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2011年10月1期昔のPCIBM PCは如何にして生まれたか
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IBM PCは如何にして生まれたか
- 1 :02/03/06 〜 最終レス :11/11/28
- 我々はなぜPCを自作出来るのか?
なぜアップグレードできるのか?
なぜパソコンはPCに寡占化されたのか?
IBM PCは如何にして生まれたのか?
今や誰もがPCを扱うが、その背景を知ってる人は非常に少ない。でこく〜る萌え。
- 2 :
- 確かIBMがダメ社員を集めて短期決戦で作ったのがIBM PC。
- 3 :
- 場所はフロリダ、ボガラトン。
時は'80年。
リーダーはドン・エストリッジ。
APPLE全盛時代で、IBMのパソコンなぞ売れる保証は何もなかった。
メンバーはDIRTY THIRTEEN(汚い13人)と呼ばれ、メインフレームがメインの
当時のIBM社内では馬鹿にされ、相手にされず、完全な異端児だった。
- 4 :
- 短期開発だったし、新しくハード、ソフトを開発する暇はない。
ハードは当時性能的には2流のインテル8088。
ソフトはビルゲイツとかいうみすぼらしい、でもこちらの言う事は良く聞く
クソ餓鬼が慌てて買ってきたMS-DOS。
こんな出来なりで大丈夫なのか?
・・・ボクが知ってるのはここまで。誰が詳しい話教えて下さい。
今日はもう寝ます。でこく〜る萌え。
- 5 :
- エストリッジって、開発終わってすぐ死んじゃったんだよね
今のPCの隆盛を見て何を想ってるのかな
- 6 :
- >>4
「知ってるのはここまで」っつー前に既に間違ってる。
CP/M-86を買いにいったら、本人不在で奥さんに断られて、
しょうがないからゲイツと共同で作ったのが「PC-DOS」。
ゲイツが買ってきたわけではない(アイデアは...だが)
MS-DOSがIBM-PCに載ったことはない(PC-DOSなんだよな)
- 7 :
- >>6
http://www.page.sannet.ne.jp/manatee/secretdiary/main/faq.htm#Q9
- 8 :
- >>6
ゲイツはシアトルコンピュータの86-DOSを買ってきて、
IBMにはライセンス提供したんだよ。
ちなみにIBMとの話はシアトルコンピュータ側には内緒。
- 9 :
- >>6
>MS-DOSがIBM-PCに載ったことはない(PC-DOSなんだよな)
漏れがさっき載せたぞ! 世界初か!!
- 10 :
- >>8
なら86/DOSがPC-ATにそのまま載せられるかい?
アイデアと構造はSeatleからもらったけど、そのままじゃ載らない。
だからIBMと共同開発になったんだよ。
(F16そのままじゃ役に立たないから、共同開発して三菱F2作ったよ
うなもんだ)
アイデアは...って書いたの、その辺のニュアンスわかってほしかっ
たんだが。
- 11 :
- IBM PC開発陣はIBMのはみ出し者。
故にIBMらしからぬ製品が生まれたなり。
ビルゲイシは世界一の営業マン。
故にチャンスを逃さず大企業へと変貌したなり。
キルドールは成功にあぐらをかいて先を見誤った。
故にチャンスを逃して衰亡の中冥途に旅立ったなり。
- 12 :
- >6
キルドールを訪問したら(自家用飛行機に熱中してて)留守だった・・・というのは
都市伝説だという話も聞いたが。
20年以上前の話だ、真相はあるていどのところまでしかわからんだろ。
- 13 :
- >>11
当時の”メインフレームばりばり&ダントツ世界一コンピュータ会社”IBMがなぜ
”はみ出し者”=Dirty thirteen(s)に「やらせた」んでしょうかねえ?
パソコン開発なんて正に「汚れ仕事」だと考えてたんでしょうか。
今日の状況からは想像がつきません。
- 14 :
- >>10
なんにしても買ったのはアイデアだけではなくて
86DOSそのものを買い取ったわけだから、誤解されても
仕方ないんじゃないか?
OSクレクレ厨IBMが現れた。
↓
その話は内緒でシアトルコンピュータから86DOSを$7500で買ってきた。
↓
86DOSをベースにIBMと共同開発でPC-DOSを作るが、権利はほとんどMSのもの。
(Win3.1まではIBMも権利を持っている)
↓
IBM PC売れ売れ。ライセンス料でガッポリ。
↓
(゚д゚)ウマー
- 15 :
- >>8
どうもです。その時のゲイツは、その後の展開についてどれくらい予想してたんでしょう。
さすがに目先の敵(CP/M)に勝つ事しか考えてなかったのかな。
- 16 :
- うまくいけばOS市場乗っ取れるかも。だめでもかなり儲かりそうだな。
くらいじゃないかな。
86DOSっていろんな名前で呼ばれてたりするけど、どれが本当の
名前なんだろう?
そういや86DOSつくったティム・パターソンは、その後MSへ移るが
イマイチ報われてない気がする。MSX-DOSのCOMMAND.COMには
バイナリで名前がクレジットされてるんだが。
いつまでMSにいて今はどうしてるんだろうか。
- 17 :
- ゲイツ的には
失うものは何もない
でも化け物のような(?)野心に溢れていた
その為に出来ることは何でもやる。IBMの下僕になってやる。(将来は別)
ただしその野心は、
自分の開発したオリジナルなものを広く普及させたい
という技術者のものではなく、
買い物で良いから自分の会社の名前が入ったものを普及させて沢山儲けたい
という営業的なものだったのですね。
- 18 :
- ゲイツ>インテル>IBM>>シアトルコンピュータ>キルドール
- 19 :
- >>13
当時のIBMはパーソナルコンピューターに魅力を感じてなかったようです。
そこで会社としては重要でない人を集めて開発に当たらせたそうです。
社外から出来合のパーツを取り寄せたりオープンアーキテクチャを採ったりと、
IBMとしては前代未聞の経過を持って完成したのがIBM-PCです。
まさに開発陣は元より製品としてもはみ出し者でした。
- 20 :
- >>19
どうもです。なる程です。
>まさに開発陣は元より製品としてもはみ出し者でした。
その「はみ出し者」、フロリダに隔離された「汚い13人」が人類史上最も普及した
コンピュータである「IBM-PC」を生み出した。ドラマですね!
或いはもし、当時のIBMが本気で取組んでいたら。
重要プロジェクトとしてIBM「エリート」社員'sが担当していたらどんなPCが
出来たのでしょうか?
→恐らく肩の力が入り過ぎてH/W,S/W共自社開発のバリバリ最先端仕様。
しかし、コスト高、使い勝手悪、信頼性今一で結局普及せず。
ってところでは無いかな〜と。
- 21 :
- >>会社としては重要でない人を集めて開発に当たらせたそうです。
汚い13人(Dirty thirteens)がどんな意識で新しいPCを開発していたのかも
すごく興味があります。
(1)IBMの落ちこぼれとして、失意の中、惰性に流されながら嫌々仕事した。
何でIBMに入社したのに、こんな僻地で、こんな仕事をしなきゃいかんの・・・
なるべく手抜きして一丁あがりで作ってやる。
(2)パソコンの将来性を信じ、自分を評価しない社に一泡吹かせてやると、
リーダー(ドン・エストリッジ)の元に結束。内製技術や表面的なスペックに拘らず、
将来の発展性や真の使い易さを徹底追求していった。
同じ結果でも天と地ほどの差があります。私は(2)だと信じてます。
Dirty thirteensに萌え〜
そしてドン、何で死んじゃったんだーっ!
- 22 :
- >>20
それこそIBM-PCの後継機、IBM-PS2の姿。
新しい規格を作りクローズド化する事で互換機メーカー潰しを企んだ意欲作。
しかし自由競争で活性化する互換機マーケットをうち崩せず普及しなかった。
開発メーカーすら翻弄させるIBM-PCや恐るべし。
- 23 :
- IBM-PC開発に関する本が出てますよ。
図書館で借りて読んだことを思い出しながら書いてます。
タイトルは忘れたのでスンマソン。
- 24 :
- >>10
SCPの86DOSは手持ちにあるけど、元々XXシステム用として売られていたわけじゃない。
CP/Mだって、Digital Researchが発売したのはGenericSystem用でBDOS以下、つまりBIOSコールできるように
移植する作業が必要だったんだけどな。たまたま日本では8001とかX1とかマスプロダクションなマシンがあって
メーカーが移植作業をすませていただけのこと。アメリカでもS-100用のFDCカードとかI/Oアドレスも割り込みも
コントローラーチップも違うモノがあって、それに移植していた。
だから、86DOSがPC/AT(PC-ATという名前の機械は存在しないよ)にそのまま載らないのを根拠にするのは非常に
浅薄な論調だよ。なにしろ86DOSがそのまま動くマシンって一般には無かったしね。
当時のシステムの事知らずに偉そうな事言わないの。
- 25 :
- >>24
レスどうもです。とても勉強になります。今後も宜しくお願い致します。
マターリ行きませんか。何せ20年も前の話だから・・・
- 26 :
- 神が降臨したな・・・。
- 27 :
- >>10
これに関する説はいろいろあるが、いろいろな本の話を私なりに統合するとこんなふう。
IBMがPCを開発することになる。
↓
そのPCのBASIC開発をMSに依頼
↓
MSはOS供給元としてデジタルリサーチをIBMに紹介。
デジタルリサーチには重要な客が行くからと連絡。
(但しそれがIBMであるということは伏せて)
↓
IBMがデジタルリサーチに行く。
↓
キルドールは他の商用で不在で、副社長である彼の奥さんが応対。
↓
IBM側の態度が偉そうな上に、守秘契約にサインするまで仕事の内容に関する話をしない。
↓
奥さん爆発しIBMを追い返す。
↓
OSの話がMSに戻りMSでOSも用意することにする。
↓
シアトルコンピュータから86DOSを買ってくる。
↓
86DOSをベースにMSとIBMでPC-DOSを作る
- 28 :
- そもそも、シアトルコンピュータが86DOSを作ったのは、デジタルリサーチが
出す出すとアナウンスしていたCP/M86を自社の産業用コンピュータに乗せる
予定だったのに、待てど暮らせど出なかったので痺れを切らして自社で
作ったという話だから、結局商売敵をつくるタネを撒いたのはキルドール自身
ってことになる。
- 29 :
- >>22,23
>それこそIBM-PCの後継機、IBM-PS2の姿。
パソコンが大きなマーケットを持つことが明らかになり、
「パソコンなんて、フッ」と馬鹿にしていた(?)巨人IBMも本腰を入れて取組んだ。
そのIBMエリート社員'sの開発したIBM-PS2は結局マーケットに全面的に受け入れられる
事は無かった・・・
この間まで「汚い13人」と馬鹿にしてたのに、落ちこぼれに負けたエリート社員'sの心境や如何に?
おお、ここにもドラマが。
- 30 :
- 先に結論(私の勝手な思い込みに過ぎませんが)を言ってしまうと
「汚い13人」の方がエリート社員よりパーソナルコンピュータという物の
本質を良く理解していた
という事なのでは。嗚呼やっぱり、Dirty thirteens萌え〜
- 31 :
- >>27
ご馳走様です。おおっ凄いドラマじゃないですか!
>デジタルリサーチには重要な客が行くからと連絡。
>(但しそれがIBMであるということは伏せて)
もしこれが、ゲイツの策略だったら!?
>IBM側の態度が偉そうな上に、守秘契約にサインするまで仕事の内容に関する話をしない。
> ↓
>奥さん爆発しIBMを追い返す。
もしこれがゲイツの真の目的だったら?
いや普通ならこんな事は言いません。しかし「あの」ゲイツなら、ひょっとして・・・
- 32 :
- もうちょっと落ち着け。
この板のスピードは遅いんだ。
- 33 :
- >>10
擦違いだが
>F16そのままじゃ役に立たないから、共同開発して三菱F2作ったようなもんだ
ハァ?君はよほど税金の無駄遣いが好きなんですね。
「F16そのままじゃ(国内企業の)金にならないから、改悪して空とぶ三菱パジェロ(リコール対象)を作ったようなもんだ」
が正解。
そのうえPC開発史の知識も中途半端・・・
- 34 :
- IBM-PCを作った連中はAppleIIを非常によくリサーチしていた。
というのがアメリカでIBM-PCが成功した理由にあげられているよ。
必要なものは後で簡単に追加することによって製品寿命が延ばせるという
ことはAppleIIが1976-1991まで互換性のあるシリーズとして売られ続けて
いたという事実が十二分に物語っている。
AppleIIはCPUの乗っ取りすら可能なシステムバスを8本も持っている。同じ
概要のバスを5-8本と持っていたIBM-PCシリーズも同じような展開が可能に
なったといえる。いろいろな周辺機器カードをユニファイドするためにBIOS
という概念が導入された。このBIOSによって機器の差が吸収され、周辺機器
ビジネスが発達した。持ちつ持たれつ的な関係で市場が形成されていったと
言えるだろう。しかし、ターゲットを見誤り、スペックを見誤るとPCjr.の
ような鬼っ子が登場してしまうのだ。
そういえばDirtyって「汚い」という意味もあるけどQuick&Dirtyで
「やっつけ仕事」と言う意味もある。こっちの意味に近いんじゃないかな?
なにしろ本当にやっつけ仕事を押し付けられたとしかいいようが無いスケジ
ュールだったみたいだしね。
- 35 :
- >>33
10はそれほど間違っちゃいない。
端的に簡単にかけば、まさに10の言うとおりだよ。
24は、当時のシステムが乗らないことをだけを根拠にすると薄弱だと言ってるだけ。
だが、マイクロソフトは、IBM−PCのOS仕様を開発するだけで1万5000ドルの契約取ってる。
さらに86DOSが手に入ってからも(それ自体が不完全なものであったこともあって)、契約上96日間でそれを再開発しなければならなかった。
大体が、86DOS自体がCP/Mクローンを目指していただけで未だ不完全だったんだから。
こういう文脈などから考えると、買ってきて配布しただけというのは的外れ。
ま、戦闘機と対地支援攻撃機の区別もつかない人間には馬の耳に念仏だな。
- 36 :
- 俺が不思議なのは、ドロシー・マクユーエンが怒ったのは守秘義務契約について、といわれてること。
確かに「契約名」は無名契約ではなく「守秘義務契約」の名が冠されている。
けど、ドロシーが怒ったのは、「IBMはDR社の情報を得ても、それをDR社に縛られることなく、自由に使用できる」とされたことだろ。
DR社にIBMがどんな用事でくるのかは、前もってDR社がわかっていたらしいんだから。
だったら、守秘契約ではなく、IBMの不公平契約もしくは自由開示契約に怒ったというのが正しいのじゃないかな。
- 37 :
- >>27
えーと、
>デジタルリサーチには重要な客が行くからと連絡。
>(但しそれがIBMであるということは伏せて)
誰が行くかは言ってなかったかもしれないが、ゲイツは前日にキルドールにIBMが行くと言ってるよ。
そのための手配も頼んでいる。
- 38 :
- >>35-37
このスレでは、そこまで詳しいことは求めてないと思われ。
わかるやつもいないと思われ。
- 39 :
- プロジェクトXでIBM-PC開発秘話をやってもらいたいYO!
- 40 :
- >>38
そうなのかな?
>>39
開発部隊に日本人が一人しか加わっていない(それも助っ人)から、NHKでやるのは無理でしょう(笑)
- 41 :
- IBM-PCの開発に関連する話は、確か「電子立国」の方でコメントが
あったはず。
あと、シアトルコンピュータの86DOSがBYTE誌などの小さな広告で
売られていた頃は8bit機全盛で、もちろん、PC-XT/ATなんて拝む
ことすらできなかった。当たり前の話だけど。
シアトルコンピュータ自身はS-100のボードメーカーだったから、
(64KBのメモリカードとか作ってた)、86DOSのジェネリックは
S-100システムかも。(その辺どうなんですかね?>>24)時期にも
よるけど、S-100の8086基板は広告だけは見たことがある。
CP/M86のジェネリックはIntel製のMulitiBus基板だった。
iSBC86/12A + iSBC208(FDC) + iSBC032/064(Mem)が推奨。実は
この組み合わせのシステムでMSAに到着したばかりのCP/M86を
南青山のマンションの一室で営業していた当時のMSA(当時は
アスキーマイクロソフトアソシエイツ)まで取りに行って、
組み上げたシステムで走らせたことがある。ブート一発で起動
しましたよ。81年の年の瀬の話だったと(よく覚えてないが)。
- 42 :
- >>34,35,36,41 師匠と呼ばせて下さい
さて、重大発表です。PCを開発したIBMのメンバーの通称(蔑称)は
× 汚い13人
○ 汚い1ダース
の間違いでした。(メチャ恥) お詫びして・・・って来まーす!
- 43 :
- F-16が未だに戦闘機だと思ってる35=10
- 44 :
- >>39
DOS/V開発史ならプロジェクトXで取り上げられるかも。
- 45 :
- >>41
たしか電子立国出演直後にキルドールって他界したんじゃなかった?
- 46 :
- >>45
電子立国出演云々はよく覚えていなけど、キルダールが亡くなったのは
50台で、若死にでした。合掌。
CP/M86を走らせた直後、某開発機メーカーのエンジニア氏に電話して
CP/M86走らせたよ〜とか言ったら(ま、若気の至りだけど)、もう
すでに走らせてバグ見つけてテレックスでやりとりしてるよ。等々。
DRIは直接取引きをけっこうやってたから、そうした大口の会社には
代理店どうのこうの無しに商品を流通させていたのです。
いやぁ、懐かしい。アスキーもまだ森英恵ビルにいたころ、若かった
な、みんな。
- 47 :
- 次期FSX開発妨害のために、F16を「戦闘機」として売りつけた経緯を知らない厨房の33=43
だが、今考えるとマイクロソフトのあの頃の体制は凄かったよ。
風呂場もなし、布団どころか寝袋もなし。
うちら、髭もそらずにやってたからまるで山賊。
(お偉いさんが視察に来るときだけ剃ってた)
しかも俺たちは派遣だからこもりきりでよかったが、DOS部隊はボカレイトンと往復。
そのたびに身なりを整えなきゃならなかったし(笑ってたけどな)。
今考えると、あれだけ体力が続いたのが不思議だ。
- 48 :
- >>47
開発部隊の人ですか?
本物の神ですか?
- 49 :
- 費用対効果を真剣に考えて自国開発が果たして必要かと小一時間・・・
そのままF16を導入しとけば既に配置完了。下手に国産に拘って未だにF1を使いつづけ防衛力の低下・・・
>>46
電子立国にでた時、結構太ってたんで若死にも納得してしまった。
- 50 :
- 費用対効果のみを考えたら、戦闘機自国開発はアメリカだけがなしうることになると...
細川内閣のときから、国のすべてのプロジェクトには「費用対効果」積算が求められている...
専用プログラムも大蔵省(現財務省)の指導により各省庁が作って配布していて...
それでも、共同開発を続けたのはそれ以外の要素が重々考慮されていると思われ...
大体、兵器開発に費用対効果しか考えないのは、ただの馬鹿ではないかと小一時間...
ついでに、施行令・施行規則上、F16をそのまま配置できるわけはないのを知らないのかと...
改修には、いったいいくらかかるのか知らないのかと、もうあきれ顔で...
ま、それはともかく。
>>48
違います、というかDOS部隊じゃない。
当時は、マイクロソフトに日本のメーカーのマシンに載せるソフトを頼むことが多かったんですな。
で、当然実機の仕様とともに、日本からも技術者がいってたのです。
あと、ちょっと書き足りなかったけど、ボカレイトンはIBMの側。
そこに出入りするにはビルの命令で「スーツ」を着ていかなければならなかったのです...(笑)
- 51 :
- ここですか軍事板の出張所は?
- 52 :
- QDOSってのはどの辺に出てくるの?
- 53 :
- >>10,33,43,47,49,50
F16がどうとかいうバカ話はヤメロ
- 54 :
- 軍事板
http://yasai.2ch.net/army/
自衛隊板
http://natto.2ch.net/jsdf/
以降F16話は禁止
- 55 :
- なぜ「汚い1ダース」はCPUに当時既に格落ちのインテル86系を採用したのか?
OS選定と合わせて、いやそれ以前に重要な問題ですね。
あの時の彼らのCPU選択が異なっていれば、
現在のPCも変わった形になっていたのでしょうね。
- 56 :
- 与えられた時間はあまりなかったのと、
68000にはまだ(まともな実績のある)OSがなかったからじゃないかな?
- 57 :
- 当時16ビットで汎用につかえそうなOSは予告されていたCP/M-86しかなかった。
OS-9 68Kはまだ開発もはじまっていなかった。iRMXは論外。
- 58 :
- 6809か何かを検討したけどMotorolaと折り合わなかったって話はなかったっけ?
- 59 :
- 当時の 8088 の選定と、その後の x86 の発展過程はあまり関連性が無いものと思われ。
68000 は当時ではまだ手に余る存在だったでしょ。価格も含めて。
- 60 :
- 嗚呼、あの時IBMに譲歩しておけば今頃は・・・
- 61 :
- 嗚呼、あの時IBMに出血サービスしておけば今頃は・・・
- 62 :
- では、Z80ではなく8088にしたのは何故か
当時はまだまだZ80でいけてたと思われ、OSも言語も問題なく、
すぐにマシンができたはず。したらOSはCP/Mになって
MSは言語メーカーのままだったのか?
- 63 :
- 比べるならZ8000とでは?
- 64 :
- IBM+Motorola=CHARP
遅きに失すとはこれ如何に
- 65 :
- >>58
この板のどっかのスレに、「富士通からの6809の大量注文が入っていたせいで
IBMに回せなかった」って書き込みがあったね。
- 66 :
- 先行する8bitのApple][より優位に立つため16bitを選んだのでは。
そして普及しているCP/Mの資産を活かすためインテル系CPUを選択。
ちなみにIBM-PC初号機のi8088は外部8bitなので、ハードウェア的には8bit機に近い。
- 67 :
- 8086はニモニックレベルでは8080の上位互換ということになっていたので、メーカーは
コンパクトモード(プログラム+データが1セグメント64KBに収まる)のソフトならASM86でアセンブルしなおすだけで
資産が揃うというのがCP/M-86の優位点であったと。8086ではなく、8088なのはメモリを16ビット単位で増設すると
コストが非常にかかることを考慮してであった。(16KB増設に1万円掛かかった)当時のサードパーティが16ビットに慣れていないのも
無関係ではなかった。
- 68 :
- >>64
CHRPだよ。
AppleがOSを提供していれば、出だけは出てたかもしれないね。
BeBoxは、CHRPの前身にあたるPRePマシンをベースにしたもの。
- 69 :
- 8086ではなく8088になったのは、
周辺回路用のチップセットが8086用はまだ出そろってなかったから。
8088ならば8bit用の物を小改良だけで流用できる、
286用のチップセットを386SXに使ったようなもんですね。
86系になったのは単純にコストの問題です。
対抗のZ8000や68000は1980年当時1個10万円近くしたはず。
あとIntelのダンピングが有ったのが大きい。
- 70 :
- あ、IBM社内のメインフレーム組の圧力も有った筈です、
8086→8088への変化は。
- 71 :
- >>69
周辺回路用のチップセットって何?8086と8088って8080の周辺を流用できるようにしてるしなー。
- 72 :
- >>71
あれ?8250(8251だっけ?)って、そのまま8086で動いたっけ?
(>>69にも書いてるけど)改良版でないと駄目だったような気がするんだけど。
まあ、20年前の記憶だから曖昧だけど。
チップセットで言うと、68000やZ8000もまだ当時はx86に比べて出揃っていなかったよね?
- 73 :
- >>72
動くよ。8251と8251Aの違いは通信ボーレートの改良だけ。
68000も6800系のチップがそのまま流用できたよ。
仕事でどちらも出たばかりのころに設計していたから。
タイミングマージンと言う話であればクロックジェネレータかもしれないけど。
ちなみにいわゆるチップセットは80386マシン近辺からですよ。
80286以前はディスクリートでバス回路、クロック回路、DRAMコントローラ回路などを構成していました。
- 74 :
- >>73
Aの無い型番は8080A専用じゃない?…
- 75 :
- なぜ8080/Z80ではなく8088になったかについて、MSのュがあった説もあるね。
あの時期にいまさら8bit機出しても、いずれ16bitに切り換えなきゃいけないんだから、
少なくとも初代IBM PCはクズみたいなマシンになっていた。
その意味では8088/8086をュした人間は先見の明があったといえるが、
巨大な新しいマーケットで先行者利益を得ようとしていたとも考えられる。
CP/M-80マシンがいくら売れても、MSは単なる言語メーカーで終わってしまうが、
OSと専用のアプリを供給できれば複合効果で莫大な売上を期待できる。
そういう意味では、やはり先見の明とも言えるが。
- 76 :
- >>74
Aバージョンは8080専用じゃないよ。電気的信号とタイミングの改良とBREAK信号の扱いの改良が入っている。
8250→8251→8251Aと改良されてきたけど、IBM互換機では8250互換の16550系が使われていた。
- 77 :
- >>76
16450だ。550はFIFO付き。
- 78 :
- >>75
でも、MSは最初CP/M-86を薦めていたんだけど?
ちなみにIBM-PCにもBASIC-ROMは搭載されていてMSはその移植もやっていた。
- 79 :
- IBMがMSにOS開発を委託したのは、歴史的な誤算なんだろうな。
自社開発で行っていれば、今のMS支配はIBM支配だったかも。
- 80 :
- >>79
System/360みたいなでかくて面倒なOSになったらいやーん。みたいな。きがするけど。
- 81 :
- >>76
ノンAバージョンは8080A専用じゃないよ。が抜けてるね。はあ、失敗。
- 82 :
- >>65 情報サンクス
>この板のどっかのスレに、「富士通からの6809の大量注文が入っていたせいで
>IBMに回せなかった」って書き込みがあったね。
富士通FM8の発売が'81/5
IBM-PCの発売が'81/8
時期からいってコレですね。
ちなみにFM8は6809のデュアルCPU!!だから本体の2倍6809を使う。
何と!FM-8がIBM-PCがインテル系CPUになった要因だったとは・・・
かく言う私、元FM-8ユーザー(今も持ってる)・・・驚いた!そして、感動した!
- 83 :
- >>69 こちらもサンクス
>あとIntelのダンピングが有ったのが大きい。
やはりMicrosoftもIntelもちゃんと先行投資してるンですね。
- 84 :
- 一応書いときます。ズレたらスマソ。
チップ 発売元 発表年 内部基本語長 集積トランジスタ
8080 インテル 1974 8bit 4,800
Z80 ザイログ 1976 8bit 8,200
8086 インテル 1978 16bit 29,000
Z8000 ザイログ 1979 16bit 17,500
68000 モトローラ 1979 16bit 68,000
80286 インテル 1982 16bit 130,000
80386 インテル 1985 32bit 275,000
- 85 :
- もしIBM-PCの開発が
あと半年早かったら・・・CPUはデュアル6809になっていた!?
→IBM-PCは8bitパソコンとして小成功にとどまる。
その後の16bit化で大騒動に。
→富士通はMICRO8の開発時期を遅らせ、
8086CPUによる16bitパソコンとして完成。NECPC8801を撃破。
あと1年遅かったら・・・CPUは68000になっていた!?
→IBM-PCはリニアアドレスでグラフィックもバリバリオケー
Macintoshの出る幕なし!?どうする、でこく〜る
- 86 :
- >79-80
IBM PCがここまで普及したのは、クローン市場が発達したからというのが
最大の理由。OSの外販がなければありえなかった。
互換OSが出るにしても、えらく時間がかかったろう。
(CP/M-86をそのまんま使ってたら話は別だが)
それと、IBMのOSが今のMSの地位に取って代わるチャンスは
90年代半ばまで残っていた。OS/2があんなことにさえならなければ。
- 87 :
- >>86
Windows95発売前のOS/2 Warpのプロモーションなんてダメダメだったもんなあ・・・。
イメージより現世利益を訴えてりゃもうちょっとは売れたろうに。
- 88 :
- >>80
NECのPTOS(N5200用)同様汎用機OSを
機能を切り捨てて大きくはないけど、
融通の効かないOSになった可能性が高いでしょうね。
- 89 :
- >>87
OS/2根性曲がりは完全無比な16ビットWindows環境なんだよね。UAEは3.1の数百分の1と言うくらい遭遇しにくい。
やっぱり「ひねくれもの」という名前が良くなかったのか?
英語辞書でWarpを引いてみるテスト実施中
- 90 :
- >>85
IBMに6809が搭載されていたら、外部16ビット化された68009(笑)とか出ていた可能性がある。
まあ、6829がVaperwareになってしまったのもあるけど。モトローラは開発の仕切りがヘタなんだよねえ
- 91 :
- >>86
そのクローン市場が発達し得たのは
あまりにもIBMらしからぬオープンな作りゆえだしね。
もちろんOS外販って要素も大きいけど。
どのみち、IBMがやったらパーソナル市場で成功はなかったかと。
OS/2はだから、なるべくしてなった失敗……
- 92 :
- >>87
Windows 95がすぐに普及したのはOS/2にとって大不幸でしたね。
というかOS/2がよくできてなかったら、MSもあそこまでの
巨費をプロモーションに投じただろうか、とはちょっと思ったり。
- 93 :
- >>91
それがAppleIIをよく研究したといわれるゆえんですよ。
もっともあまりのクローン(デッドコピー)の蔓延にAppleもIBMも情報を
開示しないようにして総すかんを食らったのはあまりにも有名。
発展の礎はクローン→合法BIOSの登場→COMPAQの386マシン先行とかかな?
- 94 :
- >>93
メモリマップまで何となくApple IIに似てるような気がしますね:-)
しかし、どちらもクローズド路線に移行したけど、結果は対照的ですね。
Macはなんだかんだ言っても受け入れられ、PS/2は互換機に完敗した。
やっぱり合法BIOSみたいなものが存在したかどうかの違い?
でもMCA対抗のEISAはあんまりパッとしなかったなあ。
技術的にはどうか知らないけど。
- 95 :
- OS/2、イメージCMで一般受けを狙わずに
Win95みたいに現世利益を大げさに語るべきだった。
「♪さーくーさーくさくさくー さーくさくさくさくー」
「おおえすつう、わあぷ」
でも、山口智子の等身大パネルはいまでもほしい・・・。
- 96 :
- ※ワーオは商品名ではありません。
……これは田中美奈子か。
- 97 :
- >>95
ポスターならあるけど
- 98 :
- >>94
情報がクローズドになったのはApple///やLisaの頃から。
Macは初期にクローズドアーキテクチャになり(ソフト的にはツールボックスの全機能の公開をしていたし、開発ツールの提供もきちんとしていたのが復活した原因だと思います。)
MacIIシリーズでオープンアーキテクチャに戻りましたね。
- 99 :
- IBM PC発売当時のモデル構成や価格とかわかります?
たぶん81/12あたりの雑誌に載ってると思うんだけど。
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