1read 100read
2011年10月1期戦国時代【政宗】みんな伊達を恐れていた【成実茂庭片倉】 TOP カテ一覧 スレ一覧 削除依頼
・ 次のスレ
【裏切り】朽木元綱【名将】
◆◆ 但馬の戦国時代について ◆◆
戦国ダジャレ
【最強】千葉氏【関東の覇者】


【政宗】みんな伊達を恐れていた【成実茂庭片倉】


1 :07/09/05 〜 最終レス :11/12/01
信長・秀吉・家康が最も恐れたのは伊達。
政宗がせめてあと10年はやく生まれていたら

2 :
それでも片目だっただろう

3 :
奥州は平定していたな

4 :
伊達厨を装ったアンチ伊達厨>>1

5 :
政宗が南奥制覇できたのは蘆名氏が弱体したからでねぇの?

6 :
10年早く死ぬだけ

7 :
仮に小田原征伐前に東北全土を掌握してても、どうにもならんて
まあ、↑がそもそも無理だけど。

8 :
秀吉・家康はともかく
信長と正宗は、時期が違うでしょ
本能寺1582年 政宗初陣1581年

9 :
(*‘ω‘ *)

10 :
東北全土を支配していたなら
北条と組んで秀吉と堂々と対戦していたと思う。

11 :
堂々と土下座だろ。

12 :
>>10
北条と対戦したところで意味がねぇ
むしろ秀吉に降って関ヶ原まで待って第三勢力として越後関東に出兵だろ。

13 :
同感です

14 :
それにしてもナベケン政宗格好良すぎる。
朝から時専見入ったわ

15 :
渡辺謙、最高です

16 :
最近穏和な父ちゃん役しかやらない三浦友和の激しい役がまた見たいです

17 :
仮に政宗が早く生まれて
史実よりも勢力を拡大した状態で小田原征伐が起こっていたら
政宗は秀吉に抗戦して伊達家滅亡してただろうな

18 :
秀吉とは、戦はないな

19 :
どうしてみんなは伊達を子供扱いするのだろう?

20 :
関ヶ原の折目先の小利に囚われて、上杉の庭先を荒らすだけしか出来なかった
ゴミ大名にすぎない。結局タヌキ親父に2万石程度の加増しか貰えなかった
まれにみる馬鹿

21 :
おしいな。秀吉さえいなきゃ天下取れてたのにな。
秀吉がいたおかげで、20みたいな馬鹿に言われたい放題w

22 :
10年早く生まれてたら芦名と泥沼じゃないか?
仮に奥州を統一できて小田原征伐に間に合っても叩き潰される気がするよ?
徳川が付けば勝てるかもしれないけどねぇ・・・どう思う?

23 :
政宗が馬鹿だとは思わないが、
3人の天下人とはやはり役者が違う
史実以上に勢力を伸ばしていたら、一戦交えて滅んでいただろう

24 :
24歳で190万石まで広げた政宗が、天下人三人より役者が下とは思わない。
少なくとも家康より下とはとても思えない。

25 :
>>24
でも周囲は大した事ない奴らばかりだしな。
葛西や大崎は衰える一方だし、二本松も大内も大した勢力ではない。
それなりに強大な芦名や佐竹についても芦名も当主の相次ぐ
夭折に加え、伊達派と佐竹派で分裂状態だし、佐竹は佐竹で
後ろに北条・里見を抱えているし奥州深くまではなかなか
手は回せないだろう。

26 :
政宗がDOQだから、三傑は持ち上げられやすいね‥

27 :
素直に4位を目指そうぜ

28 :
それも悪くはない

29 :
 政宗の石高って領土の広さの割りには高いような気がするねえ
 当時奥羽ってそんな米取れたの??
 100万石って家康とガチかチョイ下くらいだよねえ(1585時点)

30 :
戦国期は金も採れたしね

31 :
>>25
アホか。佐竹義重は名将中の名将。20やそこらで勝てる相手じゃねーよ。
葦名は分裂状態と言っても、佐竹の息子養子に迎えた段階で、政宗は倍以上の兵力
を空いてにするリスクを負ってるんだよ。
しかも名将義重相手にな。 人取橋の兵差は3万対7千だが、こうゆう劣勢の状態を
打開して佐竹に兵力の集結を許さず電撃戦で葦名を撃破してる。
20やそこらのガキがだ。 こんなガキは他には信長くらいだろう。

32 :
伊達がそれほど
恐れられていた大名なら
東北の諸大名が
こぞって上方に臣従するわけないじゃん
アホか

33 :
>>31
たしかに佐竹が芦名につくというリスクは大きいとは思う。
しかし、佐竹の場合北条が下野まで進出してきたり、
積極的に奥州へ出てくるという事がしにくい状況なのを
忘れちゃいけないだろうな。
人取橋も佐竹の後背が不穏だったこともあるわけだし。
その芦名が分裂状態だったというのはかなり大きいぞ。
佐竹から着いてきた連中と佐竹派、伊達派の対立はひどい。
重臣の富田美作や平田不休斎の士気は低かったというし、
衰えていく芦名に見切りをつけていく奴らも多かった。
家中が一枚岩で無い事を過小評価はできない。
やや後の宇喜多家中のケースもそうだろう。

34 :
政宗は早熟の傾向があるよなぁ
周囲に超一流の武将がいたわけじゃないところが彼の成長を止めてしまったのかね

35 :
秀吉家康を筆頭に政宗の周囲は超一流の武将ばかりだが

36 :
反伊達連合を瓦解させて、奥羽の覇者になれそうだったのに
秀吉への工作を怠ったものだからその成果は没収
このことは政宗にとっては痛恨の経験だったんだろうね
以後は豊臣・徳川と有力者に風を見て従うようになる
家光の将軍就任お披露目の時には、「徳川に逆らうものがいたら、家光様が出るまでも無い。この政宗が踏み潰してやりますよ」と諸大名の前で公然と胡麻をすって見せるまでに

37 :
秀吉の目の前で葦名を滅ぼしたにもかかわらず、没収は会津、岩瀬、安積のみで
本領は安堵。秀吉は政宗に奥州五十四群の下地権も認めている。苛烈な秀吉
にすると、相当甘い処分だったわけで、既に家康と水面下で結託していた政宗の
外交力にしてやられたともいえる。
家光の将軍就任の際のタンカは、政宗の威光に期待した家光側が頼み込んだのだろう。

38 :
佐竹連合が積極的に動けなかったのは 単に信玄謙信が死んで関東は北条の独壇場と化して佐竹が苦しくなっただけで 政宗がなにかしたからと言うわけではない

39 :
謙信死んだの1578年なんだが。ちなみに人取橋は1585年。
信玄・謙信死んで北条が独壇場と化したから苦しくなったって。
何が言いたいわけ?

40 :
佐竹氏の当主は過大評価だよ
一地方の良将だとは思うが…
江戸や大掾相手に数十年も戦い続けて、
結局常陸一国を統一したのは小田原後だからねぇ

41 :
義重の最大版図っていくらだ? 当主就任時の石高も知りたい。
最大版図はもちろん葦名込みで。

42 :
何時の時代の負けばかりのトーボク土人如きを中央政権が恐れるわけないだろ
常考…

43 :
政宗は関ヶ原戦の時、戦線と関係無い南部領を掠め取ろうと一揆画策したり
大坂の陣ではやはり味方の神保隊を虐したり
やることが凄いからな
危険物を恐れる一般人的には恐ろしかった可能性もある

44 :
あの秀吉時代にですら一揆画策。 ありえない。
ちょろちょろやってる小物とかいうやついるけど、ありえないよ普通。
浅野に絶縁状叩きつけるとか、正気とは思えない。
秀吉・家康相手でも、やってみろこの野郎くらいの感じだったんだろうか?
考えられないんだけど。

45 :
そんな普通で正気な武将生き残れるかボケw

46 :
さすがは!政宗公

47 :
恐れてたって言うより憎んでたんじゃないの?
政宗みたいな奴は憎まれんじゃないのか‥
性格悪そうだしね

48 :
やれやれ、三戦板に書き込んだのと同じレスをしてやるよ
戯言は最上義光、いや、せめて相馬盛胤を滅ぼしてからにしてください

49 :
>>48
そりゃ無理だ。
仮に同品質で同数の兵を持たせて戦争やったら盛胤>義光>>>>政宗だから。
壊滅して泣きながら敗走するのが関の山。
伊達がこいつらに勝ってるのは国力とそれに支えられた頭数の多さだけ。

50 :
元々伊達は多数の子女を養子に入れたり嫁に出したり
幕府に献金工作して奥州探題の地位貰ったり
外交で支配体制を確立しようとしたんだよね
でも、一番近い血縁の親子が争ってそれもおじゃん(天文の大乱)
その残滓で、敵対した芦名や佐竹にも伊達の血が入っている
要するに親族内の迷惑な喧嘩、という見方もw

51 :
まあ、伊達を中心に奥羽の群雄はあらかた親類だしな

52 :
奥羽の中心で愛を叫ぶ

53 :
>大坂の陣ではやはり味方の神保隊

大阪の陣ではやりの神保隊
に見えたw

54 :
そりゃ一つ目小僧はグロいし怖いだろ

55 :
あの、皆さん詳しいみたいだから質問なんですが、茂庭って
伊達家の家臣としてなにか役にたってたんですか?

56 :
役にたちましたよ

57 :
地味で目立たないけれど綱元は伊達内閣の官房長官みたいな

58 :
レスありがとうございます。なるほどぉ、なにか
役にたったのならちょっと誇らしいです。血の
つながりがあるので。

59 :
戦国時代は、国の数で勢力の大きさが決まったはずですが、
秀吉政権で太閤検地をして各国の石高が確定され、徳川家康が天下を取り、
幕府を開設したことから、石高が勢力の大きさを表す尺度になった。
そこで伊達政宗を見ると、出羽も陸奥も統一していない。東北は2国
しかないが。米沢、会津、仙台という東北の中枢を押さえていたが。
佐竹が常陸を抑えて、下野・下総・陸奥南部に勢力圏を拡大している
現状を考えると、伊達は過大評価といわざるをえない。
石高の高い場所にただ居ただけでは意味がない。

60 :
>>58
素直に羨ましい。

61 :
結局【政宗最強は捏造】を認めざるをえない
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1197266689/l50
松川の戦いは本当にあったのか? その4
http://ex21.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1198253856/1-100
政宗厨脂肪www
人取橋の戦いは政宗の敗北
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1155731067/301-400
伊達厨さん佐竹との戦いの伊達勝利捏造の方も論破されまくってますよ。
もっと狡賢く力を入れて必死に捏造してくれないと面白くありません。

62 :
だってえええええええええええええええええええ

63 :
スレタイは
みんな最上義光を恐れていたの方がよいんじゃねーか?

64 :
義姫が最強なんじゃねーの?

65 :
ほう

66 :
クルム最強

67 :
茂庭の凄さがいまいちわからん。
年取ってから宇和島での仕事っぷりは渋かったと聞くけど。

68 :
いかりや

69 :
>>67
兵站管理がうまかったって話をよく聞く
朝鮮の役で餓死者を出さなかったとかなんとか
親父の仇の窪田十郎を許して家臣に取り立てたりとか、
政宗死んだ後、十数年後の命日きっかりに死んだりとか、
影は薄いけどこの人もなかなか普通じゃない

70 :
>>69
全部捏造だけどな。

71 :
伊達の捏造なら恐れていたかもしれないな。どんな悪評をこしらえられるかと戦々恐々w

72 :
伊達家臣はみんなほんとは出奔して他家に仕えたかったんじゃないか?
政宗相手に「多年の伊達家への貢献に免じて」なんて取りなしても無駄で…まぁ人質の家族が確実に皆しになるから涙流しながら我慢してた家臣が多そう。
茂庭なんて父の献身とかありながらかなり扱いが酷くてかわいそうなんですが…

73 :
>>69
朝鮮の話は大ウソだよ。
逆切れして浅野長政に責任転嫁の絶交状を政宗が送った中で
朝鮮では豊臣の輜重隊から伊達の分の兵糧を分配してもらうはずだったのにお前が横領したから俺達はヒモジイ思いをしたってキレてたから。

74 :
家臣みんながDQN厨二病当主に恐れていた。

75 :
>>74
後の伊達騒動の時みたいに押し込めにするとか、病死した態にしてしちゃえば良かったのにな。

76 :
宮城人のワシからすると政宗公の気持ちが良くわかる
政宗公は表面従いながら猿や狸を内心小馬鹿にしてただろうな
こんな運だけの雑魚どもが天下人?しょうがないから相手して楽しむかぐらいの気持ち

77 :
fishing

78 :
>>59
義重の陸奥南部って結局は政宗に奪われてるじゃん
というか、傘下の葦名、二階堂は滅ぼされ、石川、結城は政宗に鞍替え
岩城すら単独和睦して、相馬は討ち死を覚悟する始末

79 :
>>78
惣無事令違反を恐れて石川も二階堂も岩城もみんな軍事的反抗に消極的だった。
秀吉の小田原征伐は内々ですでに決定していたし、
利家も南部への手紙で奥羽征伐で羽州方面から進軍すると言っていた(北条征伐はまだ計画されてない時期)
義重も直接に戦うな和睦しろと秀吉から圧迫を受けていた。
実際に、反乱と言う形で国人の支援は隠れて続けていたので
須賀川は反乱だらけで政宗は白河口から小田原参陣すらできず
三成が会津西部に大量の鉄砲を運び込んで上杉を通じて
会津西南の国人を支援してたので
伊達は会津4郡はおろか岩瀬郡すら平定不可能に追い込まれていた。
上杉景勝本隊も三条まで進軍しており、佐竹も秀吉の命をもって進軍予定だったが、小田原征伐の予定に変更になっただけ。

80 :
>>79
君の論理で行くと、石川は惣無事令違反を恐れたのに
小田原不参は恐れなかったということかい? 辻褄が合ってないような
二階堂は摺上原の戦いでも芦名方の態度を取ってほぼ同時に滅ぼされている
しかも二階堂氏は当主の夭で実質滅亡に等しく、
家中が伊達派と佐竹派に分裂し、内応者の手引きであっさり滅亡していることから
まともに抵抗できる力もなかっただろう
(仮に分裂していなくとも、芦名頼みの二階堂が抵抗できたか怪しいが)
岩城氏は思いっきり田村領に侵入したものの、その同年に
芦名が滅ぼされるや慌てて政宗に講和を申し込んで、軍勢の供出を誓っているね
芦名義広は黒川どころか、白河も捨てて常陸に逃げていることから、
芦名滅亡の時点で佐竹氏の南奥における支配圏は相当衰退していたのでは?

81 :
葦名滅亡以前からすでに
義重に秀吉から惣無地令を違反するな、葦名と伊達を和睦させろと強烈に圧力を加えられ、葦名家中も佐竹が支援してくれないなら伊達につくと分裂していた。
つまり葦名は伊達の力で滅ぼす以前に秀吉の惣無事令の確執で崩壊してた。
これは二階堂や岩城などみんな同じ。
結局、二階堂未亡人や須賀川城代の須田盛秀は抵抗らしい抵抗もせずに(当主などが戦に関わると惣無地令違反を追及される)さっさと佐竹領へ撤退してる。
よく須賀川未亡人が政宗の再三の助命勧告をしたのに徹底的に反抗して落城とともに自刃したとするのは捏造。
石川氏なども小田原陣を前にした佐竹の軍事行動に抵抗してない。
政宗は石川や結城や岩城らが佐竹と内通してるから、秀吉の前で
下手な真似されたくないから小田原陣への参陣を止めた。

82 :
>>81
どこの家中の分裂も惣無事令に起因すると考えているようだが、
元々は各家の佐竹派と伊達派の対立だろう?
政宗が勢力を伸ばすや伊達派が盛り返し、芦名滅亡を境に佐竹派が優勢だった家は
あっという間に伊達に服属していったが?
戦なら何でもかんでも惣無事令に抵触すると考えているのかい?
惣無事令がお題目通り大名の私闘を禁じる法令だとでも思っているのかい?
二階堂は抵抗しなかったのではなく、内通者の手引きで抵抗できなかったんだろ?
逸話なら何でも捏造かい? 小田原の際に石川が抵抗しないのは
惣無事令抜きにむしろ当然だろ?

83 :
バカかーおめぇーなんで伊達に恐れるわけーゲームやりすぎー

84 :
すでに佐竹と伊達の対立なんて小さなエリアのノンキな話じゃなくなってたぜ。
惣無事令の圧力は凄まじかったし再三に渡り恫喝的な秀吉からの手紙や使者だけでなく、家康や利家や各方面から圧力がかかっきてた。
ノンキな低脳伊達は天下の大局が見えなかったけど葦名も石川も結城も岩城も頭の悪い政宗の巻き沿いにあって伊達と一緒に惣無事違反で改易になるのを極度に恐れてた。

85 :
言い方は悪いが、>>84の方に分があると思うよ。
伊達好きなら、芦名を滅ぼした時期に、秀吉が関東や東北にどう言う下知を出
していたかを絡めて見ないと。
伊達が好きだからって、正宗と同じく大局を見なくていいって事はないんだか
さ。

86 :
よく政宗が葦名を攻略出来たのは秀吉のおかげと言うやつがいるが、
佐竹、葦名が軍事的敗北を喫したのは紛れも無い事実。
わざわざ、秀吉の威を借りても勝てませんでしたと補足してるようなものだ。
>>79のように「秀吉が小田原征伐しなけりゃ奥羽征伐となり、政宗滅んでました」みたいな言い方は意味が無い。
じゃあ秀吉の台頭がなけりゃ、佐竹は北条と伊達に挟まれて滅亡してたでしょうねって話しでもするか?
>>81
>つまり葦名は伊達の力で滅ぼす以前に秀吉の惣無事令の確執で崩壊してた。
>これは二階堂や岩城などみんな同じ。
既に>>82が言ってる通り、伊達派と佐竹派の確執だ。
伊達派だった猪苗代盛国が主家を見限って寝返ったことを見ても明らか。
そもそも反伊達の急先鋒だった大内・片平兄弟が寝返った時点でもうね。

87 :
惣無事令は征伐の大義名分であって、惣無事令に違反→即征伐または減封や改易ではない
ならば現在の法令と違って、総無事令が当時の大名間で
どの程度の信用性を持っていたのかを論じるべきだ
1587年末の「関東奥両国惣無事令」以降でも大名間の私闘はあったし、
それに対する豊臣政権の対応は様々だろう
郡山合戦(豊臣は芦名に肩入れ。お咎めなし)、摺上原の戦い(政宗から旧芦名領没収するも、芦名の復興はなし)
十五里ヶ原の戦い(本庄・上杉にお咎めなし)
相馬が惣無事令を受け入れるのは滅亡寸前の1590年になってからだが、相馬は本領安堵
安東の湊合戦は惣無事令違反を問われたが、一部を太閤蔵入地とされるのみ
大浦の津軽平定は惣無事令違反を問われたが、一部を太閤蔵入地とされるのみ
一方で南部の訴えは退けられてしまった
こんな感じでいいかい? >>84-85

88 :
>>87
そんなの簡単だ。上杉・本庄の違反はいい違反。伊達の違反は悪い違反。それだけさ。

89 :
実際に豊臣の奥州征伐があるにしろ、それまでは自衛しなければならないのが道理
これは義広が生存しているのに、秀吉が蘆名の再興を命じなかった点からも窺い知れる
>>79>>84の言を取ると、
自国を滅ぼされてでも令を遵守し、後に改めて伊達の行為を非難、した(討伐させた)上で所領を回復させる
というのが当然の流れに思うんだが、蘆名も佐竹も実際に交戦又はそれに準じる行為(対陣など)をしてる
仮に豊臣の介入によって思うように動けなかった為の敗北と言い張っても、伊達の戦略的勝利である事実は変わらない

90 :
>>87-88
つまり秀吉の言うこと鵜呑みにした佐竹らがバカってことですね

91 :
キモイ自演やってんな。
そもそも佐竹は伊達に軍事的敗北などしてない。
何か勘違いしてるようだが、佐竹は秀吉のおかげで助かったわけじゃない。
佐竹とて秀吉に改易される可能性があり必死な外交をしてる。
里見は上総召し上げ、宇都宮は改易など、秀吉は決して反北条側をひいきしてたわけではない。双方の言い分を聞いたり伊達から頼まれて前田や浅野や家康の執り成しも聞いてる。
また伊達が大局的に物事を見れないで暴れまわってたから伊達以北では情報伝達が不正確で惣無事令の徹底ができなかった(伊達歪曲情報のフィルターが北奥羽にはかかってた)
伊達領以南とは惣無事令に対する意識が違う。
それでも最上経由で津軽は、南部が秀吉に訴えてるのを知り外交戦を開始したし(最上は上杉との秀吉相手の外交戦で負けて庄内を失った)
南部は津軽安堵の変わりに九戸や花巻方面を秀吉にもらった。
安東も後継者争いの後の秀吉外交で助かった。
伊達は外交戦でびっくりしるぐらいの大敗北をした。

92 :
ちなみに
猪苗代が離反したのも
秀吉から「葦名と伊達を和睦させろ。言う事聞かなかったらどうなるかわかってんだろうな。」と言う恫喝をされた義重が惣無事令違反を恐れ佐竹が葦名支援を弱めて和睦外交を始めたから。
これで、「佐竹が支援しないなら義広を追い出そう」とまで葦名で言われた延長線上の話。

93 :
結局生き残るには
佐竹みたいに関東地方の豊臣の手下になるしかなかったんだろうな。
なったらなったで大変だが。
ちなみに政宗はあほなんだけどしゃれが利いていたから
なぜか秀吉にちょっと気に入られて生き残ったという感じだな。
秀吉も政宗の嘘を知らないわけなかろう。一揆煽動だってそうだ。
情報は蒲生から入っている。
だけども弁解で秀吉のツボをくすぐるようなことばっかりするから。
秀吉も、あほやなーこいつ思いながら顔はニコニコしているというね。
そんな感じ。

94 :
>>92
それで和睦に失敗するわ、義広は逃げ帰ってくるわ、
お仲間の白河結城、石川、二階堂、
あげくには岩城にまでソッポ向かれたね
惣無事令が絶対的なもののような言い方をしておきながら、
みんな仲良く違反して外交交渉に活路を見いだしたとはこれ如何に
結局惣無事令の不公平さ、信用の無さをお前のレスが証明してる
秀吉とその側近の心象次第で判決などどうとでもなるわけだし、
それが原因で東北は豊臣政権への不平不満の温床となっている
政宗によって情報がねじ曲げられたとか妄想も大概にしとけ

95 :
要するにもはや合戦ではなく外交戦に天下の趨勢を移行してたのに大局の見えない伊達が暴れまわって、
その巻き添えをくって一緒に惣無事違反改易を恐れていた。
なんせ白河も二階堂も岩城も秀吉人脈の方々から物凄い圧力がかかってたんだから。
小さい勢力ほどそういうのは敏感でうまく立ち回り安堵を得ようとするもんだ。
結城は家康から養子を貰い生き長らえようとしたし。
ひいきされていたわけではないので、いくら佐竹が秀吉に働きかけようと無駄。義重の姉妹の嫁いだ宇都宮は改易されたし。
義宣の妻の実家の那須は改易したが大田原らが生き残り那須復興を秀吉に働きかける事になるし。
政宗が助かったのは政宗自身がどうとかではなく、完全に家康や浅野や前田らの執り成し努力のおかげ。

96 :
>>95
じゃあ改易されずにすんだ政宗の外交は大成功じゃん

97 :
>>94
惣無事令こそ外交戦なんだよ。
もはや戦なんてやってる余裕ない。
みんな惣無事令違反の恐ろしさを知ってたから外交戦を開始した。
秀吉が改易をちらつかせていたから真剣に怖かった。
実際、違反したら改易と恫喝されてたからね。結果論で惣無事令が不徹底で許されたとか当時の大名にはのちの歴史を知らなかったんだから楽観してない真剣だった。
佐竹も三成から献上品がみすぼらしいとか言われて焦ってたし。佐竹は金などを大量に秀吉に献上してる。
みんな小田原参陣して秀吉に会うまではどうなるか予測もつかなかった。
太田三楽斎も参陣して安堵を受けたが失言をはいて秀吉の怒りを買ったし。

98 :
>>96
領土召し上げられ面目を失い、伊達家臣も努力の報酬を失い、さらに諸将の面前で土下座して諸将から嘲りを受けてどこが大成功なんだかw

99 :
白河から小田原行けずに、上杉に頭を下げて道を融通してもらい信濃徳川領へ迂回w
母に罪を着せて弟をしたから参陣に遅れましたと言い訳を作り出し
肝を潰した政宗は自分を弁護するのに必死で、田村らの弁護をする余裕がまったくなく見事に改易されて約束が違うと恨まれてるしw

100read 1read
1read 100read
TOP カテ一覧 スレ一覧 削除依頼
・ 次のスレ
【裏切り】朽木元綱【名将】
◆◆ 但馬の戦国時代について ◆◆
戦国ダジャレ
【最強】千葉氏【関東の覇者】