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2011年10月1期鉄道懐かし昔あった珍列車を語るスレ
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昔あった珍列車を語るスレ
- 1 :09/08/14 〜 最終レス :11/12/15
- 身延線に走ったEF58重連の臨時列車や、今や見ることのできない海水浴臨やスキー臨時。
特にスキー臨時=シュプールはバラエティーが豊富で自分はあこがれの存在でした。
今は走ってませんが、今も懐かしく思っています。
このように臨時列車には思いやりがあるはず。
みんなと一緒に懐かしい臨時列車やその思い出について語りましょう。
スレッドのルール
荒らしやそいつを構うのは禁止。構うのも荒らしです。
臨時列車スレで問題になっている人物が来る可能性があります。
携帯版
261 :名無しでGO!:2009/08/14(金) 17:18:16 ID:sEC5H9irO
多忙の隙を突いて情報源不明示投稿やめて。
情報を投稿する時は必ず情報源を掲示してください。
さもなくば須らく妄想のごたる無為投稿になるであろう。
スレの有意義な運営にご協力を
わかった?
このような人が来た場合は特に要注意人物として考えてください。
このスレとその臨時列車スレとは一切関係ありません。
- 2 :
- 乗ったことあるのって「但馬ビーチ」くらいかな。
1978年だったと思う。
12系だったけど、道中、播但線の中で運転停車していたこと以外に印象がない。
- 3 :
- 昔って程じゃないけど、常磐線経由の「北斗星」とか?
東急線を走った出来立てホヤホヤの「リゾート21」とかはどう?
- 4 :
- 珍ドコ列車
- 5 :
- 復活したEF55牽引の初のマルス販売列車、「トントンパンダ号」。
買う時にJTBのお姉さんに思い切り笑われた!
- 6 :
- シュプール号って今無いのか
- 7 :
- >>6
いつの間にか消えたな
- 8 :
- 只今その真っ最中ではあるがコミケの時に走ったコミケットトレイン。
大阪発で京葉線に客車列車が入れられず品川行きだったね。
しかもJT使うとは贅沢。
- 9 :
- 青函トンネル開業後に一時走った夜行急行「青函ナイト」。
名前が生々しい…。
- 10 :
- >>2
但馬ビーチ号とえばEF58-150牽引のイメージ
- 11 :
- 通常は水上発なのに、臨時で新潟から走った「ゆけむり」。
普通に「佐渡」でいいじゃないかと、
- 12 :
- そういうのは探せば案外出てくる。定期列車の延長という形が多く、
「かいじ」の松本発着(白馬発の時もあった)、「たんば」の城崎発着など、最近でもこういうケースがある。
- 13 :
- 昔は「○○銀嶺」、次は「○○スキー」、そして「シュプール○○」
昔は「○○ビーチ」、そして「マリン○○」
昔は「○○カニスキ」、そして「カニカニ○○」
JR西日本の季節臨時の名称は、時代とともに変わっていきました。
- 14 :
- マルスのプリンターでは必ずしもフルに印字できずに省略された列車名、
「スパホワイトアロ ○○号」
- 15 :
- スパ…温泉やん
- 16 :
- 初期のトロッコ列車は、必ず車掌車が連結されてた
- 17 :
- 相鉄旧6000の、Mc+Tc×5の10連。
たまたま乗ったが、廃車寸前の車両達で、予備の予備で殆ど動かない編成だった。(らしい。)
東武でも8000系で、同じような編成が見られた。
(まだ走ってる?)
- 18 :
- >>14
そのシリーズで最高傑作は 「ノスタルビュトレ○号」 だろなw
おれも初めてあれを目にした時は
「なんじゃ〜こりゃ〜??」と叫んだもんだ。
列車そのものは別に珍でも何でもないんだけど、
あのマルス券はたしかに珍だな。
- 19 :
- 北海道のリゾート列車は長いから苦労していたみたいだが、
「アルファコンチネンタルエクスプレス」は「ACE」、
「トマムサホロエクスプレス」は「トマムサホロEXP」というように、省略形が多かった。
- 20 :
- >>12
「はまかいじ」は今でもそうですね。
「はまあずさ」じゃ駄目なのかな?
- 21 :
- >>20
「はまかいじ」は「昔あった」というほど古くない気が・・・
デビュー 甲府
1次改正 小淵沢
2次改正 上諏訪
現在 松本
- 22 :
- 「はまかいじ」が松本まで走っても途中“甲斐路”を通るから無問題。
寧ろかつて存在した甲府どまりの「あずさ」のほうがハァ?なわけで。
同様な例がかつて北海道に幾つか存在した。
・函館〜札幌しか走らない急行「大雪」
・旭川〜遠軽の急行「オホーツク」
(これは遠軽以北普通列車として興部まで走ってたので微妙)
・小樽〜滝川しか走らない急行「かむい」
そういえば東北新幹線にも仙台まで行かない「あおば」とかあったっけ…
- 23 :
- カイジならギャンブル列車w
- 24 :
- >>17
たまに北千住始発であるだろうけど4両に2+2+2のブツ6の8000は見掛けないな。
10000系シリーズとて4+4+2か2が逆かだね。
>>22
東武に春日部までしか行かないのにけごんなんてのがある。
- 25 :
- 東武は快速急行だいやなんてのもあったな。
当時は大谷川なんて知らなかったから、てっきり光輝く方のダイヤが由来かと思っていたよ。
- 26 :
- まあ大谷川はまさに華厳の滝そのものから行く川の正体なんだがね。
同じ快速急行におじかってのがあるけど当の男鹿高原駅は何にもない所。
- 27 :
- 一見しただけでは地元でなければ何が由来か分からない列車は探せばけっこう出てくるもんだ。
例えば、快速「胎内」。分かる人は地元か地元関係者くらいなものじゃない?
- 28 :
- >>9
今は「あまるべマリン」になっている「あまるべロマン」も生々しい。
余るベロマン…
- 29 :
- >>25
大谷川なんて初めて知った
ダイヤと絹だと思ってた
- 30 :
- >>29
ひらがなじゃわかりにくいよな。
りょうもうを消防車と間違えた少年時代がある。
- 31 :
- ひらがなでは分かりづらい…と言うより、漢字では正しく読んでもらえないかったり、
難しい漢字のイメージを避けたからひらがなになったんだろう。
選挙の立候補者の名前の表記と同じ理屈だよ。
幣舞(ぬさまい)、夏泊(なつどまり)、室根(むろね)、あぶくま(阿武隈)、ときわ(常磐)、
わたらせ(渡良瀬)、みささ(三朝)、みまさか(美作)、さんべ(三瓶)、おおよど(大淀)…
等々、いくらでも出てくる。
- 32 :
- 但馬と丹波をともに「たんば」と読んでた小学生時代が懐かしい。
- 33 :
- >>24
『きりふり』も今や南栗橋止だし
- 34 :
- 珍列車と言えば、くっついたり離れたりを繰り返していた東北の多層立DC急行は見事だったな。
あと、長門市−下関を山陰線経由と美祢・山陽線経由で一旦分かれて運転も、
再度併結して走るという珍列車「さんべ」もあった。
- 35 :
- ある日の米原駅
0:16発大阪行き急行アルペン2号(東海道上りホーム)
3:59発大阪行急行アルペン1号(東海道下りホーム)
12:25発大阪行急行アルペン1号(北陸下りホーム)
17:15発大阪行急行アルペン2号(東海道下りホーム)
どれに乗るかで大阪着の時刻が全く違う
- 36 :
- 急行祖母とかも珍名だ
- 37 :
- 急行「弓張」 ←なんて読むの????
- 38 :
- 昔、「石打スキー」に乗った。」EF58牽引の12系だった。
ついでに「新雪」にも乗った。千マリの183系だった。
- 39 :
- >>37
急行「弓張」は“ゆみはり”ね。
佐世保の近くにある九十九島を展望できる弓張岳から取った愛称です。
長崎行きの急行「出島」とペアになって肥前山口で分割・併合して博多−佐世保を走っていました。
今の「かもめ」「みどり」の原型ですね。
- 40 :
- 「石打スキー」って、1号は快速で2号は急行、みたいに種別がバラバラだったな。
- 41 :
- >>37
>>39
プラス島原鉄道のキハ55又はキハ26型1両がぶら下がる。
- 42 :
- >>34
極めつけは米沢、仙台ー秋田、羽後本荘間の「千秋」「もがみ」だろうな。
米沢から来た「千秋」「もがみ」と仙台から来た「千秋」「もがみ」が新庄
で秋田行き「千秋」、羽後本荘行き「もがみ」と併結パートナーを交換して
目的地を目指していく。
現在流に言えばスワッピング列車だなw。
気動車時代の「くりこま」も仙台から青森までの間に「むろね」「陸中」
「さかり」「はやちね」を途中でくっつけたり、離したりだった。
- 43 :
- >>39 サンクス(^v^) ゆみはり そのままで良いんだね
島原へ行くほうは愛称ないんだったっけ?
- 44 :
- >>17
相鉄旧6000なら、
やっぱ試作アルミ車でしょ。
- 45 :
- >>42
津山でも同じような事をやっていたな。「みささ」「みまさか」「砂丘」で。
気動車「くりこま」の後を継いだ「たざわ」の方が凄いだろう。
一ノ関で「むろね」を離し「さかり」を付け
花巻で「陸中」を離し「はやちね」を付け
盛岡で「さかり」「はやちね」を離し
大曲で「千秋」を付け
(この千秋は、>>42の通り新庄でスワッピングしてきた列車)
秋田で「たざわ」を離し、「千秋」として青森をめざす。
- 46 :
- 急行深浦、陸中八木行きなんて需要があったのかどうか未だに疑問なんだが。
- 47 :
- >>45
昭和43年から53年にかけて時刻表で見たが存在していたな。時刻表で追っかけても
よくこんなダイヤを組んだと思う。
あと昭和40年頃の宇野ー小郡間(伯備線、山陰本線、山口線経由)の「しんじ」も
宇野ー岡山間「砂丘」、岡山ー新見「たいしゃく」、新見ー米子「しらぎり」と
くっつたり離れたりしていたな。
当時宇野線では「うずしお」「ゆうなぎ」「鷲羽」がビンビンに運転されていたが
「しんじ」は逆に1往復だけなので時刻表上では目だっていたように見える。
存在する以上は四国〜山陰の需要もあったのだろうね。
- 48 :
- うろ覚えだが関西線の臨時列車に「あけぼの」なんてのがあった。
- 49 :
- >>45>>47
新幹線開業まで存在してた。
しかも上りは瀬峰でくりこまを通過待避するという糞っぷり
- 50 :
- >>46
朝、五能線沿線→青森直行&青森ー八戸間の速達サービス&八戸線ローカル、で昼
折返し、上記の逆を行なって、夕方に青森→五能線沿線直行、で夜。
実質片道で3つの性格をもった列車だろう。
「天都」や「美保」なんて列車も、中途半端というかなんというか
>>49
追い抜く「くりこま」は全席指定の韋駄天急行だからねぇ。
下りは仙台を先発してくれたけど、上りは抜かれるんだよな。
しかも大曲で解結する「千秋」の方が仙台後発、先着してしまうのもw。
「しらはま1号」新宮発(和歌山・桜井・奈良・伊賀上野経由)名古屋行き
これも、えーかげんにせんかい!と突っ込みたくなるような列車だな。
しかも「きのくに」「志摩」「かすが」「紀州」「くまの」「平安」と
まぁ車両がどっちを向いているのか訳がわからなくなりそうな、解結してたし。
- 51 :
- >>50
五能線の藤崎、板柳は明らかに弘前の商圏で、ビジネスでも青森との繋がりはない。
「深浦」以外の全列車は川部で方向転換して弘前に向うくらいだから、
今のしらかみみたいに一旦弘前に寄るならまだ分かるけどね。
にしても五能線を近代化する時に藤崎から川部を通らない弘前方面の連絡線でも
作っておけばちょっとは変わってたろうにね。五所川原まで電化とか。
- 52 :
- >>50
「しらはま1号」は昭和38年10月時点では「はまゆう」と名乗っていたな。
名古屋、京都ー白浜口間運転で名古屋ー京都間「平安」、名古屋ー奈良間
「かすが」、天王寺ー白浜口間「しらはま」をくっつたり離したりだった。
和歌山線経由だったが名古屋ー白浜口間では急行「紀州」と所用時間はほ
とんど違わなかったのが意外だった。
紀勢本線の続きとなるが昭和43年10月以降は「きのくに」が一大帝国を築
いていたが最盛期では不定期含めて14往復半でこれほど大世帯だった急行
はないのでは。他にも「くろしお」「紀州」「しらはま」もあったし。
他線区では「ときわ」でも最盛期で13.5往復。
- 53 :
- 国鉄時代はよくあんな曲芸をなせた物だ・・・
- 54 :
- 車扱いばかりだった貨物はもっとカオスだったんだろうなぁ。
今でも沼津発名古屋(タ)行2073レなんか、静岡発時点で
沼津→大阪(タ) 2車
沼津→福岡(タ) 4車
越谷(タ)→西浜松 3車
富士→西浜松 4車
富士→大阪(タ) 1車
富士→名古屋(タ) 2車
沼津→名古屋(タ) 2車
の混沌っぷり。
- 55 :
- 1975年夏臨夜行急行 みささ51号
大阪を特急安芸の2分後の23時11分発
昼行が停車する三ノ宮、神戸、明石、加古川、姫路を通過
姫新線に入ってからも停車駅は無く、津山も通過
5時過ぎに智頭、郡家と停車して鳥取到着
このルートで夜行が設定されたのはこれだけか?
- 56 :
- 分割併合を繰り返す多層立列車で苦労した1つに、気動車に付けるホロ枠もあったそうな。
気動車や運転士の運用もさることながら、片側に取り付けるタイプのホロ枠をしっかり把握していないと、
いざ併合の時にホロ枠がなくて付けられないとかダブってしまうなどしてしまうため、
ホロ枠のありなしもちゃんと決められて運用されていた。
- 57 :
- 問題なのは、ジャンパ栓では。 ホロは非貫通でなんとかなるし
- 58 :
- >>4
寝台車やら普通車やら食堂車やら、いろんな車両をくっつけて山陽本線を走った珍列車。
編成もだけど、「珍ドコ列車」という名前からしてインパクトがあった。
http://dd51twilight.fc2web.com/train/gallery/rinji/chindoko/900415-chindoko-ef58150.html
- 59 :
- かっこいい。
- 60 :
- 「珍ドコ」ってどういう意味なんだろうね?。
- 61 :
- 「珍ドコ」列車って、臨時ではあったけど、
5年ぐらい走ってたような気がする。
- 62 :
- 連続スレ汚しスマソ。この珍ドコ列車に乗ったことある人いる?。
もしいたら詳細お願いします。
- 63 :
- 「珍ドコ列車」乗りましたよ!一番最初に運転された時ですね。
編成メモも残してあり、指定券も残っていますが、実家に置いてあるので、残念ながら詳細は思い出せません。
ですが、とにかく、寝台車にシュプール客車、「やまぐち号」のレトロ客車、普通の14系客車と、
当時現役だった車両を寄せ集めてつなげていましたね。確かに愉快だった覚えだけはあります。
- 64 :
- サシ581までくっついてたのかw
めちゃくちゃ豪華列車だ。
- 65 :
- >>55
運転停車もなかった?
- 66 :
- >>65
時刻表で見ただけなので、実際は分からないが、運転停車はあったと思う
東津山−津山は重複運転だから、津山には運転停車したはず
- 67 :
- 重複運転の分岐駅の場合
実際は2回通るけど1回だけ停車というのがほとんどだったが
2回とも停車した例もあるんだよな。
石勝線開業以降の函館〜釧路間運転の「おおぞら」の千歳空港(現南千歳)
- 68 :
- >>55
>このルートで夜行が設定されたのはこれだけか?
60年代から「みささ」廃止の89年まで、適当に何冊か時刻表を調べてみたけど、見つからないね。
73、74、77年の夏に設定されてないのは間違いない。
76年は資料がないんで分かんないな。
- 69 :
- >>63
62です。レスありがとうございます。写真でしか見たことなかったので、
実際に乗られた方のお話を伺えて嬉しい限りです。ありがとうございました。
- 70 :
- >>60
チ○ポコ列車
- 71 :
- 懐かしいってほど昔ではないけど、快速と急行が線路容量の関係で併結させた列車が
あったと思った。高山本線内の上りで、ユーロライナーの急行と14系の快速
だったかな…。時刻表や雑誌を見ればわかるけど、押入れの梱包を解くのマンドクサorz、スマソ…。
- 72 :
- >>71
165系6両の千葉〜河口湖のエック会員のハイランドスケート号は
逆に富士急線内は3両ずつに分けて続行させてましたがw
- 73 :
- 長崎発大阪・東京行き急行と、大分発大阪・東京行き急行が
長崎・大分発大阪行き急行と長崎・大分発東京行きの急行に
シャッフルされていたな。
こんな列車は過去現在ともにこれ一往復しかないんじゃないか。
- 74 :
- >>73
>>42>>45
他にも五つぐらいあったと思う
- 75 :
- >72
いや、「急行」と「快速」を併結というのが前代未聞だと思うよ。
>71
もう少し詳細きぼん。
- 76 :
- >>60
「欽どこ」
欽ちゃんのどこまでやるの
から取ったのではないかと推測
- 77 :
- リゾートライナー21(リゾート踊り子の前身-快速)
ビュー草津(251系運行)
フレッシュ草津(653系運行)
名称忘れた 651系運行の吾妻線直通特急
レイルランチ山手
パノラマエクスプレス未来号
- 78 :
- 国鉄名古屋→高山の臨時急行“りんどう”
「別に…普通じゃね?」でしょ!
でも名鉄キハ8000と聞けば話しは別だろうw
- 79 :
- ナインドリーム甲子園
- 80 :
- 京都時点では後発の3号が先発の1号より先に城崎に到着するあさしお
- 81 :
- 片道4本走っていながら、同じ経路で同じ行き先まで行く列車が無かったんだよね。
- 82 :
- 二往復四本の運転区間が全て異なっていた特急が存在していました。
わかるかなァ?
- 83 :
- >>82
まつかぜ ですか?
- 84 :
- >>83
ヒント♪
運転区間は下りがA→CとB→Dで上りがC→BとD→新A。
A‐D間には別の名前の特急も走っていました。
- 85 :
- >>84
新幹線岡山開業以降のみどりだっけ?
- 86 :
- 近い…でも「みどり」が出たから正解!
宮崎電化49-4から新幹線博多開業50-3までの一年足らずの珍現象でした。
ちなみに…
A→大阪
B→岡山
C→大分
D→宮崎です。
- 87 :
- 当時の時刻表だったか、イカロスのムックだったかで見覚えあったからな>みどり
最初の段階では>>82同様まつかぜかしらん?とは思ったが。
- 88 :
- 博多→八代→吉松→都城→中津
釧路→東釧路→網走→野付牛→池田→帯広
西鹿児島→小倉→宮崎
池田→神崎→米原→直江津→高崎→上野
博多→門司→幡生→(小郡→石見益田)→伯耆大山→倉敷→岡山→宇野
- 89 :
- >>88
3番目は『フェニックス』
5番目は『しんじ』
ですよね?
- 90 :
- >>88
4番目:池田(福知山線)発上野行き604レ、S15.10時間表より
2番目:釧路発(釧網本線、網走本線経由)帯広行き620レ、S15.10時間表より
1番目:博多発(肥薩、日豊本線経由)中津行き409レ、S9.12時間表より
2番目を除いて昼行運転。
- 91 :
- >>88
90です。訂正。
夜行運転は4番目、2,1番目は昼行運転。
順番バラバラでスマン。
- 92 :
- 臨時快速丹波ハイキング号(大阪〜篠山口)
キハ28・58で福知山線全線電化前まで春と秋に走っていました
末期頃かな、通過駅が猪名寺・北伊丹・中山寺・草野・南矢代だけになり
快速なのに川西池田駅で103系普通電車に追い抜かれる
ダイヤが一時期存在していました。
- 93 :
- 急行 阿蘇 熊本⇔東京
急行 天草 熊本⇔京都
- 94 :
- 笠岡発鬮場行き回送
- 95 :
- 列車名は忘れたが、札幌〜洞爺湖〜長万部〜小樽〜札幌を走っていたDC急行
急行 「さんべ」 途中で山口線・山陽本線経由と山陰本線回りに分割し下関でまた、分割した列車を併結していた。
- 96 :
- >>95
それって、札幌−苫小牧−伊達紋別−倶知安−小樽−札幌を走っていた循環急行の「いぶり」とは違うの?
右回り左回りとも、札幌−伊達紋別は「ちとせ」、倶知安−札幌は「らいでん」に併結で、
胆振線内だけがキハ22の単行だったけどね。
- 97 :
-
岡田外務大臣キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
http://qb5.2ch.net/test/read.cgi/saku2ch/1256630318/1
早く記念カキコしないと埋まっちゃうwww
- 98 :
- 佐多→都井岬→日南マリン→なんごう→北郷温泉→日南マリーン
1年間で5回改称
- 99 :
- 仙台発常磐線ホームトレイン
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