1read 100read
2011年10月1期鉄道懐かし【金星 きそ】名古屋発の夜行列車【のりくら 紀州】
TOP カテ一覧 スレ一覧 削除依頼 ▼
・ 次のスレ
房総を駆け抜けた183系
準急寄居行を語ろう
爆音立てて突っ走る常磐快速103系に萌えるスレ
緑の濃淡(と黄色と赤色)の京阪電車を語るスレ
【金星 きそ】名古屋発の夜行列車【のりくら 紀州】
- 1 :08/09/08 〜 最終レス :11/12/11
- こんなスレ建てなければまず出てこないマイナーな存在ながら個性的な列車がちらほら
上りと下りで運転区間の違う客車「きそ」(下り 名古屋ー直江津、上り長野ー名古屋)
夜行が片道のみの「のりくら」「紀州」(電車「きそ」も片運用)
編成のど真ん中に新聞配達用の荷物車を挟んだ「のりくら」
付属編成がそのまま紀伊半島を一周してしまうので付属編成の号車番号が毎日入れ替わった「紀州」
そんな名古屋発だった夜行列車について語って下さい
- 2 :
- 阿蘇は?(´・ω・`)
- 3 :
- 昭和50年の時刻表を見たら、名古屋発弘前行きの臨時急行「あおもり」ってのがあった。
あおもりなのにその手前の弘前まで…
- 4 :
- >>2
俺はリアルに見たり乗ったりしているのが53.10あたりからなんで50.3で消えた「阿蘇」はちょっと情報不足だったので
関西ー中国の「音戸」とともに最後のEF61牽引の定期旅客列車程度しか知らない
考えてみたら名古屋発の列車で最後にオロネ10を連結していた列車にもなるのかな
- 5 :
- >>1
>>4のレスあたり大丈夫?もう少し整理して書いてくんないかな。
- 6 :
- >>3
県名という事でw
- 7 :
- 夜行のりくら、乗りたかったよ。
- 8 :
- >>1
急行「さつま」を無視した理由を教えてよ
- 9 :
- 夜行のりくらの富山止まりの付属編成は、富山で切り離されるとそのまま富山発神岡ゆきの一番列車の車両になった。
特に一旦ドアを閉めるとかせずに、切り離してサボを入れ替えるだけだったので、実質は名古屋発富山経由神岡ゆきだった。
- 10 :
- 阿蘇は俺が中学生の頃の帰省列車だな
のりくらもきそも紀州も金星も乗ったが
>>1は客車より一足早く出発する電車の夜行「きそ」のことを忘れているよ
- 11 :
- あっ!書いてたか
すまん
- 12 :
- 12系の夜行「きそ」があった。
あれって定期だったのかな?
昭和60年の2月に松本まで乗車しました。
当然のように、一両に客は一桁でした。
- 13 :
- 電車の方の「きそ5号」なんだけど末期に羽尾(信)で退避してませんでしたか?
2度程乗ったんだけど1回ふと目が覚めた時、何もないところに停車しててそのあと
おもむろにスイッチバックしていた記憶があるんだけど
誰か昔のダイヤとか持っている人、情報無い?
>>12
再末期の客車「きそ」は寝台車外した際12系に移行したはず、
けどあまり長く続かず列車自体が廃止になった
かわりに客車「ちくま」の時間を名古屋駅の閉門前に繰り上げて利用できる様になったと思ったが
客車の「きそ6号」って漏れの寝台車デビューの列車なんだよね、
長野に着くと「妙高」が先着していて寝台車付けたまま先に普通列車として直江津に出発していく
「きそ」は寝台車を切り離して追っかけていく感じのダイヤ、
それぞれ14系、12系になった後も長野駅での並びはあったんじゃなかったっけ。
- 14 :
- >>12
ちなみにその時代は名古屋〜新潟間を走る急行「赤倉」が165系だったんですよね。
両方ともほんの一瞬で過ぎ去った、レアな組み合わせでした。
- 15 :
- 片道夜行「きそ」が165系化される前のキハ58,65の時代もあったな。
エンジンや発電機の音が気になりあまり熟睡出来なかったが。
スキーシーズンには戸狩まで延長運転されて長野まで折り返す。早朝なのでもう一眠りしたかったのと、
時間潰しに周遊券なので往復したのだが復路はG車が開放されていたのが嬉しかったな。
長野に着いたら車内整備してから9:00頃の上り「きそ」として名古屋に向かっていた。
- 16 :
- DC夜行「きそ」とか夜行「のりくら」ってやはりキハ91系は入らなかったんでしょうか?
真夜中にトラブられても困るだろうし
- 17 :
- 名古屋発の夜行なら
急行「あおもり」ってのがあったな
季節運転というか年末帰省列車で
東京駅通過のレ印ついた時刻表を見たのはあとにもさきにも「あおもり」だけだな
- 18 :
- 急行「あおもり」のほかに、秋田行き急行「あきた」もあるね。
共に県名のついた年末臨時急行…
- 19 :
- >>9の後運用の富山〜神岡往復が“時刻表2万キロ”のプロローグに使われてんだよな。
自分も昭和59年の夏にこの列車に乗ったけど、このときはもうキハ28+キハ23の編成だったな。
夜行“のりくら”て七尾線の穴水までは季節運行だったけど、そこからは能登線の珠洲行きの定期鈍行列車に
なってたな。当時能登線でグリーン車の入る運用はこの“のりくら”崩れと昭和53年10月の改正でなくなった大阪直通の
“ゆのくに”崩れだけだったな。
- 20 :
- 夜行のりくらで富山地鉄の立山まで乗り入れていて、立山黒部
アルペンルートへ行ったのを思い出した。
青春18で快速スターライトを愛用していたのに短命だったな。
- 21 :
- 北アルプス借りてやった夜行急行ってなかった?
りんどう だか むろどう とかいう名前の
- 22 :
- 金星51号が最強でしょう
- 23 :
- 急行あそもあったよ
EF61牽引
- 24 :
- 「金星51号」ってなんで西鹿児島まで行ってたんでしょうね?定期「金星」は博多行きだったのに
集団就職か何かで名古屋に来た鹿児島出身者の帰省需要が結構確保できたのでしょうか?
>>20
それが「むろどう」だね、夜行「のりくら」が無くなるまで多客期に運転されてた
>>21
「りんどう」だと思う、神宮前ー熱田の貨物受け渡し線使って車両を送り込んでまだ未明に高山に着く半夜行で、
速攻回送で名古屋に戻して北アルプスに使っていた様な話をどこかで読んだ気がする
臨時登山夜行だと中央線の定期に併結して松本電鉄の島々まで行ってた列車もなかったっけ?
名古屋発でなく新宿発の記憶違いかな?
- 25 :
- 叔母が急死したときに、電車「きそ」と「妙高」のリレーで乗ったな。客車「きそ」なら
乗り換えせずにすんだはずだが、一刻も早く着きたかったためにこうした。
旧客に乗ったはこの時だけだった。
- 26 :
- >>24
むしろ「はやぶさ」「富士」救済の意味だったんじゃないですかね、金星51号。
東京方面から新幹線乗り継ぎ客も結構いたように記憶している。
- 27 :
- 一シーズンだけ熊本行きヨタ系集団帰省列車「ふるさと」ってのがなかった?民営化直前だった気がするが、名古屋発じゃなくて岡崎か刈谷発だったかもしれんしヨタ系しか乗れなかったかもしれんのでスレ違いかも
- 28 :
- 53.10あたりから本格的に鉄にのめり込んだせいか客車「きそ」の名古屋発23:55、千種発0:07と
「金星」の名古屋発22:50、この3つの時刻だけは未だに忘れていない
- 29 :
- 塩尻のスイッチバック解消後、寝台車付きの「きそ」って走ってたっけ?
要は12系化が57.11改正か55.10改正だったかで話が変わるってことなんだけど
(スイッチバック解消が57.5だから)
- 30 :
- >>29
57.11まで寝台車付いてましたよ
名古屋〜塩尻の間がそれまでと逆向きになって、
寝台車と郵便荷物は名古屋寄り連結に変わってました
- 31 :
- >>30
成程、じゃあ寝台車付けて新しい塩尻駅を通っていたのは半年弱のレアなケースだったのね
- 32 :
- いまでも塩尻駅には旧ルートの痕跡ありますね、
と保守してみる。
- 33 :
- ユーロライナーのシュプール号に乗りたかったなぁ。
- 34 :
- 小学生のころ、ブルートレインに乗りたくて九州まで乗せてもらった列車が「金星」。
胸をときめかせて名古屋駅のホームに上がり581系を見て、「ブルートレインじゃない…」と親を困らせたのはいい思い出です。
車両の端の中段寝台で、向かい側に倉庫?のシャッターがあって、一晩中カチャカチャと金属音がうるさくて眠れなかった記憶があります。
- 35 :
- >>34
布団やシーツ入れの倉庫
- 36 :
- フェリーの「きそ」にもB寝台あったよな。
列車の「きそ」は3段式ベット、フェリーの「きそ」は個別簡易個室
差は天地ほどの差だな。
- 37 :
- のりくらは夜行上下共なかったか?
下り11両、上り4両と編成は違ってたが。
- 38 :
- 「さつま」や「阿蘇」の思い出話マダァ?
- 39 :
- 父は中京への出張のときよく「金星」を使っていたそうです
今でも一番愛着のある列車だそうで書斎には大きな「金星」号のパネルを飾っています
廃止されるときには博多駅までいっしょに見に行きました
- 40 :
- 前の方にも出ていますが、金星51号には3回ほどお世話になりました。
初めて乗ったのは確か昭和50年の夏。「金星」なんだから583系と固く信じていた小学生に、
DD13を先頭に入線した14系座席車は衝撃でした。確か名古屋17:51だったかと。
機関車はEF65P。その年は旧盆期間末期だったためガラガラでした。
翌年は機関車がEF58になっており、大阪から満席になった記憶があります。
最後は社会人1年目の昭和62年夏。8月12日なのに、奇跡的に座席が取れ、急遽旅立ち。
ただし、12両だったはずの編成は6両に。機関車は一般型のEF65でした。
今考えると、あの座席で名古屋から西鹿児島までよく過ごせたものだと思います。
- 41 :
- ながら&ちくまも混ぜてくんしゃいm(__)m
- 42 :
- >>40
急行阿蘇のスハ43の座席車で名古屋から小倉まで帰省したことに比べれば
14系ならめちゃ楽だな
- 43 :
- >>42 確かにスハ43の硬い座席と比べたら雲泥の差ですね。
ただ、満席の12系「きそ」で千種を覚えていないことがあったので、体調によってはいけるかもしれません。
でも、起きてからが長いんですよね。
- 44 :
- >>21,24
ご参考まで。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E9%89%84%E3%82%AD%E3%83%8F8000%E7%B3%BB%E6%B0%97%E5%8B%95%E8%BB%8A#.E6.B2.BF.E9.9D.A9
- 45 :
- 「金星」の定期に14系寝台車が投入されたことがあり、その列車に乗った。
「白鳥」に583系電車が投入されたこともあるが、その時は指をくわえて見送った。
いずれも車両事情による特殊な例。
- 46 :
- 「日本海」の臨時に583系があてられていたこともあったような
- 47 :
- >>43
その当時の阿蘇は
想像もつかないと思うけどデッキは言うに及ばず通路に人が座ったり寝てたり
してたからトイレに行くのも大変だったんだよね
ボックスは全員家族だったけど
当然固定座席に4人座った状態で足も伸ばせなかったヨ
名古屋駅では団体待合室で待っていた記憶があるなあ・・・
- 48 :
- ttp://up.2chan.net/r/src/1223734341634.jpg
- 49 :
- 座れるのはまだマシな方じゃないの?
東京から名古屋まで座れなかったとか、大阪まで座れなかったとかよく聞くし
もちろん新幹線じゃなくて、夜行急行の話
- 50 :
- http://sentaku.org/hobby/1000004193/
- 51 :
- >>46
当時は鉄道がまだまだ強かった時代なのですね。銀河がなくなり、
ムーンライドながらすら危うい現在では信じられません。
あと、名古屋駅の団体待合室というのがどこにあったのか思い出せません。
昭和50年代頃までの名古屋駅といえば、早川浴場や金・銀の柱、赤帽の場所、
浮浪者だらけの一般待合室、暗いコンコース、白黒テレビの発車案内、
0番線から見えた電光ニュース、ほとんど使われていなかった1番線、
ホームのきしめんスタンドの裏のトイレ等、結構細かいところまで覚えているのですが。
そういえばホームの洗面所も知らない間になくなりましたね。よく端っこに腰掛けてきしめんを
食べたものです。
- 52 :
- >>51待合室はコンコースの西寄りだったかな?
当時はタバコで煙ってた記憶が…
- 53 :
- >>51
その当時の1番線の大阪寄りには、機関車が2両並んで留置できる
ようになっていました。よく「EF58 60」が留置されていました。
- 54 :
- >>1
亀ツッコミで悪いが、夜行「のりくら」は上下とも存在したぞ?
そういや、昔は夜行「きそ」は2往復あったなー。
季節列車入れたら3往復(「きそ」だけで)
「のりくら」も「紀州」も臨時の夜行もあったし。
>>24
臨時夜行の新島々行き、確か鉄道総合板の古い時刻表スレで話出てたぞ。
- 55 :
- >>54
>「紀州」も臨時の夜行もあったし
スターライトなんてのもあったねえ。
- 56 :
- 「くろよん」も夜行でしたね
- 57 :
- >>55
あーあったあった。
確かJR化後に運転されてたはず。
>>56
大阪発が夜行で、着が昼行だったね。
- 58 :
- >>52
コンコースの西よりには一般待合室があったように記憶しています。
新幹線の改札のやや東よりでした。その待合室すぐ隣くらいの位置に
改札内から入れる待合室もあったような。
同じような所に別に団体用があったかもしれませんね。
>>53
確かにいましたね。クモニもいたようないなかったような・・・。
あと、何番線か忘れましたが、熱田よりにEF64が留置してあったような気がします。
- 59 :
- JR東海になって初めての大晦日だったと思う。
大垣始発名古屋経由臨時快速「伊勢初詣」に乗った。
82だか181だか忘れたが特急用キハ編成で
僕はハザに乗った。
名古屋を発車してしばらくしたら車掌とモメているお客2名いて,
結局その2人は僕の近くに座ることになった。
おさわがせしてすみませんでしたー・・・なんていうことから話を聞くと
どうもその2人連れはもともとロザに乗ったのだが,
ロザ車内で「中日ドラゴンズ優勝祈念ビデオ」みたいなものを上映するという企画があり
巨人ファンの2人連れは「そんなものみたくない!!」ということでモメたらしい。
後JR東海の本社の担当サンらしいスーツ着た人が現れてお詫びかたがたグリーン券に証明。
めでたくグリーン料金を下車駅で払い戻されることになったらしい。
彼らとは二見浦で別れた。(僕は初日の出目的じゃないので伊勢市乗換え鳥羽までいった)
- 60 :
- >>59
ワロタ
- 61 :
- 上り「出雲・紀伊」(だったらしい)で東京へ向ったことがある。
しかし俺が子供の頃だったので、やたらと眠かった記憶しかない。
いったいあれは何時発だったのだろう。
あるいはそれは「銀河」だったのか・・・?ブルトレだったことには間違いない。
親は夜行で行ったことは認めているが、何号とまでは記憶していなかった。
- 62 :
- >>59
中日優勝なら1988年だな。会社発足2年目。
その時の監督は「わしが育てた」。
- 63 :
- >>62
優勝「記念」じゃなくて優勝「祈念」な。
発足1年目だよ。
- 64 :
- ブルトレになってからなら「銀河」は名古屋を上下とも運転停車だったから多分「出雲・紀伊」でしょうね
ホームレス対策の閉鎖ギリギリの1時前後にに名古屋に停車していた筈(下りは運転停車)
多分「紀伊」と併結している上りは「出雲2号」だったと思われ(4号は運転停車?)
- 65 :
- >>63
ならそれで間違いないよ。失礼、変換ミスだと思ったもので。
それにしても物凄い予言ビデオだな。神様がつくったのだろうか?
- 66 :
- どうして巨人ファンっておかしな人間ばっかりなんでしょうね。
- 67 :
- >>66
阪(ry
- 68 :
- >>67
彼らのほうがまだマシだよ。断言する。
- 69 :
- 名古屋発ではないのですが、小学生のとき一家そろっての帰省に
「カートレインユーロ名古屋」
に乗りました。東小倉(貨)〜熱田でしたね。
手作り感あふれるヘッドマークやサボ。
なにより嬉しかったのは、家族そろって個室に乗れたことでした。
レア?
- 70 :
- 夜行「のりくら」の臨時列車を名古屋で見たらキハ51系の編成でガラガラ
だった時代あり。あのシートで急行料金とはドあつかましだった。
- 71 :
- 時刻表で「のりくら」の夜行があるのを知ったときは
乗る人がいるのだろうか、と子供心に思ったものです
- 72 :
- 登山者用?
- 73 :
- >>71
>>72
S57,9頃だけど富山までの登山者は結構いたね。富山から金沢までは回送同然だった。
俺は東京から福井までの行きたかったが「越前」に乗り遅れて、時間の制約もあったので
たまたま当時の最終の「ひかり」から「のりくら」のお世話になったもの。
金曜の夜だけどワンボックスで1人程度の混み具合だった。
- 74 :
- そして富山で寝過ごすと神岡いったりしたんだよな(宮脇氏の本で知った)
- 75 :
- 夜行「のりくら」の前身「第2しろがね」だと寝過ごすと名古屋に(ry
- 76 :
- >>75
一度2月に高岡から大阪へ昼頃帰着の必要が出来て、「しろがね2号」のキロハ25
に乗ったら「暖房故障」で後ろのキハ26に乗ったがコレも寒かった。ウエバスト
は調子悪かったな。米原からクハ86に乗り換えてやっと暖かくなった。
- 77 :
- >>71
新聞輸送の目的があった。気動車にしては珍しく編成の中間に荷物用の車両
を連結していた。
国鉄時代の夜行列車は乗客が少なくても、新聞・荷物輸送の目的で設定された
夜行列車は多かった。1984年2月改正で操車場の大幅合理化、荷物・郵便輸送
の大幅整理でそんな夜行列車は整理された。夜行のりくら廃止もこの改正だった筈。
- 78 :
- 微妙にスレ違いかもしれないけど、名古屋発着の夜行で一番良く利用したのは「南紀」です。
東京から関西方面に向かう時に良くこのルートを使ってました。
後に「はやたま」に改名したり亀山打ち切りで名古屋まで来なくなったり。でしたけど。
天王寺から到着してそのまま出発までホームに客車だけ止めてあって、出発まで
何時間も車内で過ごせるのが何とも言えない味わいが出てました。
あと、最初に乗った頃は亀山からDF50牽引で、独特のエンジン音も楽しめました。
今でもそうだけど、紀勢線の車窓が大好きだし、大阪に始発くらいの時間に入れるし、
なんと言っても名古屋発はガラガラだからスハ43系でも楽に過ごせるのが一番大きかったですね。
料金は多少高くても大垣夜行より絶対楽でしたね。後には18きっぷも使えたし。
- 79 :
- 「うしお」ってありましたね。名古屋を最終に出る紀伊勝浦行でした。
私は一度利用したことがありましたが、たしかキハ55の3連くらいの編成。
磯釣り装備のおやじたちが大勢のっていました。
- 80 :
- 懐かしい時代のスレだね。
タイトルから、ちょうど昭和50年代半ばの深夜の名古屋駅を思い出します。
ブルトレブームの中で、紀州、のりくら、きそが待機する名古屋駅。
良かったな〜。
>54
新島々行きは、名古屋発 急行「上高地」だね。
- 81 :
- ちょっと違うかも知らないけど、高3の時(1984年)夏休み、青春18切符で
大阪から東京へ向かう途中、19時くらいに名古屋について、大垣発の例の夜行を
待つ間、名古屋駅で時間つぶした。夕飯食って、地下街うろうろしてまだ、時間
余ってたのでどうしようと思ってたら、なんか駅の隅の方に公衆浴場があって
おもしろそうだと思って入ってみたら、薄暗くコンクリートが打ちっぱなしのおどろおどろ
した風呂で、背中に綺麗なファッションをしたおっさんたちがいっぱいいて、談笑して
いたのはびっくりした記憶がある。今はもうおそらくないと思うが自分の中では
強烈な昭和時代の思い出である。
- 82 :
- >>81
駅の外の銭湯では迷惑になるというので、自然と溜まり場になっていったみたいですよ。
それも知られざる文化ですよね。誰も書き残さない。
- 83 :
- ちょっと違うかもしれないが、風呂つながりということで。
東京を2345頃に出る421?という各停列車がありました。この列車、熱海で65分
停車したのですね。タオルをぶら下げて途中下車する人がぞろぞろいたとか。
- 84 :
- >>83
421レ大阪行:東京23.40----熱海2.05/3.10----大阪14.44
(昭和34.9.22改正)JTB10月号時刻表より。:沼津でも3.42/4.24
東京‐浜松‐豊橋間のビジネス客と自衛隊向けスジだったのかな?
おまけに名古屋‐米原間「ゆのくに」併結用の確かハx2、ロx1をぶら下げて
居た。
- 85 :
- 金星51号に西鹿児島まで乗ってみたかった・・・
- 86 :
- >71
50.3〜55.10ころの話。
その荷物車(確かキユニ)+キハ3両(キハ58・55)の名古屋への送り込みは
富山発名古屋までの長距離普通列車。
急行仕業はこの列車のみ、あとは高山線内をうろうろ。
のりくらの基本編成は金沢到着後、七尾線のG付急行に、
夜、金沢から再び夜行で名古屋に戻り、折り返し普通で美濃太田へ、入庫。
蛇足スマソ
- 87 :
- 大吉なら金星フカーツ
- 88 :
- 「金星」は間合いで「しらさぎ」に使ってましたよね。名古屋6:10到着後は神領に回送。
名古屋10:15発のしらさぎ2号で富山へ。1時間後にしらさぎ5号で名古屋19:16着へとんぼ返り。
博多口ではどういう運用になっていたんだろう。
- 89 :
- >>27 超亀レスだが、「ふるさと」号ってあった。
オリジナルヘッドマークもついた583系だった。
- 90 :
- >>89
トヲタ自動車従業員専用帰省列車だな♪
あれはどこの581系?やっぱ南福岡区かな・・・・・
- 91 :
- 名古屋発九州方面の夜行の停車駅って
名古屋―岐阜―大垣―米原…
だったっけ?
- 92 :
- オリジナルヘッドマークつき583系で「ふるさと」といえば、
上野・大宮−青森間のやつじゃないのか……?
つまり同名の別の列車。
- 93 :
- >>90
1985,1986年なので、向日町区。
>>92
>>90の言う通り、トヨタ社員専用で岡崎−熊本間に
運行していたものも有った。同名の別の列車。
- 94 :
- 前述されているけど、
スターライト号の使用車種は何だったの?やはり58+65だったのかな?
- 95 :
- >>88
「金星」は博多着が遅い時間でしたから間合い運用はなかったのではないでしょうか
南福岡に回送されてそのままだったように思います
何度か南福岡で「金星」の幕を出したままの583系(581系?)を見ましたよ
- 96 :
- >>94
58+28
- 97 :
- >>82
もそもそセンセイの作品にはしばしばそのようなシーンが紹介されていますね。
センセイのあのキャラだから出来たことかも。
- 98 :
- 俺は岐阜市に実家があるんだけど、30年前の朝5時台はゴールデンタイムだった。
まず、上りの「はやぶさ」、続いて下りの「銀河」、その後、上りの「みずほ」「金星」「さくら」と
続いた。
日の出の早い時期の日曜は、早起きしてブルトレをよく見に行ったなぁ・・・。
「はやぶさ」も過去帳入りでさびしいな。
- 99 :
- 99
- 100read 1read
1read 100read
TOP カテ一覧 スレ一覧 削除依頼 ▲
・ 次のスレ
房総を駆け抜けた183系
準急寄居行を語ろう
爆音立てて突っ走る常磐快速103系に萌えるスレ
緑の濃淡(と黄色と赤色)の京阪電車を語るスレ