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仏教議論スレッド 76


1 :2013/10/25 〜 最終レス :2013/10/27
仏教の総合的な議論スレッドです。
仏教に関すること全て扱います。
仏教 質問箱スレッドで議論になったら、
または、議論に発展すると感じたら、
或いは、話題・論点を拡げたい時は、
ここに誘導し、質問箱の機能の確保に御協力ください。
前スレ
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1381725427/
ログ保管庫
ttp://houjugusya.web.fc2.com/link.html
Wikipedia ― Category:仏教
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E4%BB%8F%E6%95%99
論文検索
ttp://ci.nii.ac.jp/
ttp://sc.chat-shuffle.net/
ttp://www.jstage.jst.go.jp/AF13S010Init/-char/ja/
ttp://www.inbuds.net/jpn/index.html
ttp://www.totetu.org/index.php?id=523
パーリ三蔵
ttp://www.tipitaka.org/cell/mainlist.html
ttp://www.tipitaka.org/romn/
大正蔵経検索
ttp://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/ddb-sat2.php

2 :
成功。

3 :
全スレ>>999
君、大王さん?君の不一不二は中道だがそれは一切のどこにあるんだよ?
君は一生妄想の中で遊んでればいいと思うよ。禅宗の人で、君の他には自他不二を語る人もいるんだよ。
http://www.daruma.or.jp/zen/detail.html?zen_id=19 君はいつもの詭弁を駆使して、これも
中道を絡めて違う意味にしてしまうだろうが、ここに書いてることも素直に読めば不二一元論だ。
君は詭弁ばかりで本当に酷い。末法仏教徒は、空という単語を使うにしても、縁起=無自性=空と言う無自性
という意味で使うのと、縁起=中道=空と言う中道という意味で使うのとごっちゃになっている。
中道は自性の性質なんだよ。今から仕事なんで文句があるなら暇な時ゆっくり相手してやるよ。
大体よ、詭弁を好むような人に、ろくな奴はいないんだよ。禅系の人に実に多い。

4 :
 ≪ カラスの唄≫
カラス科   アホカラス属
通常、カラス科は知能が高いことで知られているが、この種だけは
例外的に全ての鳥類の中で最も低い部類に分類される。
食性⇒ 雑食・・・目に入るもの全てを食すと言われ、特に人間の
    出すゴミを好み、しばしば人家に侵入するので害鳥として
    認識されている。
習性⇒ 「きべん、きべん」と鳴くので、別名、「きべん鳥」とも言われる。
     非常に攻撃的で、自己以外の鳥類を見ると攻撃せずにはいられない
     性質を持つが、知能が低いので鏡に映った自分の姿に攻撃を仕掛ける
     光景がしばしば目撃されている。

5 :
>>4
おや。早速悪人のお出ましですね。

6 :
日本の仏教って自分では大乗と思っているようだけど
大乗じゃないよね
特に禅宗系は大乗じゃない

7 :
日本仏教の祖師方が流転輪廻を前提として説かれたことをば新スレの入口に。
★親鸞
「教行信証」
悲しいかな、垢障の凡愚、無際より已来、助・正間雑し、定・散心雑わるが故に、出離その期無し。自ら流転輪廻を度るに、微塵劫を超過すれども、仏願力に帰しがたく、大信海に入りがたし。良に傷嗟すべし、深く悲嘆すべし
「正信偈」
生死輪転の家に還来することは、決するに疑情を以て所止と為す
「正像末和讃四八」
無始流転の苦を捨てて、無上涅槃の期すること、如来二種の廻向の恩徳まことに謝し難し。
★日蓮
「船守弥三郎許御書」
過去に法華経の行者にてわたらせ給へるが今末法にふなもりの弥三郎と生れかわりて日蓮をあわれみ給うか。
「四条金吾殿御消息」
日蓮過去に妻子、所領、眷属等の故に身命を捨てし所いく幾そばく許かありけむ。或は山にすて、海にすて、或は河、或はいそ等、路のほとりか。
然れども法華経のゆへ、題目の難にあらざれば、捨てし身も蒙る難等も成仏のためならず。

8 :
>>7 続き
★道元
「正法眼蔵」十二巻本第八
善悪の報いには、次のどれかに当てはまる三つの決まりがある。これを三時という。
 一つには、「順現報受」… 現世において報いがある場合。
 二つには、「順次生受」… 来世において報いがある場合。
 三つには、「順後次受」… 第三世において報いがある場合。
仏祖の道を修習(しゅじゅう)するには、其の最初よりこの三時の業報の理を効い験らむるなり、爾あらざれば多く錯りて邪見に堕つるなり。但邪見に堕つるのみに非ず、悪道に堕ちて長時の苦を受く。
当に知るべし。
★空海
「秘蔵宝鑰」
三界の狂人は狂せることを知らず、四生の盲者は盲なることを識らず、生れ生れ生れ生れて生の始めに暗く、死に死に死に死に死んで死の終わりに冥し。
「秘蔵宝鑰」
閻魔・獄卒は獄を構えて罪を断り、餓鬼・禽獣は口を焔やして体にかく。三界に輪廻して四生にりょうびょうす。
★法然
「拾遺和語燈録」
これを廣野に捨て、これを遠き山におくる。屍はついに苔の下に埋もれ、たましいは一人旅の空に迷う。

9 :
親鸞教と法華宗ぐらいか?
空海は詐欺師だし・・・・
いやいや
大乗には戒律も信仰すらも必要ない
そうやって消去法で最後に残るのは
親鸞教だけか?
こいつぐらいだろうな・・・・大乗は

10 :
日本仏教
だから日本にはもともと
仏教はない
大乗もほとんどない
しかしながら流転輪廻を否定する似非大乗もない

11 :
無我の概念だけはしっかり押さえておけよ。

12 :
>>9
鎌倉仏教は普及版の仏教としてはかなり優れていませんか?
キリスト教ならプロテスタントがそれに当たるかもしれませんが
唯一神への信仰で契約の宗教なので近代に至るまで
他の宗教 価値観との共存が難しかった
浄土教も厳密に言えば大乗とゾロアスターあたりの混淆かもしれませんが
それでも仏教の基本は保つ
そういった発展の仕方が興味深いですね

13 :
>だが、その自分らだけに通用する価値体系をもって、他者に干渉してくるんじゃ
>ねえってのw
そんなふうに思っていた時期が私にもありましたって感じかな
個人主義的な方向性に限界があることはここ50年でハッキリしたと思う
そりゃ、個人の才能がフルに発揮されるような自由度の高い社会形成は個人にとっても喜ばしいことだろうし
パワーオブバランスにおいてより優位な地位に立てるという観点からしても理想ではあるが
他者とのつながりを考えなければ持続的な社会はつくれない。疲弊してしまうんだよ。
なんでもかんでも消費していくかわりに、常に花の蜜の香りで外から移民という活性剤を誘い入れないかぎりね
だが、かつてそういった都市国家だって過去にはいくつもあったわけで、それらがどれほど持続可能だったかも考慮する必要があるかな
で、ま〜結論から言えば、結局はシステムではなく、人的な内面の力の鍛錬を考えなければいけないと思う。
それは、ある程度他人に干渉されることを認めないといけないということと裏表で
干渉に対する自己の鍛錬ということでもあると思う。
もちろん、その鍛錬が、宗教という形でなければなされえないというわけではないのだけど。
ただ方法と言っても、なんでもかんでも宥和すればいいというわけでもないはずで
歴史文化伝統と法律、そして人心がうまく合致するところに、解決の方法があると思う。
歴史的文脈を無視した安易な宥和というやつはけっこう危険なんだよ
そのへん円滑剤として宗教の果たす役割の可能性はあると思う。
もしコメント主がうざい宗教勧誘のよしあしを論じていたとしたら、ちょっと的はずれな反論だったね

14 :
>>13
個人の救済は仏教
共同体の祭儀としての機能は.バラモン教
って感じだったのですかねインドにおいては
大乗以降に共同体の祭儀に仏教がかかわるようになったとか
中国では唐代以降に儒 道 仏 各宗教が競り合って
仏教は競り負けた印象が個人的にあるのですが

15 :
法華経の梵字写経本は、温存されている。
梵字とはサンスクリット語(梵語)を表記するために作られたもの。
サンスクリット語の文字化の為に作られたのが梵字。
梵字の遺跡で有名なのが、紀元前三世紀に造られたと言われているアショーカ法勅。
梵字は、実際には前六世紀頃から南インドやスリランカで使われていると考古学ではみている。

16 :
>>14
答えにくいっすねwww
そうだと言えば誤解が生まれそうだし。
ただ、自分の解釈にはすごく近い。

17 :
前スレ>>993
>縁起の直接現実とその「縁起の現観」【般若門】を透過・掴みえない者
>とのあいだに、まさるか否かの比較などありえない。
 
縁起を誤解していると思うよ。
評価基準である苦楽や善悪や好き嫌いなど、こういった相互依存ならば、
中論の空が成立する。ただし頭の中だけね。
 
これに対して、この世の事物に般若の空は証明されていない。
その証明ができない以上、この世の事物は空だ、とは言い切れない。
であれば、空の思想に距離を置く方が正しいのではないか。

18 :
>>16
キリスト教はローマ帝国の衰弱と崩壊で
一気に帝国の行政機能代替しましたからね
だから当然 共同体の集団祭儀の儀礼もキリスト教化しました
仏教はインドではバラモン教がヒンドゥに移行して仏教と共存
中国でも西域は知りませんが中華では個人の信仰にとどまり
日本でも律令の国家仏教は貴族のものや武士階級に庇護される存在で
神道も習合しながら生き残りましたからね
ここら辺は自分でも調べてみます

19 :
中国では現代に名を馳せる名僧が数多くいる。
仏教が破壊によって廃れたのは近年の話し。
インドから中国に仏教が伝わった当初、
争いを避け『格義仏教』を用いていた。

20 :
前スレ>>976 宝珠@神智学徒
>今生における出生の境遇の違いに対する説明がつかない。
>何故、彼は金持ちの家柄に生まれ、私は貧しい家系に生まれたのか?
>そして、生まれつき盲目なのは何故なのか? と。
 
>>979-981 の指摘にもあるが、輪廻を認めたら説明できるの?
だれにも記憶がないのに、いったい誰が前世を語るの?
もしかして神智学の覚者たち?

21 :
中国のような、他民族からの侵略や群雄割拠で争いの耐えない国では、
思想的に仏教の人道的在り方は必要とされていなかったかもな。
それより、戦略的視点から劉備玄徳のような軍師や策士が重宝されていた時代。

22 :
>>19
異民族出身の王朝といわれる唐でも道教が格上で
それ以降 中国の共同体の宗教に仏教はならなかったでしょ?
チベットくらいじゃないですか仏教が政教一致で共同体ぐるみ採用されたのは
ただ仏教は個人の信仰として非常に便利にはなってると思います
ユダヤ教から生まれた宗教は信者個人が宗教の共同体を離れて
信仰するのはかなり大変ですから
その意味で今後キリスト教離れした特に欧米人に仏教はもっと浸透するかも

23 :
>>4
納得。
カラスの歌はアホすぎる。グノーシスが三位一体とか霊肉一元論だとか、
解釈以前の基本概念の部分すら理解してない。
三位一体って(笑)、んな概念グノーシスにねーし、世界の始原を霊的世界(永遠)に置き、
肉体を含めた物質世界全般を低級なデミウルゴスの造作による模倣世界として虚仮とするのは、
ヨハネのアポクリュフォン、アイオーンの本質、フィリポ福音書、etc全てにおいて基本概念だっつーの(笑)
文章も支離滅裂で失調患者の幻影羅列じゃねえかって

24 :
前スレ>>846 
>「豊かな者」は幸いではないのか。
この世でもあの世でも幸せになりたいと思うのは欲張りでしょう。
>十戒は、人間に必要な道徳行為はすべて尽くしている。
旧約の十戒は、キリスト教も採用しているのでは?
>道徳倫理の最低限は、「他者の生命を奪わないこと」。この点では、
>キリスト教もイスラム教も滅茶苦茶。道徳倫理のカケラもない。
同じ宗教なら味方だが、それ以外は敵なんでしょうね。

25 :
ていうかキリスト教と仏教は全てにおいて相反するし、思想的な共存はおよそ不可能だろ(笑)
世界は一切皆苦で、解脱により転生から脱出するのが救いってのが仏教の通有概念。
世界は神の創造による「良きもの」で、生めよ増えよは神の祝福で命令。
人間は最終的、復活によって肉と永遠に結合し、物質世界での生活を永遠に享受するってのがキリスト教。
共存しうるとすれば互いに無視するだけです(笑)
釈迦の道諦や八正道も仏教の究極目的である解脱を成す道であって、それはキリスト教的救済や目的に
転用するなんてことは論理的に不可能。

26 :
>>24
キリスト教の 隣人 には諸宗教の人たちも含みます
イスラムも同じように隣人には寛容です
過去の歴史や現代において政治などに巻き込まれた場合
仏教とも充分残虐ですよ?
それを信仰の価値の規準にするのは無益であると思います

27 :
初っぱなに十字軍遠征して隣人も糞もねえょw
美化し過ぎ。

28 :
>>27
十字軍の遠征 初回は1096年で東ローマ帝国の救援要請に応えてのものです
西ローマが滅んで数百年後 キリスト教が定着したとはいえ
>>18に書いた事情により 西欧の諸国も政治と宗教が未分離の状態でしたね
政教が未分離では問題がおきやすいのはどの宗教でも一緒です
現代でもそれは同じであると思います
仏教がその方面で問題を起こしたからといって宗教としての仏教の価値とは混同しませんよね

29 :
大衆はいつの世も愚劣な存在。彼らが求めるのは成道のための
激しい修行や哲学的考究なんぞではなく、できるだけ楽で分かりやすく
お手軽に救済される道。それも涅槃寂静なんて理解不可能な境地ではなく、
できるだけ現世利益で肉体・精神的に恵まれたウハウハの世界。
仏教の思想変容の歴史もこのアホの大衆の欲求とどれだけ妥協して、抱き込めるか、
それでもなおどれだけ仏教の本質を維持できるかの難儀を示してる。
釈迦の哲学は元来、出家者のそれで、俗世を捨て、サンガに入り、
日々仏道に励む修行者こそが成道、涅槃という宗教的境地に達することができるとするもの。
部派仏教はそのレールを保守的にひた走り、学究的エリートのアカデミーと化してしまったから、
大衆の尊敬は得られても信心を寄せることはできなかった。
初期大乗は衆生救済をモットーに在家の解脱の道を開いたが、それも竜樹の中観派や世親の唯識派が
無駄に思索を掘り下げ、およそアホには理解不可能な複雑な哲学的体系へと変えた。
ヒンドゥーが興隆したのはアホの大衆が大好きな儀式や現世利益の呪法や帰依できる身近な神々を
提供して、媚を売りまくったから。
信者を吸い取られて焦った大乗は、儀式やマントラ、現世利益、神々を導入し、ヒンドゥー混淆の密教化を
推進させたが、説き遅し。アホの大衆にはヒンドゥーの二番煎じなんぞお呼びじゃなかった(笑)

30 :
>>23
前スレのシモン氏の話は非常に新鮮、刺激的だったですね。
 
釈迦その人は、縁起や四諦八正道だけでなく、神との出会い、
霊魂との出会いをしたのではないかと考えています。
その線上で読ませてもらったが、死→中なる世界→再び物質世界へ輪廻
あるいは霊性とか「復活」の話はおもしろかった。
 
個人的な感想ですが、グノーシスの理論は神を中心にしており、
霊魂(我)の部分が不明確な印象を受ける。この霊魂は坐禅をしないと
出会えないので、坐禅の伝統がない西洋では無視されても自然だが、
プラトンは霊魂を論じていたし、どうなんでしょうかね。

31 :
>>7
>日本仏教の祖師方が流転輪廻を前提として説かれたことをば新スレの入口に。
>>11
>無我の概念だけはしっかり押さえておけよ。
☆★真宗の三木住職「現代仏教塾」より
「私はない」という教えではなく「我執を離れなさい」という教えが無我。
初期の仏典結集でもあった誤解が、中国語で「無我」と訳されてから混乱、誤解が生じた。
「私が、私がという、我に対する執着を離れなさい」という教えだった。
パーリ語では「アナッタン、not self=自己ではない→我は無いと誤解、変化する心も体も自己では無い」
☆★石飛道子「マニカナ」より
>釈尊が説かれたのは「アナッタン=非我」であり、
この点は、たしかにそうですね。無我は、「わたしではない、わたしのものではない、わたしの本質(自己)ではない」の三つの意味であるとされます。
「無我」は、「我がない」というはっきりした主張を含みませんが、「無我」の境地をえると、我のことを忘れてなくなっていくようなところはあると思います。
「我がない」とはっきり主張すると、これまた断見に陥ることになるので、それも、避けねばなりませんよね。
>「縁起の法は相依相関であり、因果の法ではない」ともシュプレヒコール。。。
相依相関と見ても、それは、縁起の中に包容されていますので、縁起(因果)からはずれて、相依相関を説くことはありえないことだと思っています。
上記「無我」の二つの解釈も新スレの新スレの入口に。。 合掌

32 :
グノーシスは神中心というより、むしろ人間中心。
人間の裡にこそすべての真理があり、むしろ神と同本質であると考える。
あらゆるグノーシス思想にもいくつかの派閥があるが、まず一なる至高の光(父)があって、
そこから光が散って、この物質世界への捉えられてしまった。
グノーシスではこの物質(世界)だけではなく、自分の(肉体)を含めて、牢獄あるは墓場と
いう表現をしばしば使う。いわば、大海に投げ出されたような、大宇宙に一人放り出されたような、
取り留めもない孤立感と異邦感。それを大前提とするわけです。イエスがこの世界には枕するところもない
と語ったように。
こういうと我を中心とした思想のように感じられるが、そうではなく、グノーシスでは魂、すなわち諸々の
精神作用すらも、後付で創られた不純なものと考える。
人にとって一番最初にあった神の火花、光は、今自分が自分と考える要素(肉、魂)にとってむしろ
隠された存在であり、自分であって自分ではないわけです。だから自己を探究するものは、まずこの現象世界で
規定された自分を、我を根本的に否定しなければならない。釈迦が説いたように。
グノーシスの世界ではこの皮肉ともいえる、矛盾言語がしばしば登場しますが、最初の自分を見出すためには、
自分への執著を捨てなければならない。

33 :
グノーシスの起点となる発想は「人間論」、すなわち、我々は何者なのか、
どこから来て、そしてどこへ向かうのか。
釈迦は、原始経典で「自己を求めよ」と説きましたが、では釈迦は自分が至った
涅槃の境地において、どんな自己と出会ったのか?
およそ語られぬ部分ですが、俺は、それがただのニヒリズムであり、生死輪廻から
逃げだし、虚無になるだけの皮相な見地とは考えていません。

34 :
>>25 シモン氏
>ていうかキリスト教と仏教は全てにおいて相反するし、思想的な共存はおよそ不可能だろ(笑)
原始仏典:修行完成者は再び母胎には宿らない
法華経:人は仏子でありやがて仏になり得る
エッセネ派宗規要覧:人は光の霊と闇の霊を宿し聖者にも獣にもなり得る
トマスの福音書:人は光から来た。光の子らであり生ける父に選ばれた者である
旧約聖書創世記:人は神の似姿
新約聖書ルカ伝:神の国はあなた方の内にあるのだ(witin you)
本来、道の人(覚者)は同じ真理を語らないそうですが、上記の真理(法)は共通かと思料します。
>>30
>釈迦その人は、縁起や四諦八正道だけでなく、神との出会い、 霊魂との出会いをしたのではないかと考えています。
原始仏典では、精霊、神々、梵天、大梵天、まで説かれております。 
出会うどころか、釈尊も再生前は梵天界の住人だった(共生していた)との仏説あり。(長部「三明経」)
複数の大梵天方がグノーシスではどのアイオーンだったのかは興味はありますが、スレ違いでしょう。

35 :
>>32
グノーシスには不慣れですが、視点を変えれば共感できます。
我を根本的に否定することも理解できます。
ただ、そうして出会えたのは、聖霊という神だったのです。
霊魂ではなかった。その後、霊魂には坐禅で出会った。
 
人間の哲学的テーマは、神がいるのか、自分とは何かだと思います。
神と自分は別々の存在として現れました。神は聖霊、自分は霊魂です。
精神作用も後付けというのは両方の体験に共通します。
シモン氏の話は、聖霊体験として聞くとよく理解できます。

36 :
>>34
誤 新約聖書ルカ伝:神の国はあなた方の内にあるのだ(witin you)
正 新約聖書ルカ伝:神の国はあなた方の内にあるのだ(within you)

37 :
>>35
>神と自分は別々の存在として現れました。神は聖霊、自分は霊魂です。
更に禅定が進めば、霊魂の奥の聖霊(至高神の光のかけら)に出会うかも知れませんね。
もう輪廻から解脱し、再び母胎に宿ることはないでしょう。

38 :
>>33
同意します。
下記の話は、霊魂で体験した内容に近いです。
感興のことば(ウダーナヴァルガ)26章安らぎ24節以下
 
これは釈迦が霊魂を体験した証拠ではないかと思えます。

39 :
>>37
>更に禅定が進めば、霊魂の奥の聖霊(至高神の光のかけら)に出会うかも知れませんね。
完全な涅槃に入らず無住処涅槃にて衆生済度を展開する如来の異常とも言えるこだわりは
案外「至高神の光の欠片集め」かも知れませんね、私見です。

40 :
あーあw
ついにお花畑スレに成り下がったか・・。
これまで、なんとか踏みとどまって来てたが、いよいよ崖っぷちだなw

41 :
>>40
セブンとかパーピマンとかくればだいじょうぶでしょうw

42 :
>>40
だれだよ? 霊的センスの悪いセブンか

43 :
>>40
釈迦にその要素があるということ。それを批判できなければ、君も同じ穴の狢。

44 :
http://unkar.org/r/psy/1322893737/
480 : サロメ☆ボウディア ◆wHb3.gs/E2 [sage] : 2011/12/31(土) 01:16:08.99 ID:Lv2SOVul
クララ・ナルミの甘酸っぱい乳糖舐め舐めwww
489 : サロメ☆ボウディア ◆wHb3.gs/E2 [sage] : 2011/12/31(土) 01:35:27.29 ID:Lv2SOVul 
ももまんぺろりん
497 : サロメ☆ボウディア ◆wHb3.gs/E2 [sage] : 2011/12/31(土) 01:48:13.12 ID:Lv2SOVul
ナルミン菊 美しい
528 : サロメ☆ボウディア ◆wHb3.gs/E2 [sage] : 2011/12/31(土) 13:19:55.40 ID:Lv2SOVul
夢の中でエロイことやってる自分とそれを見てる自分が別れてる
っていうのが面白い
過去の記憶に見当たらんのだがww

45 :
14 : サロメ☆ボウディア ◆wHb3.gs/E2 [sage] : 2011/12/03(土) 16:08:29.75 ID:3Kn+xTyP
>>13
かなりボインだよnarumiって^^
63 : サロメ☆ボウディア ◆wHb3.gs/E2 [sage] : 2011/12/03(土) 21:13:55.61 ID:/QYtDu+O
narumiもむかし私にオシッコやおなにーパンツ売りつけようとしたのです
378 : サロメ☆ボウディア ◆wHb3.gs/E2 [sage] : 2011/12/09(金) 14:47:46.79 ID:Qc180W0t
ナルミンはおっぱいから母乳を分泌するそうです
同宿会の奇跡ですねwww
444 : サロメ☆ボウディア ◆wHb3.gs/E2 [sage] : 2011/12/10(土) 13:26:30.67 ID:e73rNzil
ナルミンは♂のアレを上手に吹きます
だから精子リアリスト=セシリアなのです
589 : サロメ☆ボウディア ◆wHb3.gs/E2 [sage] : 2011/12/16(金) 19:25:25.23 ID:6lr3kwXj
>>588
なるみん ちゅちゅちゅ^^
616 : サロメ☆ボウディア ◆wHb3.gs/E2 [sage] : 2011/12/16(金) 20:19:46.75 ID:6lr3kwXj
>>615
なるみんの オシッコとおなにーパンツ まだ届かないんですけどー
お金返してください
670 : サロメ☆ボウディア ◆wHb3.gs/E2 [sage] : 2011/12/16(金) 23:08:00.52 ID:6lr3kwXj
正直ナルミちゃんは好きです
おそらくまな板のおばあさんでしょうけど
ナルミンすきだし だから公教会はやめられません

46 :
644.サロメ☆ボウディア ◆wHb3.gs/E2 []2012/01/17(火) 00:03:48.20ID:qpS6kc+2
アタシは汚れのナルミがすきwww セシリア甘酸っぱい乳糖^^
650.サロメ☆ボウディア ◆wHb3.gs/E2 []2012/01/17(火) 00:09:51.09ID:qpS6kc+2
カトリックの汚れ セシリアナルミンの甘酸っぱい乳糖
808.サロメ☆ボウディア ◆wHb3.gs/E2 []2012/01/17(火) 17:35:50.91ID:rEYIx6q7
カトリックの汚れカキタレ(R) セシリアさん
811.サロメ☆ボウディア ◆wHb3.gs/E2 []2012/01/17(火) 18:29:28.73ID:rEYIx6q7
汚れのR ナルミンの甘酸っぱい乳糖のほうが大切です
乳頭ちゅちゅちゅ ^^
サロメ☆ボウディア ◆wHb3.gs/E2 []2012/01/17(火) 18:37:22.24ID:rEYIx6q7
Rの汚れは絶対にわたさないわ!!
サロメ☆ボウディア ◆wHb3.gs/E2 []2012/01/17(火) 19:07:22.11ID:rEYIx6q7
セックスしすぎですよ汚れRなる民
910.サロメ☆ボウディア ◆wHb3.gs/E2 []2012/01/17(火) 22:03:05.83ID:rEYIx6q7
あなたもセックスはもう十分したでしょ?

47 :
サロメが俗物なのは分かってるから、下劣なレスで板を穢しなさんなw

48 :
サロメってやつ
ぱねーだろ

49 :
>>47
御意^^

50 :
どこまで書いていいんだろうかといつも迷っている。
 
でも、経典に書かれていることだから書いてもいいのだろう。
 
みんなが知りたいことだものね。

51 :
霊魂など輪廻の主体になる常在の存在については
過去スレで散々議論が尽くされてるのに
しかも見当違いの古代地中海地方で滅んだ
宗教未満の思想運動長文で書き込むとか
どのスレでも同じだなぁとw

52 :
偉そうに語る前に暇人におせーて言ってた仏教の入門書とやらは読んできたの(笑)?

53 :
悪いけどサロメは相手しないよ
 
何だか、サロメが何考えてるか察しがつくのだ〜♪

54 :
>>39
>完全な涅槃に入らず無住処涅槃にて衆生済度を展開する如来の異常とも言えるこだわりは
>案外「至高神の光の欠片集め」かも知れませんね、私見です。
(入中論12-40) 全訳入中論P76
勝者よ!あらゆる世間が無上の寂静に行かない限り、虚空が消滅しない限り、般若母が生み出した彼に対して、
慈しみが乳母のようになる。だから寂静となる(涅槃する)者など何処にあろうか?

55 :
>>54
仏教の目的は極楽浄土入りだとか、涅槃入りだとか言われておりますが、如来の目的は衆生済度のようですね。

56 :
>>53
どうぞご自由に^^
霊魂に座禅で出会ったという方の我見なんて何も益するところがないので^^

>>52
いいえ
白菜のネタ元は真宗の教学だから そこらへんに興味持っただけです

57 :
もう少し、所属する場所考え直した方がいいと思うけどな君らは
まあ、もう遅いか

58 :
>>33
全ては「空」だと般若心経で言ってるじゃんw
でも自分の本質が「空」なるものだとしても、自己、すなわち「色」がなんなのかまでは仏陀は判らなかったからその後も発狂し続けて般若心経以降の経典を説いたんだよ。
聖人、聖者といえど、人間だからね。
インテリがいくら本を読んでも素質がない人間にはこれを理解することは無理だからグノーシスだけ講釈してれば?
一言でいうならお前は場違い。

59 :
>>54
>(入中論12-40) 全訳入中論P76
勝者よ!あらゆる世間が無上の寂静に行かない限り、虚空が消滅しない限り、般若母が生み出した彼に対して、
慈しみが乳母のようになる。だから寂静となる(涅槃する)者など何処にあろうか?
「般若母が生み出した彼」を「至高の光(父)が生み出した人類」と読み換えれば、仏教もグノーシスも
同じ真理(法)を共有しているかと思います。>シモン氏
さて「お花畑スレ」と揶揄されましたが、少し前までは「中論哲学スレ」でしたので、本スレは空にてまた輪廻しましょう。

60 :
サロメが>>41で、セブンとパーピマンを指名した事実を重視しよう。それが
何を意味するのか。

61 :
世界にある宗教のなかで仏教が最もリースとドグマティックであり、
仏教が元で国どおしの戦争に発展した事はないんじゃないんでしょうか?
世の中の形而上の疑問は最終的に「あるのかないのか?」に行き着きます。
仏陀は形而上の答えられない疑問については無記で問題にしない事にしたのが素晴らしい。
あるのかないのか?ではなく「あり方」について深く考え覚った人だったと思います。
ゆえに、輪廻だとか死後の極楽浄土だとかを現在の伝統仏教がベースに置く事自体間違った捉え方だと思います。
輪廻とか極楽浄土をベースに置かない流派に賛同します。
日本でそのような流派はありますか?

62 :
>>58
まず仏陀が初期大乗経典である般若経を直接説いて、それ以降の経典も説いて〜
と語ってる時点であかんから君は。

63 :
>>62
成立年代がどうであれ、般若心経以外の経典には学術的価値しかないよ。
つまりはただの読み物。
宗教的、神学的にはまったく価値がない。

64 :
>>61
>日本でそのような流派はありますか?
例えば、近代仏教学派。
「無我と輪廻は矛盾するから、輪廻は方便だ」をシュプレヒコール。

65 :
竜樹の中論って、俺は中村の訳本で読んだが、一見して矛盾言語を羅列して支離滅裂な世界観を雰囲気で作り出し、
だから空なんだよ(ドヤッ)とふてぶてしく居直ってるだけの変人。
難解を極めると言われる中論だが、最初から現象世界の言語や論理の超越を前提としてるわけだから、
内容なんか無いに等しい。

66 :
>>60
彼らはもちろん それ以外の常連さんで霊魂wwとか常在の存在を認めない向きは
体験主義ではない
所論に根拠を引用してくれる
自分の結論が先にあってそれを正当化するために 教典や外道の文書を盾にしない
だから 初心者にも参考になる ってことです.

67 :
>>前スレ979
>でたー宝珠
>神智学徒でも宿命は解説できんでしょ
>なぜ貧乏人に生まれたか
>金持ちに生まれたか
>これは不公正だよ
不公平というものはありません。
人間はすべてが平等にできています。。
生まれつきの違いは当然の必然的結果であり、
すべては己が引き起こしたものに過ぎない。
偶然というものは在り得ない。
いつまで経っても不平不満を自分以外へと向けている限りは
真の自己救済はない。

68 :
くだらん。
じゃあ「人間道」のない時代、例えば白亜紀とかはどうなわけ?
爬虫類だか原始哺乳類だかが善行・功徳を積んでホモ・サピエンスを生み出したとでも(笑)?
近代以降の急激な人口増加(人間道の衆生増大)はどう説明する?

69 :
>>67
それは理想論であって現実ではないね。
日本に生まれた人間とコンゴに生まれた人間が本質的に平等だと思うかい?
コンゴに生まれて大学を出るのと日本に生まれて大学を出るのとどちらが簡単だと思う?
君達の仏陀は現実逃避しろと教えたのかな?

70 :
マッカリ・ゴーサーラみたいだなw  >>67
こないだ、ふと、プリントアウトしたのをパラパラ見てて、神智学の成長論を思い出した。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/21/2/21_2_647/_article/-char/ja/
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/22/2/22_2_964/_article/-char/ja/
(&参:http://ci.nii.ac.jp/naid/110009573514

神智学とアージーヴィカって、親和性ありそうw

71 :
今日まで、梵字(サンスクリット文字)で残っている経典は僅かだが、
貝葉型紙に書写された梵字大乗経典が数多く発掘されているのは
仏教考古学として大きな前進だろう。
口承で伝えられた釈迦の『仏法』(サンスクリット語)が、仏典結集において
文字化(梵字)されたという事と符合する。

72 :
平等と言っても何を基に平等と言うのか、
法律的にか、それとも能力的にかって話しになるな。
食うものが(向学心率が)違うから平等じゃ無いと言うのは、ちょっと違うんじゃないのかい。

73 :
>>72
経済的・環境的にだろw 何言ってんだよw

74 :
経済的、環境的平等は人類が滅亡するまで訪れないだろう

75 :
>>73
それを言うのなら、もっとリサーチが必要じゃ無いのか。
日本のように大学に行くのが当たり前の時代なら良いが、
そうでなけりゃ進学の必要性も芽生えない、つまりその意味さえ見いださないとか、
何も日本の価値観を後進国に当てはめる事も有るまい。

76 :
仏陀が説いた縁起はあくまでも現実世界のものであって、前世だのなんとか界だのは関係ないからね。
それでも人は不平等なのだ。
当たり前だろ?
男が女になることは出来ず、逆もまた然り。

77 :
@ 釈迦は、「呪法の効力を信じていた」・・・・などと言うアホがおりますもんでwww

⇒『火への供養は祭祀のうちで最上のものである。
⇒サーヴィトリー[讃歌]はヴェーダの詩句のうちで最上のものである。』(Sn.568)
・・・・・・・・・・・
これは、神秘主義者が、よく「ブッダは、呪法の効力を認めていた。」 と主張
する根拠としてあげるものだが、『全くの間違い』www
スッタニパータのセーラの章全文読めば、小学生にも分かることだが、「ブッダは
呪法の効力を認める意図で言及したのでは、全くないww」
まさに、全体の趣旨を無視して、一部分だけを取り出して、自説の根拠として使用
する典型例だww
以下、抜粋・・
・・・・・・そうして結髪の行者ケーニヤに、師は次の詩を以て、喜びの意を表した。──
568 火への供養は祭祀のうちで最上のものである。サーヴィトリー[讃歌]はヴェーダの詩句のうちで最上のものである。
王は人間のうちでは最上の者である。大洋は、諸河川のうちで最上のものである。
569 月は、諸々の星のうちで最上のものである。太陽は、輝くもののうちで最上のものである。
⇒≪修行僧の集いは、功徳を望んで供養を行う人々にとって最上のものである。≫
 ・・・・・師はこれらの詩を唱えて結髪の行者ケーニヤに喜びの意を示して、座から起って、去って行かれた。

78 :
A 上記がその部分ねw   以上からも分かるように、これは「ケーニヤによって、食物を供養されたことに
対する≪お礼の言葉≫  ww
釈迦の言いたいことは、最後の⇒≪修行僧の集いは、功徳を望んで供養を行う人々にとって最上のものである。≫・・・
これなわけww
「貴方はバラモンを信仰しているにもかかわらず、このような大勢の修行僧に供養をしてくれました。
これは大変な功徳ですよ。」・・・・こういって、ケーニヤを讃えているのw
この最後の一節を言うために、当時、「当然と考えられていたこと」を
「〜〜は、・・・・・の中で最上のものである。」と、いくつも前振りして、最後に
「修行僧に供養した貴方は、最上の功徳を得られますよ」・・・・と、ケーニヤを讃えてるのw
別に「火の供養が効力あり」なんて言ってるわけじゃねえよww
単なる修辞法の一つwww
さらに補足すると、
> 『究極に達したヴェーダの達人が祭祀のときに或る(世俗の人の)献供を受けるならば、
>その(世俗の)人の(祭祀の行為は)効果をもたらす、とわたくしは説く。』(Sn.458)
>『マーガよ。三種の条件を具えた完全な祀りを実行するそのような人は、
>施与を受けるにふさわしい人々を喜ばせる。施しの求めに応ずる人が、
>このように正しく祀りを行うならば、梵天界に生まれる、と、わたくしは説く。』(Sn.509)

これらも、その趣旨は、⇒「 正しく修行を行う道の人 」対しての供養は、ちゃんと
功徳がありますよ  って言ってるに過ぎないのww
全文読めば明らかだろうにwww
何も、「何かしらの捧げ物して祈祷を行えば、神秘的な効力がありまっせ」・・・・なんてことじゃあ
ねえんだよwww
あくまでも、「道の人に対する」供養の勧め・・・・・これが主旨なんだよww
(まあ、 これが布施行へと繋がるんだろうがw)

79 :
>>75
馬鹿かw
それを言ったら、最初の問い自体が無効化するだろ。
魚屋の子は魚屋を継げばよいんであって、大工の修行に出る必要はない、と言ってるのと同じだ。
或いは、
俺は、リンゴ栽培するから、陸上競技の練習する必要はない、ってのと同じだ。
(勿論それは、「差別即平等」の基本図式だがw)
今言ってるのはそうじゃねーだろ。
或る徒競走のトラックがあって、同じゴールを目指すとき、という条件を外したら意味ないだろうが・・┐(´ー`)┌
このとき、Aコースは整地されていて、Bコースは砂利道泥道であるようなことを言ってんだよ。
頭悪ぃな・・。

ノシ

80 :
>>77 >>78 は、質問箱スレの書き込みへの、横ww  (唐突だったがww)
あっちは、「質問」が、その主機能なんで、こっちに書かせてもらったww

81 :
>生まれつきの違いは当然の必然的結果であり、
>すべては己が引き起こしたものに過ぎない。
>偶然というものは在り得ない。
・・・・・・・・・・・・・
そう、これこそが、「業論」の最も悪しき思想なわけだw
⇒「障害をもって生まれついたのは、本人が前世で、そのような
 報いに遭うのが当然であるような≪悪業≫を積んだから」
⇒「穢多非人に生まれついたのは、前世で悪業を積んだから≪当然≫
 である」wwww
つまり、「前世の悪人」認定なわけだw
そして、そのような「前世の悪人」に対しては、  例えば
障害者は仏道に入るの禁止ww   部落のものは汚らわしいwので
隔離しましょうね  ってなるww
アホか  ってのwww

82 :
>>58
はっ?
色が空だって、言ってんのにw

83 :
>>82
ぜんぜん論点があってない。
全ての本質が空であるなら、では色はどこから成るのか?
それを探求したのが般若心経以降の仏陀なわけ。

84 :
こせーーーのーー?水曜ーーどおわでしょーーー?どおわーよーーあのーー番組ーー。。韓国よーーのえへーーのよおおーーー?
韓国ほっかぢーーどおーよーーーのーーえたごーーろくーーかーおわーー水曜どおわでしょーーしーーなーまことーー?総務ーどおわーーねーおわーーそうぬーーーっとーー総務のーー子ーー
大鶴義丹ーーのーー中だしーーもおもおー
みぽりんー言うよーーー言うよーーロリコンーー惨劇だもんーーー?競輪でーーいけーーいけーなのの。。。のーー子ーーどこのこーーー?
声もおー
きもいーー大鶴義丹がーーどおわしたのーーー?中華ゴミよねーーもおーつくずくよおーーかーおわーーRーー韓国ーー韓国ーー艦ーとかねーーかーーー
財前直見ーーといたからかしらーー?ロリコンー殺しーーとかいうよーーいうよーーでもーーかわいそーーオオルドぼけこーーとかーーロリ語ーねーねーーー
家ごとーー取るーよおーーロリコンーとかわーーー?財前さんーーー?韓国よーーーばかよーねーーおわーーみぽりんーのーーー?
どおわーーよzーーー財前もおーーコメカミーー自害ーーとかいうのーー?中華ーーあほがーーー?
事件わーーロリコンーにありぃーーのーー小声ーでもーーみぽりんにょおーーーですよーーにょおどおからーーちんこーおおきいーおおきいーーはいるよーー大鶴くんのーー。。とかのーーー?
売春婦かーおわかーかーー

85 :
おおいーのよおおーーロリコンーまじーー食うわよーーーもおもおーー安達ー三浦なのこなーーあはーー。。。。。なーーー?とにかくーーおわなーー母米ーーソオプよおーーー
悪さーってのはー。。。。およもーーロリコンにありよーー。。おじんーがーーくずよーーどおわーーーおーーーーねーーーー
認めるわよーー半書きーーヤクザわーーー。。かーおー
着るよーー切るよーーロリコンのーー。。あたりまうよーーーおわーークルクルーー涙ーのーー涙のーー涙ーのーバカ米ーーなつきもーまみーーもおーー不可事故ーーもおーおわーー俺様ーーぶっきょーーよおおーもよーーー
大鶴義丹ーもーー分かるーことー。。とかーーあおーーいーよーーのーーみぽりんーー米ーコリ浜ーーよおーー?
じゃあーーざんざいー。。。のもーーおわのーーー?在日のーーー?韓国のーーー?いちばんーーきうらとかーーいうーー部落よーーーお嫁さんーー韓国のーー
艦よおーーどおわーのーー嫁ーーとかーーロリコン語ーー普賢さんーー三浦百恵ーー?ロリコンやくざねーーねーーー
鈴木さんもーー?可愛いーーロリでしたーー韓国ゴミよおおーーとかーー右翼エタぶりkrけーーむすこーーこかいんーーエリートーとかーー
横須賀ーー高校ーーおおいのよー
中華よおおおおおpーでそおーー?大鶴義丹三浦なーーさんぼんばしーーエタよおおーねーーー
みぽりんがーー終わるのーーーl?言うからーー?もおーーヤクザゴミーーむすめーー
ねーーさいせんーーわーーー?ざいぜんぼおーーー?
韓国ーー財前ーーーなおみーはーー?おわこーーー?おわこよねーーー?大鶴義丹ーーのおーーー?きちがいのでそおーーー?
子供ーー氷ーー生きーのがしーーとかいうーーボッタクリーーたいらんどをあーーかーーー
裏ーーRーー中山美穂ーーじゃーーかいーーかいーかいーーおわねーー娼婦わー
全部よーーー。。。

86 :
アメリカでーーもおーもおーー汁つつーーあるよおーー普賢さんーー中ゴミーーおめーのーー観光ーーやくざよーーあんたーーー
おわよーーごーごーーころしーーみくたんーーふげんーーろりこんーーよおおおおーかーおわーーぽりんちゃんーー?いうからーー?もーー乾いどーーおーなーーろりこんーーかーおわーー仏教でねーかーー
気がーーつおいのかなーーー?主婦よねーーいつもーー死ぬよーのーー次回ーーありーこどものーーいいこのーー次回ーあったーー時代よーーかーーおわーーRじかーーねーーー
行動ーーとくしzぃーーもおりもりもよーー。。とかーーロリコンーー口よーーポリンのーーみぽりんーおわよーーもおかーマカ山ーーだからーー?
コカのー子おわーーとかーー脅しーーー?
ねーーヤクザー日焼けーー終わるよーーいうとーーとかねーー。。小声ーーでもいうわよーーかーーおわーーみぽりんーーー
奴隷ーでしょーー?こどもー育てるのーーー?飛んだーー金ねーかーーおわーー仏教ーー貧乏ーー貧乏ーーぼっきょーー競輪ーさんーかーー

87 :
>>83
それを説明したのが、十二縁起じゃないの?

88 :
>>80
本当に遅いよ^^
>>81
っていうかさ
病気や心身の障害が苦ではあっても悪であるという
前世の悪の代償が今生の苦であるという決め付け自体が仏教的にも??なんじゃないの?
つまり安易な業報論を主張する連中の価値観自体がおかしいわけで
今生以前の無数の人生の行為の報いがなんであるか それこそ仏陀の神通でしかわからないブラックボックスじゃない?
私見ですが

89 :
ロリコンーーのーー汚染水ーーすいすいすいーーのーーぽりんちゃんーーおわだってーーこどもー見るよーー見るよーーー?
ねーどおわーーのーー娘だーーかーおわーーねーーー韓国もおーねーーお守りーー神社ーにー嫁いくよーー韓国死んでも死にーーきうらでもーー韓国とでもいくーーねーーー
公務のーーどおわーー終わらないーーとかもーーアメリカーにーーいえよーーおわよーーおとーさんもーーー
在日のーーイスラムーじゃーーないんですよーーー、lもーーおーーもおーーのーーすいーすいのーー牛米来ないーー?のーー?
宮内庁ーーー?ないよーないよーーどのーーこーのーー親なのこーーー?
ウィニイーーよおおおおおおおーーーー?ヤクザぞっとーーするーーおかなーいーーお金ー持つー女ーーねーーーおわーーーおわーーーおわーーーー
女房だからーーRよーーおめーーもおーおわーどおわよーー破壊ーー破壊ーー墓はいれーー。。みくちゃんーーごおおーーー
実行ーーー安倍政権ーーおわーーおわーーおわーーーでーー孤独なーー孤独ーーなーーこどもーー流しーーちぃうかーーよおーーー?大鶴義丹ーー。。。さんーー?中だしのーーー?ばかうえーーー?
りいさんーー三浦ーのーーばかこおりよーーかーおわーーおわーーわーいーのーー男ーおRーーりりさんーもおーー?りいさんねー?もおりもりーじゃないー。。どおわーーロリコンーーー
りいさんーのーー金ーうよくーよーめじよーねーーーねーーー、、、おわれー

90 :
>>81
では聞くが被差別部落に生まれたらどう考えるのが仏教的に正解なんだ?
世のシステムを怨むのが正解か?
貴族をブチRのが正解か?
他人に被差別部落者を特別扱いしてもらうことが正解か?
答えてみてくれ

91 :
長谷川さんのーー娘もおーーろりこんーーよーーまじよーー議員のばかよーーねーーー
理恵ーーのーーむうsめーよねーー右翼よねーー?ばかよねーーーおわーー長谷川さんーーおわこーーおわこーーおわこーーー
いつもーーいっしょーーのーーどおわーーいるよーー。。きもいーーやつらーのーーロリコンーー名アクーー?みーたーかーー?
のおおおわーーどおわーー娘とよーかわーえつじーーー?韓国ーー?とかいうーーくずよどおわーーー
昇さんーー悪いかなーー?横浜よおーー?まさーーけないーー長坂というーーばすーしーーーまちのーーくずよーどおわよーーー?
こえーー韓国のよーあほよーー議員ーーのーー祇園ー三浦畑よおーかーーおわーー登くんmーおわこーこーこーこーー韓国だからーかーー
犯罪競輪ーー?右翼よねーーー?はせはわーーねーーおわーーー明治がいーかおーーのーーかっぱーーちびー
昇ーー長谷川ー変外ーー変質者ーーろりこんだーーねーーーきもい
豚声ーーねーねーーがははーーがっははーのーー内味よおーーばかでーねーーねーー横浜声ーかーおわーー?ノーー理恵ーーおわでそーー?ロリコンモヨーー
おわーねーー長谷川くんーーにーなるーー利益ーー理恵ーー?なあいーーおwわこーーあかーおーーのーーこどもーねーーきもいねーー横須賀ーのおーーー?
むうsめーー守るためーー男ーのーー声ーー落としーーいいこかめーーおとしーーかーーおわーねーー昇くんもーねーー斬刑ーだーーおわねーー
ロリコンもねーーちゃんとねーーどおわよおーー韓国もよーーーねーー声あげあるよーー?かよこおわーーロリコンーーかよこどおわーー伝統ーもおわーーおわーかよこーーー
鎌倉学園ーもおーー?ないねーーないねーないねーかーおわーーどおわーーどもこーいうよねーー
野川ーもよーー産銀ーー隠しーーというーー技ー込めーーどおわーーりんーーうさいーー噂ー掛けーーどおわよーーくずよーーどおわーねーーまじねねーー
男ーー笛ーでーーもたにゃーー日本わー全部よーー自害ーーーおわーー長谷川ーーー昇ーーねーーーーロリコンーーもっとーよーーおわーー仏教でねーーー

92 :
ロリコンーーねーーおじーちゃまーー可愛がったーーかーー?おにあいーねーのーー韓国よーーもおーーお金ーーあげーー城島ーーのよーーもおねーかーー
ヤクザにーーお金あげしてたらーーー中山美穂でもー
コリアンですよーーかーーおわですよーーぼくちんーー秘密ーー守護ーーこっかいんーかーおわーーこかいんーでーーまだーー娼婦いるわーーいるわーーねーー
主婦わーーもおーもおーー変代ーーだもんーー今のーじじーーいーのーーろりこんーーもおーもおーおわよーーおわよーーー
神社ーーでもーだめーーみひーーーんーーのーーどおわーー。。かんけいしゃーーねーーねーーー
ずるいーー鈍いーRーーばっかでーーー?
観光ー嫁ーよおーーまじ馬鹿ーーかーおわーー高峰ーーさんもーー高見ーもーーゆうかもーーちれてきたからーーかーおわーーロリコンーー声あがれーのーーれーいじーのーー声ーー?
アメリカンーーあほこーおわーーですよーーロリコンデスヨーー

93 :
>>90
横レス
被差別部落は人間が作った制度であり
被差別部落の人間を蔑視することは人間が生み出した偏見だから
共に人間の前向きで善意の気持ちによる努力で解消しうる
じゃない?
そこに生れ落ちることは当事者として悪弊をなくす働きが出来ることでもある
単純に悪因の悪果とはいえないと思うけど

94 :
業論は同じ土俵に立ったもの同士の中での差異を表現したもの。
この中での差別は半端なくキツいだろな。
悪業の悪業たるゆえんだろなw

95 :
>>93
偏見で生まれたのか、理由があって生まれたのか知らないが、
まあこれは政治的な問題だから仏教で解決するものでもないかな

96 :
>>20
当然、輪廻転生によってすべての矛盾は解消します。
それ以外に矛盾なく説明できるものはありません。
基本的には出生時に記憶を無くしていますが、
稀にイレギュラー的に、前世記憶を保持していたり、
前世を想定しなければ説明のつかないことを語りだすケースは存在します。
今、科学的な検証データを蓄積している最中といったところなので、
時期により明確になるでしょう。
道の歩みにおいては、
いずれすべての修行者はあらゆる過去世の記憶を回復します。

97 :
>>68
肉体次元で人類が発生していなかった時代には、
魂は他の別惑星であるアストラル天体〜低位メンタル天体〜高位メンタル天体へと転生していました。
そして、最後に地球の動物人間の中へと吹き込まれました。
基本的には、動物魂と人類の魂は別物であって、
動物魂が人間に転生することはありません。当然、その逆もない。
すべては進化の法則に依っています。
下等生命である動物には、「善悪」の認識はなく、従って、善行によって上昇しようということもない。
この太陽系内の魂は600億といわれています。
つまり、殆どの魂は転生外にあって待機中だということ。
現在は、その内のただ十分の一が地球に転生中であることを意味します。
何の矛盾もなし。

98 :
>>90
>では聞くが被差別部落に生まれたらどう考えるのが仏教的に正解なんだ?
何言ってんだ?w
「全ての事象に」≪仏教的意味付け≫が、必要とでも言うのか???www
⇒「A君は、Bさんに告白したけど、ふられてしまいました」
⇒「目の前の石ころ蹴っ飛ばしたら、電柱にあたりました」・・・・
さて、仏教的にどう考えるのが正解だ?wwwwwww
・・・・Bさんは、その最悪の性格が災いして振られたと考えるより、「前世の悪業」
のために振られたと考える方が「仏教的」か?wwwwwww
石っころは、「前世で悪いことしたから」 蹴られて電柱にあたったのか???wwwwwwww

あえて言うなら、「縁起」による・・・・・ 最大限、言えてもこれだけだろうが?w
ある観測された事象に「因」がある・・・とするのは良し。
問題なのは、分かりもしないくせに「特定の事象に勝手に意味付け」することなんだよww
「分からないことは、分かりません」・・・・というのが仏教的スタンスなのでは?w
・・・・・「被差別部落に生まれついた」・・・・・・
通常の視点からすれば、それは「父ちゃんと母ちゃんが、被差別部落民だったから」wwww
で、終了www
それを仏教的視座からの物言いで言えば、「縁起によります」・・・・・・
ここまでで、十分だろうが?w
そこに「前世の悪業」なんぞを持ち込む必要性は全くなし と思うがねww

99 :
>前世を想定しなければ説明のつかないことを語りだすケースは存在します。
はい、大嘘wwwwwwwwwww
このスレも含めて、他スレにおいてもww
≪唯の一件も≫    ≪前世を想定しなければ説明のつかない事例≫
など、ありません。
・・・・・⇒ 「唯の一件も」ですwwwwww
あるというなら、挙げてみろやwwwww
全ては、そうであると信じたい者が、そうであると主張しているものばかりじゃww
以前にも言ったが、
@六歳の少年が、「前世が数学者であると言って、突然、高度な数学の問題を解ける
ようになった」・・・・なんて事例があったか?www
A「私は、今ではもうとっくに滅んでいる村で1000年前に、頭に斧を打ち込まれて
殺されました。」・・・という証言に基づいて、その者がいう場所を数十メートル
掘り返してみたら、未発見の遺跡が見つかった。さらに、その者が指示する場所で
証言通りの死体が発見された。・・・・・こんな事例あったか??wwww
あったのは、全て「前世では・・・・の村に住んでいて、家の様子は・・・・で・・」
などと、事前情報入手可能な事例ばかりww
「いえ、この人は、その村に行ったこともなければ、人から話を聞いたことも
ありません。」・・・・という証言を信じることで成立する話ばかりww
つまり、信じたい人は信じてください  というレベルの話ばかりwwww

100 :
若干ミスww
98の  「・・・・Bさんは、」  は、 「A君は」の間違いww

101 :
>>69
差異が生ずるには必ず原因がある。
当然、そのすべての元となる因果は自分自身にある。
それは自己の行為による必然的な果報であるから、誰のせいでもない。
善行には善果が生じ、悪行には悪化が生ずる。
この法則から外れるものはなし。
であるから、努力と善なる生き方には価値があるのです。
結果が保障されるから、努力に値する希望がある。
従って、
差異が生ずることこそが完全平等を示すもの。

102 :
>>90
>では聞くが被差別部落に生まれたらどう考えるのが仏教的に正解なんだ?
> 世のシステムを怨むのが正解か?
長部経典の「自歓喜経」や「等誦経」に説かれている「入胎の法」では、誰でも母胎に宿るまでは意識(前世記憶)があります。
ある程度は自らの意志で親や環境を選んで生まれてくることになるという意味ではないかと、私見ですが。
実際に歴史に名を残すような偉人の場合、多くは貧しく、差別される環境や、幼き日に両親を失うような環境に生まれてきます。
現世を安易ではない修行の場として理解し、敢えて厳しい環境を選んでいるようにも観じられる次第です。
またいかなる被差別部落を含む厳しい環境であっても、「地獄」の長期滞在と比べれば決して悪くはないのかも知れませんね。

103 :
>>102
>またいかなる被差別部落を含む厳しい環境であっても、「地獄」の長期滞在と比べれば決して悪くはないのかも知れませんね。
【譬え話】
毎日、世界中で生き先を書いたチケットが発行されます。「裕福な家」、「普通の家」、「貧しい家」、「被差別部落」等々です。
天界の住人達の多くはこれらチケットには見向きもしません。寿命を全うします。
しかし、地獄の住人達にとってはどのチケットも高い倍率の争奪戦です。
「俺は前世で人々を差別したカルマがあるさかい、次は差別される環境に生まれて清算しよう。数百年居たここ(地獄)よりもずっとよいし。」

104 :
善因善果悪因悪果の善悪の分別こそが問題だ
それぞれ個人の善悪の分別が、普遍的或いは仏教的善悪と同じだという保証がないだろう
いや、それ以前に太郎の分別する善悪と、次郎の分別する善悪でさえ違う

105 :
日蓮大聖人は、主師親の三徳の、全世界の主・全世界の師・全世界の親である。
池田大作先生は、主師親の三徳の、全世界の主・全世界の師・全世界の親である。
池田大作先生は蓮祖聖人である。

106 :
>>77-78
ゴータマが弟子アングリマーラに対して、
難産で苦しむ夫人に“真実語を発して祈るよう“にと指示したことを忘れましたか?
その結果として、婦人の苦しみは和らぎ無事に出産したと締めくくられたことを。
あなたの説明では、祈りも発する言葉も効力無しになる。
>>98
いや、そういった何でもすべてが前世と関わるものではないですよ。
さっきの行為の結果が今生じた。昨日の行為の結果が今日現れる、
といったものの複雑な総計が人生です。
しかし、
異性にフラれやすく好かれない性格の一部なり、そして生まれつきの容姿は前世の因果でしょう。
石ころ蹴りのコントロール?、運動神経の生まれつき部分については前世の因果でしょう。
人は過去世(前世)の行為によって、自分の生まれる先が決定します。
誰のせいでもないから------これが真理
原因(自己の行為)がすべての結果を生む。
従って、結果を見ればその原因も想定できる。
原因無くしてカルマ(業)の発動なし。
このような見解を否定する考え方が「邪見」。
仏教的に最も宜しくないものです。

107 :
>>99
@
のような、知らない筈の異国の古代言語を話す事例については、
以前にTV『アンビリバボー』から紹介しました。
しかし、あなたはそれを無視しました。
A
あるでしょ。学者も馬鹿じゃない。
ただ、あなたが知らないだけ。自分で知ろうという気がない。
あなたはどんな事例すらも、
ヤラセだと決めつけるのだから無意味です----だからお話にならない。
唯物主義者はどんな幽霊話も認めない。自分が直接体験しない限りは無理だから。
よって、議論も無理。

108 :
>>81
>例えば障害者は仏道に入るの禁止ww   
それは一部の愚かな僧侶どものせいです。本当に馬鹿どもです。
障害者には親切にしなきゃならない(世間一般人でもわかること)。
すべての人間には、仏道に入ることのできる機会を平等に提供しなければならない。
>部落のものは汚らわしいwので隔離しましょうね  ってなるww
>アホか  ってのwww
困っている人、
虐げられた人々に救いの手を差し出すのが仏教精神。
隔離? まっ、そういう人々はその果報を受けて自分らが困ることになる。

109 :
>>23
おやおやついには人格攻撃かい。論では勝てないと決まってこうなるな。父と子。ソフィアと叡智。男と女。
そして聖霊とロゴス。これらの意味をわかれば三位一体に繋がるんだよ。前スレ>>997で書いた文章。特に子宮の下りは
ナグハマディ文書から取ったものだ。それを書いたら支離滅裂だってよ。お前はグノーシスを全く理解してないじゃないか。
グノーシスの解説本に書いてなければお手上げか?俺は答えを知っているがここでは語るまい。
他人の言説をパクッて自分の言葉のようによそで語るのは結構だが、オリジナルに感謝することもなければ尊敬することもない。
それどころか貶すような人に真理を語るのは相応しくない。ナグハマディ文書には霊肉一元の話も出てくるぞ。
それらは取捨選択で切捨てかよ(呆)子宮の喩えの話。不二一元の単独者の意味を理解し、御国を正しく理解すれば、
復活には身体の復活が必要だと書かれてる一方、身体を捨て去らなければならないという相反する内容の矛盾も
解決するんだよ。そしてグノーシスも新約聖書も書かれている内容は同じ真理について書かれていると理解する。
そしてゴータマの仏教もね。決して別物じゃない。真理は一つだ。二つのものは無い。ゴータマの仏教といえどもヴェーダ
を元にした新興宗教にすぎない。ヴェーダのテーマと言えば自性、ブラフマンだ。ブラフマンに重きをおかず、
自性を仏と呼んで、それをあるともないとも明言をさけ、のらりくらりと教えを説いて皆を惑わしたのがゴータマさんの
仏教。ゴータマさんは仏に留まることを涅槃静寂と呼んだ。彼の教えは滅びの教え。仏教は救いのない唯物論者の為に
残された宗教なのだろう。本当の教えは違うんだろうけど、仏典を読めばあえて誤謬させるように書かれている。
自性より、ブラフマン=真我を重きを置いて教えを説くのをヒンドゥー。そして自性を天の父。ブラフマン=真我を独り息子と
呼び、涅槃静寂を安息日と呼べばキリスト教となる。キリスト教は最も重要な復活にスポットを当てる。
君らは違う違うと言うが、これらの教えは同じ真理をベースに出来たものなんだよ。まぁ盲人のシモン君は、幼稚な霊肉二元論。
この世界とは別の霊界やら自性界(爆笑)とやらを夢見て御伽噺を語ってればいいと思うよ。

110 :
>>107
>@
>のような、知らない筈の異国の古代言語を話す事例については、
> 以前にTV『アンビリバボー』から紹介しました。
>しかし、あなたはそれを無視しました。
wwwwwwwwwwwwwwwwwwww  知らねえわいwwwww
何だ?  そりゃ??
その古代語を話すやつってのは、当然ながら、単語レベルではなく
ネイティブのごとく話すんだろうな?w  そして、誰がその判定を
したんだ??  誰も古代語を ネイティブのごとく話せるやつなんて
現代にはいないだろうが??ww
そして、ここが最もじゅうようなところだが、当然、そいつは学会で
認証されたんだよな?ww  トンデモ学者のお墨付きのみ  なんて
わけねえよな?wwwwwwwww
>A
>あるでしょ。学者も馬鹿じゃない。
>ただ、あなたが知らないだけ。自分で知ろうという気がない。
有るでしょじゃねえんだよww だから、それを挙げてみろ ってのwww
こっちの反論不可能な事例ってやつをwww
お前、いままで「ただの一度も」 それを出来たことなかろうが?www
そして、こちらが信じようとしないから悪い    となる。  アホかwww
信じる、信じないとかのレベルではなく、「そう考えるしかない」事例ってのを
提示せよ  ってのwww
「全ての批判的反論を排除できる事例」・・・・・ないでしょ?
だから、所詮、「信じたい人は信じてください」  って話なのwwwww

111 :
>>25
ついには仏教とキリスト教は全てにおいて相反すると言い出したぜ。
ならおまえ。なんしにここに来てんの?変な人だね。
おまえ、少し前は、ゴータマの仏教を正しく理解できるのは俺達グノーシスだと言って
前スレ>>745で偉そうに
>釈迦は優れた導師だよ。
>釈迦はattanを求め続けたが、皮肉にもそれは
>すべてのattan(我)への執著を捨てることで
>はじめて到達しうる境地だった。
>俺が西の霊性であるグノーシスで至った見地と同じことを説いている。
なんて抜かしてたんじゃねぇのかよ。それが全てにおいて相反すると言説が変わってらぁ。
全てにおいて相反しているのは、常見外道の誤謬だらけの君のグノーシスであって、グノーシスを
正しく理解し、本当のキリスト教を理解すれば相反するどころか真理については同じことを語っていることを
理解するんだよ。皆さん。シモン君やその辺のグノーシスの解説書に書いているグノーシスは
本当のグノーシスでは無いので誤解のないように。学者がイエスの教えを正しく理解していれば彼らは
キリストだし、学者が正しくゴータマの教えを理解していれば彼らは阿羅漢だって。でも事実は
違うだろ。

112 :
>>23 シモン氏
>>109 カラス氏
お二人とも仲良くね。
私もナグハマディ文書(トマス伝、フィリポ伝)、死海文書、マリア伝、ユダ伝は一読しております。

113 :
〜このような、
未だに、
「輪廻転生ってあるの?」
「そんなものあるかどうかなど分からない。」
「いや、ある筈がない。絶対にない」
などといってる人ばかりの仏教スレなんか、
まともな仏教者は相手しない。
長期に及んで参加したのは、
仏典記述を丸呑みで南方仏教を見下す大乗マンセーの一代と、
基本に忠実で真摯な姿勢の不説さんぐらいなもの。
後は誰も相手しない。
だから、このスレはすぐにあなた方、唯物主義者たちの巣窟となるのです。
そしてスレ上で多数派を占めて互いに「そうだそうだ!!」といって喜んでいる、と

114 :
>>25
>釈迦の道諦や八正道も仏教の究極目的である解脱を成す道であって、それはキリスト教的救済や目的に
>転用するなんてことは論理的に不可能。
だってよ。さすがサロメからグノーシスにおける救いのメソッドを聞かれても何も答えられないだけのことはある。
この人はグノーシスを何もわかっちゃいないんだよ。デミウルゴス界などアホな事言ってるし。
聖霊体験などとわけのわからん奴も登場するわ。君らはお似合いだよ。聖霊体験って一体なんなんだよ(爆笑)
聖霊体験などとほざいてる奴は、聖霊の意味を理解してないんだよ。

115 :
神智学=アージーヴィカ教
なんつってなw
>>70

116 :
>>112
みんなヨハネスが悪いんだよ。

117 :
それから、
>ゴータマが弟子アングリマーラに対して、
> 難産で苦しむ夫人に“真実語を発して祈るよう“にと指示したことを忘れましたか?
>その結果として、婦人の苦しみは和らぎ無事に出産したと締めくくられたことを。
>あなたの説明では、祈りも発する言葉も効力無しになる。

これ? なんの話だ????
もしかして、「私は今まで一人も殺していません。その功徳によって・・・・・」
言わせた話のことか?w

118 :
>>111
何を勘違いしているのか知らないが、俺はグノーシスを「キリスト教」(カトリック、プロテスタントほか)だとは思ってないから(笑)
学術的にもグノーシスは「キリスト教」と「同時期」にユダヤ辺縁で発祥したとする説が有力。
旧約の神を否定し、「肉の復活」を否定し、「預言者」を否定し、「終末」を否定し、「審判」を否定する
グノーシスはキリスト教の相当の蛇ではあっても、およそ同じ思想体系で括れるものではない。
ていうか、お前グノーシスについて少しでもまともに研究したことあんの(笑)?
荒井とか大貫とか柴田とかクルト・ルドルフとか。
初心者はスコペロの「グノーシスとは何か」から読んどけ。200ページに満たない小冊子だが、
グノーシスの何たるかが凝縮されてる。そしてお前がどれだけあり得ないことを言ってるかが理解できる。

119 :
相当の蛇→双頭の蛇

120 :
>>118
偉そうな能書きは、自説に合わない文言は取捨選択せず、復活には身体が必要。復活には身体を捨てるの
相反する内容の整合性を取れるような智慧を付けてから抜かそうや。グノーシスは霊肉二元論などと抜かしている
学者なんて何もわかってねぇんだよ。仏教とヴェーダは別物なんていう仏教学者と同じくな。
お前に言わせりゃ、学者の能書きがイエスの教えかよ。笑かすな、おまえ。

121 :
>>117
そんな嘘は言えないと断ったでしょ。
ゴータマの指示で唱えたのは、
「私は仏道に帰依してからは故意に命を奪ったことがない」です。

122 :
宗教は学問じゃない。真理は学問じゃない。それを学問として捕らえ、学問的なアプローチでしか
理解しようとしない人には真理は理解できない。もちろん聖霊も下らない。シモン君を観察すればよくわかる。
彼は学者の書いた能書きをそのまま語っているだけで、智慧の欠片もない。学者の見解がなければそこで思考停止だ。
俺はお前と違って学者の能書きを語っているんじゃないんだよ。イエスの教えを語っているんだよ。

123 :
相も変わらず詭弁を好む大悪人パッパラパーピマンはピーチクパーチクうるせぇな。
こいつのハンドルはまんまそのままなので笑える。この際、隠居は悪魔ナムチを名乗ってくれれば最高。
面白い話を見つけた。話のネタにどうぞ。
http://www.circam.jp/tvguide/detail/id=2597

124 :
>>115
あのですね・・・
運命決定論じゃないから。
生まれの境涯が前世に依るというのは「縁起」のことですよ。
縁起とは「因縁生起」の略であって、
現象界の事象すべては必ず、直接原因と間接原因の二つの原因があって生じているという見解のこと。
または、「因」(原因)と「縁」によっていう言い方もある。
火は、燃える物と高熱の二つの原因、
または原因(可燃物の存在)と縁(高温という条件)とによって発生する。
氷は、水と低温の二つによって生ずる。
どれが一方ではダメ。
で、それはどうして?どうして?と、果てしなくその元となる原因が必ずある。
無ければ(結果は)生じないから。
その生まれの環境(条件)の中でその人がどう生きていくか?
その選択と行動の在り方、如何によって更に無限の結果があるということ。
人の行為と努力が重要ということ。
「偶然」なんていう馬鹿なことをいう仏教者はいないから。

125 :
あほらし。
学者うんぬん以前に、お前のは基本を学ぶ意欲も能力もないだけだろ。
偉そうに達観した態度をとるなら、岩波のナグハマディ文書原典訳全4冊、別巻1冊はくらいは読破してるんだろうな?

126 :
あうあうあうあうあうああー
::::::::: へ( ^q^')ノ        おれがラノベとか文学とかSFとか読んでる間に、
:::::::::   (┐ノ          みんな宗教書読んでるから、全然追いつけない。
:::::::::: /           
:::::::::::::::::::::::::::::::::

127 :
>>123
はい、その取材放送です。
お手数をかけまして有難うございました(感謝!!)
>>110
>wwwwwwwwwwwwwwwwwwww  知らねえわいwwwww
>何だ?  そりゃ??
これです。>123

128 :
>>125
ナグハマディ文書4冊は持ってるぞ。
聖書や仏典もそうだけど、あのような聖典は君のような智慧のない者が読んでも
意味がない。イエスの教えは学問ではない。学者の能書きとイエスの教えは違う。それくらい理解しようや。

129 :
まっ、
彼は都合の悪い事例はすべて“ヤラセ“ということにするから何を言っても無理なんですね。
答えは最初から彼の中になるから(ある筈がないから、あると主張する話は嘘か勘違いだ)。

130 :
あうあうあうあうあうああー
::::::::: へ( ^q^')ノ        まあ、おれはシモンのおかげでグノーシスがちょっとでもわかるのは嬉しいわ。
:::::::::   (┐ノ          なんだかんだと神秘的な珍しい発想があって、よいものだ。
:::::::::: /            まあ、グノーシスの全体像はまったくわからないんだが、
::::::::::::::::::::::::::::::::: とりあえず、格好良いものとしておれには映ってるね、グノーシスは。

131 :
>>124
いやw ポイントはそこじゃなくて、
(―つか、勿論“そこ”こそが、「業(果)による現時点・現状の説明」という
 他三?師との共通項にプラスされている相違なわけだが―)、
「輪廻(というシステム)に於ける“浄化過程”」
「(魂の)成長及び過去の罪の清算過程」
「(魂の)現時点で背負っている負荷・負債(≒苦、≒業)の理由付け」
が、そっくり、ってこと。
リンクの上二つ読んでみれば解るよ。

132 :
あうあうあうあうあうああー
::::::::: へ( ^q^')ノ        ナグ・ハマディ写本すげえなあ。
:::::::::   (┐ノ         よくこんな文書があるなあ。
:::::::::: /            奥が深いぜ、グノーシス。
:::::::::::::::::::::::::::::::::
グノーシスは旧約の神を悪者にしているから好きだな。
プレローマというものがなぜ神になるのか理解できないが。

133 :
>>33
>グノーシスの起点となる発想は「人間論」、すなわち、
>我々は何者なのか、どこから来て、そしてどこへ向かうのか。
 
グノーシスは聖霊体験ではないかと誤解しましたが、
それは花婿が登場する「復活」の部分なのだと自己解決しました。
聖霊 → 霊魂 → 霊界とバラバラに体験したが、
グノーシスはそれらを関連させた神話ですね。
 
霊界で服をきているかどうかの件は、三途の川の近くですが、
どの人も春向きの軽装で裸の人はいませんでした。

134 :
あうあうあうあうあうああー
::::::::: へ( ^q^')ノ        おれの人生は苦痛だったから、
:::::::::   (┐ノ          現生肯定的な宗教より、一切皆苦の仏教や、この世界は偽者の神に作られたとするグノーシスが好きだが。
:::::::::: /            子供の頃にこんなのが真理だといわれたら、生きてく気力をなくしちゃうわ。
::::::::::::::::::::::::::::::::: その均衡が大事よね。

135 :
福音書に花婿や花嫁のたとえ話があるが、
 
グノーシスとの関連を考えると理解できそうですね。
 
福音書にもグノーシスが流れ込んでいる。

136 :
あうあうあうあうあうああー
::::::::: へ( ^q^')ノ        日本は明治維新で仏教の肉食禁止を廃止して、自由な社会を築いたが、
:::::::::   (┐ノ          イスラム教はブタが食えない。
:::::::::: /            ヒンドゥー教は牛が食えない。
::::::::::::::::::::::::::::::::: キリスト教は、ウェディングドレスと帽子が厳しい戒律だわ。

137 :
はいはい、読みましたよwwwwwwwwwwwww
まあ、、バラェティー番組などで、「不思議なこともあるんですねえ」
とアホな視聴者の興味を引くには、いい話かもなwwwwww
先ず、「大前提である」  ⇒「事前情報の入手の可能性の排除」
・・・・・・その他の例と同様にこれが全く行われていないのwwww
@ネパール語を学んだ経験ない・・・・これがどうやって担保されてるの????
ウソ発見器だ????wwwww  それで全てわかるんなら、裁判所の証言の信憑性の
検討など必要なくなるわなwww
お前、古代語とか言ってたよな??
そりゃ、「ある人が誰も知らない古代語を話しました。 そして、誰も分からない文字で
話を記録し始めました。
ところが、それから、数十年後、ある遺跡からその古代文字が発見され、
その解析に成功したところ、その人の古代語と全く同じ言語であることが証明されましたwww」
こういう「事前情報入手不可能」な事例はないでしょ????wwwwwwww
全て、「証言者の証言が正しい」という前提に立っての「お話」ww
つまり、「信じるか信じないかは、あなた次第です」WWW   ってのwwwwww

138 :
>彼は都合の悪い事例はすべて“ヤラセ“ということにするから何を言っても無理なんですね。
だから、「やらせ」と言えないような事例を、「たったひとつ」でいいから
提示せよと言っても、できないんでしょ?wwww
だから、「信じたい人は信じてください」なんだよwwwwwwwww

139 :
>>121
>そんな嘘は言えないと断ったでしょ。
>ゴータマの指示で唱えたのは、
> 「私は仏道に帰依してからは故意に命を奪ったことがない」です。
何が言いたいんだ????? 
さっぱり、なんだがww   あの話が、「呪法とか祈祷の効力」を証する話だと???

140 :
>相も変わらず詭弁を好む大悪人パッパラパーピマンはピーチクパーチクうるせぇな。
相も変わらず「詭弁、詭弁」とうるせえな、この 「きべん鳥」はwwwwwwwww

141 :
>>135
グノーシスの結婚とは、肉を脱ぎ捨て、「自己」を見出すこと。
「彼らは喜びの結合の内に・・・知性の結合の中で一つにされた。それは真実の結婚であり、
それぞれの知性のうちの、朽ちることのない休息であり、言葉に表せない神秘のうちに成就される
照明である」(「大いなるセツの第二の教え」NHYZ2,66,34−67)
「自らの光に気付いて彼女はこの世を脱ぎ捨て、自らの真の衣服で身を飾る。その結婚衣装は、
肉体の傲慢さのゆえではなく、霊の美によって彼女を飾る」(「真正な教え」NHY,2,32,2-8)
それは釈迦の説く涅槃と同じく、この世の「苦」を滅却する「滅道」となる。
「この結婚は肉的な結構のようなものではない。互いに一つになった者たちは、この結合に陶酔し、
重荷や欲望による苦悩といったものから解放されて、もはや互いに離れることがない。」(「魂の解明」NHU,6,132,27)
この結婚は新たなるものではなく、「始原」への回帰である。
「最初、魂が夫を失う以前、彼らは父の前で一つになっていた。この結婚は彼らを新たに結び合わせ、魂は真の恋人、
その本来の主と一つになる」(「魂の解明」NHU6,133,4-9)
人が失われた夫を見出すとき、人は自らが「集められた」ことを知り、父へと帰一する(救われる救済者の奥義)。
「私は汝であり、汝は私であり、そして汝のいるところに私はいる。私はあらゆるものの中に散らばっており、汝は
汝の望むところから私を拾い集め、私を集めつつ、汝は汝自身を集めるのである」(「エヴァ福音書」断片、エピファニオス「パナリオン」から)

142 :
>>134
あ、一つ大事なポイント忘れてた。
「現状の(各生に於ける)境遇は、
 《その時点で負っている“業(果)”の程度》
  及び
 《魂の浄化レベル(→修行の階梯、各成長)に応じたステージ》である」
というとこ。

143 :
あ、透明あぼんが増えてるもんでアンカーずれたw

>>131
あ、一つ大事なポイント忘れてた。
「現状の(各生に於ける)境遇は、
 《その時点で負っている“業(果)”の程度》
  及び
 《魂の浄化レベル(→修行の階梯、各成長)に応じたステージ》である」
というとこ。

144 :
>>141
そこに紹介されている話が聖霊体験そのものです。
どう自分を滅したかは別に、神(永遠の命)の雫が頭の中に落ちてきます。
ほんの一滴ですが、それは永遠なのでほんの一滴で十分です。
 
たぶん釈迦も体験したと思うのですが、間接証拠しかなく、
その具体的な記述が見当たらない。仏典の「甘露」は聖霊かもしれない。
体験した時期は、瞑想修行中、スジャータと出会った直後。

145 :
>>141
ところが一方ではこう言っている。
〜フィリポ
>私としては肉は蘇らないだろう。問いう他の者達を非難する。もしそうであれば、二つの立場でどちらも誤っていることになる。
>君はこういうだろう。「肉は蘇らないだろう」と。しかしそれならば私に言ってみてくれ。一体なにが蘇るのかを。そうすれば
>我々は君を尊敬するだろう。君は言う。「霊が肉の中にある。そして肉の内なるこの別なる光がそれである」と。
>だがこの別なるものは肉の内なる言葉。ロゴスのことである。なぜなら君は何を語るのであれ、肉を離れては何一つ語れない
>からである。この肉にあって蘇ることが必要である。なぜならあらゆるものが肉の内にあるのだから。
君はこの文言を都合よく取捨選択して切り捨てる。そんなのは駄目なんだよ。
御国は内側にあり、面前に広がっている。面前にあるものを認識せよ。面前にあるものを認識すれば御国は我々の間にあることを
理解するだろう。

146 :
どう受け取るかは自由だが、キリスト教の聖霊は、あくまで外から降りてくるパラクレートス。
グノーシスの花婿は、始原において一つであったが、今は失われ、魂が忘却してしまった真の自己。
「キリストは、最初のときから存在していた分離を修復し、この二つ(男性と女性)を再び一つにし、
分離の中で死んでいたものに生命を与え、彼らを一つにするためにやって来た」(「フィリポ福音書」NHU3,70,9-17)
「あなたがたが、二つのものを一つにし、内を外のように、外を内のように、上を下のようにするとき、
あなたがたが、男と女を単独者(モナコス)にして、男を男でないように、女を女でないようにするならば、
・・・そのときあなた方は入るであろう」(「トマス福音書」NHUFG,22)

147 :
>>145
フィリポ福音書が諸種教派の語録、教説の断片集で、グノーシス派内部の
雑多な主張をそのまま編纂していることは、何度も説明してやったはずだが?
実際には、シモン派、ヴァレンティノス派、バルベーロー派、セツ派、カイン派、ナハシュ派
等のグノーシスの枢軸となる主要教派はほぼ霊肉二元の考えで統一されてる。

148 :
>>141
聖霊体験をした半年後ぐらいに坐禅中、霊魂体験をしましたが、
霊魂は透明な球体であり、自我は消滅しているが意識(純粋意識)があります。
この体験で、自分が何であるか、(神と同質かもしれないが)
神とは別の個体であることも知りました。
霊魂には自己意識があり、感覚器官はないが感覚もあります。
 
周囲は神の世界(白い霧)であり、涅槃であり、
中村訳、感興のことば(ウダーナヴァルガ)26章に酷似しています。

149 :
あうあうあうあうあうああー
::::::::: へ( ^q^')ノ        グノーシスだと結婚は霊的結合みたいだけど、
:::::::::   (┐ノ          すると、グノーシスだと離婚はどうなるの?
:::::::::: /           
:::::::::::::::::::::::::::::::::

150 :
>>141
>あなた方が父が人間を愛しているとか、祈りによって願いが叶えるとか、別の人の為に誰かに恵みを与えるとか、願う人間が
>我慢するなどと考えているのか。彼は人間の意志も、肉が必要とするものも知っているのだからまさに肉が魂を
>求めるのではないか。なぜなら魂なしで身体が罪を犯すことは無い。霊なしで魂が救われる事が無いのと同じである。
>しかし悪の無い魂が救われ、霊もまた救われるなら、身体には罪が無くなる。なぜなら、霊が魂を起こし、身体が魂をRの
>だから。すなわち魂が自らをRのである。〜ヤコブのアポクリュホォン
お前はまだまだだ。身体の復活と、肉をまとった者は誰も救われないという矛盾を解決するだけの智慧を得てから俺に意見するん
だな。学者の解説通りにしか意見を述べられず、学者の解答が無ければ思考停止のレベルで俺に意見するのは100年早いんだよ。

151 :
>>149
元の夫と別れ姦淫で生まれた子供は全て呪われる。その報いは死だ。姦淫で生まれた子供。それは我々のことだよ。

152 :
>>147
だから都合よく取捨選択するなって。智慧のあるものなら全て整合性が取れるんだよ。
新約聖書と、グノーシス系文書もね。学者の能書きはイエスの教えとは違う。それくらい理解しろって。

153 :
どの道君らの種族に種を撒いても収穫は少ない。君らは勘違いしている人が多いようだけど、
君らの種族で救われる人は本当に少ないんだよ。そんな君らの為に末法仏教は用意された。救いようの無い
唯物論者にも死への恐怖を乗り越える宗教は必要だからね。君らに種を撒いても多くはエネルギーの無駄なのでもう寝るわ。
他人を救うより、まず自分からだしな。教師になんかなるもんじゃない。今日撒いた業も自分に返ってくる。
父よ。愚かな私を許し、救いたまえ。そして縁あるこの人達を救いたまえ。偽善かな。また罪を犯した。
お休みだアホ共。早く悟れよ。

154 :
>>150
あんたがネットから引用してるのは分かったが、ヤコブのアポクリュフォンは
肉の復活なんざ認めちゃいないから。
ていうか、あんなたが引用した個所の直後に
「まことに私はあなたがたに言う、彼は魂の罪を決して赦さず、肉の罪過をも決して赦さないであろう。なぜなら、肉をまとった者は誰も救われないからである。あなたがたは、多くの者が天の王国を見いだしたと思うのか。」
とあるんだが(笑)文意を破壊する引用はどうかと思うぞ。

155 :
あうあうあうあうあうああー
::::::::: へ( ^q^')ノ        >>151 新約聖書には離婚を認める記述があったはずだけど。
:::::::::   (┐ノ         
:::::::::: /           
:::::::::::::::::::::::::::::::::

156 :
レス番飛びっぱなしだがw、
いいかげん“グノスレ”建ててそっちでやれよ・・(^^;
いつまでも間借りしやがってw

157 :
イエスは言われた。「あなたたちの心が頑固なので、このような掟をモーセは書いたのだ。
しかし、天地創造の初めから、神は人を男と女とにお造りになった。
それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、
二人は一体となる。だから二人はもはや別々ではなく、一体である。
従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」(マルコ10:1-12)
一般的にはイエスがモーセの律法を厳格化したものとして不評だが、
グノーシス的見地で言えば理解できる。

158 :
あうあうあうあうあうああー
::::::::: へ( ^q^')ノ        おいらは過去の宗教は全部狂信だと思ってて。
:::::::::   (┐ノ          でも、それぞれいいところはあるだろうから、日本人に都合よく寄せ集めれないかなあと思ってる。
:::::::::: /            で、グノーシスが仏教と融和性が高いとか前スレでいってたから、利用できないかなと思ってね。
:::::::::::::::::::::::::::::::::

159 :
善因善果悪因悪果が今世限りの道徳的意味合いなら誰でも信じるでしょう。
生まれ変わりを前提、土台として生前-死後と業報-果報が続いてゆく〜というのは
信じたい人が信じれば良いだけ。形而上で仏教的には無記です。仏陀はそのような
存在論を無視して、あり方について考察を深めて覚った人です。
あるのかないのか?なんて誰にも分からない。コレが正しい見解。

160 :
あうあうあうあうあうああー
::::::::: へ( ^q^')ノ        >>157 ありがと。
:::::::::   (┐ノ          あれ? おれの勘ちがいか。
:::::::::: /            新約聖書は、離婚を認めていないのか?
:::::::::::::::::::::::::::::::::
おれにとっては、愛の正解など誰も知らないのだから、恋愛結婚の問題は人それぞれ勝手にやってろ、と思うけどね。
でも、恋愛弱者の救済がほしいね。その点、イスラム教は、妻のない男性には妻を世話しろと教えているね。

161 :
アーナンダよ。邪見とは何を縁として生起するのか?師よ。それはエゴにより生起するものです。
その通りだアーナンダよ。邪見はエゴを縁して生起するのだよ。
>>154
ん?おれはちゃんとナグハマディ文書、説教書簡から引用したんだが。だからその後に続く、肉をまとった者は誰も
救われないと言う文言を入れ、この矛盾を解決してから俺に意見しろと言ったんだよ。別の章で書かれた矛盾点を指摘
するならまだしも、同じフィリポで編集された矛盾点を己の智慧のなさで解決できないからと、取捨選択し、
自説に合わない文言を切り捨てて解釈する読み方は単に己のエゴに従って読んでるだけで、全然駄目だと言ってるんだよ。

162 :
>>155
それは相手がクリスチャンで無い場合。本当のクリスチャン同士の離婚は許されない。
もちろんこの場合の婚姻とは、世俗の婚姻とは違う意味だけどね。

163 :
彼の子羊は彼の言葉を聞き分ける。違う人達は決して彼の言葉を聞こうとしない。
ま、そういうものだ。本当にもう寝よう。今日も仕事だしな。

164 :
あうあうあうあうあうああー
::::::::: へ( ^q^')ノ        純白のウェディングドレスを着るのを、キリスト教会は処女にしか認めないらしいからね。
:::::::::   (┐ノ          少なくても、新郎以外の異性と性交渉のある女性は色つきのドレスを着せられる。
:::::::::: /            と、聞いているけど、本当なのかなあ。独身ひきこもりのおれにはよくわからないよ。
::::::::::::::::::::::::::::::::: 映画のように純白のウェディングドレスは着ていると不自然なのかもねえ。

165 :
>>161
笑わせんな。お前国語の点数ゼロかよ(笑)
>>肉が魂を 求めるのではないか。なぜなら魂なしで身体が罪を犯すことは無い。霊なしで魂が救われる事が無いのと同じである。
→霊が魂を救うように、肉は魂をR。しかし、肉だけでは罪を犯すことができないから、肉は魂を求める。
>しかし悪の無い魂が救われ、霊もまた救われるなら、身体には罪が無くなる。なぜなら、霊が魂を起こし、身体が魂をRの
>だから。すなわち魂が自らをRのである。
→霊が魂を救うことで、肉は魂を殺し、魂に自らを殺させる(罪を犯させる)ことができなくなる。
肉は魂を通じて罪を犯させる。ゆえに、肉をもっては救われない。これが原意だよ。大丈夫かお前(笑)

166 :
あうあうあうあうあうああー
::::::::: へ( ^q^')ノ        キリスト教の結婚式の誓いは、
:::::::::   (┐ノ          「汝、病める時も健やかなる時も妻を愛することを誓いますか?」
:::::::::: /            だったっけ。
::::::::::::::::::::::::::::::::: 神道の結婚式では、新郎新婦が「わたし、誰々と、(わたし、誰々は)夫婦になることを誓います」と宣言したような気がするなあ。
とにかく、キリスト教でも日本神道でも、結婚式では新郎新婦は「誓います」と宣言しなければならないようだねえ。

167 :
あうあうあうあうあうああー
::::::::: へ( ^q^')ノ        仏教は、結婚を認めてないからねえ。
:::::::::   (┐ノ          ギャグみてえな宗教だなあ、仏教は。
:::::::::: /            国教とはなりえない。みんな出家したら、その国、滅んじゃうよ。
:::::::::::::::::::::::::::::::::

168 :
何で仏教のスレでキリスト教について語るのか分かりません。

169 :
あうあうあうあうあうああー
::::::::: へ( ^q^')ノ        >>168 グノーシスについて語っていたんだよ。
:::::::::   (┐ノ          新約聖書を典拠とするが、キリスト教ではないらしい。
:::::::::: /           
:::::::::::::::::::::::::::::::::

170 :
聖霊はキリスト教の用語だが、神の霊と人間の霊を区別するのに
便利なので使っている。しかし安易だったかもしれない。
 
キリスト教は三位一体から、神・イエス・聖霊を同一視する。
個人的には、神と聖霊が同一であり、イエスは人間であると考える。
もちろんイエスには聖霊体験も霊魂体験もあっただろう。
人間はイエスと同じように、二つとも体験できると思っている。
 
そういった観点から「聖霊」を使ってきたが
考え直すべきかもしれない。いまだ適当な言葉が見つからない。
 

171 :
あうあうあうあうあうああー
::::::::: へ( ^q^')ノ        >>170 新約聖書を読んだらおれにはわかったよ。
:::::::::   (┐ノ          イエスは聖霊の子であって、神の子ではないんだよ。
:::::::::: /            イエスを神の子と呼び始めるのは、途中からなんだ。
::::::::::::::::::::::::::::::::: イエスの演出が、聖霊の子から、神の子に変わったのさ。
新約聖書は、聖霊の子であるイエスがなぜか神の子といわれるようになる過程を記述した歴史書だね。

172 :
カラスさんは対したことないな。
もっとマシかと思ってた。

173 :
グノーシスの論理構造にはほぼ同意する。
しかし、いろいろ体験して思うのは、方向が逆かもしれないね。
神に回帰するのではなく、地上で生きることに意味がある。
 
人間 → 霊と魂(精神)の結婚 → 神との合一 ではなく、
神(命) → 神(命)と物質の結婚 → 人間 ではないだろうか。
この見方をすれば生きることを肯定できると思う。
 
いずれにしても問題は、
どうやったら聖霊体験、霊魂体験ができるかだろうね。

174 :
あうあうあうあうあうああー
::::::::: へ( ^q^')ノ        この世は一切皆苦だと知ったのは、何歳の時ですか?
:::::::::   (┐ノ          二十代のぼくは、一切皆苦ということばを聞き、拒絶し、邪教認定しました。
:::::::::: /           三十代では、一切皆苦は、真理だと思ってます。
::::::::::::::::::::::::::::::::: 何歳で、一切皆苦を認めましたか? 仏教徒のみなさん?

175 :
私はグノーシスについては今wikiで見ただけの知識しかありませんが二元論を主軸としている点で
仏教とは異質なものだと思います。
原始仏教は多元論で中論以降は一元論で二元論であった事は無いと思います。

176 :
あうあうあうあうあうああー
::::::::: へ( ^q^')ノ        質問その2です。
:::::::::   (┐ノ          仏教では、魂という概念はないですよね?
:::::::::: /           霊肉二元論は仏教にはないですよね。
::::::::::::::::::::::::::::::::: 輪廻するのは、体をともなったその人の個人が輪廻するんですよね?

177 :
173の補足
何も知らない間は、グノーシスに導かれて神と合一し、
神と合一したら、その心境で生きて行くと言うべきかもしれない。
 
(グノーシスの結婚という意味で)聖霊こそは究極の体験だと思う。
神を体験するだけでなく、それを体験している自分がいる。
神の凸に圧倒されているが、実は凹の位置に自分がいる。
これが隠された霊魂体験になっている。
この体験が坐禅をすることによって明示的な霊魂体験になる。
神と自分の位置関係が逆転する。

178 :
 
>>30 ID:B2eWtS8B さんへ
> 死 → 中なる世界 → 再び物質世界へ輪廻
> あるいは霊性とか「復活」の話はおもしろかった
 ↓ このような論書も、あるらしい
瑜伽師地論(ゆがしじろん)の場合は
http://reigaku.jugem.jp/?eid=424
人が死ぬ時に
我愛と、戯論(けろん)と、善悪業によって
死から次の出生に至る中間の状態が形成される
この中有は
次ぎに生まれるべき処を求めて母胎に入り
そして、精子と卵子が結合すると
中有が滅すると同時に生有が生じ
阿頼耶識が、これに結合し
種子が成長して胎児を形成し、出生に至る

179 :
>>3(カラス)
>不一不二は中道だがそれは一切のどこにあるんだよ?
先ず【菩提心門】の透過なきお方には観えません。
逆に言えば、一切が不一不二です。
しかし、一切を「一切」と知覚している限り、一切のどこにもありません。
>純真清明なる自分に立ち帰り、自分自信が輝く月、吹き抜ける風になりきってしまえと説きます。
>その境地を人境一如(にんきょういちにょ)・自他不二(じたふに)と言います  http://www.daruma.or.jp/zen/detail.html?zen_id=19
そのような分別本質核様相・イメージは空に相応しくありません。
これでは空海の果分可説と同じく、混ぜるな!危険を犯しています。
シャンカラ的不二一元論に侵犯されています。
>中道は自性の性質なんだよ。
自性なれば中道ではありません。
中道とは矛盾のない(方便)様相の還滅語(中論24-10)をいいます。
自性とは機能的には、自立・単一・恒常をいいます。
自立・単一・恒常は相対分別=矛盾様相であって、中道ではありません。
実存苦の原因である我執の対象となり、仏法の本懐に反する「概念」です。
*『@ものの本性が現にないとき、何ものにおいて壊滅がありうるであろうか(何ものにおいてもありえない)
  Aものの本性が現にあるとき、何ものにおいて壊滅がありうるであろうか(何ものにおいてもありえない)』(中論15-9)
        @が中道(不生不滅の如く)であり、
        Aが菩提心凡夫の六処で検証不能の一切外です。

180 :
>>17
>縁起を誤解していると思うよ。
恐れいります。

【菩提心門】さえ透過しない、また透過する気のないお方には、縁起の現実は見えないのです。
二項相対の間接現実オンリーのお方には、既成概念による実体(素朴実在論)前提の相対的関係性を勝手に縁起といっているだけであって、
それは「中論の空」でも「般若の空」でもありません。
仏道は確固とした菩提心の確立=【菩提心門】の透過さえないお方には見えるもの(四諦)も見えません。
ましてや、縁起の直接現実の直覚をや。
『もしも一切のものが空(縁起)でないならば、なにものかの生起することは存在しないし、消滅することも存在しないということになるだろう。
 そして、汝にとっては四つの真理(苦・集・滅・道の四諦)は(間接現実でも)存在しないことになるだろう』(中論24-20)
          ・【一切門】『(間接現実で)縁起を見る(知覚)ものは、すなわち、苦・集・滅・道(の四諦)を見る。』(中論24-40)
          ・【般若門】『(直接現実で)縁起を観る(直覚・現観)ものは、すなわち、無<苦・集・滅・道>を観る』(般若心経)
>この世の事物に般若の空は証明されていない。
【般若門】を対象化『証明』問題とみること自体がナンセンス(仏道センスがない)です。
                                 以上

181 :
>>175
俺はグノーシスはヘレニズムでの安易な東西融合だと考えてる
有部も活躍範囲がたしかじゃないが、それがインドグリーク朝期の西北インドと重なるなら
ギリシア的な本質思想の影響を受けて法体恒有へと体系化された可能性はあるよな

ユダヤ教も旧約の中にでてくる神のエロヒムは多数形らしくて多神教だったのではないかという考察もあるし
ヤハウェと悪魔との二元論的対立はゾロアスターの影響があるのではないかとも言われている
そもそも、ゾロアスターの二元論的対立は、インドのアシュラとデーヴァの対立と相似であるとは言われている。
多神教の物語が多く民族成立過程を表していることはよくある話なので、
おそらくペルシアとインドで文化対立があり
インドからすれば、ベルシアの神をアシュラ、インドの神をデーヴァ
ペルシャからすれば、ペルシアの神をアフラマズダ、インドの神をデビル
として物語化していった結果、二元論的対立世界が生まれていったのかもしれないと思っている。
ただペルシアの方が唯一神を立てる傾向があるのは否めないな
あと、終末思想がインドにはないので、あるいはあったとしても、周期化していて、終末思想を乗り越える神話を形作っている。
それもインド的な多神教的な側面がでている。
ヘレニズム文化で、本質思想がでてきて、一神教的な先鋭化がおこっても
竜樹がでてきて沈静化したのはインド的な多面性の現れなのかもな
メナンドロスのころにはインドはギリシアを乗り越えていたということかなぁ

182 :
生活が宗教だって日月神示に書かれてたな。宗教を生活にするのは良いことではない、とも

183 :
 
どの宗教も基本的に、善と悪の図式を採用している。
 
その理由は、人間の思考、人間の言語が二元的に構築されているから。
 
これがロゴスではないのか。
 

184 :
 
>>56 サロメ☆ボウディア さんへ
> 霊魂に座禅で出会ったという方の我見なんて何も益するところがないので^^
私(ID:/XixoDVq)は落武者という未成仏霊を見た事があります
>>30 ID:B2eWtS8B さんの場合は
未成仏霊ではないかもしれないけど
例えば、仮に
「 プルシャはプラクリティからの展開を観察するのみで
  プルシャそれ自体は変化することがない 」
と言うような思いに捉えている
と言うような事がなければよい、と思います

185 :
 
>>184 の続き
サーンキヤ学派の場合は
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%A4%E5%AD%A6%E6%B4%BE
プルシャはプラクリティからの展開を観察するのみで
プルシャそれ自体は変化することがない、とする
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%91
我は、常住であり
他との何らの関係をもたないで単独で存在することができるものと考え
それは働きのうえで自由自在の力をもつとした
この我によって人間生存は根拠付けられ、支配されていると考えるのである
 − これに対して −
釈迦はこのような実我観念を批判し
「 我として認められるものはない 」 として、諸法無我と説いた
これを色受想行識の五蘊について説き
人間生存は無我である五蘊の仮和合したものであるから仮りの存在であると説いた

186 :
>その理由は、人間の思考、人間の言語が二元的に構築されているから。
エッセネ派ユダヤ教では人は光の霊と闇の霊を宿して創造されたとし、
古神道でも人は主魂と副霊を宿して誕生するとあり、
マリアの福音書でも心魂と欲心との対話があります。
仏教でも仏性と欲心は説かれているでしょう。
もし一元であれば、欲心も仏性から生じることになります。

187 :
>>137-138
>こういう「事前情報入手不可能」な事例はないでしょ????wwwwwwww
また、あなたの嫌いなTV番組からで申し訳ないけれど、
インドで、少年が亡くなってすぐ、外国で記憶を殆んど保持して生まれてきたという事例の紹介があります。
その少年はもちろん、インドなど行ったことがなくその母親とも面会したことがないが、
調査の取材過程で初対面を実現させた。
生まれ変わった少年は、
驚くことに前世のときと同じ怪我によるアザを持っており、その時の出来事の記憶も持つ。
また、母親と二人だけで交わした絶対に二人しか知らない会話の内容を克明に覚えていたために、
対面を果たした母親はこの異国の少年を、自分が失った大切な息子の生まれ変わりに間違いがないことを認めた。
母親は、少年が母と楽しく過ごした日々をハッキリと覚えていてくれたことを非常に嬉しく感じており、
その後も親しく交流を続けることになった。少年の自国の両親もこの驚くべき出来事を認め受け入れている。
誰もが認めざる得ない事実です。

188 :
>>139
そのアングリマーラの逸話は、
ゴータマが“呪力的効果を得るべく唱えることを明確に指示した記録“として挙げられているものです。
>>77
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1379880304/108
もし本当にバラモン呪文(サンスクリット)に呪力効果が皆無ならば、
ただハッキリと「無い」といえばいいだけです。
どうして態々、「火への供養(ホーマ/護摩)が最上」、
「サーヴィトリー讃歌」が最上などと説く必要があります?
無効化ならば、最初から上下も最上もないでしょうが。
しかし、ゴータマは「祭祀の行為は効果をもたらす」ともいった。
神智学世界きってのサイキック、
リードピーター司教は人がサンスクリットを発生するとその周辺に色彩が放つことを確認しました。
人間の言語の中でこれは最上レベルのマントラム効果を発揮するのです。

189 :
>>188
訂正:リードビーター

190 :
>>187 wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
だから、それのどこが一体、「事前情報入手不可能」なわけ???wwwww
いくらでも可能でしょ?ww
少年、および母親、その周囲のもたちの証言を真実とした上での話だろうがww
はい、少年が誰かから情報を入手した可能性は、どうやって排除されてるの?
母親が嘘言ってる可能性は?
コールドリーディングの可能性は?
番組自体のヤラセの可能性は?  wwwwwwwwww
そういうことは一切ありません・・・・と善意に解釈して初めて成立する事例だろうがwww
あざ?????wwwwwwwwww
そら、似たようなあざもあるだろうよwwww
身体的一致を証左としてあげるなら、指紋の一致、DNAの一致くらいのこと言えやwww
>誰もが認めざる得ない事実です。
wwwwwwwwwwwwwwww 「信じたい人は信じてください」の話www

191 :
デジャヴは心理学で認証され、存在実感得たりする場合も有るが、
結論は『幻』だろな。
意識(怨念のような)を持った所謂『幽霊』なるものは存在しないとみる。

192 :
今日のNHKの中村元さんのアーカイブの話では仏陀は相手の立場にたって説を説く人であった。
これが慈悲の実践〜という事ですが、相手を想い相手を否定するような説法はしなかった〜という事です。
バラモン信者にそんなのは嘘だ〜なんていう説き方をせず、真のバラモンは〜と色々説いた訳です。
輪廻を信じている人間に、そんなのは妄想だ〜と言わずに、善因善果悪因悪果を説いたのは道徳的意味の
ある事であったと思います。
仏陀の慈悲がしのばれる様々な対機説法の各話を断片的に捉えて、これこそ仏陀の認めたこと〜というのは
間違いであると思います。
あるとも認めず、ないとも認めず〜の中道であるから対機説法が可能でそれが慈悲の源であると思います。

193 :
>>188  どわっはっはっはっは〜〜〜〜〜〜〜wwwwwwww
>そのアングリマーラの逸話は、
>ゴータマが“呪力的効果を得るべく唱えることを明確に指示した記録“として挙げられているものです。
一体、どこをどう読めば、あれが「呪術的効力肯定の話」になるの?????
っていうか、初めてきいたわ、その解釈wwww
アングリマーラの話は、「悪業をつんできた者が、仏法に帰依したとき、
その業をどのように捉えるのか?」というお題でしょうが?wwwwww
ちなみに、最後の出産に関する話では、
>ある時アングリマーラが托鉢していると難産で苦しんでいる女性がいた。
> 何もできなかったアングリマーラは、どのようにすればいいかお釈迦様に尋ねると
>「私は一度も人を殺めたことはない、その徳によって母子は安全に出産できるだろう」と言うように答えた。
>アングリマーラはそれは本当ではないので功徳はないのではないかと疑問を伝えたが、お釈迦様は自分の言った通りに唱えなさいと答えた。
>(「『私は出家して仏弟子として生まれてから一度も人を殺めたことはない』といいなさい」と答えたという説もある) アングリマーラがそのとおりに女性に唱えると、無事に子供が生まれた。
・・・・のように、二通りの話があり、そのどちらをとるかで、その部分の
解釈も変わると思うが?wwwwwwwwwww

194 :
>>165
笑わせてるのはお前だろ。ヤコブのアポクリュホォンにははっきりと、
>しかし悪の無い魂が救われ、霊もまた救われるなら、身体には罪が無くなる
と書いてんだろうが。フィリポにははっきりと、身体の復活が必要だと書いてるだろう。>>145
この部分は取捨選択で切り捨てかい。お前のグノーシスは継ぎ接ぎだらけなんだな。
魂を捨てると言うことはエゴを捨てると言うことだ。エゴ捨てた身体には罪は無い。
ここでエゴが無ければ生物として成り立たないと躓く人がいるだろうが、独り息子の意味を
理解できれば理解できる。ここでは語るまい。豚に真珠だからな。君は幼稚な霊肉二元論をグノーシスだ!!
と吼えてればいいと思うよ。君は現状のカトリックや、プロテスタントなどの幼稚なキリスト教を馬鹿にして
いるが、霊界を設定している君のグノーシスも負けず劣らずだと思うがね。いちいち書き込むのに
幼稚な巨大AA貼り付けたり、精神年齢も低そうだし。

195 :
>もし本当にバラモン呪文(サンスクリット)に呪力効果が皆無ならば、
>ただハッキリと「無い」といえばいいだけです。
wwwwwwwwww  アホかw  これも「輪廻業報論」のとき、何ども言ったわな?w
最古層文献に繰り返しみられるように、釈迦はとにかく、バラモンなどと
無益な論争をすることを嫌ったのwwww
そんなこと、あえてはっきり言えば、ただ論争が起こるだけで、
もっとも伝えたい根幹部分の伝達さえも不可能になっちゃうでしょ?ww

196 :
時間がないので、一旦、オチwwwwwwww

197 :
>>66
>所論に根拠を引用してくれる
その根拠の正しさは、一切検証されていない。それでは根拠にはならない。
最初から、現代人としての自分の知識と論理で考えるほうが、はるかにマシ。
サロメは、いい加減で、宗教の開祖を含む「他人の見解」を振り回すのは止めよ。
単にウザイだけ。2chの貴重なスペースの膨大な無駄使い。自分の生活体験から
得られた自分自身の見解を述べてこそ、2chの意味がある。

198 :
>>179
だから一切の中に不一不二を探しているお前の中道は、お前の妄想の中にしかないことくらい
早く気付けって。自性は名称を与えるから無いのであって、名称=相が無ければ万物は冠滅する性質のものだから
これもまたあるとはいえず・・・・・面倒くさいから説明するのはやめた。時間が無いし。ここのところは説明するのは面倒くさいんだよ。
この世界は言語相対世界の自性無き幻。本質は真ん中のゼロである。中論は言語相対世界をよく表しているとは
思うよ。智慧のない人が読めば君のようになってしまうけどな。君は言葉遊びの妄想を仏教だと誤謬しながら
今生を棒に振ればいいと思うよ。

199 :
>>198
聞きたいのだが、この世に一定の確からしさがあることは同意するが
人間がそれを正確に把握できると思っているの?
カントすら物自体は把握できないと言ったわけだが。
ところで、人間は物自体に決して触れえないのに、あるはずだっていうのは無責任な態度じゃないかな?
分からないけどたぶんそうだって言っているわけなんだから。
仏教は無とは言わない。分からないものを分からないと受け入れているだけ
受け入れる勇気をもつことを主張していると思うのだけど。
あなたが納得できないとすればそれこそそれに恐怖を感じるがゆえだと思う

200 :
>>190
だから、何を話しても無駄なんですよ。
直接、自身の身に起こらない限りはすべて「ヤラセ」「嘘」「誤解」「勘違い」と決めつける。
滝川クリステル風にいうと、「心が貧しい証拠です。あ・な・た♪」
>>193
あれは「真実語」といって、
古代インドには、真実を語る言葉には一定の力がある(発揮する)と考えられており、
ゴータマもこれを使用させた。
お経は、
「いや、おまえは出家してからは故意に殺生をしたことがないではないか。
だからおまえは自信を以てそのように唱えなさい。」ということをいったと思われます。
嘘をついているといった感覚で心許なく唱えるのでは、その効力は激減するから。
>>192
いや、そうではなくて
(もちろん、そういった説明は知っており理解しますが)、
ゴータマは自ら直接それ(人間の繰り返し生まれ変わりの現象が事実起こっていること)を体験したとハッキリと述べました。
少なくとも経典の言葉上ではそうなっている。
もし、知らないのならば提示しますか?(まっ、何度も既出だけど)

201 :
>>199
>分からないものを分からないと受け入れているだけ
これ違うだろ?
めちゃくちゃ言うなよ
分かった上で、説明不可ってことだろ。

202 :
無我は我が発見されてないから無我だって話じゃ?

203 :
                          ___         ,/ヽ
              ,. -‐  ̄ ̄`  ̄ ´        ̄ ̄ ̄ ̄`ヽ._,{ 、,i !
          __.. -/       ,..            /        `ヽ、 クゥ
      , -‐ ,.´-─./     /:. . .            / ..__ / !     `ヽ ヽ      ∧,,∧
    /,.-‐´  _r‐'   _,ノ: : : : : : : . . . . . . . . . . .(_  `丶、ヽ、   、__,ス ,)    c(´=ω=`)っニャン
~~ ̄/(三,. -‐ ´ /  ,.-‐ ´ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄`丶 l ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
~ ̄i l゙´  ̄ ̄ / ,/  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ し,j ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 . l. !     / /
 . ! |    (, ,,/
  ! ,j       2chの鉄則 【 荒らしは無視・放置 】 しましょう。
  ゝ、ノ
      ●  荒らしは放置されるのが一番苦手です。
          → ウザイと思ったらそのまま放置!
      ●  放置された荒らしは煽りや自作自演であなたのレスを誘います。
          → 釣られてレスしたらその時点であなたの負け!
      ●  反撃は荒らしの滋養にして栄養であり最も喜ぶことです。
          → 荒らしにはエサを与えないで下さい!
      ● 枯死するまで孤独に暴れさせておくのが一番です。
         、 _r 、                         ∧
       /「r\ヨ::|_                       ∧ (゚、。`フ
        / j::レ'´/1マヽ_       ‐ッ''''ー .        (゚、。`ノ  ヽ
     /  ´  丶.ノ  |       く f , ‘ノ         (uu ,,(uu ,,)o
    ー十 '    └ャーイ        `仏'イ
      Χ      /        /   l
  , - 、   ``T T く{⌒)  ∩  _,ノ_    |.
 l r l    |  \_/  .{ {   {      、j.
 ヽ ーく __人   /    ヽヽ.__ゝ   _ノ
   ` ┴――个 イ      `ー‐'´ ̄ 
            ノ ┴┬=
          ̄ ̄ ̄ ̄ 

204 :
>>202
>無我は我が発見されてないから無我だって話じゃ?
そう、「非我」ですね。
(参考)
>>31
>「私はない」という教えではなく「我執を離れなさい」という教えが無我。
>無我は、「わたしではない、わたしのものではない、わたしの本質(自己)ではない」の三つの意味であるとされます。

205 :
つーか、無いものを無いって証明できないもんな

206 :
>>204
だからって「ある」とは限らない、
寧ろ、
「ない」と見做した方が辻褄が合う、ってのが仏教及びお釈迦さんの世界観なの。

んと、「我」があることにしようとする執念は凄まじいなw
さすが三馬鹿トリオ。

207 :
>少なくとも経典の言葉上ではそうなっている。
経典に輪廻が多数登場する事は承知していますが、その経典も仏陀滅後100〜200年後に
口伝を書き留める形で始まったものです。
最古層文献に輪廻らしい表現が否定的に使われる事はあっても輪廻そのものの言葉は無く、
古層以降の文献に輪廻が積極的に枝葉を付けて現れるのはどうみても不自然に思えます。
これこそ仏陀の言いたい事〜と読む人はそのように捉えたら良いのでしょう。
事実、伝統仏教では輪廻と極楽浄土を土台に前提にあるのでしょうから、私は近代仏教の方を信じます。

208 :
>>204
「私はない」とはっきり主張しますと「断見」に陥ります。
また「私はないと私が説いた」では論理矛盾であることはご隠居氏より度々指摘されております。

209 :
>>206
三馬鹿トリオ+ご隠居→四銃士 かも。

210 :
グノーシスの論理構造(前スレ>>890)は、人の死 →
心魂世界(霊界・中なる世界・デミウルゴスの座所)→物質世界へ輪廻
それゆえ生きていて益するのは精神の「復活」にある。
 
これがグノーシスの主張なら、神霊体験(=聖霊)で同意できるのは
「復活」の部分だけになる。「霊界」は霊界を見ないとダメ。
霊界を体験することで、そこがデミウルゴスの座所だと何となく感じる。
 
しかし輪廻はどこからも出てこない。
神霊、霊魂、霊界などの体験のどこからも輪廻を確証させるものがない。
輪廻に関しては、知識のつぎはぎをやっている印象を受ける。

211 :
>>198
>この世界は言語相対世界の自性無き幻。本質は真ん中のゼロである。
縁起の直接現実は、そもそも相対言語論理自体が不立であって、
・『幻』ではありません。もちろんその対極の『現(うつつ)』でもありません。
 比喩で<(如)非幻非現>と示唆するのが言語表現の限界です。
・『本質』ではありませんし、『真ん中のゼロ』でもありません。
    仏法には執着対象になる本質(核)はありませんし、
    『真ん中』は分別前提の中庸であっても、中道ではありません。
    『ゼロ』もカウントできる分別数字であって分別不能の中道に相応しくありません。
これでは実存苦の根本的超克というブッダの本懐に到底至りません。
仏道は、菩提心なきカラスには無理です。

212 :
壺が割れたら、壺は死後天国に行けるの?

213 :
>>206
>「ない」と見做した方が辻褄が合う、ってのが仏教及びお釈迦さんの世界観なの。
[辻褄が合う]って[論理的]という意味ですか?
「私はないと私が説いた」では論理矛盾であることはご隠居氏より度々指摘されております。
かりにも一切智者の釈尊がそんなアホ(論理矛盾)なことを説きますか?
一方、非我の「私ではないと私が説いた」では論理矛盾はございません。
釈尊をアホ呼ばわりされる縁は「無我=私はない」という誤訳と断見でしょうね。私見です。

214 :
>>213
> 「私はないと私が説いた」では論理矛盾である
よく知らないけど、最初の「私(我)」は自立的実体としての我じゃないの?
そうだとすれば別に論理矛盾なんて存在しないんじゃない?

215 :
>>208(アホ在家)
アホは姑息な性格によるから治療不能だとしても、
仏教スレで邪見を振りまくな。
お前もさんざん指摘されたのに、ウソをつくなウソを!
>「私はない」とはっきり主張しますと「断見」に陥ります。
何度もいうが、仏教上『我』には@日常自我A菩提心自己B超越我(真我・アートマン・プルシャなど)の観念がある、
で、還滅(間接)現実(世俗諦)において
(1)一切法無我(私はない)
(2)一切外無記(超越我の存在はAにとって検証不能のドグマでしかないから無視する)
断見・常見は(2)の無責任な戯論問題であって、
(1)においてAの六処で、個別的検証法で「非我」を積み上げる手法で<超越我は存在しない>ことが確定している。
>「私はないと私が説いた」では論理矛盾であることはご隠居氏より度々指摘されております。
一切内の菩提心自己Aによって、超越我Bが一切内に存在しないことは検証可能だから、
なんらの論理矛盾ではない。
アホの上塗りとは、アホ在家の得意技だが、ここまで来るとピエロか狂言回しだなw

216 :
>>184
霊体験はそれ自体が個人的なものなので
私が別に否定することでもないとは思います
ただそれを根拠にして我見を主張するのは間違いですね
だからあなたの体験を否定も肯定もしませんし
そのご意見に賛成です

217 :
               /´  `フ  __ ヾ
         , '' ` ` /      ,! ;'',,_,,)   ポム   ポム
.        , '      レ   _,  rミ,;' ノ )))
        ;          `ミ __,xノ゙、,r''  ,,_,,)    ポム
        i     ミ   ; ,、、、、 ヽ、//,,_,,)/_,,))
      ,.-‐!       ミ  i    `ヽ.._,,))
     //´``、     ミ ヽ   (( ゚д゚ ))⌒☆
.    | l    ` ーー -‐''ゝ、,,))   狗
     ヽ.ー─'´)
      ''''''''
                 _
               /´  `フ
         , '' ` ` /      ,!
.        , '      レ   _,  rミ
        ;          `ミ __,xノ゙、狗』出た!?
        i     ミ   ; ,、、、、 ヽ、
      ,.-‐!       ミ  i    `ヽ.._,,))
     //´``、     ミ ヽ.    ( ゚д゚ )
.    | l    ` ーー -‐''ゝ、,,))    狗
     ヽ.ー─'´)
      '''''''''
                _         
               /´  `フ  __ ヾ   ポム   ポム
         , '' ` ` /      ,! ;'',,_,,) )  ポム   ポム
.        , '      レ   _,  rミ,;' ノ ))),,_,,)  ポム  ポムポム ポム
        ;          `ミ __,xノ゙、,r''  ,,_,,) )))  ポム
        i     ミ   ; ,、、、、 ヽ、//,,_,,)/_,,)) ポム ポム
      ,.-‐!       ミ  i    `ヽ.._,,)) ノ  ポム  ポム
     //´``、     ミ ヽ   (((( ゚д゚ ))))⌒☆  ポム
.    | l    ` ーー -‐''ゝ、,,))     狗
     ヽ.ー─'´)
      '''''''''

218 :
>>180
>【般若門】を対象化『証明』問題とみること自体がナンセンス
>(仏道センスがない)です。
 
般若門とか菩提心門とか言うけど、そんな門が実際にあるのですか。
その辺の言葉使いにも話がかみ合わない原因があるかも。
簡単に説明できますか。

219 :
>>215
私はあなたに伺いたい。
無限遠点は一切内ですか一切外ですか?
検証可能ですか?
可能ならば示して欲しいです。

220 :
思うようにしようとする心根が苦(逆法)を生み出し、思うようにならないと覚悟した心根が楽(正法)を生み出す
一切のことが思うようにならない、それが正常であると心底腑に落ちるように覚悟できたんだったら、その心根から生ずるもの全ては自ずと八正道(中道)にかなうものになるはず

221 :
>>220
四諦する時は真善美偽悪醜はあまりこだわらない方が良いね
真善美偽悪醜のいずれも執着すれば偏って苦しむのだしなwww

222 :
アホの誤解を防ぐために。
無我問題は、B超越我(真我・アートマン・プルシャなど)の問題だ。
だから(1)一切法無我(私はない) とは、B超越我(真我・アートマン・プルシャなど)が、
      有⇔無の二項相対の無→超越我は存在しないということ。
@日常自我A菩提心自己については、実体なき(仮設&仮説)現象として検証できる。
自灯明の自とはAをいう。

223 :
閻魔にしては(珍しく)解り易く且つシンプルだなw

224 :
グノーシスのトンでも見てると
閻魔氏の主張が非常に説得力あるねw

225 :
>>218
>般若門とか菩提心門とか言うけど、そんな門が実際にあるのですか。
仏道=修証道=修証一等・二相の相即的実践においてあります。
もちろん、自灯明・自帰依による>>215Aによる如理作意ですから、
判る人にはわかるし、判らない人には判らない。
他所でもおそらく此処でも通用しないでしょうが。
龍樹「中論」にしても、道元「正法眼蔵」にしても、
【菩提心門】未透過のお方には文字通り『無理(理だけでは深解不能)』なのと同じです。

226 :
ちなみに無分別智でもって検証済み〜とはいきません。
無分別智は個人限定で、分別のある他者と共有できないからです。
それは、分別のある人間から見れば、輪廻は有る〜というのと同じ世界です。
言葉を変えれば、独りよがり〜という事です。

227 :
独りよがりから
宗教が始まりました
私は釈尊について行きます

228 :
 
> 霊体験はそれ自体が個人的なものなので
> 私が別に否定することでもないとは思います
> ただそれを根拠にして我見を主張するのは間違いです
 ↑ 了解、致しました  屮(_ ._)屮
  _  _  _
> 「 無我 = 私はない 」 という誤訳と断見でしょうね。私見です
八正道を修習して、我、我所を滅する因縁に依存して → 無我、無我所 ← を得る
http://d.hatena.ne.jp/hotokenomichi2008/20091011/1255250353
無相唯識派の場合は
仮設としての阿頼耶識も
縁起なるものとして空とし、その実体・自性を否定する
心の存在もまた幻のごとき、夢のごとき存在(空)であり
究極的にはその実在性も否定される(境識倶泯)
http://www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/Chuuron/Chuuron03a.htm
中論觀法品第十八
八聖道分を修習して、我、我所を滅する因縁の故に、無我、無我所を得て、智慧を決定する

229 :
>>225
閻魔の話はずぶずぶした底なし沼のようだな。
なんか空を根本的にカン違いしてる。
そんなに難しく考えないで、自分の頭を何度もひっぱたけって。
少なくても、自分が空じゃないことはすぐにわかる。

230 :
本当にいーーさんーー娼婦わーー仏教徒なのにーー仏教かいーかいーーヤクザヒモんーーなのこーなのにーーマカ山ーーさんーーー
娼婦なのにーーひひーんーーー韓国よーー仏教ーーひたーー死人よおーーなーー海外原稿ーーコリアンんーーなんですよーーねーーーー
ポリんちゃんーーーポリんちゃんーーぽりんちゃんーーねーーーみぽりんーおわよーー娼婦んーーなのよーーーねーーー
ほんとおのーーにいさんーー悟って鵜ーーおーーーうおーーよおおおおーとかーー。。。原稿嫁ーーーおーばかだぞおーねーーー
でもーーいいーー仏教ーーおわーーうせーーくねーのにーよおーー俺ったちもよーーなのにーさーー死ぬよーーしよーしよーーかーおわーー娼婦なんだーーRーー艦ーーかーー?
ねーー韓国ーー?どおわーーのーほおがーーわりぃよーーもおーーぽりんーーちゃんーのーーぽりんーのーみぽよーーねーーー
仏教ー馬鹿ばっかーーのひとねーーねーーねーーー。。あったちもーー竹中くんしかーいないーーどおわーなんかーかーーおわーー仏教ーーゴミー管区のーーはき永ーーさんーーかまくらですよーおわですよーねーおわーーこおめんおーーおーおーーPPPーでろおーーでろおーー
悪さーー死人会ーのーー。。仏教にはーーあるのよーーまじよーまじよーー変なのypーーよーー竹中直人ーもおーもおりもりーーどおわーーよーー。。ねーー竹中直人ーー?
不倫ーーいきーー地面ーーしょおとつーーどおわーーかーー。。竹中直人ーーもおーーもおーーだしーー正人ーもねーー。。なのこーーなのこーあぶないよーー直人ーもーー恵子ーもおーー韓国よーー
魔裟斗ーおわーーねーー子供買うなーーよおーー魔裟斗ーのひとかーー仏教ー照りあいーーあいーーのーー娼婦おわですよーねーー
ぽりんちゃんーーしゅつどおよーーーかーー?こおめんーー深情けーーきーぼおでもーーイイケーーどおわーーのーーひとねーーねーー
僕よーーいくよーーーーぼっきょーーひろころしだよーーねーーー

231 :
>>229
あなたは常在ですか?
少なくとも生物的には新陳代謝してるし意識も常に変化してますよね?

232 :
>>228
中論面白いですね
毎日少しずつ読んでいきます
>>222
閻魔さんは仏教の基本を踏まえて上で持論を主張しておられるのですね
以前は大変失礼いたしました

233 :
鎌倉ーーじゃあーーーなにーー不足あってですかあーーー?もおーー白英ーー乗り蹴りーーなのよーーあほおーーあほおーーひーほんーのーーほのもとのーー進行ーー信仰ーあるのかよこどおわーーかーー?
そおーーやってーー人ーー並べーーーさせるのーーー。。まじよーー仏教よおーー仏教ーー照り米よおーーおわのーータイランドオワーーもよーーかーおわーかーー?七個ーーさんーータイランドオワよおーかーー
百恵ーもおーーもおーーだしーー。。者のーー加えーー山ーでーー終わらなきゃーーー娼婦でしょーー?
怒りなさんなーーさんちゃんもねーーーエター出しーーなにーいうのーーー?エタ出しーーー?
きょおーんーーとしたーー人担ぎーーでなーー。。ほんまーー商店街ーのーーあわーー米ーー襲うーやんかーーえへーーよおおおーーじゃーーRよーーねーーーあたりまうよーーー
でもーー良い子ーーでもーー人裏切るのおーーもおーもおーーめじなのよーー。。。まじなのよーーみぽりんおわよーーぽりんもよーー?美穂ちゃんですかーー?また言いますかーーー?
中傷ーーでーーひとーおーおーおーー弾くーーよおなーー米ーはーー買うからーーいけないんですよーーおかまだもんーーポリんちゃんとか言うよーーみぽりんーねーーおわねーみぽりんーーー
命ーーのーー海外しさーー甲斐甲斐しさーー仏教ーーーあってーーいいのーーー?いいのーー?マカ山ーー美穂さんーーロリコンーー主婦にーーいうよーーいうよーーいうよーーかーーおわーーポリんちゃんーとかーーー?
水商売ーじゃあーーダメとかーー言うのねーーー?
孫コメーーあってのーー幾多だんこおーーゴミよーータクシーーーのーーくずがーー鎌倉んーーなのこーーー?
悪さーー海外しさーーにーされるよーー鈴木さんーー大きいーー声でさーー馬鹿ーーー?k

234 :
 
>>232 サロメ☆ボウディア さんへ
> 中論面白いですね、毎日少しずつ読んでいきます
教学としては
自立論証派と、帰謬派の両方の説明を勉強する
と言う事が必要である、と思います
チベット ゲルク派
http://rdor-sems.jp/index.php?%E8%AA%B0%E3%82%82%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E7%81%AB%E4%BA%8B
「空」の本当の意味を深く知るには
自立論証派と帰謬派の見解の僅かな差を吟味する必要があります
なぜなら、その僅かな差こそが、中観哲学の最も微妙な部分だからです
チベット仏教の伝統では、帰謬派の見解を、思想哲学の究極と位置づけています
これに次ぐのが、自立論証派の見解です
それゆえ、最高の見解と次位の見解の差異を吟味することにより
究極の真理である「空」の意味を深く知ることができるわけです

235 :
 
>>234 の続き
前世は一在家さんへ
前世は一在家さんの場合は 「 中論嫌い 」 かもしれないけど
チベット・ゲルク派の自立論証派の説明なら、わかりやすいと思うので参照して見て下さい
チベット ゲルク派
http://rdor-sems.jp/index.php?%E8%AA%B0%E3%82%82%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E7%81%AB%E4%BA%8B
自立論証派は
「 火を火たらしめている本質的な要素は、熱さや燃焼作用である
  それは、火自体の側にある固有の要素だ 」
という自相を、世俗の次元では承認します
熱さや燃焼作用が火の自相として認められる・・・ということです
これは、私たちの常識的な考え方に近い立場でしょう
 − これに対して −
帰謬派は、そのような自相を、世俗の次元でも否定します

236 :
>>214
>よく知らないけど、最初の「私(我)」は自立的実体としての我じゃないの?
>そうだとすれば別に論理矛盾なんて存在しないんじゃない?
自我が二つに分かれるのか?どっちの自我が、本物の我?現在の統合失調症を、
かつては「精神分裂病」と呼んだ。即ち、自我の分裂。本物の我に、開祖という
見知らぬ他人が住み着き、本物の我を自由に操作する。

237 :
>>234
中論は、本文を直接自分の頭で読むこと。注釈書と読むと、その解釈に捉われて
影響されるので、誤った解釈になる。特に、帰謬派は、専ら釈迦の「無我」「無」
に合致するように意図的に解釈するから、中論の誤解が不可避的に生じる。

238 :
 
>>234>>235 の続き
ツォンカパの中観思想研究 幻のごとき存在
http://tsongkhapastudies.blogspot.jp/2013/05/blog-post_18.html
人は「業を積むもの」あるいは「その果報を感受するもの」である
自性によって成立しているものは存在しないけど
それ自体の自性ではなく
因だけではなく
縁だけでもなく
因と縁の依存によって現れ
因と縁の依存によって滅する
仮設としての
業を積む
果報を感受する
前世の業・煩悩になどよって転生する

239 :
現代人が中論を現代の形式論理の頭で読むと矛盾だらけ〜と宇井先生が言っていたそうです。
チャンドラキールティの解釈が最も理に適っていると中村先生が言っていました。
私は中村元先生を信じます。
個人的に読んで、去るものは去らず〜なんて理解できますか?

240 :
>>239
それは、
「現に今去りつつあるものが、これから去っていく(去る予定である)」というようなことはないでしょ?
と、中論は言ってるだけと思うが・・・。
それほど難しい話じゃないと思うけど。 単に「複数要素が同時存在しない」ってだけで。
そもそも「色rUpa」だって、
「質礙」として「同時に同一場所(空間)を占め得ない」
という漢訳が当てられるくらいなのに。
で、それが心的事象についても言われているのが、仏教の特筆すべきところなわけでw

241 :
精神分裂病ってのは、身体言語と口頭言語のちがいから生まれると言ったのがM・ポランニー
母親が、子供に対して「あなたを愛しているわ、怖がらなくてもいいのよ」と言いつつ
子供が言葉を信じて近寄ろうとすると、母親が体を退ける。
子供はどちらが母親の真意か分からず、板挟み状態に陥ると。
しかし、どちらつかずを認めず母親は「どうしたの?」と追い討ちをかけるところから、
子供がどちらかの決断をしなければいけない袋小路に陥る。
早い話がどうしたらいいか分からない状態に陥ることを精神分裂と昔はいったわけで。
統合失調症と名を改めたのは、どちらかと言えば常識の欠如によると判断されたから。
世の常識というものに共感できないことによる。
たとえば、みなが忠犬ハチ公に感動しているが、どうも自分はその心情が理解できないというような。
そのようなときに、自分は薄情だなのかなぁと思ったり距離を感じてしまうことから生まれる。
中村雄二郎の共通感覚論が詳しいから一読を勧める

242 :
 
> 去るものは去らず〜なんて理解できますか?
私(ID:/XixoDVq)の今の段階は
チベット・ゲルク派の自立論証派の段階で
有相唯識の段階なので
「 去るものは去らず 」 の意味は、わかりません
  _  _  _
http://d.hatena.ne.jp/hotokenomichi2008/20091011/1255250353
有相唯識派
仮設としての阿頼耶識を、とりあえず存在する、とする
 − これに対して −
無相唯識派
仮設としての阿頼耶識も
縁起なるものとして空とし、その実体・自性を否定する

243 :
>>242
そのうちニンマ派やカギュ派やシャキャ派なども日本で幅広く紹介されるといいですね
ゲルク派は一般向けの講座を開いてくれてるし助かります

244 :
>「現に今去りつつあるものが、これから去っていく(去る予定である)」というようなことはないでしょ?
不一不異というのは解説を聞いて分かる事です。
去るはたらきのものが、去るという主体であるのは正しくなく、去る主体が去るはたらきと異なっているのも正しくない〜
こんな理屈は現代人には通用しません。解説あっての話です。

245 :
>>241
中村雄二郎は、精神医学者ではない。いい加減な理論を持ち出すな。

246 :
>>244
それは仕方ないんじゃない?
だって、中論は(「論」と言われているけどw)本来『詩偈』だから。
だから、「説明が少ない・無い」のは当然としても、
述べられている文言自体も、
「韻律の制限」を受けて、強引な「複合語」化や、表現が大きく加工(譬喩・省略・短縮等々)されたものになっているんだから。

247 :
中村雄二郎が詳しいと言ったまでで、彼が決めたとは言っていないが?
君が精神分裂病という名前で勝手な偏見を抱いているように見えたから注釈したまでだよ

248 :
 
ダライ・ラマがゲルク派だから
ゲルク派が人気があるのかも
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%9E
ダライ・ラマは、チベット仏教ゲルク派の高位のラマであり …

249 :
>>246
だから解釈の話をしているのでしょ?
中村先生によればチャンドラキールティの中論解釈が最も有用であり、他の解釈には色々問題があると〜
詩なのは承知してますよ。だから現代人がその詩の現代語訳だけ読んで中身は理解できないでしょう、と言いたいのです。

250 :
>>243
>現代人がその詩の現代語訳だけ読んで中身は理解できないでしょう、と
うん、その通りと思うよ。 (このスレに、それをしろ!と豪語してる方が一人いらっしゃるけどw)

251 :
あ、またアンカーミス・・。
Ctrlキーで、あぼんレスの中身チェックのままだった・・w
>>249
>現代人がその詩の現代語訳だけ読んで中身は理解できないでしょう、と
うん、その通りと思うよ。 (このスレに、それをしろ!と豪語してる方が一人いらっしゃるけどw)

252 :
>>248
ですね
当分は自分で色々探すことになりでしょうけど
それもまた楽しいですね

253 :
>>200
>だから、何を話しても無駄なんですよ。
> 直接、自身の身に起こらない限りはすべて「ヤラセ」「嘘」「誤解」「勘違い」と決めつける。
>滝川クリステル風にいうと、「心が貧しい証拠です。あ・な・た♪」
だから、「唯の、信じたい人は信じてください」  ってだけのファンタジーだろうがwww
そして、それが信じられない者は「心が貧しい」ってか?wwww
笑わせるな、ボケwwwww
どっかの、こぎたねえババアを勝手に「マイトレーヤ」とかだと思い込んで
脳内お花畑のキチガイに言われたくねえわいwwwwwwwww
>あれは「真実語」といって、・・・・・・・・・・・・
はいはいwww  アングリマーラの逸話を「呪法効力肯定のお話」にしちゃうわけねwww
勝手にわめいてろ、馬鹿www
但し、そんな解釈する「お花畑バカ」は、お前くらいのもんだとしっとけよwwww

254 :
>>253
今日はちょうどいい時間の登場ですね^^

255 :
今日もお疲れさん。

256 :
>>239
>個人的に読んで、去るものは去らず〜なんて理解できますか?
「去るもの」(分別仮観)は「去るもの」ではなく(無分別空観)、
「去るもの」という言語そのものが不立であるがゆえに、「去らず」に意味・価値・実体はない。
 ゆえに「去らず」。
 これを「去るもの」と名づける。
 全く問題はありません。

257 :
トリップ泥棒がいるので変更します
IDで判別よろしく

258 :
訂正
△ これを「去るもの」と名づける。
〇 これを「去るもの」と名づける(無分別の分別中観)。
 

259 :
>>256
だからそんな世界は誰とも共有できない〜
チャンドラキールティのように詳しい解説抜きに、訳の分からん事を分かった事にするのが
仏教か?
そんなのは人間仏陀の生き方とはまるで違う。-と思いますよw

260 :
 
お知らせ : 論文 「 中観派とその論法 」 が活字になりました
http://www.freeml.com/bl/6894599/265207/
http://repository.meijigakuin.ac.jp/dspace/bitstream/10723/1149/1/culture6-1_55-67.pdf
中観派とその論法
I チャンドラキールティと中論
II 中論の言説の諸相
III 帰謬論法
IV チベットの帰謬論証派

261 :
閻魔さんによれば無分別智を持ったものだけが真実の世界に入れて
持たないものはアホカス〜という事になりますが、私はそんな事は無いと思います。

262 :
>>259
>だからそんな世界は誰とも共有できない〜
龍樹 中論24-18を中心とする中論の趣旨を、
金剛般若経の表現スタイルでわかりやすく敷衍しただけですが、なにか問題でも?
ブッダも記録によれば、「私がいま証得したこの法は、はなはだ深く、観られ難く、悟り難く、
            微妙にして思念の領域を超え、深妙にして賢者のみよく知るべきものである』(相応部6-1)
巷にあふれている浅薄マニュアルでなければならないのなら、仏法を共有する必要は全くありません。

263 :
>>261
そこは「壺中自有佳山水、終不重尋五老峰」でしょw
霧が晴れてみれば、もう目的地には着いていた、と。 (´∀`)b

264 :
 
>>260 の続き
 ↓ 「 縁起したものを離れて → 不生不滅 」 と言う意味も、あるのかも
中観派とその論法
http://repository.meijigakuin.ac.jp/dspace/bitstream/10723/1149/1/culture6-1_55-67.pdf
「もろもろの仏は 「我 〔が有る〕」 とも仮説し
「我が無い (無我である)」 とも説き
「いかなる我も無く, 無我も無い」 とも説いている
心の作用領域 (対象) が止滅するときには
言語の〔作用領域 (対象) は〕 止滅する
まさに,法性 (真理) は, 不生不滅であり
ニルヴァーナ(涅槃) のようである」 十八章6・7偈
  _  _  _
ウダーナヴァルガのギルギット写本
http://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/BR/0095/BR00950L017.pdf
『 生じたもの、現れたもの、作られたもの、形成されたもの、起こったもの
  縁起したものを離れることがある 』 と私は説く

… 思弁の領域を離れた寂静なる境地であり
苦しみを性質とするものの滅尽であり
形成作用の寂滅であり …

265 :
>>207
殆ど並木氏の影響のような印象ですね。
確かに、最古層と古層以降とに分けて比較してみる手法はいい視点だとは思います。
ただし、時代が新しい経文だからゴータマの意向が減るものとは一概にはいえませんね。
普通の意味で、重要な教説を強調する形式へと変化したということも十分に在り得ます。
また、最古層では輪廻は当たり前過ぎるから言及が少ない、ということも可能です。
私は並木氏からの返答メールも頂きましたが、
決めつけることなく冷静に徹底分析する姿勢があるならば、
輪廻転生の肯定論も立派な学問です、という意味のことを綴っていましたね。
とても立派な対応と姿勢を持つ学者さんであると、この私も評価します。

266 :
>>253
>それが信じられない者は「心が貧しい」ってか?wwww
>笑わせるな、ボケwwwww
>どっかの、こぎたねえババアを勝手に「マイトレーヤ」とかだと思い込んで
>脳内お花畑のキチガイに言われたくねえわいwwwwwwwww
仏典はゴータマの言葉として、
業報輪廻を認めない者は悪事を働くとさえも言ってるからね。
>勝手にわめいてろ、馬鹿www
>但し、そんな解釈する「お花畑バカ」は、お前くらいのもんだとしっとけよwwww
少なくともアングリマーラ経中の難産に苦しむ夫人とアングリマーラのエピソードの目的は、
ゴータマの指示によって真実語を祈りの呪文として用いたという記録です。
そして、バラモン祭祀の効力を認めマントラムを讃えるゴータマの言葉も紹介した通りです。

267 :
>>262
あなたは仏陀を目指している。
それは良い。
しかし、仏陀の教えを聞くものも仏教の範疇です。
聞くものが全員仏陀になれるわけはありません。
選択は個々人によるものです。
あなたはあなたの選択で、「はなはだ深く、観られ難く、悟り難く、微妙にして思念の領域を超え、
深妙にして賢者のみよく知るべきもの」の世界にいるのかもしれませんが、
そんな、誰もが到達できないような世界だけをもって仏法〜等というのは全くお門違いです。
仏陀の教えは簡単であり難しい。
・あるとかないとかの論争には加わらない。
・形而上の論争はすべてあるとかないとかの論争である。
・人としてのあり方を深く考察せよ。
・慈悲こそが実践すべき事。

268 :
>>256
中論は、そんな難しいことは言っていない。最も当たり前のことを言ってる
だけ。
既に去りつつある者は、去るという同じ動作を同時に二度行なうことはできない、
と、アホでも判る解説を付けてくれているではないか。去っていない他人から
見れば、去る者は明らかに去っているのである。
その意味するところは、すべての事象や概念は「相対的」であるということ。
「相対的」であるとは、「相互に依存し、関係している」ということ。
ゼノンの「飛ぶ矢は飛ばず」は、単なる時間的・距離的分割で、「相対性」に
思い至っていないから、似て非なる概念である。
中論の「空(相互依存性、相対性、関係性)」は、万物・万人に通用する唯一の
普遍の真理。釈迦の縁起(因果関係)を、完全に否定したもの。

269 :
>>265
>決めつけることなく冷静に徹底分析する姿勢があるならば〜
私もそのように思います。
決め付けが前提では話になりません。肯定論が立派な学問とは思えませんが、
単に信じる人だと思うだけです。
信じる人もいれば信じない人もいる。
仏陀が信じていたのかいなかったのかも個々人の解釈で180度異なる。
所詮、そんなものはあってもなくても良い〜という事になりませんかねえw

270 :
>>265
その意見は輪廻否定の研究者への反論としてよく見られますね

271 :
神が天地を創造された時のこと。
神「日本という国を作ろう。そこで、世界一素晴らしい文化と
  世界一素晴らしい気候を、世界一勤勉な人間に与えよう。」
大天使「父よ。それでは日本だけが恵まれすぎています。」
神「我が子よ、案ずるな。隣に韓国をつくっておいた。」

272 :
>>267
恐れ入ります。
         合掌

273 :
 
>>260>>264 の続き
龍樹〔竜樹〕)の中論
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/mulama.html
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/pdf/mulama18.pdf
第十八章 自己と実在物の考察
6.
ブッダによって自己は存在すると説かれ
また無我であるという教義も説かれた
同様に、自己も非自己も存在しない
という教義(法)も説かれた
7.
言葉が表現しているものは実在でないものである
思考の領域は実在でないものである
涅槃のように
生じたものでもなく
消滅したものでもない

274 :
>>267
>・あるとかないとかの論争には加わらない。
>・形而上の論争はすべてあるとかないとかの論争である。
何言ってるんだかw。
「我は無い、我では無い」と言ったのは釈迦。
その「形而上の問題」で、果てしない大論争を続けているのが、釈迦カルトたち。

275 :
>>273
中論十八章6・7偈は空の空を説いたものですね

276 :
>>274
我が無いのは当然でしょう。
我が有ると思いますか?
有るのは今だけです。
あなたは死ぬ時に、愛しているものや人やお金やその他全部と別れて死なねばなりません。
あなたがRばあなたの体は腐って滅びます。
あなたはどこにいるのですか?
あなたは今しかいないw

277 :
 
> 中論十八章6・7偈は空の空を説いたものですね
哲学的な意味ではなくて
想受滅させる事が出来れば
「 縁起したものを離れて → 不生不滅 」 と言う意味なのかも
http://www.freeml.com/bl/6894599/265207/
お知らせ : 論文 「 中観派とその論法 」 が活字になりました
http://repository.meijigakuin.ac.jp/dspace/bitstream/10723/1149/1/culture6-1_55-67.pdf
中観派とその論法
I チャンドラキールティと中論
II 中論の言説の諸相
III 帰謬論法
IV チベットの帰謬論証派
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/mulama.html
龍樹の中論
http://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/BR/0095/BR00950L017.pdf
ウダーナヴァルガのギルギット写本

278 :
>>276
>有るのは今だけです。
その通り。過去も未来も、考えるのは「今ここの我(生命)」。従って、過去
も未来も、すべて「今ここの我」。前世・来世など問題外。だから中論は「時間」
を否定したのである。

279 :
中論以前に仏陀の無我がそれを言っているw

280 :
>>279
「無我」なら、「今ここの我」も無いw。

281 :
それは屁理屈w

282 :
>>281
「無我」なのに、「今ここの我」はある、などと言ったら、屁理屈にも
なっていないw。完全な論理破綻。

283 :
我が無いというのは今無いという事ではない。
常住ではないという事でしょう。
死後も連綿と続く我〜なんてのは無いという事。

284 :
>>283
今無いんだよ
常住ではない、ということは、
そういうこと。
仏陀の無我を、常識的解釈に引きずり降ろしては
いけない。

285 :
髪の毛1本抜けたから1秒前の私とは違う〜だから我は無いって?
そんな馬鹿な話を誰が信じますか?
確かに刻々と変化するのは当然です。
しかしそれを我では無い〜というのは、それこそ誤解も甚だしい。

286 :
第一、そんなに瞬間瞬間我で無いのなら、自灯明の自とは何か?
我ではないのか?
それすらないのなら、自灯明自体無い〜という事になり、果ては仏陀の説も無い〜という事になる。

287 :
 
> 我が無いというのは今無いという事ではない
> 常住ではないという事でしょう
> 死後も連綿と続く我〜なんてのは無いという事
例えば、仮に
今この一瞬だけに限定したとしても
それは
因と縁の依存によって
現れた仮りの状態である
という意味かも
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%91
我は、常住であり
他との何らの関係をもたないで単独で存在することができるものと考え
それは働きのうえで自由自在の力をもつとした
この我によって人間生存は根拠付けられ、支配されていると考えるのである
 − これに対して −
釈迦はこのような実我観念を批判し
「我として認められるものはない」として、諸法無我と説いた
これを色受想行識の五蘊について説き
人間生存は無我である五蘊の仮和合したものであるから仮りの存在であると説いた

288 :
>>266
>少なくともアングリマーラ経中の難産に苦しむ夫人とアングリマーラのエピソードの目的は、
>ゴータマの指示によって真実語を祈りの呪文として用いたという記録です。
アホかwwwwwwwwwwwww
あれが、呪法肯定の記述だと???wwwwwwww
始めから、全体を通して100回読んで来い、バカタレがww
あれは、たとえアングリマーラほどの悪人でも、仏法に帰依すれば、
清浄になることができ、他者を救うことさえできるという・・・
いわゆる、仏道を歩むことが如何に尊いことなのかを示すエピだ、アホwwwww

289 :
仮の状態でも有るのだから、無ではない。
有ると言えば、仮の状態だから有でもない。
つまり、今しか我は無いという事ですよ、それが仮でも。
というか仮だからこそ。

290 :
しっかし、神智学みたいなトンデモ、オカルト宗教に脳みそやられると
何でもかんでも、自分の都合が良いように解釈する癖がついちまうのか??www
まあ、なんにせよ、  頭のおかしいババアを「マイトレーヤ」などと
思ってしまうほど、  思い込みが激しくならんように注意することは必要だなwwwwww

291 :
 
例えば、仮に
今この一瞬だけに限定したもので、あったとしても
我があるのなら
四念処(四念住)によって滅させる事が出来ない
 − これに対して −
今この一瞬だけに限定したもので、あったとしても
色受想行識の五蘊の仮和合した仮りの状態であるからこそ
四念処(四念住)によって滅させる事が出来る
という意味かも
  _  _  _
釈迦
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%88%E8%BF%A6
自灯明・法灯明 − 四念処(四念住)

292 :
 
>>291 の続き
色受想行識の五蘊の仮和合した仮りの状態としての
仮設としての
我、我所を滅する因縁の故に、無我、無我所を得て、智慧を決定する
と、衆生を引導する為に、仮名の空を以って説明している
と言う意味だと思います
http://www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/Chuuron/Chuuron03a.htm
中論觀法品第十八
八聖道分を修習して、我、我所を滅する因縁の故に、無我、無我所を得て、智慧を決定する
http://www.geocities.jp/tubamedou/SonotaButten/Chuuron/Chuuron04a.htm
中論觀四諦品第二十四
衆因縁より、生ずる法を、わたしは、即ち、是れは空だ!と説いた
何故ならば、衆縁が、具足、和合して、而も、物が生ずる
是の、物は、衆因縁に属するが故に、自性が無い
自性が無いが故に、空である
但だ、衆生を引導するが故に、仮名の空を以って説いた

293 :
>>291
>色受想行識の五蘊の仮和合した仮りの状態であるからこそ
>四念処(四念住)によって滅させる事が出来る
仮和合だと「考える」のは誰?
「滅させる」のは誰?
いくら足掻いても、釈迦の論理矛盾は解消しないよw。

294 :
>>285
もし、髪の毛一本が確かなものなら、未来永劫、ず〜っと残るでしょ、変化もせずに。
なぜ滅びるのか?
本当に確かなものだったら、変化せず、そのまま続くでしょ。
確かに存在するとは、言えないんだよね。
人間の頭で、常識的に判断すると、確かにあると思っちゃうけど、
変化する、形態を維持できない、ということは、本当にそのものが確かに存在するとは、
言えないってことでしょ。
変化がゆっくりだから、そう見える。
たとえば、早送りみたいにこの世界を眺めてみると、あっという間に変化編滅し、
物の儚さがハッキリと分かるでしょ。
確かに存在するものなんて、この世界には無いんだよ。
だから、この世界は空だと言う。

295 :
>>286
自灯明の「自」とは、我のことじゃないでしょ。
我を超越して、自然の、ありのままの姿が、この自分を通して出ていること。
後の、法灯明の「法」と、同じ。
自と法は、まったく別々のことを言ったのではない。
まとめて、「自を通して現れる法をよりどころとしなさい」 ってことでしょ。

296 :
 
>> 色受想行識の五蘊の仮和合した仮りの状態であるからこそ
>> 四念処(四念住)によって滅させる事が出来る
> 仮和合だと「考える」のは誰?
> 「滅させる」のは誰?
> いくら足掻いても、釈迦の論理矛盾は解消しないよ
我、我所を滅させる、因と縁の依存によって、無我、無我所を得て、智慧を決定する
末那識(まなしき)と相応する我愛も
仮設として現れているものなので
滅させる、因と縁の依存によって
滅させる事が出来る
と言う意味だと思います
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AB%E9%82%A3%E8%AD%98
末那識(まなしき)
第七識・末那識と相応するものは、我癡・我見・我慢・我愛の四煩悩
睡眠中でも深層において働き続け
根源的な心である阿頼耶識を対象として、それを自分であると考えて執着し続ける
この深層的な自我心(末那識)を滅することによって、我々は初めて真の無我行を実践することができる

297 :
>>295
>まとめて、「自を通して現れる法をよりどころとしなさい」 ってことでしょ。
やっぱり、「自(我)」はあるではないかw。
「自灯明」は、世界の他の宗教の開祖は、誰一人として言えなかった優れた言葉。
釈迦の「無我」に合わせるために、何故そこまでして自灯明を否定しなければ
ならないのか。何故、釈迦の明らかな誤りを誤りとして認められないのか。基地外
としか言いようがない。

298 :
@竜樹が言いたかったことってのは、・・・・・
「あらゆる対象化はいけませんよ」  ってことじゃなかったのか?w
人間ってのは、とかく「全てのものを対象化して認識するわけだ」
例えば、「石ころを見る」という事例の場合、「見る主体である自分」と
「見られる客体である石」が、そこにあるわけだw
人間は無意識のうちにそのような「相対化」というものを行う。
言い換えれば、「一切の中から、それぞれのものを≪切り取る作業≫を行う
わけだ。」 この切り取り作業による「相対化」というものが無明でしょ?
『我』という観念も、まさにこの≪切り取り作業≫によって生じる産物で、
(自己以外のものからの)相対化を図ることによって生じる誤謬なわけだ。
つまり一切の中から、「我」というものを切り取って認識してしまう。
この対象化、相対化、切り取り作業の際に必ず用いられるツールが「言語」
なわけだ。  対象を言語によって規定したり、名称を与えることによって
定型化したりすることにより「対象化」してしまう。 すなわち、≪切り取って≫
しまうわけ。
しかし、人間は何かを認識したり、思考したりするとき必ず、この言語を使用する。
これが問題なわけで、言語によって何かしらの規定を行うことは、それが即、
対象の相対化を行なってしまうことになる。
例えば、「雲海に浮かぶ朝日に感動したとき」・・・・・
感動の中にいるだけならば良いが、人間はそれをすぐ、「すごい」「美しい」
「素晴らしい」などの言語によって規定してしまう。 その瞬間に眼前の景色は
「対象化」されてしまい「見ている自分」と「見られている景色」という相対化
されたものとなる。  つまり、一体だったものから、「主体」「客体」という
切り取り作業を行なってしまうわけ。

299 :
Aこのように「言語による認識、把握」というものは人間の習性であり、実に厄介なもので、
そのような相対化ってのを超えた処でないと真実の姿はわかりませんよ  ってのが竜樹の
言いたかったことじゃねえの?
・・・・「認識する」  という言語表現は、その論理的思考から、常に「誰が」という
主体を求めてしまう。
・・・・「変化する」  という言語表現も、 当然、「何が」という主体を要求する
ことになる。
それは、共に「言語化」することによる要求であり、そのような言語的把握による論理的帰結
を要求することなく、それらを「一切のうちの一相」として
言語化することなく受け入れることができれば、「主体の要求は意味がなくなる。」
この対象を切り取らない、「一相」としての、そのままの受容がポイントなんじゃないの?

これはさらに、「〜〜〜〜が、真実である。(真実でない)」
「〜〜〜〜は、・・・・である。(・・・でない)」    等の、全ての判断、主張、規定
(仏教的に言えば「分別」かw)の禁止にも繋がっていくわけで、
  「何かを肯定したり、否定したりすることは即、相対化
を行うことであって、そういうのは止めましょうね」っていうのが、すなわち 戯論寂滅
なのでは?  竜樹が中論で言いたかったのは、これに尽きると思うのだがなw
竜樹は、この「言語認識による相対化を止めようね」ということを「言語によって」説明しなければ
ならなかったわけだから苦労したと思うがww
まあ、以上は仏教徒ではない凡夫が、暇に任せてだらだらと書いた、外から眺めた竜樹感だから、当然、
間違ってても責任はとれませんwwww

300 :
隠居は論外としてw
>>289
>>299(及び>>292一行目>>294-295)なんだけどね・・。

301 :
>>295
自燈明の「自己」にあたるパーリ語の単語はatanで、サンスクリットのアートマンにあたる。
アートマンを拠り所とせよと断言しちゃってる経文は、「え〜〜〜ちょっと釈迦さん、ちょっと待って待〜〜〜って!それ失言!」と
冷や汗もんだろうが。

302 :
誰かあっちの悟りスレを建ててくれ〜

303 :
>>300
人間社会は、徹頭徹尾、生存共同体である。言語によって対象化しなければ、
人間は共生できないし、そもそも社会が成立・維持できない。それだけの
ことだ。人間が、独りで生きている、生きられるのなら、言語は不要。
独り言は、言語ではない。
釈迦は、対象化できない唯一の存在である「我(生命)」でさえ、「無我」と
して対象化したw。
言語とは、生存に関係する「具象物」を対象化する記号として発生した。
具象物に対応しない観念語、抽象語は、対応する具象物がなく、時と場合に
よって変わる若人百様の内心の観念だから、共同体の記号としても機能し得
ない。例えば、正義、美、涅槃、八正道、解脱、悟りなど。
「美しい花がある。花の美しさなぞ、ない」(小林 秀雄)。
具象物に対応しない観念語、抽象語に溢れているのが、宗教の教典。内容は
「ゼロ」。即ち戯論である。中論は、そのような戯論を否定したのである。
「相対性」という言葉を何度も使っている以上、中論の中心思想は、やはり
「万物・万人の相対性」であろう。即ち、開祖の言説にも「絶対性」はない
ということw。

304 :
仏教には神はない、と言ったら
仏教には梵天という神がある、と言われました。
そうなんですか?

305 :
>>304
釈迦の多くの妄想、戯論の一つだろう。「梵天」「神」などという具象物は、どこにも
ない。

306 :
>>301
釈迦の「無我」自体が、初歩的論理矛盾、勘違い、誤りだったということ。

307 :
 
>>302 ノスタルジア さんへ
> 誰かあっちの悟りスレを建ててくれ〜
誰かが
【仏教】悟りを開いた人のスレ
を建ててくれるまでは
とりあえずは ↓ ここを、ご利用下さいませ
仏教 議論 33 ( ← 別枠版 )
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1331725479/
ちなみに
私(ID:0G9Xx+l3)の場合は
「 Lvが、たりません 」 と表示されて
スレ建て出来ませんでした スマソ 屮(_ ._)屮

308 :
 
> 仏教には神はない、と言ったら
> 仏教には梵天という神がある、と言われました
> そうなんですか?
仏教(ぶっきょう)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E6%95%99
神(天)とは、仏教においては天道の生物であり、生命(有情)の一種と位置づけられている
そのため神々は人間からの信仰の対象ではあっても厳密には仏では無く仏陀には及ばない存在である
仏教はもともとは何かに対する信仰という形すらない宗教であった
時代が下るにつれて開祖である仏陀、また経典に登場する諸仏や菩薩に対する信仰を帯びるようになるが
根本的には信仰対象に対する絶対服従を求める態度は持たない
仏教における信仰は帰依と表現され、他宗教の信仰とは意義が異なっており
たとえば修行者が守るべき戒律を保つために神や霊的な存在との契約をするという考えも存在しない
これらの内容は
民間信仰においては様子が一変していることが多く、それが仏教を分かりづらくする原因の一つとなっている

309 :
単純な話。
釈迦は「アートマン〜ではない」といったが、「アートマンはない」とのドグマは立てなかった。
でなければ、パーリ律蔵の仏伝にあるように、置引きした遊女を血眼で探す俗人に「そんなことより、自己(attan=アートマン)を求めない」
とは言えなかったし、「人に依らず、自己(attan=アートマン)を島(燈明)としなさい」とも言えなかっただろう。
釈迦の説法の中心には常に自己認識、自己探求があった。
大乗以降に形而上化された「空」の哲学の中で、「世界はくう!法もくう!そう言う自分も結局くう!」と
のたまり続ける頭でっかちには分からんだろうw

310 :
自己(attan=アートマン)を求めない

自己(attan=アートマン)を求めなさい

311 :
>>308
>そのため神々は人間からの信仰の対象ではあっても厳密には仏では無く仏陀には及ばない存在である
わかりました。
そうすると、神々という存在は仏教に出てきても、
キリスト教的な絶対神という存在はいない、ということでOKでしょうか?

312 :
また別の疑問ですが、
ゴータマ自身は輪廻転生について語っていない、という人と
仏教には輪廻転生の思想がある、という人といます。
どちらが本当なのでしょうか?

313 :
釈迦自身、原始仏典で語るように、仏説とは涅槃へと至る手段としての「ただの筏」。
目的へと至ったものには不要なものとして「捨て去られる」道具に過ぎない。
大乗は部派仏教の僧院で閉じられた仏説を経典創出という形で再開し、真の仏説とは何かを真摯に問い続けた。
この営み自体は否定されない。自燈明の教えにあるように、釈迦は「筏」をドグマ化する意図などなかったから。
大乗の間違いは先鋭化する「空」思想の中で、ひたすら「筏」の探求に没頭し続け、「筏」を営為の目的と化してしまったこと。
本来、釈迦が言った「筏」をもって彼岸へと渡る「自己」を見失った。此岸で筏を担いでうろうろする様は滑稽ですらある。

314 :
>>309

対象化された言葉に踊らされている典型だなw
ま、その辺が西洋感性の限界なんだろうけど。

ちなみに
>>310
「自己を求めなさい」とも言われてないんだけどね・・。
この言い回し(やシチュ)の違いが、(ファンにとっては)(痛快なw)肝なんだけどねぇ・・・。 ┐(´ー`)┌

315 :
輪廻転生(サンサ−ラ)はあるでしょ。それを乗り越えるのがブッダの教え。
「生老病死→終わり」なら、修行しなくても、死んだら終わりだからね。
生きてる間、チョイ我慢すればいいし、いやならすぐ自Rればいいし。

316 :
 
> 釈迦の説法の中心には常に自己認識、自己探求があった
自己探求の次の段階として
止(サマタ)と、観(ヴィパッサナー)によって
想受滅させて
仮設としての
我、我所を滅させる、因と縁の依存によって、無我、無我所を得て、智慧を決定する
と、衆生を引導する為に、仮名の空を以って説明した
と言う意味かも
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A2%E8%A6%B3
止(サマタ)とは
心の動揺をとどめて本源の真理に住することである
観(ヴィパッサナー)とは
不動の心が智慧のはたらきとなって、事物を真理に即して正しく観察することである

317 :
竜樹に対する一番辛辣な質問はこれじゃね?
「あなたの生涯をかけた空観の探求は、一求道者として敬意を覚えます。
 ではその優れた「筏」でもって、あなたは彼岸に渡ることができたでしょうか?」
彼が全生涯をかけた営為が此岸で豪勢な筏を創り続けることで、気づけばそれに乗る自己もなかったという笑い話。

318 :
だいたい説一切有部の経典勝手編集者の編集をアタマから信用するのが間違い。
それは例えば、天台智の現地調査さえしない妄想編集ぶりをみても判ろうと言うものw

319 :
 
>>311 ID:PllRNcDk さんへ
> 神々という存在は仏教に出てきても
> キリスト教的な絶対神という存在はいない、ということでOKでしょうか?
例えば、仮に
キリスト教的な絶対神のようなものがあったとしても
仏教における信仰は帰依と表現され、他宗教の信仰とは意義が異なっており
たとえば修行者が守るべき戒律を保つために
 → 神や霊的な存在との契約をするという考えも存在しない ←
これらの内容は
民間信仰においては様子が一変していることが多く、それが仏教を分かりづらくする原因の一つとなっている
と言う事であるらしい

320 :
仏教で魂の浄化は出来ないよw
糞宗教ですからw

321 :
>>317
一つの筏、自分の筏だけにこだわって、あまつさえ他人の筏をぶち壊そうとする輩が
絶えないかったもんだから、竜樹が空を唱えたように思うんだが。

322 :
訳わからん能書きは仏教独特だねw
支離滅裂なところも・・・w

323 :
>>319
他の宗教のように「神だのみ」とかはない、ということだと思うのですが、
しかし、他力本願というのもあるのでよくわからないのです。

324 :
>>317
竜樹には、彼岸はないのだから、筏も求道も問題外。
中論は、「もろもろの存在」の構成原理を見出しただけ。中論の基盤は、「世間の一切の
慣習」と「物理現象」。つまり「あるがままの世界、諸法実相」である。
中論を、釈迦の勘違いに過ぎない「無我」「無」になりふり構わず合致させようとするから、
解釈が狂ってしまう。
>>320
「浄」は「濁」があるからこそ存在し得る。「万物の相対性」が、中論の中心思想。
「浄」だけなら、「濁」だけと全く同じ。「善悪」「正誤」「美醜」「聖俗」皆同じ。

325 :
恥をかかないような生き方、社会性を重視した生き方が重要なんだよ。
だから旧約聖書の律法でよい。福音によって律法はユダヤ人のものだけではなくなったのです。
魂の浄化というのはそうゆうこと。

326 :
ノスタルジアのことば。
ぼくの文章は、基軸に自分で確信を持った言葉を置くことにしている。
だから、一見すると、なんともない文章のようだが、あとからよくよく
読み返すまえに、新たなぼくの文章を読む読者は、ぼくを捕えられない
ことにもどかしさを感じるだろう。そう、ぼくは野ウサギなのである。
「野ウサギは人がつくりあげた価値とかモラルとかの裏をかく。こちらの世界から
、たえず離脱していこうとしている。しかし、かといって野ウサギが完全に
むこうの世界に、つまり無や死が支配するモノトーンな「ナッシング」の世界に
溶け込み、姿を消してしまうこともない。むこうの世界からさえも離脱しているのだ。」
(野ウサギの走り・中沢新一著より)

327 :
 
>>312 ID:PllRNcDk さんへ
> ゴータマ自身は輪廻転生について語っていない、という人と
> 仏教には輪廻転生の思想がある、という人といます
> どちらが本当なのでしょうか?
一般的には
輪廻からの解脱を目指す
と言う事であるらしい
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E6%95%99
仏教(ぶっきょう)
一般に仏陀(目覚めた人)の説いた教え
また自ら仏陀に成るための教えであるとされる
仏教は輪廻と解脱の考えに基づいている
人の一生は苦であり永遠に続く輪廻の中で終わりなく苦しむことになる
その苦しみから抜け出すことが解脱であり
修行により解脱を目指すことが初期仏教の目的であった

328 :
釈迦や釈迦カルトは「苦」という言葉を使うのは止めてくれ。こちらまで
憂鬱になる。
苦があるからこそ、楽があるのだから、差し引き「ゼロ」だ。しかし、楽の
割合のほうが大きいからこそ、人類は現在まで存続している。
人間は、いくら苦しくても、実は「生きていること自体」に、無意識にでも、
最大の喜びを得ているのである。

329 :
>>324
>中論は、「もろもろの存在」の構成原理を見出しただけ。中論の基盤は、「世間の一切の
>慣習」と「物理現象」。つまり「あるがままの世界、諸法実相」である。
そう、その通りだ。お前のアタマの中でだけで、だがなw

330 :
仏教の坊主はどんなに修行をつんでも悟ることはないし仏には決してなれない。
仏教でいう『輪廻』からは決して逸脱できないのである。

331 :
>>329
それが「現代人」としての「唯一の解釈」。知識も知恵も桁違いに異なる、無知蒙昧な
古代人に合わせて解釈することが、現代人にとって一体何の意味があるのか。
仏典も、あくまで、当時の状態における、当時の人々に対して説かれたものである
ことを、忘れているのではないか。

332 :
新スレになって魑魅魍魎の跋扈振りが一段と酷いなw

333 :
 
>>323 ID:PllRNcDk さんへ
> 他の宗教のように「神だのみ」とかはない、ということだと思うのですが
> しかし、他力本願というのもあるのでよくわからないのです
如来の本願力(はたらき)と
衆生の心の働きと
双方が相応一致することで
成就する場合もあるらしい
成就しない場合もあるらしい
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%96%E5%8A%9B%E6%9C%AC%E9%A1%98
他力本願(たりきほんがん)
浄土真宗で「他力」とは
「他」とは衆生を指し
「力」とは衆生を救済し続ける如来の本願力(はたらき)をいう
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E6%8C%81
加持(かじ)
密教においては
仏が大悲・大智によって衆生に応じることを「加(加被)」
衆生がそれを受け入れることを「持(摂持)」と解釈し
双方が相応一致することで
死後の成仏をはじめとする各種の効果を成就させる

334 :
>>宝珠愚者様
「薔薇十字会的な神智学では、外の世界に物質的な対象しか見ることかできない
ありきたりな感覚を超えたより高次の感覚能力を人間は身につけることは
できるのだということ、そしてその時、私たちはあたりまえの人間の体をもって
物質の世界の中にありながら、同時にその同じ場所に、もっと微細でもっと精妙な
力の流動する、「より高次の世界」を見ることができるようになることを、さまざまな
表現をつくして、あきらかにしようとしてきた。」(野ウサギの走り・中沢新一著より)
とありますが、ぼく個人的に思うのですが、こう中沢新一が言うのみだったならば、
だいじな、個人の問いがぬけているような気がするのです。なにか、その上というか
その先はなぜ言い表せられないのでしょうか。神智学というのは、高次な世界を
見るということで、終わるものなのでしょうか。ぼくは、高次な世界を見る
だけでは、物質世界を克服したことにはならずに、以前と同じように、
この物質世界にいるような気がするのですが。

335 :
>>312
>輪廻転生について語っていない、という人と
「語っていない」ということはないよ。
それが、生物的に・衆生として・生き物の在り方としての真実かどうか?
という点で意見が分かれているだけ。
で、そこを確定させる物証及び状況証拠は、今のところ存在しない。
伝承の中(悟りを得たとされる過去の弟子達の証言・言い伝え)にしかない。
伝統としてそれを受け入れるか、
現代科学生物学等に準拠して却下するか、
その違いが出ているだけ。
決着を見たいと思うなら自分で悟ってみるしかないw

336 :
>>331
>それが「現代人」としての「唯一の解釈」。知識も知恵も桁違いに異なる、無知蒙昧な
>古代人に合わせて解釈することが、現代人にとって一体何の意味があるのか。
おやおやw 龍樹は時間概念を世間においても否定したんだろ?

337 :
>>268
>既に去りつつある者は、去るという同じ動作を同時に二度行なうことはできない、
>と、アホでも判る解説を付けてくれているではないか。
土佐にいる武市半平太は言った、京都にいる「龍馬がゆく」。
さて、竜馬はどこへゆくのでしょうか、ゆかないのでしょうか?

338 :
>>268
>ゼノンの「飛ぶ矢は飛ばず」は、単なる時間的・距離的分割で、「相対性」に
>思い至っていないから、似て非なる概念である。
<動く⇔ 止まる>の相対なんですがねえw

339 :
あうあうあうあうあうああー
::::::::: へ( ^q^')ノ        おれは輪廻なんてないと思ってるので断見だが、
:::::::::   (┐ノ          日本の葬式屋は、死者は三途の河を渡ると思って対応してくるねえ。
:::::::::: /           
:::::::::::::::::::::::::::::::::

340 :
>>268
>釈迦の縁起(因果関係)を、完全に否定したもの。
エッチして妊娠すれば、10月10日もすれば子供は生まれるよ。
『もしも一切のものが空(縁起)であるならば、なにものかの生起することは存在するし、消滅することも存在するということになるだろう。
 そして、汝にとっては四つの真理(苦・集・滅・道の四諦)は(世間でも)存在することになるだろう』(中論24-20逆読み)
四諦も因果関係なんですがねえ。努力する者は報われる、というのは世俗諦ではないんでしょうか?
『(世間で)縁起を見る(知覚)ものは、すなわち、苦・集・滅・道(の四諦)を見る。』(中論24-40)
単なる相関関係だけで世間様に通用するんですかねえw

341 :
>>339
死後世界の有無と輪廻転生は別の話ですよ。
三途の川〜は死後世界の事でしょ。
輪廻は生まれ変わりの事。

342 :
あうあうあうあうあうああー
::::::::: へ( ^q^')ノ        ああ、三途の川は、日本の民間信仰なのか。
:::::::::   (┐ノ          これは使えるなあ。
:::::::::: /            日本の葬式は輪廻転生を信じるか否かは関係なく、三途の川を渡るという風習は強く守られてるねえ。
::::::::::::::::::::::::::::::::: 誰か詳しい人いないかな?

343 :
 
龍樹の中論
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/mulama.html
http://home.att.ne.jp/delta/myrobalan/pdf/mulama24.pdf
第二十四章 四つの聖なる真実(四聖諦)の考察
20.
もしあなたがたが言うように、これらすべてのものが空でないなら
生じるということも消滅するということもあり得ないだろう
したがって四つの聖なる真実は非存在だということになるだろう
 − これに対して −
40.
依存的に生じること(縁起)を理解する者は誰であれ
苦しみ(苦諦)をも理解し
そして、それが生じるということ(集諦)を理解し
そしてその方法(道諦)とともに
それが消滅するということ(滅諦)を理解するのである

344 :
 
三途川(さんずのかわ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E9%80%94%E5%B7%9D
此岸(現世)と彼岸(あの世)を分ける境目にあるとされる川
一般的に仏教の概念の1つと思われがちだが
実際は仏教に民間信仰が多分に混じって生まれた概念である
三途川の出典は『金光明経』1の
「この経、よく地獄餓鬼畜生の諸河をして焦乾枯渇せしむ」である
この地獄・餓鬼・畜生を三途(三悪道)といい
これが広く三悪道を指して三途川と称する典拠であるといわれる
俗に言うところは『地蔵菩薩発心因縁十王経』(略称:地蔵十王経)の
「葬頭河曲。於初江辺官聴相連承所渡。前大河。即是葬頭
 見渡亡人名奈河津。所渡有三。一山水瀬。二江深淵。三有橋渡」
に基づいて行われた十王信仰(閻魔大王は十王のうちの1人)による
この十王経は中国で成立した経典であり
この経典の日本への渡来は飛鳥時代と思われるが
信仰として広まったのは平安時代末期とされる

345 :
あうあうあうあうあうああー
::::::::: へ( ^q^')ノ        >>344 そのウィキは見たよ。
:::::::::   (┐ノ          というか、そのウィキを見て聞いているんだけど、
:::::::::: /            仏教はなんだかんだとインドの教えじゃん。
::::::::::::::::::::::::::::::::: ぼくは、日本の宗教を作るべく、その物語を書きたいのだ。

346 :
>>340
それは命題の逆ではなくて裏だよ。
 
逆も裏も必ずしも真ならず。

347 :
 
> 仏教はなんだかんだとインドの教えじゃん
> ぼくは、日本の宗教を作るべく、その物語を書きたいのだ
やっと三途川(さんずのかわ)を渡る橋に到着してみたら
その橋を渡る為の条件が
「 煩悩障(自己に対する執着)
  所知障(外界のものに対する執着)
  の二種の障害を根絶すること 」
と書いてありました
 ↑ こんな感じで、どうでしょうか?

348 :
>>312
仏教の流れには大きく、
南方の上座部仏教と北伝の大乗仏教(日本仏教はこちらに属する)の二つがあります。
南方は例外なく、ゴータマは輪廻転生について教えそれが実際に起こっているものとみなす。
つまり、輪廻転生を肯定しています。
大乗も例外を除いては殆どが同様の理解です。
(例外とは、「あると思えばある。無いと思えば無い」的な精神を標榜する禅の一部)
ここのスレに多く見られるような否定論は
あくまでもただの個人見解、個人意見に過ぎません。

349 :
>>243
サロメさん、
暫く仏教議論スレから遠ざかっていたようですが、まずはお元気そうで何よりでした。
ところで、
あれからどこかの仏教寺院で何か参加されたのですか?

350 :
>>346
詳細は中論24-21(苦)・22(集)・23(滅)・24(道)を参照。
     『道は修習される』(24-24)「ローマは一日にして成らず」(セルバンテス)

351 :
 
> 「あると思えばある。無いと思えば無い」的な精神を標榜する禅の一部
机先生の場合は
「 心の働きも無い 」
「 輪廻も無い 」
「 輪廻から解脱する為の三十七菩提分法も必要ない 」
と逝ってた気がする
  _  _  _
ちなみに私(ID:0G9Xx+l3)の場合は
輪廻から解脱する為の三十七菩提分法 − 肯定です  屮(_ ._)屮

352 :
>>348
>ここのスレに多く見られるような否定論はあくまでもただの個人見解、個人意見に過ぎません。
否定論は個人的見解だが、肯定論は検証不能のドグマでしかない。
したがって、無記=無視がリーズナブルだ。
『友よ、ニガンダ派の人たちよ、あなたたちは、
〈 前世において私たちは存在していた、存在していなかったのではない 〉と知りません。また、
〈 前世において私たちは悪業を行った、行わなかったのではない 〉と知りません。また、
〈 私たちはこのような悪い業を、あるいはまたあのような悪い業を行った 〉と知りません。また、
〈 これだけの苦が滅尽した。あるいは、これだけの苦が滅尽するはずてある。
  あるいは、これだけの苦が滅尽したとき、すべての苦が滅尽するはずてある。 〉と知りません。また、
〈 現在、この世において、不善の事柄を捨て去り、善の事柄を私たちは備えている 〉と知りません。
このように、何も知らないのならば、それでは何故、
あなたたちは、
「人が感受するところのものは、楽であれ、苦であれ、苦でも楽でもないものであれ、
 すべては前世に行なわれたことを原因とする。
 それゆえ、苦行によって古い業を消滅させて、新しい業を作らないことによって、未来に結果がなくなる。
 未来に結果がないことにより、業が消滅する。
 業が消滅することにより、苦が消滅する。 
 苦が消滅することにより、感受が消滅する。
 感受が消滅することにより、すべての苦が滅尽するであろう」、 と答えることができるのでしょうか?
それらをすべて知っているのならば、そのように答えることは正しいでしょう。
しかし、何も知らないのならば、そのように答えることは正しくないのではありませんか?』
                                       (中部 101)
ブッダの問いは、★すべて検証不能の<一切外の事柄>だからであり★、⇒無記
菩提心自己の凡夫にとっては、妄想・形而上的見解・物語・フィクション・イリュージョン・錯視に他ならないからである。

353 :
あうあうあうあうあうああー
::::::::: へ( ^q^')ノ        >>347
:::::::::   (┐ノ          三途の川は、悟るために渡るのではなく、
:::::::::: /            死後の世界へ行くために渡るのだから、それはちょっとちがうのでは?
::::::::::::::::::::::::::::::::: それとも、日本の仏教でいうように、Rばみんな仏になるのかな?

354 :
>>288
1/2
それはアングリーマラ経全体としての伝えたい意義のことであって、
ゴータマが彼に真実語を唱えてくるよう指示した直接的な説明にはならないですから。
参考:
『この伝統を受け継いだ上座部系の仏教では、アングリマーラの名は呪文(パリッタ)のひとつとして広く知られるようになる。
アングリマーラ・バリッタと呼ばれるこの呪文は、安産祈願の内容をもつが、広く治病快癒の呪として、人々の間で連綿と唱え
られてきたらしい。』
<森 雅秀著/アジアの伝統における癒しと救い/第8章 仏教における殺しと癒し>
(立川武蔵編『癒しと救い――アジアの宗教的伝統に学ぶ伝統的』三秀舎刊)
http://mmori.w3.kanazawa-u.ac.jp/works/article_pdf/3_48murdere&salvation.pdf

355 :
2/2
『 (3) 仏教の呪術性 (a) 密教以前
パーリ仏典長部『梵網経』は、迷信的呪術や様々な世間的知識を「無益徒労の明」として否定する。初期仏教では比丘が呪術を行
うことは禁じられていたと考えてよい。
しかし、一方、律蔵において、世俗や外道で唱えられていた「治歯呪」「治毒呪」などの護身呪文(護呪)は許容されていた。中で
も比丘が遊行の折に毒蛇を避けるための防蛇呪は、後に初期密教の『孔雀王呪経』に発展した。また、意味不明な呪文でなく、例え
ば森で修行するに当たって木霊など様々な障害を防ぐ慈経(Metta Sutta)、安産を願うアングリマーラ経(Angulimala Sutta)など、
経典を読誦することによって祝福するという習慣が南伝上座部仏教にも存在する。「パリッタ」(paritta 護経、護呪)といい、現代の
スリランカや東南アジアでも行われている。釈尊がこうした呪術的要素を完全に否定したわけではなかったと考えるべきである。』
http://ameblo.jp/lord-of-the-north-stars/entry-11513633670.html

356 :
>>344
でも、閻魔はリグウェーダのヤマがもとになってるでしょ
あと、長阿含にも閻魔王は描かれていて、鉄囲山に住んでいるとされる
ここでも地獄への一時的な審査を受けることになっている
十王経はたしかに中国撰述かもしれないが、結局はのちの諸説入り組んだ状況に悩んだ末
付加増刷版になったにすぎないと思う。
もちろん、釈尊在世の説法の通りじゃないからまがい物だと言われればそうだろうが
釈尊自体、地獄のあり様にこだわっていたとは思えない。対機説法しただけでしょう?
だから、釈尊の説を基本としながらも、現地の住民に説得力をもつ形で当地の話をとりいれたために
閻魔を入れて10人の地獄の代官(この表現も江戸時代の幕府直轄地の住民に馴染んだものかw、
要するに、次生にどの道へゆくかを判定する審査官)をたてることになったんじゃないのか?
ちなみに地獄界についての一般的な見解は倶舎論や大ビバ者論に依っていると思うが
のちに正法ねんしょ経には、さらに地獄の種類が増加している。
それも各説をみな正しいとみなした上で、それらを矛盾なく説明しようとしたことから起こった煩雑さだと
思われる。長阿含では地獄は地下にはないw鉄囲山の周りに、閻魔王宮に隣接されてある。
しかし、正法ねんしょ経は恐ろしく隙がないな
男色もアナルセックスも地獄行きだ。当然、前戯も地獄行きだ。僧の話だけどな。

357 :
 
>>349 宝珠@神智学徒 さんへ
> サロメさん
> あれからどこかの仏教寺院で何か参加されたのですか?
仏教議論スレッド73
http://mimizun.com/log/2ch/psy/1380473345/67
67 :サロメ☆ボウディア ◆IImpEahg5A :2013/09/30(月) 19:53:31.05 ID:uLblvfO5
わたしは座禅はしませんがテラワーダの瞑想の講習に出ています
  _  _  _
日本テーラワーダ仏教協会
http://www.j-theravada.net/
チベット ゲルク派
http://rdor-sems.jp/

358 :
>>334
この我々が、
現象界における縛りから解放されるには段階というものがあります。
一足飛びには無理なことです。
まずは、
濃密物質以外の世界があることを知るということからそのすべてが始まり、
そして、それを直接的に感じ取ること(見聞きする)が次の段階です。
最終的には、肉体を現象界に留めつつも意識においては高次にあるという状態を達成し、
時には意図すれば、肉体すらも現象界の制約から解くことも可能な境地です。
この基本はどんな宗教でも同じです。

359 :
>>357
あぁ・・でしたね^^(失礼)。
いつもサンクス♪
>>351
机さんのいってることは究極の真理のことです。
ならば、我々はこのまま何もしなくていいのか?
いやしかし、そうはいかないということですよ。
何もしなくてもいいのなら、仏教もいらないし、修行も何もいらない。
そこがそういうのに嵌った人の犯す抜けられない勘違いだと思う。
故に、我々の世界では役に立たないものです。
>>352
だったら、
ゴチャゴチャいわず仏教辞めればいいだけです。
あなたが信奉しなければそれで済むこと。

360 :
 
> 三途の川は、悟るために渡るのではなく
> 死後の世界へ行くために渡るのだから、それはちょっとちがうのでは?
> それとも、日本の仏教でいうように、Rばみんな仏になるのかな?
例えば、仮に
想受滅する事が出来なければ
渇愛(タンハー)によって
異蘊相続して
輪廻を繰り返す
と言う意味だと思います
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/17.html
漢訳 第一義空經

… 此の陰滅し已らば異陰相續す
俗數法をば除く
耳・鼻・舌・身・意も 亦是の如く説き 俗數法をば除く
俗數法とは
此れ有るが故に彼れ有り。此れ起るが故に彼れ起る
無明に縁りて行、行に縁りて識、廣説乃至純大苦聚集起るが如く
 − これに対して −
此れ無きが故に彼れ無く、此れ滅するが故に彼れ滅す
無明滅するが故に行滅し、行滅するが故に識滅す
是の如く廣説し 乃至純大苦聚滅す …

361 :
しかし、多感な時期に僧に入ったら苦労しそうだな
ただでさえ若者は悩むだろうに
正法ねんしょ経なんかよんだら、よけいに色欲増進しそうだよ
昔の坊さんは朱書きでラインとか引いたりしたのかね

362 :
>>359
>ゴチャゴチャいわず仏教辞めればいいだけです。
>あなたが信奉しなければそれで済むこと。
ブーメラン乙

363 :
>>359
問い1:人間の輪廻主体は、地球上に人間が居なかった時代には別の惑星にいて、そこから地球にやってきて
     人間が生まれた〜って何か突然生まれたかのような言い方ですが、猿人から進化して人間になっていくという
     過程ではどこからが人間なのでしょうか?
     アウストラロピテクスからが人ですか?ホモサピエンスからが人ですか?霊長類そのものが人ですか?
     仮にホモサピエンスからだとしても突然登場したわけでなく境無く徐々に変化していったものですが、どこを境に人なのですか?
問い2:別の惑星の輪廻主体はその惑星が生まれる前はまた別の惑星から〜という事だと思いますが、どこまで遡るのですか?
     最初の惑星というものがあったとして、そこの輪廻主体はどこから来たのですか?

364 :
どうせ別の宇宙から、とかだろ
あるいはモノリスとか

365 :
 
> 机さんのいってることは
> 我々、世俗の世界においては役に立たないものです
 ↑ ご教示ありがとう おじゃる  屮(_ ._)屮

366 :
あうあうあうあうあうああー
::::::::: へ( ^q^')ノ        >>360 難しくてわからないです。
:::::::::   (┐ノ          つまり、悟るんですか、悟らないんですか?
:::::::::: /           
:::::::::::::::::::::::::::::::::

367 :
あうあうあうあうあうああー
::::::::: へ( ^q^')ノ        YAHOO知恵袋で聞いたら、
:::::::::   (┐ノ          三途の川のように、この世とあの世の間に川があるというのは世界中に見られる民間信仰らしい。
:::::::::: /            道教由来といっていたが、道教というわけでもないだろう。
::::::::::::::::::::::::::::::::: とにかく、日本独自の民間信仰でも、仏教由来の民間信仰でもないのだ。

368 :
>>336
世俗の時間概念をより厳密に考えただけ。時間とは「物の変化」のことであり、
「諸行無常」なのだからw、時間を否定しなければ、物の正確な構成は判るわけ
がない。
>>337
止まっている他人から見れば、竜馬は行っているに決まっている。
>>338
ゼノンでは、矢は飛んでいることを前提とし、その軌跡を距離的の細分割しただけ。
「相対性」という概念は全く無い。

369 :
 
> 難しくてわからないです
> つまり、悟るんですか、悟らないんですか?
八正道(はっしょうどう)によって
我、我所を滅させる因縁によって
無我、無我所を得る事が出来た場合は
智慧を決定する
 − これに対して −
無我、無我所を得る事が出来なかった場合は
智慧を決定する事が出来ない

370 :
>>345 高天原憧憬と天照勧請と伊弉諾一元論の三本柱にして、日本の神道を
広めればいいのでは? 勧請という言葉からも分かるように、仏教も
少し関係している。 ぼくが、日頃からあたためていた言葉だ。

371 :
今昔物語には、立山地獄がかかれているな
今昔物語といえば藪の中
女は業が深い

372 :
>彼等の宗教的実践が、語身業の制御と密接に関係していたことが理解される。
>○○は、常住なる物質的存在である霊魂(jiva)は
>諸々の身体と結合し、離れることを繰り返し、
>輸廻を続けながら、清浄となり(samsarasuddhi)、最終的な解脱を得る
>大毘婆沙論にも「彼説黒勝生類経十四千大劫往来流転。然後得入青勝生類。
>(中略)即極白勝生類復経十四千大劫往来流転。然後乃能作苦辺際。」
>とある如く、有情は最下位の**より、※※に至るまで、
>順次に輪廻を続けながら、霊魂を浄化し、※※に於いて、最終的な解説を得るのである。
>かくの始き霊魂の浄化の道程が、業の抑制の度合いと裏表の関係にあるということは明白である
>かくして、業を完全に抑制した××等のみによつて解説が得られると見倣されるのである。
>かくの如く○○は六生類によつて業とその結果を決して否定しているものではなく、
>むしろ、それによつて、有情の輪廻の過程を秩序ずけたものといえる。

373 :
>かくして、**より、※※に至るにつれて、霊魂が清浄となるということは、
>業がより抑制されているということに他ならないのである。
>この様に、六生類説は、表面的には、社会的身分、宗教的差異によつて分類されてはいても、
>本質的には、霊魂の浄化の度合い、即ち、業の抑制の程度をその根拠としていた
>個々の有情の努力が決して無益であると考えていたのではない。
>その様な行為努力も、八百四十万大劫の厳格な輪廻の過程の中に抱括される
>一見有情を差別し、その社会的身分によつて区別する如くに思われるが、
>事実は、むしろ、すべての有情の本来的平等性を保証することをも意味する。
>Jataka, vol. 5, p. 525には、
> 生類は平等であり、尊敬すべき最勝の人もなく、力もなく、あるいは精進もない。
> どこに人の努力があろうか、存在するものは定まつている。ともずなの如くに。
>同様の文が、Petavatthu, p. 57にも存在し、
>Paramatthadipani,vol. 3, p. 252は、
> 「これら、すべての有情は互いに全く平等である」ことと説明する
>すべての有情の平等なることが、明確に保証されるのである。このことは、
>Jataka. vol, 6, p. 229に、
> 若し、楽あるいは苦を定めによって得るのであるならば、すべての者に輪廻による清浄がある。
>によつても確認される。

374 :
血の池地獄が女性蔑視と言われるが、これは中国撰述だな
だが、日本の霊山信仰は女人禁制だったから、かえってこれが信仰されたとか
雲仙に血の池地獄ってあるけど、男はここに女の人くるんだーとか思ってたのかね

375 :
あうあうあうあうあうああー
::::::::: へ( ^q^')ノ        やあ、ノスさん。
:::::::::   (┐ノ          高天原というのは、土地なのか雲なのか天上界なのかがはっきりしない。
:::::::::: /            天照勧請というのは、ぼくはむしろ、出雲の縁結びの神社の普及のが人気が出るんじゃないかと思ってる。
::::::::::::::::::::::::::::::::: ただ、天照は、大日如来と習合しているので、汎神論と結びつけるには天照になるけど。
伊弉諾一元論というのはなんだい? 聞いたことがないよ。男尊女卑にはしたくないから、イザナミを無視することはありえないよ。
日本神話では、最初の人というのは、イザナギ、イザナミだったと思う。まだ神と人の区別がつく前の神代の時代だね。
この物語、神と人の区別がつく物語も作らないといけない。

376 :
別府の血の池地獄温泉は健康にいいから入った方がよさそう

377 :
>>372-373
ご紹介の論文は印刷して手元にあります。
PC画面は読みにくいので印刷してからも、目を通しました。
確かに(神智学とは)共通部分はあります。しかし、それだけでは(神智学が)誤解されるだけですね。

378 :
http://plaza.rakuten.co.jp/hiroaizawa1/11023/
>>375 上記のサイトにイザナギ一元について話してありますよ〜。
実は、ぼくは、ギリシャ神話によるところにおいて、ノスタルジアと
いうコテハンが生まれたと思っている。ギリシャ神話を勉強すれば、
ぼくが何を言いたいのか、分かるかもよ。
神と人の区別は、ぼくは仏教流に言うなら、像法の時代のことであると
思うんだよ。つまり「神殿」。ところで、ドラクエには、ダーマの神殿という言葉があるよね。
ぼくはあれが、もしかしたら、釈迦が、云えなかった、神についての
手がかりになるのではないかと思っている。
高天原の神たちにしても、やはり、仏教の神と同列に置かれるべきであり、
天ということをいうならば、天を超えたどこかということも考えないと
いけない。天を超えたどこかにある高みが高天原なのかもしれない。
あと、雲ということについて言うならば、雲の動きということや、
仏典での雲の捉え方や、雲の本質・性質などや、雲の構造などを
考えないと、いけないと思う。ただ、高天原はぼくは思うに、
六道に含まれない、天ではないかな〜と思っています。ゆえに
天を超えた「どこか」なのではないでしょうか。

379 :
>>358 御返答ありがとうございます。
表象にあらわれる、いろいろな物質がありますよね? それらを
認識の変換をすることで、違う、物質になるのではないか、もっと、幅の
効いた物質になるのではないかと、考えているところです。
すべての物質について把握できるならば、ちがう物質として、ぼく自体も
この、あなたが言う、現象界に生きているときに、違う存在に生まれ変わる
ことが可能なのではないかと思っているのです。すべての物質に理解が
生まれれば、物質の変換ができるのではないでしょうか? そして
それが新たな境地に至る方法なのではないでしょうか。
その具体的方法までは分からないのですが・・・

380 :
霊魂:
「インドの関連術語が、<霊魂>や<魂>と漢訳された例は確認されていない、ただし、
<霊魂>の観念にもっとも近似するのは<命><命者><寿者><神>などと漢訳された
Jivaである。この語は、身体をささえ、生き物を生かしめる命、を原義とする。ウパニャッド
では、哲人ウッダーラカ・アールニがアートマン(我)を、太初以来の存在そのものであり、
しかもさまざまな創造物の中にそれぞれの命として内在すると語り、後世に多大の影響を
与えた。ヤージニヤヴァルキヤはまた、対象化されることのない認識主体そのものを、
アートマンと呼ぶ」(岩波仏教辞典)。
釈迦に比べると、インド哲学の生命(我)把握のほうが、はるかに的確で、深く、高度である。

381 :
まあ、日本の記紀に通底した思想をうかがおうとするなら、篤胤でも読めばいいよ
変に混交したものを読むよりは

382 :
>>381
篤胤ではなく、宣長だろ。篤胤は、キリスト教などと混交している。

383 :
グノーシスって知れば知るほど、インドと一神教を足して割ったかんじだよな
しかも、グノーシス文書って紀元後なんだな

384 :
仏教はいいね。
実践内容はキリスト教とよく似ているけど、神に押し付けられるという義務感がなくていい。
まあ、キリスト教はおそらく民族を超えた社会秩序を作る役割もあったのだろうけどね。
因果応報すべて自己責任。情けは人の為ならず。
結果的に苦を乗り越える、あるいは克服する、遠ざけるには悪行を積まなければ良い、
善行を積んだ方が幸福になるとなる。
古来、仏の教えは上流階級の学問とされていたらしいが、きっと上流階級ですら苦に悩まされ、
苦を乗り越える秘儀のような扱いだったのではないだろうか?

385 :
>>382
意味が分からん。根拠を説明してくれるかい?坊主

386 :
>>380
不滅の魂という考えは現世の否定と、階級社会肯定につながるので、
人間にとって幸福な教えとは言えない気がするけどな。
もともと、征服民族の支配の手段として作られた哲学だろうし。

387 :
あうあうあうあうあうああー
::::::::: へ( ^q^')ノ        >>378 拝読しました。
:::::::::   (┐ノ          イザナギ一元論には反対ですねえ。
:::::::::: /            日本列島はあくまでも、イザナギとイザナミの二人が泥をこねて作ったものです。
::::::::::::::::::::::::::::::::: 死んだイザナミが忌むべき側面を引き受け、イザナギ・イザナミ二元論をとるなら、まだわかるのですが。

388 :
>>385
古事記といえば、宣長だろ。篤胤を持ち出すところが、既にカルト。
明治維新の流血は、篤胤がキリスト教に影響されたことが原因、と見ている。

389 :
>>384
インドはいろんな民族いりみだれたくせにうまく分かれて同居したからだろうね
しかも、天然の要害の地で、外敵はめったにこない。
オリエントは周辺が砂漠や荒野で荒れてるせいか、
大河の利権を外敵とつねに争って、強い結びつきと統治性が必要だったのかも
今の世界観に仏教はマッチしている

390 :
>>388
わかった。もうだまれ

391 :
>>350 
中論24−20は偽りの命題。竜樹の失敗作。
因果関係も相関関係も、現実の生起消滅を前提にしている。
最初から「空」とは無関係だから、そこに空であるか、空でないかを
持ち込んで話を分割することはできない。
それなのに竜樹は、論争に夢中になり、空の有無を持ち込んでしまう。
 
中論24−20の訂正  
空でなければ、四諦が成立しない、ということはない。
空であるから、四諦が成立する、ということもない。

392 :
まあ、仏教は宗教としての生存力が弱いのはあるなぁ・・・
チベットも日本もスリランカも要害の地だし
タイはぎりぎり分からないではないが
ミャンマーはなぜ・・・
つーかインドネシアがイスラムなのはバングラディシュ経由?

393 :
>>391
おまえもアホ認定!
もう姑息なマネはするな。
>因果関係も相関関係も、現実の生起消滅を前提にしている。
ゼノンで世俗的時間の証明はなされている(後述)のだから、
お前は将棋でいえば雪隠詰めの状態だ。
投了が賢明だw

394 :
>>368
おやおや、ホント世間知らずですねえw 神話を語ってどうするw
>時間を否定しなければ、物の正確な構成は判るわけがない。
世間で時間を否定できるわけがない。
否定したら世間はありえません(後述)。
世間では無常の時間があるというのが既成共同幻想ですから、
正確には『物の正確な構成』とやらを「擬制」する(看做す)、というのがより厳密ですよ。
不確定性原理ですね。
このことを、だからこそ中観派では相対の仮説(中論24-18)=仮観と言っているのです。
>止まっている他人から見れば、竜馬は行っているに決まっている。
 そのとき龍馬さんは昼寝中で、ゆかなかったそうですw
・『龍樹「中論」にしても、道元「正法眼蔵」にしても、
【菩提心門】未透過のお方には文字通り『無理(理だけでは深解不能)』なのと同じです。」(>>225
・『「去るもの」(分別仮観)は「去るもの」ではなく(無分別空観)、
  「去るもの」という言語そのものが不立であるがゆえに、「去るもの」「去らず」に意味・価値・実体はない。ゆえに「去らず」。
 これを「去るもの」と名づける。』(>>256) 還滅(間接)現実が<言語ゲーム>であることを金剛般若経は明らかにしています。
・『龍樹 中論24-18を中心とする中論の趣旨を、金剛般若経の表現スタイルでわかりやすく敷衍しただけですが、なにか問題でも?』(>>262)

395 :
>>391
中論は、現実離れの妄想ではなく、徹頭徹尾、現実界を語っている。
中論24−20後半の平川訳。
「そして、四聖諦の非存在が汝に結合するであろう」。
意味が、全く逆。

396 :
>>368
>「相対性」という概念は全く無い。
飛ぶ(運動)⇔飛ばず(静止)はどう考えても相対ですよ。
>ゼノンでは、矢は飛んでいることを前提とし、その軌跡を距離的の細分割しただけ。
それに、ゼノンの趣旨は『その軌跡を距離的の細分割』したある一時「点」では、
矢という“もの”は(飛んでいようが止まっていようが)そもそも<★存在しない(点でない矢はない)>のであるから、
★ものは時間的流れ・持続でのみ存在しうる★→かえって(世俗諦的)時間の肯定の証明論です。
 だからこそ時間的流れの中で、
・それ自体=自性などあるわけがなく、
・十二支縁起論のように「特定因」「特定果」という形で切り取ることがいかにナンセンスな論理構成であり、
 それによる業報輪廻転生論なるものが全くの妄想でしかないことが分かるのです。

397 :
>>395
>「そして、四聖諦の非存在が汝に結合するであろう」。
空でなく、自性があるなら、そもそも因果関係は成立しないから、
四諦は成立しない矛盾があるといっているのだ。
修証道(四諦)の実践(因)によって修証が深まり、娑婆においてより慶安に過す(果)ことができるのだ。
アホ

398 :
野心を優先するか、良心を優先するか・・・

399 :
>>396
>飛ぶ(運動)⇔飛ばず(静止)はどう考えても相対ですよ。
ゼノンは、それを言っていないし、「距離的な分割」だから、時間の概念もない。
矢自体は、厳然として実在する。
「諸行『無常』」は、刹那における「常」の状態を前提とするから、誤り。中村博士も
そのことを指摘している。

400 :
>>377
ま、単に神智学との比較ってんじゃなくて、
およそ「人という社会(特にヒエラルキーが表面化した社会・集団)」に於いて
「希求される、必然的に要請されてしまう」「世界観、形式、姿」と言えそうだな・・という話。
それは、
たとえば「文法的に主体が要請される」ように、
或いは「行為には常に対価、報いが期待される」ように、
或いは、(隠居が常々言うようにw)「一瞬を切り取った静止画として対象を把捉する」とかのような
ヒトという生物の(脳の)持つ癖、生来的志向性と同様に・・。

401 :
どうも、あれだな
東南アジアはフィリピンはスペイン統治でキリスト教へ
インドネシアはプロテスタントのオランダが布教に無関心だったから貿易の都合でイスラム教化していったんだな
で貿易にも関与せず、やはりプロテスタントで布教に無関心だったイギリスに統治されていた
タイ以外とタイが取り残される形で仏教が残っていったんだな(たぶん)
ベトナムは中国の影響で儒教道教仏教混淆らしいわ

402 :
>354 wwwwwwwwwwwwwwww
>ゴータマが彼に真実語を唱えてくるよう指示した直接的な説明にはならないですから。
アホか?wwwwwwwww
お前は、話の流れをちゃんと掴んでるの?wwww
釈迦は、まず最初に「私は人を殺してないからその功徳によって貴方は救われる」と
その妊婦に言って来いと指示したのww⇒  いい?ここ重要wwww
このとき釈迦は、「仏道に帰依してから」という付帯条件を付けるようには言ってないのw
ところが、アングリマーラが「それでは嘘をつくことになってしまいます。」と言って
初めて、「んじゃあ、仏道に帰依してからは殺してないと言いなさい。」と指示したわけww
アングリマーラが嘘をついてしまうことに拘ったから、「なら、こう言えば嘘になんないよ」
って言っただけww
わかる?ww  釈迦は、初めは「アングリマーラが嘘をついてしまうこと」に無頓着なのw
そんなこと、どうでも良いのww 
もし真実を語ることが最重要であるなら、アングリマーラに問われる前に
「仏道に帰依して後は」・・・・の付帯条件を最初の支持で必ず付けるでしょ?ww
実際、1000人も殺してるんだからww
釈迦にとって重要なのは、 「今、目前で苦しんでいる
妊婦を安心させ、無事出産させること」  ⇒  まさに毒矢の喩えwww
  さらに、アングリマーラに「仏道に帰依した後は、お前はもう以前のお前ではない。
人をすくこともできる道の人である。」  と、理解させることw
この二点だよww
呪術の効力説いてるわけであるか、アホwww

403 :
>>397
釈迦の縁起(因果関係)は、忌むべき「業報論」を導くための自性。中論第一
章は、この釈迦の縁起を明示的に否定している。

404 :
私が想像する輪廻観は、生前-死後と繋ぐ紐のようなものは無く、例えるなら水のような
ものだと思います。個々人の一生は川を流れる水です、死後の世界は海です。
海は色々な川の水が集まりますが、また蒸発して雲になり雨を降らせ川の水になる。
つまり、業報なんて無いんです。紐が無いんですから。全ての川の全ての水が海に注がれて集まる。
そこからまた始まる。深海に行けばずっと海のままかもしれませんが、循環するのでやがて蒸発する
事になる。

405 :
>>399
>矢自体は、厳然として実在する。
>諸行『無常』」は、刹那における「常」の状態を前提とするから
もう年貢を納めたほうがいいよw
わざわざ反論するまでもないでしょう。→>>396
我々は日常世間を、正確には「擬制」する(看做す)=(如)共同幻想のなかに生きているのですよ。

406 :
>>405
すべてが共同幻想なら、人間にとっては、それが「現実」なのだよ。
「色即是空」、されど「空即是色」。
釈迦や君は、人間ではない他の動物?w

407 :
>宝珠、
んで、善呪 についてだが、
「釈尊が実際にその効力について説いている経典を挙げてくれ」
オレは、律蔵編纂の過程における、世俗慣習、外道技法の混入ではないかと
考えてるんだがなww
もしくは、実際に広く行われてる現実を踏まえての、
(釈迦による)消極的黙認、・・・・・これならあった可能性はあるw
業論についても、倫理的要請から、方便として使用したことは十分
考えられるからw
釈迦が、呪法の効力を説教的に認めていたことがわかる資料の提示
よろしくwwww

408 :
説教的  ⇒  積極的

409 :
>>391
有と無が縁起するとか、煩悩と菩提が縁起するとか、
世俗が勝義と縁起するとか、間接現実と直接現実が縁起するとか
妄想するから落第なんだよ。そこをしっかり理解しよう。
 
中論は、二項相対の縁起で空だと主張しているのではない。
三時問破や一異問破を駆使して般若の空を証明しようとしている。
縁起がすべてじゃないんだよ。
 
縁起一辺倒だから中論が見えてこない。
空に熱中するのはいいが、まちがった空じゃあダメだな。

410 :
>>403
>釈迦の縁起(因果関係)は、忌むべき「業報論」を導くための自性。もうハチャメチャですね。
間接現実「一切内」(世俗諦)では時空因果関係が当然です。
これは菩提心凡夫の六処で検証できます。
業報が超越時空を意味するなら、それは菩提心凡夫の六処で検証不能ですから
「一切」基準でカットされ無記ですよ。なんらの心配もいりません。
>中論第一章は、この釈迦の縁起を明示的に否定している。
中論第一章は世俗的時空因果関係を否定しているわけではなく、
      勝義的(如)時空際断関係を示唆しているだけですよ→24-8〜12、18。
『不完全に観られた空は知恵の鈍い者どもを害する』(24-11)

411 :
>>406
>すべてが共同幻想なら、人間にとっては、それが「現実」なのだよ。
そう、それを知覚による縁起の間接「現実」というのです。

412 :
>409の訂正 
>>391 → >>393
 
閻魔は時空裁断とか言ってるけど、そんなことは絶対に不可能だよ。
それができると思ってるのも、目が覚めない原因かもね。

413 :
ぼくはいないのに、なぜプトガラ(輪廻の主体)があると思うのだろう。
この世に自分を習氣(じっけ)させることを、ぼくは企んでいるからである。
この世にある本を読みたいと思い、この世の氣分(けぶん)を味わいたいと思い、
その良心からなかなか、抜けきれないのである。
しかし、ぼくはいないと言ったが、ぼくは未だに、この世にいるじじつがある。
ゆえに、人々が、情報開示、秘本の開示、つまり、仏法の時代を迎えられないのは、
一重(ひとえ)にぼくのことが因であるからである。ぼくの因により、みなさん人々は
浄土に往生している自分の自己申告を、公の場で出来ないのだろうと、ぼくなら
思います。
生老病死は苦であるとお釈迦様は言われていますが、ぼくは、そのように
は思えません。むしろ、楽であると思います。その訳を説明します。
みんなは死んでいるとぼくは思っています。なぜ死んでいるのかというと、
ぼくが殺生したのではなく、ぼくがみんなが死んでいると言っている理由の
階梯が高いからであり、ある人から見たら、自分は死んでいなくて、生きている
と単純におもう人もいるでしょう。ぼくは、そうは思えず、生きている人は
ぼくの死んだ祖父と、中沢新一と、あえて言うならば、井筒俊彦くらいではない
だろうかと考えています。具体的記述は、次のレスでしますが、注意点は、
ぼくのことばを、すべて把握しているという邪見・妄想は止めていただきたい
と考えています。

414 :
>>412
いや、それ言ってるの道元さんだからw

415 :
ぼくはいないとわかっているのに、なぜ未だにぼくはぼくとしてこの世の
登場人物の1人の枠からさえ出れないのだろう。それは、物質世界を学ぶ
まなこがまだないということはない。ぼくは、大分前から、そのような
学びはしてきたつもりである。では、なぜぼくはいないことにならないのか。
それは、ぼくが、病にかかっているからである。なぜ病にかかっているのだろう。
それは、死を恐れているからである。前レスで紹介しました考えを、ここで
もう一度復習しますが、ぼくは、みなさん全員死んでいると思っています。
だから、みなさんは、ぼくから見れば、死としかとらえられない、楽を
受けている人々であるのです。ですが、その人々は、苦しみを味わっていると
妄想しています。ぼくは病を受けて、死への恐れにより、この世に
とどまり、病の楽を受けていると考えていて、ただ単純な、苦の病から楽の病への「回心」に
すぎず、そこには、学びの途上であることが露呈されているのです。
みなさんご存じのように、お釈迦様は、楽と苦の二つよりも中道の生活を
重要視された仏様です。
ぼくは一人でいられないわけではなく。ぼくの地平に、中沢新一や、ぼくの祖父や
あえて言うなら井筒俊彦がおられるわけであり、ぼくはその地平で、満足しきれないが、
その人々を切り捨てられないという、渇愛の対象として、妄想している始末です。
確信ということは、けっして妄想ではないのですが、だからぼくはその人たちには
おなじ楽の病を受けていたと確信しているのです。

416 :
このスレで輪廻を主張している連中
   
宝珠@神智学徒・・・神智学宣伝のために質問・議論スレに常駐。
  業法輪廻を仏教潰しの足がかりにしようと模索中
真光一在家・・・やはり真光信者を増やす目的で参加している。
  業法輪廻を仏教潰しの足がかりにしようと模索中
キリスト教サロメ・・・業法輪廻のウソを嗅ぎわけ最近出没中
 
? ・・・どこぞの寺の子供か。業報輪廻が仏教だと盲信している。
凡夫一代・・・やはり業報輪廻が仏教だと盲信している。

417 :
ここって、非仏教徒の宗教ヲタク達が
仏教をそれぞれの勝手な持論でボロクソに言うスレなんだな。。。ふぅ。。
(独り言)

418 :
生きている楽しみをただただ受けることができずに、生きている苦しみ
つまりただ働くことに、楽しみを見出す俗人にはなりたくありません。
ゆえに、いつまでも、ぼくは病の楽しみの上で、生きている楽しみを
受けるということをやめれません。
そう、ぼくはすでに、ことばの論証の点でも、俗人ではない状態になっていますが、
その問題点に行きあたっているのです。なぜインド哲学があり、なぜその前に
イスラーム哲学があるのかとか、そのようなことも考えていますし、
仏教よりも、インド哲学が優れていて、その源流においてイスラーム哲学
があることも百も承知です。
身分制度という言葉が今日このスレで出てきていますが、ぼくは俗人と僧侶を
区別しているつもりはありません。俗人もいざとなれば僧侶になれますし、
僧侶も俗人に舞い戻ることもあるでしょう。だから、そのようなことなど
別に問題視する必要もないのですが、しかし、みなさんは、ぼくにもしかしたら
話ずらいのは、何か話が続かないというよりも、何か嫌なことを言われるのではないか
迷惑をかけるのではないかと話ずらさを感じているのでしょう。そこの点は
ぼくは了解していることを、思っておいてください。
ぼくは結局、どのような方向性に行きたいのかというと、無量の本に
囲まれる生活と、無量の法門と近接する僧侶の場と、最先端の地平に
立つということ、南無阿弥陀仏を忘れずきっちり浄土に往生するということ
などが挙げられます。

419 :
>>412
>閻魔は時空裁断とか言ってるけど、そんなことは絶対に不可能だよ。
 あなたは、やらずに修証道を否定するのですか?
『たきぎははひとなる,さらにかへりてたきぎとなるべきにあらず。しかあるを灰はのち薪はさきと見取すべからず,
 しるべし薪は薪の法位に住して,さきありのちあり,★前後ありといへども,前後際断せり★。
 灰は灰の法位にありて,後あり先あり,かの薪はひとなりぬるのち,さらに薪とならざるがごとく,
 人のしぬるのちさらに生とならず,しかあるを生の死なるといはざるは,佛法のさだまれるならひなり,このゆゑに不生といふ。
 死の生ならざる,法輪のさだまれる佛転なり,このゆゑに不滅といふ。生の一時のくらゐなり,死も一時のくらゐなり,
 たとえば冬と春とのごとし。冬の春となるとおもはず,春の夏となるといはぬなり。』(道元 正法眼蔵 現成公案より)
 ・『縦横高あれど縦横高際断せり』
 ・>>298>>299(パーピマン)参照
  <相対対象化思考そのものからの離脱>=「想いからの解脱(Sn.1072)」がブッダのコペルニクス的転回=修証【般若門】だったはずです。
  
  ・『知覚のままに想う者でもなく、誤って想う者でもなく、想いなき者でもなく、想いを消滅した者でもない。──このように理解した者の形態は消滅する。 けだし、時空意識は想いにもとづいて起るからである」(Sn.874)
  ・『<われは考えて、有る>という<迷わせる不当な思惟>の根本をすべて制止せよ。内に存するいかなる妄執をもよく導くために、常に心して学べ。」(Sn.916)
  
   「想いからの解脱(Sn.1072)」=修証【般若門】において(如)時空際断は当然です。
   矛盾がない(中道)だからこそ、我執もありえず、実存苦の根本的超克という本懐がありえます。

420 :
>>414
道元は悟ってないね
>>417
まあ、仏教の議論スレだからね
>>419
やらずにも何も、閻魔よりは中論を理解している。
もしかしてキミは机なのか(^^)

421 :
>>298
バッパラパーマンはまた下らない能書き垂れてんな。お前の禅寺の坊主はそんなしょうもない能書き垂れてんのか?
言語化するから相対化する?わはははははははははははは。馬鹿かお前は。対象を言語化しようがしまいが五感で認識し、
想がが認識した時点で対象は相対化してんだよ。言語を持たない動物は対象を相対化しないで餌を餌として認識
しないで自分と同化してんのかよ、バ〜カ。あのよ、一切を一相として同化するには、自身も一切そのものになるしかないんだよ。
自他不二。不二一元。一即他。他即一。これをヨーガでは真我って呼ぶんだよ。おまえら末法仏教徒は無我、無我、無我
と誤謬している無我思想に執着するあまり君らの大好きな自他不二とは真我の境地だとも気付かないし、本当に
その境地を認識したものはいない。あのよ、言語相対世界ていうのはよ、創造神の領域なのよ。我々の言語が相対化して
相互依存の世界を構築しているなど、妄想に過ぎないことは小学生でもわかるぜ、アホ。お前や、言葉遊びに耽る
中論かぶれの禅宗系の空理空論中論教患者は重症だな。

422 :
仏教は輪廻を前提に説かれている。
っていうかそもそも輪廻がないなら
仏教やる意味無くなっちゃうよね^^

423 :
>仏教は輪廻を前提に説かれている。
それは伝統仏教だけの世界観でしょ。
近代仏教は違うんですよね。
私は近代仏教を支持します。
生前-死後と結ぶ紐は無いと思いますが、仮にあったとしてもそんな事は大した事じゃない。
輪廻がそんなに大事な観念には思えません。
業報も無視します。

424 :
シャンバラ実體論誰か完成させよ。

425 :
>>419
その道元さんの言葉の前半は素晴らしい。まさに中論の系譜。釈迦とはトーン
が全く異なる。
しかし、後半については判りにくい。生死は、前後裁断ではないのかね。
また、閻魔氏が、仏教のゲシュタルトの破壊を言いながら、仏教のゲシュタルト
そのもののSnなどを引用する意味が判らん。やはり、釈迦に対する執着を棄てきれない
のか。
釈迦と中論とは、本質的に異なる。非信者である西洋の仏教学者が、皆言っている
こと。釈迦個人を離れるか、少なくとも象徴化、飾り物にしなければ、中論は絶対に
理解できないと思う。帰教序に騙されてはならない。帰教序は、すべて竜樹の思想。
釈迦の思想はない。
一旦釈迦に嵌った者が、中論を理解できない所以である。
カルトは、釈迦には群がるが、中論や道元には、絶対に近づかない。

426 :
>>421
カラスの唄氏はアドヴァイタ関係 ラマナ・マハリシなど読まれました?

427 :
末法仏教徒達は竜樹の中論の中道=空を一切の中に求めているから、彼らの仏教は単なる言葉遊びの妄想にしかなっていない。
去る者は去らずなんてのは、言語相対で思推すれば、去る者といえば、去らない者という相が現れるのでどちらも実体=自性
がない幻だから、去る者は去らずなんてつまらない言葉遊びやってるだけなんじゃねぇの(苦笑)

428 :
>>426
知らねぇよ、そんなの。

429 :2013/10/27
>>423
では輪廻を前提にしないのが近代仏教なら
その仏教をやる意味を教えてください。
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