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2011年10月1期大河ドラマ【第十五回】太平記 part.15 TOP カテ一覧 スレ一覧 削除依頼
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【第十五回】太平記 part.15


1 :11/11/18 〜 最終レス :11/12/23
放映年:1991年
原作:『私本太平記』(吉川英治)
脚本:池端俊策、仲倉重郎
音楽:三枝成彰
主演:真田広之
前スレ
【第十四回】太平記 part.14 【秋霧】
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1317814241/

2 :
これの翔んでる奴のとこ明らかに日野殿乗せるシーンと同じだよな
http://www.youtube.com/watch?v=iXpUSlPk2G8
つか人間扇風機て何?

3 :
そういえば前スレの最後のほうの話だけど、「延喜・天暦」で一括りにする用法は、
「太平記」の時代には確実にあるでしょう。
そうでなきゃ後醍醐も、「延喜・天暦の御世に戻れ」なんて言わないはず。

4 :
出演 足利尊氏
歌唱 足利義昭
http://www.youtube.com/watch?v=r_W0cI39Oo0

5 :
>>1おつ

6 :

7 :
>>1
大儀であった。

8 :
>>4
なんだそりゃw

9 :
これがマスコミの編集による矮小化
176 :七つの海の名無しさん:2011/11/17(木) 21:57:56.45 ID:gClQt5ed
【重要】 ブータン国王の演説の報道は、重要な部分がことごとく反日マスコミにカットされて報道されています
「世界史において、かくも傑出し、重要性を持つ機関である日本国、(その)国会の中で、」 →★全部カット
「ブータン国民は、常に、日本に、強い、愛着の心を持ち、何十年もの間、偉大な日本の成功を →★全部カット
心情的に分かち合ってきました。」
「日本は、当時外国の領地(植民地)であったアジアに、自信とその進むべき道への自覚をもたらし
以降、日本のあとに続いて世界経済の最前線に躍り出た数多くの(アジアの)国々に希望を与えてきました」 →★全部カット
「日本は、過去においても、現代においても、世界のリーダーであり続けます」 
「このグローバル化した世界において、日本は、技術と革新の力、勤勉さと責務、強固な伝統的な価値における模範
であり、これまで以上にリーダーにふさわしいのです。」 →★全部カット
「世界は、常に、日本のことを、大変な名誉と誇り、そして規律を重んじる国民、歴史に裏打ちされた誇り高き伝統を持つ国民、
不屈の精神、断固たる決意、そして秀でることに願望を持って、何事にも取り組む国民、知行合一、兄弟愛や友人、
ゆるぎない強さと気丈さを併せ持つ国民、であると認識してまいりました」 →★全部カット
「他の国であれば、国家を打ちのめし、国家を打ち砕き、無秩序、大混乱、そして悲嘆をもたらしたであろう事態に
日本国民の皆様は、最悪の状況下でさえ、静かな尊厳、自信、規律、ここの強さを以って、対処されました」 →★全部カット
他にもカットシーンがたくさんあるので、元資料で↓確認してください
http://news.nicovideo.jp/watch/nw147415
http://www.youtube.com/watch?NR=1&v=FtxuPyRNszY

10 :
>>4
しかも撮影地は京都(伏見稲荷大社)だな

11 :
>>10
尊氏は本当に京都が好きなんだな

12 :
信長の親子関係は信秀→信長も信長→信忠もドメスティック感満載だったけど
太平記は貞氏も尊氏も過保護だったよね
尊氏登子義詮の夕食シーンとか
らしくて好きだな

13 :
>>3
というか、「延喜」は醍醐天皇、「天暦」は村上天皇の代名詞というべき
ものだな。
奈良末期〜平安初期のあたりは、完全な一世一元とまではいかないものの、
新帝の即位以外での改元があまり行われないため、結果的にそれぞれの
天皇の治世が特定の元号でイメージされるようになる。
ドラマでも醍醐天皇のことを「延喜の帝」と言っている場面がある。
光仁天皇=宝亀の帝
桓武天皇=延暦の帝
平城天皇=大同の帝
嵯峨天皇=弘仁の帝
淳和天皇=天長の帝
仁明天皇=承和の帝
文徳天皇=?
清和天皇=貞観の帝
陽成天皇=元慶の帝
光孝天皇=仁和の帝
宇多天皇=寛平の帝
醍醐天皇=延喜の帝
朱雀天皇=?
村上天皇=天暦の帝

14 :
>>3
このドラマの時代考証を信用ってことか?
一般的には、ドラマにあったから史実とは限らんと思うが

15 :
「延喜・天暦の御世に戻れ」
「朕が新儀は未来の先例たるべし」
のような後醍醐の言葉(というか建武政権のスローガン)は、一応史料的根拠があるもので、
脚本家やドラマ製作陣の創作ではないはず。

16 :
何だ。
それならそうと(ry

17 :
つうか後醍醐天皇の理想が延喜天暦だったなんてことは、
教科書とかに普通に載っているようなレベルの知識だろ。

18 :
>>17
ごめん俺ゆとりだから知らねーわ

19 :
いや、ゆとり世代の教科書にも普通に書かれていたぞw

20 :
教科書は何種類もあるんでな。
あと、そこまで常識ならそもそも「当時も言ってたのかな」なんて
言い争いにはならんだろ。
それと細かい話だが、後醍醐の理想がそれだったのか、ということじゃなくて
『「延喜・天暦」で一括りにする用法』があったのか、ということ

21 :
空気読めない友達少なそうなやつばっかりだな

22 :
大河でスルーされてる時代の一つが延喜・天暦年間だからやむをえまいて
皇統断絶の危機を迎えている今だからこそ傑作がのぞまれる時代なのだが

23 :
>>19
つか俺教科書開いたことなかったわ
闘鶏のがおもしれーし

24 :
>>22
『風と雲と虹と』の序盤は延喜年間ですよ。

25 :
つまらんことで考えもなしに開き直るからゆとりって言われるんだよ

26 :
>>20
一応ゆとり時代に出版された大学受験向け日本史用語集によると、
高校の日本史B教科書全19種類のうち、17種類に「延喜・天暦の治」の用語が載っている。
一応参考までに。

27 :
>>26
疑問は「当時からそういう言い方をしたか」じゃないのか?
教科書の件は、情報ありがとう

28 :
延喜天暦でひとくくりの用例は古典太平記にある
延喜天暦「の治」が同時代の文書に用例があるかまではしらない
「延喜・天暦の治」は高校の授業で習う常識ではある

29 :
延喜天暦は鎌倉時代の文献でミタ記憶があるが思い出せない
貞永貞応も鎌倉時代の文献でみた記憶があるが思い出せない
おそらく、そんなに離れてない時代、元号の記憶が残ってる頃にはその言葉が生まれていたと思われる
時代がくだって当時から離れてしまうと、かえってそういう元号のくくりはしないものだ

30 :
「延喜・天暦の治」が固有名詞みたいなもんじゃないの?
それが、現在の視聴者にはある程度なじみのある概念だから
劇中で使用したってだけなんじゃないかなあ。
逆に、当時の人々が使用していたとされても
現代の人にとっては意味のよくわからん言葉を使われてもどうかと思うが。
程度の問題ではあるけど。

31 :
>>28
延喜・天暦を一纏めにする用法は、古くは『大鏡』とか平安後期成立の文献で既にあると思う。
>>29
貞永と貞応って、貞応のほうが時期的に先だと思うけど、貞永・貞応の順でいいの?
しかし…みんな延喜・天暦だけでよくそんなに熱くなれるね。

32 :
「ワシは、いくさはせんぞ」
尊氏の、自信に裏打ちされた平和主義がカッコよかった
あられをボリボリ食べながら、余裕があった

33 :
貞永貞応はなんで逆になってるかしらんが、あいうえお順だったりしてw
これはどっちかというと義時泰時父子という言い方の方がその後の文献では
多くみられるように思われる
建武式目では義時泰時父子の言い方を使っていた
延喜天暦の方は恐れ多くも帝のことだから、諡号をいうのははばかられ
元号のいいまわしが広く使われたのか

34 :
昔の人は聞こえ方とかで字列決めてたらしいからな
士農工商とか
そういう小さいとこからウツクシキ世を目指してたんだ

35 :
>>33
確かに『建武式目』の中に、
「遠くは延喜天暦両聖の徳化、近くは義時泰時父子の行状を以て近代の師と
なし、殊には万人帰仰の政道を施さるれば、四海安全の基たるべきか」
という部分があるね。
ただ延喜天暦は天皇の諡号を言うのが憚られたというより、>>13
言うように、醍醐=延喜帝、村上=天暦帝というような天皇を元号で言う
概念があったからだろう。
(というか厳密には「醍醐」「村上」は追号であって諡号ではない)
なおこの大河ドラマの中でも、後醍醐帝が
「延喜の帝の御世はいかなるものか?」
と皇子(恒良)に質問し、それに対して恒良が
「摂政関白を置かず帝が自ら政を行う御世なり」
と答えている場面があった。

36 :
なるほど
確かに、元号って天皇とくっついたもんだな
現代なんてその最たるものだしw

37 :
元号って本来は皇帝が空間だけでなく時間も支配するという思想のもとにあるのだから
猫の目のようにくるくる変えるほうが変なんだよな
古代だと××天皇のn年て呼んでるし
現代のように一世一元のが正しい

38 :
>>2
こういうの見ると黒歴史としか思えないが
ここで鍛えられたからこその乗馬技術なんだよな
激走する馬上に刀くわえて立ち上がるってあり得ないシチュエーションだ
しかもこれジャッキーブームの影響でノースタントなんだよな
まあなんにせよ全裸になる必要は全くないな

39 :
本当の意味での暴れん坊将軍・モリナガ失脚!
尊氏との対面ではちょっとしゃべり過ぎだが、負けを認めて潔かったよ

40 :
>>39
当時も思ったんだけど、ドラクエ3のゾーマっぽい内容の語りなんだよね。

41 :
>>40
復刻版か?
ドラクエ3はやったが、まったく覚えてない

42 :
>>41
FC版も同じですよ。
当時はSFC版ないです。

43 :
>>37
安和の変以降の摂関全盛期あたりから、やたら改元の頻度が高くなっていく感じなんだよな。
ある意味これも、朝廷の運営が儀礼重視の形式的なものに変化した結果なのかも。
しかし南北朝合一後の応永年号以降は、再び改元の頻度が低くなる。

44 :
あんなに勇ましい麿は今まで見たこと無かったな
すっきりしていて気分良かった

45 :
そうそう麿がいっぱい出てきて戦いまくるなんて太平記だけだよな

46 :
>あんなに勇ましい麿
時宗のときに一人いたけどなw

47 :
尊氏に力量を認めたからこそ倒そうと思った、と
ただの狂犬じゃないとこも見せたぜ

48 :
新・平家物語の藤原頼長=成田三樹夫も相当だったけど・・・

49 :
時宗のマロは勇ましいといえるのかw
堤の話し方、当時も今もなんかワラエルのだが、あれはあれで味があっていいな

50 :
「血気盛ん」を文字通り体現したよw
ずっと出てくるとうざいだろうが、そろそろ消えるんでちょうどいいw

51 :
>>49
吹越のことじゃねーだろ

52 :
>>50
最初は暑苦しくて尊氏に因縁つけて突っ掛かってきて嫌な奴だったのにな
敵こそが最大の理解者的な

53 :
じゃあ誰? 切腹マロのこと?>>51

54 :
しかし、ドラマみてるとやっぱ後醍醐って無能に思えるね
自分の足場を切り崩すことを自分でしてるというか

55 :
足場を切り崩すって具体的な何処よ?

56 :
息子をなんで足利に渡すの?

57 :
護良に関しては、後醍醐に無断での綸旨偽造とかの件もあるし、
足利がどうこうより後醍醐自身が護良を煙たがったんだろう。
それに護良を排除したい廉子派の思惑がリンクし、
護良が尊氏排斥に失敗したのを気に一挙に失脚させた。

58 :
護良、足利を警戒して後醍醐を支えるなら力になるだろうが
すぐにでも足利を倒そうとして火種をまくばっかりだったからなあ。
で、結果足利に人が集まって強化されることになったと。
切るのも残すのも問題ありというやっかいもんだった。
後醍醐の言うとおり、「護良に尊氏のような器量があれば」

59 :
後醍醐と護良も、結局のところ目指していた方向性が一緒ではなかったのが大きい。
後醍醐の理想は延喜・天暦の治に倣った天皇親政だけど、
護良は討伐戦を通じて関係を持った悪党連中(新興武士)を率いて、
自らを征夷大将軍にするよう後醍醐に要求したわけで。

60 :
>>47
力量以前に「お前がどう思おうとお前の立場がいずれ帝を脅かす」って事を
一番に主張したかったんだろうな>護良
尊氏の意志に関係なくいずれ不満に思う武家連中がお前を持ち上げ
武器を取り戦う・・・悲しいかな彼には人望と知恵が尊氏に及ばなかったが
ところで廉子役の人って見てくれがそんなに美人で無いからか
嫌らしい雰囲気が2割ほど増してると感じるのは俺だけだろうか?
あれが顔の整った人が演じてたら単なる悪女にしか見えなかったけど
顔がそれほどじゃない分知恵使って騙す腹黒さが出ていたと思う

61 :
原田美枝子は美人は美人だが、
冷たくて、ややキツい感じの美人かな。
「北条時宗」では、足利泰氏の前妻という役で出てるが
これがまた廉子をさらに黒くしたようなキャラだった。

62 :
>>61
原田美枝子は北条時宗で足利に天下を取らせるために工作しまくってたのに、
太平記では半世紀強後に足利氏ねで工作しまくり。
西岡徳馬は北条時宗で原田美枝子の元夫で足利を守るのに必死だったのに、
太平記では半世紀後に足利いびりをやりまくった挙げ句足利らの挙兵により自害。
因果なものですな…。

63 :
>>60
俺は昨日放送の護良・尊氏対面では、護良の尊氏への個人的評価を強調したと見たな。
なので、スポーツ選手が対戦した後のようなすがすがしい感じになった。
「武家の頭領だから叩く」という面は護良は今までもずっと示してきたと思うんで。

64 :
ただ、公家が護良親王のように戦い、
直接支配しようとしたら、それはもう武家なんだよな。
北畠がそうなったように。
公家の支配体制を維持出来なかったのは歴史の必然だったとしか言いようがない。

65 :
実際、護良と尊氏の対立は、武家の統率という部分で、
どちらが主導権を持つかの争いだった面もあるからね。
倒幕戦を通じて畿内新興武士(悪党)の盟主的存在となった護良と、
旧鎌倉御家人系の武士達から絶大な支持を受ける尊氏という構図。

66 :
室町幕府成立後はそれが師直vs直義になるって感じなのかね

67 :
幕府成立後、というと、後に三管領家にかぞえられる畠山氏と斯波氏は影が薄い。
細川一族、上杉一族はそれなりに出番が増えるのに。

68 :
だから、武力で幕府を倒したくせに、武力をどう統制するかのプランが
後醍醐には見えないんだよ
だから無能に見えるわけで
まさか、みなへへーと自分におそれいると脳内花畑だったわけでもあるまいに

69 :
>>66
その時期は武家支配が明確になり、武士同士の勢力争いに
南北朝を利用しただけだと思う

70 :
斯波は北陸方面が主戦場じゃなかった?
畠山は直義派だったような

71 :
>>68
つうか無能だよw
鎌倉倒幕から南北朝で戦乱が長引いたのは
一にも二にも後醍醐が無能なくせに行動力だけが抜群にある天子という最悪な存在だったから
まあ、日本の天皇制度の中でなぜタイミングであそこまで行動力のある天子が出てきたのかってのも謎というか
歴史が産み出した異端というべきか

72 :
武家政権が長く続きながらもそれほど長くなかったからだろ
この時点ではまだ鎌倉だけだから
その後すぐ室町になって京都が焼け野原になって戦国でさらに衰退して
徳川政権にもなればぐぅの音も出ない状態に

73 :
>>68
武力で倒したって言っても後醍醐は種はまいたけど幕府が倒れる時には隠岐を脱出するのがせいぜいで
「ようしいよいよ幕府を倒すぞ」って倒幕成し遂げたわけじゃないからな。
その後の政権構想など大して考えてなかったかと

74 :
>>70
いや、史実の話でなく、ドラマのキャスティングとか出演回数とかの事で・・
細川なんか傍流の顕氏がウルトラセブン、管領家の祖となる頼春が芹沢名人と
いうw

75 :
>>71
行動力も能力のうちとして、無能ではなかったと見てる。
武家が支配するようになってすでに百数十年、どうあがいても公家が支配を取り戻すのは無理だった。
後醍醐が下手に有能だったために、「もしかしてできるんちゃうか」みたいな幻想が生まれ、
武家との内乱が延々と続くことになった

76 :
まともに力づくでやるなんてダメだよ
武家を分裂させてあやつってむふふとしてこそ京の政権だろw
ところが、後醍醐以前に皇室と公家自体が二つに分裂したから
武家に逆にあやつられるようになってしまった
武力だけでなくて政略でも負けたらもうダメだな

77 :
ということは鳩山もある意味有能だったのか

78 :
公家は不快な女みたいな笑い方をするけどこれは事実だったんだろうか
歴史ドラマでは当たり前だが
武家と公家が出てくるものでは
公家は視聴者には嫌悪されるものが多いからふと疑問に思った

79 :
>>78
そりゃあ公家からすりゃ武家のガハハハハーな笑い方が不快なわけで

80 :
後醍醐は単に「壊し屋」であって、「建設屋」じゃなかったんだろう。
西郷や小沢と同じ。

81 :
夢見る理想主義者だし鳩山系だなゴダイゴ

82 :
新しい風に心を洗おう 古い夢は置いていくがいい
ってことだな

83 :
本放送当時、一緒にみてたかーちゃんがぼそっと
もりながかわいそう・・ 親が捨てるなんてひどい・・
といってたな

84 :
>>83
お前んとこのかーちゃん義経大好きだろ

85 :
かーちゃんは義経はあまり好きではないみたいだ
ちび男には興味ないようで

86 :
>>78
ま、時代劇は普通公武両方出てきても主人公は大抵武家だからな。
武家の足を引っ張る公家は陰険かイヤミか臆病って相場が決まってる。

87 :
>>76
元々は武士なんて政治が出来る連中では無かったんだけどな
鎌倉幕府の権限が弱かった
(その上、北条は将軍ではなかった)
が故に、政治力が物凄く鍛えられた

88 :
両統迭立なんて別に幕府がしかけたわけでもなんでもない
勝手に朝廷の方で二つに分裂して内部抗争したわけだからな
しかし西園寺家は大河では不運だw
草燃えるでは抹されて会話の中で名前が出るだけ
時宗では反幕府勢力にされた上に、死んだはずなのに延々と生き続けさせられて
やっとまともに描かれる?大河が情けないお公家役w

89 :
>>88
罪滅ぼしに西園寺公望主役大河が必要だな

90 :
西園寺公宗を演じた長谷川ショパンは
後に「純情きらり」で、架空のピアノ教師「西園寺公麿」を演じた。
公宗にちなんだ名前らすいよ。

91 :
ウルトラマン80・・・

92 :
>>78
後期の室町将軍も武家の棟梁なのに公家化ということでデフォルメされる。
義昭は完全にバカ殿扱いだし、今期あった塚原卜伝の将軍義材も
妖怪みたいだった。そして共通してヒステリック・・・。

93 :
よくあることとは申せ、オリジナルキャラのスーパーマン化・便利キャラ扱いが
激しくござる
うまの介の、後世の霧隠才蔵もかくやと思わせるような活躍ぶり

94 :
たまにはお手紙作戦で信長を追いつめた
キレモノの足利義昭をみたいものだ

95 :
>>67>>70
南北朝初期だと、畠山は当主が若年ということも、存在感の薄さの一因だろう。
斯波については、足利将軍家と距離があるからか、ドラマでも配役つきでの登場はなかったが、
セリフ上では何度も出てきている。
あと三管領家といっても、いろんな経緯があったなかで、
細川と斯波に関しては義満初期には既に管領家として確立していたと思うが、
畠山の場合は少し時代が下ってから意図的に第三の管領家に仕立てあげられた感じがある。

96 :
>>75
南北朝の内乱を公家vs武家の二項対立で見るのは、どうかと思うよ。
公家全体のなかで、南北朝分裂後に南朝方になったのはごく一部だけ。
ドラマでも描かれていたけど、公家の大半は後醍醐の、
独善的で行き当たりばったり、かつ先例・慣習無視の政治姿勢に嫌気が差していたわけで。
南朝へ行った公家というのは、基本はごく一部の後醍醐と個人的に親しかった奴らと、
あとは北畠のような理屈屋だけだろう。

97 :
大塔宮って反乱軍に捕まってたらどうなってたんだろう

98 :
大塔宮が鎌倉将軍
時行が執権

99 :
もともと後醍醐なんて中継ぎの帝じゃん
てな意識だったりしてお公家さんたち

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