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2011年10月1期野球殿堂タカラ プロ野球カードゲームについて語ろう
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◆ヤクルトアトムズのユニホームが39年ぶり復刻◆
ミスターホエールズ松原誠
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タカラ プロ野球カードゲームについて語ろう
- 1 :08/04/09 〜 最終レス :11/12/16
- ここにいる30以上の人なら、みな必ず一度は遊んだことがあるはず。
いつしか市場から消えてしまったけど、あのゲームで選手の名前や背番号を憶えました。
あのカードについていろいろ語ってみませんか。
- 2 :
- ぞろ目が出たらホームラン
- 3 :
- 初版は何年度のものですかね?
81年版位からかな?
- 4 :
- 持ってたけど遊び方がわからなかったw
- 5 :
- 野球場の俯瞰図が印刷されたA4くらいの紙が同封されてる。
一塁側と三塁側に、両チームのスタメンオーダーを並べたら、プレーボール。
あとはサイコロ振って、各選手のカードの裏に記載された結果通りに進行する
簡単やで
- 6 :
- >>3
セ・リーグは78年版から。パ・リーグは81年版から。
当初は、ボードゲーム「巨人対阪神」(GT選手カード・スタジアムボード・サイコロなどが一括内包)がメインで、
球団別の選手カードは別売オプション的存在だった
- 7 :
- 大抵のひとは>>5の通りにルールを簡略化してサクサク試合を進めていったと思うけど、
説明書のルールに則ってやると、これが大変じれったいw
守備側はサイコロを振り、出目と投手ランクの兼ね合いで投手の球筋が決まり、
攻撃側はサイコロを振り、出目と球筋の兼ね合いで打者のヒッティング・空振り・見送りが決まる
(↑これで一投球。以後一球ごとに繰り返し)
ヒッティングしたら攻撃側はサイコロを振り、打球方向を裏面のデータで照合
守備側はサイコロを振り、捕球する野手の守備ランク次第ではエラーが発生する
(↑ここまでで一打席)
その他、盗塁・バント・タッチアップ・ダブルプレーなど、あらゆる状況がワンプレーごとにサイコロの出目で決まっていく訳で、
下手すりゃ実際の野球以上に試合展開が遅々として進まなかったりするw
- 8 :
- 期待大の新外人やルーキーには多くヒットやホームランがつけられていたが、
実際の選手が期待外れに終わることも多かった。
逆に大洋のポンセのように、カードの評価は割りと辛かったが、
実際の選手は好成績だった。
- 9 :
- センター前ヒット(レフトフライ)の対左投手表記もあった。落合が中日に移籍した時写真が間に合わずイラストだったのをすごく覚えてる。
- 10 :
- 表紙のカードはチーム1のスター選手が選ばれているんだけれど
84年版の西武が江夏だったのには驚いたな。
- 11 :
- 阪神暗黒時代は表紙が岡田だったwww
- 12 :
- >>11
買う気失せるな〜それ><
- 13 :
- 懐かしすぎる〜
- 14 :
- 最初のほうはホームランはぞろ目だけだったけど、最後のほうはぞろ目以外がホームランになっていた
- 15 :
-
セカンドスチール 2・12セーフ
サードスチール 2セーフ
ホームスチール 2〜12アウト
投手と鈍足野手の裏面には、低い盗塁成功出目が与えられていた
(例えば“2・12セーフ”なら1-1か6-6のゾロ目が出たときのみ盗塁成功)
ホームスチールの可能性がゼロというシビアな選手設定に泣けたものだw
- 16 :
- 死んだじいちゃんが、穴吹監督や杉浦監督のカードを見ながら、
ブツブツ言うてたのを思い出す。
大阪の南の方に住んでたけど、
近所のダイエーとか商店街のおもちゃ屋には、
阪神と巨人のカードは大量に並んでたんやけど、
他の球団の、特にパリーグのカードは、
たまに西武を置いてあったらラッキーいう感じだった。
南海沿線なのに、南海ホークスを売ってない。
近鉄のは、藤井寺の近鉄の駅の売店で売ってた。
お正月とか夏休みに、じいちゃんばあちゃんに難波の高島屋とか
阿倍野の近鉄百貨店に連れて行ってもらったりすると、
パリーグのカードもちゃんと売ってた。おねだりして買ってもらった。
でも、南海、近鉄、阪急、ロッテ、日ハムとマイナー球団を揃えたいんやけど、
なかなか全部は揃わなかった。日ハムが特に・・・。一応、親会社は地元やのに・・・。
ちゃんと残しといたら、今ごろお宝やったかもなぁ・・・
どこへいったんやろか・・・
- 17 :
- セ・リーグ130試合やりきろうとして、20試合ちょいで飽きちゃった覚えがあるな…。
今日もひたすらサイコロをコロコロと振る仕事が始まるお(AA略
って感じだったw
- 18 :
- >>15
確か82年度版だったと思うけどカープ佐伯のカードが誤植でホームスチール 2〜12セーフになってた。
なので友達と対戦した時に毎回ホームスチール要員にしていた憶えがあるw
- 19 :
- >>18
85年の阪神の前田にも同様のミスが。
確かホームスチールが2・12アウトとなっていた。
3−11はセーフだったのだw
(それでも2や12を出していたオレがいるwww)
- 20 :
- 一時期の日刊スポーツの選手名鑑に、
これを使った順位予想が載ってたね。
- 21 :
- わあ、懐かしいなあ。
週刊ベースボール誌上で大会やってたこともあったよね。
個人的には全選手のカードを袋の中でごちゃ混ぜにして
順番にくじ引きのように引いていってできたチームで
対戦する遊び方が面白かったなあ
- 22 :
- 田舎住まいだったから毎年全球団買い揃えるのが大変だった
それでも最後の11年分はなんとか揃えた
発売中止を知った年はメチャメチャへこんだなあ
- 23 :
- うちも、西武以外のパはなかなか売ってなかった。
球団ごとに生産される量が違ったのかな。
1ロットに12球団の詰め合わせでは、おもちゃ屋も売りさばけないだろうしね。
試合やるには、最低2球団は買いそろえたくなるだろうから、
とりあえずファンもアンチも買うであろう巨人を10。
あとは、阪神を7、その他のセと西武を4くらいの割合で。
パの残り5球団の分は、西武の半分だから、2くらいか。
パのカードは、問屋の売り込みとおもちゃ屋の趣向が重なったときしか、
入手できない。
なんちって。
- 24 :
- 自分が遊んでいた頃は、前年度のホームラン数が5本以上でカードの裏にホームランがつけられていた。
そのため贔屓チームの選手のホームラン数が4本だと、あと一本で来年度版にホームランがつくのにとか考えていた。
- 25 :
- >>24
晩年はデータがちゃんとしてたよね。読売時代の山本エカ児なんて前年ホームラン1本だったのにAAがホームランだった。昭和57年か58年度版。
- 26 :
- 東京在住だったが、阪急だけは一度も売ってるのを見たことがなかった。
- 27 :
- 58年版阪神の川藤のスチールが俊足選手のようになっていたのは笑った
まだその頃は足は速かったのかな?
- 28 :
- 懐かしい。中学の時に部室でやってたなぁ。
原が1-1と3-5でホームランだったのを今でも覚えてる。
みんな贔屓球団があってホームランの記録まで付けてた。
確かホームラン王は先輩が使ってた門田だったかな。
- 29 :
- 実際に130試合なり140試合なりペナントレースの記録つけた人いる?
打率とかホームランとか、大体どんな成績になったの?
- 30 :
- 誤植探しも隠し味で面白かったな。
最強だったのは82年度版の竹之内(阪神)の
「4-6 ファーストゾロ」
- 31 :
- 98年度版が最後だったっけ?
- 32 :
- 確か57年度版の江川と西本には投手でありながらホームランがありましたよね
- 33 :
- >>32
ホームランでしたっけ?2塁打だったような気が。
投手の投手ランクや、野手の守備ランクって、みんなどうやって決めてました?
自分は投手ランクは防御率で決めてました。
2点台ならA 3点台ならB 4点台ならC 5点台ならD
ただし試合数が10試合以下の場合は一律Dと、こんな感じでしたね。
- 34 :
- 57年度までは、投手のホームランも存在した
ちなみに56年度の阪急には、DH制のため普段打席に立たない山田と山口に2塁打の出目がありました
日本シリーズでの好打による設定だったんだろうな
- 35 :
- バースとストローターの写真がモノクロだった
- 36 :
- 山田はもともと打撃よかったんじゃなかった?DH導入前。
- 37 :
- ピンチヒッターのヒットは二塁打、二塁打は三塁打、三塁打はホームランになります。て変なルールあったよねw
- 38 :
- リリーフ投手は最初のバッターに対してのみ、投手ランクがひとつ上がるというのも
- 39 :
- 最初のころの選手の写真は正面写真だったけど、晩年は打ったり投げたりとか
実際にプレーしているときの写真だった。
自分は正面からの写真のほうが好きだったけど、
みんなはどっちがよかった?
- 40 :
- 落合が中日に移籍した年は顔が絵だったよね。気味悪かった。
阪急強くて買った気がする
- 41 :
- >>40
都合によりイラストになりました
- 42 :
- どんな都合だったのか気になるところw
今までの落合の顔に中日の背番号6のユニの写真をコラできなかったのか。
- 43 :
- 一時期わんぱくカードってなかった?
メンコみたいなやつ
- 44 :
- 打力の低い選手のカードはほとんど使う事がなかった
- 45 :
- >>44
ヒット5本の野手とかな。
83年度版の巨人で、野手が中司とか二宮しかいなくなったときは
彼らはスルーして江川や西本を代打に使ってたな。
- 46 :
- わんぱくカード、あったよね。
確か1年だけだったと思う。
実物をプレーしたことも見たこともなかったけど。
昔子供の頃ダイエーのおもちゃ売り場で、ロッテのカードを買おうと思って、女の店員さんに
「プロ野球カードのロッテください」と言ったんだけど、
店員さん、野球を知らないみたいでロッテというチームがあるのを知らなかったらしく、
「お菓子売り場はここじゃないですよ」とか言われたのは本当に懐かしい思い出。
- 47 :
- せっかくぞろ目が出たのに結果を見れば「ライトフライ」とか「セカンドゴロ」だった時の期待の喪失感
- 48 :
- 「6−6 ショートライナー」とかだと、「あぁ惜しい!」とか言ってたなw
- 49 :
- このゲームののち、ホビージャパンの「熱闘12球団ペナントレース」に鞍替えした俺ガイル
- 50 :
- 高橋慶彦の「内野内打」
86年版あたりだったか
- 51 :
- 89年のガイ・ホフマン投手の盗塁が野手並み
90年西武3選手のホームスチールが、12アウト のみ。
- 52 :
- どこかの同人会のようなところでまた作ってないかな。版権や肖像権の問題がありそうだけど。
- 53 :
- ある1人の何の変哲もない控え選手を最強設定のジョーカー的存在に改造したな
(裏面の記載を砂消しで消して書き直し。但し、使う場面では2点を相手に献上のローカルルールあり)
あと、白紙の予備カードで自分のカードを最強設定にして作ったな
- 54 :
- 駒田のルーキーカードが拝めるのはプロ野球カードゲームだけ
- 55 :
- 80年台のしか知らないけど
何故か巨人だけは
その年の新人や新外国人を
カードゲームのメンバーに入れなかったね(他球団は1〜2人は居た)
何か事情でもあったのか?
- 56 :
- >>55
85年かな。カムストックとかいう投手が入ってなかったね。
それなのに山岡なんて投手が入っていた。
- 57 :
- 同期入団の広沢克己と青島健太は新人なのにホームランがあった。広沢はDD青島はAAだったと思う。当時ヤクルトが弱いから補正だったのかな。懐かしいなぁ。
- 58 :
- 93〜98年の阪神のカードなら持ってる。
- 59 :
- 検索していたら、出てきたので よってみました(笑)
野球人気の低迷で、もう復活は難しいのでしようね。
23>
地域によって、1ケースの球団の入数は違ったそうです。
関西は阪神や近鉄や南海が多かったのでしょうね。
39>
動きのあるカードの方がよいということで変更になったそうです。
カードコレクター的な発想・・・ということですね。
54>
しかも、駒田はピッチャーでした。
55>
球団とタカラ側との交渉で、球団側からの何かしらの理由による
要請だったようです。プロ野球機構と契約すれば、一括して選手名を
使える体制になってからも、タカラは個別に交渉していたそうです。
- 60 :
- よく遊んだな。懐かしい。
- 61 :
- 毎年友達の持っているチームと合わせてトーナメントやった。
昭和61年阪神と93年ヤクルトが強かった。
昭和50年代のチームと平成時代のチームとの対戦が実現できる
貴重な野球ゲームだったな。
- 62 :
- 57>
新人の最強カードは、昭和56年の原辰徳です。
ヒット9本 内ぞろ目以外4本、ホームラン2本、2ぞろ目以外1本と、
驚きの強さです。独走的強さですね。
- 63 :
- 83年の広島・達川もヒット5本だった。
(内1本はホームラン)
- 64 :
- 連投ごめん
おいらが最初に買ったのは82年の南海ホークス。
門田博光がホームラン4本だが、守備ランクが「D」だった。
また、この年の中日は、俊足ランナー
(セカンドスチール 2・5・7・9・10セーフ)の選手
が、一人も入っていなかった。
あと、ピッチャーが交代した直後の一人に限り、決め球が増えたって、みんな知ってたか?
通常時 交代直後の一人のみ
Aランク 1・2・3・4のぞろ目 ぞろ目全部
Bランク 1・2のぞろ目 1・2・3のぞろ目
Cランク 1のぞろ目 1・2のぞろ目
Dランク なし 1のぞろ目
- 65 :
- 何回かルールが変わってますね。発売当初の、「巨人阪神セット」の頃のものが一番良かったと思います。
後期のものは、打者がノースリーから一球待てなかったり、投手がツーナッシングから一球遊べなかったり、送りバントに失敗すると併になったりと不自然な点がありました。
- 66 :
- ランナー2人以上のときヒットエンドランをかけて、打ったあたりがライナーだったら、
捕球された時点で先頭ランナーもアウト。
さらに、後のランナーが帰塁できないとトリプルプレーが成立。
↑
こんなルールもあった。
ひとつ質問。
印刷の時点で、投手ランクがDランクは存在したの?
- 67 :
- 昭和52版の阪神の古沢憲治は投手だけどホームランがあった
- 68 :
- このゲーム、発売日が遅かった気がする。
毎年、4月下旬、つまりゴールデンウィーク。
例外の年はあるとしても、開幕前に出ていればウキウキしながら買えた気がする。
ついに待ちきれずに61年春「熱闘12球団ペナントレース」へ鞍替え。ところが、データ・メンバーは60年度のものでがっかりした。結局、61年度のタカラも買った。
- 69 :
- あまりの懐かしさに涙が出そうだ。
- 70 :
- リアリティには疑問があった。
このゲームをプレイする上では、なによりも気分が大切。
- 71 :
- 投手の力はあんまり反映されないもんな
一人でペナントレースやって遊ぶと、たいてい打線の強いチームが優勝した
- 72 :
- Aランクの投手が8回まで投げて、9回から、別のAランク投手をリリーフ起用する時は虚しかった。
「熱闘」や「ビッグ」の場合、カードの自作は難しいと思うが、「タカラ」の場合はそれなりに雰囲気で作れた。
現に、南海に”あぶさん”のカードを自力で加入させた。その結果、選手層が厚くなり南海は強かった。あぶさん一人でこうも違うものなのかと驚いたが、同時に少しシラけた。
あと、主な自作カードは、ヤクルトのホーナーかな。
星飛雄馬も考えたが、普通のランクでは意味がないし、殆ど打たれないような魔球の目を決めなければならないし、一回でも打たれると新魔球の目を考えねばならないし(おまけにしばらく二軍に行くし)、左門・花形・伴も必要だし、いろいろ考えたあげく断念した。
- 73 :
- 贔屓の選手のアウトの項目を修正ペンで消してホームランに書き換えてた
- 74 :
- 初めて知ったのは「月刊ジャイアンツ」に載っていた広告。
- 75 :
- カツアゲで、バース持ってかれて泣いた記憶しかないな
今となっては良い思い出
- 76 :
- バースだけ抜かれたのか?
プロ野球チップスのカードと間違えてないか?
- 77 :
- 小学生やったから金がなくてね
金の代わりにバース持ってかれた
確か10ー4か8ー4バース
- 78 :
- こう言っては何だが、どのくらい、はやったのだろうか?
野球ゲームの王道が野球盤だった頃に始まり、カード式のものは肩身が狭かった。
でも、相手をしてくれた人達は「面白い」と言ってくれた。「このゲーム面白い、燃える!」という嬉しい声もあった。
それだけに、ファミコンの野球ゲームが出てきた時は、対抗意識をひとりで燃やしていた。でも人それぞれ好き好きはある。
いまだに、電動系の野球ゲームに馴染めない。リアリティ他、タカラより上かもと思いながら。
- 79 :
- 箱の裏面に選手リストがのっていた時期、オリックスにブーマーがのっているのにカードが入ってなかった。
みなさん、そういう経験ありませんか?
逆に同じカードが2枚入っていたりとか。
- 80 :
- 昨年、自分で阪神と広島のカード作成しました。こどもたちと遊んでいます。
デザインはほぼ同じにして、安打数等は前年成績を基準に、通算成績も考慮しながら設定しました。
こどもの頃と同様に楽しめています。
- 81 :
- >>79
あったあった
おれのは84年巨人には香坂とかいうピッチャーが2枚入ってた
全く使いものにならないピッチャーが2人いても嬉しくない・・・
ちなみにそのバージョンはEEを出したら相手が右投手か左投手かで結果が変わり、
左投手の場合は()適用となっていた
例えば左投手に弱かった淡口は確か、右中間二塁打(キャッチャーフライ)
なのに左しとして鳴らした平田薫も、ホームラン(セカンドフライ)となっていて
対左投手の場合存在意義ゼロになっていて可哀想だった
- 82 :
- >>79
当時阪急のブーマーはカード(箱だったかな?)の表記が
B・ウェルズ
だったよね、確か。
- 83 :
- カードでは本塁打4つあった中日スパイクス。
実際には1本のみで帰国・・・。
- 84 :
- うわー懐かしいな
タカラだったのか。というか意外に昔からあったんだなあ
平成入ってすぐ小学校で流行ったんだが(ちなみに俺は近鉄使ってた)新発売だと思ってたよ
- 85 :
- レギュラークラスだと、前年の打率とヒットの確率の関係は
だいたい以下のような感じか?
年によっても違うけど
.250以下 9/36
.270以下 10/36
.290以下 11/36
.302以下 12/36
.330以下 13/36
.350以下 14/36
.350以上 15/36
- 86 :
- ダイエーの村田のカードに何かこぼして顔の色変色したっけな。
そういえば白い紙入ってたよね、皆さんは何かに使いましたか?ちなみに俺は親にいたずら書きされたり新しく加入した選手を作ってました。
- 87 :
- 俺の切り札は大杉と岡田やったわ。 いつも岡持とブーマーと山田久志にやられてた記憶も...
- 88 :
- ユニフォームが変わった年、旧ユニの写真は嫌だった。
- 89 :
- 基本的に打線の強いチームが有利で、投手力や守備力で勝ってるチームは不利
89年版のGLで4戦先勝でやったらGの4勝1敗だった
(自分でデストラーデも作成したので、メンバー的には現実と遜色なし)
翌年、4-0ストレートでLがGを下したのはご承知の通り
- 90 :
- 年度によって、データの辛い年、デザインの良い年といろいろ差があった。
- 91 :
- オールスター戦やったことあります?
物凄い打ち合いになって、最優秀投手賞を決めるのに困りましたよ。
- 92 :
- 出番のある選手とそうでない選手がはっきりしていた。
よく知っているチームだと、先発投手が好投していても、リリーフをおくったりした。
逆に、知らないチームだと続投させ、結果として意外な投手が完封したりした。
もっと投手力・守備力に力が反映されるとなお良かったと思う。
- 93 :
- 93年の檻とカープのが出てきた。
どっかに遊びに行ったときに気まぐれで買ったらしい。
ブレイク前のイチローと現役時代のブラウンが居るw
- 94 :
- たまにホームランのない外国人選手がいた。
83Tアレンとか88Hライトとか。アレンは前年の本数がすくなかったので仕方ないかもしれないが、ライトは新入団。何のために入っているカードかわからなかった。
時々ある印刷ミスかな。
- 95 :
- >>94
ライトは前年2Aだったから仕方ないかも。
でも同時入団で前年メジャーのバナザードも確かホームラン1本だったので、
南海ということで評価が下げられた可能性もあり。
(ちなみに同年Oに新入団のマドロックは、確かホームラン3本)
- 96 :
- 俺が買ってた頃は確か定価が600円で子供にとっては高い買い物だった。
別売りで球場セットがあって、A4位の紙に球場のイラストが印刷されただけもの(ちっちゃいプラスチック製のランナー付き)で
それだけで600円したのは子供ながらに詐欺だと思った。
- 97 :
- なんとなく守備力「D」にしてしまったら、ゾロ目全てエラーで大変なことに。
良く考えたら、草野球じゃないんだから、いくら守備が下手でも
普通6回に1回もエラーしないよな
- 98 :
- >>86
南海の白紙カードは 90 景浦安武 (あぶさん)にしてみた。 2-5 や 3-4 等なぜか出やすい目をホームランにして使用。
- 99 :
- このゲームで、ノーヒッター記録したことある人いますか?
私は90年度の大洋vs中日戦で、小松が9回裏1死まで行きましたが、代打の加藤博一に2塁打を打たれて達成できませんでした。
おしかったです。
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