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2011年10月1期戦国時代蛍大名・京極高次を語ろう
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蛍大名・京極高次を語ろう
- 1 :07/07/13 〜 最終レス :11/11/23
- 妻や姉のおかげでどん底から大名へと這上がった京極高次を語ろう。
姉松の丸、妻お初、弟高知、父高吉、母マリア、息子忠高の話題もOK
- 2 :
- 戦国板初の2げと(∩´∀`)∩ワーイ
- 3 :
- (´∀`)さらば〜この世よ〜旅立つ船は〜檜造りの〜お棺〜♪
宇宙の彼方〜十万億土、戒名背負い今旅立つ〜♪
必ず盆に〜帰ってくると〜遺族の皆に〜笑顔で応え〜♪
この世を離れ〜極楽浄土、はるばるのぞむ〜阿倍野斎場焼き場〜♪
- 4 :
- オヤジの京極高吉(佳)は、なかなかの人物だったよ。
- 5 :
- 何で蛍っつうの?
- 6 :
- 妻と姉の尻の光で出世したから。
- 7 :
- >>4
ソース
- 8 :
- >>4
マジか?息子以上にダメ人間ってイメージだけど
- 9 :
- 京極て名前かっこいいな
- 10 :
- 導誉の子孫とは思えんな
- 11 :
- 嫁さん+美人の姉とで十四光りか。
蛍大名の名のとおり周囲の妬みがすごかっただろうな。
- 12 :
- 関が原での小早川の裏切りはよく語られても、この人の裏切りはあんま語られないね。
勝敗を大きく左右した武将の一人だと思うんだけど。
もし西軍に与したままで、西軍が勝ってたら、
秀吉、淀殿の義弟、秀頼の叔父、松の丸の弟って事で
(小浜なんて問題になんないくらい)大出世してたんだろうか。
- 13 :
- 秀吉が死ぬときに、高次じゃなく妻のお初に知行を与えてるってのがな
- 14 :
- 京極以外の足利家臣ってどんな人がいたの?
- 15 :
- 一色、六角、畠山とか各地の守護大名の一門が多いね
- 16 :
- 本能寺の変の時に明智方につくと言う大物振りを発揮している。
- 17 :
- 今更だが、京極は「高」が通字なんだな。
- 18 :
- >>17
高は道誉以降だね
高も結構いるけど、足利将軍の偏諱を貰ってる人も結構いる
- 19 :
- 守護としての実権が完全に消えたのは高吉(高佳)の代から?
- 20 :
- 小谷城の京極丸は豪奢な感じだったんだろうか?
- 21 :
- 結局幕末まで家を残したんだから凄いよね
- 22 :
- 残ってるのって弟の末裔じゃなかったっけ?
- 23 :
- 明智軍に組しておいて大名として生き残ったってかなり珍しい気がする
- 24 :
- >>23
織田政権下で高次同様に冷飯食わされてた武田元明(松の丸殿の最初の夫)も
高次と同じく明智方へついて、結局丹羽長秀にされてしまうんだよな。
で、松の丸殿との間の2人の男子も行方不明(一説には木下勝俊になった
ともいわれるけど)。
それを考えると、運もかなりあったと思う。
- 25 :
- 本能寺の後勝家の元に身を寄せてたみたいだね。
- 26 :
- 明智秀満と共に福知山城代を任されていた藤木権兵衛は本能寺のあと
どうなったんだろう?
- 27 :
- >>12
しかし、何でまた突然裏切りしたんだろ?
- 28 :
- 京極高次は三管領四職の京極道誉の子孫
関ヶ原の功で若狭一国を賜る(のち、出雲・隠岐)
弟・高知は丹後一国を賜り、京極家の威勢を回復させた
- 29 :
- >>27
家康から大津城の修復費として銀を貰ってたんじゃなかったけっか?
- 30 :
- みんな知ってる?
若狭・丹後の国主になった高次・高知兄弟の実母は、両国の真ん中(丹後側の青葉山麓)に住み、
若狭・丹後の息子達の屋敷を交互に訪問したんだって。
この時期には両国の間に関所もなく、誰もが自由に行き来出来たんだって。
京極家に若狭・丹後が与えられた感じですね。
戦功からいって、最前線の激戦地で戦った京極高知の加増額が、あまりにも少ないし。
もともと10万石なのに戦後12万石でしょ。
- 31 :
- >>30
京極高知に戦賞として丹後若狭が与えられたが
高知が兄に若狭を譲った(幕府に働きかけた)という説がある。
毛利家と吉川家みたいに。
高次の家は、後に出雲隠岐に栄転だから、幸運の家だね。
幕末まで変わらずあったら、雄藩まちがいなしだったのに。
- 32 :
- 太閤の義弟、将軍の義兄ってのはすごいよなぁ。
- 33 :
- >>32
反対に京極家義の義兄(農民が)、京極家の義弟(土豪の息子が)のほうがすごい。
- 34 :
- 名門中の名門に生まれ、嫁のコネがすごかったというそれだけで・・・
大名のまま、のほほんと暮らせたんだからすごいなあ・・・・・
下克上の乱世も彼には関係なかったのか・・・・
出自の貴賎、コネというのが現実的にはどれだけ大切かを
教えてくれる見本のような人ですねえw
- 35 :
- 出雲・隠岐は室町時代の京極家の守護国
尼子は守護代でしかないから
- 36 :
- >>35
だから、何?
ワカンネw
- 37 :
- ごめんごめん
京極家は徳川によって本来の領土が安堵されたといいたかった。
近江半国は井伊家だから貰えるわけないしなあ。
- 38 :
- 出雲、隠岐への加増転封の理由はなんだろうか?
大坂の陣かな?
もしや毛利が関係する?
- 39 :
- かんぜんに毛利対策でしょうな
同じく徳川家と親戚の
小倉の小笠原家(旧・信濃守護)とともに挟み討ち
名家に挾まれると、さすがの毛利家も、かなり見劣りするよなあ
しょせん成り上がりの家だなあって
尼子には勝ったけど
京極は、その主家だから
よけいに嫌味だね
でも徳川って名家好きだねえ
- 40 :
- まあ、先祖の旧領である出雲に戻れたことは幸運だな。
- 41 :
- でも忠高に嫡子がいなくて減封されたんだっけ?
それでも、京極家は数家城持ちの藩がのこってるからラッキーなのか。
- 42 :
- 斯波、畠山、山名などに比べたらそうだね
- 43 :
- 忠高の甥が跡を継いだんだっけ。
しかし正室の初姫に子ができなかったのは、単に仲が悪かったからか?
初姫臨終の際、忠高は初姫そっちのけで相撲観戦に興じていたなんて逸話もあるし。
母親や姉妹達はたくさん子を産んでるのに、養母のお初同様姉妹で唯一子をなさなかったのね。
- 44 :
- >>39
名家が好きというか名家を従わせる事によって徳川家・徳川幕府の権威を高めるのが狙いだったのだと思う。
- 45 :
- 大津城篭城の評価ってどんなもん??
- 46 :
- >>45 小説「難儀でござる」に描写されてたまんまだと思う。
- 47 :
- 昌幸と比べるとこいつの過小評価っぷりは泣けるな。
まさ真田が単なる過大評価なんだけどさ
- 48 :
- >>45 いい人だけど無意味な篭城を続ける我が殿
- 49 :
- おとうとの京極高知は戦功の割りに関ヶ原後の加増高が余りにも低過ぎだよね
福島正則と並んで最前線の激戦地で戦ったのに。
もともと10万石なのに12万石の2万石だけの加増でしょ、なぜ?。
- 50 :
- もっと早く降伏すれば西軍が勝っただろう。
後少し持ちこたえていたら、東軍一番の武功だったのに。
ある意味、かわいそうな人です。
- 51 :
- 弟の高知率いる部隊はは大坂の陣でも多くの首級をあげてなかった?
普通に猛将っぽいな
- 52 :
- ■■
■■ ←京極氏の家紋
- 53 :
- >>50
石高が大きくなりすぎるといろんな大名に妬まれて
最悪因縁つけられておとりつぶしになったりする時代も後にくることだし
案外結果利口なのかも。
- 54 :
- >>50
同感、京極高知は猛将そのもの
たぶん福島や黒田並であったろうと思われる
三代で丹後国主から転落したのが惜しい
でも室町以来の名家だから高家にも一時期なっていたらしいよ
丹後国主家の分家は小藩ながらも但馬豊岡と丹後峰山の藩主だったみたいだね
- 55 :
- 黒田、福島と同じ最前戦で戦って戦功をあげたのに
10万石から12万石の加増はすくなすぎでしょ?
何で?
- 56 :
- □□
□□
京極氏は京極高次が近江大津6万石から若狭小浜8万4千石、ついで9万2千石の大名として出世し、さらに堀尾山城守除封後、出雲・伯耆24万石として御国司に昇格している
京極高知が信州飯田10万石から12万石へ加増。
一族併せて分封してる
- 57 :
- 松江は忠高で無嗣改易→高和が名跡取立播磨龍野六万石、飯田→宮津の方は改易だね
- 58 :
- 鬼平の後ろ盾、京極備前のご先祖様ってこの御仁?
- 59 :
- やはり京極家臣て室町幕府の遺臣が多いのかな
- 60 :
- >>57
宮津(丹後藩)は宮津藩、舞鶴藩、峰山藩に三分割された。
宮津藩のみ改易。
>>58
峰山藩京極家の当主です。
>>59
佐々木一門や近江の古族の子孫が多いです。
- 61 :
- ありがとうございます
- 62 :
- 今は河川改修工事で規模が縮小されてるけど、京極高次が築いた若狭の小浜城は名城ですね。
完璧な形で残っていたら彦根城にも匹敵する城じゃないかとも思う。
彦根城天守閣も京極高次の大津城天守閣を移築したものらしいですね。
- 63 :
- オバマもそう思う
- 64 :
- 小浜市が真剣にオバマを応援しているのは面白いね
- 65 :
- 高吉は兄に追われ尾張に逃げてるんだっけ?
- 66 :
- この人の子孫で一番有名なのはおそらく峰山藩主京極高久だな
後の鬼十字ことサムライスピリッツ零のラスボス兇國日輪守我旺である
- 67 :
- 峰山侯京極高久(次位の閣老、少老)が鬼平の後ろ盾だったというのは池波正太郎の創作。実際はとくに後ろ盾だったことはない
- 68 :
- 立花・元康の一万五千がいれば西軍全壊回避できた事考えても
両川を落とした黒田・脇坂以下を絡めた藤堂より重要だよなぁ
結果的に東軍版真田昌幸となって関が原を決した訳で
今後再評価を受けると嬉しい所
- 69 :
- 西軍の立花が関が原の主戦場に配置されていれば
西軍はもっと粘れたと思う。
- 70 :
- どうでもいいけど、現京極本家の当主夫人は
三笠宮百合子妃の妹だったりする。
相変わらず閨閥が華やかな一族だ。
- 71 :
- 400年経っても尻蛍か…
藤堂家も今頃
政財官の派閥を調子良く渡り歩いてんのかね
- 72 :
- 尻蛍って言ってもな 滅亡同然からあそこまで盛り返した高次は大したもの。
- 73 :
- スーパー源氏蛍
- 74 :
- >>72
大したものです。
さらに出雲隠岐に出世した京極家はスゴい。出雲隠岐飛騨は京極の旧領でしょ?。
- 75 :
- 京都・四条に京極どうりがあるが関係あるのか?
- 76 :
- >>75
京の端っこにあるから「京極」
あと注意しておくけど京極通り(どおり)な。「どうり」は日本語として間違ってる。
- 77 :
- ついでに言うと京極氏は、京極通りに屋敷があったから「京極」と呼ばれた。
- 78 :
- >>76
正しくは京都の東の端だから東京極大路
西の端が西京極大路。
一条大路は北京極大路ともいえ
九条大路は南京極大路ともいえるな。
- 79 :
- 西京極は現代でも名前が通っているけどね
- 80 :
- このように見てくると藤孝と同じ名門の京極高次が何ら朝廷の保護を受けなかったことも肯ける。
たしかに高次は姉に豊臣秀吉の側室松の丸殿、妻の姉妹に淀殿、徳川秀忠の正室小督を持つ名門だが行きがかり上東軍についた覇道側の人物であり、二条尚孝の日記には「大津の事笑止の沙汰有り、物騒迷惑」この上ないと記載されている。
しかし西軍一万五千を大津城に釘付けにした功績は大きく、戦後、家康は高次を召し出し、若狭小浜八万五千石、ついで九万二千石にしている。
いわば、覇道のシンボルのような生き方とも言えなくもない
- 81 :
- >>79西京極球場?
- 82 :
- 戦国武将でこいつが一番好きだというは俺だけで良い。
- 83 :
- お初さんって可愛いよな
- 84 :
- 京極さん好きなので人気出て欲しいです
- 85 :
- >>83 肖像画ありましたっけ?
- 86 :
- なんで高次のおくさんだけ当時それほどでかくない京極に嫁いだんですか?
姉と妹は当時の天下人と最大クラスの大名に嫁いでるのに
- 87 :
- >>86
妹だって最初はw
まあ、京極さんが長生きして、添い遂げちゃったのが原因かと。
- 88 :
- 浅井家に居た頃の高次公とお初さんは面識あったのだろうか。
- 89 :
- その辺りは想像と創造の域を出ないな
京極がぶっちぎりの名門だということは間違いないんだから
次女が勝ち組だろ
- 90 :
- 名門の息子なのになんか親しみやすくて可愛いげがあるな京極高次っていう男は。
- 91 :
- 408年前の今日大津攻城戦開始
- 92 :
- 京極家なんて鎌倉の評定衆やら
室町の侍所別当輩出してるから
並の守護大名とは格が違うよね
- 93 :
- 初代婆娑羅みたいな雰囲気すらあるしね
- 94 :
- 京極兄弟(高次・高知)って、どっちも貴族とか名家の生まれって感じの人じゃないよね。良い意味で。
両方好きだけど。
- 95 :
- 逆に言うと、そんだけ落ちぶれてたんだろうかな
- 96 :
- そういう貧乏臭い(落ちぶれた)エピソードって伝わってるの?
- 97 :
- 親父は生活困ってるのに「百姓でのお前なんかに娘やらん」って
一度断ったり信長と義昭で最終的に実利ある織田より義昭についたりしてるし
幕府の名門のプライドだけは保持してた模様
(時勢を見る目がないともいえるが)
まぁそう考えると貧乏しててもあまり貧乏くさいエピソードないかも
親父の教育方針がこういう感じだったら
- 98 :
- 名門生まれにしてはずいぶん数奇な一生だよな高次。
面白い人物なのにイマイチ注目されないなあ。残念。
- 99 :
- 四職がメジャーじゃないんだよね。山名宗全以外。
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