【豪】本多政重【傑】 (211)
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【豪】本多政重【傑】
- 1 :2006/06/13 〜 最終レス :2013/02/21
- 正信の次男坊、政重を語れ
- 2 :
- これまた微妙な人物を・・・
- 3 :
- ここは強制IDなのか
こりゃ伸びないな
- 4 :
- 前田家の監視役の人?
- 5 :
- 幕府からの監視役とする小説よりも、渡り奉公人として描く作品の方に魅力を感じます。
- 6 :
- 詳しく語ると某小説のネタバレになるから語りたくない。
- 7 :
- 某小説の作家さんはもう少し脚光を浴びてもいいような・・・。
- 8 :
- >>7
基本的にどの作品も、ストーリーがこすい気がする>作家さん
- 9 :
- 本多作左衛門
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1149986581/
- 10 :
- >>6
山 田 風 太 郎 「 叛 旗 兵 」
本 多 長 五 郎 = 直 江 左 兵 衛
さあ心置きなく語れ。
- 11 :
- ネタバレついでに
山本勘助は上杉の間者
如水の書状から切り取られた名は結城秀康
淀の秘密は秀吉を毒殺したこと
二階崩れを仕組んだのは晴英
果心には途中から道三の死霊がとりついている
信長が死んだのは信忠の業務上過失致死
信長が死んだのは貞勝の消極的謀反
信長は秀吉が真っ二つにしたが刀が安かったのでそのまま茶を立てた「愛よ」
すっきり。
- 12 :
- う、まだ読んでないのあったよ(⊃д⊂)
- 13 :
- 正純「政重よ・・・加賀に謀反の兆しは有るか?」
政重「完全にブルってます!芳春院様もあの世へ逝かれますたし。」
正純「左様か・・・次は上杉を探れ!」
政重「おしゃ!」
- 14 :
- 安部龍太郎 『生きて候』
- 15 :
- こんな頭悪そうな奴にスパイが務まるのか。
- 16 :
- 正純と政重は対照的ですね。
- 17 :
- 豪邸に住んでたらしい。
- 18 :
- ↓金沢市民が一言。
- 19 :
- 若いおなごはええのう
- 20 :
- 親の七光り
幕末には主家の前田家より金持ってたらしいけどね。
- 21 :
- ほんとに親の七光りなら、正信が死んで正純が失脚した時点で叩き出されていただろう。
対徳川渉外に関しては確かに有能だったのだと思う。
外様百万石を煽りも潰しもせず政権下で安定させた。
正信の一族みんな家康はともかく秀忠とは相性が悪かったともいう。
前田利常と家光の関係は良好だったんだよな。
どちらも相当濃いキャラだが。
- 22 :
- 正純とかなりの年齢差がある。
長男と次男なのに。
- 23 :
- 年齢差=正信の出奔期間。身重の妻を置いて謀反出奔て最低だよな。
父と叔父と弟が揃って主家に後ろ足で砂かけて出ていってるわけで、何気に正純は苦労人だ。
- 24 :
- 正信は徳川の謀臣として大往生。しかもちゃっかり菩提は西本願寺。
正重は一万石の大名になり政重は前田家の家老で五万石。
正純の人生悲惨杉。
- 25 :
- 釣り天井なんて仕掛けなければよかったのにな
- 26 :
- 釣天井は存在していない
加納殿の恨み説が有力だけど、それだけじゃないな
土井利勝らとの共謀かな
- 27 :
- 関ヶ原で自軍を相手に押しまくっていた宇喜多軍の大将(の一人)が
自分の懐刀の息子だとわかった時の家康公はさぞかし複雑な思いだったでしょうね。
- 28 :
- 家康に捕らえられたらどうなったかな・・・
現実には近江に隠れ、その後何故か引く手あまたで、福島家、前田家、上杉(直江)、前田と仕えるわけだけど
- 29 :
- 一時期直江兼続の養子だったんだよね。
兼継には謙信と同じく実子が無かった。
- 30 :
- いたよ
嫡男 平八景明 元和元年(1615)七月 数え二十二歳で没
冬の陣にも参陣してる
ちなみに政重の養子解消は、慶長十六年(1611)(人名事典では同十一年になってるが?)
- 31 :
- 娘もいたよ。つか政重は婿養子。
景勝が「勝」の字をやった相手って嫡男定勝と勝吉(政重)の他に誰か居たっけか。
「景」の字は謙信に引き続き家臣に与えているが藩主には継がれていないな。
- 32 :
- 金沢に本多政重の甲冑が残っているが兼続が長谷堂城合戦で身につけた甲冑と瓜二つ。
- 33 :
- 経歴的には凄い妙で面白い人物なのに、ゲームでは登場すら
- 34 :
- 初代決戦の明石隊で異国の踊りがどうしても合わない奴
明らかに間者。しかも土臭く風雅に疎い国出身の。
- 35 :
- 金沢市民www
- 36 :
- >>32
そうなんだ
養子だからか
- 37 :
- 最初福島正則の家臣だったんだよね
前田に乗り換えて良かったね
- 38 :
- 正則が惚れ込んだが、結局馬があわず、二年程で前田へ
一回目の前田も二年程いただけで、直江の婿に
- 39 :
- >>32
藩老本多蔵品館?
- 40 :
- 頭形兜・色々威二枚胴具足及び烏帽子形張懸兜が、藩老本多蔵品館にあるみたい
政重関係では他に、黒漆紺糸威頭形兜・丸竜蒔絵紺糸威五枚胴具足が、京都戦陣武具資料館に
- 41 :
- 陪臣で五万石といえば徳川政権下最高の石高であろうに
このスレの廃れ具合はどうであろう
- 42 :
- 金沢には本多町とか本多の森とか本多の名前のついた地名が多くある
やはり本多ではこいつが勝ち組だな
- 43 :
- >>41
立場的には
1万石の大名>5万石の陪臣
100石の幕臣>5万石の陪臣
だからね
政重にしてみればやはり外様の陪臣と言う立場はあまり面白い状況ではなかったと思う
- 44 :
- 加賀藩重臣八家にはなぜか長(元能登畠山家臣)も紛れ込んでいる
信長時代に降伏していつの間にか前田家臣団に組み込まれたらしい
ちなみに他の六家は
前田(長種)家 前田(土佐守直之)家 奥村本家 奥村支家 横山家 村井家
ばりばりの譜代だが、幕府に対抗して百万石を維持するには同郷同族ばかりじゃ不安でしょ
- 45 :
- 安倍の小説どうだった?
- 46 :
- つまらんやめとけ。
隆慶一郎に憧れて一夢庵風流記みたいのを書きたくて
しかしこねくりすぎて失敗した、そんな感じだ。
本多フリークならおすすめは羽田雄平。
二河白道(正信出奔。家康双子説)
本多の狐(江戸初期加賀本多。家康の埋蔵金伝説)
竜の見た夢(↑の続編。忠輝海外脱出説)
百万石秘訓伝説(幕末加賀本多。明治の忠臣蔵)
と、独自の愉快な本多サーガを語り倒してくれている。
- 47 :
- >>46
>>45じゃないが面白そうだなそれ。読んでみる。
- 48 :
- 保守
- 49 :
- 司馬の「城塞」に出てくる本多政重は凄く嫌〜な奴に見えたけど、
やっぱアンチ徳川の司馬が書いたからああいうキャラになったのかな?
前田利長に皮肉を言って楽しんだり、豊臣家の使者一行に追手差し向けて殺そうとしたりしてたが。
- 50 :
- はなから司馬が好むタイプの人物ではないことを差し引いて読めば
味のある小悪党として楽しめると思う。
断片的にしか軌跡が残っていないので、再構成した人の解釈によっていろんなキャラになってるからわらかす。
初めてこいつに会ったのは「叛旗兵」だったなあ。懐かしいw
- 51 :
- 政重は「正」重ではない理由は何だろう?
出奔したので、実家を憚って字を改めたのだろうか。
- 52 :
- 直江兼続が重光に改名したって実話なの?
養子の偏諱を義父が受けるというわけわからん形になってるんだけど
- 53 :
- >>51
多分最初に養子に入った倉橋氏の通字が「政」だと思う
- 54 :
- 「生きて候」文庫落ちage
- 55 :
-
大名としての本多家はご存知のとおり取り潰されて
しまいましたが、その後100年ほどの間は、行儀作法
の指南などをしながら家名を繋いできたと伝えられています。
宝暦年間に入って幕府帰参を許され、400石の旗本として
維新を迎えました。
- 56 :
-
- 57 :
- のぶやぼにすら出ないこんなマイナー武将にも大河出演のチャンス到来。
こうなったら是非瀬川亮を起用して
「それがし婿入りは初めてじゃ。…武者震いがするのう!」
「天下に名だたる上杉の直江家か。ますます身震いがするのう!!」
などと言わせて欲しい。
それで知名度が上がれば太閤立志伝くらいには出られるかもしれない。
金沢観光ガイドに藩老本多蔵品館が常載される日も夢じゃない。
- 58 :
- そこまでいうならageようよw
- 59 :
- 僕も本多でして家紋も本多立ち葵なので先祖は関係あるのかなと思いますが良い調べ方ないでしょうか?
- 60 :
- 生きて候普通におもしろかったんだが。
たしかに某一夢庵っぽかったけれどもw
これ以外にこの人取り上げた小説とか新書系の評論とかないものか。
- 61 :
- http://members3.jcom.home.ne.jp/soreoya/mainframe.html
ざっとこんなこんな感じか
そのほか>>46とか親族関連だと
白石一郎「戦国武将伝」の「本多正重の損得決算」
南條範夫「大名廃絶禄」の「本多上野介正純」
とか。
それで足りなきゃ金沢の藩老本多蔵品館にでも逝っとけ。
- 62 :
- >>61
おお!サンクス!
……でも、リンク先がなんだかいろんな意味ですごいんだが。
- 63 :
- 関ヶ原では、宇喜多家の将として働いたらしいね。
- 64 :
- 安部龍太郎の 生きて候 読んだが結構面白かったぜよ
- 65 :
- 叛旗兵面白かったよ。ここでネタバレ見てから読んだが、そんなんどーでも
よくなるくらい面白かった。
- 66 :
- 小説では正純と仲良くないけど 実際はどうなんだろう?
- 67 :
- 親父や兄貴との仲がしっくり行っていれば
徳川に素直に仕えてると思うな。
- 68 :
- 仲の良し悪しは別にして、真田信之・信繁の所みたいに
兄弟別の家を建てればどちらかが残る可能性が高いから
別れたような気もする。
正信の遺言って、正純の迂闊な性格に釘を刺してるようにも
取れるから、敵を作ってきた自分の尻ぬぐいも含め、長男だけに
家を任せるのは不安があったんじゃないかな。
- 69 :
- 好き嫌いが激しくてマイルールでしか動かない奴らが
それぞれ好き勝手に動いてただけかも知らんよ>>正信正重正純政重
- 70 :
- >>68
であれば 正信はやはり相当な策士。。
- 71 :
- >>69 正重と政重の叔父甥が特に奔放だな。
- 72 :
- >>71
特に正重はあの蒲生氏郷相手にはっちゃけまくりだもんな。
あのおっさんの逸話読んだ時、笑ったもん。
- 73 :
- 09年の大河は義理の父が主役だからクローズアップされるだろう
- 74 :
- 08か。
ちょっと気の長い話になりますな。
- 75 :
- ごめん09だった。
- 76 :
- お松さんが死ななければ加賀には行かなかったろうね
- 77 :
- >>40
さらっと書いてるけど、後者マニアックすぎるだろ。普通に民家じゃんwww
>>76
あからさまに乗っ取りポジションな政重は本来上杉にも直江にもいらない子。
もし定勝が生まれなかったら? 出奔前に景明が死んでいたら?
上杉取り潰しの種にならずにすんだのを偶然だけで済ませてよいのだろうか。
- 78 :
- 上杉ではいらない子でも、利長にとっては大切な人材だったんでしょかね?
- 79 :
- 長連龍の三万三千石を大きく上回る、五万石だからね
- 80 :
- 直江スレで農戒書の口述筆記したとか言われてたけれど
実際米沢ではなにしてたんだろうこのひと。
直江家の婿養子として入った以上個人の禄は貰ってないだろうし
徳川の息がかかっている奴に機密に関わるようなことにはかませたくないだろうし。
一、惣別御うしろくらき事いたすましく候、
御父子様御為ニあしきやうなる事、
存もよるましく候、覚悟たてあしき
者ニ同心いたし、御まへかるしめ申ましく候事
一、人より合、大酒、よそありき、さへり口
いたすましく候事
一、けんくわこうろん、あかりまちなる
すいさんなるかくこ存間敷候、一すしニ無所在、
喜平次様ヘ御奉公いたすへき事、
若此旨少も偽ちかへ申ニおいてハ
これは上杉にのこっている本人による起請文案だそうですが
逆に言えばこれらのことが危ぶまれていたということでしょう。
それにしても二項目でかなりキャラがたってしまっているw
- 81 :
- 本人は徳川とは縁もゆかりもないつもりだろうけどね。まわりはそう見ないわな。
- 82 :
- 直系で現代まで続いているのは立派だね。
- 83 :
- 当初は加賀七家だね。村井家は元禄になった八家に数えられるようになったのね。
- 84 :
- 「生きて候」は結構面白い。
- 85 :
- なんだかんだと言っても有能だから どこでも厚遇されたんだよ。
- 86 :
- それはもちろんそうだけど、何かありそうな気も
徳川内通とかはないか
- 87 :
- 何処行っても徳川の役には立ってない気が。
- 88 :
- 喜平次様って景勝のこと?
その時代でも景勝って通称で呼ばれてたの?
- 89 :
- 景勝様とは呼ばれなんじゃないかな
- 90 :
- Wikiの本多政重の項の子供のところに
「戸田政勝」という名前がありますが、何者なんでしょうか。
政重の子が忠純の後継いだり旗本になったりするのはわかるけど
政重が戸田家と直接関わった形跡があるのですか。
大垣藩戸田家といえば
本多正純・直江兼続両人の嫡男に娘を嫁がせて
どっちも出戻ってきた(本多の方はこぶつきで)家ですよね。
大変気になります。
>>88
>>80のことをいっているのなら、図録解説によると定勝のことらしい。
- 91 :
- 五万石だと支藩の七日市藩一万石より上だね
- 92 :
- >>81
直江だって自身の養子に迎えたのはそういう縁を重視したからだしね。
ただ、この両者は交流が深いんだよね。たしか政重の甲冑は直江が
最上陣の時に着用した具足に似ているというし
- 93 :
- 加賀の行ってからも直江と政重とは交流あったんでしょ。
- 94 :
- 上杉家の文書には結構名前が出てくるね
「安房守も元気だそうでなによりだ」とか、消息程度だけれど。
大坂役に臨んだ政重の心中もなかなか興味深い
すぐご挨拶できる範囲に兼続も正純もいて
囲んでいる城にはかつての戦友明石掃部がいて
主君利常にとって敵の頭は同じ名護屋陣で仕込まれた乳兄弟で義兄弟
政重は真田に散々やられ、
宇喜多の叛臣坂崎直盛は人生を踏み外し
なぜかそれを正純が柄にもなくかばって賞賛される。
- 95 :
- こう見ると宇喜多の影が濃いですね、大坂の陣
- 96 :
- うまく立ち回ったよね
- 97 :
- 実力があんでしょ。
- 98 :
- >>94
無双っぽい妄想だけどさ
もし戦場で政重と明石掃部が遭遇してたら、説得できたかな。
前田家は高山右近を食客にしてた実績もあるし、豪姫も居て宇喜多家との縁が深い。
浪人多いし石高も十分にあるし居心地は悪くないと思うんだが、やっぱ棄教しないと無理かな。
- 99 :
- 直江兼続の兜、金沢に 来年「大河」主人公 加賀八家・本多家に伝来
ttp://www.hokkoku.co.jp/news/OD20080904501.htm
来年のNHK大河ドラマ「天地人」の主人公で上杉家に仕えた名臣、直江兼続(なおえかねつぐ)(一五六○―一六一九)
ゆかりの兜(かぶと)が加賀八家の一つ本多家に保管されていることが三日までに分かった。
本多家の初代、政重(一五八○―一六四七)が兼続に請われて婿入りした際に、
結納の使者に返礼として贈ったものとみられ、十九日から金沢市の藩老本多蔵品館で初公開される。
金沢市内にある本多家に保管されている史料をひもとき、十五代当主の本多政光氏、本多俊彦高岡法科大専任講師、
長谷川孝徳北陸大教授が確認した。
兜は、冠のような形をした変わり兜の一種で、漆や金箔(きんぱく)で装飾されている。
出羽(山形)の最上義光(もがみよしあき)との戦いで実際に使われ、
兼続に献上された縁起物の「勝兜(かちかぶと)」と伝わっている。
一六○四(慶長九)年に兼続の娘婿として政重を迎える際に、徳川家の側近だった政重の父、
本多正信が直江方に結納の使者を派遣しており、勝兜に添えられた記述から、
兼続がその返礼として使者に贈ったものと推定される。
同年に主君の上杉景勝と兼続がそれぞれ政重にあて、
「(上杉家の本拠地)米沢にいつでも来てほしい」という内容を記した書状も確認された。
(中略)
これらの史料も勝兜と合わせて藩老本多蔵品館で開かれる特別展「直江兼続と本多家」で初公開される。
十月五日には長谷川教授と本多専任講師による講演も予定されている。
- 100 :
- こんなん見つけた。1992年放送の単発時代劇らしい。
>テレビ朝日 徳川家康の秘宝「忍者 本多の狐VS伊賀忍者軍団・日光東照宮に潜む埋蔵金の謎に挑む青年剣士と二人の美女」 9月29日
> 原作:羽太雄平 脚本、監督:中村敦夫
>高島政宏、黒木瞳、かたせ梨乃、林隆三、芦田伸介、細川俊之、津川雅彦、蟹江敬三、夏八木勲、久米明
- 101 :
- 原作は 本多の狐―徳川家康の秘宝 講談社文庫かな。
- 102 :
- >>101
そうだと思うんだけど、まさかドラマ化していたとわ
本多屋敷に謎のジジイが現れて、それが明石掃部と名乗ると
大身者になったはずの政重が転がるようにして出てくる場面好きだ。
あとデレツンな正純も。
- 103 :
- 見たことあんだね?
- 104 :
- 来年は重要な役回りかな
- 105 :
- 叔父さんの本多正重も凄い豪傑なのね
- 106 :
- 正重の方が豪傑っぽいかな。
- 107 :
- 政重は豪傑ってタイプじゃないから。
- 108 :
- それはまあそうだね。
- 109 :
- >>100
ちょっとしらべてみたら‥すっげー観たくなったんですけど。
脚本・監督‥中村敦夫
本多政重‥林隆三
浮田平四郎‥高島政宏
明石掃部‥夏八木勲
おしろ‥黒木 瞳
柳生宗矩‥芦田伸介
柳生十兵衛‥又野誠治
前田利常‥細川俊之
本多正純‥久米明
本多の狐の頭目‥蟹江敬三
服部半蔵‥中島俊一
かたせは姉御な方のヒロインかな。
- 110 :
- ビデオはないんでしょうね。
- 111 :
- 面白そうですね。
- 112 :
- 来年の大河は登場確実かな。
- 113 :
- だろうな。
- 114 :
- どんな役回りかな
- 115 :
-
- 116 :
- 前田利常や反政重派グループもそれなりに重要な役作りした脚本でないとつまらなくなる可能性が大
- 117 :
- 政重が主役じゃないんだから、そんな細かい描写はしないよ。
- 118 :
- だな。でも期待はしたい。
- 119 :
- いや意外と幅を利かせたりして。
- 120 :
- 今年の大河をいままで見た限りでは
政重が会津で召抱えた浪人衆の中に紛れ込んでてもおかしくないレベル。
こっそりスパイ活動したり
長谷堂でぎゃあぎゃあ泣きながら死に掛けて、前田慶次に助けられたりするんだろう。
- 121 :
- むしろそんな政重なら見てみたい
- 122 :
- そりゃ隠密系だね。
- 123 :
- 直江大河なら天地人ではなく密謀原作で!という意見をよく見るが
そのばやい政重は剣豪忍者牧静四郎になってしまうんだろうなw
- 124 :
- 天地人に出るかな?
- 125 :
- 原作にもチラッと出てたし、ワンシーンくらい出るんじゃないかな。
- 126 :
- 米沢で政重は鉄砲術をたいそう自慢してたらしい。
おまけにけんか・口論。若いのもあるけど荒っぽい
キャラだったのかもね。前田家でも細かいことは不
向きということにされてるし。
- 127 :
- 兄貴や親父とは違って どちらかというと武人タイプだ。
- 128 :
- 前田に行ってよかったね。
- 129 :
- 重く用いられたよな
- 130 :
- あの北国新聞が唯一スルーする加賀藩の黒歴史w
- 131 :
- 黒歴史とは?
- 132 :
- なんかあんのかな。
- 133 :
- 黒くないでしょ。
- 134 :
- 前田家初期の派閥抗争
太田派(親豊臣)筆頭家老・太田但馬守、村井、奥村、篠原、高畠、中川宗半
横山派(親徳川)次席家老・横山山城守、長、富田、不破、高山右近
1602年 利長の命を受けた横山大膳により、太田但馬守粛清される。
↓
政重帰参。奥村派(旧太田派)復帰。
↓
奥村派の巻き返し。横山大膳、京に蟄居に追い込まれる。
↓
1614年 大坂冬の陣前、横山帰参。
↓
横山復権に不満の奥村栄頼出奔。政重も同調しようとするが奥村永福に止められる。
↓
本多、横山、共に執政として前田家を支える。
- 135 :
- >>134
それを親豊臣、親徳川で分けるのはちょっと違うと思う。
- 136 :
- 正則の正室津田氏が難産で亡くなったときに、葬礼場の警備を木造大膳と本多政重が任じられた。
木造の家臣たちは長柄槍が揃ってひしと立ち並び、それを見た人々は殊のほかに見事だとみな褒めたたえた。
それに比べ本多の家臣たちは長柄槍も揃わず、ところどころに長く短く見苦しい事この上なかった。
普段から木造大膳はいらざるところへ大気に使うので貧乏をしていて、いざ御用のときにお役にたてまいとそしり
を受けていたが、このことがあった後はそのそしりもやんだということである。【福島太夫殿御事】
- 137 :
- 本多政重、本庄繁長アップしました
武将兜ペーパークラフトPDFダウンロード(米沢市公式サイト)実物大と縮小版の2種
ttp://www.yonezawa-naoe.com/information/080813.html
- 138 :
- 結構もめてるんだ 知らなかった。
- 139 :
- 騒動が多い藩だよね。
- 140 :
- 八家と人持組ですか。
- 141 :
- スパイというかお目付け役なのか。
- 142 :
- 天地人で思いっきりスルーされそうな感じだな。
- 143 :
- 息子だから出てくるよ 多分。
- 144 :
- 登場することに期待。
- 145 :
- 鍵を握る人物として登場。
て原作ではどうなの?
- 146 :
- 天地人の原作小説でもセリフと出番があるから当然大河にも出るよ。
書店で売ってるガイドブックは後編も出てるけど、今年はドラマの評判イマイチなので、視聴者に
気を持たせるためか、いつもの大河なら前後編なのが更に3冊目の完結編が出る予定。
前田慶次と本多政重役の俳優の発表はぎりぎりまで粘るようでw
- 147 :
- 楽しみにしていましょうか、爽やかな感じかな
- 148 :
- 主人公に近い人はみな良い人、そんな感じだ最近の大河
- 149 :
- >>134
これですな
210 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/03(火) 12:41:25 ID:8T8VPisE
快心老人は見かけこそ愚鈍に見えましたが、かつては実直さで勇猛さを
評された武将でした。、主君と隣国の大将が戦した際、要の城を任され、
わずか五百の手勢で一万五千の大軍から城を死守しました。援軍に駆け
つけた主君はその時つけていた甲冑を下されました。その武功は老人に
とって今でも誇りです。
ある日、老人のもとを三男が訪れました。三男は言います。もは
や藩にはいられないと。三男は家督を継いだ若殿の信頼厚く、政
敵であった先代の右腕の追放に成功して藩の実権を握りました。
しかし、先年の大坂御陣で失態を犯して面目を失い、先日の若殿
の鷹狩りにも随行を許されませんでした。さらに、追放した政敵
が復帰し、居場所を失ったのでした。
暇乞いを若殿があっさり認めると、さらに長男と次男、三男と「大
の知音」という新参の本多までが藩を立ち退くと憤ります。快心老
人は叱りました。「人として子を愛さぬ者はいない。しかし、一人
の子や兄弟、友のために家臣としての節を曲げるべきではない。し
かもお前たちは万 石もの大封をいただいておるではないか」と。
この藩は家臣同士の権力争いが深刻で、快心老人もそのことを気に
かけていました。「三男はすでに君命もあり、速やかに立ち退きな
さい。その他の者は残りなさい。あとのことはわしに任せ、安心せ
よ」と説きました。
長男と次男、本多の三人は出奔を思いとどまりました。この三人の
家系は藩の家老を出す「八家」となります。快心老人が家中の深刻
な分裂を防いだのです。
快心老人はそれから九年後、静かに亡くなりました。かつては奥村
助右衛門永福と名乗り、主君・前田利家にとっての天下分け目・末
森合戦で奮戦した武将でした。
- 150 :
- 本多正信の描写がぜんぜんだめだから、政重が出てきても唐突間が否めないだろうな。>大河
- 151 :
- さあ本当に出てくるのだろうか?
- 152 :
- どうか?
- 153 :
- 黄川田将也だそうだ。
- 154 :
- こんなに好きな武将が大河に出るのが嬉しくないのは初めてだ。
- 155 :
- 『おてんば珠姫さま!』見てるのでイメージが…。
- 156 :
-
- 157 :
- ドラマでは幕府の隠密にするようだな
- 158 :
- 久しぶりに大河ドラマ見るか
- 159 :
- >>153
また泳いで参った人に続いて仮面ライダーか
- 160 :
- ホームドラマ的には重要な役回りのようで。
- 161 :
- 兼続と秀忠と友愛する人になります。
- 162 :
- 本多正重
- 163 :
- 篤姫と兼続の人間性が似ている。政重もきっといい人。
- 164 :
- 1580年生ってマジ?
秀家は二十歳の政重に2万石出したのか
内紛後の雇用?
- 165 :
- 秀家から二万石ってのはあやしい。
たしかに秀家は重臣の離脱で人材不足だったが、かといって政重は
やんちゃやって人殺ししただけの男。そこまで重用はされないと思う。
家譜にはあるんだが、政重が宇喜多の前に大谷に仕官、関ヶ原後に一度は前田に仕官
(上杉の前)ってのも逸話すら見たことがない。あれば教えてほしいくらい。
前田家は上杉家を離れた直江勝吉の召抱えに幕閣の許可を得るなど慎重に動いている
書状がたくさん残っているのに、一度目はそういうのがない。二度目ならそこまで慎
重にするのも不思議だし。
- 166 :
- ちゃんと宇喜多時代から描いてくれないと
出てきても嬉しくない。
- 167 :
- 戸川・岡・花房・浮田左京(坂崎出羽守)がみんな3万石クラスだからな
そいつらがいなくなった宇喜多なら余裕だろ
- 168 :
- 余裕があったとしても実績がないやつにそんな大禄は与えないだろ。
前田慶次に百万石やろうとした花の慶次の秀吉じゃないんだから。
- 169 :
- 今日もOPクレジットに名前なかったな
- 170 :
- 今週か来週に登場するだろう。
- 171 :
- 当主が直家なら>>167らは銃殺刑
- 172 :
- 本多政重の家臣団の構成と重臣
○正信から派遣された家臣
井村内蔵允・・家康家臣から正信の寄騎、その後政重附き
○関ヶ原戦時に召抱えた者
○福島家時代に召抱えた者
河井外記・・旧宇喜多家臣
○最初の前田家時代に召抱えた者
蜂岡伊賀・・正信家臣から政重附き、直江家との連絡役
○上杉家時代に召抱えた者
篠井雅楽之助・・直江景綱の弟の子孫、政重の重臣筆頭
大橋新左衛門・・越後時代からの上杉家臣
原采女・・兼続から政重附きを命じられる
上杉家時代の召抱えが過半数を占めます。
- 173 :
- ttp://mytown.asahi.com/ishikawa/newslist.php?d_id=1800047
俳優の篠井英介は金沢出身だけど、直江家と関係あるんだろうか。
- 174 :
- 今のご当主も、篠井のばあちゃんには世話になった、と言ってたな。
- 175 :
- 篠井英介の?だとするとやっぱ子孫なのかな。日本舞踊の師範とか育ちよさそうだし。
- 176 :
- あ、すまん。元重臣の篠井家とは近年までつきあいがあったってことで、その俳優とどうかじゃありません。
- 177 :
- 直江勝吉が加賀仕官する時には利長や仕官を斡旋した藤堂も直江安房と呼び、
自身も利常からの知行宛がいに対する覚に直江安房と署名している。
当初は直江勝吉として加賀藩に仕えた。
幕府の隠密などと言うのは秀忠の乳母(春日局に限らず当時の乳母の力
は大きい)の子を斬ったことの重大性を軽視している。本人も加賀藩で
は「両御所様から勘気を蒙っている」「公儀日かげ」を理由に藩政トッ
プ就任を断り続けた。
加賀藩での本多家臣団は本多譜代、広島召抱、加賀召抱などさまざま
だが、中核は直江一族で与板衆筆頭の篠井ら米沢召抱衆からなる。
米沢時代の彼等の知行は計七千石に上る。景勝は本庄充長が没すると、
再三にわたって長房の帰参を求めるようになり、景勝の、他家に仕官
した者への帰参要求には抵抗感が感じられない。
藩財政の厳しい上杉家にとっては、禄減らしの効果があったと見るこ
ともできる。
『直江兼続の新研究』 「直江勝吉」に関する一考察 本多俊彦
- 178 :
- いよいよ来週か
- 179 :
- >>177
ありがとう。しっくりとくる説だ。
- 180 :
- やはりスパイ説を採用でしたな。
- 181 :
- wikipediaの関連項目ではしつこいくらいに、出奔したと書かれているな。
- 182 :
- 加賀藩で同じような経歴の成瀬吉正と一緒になってるが
成瀬こそ間諜だったんじゃないのか
- 183 :
- いちじくか
- 184 :
- 金沢本多蔵品館の政重の甲冑が、上杉博物館で展示されてますね。
- 185 :
- 天地人に出された武将は、どんな海千山千の曲者武将も、気持ち悪いキャラにされてしまう。
- 186 :
- 福島とかただのお人好し
- 187 :
- >184
見に行きたい
- 188 :
- 本多政重曰く
「…国、民、藩、藩主の為に、自分が働く。
…直江兼続にそう教えられた」
そう言って、加賀・前田藩の基礎を作ってくれた筆頭家老・本多政重は、石川県の誇りだ!
そう言っていた石川県民を見付けた。
良かったな兼続公(つ_;)。
- 189 :
- 天地人も一つくらいは良いとこあったんだね・・・(涙
- 190 :
- >189
そうじゃないと浮かばれんよね
- 191 :
- 謹賀新年
- 192 :
- この人主役で新作書いてくれそうな小説家いないの?
- 193 :
- すでに前田家の筆頭家老だったのに、景勝と兼続が家康の見舞いをできるように兄の正純に
取り計らったり(「ありがとう。駿府滞在中に会って積もる話をしたい」という兼続書状が
残る)、景勝やお船が亡くなった時には弔意を表したりと上杉との関係はずっといいんだよな。
- 194 :
- いい話だ(´∀`)
- 195 :
- それでもwikipediaでは執拗に「出奔」としたいひとがいるからなw
- 196 :
- 保守
- 197 :
- 宇喜多にいた頃は正木左兵衛って名乗ってたらしいね
- 198 :
- 結局この人はスパイだったの?それとも慶次みたいな生涯反抗期?
- 199 :
- スパイって感じはさすがにしないな。実力がある上実家が色々煩わしくて
外に出ちゃったんだろ。
- 200 :
- >>198
秀忠の乳母の子を斬殺したので、徳川家に
帰れず諸家を転々とした感じだろう。
父の正信には諸大名と徳川家の関係を安定
化させる役割があるので、その意味で非常
に大きな存在だった。上杉家では「早くこ
い」とか「家中の杖柱となれ」と言われて
るように、本多を通じて徳川家との関係改
善をしたい大名側にも来てくれると非常に
有益だった。
- 201 :
- 宇喜多家で本当に何万石ももらっていたのだろうか。
福島とか前田(1回目)とかも。そのあとの上杉家でも1万石だし。
- 202 :
- 本人にスパイする気は無かっただろうが周りがコネ目的にスカウトした
- 203 :
- それはそうなんだが、
20歳の徳川家から見れば罪人の政重に宇喜多家で2万石。
福島家3万石→前田家3万石→上杉家1万石→前田家3万石のち5万石
前田家は2度目(1度目の仕官が事実なら)の召し抱えの際に幕府に気を
つかって、召し抱えても問題ないことをわざわざ幕閣に確認している。
- 204 :
- 本田忠勝にはどう思われていたのだろう?
- 205 :
- >>201
明石全登よりは少ないだろうけど、
宇喜多騒動で前線指揮官が抜けた状況下だから結構もらってたりして。
- 206 :
- >>205
でも20くらいでろくな戦闘経験もないと思う。
- 207 :
- 例えは変かもしれんが天下りみたいなもんで有力者へのパイプという意味もありそうだから
実績や年齢を考慮されずにそれなりの禄を貰ってたとかじゃねぇの?
- 208 :
- 自分で「公儀日かげ」「両御所様御勘気」って言ってるくらいだからなあ。
まぁ田付流砲術の名手(自称)だったらしいが。
- 209 :
- 親父や叔父貴が出奔してふらふらしてたのもそのくらいの年頃じゃね
- 210 :
- 保守
- 211 :2013/02/21
- 藩老本多蔵品館で図録とか売ってます?
HP見てもそれらに関しての情報がないので
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