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2011年10月1期模型・プラモ【長谷川藤一】職人モデラーを語ろう【中田正治】
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heller【エレール】のプラモデル
【マジで】ガンプラ上手に作りたい(´;ω;`)
♪バス模型スレッドPart16
【長谷川藤一】職人モデラーを語ろう【中田正治】
- 1 :10/11/27 〜 最終レス :11/12/11
- 艦船模型でまだングパーツなどなかった時代、プラ版と真鍮線などで素晴らしい作例を作っていた長谷川藤一氏、
今でもスケビで超絶技巧を披露してくれている筆塗りの職人モデラー中田正治氏、
同じく筆塗り職人モデラーで、今は所在不明の小坂勝巳氏らについて語りましょう。
- 2 :
- >今は所在不明の小坂勝巳氏
それって敬う気があったら書かないよな?
なにがしたいんだ?
- 3 :
- 小坂勝巳氏はどこで何をやっているのか、全く不明なんだもの。
もう模型雑誌に記事書かないし、インターネット上の消息も、
http://home.catv.ne.jp/kk/galland/article/katsumiku/bf109f.html
http://home.catv.ne.jp/kk/galland/article/katsumiku/f104.htm
http://home.f08.itscom.net/galland/article/kosakasan.html
以外にない。
- 4 :
- JMC会場に、中田正治氏の製作途中のハセガワ1/32 Bf109F マルセイユ機“黒縁
つき黄色の14”が展示されていたよ。
黒縁つき黄色の14とか、撃墜マークとか手描き。凄いですわ。
- 5 :
- オイラはフネの人だけど、長谷川さんの山城は凄かったなぁ。
後で知ったんだけど、長谷川さんの得意スケールは本当は
1/500なんだそうだけど。
ウンと昔、池袋にまだ「ホビースポットU」が有った頃、長谷川
さんの加賀と思しき作品が有ったなぁ。
当時も今も専門外ではあるけれど、小坂さんの製作記事も
読んでた。直接は関係ないんだけど、工作技法については
考え方が勉強になった。
…年とった今でもあまり上手くは無いんだけどさ…。
- 6 :
- >長谷川さんの山城は凄かったなぁ。
同意。MAの記事読んでチャレンジしたけど、おいらの腕ではダメだった。
- 7 :
- 東急ハンズ渋谷店がオープンしたてで、ホビー書籍店が5回にあった頃、
長谷川さんのフルスクラッチ1/500長門が飾ってあったね。
素晴らしい出来栄えだった。
- 8 :
- 長谷川さんは、いつ頃亡くなったの?
今のングパーツ全盛の艦船プラモブームを見たら、何て言うだろう?
- 9 :
- >>6
回天母艦の北上もすごかった。
存命ならグランプリの日本の戦艦も書いてほしかった。
>>8
t●ku●iの作例なんか見たらごちゃごちゃ過ぎてだめだしするかも。図面と写真
をよく見なさいって!?
- 10 :
- >>8
氏が亡くなったのは、栗又氏のサイトの記述によると
2000/4の初め。
今のングパーツ全盛のキット群見ながら、
「肩の力を抜いて、スケール相応の製作法で良いんですよ」
と言いながら、超絶工作の完成品が出てきそうな気がする…。
>>9
後、阿賀野改造の大淀とかも凄かったねぇ。
- 11 :
- むしろ、メーカーの差が大きく
ングも素材もろくに揃わない時代だったからこそ
氏の工作には説得力があったのかも
今はフジミの超絶ディテールキットに
KAあたりの超絶ングを組み込めば
そこそこ模型作れる人なら誰でも超絶級完成品が出せるからねえ
もし長生きされていたら、松本州平氏のようなポジションに落ち着いただろうか
- 12 :
- 長谷川氏は、カタパルトもプラ板と伸ばしランナーで作っちゃったりしてたね。
一方で、1/700のWLにはアンテナ線も張らなかった。
t●ku●iの作例なんか見たら、不快感を示すだろうね。
あと中田氏も、たまにWLの記事書いてた。
同じ本の中で、長谷川氏、中田氏、衣島氏と作例が並ぶと、衣島氏が
ダントツに下手だった。
- 13 :
- >>12
中田氏はタミヤの旧最上を凄く手を入れた作例が有ったよねぇ。
確かWLスペシャルのNo.4だと思ったけど。
アレ見て「分野に関係なく基本工作が正確に出来ている作品は
塗装さえ間違えなければ良い仕上がりになるんだ」と思った覚え
がある。
個人的には、長谷川氏の衣鉢を継いでいる作風に近いのは、
HJの木村氏かなと思ってる。
衣島御大は、腰を痛める直前の作品が、作例としては頂点に
近かったんじゃないかなぁ。
腰を痛めて休養を明けた後の作例は、老化が目に来ておられる
ような…。
- 14 :
- WLスペシャルの航巡最上も真似して作ったけれど、かっこよかったな!
先生の作品は船への愛着が感じられたよ!
俺も手摺、張り線のない木村氏の作例は大好きです。
- 15 :
- 小坂勝巳氏は、模型誌業界から、完全に足を洗ってしまったのかな?
- 16 :
- >>13
>アレ見て「分野に関係なく基本工作が正確に出来ている作品は
>塗装さえ間違えなければ良い仕上がりになるんだ」と思った
そういう言い方をすると、衣島氏は、基本工作がきちんと出来ていないと思う。
古鷹を完成時に改造した作例は、直線であるべきところがうねったりしていて
酷かった。
- 17 :
- >>16
御大は腰痛める前は其処まで酷くは無かったよ。
確かに長谷川さんとか中田さん程では無かったけど。
療養明けで艦スぺで出してたポートランドはかなり酷くて、
少々気の毒に思った覚えが有る。
- 18 :
- >>17
いや、衣島氏の改造古鷹は酷かったよ。
当時、中学生だったが、写真を見て、おいらも将来MAのライターになれると
思ったくらいだった。
- 19 :
- 中田さんが最新のスケールアヴィエーションにハセガワ1/32 Bf109F-4/Trop.マルセイユ機
の記事を載せているけれども、まだ完成していない。
- 20 :
- >>19
小さな写真見たけど、凄いね。撃墜マークのデコレーションまで手描きしてる。
- 21 :
- 小坂勝巳さんの消息知ってる人、いませんか?
- 22 :
- age
- 23 :
- 死んだよ。知らないの?
- 24 :
- 思い出したわ。
PPCの入賞作品をHJで記事にして、PPC終わらせたんじゃ
- 25 :
- >>23
長谷川藤一さんじゃなくて、小坂勝巳さんが亡くなったの?
中田正治さんより若いのに。
>>24
中田さんの黒歴史ね。
でも、たしかHJで記事にしたハセガワ1/32のスピットファイアを、レベル製と
偽って出品して(ハセガワ製は発売されたばかりで課題キットじゃなかった)、
揉めたんだったと思う。黒須吉人氏が、その辺のことを字にしていた。
中田さんは、その翌年から2年連続でPPC大賞(スピットファイアとBf109G)を
とったと記憶している。
- 26 :
- >>25
>黒歴史
英国の幽霊が入賞して、その翌月だかにHJに載ったのが…
というのを聞いたが、まぁ紀元前の話だしいいだろ。
- 27 :
- >>25
それはいつ頃のこと?
中田さんて、実はトラブルメーカーなの?
- 28 :
- 英雄はクソ
- 29 :
- 中田氏が悪いんじゃなく、当時モデルアートを敵視していたホビージャパンの
社長が暗躍した結果と聞いたよ。中田氏は善意で作品を提供したのにPPC
つぶしに利用されたみたいだね。
- 30 :
- 中田さんって、純朴でいい意味で無邪気な人だから、
そんな野中T雄さんみたいなことしないよ。
- 31 :
- あの時代の両誌の確執にメーカーの囲い込みライターの引き抜き合戦とか凄まじかったらしいですね
井田社長の本には一行も書かれてなかったけれど
- 32 :
- >>30
>中田さんって、純朴でいい意味で無邪気な人だから、
>そんな野中T雄さんみたいなことしないよ。
レプリカ立ち上げのことですか?
- 33 :
- >>31
>メーカーの囲い込みライター
たとえば誰?
- 34 :
- >レプリカ立ち上げのことですか?
モグラでしょ?
- 35 :
- モグラにT雄は関係ないだろw
- 36 :
- 中田さんがレベル製と嘘ついてハセガワのスピット出したのは
その前年でしょ。それを指摘されたのを逆恨みして次の年は
HJに製作記書いたんでしょうが。
- 37 :
- >中田さんがレベル製と嘘ついてハセガワのスピット出したのは
>その前年でしょ。
おいらがMAとHJを読み始めたのがその頃なんだが、
>それを指摘されたのを逆恨みして次の年は
>HJに製作記書いたんでしょうが。
ということはなかったよ。だから、おいらがMAを読むようになる前だと思う。
- 38 :
- 1975年のPPC大賞「ハセガワ1/32 F104」と金賞の「レベル1/32 F4-M」でダブル受賞
したときのことだな。
ハセガワの1/32 F-104が発売されたのはPPCの締め切り2週間ほど前なのに、
すべてのハッチを可動にして、エンジンや電子機器を作り込んだ超絶作品は、わずか2週間で
作ることは不可能だから、事前にメーカーから、キットの提供が受けられる出版社の協力が
なければ出来ないはず。完全な出来レースじゃないかと白けた記憶があるね。
そのキットがPPCの発表前にHJ誌に掲載されたり、金賞のF4-Mもそのあとの号に載った
ということは、キットの提供をしたのはHJだというなによりの証拠だと思うね。
当時としては珍しい詳細な製作過程を取材させているくらいだから、HJの仕掛けた罠に
嵌っちゃったんだろうね。
- 39 :
- HJってガンプラのイメージしか無いんだが
昔はMAに喧嘩売ってたのか
- 40 :
- >>39
HJは最初鉄道模型中心の時代が有って(信じられんだろうけど)、
その後長い間、ミリタリー中心でMAと喧嘩状態だった。
ただし、ガンプラを最初スクラッチ中心で特集して成功してから、
ガンプラ中心の紙面構成にして一時大成功を収めてたから、その頃
にはそんな関係も自然解消になってたりする。
- 41 :
- >1975年のPPC大賞「ハセガワ1/32 F104」と金賞の「レベル1/32 F4-M」でダブル受賞
>したときのことだな。
へーえ、凄いねえ。中田氏って、そんなに何度もPPC大賞を受賞したんだ。
中田氏を超える参加者がいなくなったのも、PPCがなくなった原因かしらん?
- 42 :
- >>41
最大の原因は基○外モデラー達が
自分のちっぽけな名誉のために
なりふり構わない行動に走ったから
選考結果に納得できない常連が
授賞式の後に審査員を長時間吊し上げる騒動も
そうこうしているうちにガンプラブームで
小売店がスケールの扱いを軒並み縮小、ハセ大打撃
ほとほと参ったMAはこれ幸いと手を引いた
- 43 :
- >>40
>HJは最初鉄道模型中心の時代が有って(信じられんだろうけど)、
鉄道模型ではなくミニカーでは?
- 44 :
- >>42
基地外モデラー大暴れの件に関しては、クロスの人も批判的に
書いてたっけ。
クロスの人の話題出すと荒れるかもしれんけど。
審査中ですら、
「あの作品は〜」
「あの作者は〜」
なんてタレこみチクリとか誹謗中傷がわんさと有った、という話。
2ちゃんでも居るけど、「自分が称揚される為には手段を選ばない」
って連中はいつの時代でも居た、という話でもある。
- 45 :
- その中の一人が中田氏、なんでしょ?
- 46 :
- >>45
中田氏は飛び抜けた技術を持っていたため、誹謗中傷の的にされてたんだね。
手塗りで吹きつけ塗装を超えるテクや、点検口やキャノピー、脚カバーなどを
可動にする技術は誌面からだけでは読み取れなかったが、池袋西武のWPC展示会で
作品を見てあまりのすごさに痺れたよ。
艦船モデルの河原サンとか、ヒコーキモデルの春日さんとか、名人が集まっていた
サークルだったけど、どの人も優しくて色々教えてもらったなぁ。
WPCはそのあとどうなったのか・・・。厨房時代のいい思い出だな。
- 47 :
- >>44
中田さんがハセガワスピットをレベル製と偽って出品したのを
MA紙面に書いたのもクロスさんだったな。
もう入賞のためには手段を選ばずって感じになってたんだろうな。
- 48 :
- 黒須…
- 49 :
- >>46
>中田氏は飛び抜けた技術を持っていたため、誹謗中傷の的にされてたんだね。
ふ〜ん。
>手塗りで吹きつけ塗装を超えるテク
模型を間近に見ると、中田さんの筆塗りでのぼかしの方が、吹きつけでやるより
リアルに見える。吹きつけのぼかしは、実物がやっている訳だから、模型だと
オーバースケールになるんだろうな。
でも、クリアを厚塗りするとき、ヒンジの真鍮パイプのところはどうしているん
だろう?
あと、中田さんの作品は、この厚塗りしたクリアが、経年変化で全体にひび割れ
するという話も聞いたんだけど、本当のところはどうなんだろう?
>池袋西武のWPC展示会
これは何ですか?
>艦船モデルの河原サン
河原さんも、筆塗り職人モデラーでしたね。
- 50 :
- 河原さんは工作技術がとんでもなかった
赤城三段甲板に屈曲煙突長門と大改造も躊躇なく
かつ改造跡がほとんどわからないセンスのいい仕上がりだった
もう亡くなられて久しいと聞いたけど
艦船の大型キットが湯水の如く出ている今だったら
どれほどの活躍が見られたことだろう
- 51 :
- 河原サンは1970年代前半から鉄道模型用の精密工具を使いこなしてたし、
イサムパテもいち早く使い出したし、改造の際には自分で図面を起こして
各種部品を自作するなど、お年の割に先進的なテクニックをお持ちでしたね。
春日サンが会長のWPC(ウエスタン・プラモ・サークル)艦船部門では
会員をリードされてました。
大人になったらWPCに入れて頂こうと思ってたんですが、1970年代後半に
西武デパートの模型売り場が縮小され発表の場がなくなったのが活動縮小の
きっかけだったみたいで、みなさんとお会いできなくなってしまいました。
もっと色々聞いておけばよかったのにと,今でも残念に思っています。
- 52 :
- 河原さんの本業は、自動車修理工場経営ではなかったでしょうか。
工具の扱いは本業と直結していたのかもしれませんね。
中田さん、長谷川さんの本業は何ですか?
- 53 :
- 年金暮らし
- 54 :
- 中田氏はケチ付けられてた方じゃなくて、ケチつけてた方だったらしい
というのを聞いたことがあるが、どっちが本当なのか
- 55 :
- 黒須さんこんばんはw
- 56 :
- 黒須なら、PPC審査委員の経験があるだろ
- 57 :
- 中田さんはコンテストに限ったことじゃなく
人の作ったものにケチつけたがる性格って話は俺も聞いたことがある。
もうずいぶん前のことだから今は性格丸くなってるかもしれないけど。
- 58 :
- 何だ何だ中田と黒須のの投げ合いかよw
- 59 :
- 長谷川藤一さん、中田正治さんの、現役時代の本業は何だったの?
小坂勝巳さんが亡くなったって本当?
- 60 :
- 中田さんは大手ゼネコン(というよりマリコン)にお勤めでしたね。
長谷川さんはたしか函館在住の先生じゃなかったかと。(お会いしたことがなかったので不確かです)
小坂さんについては私も知りたい。
- 61 :
- プロの音楽家(楽器演奏者)。
どこかのオーケストラに所属してた
と聞いたことがある。
- 62 :
- 小坂さんも、塗装や外から見える工作までは中田さんと互角だったけど、
中田さんみたいに点検口やキャノピー、脚カバーなどを可動にする技術
までは真似できなかったみたいだね。
- 63 :
- そんなことどうだっていいだろ?
中田が「標準」って誰が決めたんだよ?
くだらねぇライター批判してる暇があったら
手を動かしててめぇの積みを減らせよ
- 64 :
- Ta152本で中田氏の作品見たけど、あんまスゴイとは思わんかった。
あちこち開いたりしてスゴイ工作とは思うんだけど、スケールに
あってない所とか、塗装がはげちゃってる所とか。
- 65 :
- そんなことどうだっていいだろ?
おめぇが中田より上手ければ済む話だろ?
くだらねぇライター批判してる暇があったら
手を動かしててめぇの積みを減らせよ
- 66 :
- >>65
コピペツマンネ
- 67 :
- >>64
本は見てないけど、実物を見ると凄いよ。
- 68 :
- 河原さんの赤城三段甲板、屈曲煙突長門はMAかHJで記事になったの?
- 69 :
- 野中寿雄、後藤仁は、職人モデラーには入らない?
- 70 :
- 入らない。
前者はモデル作りより文章や絵描く方が好きだし、後者は健康上の理由で作れなくなった。
二人ともお元気なのでしょうか…
- 71 :
- 毛色は違うけど、おおくらとしおさんは職人と言っていい気がする。
少なくとも雑誌のライターとしては職人だったし、模型を楽しむ名人だったな。
- 72 :
- 生活破たん者が多いからな
プラモで職人になっても浮かばれん
- 73 :
- >>70
ならどうして、野中寿雄さんはレプリカを立ち上げたりしたんですか?
後藤仁さんが「健康上の理由で作れなくなった」って、どういうこと?
シンナー中毒?
今はブログで活動しているくらい? それともどこかで書いてる?
http://mark001.blog34.fc2.com/
- 74 :
- 知らないなら黙ってろよw
模型誌立ち上げたなら『職人』か?おめでてぇなw
だったら何で何回も印刷所の機械止めるようなドジ踏みまくって挙句の果てに廃刊たぁ
職人が聞いてあきれるぜw
後藤は温泉旅館でひっくり返って一時は意識不明の重体になる事故に遭ってる。
それで頸椎痛めて指先が不自由になったの。ブログ知ってるならちゃんと読んでろよカス!
- 75 :
- PPCといえば、F4のVANDY1のかっこよさにしびれたもんだ。
当時小学生で、かつ九州の田舎だったんで、キットを見たこともなかった。
モデルアートの背表紙が壊れるまで繰り返し読んだ。
そのころの達人で、たしか京都の方と聞いた覚えがあるが、
今井さんという達人がいた。
どの作品もまったく改造した箇所がわからない完璧な完成度、美しさをもっていた。
エアブラシも普及していなかった時代によくあれだけの作品ができたものだと思う。
本を食い入るように見ていたあの頃からずいぶん長い時が流れ、
俺も一応は作れるようになった。だが、今でも心の中の目標は今井さんだ。
PPCがなくなって今井さんの作品を見ることもなくなったが、今はどうしておられるのだろう。
- 76 :
- 今井建一さんね。俺もあの人の作品は好きだったな。ハセガワの零戦52型を
22型に改造してグロス塗装してたのなんかすごく印象に残ってる。
あの人とナカマ模型の池田さんって人の作品の印象は凄かった。
- 77 :
- 誰ですか?
- 78 :
- そう、その今井健一さんだ。
改造したゼロ戦の驚異的優美さに衝撃を受けた。これが飛行機模型の到達点だと思った。
ゼロ戦以外にも機体のコーションを初めて本格的に施したF86、どうやって改造したか、
子供には見当もつかないタンデムのハリヤーなんか今でも目に浮かぶ。
キャノピーを木型で作ることも初めて知った。
あれからずいぶん時がたった。いろんな趣味もかじってみた。
模型も自分がとうてい及ばぬ達人のいろんな作品を見てきた。
だが、あのPPCの今井さんの作品群は本当に昨日のことのように心から離れない。
- 79 :
- 読まなくなって久しいが、今のMAの職人って誰だろう
艦船以外は極端な改造名人芸は載せなくなったとも聞くが
- 80 :
- >>79
飛行機では松木さんかなぁ。
車は北沢さん。
艦船だと佐藤(美)さん。
異論は当然あり。
- 81 :
- >飛行機では松木さんかなぁ。
松樹さん?
だったら、中田さん、小坂さんには遠く及ばないね。
- 82 :
- >>81
うん、それは異論ない。誤変換はゴメ。
- 83 :
- >>74
後藤仁さん、いつ頃そんな大怪我したの?
サニーの店長辞めたのも、怪我のせい?
- 84 :
- グランパで書いてるんじゃ?>後藤氏
- 85 :
- 後藤氏が書いたグランパって何?
ググってみたけど分からない。
- 86 :
- グランドパワーだろ?
- 87 :
- グランドパワー見てないから、そこに書いた後藤氏の記事も読んでない。
いつ頃、指先が不自由になるほどの大怪我したの?
- 88 :
- 90年代初頭
お前、何でそう根掘り葉掘り聞くの?
記事も読まないくらいの興味しかないのに…
それからageんなよタコ
- 89 :
- agesageが極端に気になるようになったら一種の精神病、2ちゃん中毒w
- 90 :
- 工房の頃、長谷川藤一さんの、重雷装艦改造記事の載ったMAを古本で買って、
チャレンジしてみたけど、出来上がらなかった。
記事を読むと簡単そうなんだけど、実際にやってみると、すごい工作技術を
駆使しているのが長谷川さんの記事だったね。
- 91 :
- 今井健一さんのハリアーT2懐かしいな。キャノピーの美しさは溜息もんだった。
- 92 :
- 何年か前のスケビであの人は今みたいな企画に出てたけど、今は模型作ってないみたいだった。うろおぼえだがハリアーT2は今でもきれいに保管しているようだ。
- 93 :
- あれほどの達人がある時を境にやめてしまうのか。
俺はとてもあの域には達することができないが、下手なりに好きで一生プラモだけはいじり続けると思う。
- 94 :
- 今井さんもたしかに凄かったけど、長谷川さん、中田さん、小坂さんと違って
ライターじゃなかったから、露出が少なかったね。
- 95 :
- 現役の模型誌ライターで、職人モデラーといえるのは誰かな?
- 96 :
- ライターよりブログ系ですごい人いるよね。超絶作例は一般的じゃ無いんで今の模型誌では受けいれられにくいんだろうな。
- 97 :
- ブログ系ですごい人って、どんな人がいる?
ブログではない、個人運営サイトだと、「ペガサスの翼」なんかは、
下手な模型雑誌ライターより上手いと思う。
- 98 :
- >>95
ご隠居状態に近いけど、やっぱ中田さん
- 99 :
- >>97
この人すごいな。いや技術もさることながら、これだけ作り続けるエネルギーと
時間があることが。平日はプラモ作りなんて時間的にとても無理な俺から見れば
驚異的製作スピードだ。うらやましいよ。
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【マジで】ガンプラ上手に作りたい(´;ω;`)
♪バス模型スレッドPart16
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