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2011年10月1期戦国時代脇坂安治と仙石秀久について語れ TOP カテ一覧 スレ一覧 削除依頼
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天地人と風林火山の評価の違いについて
おまいら、帰雲城を発掘するぞ
上杉謙信を暗した直江兼続?
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脇坂安治と仙石秀久について語れ


1 :09/03/11 〜 最終レス :11/11/16
脇坂安治・・日本より韓国で有名な戦国武将。明智光秀に仕えて武名をあげるも秀吉に転身。
七本槍になったが、朝鮮では大勝利と大敗北を経験。関ヶ原で裏切ったが唯一加増され、大坂の陣では中立を守った
仙石秀久・・秀吉古参の家臣。織田信長からも武勇を賞された、戸次川の戦いで島津に大敗して改易。小田原戦で大名に戻った。関ヶ原以後は徳川に服従したため息子が離反。

2 :
豊臣恩顧といえば加藤清正・福島正則・石田三成だが
せっかくキャラが濃いのにマイナーな脇坂や仙石の知名度をもっと上げたい

3 :
脇坂は大坂の陣で中立なのかと。

4 :
センゴクは四国、九州征伐で先鋒
つまり捨て駒ww

5 :
仙石は司馬遼が書いた戸次川のイメージが強すぎてなぁ
センゴク天正記のお陰で再評価されて本当に良かった

6 :
仙石は秀吉をして天下を取る器と評されたほどだしな。
家康が最も警戒し、懐柔につとめた名将。

7 :
ところで何故この2人?

8 :
>>6
最初の文の主語を今の大河ドラマの主人公に置き換えてNHKが宣伝中
>>3
脇坂は出陣を命じられながら二度とも国元から動かず

9 :
>>5
後任軍監で真逆の方向でやらかした尾藤知宣や
小牧長久手でやっちゃった神子田正治ら他の所領没収組が結局されてる中
何だかんだで大名として復帰してるのはもっと評価されてもいいよな>仙石

10 :
仙石は信親したイメージしかないな

11 :
>>4
先鋒=捨て駒とか突っ込み所が多すぎて
まあネタなんだろうけど

12 :
>>9
家康がとりなしたから
二人とも5万石の大名じゃもったいないぐらいの活躍だ

13 :
>>4
九州征伐まで仙石は秀吉の配下の出世頭だけどね

14 :
(例外として秀長を除けば)仙石って確かにありえない速度で加増されてるような。
信長直臣で寄騎なんだっけ?それとも秀吉直臣だっけ?

15 :
信長直臣で寄騎。
だが秀吉以外には寄騎に行ってないから実質直臣みたいなもんだが。
美濃攻め以降戸次川まで20年近く仕えてんだよね。

16 :
淡路繋がりか

17 :
秀吉の直参がへぼ過ぎて泣けてくる
家康に天下を取られるわけだ

18 :
仙石は、武士としては優秀だが、将としては最低。上司に気に入られるのが上手い。というイメージ。
脇坂も世渡り上手か。

19 :
>>18
仙石がタイプの違う信長、秀吉、家康、秀忠4人の天下人の部下として働いてたが
4人共仙石のこと気に入ってた
上手というよりもう天才だな

20 :
これだけ実力あるのに知名度が低い&悪いのは、やっぱ戸次川が原因だよなぁ…
この一つの戦で、全てを台無しにした感がある
まぁ、それでも復帰しているから、やはり実力はあるんだよなぁ…

21 :
秀吉が自分の一字を与えて跡継ぎに据えようとしたほどだしな。
可愛さ余って憎さ百倍というやつだろう。

22 :
>跡継ぎに据えようとした
初耳で御座る

23 :
戸次川の大敗が大げさというけど実際に大敗だろ
長宗我部の嫡男が戦死して長宗我部元親は海を越えて日振島へ敗走
現職の大名の十河存保は戦死
大友の重臣・戸次も戦死
そして仙石は海を越えて領地の讃岐へ逃走

24 :
毛利(森)勝信も入れてくれ

25 :
確かに戸次川級の大敗なんてあの時代でもそうそうはないだろ。
自分の判断ミスで戦死させた長宗我部信親について元親に詫びたとか慰めたとかって話もないし、
同様に戦死させて(生駒の横槍で)断絶された十河家に何のフォローもないしな。
降格された自分の身だけは、わけのわからんスタンドプレーでカバー。
上司に気に入られるのは上手いが、同僚にはしたくないな、コイツは相手を利用することしか考えてなさそう。
脇坂は丹波の赤井さんに毛皮を譲ってもらった創作話とかあるし、数少ない水軍の将だし
当時はそれなりには注目されてたんじゃないかな。ただ同期の清正と正則の存在がでかすぎちゃうだけで。

26 :
仙石秀久が戦場で目立つ為に全身に鈴をつけて戦ったっていうエピソードは好き

27 :
戸次川の異説を宮下英樹に期待してしまう俺ガイル
何か余程の理由があって引き上げたんではないか…と
ただヘタレで逃げられたのでは信親や十河が哀れすぎる
>>26
仙石原のエピソードですね
小田原の役は戦らしい戦が殆ど無くて、仙石と井伊直政だけが戦果を上げたんだっけな

28 :
仙石は派手な活躍はないが多くの戦を生き抜き
諜報だの城普請とか地味な仕事を地道にこなして
出世したんだよな。
便利な部下に一人いると助かるタイプだったんだろうけど
経歴として戸次川が浮いてる気がするね。

29 :
仙石は忠犬って印象
で、名犬ではく単なる猛犬。
臭いで誰が一番強いのか察知し逆らわないって意味での賢さはある

30 :
戸次川が浮いてるわけではないでしょ。
四国の時も長宗我部相手に敗退してたはず。
更に(どこまで史実か知らんが)上田城攻めの時に力攻めを主張して真田昌幸に翻弄された逸話もあるし。
だいたいあの島津家久相手の野戦なのに、秀吉の自重しろって命令も元親の警告も無視して
たいした対策も採らずに自分の力を過信して突撃して壊滅とか、将として無能としか言いようが無い。
平時や小身の部下としてなら上司にとって使いやすいけど、一軍の将としてはダメダメなイメージ。

31 :
>>27
井伊のはともかく、仙石のは戦果って程のものでもないような。
戦果というなら、散々城を落としまくった上杉・前田・真田の北国勢や徳川勢、
城を短期間で落としすぎて秀吉に、もうおまえのは戦功に数えねーよといわれた浅野勢とか一杯いるけど。
特に北国勢は大道寺を降して道案内にして、八王子の撫で斬り、北条氏邦の鉢形城すら陥落とエピソード一杯だけど。

32 :
>>31
他の大名は支城を落としたけど、仙石は小田原の虎口を落とした
しかも領地召し上げられた浪人の身分で手勢を率いて攻め落としたから
大したことないってのはないだろう

33 :
>>25
>詫びたとか慰めたとか
正直長宗我部厨が
前年秀吉に滅亡間近までぼこられて頭下げて必死の機嫌取りで参陣してるという事実を黙して
一端の恩顧大名気取りなのが解せん。

34 :
>>27
無知なキミは黙ってなさい。
でなきゃ、丑三つ時に八王子城址へ行って、じっくり話し聞いて来いw
>>31
石田三成の忍城水攻め失敗も、エピソードに入れといてやれよ
>>32
仙石の小田原城虎口陥落は感状モノの武功だね。
でなきゃ帰参なんて、普通は許されないだろう。

35 :
水攻めは秀吉が直接命じたからな(三成は反対したが君命に逆らえず)
大敗したといえば脇坂も李峻臣に大敗して一族失ってるし
その後に挽回して3千石加増されたけど、「負けたけど後に復活」という意味では二人は似ている

36 :
センゴクで権兵衛の撤退命令を聞かず信親 存保無駄死にみたいな描かれ方してたらやだなぁ…

37 :
大丈夫。史実でも長宗我部親子、存保全員討死するはずのところを
秀久の鬼神の奮闘で元親が助かってるから。
作者もそのへんはわかってると思うよ。

38 :
ツインターボのような逃げっぷりだけど

39 :
信長秀吉と足の早い武将の下で鍛えられたからな

40 :
逃げたわけじゃないだろ。あれは転進。
万が一の島津の侵攻に備えていち早く小倉の守備を自ら固め、海上ルートで薩摩攻撃の準備をした。
悪天候のため運悪く船が讃岐に流されてしまったが、それは結果論にすぎない。

41 :
センゴクで描かれる戸次川の妄想
仙石「ここは豊前の毛利勢と合流して・・」
長宗我部元親「毛利殿の加勢など要らぬ。一気に前進して叩き潰してしまえ」
十河存保「その通り。毛利と合流して戦っては、勝っても毛利に手柄をなさしめるだけでござる」
長宗我部信親「わしが先陣を相努めようぞ!島津ごとき我が一領具足が粉砕してくれるわ」
仙石「しかし関白殿下から勝手に戦うなとの御沙汰が・・」
長宗我部元親「戦には臨機の処置が必要で御座る。大坂は遠い。手柄をあげれば関白殿下は大いにお褒めくださろう」
大友義統「島津はまこと恐ろしいでござるよぉ」
長宗我部信親「ふんっ、そんな根性ゆえ、大友の家は滅びかけるのよ。臆病風に吹かれたうつけキリシタンめが!」
十河存保「仙石殿と大友殿はここにおられよ。我らの手で島津を成敗し、首を持参仕る!!]
長宗我部親子「おーーーーー!!」
仙石「あいや、待たれよ、待たれよーーー!!!」
長宗我部と十河は総崩れとなり、大友は戦わずに逃亡
仙石は命がけで長宗我部を救出するという奇跡を演出
そしてみずから進んで讃岐の領土を返上したのであった(味方を置いて讃岐へ逃亡した史実はスルーですが何か)

42 :
>>41
おもろいじゃん。
讃岐へ逃亡は後世の創作だからなくて正解。

43 :
仙石が讃岐まで逃げたのは、戸次川で手勢が壊滅したので、軍勢を再編成する為だったのかもしれない。

44 :
>>41
置いてって言っても大友は最初から出てこなかったし、元親も領国まで逃げ帰った
大敗したんだから、まず本国の防御を固めてから再起を図るのは割と一般的だったと思う
九州はもちろんだが、当時の四国も豊臣政権に降伏したばかりだし、仙石が信頼できる
のは手勢しかないから、もし大友や長宗我部が島津側に着いたら小倉にとどまるのは危険だろう
似たような状況で信長も金ヶ崎から一気に岐阜まで逃げ帰ったし、結果的に逃げたけど
それほど責めるべきことでもない
あえて責任を問うなら降伏したばかりの四国勢を九州征伐に使った秀吉に責任があると思う

45 :
1586年9月 仙石秀久ら四国軍が大友氏の本拠地・豊後府内上陸
 
1586年10月 毛利輝元・吉川元春・小早川隆景が豊前小倉城を落とす
         
1586年12月5日 島津家久が豊後鶴賀城を包囲
1586年12月12日 戸次川の戦い(長宗我部信親・十河存保・大友家重臣の戸次統常戦死)
1586年12月13日 島津家久が大友氏の本拠地・豊後府内を制圧
1586年12月24日 毛利軍が豊前香春岳城を落とす(高橋元種降伏)
1587年1月1日  豊臣秀吉が兵糧30万石の用意を石田三成・大谷吉継に命令
1587年3月1日  豊臣秀吉が勅使に見送られて、8万の大軍で大坂を出陣

46 :
仙石が讃岐へ逃れた後は毛利軍が島津と戦うことになった(後に宇喜多軍が加勢)

47 :
>>45
改めて見ると12月5日の段階で
大友義統にやる気とカリスマの神様が降臨して1日で家中を糾合して戦闘態勢に入らん限り
府内まではどうやっても落ちるな。

48 :
良スレの予感
取りあえず漫画「センゴク天正記」が戸次川の合戦編になるまで、このスレが維持されるように願うw
まだ手取川の合戦編に入ったばかりだから、10年近く先の話になるけどw

49 :
どこでセンゴクを終わらせるのか気になる

50 :
>>49
本能寺の変に決まってるでしょうが

51 :
    __ / ̄'' ̄ ̄\
   (/ ⌒    ⌒ (⌒ヽ
  / (●)  (●) ヽ_ノ  秀忠にわんわんおするまで続くお
  |    (__人__)    | 
  \__     __,,/ 
     |         ⌒ )ノシ
     (,_,_ノ―‐(,_,_ノ⌒i,,_j

52 :
>>50
天正記はそこまでだろうな。
太閤記は多分紀州攻めが終了して5万石貰って終りだろう。

53 :
もう次のタイトル太閤記に決まったのかw
センゴク好きだけどここであまり話すとセンゴクスレでやれと言われそうだし、
かと言ってセンゴクスレで戸次川や小田原を話すと戦国板いけと言われそうだし、
戦国板センゴクスレなんかがあると漫画ではこうだけど史実や逸話はこうなってるみたいな話も
歴史好きから聞けそうでいいなあと思ったけど、それはそれで過疎りそうだよな。

54 :
>>53
いや、むしろ歴史知識披露したい奴らは全部こっちでやれと言いたい
今日の朝もマジキチが現れたからな。
小田山なんて人物とか俺初めて知ったわww

55 :
>>54
いや小山田は割と…と思ったら小田山かよw

56 :
小田原か小山田かどっちかはっきりせい!
…そろそろ本題に戻ろうか

57 :
w

58 :
>>54
小山田を小田山と書き間違えたんだろう
武田神社の宝物殿へ行って、武田二十四将図をしっかり見て来いと小1時間…(ry

59 :
仙石は大坂の陣で徳川と豊臣に分かれる
脇坂は大坂の陣で中立
豊臣家への忠義を忘れていない所がおもしろい

60 :
age

61 :
いや、脇坂は中立ってより大坂にいたときに関が原起こったから
イヤイヤ西軍に入ったけど結局裏切りが起こった瞬間に便乗して
東軍についたんじゃ?

62 :
お前は何が言いたい

63 :
>>61
よく読め、”大坂の陣”の話だ
>>53
まだ流石に決まってないだろ、そもそも天正記ですら始まったばかりなのに…
まぁ俺も本能寺の変辺りがポイントかと思ってる

64 :
>>61
そんなスキャンダルかましときながら後世には老中まで出してるんだからたいしたもんだね。
いや別に市松さんトコがとーとか、孫六さんトコの坊ちゃんがどーとかとか、
他の七本槍(又はその跡継ぎ)が基地外ばっかとか言いたいんじゃありませんよw

65 :
元々秀吉に仕える前かられっきとした騎馬武者として槍働きしてた脇坂を小姓上がりの
他の七本槍と同一には語れないな
強いて言えば糟屋武則も帰服した播磨の土豪だから別口だが

66 :
仙石は四国攻めでも敵の奇襲にフルボッコにされたんだよな

67 :
>>59
中立ってか現役引いたからだろ
脇坂家の当主はちゃんと参陣してる

68 :
豊臣滅亡後に上洛して当主を譲った

69 :
>>66
ん?仙石側が先に香川隊に奇襲成功→で押して行くが元親の行動が早くて撤退だが?

70 :
ゴンベの1回目の淡路攻めの時の相手調べてたんだけど
菅平右衛門ってどんな人?今一どんな人物か解らん。

71 :
あー間違えた、信長死後の2回目だね↑
1回目は安宅水軍って三好氏?

72 :
この人か、ここで安宅家は滅亡してしまうのか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%AE%85%E6%B8%85%E5%BA%B7
三好の人間も戦にいるっぽいけど知名度が低いこの人が大将だと
ただのMOBになってしまうのかね。

73 :
>>72
は?安宅が知名度低い?
安宅(三好)冬康がMOB?
春休みは楽しいかな?

74 :
いちいち煽らないと書き込みもできない奴のほうがよっぽど子供

75 :
仙石は秀吉から気に入られて大名に戻れたが、脇坂は秀吉から嫌われてたのか?
小田原攻めの後に加増がない(功績として伊豆下田城を海から攻め落とし、小田原城受取の検使にもなっている)

76 :
>>74
申し訳ない。
だけどね?
連レスの上、毎回ageて有名武将の扱き下ろし。
しかも、語る内容は仙石じゃなくて漫画のセンゴクの事と来た。
煽りくらいは入れたくなったんだよ。
2ちゃんのマナーとしても叩くに十分だと思ったが。

77 :
2ちゃんのマナーは煽らずスルーじゃなったカニ
対話として成り立たない書き込みはOUTなんよ

78 :
>>76
おお、まともなレスが返ってきた
てっきり、単発での挑発的な文言からカルシウムの足らない人かと。
思うところあってのところだった訳ね。スマン
確かに↑でも触れられていたけど、漫画センゴクの話は意見が別れるところだね。
可と明示するテンプレがない以上、やっぱりスレ違いかな。

79 :
宇喜多秀家が八丈島から泳いで参ったが定着しているぐらいだから
漫画センゴクの話もある程度いいと思われる

80 :
大中納言様を比較対象にもってくるなw

81 :
ま、センゴク自体は多少は良いとしても、複合だとイラッとしたのがいてもしょうがなくはあるな。
チャットじゃあるまいし、短時間の連投の上、質問してすぐの自己解決もあまり褒められた行動ではないし、さらには結構な武将をMOBになりそうってレスは煽りに感じるヤツもいるだろう。
すぐ自己解決するなら、質問する前に調べろよって話だからな。

82 :
語れる資料や事跡が多くないから
センゴクネタを×にすると異常に過疎る気がする
改選仙石家譜がもっと簡単に読めればなあ

83 :
このスレに限らず
戦国板は史実知識で語るやつと漫画・ドラマ・ゲーム等の知識で語るやつが
混在してるからな
そしてそのどちらも板違いでないから始末が悪い
元の三戦板からしてそうだったが
三国志の場合は「軋轢」の歴史が古いから「正史では」「演義では」と前置き
する場合が多くてまだ話が通りやすい

84 :
小魚でもかじればいいよ

85 :
センゴクは結婚話の進捗程度でストーリーが進まなかったorz

86 :
>>85
面白かったじゃん。てか仙石秀久のスレで言う不満じゃないなw

87 :
んで、なんで脇坂と仙石がセットなんだ?
なんか共通点とかあるか?

88 :
秀吉配下で出世して一度失敗を経験して、最終的に5万石に収まったというのが共通点じゃない?
脇坂は仙石の後に淡路の領主になったし
マンガと話題が被るのはしょうがないが、ここでマンガの文句言うのはどうかと思う

89 :
秀吉時代の大河ドラマはたくさんあるが仙石と脇坂は登場しないことが悲しい
山内一豊の時も登場せず

90 :
俺の脇坂のイメージは関ヶ原での寝返りしかなく、
仙石に至っては、漫画「センゴク」を読んでなかったら、全く知らない存在だったw
ある意味、俺には貴重なスレw

91 :
今調べたが、秀久の妻の父・野々村吉安は豊臣家七手組として大坂夏の陣で討死か・・
秀久の二男秀範も豊臣軍に加わって討死したといわれる(行方不明、だが秀範の息子が戦後に徳川軍に処刑)

92 :
大坂では秀範が討死、盛親が逃亡。
戸次川因縁の両家が再び共闘して、最後も入れ代わるのも面白いな。

93 :
戸次川の敗戦で自領に引くのは戦国武将として別におかしくない。

長曽我部勢の戦いっぷりを知ると三国一の臆病者と罵りたくなるのもわかる。
当時の戦では異常ともいえる主力の七割近い戦死者、参加した重臣が全員戦死、敵である島津勢が敬意を払うほどの徹底坑戦、豊臣秀吉が大隈一国を加増しようとした事実
十河勢にいたっては当主が死亡するほど

94 :
信親は奮戦したけど、元親の本隊は戦わずに退却したんじゃなかったっけ?
奮戦と言えば仙石も島津家久を追い詰めるほど奮戦したけど、他の隊との連携が悪く
押しまくる仙石隊だけ突出した形になって挟み撃ちされて敗走した
まあ、仙石が軍監であるにもかかわらず、単に一部隊長として行動して敗戦につながったから
罰を受けても仕方ない

95 :
>押しまくる仙石隊だけ突出した形になって挟み撃ちされて敗走した 
それって島津お得意の「釣り野伏せ」にハマッただけではw

96 :
脇坂も仙石も武人としては勇猛だが、大名としては無能ってところが共通してるな
所詮は侍大将クラス

97 :
>>94うん、元親の本隊は戦っていないよ。
戦ったのは信親率いる千名ほどの部隊だが信親についたのは長曽我部勢の中でも強い忠誠心を持った一領具足
だからこそ不利になっても信親を見捨てず文字通り壊滅するまで戦った。
戦国時代の兵士達は不利になったら自分が助かる為に逃げたりするのが常道。…………………………龍造寺隆信が不利になったら部下に見捨てられたのが良い例

98 :
>>94
仙石隊が奮戦??
島津側の資料にはないな。
単純に釣り野伏せで突出してきた仙石隊を狙ったってだけ。
仙石の方からすれば
相手が引いたのを自分達が押してるとでも錯覚したんじゃない?
それが釣り野伏せの戦法とは知らずに。
それに元親隊は闘ってないというよりも
軍艦の仙石が真っ先に戦場から逃げたため
何もできなかった、が正しい。
十河と信親隊は、仙石を逃がすためか
その場にとどまって包囲されて全滅。
元親隊が備えを動かす前に既に勝負は決まったという
仙石が長宗我部と十河を生贄にして島津の武威を世間にしらしめた
アホみたいな戦。

99 :
>所詮は侍大将クラス
さすがにそれも極端だ。
複数の大名の上に立つような数十万石クラスが分不相応なだけで
数万石の大名としては統治もそこまで酷いわけじゃないし

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