2011年10月1期戦国時代直江状の真贋論争に決着を!
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なぜこうもこの板は廃れまくっているのであろうか
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直江状の真贋論争に決着を!
- 1 :09/09/12 〜 最終レス :11/10/23
- 直江状の真贋論争に決着をつけましょう!
参考論文
宮本義己「゛直江状″の信憑性」(『歴史読本』第43巻8号、1998年)
宮本義己「内府(家康)東征の真相と直江状」(『大日光』第78号、2008年)
木村康裕「兼続と「直江状」」(矢田俊文編『直江兼続』高志書院、2009年)
- 2 :
- 『鹿苑日録』相国寺鹿苑院の執務日記
三月二十九日「豊光(承兌)は大坂から未だ帰宅しない。伏見に滞在しているという。
おそらく明日は寺に帰るだろう」
四月一日「豊光がさっき寺に帰ってきた。喜びを抑えられない」
【承兌と直江の間で書状のやり取り】
四月二十二日「内府が豊光に白布五十端、金子三枚、榊原織部(式部?)が白楮五十束、
白銀三枚を贈られたという」
五月十一日「その時豊光がまた戻ってきて、直江からの書状の返事をしたためた」
- 3 :
- 日本史板でやれ
- 4 :
- 戦国時代の人を扱うんだしいいんじゃないか?
- 5 :
- 天地人でもやってる東西挟撃説が否定されたころに、それと一緒に根拠も特になく
「偽書」とされてしまったんだよ。最近、宮本氏がいろいろ研究してるけど。
- 6 :
- 追って書き以外はそのままの形で実在したんじゃない?
- 7 :
-
宮本義己「内府(家康)東征の真相と直江状」(『大日光』第78号、2008年)を要約すると、
伊奈昭綱は4月10日に伏見を出発。
4月14日付けの直江状には使者が13日に着とある。
3日間で伏見から会津若松に到着するのは物理的に不可能。
だから直江状は有り得ない作文。
- 8 :
-
宮本義己「内府(家康)東征の真相と直江状」(『大日光』第78号、2008年)を要約すると、
他の文書で直江兼続は治部少輔殿と敬称を用いているのに、
直江状では、陪臣でありながら、増右、大刑少、榊式太などと略称を用いており、
このような非礼な表記は不自然。
- 9 :
- ロングラブレター
- 10 :
- 直江状の内容が、部分的には正しい、って言っている人は、
武功夜話をいまだに偽書と認めず、部分的には正しい、って言っている人たちと重なる。
偽者認定されると困る人たちがいる、と言う感想しか沸いてこない。
- 11 :
- 直江状は武功夜話と違ってリアルすぎる。
これが偽物でも誰も恥ずかしくないし。
東大史料編纂山本氏の論考など参考になるよ。
- 12 :
- これは誰かが
タイムマシンで過去に戻るしかないだろ
- 13 :
- 承兌の書状は偽書と言われることがないが、偽書なら返書はどうしたの?
という話になるし、承兌の書状は四月一日付で、>>2の記述と一致する。
宮本氏に反論している人も多いし、宮本氏も「後世の創作か改ざん」と完全な
偽書だとは主張してない。
承兌書状が1日付であることからも、詰問使に変な回答をしないよう伊奈たちよ
り早く届けられた書状の可能性もある。
- 14 :
- 宮本さん以外に偽書説に肯定的な人を見たことがないな。
- 15 :
- 『鹿苑日録』の記述から、直江の書状があったのは揺るがしようのない事実。
あとは中身がどうかってとこだよなぁ。
- 16 :
- 偽書だとすれば、
家康が読んで激怒した、という話も創作だよね。
- 17 :
- >>11これが偽書でも恥かしくないは言過ぎだろ
- 18 :
- 誰かが自分の先祖の活躍をでっちあげたとかそういうのではないから
ってことじゃね?
- 19 :
- >>17
じゃ誰が恥ずかしいの?
直江はこんなものなくても執政としての存在はかわらないし、
徳川の今の評価も直江状の有無に関係がないでしょ。
- 20 :
- age
- 21 :
- sage
- 22 :
- 直江状は慎重に扱うべきって言う人もいるけど、偽書の可能性が高いって
言う人はあまりいなくなったな。
- 23 :
- 今残っているのは偽書で確定だろ。
「モデルにした実在の文章があったのでは?」ってだけの話で。
- 24 :
- 偽書とコピーはまた違うな。
しかしゼロックスがなかった時代のコピーは改竄の疑いが強い。
そこが問題なんだよ。
- 25 :
-
直江兼続の古文書(こもんじょ)が見つかりました。
http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20091014-OHT1T00077.htm
- 26 :
- 原本が残っていない書状なんていくらでもあるわけで、直江状は過激な文言と、
東西密約なんて作り話だから直江状もなかったという短絡的な理由で、過去に
偽書扱いされただけ。
家康が「田舎者の不調法」に怒ったのはほかの書状からもわかるから過激だった
ろうことは確かだし、直江状には三成との密約の話なんて書いてないんだから、
東西密約がないことが直江状が偽文書だという理由にもならない。
- 27 :
- age
- 28 :
- あ
- 29 :
- 「直江研兼続の新研究」の宮本氏の論文読んだ。
村上義明の先代は義清だから上杉とつながりが深いからここに伝わる直江状も
上杉氏所縁のものだとする間違いがあったり、上で言われているような承兌書
状は伊奈が持って行ったとする根拠(三日で会津につくわけないという展開)、
少なくとも1640年というまだ当時を知っている人もいるような時期から写さ
れていることは記述しながら、あえて改ざんして写すことの必然性についてもあ
まり論じられていなかった。
豊臣奉行衆の家康諌止状にも触れておらず、昨今の論文に対しても「新知見を得
るにはもう一歩」とだけ述べてかわしてしまってるので、基本的にはこれまでと
たいして変わらない主張に思えた。
- 30 :
- age
- 31 :
- 直江状
- 32 :
- age
- 33 :
- 直江さんからお手紙着いた
- 34 :
- 家康さんたら読まずにキレた
- 35 :
- 仕方がないので戦の準備した
- 36 :
- さっきの手紙見てないけど、ぶっつぶす
- 37 :
- http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B4%E6%B1%9F%E7%8A%B6
- 38 :
- age
- 39 :
- >>37
木村康裕氏の研究成果について触れてないな。
- 40 :
- age
- 41 :
- age
- 42 :
- ____
/__.))ノヽ
.|ミ.l _ ._ i.)
(^'ミ/.´・ .〈・ リ
.しi r、_) | 直江状はわしが書いた
| `ニニ' /
ノ `ー―i´
- 43 :
- 偽書の可能性が高いなんて言ってる奴は最近は全くいない。
元々偽書説を出してる奴なんて、たいして直江の研究もせず、単に「時の最高権力者である家康に、上杉の一家臣である直江ごときがこんな書状を書く訳が無い」という単純な理由で「無い」という結論ありきで構築した説であり、所詮無理がある。
「直江ごときがそんな書状を出せるなら、必ず上方との挟撃作戦があった筈、それが立証できない以上、直江状は偽書だ」という研究者とは思えない結論ありきからの直江状のあら捜し。
写しなんだから当然ちょっとした粗は当然あるはずだけどね。
これだけ各地(村上氏、酒井氏など大名家や上杉家臣の子孫等)からほぼ同様の写が出てきており、増田長盛の家康宛討伐諫止状などを見ても、無いと断言できる方がかなり難しい、と思う。
では何故原本が現存していないのか?原本は必ず家康・正信主従が見ている筈。
上杉は形上開戦の口火を切っている訳で、石田や安国寺らと並ぶ責任があるとも言える(責任が問える)立場にあった。
しかし、家康・正信は上杉を残したかった(それも景勝・直江主従のままで:そこが毛利や島津とも違う所:2家とも当主隠居)。
それには、直江の戦争責任の証拠になり得る「直江状」自体を正信は葬りたかったのでは?
故に、原本は本多家が所蔵していたと考える。もしかしたら政重の加賀前田家にあるかも。
- 44 :
- いろんなとこにコピペするなよ。
ちなみに直江状偽書説は「家康に直江が書状を出せるわけがない」から
出た訳じゃない。むしろ家康の命で書状を出したショウタイ和尚からな
ら、景勝に直接出すことはなく、直江を通すのが当たり前。
偽書説は東西挟撃説の否定から、根拠もなく、「家康を誘い出した直江
状も偽書」という話になった。
- 45 :
- >>43
宮本義己氏の論文を読まれましたか?
- 46 :
- >>45
>>43は読んでなさそうだが、宮本氏の論文にも最近反論が
加えられていて、宮本氏が指摘した文法上のおかしな点、
例えば体言止めを使っていることなどは、他の直江書状か
らも確認されていて、当時珍しい用法なら、逆に直江の書
状の特徴をとらえていることになる。内容については宮本
氏も「偽書だけど当時の政治状況をよくとらえている」と
評している。また、直江状の傍証となる豊臣奉行衆の諌止
状や鹿苑日録にある記述などに対する論証が弱い。
- 47 :
- age
- 48 :
- 白峰旬氏も分析してますね。
- 49 :
- 秀吉が死んだ、利家も死んだ。
家康が死ぬのも時間の問題だろう。
さすれば天下は労せずとも上杉に転がり込んでくる、
って思うのが普通じゃない?
なんであの時期わざわざ反抗するかね?
- 50 :
- 天下なんて景勝・直江主従はそもそも狙ってないだろう。
景勝は謙信依頼の上杉を貫くこと。主を立てることに命を懸ける。
直江は経済活動を活発にして民を豊かにし、自らは書籍をあさって出版事業をして学問所開いてゆっくり読書でもしていたい、という所が本音だろう。
- 51 :
- じゃあ何で無関係な最上攻めるんだよw
- 52 :
- 上杉は最上と伊達を従えて関東進入する計画だったことが書状から判っている。
よって最上攻めは最上を屈服させることが目的。最上の所領が当初の目的ではない。
山形・長谷堂・上山を孤立させ庄内隊・置賜隊そして直江本隊で取り囲み持久戦としたのもそのため。
最上屈服後福島から本庄隊。笹屋峠から直江本軍が伊達を挟み撃ちにして屈服させ関東に進軍する計画だった。
- 53 :
- ちなみに佐竹が上杉伊達領進入の際どう動く計画だったかまでは判明していない。
やっぱり本庄や須田ら上杉勢とともに伊達領に侵攻するつもりだったのかどうか?
景勝本隊(安田、甘粕、須田)ら若松城在城連中の動きも。
どなたか教えてください。
- 54 :
- 若松在城(須田長義でなく岩井信能)でした。
- 55 :
- >>52
伊達が状況次第で上杉方につこうとしてたってのは
聞いたことあるな。
すると佐竹も上杉に組するだろうし。
結城はどうなのかな?
応仁戦国など一族内の争いは茶飯事だし
親三成的なところもあるし
もともと家康と仲悪いし
これも上杉についた可能性あると思うのだが。
まあ東軍が関が原で敗れたらそういう展開になったと思う。
- 56 :
- ほかの奥羽の諸将にも言えるけど、上方で内府ちがいの条々が発せられたので、
伊達は家康が反転すると上杉と停戦し、9月上旬には和睦がほぼまとまりかけて
いる。和睦の条件は政宗本人か家老数人が数戦の兵を率いて関東出兵に参加させ
ることだった(9月3日付直江書状)。最上次第では伊達を攻撃すると言ってい
るけど、直江は最上の懇望を受けて出陣を延期しているし、すでに政宗が東軍有
利を知った9月22日時点でも、西軍有利を信じて疑わない直江は「上方の情勢
を知れば政宗も最上も態度を変えるだろう」と言っているので、必ずしも伊達領
侵攻ありきではなかったと思う。
佐竹も同様に家康反転後に上杉に同心を申し出ている(8月5日直江書状)。
- 57 :
- またそんな江戸期の捏造文書を真に受けてww
- 58 :
- 捏造の根拠よろしく
- 59 :
- 自分は文書の真偽は知らんけど
景勝と直江が、百戦錬磨の最上や伊達を従えるなんて夢物語だわな
この主従はともに、合戦に自力で勝利したこと無いらしい
- 60 :
- 最上は直江に攻められて次々に城が陥落し、滅亡寸前。
伊達は上杉と和睦中だったのが、上方の東軍優勢を聞いて
最上に援軍を派兵。ちなみに伊達は奇襲で福島を襲ったが、
十月七日の野戦後はことごとく上杉に退けられている。
- 61 :
- >>59
少なくとも御館の乱で勝ってるじゃん
兼続が当時なにしてたかは全く不明だけど
- 62 :
- 御館の乱は、負けっぱなしの劣勢だったのが
武田が支援したから勝てた。
- 63 :
- 独力で戦う戦なんてほとんどないよ。
敵寄りな国人や土豪を調略したり、外交で優位にたとうとしたり。
それをやるやつは弱いなんてのは戦国を知らなすぎでは。
- 64 :
- 兵力や国力を落とす可能性のある戦闘を重視するのは、ゲーム脳のみ。
季節も夏だしな・・・
- 65 :
- 自分らより偉い権力者の支援が無ければ勝てない、っていう意味
権力者の庇護の下に権勢をふるう、
まあ言ってみればジャイアンのもとで威張るスネオってことだ
- 66 :
- 嫌いなのはわかったが、もう少し上杉家のこと勉強した方がいい
- 67 :
- でもそんなスネ夫みたいな主従が、
一時は、家康に次ぎ、毛利と並んで2−3番目の大大名だったわけだからただもんじゃない
史上最強のスネ夫というか
- 68 :
- 史上最強のジャイアンに頭下げたのが効いたな。
本能寺が無かったらヤバかったけど。
- 69 :
- 御館の乱については、最近の研究によれば勝頼はあくまでも中立で、
軍事同盟に発展したのは、景虎が死んで、怒った北条と手切れてからとされてるけどね。
すでに上杉十郎や桃井といった大将が討ち取られてるし、
景虎が嫌々ながら和睦に応じたのは、当時猿毛城などを奪回されて、
むしろ景虎方がやばくなってたからという説もある。
- 70 :
- >>67
それがどこで間違ってしまったのか
大阪の陣前には徳川400万石vs上杉30万石にまで
差をつけられれ、ライバルの徳川にあごで使われるまでに
身を落としてしまった
- 71 :
- 戦の話なら、本当の意味での独力などない。近くの大名で言えば国人に頼りす
ぎた最上はその発言力を削げずにお家騒動を起こして改易。
政治の話なら権力者の力を背景に領国内の大名権力を高めるのはどこも同じ。
上杉家は近世大名権力の確立が全国でも早く、関ヶ原前にはほぼ確立している。
伊達は百万石のお墨付きを見ても、政宗の権力が確立していない様子がうかがえる。
スレ違いの話ばかりなので直江状に話を戻すと、唯一根拠を持って偽書説を唱える宮本氏の
主張にはすでに多くの反論が出ている。最近宮本氏が直江状に触れたものを読んだことがな
いのでどう受け止めているのか分からないが。
- 72 :
- ま、結論とすれば三成の短期決戦(関ヶ原正面激突)が大ミスだったということ。
せめて大垣で篭城しててくれれば秀忠が上田で孤立していたし、大津城攻略隊も間に合ったし、東北勢(上杉以下)が関東進入して徳川降伏という展開は十分あった。
- 73 :
- >>71
宮本氏も自説に数々の反証が加えられさすがに旗色が悪いと踏んだんだろう。
- 74 :
- 偽書説が偽だとして、
直江は直江状を送ったから無能だって記述があるけど実際どうなんだろう。
豊臣家から(実際は五大老筆頭徳川家)上杉謀反などというおかしな喧嘩を売られたから買って出たということ。
「北国肥前殿の儀、思召のままに仰付られ候、御威光浅からざる事。」という一文に討伐軍を起こされても屈服しないという上杉家の決意を見ることができる。
- 75 :
- 慶次がイタズラで直江状を偽造した可能性はないの?
本物の直江状は「サーセン、サーセン、許してチョンマゲ」って感じの謝罪文だったとか
- 76 :11/10/23
- >>75
> サーセン、サーセン、許してチョンマゲ
やっぱり挑発してる様にしかみえないw
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