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2011年10月1期心と宗教【天】日本儒教(儒学)【地】 TOP カテ一覧 スレ一覧 削除依頼
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【天】日本儒教(儒学)【地】


1 :09/02/22 〜 最終レス :11/12/27
日本儒教は中国、朝鮮儒教の弊害である小難しい理屈を
廃し、天地自然の道に還るかんながらの道である。
天地に還り仁義の正道を歩むことこそ人本来の生きる道です。

2 :
世の中を救いたければ、まず自分自身を救わなければなりません。
自分自身を救うとは即ち、己に克つことです。

3 :
我欲を絶ち、天地に還ること。
それが自然な人の道です。

4 :

伊勢の大廟には
応神天皇の御世に王仁が
献上した論語、千文字を
菅原道真公が筆写した
ものが伝わっているという。
世に菅本論語と言われているという。

5 :
天照皇大神に恥じぬ
清い義の国を築きましょう!

6 :
利よりも尊いものが
この世にあることを示すのじゃ。
義とは人が人であることの
美しさ。

7 :
>>1
王陽明って知ってる?

8 :
スレタイこんなだし、当然知ってるんでは?
アプローチは違うけどやってることは禅と同じみたいね。
禅の方が効きそう。
でも儒教の一派なせいか実生活で非常に役に立つ。

9 :
王陽明はもちろん知ってますよ。

10 :
天地自然の道に従い
天地とともに清々しく生きる。
ただそれだけでいいと
思います。

11 :
「仁」
人をいたわる気持ち、
人を思いやる気持ち。
仁こそは人が人たるゆえんです。

12 :
は自然な行為なのでありです

13 :
本場の儒教を薄めて儒学にして「日本教」に組み入れる手法で、日本人は中国儒教を咀嚼してしまったようだね。

14 :
戦国時代の武士たちも大事にした「五常の道」

「仁」思いやり、やさしさ
「義」恩に報いる、恥を知る
「礼」和を乱さない心がけ
「智」智慧
「信」友と自分自身を信じる、信頼される

15 :
>>13
本場儒教はいろいろ濃すぎですね。

16 :
いろいろ小難しく非実践的な小理屈は
日本人には合わないし、
そもそも意味がない。

17 :
『南総里見八犬伝』は、室町時代後期を舞台に、安房国里見家の姫・伏姫と神犬八房の因縁によって結ばれた八人の若者(八犬士)を主人公とする長編伝奇小説である。
共通して「犬」の字を含む名字を持つ八犬士は、
それぞれに仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の文字のある
数珠の玉(仁義八行の玉)を持ち、牡丹の形の痣を身体のどこかに持っている。
関八州の各地で生まれた彼らは、それぞれに辛酸を嘗めながら、因縁に導かれて互いを知り、里見家の下に結集する。
『八犬伝』にもっとも強い影響を及ぼしているのは『水滸伝』である。たとえば『水滸伝』では百八の魔星が飛び散り、のちに豪傑英雄として各地に現われるが、『八犬伝』では八つの数珠玉が飛び散り、のちに八犬士として世に現われる、というように発端と構成が共通する。
粗暴な部分もある『水滸伝』の英傑たちの物語を換骨奪胎したものが『八犬伝』であり、忠臣・孝子・貞婦のおこないは報いられ、佞臣・姦夫・毒婦のおこないは罰せられる、儒教的道徳にもとづいた勧善懲悪の物語となっている。

18 :
敬天愛人  西郷隆盛
道は天地自然の道なるゆゑ、
講學の道は敬天愛人を目的とし、
身を修するに克己を以て終始せよ。
己れに克つの極功は
「毋意毋必毋固毋我」と云えり。
總じて人は己れに克つを以て成り、
自ら愛するを以て敗るるぞ。
道は天地自然の物にして、
人はこれを行うものなれば、
天を敬するを目的とす。
天は我も同一に愛し給ふゆえ、
我を愛する心を以て人を愛する也。
人を相手にせず、天を相手にせよ。
天を相手にして
己れを尽くし人を咎めず、
我が誠の足らざるを尋ぬべし

19 :
おお!同志の支援書き込みかたじけなく思います。
ともに仁義の道を歩みませう!

20 :
「その道を尽くして
死するものは正命なり」
(孟子)

21 :
子曰く、君子は器ならず
孔子は言った、君子は器ではない。
子夏曰く、小人の過つや、必ずかざる
子夏は言った、心の小さい人間は失敗をやらかすと誤魔化すことばかり考える。

22 :
もはや、現実の世の中を救えるのは
日本的な儒教しかないと
思います。
いでよ大西郷。

23 :
この板では
神だとか仏だとか霊だとか
そんな話しを延々長々繰り返しているようですが
そんなことで人々は救われますか?
神や仏は敬えども、頼らず。である。

24 :
>>23
日本儒教は仏教僧が道徳や教養として学んでいたのが出発点という話もある。
神仏を尊び儒学で身を修めるのが日本人の普遍的な宗教観だったのだと思う。

25 :
儒教
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%84%92%E6%95%99
儒教(じゅきょう)とは、孔子を始祖とする思考・信仰の体系である。
紀元前の中国に興り、東アジア各国で2000年以上に渡って強い影響力を持つ。
その学問的側面から儒学(中国語: Rúxué(ヘルプ・ファイル))、思想的側面からは名教・礼教ともいう。
大成者の孔子から、孔教・孔子教とも呼ぶ。中国では、哲学・思想としては儒家思想という。
東周春秋時代、魯の孔子によって体系化され、堯・舜、文武周公の古えの君子の政治を理想の時代として祖述し、仁義の道を実践し、上下秩序の弁別を唱えた。
その教団は諸子百家の一家となって儒家となり、徳による王道で天下を治めるべきであり、同時代の武力による覇道を批判し、事実、そのように歴史が推移してきたとする徳治主義を主張した。
その儒家思想が漢代、国家の教学として認定されたことによって成立した。

26 :
儒(じゅ)の起源については胡適が論文「説儒」(1924年)で「殷の遺民で礼を教える士」として以来、様々な説がなされてきたが、近年は冠婚葬祭、特に葬送儀礼を専門とした集団であったとするのが一般化してきている。
そこには死後の世界と交通する「巫祝」(シャーマン)が関係してくる。
そこで、東洋学者の白川静は、紀元前、アジア一帯に流布していたシャーマニズムを儒の母体と考え、
そのシャーマニズムから祖先崇拝の要素を取り出して礼教化し、仁愛の理念をもって、
当時、身分制秩序崩壊の社会混乱によって解体していた古代社会の道徳的・宗教的再編を試みたのが孔子であると主張している。

27 :
抗儒焚書

28 :
【偽医療】AKA 関節運動学的アプローチ【インチキ医療】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/body/1211885077/
千城台クリニックのAKA療法による不正請求返金
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/healing/1207056268/
【肩こり腰痛】日本関節運動学的アプローチ(AKA)医学会
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/hosp/1229493132/

29 :
上杉謙信家訓 十六箇条
http://上杉謙信.jp/index.php?%BE%E5%BF%F9%B8%AC%BF%AE%B2%C8%B7%B1
1.心に物なき時は心広く体泰なり
2.心に我儘なき時は愛敬失はず
3.心に欲なき時は義理を行ふ
4.心に私なき時は疑ふことなし
5.心に驕りなき時は人を敬ふ
6.心に誤りなき時は人を畏れず
7.心に邪見なき時は人を育つる
8.心に貪りなき時は人に諂うことなし
9.心に怒りなき時は言葉和らかなり
10. 心に堪忍ある時は事を調う
11. 心に曇りなき時は心静かなり
12. 心に勇みある時は悔やむことなし
13. 心賤しからざる時は願い好まず
14. 心に孝行ある時は忠節厚し
15. 心に自慢なき時は人の善を知り
16. 心に迷いなき時は人を咎めず

30 :
おお、かたじきなき
支援の書き込み。
2ちゃんねるの片隅の
この壱スレッドから
世に仁義が再び広まることを
願ってやみません。
思うに世を救うためには
現実の世の中を救えなければなりません。
そして、世の中を救うためには
まずは民一人一人が
己が身を修める努力を
しなければならないのです。

31 :
>>23
そうですね。
そして、時代が下り江戸時代の頃になると
主に神官なども取り入れていたようです。
私は仁義の道は言葉や用語は
中国から学んだものですが、
その精神はもともと日本にもあったものに間違いないと
感じます。
なぜなら仁義の道は天地自然の道であり、
それはこの地あるところ
どこにでもある自然の
道だからです。

32 :
間違えました。
>>31>>24に対してです。

33 :
この天地の大道は
すでに多くの古典が出版されているので、
誰でもいつからでも学ぶことが
できるまさに人類の遺産です。
しかし、日本的儒教の伝統の本旨は
まさに仁義の実践にあり、
学問は手段に過ぎないのだと
教えてくれています。
これは中国、朝鮮儒教が
失敗した歴史の反省でもあります。

34 :
私自身がまったく勉強不足なので
なかなか主張しづらいのですが、
ただ、私は日本儒教とは
「どれだけ儒教の知識があるのか、ではなく
どれだけ仁義を行い身を修めているか」
で評価されるべきだと
思います。
則ち、儒教や儒学をまったく知らなくとも
仁義を行い身を修めている
人は、大道を歩む人なのです。

35 :
世に敬天之民が増えることを
祈念します。

36 :
まことに日に新たに、
日々に新たに、又日に新たなり
(大学より)

37 :
【生死】日本陽明学 【超脱】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1142239107/

38 :
>>34
王陽明が、人間を金(きん)に例える話があるのですが、
個人の才能力量は金の重量で、これは個人差がある。
しかし精錬して完成された金の純度においては、量の違いはあれど、
10キロの金も1キロの金も変わりがない。
才能や力量にかかわらず、心を精錬していけば誰でも聖人になれるんだと教えています。
聖人の条件は知識や才能ではなく心の純粋さだということなのでしょう。
知識の量を求めるのではなく、
人欲を去って天理を在することあるのみだと。

39 :
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6312091
儒学

40 :
神仏を尊び儒学で身を修める。
日本の伝統が復活するように祈願を込めて
武士道精神

41 :
神仏儒
三教帰一の道を行け

42 :
>>38
さすが王陽明先生ですね。
「天即良知也」
私欲を去れば我が心は天!

43 :
>>41
>神仏儒
道教を加えて「四教帰一の道」とするのは無理か?

44 :
>>43
どうだろう?
仏儒と比べると、道教はそこまで日本には浸透していないような気が・・・

45 :
道教に由来するものは結構あるんだが気づかれてないことが多い。
風水とか仙人とか道(タオ)の思想とか気功とかな。
キョンシーの額に貼ってある黄色いお札は典型的な道教の呪術。

46 :
四教帰一?
そいつはずいぶんと志が低い話だな。
すでに世界はインターネットによる超国際化時代に突入している以上
八百万教帰一くらいでちょうどいいだろう。

47 :
汚職が文化となり民度が低い中国…原因は儒教か?
http://konn.seesaa.net/article/9580983.html
 そもそも、マックス・ウェーバーに言わせれば、『論語』というのは孔子と弟子たちの対話集なのだから、インディアンの酋長と村人たちの寄り合いを記録したようなものであって、天下を治めるような政治論理ではない。
 つまり、非常にざっくばらんな内容であって、天下国家論としてまともに取り合うようなものではない、ということになる。
 中国の汚職文化を考える際にさけて通れないのが儒教である。「儒家理論」、あるいは「儒家倫理」といってもいいが、その理論上の欠落が官僚の際限のない腐敗の原因となっている。
 たしかに、儒教というのは「四維八徳」(四維=礼・義・廉・恥、八徳=仁・義・礼・智・忠・信・孝、悌)を唱えている。
 現在でも台湾の小中学校の校訓に四維八徳があったりするけれども、このなかの「廉」というのが、じつは儒教では理論化されていない。
 「廉」は要するに「清廉潔白」だから、素直に捉えれば汚職などもってのほかとなるが、いかにして汚職を防ぐか、という具体的な方法論にまで理論化されてはいないのだ。
 これが儒教理論の大きな欠落だといえる。
 むろん、儒教の政治思想のなかでいちばんコアの部分と言うのは、天子という有徳者が統率者になって、万民を徳化するということに尽きる。
 たしかにこれが実現すれば、「廉」の理論化などは必ずしも必要ないだろう。しかし実際には、天子の感化力には限界があるのである。

48 :
 もう一つ、儒教理論で非常に矛盾していることがある。孔子・孟子は性善論をとっているが、先にも述べたとおり、人間の本性が善であるならば徳化が必要なはずはないという大矛盾である。
 しかも天子の感化力がおよぶ範囲と言うのは非常に限定されている。仮に歴代の天子が有徳者だったとしても、側近すら徳化できたためしがない。
 宦官、廷臣といった側近にすら感化力を発揮できず、ほとんどやりたい放題にさせて国政を乱すのが王朝末期のパターンである。
 天子の徳は側近にすらおよんでいないのだから、あまねく万民を徳化するなどという理論はなおさらおかしい、ということになる。
 そして、現実に官僚が従うのは清廉の倫理ではなく、「権」と「利」の論理である。官僚の職務を考えてみれば分ることだが、「権」がなければ官僚にはなれないのだ。
 そして「権」は「利」と分かちがたく結びついているから、清廉の倫理が入り込む余地はない。
 官僚の行動原理は「権」と「利」の論理によって成り立っているのであって、天子による徳化や、曖昧な清廉の倫理で動くものではないのだ

49 :
儒教がインドへ流入できない理由
 ここで不思議なのは、なぜ中国に仏教が流れ込んできて中国の思想の一部になったかということである。
 儒教も道教も仏教も、完全に主流の宗教にはならなかったとはいえ、中国思想の一要素として定着した。
 ところが中国からインドには、いかなる文化的・精神的なものも入っていかなかった。
 仏教はインドから中国に入ったのに、中国からインドにはいかなる文明、文化、思想も取り入れられていない。
 インドは、中国以上に精神的に孤高であって、あえて中国から何かを取り入れる必要がなかったと考えられる。
 これは裏を返せば中国の思想の意外な弱さ、少なくとも中国人自身が主張するほどに世界に浸透する力をもたなかった事実を物語る。
 実際、道教と儒教が諸外国に与えた影響力を検証してみると、たしかに「儒教文化圏」という言葉はあるが、これが実在しているかと言えば、疑問である。
 少なくとも朝鮮半島は儒教文化圏に含まれるにしても、はたして日本は儒教文化の国と言えるだろうか。
 南方に視点を転じてみても、ベトナムなどは明らかに儒教よりも仏教が強い。

50 :
>>45
「ひな祭り」までもが道教に由来する習慣。
>>46
理想はともかく、現実にはいきなり「万教帰一」とはいきそうにないから。
とりあえずのところ神仏儒道の四者で融和を図り、順次「タテの宗教」を優先的に取り込んでいく手順が望ましいのでは?
たとえばラマ教・ヒンドゥー教・ジャイナ教・カオダイ教・紅卍字会辺りを手順として優先して取り込む。
…どうしても「ヨコの宗教」のほうはちょっとした宗教上の解釈が基で宗教戦争をおっぱじめるぐらいなので、なかなか融和しにくい難点があるがため。
>>49
>はたして日本は儒教文化の国と言えるだろうか
…寧ろ”中華秩序の軛”から日本国を切り離そうとする意図が聖徳太子の時代以降は顕著で、
その後、それが大和朝廷の基本方針であったかのようにも思える。
中国の柵封関係の埒外にある利点を生かし、苦心の末に、中華秩序に対抗するかのごとく「天皇秩序」を作り上げていったのではなかろうか?
一応、中国との外交儀礼として、遣唐使などは中国皇帝に対して”臣下の礼”を取りつつも、
本音の部分では「中華秩序なんてまっぴら」だと考えていたように思える。
それゆえ儒教を<儒学>に薄め、道教のほうも、あたかも古神道の規範の一部であるかのように日本では取り込んでいく方針を固めていたのではあるまいか?
とある遣唐使の大使に至っては、唐の玄宗皇帝の指図であった「日本での道教の普及」を口約束にして日本に帰朝してしまっているが、
現実には道教を広めることに努めた形跡はない。

51 :
>>50の補足
「一応、中国との外交儀礼として、遣唐使などは中国皇帝に対して”臣下の礼”を取りつつも…」
まあ、我が国の建国記念の日が2月11日とされるのもこれ、中国に謙(へりくだ)っての「建国宣言」だったのかも知れない。
なにしろ2月10日が、中国における正月であるわけだから。
それと、宦官のような制度はもちろん日本に導入せず女官を代わりに置いたわけだし、
科挙の制度も大和朝廷は導入しなかった。
律令制度の骨組は取り入れたし、延喜式のような応用のしきたりも発足させつつも、
やはり中華秩序に組み入れられることに抵抗し続けた歴史を有してはいるまいか?
それゆえ仏教に絞っての外来宗教の移入・受容を大和朝廷としては推進しようとしたのではないか、と。
道教のほうは仙道や修験道として民間を中心に日本では受け入れられ継承してきたように思う。

52 :
なんか、道教の話が出てるから貼っとくか。ポチっとな。
徐福
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%90%E7%A6%8F
徐福(じょふく)は、中国の秦の時代(紀元前3世紀頃)の方士[1]。斉国の琅邪の出身。別名は徐市(じょふつ)。子に福永・福万・徐仙・福寿がいるという。
司馬遷の『史記』の巻百十八『淮南衝山列伝』によると、秦の始皇帝に、「東方の三神山に長生不老(不老不死)の霊薬がある」と具申し、
始皇帝の命を受け、3,000人の童男童女(若い男女)と百工(多くの技術者)を従え、五穀の種を持って、東方に船出し、「平原広沢(広い平野と湿地)」を得て王となり戻らなかったとの記述がある。
ただし、同じ史記の『秦始皇帝本紀』に登場する徐市は始皇帝に不死の薬を献上すると持ちかけ、援助を得たものの、その後始皇帝が現地に巡行したところ実際には出港していなかったため、
改めて出立を命じたものの、その岐路で始皇帝は崩御したという記述となっており、「不死の薬を名目に始皇帝から物品をせしめた詐欺師」として描かれている[2]。
現在一般に流布している徐福像はほとんどが淮南衝山列伝に基づいたものである。

53 :
>>48
「性は同じゅうして質は異なり。
質の異なるは教のよって設くる所なり。
性の同じきは、教のよって立つ所なり。」
(佐藤一斎、言志録99条)

54 :
孔子曰く、性、相近し、習い、相遠し
本性は誰しも相通じるのだが、習弊や悪いクセがつくことにより遠のいてしまう。

55 :
宗教が人や世を救うのが
使命ならば、この不況を
打開する方策を示さねばならない。
儒学に基づく日本の伝統的な
商道は商いや経済の基本は
信義であると教えてくれています。
人々の信義を裏切った
金融システムが今の不況を
招いたのならば、
この不況を打破するためには
新たな信義を立つることに
ありと言えましょう。

56 :
みなさん、共に信義の社会を築きませう

57 :
米国で無宗教派が15%と倍増 「宗教大国」に変化の兆しも (MONEYzine)
http://news.www.infoseek.co.jp/topics/world/n_the_states3__20090311_19/story/moneyzine_136393/
 ここ数年、米国でもっともめざましく支持を拡大している宗教勢力は、特定の宗教を持たない無宗教派であることがわかった。
 国民の9割以上が「神の存在」を信じているといわれ、「宗教大国」の米国では、宗教は個人生活から政治に至る広範囲で影響を与えている。
 しかし、米国で20年前に比べてキリスト教徒が減り、宗教を持たない層が15%まで増えていることが、9日に発表された調査で分かった。
調査は米国コネティカット州ハートフォードのトリニティーカレッジが昨年2月から11月にかけて、米国約5万4000人を対象に宗教に関するアンケートを英語とスペイン語で行った。
 この調査の結果、自分はクリスチャンだと答えた人は75%で、1990年の86%に比べて減少する一方で、無宗教と答えた人は90年の8.2%から今回調査ではほぼ倍の15%に増加。
自分の葬儀は無宗教で行うだろうとの回答も27%に上った。キリスト教以外の宗教ではモルモン教が1.4%に増加したほか、イスラム教も90年の0.3%から微増し0.6%となった。
また民族としてのユダヤ人の米国人口における割合は過去20年間変わっていないものの、ユダヤ教徒の割合は1.2%に減少している。
 特定の宗教に属さない人や無神論者が増えている背景には、宗教を持たないことが米国社会で受け入れられやすくなっていることがある。
ここ数年、米国の宗教界でもっともめざましく支持を拡大している勢力は、無神論者の集団で、オバマ大統領も1月の就任演説で、
「我々の国にはキリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒、ヒンズー教徒、無宗教の人がいる」と、歴代の米大統領として初めて宗教を持たない層に触れた。
依然国民の多くはキリスト教徒であるが、米国の宗教地図にたしかな変化が生じはじめている。

58 :
もはや人為的作為的な
宗教には限界が来ているのでしょう。
天地の大道は自然の法則に基づきます。
すなわち神道であり、仁義の道です。

59 :
みなさん、ともに仁義の国を目指しませう

60 :
天地は実在します

61 :
天地がこの時代に現成した貴方という存在は、
死するまで、この天地になんらかの影響を与えることが出来ます。
そして、死してなお物質は循環し生き続けます。
過去から未来へと永久に続く時の流れを、
貴方は何をして過ごしているのでしょうか。
天地山川人皆、万物は一体。
仁愛、それはこの宇宙の働きなのかもしれません。

62 :
>>61
ご教授ありがとうございます。
万物との一体感を体得し、
仁愛を及ぼすことができるよう
精進したいと思います。

63 :
「天道は人物の大父母にして根本なり、
人物は天道の子孫にして枝葉なり、
根本の天道純粋至善なれば、
そのえだ葉の人物もみな善にして悪なしと得心すべし」
(中江藤樹、「翁問答」)

64 :
>>63
私欲、煩悩を断ち切って、本源に還りたいが、
これが凡人には中々難しい。
中江籐樹の勇気が欲しい

65 :
中江藤樹は京都から来た禅僧の論語講義を聴いたのをきっかけに朱子学を独学する。
そして37歳の時に王陽明の全書を読み陽明学に共感する。
道徳の形式よりも精神が重要であるとして、時・処・位の具体的場面に適した行動をとることを説いた。
近江聖人と称えられ熊沢蕃山、淵岡山、中川謙叔らの門人を輩出した。
近江聖人中江藤樹記念館
http://www.touju.jp/
中江藤樹ウィキぺディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%B1%9F%E8%97%A4%E6%A8%B9

66 :
>>64
だからこそ日々の克己が
必要だと言われるのでしょうね。

67 :
日々の克己こそ真の宗教では
なからうか

68 :
陽明学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%BD%E6%98%8E%E5%AD%A6
陽明学(ようめいがく)とは、中国の明代に、王陽明がおこした儒教の一派で、孟子の性善説の系譜に連なる。
陽明学という呼び名は明治日本以降広まったもので、それ以前は王学といっていた。
また漢唐の訓詁学や清の考証学との違いを鮮明にするときは、(宋明)理学と呼び、同じ理学でも朱子学と区別する際には心学あるいは明学、陸王学ともいう。
英語圏では朱子学とともに‘Neo-Confucianism’(新儒学)に分類される。
朱子学は支配イデオロギーとなったが、それ故に体制擁護としての作用が肥大化し、かつての道徳主義の側面が失われていった。
その道徳倫理を再生させようとしたのが、王陽明である。
朱子学では「理」(万物の法則であり、根拠、規範。「然る所以の故であり、且つ当に然るべき則」)はあらゆるものにあるとし(「一木一草みな理あり」)、
そうした理について読書など学問することにより理解を深めた後に「性」(個々に内在する理、五常五倫)へと至ることができるとした。
いわば心の外にある理によって、心の内なる理を補完せんとしたのである。

69 :
当初は王陽明も朱子学の徒であったが、「一木一草」の理に迫らんとして挫折し、ついに朱子学から離れることになる。
その際王陽明は朱子学の根本原理となっている「格物致知」解釈に以下のような疑義を呈した。
まず天下の事事物物の理に格(いた)るというが、どうすれば可能なのかという方法論への疑義。
そして朱子は外の理によって内なる理を補完するというが、内なる理は完全であってそもそも外の理を必要としないのではないか、という根本原理への疑義である。
こうした疑義から出発し思索する中で陸象山の学へと立ち帰り、それを精緻に発展させたのが陽明学である。
ただ陽明学は宋代の陸象山の学を継承したものではあるが、その継承は直接的なものではない。
なお陽明学の登場は、朱子学の時ほどドラスティックではなかった。
朱子学は政治学、存在論(理・気説)、注釈学(『四書集注』等)、倫理学(「性即理」説)、方法論(「居敬窮理」説)
などを全て包括する総合的な哲学大系であって、朱子の偉大さはその体系内にはあっては極めて整合性の取れた論理を展開した点にある。
しかし陽明学はそのうちの倫理学及び方法論的側面の革新であったに過ぎない。
無論儒教に於いて倫理学的側面は最も重要だったといえるが、だからといって大規模なパラダイム・シフトが起こったわけではなく、その点は注意を要する。

70 :
理学がその成立当初から禅宗の影響を強く受けていることは、宋代より言われ続けてきたことであるが、
陽明学左派はとりわけ仏教の、そして老荘思想の影響が顕著である。
この傾向は王陽明も持っていたが、特に王龍溪はこの傾向を強めたといわれる。
その証拠として経書の解釈においても積極的に仏教などの語彙を使用して説明しようとした点がよく指摘される。
そして仏教も道教も真理の一面を有していたことを認め、三教一致を目指そうとした。
この傾向は王心斎の一派にも見られ、それ故にもはや儒教ではなく 禅宗の学だという批判を招くに至った。

71 :
「山川草木悉皆成仏」と梅原猛
http://www7a.biglobe.ne.jp/~yasui_yutaka/tokimeki/23sansensoumoku.htm
 梅原先生は、唯一絶対の神という一元的な価値に統合するより、さまざまな原理や価値観を尊重し合い、共存できるような多元的な調和を目指す多神教的な宗教を好まられるのです。
 その意味で大乗仏教はバラエティに富んでいますし、神道とも習合しています。しかも人間だけでなく、一切衆生に仏になる性質つまり仏性が備わっているとするのです。
これを『大般涅槃経』では「一切衆生悉有仏性」と表現しています。つまり生きとし生けるものはことごとく仏になる性質があるということです。
 ところがインドでは有情のものは動物までで、植物は感覚がないので無情の存在です。それで衆生には含まれないと考えていたらしいのです。
それは肉食は禁じても、菜食は禁じられないので、植物は衆生に含まないということで食べてよいことにしたからだという解釈もあります。
 しかしそれでは不徹底です。生きているものは大切にというのなら、植物も衆生に含めるべきではないかと思いますね。その上で食べたり食べられたりする命のつながりに大いなる生命の原理を見出すべきでしょう。
 それで中国の天台宗の湛然は『金剛錍』で非情の物も成仏するという非情成仏説を唱えたといいます。それは王陽明にも受け継がれました。
『伝習録』には「草木土石は悉く良知をもつ、禽獣草木山川土石は人ともともと一体でしかないのだ」とあります。。

72 :
 日本天台宗は密教化するにつれて土着の神道の自然信仰と習合したのか、動物だけではなく植物にも、さらには国土にまで仏性を認め「草木国土悉皆成仏」という言葉を生みました。
それが現存する文献では最古のものとしては869〜885年に書かれたと思われる安然の『斟成草木成仏私記』です。
 鎌倉時代の禅宗では釈迦が明星を見て成道したとき、つまり仏になったとき、同時に有情非情草木国土も成道したという解釈を打ち出し、
その時に「草木国土悉皆成仏」と釈迦が叫ばれたことになっていますが、その経典からの出典は明らかではありません。
 この「草木国土悉皆成仏」は、室町時代に始まる能では良く使われているのです。『鵺』『墨染桜』『芭蕉』『杜若』『六浦』『現在七面』『西行桜』『高砂』『定家』などに出てきます。
人間だけではなく、怪獣や桜、芭蕉、杜若といった植物や雪なども怨霊となって現われ、鎮魂されて成仏するという設定でなのです。
 この語句は『中陰経』より引用とされていますが、現存する『中陰経』にはこの語句は存在しないということです。

73 :
日常の実践を目標にしたいと
思います

74 :
文を左にして武を右にする。
文武の道は鳥の両翼のようであって、
どちらかが欠けても飛べなくなるものです。

75 :
義をみて為さざるは勇なきなり 孟子

76 :
観念では人は救われない。
現実の天地に生きる道こそ
だけが人を救うのだと思います。

77 :
「子曰く、命を知らざれば以て君子と
 為るなし、礼を知らざれば以て立つなし、
 言を知らざれば以て人を知るなし。」
孔子が言われた。
「自分に与えられた運命を知らない者は
君子たりえない。
礼を知らない者は、人の世を生きて行く
ことはできない。
ことばについて理解できない者は、人間を
真に理解することはない。

78 :
子張、孔子に問うて曰く、
「如何なる斯れ以て、政に従ふべきか。」
子曰く、「五美を尊び四悪をしりぞくれば
斯れ以て、政に従ふべし。」
子張曰く、「何をか五美と謂ふ。」
子曰く、「君子は恵して費えず。
労して怨みず。欲して貪らず。
泰にして驕らず。威あつて猛からず。」
子張曰く、「何をか恵して費えずと謂ふ。」
子曰く、「民の利する所に因つて之を利す。
斯れ亦恵して費えざるにあらずや。
労すべきを択んで之を労す。
また誰かを怨みん。
仁を欲して仁を得たり。また、焉んぞ貪らん。
君子は衆寡となく、小大となく、
敢へて慢するなし。斯れまた泰にして
驕らざるにあらずや。
君子は其の衣冠を正しくし、其の瞻視を
尊くし、儼然として人望んで之を畏る。
斯れ威あつて猛からざるにあらずや。」
子張曰く、「何をか四悪と謂ふ。」
子曰く、「教へずしてす、之を虐と謂ふ、
戒めずして成るを視る、之を暴と謂ふ。
令を慢にして期を致す。
之を賊と謂ふ。猶しく之れ人に与ふるなり。
出納の吝かなる、之を有司と謂ふ。」

79 :
子張が孔子に問うて言うには、「どのようなことをすることが、政治を行うものに必要でしょうか。」と。
孔子は言われた。「それは五つの美を尊重し、四つの悪を除けば可能です。」と。
子張は質問した。「五美とはどのようなものでしょう」と
孔子はお答えになった。
「君子は民に対して適切な給付はするが、己の財は費えない。必要な動因はするが、不満を起こさせない。
欲することはあるけれども、欲張りはしない。ゆったりと構えているが、傲慢ではない。
威厳はあっても猛々しくない。」
子張は続いて質問した。「人に恵みを施して己の財が費えないとはどういうことでしょうか。」と。
孔子はお答えになった。
「人々が自分からこれは得だと望むものを得させるようにする。これが、適切な給付をしても、己の財は費えないのではないか。
同じく人々が必要と思う労働を択んでの動員であれば、人々は誰を怨むだろうか。
人の道を求めて人の道に至る。これは正当な求めであって、どうして欲張りとなろうか。
君子は、多少にかかわらず、大小にかかわらず相手を侮ることはしない。
これがゆったりと構えているが、傲慢でないということではないだろうか。
君子はきちんとした服装で、まっすぐに視る。
そこには威厳はあっても猛々しさはないので、人々は歓迎し、また畏敬の念を持つ。」
子張は質問した。「それでは、四悪とはなんでしょう。」と。
孔子は答えられた。「道徳教育をしないでおいて、死刑にする。これを「虐」という。
あらかじめ注意をしないでおいて、よくできたかどうかを検査する。これを「暴」と言う。
命令を緩慢にしておいて、期日通りにできないと罰することを、「賊」と言う。
有功者に賞を与えるような時は、直ちに行うべきものであるが、それを出し惜しむのは、「有司」と言う。」と。

80 :
「子曰はく、学んで時に之を習ふ。亦説(よろこ)ばしからずや。
朋あり遠方より来る、亦楽しからずや。
人知らず、而(しかう)して慍(いか)らず、亦君子ならずや。」
人生の先達者や聖人の教えや叡智を学び、
継続して一生懸命に復習し、
自分のものにすると道が明らかになり、
本当に喜ばしいことだ。
そのように自分の学問が成就すると、同じ道を歩む人が遠いところからでも
コンタクトを取り教えを請われるようになる。
自分の学んだ事を広く人に伝えられるのだから、これもまた楽しいことだ。
また、学問を成就したことを広く人々に知られなくても、
自分のために学んだのだと、少しも不平に思わず、
坦々と我が道を全うする姿も、また、理想的な人格者ではないだろうか。

81 :
「曾子曰はく、
吾日に三つ吾が身を省(かえり)みる。
人の為に謀りて、忠ならざるか。
朋友と交はりて信ならざるか。
伝へられて習はざるか。」
私は毎日三つのことを反省します。
一つ目は人の為にと思ってやったことが、
きちんと誠意をもってやっただろうか。
二つ目は、友達に対して
誠実に対処していただろうか。
三つ目に、先生から教わったことを
しっかり理解しただろうか。

82 :
「子曰はく、弟子、入りては則ち考に、
出でては則ち弟に、謹んで信に、
汎(ひろ)く衆を愛して仁に親づき、
行うて徐餘力あれば則ち以って文を学ぶ。」
若い者は、家庭では親孝行をし、
社会に出れば、
年少者として年長者に尽くし、
誠実に物事に取り組み、
法律も守り、多くの人を愛して、
人を怨まず、人徳者に近づき
素直に教えを請うこと。
それでも、まだ、余力があれば、
四書五経など古の叡智を学びなさい。

83 :
礼儀をわきまえ、目上の方に対する敬意を忘れず
常に冷静で紳士的な態度をとり、大国にふさわしい経済力と
素晴らしい先進的なインフラを持ち、体格や美貌に恵まれ
革新的な動物愛護の精神を持ち、環境保護にも積極的に取り組み
5000年も続く世界に類を見ない独立国家としての歴史をもち
様々な競技や武道はおろか、世界的宗教や哲学の発祥地である
大韓半島の国家が、二つとも揃いも揃って世界中から嫌われているのは
歴史上最大のミステリー

84 :
「小子に係がるるときは、丈夫を失わん」
「小人となれ親しんでいるなら、真に随うべき立派な人から見放される。」 易経より

85 :
天皇皇后陛下、ご結婚50周年
おめでとうございます。
これからもお元気で。

86 :
老子の教え。タオ。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1239380195/l50
1 :神も仏も名無しさん:2009/04/11(土) 01:16:35 ID:m4qUu8hN
について語り合いましょう。

87 :
私欲により天地の道から
はずれてしまうことがあります。

88 :
「太上は天を師とし、
その次は人を師とし、
その次は経(経典)を師とす。」
(佐藤一斎)

89 :
呉智英 とかいうばかぢぢいが、船井幸雄大先生の
 論語に学ぶ何とか という本で、
 夫子南子にまみゆ 子路喜ばず 夫子誓ってのたまはく
「私は潔白だ!やってない!」
 を、「やってるに決まってる」と解釈して講義していた。
 やめなさい

90 :
日本に天を敬う人は
他にいないのか?
敬天之民を探しています。

91 :
本日、書店でうつ病患者に
人間学の本を渡したら
薬以上に効果があった、という本を見かけました。
人間学とは則ちこの天地の道。
天地の正道に立てるばうつ病などには
ならないのではないでしょうか?

92 :
保守

93 :
ただ天を敬い正道を歩むのみ

94 :
草なぎ君、これぐらいの
過ちは誰にでも
あると思います。

95 :
その通り。草g剛の犯した今回のわいせつ罪など世の中に溢れる凶悪犯罪に比べれば小さいこと。
【社会】新たな闇「家出サイト」…少女狙う“泊め男”、軟禁・暴行も 「誰か助けて。お金もう200円しかないです」★2
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1240633489/l50
1 :1/2 ◆KIHA55jUA2 @キハ55φ ★:2009/04/25(土) 13:24:49 ID:???0
携帯電話の小さな画面に、少女たちの「SOS」の叫びがあふれていた。
「誰か助けて。お金もう200円しかないです」「1週間ぐらい泊めてくれる方いませんか」「ある程度は覚悟してます」――。
携帯サイト上に無数にある「家出掲示板」。
家出をしたい少女と、少女を家に泊めたい男、いわゆる「泊め男(とお)」をつなぐ。それはあまりに危険な「の場」だ。
掲示板を利用していた少女に、東京都内の駅前で会った。長い付けまつ毛に濃いアイライン。16歳という。
白いケータイをちょっと持ち上げ、「コレがある限り、泊まる場所が見つからない気はしないよ」と笑う。
「『家出したい』って書き込むだけで、すごい返信くるもん」。埼玉県の自宅にはもう11か月間帰ってない。
不在がちな父親と、不満のはけ口を子供たちに向ける母親。そんな家にいるのが嫌で、初めて家を飛び出したのは中1の時だ。
だが、当時は行くあてもなく、数日後には家に連れ戻された。変わったのは、家出掲示板の存在を知ってからだ。

96 :
日本教のアクセサリーと化してしまっている「日本儒学」。
でも、中華秩序の軛から逃れることでシナの儒教関連の書物の一部を「偽書」だと指摘できるようなことすらも自由に出来たことは大きい。
単に日本の儒学がシナ儒教の水割りなんかではなかったことの意義はとてつもなく大きい。

97 :
今日は湯島聖堂で孔子祭
http://www.seido.or.jp/event/index.php

98 :
活性酵素が老化の原因とか。
真人が踵で呼吸する理由は
これだったのか。

99 :
>>96
近世以降の中国儒教の膨大な文字群と
込み入った論理展開は
日常から乖離し、それゆえに
天地から離れてしまっている
ように思われます。

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