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2011年10月1期軍事中国の国共内戦で国民党が勝ってたら
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ナチスUFO兵器は存在したか?
自衛隊は暴力装置
【メイドスキー】三木原慧一スレ21【南海燃ゆ】
欧州戦1945
中国の国共内戦で国民党が勝ってたら
- 1 :10/11/26 〜 最終レス :11/11/18
- どうなってたの?
- 2 :
- ミャオ族全滅
- 3 :
- 共産党に与した地域は空爆されて消えるのれす
- 4 :
- 大体国民党は地方の財閥やアメリカの支援うけときながらなんで負けたのかね
農民ばかりの共産軍なんか蹴散らせよ
- 5 :
- 1949年あたりで蒋介石は一気に孤立だ。
1948年の淮海戦役で負けたら、ドミノ倒しで地方が全部寝返って共産党圧勝。
淮海戦役は実際は大した戦争ではなく、総崩れの投降続き。
日本でいえば1180年富士川の戦いのような感じ。
淮海戦役より前の遼瀋戦役が事実上の決戦。
- 6 :
- 蒋介石や宋美齢は淅江財閥系で、上海や南京に地盤がある。
それが長らく地盤から離れて重慶に籠ってたし、共産党は日中戦争の8年間で、庶民から支持を得て急成長している。
元々国民党軍の大部分が地方軍閥の集合体だし、軍閥は内戦でどう反応したんだろ。
蒋介石は内戦中、既にアメリカの支持も失い、支援を打ち切られてるし。
実質戦時中の残り物で戦うしかない。
- 7 :
- 遼寧で国民党が痛い敗北を喫した理由には
共産党側が、残留日本人に装備の運用方法を教えてもらい
旧日本軍の装備を用いて戦えたという説がある。
このへんは林彪集団にかかわることなので、文書ではウラがとりにくい。
- 8 :
- 結局アメリカと地方軍閥が蒋介石を見限ったのが敗因だろ。
功臣号は有名だが、国民党軍も終戦で相当数日本軍兵器を利用してる。
根本博中将は台湾側について金門島で活躍してるし。
- 9 :
- マジレスすると、中国の高度経済成長はもっと早かった。
80から90年代の台湾を考えれば明白ですな。
- 10 :
- 映画「そのときラッパは鳴ったか」だと国民党軍はシャーマンやパーシングがあったみたいだけど
実際どうなのよ
- 11 :
- 反共の砦が大陸中国になり
日本はアメリカの援助を受けるどころか
工場もレールも全部引っぺがされて
中国に持ってかれて貧乏な四等国になる。
- 12 :
- 遼寧では紅軍チハタンが活躍していたぉ
- 13 :
- 西北部で馬歩芳とその息子の馬継援が
合水や子午嶺で共産党軍に善戦してるな。
- 14 :
- 馬家軍は回族であり国民党そのものではなく
ウイグル族の奴隷主みたいなものだからな
- 15 :
- 南麻臨?戦役、古寧頭戦役、南日島戦役、金門砲戦で
共産党軍に連戦連勝してる胡lって奴が名将だな。
淮海戦役でも戦車で共産党軍の包囲網を突破してる。
- 16 :
- とんでもない腐敗国家になってただろう。それと軍閥とかの残り香があるので史実以上に早く分裂したと思う
- 17 :
- >>16
>史実以上に早く分裂したと思う
史実でも分裂は確定事項ですかw
- 18 :
- とウヨは言ってるな。俺としてはあれだけの正規軍を持ってる国が民衆の暴動でそう簡単に分裂するとは思えないが。
なっても依然として軍閥の流れを汲む地方の軍が権力争いに負けるとかで不満もって反乱を起こすとかしかありえない
とは思うがそれがいつだかは全くわからない。多分ないだろう。
- 19 :
- やっぱり謀略が上手なんだよ、中国ってのは。
ソ連の支援もあったし、旧日本軍残党だって共産側にで協力したしw
アメリカが日本を傷め過ぎて日本側の非協力的態度ですべてがオジャンw
国民党は内外のすべてからいいようにオモチャにされ捨てられた感じ。
- 20 :
- >>18
だが、伝統的に易姓革命の国だ。
クーデターで云々はあるかも知れんぞ
- 21 :
- 日本では国共内戦を扱った本が少ないね。
- 22 :
- 中ソ間はどうなってたかね満州に日本が持ってた権益を接収したソ連が中国に返さないとか揉めそう
- 23 :
- やっぱり謀略が上手なんだよ、桜組ってのは
大陸某国の支援もあったし、桜組だって共産側二で協力したしw
桜組の非協力的態度とゴロ並みの流言飛語で日本側を痛めつけ、すべてをオジャンが桜組の思惑
結局、桜組は内外のすべてからいいようにおもちゃにされ捨てられた感じ。
- 24 :
- 桜組みってなに?
- 25 :
- 中国がアジアの経済大国。日本はインドネシア程度の経済規模。
- 26 :
- アメリカは中国が西側でもソ連を日本海に封じ込めるに日本の復興を始めると思うんだが
どうだろう、ウラジオストックは陸路で攻略するから必要ない?
- 27 :
- 中国が冷戦で西側にいるっていうことだから、日本の経済大国化はありえない
朝鮮半島分裂も台湾問題も存在しなくなるので、日本としてはどっちが良かったかは微妙なところだな
- 28 :
- 中国とドイツとイタリアが組んでりゃ良かったのに
- 29 :
- 米は日本を戦わせる為に復興支援したわけじゃない。
中国が中華民国で統一されたからといって、
日本が経済大国になることがありえないと結論するのは根拠不十分。
さらに、朝鮮半島分裂と大戦後の中国内戦の結果は直接的には無関係である。
>>22
そこが一番の問題だろうね
- 30 :
- なんでアメリカって第二次世界大戦のときは共産党支援してたの?
対日戦で国民党がやる気なかったから?
- 31 :
- そんな事実はないです
- 32 :
- 国民党が勝ってもデカイ韓国が大陸に出来る訳だし。ひょっとすると、尖閣諸島も竹島みたいに警備兵に蹂躙されていただろうな。
- 33 :
- 開発独裁マンセー
- 34 :
- 永遠にアメリカ合衆国にタカっているんだろうよ。支那に深入りすると禄な事無いのが歴史の真実。
- 35 :
- 勝てんの?
- 36 :
- 日本軍がアホな事してなければ中共なんか無くなってた
- 37 :
- だが、中国の北半分がソ連とか日本にとって恐ろしすぎるのですが。
- 38 :
- ソ連に支援された紅軍が国民党を駆逐、中華人民共和国を建国
ソ連がポーランド、中央アジアから英領インドに侵攻
ソ連・中共・モンゴルが満州国、仏領インドシナに侵攻
英米が第三帝国、大日本帝国を支援なんてシナリオに…
- 39 :
- >>37
さて、どうだかな。
21世紀で言えば中共のほうが脅威だし
- 40 :
- >>38
もしそうなったらソ連、中共に挟み撃ちにされてあっさり赤化
朝鮮民主主義人民共和国と日本民主主義人民共和国の誕生だな。
- 41 :
- 蒋介石みたいなゴミに付いて行った事や支援した事をみんな後悔しているだろうな
- 42 :
- >>27
そうなると、日本はアメリカに抑え付けられ、
21世紀になってもアジアの小国の地位を抜け出せないし、
自衛隊も警察予備隊規模の限られた装備しか持てなかっただろうな。
- 43 :
- 虫国シナチクの食人文化を守れ
- 44 :
- >>42
それ、政治的地位は現状とあんまり変わらんだろw
80年代までの経済成長も、円高とその後の混乱で全部パーになったことや、
貿易黒字も、使うことのできない米国債を積み上げてるだけで、実質的には国富でもなんでも
ないことを考えれば、高度経済成長なんか無しで、ゆっくり自力復興してた方が、良かったかも知れん。
朝鮮戦争からバブル崩壊前までの時代は、肯定的に受け取られることの方が多いが、日露戦争の戦勝と同じで、
長期的に見れば、むしろ国家経済構造の歪みをどうしようもなく拡大したデメリットの方が大きいかもな。
- 45 :
- >>44
失われた20年の間に、アジア諸国、欧米諸国、新興国に追い付かれて意味が無くなっちゃったしね。
急速な経済成長をしても、その後、成長が持続しなきゃ無意味。
- 46 :
- 日本がドイツより早く降伏してりゃ米軍が満州国に進軍して共産化を食い止められた。
その後、満州国は独立国としてアメリカの支援の元、経済大国と化してただろうな。
- 47 :
- ドイツ降伏より前って米ソ蜜月時代
スターリンと仲良しのルーズベルトが大統領の頃
ベルリンをソ連にくれてやったように
日本も半分ぐらいソ連にくれてやったんじじゃねーの?
- 48 :
- トルーマンの大統領就任からドイツ降伏まで約1ヶ月か
その頃、日本は沖縄戦の真っ最中
- 49 :
- 日本が生き残る為には、反日極左のルーズベルトが死ぬまでひたすら耐えるしかなかった
- 50 :
- 沖縄戦早期に降伏しとけば集団自決も原爆投下も避けられたかもな。
- 51 :
- >>31
映像の世紀で毛沢東がアメリカの支援とりつけてるシーンあったけど
- 52 :
- 毛沢東の主治医として永年毛の身辺を離れなかった李志綏博士が、毛沢東の死去後、
著した『毛沢東の私生活』(文藝春秋社発行一九九六年、上下巻)の中で、一九七二年
二月二十一日、アメリカのニクソン大統領と毛沢東との会談の中で、そのことが紹介
されています。「毛沢東の話によると……一九三〇年代に日本が中国に侵攻しなかったならば、
日本の侵略者に対し共産党と国民党が共闘をくむようなことはなかったろうし、また共産党
は脆弱(ぜいじゃく)すぎてとうてい権力の奪取などかなわなかっただろう。共産党からすれば、
日本の侵略は悪事が善事に変換したのであり、むしろ感謝しなければならない」と言ったと書かれてあります。
次に同年九月にわが国の田中首相と毛沢東との会談のようすが紹介されています。
「毛沢東はニクソンよりも田中との会談のほうがずっと心強く、親しみ深かったと思った。
田中が日本の中国侵略を謝罪しようとしたとき、毛沢東は日本侵略の『助け』があったからこそ
共産党の勝利を可能ならしめ、共産中国と日本の両首脳があいまみえるようになったのだと請けあった。……」
http://www.sankei.co.jp/seiron/koukoku/2005/0509/hi-se.html
日本側が「先の戦争では申し訳なかった」といった内容のことを述べると、ケ小平は発言を
さえぎるようにして「われわれは日本軍をそんなに悪く思っていませんよ」と切り出した。
あっけにとられた一行を前にしたケ小平の説明はこうだった。
「あの戦争が始まる前、われわれは井崗山(せいこうざん)から、長征の途についた。延安に
たどりついたときは気息奄々、靴もちびはて、人数も2万人に減って、全滅寸前でした。ところが
日中戦争が始まり、われわれを包囲していた蒋介石軍は日本軍によって次第に南部に押されていく。
袋のネズミだったわれわれはそれで息を付くことになり、日本軍の後ろに回って、着々と工作を
していった。そして戦争終結時には数百万の正規軍を擁する軍事勢力にのし上がった」
http://www.yorozubp.com/9806/980606.htm
- 53 :
- お前らがアフォだったから俺達漁夫の利もらいまくりありがとさんて
面と向かって言われるとはずいぶん馬鹿にされたもんだなw
- 54 :
- 中国国民党政権、漢江以北まで戦後進駐検討
ttp://www.chosunonline.com/news/20101224000037
- 55 :
- 共産中国はアメリカがつくった
共産中国はアメリカがつくった
共産中国はアメリカがつくった
【目 次】
第1章 なぜ私はマーシャルを糾弾するのか
第2章 マーシャルと第二戦線
第3章 ベルリンを落とさなかったアメリカ軍
第4章 ヤルタ会談での背信行為
第5章 裏切られた蒋介石
第6章 共産中国はアメリカがつくった
第7章 マーシャルの任務とは何だったのか
第8章 マーシャル=プランの虚妄を暴く
第9章 マーシャル‐アチソンによる謀略戦略
共産中国はアメリカがつくった/ジョセフ・マッカーシー(著)、副島隆彦(監修)
http://nikkidoku.exblog.jp/5002761/
- 56 :
- 旧日本軍以上に、自民党の訪中団は知的障害者だったという事さ
- 57 :
- 蒋介石の評価ってどうなのかな?
厳しく見れば優勢だったのに大陸から叩き出され
海を隔てた台湾でアメリカの援護を受けてかろうじて生き残ったともいえるけど。
一般大衆の支持をえるという考え方自体が希薄だったような感じも受けるけどね。
- 58 :
- >副島隆彦
^ω^;
- 59 :
- >>57
北伐、反蒋戦争、最終的に中原大戦で李宗仁、閻錫山、馮玉祥ら反蒋軍閥に勝利して
それまでの軍閥政治に終止符を打っただけでも軍事指揮官としては評価できるけどね。
前半期は評価できるけど日中戦争以降の後半期は只々無能を曝け出すばかりだった。
- 60 :
- >>57
国共内戦で勝利目前だったのに、
在支那日本人を襲撃し虐した為に日本陸軍を怒らせ、
そのまま支那事変を起こした無能。
- 61 :
- 蒋介石軍閥の構成員は、基本的に残虐・暴虐な性格な者が多く、
規律も乱れていて、とても内政を安定させたり、周囲と上手くやっていく能力がない。
- 62 :
- >>60
共産党も終戦後に日本兵捕虜を溺死させてるよ。
- 63 :
- 結局、支那人変を起こしたのは、蒋介石軍閥ゲリラなの?
毛沢東軍閥ゲリラなの?それとも他の勢力?
- 64 :
- もと大韓帝国かも
- 65 :
- 西安事件は謎が多い事件とも言われているけど
蒋介石はどうしてその後約束を大筋では守ったんだろうね?(共産党との戦い優先→日本との戦い優先)
「脅されたのだから無効」ということもできないことはないと思うけどね。
- 66 :
- 蛮行や謀略が横行していた時代で、真相が明らかにされることもないんじゃないか。
少なくとも、プロパガンダ偏向なしの緻密な歴史記録が保管されてて、ましてやそれが中国版ペレストロイカで公開される、なんてこたぁなさげだし。
国民党の老将軍だの、中国共産党の革命第一世代だのもほとんど鬼籍入りだわ、そもそもインタビューでバカ正直に取材に答えるなんて土壌もないし。
- 67 :
- 日本は謝罪も賠償も必要ないし、支那事変は侵略戦争ではなかった
- 68 :
- >>65
あれ以上否定し続けたら親国民党派からの反発が避けれなかったからだろ
楊虎城は抹され張学良は結局蒋介石が死ぬまで軟禁されたし
憎かったのは確かだろうね
- 69 :
- 結局、国民党が共産党に勝利するにはどうすればよかったのかな?
- 70 :
- 国民の支持を集めること
共産党の団結力を削ぐこと
共産党を内部崩壊させること
- 71 :
- 国民党は漢語が通じにくい西南土司地区を軽視していたのが運のつき。
国民党は、そういうところへ共産党が逃げ込んだら、言葉が通じなくてされるたろうと楽観し
追撃を止めたから、共産党が土司地区を通り抜け、四川に集結して勢力を盛り返した。
- 72 :
- 昔の少数民族地区は通じる語彙が交易経済関係中心で、
あんまり細かいことにに立ち入って話がしにくいから
共産党もとにかく有力者に金品を贈って義兄弟になるみたいなやり方だったよ。
なんか土司地区に思想教育して感化したとかいうのがある時期の公式見解だが
実際は、牛の耳から血すすったり、プレイをやっていたみたいだ。
- 73 :
- 「中国革命を駆け抜けたアウトローたち」でやってたな。あれは名著だ。
- 74 :
- 二流工業国だった日本にさえも連戦連敗で歯が立たなかったのだから、
そんな弱体な政権は内外から信頼失って当たり前だと思うが?
- 75 :
- 李宗仁のほうが戦術も民政も上手だったから
ハゲ蒋には信頼がなかったみたいだよ。
日本が負けているのは、李宗仁が司令を出している作戦なんだな。
彼はハゲ蒋について台湾に渡らず、渡米して晩年は大陸に帰っている。
- 76 :
- 李宗仁は蒋桂戦争、中原大戦で蒋閣下に惨敗した雑魚w
- 77 :
- 広西狼兵は何ヶ月も粘る戦争には弱いからな。
- 78 :
- どんなにひどい政権でも戦争に勝てれば存続可能(ソヴィエトとか)。
中国国民党の場合は、誰がどう見たって日本軍に連戦連敗だから潰れて当たり前すぎ。
逆に日本は太平洋戦争では敗北しても日中戦争では大勝していたのだから、
ソ連抜きのポツダム宣言など「黙」で、誰も異論は無かった。
一号作戦が続いているときは、重慶陥落も間近で中国が日本に無条件降伏かという次元。
弱すぎて弱すぎて、こんな頼りない蒋介石の国民党軍なんて、内外から信頼されない。
枢軸で言えば、ちょうどイタリア軍と同じで、負けてばかりの役立たずはそんなもん。
- 79 :
- 李宗仁が、台児荘の戦いで日本に勝ってるだろう。
蒋閣下はやぱーり弱いよな。
- 80 :
- チョキ
↑ ↓
グー ← パー
日本軍
↑ ↓
李 ← 蒋
- 81 :
- 今日みたいに寒い日は
胎児のスープ食べて
体を温めるあるね…
- 82 :
- 李宗仁より長沙会戦で三度も日本軍を撃退した薛岳の方が有能だな。
- 83 :
- 台児荘戦や長沙会戦など日本軍に勝利した作戦の殆どに関わった参謀長の白崇禧が一番有能だろ。
小諸葛亮と渾名された中華民国時代を代表する最高の戦略家だ。
- 84 :
- 白崇禧
白崇禧は中華民国の軍人、政治家。回族。イスラム教徒である。国民革命軍の将軍であると同時に、桂軍(広西軍、広西軍閥)、その中でも新桂
系と呼ばれる集団の指導者の1人である。中華民国の政治においては、蒋介石とは反共・抗日などで一致していたものの、広西省などを地盤に
蒋の権威に挑戦し続けた。字は健生。
軍閥時代
姓は旧来”Baiderluden”と称しペルシャ商人の子孫である。”Baidurluden”家は白と改姓した。白崇禧は広西省の陸軍学校では黄紹р笳寶@仁
と同級生だった。そこは蔡鍔によって運営された近代的な学校であり、その卒業生は広西省の軍隊を近代化している。
白崇禧は軍閥の時代、広西省第一師団の原型であった大隊の司令官代理となっていた黄紹пA及びもう一人の仲間である李宗仁と同盟し、国
民党指導者である孫文の支持者として有名になった。新桂系と呼ばれたこの同盟は1924年、広西省軍閥陸栄廷への攻撃を続けた。同盟の尽力
により広西省は中華民国の管轄下になり、白崇禧と李宗仁は新しい広西省指導者達の代表となった。
北伐(1926年 - 1928年)の期間、白崇禧は国民革命軍参謀長であり、たびたび急襲、策略、奇襲により大きな敵を打ち破っての北部軍閥に対す
る多くの勝利を認められた。1927年、彼は東路軍を率いて杭州と上海を征服する。上海の駐屯軍指揮官として、白崇禧も1927年4月4日の国民革
命軍及び上海の労働組合の共産分子一掃の行動に参加した。白崇禧は前線部隊を指揮して最初に北京に入り、北伐を達成した現場の上級司
令官として認められる。北伐における彼の戦場での功績に対して三国時代の英雄にちなみ「小諸葛亮」とあだ名された。 中国人は一般に諸葛亮
を歴史上一番の戦略家としている。
北伐の最後には、蒋介石は広西の軍隊を除くために世論を喚起し始める。1929年の一時期、白崇禧はベトナムに避難を強いられた。1930年から
1936年まで、白崇禧は広西省の再建に貢献し、そこは進歩的な政府のある「典型的な」省になった。広西省は、日中戦争のため90万人以上の軍
隊を供給した。
- 85 :
- 日中戦争
公式な交戦は、北京郊外における蘆溝橋事件において中国と日本の間で1937年7月7日に始まった。1937年8月4日に、白崇禧は蒋介石に誘われ、
中央政府に復帰。日中戦争(1937年-1945年)の間、作戦と訓練に責任のある幕僚長代理を務める。彼は中国側が領域を利用して時間を稼ぎ、
敵の戦線後方におけるゲリラ戦術を採用し、あらゆる機会において敵の補給路を崩壊させる”総力戦”の戦略を蒋介石に納得させた重要な戦略家
である。より良い装備と訓練がなされた日本軍が進攻すると、中国側は彼らに現地での補給を与えないために敵の進路で焦土作戦を行った。白崇
禧は多くの重要な作戦にも関わった。その中には1938年春の山東省における作戦で優勢な敵を破るため李宗仁と協力して得た初めての主要な勝
利がある。中国の行動は数カ月間、日本の前進を妨害し、遅らせた。その後、彼は第三、第四、第七、第九戦区担当を兼ね、桂林の軍事評議会の
戦地執行部司令官に任命された。彼は湖南省の都である長沙防衛の成功を監督した。1939年から1942年の間に、日本軍は3回長沙を攻撃したが
すべて撃退された。白崇禧は広西省南部を取り戻す為、広西省南部と崑崙路の戦いの指揮も行った。
- 86 :
- 国共内戦
1945年の日本敗戦後、 中国の国共内戦は本格的に戦いを再開した。1946年春、中国の共産主義者は満州で活動的だった。共産軍の林彪将軍指
揮下の兵力100,000を超える部隊が重要な鉄道の分岐点である四平を占拠した。国民党軍は、何回か試みたが、林彪を退かせることができなかった。
次に蒋介石は作戦を監督させるために白崇禧を派遣した。何回かの再展開後、国民党軍は、2日間の激戦により完全に林彪の軍隊を破ることができ
た。これは中国本土が中国の共産主義者の手に落ちる前の1946年から1949年の期間における国民党の最初にして唯一の主要な勝利となった。
1946年6月に、白崇禧は国防大臣に任命された。そのポストは蒋介石が白崇禧を外して国共内戦について主要な決定を始めたため権限を失った。
蒋介石は白崇禧を招かずに彼の邸宅で日々の打ち合せを開き、指揮系統を通さず、個人的に最前線の部隊に対して師団レベルにいたるまでの指揮
を始めた。蒋介石の省政府周りを堅め、地方を共産主義者に許す戦略が戦争当初には4:1の比率で数の優勢があった彼の軍隊の崩壊をすぐに招き、
国共内戦は国民党にとって苦しいものになった。
- 87 :
- 台湾での活動
1947年2月28日の二・二八事件後の台湾の暴動は中央政府の指名した役人と守備隊による杜撰な行政のために起きたもので生来の台湾住民である
本省人と中国本土から渡来した住民である外省人双方に多くの犠牲者を出した。白崇禧は蒋介石の個人的な代理として事実関係の調査及び民心の
安定化支援のために派遣された。各種の台湾住民に対する面接調査を含む二週間の視察後、白崇禧は知事の交代とその仲間の秘密警察署長の起
訴を含めた大胆な提言を行った。彼は暴動に加わった学生に対してその両親が監督し、以後の普通の行動を保証する条件で恩赦も与えた。彼の率直
な行動により、生来の台湾人は彼を敬愛した。
白崇禧は他にも蒋介石との仲たがいがあった。1948年の総統・副総統選挙では、彼が副総統選挙に出た彼の友人で広西の戦友である李宗仁を支援し、
李宗仁は蒋介石の選んだ候補である孫科に勝利した。蒋介石は白崇禧を防衛大臣から罷免し、中国中部と南部の責任者に任命した。白崇禧の部隊
は海南島、そして最終的には台湾に向ったが中国本土を離れる最後の部隊だった。彼と蒋介石は和解することなく、彼が73歳で1966年12月1日に脳血
栓症で死ぬまで半ば引退の状態だった。
白崇禧は台湾台北のイスラム墓地に埋葬されている。
衝撃
戦略家としての白崇禧の名声は、バーバラ・タックマンの著書『失敗したアメリカの中国政策』で記されたように有名だった。
米国陸軍大佐エヴァンズ・カールソンは白崇禧が「多くの人に最も鋭敏な中国軍人と認められる」と述べている。
エドガー・スノーはさらに踏み込んで、彼を「世界のあらゆる軍隊が誇りとする最も知的で有能な指揮官のうちの1人」と呼んだ。
白崇禧は現在アメリカ合衆国に住んでいる中国人作家で脚本家である白先勇の父である。
- 88 :
- 国民党にもマンシュタインみたいな名将がいたんだな。
- 89 :
- 中村正雄中将を戦死させた崑崙関での勝利も白崇禧の功績だしな。
- 90 :
- >>84-87
蒋介石が糞過ぎてワロタ
無能を絵に描いたような奴だw
- 91 :
- >>80
蒋介石が、パーの位置にいる。。。
- 92 :
- 蒋介石が1955年日本と同盟
なわけないか
- 93 :
- 第二次大戦終了時点で満州にはソ連軍が入り込んで真っ赤に染まりまくり
他の地域は農村部を中心に人民軍が支配地域をガンガン広げて侵食しまくり
肝心の国民党軍は内輪もめばっかり
頼みの綱のアメリカは援助を打ち切りそう
国民党はどう考えても終わコン
- 94 :
- 関東軍が余計なことするから…
- 95 :
- 張作霖を爆とか無茶しないであのまま独立王国にしとけば良かったのにな
- 96 :
- 蒋介石は都市文化人だから
農村を軽視してたといってもいいのではないか?
- 97 :
- >>1
どこが勝とうが中国人は所詮中国人
- 98 :
- >>94 >>95
河本大佐は、終戦後は、中国山西省で国民党軍の顧問になっている。
その後国府が敗れ共産軍に引き渡され、太原戦犯管理所という所に収容され、そこで亡くなっている。
手記は無い。
「私が張作霖を爆した」という、告白記は河本の義弟で作家の平野零児が書いた。
東京での田中隆吉証言の根拠はすべて伝聞。
田中の軍歴が示す通り、全てが計算された戦後における謀略。
佐々木到一の延言も問接的なもの。
関東軍司令官村岡長太郎は責任を取り現役を退いたがまったく相知らぬこと。
『小川平吉関係文書』に独自全責任を以て決行せりとある。
これは関東軍自体ではなく河本大佐の暴走。
- 99 :
- 蒋が勝っていたら大変なことになっていたぞ。
それはつまり、あの伝説の大躍進政策も文革もなかったということだ
それがどういうことかわかるか?
あの二つの偉大な運動で、毛首席は無作為の5000万と、選り抜きの優秀な人民1500万を虐してくださった。おかげで中国の発展は20年遅れた。
もしこれが無かったなら、20年前の時点で日本を抜いて世界3位の軍事大国に。
20年前の日本の政権は村山内閣。尖閣はおろか、八重山の一部もとられていて不思議じゃない。
林彪の強さと蒋の無能に、我々は感謝せねばならん
もちろん、最大の感謝は毛首席に
しかし蒋介石は台湾という小島に来たからあれ以上分解せずに済んだんで、大陸に残ってたら10年とたたず軍閥が分裂してたかw
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