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加藤清正は名将です、疑う余地はありません


黒田長政だ!


1 :08/07/27 〜 最終レス :11/12/12
数々の合戦で武功を立てた黒田長政 
だが武断派・武功派と言われるわりには父譲りの謀略もお手の物
それでも幼時はあの織田信長から命を狙われたエキサイティングな経験もあり
そしていつの間にか豊臣派から徳川派へ転身する読みの鋭さ
でも親父さんにはいつまでも子ども扱いされるちょっぴり無邪気なところも
しかし結局50万石以上をゲットしたのは名将の証
そんな愛すべき黒田長政を語っていくスレ
兜の角、でかすぎない?
Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E7%94%B0%E9%95%B7%E6%94%BF
関連スレ
【智・勇魚の如き】黒田孝高総合スレ【縦横無尽】
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1154074910/

2 :
意外な人気の無さ・・・なぜなんだろう?
もっと評価されていいはず

3 :
黒田スレあるのに立ててんじゃねえよ
やっぱりカスみたいな武将にはカスみたいなファンしかいないのな

4 :
そんなスレ見当たらんぞ

5 :
忘れた

6 :
親が偉大すぎるのか?
でも真田もそうなのに

7 :
後で人気者になった又兵衛を迫害したのも不人気の一因かも。
又兵衛の子を誘拐したって何かで読んだ記憶があるけど事実なのか?

8 :
関が原で豊臣を見限ったことが理由?
同様な福島・加藤もアンチ的発言は厳然とあるぐらいだから
>>6
真田と言うことは昌幸でなくて信繁(幸村)?
こちらは逆に家康に対抗して、あの最後の突撃で一種の伝説みたいなものを作ったからねえ
比べて長政はやっぱり人気が芳しくない家康に降った上に、
やったことが陰気な謀略だから人気が無いのか?
俺は好きだなそういうところ( ̄ー ̄)

9 :
>>7
誘拐は知らないが
仕官の横槍ってのも確かに陰気だなwww

10 :
http://find.2ch.net/
2ちゃん検索において「黒田」スレは61スレ
うち黒田孝高スレが戦国板に1スレ、日本史板に2スレ、歴史ゲーム板に1スレ
「黒田」で更に「長政」は無し
2ちゃん検索において「長政」スレは7スレ
以下全て
黒田長政だ! (5) - 戦国時代板@2ch
浅井長政はデブ ピザ2枚目 (446) - 歴史ゲーム板@2ch
浅井長政総合スレ (220) - 戦国時代板@2ch
浅井長政 (219) - なりきりネタ板@2ch
長政様がね、褒めてくれるの… (588) - なりきりネタ板@2ch
織田信長と徳川家康・浅井長政 (59) - 戦国時代板@2ch
山田長政公とともに苦難を乗り越えるスレ (11) - 日本史板@2ch
よって>>3は変な夢を見たんだろう

11 :
長政の逸話
・父、官兵衛が裏切りを疑われ、信長は長政をすよう命じるが、竹中半兵衛に救われる。
・朝鮮の役の時、敵に馬から落とされるが近くにいた後藤又兵衛は助けてくれず生涯恨む。
・関ヶ原の戦いで小早川秀秋などの調略に奔走し、戦後家康を大いに喜ばす。
・父が死ぬと重臣の又兵衛を追い出し、生涯嫌がらせを続ける。
まぁ、だいたい関ヶ原で東軍に付いた武将は人気ないよね。

12 :
面白キャラだと思うけどなあwww
人生に紆余曲折あるし

13 :
>>11
> まぁ、だいたい関ヶ原で東軍に付いた武将は人気ないよね。
それは西軍厨の誤解です

14 :
カトキヨって結構人気あるけど関が原後は豊臣寄り中立的の立場だったからかな
>>11
・あれだけ尽くしたのに家康に信用されずに大坂冬の陣は江戸にステイさせられる
ってのはどう
享年56って意外と早いな

15 :
>>14
孝高も忠之も50代で死んでるからそんな長命での血ではなかったんだろ
親父のスレも過疎ってんのに大丈夫かここ

16 :
息子の長政も、敵の多い、癖の強い人間だったが
なにげに父親も、秀吉の時代から結構嫌われてたり、警戒されてたりしてた。

17 :
>>15
そもそも板自体が人が多くないから大丈夫

18 :
sageろよクズ

19 :
兜の前立ててお好み焼きでも焼いてろよ

20 :
個人的には孝高の話はいろいろ見過ぎてもういいかなって感じだったから
長政の話があればそれを見たいのであるが

21 :
母里太兵衛を手討ちにしようとした逸話もあったな。
これはたしか長政の子に太兵衛が「父親みたいな猪武者になるな」って
意味の事を言ったのが原因だったと思うが。

22 :
細川忠興と雰囲気が同じ感じに思えるのは俺だけか
性格とかそういうのじゃなくて、なんとなく雰囲気的なものが
あと父親がどっちも大物だし

23 :
みんなwikiとか小説からとったみたいな話題しかないのかよw
sageもできない池沼もいるしなw

24 :
>>21
親父がアレすぎてそれと比較すると・・・かもね

25 :
ID:na0jPKiO
なにこいつわざとやってんの?

26 :
西軍     寝返り・日和見 東軍
石田三成   小早川秀秋   徳川家康
島勝猛    毛利秀元    本多忠勝
宇喜多秀家 吉川広家    黒田長政
明石全登   長宗我部盛親 細川忠興
小西行長            福島正則
安国寺恵瓊           藤堂高虎
長束正家            田中吉政
島津義弘            山内一豊
大谷吉継            池田輝政
蒲生郷舎            浅野幸長
                  織田長益
どうしても東軍の大名には、裏切り者のイメージを持ってしまう。

27 :
東軍 裏切り者
西軍 バカ
ですよね、わかります

28 :
西軍厨は自分の思い込みが世間に通じると思っているから始末が悪い。

29 :
経過結果が分かってる後世の人間からみると西軍は物事が分かってなく見えるが
当時は分かってなくて普通だから

30 :
なんか変なレスしちゃったなw

31 :
父ちゃんスレから来ました
ちょっと前に関ヶ原をDVDで見て面白かったんだが
長政はやっぱ地味だった。
うぃきで調べてみたら、同じ年に始まったおんな太閤記では
長政役の人が官兵衛役やっていたそうだ。狙ったのか?

32 :
>>21
息子の万徳丸の袴着の時万徳丸が懐いてた母里太兵衛が
「父様よりは武辺をしなさい」と激励したことに怒ってその場で脇差を抜き手討ちにしようとした。
その体勢でギャンギャン口喧嘩(悠長ですね)してるとこに栗山備後が駆けつけてことなきを得た。
出典は古郷物語。
本人の言い分を見ると、父より「は」と言われたことが気に食わなかったらしい。
俺の武勇に不足があると思ってそういう言い方をするのかと。
もしかしたら「父より能くし給へ」と言っていれば怒らなかったのかもしれない。
しかしその後母里が盛大に論点をずらしてるので真相は闇の中だ。
初めてこの逸話をかいつまんだものを読んだ時、原典にあたればもう少し
長政を弁護する余地があるかもしれないと思った。
しかしこの男ときたら本当にその場で刀を抜いて、数えで四歳のあどけない
我が子の前で、子がじいと慕う老臣を成敗しようとしやがった。
そしてはじめは母里太兵衛のことを、何の気なしに言った言葉が気に障った
からといってされかけるなんてとんだ災難だったなと思っていた。
しかし母里太兵衛はそんなことで同情されるようなたまではなかった。
こいつが激昂する長政を鼻で笑ってあさっての方向を向きながら
「あーあ変なことで怒ってる人がいるよ、変な人がいますぅー」とか
言うから収拾がつかなくなるわけで。
これに限らず古郷物語における黒田長政と母里太兵衛の関係には
口の達者な小学校高学年の弟が大人げの全くない中学生の兄に対して
青筋をたてているような非常な微笑ましさがある。
活字化しているし、高校で古文をやったきりの人間がだいたいの意味が
とれるくらいなので文体も読みやすいと思う。
未読の人には一読をお勧めしたい。
まあようするに子供のけんか。

33 :
>>31
関が原の場合は裏で暗躍してたから
家康が一番の働きだったとしたのも妥当
表面的な合戦ではイマイチだったね

34 :
>>32
父親とは似ても似つかない短気だなww

35 :
恥ずかしい話ではあるが
戦国ゲームは天下統一IIが最後になった者としては
黒田長政が謀略が得意だとは知らなかった
長く時間を経てゲームとは別に戦国史に戻っていろいろと見てるうちに
孝高の息子らしい活躍にニヤリの自分である

36 :
調略活動なんてのは誰がやったかはっきりと形で分かりにくい種類のものだと思うんだけど、
関が原において長政の謀略活動が大成功だったっていう史料的な裏づけってあるの?
これはお父さんの評価にも言えることなんだけど。

37 :
いろんな資料があるからそこからの憶測しか当てに出来ないね

38 :
逆に「無かった」としている説はある?

39 :
関ヶ原での槍働き自体は奮闘は認められるけど特に抜きん出てはいない程度。
身内が地元で勝手に起こした軍事行動はむしろマイナス要素。
これを踏まえて、18→52万石、34万石の加増の根拠を探すとしたら、調略くらいしかないという道理。

40 :
黒田隊もいた集団が石田隊単独に対してなかなか押し込めなかったということだよね
それで黒田隊が横に回って島左近を狙撃して〜ということらしいけど
何かではその横回りは無かったとか書いてあったなあ
合戦の真偽って結局は結果しか分からないもんだね

41 :
>>38
それは悪魔の証明的だな

42 :
長政は関ヶ原の時だけ輝いているよw
他は愛すべきヘタレ

43 :
東軍が押し込めなかったのは石田が大砲を大坂から
ひっぱってきたのでうかつに近づけなかったというのもあるのかも
勿論それを差し引いてもあれだけ粘れたのは凄いと思うが
横周りについてはこの頃否定してるのを見るが、元々
当時の史料には確か記述自体ないんだよね

44 :
みんな何で馬鹿言ってんの?俗説に振り回されすぎ。
実のところ長政の功績の方が孝高より群を抜いているじゃん?
どう見ても武将として、大名として長政の方が能力が上。

45 :
黒田親父のほうは、かなり過剰評価されているのは確か。

46 :
この人の嫉妬深いようなところも含めて好きだ。
素晴らしい能力の持ち主なのにヘタレっぽいエピソードが多いのがたまらなく良い。

47 :
>>46
そこだよな・・・あんまり比較するのもなんだが
親父さんは完璧すぎる部分も見えてイマイチ感情移入できん
>>43
それまでごく普通に“定説っぽく”言われてた話がいきなり否定されてる時代だしね
正直、何を信用していいのか分からなくなってもいる

48 :
ageようぜ

49 :
立ち読みしてきたが
福島とのこととか、小早川裏切りなどの裏工作については
朝鮮の頃とか過去の話に遡って関係を調べれば
特に不思議はないとのものを見たよ
そういう部分を活かしたところが父親より家康に似てるなと

50 :
おれがガンダムだ!

51 :
長政デスサイズ、朝鮮へ出兵

52 :
>>49
手近から手をつけていくのは調略の基本なのではないんだろうか
どっちに似てるってもんでもないんでは
福島はともかく毛利・小早川は親の代からのつきあいがものを言ってる感じだし
特に長政の働きは如水との親子二代を通して見た方がいいと思う
で、なにを立ち読みしてきたの?面白い?

53 :
福島正則の性格を熟知してるところなんて秀吉時代からのものなんだろうなあと
言葉の端々で煽ってたんじゃない?三成をどんどん憎ませるように
そういう人間の性質とか感情を操作するところが家康に近いかなと思った次第
孝高は時代も時代だったから直接な戦の方にその力が向いてた気がする
・・・と書きつつ黒田家ヲタクじゃないからかなり間違ってるかもwww
本はよくある歴史コーナーのもの
相変わらず否定された通説が書かれてるのもあるのは困ったもんだが
研究者が研究に研究を重ねた字ばっかりのじゃないよw

54 :
黒田長政と浅野長政と浅井長政がゴッチャになる。

55 :
よしよしその中に山田も入れような
木造と早川と田中も入れていい?

56 :
長政は多いが、意外に政長は少ない。
応仁の乱のときの畠山政長くらいか?

57 :
>>54
無い

58 :
>>56 以下、wikipediaより。
源  政長(長暦2年(1038年) - 永長2年閏1月4日(1097年2月18日))
畠山 政長(嘉吉2年(1442年) - 明応2年閏4月25日(1493年6月9日))
花山院政長(宝徳3年(1451年) - 大永5年3月18日(1525年4月10日))
小山 政長 は、室町時代から戦国時代の武将
大木 政長 は、宇都宮資綱の子で、蒲池氏と同族。
三好 政長(永正5年(1508年)- 天文18年6月24日(1549年7月18日))
内藤 政長(1568年(永禄11年) − 1634年12月7日(寛永11年10月17日))
建部 政長(慶長8年(1603年) - 寛文12年4月18日(1672年5月15日))
本多 政長(寛永10年(1633年) - 延宝7年4月24日(1679年6月2日))
六郷 政長(宝永3年(1706年) - 宝暦4年8月5日(1754年9月21日))
浅井長政・山田長政・黒田長政・浅野長政・木沢長政・市橋長政・木造長政・池田長政
織田長政 (大名)・織田長政 (旗本)・早川長政・関長政・小笠原長政

59 :
俺も一時期、渡辺勘兵衛と御宿勘兵衛を混同してたな。
名前と主君を次々と変えたのと大阪の陣まで活躍した辺りが似てたから。

60 :
とりあえず
黒田の長政はなぜついたかを教えてけれ
まさか浅井からじゃないよなあ

61 :
知らんよ
信長あたりの偏諱だったりして
政は…政職じゃねえよなあ…高祖父が高政だから高(もしくは隆)と政が通字とかそんなん?

62 :
浅井長政の長は信長ってのは見たことあるけど(真偽不明)
黒田長政はどこからだ?親父の孝高と全く違うから
話は微妙に違うが
意外と織田の血とか信長の影響って信長死後もあるみたいだね
ただ長政は子供の時に信長にされそうになったからなあ

63 :
長は、秀長あたりからなんじゃね?
政は、曽祖父の高政からでしょ

64 :
高政は曽曽祖父だな。訂正。

65 :
問題にするべきなのは「長」だけだったのを書かなかったおいらがアレ

66 :
素直に信長でええやん。

67 :
>>66
裏切った黒田の子は処刑しろ

68 :
処刑しかけたからフォローの意味を込めて一字やったのかもしれんし。

69 :
時期的にどうかね
いつ名前変えたんだ

70 :
こいつを演じるはチャド・クロウチャクを置いて他に無し!!

71 :
http://museum.city.fukuoka.jp/jf/2008/kuroda_24ki/index.html
イラストは黒田三十六計の平田か

72 :
立花宗茂はよく、道雪と紹運の二人の云々言われるが
考えたら長政も、父親はあの官兵衛ではあるし
なんだかんだで竹中半兵衛とも繋がりもあって
この二人を見ていたからには、謀が得意になるのも無理は無いんではないかと
更にその主が秀吉だったわけだし
そこでその点について「サラブレッド」とみてもしかるべきとは思うが
でもどうも謀略はマイナス気味に見られる(と思われる)戦国ヲタ界
武功で目立った宗茂の方がいい書かれ方をするのは止むを得ないか・・・
上にも出てるけど、人物的にあまり度量が大きくはなかったようだしw
そこも更なるマイナスポイントか
知勇兼備なのは間違い無いが、人としてちょっとアレだったのは惜しいと

73 :
>>72
細川忠興がまだ下にいるからマシ。

74 :
おいおいwww
確かに細川の親父殿は天皇すら動かした人物だったけどさww
父親が何か突出した傑物だと息子も辛いのう

75 :
朝からご苦労!
山県昌景だ!( ´_ゝ`)b

76 :
幽斎はここで語る人物じゃない。

77 :
>>76
スレの流れを読め、クソコテw

78 :
肝心なのは3行目なのにww

79 :
長政の辞世の句って読んだままに解釈していいのかな?↓
このほどは うき世の旅にまよいきて 
いまこそかへれ あんらくの空

80 :
古い文体はそれ自体よく分からないからストレートな解釈からして分からん・・・

81 :
この.ほ.ど.は
う..き.よ..の.たびに
まよ..い..き.て 
いま..こ.そ..かへれ
あん.ら..く...のそら
縦や斜めではなさそうだ。

82 :
>>80
このくらい読めよ…

83 :
疲れた。寝る。
ですか?>ストレートな解釈

84 :
>>83
吹いたが案外その通りだなW
如水とは印象が真逆になる

85 :
この世でやることはあらかたやり尽くしたし
あの世でも見に行ってくるかな、まあなんとかなるっしょ
って感じか>親父

86 :
ちょっと若いよな、死んだとき
息子を教育不足の感もある

87 :
時代を考慮してもそんな長生きとは言えないかもね。平均値には届いてると思うけど。
息子は生まれたのが遅かったから…数えで35の時の子か。
長男は廃嫡する気満々だったって逸話は多く残ってるけど、最終的にそこまでしなかったのは、
やっぱり自分の死期を悟ったからっていうのも大きいのかなあ。
次男が長男と八歳差だったよな?(側室の子供はさすがに除外だろうし)

88 :
身分的にいい物を食ってたのか武将って意外とそれなりの寿命が多いと思う
今の時代だから健康には質素な食事の方がいいって言われるけど
現在が過剰なだけだからねえ
昔の身分が低い人たちの質素とは根本的にレベルが違うと思う

89 :
「長」は信長の「長」らしい
一旦自分をそうとしたのに・・・

90 :
>>89
信長なりに気をつかったんだろ

91 :
例のごとく、さすがの信長もものすごく申し訳なく感じていた、という逸話は残ってる

92 :
>>91
信長はそんなのばっかりだな

93 :
どの時代にも信長ファンはいたってことでしょう
長政事件に関しては100%信長の勇み足だしwww
でもおかげで後々まで救ってくれた竹中家との話題ができたという

94 :
幕末までだもんねぇ

95 :
黒田長政「信長嫌いだから浅井長政から名を頂きましたw」
官兵衛「たっ頼むから対外的には織田信長から名を貰った事にしとけ」

96 :
朝鮮の本を途中まで読んだが
まだ活躍が出てこない・・・

97 :
>>96
やっぱ敵に組み伏せられる逸話は創作かなw

98 :
朝鮮の役ということで書かれてる本だとたぶん載らない
黒田家として書かれてたら逸話も載るだろう

99 :
平均寿命には戦死もふくまれてる計算らしいよ

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末路があまりにも悲惨だった人物
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加藤清正は名将です、疑う余地はありません