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だいこん・ダルマストーブ「三菱大夕張鉄道」
寝台特急★富士★はやぶさ★なは★あかつき★132レ
ガムやキャラメルなどについてたオマケ
筑豊の廃線路@上山漆生添田宮田香月伊田糸田川油須


中国山地の特急・急行列車


1 :10/05/08 〜 最終レス :11/10/20
今では路線の存続すら危ういところも出てきた中国山地の路線にも輝いていた頃がありました。
陰陽連絡の要、ローカル輸送の花形だった列車たちを語りましょう!
関連スレ
中国山地のローカル線 Part10
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/rail/1247651648/

2 :
主な列車たち
【姫新線】みささ(大阪-鳥取)・みまさか(大阪-中国勝山)
【津山線】砂丘(岡山-鳥取)・つやま(岡山-つやま)
【伯備線】やくも(岡山-出雲市・知井宮)マリンやくも(高松-出雲市)
【智頭急行】はくと(大阪-鳥取)いなば(岡山-鳥取)
【木次線】ちどり(米子-広島)
【芸備線】たいしゃく(新見-広島)・やまのゆ(津山-広島)・みよし(三次-広島)
【山口線】おき(鳥取-小郡)・つわの(江津-小郡)
【美祢線】あきよし(浜田-天ヶ瀬)

3 :
夜行ちどり、に乗ってみたかった。

4 :
地味なようでも貴重な列車群だったよね?

5 :
>>2
「つやま」を主な列車とするなら「しんじ」「たまつくり」→「伯耆」
も加えてほしい。運転期間は長かったぞ。

6 :
>>2
みまさかって新見まで行ってなかったっけ。

7 :
S40年10月の時刻表によれば、下り1号と上り1号が新見発着。
下り 大阪発16時55分 新見着21時57分
上り 新見発5時50分 大阪着11時16分  ともに2等車のみ。 

8 :
>>2
伯備線の急行「伯耆」を忘れないでくれ
>>6
「みまさか」は中国勝山・月田・新見とあったね

9 :
>>3
夜行ちどりは周遊券旅行者には便利だったな
俺の乗ったのは上りでキハ58系の5連。岩国始発だった。春だったけど三井野原は
夜目にも白い雪が積もっていて驚いたものだった。
昼間のちどりは広島に行く大学生のお姉さんからチョコレートをもらったことが思い出。
それがきっかけで下車する三次までずっとお喋りしていた。何を喋っていたのかすっかり
忘れてしまったが。

10 :
急行しんじ鬼畜すぎワロタwwww
宇野9:09〜この間急行砂丘(上井行)併結〜岡山10:04〜この間急行たいしゃく(芸備経由広島行)併結〜
〜新見11:51〜この間急行ちどり(伯備経由米子行)併結〜米子13:39〜益田17:29〜山口線経由〜小郡19:34

11 :
JRになって間もないころ青春18で中国山地を徘徊した。
鳥取から因美線の普通列車に乗車。年末だったのでお客はそれなりにいた。
車掌さんがオレカ車販に熱心でついつい自分も1枚買った。(もっともいずれは
駅降りるたびに買う短区間乗車券に化けるのだが)
名前はわすれたが小さな駅で「砂丘」と交換。当時はまだ通票閉塞時代。
「砂丘」の運転士がそれまでの通票を落として,新しい通票をむしって
通過していくさまをつぶさに観察した。DCの爆音っていいもんだねぇ。
いまとなったらいい思い出。

12 :
みよし・・・最後の号数付き急行、最後の急行型使用急行
つやま・・・最後の気動車急行、最後の昼行急行
あと「みささ・みまさか」は最後の分割併合急行だっけ?

13 :
「山陰均一周遊券」を握りしめ、初めて行った山陰地方。
その山陰へのアプローチは、新幹線で新大阪〜581系「しおじ」で広島、
そしてエリア内へは、経路が豊富だった周遊券の中でも一際異彩だった国鉄バス広浜線の“夜行バス”だった。
その後も周遊券を存分に使って夜行連泊を繰り返していたが、
当時まだ健在だった広島(岩国)−米子を走っていた夜行急行「ちどり」にも乗った。
周遊券のエリアは三次までだったが、三次到着が未明の3時台だったため、うっかり寝過ごして広島まで行ってしまったことがある。
一旦周遊券のエリアを出てしまったら、もうエリアには戻れないと思っていたから、この時は正直焦った!
とりあえず、仕方がないので車掌さんに事情を説明したら、
「じゃあ、折り返して戻ってください」とあっさり言われてホッとしたものだ。
山陰の夜行は乗る時は深夜0時過ぎ、降りる時は3時台というパターンだったから、夜行連泊には辛い場所だったな。
ところで、この時の帰路は松江発岡山経由新大阪行きの夜行臨時特急「おき51号」だった。
ピカピカの181系気動車の夜行運用は、最近では「おわら」や「シュプール」の実績はあるが、
当時はこのくらいだったと記憶している。

14 :
時刻表70年10月号に
徳山発出雲市行き〈ちどり51号〉9320レに。B寝台のマークがあるのだが…詳細が知りたい。木次線経由かなど…一部コピーで、山陽線のページしかないもので。

15 :
岡山発の京阪神ミニで姫路〜大阪間急行を利用したら、随分得した気分になったもの。

16 :
>>14
その時刻表見てみたい!
米イモには”山陰”用のオハネフ12があったからそれを使ったんじゃないかと思う。
それにしても、備後落合と宍道で機回しかw

17 :
記憶違いかもしれんが「みまさか」って津山〜中国勝山普通じゃなかったっけ?
単独で「急行」として走る区間無いのに愛称付きとは誤乗防止かね。
あるいは地元の要望?

18 :
>>17
昭和40年前後の「みまさか」1号・2号とも急行(準急)として運転されて
いる。ちなみに上り1号の停車駅は刑部、中国勝山、久世、美作落合。
2号は月田発。

19 :
>>18
教示ありがとうございます。
「みまさか」=「みささ」のイメージ強かったので・・・。
知りませんですた。

20 :
みまさかは、後年は末端区間が普通列車になったけど、元々は全区間グリーン車+指定席付きの堂々とした急行。

21 :
伯備線といえば「やくも」が代表的だが,急行「伯耆」というのが50年3月に
登場したな。

22 :
14>>
ご覧になっているのは、門司から岩国までの山陽本線のページでしょうか?
曖昧な記憶ですが広島まで細かく停車してその後は山陽本線を一路東へ
倉敷(運転停車)から伯備線経由で山陰に分け入り米子から客扱い再開、
松江を経て出雲市へ。だったような記憶が…? しかも片道のみの設定?
16>>
車輌については憶測ですが急行「安芸」が70年10月のダイヤ改正で
廃止になっているのでこの車輌を使用したか「音戸」の予備車輌?とか
あるいは、団臨の送込み(又は返却)回送兼ねての営業運転?
考えだすといろいろと想像が広がり収まりが付きません。

23 :
広島から三次、落合、新見、津山と『やまのゆ』なんて急行があったんですね・・
今や沿線区間のほとんどが過疎区間だがw

24 :
中国縦貫道ができたことと、当時のDC特急は短編成に対応していなかったので
特急格上げができなかったことことじゃろ。当時の国鉄の偉いさんが
近鉄特急のネットワークを頭に置いていたら、どうなったかねえ。

25 :
1列車でキロ2両の急行は、みささと砂丘の併結区間が最後だったっけ?
あと併結相手を変えるのは、みささが津山で砂丘からみまさかに変えるのが最後だったかな?

26 :
倉吉線の朝1往復だけ、倉吉〜山守のキハ65+58+58てのがあったけど、
あれは急行の間合い運用だったのかな?
普段はキハ40単行だったから長大編成に見え、キハ65の折戸がとても新鮮だった。

27 :
「あきよし」の天ケ瀬行きというのが不思議。
天ケ瀬に何かあるの?当時は主要駅だったとか?

28 :
>>24
もしあの時代にキハ187があったら、少しは状況も変わってたのかな?

29 :
急行「砂丘」のなかには、車両の間合い使用で鳥取〜米子間は快速「わかとりライナー」となって、
岡山〜米子間を津山・姫新・因美線経由で直通する列車もあった。

30 :
>>26
昭和59年夏に倉吉線に乗ったときの下り始発がまさにその編成だったな>キハ65+58+58
そのときは関金発の客車列車に乗り換えて、倉吉〜米子〜新見〜津山て乗り継いでいったら、津山で“砂丘”“みささ”
“みまさか”の分割併合やってて、その中の1本の車両番号に見覚えが…その日の朝に倉吉線で乗ったやつだったのは
マジでビックリしたな(結局その日家に帰ってから時刻表から運用を類推したしw)

31 :
>>9>>13
昭和50年台のことなので9氏よりはずっと後の話だが
山陰ワイドをもって「夜ちどり」の折り返し、俺もやったことがある。
眠い目をこすって降りた備後落合の駅前非常に寂しく、橋の向こうに商店(?)が
あり、自販機の明かりが鮮やかだった。
 今どうなっているのだろう。行ってみたいな。

32 :
>>27
  駅前からすぐ、温泉街になっている。 全国的知名度はないが、
  九州ではそこそこ有名。
  今でも特急は停まる。
  昔は、山陰⇔日田彦山線、熊本、博多とかいろいろあった。
  
   
 

33 :
保線あげ。

34 :
保守。

35 :
昭和50年代、佐用町の田舎へ帰るのによく急行「みささ」に乗ったな。
10両くらい連結していたのに、いつ乗ってもガラガラだったのを覚えている。
姫路までは目一杯走ってたのに、姫新線に入った途端、普通並みのノロノロ
運転だった。

36 :
「ひるぜん」(岡山〜中国勝山)が入ってないな

37 :
>>31
>備後落合…今どうなっているのだろう。
夏に『奥出雲おろち』号の撮影に行ってきました。
今、駅は完全に無人化されていて、草も伸び放題の状態でした。
『奥出雲おろち』号が行ってしまうと、あとはもう便数の少ない単行の気動車が長いホームに
チョコンと佇んで行きかうばかりで…(寂)。
あと、スレが違うのですが…芸備線の山間部とか福塩線の未電化区間って法面を直さずに
放置していて、崩落が発生すると列車を止めて対応する方針のようで、あちらこちらに徐行の
速度規制がかけられています。 その中には、時速15km規制の徐行とかも見受けられます。
大規模な災害とか発生した時には廃線になってしまう事が前提になっていて、
もうあまり、やる気が無いのかと思ってしまいます。

38 :
>>37
そらまぁ会社が会社だけにね。
一瞬で100人以上もの大量虐するような会社に何を言ってもムダでしょ。

39 :
>>37
31です。ありがとう。
行ったほうがいいのか、行かないほうがいいのか・・・ですね。
でも、やはり行ってみたい。

40 :
>>39
若輩者が失礼します。
岡山県北部在住ですが、木次線沿線へよくドライブするので備後落合駅に寄ります。
確かに草ぼうぼうですが、駅構内も広く列車も滅多に来ないから、なんとなく駅のホームに佇んでると気分転換になりますよ(山に囲まれているから?)
よく三井野原や出雲坂根に車を置きお布施がてら妻と子供と木次線を備後落合まで往復してみたりもします。
悪く言えば寂れていますが、良く言えばのんびり出来ていい場所です。

41 :
>>40
39です。わざわざありがとう。
 木次線は若かりし頃、宿泊代わりの「夜ちどり」しか乗っていないので
やはり、ふたたび訪れたいです。昼間のスイッチバックも通っていないし。
 シーンとした山の中の駅もいいですね。遠くからジーゼルの音が聞こ
えてきたりして。これがSLだったらもっとよかったのでしょうけれど。

42 :
>>41
レスありがとうございます。
私は緑色キハ58の2両の末期の備後落合行、急行ちどりしか乗ったことがなく乗り継いだ新見行はキハ120の世代です。
夜行ちどり羨ましく思います。
鉄道ジャーナルでしか読んだことがありませんし…
今は出雲坂根も無人になり噂では駅構内の延命水も無くなったようです。
いつも乗るとしたら始発の備後落合発着のやつですが、いつも貸切で逆に運転士さんに珍しがられたりしますが今、乗っておいて損は無いと思います。
今後どうなるかわかりませんし…
もし行かれる際はお気をつけて滞在を寛いできてください。

43 :
>>43
「夜ちどり」で夜をすごした貧乏旅行でしたが、たくさんの
思い出があります。ちょっと前のことかと思っていたのです
が、もう四半世紀以上も前のことになってしまいました。
 亀嵩のそばも食べたいし、備後落合の縁側がお店になって
いる商店も見てみたいし。
本当にありがとうございます。楽しみにしています。

44 :
>>43
亀嵩駅のそば屋さんですが、最近は女性の方が切り盛りをされているようです。
幼少時代から時々、寄って食べていますが味は最高です。
ただ、あまり知名度がない?のかトロッコ列車が到着するのに弁当を用意しても殆ど売れないこともあるようで…
たまたまその光景を見たときは食べた後だったのに売れ残った弁当(ざるそば)を大量買いしてしまいました。
備後落合の縁側の店?はよくわかりません、初耳です。
備後落合で印象的なのは捨て犬猫の回収場所看板でした…

45 :
>>42
駅の下の旅館のことじゃないのか?。

46 :
>>44
 43です。ありがとう。
 「砂の器」に出てくる他、たまにマスコミでも紹介されているので
結構有名かと思ったのですが。
 売れ残りを大量にお買いになったとか・・・。良い方ですね。
 45氏の言われる旅館(今は廃業のようです)かもしれません。
 縁側に煙草のケース置いて、時代がかった雰囲気だったような
気がします。かすかな記憶の彼方ですが。
 行って見ようと思い、時刻表を調べましたが、なかなかスケジュール
組むのが難しいですね。静かな山の中でゆったり過ごし、いろいろ思索
しろということなのでしょうか。
こんな画像がありました。
http://narick.jugem.jp/?eid=513

47 :
夜行ちどりって、高山線の夜行のりくらと彷彿させるものがあった。
多少スレ違いでスマんが

48 :
新幹線博多開業以前の昔の話、芸備・伯備線経由で山陽本線の優等列車が脱線事故や
台風による土砂崩れのために迂回運転をした事があるって、話では聞いたことはあるの
ですが迂回をしている列車の写真とかは残って無いのでしょうか?
まだ客車だった頃の特急『かもめ』号、気動車特急『なは』・『日向』号とか、深夜帯ですが寝台
特急『はやぶさ』号とか…どの列車は解かりませんがC58 三重連牽引の列車もあったようです。
あと、列車名は忘れましたけど関西発着〜九州間の夜行急行列車も一列車、迂回をしたようです。
伯備線には、まだ気動車特急『おき』号とか『やくも』号の長大編成が走っていてそんなに違和感は
ないと思われますが、芸備線となると・・・一度見てみたかったです。
タブレットを取り/落としながら長大編成が駆け抜けて行ったのでしょう!

49 :
>>42
水汲み場は駅の向かい側に移転したらしい。

50 :
夜行で三段式スイッチバックを体験してみたかったよ。

51 :
何回か夜行の「ちどり」で通ったことあるが、全然覚えていない…。
出雲坂根も客扱い停車していたはずだけど、真っ暗な駅周辺だから、乗降客はまずいなかったよ。

52 :
>>48
「やくも」が昭和47年頃だったと思うが、姫新線、津山線経由で走っていた
写真が山陽新聞(岡山)に掲載されたことがあった。

53 :
平成3年頃に、芸備線で広島〜三次間の所要時間を59分で結ぶ構想でJR四国から(?)
新型の特急DC車輌を借り出してきて広島〜東城間で試運転をやっていました。
芸備線沿線の自治体が第三セクターで車輌を購入して、JR西に貸与して運用しようとしましたが
断念してしまいました。

54 :
昭和40〜50年代のジャーナルのルポなんか読むと、「この地区の急行
(ちどりとか、みささ・みまさか)は中国自動車道のバスにやられた」みたいなこと書いてあるけど、
本当にそれだけ?
この地方は過疎化で、需要そのものがなかったような気もするけど。

55 :
>>31
夜行列車の思い出には自動販売機の灯りがついてまわりますね。

56 :
>>14,16
47・2時刻表に、広島発着ですが急行「ちどり51号(B寝台+全車指定席)」が出てるので参考までに。
広島―9320→倉敷―9901→松江―9921→出雲市(広島発2月10日運転)
広島 2153発
西条 2231〃
本郷 2308〃
三原 2319〃
糸崎 2326〃
尾道 2336〃
松永 2346〃
福山 0020〃
倉敷 0105着 0133発
高梁 0222〃
足立 0341〃
米子 0516〃
安来 0526〃
松江 0553着 0623発 以下出雲市まで普通列車9921レ
出雲 0724着
出雲市―9932→岡山―9201→広島(出雲市発2月12日運転)
出雲 2123発
宍道 2154〃
玉造 2206〃
松江 2214着 2218発
安来 2250発
米子 2300着 2305発
生山 0017発
倉敷 0236発
岡山 0254着 0317発
笠岡 0405発
福山 0421〃
糸崎 0455〃
三原 0500〃
広島 0609着
広島基準なので「広島区の運用予備車かな。このルートはこの頃臨時急行「やえがき」や
快速「ジャンプだいせん」等で年に数日使われてるので、何かと使われたルートかと思われます。
しかもこの列車、「ちどり」と名前が付いているので、芸備線の欄にも載ってますが、
出雲市行のみが、広島発の時刻と列車名と「山陽。伯備線経由で運転」と書いてあるだけ。
しかもこの為だけに列車の時刻の欄を一行使ってしまってると言う無駄遣いw

57 :
すこしスレが違うかもしれないが、木次線を落合から横田までキハ02の単行
に乗ったことがあった。あの大窓のカブリツキにすわって、あれはまさに究極
の前面展望車といえるのではあるまいか。
しかも出雲坂根で交換した落合行きは、C56+トム+オハユニ61という名編成。
またこれで落合にもどりたくなったことであった。  遠い目。

58 :
昭和54年頃?真夏の昼下がりに三次から福塩線の福山に直通する気動車に乗車しました。
三次から2つ目の駅に神杉駅に到着すると、ホームを挟んだ反対側にすれ違いのために
急行が運転停車していました。 しかも、タブレット交換の後こちらが先に発車しました。 
本来ならば逆の立場だと思うのですが、こちら側の列車の編成が福山まで直通する4両と
府中から折り返し三次行きになる2両を繋いだ全6両編成であって、行き違いとなる神杉駅の
ホームを大きくはみ出して止まっいるために、どうやら急行列車を待たせていたようです。

59 :
うちのじいさんが「鬼のしたぶるい」っていう急行(準急かも)に乗ったことがある!と言ってきかない。
そんな列車があったの?

60 :
松江23時45分発(だったかな)の夜行急行「ちどり」には何回も乗った。
日曜日の夜利用することが多く、23時から放映していた「特捜最前線」が最後まで見れない(笑)
宍道まで普通座席で我慢すると広島まで200kmを切るのでグリーン料金が1000円安くなる。
木次だったか出雲横田か忘れたけど駅弁の販売もあったような気がする。
で早朝5時ちょうど広島着。
当時広島の会社に勤めていて会社に行くには早すぎるし
タクシーでアパートへ帰るのも遠く、料金も高いし。広島駅ビルのサウナで時間つぶしをしたことも。

61 :
うちのじいちゃん(当時の石見益田駅長)がちどりを命名したそうです。
一回でいいから夜行ちどりに乗ってみたかったな。
そういやじいちゃん家に急行伯耆のサボもあった気がする。
自分は平成世代ですがなんか懐かしいですね。
スレ違いごめんなさい…

62 :
酎ハイのラムネでお馴染みのサンガリアの早希ちゃんはメチャかわいいのに、何でロケみつではブサイクなコスプレしてんの(´・ω・`)?

63 :
あの格好じゃないとアスカに見えないから。
アスカの格好じゃないと稲垣だと気付いてもらえないから。

64 :
昭和50年代 広島800発の客車列車は 830発のちどり1号に
どこかで抜かれました。タブレットとかどういうことになって
いたのか詳しいことおしえてくだされ。

65 :
「みまさか」の月田駅発着は、どういった経緯で設定されたのでしょうか?
勝山の商圏だったからとか、駅に留置しておく余裕がなかったからとか…
そういう理由ですかね?

66 :
ただ単に勝山じゃ置いとけないし、月田まで行って帰ったら時間的もちょうど良かったんじゃないかとオッサンは思う。根拠はないけど

67 :
確か急行ちどり、たいしゃくが廃止になってもう10年くらいになるかな?広島行きちどりに接続する木次線の備後落合行きにはよく特改の車掌さんが乗務していて、ちどりの急行券を販売していた。
木次鉄道部にとっては貴重な収入源だったけどなくなってしまったからね〜。
確かにお客さんは少なかったけど0じゃなかったから今思い出すと残念ですね。

68 :
急行「たいしゃく」にもグリーン車が併結されていたんだね?

69 :
中国山地の鉄道って最初からあまり整備する気が見えないんだよね。
戦前に政府が整備したのは因美・伯備線、山口線程度だし、軍事上も大して重要じゃなさそうだから放置プレイする気だったのだろうか?

70 :
ほす

71 :
つわの、みささ、みまさか、砂丘に爺さん婆さんと一緒に旅行で乗せて貰ったなぁ。
その急行もとっくに廃止され、連れてって
くれた爺さん婆さんも去年死んじゃった。
寂しいな。

72 :
必要ないものは仕方あるまい。
・・・・といったら身もフタもないけど
智頭急行が昭和40年までに開業していて当初国鉄で後JR西日本だったらどうだっただろうか。
逆に津山線にしろ因美線にしろヤル気があったらかわっていたのだろうか。
このへんが謎なんだな。

73 :
もっと前には若桜線を南東に伸ばしてどっかに繋げる
案があったんだよな。

74 :
特急誘導路線の草分けといえるのは伯備線といえるだろう。(同時期で房総各線)

75 :
>>65
月田は中国山地の林業の基地として栄えていました。今でも駅周辺には材木店がたくさんあります。
林業で働く人達で利用客も多かったそうです。それで「みまさか」の始発駅になったのだと思います。
「みまさか」の席取りのために、蒜山や湯原温泉の観光客がわざわざ月田まで来ていたそうです。

76 :
>>72
やる気があって複線電化したり、路線を高規格化していたら変わっていたと思うよ。
大阪〜新見に1時間ごとに特急とか、岡山〜津山に快速が15分おきとか。

77 :
それだと山陰本線と播但線を電化,高規格化して「はまかぜ」をグレードアップさせたほうが
国鉄としては美味しかっただろうし,そうなれば智頭急行なんて元から不要だったかもだ。複線化は地形的
な理由で難しいだろうが。

78 :
>>77
だから津山新見三次の交通自体が不便すぎたの。
まあそれが原因で中国道を作ったのだろうけど。
広島松江はバス鉄道とも夜行があったとか信じられない状況だったしね。

79 :
>>78
俺の中のヲタ心では、ついつい鉄道を中心にものを考えてしまうが、
なるほどそういう見地からすれば、今後の交通の中枢としては
高速道路のルート選択は肯んじられるものがありますな。

80 :
昔は世間一般も鉄道中心だったからそれでいいんだけどね。

81 :
>>79
大切なのは移動手段があるか、それが適正(快適さ、速度、本数など)なものかだからね。
一般道も鉄道もしょぼい、水運は無きに等しい、空港どころかヘリポートもないという田舎でどの交通から整備すればいいのかとなると時代によって変わるだろう。
宅地開発の進んだ岡山・広島界隈なら鉄道の電化複線化も必要だろうし、過疎な山間地ならまずは高速道路で町の病院と往来できるように、となる。
ここで最高速度65kmの単線非電化鉄道を無理に作ってみたり、時速100kmの高速道路がいるのに一般道扱いして時速60kmに制限するのは愚行だろう。

82 :
根雨みたいに、中国道ができたおかげで、商店の仕入れが問屋経由ではなく、直接大阪に変わったという例もあった。
今は、地元の商店そのものが廃れ、みんなが直接大阪まで出かけるようになったけど。
中国道沿いの某路線バス運転手は、自分や家族の長距離外出には、自家用車で伊丹や関西を普通に使うと。
某宅配便では、島根や鳥取に拠点を持たず、三次と津山から山陰をカバーしているところもある。
中国道の存在はそれなりに大きかったと思う。
姫新線や芸備線の三次以東が大したスピードアップも出来ず撃沈されたのもある意味仕方がないかと。
ちなみに、蒜山地区の最寄駅はやくもの停まる根雨や生山だったり(商業圏は倉吉)。
大阪行きのバスもなくなったしね。これは鋳鉄のせいだが。

83 :
>>82
田中角栄の新幹線計画にも伯備線と広島〜松江(芸備線+木次線)の縦断線はあるけど中国道に該当する横断線がないんだよね。
三陸と同じで放置するつもりだったのだろう。

84 :
東城、目頭熱くなるほど寂れてる

85 :
>>84
駅もそうだが、駅前は激しいね。

86 :
伯備線だけでも全線複線化しないかな・

87 :11/10/20
>>86
意味がない。それだけ列車本数が多いか?。
宇野線の岡山ー茶屋町間が先だろ。
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