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戦国期の公家について語ろう


1 :2006/06/12 〜 最終レス :2013/08/14
公家といったら近衛家ばかりに目がいきがちだけど
その他もいろいろ語ろう

2 :
ダエイ

3 :
公家達が全国の武家達に金を恵んでくれ〜と駆け回っていた。

4 :
一条家は公家大名なのに、戦国末期まで生き残った。
そう考えると凄い。

5 :
誰も相手にせえへんかっただけやないけ。

6 :
九条さんしかシラネ

7 :
九条さんねえ
唐橋在数の絡みをのぞくと、陰薄いよね
稙道なんて関白になっても、任関白の拝賀が行えなかったし、
摂津、播磨に下ってるし

8 :
政基の日記ぐらいしか資料ないのかな?
当時の荘園経営に興味あるんだが…。

9 :
政基公旅引付のことね
尚経の雑記
稙道の嵯峨記もあるらしい

10 :
公卿補任にも載ってる三木嗣頼をどうにかしてやってください。
よっぽど室町殿に献金したんだろうか・・・

11 :
菊亭がいるだろ

12 :
薬作って売ったり、病人を治療したり、医者のような仕事をしてる公家がたくさん居たらしいよ

13 :
半井家がほぼ獲得

14 :
摂家では鷹司だけだな
どこにも下国していないのは

15 :
これだから信長の野望はかりやってる椰子は
とかなんとか言いつつも結構陰薄いよなお公家さん。

16 :
でも天皇家より公家の方が、裕福だよな。

17 :
兼見のように、祈祷してやった百姓からの実入りを日記に書いてるね
金額が多い日は嬉しそうに日記を書いてたんだと思うとなんか笑えてくるよなw

18 :
横山光輝の信長の山科はひどかった

19 :
>>17
何もできない摂家なんかより
神祇大副で吉田神社神職のほうが、厳しい時代は生活しやすかったのかな

20 :
>>18
というより公家衆の中でも特定の権益を有す家はそれなりに生き残れたんだろう
ただそれを維持するためには山科のように室町殿や幕府に権利を主張したり
九條や一條のように直接自領経営に赴いたりと、たたあぐらをかいていたわけではないわけだな

21 :
>>20
山科の得意分野は医術ですか

22 :
家業の他に琵琶湖の座の権益も持ってたよ

23 :
>>20
>たたあぐらをかいていたわけではないわけだな
年貢(って言うのかな?)が入って来ないだろうから、やむにやまれず行動する人が多かったのでしょう

24 :
切羽詰ってたみたいだけどね。
横領は日常茶飯事だろうし、下手したらまったく都に届いていなかったんじゃ?

25 :
>>23-24
山科なんかは家宰の大沢が散点してる山科領を東奔西走して
在地勢力の横領に四苦八苦してますな。飛騨にあった山科領は京極に横領されたため大沢が出向いてるし
名字の地山科も細川の被官に横領されて住民が蜂起したり
山科自身が逃亡先の将軍の住居や細川の陣所に出向いたりしてる
出張費用や贈り物、交渉経費は全部自己負担だから
山科など戦国末期でも多少は所領を維持できた家以外は
泣き寝入りしかなかったんだろうねい

26 :
1: 伊勢北畠氏
    「神皇正統記」で知られる北畠親房の子孫が伊勢国に地盤をはって発展していった家系で村上源氏。 南北朝の
    頃から一大勢力だったこともあり、支族も多く、木造・大河内・田丸・星合なども家が分立してます。 累代伊勢国司
    として勢力を振るう一方、権大納言を極官として公家としての体裁も整えていました。 しかし戦国末期、織田信長に
    敗れ信長の子信雄を養子に送り込まれる形でお家を乗っ取られ、やがて一族謀殺されて本家は滅亡しています。
    分家の上記支族は江戸時代に入り幕臣として仕えています。
2: 飛騨姉小路氏
    南北朝時代に南朝より国司として赴任した姉小路家綱が祖先。藤原氏。 武力を蓄えて南朝(といってももうこの頃
    には有名無実化していますが)の拠点として飛騨を支配し、北朝の足利将軍家の一門である斯波氏と闘争してい
    ます。 1411年の戦い以降、おそらく所領争いか跡目争いのせいなのでしょうが、この家は小島家・小鷹利家・
    古河家に分立、一時期は同時に国司を名乗っていたようです。 公家としては権中納言を極官としていたようで、
    後半になるとそこまで上れずに中将あたりで足踏みしている例が多く見られます。この家も下剋上の波に呑まれて
    戦国時代後半になると豪族の三木氏に家を乗っ取られ、 三木嗣頼などはご丁寧に自ら姉小路嗣頼と名乗り、
    朝廷から官位をもらっています。 しかしこの三木改め姉小路家も小国の哀しさ、全国統一の波の中で消えていく
    運命でした。 ちなみにこの「正統」姉小路家の一族は歌道に優れ(って、この時点ですでに戦国の荒波を乗り越え
    られそうにないですが)、 宮中に何度も参内しています。これなどはやはりこの一族が大名よりも公家であった
    本質をあらわしているでしょう。ちなみにこの一族関係や記録は余り残っておらず、 これからの資料発掘が望まれ
    ます。
3: 土佐一条氏
    関白の一条教房が戦国時代に自分の領地であった土佐の中村に下向したのが最初です。ようするに疎開した
    人がそのまま居ついて大名化したものです。 とびきり上流階級だったこともあり、土佐中村のように官位など
    持っている人がいないような土地では大変歓迎されたようです。 大納言が極官だったようですが、やはり京都
    との縁が遠のくにつれて官位も高くなくなっていきます。 末期の兼定はキリシタン大名として知られています
    (洗礼名ドン・パウロ)。 長宗我部氏の土佐統一に伴い領地を失い滅亡し、最後の内政(左近衛中将)は自殺。
    支族もいたのかもしれませんが、資料には出てきません。おそらく没落したのでしょう。 この一族がミニ京都
    として整備したおかげで現在の中村市街は「小京都」として観光客を呼べるわけです。
その他、伊予国の西園寺家というのもあります。 南北朝に逃げてきた西園寺の一族がいつのまにか勢力を蓄えて
戦国時代に宇和島近辺を中心に支配、土佐一条氏とはずいぶん公家同士で争ったようです。 しかし実はあまり資料
がなく、本当に南北朝からあったのか、どういう系譜だったのか、いまひとつ明らかではありません。 ただ伊予国は
西園寺家の知行国(大雑把にいえば国司任命権を持つ国)で同家の領地扱いだったことをみれば、西園寺の庶流が
流れていたのは確かなのでしょうが・・・。ちなみに公家出身とはいっても本流とはかなり疎遠だったこともあってか
官位的には高くありません。近衛少将どまりだったようです。この家も長宗我部氏の伸張に伴い滅ぼされていきます。
富小路氏
    
摂家の二条家の傍流、ということになっていますが、やはり当時の文書にはそのことは載っておらず、いくつかの
論文ではその出自は二条家ではない、ということになっています。ではどこかというと、どうも一般庶民だったよう
です。つまり室町時代に経済の発展に伴い土倉(金融業)でお金を貯めて系図を買って貴族の仲間入りという
線があるようです。

27 :
そうは言っても、摂家も清華もみんな生き残ったんだからしぶといわな

28 :
朝倉、今川、大内のおかげで
公家文化に浸るのが悪とみなされてる。

29 :
>>28
決して義元も義隆も全部ダメというわけじゃないけどね
義元は死に方が無残
義隆は月山富田城の敗戦後、戦に興味を無くしたのがな

30 :
>>25
山科家雑掌・大沢氏というのは後に徳川幕府の高家になった大沢氏とは関係有り?

31 :
>>30
関係ないと思う
高家初代は大沢基宿
祖父大沢基相ー父基胤は今川家家臣で遠江堀江城主
それがなんで高家はよくわからないけど

32 :
>>31
当てになるかどうか分からないけど
大沢家の母方が皇族とか
wikiではかかれていますな
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E5%AF%BA%E5%AE%AE

33 :
大宮様の娘と大沢基胤の子か
堀江城は浜松市だからありそうな話ですね
ちなみに大沢の祖は基秀、道長ー頼宗ー俊家ー基頼ー(略)の流れ
貞治年間 (1362〜1367)に丹波大沢から堀江に移り住んだようだ
家系は大したことがないと思いますが

34 :
>>30
全然別系統。ちなみに大沢は藤原北家魚名次男鷲取流で下北面出身の地下・諸大夫

35 :
公家って日記職人だったのか

36 :
摂家の動向
近衛・・・稙家近江に流寓、前久越後や薩摩の下る・摂津や丹波に流寓
九条・・・政基和泉などに下向、稙通摂津播磨に下向
一条・・・教房土佐下向し土佐一条氏へ、房通・内基も一時土佐へ
二条・・・尹房備前周防に下向
鷹司・・・在京

37 :
ところで思ったんだけど
摂家で戦乱に巻き込まれてで死んだのは、一条政房、二条尹房ぐらいだね
(一条兼定もと言えばいえるが)
足利将軍、鎌倉公方、管領や関東管領らの武家の名門は、殺されたり戦乱で死んでいるんだけど
摂家は殆どいない
武家じゃないからなのか
たまたまなのか

38 :
陶の謀反といい、幕末の七卿落ちといい周防長門は鬼門だなw

39 :
良豊も含めまさに遭難って感じだ

40 :
実力の無い公家が没落する時代の中、武士ではない土佐一条氏が、領地を有し実効支配していたのは、やはりすごいことだと思います。
土佐一条氏は徐々に戦国大名化するわけですが、守護代や国人からの成り上がりの多い戦国大名の中で異色の存在と言えます。
ですので、曲がりなりにも戦国末期までその命脈を保った一条家の領国政策などは改めて再評価されるべきでしょう。最近の土佐一条氏の研究では、一条氏と長宗我部氏との官位の比較から、
「土佐一条氏(内政、天正五年、従四位下右近衛中将に叙任や子、政親、天正十四年十二月、従四位下摂津守に叙任)が長宗我部氏を超越する存在であった、とする論考も出てきている。」(引用文はくらのすけ屋敷より転載)
と一条氏を再評価する動きもありますので、今後一層の研究の進展が待たれます。

41 :
>>40
土佐一条氏に関しては閨閥関係もまだ整理されてないよね
伊東義益に嫁いだ娘については土佐一条氏関係の資料を見てもまず出てこないし
先日日本史板で「一条兼定の娘で大奥仕えしていた女性がいた」という話を教示されて
仰天したことがある。

42 :
教房は関白ですから
格だけいえば図抜けている
領国政策も良かったんでしょうね
そうでなければすぐ追放されちゃう

43 :
公家は意外と強い

44 :
そうそう兼定は権中納言じゃないですか
よく見てみれば

45 :
藤原氏がしぶといのは当然と思う
なにしろ戦国時代の八百年も前から権力闘争に明け暮れてるんだから

46 :
近衛文麿が組閣時に記者団と交わしたやりとりを思い出した。
記者「歴代総理大臣としてはかなり年令の若い就任となりますが」
近衛「私の先祖なんてもっと年少で宰相を勤めてますよ」

47 :
近衛文麿っていえば
応仁の乱の話もあるよね
歴史を背負うて生きてるんだよね、摂家の人は

48 :
>>45
同じ人物が八百年も争っていたわけじゃないし。

49 :
同じ氏が常に中枢に関わってる時点で凄まじいよ。

50 :
そんなこと言ったらなんだかんだ言って途絶えず続いてる天皇家が一番すごいじゃないか。

51 :
だから天皇家が一番しぶとくて
藤原氏もしぶとくて、ってことでしょ
別に>>45は藤原氏が一番しぶといとは言ってないし

52 :
>>51
そっとしといてやんなよ。そういう年ごろなんだからさ。

53 :
>>35
九条殿遺誡で藤原師輔が「昨日の日記を書きなさい」っていってるから
この遺言を守ったんだと思う

ところでこの遺誡は日常生活中心だけど
摂家をはじめとする公家は、祖先と関連して歴史から教訓を十分学んでいるんだろうね
そこから自然と身につくんじゃない、処世術みたいなものが

54 :
伊勢北畠氏って
南北朝時代にあれだけ足利氏に敵対したのに、よく戦国後期まで生き残れたよね。

55 :
>>54
顕能以来多家城を拠点として、南北朝合一までしぶとく頑張ってましたから
ついに義満に所領を安堵され、その後応永五年(1398)には伊勢守護に・・・
一時反乱を起こし討伐されるも、赦免され所領も回復
このまま戦国大名に・・・

56 :
むしろ北畠は次代が下れば下るほど将軍家に頼りにされ、溺愛されていくんだが

57 :
赤松満祐の子教康の首を幕府に進上した、教具とか
義材・義晴・高国に接近した材親、晴具のことかな

58 :
公家は下手に触ると厄介。

59 :
北畠は朝廷に相当礼物を献上して、権大納言などになっているようですね

60 :
中院通万の頃から極官は権大納言だな

61 :
戦国時代の公家といえば、大坂の陣になぜか参加して人知れず討ち死にした持明院基久wwwww

62 :
伊勢北畠氏・飛騨姉小路氏・土佐一条氏のことを俗に三国司などというが、
南北朝期から現地に土着している北畠氏・姉小路氏に対して、応仁の乱以降に
現地に下向した土佐一条氏は成り立ちが異なる。
成り立ちという点に着目すれば、むしろ土佐一条氏よりも伊予西園寺氏のほうが
北畠氏や姉小路氏に似ているといえる。

63 :
>>61
なんで参陣してるのかな?

64 :
ムシャクシャして参陣した、今は反省するにも首がない。

65 :
いや、もう少し普通の理由あるんじゃね

66 :
>>61
勅勘でも受けてたの?

67 :
>>28
悪とみなされるのは
平家物語の影響が強いと思う。

68 :
生仏以来、平曲として広まっただろし、読み本系諸本も知識層に広く読まれた=平家

69 :
| パンが好きだお   __      __
|         (⌒⌒⌒)::) (⌒⌒⌒)::) ____
|⌒ヽ      .| ^ω^ |:::| | ^ω^ |:::| | SALE |
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⊂ノ     | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| ̄ ̄ ̄|
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            幸せだお〜
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70 :
持明院の話は結論に至らなかったかあ・・・
次の話題か

71 :
公家は経済的な理由で、大名のもとに寄寓すると、
和歌、蹴鞠の教授や色紙の揮毫などで、謝礼をもらうことができた
京にいるよりずっと経済的に豊かであったので、好んで下向をした


72 :
下向した公家で一番有名なのは、近衛前久かな

73 :
・文人貴族の末裔である。
・歌が好きで、『古今和歌集』や『新古今和歌集』を愛読した。
・私家集もある。連歌も巧であった。
・蹴鞠もやっていた。
・大成される前の茶や立花にも手を出しており、能も舞っている。
・『源氏物語』や『徒然草』も愛読していた。
しかし、氏真と違って文化人のイメージがない毛利元就。

74 :
ガチで烏丸少将綾麿でおじゃるw

75 :
元就は従四位上陸奥守
氏真は従五位下治部大輔

76 :
大内義隆、従二位兵部卿

77 :
>>61
こいつのジイさんも陶晴賢の謀反の時に巻き込まれて討死したんじゃなかったっけ?
ま、養子だから血の繋がりはないにしても、何だか不運な家系だなw

78 :
不運と言うか、生まれる家を間違えたというべきか

79 :
基久の実の父は正親町季秀、その父は庭田重保だよね
持明院基規か
それにしても大内義隆とともに逝ったのは、
二条尹房、二条良豊、持明院基規、三条公頼と多いね

80 :
トリビア! 
なんと、貧乏で餅もつけなかったという公文重忠も公家だった!

81 :
まじ?

82 :
基本的に土佐の古代史は文献が散逸していて、
土佐公文家がどういう経緯で誕生したのか知るすべほとんど無い。
ただ、現在の郷土史家の研究によると、古代に京から流されてきた
藤原北家流の飛鳥井の一族が土着し、公文家となったというのが有力説。
証拠は、銀杏紋という家紋、武家で銀杏紋を使用したのは後の徳川将軍家、
公家で使用したのは羽林家飛鳥井の一族のみ。
いわゆる半家(半武家半公家)の家格として、
長宗我部に仕えていたと思われる。(こういったことは珍しいことではない)
銀杏紋の家紋については、さすがに将軍家と同じではまずいと思ったのか、
江戸初期に一時期、武田菱に変えている。
長宗我部滅亡後、公文家は武士としての身分を剥奪されるが、
将軍と言えども、武家には公家の官位を剥奪する権利はないので、
完全な公家となる。
その証拠に領地はそのまま安堵され、
大地主としてのほほんと幕末まで生き延びている。
地元の住民も、公文の本家は公家だと認識しているので、
この説が今のところ研究家の間では最有力。


83 :
>>82
詳細ありがとう。超ありがとう。
嗚呼、俺の中で公文先生がますます比類無き存在に・・

84 :
当時の公家なんて天然記念物みたいなもん

85 :
北畠

86 :
>>18
それはマジ話なのか?
だとしたら凄いな…
干魚に
「美味じゃのう…」
と言ってる山科卿には泣いた

87 :
そういや飛鳥井って信長の越前攻めに同行してるよな

88 :
飛鳥井って雅敦のことかな
親父殿の雅教は当時権中納言だけど、雅敦はまだ公卿ではないね

89 :
>>88
飛鳥井雅敦と日野輝資が出陣してるみたい
戦力的にどうこうって感じじゃないだろうけど
このへんのことよく知りたいんだけど、やっぱ言継卿記なのかしら?
なにかオススメある?

90 :
お「武家昵近公家衆」か
ところで持明院基久の反響というか、ここの人だろうかyahooの知恵袋で基久のこと聞いてたね
基久は子の基征とともに五月に入城、五月七日の天王寺・岡山の戦いで戦死してる
一説によると大坂開城後の同二十八日に没とも

91 :
>>86
笑いながら泣いていたもの。こっちが泣けてきた。
世が世なら、政治や儀式を厳粛に執り行う身でありながら・・・。

92 :
横光のは読んでないがそんな表現があるなら横光の時代考察はなかなかなんじゃ?
貞成親王は看聞御記の中で正月の馳走に鯛が出たと喜んでるし
吉田兼見は>>17
山科の子の言経卿は勅勘受けて大坂に逼塞してるとき町人にもらった食事を嬉しがってる
なんか親近感わくよなw

93 :
言継卿自身が町衆と近しくて
火傷した近所の大工の下女のもとに、駆けつけて薬を与えたりしている
町内の米屋から借金したりも


94 :
言継卿というと、何かいつも薬草採りに行ってるおじさん、というイメージがある。

95 :
藝は身を助くの典型的な人だよね
この医術の副収入で、比較的食いつないでいる

96 :
言継卿というと超がつくほど酒豪のイメージ。実は桓武平家なんだよなこのおじさん

97 :
>>96
酒は貴族の基礎的社交技術だから酒豪は酒豪でいいとして
桓武平氏ってのはこれまた・・・
どっから仕入れてきた話?

98 :
尊卑分脈だぜベイベー

99 :
尊卑分脈ってことは、
山科家が言継の200年以上も前から
藤原氏ではなく桓武平氏になってたというわけ?

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