていくき」
登勢「…あてと初めて会うた時…覚えてはります?」
龍馬「ああ…もちろん覚えちゅう」
登勢「龍馬はんは、あてがお母上そっくりやと…」
「あてはお母上になったつもりで『龍馬』て言うてあげたのに、似ちょらんのうなんてお言いやして」
龍馬「ありゃまっこと申し訳なかった。忘れてつかあさい…ッハハハwまいったのぉ」
登勢「…忘れません」
龍馬「!」
登勢「あてはもう、あの時から龍馬はんの母代わりのつもりでおりますのや」
「息子が命懸けの大仕事に向かおうとしてる時に…気にならんわけはないやろ!」
「世の中のどんな大変なことより息子のことが心配なんやさかい」
龍馬「…ありがとう」
「けんど…けんどわしは決して死にはせんき、心配せんでつかさい」「ありがとう」
登勢「…はい」;-;
涙をこぼし頷く登勢
龍馬「そうゆうたら、どういて今日は店を閉めちゅうがぜ?」
登勢「お龍ちゃんから頼まれたんや。坂本さんを新撰組から匿わなあかんて」

526 :
薩長同盟ぜよ!F
外で龍が井戸水を汲み上げていると
そこに龍馬が話しかけた
龍馬「わしがしようとしゆうことを教えるき」
龍「…!」
龍馬「わしはの薩摩と長州を結びつけて、徳川幕府が支配しちゅうこの世の中を変えようとしゆうがじゃ」
「幕府は異国の言いなりになって、なりふり構わず日本を押さえつけようとしゆうがじゃ」
「このままでは、この国は異国に乗っ取られてしまうがぜよ」
龍「…」
龍馬「わしはこれから幕府に追われる人間になるろう」
「もうここにもんて(戻って)くることはないき」
「わしを心配してくれるがは、これで最後にしてくれや」
龍「…いやや!!!」(T_T)
泣きながらどこかへと駆け出していく龍
登勢「お龍ちゃん!」

527 :
薩長同盟ぜよ!G
そのころ壬生村の新撰組の屯所では弥太郎が近藤たちに捕えられ拷問を受けていた
???「どけー!」
何者かが屯所に押し入り新撰組の面々は皆殺気立って刀を抜く
永倉「だれだ!?」
土方「誰だ」
見廻組「我らは見廻組である!」
「お主が近藤勇か?」
「怪しい者を見つけたらまず見廻組へ知らせよと言うておいたはずだぞ」
近藤「我らも皆様方と同じく、京の都を守る役目を頂いております」
見廻組「わしらは将軍家の直参だぞ!お主らとは身分が違うわぁぁ〜!」
「控えい!控えい!控えええい!」
近藤「…」
刀を鞘に収め膝まづく新撰組
見廻組「フハハハハハハ!」
膝まづいた近藤が頭を上げ口を開く
近藤「我らは、薩摩と長州に不穏な動きがありそこに土佐の脱藩浪士が間に入っておると聞き及び…」
見廻組「おまえにかかわりわない!」
近藤の肩に鞭をあてる見廻組の頭
見廻組「…お前らは、刀を振り回すしか能がないただの人斬り一味だろうが!んん!?」
地べたに顔を押しつけられる近藤
土方「…!」
沖田「!!」
見廻組「ん?どうした?」
「刃向かうか?刃向かえるのか?」
弥太郎「…りょうま…じゃ。さっちょうのあいだに…たつら……あいつしか…おらん……ぜよ」
見廻組「ん?今なんと申した…?」
拷問のダメージで気を失ってしまう弥太郎
近藤「…龍馬…!…あいつか……」
【そして寺田屋では】
龍馬(武市さん…以蔵…長次郎…みんな…)
(行ってくるぜよ…!)
階段を降りてくる龍馬と三吉
龍馬「ほんなら、お達者で」
登勢「そんなこれが今生の別れみたいな言い方、やめとくれやす」
龍馬「は…そうじゃの」
「お龍どのは?」
登勢「さっき…出てったっきり…」
龍馬「そうかえ…。ほんなら、よろしゅう伝えてつかあさい」
三吉「参りましょう」
龍馬「うん」
そのとき、裏口の戸を激しく叩く音が
ドンドンドンドンドン!
龍馬、三吉、登勢「!?」

528 :
>>527
微訂正
×膝まづく
△ひざまずく
○跪く

529 :
新撰組も身分差別で容保の手下達に虐げられてるのがリアルだったなあ
てゆーか出番や台詞は龍馬伝のほうが八重より多かったね>新撰組
>>526
勉強になるわー。お龍にも本当のことを隠さずに話す
大事なことだ

530 :
敵にも敬意を払う篤姫とか龍馬伝と違って
八重は都合悪いことは全然やらないからな
よりにもよって寺田屋スルーしたし

531 :
>>530
禿同
龍馬をスルーして幕末を描けるわけがない

532 :
だからと言って篤姫の時みたいに無理矢理出すというのもアレだけどな

533 :
薩長同盟ぜよ!H
戸を叩く激しい音に三吉が刀を構える
すぐに戸の向こうから声が聞こえた
龍「うちどす!開けとくれやす!」
登勢「お龍ちゃん!?」
登勢が戸を開けると、龍が1人の侍を連れて中に入ってきた
龍馬「お龍どの!」
龍「吉井さん、この御方が坂本龍馬さんどす」
吉井「薩摩藩の吉井幸輔ち申しもす」
龍馬「薩摩…!?」
吉井「西郷さあと木戸さあは藩邸を出て小松帯刀さあの屋敷に移られもした」
龍馬「えっ…?」
吉井「こん おごじょ(おなご)が坂本さあがここにおられるち知らせてくれたとごわす」
「小松さあの屋敷まであたいがご案内致しもす!」
三吉と吉井は互いに うん! と頷き寺田屋裏口の様子を見に行く
龍馬「おまん…なんちゅう危ないことを…」
龍「土佐のお侍さんが新撰組に見つかったと聞きました。どうか、お気をつけておくれやす」
調理場にある握り飯を笹の皮で包み、龍馬に手渡す龍。龍馬の手を握りながら呟く
「うちは……うちは…ずっと坂本さんの役に立ちたい」
「これでおしまいなんて嫌どす!お役目が終わったら必ずここに戻ってきておくれやす」
龍馬「…わかった」「もんて(戻って)くるき」
そう応えた龍馬は握り飯を懐に忍ばせ登勢に一礼し、三吉、吉井と共に寺田屋を出た

534 :
薩長同盟ぜよ!I
【その頃、会津藩邸では新撰組の近藤が家老たちに警備についての意見を申し出に来ていた】
近藤「申し上げます!薩長の間に立って悪事を企てる土佐の脱藩浪士は、坂本龍馬にございます!」
会津藩士A「さがもど(坂本)龍馬!?」
近藤「はっ」
会津藩士B「なんでそう言い切れんだ!」
近藤「坂本龍馬には底知れぬ図太さがあるからにございます」
京都守護職 会津藩藩主の松平容保が口を開く
すぐさま藩士たちは容保の方を向き平伏する
容保「見廻組に言うて、その坂本某を探させろ」
会津藩士C「はっ!」
近藤「おそれながら坂本は、伏見の寺田屋を定宿としております」
容保「寺田屋…?」
近藤「ご命じ頂ければ私ども…」
会津藩士B「分をわきまえて言いなし!近藤!ぬしゃさっさど帰れ」
近藤「…!!」
【一方、小松の屋敷に向かった龍馬たちは】
龍馬「ちっくと待ってつかあさい吉井さん!わしは新撰組の屯所に行ってくるき」
吉井「は?」
龍馬「わしに間違えられて捕まった土佐の侍を放っちょくわけにはいかんき!」
三吉「何を言うちょるんじゃ!木戸様と西郷が待っちょるんど。日本を守るんじゃろ坂本さんは」
龍馬「すんぐに…戻るき!」
三吉「すまん吉井どの!ここで待っちょってくれ」
走り出す龍馬
追いかける三吉

535 :
薩長同盟ぜよ!J
新撰組の屯所の外には1人の侍が放り出され倒れていた
駆け寄る龍馬と三吉。引きずるように男を物陰まで連れて行き話しかける
三吉「大丈夫か」
龍馬「おまん…大丈夫かえ」
「弥太郎ではないかえ!おま……どういて…」
弥太郎「…りょう…ま…。龍馬〜…」
「わしは京にきた途端…新撰組に捕まって…うううう〜…」(T_T)
龍馬「わ…わかった!静かにしいや」
三吉「坂本さん、この方はわしが寺田屋に運んぢょきます」
「先に行ってつかあさい」龍馬「けんど…」
三吉「はよう!」
龍馬「はい」
再び小松の屋敷へ走り出す龍馬

龍馬を待つ吉井のもとには更に2人の薩摩藩士が合流していた
吉井「坂本さあ!」
龍馬「お待たせして申し訳ない…!」
「行くぜよ」
吉井「さあ!行きもんそ!」

536 :
薩長同盟ぜよ!K
龍馬たちが小松の屋敷近くまで来ていた頃、薩摩藩邸付近からは怒号と悲鳴が飛び交っていた
見廻組「少々手荒でもかまわん!くまなく探せ!」
町人「きゃー、何すんのや」
家を蹴り壊し女人にも手をあげる見廻組
見廻組「怪しい者や刃向かう者は全て捕らえるのじゃ!わははは」
しかし龍馬の姿は見つからず
【小松帯刀邸】
ドンドンドンドン(戸を叩く音)
薩摩藩士「来やったか!?」
吉井「…はあ…はあ…」
息切れしながら静かに頷く吉井
薩摩藩士A「そうかあ!!」
「木戸さあ!坂本さあがおじゃした」
薩摩藩士B「西郷さあ!坂本さあがおじゃした」
立ち上がり玄関まで駆ける木戸
ふう…と息をはき玄関まで来る西郷
ドンドン(再び戸を叩く音)
「はよ開けえ」
戸が開くと息切れしながら龍馬が現れ、木戸のもとへ駆け寄る
龍馬「か…桂さん…」
木戸「待っちょったぞ坂本くん!」
龍馬「遅れてしもうて…申し訳…ありませんき…!」
木戸「……!!!」
勢いよく首を横にふる木戸
西郷「無事でよしごわした!」
そのまま西郷のもとに駆け寄り挨拶する龍馬
龍馬「お待たせしました!」

537 :
こうしてみると薩摩や長州は統制しっかりとれてたんだな
上の者も下の者も、目的意識や使命感を強く持ち、武士道と仁義を重んじる
幕府は守護職とか言っても寄せ集めで統率も司令系統もてんでバラバラ
職場教育が全然なってない

538 :
>>537
いくらなんでも、薩長を美化しすぎだろ

539 :
史実ですから

540 :
薩長同盟ぜよ!L
【小松帯刀邸。座敷で4人が向かい合い座っている】
小松「…」
西郷「…」
木戸「…」
龍馬「もうちっくと、近う寄られませんろうか」
西郷、木戸「…!」
チラッと龍馬のほうに目をやる両者
龍馬「ささ…、木戸さんも」「西郷さんも小松さんも…近うよりましょう」
龍馬に促され互いの座る位置を近づける3人
<語り:弥太郎>慶応2年(1866年)1月22日の夜。薩摩と長州の秘密会談が始まったがじゃ
龍馬「うん!ほんなら…始めろうか」
ふぅー、と息をはき西郷が口を開いた
西郷「ほいならまず、幕府と長州が戦になった時でごわす」
「薩摩軍は2000の兵を京、大阪へ上らせもんそ」
木戸「二千…!!」
西郷「薩摩は長州藩の汚名をすすぐよう尽力する」
「万が一、長州が戦に敗れても、薩摩は長州を信用する」
<語り:弥太郎>のちに日本の歴史の大きな転機とされた薩長の密約。その内容は薩摩が徹頭徹尾 長州の味方となり 幕府に対抗するというもんじゃった
西郷「最後に、幕府軍が一ツ橋・会津・桑名と組んで朝廷を取り込もうとしたとしても 薩摩は あくまで戦う」
木戸「うむ…」
小松「以上でよしごわすか?」
木戸「…」
複雑な表情の木戸に西郷が問う
西郷「こいでは 足りもはんか?」
木戸「…」「このままじゃ…ぼくは長州に帰れん!」
西郷「は?」
木戸「この約束は どれも長州が薩摩の助けを受けるっちゅうもんになっちょる。これは…対等じゃない!」
西郷「じゃっどん…長州にとっては…」
木戸「わかっちょる!わかっちょるが…!!」
興奮し息が荒くなる木戸
「ぼくは、長州を救えるならばと 恥を忍び 意を決してここに来たんじゃ!」
西郷「…!!」
木戸「…」
互いの目を見て沈黙する2人に龍馬が話しかける
龍馬「ほんなら…こうしませんろうか?」
西郷、木戸「…?」
両者は同時に龍馬の顔を見つめる

541 :
薩長同盟ぜよ!M
龍馬「今決められた五つの条文は すべて戦に関する約束事ですき」
「そこに…もう1つ加えるがです」
西郷「もう1つ?」
龍馬「ここに至るまで…数えきれんほどの命が失われたがです」
「薩摩の人らも 長州の人らも もちろん、わしの友にも 死んでいった者が大勢おるがです」
「立場は違えど みんな 天下国家のために 志を貫き通して 消えていった命ですき」
「ほうじゃき…、その者らの志も この薩長の盟約に入れてもらえませんろうか」
木戸「その一文とは?」
龍馬「…」
『薩長両藩は 誠の心をもって合体し 日本のために 傾きかけちゅうこの国を立て直すために 双方とも 粉骨砕身 尽力する』
木戸「…!!」
西郷「…」
龍馬「これなら、薩摩と長州は対等ですろう」
西郷「なるほど」
「おいに異論はありもはん」
そう言うと西郷は小松の目をチラりと見る
小松は無言で小さく頷く
木戸「ぼくもじゃ」
安堵した木戸の表情をみて龍馬も微笑む
龍馬「ほんなら…これをもって、薩摩と長州の盟約は成ったということで えいですね」
西郷は目をとじ深々と頷く
木戸も西郷を見てはっきり頷く

542 :
薩長同盟ぜよ!N
翌朝、龍馬が小松帯刀邸を出るとそこには三吉が待っていた
三吉「坂本さん…!」
龍馬「三吉さん」
「長州と薩摩は、しっかりと手を握りましたき」
三吉「ついにですか…!」
龍馬「はいっ!」
三吉「ごねんのいりました…ごねんのいりましたああ〜!坂本さあああ〜ん!!」m(TДT)m
地に頭をこすりつけ泣き崩れながら龍馬に感謝する三吉
龍馬「み…三吉さん…!」「頭を上げてつかあさい」
「決めたがは木戸さんと西郷さんじゃき」
三吉「いや、わしはあんたに礼を言いたい!」
「坂本さんがおらんかったら我が長州はどうなっちょったか…!」
龍馬「ハハハ…ここまで来れたがは三吉さんのお蔭ぜよ」
「三吉さんやち 長州を救ったがじゃ」
三吉「わ…わしが…!?」
龍馬「そうじゃ!」
三吉「ごねんのいりましたああああ〜…!!」m(TДT)m
龍馬「ハハハ…w三吉さん!」
<語り:弥太郎>清々し朝じゃった。けんど…
【会津藩邸】
会津藩士A「昨晩、薩摩藩家老 小松帯刀の屋敷にて 薩摩と長州の会談が行われたあんべえにごぜいやす!」
容保「その中身は!?」
会津藩士A「両藩が手を結んだんではねえべかと!」
会津藩士B「隠密の知らせではそこに土佐の脱藩ろうす(浪士)が同席すていだと…!」
容保「な…!?」
松平容保は昨夜新撰組の近藤が言っていたことを思い出した
回想 近藤「坂本龍馬には底知れぬ図太さがあるからにございます」
容保「坂本…龍馬…!」
「寺田屋に、捕り手を差し向けろ!」
会津藩士AB「は…ははっ!」
容保「ぬああ!くそぉっ!」グワシャーン
朝食の膳を蹴とばす会津藩主 松平容保(`皿´#)
【そして龍馬たちは】
龍馬「おおー、忘れちょった」
「三吉さん腹が減ったですろう」
懐から龍に貰った包みを取り出す龍馬
「おにぎりじゃ!」
三吉「あら〜」
おにぎりを食べながら微笑み歩く2人
龍馬、三吉「んまい!!」(⌒∇⌒)(´∀`)
「ハハハハw」
<語り:弥太郎>龍馬に危機が迫っちょった
龍馬「おにぎりまだあるきに」
三吉「んまいですね!こりゃ」
龍馬「ん〜!よう冷えちゅう」
「ハハハハハw」

543 :
ミッションコンプリート
互いに1人1人の日本人だと認識した薩摩と長州。龍馬の話にも耳を傾け日本を守るため1つに融合する。
一方、権力の座にあぐらをかいて近藤の言葉をろくに聞かなかった失策の容保
こともあろうに朝ご飯に八つ当たりかます会津藩藩主。

544 :
>>539 >>543
見ろ、これが薩長信者の言う歴史史観だ。こんな屑ドラマのデタラメな内容でも
薩長に都合のいい話はみーんな史実にして、逆に同じデタラメでも今年のドラマ
の内容の様な薩長に都合の悪い話になると「捏造の固まりwww」とか「半島人と
同類ww」とかほざく。本当に救いようの無いご都合主義の固まりだ。あの薩長
史観の権化八幡某とかいう大学教授(だっだっけ?・・)も又然り。

545 :
八重の桜は歴史知らなすぎだから比較にならんでしょ
ここが無知だよ八重の桜の薩長同盟
・同盟時の名前が『桂』のまま
・公式記録を無視し真っ昼間から会談3分で終わり
・会談というより一方的に薩摩に出された条約内容に口ポカンとあけてなすがまま従う桂
・会談の証人(薩長以外の第三者)がいないのに不信に思わず無条件で従う桂
・薩摩と長州の交流や接点ゼロのままいきなり会談
・そのためか、なぜじゃ?なぜ薩摩が長州を…と桂が疑問を口にだすも西郷のワケは聞かんと信じてたもんせでまかり通る会談()
・まさかの寺田屋スルー
・つうか主人公まったく関係ねーw
こんな後手後手だから薩長どころか守護職の仕事すら描けないままだったんだよ
本当に自分たちに大義があると信じていたのなら新撰組の日常も容保の仕事も少しは描けただろうに
声を高らかに『やつらを捕らえろ!殺してもかまわん!』とできただろうに

546 :
>>545
それが龍馬が勝海舟に初めて会いに行った動機を改竄(ドラマでは福山が下手くそな
土佐弁で「かつせんせいにあいたいぜよwww」などと叫いていたが、これはウソ。本当
は殺しに行った。これは歴史好きなら誰でも知っている常識)したり、大政奉還が実
は吉田寅次郎が思案していたという妄想話などを弁明するための言い訳なの?。
どっちにしたって、デタラメはデタラメ。それを薩長の都合で史実とデタラメに都合
良く色分けする、その独り善がりな考えがアホらしいという事なの。それとも何か
実は龍馬は勝を殺しに行かなかったとか、大政奉還の本当の立案者は吉田寅次郎だった
とか、そういう事を裏付ける新証拠でも見つかったの?。あったとしても、八幡某あたりの
捏造論文か、偽古文書あたりだろうけどWWW。

547 :
>>546
龍馬が勝を殺しに来た、ってのは勝が言ってるだけなんだが。
勝の話は面白いがホラが多いことは常識。
龍馬のその前からの行動を見れば、勝のところには普通に話を聞きにい言っただけなのもすぐに分かる。
お前の常識は20年は古い。

548 :
>>547
話を聞きに、というよりも
可能なら弟子にしてほしいと思っていただろう、最初から。

549 :
そもそも人物を見抜く能力に関しては右に出る者はいないほどの勝が自分の命を狙いに来た侍を身近に置くわけないからね
刺客を見抜けなかったのなら勝しょぼいって言ってるようなもんだし
そういうつまんない主張するのは志の無い会津だけ
会津は日本の史実を何も知らない

550 :
>>548
幕府の重職のところにいきなり弟子入りに押しかける、ってのも非常識でありえないと思うんだけどな、俺は。
いくら紹介状とかあったとはいえ。
でも、桂が幕臣の中島に弟子入りしたりしてるからそれもありえないことでもないんだよなー。

551 :
そういう、以前はありえなかったような事があの頃には起きるようになってきていたのは事実だろ
龍馬がどういう意図で勝の元を訪れたのは知らないが、「ありえない」の一言で全否定するのは如何なものかと

552 :
>>546
勝を斬りにきた龍馬が、
地球儀を見せ、世界情勢を説明する勝に感化されて、弟子入りを希望した
って話が、そもそも勝のホラ話。
龍馬の継母の実家の川島家は、長崎回船問屋で、
義理の祖父の川島猪三郎は、ヨーロッパの情勢に詳しくて、渾名が"ヨーロッパ"。
龍馬はこの義理祖父のところへしょっちゅう遊びに行って、
地球儀なども見せてもらっていた。
ちなみに、幕末の日本は海外への関心が高くて、
紙で作った折り畳み式の地球儀(紙風船のようなものか?)も、市販されていた。
ペリー来航のとき、江戸で剣術修行をしていたが、
すぐに剣術では蒸気船に対抗できないと悟り、佐久間象山塾で学ぶ。
脱藩前の龍馬は土佐勤皇党に加入していたんだけど、
武市のような偏狭な攘夷思想にはまったく賛同していなかっただろう。
しかし、それを言えば、仲間から斬られる恐れがある。
武市らが、吉田東洋暗殺をたくらみ始めたのを知って、
そんなのに巻き込まれてはたまらんと脱藩。
脱藩前に、河田小竜と意気投合して、
「君は内にいて人を作れ、我は外にいて船を得ん」
蒸気船の航海術を習得し、貿易で富を得て、船を買い、海軍を作る。
これは龍馬の一貫した目的であり行動だから、
勝のところへ行ったのも、初めから弟子入りが目的だっただろう。
春嶽が紹介状を書いてくれたんだが、
春嶽だって、龍馬が勝を斬りに行きそうだと思ったら紹介状なんか書かない。

553 :
自分達に都合の良いことはあくまでも史実で、都合が悪くなると
新説捏造か・・。とことん腐ってるなコイツら・・。

554 :
>>553
だから、おまえの知識が20年遅れてるだけだよ。
司馬遼太郎しか読んでねえのに歴史を語るな。

555 :
明治に高知土陽新聞の坂崎くんが書いた汗血千里の駒がヒットしてるところを見るとやはり真実なのだろう
龍馬が作った新政府綱領八策の最初に大政奉還について書かれてることからも、それを山内容堂に伝えたのは後藤と龍馬
龍馬にそれを教えたのは木戸であり彼の師は始まりの志士吉田松陰

556 :
>>555
>(大政奉還を)龍馬に教えたのは木戸であり彼の師は始まりの志士吉田松陰
TVドラマをそのまま史実と信じるのは、知能が低い証拠だ。
ドラマなんか、面白おかしくするために、脚色しまくるものだ。>>552

557 :
>>552
>ちなみに、幕末の日本は海外への関心が高くて、
これは初耳だな。ソースを

558 :
別にドラマなんだから史実と食い違う描写があってもいいけど、史実と創作を混同するのはいかがなものかと

559 :
>>556
>>558
ねぇ、そう思うでしょ。そう思わないのがここの住人である龍馬伝信奉者なのよ。

560 :
>>554
そういうお前は龍馬伝と八幡の本しか目を通さんだろう。だから大政奉還長州起源説なんて
荒唐無稽な珍説を恥ずかしげも無くほざけるのだ。

561 :
>>557
ソースではないが。
鎖国していた日本だが、ペリーが来る前も、
インドや中国がヨーロッパに侵略されている情報が伝わっていたし、
ロシアやイギリスの船が日本周辺で事件を起こしていることも伝わっていた。
だからこそ、攘夷思想が国内で盛り上がったのだし。
近藤などをはじめ、百姓町民の子供までもが剣術を学んだので、
幕末の頃は、空前の剣術ブームで、江戸の三大道場などが繁盛した。
横浜と函館が開港されたが、
函館は、外国との貿易で稼ごうという人々が集まって、たちまち2万の大都市になった。
横浜のことは知らないが、おそらくそれ以上だろう。

562 :
攘夷自体は正しいからな。
徳川の重臣たちが異国に支配されている以上、国防の役割を担う主力が他に無かったことは
龍馬の理解者の松平春嶽さまも悟っていた。
だから守護職には
殺戮だけはするなよ。キれるなよ。辛抱強く柔軟に話し合えよ
って繰り返し言ったにも関わらず
どこぞの田舎に養子に出されて血筋へのプライドばかり高い容保とかいうお坊っちゃまは
家臣たちにエエカッコ見せようなんて理由で都にのぼるべく守護職ひきうけてしまった
そして置き地蔵の首切られたくらいでプッツンまじギレ

563 :
>徳川の重臣たちが異国に支配されている以上


564 :
>>563
ダメダメ、ここの住人達は龍馬伝の見過ぎでこのドラマ内容がすべて史実と思い込んでいる
みたいだ。所詮ハイレベルの史観論の議論など望めないよ。

565 :
このスレも途中までは会津観光史学スレだったのに、いつの間にか龍馬伝キチガイに乗っ取られちゃってるしww

566 :
戦をせずに攘夷を成し遂げる方法を見出した勝麟太郎
弟子たちに「攘夷派のやつが襲ってきてもむやみやたらに斬っちゃなんねえぞ」「やつらだってオイラたちと同じく日本を守りたいって必死なんだ」と説いていた
海軍操練所は勝の夢であった
しかし、そんな勝の希望をも一ツ橋慶喜はその権力で叩き潰してしまった
師の志は本物であった…にもかかわらず志の無い幕府は国のことを考えずこんな理不尽を平気で繰り返す…、
龍馬は悟った。もう徳川幕府は駄目だ、と。日本を守るためには日本を守ろうとしている人々の話を聞き彼らの力にならねばならない、と。

567 :
寺田屋も熱かったな!
史実に忠実
公平な龍馬伝

568 :
>>567
そこまでドラマを信じると、かえって痛いな

569 :
>>567
オウムと同じだね

570 :
対話や交渉ができず殺戮を選ぶ
それが会津
ならぬものはならぬの精神

571 :
>>570
薩摩だって、議を言うなの精神
長州もキチガイばっかり

572 :
薩摩は殿様が先祖代々から「薩摩が天下をとれ」と子孫に念願を託してきたから
それを生半可な野心や私心とは言えまい
長州は「日本を異国から守ること」を最優先としているので天下とか頂点がほしいわけではない
さらに高杉と龍馬の願いである「日本を世界と対等の法と人権と文化を持つ独立国にする」を目標に加えている
私心なき願い―すなわち志。幕末におけるそれは長州に宿っていることを、龍馬たちは察した

573 :
■新政府綱領八策
一策.【大政奉還の提案】
天下の政権を朝廷に奉還せしめ、政令よろしく朝廷より出づべき事
二策.【議会の設置】
上下議政局を設け、議員を置きて、万機(ばんき)を参賛せしめ、万機よろしく公議に決すべき事
三策.【人材の登用】
有材の公卿・諸候・および天下の人材を顧問に備え、官爵を賜い、よろしく従来有名無実の官を除くべき事
四策.【対等な国交の樹立】
外国の交際、広く公議を採り、新に至等の規約を立つべき事
五策.【憲法の制定】
古来の律令(りつりょう)を折衷(せっちゅう)し、新に無窮の大典を選定すべき事
六策.【軍事力の増強】
海軍よろしく拡張すべき事
七策.【天皇を守る近兵衛を創設】
御親兵を置き、帝都を守護せしむべき事
八策.【貨幣制度改革】
金銀物価、よろしく外国と平均の法を設くべき事
http://ec2.images-amazon.com/images/I/516WfGyHgfL.jpg

574 :
やっぱり!龍馬の作った新政府綱領八策に大政奉還明記されてるじゃん
水戸藩の人が起源ていう説もあるらしいが龍馬と水戸藩じゃ接点ないし徳川第一の御三家がそんなん許すわけも無し。井伊殺しの侍たちも脱藩扱いにされてるくらいだし。
ってことは吉田松陰を慕う水戸藩の人→吉田松陰→桂/木戸さんと高杉→龍馬と伝来したのが自然だ。

575 :
>>574
大政奉還のアイディアは、
勝海舟→龍馬
横井小楠→龍馬
永井尚志→龍馬
大久保一翁→龍馬
など、いくらでも想定できる。
一般には、横井の著書からだといわれてる。

576 :
>>574
くだらんこじつけ。そもそも大政奉還はこの頃幕閣の間で取り沙汰されていた
事案。それを聞きつけた龍馬が後藤象二郎を通じて土佐藩主山内豊信に建議した
のは有名な話だろう。第一、龍馬が繋がっていたのは薩長だけではない。師匠
の勝海舟や越前藩主の松平慶永、幕臣の大久保一翁らとも繋がっていたのは事実
で大政奉還論はその筋からの情報だった様だ。

577 :
それに、寅次郎を慕う水戸藩の人って、誰よ?。寅次郎自身が水戸学に
イデオロギー的なものを感じて、会沢正志斉という藩士に会う為に水戸
くんだりまで来たのは知っているけど。逆に水戸藩の連中が寅次郎を慕
ったなんて話は聞いたこたねぁなぁ・・。

578 :
武士として日本人として松陰を慕ってたからこそ水戸藩士たちは井伊直弼を斬ったわけだろう
それに>>427-428の流れのほうが判りやすくてカッコイイ
西郷の世話になって長崎に行ってからは殆ど勝には会ってないし、お尋ね者になってからは立場上は敵同士だから尚更コンタクトを取る機会はないな。討幕への決心も鈍りかねないし。

579 :
>>578
>武士として日本人として松陰を慕ってたからこそ水戸藩士たちは井伊直弼を斬った
いや違う。自分とこの殿様を謹慎処分にしたから(安政の大獄)
>それに>>427-428の流れのほうが判りやすくてカッコイイ
わかりやすくもないし、歴史上の事実だから、『カッコイイ』なんて関係ない。
大政奉還のアイディアは幕臣のほうから流れてきた。
第一、長州の連中は、武力倒幕に凝り固まっているので、
大政奉還には反対の立場だ。
龍馬は、土佐藩を政局に引っ張り出すために必要だということ、
内戦をしないで政権を奪取できる可能性とその利点、
慶喜がいったん政権を朝廷に返せば、その後は諸藩に号令を出す法的根拠を失う、
などを説明して長州を説得した。

580 :
そうだね。だから木戸さんは賛同はしなかった。
薩摩は条件つきで徳川が大政奉還しない時は土佐藩も一緒に武力討幕することを後藤に約束させた
その代わり、大政奉還の合否が決定するまでは戦はしないということで纏まったー薩土同盟ー
ちなみに会津は徳川家ではないので彼らと戦になった場合これのルールに反せず、土佐も出兵できるのだ

581 :
目的無き権利者に志は無い
会津は思い上がりが過ぎたようだ

582 :
>>578
どこまでドラマの世界に酔いしれれば気が済むのだ。いっぺん正史に沿った幕末史の
勉強をしてみろ。

583 :
正史=会津観光史学
ですね。わかります。

584 :
会津観光史学では、あまり土佐を悪者にしていないんだよな
集客を考えると、やっぱり比較的人気のある龍馬の出身地を悪く書くわけにも行かないというジレンマ
だから会津戦争では主力であった土佐にあまり言及せず、会津戦争にはほとんど関わっていない長州を悪し様に描いている
まあいずれにせよ、龍馬バカも会津バカもウンコということだ

585 :
薩長政府が教育という手段を用いって、全国民に洗脳させようとでっち上げた
薩長=善玉という図式のプロパガンダ史観を鵜呑みにしている薩長バカもウンコ
だが

586 :
このスレに薩長バカや、あとは幕府バカもあまり見なかったから一々言及しなかっただけなんだけどな
大半は会津バカと龍馬バカ、あとは長州バカがその次くらいか
長州バカと薩長バカ、会津バカと幕府バカは似ているようで実は仲の悪い存在だしw
全部その手のバカを挙げてたらきりが無い
じゃあとりあえず、歴史に関して特定の勢力に一方的に肩入れし賛美を繰り返すやつは全部バカと言い直しておくわ

587 :
>>584
龍馬はそこまで人気無いから。

588 :
そうそう、会津の方が人気がある。
八重の桜の視聴率も、龍馬伝に爆勝してるしね。

589 :
八重の桜は清盛に次ぐワースト視聴率
龍馬伝は幕末ドラマでは篤姫に次ぐ2位の視聴率
つまり龍馬伝のほうが支持され
日本の歴史的にも公平な内容ということか

590 :
>>589
ただ単に、世の中の人間が薩長史観と龍馬伝説に洗脳されているモノが多いだけのお話。
あの糞ドラマの内容が決して正しいわけでもなく、公平な内容でもない。病的なほどに
龍馬&寅次郎&高杉の賛美に終始していた。

591 :
>>590
龍馬を賛美してたか?
いつも浮浪者のようなぼさぼさの髪型で、アフォのように描かれていたのだが。

592 :
至って公平だな

593 :
徳川を救った人でもあるからな

594 :
ウィキのカテゴリにもあるように龍馬伝は単なる「坂本龍馬を題材にしたフィクション作品」なのに
そのストーリー自体(と、言っても主に長州に都合の良い話だけ)を「これは、史実だ。やはり長州
は正義だ」と、教祖様ばりの捏造癖を発揮して史実認定して自己満足に陥っている哀れな長州信者。

595 :
日本公共放送の看板番組である大河ドラマは、
みな「歴史人物を題材に脚色したフィクション作品」ではある。

596 :
最後の将軍慶喜は江戸と徳川の血を最後まで残し会津藩主の助命にも協力
会津藩はそんな慶喜を腰抜け呼ばわりする恩知らず
会津藩主と会津主戦派は幕末のどさくさにまぎれて天下取りを目指してあえなく沈没
会津戦争ではどの藩よりも弱く、白河の戦いで頑張った西郷頼母の足元にも及ばないへたれぶり
梶原は頼母に暗殺者を送ったが、実際に自分が薩長と外で戦うと10分も持たない恥知らずな弱さ
厚顔無恥な梶原はその後に自ら恥じ入り行方をくらます
そんな会津藩主の子孫が偉そうに慶喜や薩長を罵倒する姿を見ると滑稽に思えてくる

597 :
>>595
そりゃそうだよ、特にここ十年来のはね。だけど俺は長州信者みたいに自分の都合に合わせてフィックションまで史実に
しちゃおうなんて、そんな図々しい事は考えていない。
>>596
言っている事は大体当たっているが。会津の上層部は己の意地だけを考えていただけで、天下がどうのこうのとか
そんな事まで頭は回らなかったのでは?。まぁ、いずれにせよ領民にとっては良い迷惑だったがな・・。

598 :
   

599 :
>>596
慶喜って自身が主役じゃない限り、倒幕サイドよりも佐幕サイド視点のドラマでの扱いの方が悪いと思う

600 :
佐幕サイドだと弱そうな慶喜ばっかりなんだよなあ
身内からも全然リスペクトされないし

601 :
>身内からも全然リスペクトされないし
薄情な才子で、人間的に難点の目立つ人物だったからだろ。
家茂を褒めて心酔してたことをはっきりと示している勝や榊原健吉は居るが
ケイキさんに対しての追慕を表現している幕臣は見当たらない。
慶喜家がまだ駿河にあったとき、お幸とお信との間にどかどかw生まれた娘らは
華族女学校に通うために千駄ヶ谷の宗家の屋敷に世話になっていたのだが、
そこではひしひしと風当たりの強さを感じざるをえなかった。
使用人の彼女らを見る目も暖かく無かったという。
幼少の身で可愛そうにも思えるけれど、親の立ち位置からすると当然のことだな

602 :
勝先生とか春嶽さまは一応は敬意を示してたと思う
特に勝は自分の夢を壊したのは他ならぬ慶喜なのに、そのことをネチネチ根に持ったりはしない上に龍馬にこう言った
勝「上様が大政奉還を受理なさるのは凄まじき勇気と覚悟を以てのことである」
「ゆえに、徳川将軍を敗軍の将としてぞんざいに扱うことは、おいらが許さねえ……薩長を、止められるかい?」
→龍馬「…はい。命にかけて…!」
-大政奉還- より

603 :
>>73
>>116-117
>>122-130
>>145-146
>>148-149
遅レスだが、斗南と猪苗代で選択肢があったのかという論争を読んだ
これは要するに明治2年当時に若松県大参事だった岡谷繁実(旧館林藩士)が
猪苗代での再興を新政府に上申したらどうかと若松組に助言したということじゃないのか?
それを、東京謹慎組は「会津に残りたい」と主張すると、新政府ににらまれる」と言う理由で
その主張を退けた、ということのように見えるんだが。
もし、中央政府から「猪苗代と斗南、どちらかを選ばせた」というのなら
>>127の水島純の回想にあるような
「若松の説の先祖以来墳墓の地云々の説を主張しますと」という言葉は出て来ないように思える。
あくまでも新政府から提案されたのは「陸奥領」であり、それに対して猪苗代という案を新たに出して「主張」するからこそ
「当路者の疑心は益々増長する」と読めるんだが。
新政府が二つの選択肢を出したなら、会津領内を選ぶことで「疑心」を持たれるのもおかしいし
若松組が東京組にそんな理由で説得されるのもおかしい。
若松県大参事というのは言わば地方公務員で、会津の領地を決定するような権限はないので
岡谷はあくまでも中央政府に上申することを勧めただけだと思うんだが
これが「中央政府から選択肢を示された」というように、一部で伝わってしまったように思える。

604 :
次の土曜日BS再放送の龍馬伝では
いよいよ勝麟太郎と松平春嶽、ジョン万次郎が登場!
日本を守るためのもう1つの攘夷とは
世界で初めて大平洋を渡った蒸気船とは
龍馬たちの新たなる戦いが今、始まる

605 :
篤姫以降の大河、勝の役名が麟太郎で一本化されてる気がするが
諱じゃダメなのか

606 :
龍馬伝.勝麟太郎@
江戸 千葉道場で稽古に励む門下生たち
道場の隅に座り防具を脱いだ佐那が汗をふき一休みしていると…
タッタッタタタ…と懐かしい足音が廊下に響いて近づいてくる
龍馬:お佐那さま!ごぶさたしちょりましたーw
佐那:さ、坂本さん!?
龍馬:表から何度も声をかけましたけんど、やっぱり聞こえちょりませんでしたか
佐那:えっ…、、、
龍馬:まっこと、ごぶさたしちょりましたっw
<弥太郎:語り>龍馬が千葉道場を訪れるがは、じつに4年ぶりのことじゃった
オープニング♪〜

607 :
龍馬伝.はもういらん、やめたほうがいい

608 :
勝麟太郎A
部屋で身なりを整えた佐那は手鏡で自分の顔をみて言い聞かせる
佐那:笑うのよ…自然に…
そこに駆け込んでくる兄、重太郎
重太郎:早くしろ佐那!
佐那:坂本さんは?
重太郎:いま父上に挨拶に行ってる
佐那:あ…兄上!
:坂本さんは…
重太郎:そうだよ!お前に会いにきたんだよ!
:4年も待ったかいがあったなあ
佐那:…はい!
数分後、龍馬からこれまでの経緯を聞いた千葉定吉、重太郎、佐那
重太郎:ええっ…
佐那:だっ…ぱん……?
定吉:…
龍馬:もう土佐には 戻れんがです
:先生
定吉:うん?
龍馬:勝麟太郎いうお方をご存知ではないですろうか
定吉:勝?
龍馬:はい。幕府の 軍艦操練所ゆうところのお頭じゃと聞きました
重太郎:それがどうしたんだ!
龍馬:なんとかして会えんもんやろうかと…
重太郎:会えるわけないだろう!軍艦奉行さまだぞ!!
定吉:しかもお前は攘夷派の脱藩浪士だ
:幕府の方も一番用心をする輩だぞ
龍馬:ええっ…
佐那:あのー…
龍馬:…ほんなら…どういたらえいろう…
考え込む龍馬。佐那たちの声が耳に入らない
佐那:坂本さんは…あなたは…
重太郎:佐那に会いにきたんじゃないのか…
:坂本くん、佐那はな、ずっときみのことを…
佐那:兄上!?
龍馬:そうじゃあ!
:重太郎先生は 今も 剣術指南役を務めておられるがですか?
重太郎:え
龍馬:わしを 越前藩の藩邸に連れてってつかあさい!
重太郎:何ぃ!?
龍馬:さあ 重太郎先生!
重太郎:こっ こら待て坂本くん…! 引っ張るな
龍馬:はよう!行きましょう!
重太郎は龍馬を止めようとするも龍馬はそのまま彼を引きずり廊下を突き進んでいく
定吉:…

609 :
勝麟太郎B
数十分後 龍馬と重太郎は越前藩邸で家老の北村に会っていた
北村:これはこれは重太郎どの。今日はいかがなされました?
重太郎:じ…じつは ここにおりますのは私の友人でもある…
龍馬:坂本龍馬と申します!
重太郎:この坂本が折り入ってお願いしたい儀があると
北村:ほう…。喜んでお聞きしましょう
龍馬:ありがとうございます!
:松平春嶽さまはご公儀の政治総裁職であられるとか
北村:うむ。殿は徳川幕府の重役でもあられる(´ω`)
次の瞬間ダダッダンダタタタンタンと北村の前に詰め寄り跪く龍馬
龍馬:その春嶽さまに わしを会わせてつかあさい!
北村:な…何!?(´Д`;)
龍馬:会わせてつかあさい!北村さま!!
後日 千葉家で佐那に用意してもらった紋付き袴に着替える龍馬
龍馬:入りますき
:ありがとうございます、お佐那さま
:坂本家の家紋まで入れてもろうて…まっこと ありがとうございます。
佐那:…(^ ^;)
いざ 越前藩主.松平春嶽のもとへ

610 :
会おうと思う相手には労を惜しまず会いに行く
百聞は一見にしかずの行動原理がじつに龍馬らしい

611 :
会津の山本なんとかいう蘭学ヲタは黒船にも乗れないまま世界を知った気になって甘んじてたんだよなあ
そりゃ滅ぶわ

612 :
勝麟太郎C
越前藩邸の一室で5人の侍たちに囲まれた龍馬と重太郎が平伏していると、護衛の藩士と共に静かに1人の男が入室し、向かい側の殿様の席に腰をおろす。
彼こそが徳川幕府の重役.越前藩主 松平春嶽であった。
春嶽「表を上げい」
龍馬「はっ」
春嶽「そちが坂本龍馬か」
龍馬「はい」
春嶽「土佐は 武市半平太なる者が攘夷の先鋒となり今や飛ぶ鳥を落とす勢いとか」
龍馬「武市は私の幼なじみにございます」
春嶽「では…そちも攘夷派か?」
龍馬「………はい」
次の瞬間 龍馬たちを囲んでいた侍たちが一斉に刀に手をかけ抜刀前の構えをとる
しかし、龍馬は微動だにしない
春嶽「フフフフ…。皆 なおれ」
「千葉道場がわしに刺客を送り込むわけがない」
主の命令に従い侍たちは静かに刀を収めもとの位置に座る
龍馬「以前は私も土佐勤王党に属しちょりました」
「けんど今はちがいますき。それに私は脱藩してしまいましたき、もう土佐藩士でもなんでもありません」
春嶽「ではそちは何者だ?」
腕組みして問いかける春嶽に龍馬が答える
龍馬「私は 坂本龍馬 ですきに」
春嶽「?」
「ふはは、わしをからこうておるのか?」
微笑みながら首を傾げる春嶽
龍馬「昨日まで橋の下で野宿しちょった男が 今日は 紋付き袴で 天下の松平春嶽さまの前におるがです」
「このような面白い人生を送りゆうもんは、他にはおらんですろう」
春嶽「ハハハハ…、ハハハハハハ!」
きらきらと目を輝かせ笑う春嶽
「たしかに面白い男ですなあ千葉先生」
龍馬「定吉先生!!」
重太郎「父上!」
龍馬と重太郎の後ろから千葉定吉が現れ、そのまま2人の後ろに座る
定吉「春嶽さまにお頼みしたいことがあるのだろう坂本」
龍馬「…」
春嶽「遠慮するな。言うてみい」
龍馬「はい…!」
「私を軍艦奉行勝麟太郎先生に紹介して頂けませんろうか!」
春嶽「…!」
驚いた春嶽が定吉のほうに目をやると、定吉は小さく頷き頭を下げる

613 :
>>611
龍馬だって乗れなかったクセに

614 :
乗ったよ。勝麟太郎で

615 :
>>614
あんな屑ドラマの内容を真に受けているのかwwwwwwwwwwww

616 :
龍馬伝なんぞのオタは、もともと大河板住人じゃないだろ

617 :
私も長州は >尊皇の 自負 は強かった と思います。
そして、尊皇の志が高い人は日本全国にいると想像するのが普通だ。 とも思います。
しかし長州は、その 自負(独りよがりな思い込み)の強さ故に
「長州こそが尊皇である」 といった排他的な上から目線で空回りしていたと思いませんか?

618 :
長州は、その独りよがりな思い込みの強さ故に

>お上から疎まれて朝廷から排除される身分になってしまった
けど、それは
>”会津のせい”って思考になったんではないかと思う(想像だけどね)
そのとおりで、
それ故、長州はただの迷惑さんですよね。

619 :
そして長州は
その独りよがりな逆恨みで
>にっくき会津を攻撃してみたら・・・
>御所に鉄砲玉を撃ち込んだ朝敵にされちゃった
>退却の途中に自刃した場所に火を付けたら京都を火の海にしたって言われて
(あわよくば、テロ攻撃で天皇陛下を奪取する気や、そうでなくとも、テロ攻撃そのもので、天皇陛下や公家を脅す気もあったと思いますが、、、)

「そもそも長州が京都を戦場にしたから京都が燃えた」。
という本筋を忘れた「狂気のヒロイズム」には同んて出来ませんよ
。情な

620 :
>その独りよがりな逆恨みで
ぷw
140年前の事を未だに恨んでる会津には言われたくないわ
どっかの「恨」文化がある国の奴らと同じすね

621 :
>>620
「 >その独りよがりな逆恨み 」を、
140年たっても否定出来ない程の情弱くんて、哀れすぎだよな

622 :
勝麟太郎D
<龍馬が松平春嶽に会うた一週間ほど前 江戸城に緊張が走っちょった>
<武市らに護衛され帝の上洛命名を携えた三条実美が ついに徳川将軍の前に現れた>
<この時の将軍は徳川家茂。けんど、将軍というたち相手が帝からの使者となれば 下座につくしかなかったがじゃ>
三条「三条実美である。かしこくも帝よりの勅命をお預かりして参った」
家茂「はっ」
従えた慶喜、春嶽と共に跪き深々と頭を下げる家茂
三条「征夷大将軍 徳川家茂殿には速やかに上洛し我が面前にて攘夷実行すなわち異人征伐の期日を明言すべし …との仰せである」
慶喜「…!」
春嶽「…!」
家茂「恐れ入り奉りまする」
震える手で『勅』と書かれた封を見つめる家茂
数分後、公家たちに平伏している武市に三条が話しかける
三条「勅書を確かに将軍に授けたぞ武市」
武市「家茂公はお受け取りになりましたか」
三条「駄賃にと銀200枚もくれよった」
武市「さすが徳川家…余裕があるぜよ…」
別室では
老中A「あんなやつに銀200枚ももったいない!」
慶喜「仕方なかろう!徳川の体面というものがある」
家茂「わしは上洛して帝に攘夷実行を約束しなければならないのか!?」
老中B「今さら攘夷なんぞ…アメリカ総領事館を打ち壊せというのか」
老中C「エゲレスの船に火をつけろというのか」
春嶽「すでに通商条約を結んでいる相手国に対してそのようなことをすれば…間違いなく戦になる」
「戦になれば我らに勝ち目はござらぬ」
慶喜「では京へはこの慶喜が出向き『帝といえども要らぬ口出しは無用!』と申し上げて参りましょう」
老中ABC「な…何を…!」
慶喜「この260年、日本を治めてきたのは我ら徳川じゃ!徳川の安泰あってこその日本の安泰なのじゃあ!」
フフンと得意顔の慶喜
家茂は戸惑いながら笑みを浮かべる
<…と言いながら、この慶喜は攘夷実行を約束させられてしまうんじゃけんど、まあ、これは後の話>

623 :
勝麟太郎E
時は戻り、龍馬は勝の屋敷の前にいた。
龍馬「よし…」
<さて、いよいよ龍馬は運命の出会いを果たすことになる>
<相手は勝麟太郎。そう、あの勝海舟ぜよ>
数分後、振り子時計の音が静かに鳴り響く勝の書斎。
部屋に通された龍馬はそわそわと落ち着かない様子で毛皮や模型や地図など、異国の品々を物色していた
部屋に近づいてくる足音に気づいて平伏する龍馬。
勝はすたすたと部屋に入ると筆と手帳を持って洋風の椅子に腰掛けた
龍馬「坂本龍馬と申します。本日は お目通りをお許し頂き しかも 先生の書斎にまで通してくださるとは…まこと…」
勝「つら上げねえ」
龍馬「は…ははっ」
勝「おいらが 勝麟太郎だい」
「おめえさんすまねえが もっぺん名前言ってくれ」
龍馬「は…?」
勝「もういっぺん名前言ってくれ」
龍馬「坂本 龍馬といいます」
勝「さかもとの『さか』は?」
龍馬「は?」
勝「いや『さか』よ。赤坂の『坂』かい?」
龍馬「赤坂?」
勝「上り坂の『坂』かい?」
龍馬「ぁ'……そうでございます!」
勝「おう。『もと』は?」
龍馬「もと?」
勝「もと」
龍馬「もと?」
「……………『本(ほん)』でございますき!」
勝「『本』な」
「『りょうま』は?」
龍馬「『龍(りゅう)』に『馬(うま)』」
勝「龍に、馬…と」
持っていた手帳に『坂本龍馬』と書く勝

624 :
勝麟太郎F
勝「お前さん土佐の脱藩浪人だって?」
龍馬「は」
勝「いやさ、松平春嶽公の紹介状じゃあ随分おもしれえ奴だって書いてあった」
「よお」「どう面白いか ひとつおいらに見せてくんねえ」
龍馬「え…?」
勝「面白いとこ見せてくんねえっつってんだ。ええ?見せてくんねえ」
龍馬「いや…」「わしは 面白いことら 何ちゃあできんがです」
目を逸らしながら苦笑した龍馬が答えると勝は手帳に×を1つビッと書き込む
勝「ふ〜ん」
それを覗きこむ龍馬
龍馬「バツ…?」
勝「見んじゃねえよ」
龍馬「はっ」
勝「お前さんおいらに会いたかったんだろ?そのわけ言ってくれっつってんだよ」
龍馬「はい!」
「勝さまは軍艦操練所の頭取じゃと聞きましたき」
勝「今は軍艦奉行だよ」
×を追加する勝
龍馬「出世されたがですか!」
勝「正しくは軍艦奉行並」
龍馬「…並!それは凄い!」
勝「よお!よおよお!」
「並ってのはよ、てえしたことねえって意味なんだよ。お前さん そういうこともわかっちゃいねえの?」
「どうにもお前さん、あんぽんたんだねぇ」
龍馬「あんぽんたん…」
勝「…で、お前さん俺に会いたかったんだろ?その会いたいワケを言ってくれつってんだよ!んとによー」
龍馬「は。…えー、軍艦…そう!軍艦ゆうがは黒船ゆうことですろう」
「まさか…まさか この日本が黒船を造りゆうとは…わしは夢にも…」
勝「よお よお よお!誰が軍艦造ってんだって?誰が?」
龍馬「え」
「あ、いやその船を見てみたいがです」
勝「お前さん気楽に言ってくれんね随分」
×を1つ追加
龍馬「いや、みんなは幕府はもういかんゆうけんど…そんなことはない、そんなことはない勝さまのような…勝さまのような凄いお方がおられるがですき!」
「ぜひ勝さまのお話を…いや、弟子に…そうじゃ!私を勝さまの弟子にしてつかあさい!お願いしますき!お願い致します!」
また×を1つ追加
勝「…」
「あ〜あ…おいら、こんなに×つけたのァ初めてだぜ おい」

625 :
こんな漫才のようなやりとりが、史実だとでもいうのか?

626 :
>>620
人の事を言えた義理か、長州なんて関ヶ原の恨みを260年以上持っていたと言うじゃないか。

627 :
長州の原動力は恨みつらみではなく、250年たっても揺らがなかった朝廷への忠誠心。
http://www.pref.yamaguchi.lg.jp/cms/a19300/ishinshi/topics7.html

628 :
勝麟太郎G
書生「先生。お茶をお持ちしましたき」
勝「おう」
龍馬「あ…あのう、あの…先生」
「その…その×は何ですろう?」
勝「見んじゃねえよ!」
龍馬「はっ!」
勝「見んじゃねえよ!見んじゃねえ」
書生「ほどよう さましてありますき」
勝「ありがとよ」
書生の言葉に反応する龍馬
龍馬「『ありますき』?『ありますき』…」
「…長次郎!?」「おまん、長じ…」
書生「失礼しますき」
勝「よお!」
龍馬「長次郎、おま…何をしゆう…」
勝「よお!お前さん何にも分かっちゃいねえな」
龍馬「!?」
勝「おいら軍艦なんざ造っちゃいない」
「第一この日の本には自前の軍艦なんざ ねえんだぜ」
龍馬「ええっ…!?」
勝「すまねえがな おめえみたいなあんぽんたんと付き合ってる暇はねえんだよ!」
龍馬「あん ぽん たん … 」
勝「よいしょっとぉ」
すくっと立ち上がり退室しようとする勝
出鼻をくじかれ茫然自失の龍馬は半ばヤケクソ気味で想いのたけをぶちまけてみる
龍馬「たしかに…たしかにわしは何ちゃあ 分かっちょらんがです!」
「けんど、けんどわしには攘夷も開国もありませんき!」
「わしはただ…ただこの日本を守りたいだけですきー!」(`Д´)
勝「気安く言うなィ!この野郎!!」
龍馬「…」(-_-;)
勝「よお」「ほれ、とく見ねえ」
そう言うと棚の上にあった地球儀を龍馬の前に置く勝
「これは地球儀といって広い世界を写した球だ。まあ模型だな」
「世界世界というが実はこんな丸い球なんだぜ。日本という国は…」
龍馬「知っちょりますき」
勝「…!」Σ( ̄□ ̄;)
龍馬「それと同じ物を土佐で見たことがありますき」
勝「…早く言えよ!そういうことは!」
龍馬「すみません!わしが間違うちょりました」
勝「よお とっとと帰んな」
龍馬「天下の勝麟太郎ゆうがは どればあ大きな御人ながかと思うちょったけんど…がっかりじゃ…」
「期待しちょったわしが ばかでした」
勝「おめえさん さしずめ吉原の冷やかしかい。ええ?」
「おいらはな『天下の勝麟太郎』なんて言われたこたァいっぺんもねえんだ!おめえさん誰かと勘違いしてんだよ」
「あばよ」
沈黙する龍馬の前を横切り退室していく勝

629 :
>>627
なんだ、身内の証言か・・。そんなの信用出来ん。

630 :
薩長同盟ぜよ!F
外で龍が井戸水を汲み上げていると
そこに龍馬が話しかけた
龍馬「わしがしようとしゆうことを教えるき」
龍「…!」
龍馬「わしはの薩摩と長州を結びつけて、徳川幕府が支配しちゅうこの世の中を変えようとしゆうがじゃ」
「幕府は異国の言いなりになって、なりふり構わず日本を押さえつけようとしゆうがじゃ」
「このままでは、この国は異国に乗っ取られてしまうがぜよ」
龍「…」
龍馬「わしはこれから幕府に追われる人間になるろう」
「もうここにもんて(戻って)くることはないき」
「わしを心配してくれるがは、これで最後にしてくれや」
龍「…いやや!!!」(T_T)

631 :
>>630
此処からコピペしたのね
こっちにも貼ってくれたのか
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1373287427/
ナイス

632 :
勝麟太郎H
帰る龍馬を玄関で見送る書生
書生「どうぞ」
龍馬「…あの」
書生「はい?」
龍馬「おまんにそっくりな、瓜二つな男が土佐におるがです」
「まっこと…こればあ似ちゅう人が世の中におるがかいうくらいそっくりじゃ…」
そう呟き去っていく龍馬
書生「…」
「その お人は…」
「饅頭屋の長次郎?」
龍馬「ああ…」
「ええっっ!?」
驚いて戻ってくる龍馬
書生→長次郎「お久しゅうございます!坂本さま!」
龍馬「おまん…!どういて知らん顔しちょったがじゃ!」
ツッコミを入れる龍馬に長次郎が微笑む
長次郎「からこうて申し訳ありません」
龍馬「ど、どういてここで書生になっちゅう!?」
長次郎「半年ほど前から見山塾で学びよりまして」
龍馬「ほぇ?」
長次郎「安積艮斎先生のご推挙でここに」
龍馬「江戸で学問を学びゆうがか」
長次郎「饅頭屋の伜が何を言うかとお思いですろう。けんどあちこちで日本が危ないゆう話を聞いちょったら、私もじっとしてはおられんようになったがです!」
「そんな時、岩崎弥太郎様が…」
<回想>土佐の饅頭屋にて
弥太郎「わしは今 商売を始めようかと思うちゅう」
長次郎「商売?」
弥太郎「材木を売るがじゃ」
長次郎「けんど岩崎さまは…」
弥太郎「わしは江戸で学んだ男やき」
「この頭を使うて必ず金持ちになってみせるき」
長次郎「江戸で学ぶゆうがはそんなにえいことですろうか!?」
弥太郎「当たり前ちゃ〜」
「あ、喜勢にも饅頭もって帰っちゃろ」
長次郎「…」
<回想おわり>
長次郎「あの時私は江戸に出ようと決心したがです」
「土佐にはもう帰るつもりはございません」

633 :
勝麟太郎I
千葉道場の縁側で溜め息をついている龍馬のもとへ重太郎が歩いてくる
重太郎「きみが期待しすぎたんだ坂本くん」
「勝麟太郎先生といったってしょせんは役人さ」
龍馬「けんど もっと…こう気概のある…もっと圧倒されるような大きい人じゃと思うちょりました…」
重太郎「坂本くん。時代のうねりを1人の力で変えるなんて無理だ」
龍馬「…」
重太郎「千葉道場に戻ってきてくれないか?」
龍馬「え…」
重太郎「うちは今、時代の風をまともにくらっている」
「昔はにぎやかだったが…いつの間にか女子や子供たちはいなくなってしまった」
「今いる門人たちは攘夷を叫ぶ者たちばかりだ」
「彼らが学びたいのは…剣術ではなく喧嘩の仕方なんだよ」
「このままでは北辰一刀流は滅びてしまう…!ぼくには…この道場を守る務めがある」
「君と佐那が一緒に力になってくれれば これほど心強い味方はいない」
龍馬「重太郎先生…」
重太郎「坂本くんはもう分かってるんだろ!?佐那の気持ちを…」
「妹はきみのことを…」
龍馬「待ってつかあさい」
「その話は今は待ってつかあさい」
重太郎「坂本くん!!」
返答を預けようとした龍馬に怒鳴る重太郎
龍馬「わしは…土佐を捨て…、親兄弟を捨てたがです。それやのに…それやのにまだ何ちゃあ成し遂げちょらんがです!」
一礼して退室する龍馬
重太郎「坂本くん…。坂本くん!!」
その頃、勝の屋敷では…
肩揉みしながら勝と話す長次郎
勝「おめえさんが言うほど面白くはなかったな」
長次郎「…?」揉み揉み
勝「坂本龍馬だよ」
長次郎「坂本家は下士ではありましたけんど、決して貧乏な家ではありませんき」揉み揉み
「土佐におったらラクな暮らしができたがです坂本さまは」揉み揉み
勝「ふ〜ん」
長次郎「まさか脱藩するとは思うちょりませんでした」揉み揉み
勝「んぉお〜、ありがとよ」
肩揉み終了
勝「何でもご存じの長次郎さんも『寝耳に水』だったかい?」
長次郎「たやすうは測りきれんお人ですき。坂本さまは」
勝「んなこと言ったっておめえ測んなきゃ寸法わかんねえだろ、オイ」
書生B「先生。武市半平太という方がお会いしたいと」
長次郎「武市さま!?」

634 :
>>606->>633
坂本龍馬をそんなアフォに描いた『龍馬伝』なんか、糞くらえだ!

635 :
勝麟太郎J
勝の部屋に通され話をする武市半平太、平井拾二郎、岡田以蔵の3人
武市「土佐藩士 武市半平太と申します」
勝「名前は聞いてるよ。今や土佐一国を動かすお方だとか」
武市「私は藩主豊範公と大殿様 容堂公にただただ尽くしゆうだけにございますき」
隣の間では長次郎が聞き耳を立てている
長次郎「勝先生の弟子になったと知られたら…わしはあの人らに斬られるかもしれん…」
勝「それにしても攘夷の先頭に立っておられるお方が一体幕臣のおいらに何の用だい」
武市「帝のお召しに対し ご公儀は一橋慶喜公を遣わそうとしゆう噂を聞きました」
「これがほんまのことやったら聞き捨てならんことですき」「帝は将軍ご自身の上洛を望んじょられます」
勝「んなこと言われたっておめぇ困っちまうなー」
武市「勝さまは よろず事なかれ幕閣の中で、たった一人思い切ったことを言われるとか」
勝「だから…嫌われてんだよぉ…」
武市「ぜひ、お取り計らいを」
勝「あー…断ったらどうするね」
「斬るかい?」
武市「…」
次の瞬間 以蔵が刀を取ろうとするのを見て勝が制する
勝「待ちねえ」
以蔵「!?」
勝「おいらこれでも旗本だぜ。お前さんたちのお殿様の山内容堂公とはいつでも話ができる身分なんだ」
「それでも斬ろうってんなら、まずは とくおいらの話を聞いてからにしてくれ」
武市「…」
勝「よお、これは地球儀といってな この広〜い世界を写した球だ。よ、とく見ねえ!これがアメリカ、これはヨーロッパ…」
武市「そんなことは知っちょります」
勝「!?」Σ( ̄□ ̄;)

636 :
勝麟太郎K
武市「国の大きいこんまい(小さい)は関わりないですろう」
「相手が誰やち神州日本の土を汚す者は 許しませんき」
勝「ふっ」「おめえさんたちもあの坂本と同じだなあ」
武市「坂本!?」
勝「おう。知ってんだろ土佐の坂本龍馬だよ」
拾二郎「何ぃ…!」
以蔵「龍馬…」
武市「あれはもう我々とは無縁の男です」
「幕府も藩も もう要らんと言い放ったがです」
勝「……幕府も藩も……要らねえってかい…」
武市「どういてあいつがここに…」
勝「いやさ、これは長次郎の見立ての方が間違ってねえかもしんねえな…」
武市「長次郎?」
勝「さあ…帰ってくんねえ」
龍馬の時と同じように玄関で見送りをする長次郎を見て驚く武市たち
拾二郎「おまん…どういうつもりぜよ」
武市「饅頭屋の分際でつまらんことをしよって」
以蔵「…」
長次郎「分際…ぶんざい…」
「武市さまが、そういう言葉を使われるようになったとは…」
武市「なに?」
長次郎「私にも志がありますき」
「お気をつけて、お帰り下さいませ」
勝「…」
手帳に書いた坂本龍馬と幾つもの×を見る勝
<この数日後のことじゃった>
<品川のエゲレス公使館が炎に包まれたがじゃ>
<火をつけたがは長州藩士を中心とする過激な攘夷派たちじゃった>
長州藩士「見たか!これが攘夷じゃ!」
久坂玄瑞「……松陰先生…!」

637 :
勝麟太郎L
翌日、龍馬は再び勝の部屋に来ていた
正確には今度は勝のほうから呼び出したのだ
勝「すまねえな。また来てもらっちまって」
龍馬「…いえ」
勝「いやさ、おまえさんとどうしてももういっぺん話がしたくなってなあ」
「今日は特別だい。おいら何でも答えるから何でも聞いてくれ」
龍馬「いや…急にそんなことを言われましても…」
勝「ええ?おまえさん俺の考えを測りに来たんだろ。だったら聞くことはあるはずだ。さあ何でも聞いてくれ」
龍馬「勝さまは…」
「日本が戦になったら…戦になったら異国に勝てるとお思いですろうか?」
勝「かてねえ」
「異人には勝てねえ」
龍馬「ほんなら日本は異国の属国になっても仕方ないと…」
勝「冗談じゃねえ。奴らの勝手にゃさせねえ」
龍馬「ほんなら、どういたらえいとお思いですろうか?」
勝「だからよ、この日ノ本の四方の、……ぅ…」
龍馬「…!」
勝は龍馬の目を見て何かに気づく
勝「…おめえさん どう思うね」
龍馬「はっ?…いや、それがわかりませんき」
勝「いや、おいらの弟子になろうとするくらい思いつめてたんだ…きっと何か考えがあるはずだ。とく腹の底探ってみなよ」
「何か考えがあるはずだ。」
「よお、こっちこい。座んねえ」
龍馬「え」

638 :
  

639 :
勝麟太郎M
勝は小さな机に向かい合うように椅子に座り龍馬にも座るよう勧めるが戸惑う龍馬は椅子の真横に立ち話を続ける
長次郎はそんな2人のやりとりを見守る
龍馬「わしは初め勝さまは軍艦操練所のお頭じゃと聞きましたき」
勝「うん」
龍馬「軍艦操練所ゆうところは軍艦を操る訓練をしゆうところですろ」
勝「ああ、そうだな」
龍馬「わしは日本にそういうところがあるとは夢にも思わんかったがです!」
勝「おめえさん…あの…軍艦に興味があんのかい」
龍馬「いや…」
勝「…」
龍馬「ありますけんど…'」
勝「いやいいよ いいよ。じっくり考えな」
「ゆっくり考えていいんだぜ」
「な、今日はおいらが付き合ってやる。ほれ、座んな」
龍馬が椅子に座ると勝は龍馬のすぐ後ろに立ち会話を続ける

640 :
勝麟太郎N
龍馬「日本は島国ですろう」
勝「うん」
龍馬「四方を海に囲まれちゅう」
勝「まあそうだわな」
龍馬「異人らは海から来るわけですき、やっぱり一番大事ながは軍艦ですろう」
「強い海軍が必要ですろう」
勝「それじゃあ…海軍をもって、どうするね?」
龍馬「そ…それは…」
勝「…」
龍馬「わしは…千葉道場で剣術を習うたがです」
勝「ほう」
龍馬「ほんで……ほんで北辰一刀流の目録をもらいましたき」
勝「ほう」
龍馬「おこがましい言い方をすれば、わしは強いがです」
勝「お前さん強いかいw」
龍馬「けんどわしは人を斬ろうとは思わんがです。そもそもわしが強いと知っちゅうもんは喧嘩をふっかけてはきませんき」
「つまり…つまりわしが言いたいがは」
「いま日本が異国の言いなりになっちゅうがは、戦をしたち負けることがわかっちゅうきじゃ…」
「けんど海軍があれば…強い海軍があれば……、誰っちゃあに負けん剣の腕があったら…!」
立ち上がり部屋にある帆船模型と大筒の模型を手に取る龍馬
「戦にはならんぜよ…そうじゃ…。日本はもう…日本はもう開国しちゅうき、異国の文化を学んで…日本の軍艦をどんどん造ったら…!造ったらえいがじゃ!」
「ほんで他のモンも どんどんどんどん取り入れて…、異国に張り合えるほどの文明を…文明を手に入れることができたら日本は安泰となるがじゃ!!」
『そうじゃ…戦をせんでも…戦をせんでも 攘夷を成し遂げることができるがじゃあああ!ハッハハハ…』
勝「…」
龍馬「はっ…、申し訳ありません!思い付いたことをペラペラと…」ハァ…ハァ…
勝「長次郎………」
「おいらの負けだ」
長次郎「はい!けんど…」
勝「けんど、負けるが『勝』よ!ってな。ハハハw」
龍馬「は?」
長次郎「今のは『負けるが勝ち』と勝先生の『勝』を掛けて…」
勝「いやいやいや、洒落はなぞっちゃ洒落はにゃあなんねえ。よお坂本ォ」
龍馬「はい」
勝「面白いぜ。気に入った。おめえさん合格だ」
「今日からおいらのために働いてもらうぜ!」

641 :
勝麟太郎O
龍馬「勝さま!?ちっくと待ってつかあさい。わしには何が何やら…」
勝「おいら探してたんだよ。日本の海軍を作る力になってくれるやつをな」
龍馬「日本の…海軍!?」
長次郎「今まさに坂本さまが言ったことを、勝先生はやれうとしゆうがです!」
龍馬「ええっ!!」
勝「なあ坂本幕府の奴らァ頭ァ固くていけねえや。話がとんと進みやしねぇ」
「もう…2年も前だぜ。俺たちはアメリカを見てきた」
「そう アメリカへ渡った船は咸臨丸。オランダ製だが操ったのは日本人だ」
龍馬「日本人…」
勝「そう、それも身分の低い水夫たち。だが俺たちは力を合わせて ただ ひたすら海を渡った」
「するとどうでい!太平洋の荒波に揉まれてるうちに奴らみるみる日本人になりやがった!」
龍馬「日本人!?」
勝「ああそうだ!幕府だ長州だ土佐だ!んなこと言ってる場合じゃねぇ!!」
「俺たちがいま日本人として海軍を作らなきゃあ、日本はこの世から消えて無くなる…!」
龍馬「勝さまは…アメリカへ…?」
勝「ああ!そうだ!」
長次郎「日本の船が外洋に出たがは、何と225年ぶりのことだそうです!」
龍馬「ええっ!!」
勝「よっ」「とく見ねえ」
またも地球儀を持ってきて説明する勝
「エゲレスの船はよォ、ここから島伝い陸伝いに、こうして食料や燃料を積み込みながらそろりそろりと日の本までやってきた」
「だが咸臨丸はちがう!世界で一番でっけえ海を ただひたすら進んだ!!」
「これはよ坂本、幕府じゃねぇぜ…日本人が成し遂げた大仕事だ!!」
龍馬「日本人…」
「勝さま…その咸臨丸はいま…」
勝「あるよ」
龍馬「どこに!?」

642 :
伝説の蒸気船 咸臨丸に乗る 幕末の勇者 坂本龍馬
胸熱だな!

643 :
勝麟太郎P
そわそわしている龍馬を小舟に乗せ 船頭たちと大海原に出る勝
勝「あれだーー!!」
龍馬が振り返る
そこには…中央から黒い煙を吹き上げ、山のように聳える漆黒の塊があった
細部の形状こそ4年前に長州の桂と共に見た物とは異なるものの、大まかな特徴と汽笛音、その威圧感はまさにあの時と同じであった
龍馬「す、すごい…!…凄い…!!」
勝「あれが咸臨丸だー!」
龍馬「黒船じゃーーーー!!!黒船じゃああああああ!!なんちゅう…なんちゅうデカさじゃあああああーー!」
勝「ハハハw」
龍馬「黒船じゃ…、日本人…まっこと…日本人じゃ…!」
龍馬が指差す船内には日本人の海軍仕官と訓練生たちの姿があった
勝「ああ!そうだ!!」
訓練用の縄梯子を登り船内に乗り込む勝と龍馬
龍馬「日本人じゃあ!」
勝「ああ日本人だ」
2人の横を駆け足で移動していく訓練生たち
龍馬「まっこと真っ黒じゃ!」
床とボイラーの壁をバンバン叩いて確かめ
船から外の眺めを見おろす龍馬
「なんちゅう高さじゃあ!」
「わしは…わしはいま……黒船に乗っちゅうううううう〜〜〜〜〜っっっ!!!」
勝「わっははwそんなに嬉しいかい」
龍馬「はい!!」
勝「よお、ジョン!調子はどうでい」
万次郎「上々です。勝先生!」
勝の呼び掛けに答える洋服を着た1人の青年を見て龍馬はハッとした
龍馬「ジョン!?…ま…まさか……」
勝「そうだー!かの御人が高名なジョン万次郎どのだー!ってなw」
万次郎「イエース!イエス!」
龍馬「えええっ!?」((((;゜Д゜)))
その刹那 ドドウッ! と爆音が鳴り響く
訓練生たちは大砲の練習中を始めたらしい
龍馬「お…お…おおづつ〜〜〜〜〜!?」
「ハッハッハハハーw」
勝「へっへーw」
興奮最高潮の龍馬と共に笑う勝と万次郎であった

644 :
どこまで龍馬をアフォに描けば気が済むのだ!(怒り
龍馬は佐久間象山塾、徳弘孝蔵塾で洋式砲術を学び、
土佐藩でおこなわれた演習で、優秀な成績を残してる。
今さら大砲如きで驚くかい。
ほんに、龍馬伝オタはアフォォじゃのう。

645 :
会津の山本なにがしとは雲泥の差だな
やはり目的意識の違いなのか

646 :
幕末草

647 :
勝麟太郎

648 :
頭ではなく肌で感じ得た経験の差かもしれない
そもそも象山と勝では行動力が違いすぎるし
経験値も視野も勝がダンチだろう

649 :
あと単純に咸臨丸や勝塾で見た大砲のほうが技術的に最先端で異次元の体験だったとも考えられる
4年前の黒船が来た時にも土佐藩士たちと港の警備にあたっていてそこに日本の大砲も置いてあるのを見ている
そして4年後
黒船の中基準の線引きとして彼にとってそれまでの大砲は大砲とは言えなくなったのだろう
>おおづつ〜〜〜!?
に「?」が入っていることから
『大砲なのか!?』
とそれまでのスケールを一気に飛び越えた反応と見るのが自然だろう

650 :
>>611 >>644
高杉なら「うん、そうじゃ!、そうじゃ!」と賛同してくれるかもしれないが。西郷だと
「おはんに、あの方の何が判ると言うとか!!」と逆に怒鳴られる可能性があるな。

651 :
>>650の訂正
>>644>>645

652 :
>>641
いい台詞だな。格言としてリピートしておこう
>龍馬「日本人!?」
>勝「ああそうだ!幕府だ長州だ土佐だ!んなこと言ってる場合じゃねぇ!!」
>「俺たちがいま日本人として海軍を作らなきゃあ、日本はこの世から消えて無くなる…!」
譜代のプライドや藩の壁にとらわれていては
物事の真価も見えなくなる
慶喜が神戸の操練所を潰し勝の志を蔑ろにした時に、徳川の運命は決まったのかもしれない
幕府だ長州だ土佐だ!んなこと言ってる場合じゃなかった

653 :
また、>>637>>639-640のやりとりからも
攘夷という目的自体は正しいことがハッキリとわかる
戦をせんで 攘夷を成し遂げること
それこそが 幕末日本における最善の選択だったことは疑う余地もない
ただ禁門の変以後の長州の目的は従来の攘夷じゃなく自国の独立〜日本の独立と変化派生していったので
結果的には勝の大攘夷も含められる構造になったとも考えられる
薩摩は独立後の主導権(天下の座)が欲しかった
長州はこれを完全に納得していたわけではないが、あくまでも日本を異国の侵略から守ることが第一だったので 仇敵たる徳川の根絶もやむなしとした
力は薩摩に
正義は長州にあり

654 :
>>653
長州は、皇居にテロ攻撃するような狂った集団なんだよな。

655 :
あげく御旗をコッソリ密造・量産し
暴力の力で事後承諾させた極悪人だ
どうしたって普通の日本人には受け入れられないよ。
こんな「天皇陛下を道具化」した長州の愚行を
いつまでも肯定してちゃ未来が不安すぎるだろ?

656 :
何、ここにある作文>かつりんたろう
>>653
天下の座が欲しかったなら、西郷がやった廃藩置県の意味がわからないんですが。
もしかして司馬さんの創作で勘違いしちゃってる?>ワシはいつになったら征夷大将軍になれるのか発言

657 :
>>654
それは敗走した会津軍がこともあろうに皇居に逃げ込んだから
威嚇だよ 出てこい腰抜けってね

658 :
>>656
政治の主導権を手中に納めることイコール天下の座じゃろう
廃藩?それがどういた?
こんまいのう

659 :
>>657
よく知らないのに無理して話を作るなよ

660 :
少しでも相手が強いとすぐどっかに籠るよな会津って
そもそも異国の恐ろしさ知らんとか興味も無いって…
んな阿呆が勝や龍馬たちの邪魔すんなヨ

661 :
>>567
長州が火病した蛤御門の変 (皇居へのテロ攻撃) で
長州は「 非の打ち所のない朝敵 」に確定したけどさ
そんな狂った事をしながら尊皇を叫ぶ長州って
完全な基地外だよね?

662 :
龍馬伝では禁門の変が薩摩VS長州の戦いになっていた件
龍馬伝ばっかり見てちゃだめだよ!

663 :
だって会津って薩摩いなかったら負けてたやん

664 :
>>657
天皇愛を叫びながら、 皇居(天皇陛下)にテロ攻撃をやってしまえる長州。
そんな長州の基地外っぷりを確認するレス(661)にあるアンカーは>>657に訂正シマウマ

665 :
蛤御門の変は、八月十八日の政変と池田屋事件が契機となって起こった長州対会津・薩摩の武力衝突。
決してテロ攻撃ではないし、御所に火を放ち天皇を奪うそんな話もでっち上げで史実ではない。
むしろ、会津と薩摩が御所を盾に取り、京の町を火の海にした(どんど焼き)

666 :
>>662
龍馬伝って見たこと無いんだけど、会津は無かったことにされていたの?
一応新選組は出ているみたいだから存在自体が抹消されているわけじゃないとは思うけど

667 :
いや 容保でてるよ。薩長同盟の時と寺田屋の時にもナレーション付きで
台詞もあるし会津藩士たちも見廻り組も出てくる
>>515-543参照
分をわぎまえねえがー!近藤!!
って近藤さんの報告スルーしてしまい同盟成立

668 :
龍馬伝の容保は、どう見ても藩主じゃなくて
言ってることもやってることもせいぜい公用人レベルだったな
禁門の変は、はじっこに会津の旗がチラッと映ってたぐらいで
ナレーションその他ではまるっきり無視

669 :
そこは弱いんだし仕方なくね?
「幕府軍」で総括してある中で旗が映ったんなら扱い良いほうとも思えるが
幕府軍も幾つかの潘で構成されるから会津軍だけじゃなくて、その中で桁違いに強くて長州に勝ってるのが薩摩軍なんだからそりゃ薩摩が目立つよ
龍馬と陸奥が下関に行ったら長州兵は草履の裏に薩賊と書いて踏んどるんじゃー!と説明されたけど
会賊っては書いてなかった。史実でも会津に対しては薩摩に対してほどは怒っていない。

670 :
龍馬伝オタはこんなにバカでーすという成り済ましじゃなかったら、
まともな幕末史の本を一度読めよww
福田のネタ本はほとんど「おーい龍馬」だけなんだからw

671 :
>>665
いや、池田屋事件はでっちあげの側面が強いが、
蛤御門の変自体は武力衝突と呼ぶには長州側の軍勢が少なく、どうみてもテロだろ
幕府方が残党いぶり出しのための放火命令を出したのは間違いないけど

672 :
やっぱり強いんだな薩摩と長州は

673 :
>>672
違う、違う。薩摩が強いの。長州は薩摩と手を組んだから徳川に勝てただけ。

674 :
>>673
いや、3000で20万を撃退したのに弱いとか言われても。
薩摩>長州>幕府歩兵隊>>>>>彦根藩>>(超えられない壁)>>>会津
ぐらいだろ。

675 :
>>674
薩摩+最新の武器>幕府歩兵隊>長州=その他大勢の藩(会津を含めて)

676 :
ただ単に幕府がしょぼかっただけだろ。

677 :
>>675
いや、お前がいくら頑張っても史実は変わらないから

678 :
土佐は?
新政府側だったけど

679 :
土佐は・・・なんだろ、とにかく乾退助の速攻がすごかったくらいしか印象にない

680 :
土佐は大政奉還前に最新式ミニエー銃を仕入れたんだよ
万が一、徳川が攻めてきた場合に守れるように
で、龍馬の死後 武器と兵だけ残ったので
残党は徳川ではありもはん的な西郷さんの提案により後藤以外の上士が会津戦争に出向くことになった

681 :
>>677
だから史実を言ってるじゃん、長州が天下を盗れたのは薩摩と最新武器のお陰だって。

682 :
【龍馬バカ VS 会津バカ】 の醜い争いを皆で愛でるスレはここですか?

683 :
薩摩はともかく長州は天下には興味ないよ
あくまでも異国と幕府から日本を守ることが最優先で天下の体制については慎重に進め直そうとしていた
龍馬の書いた有名な新政府綱領八策にも先ず-1つ、天下の政権を朝廷に奉還せしめん-と書いてあって
木戸さんも伊藤も西郷さんもこれを元に新しい政府のあり方を協議した
ただ大久保だけは天下の座を狙っていたようだが
○○○盟主を皆で真剣に考え、それぞれの幹部がこれを支えるという形は薩摩の天下からは遠回りも遠回りだったから
また、武士じゃなくても能力と資質が認められた者なら誰もが役人になれる仕組みは人々を支配してきた全ての武家にとって脅威だったかもしれない

684 :
高杉さんが夢見た世の中が もうすぐ来るぜよ…
-龍の魂-より

685 :
薩摩が天下取るって考えなら、海外に2年もいっちゃう人達ってどうなんかな?
西郷は廃藩置県を断行してるぞ?これが天下とったって話か?

686 :
西郷は海外に行ってないよ
海外行ったのは大久保で
それゆえに帰ってきた時に対立したんだよ
こちらが異国と同じ植民地政策にでるにはまだ何もかも足りないことだらけで無謀すぎる
あと、西郷さんは薩摩士族で食いっぱぐれた人たちの味方せにゃならんかった
結果的には西郷さんも大久保も天下から遠ざかってしまった
しかし高杉と龍馬の意志を継いだ伊藤や陸奥が新しい日本の舵取りを担う形になり大方は収束した

687 :
>>686
西郷が海外いってないのは知ってるよ。
彼が新政府のために、必要な事を色々やってたじゃん?
それが薩摩が天下を取るため?ちゃんちゃらおかしいって言ってんの。
なんで貴方が長州を持ち上げて薩摩を卑下するのかは解らないけどね。

688 :
薩摩を卑下なんかしてないよ
島津の殿様が先祖代々託されてきた天下取りも立派な志だと思うし篤姫に嫌われても小松や西郷さんたちは自分らなりに士道を貫いた
会津殲滅もまた平和な世の中の基礎を作るため必要だったのかもしれない
日本の未来など何一つ考えない野蛮人の集まりだし

689 :
もしかして司馬さんの創作でものいってんのかな?
>先祖代々託されてきた天下取り
幕末の島津の動き見ていたら、一貫して国を一つにする為に
諸侯による合議制の体制に幕府を移行させようとしてるのが見えると思うんだけど
篤姫大奥入りもその工作の為だし、こういうスタンスだった。
長州と手を組んだのは、一会桑政権により、薩摩が排除されて
徳川幕府の先見の明の無さに愕然としたから。
あと>野蛮人
がどこにかかるのかしらないが、どこにかかるとしてもすごく失礼な書き込みだと思うよ。

690 :
徳川の重役たる春嶽さまから守護職は先ず話し合いを以て彼らと理解し合えと言われたのに地蔵の首が切られたくらいでソッコーマジギレして新撰組を雇う会津藩藩主 松平容保
自分たちの手は汚したくないので浪士を安い金でこき使い「人斬りには人斬りか」と豪語する会津武士>八重の桜
やりすぎじゃね?都にいすぎると会津の民も年貢がきつくて飢えるから他藩に頼んで帰りましょうと言われると会津は他藩とは交わらぬ。とかいう選民思想で駄々をこねる
頼母から「殿が民のことを考えられないのはもとからの会津の人間ではなく他藩から来た接ぎ木(養子)だからですか」と正論を出されると反論もできず頼母をクビにする松平容保
そして、それを見て頼母を誰一人庇おうとしない会津武士たち
龍馬1人を捕縛するため伏見奉行に150人以上の兵を用意させ寺田屋を包囲させる松平容保
しかしそれでも龍馬と三吉に逃げられてしまう
また、山内容堂に大政奉還の建白書を用意させ松平春嶽さまや光岡八郎の名を記した新政府綱領八策を書いて送った龍馬は、少し素性を調べれば徳川の味方であることはすぐ判る
にもかかわらず、ロクに調べもしないまま夜の寝床に押し入り不意討ちにて暗殺。庶民の藤吉も犠牲になり、かつ自分たちの仕業を隠すべく紀州のゲタを部屋に置いて去るというチキンぶり
全武士のボスである将軍慶喜の決定に反対して恭順命令も効かず戦をしてしまう会津
松平容保のミスを背負わされ身内からも冤罪で虚仮にされたまま腹を切らされる神保
領民や家臣の家族を他藩に避難させる準備もしないまま市街戦
自分たちが首を差し出せば家臣や家族や領民たちは助かるのに、ここでも殿様1人のワガママならぬものはならぬで戦力差を無視して味方に犠牲者を増やす
近隣の藩の少年兵たちが犠牲になっても降伏せず
繰り返すが会津の殿様である松平容保は会津の人間ではない
徳川に縁のある血筋なら何をやっても許されると思い、弱い人々を支配し権利の座に座る仕組みをおかしいと思えない会津藩は野蛮人の巣窟とも言えよう
ならぬものはならぬと言いながら掟の多くを大人たちは守らず子供たちの見本にもならない
女に鉄砲を教えたり殺生を生涯自慢し続けたりする教育のありようも野蛮人そのものである

691 :
二本松も官軍側に城下に入られ悲惨だったけど
藩主らは無事米沢へ逃れられたね
官軍側の動きが早かったらどうしようもないのかも
藩主奥方らの逃避行もすさまじい

692 :
>>690
その漫画小説を信じている時点で終わってるな
幕末クーデター軍のファンって
正直低レベルな人が多いね

693 :
でもやっぱり幕末イコール龍馬だからな

694 :
ま、
史実と漫画を区別できないお花畑は話に成らないけれど
「 錦の御旗を密造量産した薩長 」
のような無礼な低能クーデター軍団は普通に断罪しとかないとネ

695 :
>>683 御所に軍事攻撃しちゃう浅はかなヒステリック集団 = 長州を慎重だなんてブラックジョークにも成らないよ

696 :
>>243
大政奉還も知らないで幕末を語るのが
テロ組織長州ファンのクオリティー

697 :
明治天皇が、「錦の御旗」を薩長に下賜したか否かは不明確ではあるが、
明治新政府は、天皇を頂点として総裁・議定・参与といった政治体制を発足させており、
この政治体制を象徴する旗印として「錦の御旗」を利用したと考えられる。
この政治体制の一員である薩長藩士が「錦の御旗」を使用するのは当然であると考えられる。

698 :
>>696
仕方がないよ、明治政府のプロパガンダ歴史教育の洗脳から
脱却出来ないんだから。

699 :
>>427-428
大政奉還
龍馬と海援隊と慶喜の代名詞である

700 :
何だかんだ言っても龍馬と高杉は互いを理解し合ってたからなあ
日本のために人々のために自分らが何をすべきか考えていた

701 :
>>697 とりあえず
会津藩のトップが着用してた緋色の陣羽織は
天皇陛下が実際に愛用されていた「御衣」を、直接陛下から恩賜された本物。
それに比べ薩摩クーデター軍の錦旗は
岩倉と薩長が京都薩摩藩邸で密造・量産し、暴力で事後承諾させた紛い物。
一緒にするとかアホすぎだから

702 :
>直接陛下から恩賜された本物。
本物つーても、天皇上皇などで覇権を争った時期もあったからなぁ。
そんなもんで、こっちは本物だー!とか言ってもね。
実権があるかないかでそ。ぶっちゃけ。

703 :
日本のために何一つ行動できん賊軍が権力だの本物だの言い訳とは笑止千万

704 :
>>702>>703
誰もが認める間違いの無い史実
薩長の錦旗は、 密造・量産・無断使用された偽物であり、暴力で事後承諾させた紛い物。

705 :
>>704
誰もがって、がんばってるのお前しかいないじゃん

706 :
>>703
当たり前でしょ、薩長が国のために働くのは。何のために徳川から
天下を盗ったと思ってんの、天下人が国のために動くという当然な
ことを偉そうな顔してほざくな。
>>704
結果的に薩長が勝ち馬になったので、真正品と認定されましたが
登場するまでの過程は大凡貴方の言う通りです。

707 :
>>705 だから論破すればいいじゃん。 そのもう一方の側面とかを提示するなりして
「 長州が皇居にテロ攻撃した愚行 」 を、
仕方のない事だと言い張ってみるとかさ(笑)?

708 :
>>707
簡単じゃよー。
「薩賊会奸が御所を武装占領するという暴挙をおこなったため、陛下をお救いすべく長州軍は救出活動を行ったが果たせなかった。」

709 :
帝は無傷だったもんな
さすが長州
木戸さん高杉さんが言うとおり正義は長州にあり
無防備な対象を傷つけたりはしない

710 :
>>704
本物だけど、それが何か?って話なんだよ。
大政奉還しないで、朝廷を幕府が握ってれば、今も通用したかもしれないけどね。

711 :
本物といえば南北朝の後醍醐天皇の下で働いた楠正成とかさー
正当性を主張してたと思うんだけど、
勝てなかった訳で。そういう事なんだよ。

712 :
>>708>>709
その結果、帝の意志により、直々に、
長州は「 非の打ち所のない朝敵 」に確定した。 と、
そんな狂った事をしながら尊皇を叫ぶ長州って
ちょっと引くほど完全に頭がおかしい精神病患者さんだよね。

713 :
>>712
武装占拠して、陛下を脅迫しておいて何をwww

714 :
第二次長州征伐〜馬関の奇跡より〜
高杉:ぼくらは小倉の領地を攻めとりに来たんじゃない!筋の通らん理由で 長州を朝敵にした幕府が許せんだけじゃ
幕府兵:おいたちは熊本藩の者たい!こたびは幕府の命でやむなく出陣したばってん、長州に対しては 些かの恨みもござらんたい
高杉:ならば戦う理由はない。戦を避けることは 貴藩にとって何の恥でもなかろう!

715 :
>>714
えー、すまん。小倉藩の北半分は保障占領してるんだが。
ついでに、明治に入ってからそのまま長州藩の領地にしようとしてたし。
木戸孝允が止めさせたけど。

716 :
さすが木戸さん
高杉さん亡き後も彼の意志を守ったんだな

717 :
>>713
陛下の御意志にそって行動したもんに何言ってんの?
会津さんは長州のような狂った集団から京都を護るように
陛下からも直接賜っていたのも無かった事にするなんて
相変らず「長州お花畑史観」は痛いよねぇ

718 :
 福島県会津若松市は13日、山口県萩市に豪雨被害の義援金163万円を送った。
東日本大震災で萩市から2350万円の義援金を受けたため、「恩返しを」と
室井照平市長が市職員に呼びかけた。
 会津若松市の会津藩は萩市の長州藩と幕末の戊辰戦争で戦い、賊軍の汚名を着せられ
敗れた。過去に萩側から友好都市提携の打診があった際も会津側が断るなど、市民感情に
わだかまりが残るとされる。
 義援金には市職員の9割が協力。今年は大河ドラマ「八重の桜」で会津側の言い分も
紹介されたことから、歴史的和解の機運も高まるかと思いきや、室井市長は「歴史は
変えられない」ときっぱり。
http://mainichi.jp/select/news/20130814k0000m040077000c.html

719 :
>>708>>709
幕末基本ポイントさえ無かった事にできるって凄いよね?
自分に都合の良い
お花畑な歴史の捏造をしちゃえるメンタリティーって怖いよ

720 :
>>708>>709
会津さんが京都守護職として
御所(皇居)を護ってらっしゃった史実を受け入れて
長州さんのお花畑史観から
そろそろ目をさまさないと恥ずかしいよ?

721 :
御所に立てこもり帝を人質にした卑怯弱虫会津賊軍
鳥羽伏見の薩長軍とはエライ違いだw

722 :
>>720
京都守護職の職務=御所の護衛じゃねーよ。
818政変までは長州も御所の護衛にあたっていたのに、武力で御所を制圧して反対勢力を追い出したのが会津。
その上で、陛下を脅迫してご震撼をかかせるとか、なんという奸賊。
皇帝の意思だと偽って、功臣・忠臣を追い落とした中国王朝の宦官どもにやり口がよく似ている。

723 :
>>721>>722
京都守護職が帝をお護りしなくてどうすんの(笑)
長州ファンのお花畑史観はホントに程度が低いなぁ

724 :
佐幕ってマジキチw
列強の時代に徳川サムライ幕府様の時代を続けようとしてたんだからなw
勝などほんの一部以外脳みそ腐ってるねw

725 :
>>708>>709のように、
いまだに長州史観に洗脳がとけない人達って可哀想だよな
長州のような皇居にテロ攻撃するバカは
普通の日本人には嫌悪の対象だという常識も通じないんだもんな

726 :
今でも皇居に犯罪者が立てこもったら排除されるよw
鳥羽伏見で御所に進撃したのを見ても佐幕派が本質的に朝敵賊軍だったのは明らかだよw
佐幕は土下座して反省しろ

727 :
>>725
そういえば、長州は京で人気者だったね
会津と新選組は嫌われ者だった
普通の日本人とは一体誰のことだよ〜w

728 :
それにしてもよく長州は勝ち組になったよ。幕末はただの犯罪者だったのに、凄い逆転だよな。
半沢の倍返しをはるかに上回る。

729 :
>>728
まぁ、薩摩がついたからだけどね。
当時長州にはどこも武器を売ってくれなかった訳だけど
薩摩が売ってくれたから、第二次長州征伐に勝てた訳だ。
薩摩を追い出した徳川は、薩摩の恐ろしさをわかってなかったんだろうね。

730 :
犯罪者は佐幕派
(京の庶民の声)

731 :
>>726 現在でも皇居にテロ攻撃したバカがいたら日本の敵と認定されるように、蛤御門の変後も、
帝の意志により、直々に、
「 長州は 非の打ち所のない朝敵 」に確定した。

732 :
帝の意志により、直々に、
「 幕府は 非の打ち所のない朝敵 」に確定した。

733 :
訂正
帝の意志により、直々に、
「 佐幕は 非の打ち所のない朝敵 」に確定した。

734 :
>>732>>733 おいおい(笑)
皇居にテロ攻撃したバカ(長州)と一緒に並べられるような低能武士は
幕末時代に存在しないよ。

735 :
日本を異国の侵略から守らんといかんかった
それは帝の御為でもあった

736 :
しかし禁門の変後、 長州は本来の朝敵(国賊)となり、
その汚名を歴史に残した。

737 :
寺田屋騒動@
慶応2年 1月22日
龍馬と三吉に救出された弥太郎は寺田屋にて朝餉をとっていた
弥太郎「ふごっふごっ…」ガツガツ
龍馬「ハハハ。そんだけ飯が食えたら怪我の具合はもう大丈夫じゃの」
弥太郎「ここは、船宿かえ」もぐもぐ
龍馬「寺田屋いうてのう、京に来た時は必ずわしはここに泊まるき」
弥太郎「ええのう。わしは昨日まで飯のクソマズイぼろ宿におったがじゃ」ずびーっ
龍馬「ふはは…」
「おまん、薩摩藩の動きを探っちょったがか?」
弥太郎「…!」
龍馬「そんな役目、おまんには無理ぜよ弥太郎」
弥太郎「なーにを言いゆう。わしゃ都見物に来ただけぜよ」
「薩摩の動きを探るら、誰がそんなええ加減なことを…」
龍馬「ゆうべずっと譫言で言いよったそうじゃぞ」
弥太郎 「っ…」(´Д`)
龍馬「土佐藩も時代の流れに乗り遅れまいとしゆうがかえ」
「けんどの、おまんがうろちょろしたち何にもならんぜよ。また捕まって痛い目に遭うだけじゃ」
「もう飯はええがか?おとなしく土佐に帰りや」
朝餉を終えた弥太郎の膳を一階の登勢たちがいる台所に運ぶ龍馬
弥太郎「そんなことができるかえ!手ぶらで帰ったらわしは後藤さまにどんな目に遭わされるか」
話しながら龍馬の後ろを付いていく弥太郎
龍馬「おまんは、まーだあの男の使い走りをしゆうがか」
弥太郎「後藤さまは今や藩の大監察じゃぞ」
龍馬「お龍」
龍「はい」
膳を受けとる龍
弥太郎「脱藩したおまんと違うてのお、土佐で暮らしゆうわしらにとっては決して逆らえん御方ながじゃき!」
「わしはどういたらえいがじゃあ!」ドカッ
柱を殴る弥太郎
「痛っ…」
登勢「…」
龍馬「…ほんならわしが教えちゃる。これから世の中は大きゅう変わるがぜよ。徳川幕府の時代はもうすぐ終わる。もう土佐も幕府の顔色を伺うのはやめにしいや」
「後藤にはそう伝えたらえい」
弥太郎「待ちや」
龍馬「な、なんぜ弥太郎?」
弥太郎「どういておまんがそんなことを知っちゅう!」
「おまん、京で何をしゆう?」
龍馬「わしかえ。わしゃのう、日本の誰もが笑うて暮らせる世の中を作ろうとしゆうだけぜよ」(*´∀`*)
弥太郎「待ちやぁ!」 ガシッ
龍馬「いたいたた痛い、痛いぜよ」
弥太郎「土佐の脱藩浪士が薩長の間に入って謀反を企てたそうじゃ。そんな芸当ができるら、おまんしかおらんろう!ええ!?」
「あっちにもこっちにもえい顔ができるおまんしか!」
「わしはおまんのせいでひどい目に遭うたがか!?」

738 :
>>737のような空想物語とはちがう史実として
禁門の変後、 長州は本来の朝敵(国賊)と確定した。
それからの長州は火病を悪化させ
暴力によって我欲をゴリ押し、正義を捩じ曲げ、
腐った長州思想(勝てば官軍w)を日本に広めてしまい
日本人のモラルを低下させた。

739 :
劣勢からの逆転で巨大な幕府を倒したからこそ人々からも支持されたってことじゃね。長州は
山本覚馬が言うところの「徳川に抑えつけられてきた人々」の共感を多かれ少なかれ得た と

740 :
それにしても長州の大逆転は何度その辺の歴史を見ても凄すぎる。
安政の大獄の時の徳川は圧倒的に強かったし、攘夷というのも長州は間違った思想であったのは明らかである。
やはり思われるのは、孝明天皇の死であろう。まあ偶然ではない。暗殺であろう。
その結果、天皇は徳川よりではなく、一気に長州びいきになったのである。この辺が
大逆転の理由が見えてくるかもしれない。

741 :
寺田屋騒動A
弥太郎「ほんまのことを言いや!」
龍馬「落ち着きや」
ゴトッ…
弥太郎が龍馬の着物を引っ張ると懐から何かが床に落ちる
弥太郎「あっ…!そ…そ…それは…!…ピ、ピストル!!!?」
龍馬「あー…もう…」
「これはの 長州の高杉さんからもろうたがじゃ。いざとなったら これで身を守りや言うてねや」
拳銃スミス&ウェッソンを拾い弥太郎に見せる龍馬
弥太郎「…!」
龍馬「わしはの弥太郎、世の中の新しい仕組みを作ろうとしゆうがじゃ」
「それを成し遂げんと この日本を守ることはできんきにの」
弥太郎「新しい仕組み!?」
龍馬「幕府はもうフランスの後ろ楯なしには何ちゃあできんがじゃ」
「長州を滅ぼして幕府が再び天下を治めたら その時はもう日本は半分フランスのもんになっちゅうゆうことぜよ」
弥太郎「な…!?」
龍馬「けんどの 今度はアメリカ エゲレス オロシアらが黙っちゃあせん」
「わしにもよこせよこせと日本の分取り合戦が始まって、この国はバラバラにされ異国のえいようにされてしまうがじゃ」
「そうはさせんようにするために、わしらはこの国の仕組みを変えようとしゆうがじゃ!」
弥太郎「ばかな…ばかな…!」
「薩摩と長州が手を組むら、そんなことがあるわけないぜよ!!」
弥太郎「…」
龍馬「…」
弥太郎「…手を組んだがか」
龍馬「さっき言うたじゃろ」
弥太郎「おまんが組ませたがか!?龍馬」
龍馬「誰が組ませたか誰がやったか、そんなことらどうでもえいがじゃ」
「とにかくおまんはわしが言うたことを後藤象二郎に伝えたらえい」
「けんど今言うた薩長のことは誰っちゃあに言うたらいかんぞ弥太郎」
「言うてしもうたら…」
弥太郎「!」
龍馬の持つピストルの銃口が弥太郎を向く
そのまま引き金をひくとピストルはカシャン!と乾いた金属音だけを放つ
弥太郎「ひっ…!」
弾は入ってなかったようだ
龍馬「嘘ちゃw」

742 :
スレ違いの妄想マンガで嵐をするな>>741
>>740
酷すぎるという意味で凄いんだから話になんないよな、 長州

743 :
>>637>>639-640のやりとり、勝の台詞からも
攘夷という目的自体は正しいことがハッキリとわかる

744 :
>>743
こんな糞ドラマの空想話を本気にしてんじゃねーよwwwwwwwwwwwww

745 :
寺田屋騒動B
龍馬「わしゃおまんが友達じゃき言うたがじゃぞ弥太郎」
「もうのお、目先のことだけ考えちょったらいかん。商売をするがもえい」
「けんどの、この先日本がどうなるか、己は何をすべきか、そのことを考えながらやらんといかん」
「岩崎弥太郎ゆう男は、世の中がどう変わろうが、変わらん強さを持っちゅうきのう」
弥太郎「……」
十数分後、寺田屋をたつ弥太郎
登勢「今は表を閉めとりますさかい、裏口からで堪忍しておくれやす」
龍「お気をつけて」
弥太郎「おまんら、龍馬がどういう人間かわかって泊めちゅうがか」
登勢「もちろんどす」
弥太郎「あいつに関わっちょったら必ず巻き添えを喰うぞ」
龍「そんなの、恐いことあらしまへん」
弥太郎「……」
「相変わらずおなごにモテるのぉ…」
龍「え」
龍馬のいる二階の窓を見上げ、弥太郎は去っていく

746 :
寺田屋騒動C
部屋で龍馬が横になっていると、三吉が徳利を2つ持って入ってくる
三吉「坂本さん」
龍馬「ん…?おお」
龍馬と向かい合って座り、盃に酒を注ぎながら話す三吉
三吉「坂本さん。もう京をでましょう」
龍馬「え?」
三吉「新撰組が探しちょった土佐の脱藩浪士とは、間違いなく坂本さんのことです」
龍馬「けんどのお、わしゃ木戸さんとの約束があるがじゃき」
<回想:早朝の薩摩藩邸>
木戸「ぼくが密約の中身を書くけえ、坂本くんに裏書きを頼みたい」
龍馬「いや…ちっくと待ってつかあさい。わしがそれを書いたところで、何の力にもならんですろ」
木戸「ぼく達はきみの前で約束を交わした。坂本龍馬がこの世におるかぎり、ぼくも西郷さんも嘘はつけん!」
「裏書きを頼める人間は、きみしかおらんのじゃ」
龍馬「木戸さん…」
木戸「頼む坂本くん!頼む!」
土下座して龍馬に頼む木戸
<回想おわり>
龍馬「わしゃその裏書きを書くまでは京を離れることはできん」
三吉「木戸さまは、いつそれを…?」
龍馬「うん。すんぐに書くち言うちょったち、ちっくと待ってつかあさい」
三吉「ん…ぬあああ〜…」
龍馬「悩んだち仕方ないぜよ三吉さん」
三吉「わしの役目は坂本さんを守ることじゃ!」
龍馬「わかっちゅうw」
三吉「長州の大恩人の坂本さんに万一のことがあれば…わしは…わしはぁああ〜…!」
龍馬「わ、わかっちゅうき!ほれ、三吉さ…」
三吉「ふぅうう〜〜〜はぁあああ〜〜〜ふぅうう〜〜〜はあぁああ…」(__;)ハアハア
龍馬「ハッハッハッハッハw」
三吉「何がおかしかですか!」
龍馬「いんやあ、まっこと三吉さんはえい御人じゃねゃ」
「わしゃ三吉さんとは生涯の友になれそうじゃ!」
三吉「し…生涯の友!!?」
龍馬「うん」
徳利を持ち三吉の盃に酒を注ぐ龍馬
三吉「坂本さん!」
龍馬「お…ぉお…?」
三吉「わしは自分の命と引き換えにしてでも、坂本さんを守ります!」
龍馬「あ…ありがとう…!」( ̄ロ ̄;)
三吉「…!」
鼻をすすりながら盃に注がれた酒をグイッと飲みほす三吉

747 :
木戸、三吉
さすがに長州は責任感が強い

748 :
>>746
お前、もういい加減にしろよ(怒

749 :
龍馬伝を史実だという馬鹿 VS 会津観光史学を史実だという阿呆
もっと争えwww

750 :
争いを好む徳川幕府支持者

751 :
龍馬伝オタって、大学、いや高校出てるのか?
でなければ外人か?

752 :
義理堅いなあ
長州と薩摩

753 :
寺田屋騒動D
登勢「二、三日?」
龍馬「うん」
「長うてもそれくらいしかここには居られん。お登勢さんに迷惑はかけられんきの」
登勢「そんなことは気にせんといて言うたでしょ」
登勢「今朝お二人が無事に戻ってきてくれて、あてらは嬉しいのやさかい」
「なあ、お龍ちゃん」
龍「…っ」////
登勢「そやかてずっとここに隠れとるわけにはいかしませんわなあ」
「京を離れたら龍馬さんはどこに行かはる?」
龍馬「長崎に戻るがじゃ」
龍「長崎?」
龍馬「…うん」
「もう京には戻れんろ。わしは…お尋ね者になってしもうたがじゃき」
龍「もう…お別れなんどすか?」
龍馬「…!」
登勢「…」
龍馬「そおゆうたらのう、長崎にはポッペンゆう面白いもんがあっての。ガラスで出来ちょって、こう…こういう形での」
「それに息を吐いたり吸ったりするとポッペンポッペンいう音がするがじゃ。今度おまんにもそれを送っちゃるき、楽しみに…」
龍「そんなもん要りまへ!ん」
自分の手をとる龍馬の手を払いのけ庭先に飛び出していく龍
龍馬「…」
登勢「はあ…」
「あて…お龍ちゃんに言うたことがあるの」
「龍馬さんは一つの所に落ち着くような人やあらへん」
「そんな御人に惚れたら、おなごは辛い思いをするだけや…て」
「そやかてな、あの子はもう覚悟ができとるわ。龍馬さんのことが好きで好きでたまらんのや」

754 :
お龍って、このころ何歳くらい?
そんな純情可憐な女でもないと思う。

755 :
あれだよな。お登勢さんの態度とか龍馬や長州の人を匿ってくれてる様子をみると帝がどうとか関係なく支持されてたんだなあと思えるわ
もともと京は民が独自の文化や生活を千年以上かけて築いてきたわけで
いかに徳川といえど外部からの武力行使のみで人々の心を支配することはできなかったのだろう。
また、貿易で自分たちの国を支え発展してきた長州や薩摩に少なからず共感しうる部分もあったのかもしれない
日本を守るとなれば、なおさら

756 :
百万の大軍 恐るるに足らず
恐れるべきは我ら弱き民 一人一人の心なり
高杉も言ってたね

757 :
>>754
お龍は24・5くらいだろう。
妹をヤクザから取り返して啖呵切ってるんだから、
純情可憐ではない。
むしろ・・・、(w

758 :
寺田屋騒動E
ー大阪城ー
慶喜「なぜ薩摩は返事をせん!何故じゃああ!」
老中「もしや薩摩は長州の味方をするつもりでは…?」
慶喜「たわけを申すな!薩摩が幕府を裏切るはずがない」
老中「し…しかし…」
慶喜「黙れ黙れえ!」
<不安を感じちょったがは慶喜だけではなかった>
<京都守護職 松平容保は龍馬捕縛の準備を進めちょった>
ー会津藩邸ー
伏見奉行の林肥後守が障子越しに容保の指示を受けている
林肥後守「寺田屋がありますのは伏見 宝来橋」
容保「捕り方の人数は揃ったのか?」
林肥後守「12名で寺田屋に参ります」
容保「少なすぎる…。10倍は増やせ」
目を瞑り顔を歪ませながら命じる松平容保(会津藩主)
林肥後守「その坂本某というのはいったい何をしでかしたのでございましょう…」
容保「いいから召し捕るんじゃあああああーーーっ!」ブチッ
ガタン!と障子を開け放ち林肥後守を睨み付ける容保
林肥後守「ひっ……」
容保「必ず召し捕れ」
部屋にいた家老たちは容保と目を合わせまいと視線をそらす
<薩長が手を結んだら、大変なことになる。龍馬捕縛も幕府にとっては密かに行わんといかんことじゃった>
ー薩摩藩邸ー
小松「大事なこつは、何時どげな形で長州と手を組んだことを世に知らしめるかじゃ」
西郷「今はまだ、おいたちは手の内を見せんほうが良しごわんそ」
小松「ちゆうと?」
西郷「すでに噂は流れちょいもす」
「幕府の動揺はいずれ幕府方の緒藩にも伝わり、長州への出兵に腰が引ける者も出てくるはずごわす」
<世の中はギリギリの攻めぎ合いが始まっちょった>
ー小松邸ー
やがて夜になり黙々と同盟の中身を書き記していく木戸
木戸「…」
ー寺田屋ー
着物を脱ぎ風呂に入る龍
台所で酒を飲む登勢
二階の部屋で何かを思い呟く龍馬
龍馬「……お龍…」

759 :
>>757
お龍は24・5歳くらい。とっくに当時の適齢期をすぎてるし。
妹をヤクザから救い出したエピソードからわかるとおり、ガラッパチな女。
当然、龍馬と知り合ったとき、処女ではなかった。
美人ではあるし、龍馬の好みだからなんとも言えないが、
「龍馬伝」でのお龍の描き方は、噴飯モノだ。

760 :
卑しく怯える松平容保
またしても自分らの手は汚さず

761 :
薩長は
革命とか低能な事する前に
とりあえず議論をつくせよ。 文明人としてさ
当時の政府は、
議会制政治にまで舵を切ろうとしていた史実。
ゆえに長州がやった内乱クーデターは 、 日本にとって無駄な損失でしかないよ。

762 :
これから西洋勢力と対峙して行かなきゃならん時に
無知さ全開の
外国の民間商船への攻撃や
薩英戦争の敗北によって 、 莫大な賠償金を発生させ
「日本国を疲弊させた迷惑薩長」

763 :
あげく
白人の手下のようになって
内乱クーデターの殺戮を実行し
「日本の国力を低下させた薩長」

764 :
>>735
他国の「民間」商船を攻撃することを帝が望んでる訳無いじゃんか

765 :
>>741参照
わかりやすい龍馬の解説に注目
龍馬「幕府はもうフランスの後ろ楯なしには何ちゃあできんがじゃ」
「長州を滅ぼして幕府が再び天下を治めたら その時はもう日本は半分フランスのもんになっちゅうゆうことぜよ」
弥太郎「な…!?」
龍馬「けんどの 今度はアメリカ エゲレス オロシアらが黙っちゃあせん」
「わしにもよこせよこせと日本の分取り合戦が始まって、この国はバラバラにされ異国のえいようにされてしまうがじゃ」
「そうはさせんようにするために、わしらはこの国の仕組みを変えようとしゆうがじゃ」

766 :
商船でも日本の金を吸い取り人攫いを旨とする夷敵には容赦は要らない
久坂と龍馬の会話においてもその正当性は証明されている
龍馬:久坂どの。わしに攘夷とは何ながか教えてつかあさい
久坂:あのー、私は年下ですが…
龍馬:歳らあ関係ないがぜよ。わしに、攘夷とは何ながか教えてつかあさい
久坂:な…なんちゅう素直な人じゃあ
:わかりました。ならば、私に答えられることなら何なりと
龍馬:まず日本はほんまに異国に侵略されちゅうがか
久坂:は?
龍馬:日本は開国して異国と交易しちょるけんど、わしには異人らあが侵略しに来とるようには…
久坂:……
龍馬:あ…いや、怒らんちょってつかあさい
久坂:いい質問です!
龍馬:え?
久坂:そうです、そこがわからなければ攘夷はできません!
ゴソゴソ
:たしかに異国は大筒を放ちながら日本にやってきたわけじゃあありません
:今も日本と異国は表向きは貿易を続けちょります
:西洋の銀貨五枚と日本の小判一枚。これが異国との金の取り引きの決まりです。
:じゃが、じつはこの小判一枚は銀貨五枚より遥かに価値があるんです。
龍馬:え
久坂:日本は異国に騙されてこんな馬鹿な条約を結ばされたんです
龍馬:ほ、ほんなら…日本の金は異国に吸いとられて、スカンピンになってしまうぜよ!!!(°□°;)
久坂:今も日本中であらゆる物の値段がどんどん上がっておるでしょう。財政や人々の暮らしは困窮していくばかりです
龍馬:どういたらえいがじゃ!
久坂:だから今こそ攘夷なんです!共に闘いましょう坂本さん!
龍馬:えええ?!!
久坂:攘夷は誰のためです?日本のためでしょう!帝のためでしょう!
龍馬:そ、それは…
久坂:坂本さんは松陰先生から何を学んだんですか!志があるなら、実行あるのみ!
龍馬:と、土佐には吉田さまという開国派の上士さまがおってその人の許しがのうては…
久坂:藩になどとらわれることはありません!日本を守ると決めたなら脱藩してでも立ち上がるべきです!
龍馬:脱藩んんんーっ!?
久坂:そうです!【脱藩】です!

767 :
>>766
なんでスレ違いの空想文で荒らしてんの?

768 :
>>766 もしもし?
とりあえず、スレ違いって言葉を知ってるの?

769 :
空想ではなく史実
正義は長州にあり
力は薩摩にあり
勇者は日本にあり

770 :
>>769
>766を、史実だと思っているの?

771 :
>>769 もしもし?
>766を史実だと断言するのは、さすがに恥ずかしいの?

772 :
>>766
なんで、龍馬が久坂ごときに、攘夷とは何かを教えてもらう話になるんだよ!!
どこまで、龍馬をアホあつかいするんだ。 このドラマは糞だ。

経済のことなら、ガリ勉の久坂よりも、実家が商人の龍馬のほうがよくわかってるし。
外国のことなら、川島猪三郎や河田小龍から聞いてる龍馬のほうが、攘夷キチガイの久坂より詳しい。
侵略から日本をどう守るかは、攘夷テロリストの久坂より、佐久間象山塾で砲術を学び、この頃は万国公法を勉強している龍馬のほうが、ずーっと考えてるんだよ。

二度と、この糞ドラマの再現を書き込むな。

773 :
糞ドラマ龍馬伝と会津観光史学、向いている方向は全然違うけど笑止千万といういう点では同じレベルだな

774 :
>>773
>>761-764はオレが書いたんだが
その中に、あんたの言う会津観光なんとかは含まれてんの?

775 :
色んなところでなんども同じ文章見るんだけど
君スクリプトじゃなかったのか

776 :
>>772
いやそれはない
まず一口に経済と言っても幕府が伏せてきた失態たる不平等な関税について詳細を知る者は少ないし
きちんと立証した久坂たちでなければ断言もまたできない。松陰の意志を継いだ者たちだからこそ、粘り強くこれが可能だった。小判と銀貨の例えやそれを大せんべいと小まんじゅうで表したのもわかりやすくユーモアセンスに富む
次に、佐久間は攘夷については知らない。ゆえに覚馬は勝麟太郎の大攘夷を知らなかったし一切の理解も示せなかった。
ゆえに容保や家老たちを野放しにして会津は自滅した。
そもそも佐久間は八重の桜においてさえ「わたしには7連発があるから護衛など要らん。目立つように馬に乗り練り歩くのが趣味だ。ほぉ〜れほぉ〜れ」とかやってソッコー背中からバッサリ斬られてた。
こんな間抜けなジジイが日本の役に立つ道理も無い
龍馬や勝や松陰ならこんなヘマはしない

777 :
>>776
龍馬も勝も松陰もその間抜けな爺の弟子ですが・・。

778 :
>>776
幕府による下手な開国によって、日本国内の金が大量に流出し、経済はインフレ状態になった。
詳しい因果関係はわからなくても、みんな開国のせいだとわかってた。
ゆえに攘夷思想が流行する。
龍馬は実家が大商人だから、この経済の仕組みはよくわかっていた。
なんで、尊皇攘夷イデオロギーに凝り固まった久坂ごときに教えられるんだ?
どう考えても、逆だろ。
龍馬をアホに描くのもいい加減にしろってことだ。
佐久間が攘夷については知らないって??
お前こそ、佐久間についても、龍馬についても何も知らない。
ドラマを史実と信じ込んでる大馬鹿者だ(笑
恥ずかしいから、今後はカキコを控えたほうがいい。

779 :
中国が空母。北朝鮮が核。領土の為ならそれらと連携しそうなロシア。
国内はといえばエネルギー&食料問題。
震災後の対応遅れによる、利益や国への信頼の損失など、色々不穏な昨今。
そんなリスク管理を再構築しなければ成らない今だから、
幕末・明治維新の無駄を反省して、高効率な対応姿勢を構築して欲しいと思っている。

だから、
ある種貴重な幕末・明治の経験を精査し直し、活かす事を毛嫌う人や
明治維新はなにが何でも全肯定しか出来ない老害や
今さらテロリスト集団長州を正義だなどという狂信的な人は、迷惑と思う。

780 :
寺田屋騒動F
外からカチャカチャと鎧や刀の音が聞こえ風呂の窓から外を見ると、そこには【伏見奉行所】の文字が記された提灯と兵士たちの姿が
お龍は急いで風呂からあがり浴衣を一枚羽織り龍馬と三吉の部屋へ向かう
トントンという音と「おばんです」という声がする玄関では登勢が戸を開いて応じると武装した役人たちが立っていた
登勢「何事どすのや」
役人「二階に客がいるだろう。名を言え」
登勢「ああ…、薩摩藩の西郷小次郎さんどす」
役人「嘘をつくな!土佐の脱藩浪士 坂本龍馬であろう!」
「どけ!」
そう言うと役人たちは登勢を押しのけ次々に宿の中に入ってくる
登勢「やめとくれやす!!やめとくれやす!!」
「きゃああああっ!おやめください!」
三吉「坂本さん!」
龍馬「三吉さん」
お龍「坂本さん!捕り方に囲まれてます!」
龍馬「相手は何人おる?」
お龍「うちが見たのは50〜60人」
三吉「もっとおる。表だけでも100人」
「窓からは逃げられん」
龍馬「…仕方がないのお」
「迎え撃つしかないろう」
三吉「…」
無言で頷く三吉は龍馬と目を合わせ、彼の指示を仰ぐ
龍馬は机の引き出しから取り出した銃弾をピストルに込めながら三吉に言う
龍馬「三吉さんは襖を外してつかあさい!」
すかさず黙々と作業に移る三吉
お龍「迎え撃つって!?相手は大勢どすえ!」
龍馬「おまんはここにおっては危ない。けがをするき下に降りちょけ」
お龍「いやどす。うちも戦います!」
龍馬「ばかを言いなや」
お龍「うちだけ逃げるわけにはいかへん!」
龍馬「お龍!!!」
薄着のお龍に自分の上着を一枚着せ両肩に手を添え、目を見て話す龍馬
お龍「…!」
龍馬「……」
「わしらを助けてくれるんやったら、今から伏見の薩摩藩邸まで行って、わしらが奉行所の役人に囲まれたことを西郷さんに知らせてくれや!頼むき」
お龍「死んだらあきまへん坂本さん」
龍馬「わかっちゅう…わかっちゅう!」
お龍「決して…決して…死なんといておくれやす」
龍馬「わかっちゅう!お龍…約束するき。いきや、はよう行きや!頼むき」

781 :
>>780
スレ違いだよ? テロリスト(長州)正義くん

782 :
寺田屋騒動G
役人たちが二階に行こうとすると、お龍が一階を見おろしながらゆっくりと階段を降りてくる
すでに登勢は槍を持った役人たちに取り押さえられている
登勢「…お…お龍ちゃん…」
役人「二階に坂本龍馬がいるだろう」
その問いに、お龍は笑みを浮かべながら答える
お龍「物凄く強いお侍さんたちならおいやすえ。喧嘩はやめといたほうがよろしおす」
役人「連れていけ」
お龍の肩に役人が触れようとした刹那
お龍「…」
パチーン と鋭い平手を役人の頬に見まうお龍
役人「こ……この女ァ……!」ワナワナ
お龍「…!」
そのまま鋭い目付きで彼らを睨み付けるお龍
役人「連れていけ!」
お龍「うちに触らんといて!
登勢「お龍ちゃん!」
役人たちに暴行されかけたお龍を庇い抱きしめる登勢
その登勢の耳元で簡潔に状況を伝えるお龍
お龍「…坂本さんたちは戦うつもりどす。うちは薩摩藩邸に…」
登勢「…!」
抱きしめられたまま玄関側に背を向けたお龍はそのまま振り返り外へと駆け出してゆく

783 :
>>781
>スレ違いだよ?
なんで、ここに↑ 疑問符をつける?
疑問符は疑問文につけるものと決まってるんだぞ。
疑問符を付けたために、この文章が疑問文になってしまったぞ。
スレ違いだと指摘したいのか?
スレ違いかどうか聞きたいのか?
どっちなんだ。はっきりしろ!

784 :
寺田屋騒動H
龍馬「高杉さんにもろうたピストルが役に立つ日が来るとはのぉ…」
三吉「わしが奴らを抑えますけえ、その間に坂本さんは逃げてつかあさい」
龍馬「わしだけ逃げるわけにはいかんぜよ」
三吉「言ったじゃろう!わしは己の命と引き換えにしてでも 坂本さんを守ると!!」(-_-)
龍馬「わしも言うたぜよ?三吉さんは……生涯の友じゃ」(゚∀゚)

785 :
こういう>>782のような
史実と空想の区別も付けられないのが
長州ファンのクオリティー

786 :
絶対正義でも絶対悪でもねーよ

787 :
>>783 はっきりいうと
○幕府 = 開国
×長州 =(現実を知らずに)攘夷で政府批判 →(政権とって現実を知り)やっぱ開国w
長州 = 民主党。 又は、それを超える迷惑な混乱の元凶。

788 :
>>785
おまけに東日本大震災を「天罰だ」とほざく朝鮮人みたいな人間もいるしね。
まぁ、教祖様の性格がそのまま反映されている様な人間がいるのは確かだな。

789 :
>>786 皇居にテロ攻撃したバカ(長州)は絶対悪と、 日本人的には思いますが?

790 :
開国にも議会政治にも理解が無く、日本の近代化を邪魔した長州って、酷いよね

791 :
今日は日本の総理大臣が初めて沖縄を訪問した日
平和を願う長州の吉田松陰や高杉晋作の心は佐藤栄作総理大臣にも受け継がれ非核三原則を創るに至る
ノーベル平和賞だから
オバマ大統領とも互角
劉暁覇さんとも互角
アウンサー・スーチーさんとも互角

792 :
>>784
いい場面だな。2人の台詞もカッコイイ
龍馬は三吉さんたちにとって大恩人なんだけどそれをハッキリ声に出して守る自負があるっていうのが…武士の鑑だなと。
よそ者ガー○○ガーとか言ってても人としての守るべき仁義は守れないっていうことがわかる
龍馬もまたそんな三吉さんを身分や立場に関係なく生涯の友だとキッパリ言い、命がけでそれを行動で示す
師匠の勝麟太郎が言っていた『やれ幕府だ長州だ土佐だ。そんなこと言ってる場合じゃねえ!』にも一致するね

793 :
>>792
非核三原則など全くのウソ。佐藤の平和賞など北鮮の金豚に会いに行っただけで
貰った南鮮の金大中や核廃絶を目標にすると言っただけで貰ったオバマと同程度
であるが、身を盾にして国家権力と闘っているスーチーさんや劉さんの足元にも
及ばない。

794 :
>>784のように
史実と空想の区別も付けずに歴史を語っちゃうのが
長州ファンの実像なんだよなぁ

795 :
深夜に押しかけた120人以上の手勢に襲われて生き延びた龍馬と三吉の2人
これは日本でもかなり有名な話だぞ
つうかまともなテンションでは迎え撃つなんて即決できんし降伏か切腹してしまうだろうになあ…すげーよ この2人
どこぞの田舎で自分らの城が燃えたとか勘違いして切腹した人にも教えてやりたいね

796 :
>>795 空想シナリオは終わりにしちゃうの?

797 :
御所に向けて発砲した長州と同じくらい、禁中並公家諸法度で皇族を圧迫した徳川家も悪なんじゃないの?

798 :
>>795 空想シナリオはやっぱり恥ずかしくなったの?

799 :
>>796
て、言うかRーシナリオだな。糞ドラマのデタラメなストーリー内容をカキコしながら
「あぁwwwww龍馬さぁんはスゴイよぉwwwwwwwwwwwあぁ!!!!!」なんて喘ぎながら思わず
射精なんかしたりしてね・・。本当にキモイよな。

800 :
俺はそうは思わない
いたって公平な史実

801 :
>>800
空想シナリオでいうと
正義は低能長州らしいけど、そろそろ悲しくない?

802 :
>>800
あんな阿呆な龍馬が史実だというのか。お前は許さん。

803 :
今回の大河は史実に反するエピは殆ど無いのに、木戸さんだけおかしいんだよな。
なんとなく漠然とした「長州閥」代表みたいにされてる。
理想主義的すぎて受け入れられずに引きこもっては大久保に引っぱり出されるを繰り返してた人なのに


804 :
>802
まぁまぁ、そいつは自演だから
>>769 のシナリオライターと
>>800 のRー支援者は
中の人が同じだよ

805 :
長州ってそのファンまで頭おかしいって事だな

806 :
>>803
確かに維新後の木戸は少し精彩を欠いていた面があるな、病気を
抱えていたのも一因だろうけど・・。

807 :
空想シナリオを史実と言い張り(笑)
自分でマンセーしてれば満たされてしまう、長州ファンのメンタリティー(笑)

808 :
>>803
大久保のほうがインテリじゃないと不自然になるよな あれじゃ何か更正気味のヤンキーみたいに見えるし西郷さんたちの主張もあまり触れてないという…
つうか伊藤だしてよ八重の桜
龍馬伝には結構出てたのになあ最終回でも新政府綱領に賛同してた。
あの段階で木戸さんは脱け殻みたいになってた

809 :
よっと

810 :
かっこよさの質的に武力だけじゃないのが龍馬と高杉の特徴だと思う
真実を見て己の成すべきことを見定めたなら巨大な敵にも立ち向かう
その姿にお登瀬さんたち弱き民も西郷さんたち強き武士も感化されていく

811 :
寺田屋騒動I
襖が外された二階の部屋の前に役人たちは刀を構えて立っている
三吉は龍馬の隣で低い姿勢で槍を構える
役人A「お前たちには不審の儀あり。奉行所にて話を聞く」
龍馬「そればあで済みそうな顔はしちゃあせんのぅ、おんしら」
役人B「これは伏見奉行、林肥後守様の上意である。神妙にいたせー!」
次の瞬間
龍馬は懐からピストルを取り出し天井に発砲
バアアン! と大きな銃声が響き渡る
役人たち『うわあああっ……!!』
三吉は彼らが怯んだ隙に槍で役人のうち6人に突きを見舞い、龍馬も自分に斬りかかってきた役人の1人を階段の方向へ投げとばす
龍馬「どきや!下がりや!おんしらあ!」
龍馬が叫ぶと一階から石灰のような粉の塊が投げつけられる
「う…っ」「げほっ…けほっ」
三吉「坂本さん!」
役人C「行け!早く取り抑えろ!」
再び壁際に詰めよられる2人
龍馬「こりゃ、ちっくと難儀じゃの三吉さん」
「もっぺん…やるぜよ!」
今度は床を撃つ龍馬。銃声と同時に跳弾が役人たちの間に飛びかう
役人「ぐわあああっ!」
龍馬「どきやぁ!」
役人D「怯むな!相手は2人だ」
三吉は龍馬の背後に回ろうとする役人たちを槍と体術で次々に倒していく
龍馬は役人たちの頭らしき男の斬撃をかわし刀を奪い腕を巻き付けるように間接技を決めた
役人の頭「なっ!?…うぎぁああああ!!」
龍馬「わしらを捕まえるために命を無駄にするがは勿体ないぜよ!」
そのままピストルの銃口を役人の頭の顔面に押し当て命令する
「下がらせや!」

812 :
>>811のように
史実と空想の区別も付けずに歴史を語っちゃうのが
長州ファンのレベルなんだよなぁ

813 :
>>811
この物語は、実在の人物を主人公にしたフィックションです。どうか
誤解のなさらぬように  by NHK

814 :
2人の強さが主人公補正によるものだけじゃないのが何とも素晴らしい
龍馬は北辰一刀流の免許皆伝でさらに海軍操練所で培った身体と軍隊格闘の心得があり
三吉さんは宝蔵院流の免許皆伝。高杉らと共に長州の最前線でフランスや幕府と戦ってきたベテラン戦士。勇敢でありながら機転もきく
まっことリアルじゃのう

815 :
>>813
長州ファンのこの人(>>769)が
頭のおかしい長州の史実から
目を背けて生きて行くための処世術なんだろうね(笑)

816 :
>>814
龍馬が、海軍操練所で軍隊格闘術を学んだなどと聞いたこともない。
龍馬が学んだ武術としては、
日野根道場で小栗流の免許皆伝。
これは剣のみならず、乗馬、水泳、弓、柔などを含む総合武術。
江戸桶町千葉で北辰一刀流の中目録(弟子に授与するものとしては最高位)。
しかし、土佐に戻って4年間の勉強時代に近眼が進行し、
長州の少年に負けるていたらく。
20代前半は桶町千葉の塾頭であり、玄武館名簿に記載されるなど、剣名をあげたが、
土佐に戻ってからはほとんど練習をせず、
和漢の歴史書や、砲術書、万国公法などを読み漁っていたのだから、
剣の腕が落ちるのは当然。
危機感を抱いて、脱藩の前には拳銃を入手していた。

817 :
熱く寡黙な三吉さんが最強過ぎるぜ

818 :
三吉さんの働きによる部分が大きいのは確か
でも一度は諦めかけた彼を再び立ち上がらせたのは龍馬
やはり正義は長州にあり
援軍に行く薩摩もカッコイイ!
考えてみたら寺田屋騒動は薩摩と長州が初めて力を合わせた瞬間なんだよな

819 :
寺田屋騒動J
役人たちの頭(以降、役人S)に銃口を突きつけた龍馬は三吉と共に階段を降り一階まで来ていた
役人S「さ…さがれ…!」
龍馬「命を無駄にしいなや!下がりや!」
天井に発砲しながら役人たちに呼び掛ける龍馬
そのまま出口まで行こうとした瞬間、外から役人たちの押す大八車が玄関に突撃
出口を塞がれてしまった
さらに役人たちが命令を無視して斬りかかる
役人S「ひいっ!…よ…よせ…」
他の役人たち「構うなー!かかれえ!」
龍馬「どきや!下がりや!どきやぁ!」
龍馬は叫びながら役人Sを斬りかかってくる役人たちに投げ飛ばす
素早い動きで役人EFG3人の斬撃を避ける龍馬はすかさず役人の槍を奪い刃のついていない柄の部分で応戦するも今度はHIJK4人がかりで槍を抑えられてしまう
そして右側に回りこんだ役人Lの刀が龍馬の右手に向かい降り下ろされる
龍馬「ああああっ…!!!」
三吉「坂本さん!」
龍馬の傷口から滴る血の量を見て三吉は即座に叫んだ
「行ってつかあさい坂本さん!」
龍馬「三吉さんを置いてわしだけ逃げるわけにはいかんぜよ!」
三吉「行ってつかあさぁあいっ!!」
龍馬「…!」
「うあああああ〜っ」
一旦躊躇し叫びながら階段下の小窓を突き破り外に飛び出す龍馬
三吉もその穴から外に脱出し、すぐさま槍で階段を貫き捻って引っ張る
階段は刺さった槍もろともガラガラと大きな音を立て崩れ落ち、龍馬たちが脱出したあとの穴を塞ぐ
役人たち「しまった!出口を探せ!奴らを逃がすな!!」

820 :
寺田屋騒動K
役人たち「探せ!逃がすな!!」
夜の闇に役人たちの怒号が飛び交う中
龍馬と三吉は無我夢中で走り続けた
しかし傷ついた龍馬は途中で倒れてしまう
三吉「坂本さん!しっかりしてつかあさい」
龍馬「だ…大丈夫じゃ!大丈夫じゃ」
三吉「坂本さん こっちじゃ!」
龍馬「うああー…ぐぅう…」
三吉はもう龍馬が走れないと判断し彼を担ぐようにして近くの材木置き場へと入っていく
一方、先に寺田屋を出たお龍も薩摩藩邸へ走っていた
着物ははだけ、草履も脱げボロボロになりながら伏見の町を駆ける
三吉「坂本さん!」
龍馬「血が…血が止まらん…!」
三吉は自分の着物を破り、その布を龍馬の左腕に巻いて目一杯縛った
「ぅうあああああっっっ…!!!」
激痛である
龍馬「もう…もう走るがは…」
「走るがは無理じゃねゃ…」
三吉「ここにおっても、いずれ見つかる」
「奴らの手にかかって殺されるくらいなら…ここで潔く腹を切りましょう…!」ダンッッ!
そう言うと三吉は刀を床に置いて座り、脇差しを自分の腹に構えた
「坂本さんを守れんで、わしだけが生きちょるわけにはいきません!!」
龍馬「いかん……いかん…!」

821 :
寺田屋騒動L
三吉「坂本さんは長州の大恩人じゃ。長州と薩摩を束ねるどもという 誰にもできんことを やってのけた凄い御方じゃ…!」
「坂本さんと共にRるんなら、わしゃ本望です…!」
龍馬「ああ…ありがとう三吉さん…」
「けんどの…けんど…腹を…腹を切るがは…」
震える手で三吉の持つ脇差しを掴み奪う龍馬
「いつでもできるがぜよ…!」
三吉「…!!」
龍馬「あきらめてはいかん…!」
「三吉さん…三吉さんは、薩摩藩邸…薩摩藩邸へ行って…」
「行ってつかあさい!」
三吉「坂本さん!」
龍馬「もし、もし途中で捕まったら、その時は覚悟するき…」
三吉「坂本さん」
龍馬「行ってつかあさい…!」
三吉「…必ず戻ってくるけえのお…!!」
噛みしめるように約束し、三吉は小屋を出る
その頃、お龍は薩摩藩邸にたどり着き門を叩いていた
お龍「開けてください!早く開けてください!開けてください!」ドンドン!ドンドン!
薩摩藩士「ないごつか!?こげな時間におなごが、帰れ」
お龍「お願いします!坂本さんを助けてください!お願いします!お願いします
助けて下さい!!」
薩摩藩士「…坂本!?」

822 :
坂本龍馬・いろは丸事件(中) 
崩れる龍馬のイメージ…国際法タテに1万両要求した銭ゲバ≠ヤり、紀州藩の無知につけこむ
> 龍馬には「紀州藩は万国公法のことを詳しくは知らないだろう」という目算があった。
> 万国公法はアメリカの法学者が著した国際法の教科書で、日本国内に入ってきたのはつい最近のこと。
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130825/wlf13082507010003-n1.htm
> 今回の事故で、いろは丸側に国際ルール上、重大なミスがあった。西から東へ向かういろは丸と、東から西へと向かう明光丸。
> この2隻が衝突しそうになった場合、お互いに面舵(おもかじ)、つまり右折して回避することになっている。
> だが、いろは丸は左折し、右折の明光丸に衝突している。
>
>  国際ルールに明るい龍馬は知っていただろう。ところが船も積み荷も沈み、これでは商売にもならないため、
> この交渉いかんでミスを帳消しにでき、多額の損害賠償をものにできるという計算もあったと思う。
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130825/wlf13082507010003-n2.htm
> 動揺を隠せない高柳は明光丸に搭乗している勘定奉行の茂田一次郎と相談した結果、「金一封(千両)を出す」と返答した。
>
>だが強気の龍馬は「なんじゃき、そいは!」と紀州藩の申し出を突っぱねる。
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130825/wlf13082507010003-n3.htm

823 :
>>822
明治の土佐閥によって作り上げられた虚構「坂本龍馬」。こんなヤクザまがいの
男が本当に日本のためだけという純粋な動機で行動をしていたという一種の捏造
を史実と信じて疑わない手合いがしたり顔で「会津の怨恨史観は朝鮮人並み」など
とほざいているとは、全くの笑止千万である。

824 :
寺田屋騒動M
薩摩藩邸へ急ぐ三吉は途中14人の捕り方に遭遇する
役人I「いたぞ!」
三吉「…」
役人たちが駆け寄るとすぐに近くに立て掛けてあった竹竿を手に取り構える三吉
役人J「う…!」
役人K「ええい!」
正面二人が斬りかかる前に鋭い面を見舞う三吉
さらにその後ろから刀を構えた役人Lにも突きを喰らわす
役人JKL「うごぉあああっ!!!?」
さらに左右に回ろうとする槍兵MN2人を機敏な動きでやり過ごし
奥で梯子や刺股を構えた役人OPQRST6人の急所に突きを浴びせる
O「くわぁっ!」
PQRST「うぎゃあああっ!!」
最も踏み込んできた役人UVW3人には竹竿を真横に突きだしそのまま腹にぶつけ投げ飛ばす
UVW「ぶひぃいいっっ!!!」
そして近くにあった木の棚を倒し追っ手の進路を塞いで再び薩摩藩邸へ走り出す三吉
役人「ま…待て…!!」
その頃、龍馬は傷ついた身体を押し二階の窓から屋根の上へと移動していた
龍馬「これは…星が……ううう…星が…」
「星が見えちゅうがか…?も……もう…星も見えんぜよ…」
「木戸さん……。…木戸さん…すまん……ごめんちゃ…わしは…約束を…」
「守れん…守れんかもしれん……。うぁあ…っ………あとは…頼んだき……木戸さん…西郷さん……」「お龍…お龍…お龍…!」
-薩摩藩邸-
西郷「坂本どんが襲われた!?」
吉井「伏見の寺田屋で奉行所の捕り方に囲まれたそうごわす!」
「捕り方の数150名余りに対し坂本さんの警護は…一名のみ…!!」
西郷「吉井!伏見に兵と医者を送り込め」
吉井「はっ!」
西郷「坂本どんを死なせたらいかん!!!」
友を想う西郷の叫びが薩摩藩邸に轟く

825 :
>>816
龍馬はどんな本を読んでいたんだろう?
どこかに、読書リストがないかな?

826 :
寺田屋騒動N
薩摩藩邸では家老の大山と吉井が医者と数十名の武装兵を従え待機していた
偵察隊「大山さあ!」
大山「おお!坂本どんは どげした!?」
偵察隊「寺田屋には もう居られもはん」
「伏見奉行所の者たちが血眼になって捜しちょいもす!」
お龍「生きてはるねんね!?坂本さんは」
偵察隊「いや、そいは判らん」
「もう捕まっちょっかもしれもはん!」
吉井「いやはやいかん!」
そこに猛烈な勢いで近付いてくる1人の足音
「何者だ!」
お龍「三吉さん!」
取り押さえようとする薩摩藩士を払いのけて三吉が跪く
三吉「長州藩士 三吉慎蔵です!」
「坂本龍馬どのは 濠川沿いの材木置き場にぃぃぃっっっ!!」
お龍「…っ!!」
大山「よし!助けに行っど〜!」
救出隊「はっ」
武装兵たちは槍やミニエー銃を手に薩摩藩邸を飛び出して行く
お龍「三吉さ…」
三吉「坂本さんは生きちょります!ここで待っちょって下さぁぁいっっっ!!」
お龍「!」
三吉はお龍の肩を掴んでそう言うと救出隊と共に再び龍馬の元へと向かう
-材置き場周辺-
捕り方たちの声が飛び交う-役人X「ム…!」「血の跡があるぞ」
Y「近くにいるはずだ」
Z「捜せー!」

827 :
西郷さんも三吉さんもかっけー!
薩摩と長州が過去の確執を捨て友を救うために奔走する!!

828 :
>>822の様な新説が出ているなど、薩長史観のメッキが剥がれつつある現実が
あるのにも関わらず。いまだに100年以上前に確立された史観から脱却出来ない
手合いが、この様な糞ドラマのシナリオを連呼させたり、敵側の史観の不具合ぶり
を散々中傷誹謗(薩長の史観も冷静に見ればかなりの不具合が見受けられるクセに)
しまくりながら、激しい自己陶酔に浸っているのである。

829 :
>>825
甥の高松太郎は、「脱藩前の龍馬は本ばかり読んでいた」と言ってる。
龍馬の読書リストって知らないけど、
まず、徳弘孝蔵塾で洋式砲術の免許皆伝を受けてるから、それ関係の本は読んでるね。
これは語学や弾道計算のための数学の書も含む。
仲間との会話で、「いま史辞通鑑を読んでる」と語ってる。
これは中国の歴史書。だから、それ以前に日本の歴史書も読んでるだろう。
日本外史は当然として、吾妻鏡、大鏡など。
同じく仲間との会話で、「これからはこれ(万国公法)の時代ぜよ」というのもあった。
龍馬の実家は金持ちで、長崎回船問屋が親戚だし、入手は可能だっただろう。
河田小龍が近所に住んでいて、龍馬と意気投合していた。
河田といえば、「漂巽紀略」だが、これの正本は藩を通じて幕府に献上。
しかし、河田の手元にはジョン万次郎から聞いた膨大なメモと原稿が残っていたはず。
龍馬は河田にとって弟子以上の存在だし、メモや原稿を読ませてもらったんじゃないかな?

830 :
>>826
いくら長州の真実がキティだからって
妄想世界に引きこもるのは寄せよ(笑)

831 :
(龍馬伝「馬鹿んの奇跡」のワンシーンを見て)
谷原章介「せいぎはちょおしゅううにありぃぃぃwwwwwwwwwww」
ワーーーーオーーーーーーーーーwwwwwwwwwwwwwwwwwww(長州勢の雄叫び)
薩長オタ 「ウーーーーッ」
 ドックン!!ドックン!!!(射精する音)
薩長オタ 「やべぇ!!(感動の余り)出しちゃったよwwwwww」

832 :
【歴史改竄】肥後人が大河ドラマ「篤姫」の舞台を熊本てことにしようと必死な件
ttp://movie1.search.biglobe.ne.jp/video/watch/2801f0df885b6ed1

833 :
まあ史実だからな
悔しいのはわかるが
日本人として歴史に思いを馳せるのはごくごく自然なこと

834 :
>>832
いつから熊本は朝鮮になったんだ?

835 :
>>833
こんな屑ドラマの内容を本当にあった話だと信じて疑わないとは
全くのお花畑脳だわ

836 :2013/09/17
腰抜け幕府が滅びてよかったよ
志士達に感謝
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